「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

井出三千男

井出三千男

いで・みちお 1941生20060626没 享年65歳 広島市安佐北区出身。変貌する都市広島をフィルムに残した写真家。 原爆記録写真の研究家、写真の専門家の立場から、被爆建物等を手がかりに写真を読み解き、平和記念資料館の資料調査研究会委員として活躍

リンク:資料年表:井出三千男

水原肇

水原肇

読売新聞記者(1989年55歳で定年退職。その後は自称トップ屋)

資料
正観「梟」通信第1号(1999年6月9日)
carnet通信VOL1No.1(個人誌「正観」改題、1999.10.13)
carnet手帖Vol1No.1(キャルネー=手帖、1999.1110)

吉川清

吉川清

きっかわ・きよし 生19860125没 享年74
 「原爆 1号」と呼ばれ、被爆者運動に尽力。[原爆被害者の会代表者]。

資料

 『平和のともしび 原爆第一号患者の手記』(吉川清、京都印書館、19490815)
 『 閃光を背負って―原爆第一号の足跡』毎日新聞(広島版)連載1989年8月16日~9月6日
『 吉川清氏資料概要(中間報告)』(広島平和記念資料館、20030317)
リンク:吉川生美(きっかわ・いきみ)20131228没 享年92歳。「原爆1号」と呼ばれた故吉川清は夫。 約1・6キロの現広島市中区西白島町で被爆した。 広島市東区のグループホームで死去。

長岡省吾

長岡省吾

ながおか・しょうご 19010811生19730201没 享年71   広島大学理学部[学研調査]。被爆時、広島文理科大学嘱託として山口県に地質調査で出張中。翌日入市。被爆資料収集に努めた(初代広島原爆資料館長)。お宅で面談、資料閲覧

資料

発行年月日 著者・発行所
廣島あの日から 19550525 長岡省吾、資料集成後援会、
 HIROSHIMA  19700720  長岡省吾、長岡省吾
 H iroshima Under Atomic Bomb Attack

 

蔵本淳

蔵本淳

資料
『蔵本淳教授退官記念業績集』(広島大学原爆放射能医学研究所病態治療研究部門臨床第一(血液内科)研究分野)、1995年3月
『祝 蔵本淳教授退官記念祝賀会出席者御芳名簿 平成7年3月11日 於リーガロイヤルホテル広島』

深川宗俊

 

ふかがわ・むねとし 20080424没 享年87 歌人、三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会共同代表、本名前畠雅俊=まえはた・まさとし)旧三菱重工業の韓国人徴用工の指導員をしていて被爆。73年から1人で徴用工の調査を始め、補償問題に取り組む。