中川秋一遺稿集・付追悼文集(中川秋一先生遺稿・追悼文集刊行委員会編、刊、19811111)
目次
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序 |
今堀誠二 |
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I |
随想 |
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広島市民劇場創立二十周年に寄せて |
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II |
戦後の広島 |
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一九四九年平和擁護大会宣言文草案 |
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声明書 |
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意識と行動の一致について |
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実践の優位について-歴史は実践の優位を保証する- |
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ファッショとたたかえ-T君への便り- |
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ユネスコと勤労階級 |
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地方自治はどうなったか |
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青少年文化の現状 |
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民科広島支部の活勤 |
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中国文学の新人たち-趙樹理のことなど- |
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広島における戦後啓蒙期初期の演劇運動 |
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対談 戦後第一回メーデー |
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民科広島支部のころ |
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改造社版 M・E全集 |
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増岡敏和氏宛書簡「控」 |
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初期の峠君 |
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峠三吉について |
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峠三吉没二七周年平和のための朗読と講演のつどい-あいさつ- |
III |
平和を求めて |
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「平和を求めて」休載について |
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「平和を求めて」草稿 |
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原水爆報道三十年の軌跡 |
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水爆の発明と平和運動 |
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人間性を破壊するもの-有事立法の一側面- |
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新聞記者にのぞむもの |
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マスコミを国民のものにする県民集会 |
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IV |
高い山・河上肇 |
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「求道の旅人」河上肇 |
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高い山・河上肇 |
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美しい夫婦の一典型-河上肇夫妻の場合- |
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三木清小論 |
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中井の学問について |
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V |
回想 |
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屐履私記-心猿*記 |
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続心*記 |
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西田哲学との邂 |
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「柳老記」について |
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「柳老記」に寄せて |
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「柳老記」断片 |
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遺蹤点々-亡き友におくる- |
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噫呼 高橋茂雄君 |
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八景園 |
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微笑の激励 |
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弔辞 -同志古末憲一君をおくる |
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田谷春夫君の印象 -一九三○年代のあのころ- |
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泥をかぶるの記 |
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中川先生をしのんで |
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中川秋一先生をしのんで |
荒本昱夫 |
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師・中川秋一さん-甲立疎開のころの出会い- |
石田成雄 |
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中川 生を悼む |
今中保子 |
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本当に、楽しかった |
奥田胤暢 |
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東京での中川さんを想う |
数本英次郎 |
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追悼の句 |
数本タキヱ |
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中川秋一先生の教え |
河原崎国太郎 |
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πをかける |
切明悟 |
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中川先生と文団連 |
小森敏廣 |
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一冊の本 |
里信敏行 |
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広島の文化が必要とした人 |
四国五郎 |
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中川秋一さんと私 |
下村仁一 |
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中川先生のこと |
水藤晋 |
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青春まっただ中 |
杉田俊也 |
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中川さんの笑顔 |
立川すゑ |
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秋一さんを偲ぶ |
建林正喜 |
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広島演サ協と中川先生 |
土屋清 |
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中川秋一さんとの出会い |
土肥秀一 |
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朋友を失った寂しさ |
中村吉郎 |
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十四子会と中川さん |
福永明 |
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中川さんのこと |
深川宗俊 |
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人間解放の学 |
藤原茂 |
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中川先生と広島県労働文化協会 |
藤原浩修 |
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中川先生から学んだこと |
塀ひろじ |
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光芒を放つ支柱―中川秋一氏のおもいで- |
増岡敏和 |
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遊子見ゆ |
町川範彦 |
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中川さんを失って |
渡辺悦次 |
新聞記事 |
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官憲の弾圧に抗し、土にうめたり天井裏にかくしたり |
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哲学者 中川秋一さん |
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葬送の記 |
水原肇 |
中川秋一遣稿集について |
森祐二 |
解題 |
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中川秋一先生略年譜 |
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あとがき |
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昱
『今中次麿―生涯と回想』(今中次麿先生追悼記念事業会編、法律文化社、19820415)
目次
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まえがき |
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Ⅰ |
私の政治学の歩み |
今中次麿 |
Ⅱ |
時々事々 |
今中次麿 |
Ⅲ |
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Ⅳ |
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Ⅴ |
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Ⅵ |
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Ⅶ |
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今中先生と平和運動―広島大学人会を中心として |
佐久間澄 |
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回想の五十年 |
今堀誠二 |
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今中先生を偲んで |
後藤陽一 |
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今中先生を偲ぶ |
佐藤正夫 |
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留守番としての交わり |
山代巴 |
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今中先生の笑顔 |
狭田喜義 |
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今中先生と私 |
山口利男 |
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今中先生を偲んで |
石田明 |
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マルキシズムを超えることだ |
中村吉男 |
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「畏敬」の対象としての先生 |
山田浩 |
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今中先生のこと―思い出すままに |
大西典茂 |
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今中門下の末っ子として |
北西允 |
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広島大学時代の先生 |
池田重久 |
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今中先生の思い出―「今中大学日記」寄託のことなど |
頼和子 |
Ⅷ |
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Ⅸ |
学者として、人間として―父を語る |
今中比呂志 |
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今中次麿年譜 |
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遺稿目録 |
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あとがき <大西典茂・北西允・中村義知・山田浩 > |
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今中次麿(いまなか・つぎまろ)
18930409生19800726没 |
享年87 |
[52広島平和問題談話会](広島大学政経学部教授)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。広島大学名誉教授。世界平和評議会評議員、第1回原水爆禁止世界大会議長、広島平和教育研究所議長。『広島県大百科事典』(中村義知・記)。 |
略年譜
年月日 |
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18930409 |
広島市中区国泰寺町1丁目20番地に生まれる |
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19450529 |
東京大空襲 |
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19450630 |
東亜研究所を辞職し、家族全員で長野県佐久郡に疎開。 |
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19450806 |
原爆のため兄の権六夫婦被爆。そのため妻とともに広島に向う。 |
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195304 |
広島大学政経学部教授として九大法学部から配置換え。 |
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平和と学問を守る大学人の会代表理事 |
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1972 |
広島平和教育研究所研究会議議長 |
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19800726 |
午前5時45分、死亡。 |
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山田浩『半生雑記帳(続 )―旧制広高・広大・ヒロシマ』(溪水社、19880310 )
目次
部章 |
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第1部 |
還暦を迎えて |
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第2部 |
大学教師の周辺 |
1 |
私とクラシック音楽-文化的なものへの(あこがれ) |
2 |
広大改革とは何だったのか-あるロマンチストの回想 |
3 |
広島大学平和科学研究センターと社会科学研究科の発足 |
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1 平和科研センターのこれまでの経緯と今後の課題-平和研究の制度化推進のために |
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2 これからの平和研究-広大平和科研シンポから |
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3 新発足の社会科学研究科-新しいコスモロジーの工房 |
4 |
随筆3編 |
5 |
書評2編 |
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1 戦争と人間と怨念と-『シベリア抑留』を読んで |
6 |
御逝去を悼む |
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1 海 一寸に青みたり-羽白幸雄先生の死去を悼む |
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2 弔辞 |
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3羽白先生と犬たちのこと 児玉昭人 |
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4 湯崎さんの死 |
第3部 |
核問題とヒロシマ |
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第4部 |
平和教育 |
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著者の略歴と業績 |
山田浩『半生雑記帳』(溪水社、19850215)
目次
部章 |
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第1部 |
旧制広島高等学校時代のこと |
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第2部 |
軍隊生活と研究室時代 |
1 |
私の戦争体験あれこれ |
2 |
戦後の今中先生のこと |
第3部 |
大学教師の周辺 |
1 |
畏友石井金一郎氏の死 |
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1.“ヒロキン・グリル”閉店の記 |
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2.実態に根ざす理論を |
2 |
ソビエト紀行・通訳のことなど |
3 |
折りにふれての感想 |
第4部 |
核問題とヒロシマ |
1 |
選挙ルポ2題 |
2 |
書評2編 |
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1.御田重寳『人間の記録-ノモンハン戦』を読んで |
3 |
III核軍拡競争と核軍縮の歴史について |
4 |
討論集会における2つの報告 |
5 |
時論7編 |
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著者の略歴と業績 |
大塚茂樹著『まどうてくれー藤居平一・被爆者と生きる』(旬報社、20110708)
目次
章 |
見出し |
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はじめに |
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1 |
本川で鍛えた快速スイマー |
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2 |
日本の勝利を固く信じて |
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3 |
原爆で死んだ父と妹 |
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4 |
鈴木店三代目の社長として |
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5 |
原爆被害者を救おうという声を受け継ぐ |
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6 |
原爆被害者たちの先頭に立って |
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7 |
国会請願行動、そして日本被団協の結成へ |
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8 |
「まどうてくれ」という叫びとともに |
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9 |
実業へ復帰しても志は変わらず |
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10 |
反原爆の思いを貫き通して |
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11 |
人間の絆を愛し続ける |
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おわりに |
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『人間銘木-藤居平一追想集』(「藤居平一追想集」編集委員会、藤居美枝子刊、19970417)
目次
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表題 三田嘉一 筆
口絵 略歴 |
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三田嘉一 |
悲願成就は近からむ |
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写真でたどる足跡 |
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弔辞 |
廣安晴通
奥島孝康
田中聰司 |
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同窓・碧空会 |
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同窓・アカシア会 |
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戸井正典 |
生活を哲学化 |
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「被爆者援護の在り方を検討していた七人委員会の座長茅さんと、三十分の約束で藤居の希望により長倉司郎」・広藤道男・早大総長秘書に私の四人が同席して茅事務所でお会いしたことがあった」 |
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井内慶次郎 |
女子大の設立に尽くす |
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「平成七年秋、・・・最後の別れとなった。その時、藤居さんは原爆問題にいかに取り組んできたかを熱っぽく説かれた。平岡広島市長が熱望する平和研究の拠点を広島市立大学に、どのような構想で設置するか、関係者間で検討されているが、その設置準備委員会の末席を汚している。藤居さんの供養のためにも、国際的で学術的にも高い水準の研究所が実現できればと念願する。」 |
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同窓・稲門(中島正信先生を偲ぶ会) |
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田中耕作 |
恩師への厚い報恩 |
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(稲門・校友会) |
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田中由多加 |
被爆者援護にささげて |
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家業・地域 |
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野本英明 |
人間銘木を集めた人 |
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「第九回の全国銘木展示会が広島県銘木事業協同組合の実行で四十年十一月四~八日、開かれた。被爆二十周年で春日大社宮司の「木魂祭」があり、大会代表の慰霊碑参拝、原爆病院への見舞いなどが行なわれ、・・・」 |
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原水禁・被爆者運動 |
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伊藤サカエ |
被爆者集合を号令 |
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阿部静子 |
火の玉の救世主 |
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池田精子 |
娘のように励まされて |
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高野(旧姓村戸)由子 |
先生からもらった勇躍 |
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竹内武 |
生きていてよかった |
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松井美智子 |
喰ってかかって泣かせた私 |
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松江澄 |
一概な愛情にひかれて |
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山口仙二 |
誤って奥様の寝床に |
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森田実 |
送られた資料の山 |
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吉田嘉清 |
しびれた運動センス |
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伊東壯 |
「原点」に学ぶ |
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研究・報道 |
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庄野直美 |
泊まり込みで激論 |
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広藤道男 |
被爆線量と向き合う |
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舟橋喜恵 |
悲願は世界被団協の結成! |
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宇吹暁 |
原爆被害問題研究の恩師 |
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江種則貴 |
スケールも声も、大きな人 |
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狩野誠一 |
ヒロシマの先輩 |
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河野一郎 |
世話役 |
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西本雅実 |
伝説の居士 |
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水原肇 |
藤居さんと今堀さん |
家族・親族 |
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報道記事 |
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あとがき |
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1912生19910719没 |
享年78 |
広島女学院大学名誉教授。広島滞在中、折鶴の会・ワールド・フレンドシップ・センター などの平和運動に参画。1980年には広島市の特別名誉市民に選ばれる。 |
『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』(藤原茂編、溪水社 [渓水社]19800525)
部 |
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荒木武(広島市長) |
いつまでもお元気で |
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原田東岷 |
また会いましょうメアリさん |
1 |
アメリカから広島へ |
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1. 幼いころ 2.学生時代 3.日本へ |
2 |
なつかしいヒロシマの人々 |
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女学院の人たち |
松本卓夫先生 元吉潔先生 原田寿先生 熊田ムメ先生 河本一郎君 岩崎大介さん 多田公夫さん |
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被爆者の人たち |
宋年順さん かみさこおばさん 池田ハツヨさん ふじやまのおばあちゃん |
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仲間たち |
松原静江さん 松原静一さん 室積康也さん 藤本みどりさん |
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お世話になった人たち |
日吉未亡人 今石あきさん 原田東岷さん 銀行家の小田氏 |
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教え子たち |
今田あやめさん 今田さん 芝間タヅさん 石国ふみこさん 中本博子さん 秦知子さんのことなど |
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宣教師仲間 |
ウィリー・富樫さん グレース・ウィルソン 宗像基牧師 |
3 |
資料編 |
1947年~ 1980年 |
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年譜 |
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あとがき |
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目次
肥田舜太郎
ひだ・しゅんたろう |
生20170320没 |
享年100 |
資料
新聞 |
掲載年月日 |
見出し |
赤旗 |
20020326 |
ひと 全日本民主医療機関連合会の会長に就任した肥田泰(ひだゆたか)さん さいたま市に父(被爆者で医師の舜太郎氏)と母、妻。57歳。 |
赤旗 |
20040301 |
本と人と 『ヒロシマを生きのびて』 肥田舜太郎さん 自分史がそのまま貴重な戦後史 |
朝日新聞 |
20130409 |
ひと 肥田舜太郎さん 日韓で「非核・脱原発」を訴える96歳の被爆医師 肥田舜太郎さん |
20170321~26、死亡記事 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。