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平和を創る(YMCA国際平和研究所)

『平和を創る』(YMCA国際平和研究所編 、勁草書房 、19851030)

目次

まえがき
核兵器と人類
栗野鳳 核軍縮への人類の努力
はじめに 2
核軍縮の必要性 4
国連による取組み 5
米ソ「包括的軍縮交渉」 10
軍縮の定義 13
人類社会 14
川田侃 第三世界と共に生きる道
南と北の格差と貧困 22
「新国際経済秩序」のシナリオ 25
「緑」の消滅-森林の減少 28
進行する生活基盤の破壊 32
第三世界を巻き込む軍拡の波 36
第三世界と日本、そして私たち 40
平和を創り出す努力(1)平和運動
今堀誠二 原水爆禁止運動の役割と展望
原爆災害と終戦と平和憲法 49
日本の安全保障と核抑止論 51
核抑止論と限定核戦争 57
核廃絶に対する日本国民の責任 61
反核国民運動の発展と挫析 65
核廃絶国民運動の再建 66
岩倉務 市民の創る平和運動
平和を創り出す努力(2)平和教育
空辰男 広島から創造する平和教育
組織的にとりあげた平和教育 110
広島平和教育研究所設立 121
とりたてた平和教育とカリキュラム 131
宗藤尚三 幼児と母親のための平和教育
平和を創り出す2つの課題 141
人間形成の課題としての平和教育 143
幼児期の平和教育の課題 146
両親の平和教育 155
片山美代子 平和学習の実践と国際化への道
はじめに 158
本校における平和教育の態勢 159
1984年度、平和学習の展開 165
生徒の活動 168
国際平和と国際理解の教育を目指して 173
生徒の感想文より 177
国際平和年を経て21世紀に生きるために
福田垂穂 国際化社会と世界平和
青年たちと平和問題 188
国際化社会とは 191
新しい世界観の確立 194
世界の流れの認識を 196
軍備拡張は戦争抑止たり得るか 198
平和に対する私の意見
(山本和子) 私の傾倒する平和の倫理
(垣内純子) 家庭と学校での平和教育を
(天野賢次) イラン・イラク戦争終結へ広島市民の働きかけを
(沢田直二) 日本の政冶を憂う
(オーランド・ゲーリング) 広島を世界につなぐ
(立花志瑞雄) 平和のためのボランティア通訳として
資料篇
永井秀明 核戦争か希望か
39年目のヒロシマと世界の核状況 228
世界核戦争の結末 234
世界的規模の平和・反核運動 237
平和・軍縮教育の発展 242
非核宣言自治体の役割 247
〔資料1〕 第1回国際連合軍縮特別総会における最終文書(抜粋)
〔資料2〕 国際連合「新国際経済秩序の樹立に関する宣言」
〔資料3〕 国際連合「人間環境宣言」
〔資料4〕ユネスコ「軍縮教育世界会議」最終文書
あとがき

 

丹下健三

丹下健三

たんげ・けんぞう 19130904生20050322没 享年91 建築家。

書名 編著者 発行所 発行年 備考
平和記念広島カトリック聖堂建築競技設計図集 広島カトリック協会編 洪洋社 19490615
広島平和記念館と丹下健三 山崎荒助 編 吉田道郎 英訳 三友社出版 19800806

 

書誌1995

書誌1995

書名 発行年月日 備考
今どきの大学生1995-「原爆・戦争・国連について大学生316人が答えた」 オーロラ自由アトリエ編・刊 19950625 U

フロイド・シュモー

フロイド・シュモー

18950921生
20010420没
享年
105歳
1983年)11月15日広島市特別名誉市民
「ヒロシマの家」(シュモーハウス)の建設・寄附を通じて平和運動に尽力。

資料

 

肥田舜太郎

肥田舜太郎

ひだ・しゅんたろう 生20170320没 享年100

資料

新聞 掲載年月日 見出し
赤旗 20020326 ひと 全日本民主医療機関連合会の会長に就任した肥田泰(ひだゆたか)さん さいたま市に父(被爆者で医師の舜太郎氏)と母、妻。57歳。
赤旗 20040301 本と人と 『ヒロシマを生きのびて』 肥田舜太郎さん 自分史がそのまま貴重な戦後史
朝日新聞 20130409 ひと 肥田舜太郎さん 日韓で「非核・脱原発」を訴える96歳の被爆医師 肥田舜太郎さん
20170321~26、死亡記事

 

松田重次郎(梶山季之著)

梶山季之著『松田重次郎 一業一人伝』( 時事通信社、1966.2.25

目次

備考
梶山季之 はしがき
目次
第1章  生い立ち
誕生・母
負けじ魂
独立心を学ぶ
鍛冶屋の魅力
第2章  修業時代(その1)
大阪の鍛冶屋奉公
機械鍛冶から呉工廠へ
職工第一歩
大阪砲兵工廠・養子
第3章  修業時代(その2)
失敗・長崎で再出発
佐世保からふたたび呉工廠へ
工作船・三池丸
独立を志す
第4章  松田式ポンプの製造
十坪の鉄工所設立
厳しい職人気質
松田式喞筒合資会社の設立
乗っ取りの策謀に泣く
どん底からの再起
業界に手腕を認めらる
「大正型松田式ポンプ」の完成
第5章  関西財界の寵児となる
海軍演習用魚雷の頭部を製造
ロシア政府から信管の依頼
見本製造に全智を傾ける
設備資金の捻出
事前に万全を期す
“大正の今太閤”
アルミ買いつけに苦心
ロシア検査官たちとの交渉
信管工場の大成功
工場移転計画で対立
痛憤のうちに会社を去る
第6章  創業時代
郷里・広島に松田製作所設立
日本製鋼所へ身売り
東洋コルク工業の創立
積極経営に乗り出す
炭化コルクの発見
販売の拡張
大震災・不況
工場炎上す 一人一業に生きる決意
第7章  東洋工業の誕生
設備資金を得る
優れた工作機械買い付け
機械部門の拡充
府中へ工場移転
第8章  自動三輪車の製作
自動車製造への意欲
自動二輪車の完成
自動三輪車の試作
マツダ号の発売
第9章  戦時体制への突入
三輪車業界の競争激化
さく岩機の製造
小銃大量生産の受命
原爆・終戦
第10章  戦後の再建
再建にのり出す
労働組合との対決
孤独のなかの奮闘
大衆とともに生きる
松田重次郎年譜

 

パール・バック

バック、パール

18920626生19730306没 享年80 アメリカの小説家。ピュリッツァー賞(1932年)、ノーベル文学賞(1938)受賞。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。<投稿>

資料

言葉
「まったく今年の感謝祭には戦争の恐怖が暗さを投げている。これは原子爆弾といふ有難からぬ物を持ってゐる結果である。」出典:『アジヤの友へ アメリカ人の生活と国民性について』(翻訳者:石川欣一、発行所:毎日新聞社、配給元:日本出版配給株式会社、昭和二十一年十一月二十日)

年表:パールバックとヒロシマ(主な出典『中国新聞』)

年月日
1949/1/– 米講演旅行中の広島流川教会の谷本清牧師から近況報告。「ワシントンでメソジスト教会などの協力の下に『広島を世界平和のメッカに』の運動を始めた。パール・バック氏、ジョン・ハーシー氏らの協力も得ている」
1949/3/23 ニューヨークでヒロシマ・ピース・センター協力会が結成。「土曜文学評論」のノーマン・カズンズ主筆、パール・バック氏、スタンレー・ハイ氏(リーダーズ・ダイジェスト主筆)、ハリー・カーン氏(ニューズ・ウィーク主筆)らが中心(「広島原爆とアメリカ人」)
1951/5/5 米の作家パール・バック女史が中国新聞社の創立60周年を祝い祝辞。「広島の記憶はアメリカ民衆の良心から永久に消え去ることはないでしょう。広島という名称は平和をもたらすための私たちのシンボルとなりつつあります」
1952/8/6 中国新聞を通じ8月6日メッセージ。ノーマン・カズンズ、マービン・グリーン、パール・バック、アルフレッド・パーカー、フロイド・シュモー、エメリー・アンドリュース、ウィリアム・デビン、メアリー・ジョーンズの各氏
1952/12/– 米国整形外科学会からABCCテーラー所長を通じ広島県医師会に、「広島、長崎に原爆症治療班を1年の予定で送りたい。受け入れ態勢はどうか」との非公式問い合わせ。真杉静江さんら東京の作家グループがパール・バック女史を介し故ルーズベルト大統領夫人に働き掛けた結果
1955/6/19 原水爆禁止世界大会広島準備会がパール・バック女史、ジョン・ハーシー氏、キュリー夫人、アラゴン氏、サルトル氏、郭沫若氏ら70人に大会招請状を発送
1955/12/10 パール・バック、バートランド・ラッセル氏らで構成するスイスの人権アカデミー(本部ジュネーブ=1950年6月発足)が広島、長崎両市へ「原爆被災が平和運動の発端になった」とメダルを贈呈
1958/4/11 米核政策健全化委員会がニューヨーク・タイムズに著名47人の連名で、「太平洋上の核実験を停止させるためアイゼンハワー大統領に訴願書を提出する。国会議員、編集者、放送機関にも訴える」との意見広告。同委員会は前年11月、作家、牧師、教育者などの有志で結成、ノーマン・カズンズ氏が臨時議長に就任。その後、参加者はルーズベルト夫人、パール・バック女史、仏の作家アルベール・カミュ氏など多彩に
1965/10/3 広島市宇品町の広島「憩いの家」で、「被爆者の集い」1,000回記念祝賀会。参加人員延べ5万3,000人。1964年、パール・バック女史、バートランド・ラッセル博士ら国際的文化人約2,000人をメンバーとする国際協力委員会広島ハウス財団(事務局ニューヨーク)が発足、2カ月に1度の割で被爆者救援の定期便
1967/12/23 ニューヨークの「広島憩いの家国際協力委員会」から広島市宇品町の広島「憩いの家」に被爆者救援金10万円が届く。「憩いの家」設立者のアイラ・モリス夫妻、バートランド・ラッセル卿、パール・バック女史ら
1973/3/6 パール・バック女史が米バーモント州ダンビーの自宅で死去。80歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

小説「大地」で知られる米作家でノーベル文学賞受賞者のヒロシマ・ピース・センター運動、精神養子運動などを支援

 

書誌(目録の目録)

書誌(目録の目録)

タイトル 作者・出版社 発行年月日
戦後記録文学文献目録稿 考査事務参考資料 第4号 国立国会図書館一般考査部 1949.
中国年鑑 昭和28年版 中国新聞社
原爆関係文献目録-広島・長崎を中心とする 山崎与三郎編、千田書房 1954.7.23
南北 (第3巻第8号通巻26号) 南北社 1968.8
豊田清史「原爆文献目録-実践的原爆文献の収集」<出典:広島平和記念資料館平和データベース>
原爆文献誌 豊田清史 1971.8.6
原爆文献を読む 長岡弘芳、三一書房 1982.7.15
資料’82反核(単行本・雑誌・教科書・新聞)-原爆文献を検証する 「ひろしまをよむ」会編、溪水社 1983.7.15
まえがき
<共同検証82反核>
1.新味に欠ける原爆出版 、2.消極的な大手出版社 、3.新刊しのぐ重版・再刊 、4.手記・体験記に多様性、5.「読む」から「見る」へ、6.すそのを支える童話 、7.無難さ目立つ教科書 、8.雑誌-欠落した原点、9.新聞連載-不十分な総括、10.新聞社説-もの足りぬ分析
<82出版物リスト>
単行本-反核・ヒロシマ・ナガサキ
単行本-防衛・原発・学術・再刊
童話-絵本・平和教育
教科書-国語科82年採択
雑誌-月刊・季刊・旬刊・週刊
新聞-連載・社説
おわりに
 第4集-占領期文献(昭和20年-昭和27年)  原爆被災資料広島研究会編集部会・ピカ資料研究所  1984
 1984

 

 

 

■原爆被災資料広島研究会編『原爆被災資料総目録 第1集-原爆慰霊碑、原爆遺跡、物品資料、遺品、放送(NHK)、美術(絵画)・文学』1969

■原爆被災資料広島研究会編『原爆被災資料総目録 第2集-官公庁文書、中国放送(RCC)、広島テレビ(HTV)、演劇・バレエ、映画、音楽』1970

■原爆被災資料広島研究会編『原爆被災資料総目録 第3集-原爆手記 広島の部』1972

■原爆被災資料広島研究会編集部会・ピカ資料研究所編『第4集-占領期文献(昭和20年-昭和27年)』1984

■原爆モニュメント研究グルー

 

玉川忠太

玉川忠太

たまがわ・ちゅうた 19870903生19701031没 享年73
広島県立医学専門学校講師。後日入市。広島で被爆遺体を解剖。[学研調査]。[広島大学]

資料

企画展案内:『病理学者、原子野をゆく―広島大学医学部教授・玉川忠太の原爆症への挑戦』(広島大学医学部医学資料館、2018年8月3日~9月20日)

ビル・シェリフ

ビル・シェリフ

ビル・シェリフ 1927生200905没 享年82 オーストラリア陸軍入隊(1945年4月)後、1948年2月~1953年3月、英連邦占領軍の一員として日本で勤務。

資料

『広島大学文書館蔵 ビル・シェリフ関係文書目録』(広島大学文書館、2014年2月)