天野卓郎
あまの・たくろう |
19270128生19940318没 |
享年 |
67 |
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広島県史編さん室。職場の上司 |
資料
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『大正デモクラシーと民衆運動』(天野卓郎、雄山閣出版、19840220) |
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『近代日本の教育と部落問題』(天野卓郎、部落問題研究所出版部、19860620) |
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『戦後地域民主主義の歩み』(天野卓郎、溪水社、19900320) |
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『記念録』(天野教授退官記念録編集委員会、1990年3月) |
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『地域民主主義を問いつづけて―水平社70年と広島のたたかい』(社団法人ふくしま文庫編、部落問題研究所、19920516) |
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https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/monjokan/sub6-01.html
古文書 広島市 – 広島県立文書館 | 広島県
199505(寄贈)/天野卓郎文書(広島市)
- 性格・内容・・・広島県史・近現代史部会委員,刊行物・資料など
- 整理状況・・・終了
- 検索手段・・・閲覧室仮目録(戦前社会運動史料のみ)(要相談・要審査)
- 数量・・・1,485点
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碧空―「大牟田稔さんをしのぶ会」報告・追悼集(編集人:海老根勲)
内容
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大牟田稔さんの略歴 |
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大牟田稔さんをしのぶ会呼びかけ人 |
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「大牟田さんをしのぶ会」 |
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【追悼集第1部】 |
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平岡敬 |
見つめ続けたヒロシマ |
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小久保均 |
空ゆかば |
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長岡千鶴野 |
哀しみを乗り越えて |
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嘉指信雄 |
「ヒロシマの鶴」が飛んでゆく |
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松元寛 |
大牟田さん、どうして |
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追悼記事2本(朝日新聞「惜別」中外日報「社説」 |
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メッセージ集…那覇市・真喜志津留子ほか |
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小泉直子 |
大牟田さんからの宿題 |
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繁沢敦子 |
厳しさと優しさと |
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江種則貴 |
端正な字に驚いた |
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平城智恵子 |
「ヒロシマ」に生きる意味 |
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大牟田稔遺稿集 |
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26人の原爆被害者たち |
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インタビュー(機関誌「せこへい」から) |
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「原民喜回顧展」のごあいさつ |
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大牟田稔「古希の記憶」 |
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【追悼集第2部】 |
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直野章子 |
死者を抱きしめながら |
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「しのぶ会」におけるスピーチ |
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中沢啓治 |
通じるものを感じていたのに |
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近藤憲男 |
原稿を書かなかった大牟田さん |
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碓井巧 |
記事への執着 |
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則武真一 |
いい人生を送ったな、大牟田君 |
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秋信利行 |
病床を見守って |
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大牟田聡 |
謝辞「いいオヤジでした」 |
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金井宏一郎 |
親子二代の交わり |
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海老根勲 |
編集後記 |
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今堀誠二資料
冊子・本 |
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広島大学在職中における研究業績目録 1939―1977(今堀誠二) |
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日本学士院賞受賞記念冊(今堀誠二、1980年8月) |
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今堀誠二先生広島女子大学在職期間業績目録―1977年8月~1987年12月(今堀誠二先生業績目録刊行会、1988年9月) |
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青眼―今堀先生の御逝去を悼んで(今堀杯争奪広島大学教職員親睦庭球大会第20回記念、藤川行平編、1992年11月27日) |
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歴史家の旅(今堀誠二、勁草書房、1993年10月20日) |
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アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集 (今堀百合子編 刊、2002年5月9日) |
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資料 |
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今堀誠二文書仮目録(広島県立文書館、2007年1月)<請求199608>https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/mokuroku/199608imahori.pdf |
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小野増平
小野増平 |
おの・ますへい |
20110918没 |
享年64 |
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中国新聞社入社(1970年4月)、ニューヨーク支局長(1990年8月)・東京支社長(2002年2月)・編集局長(2005年)、広島経済大学メディアビジネス学科教授 (2007年9月)を歴任。 |
関連資料
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広島大学文書館蔵 小野増平関係文書目録(広島大学文書館、2017年」2月刊) |
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河合護郎
月日 |
没年 |
よみ |
享年 |
備考 |
1001 |
2012 |
かわい・ごろう |
84 |
広島平和文化センター元理事長。原爆投下の4日後の1945年8月10日、親族を捜すため爆心地付近に入り被爆。50年に広島市職員。企画調整局長、民生局長などを歴任し、87年から5年間、広島平和文化センター理事長。退任後は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表に就任。 |
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