吉川清
きっかわ・きよし |
生19860125没 |
享年74 |
「原爆 1号」と呼ばれ、被爆者運動に尽力。[原爆被害者の会代表者]。 |
資料
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『平和のともしび 原爆第一号患者の手記』(吉川清、京都印書館、19490815) |
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『 閃光を背負って―原爆第一号の足跡』毎日新聞(広島版)連載1989年8月16日~9月6日 |
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『 吉川清氏資料概要(中間報告)』(広島平和記念資料館、20030317) |
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リンク:吉川生美(きっかわ・いきみ)20131228没 享年92歳。「原爆1号」と呼ばれた故吉川清は夫。 約1・6キロの現広島市中区西白島町で被爆した。 広島市東区のグループホームで死去。 |
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止
高橋昭博
たかはしあきひろ |
19310726生20111102没 |
享年80 |
広島平和記念資料館長(1979年4月1日~1983年3月31日) |
ジュノー、マルセル
Marcel Junod |
19040514生19610616没 |
享年57歳 |
スイス国籍の外科医。赤十字国際委員会駐日代表として来日。1945年9月8日、GHQの医薬品ともに広島入り。 |
リンク ttps://hiroshima-ibun.com/2023/06/16/資料年表:マルセル・ジュノー
資料年表:マルセル・ジュノー |
止
長岡省吾
ながおか・しょうご |
19010811生19730201没 |
享年71 |
広島大学理学部[学研調査]。被爆時、広島文理科大学嘱託として山口県に地質調査で出張中。翌日入市。被爆資料収集に努めた(初代広島原爆資料館長)。お宅で面談、資料閲覧 |
資料
本 |
発行年月日 |
著者・発行所 |
廣島あの日から |
19550525 |
長岡省吾、資料集成後援会、 |
HIROSHIMA |
19700720 |
長岡省吾、長岡省吾 |
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H iroshima Under Atomic Bomb Attack |
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蔵本淳
資料 |
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『蔵本淳教授退官記念業績集』(広島大学原爆放射能医学研究所病態治療研究部門臨床第一(血液内科)研究分野)、1995年3月 |
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『祝 蔵本淳教授退官記念祝賀会出席者御芳名簿 平成7年3月11日 於リーガロイヤルホテル広島』 |
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ふかがわ・むねとし |
20080424没 |
享年87 |
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歌人、三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会共同代表、本名前畠雅俊=まえはた・まさとし)旧三菱重工業の韓国人徴用工の指導員をしていて被爆。73年から1人で徴用工の調査を始め、補償問題に取り組む。 |
甲斐英男
かい・ひでお |
19271120生19890206没 |
享年61 |
広島県史編さん室時代の上司。資料年表:甲斐英男 |
止
天野卓郎
あまの・たくろう |
19270128生19940318没 |
享年 |
67 |
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広島県史編さん室。職場の上司 |
資料
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『大正デモクラシーと民衆運動』(天野卓郎、雄山閣出版、19840220) |
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『近代日本の教育と部落問題』(天野卓郎、部落問題研究所出版部、19860620) |
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『戦後地域民主主義の歩み』(天野卓郎、溪水社、19900320) |
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『記念録』(天野教授退官記念録編集委員会、1990年3月) |
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『地域民主主義を問いつづけて―水平社70年と広島のたたかい』(社団法人ふくしま文庫編、部落問題研究所、19920516) |
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https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/monjokan/sub6-01.html
古文書 広島市 – 広島県立文書館 | 広島県
199505(寄贈)/天野卓郎文書(広島市)
- 性格・内容・・・広島県史・近現代史部会委員,刊行物・資料など
- 整理状況・・・終了
- 検索手段・・・閲覧室仮目録(戦前社会運動史料のみ)(要相談・要審査)
- 数量・・・1,485点
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碧空―「大牟田稔さんをしのぶ会」報告・追悼集(編集人:海老根勲)
内容
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大牟田稔さんの略歴 |
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大牟田稔さんをしのぶ会呼びかけ人 |
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「大牟田さんをしのぶ会」 |
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【追悼集第1部】 |
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平岡敬 |
見つめ続けたヒロシマ |
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小久保均 |
空ゆかば |
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長岡千鶴野 |
哀しみを乗り越えて |
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嘉指信雄 |
「ヒロシマの鶴」が飛んでゆく |
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松元寛 |
大牟田さん、どうして |
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追悼記事2本(朝日新聞「惜別」中外日報「社説」 |
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メッセージ集…那覇市・真喜志津留子ほか |
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小泉直子 |
大牟田さんからの宿題 |
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繁沢敦子 |
厳しさと優しさと |
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江種則貴 |
端正な字に驚いた |
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平城智恵子 |
「ヒロシマ」に生きる意味 |
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大牟田稔遺稿集 |
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26人の原爆被害者たち |
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インタビュー(機関誌「せこへい」から) |
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「原民喜回顧展」のごあいさつ |
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大牟田稔「古希の記憶」 |
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【追悼集第2部】 |
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直野章子 |
死者を抱きしめながら |
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「しのぶ会」におけるスピーチ |
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中沢啓治 |
通じるものを感じていたのに |
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近藤憲男 |
原稿を書かなかった大牟田さん |
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碓井巧 |
記事への執着 |
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則武真一 |
いい人生を送ったな、大牟田君 |
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秋信利行 |
病床を見守って |
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大牟田聡 |
謝辞「いいオヤジでした」 |
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金井宏一郎 |
親子二代の交わり |
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海老根勲 |
編集後記 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。