1912生19910719没 | 享年78 | 広島女学院大学名誉教授。広島滞在中、折鶴の会・ワールド・フレンドシップ・センター などの平和運動に参画。1980年には広島市の特別名誉市民に選ばれる。 |
1912生19910719没 | 享年78 | 広島女学院大学名誉教授。広島滞在中、折鶴の会・ワールド・フレンドシップ・センター などの平和運動に参画。1980年には広島市の特別名誉市民に選ばれる。 |
『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』(藤原茂編、溪水社 [渓水社]19800525)
部 | ||
荒木武(広島市長) | いつまでもお元気で | |
原田東岷 | また会いましょうメアリさん | |
1 | アメリカから広島へ | |
1. 幼いころ 2.学生時代 3.日本へ | ||
2 | なつかしいヒロシマの人々 | |
女学院の人たち | 松本卓夫先生 元吉潔先生 原田寿先生 熊田ムメ先生 河本一郎君 岩崎大介さん 多田公夫さん | |
被爆者の人たち | 宋年順さん かみさこおばさん 池田ハツヨさん ふじやまのおばあちゃん | |
仲間たち | 松原静江さん 松原静一さん 室積康也さん 藤本みどりさん | |
お世話になった人たち | 日吉未亡人 今石あきさん 原田東岷さん 銀行家の小田氏 | |
教え子たち | 今田あやめさん 今田さん 芝間タヅさん 石国ふみこさん 中本博子さん 秦知子さんのことなど | |
宣教師仲間 | ウィリー・富樫さん グレース・ウィルソン 宗像基牧師 | |
3 | 資料編 | 1947年~ 1980年 |
年譜 | ||
あとがき | ||
目次
肥田舜太郎
ひだ・しゅんたろう | 生20170320没 | 享年100 |
資料
新聞 | 掲載年月日 | 見出し |
赤旗 | 20020326 | ひと 全日本民主医療機関連合会の会長に就任した肥田泰(ひだゆたか)さん さいたま市に父(被爆者で医師の舜太郎氏)と母、妻。57歳。 |
赤旗 | 20040301 | 本と人と 『ヒロシマを生きのびて』 肥田舜太郎さん 自分史がそのまま貴重な戦後史 |
朝日新聞 | 20130409 | ひと 肥田舜太郎さん 日韓で「非核・脱原発」を訴える96歳の被爆医師 肥田舜太郎さん |
20170321~26、死亡記事 | ||
原民喜
はら・たみき | 19051115生19510313没 | 享年45 |
詩人・小説家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)1919年広島高師附中入学。慶応義塾大学に進む。千葉から郷里の広島に疎開中被爆。東京・西荻窪で鉄道自殺。広島市本通り商店街の商店で原時彦氏(民喜の甥)に被爆時民喜が所持していた手帳を閲覧させていただく。 |
資料年表
年月日 | 事項 |
19940701 | 原民喜文学資料展(会場:広島市中央図書館)(出典:「中国新聞」19940702) |
19940904 | 文学散歩<32>原民喜 夏の花 妻とヒロシマへの挽歌 被爆記録もとに平静に(出典:「赤旗(日曜版)」19940904) |
20010306 | 文化 原民喜回顧展に寄せて 「夏の花」が私たちに語るもの 「パット剥ギトッテシマッタアトノセカイ」(掲載紙:「中国新聞」20010306) |
20010310 | 原民喜回顧展(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:旧日本銀行広島支店)。~3月23日。(出典:「中国新聞」20010310、同20010311) |
20010310 | シンポジウム「広島文学を読み継ぐために」(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:原爆資料館東館、出典:「中国新聞」20010314) |
20010310 | 文化 原民喜没後50年 繊細で強い光今も放つ シンポや回顧展(掲載紙:「中国新聞」20010314) |
20011110 | 原民喜生誕96年記念祭(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、事務局長:海老根勲。会場:原民喜詩碑前。出典:「朝日新聞」200101111)。 |
20020310 | 花幻忌(出典:「中国新聞」20020311)。 |
20031121 | 文学の力 第2部燃えつくす魂①亡妻と原爆胸に 原民喜至純の世界求め続け(掲載紙:「朝日新聞」20170314、音谷健郎・記)。 |
20040314 | 原民喜の追悼に100人 没後53年 中高生が詩を朗読(掲載紙::「朝日新聞」20170314)。 |
20040728 | 原民喜<1>夏の花 廃墟から 「惜しかったね、戦争は終わったのに…」と声をかけた。(掲載紙:「中国新聞」20040728) |
20150218 | 原民喜の手帳平和資料館に おいが3冊寄託 世界記憶遺産目指す(出典:「朝日新聞」20170219)。 |
20150218 | 直後の広島を記録 原民喜の手帳原爆資料館へ(出典:「赤旗」20170219)。 |
20150218 | 伝えるヒロシマ 「夏の花」の原点手帳を寄託 原民喜の遺族が原爆資料館に(出典:「中国新聞」20170219)。 |
(出典:「朝日新聞」20150315)。 | |
(出典:「中国新聞」20161120)。 | |
(出典:「中国新聞」20170309)。 | |
20170312 | 原民喜碑前祭(出典:「中国新聞」20170313)。 |
20171112 | 原民喜生誕祭(出典:「中国新聞」20181130)。 |
20181129 | 展覧会「原民喜―かすかにうずく星」(出典:「朝日新聞」20181130)。 |
梶山季之著『松田重次郎 一業一人伝』( 時事通信社、1966.2.25)
目次
備考 | ||
梶山季之 | はしがき | |
目次 | ||
第1章 | 生い立ち | |
誕生・母 負けじ魂 独立心を学ぶ 鍛冶屋の魅力 |
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第2章 | 修業時代(その1) | |
大阪の鍛冶屋奉公 機械鍛冶から呉工廠へ 職工第一歩 大阪砲兵工廠・養子 |
||
第3章 | 修業時代(その2) 失敗・長崎で再出発 佐世保からふたたび呉工廠へ 工作船・三池丸 独立を志す |
|
第4章 | 松田式ポンプの製造 | |
十坪の鉄工所設立 厳しい職人気質 松田式喞筒合資会社の設立 乗っ取りの策謀に泣く どん底からの再起 業界に手腕を認めらる 「大正型松田式ポンプ」の完成 |
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第5章 | 関西財界の寵児となる | |
海軍演習用魚雷の頭部を製造 ロシア政府から信管の依頼 見本製造に全智を傾ける 設備資金の捻出 事前に万全を期す “大正の今太閤” アルミ買いつけに苦心 ロシア検査官たちとの交渉 信管工場の大成功 工場移転計画で対立 痛憤のうちに会社を去る |
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第6章 | 創業時代 | |
郷里・広島に松田製作所設立 日本製鋼所へ身売り 東洋コルク工業の創立 積極経営に乗り出す 炭化コルクの発見 販売の拡張 大震災・不況 工場炎上す 一人一業に生きる決意 |
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第7章 | 東洋工業の誕生 | |
設備資金を得る 優れた工作機械買い付け 機械部門の拡充 府中へ工場移転 |
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第8章 | 自動三輪車の製作 | |
自動車製造への意欲 自動二輪車の完成 自動三輪車の試作 マツダ号の発売 |
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第9章 | 戦時体制への突入 | |
三輪車業界の競争激化 さく岩機の製造 小銃大量生産の受命 原爆・終戦 |
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第10章 | 戦後の再建 | |
再建にのり出す 労働組合との対決 孤独のなかの奮闘 大衆とともに生きる |
||
松田重次郎年譜 |
出版委員会:平和問題連絡協議会、平和問題懇談会、原爆の子友の会、原爆被害者の会、ムシカ、新日本文学会、人民文学広島友の会、広島葦会、われらの詩の会。
目次
頁 | 著者 | タイトル |
口絵 [写真] | ||
メーデーにて、トランク座、われらの詩の会、新日本歌人・反戦詩歌人集団《撮影年月日》19500501 | ||
「原爆詩集」出版記念会《撮影年月日》19500922 | ||
原爆展示会後の丸木位里・赤松俊子・壷井繁治三氏を囲んでの座談会《撮影年月日》195010 | ||
市民平和大会にて《撮影年月日》19520806 | ||
「原子雲の下より」出版記念会《撮影年月日》19521005 | ||
国立広島西条療養所病棟にて《撮影年月日》19530309 | ||
目次 | ||
丸木位里 | 題字 | |
赤松俊子 | 表紙 | |
浜本武一 | カット | |
四国五郎 | ||
004 | 増岡敏和 | 峠三吉氏の生涯 ―その活動と自己改造について(われらの詩の会) |
011 | 米田栄作 | 峠三吉君を悼む(広島詩人協会) |
012 | 壺井繁治 | 峠三吉の業績について ―思い出を語りながら(詩人・新日本文学会) |
017 | 岡村民 | 「原爆詩集」批判会の思い出(新日本文学会) |
018 | 峠和子 | 生きている夫に |
022 | 原田治 | お父さん(峠氏令息) |
024 | 峠三吉詩抄Ⅰ | |
024 | らっきょうによせて | |
025 | 花蔭/絵の具 | |
026 | 由美子と火事 | |
028 | 寂しき歌/クリスマスの帰り途 | |
029 | こんなとき父親となる /絵本 | |
030 | 怒りのうた ―広島日鋼争議暴圧事件 | |
032 | 若杉慧 | 峠君の思い出(日本文芸家協会) |
033 | 峠一夫 | 峠三吉の想い出(実兄) |
035 | 坂本ひさし | (広島在住詩人、「エコールド・ヒロシマ」主幹) |
035 | 長村孝雄 | 追悼(広大文学サークル) |
036 | 御庄博実 | (われらの詩の会・「火片」同人) |
037 | 戸田兵次 | 原爆詩人 故峠三吉氏によせて(葦会) |
038 | 四国五郎 | 峠さんの弾道(画家・われらの詩の会) |
039 | 田村正也 | 八月六日(新日本文学会埼玉支部) |
040 | 星川晃 | 峠三吉氏の思い出(われらの詩の会) |
041 | 古井誠三 | 燃えつくした炎のやうに(われらの詩の会) |
042 | 好村富士彦 | (高原詩の会、われらの詩の会) |
043 | 江口渙 | (作家・新日本文学会) |
044 | えぐさ・みのる | 私の接した峠さん(高原詩の会・われらの詩の会) |
045 | 尾上俊男 | 病床から(新日本文学会広島支部) |
046 | 泉秀子 | 大野浦と峠さん(われらの詩の会) |
046 | 浜本武一 | 〇(広島市在住・画家) |
049 | 岡本潤 | 峠三吉を憶う(詩人・新日本文学会) |
050 | 北浜みち | 峠さん(われらの詩の会) |
051 | 永田節 | 『われら』の中の峠さん(われらの詩の会・広大文学) |
052 | 望月久 | 国際婦人デーからメーデーまで(われらの詩の会) |
053 | 山岡和範 | 峠さんの手紙(われらの詩の会) |
054 | 吉田万太郎 | 不滅の光り(われらの詩の会) |
056 | 峠三吉 | 雪 |
057 | 松下海蔵 | 峠さんのこと(新日本文学会岡山支部) |
058 | 杉生直子 | 手紙をめぐって(われらの詩の会) |
060 | 尾末滿 | 峠三吉(IOM・われらの詩の会) |
061 | 佐久間澄) | 第一回八・六平和大会のころ(広大教授・平和問題懇談会・大学人の会 |
062 | 峠三吉 | 八月六日 |
063 | 松野萬 | 〇(スフィンクス同人) |
064 | 川手健 | 峠さんを憶う(原爆被害者の会、新日本文学会広島支部) |
065 | えぐさ・うめよ | 時の氏神になってくださった峠さん(高原詩の会・われらの詩の会) |
066 | 広島支部葦会 | 〇 |
067 | 峠三吉 | 隠れん坊/わが想ひ |
068 | 西原忠 | 峠氏を悼む(児童詩研究家・われらの詩の会) |
069 | 峠三吉俳句抄 | |
070 | 赤池芳彦 | その日 峠さんは ハヤクハヤクと書いた |
072 | 峠三吉 | 覚え書き(抜萃) |
076 | 峠三吉短詩抄 | |
雨の日に―日鋼事件の法廷にて | ||
077 | 修学旅行―第二の父の歌える | |
078 | 大山郁夫氏に捧げる詩 | |
080 | 宇品港にて―11才の姪のために | |
081 | 傷痕―”原子雲の下より”記念会 1953年絶筆 | |
082 | 佐々木健朗 | 抒情の変革―叙事詩「ひろしま」への努力の途中で(われらの詩の会・広大文学サークル・KAZIKA同人) |
089 | 赤木健介 | 「原爆詩集」の評価(詩人・人民文学社) |
090 | 野間宏 | 峠三吉について―原爆詩集にふれて(作家・人民文学社) |
091 | 峠三吉 | 昂 |
092 | はぎはら・とくじ | 新しい人間讃歌―「原爆詩集」のノート(新日本文学会) |
094 | 中野光也 | 「原爆詩集」と「高原詩の会」(高原詩の会) |
096 | 山代巴 | 原爆の詩編纂委員会のこと(作家・新日本文学会) |
098 | 深川宗俊 | 芸術は人間のためにある(新日本歌人協会)(人民文学会) |
099 | 且原純夫 | 峠三吉の一側面(われらの詩の会) |
099 | 田中松覚 | 追悼(己斐サークル) |
100 | 土井貞子 | アジア連邦会議のころ(広島生活新聞社) |
101 | 峠三吉 | 和子と治への手紙 |
104 | 峠三吉 | 和子の見舞に応えて |
106 | 山村良介 | 明日は八月六日だ―前夜祭に(われらの詩の会) |
107 | 永田英夫 | やすらかにお眠りください(うんなん詩の会、人民文学社) |
108 | なかの・しげはる | 柔かな印象(作家・新日本文学会) |
109 | 中野鈴子 | 峠三吉さん(詩人・新日本文学会) |
109 | 峠三吉 | おもかげ |
110 | 遠地輝武 | 峠三吉君を悼む |
111 | 木村好子 | 峠さん ! |
112 | 佐藤静夫 | 「 静かな」態度 (新日本文学会) |
113 | 吉塚勤治 | 善意の人峠三吉(作家・新日本文学会) |
114 | 金達寿 | 二度合ったきりの峠三吉(作家・新日本文学会) |
115 | 井手則夫 | あいつ 生きてる やってるな(詩人・新日本文学会) |
117 | 松永浩介 | 峠三吉の死を悼む(詩人・新日本文学会) |
118 | 中村温 | 峠さんに(詩人・TAP同人) |
118 | 大田洋子 | 峠三吉のこと(作家 日本文芸家協会) |
121 | 峠三吉 | 短歌抄 |
122 | 友田智友 | 死の電報を前に |
124 | 坪田正夫 | 手術室よりの報告―峠三吉の手紙に立会して |
126 | 峠三吉年表 | |
128 | あとがき | |
バック、パール
18920626生19730306没 | 享年80 | アメリカの小説家。ピュリッツァー賞(1932年)、ノーベル文学賞(1938)受賞。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。<資料年表:パール・バックとヒロシマ> |
「まったく今年の感謝祭には戦争の恐怖が暗さを投げている。これは原子爆弾といふ有難からぬ物を持ってゐる結果である。」出典:『アジヤの友へ アメリカ人の生活と国民性について』(翻訳者:石川欣一、発行所:毎日新聞社、配給元:日本出版配給株式会社、昭和21年11月20日) | ||
止
うちだえみこ | 1942年 | 19910305没 | 広島大学原医研事務官。 |
あなたが亡くなって、最初にやったことは、私が資料センターへ来てからの15年間を振り返ることでした。手帳や作業日誌をめくると、復元調査のまとめ作業、手帳・レセプトの整理、故湯崎先生が関与された広島市と広島大学の原爆白書作成やNGOシンポのための資料づくり、文献収集と新聞切抜きをすすめるための市内公共機関の調査、AFIP資料の整理、蔵書目録の出版、医学文献の整理・・・忙しかったけれども、私には30代の楽しい思い出です。センターの仕事以外に、「ひろしま」をよむ会・原爆体験記読書会・「藤居平一氏を囲む会」などでも一緒でした。
その次にやったことは、あなたが抱え込んでいた資料を整理することでした。何一つ捨てていませんでしたね。未整理の資料が随分ありました。次から次に仕事に追われている様子が思い出され、目頭が熱くなることがしばしばでした。3月末締切の年報の原稿のデータを整理し終るのは6月に入ってから。8・6に向けて来客の急増、応対に追われる毎日。7・8月を中心に出版された本の整理が、秋から冬にかけての仕事。毎年、この繰り返しでした。本の山の中で鼻の頭に汗を浮かべていたあなたを思い出します。
あなたの資料の整理に2か月かかりました。あなたの原医研での足跡をまとめて置きたいという気持ちもありましたが、他に仕事をする気が起こらなかったというのが本当のところです。
被爆50周年まで原爆手記を集め続けること、原爆文献のデ-タベースを作成すること、それをもとに原爆被害の実態を集大成することなど、一緒に多くの夢を語りましたね。6月2日の原爆後障害研究会で、あなたとの約束を一つ果たしました。まもなく8月、しばらくあなたのことは忘れます。
追伸:つい先日、ある会合で演劇家故T氏の奥さんと会いました。T氏の追悼公演に際しカンパをしていたそうですね。蔭でいろいろ気を配っていたあなたの話は、これから、まだまだ聞かされそうです。 1991.6.19
内田さんと古本-石踊一則追悼文
内田さんが一番嬉しそうな顔をするときは探し求めている本との”めぐり合わせ”のときでした。本も、本当に求めつづけていれば、いつかは必ず本の方から、近づいて来てくれます。
原爆被災学術資料センタ-には、約6500冊余りの原爆関係の蔵書があるといわれています。特に、原爆被災学術資料センタ-が力を入れて集めようとされていた本は、原爆の体験記でした。私家版などは新聞をみては著者と連絡を取り一冊一冊を、こまめに集められていました。体験記で、現在入手できないものもかなりあります。それを宇吹先生や内田さんは”古本”で集めてみようと考えられて、私に収書の依頼をされたのです。
私も最初は、原爆の体験記がどの位あるのか見当もつきませんでした。本のタイトルでも原爆という題がついていましたら、探しやすいのでしょうが、体験記が本の中の一ページしかないものも数多くあります。私は一冊一冊の本を手に取り、目次や索引で内容を調べてみまして、体験記の話が記載していますと、片っ端から入手して歩きました。
調べて気がつきましたのは、広島市内の戦前からある”学校誌”の中には「座談会」「思い出」のページがあり、その中にはかならず悲惨な思い出が数多く記載されていることです。
内田さんは、原爆被災学術資料センタ-を日本で一番の原爆体験記のセンタ-にしようと思われていました。”原水爆関係資料目録第三号”発行前には、一冊でも多くの体験記を発掘してくるようにといわれ、私も東京・四国・九州の古本屋さんをまわってみました。
行きますと、かならず一冊二冊の古い体験記を入手して、内田さんに大変喜ばれました。私は古本を集める事が仕事ですが、良い勉強をさせてもらいました。内田さん有難う!御冥福を心よりお祈りします。
あき書房代表 石踊一則
やまぐち・ゆうこ | 19161022生20000103没 | 享年83 |
広島市生まれ。広島女学院専門学校中退。29歳の時、疎開先から広島に入市し被爆。国内精神養子運動に参画。広島子どもを守る会副会長、日本原水協代表理事、同筆頭代表理事、非核の政府を求める会常任世話人などを歴任。小説『荒れ地ばら』で1982年に第14回多喜二・百合子賞を受賞。 |
著書(本)
書名 | 編著者 | 発行所 | 発行年月日 |
つるのとぶ日-ヒロシマの童話 | 大野允子、御手洗旬江、宮本泰子、山口勇子 | 東都書房 | 19630725 |
かあさんと呼べた日 | 山口勇子編 | 草土文化 | 19780720 |
絵本おこりじぞう | 山口勇子(原作)・沼田曜一(語り)・四国五郎(絵) | 金の星社 | 197911 |
荒れ地野ばら | 山口勇子 | 新日本出版社 | 19810830 |
おこりじぞう | 山口勇子(作)四国五郎(絵) | 新日本出版社 | 19820625 |
原爆瓦-世界史をつくる十代たち | 山口勇子 | 平和文化(発行)・汐文社(発売) | 19820707 |
みずき芽吹くとき | 山口勇子 | 新日本出版社 | 19840325 |
子どもに平和を・平和の教育を | 山口勇子 | あゆみ出版 | 19850120 |
ヒロシマの火 | 山口勇子(さく)・四国五郎(絵) | 新日本出版社 | 19880806 |
にんげんの鎖(上・下) | 山口勇子 | 新日本出版社 | 19890610 |
原爆の火の長い旅 | 山口勇子 | 新日本出版社 | 19910625 |
著書(雑誌)