原爆裁判<『中国百年 第3部 重い軌跡』所収>
| 頁 |  |  | 
| 243 | 戦勝国の不正義 |  | 
|  | / 隠されていた実相/わき上がる怒り/”正義漢”岡本弁護士/父親と激しい議論/ |  | 
| 246 | 歌集『人類』 |  | 
|  | /人類の運命/ナンポリア記者来訪/訴訟理論の究明/ |  | 
| 249 | 「原爆民訴或問」 |  | 
|  | /平和への寄与/原爆被害者の会に依頼/平和条約第19条/ |  | 
| 251 | 原爆損害求償同盟発足 |  | 
|  | /30万円を寄付/少ない賛成者/米国の反響/日弁連の調査委員会/岡本さんのいらだち/三浦弁護士も意見書/ |  | 
| 256 | 失望 |  | 
|  | /提訴の利害得失/外交の根底に被爆体験を/米からの反対の返事/屈しない岡本さん/ |  | 
| 259 | ビキニ事件 |  | 
|  | /高まる原水禁運動/同盟の規約改正/良心的な弁護士/ウイリン氏の返事/最低2万5千ドル/米での裁判を断念/ |  | 
| 264 | 火の玉 |  | 
|  | /まくら元にノート/軍司令部にどなり込む/ |  | 
| 267 | 未知への挑戦/ |  | 
|  | /新しい理論の創造/法律とは何か/古野弁護士の弔辞 /死んでわかったえらさ/ |  | 
| 269 | 原告たち |  | 
|  | /慰謝料20万円/5人の子供失う/ 一人生き残る/みなし子/妻子全滅/ |  | 
| 272 | ゆがんだ社会 |  | 
|  | /多田さんの手記/入浴も断られる/夫が家出/20年目の真相/原爆被害者の勇気 |  | 
| 277 | 訴状 |  | 
|  | /17項目の請求要因/原爆の人的被害/トルーマン声明/ヘーグ陸戦条約/国際法の立法精神/米の責任は明白/ |  | 
| 282 | 賠償請求の権利 |  | 
|  | /二つの見解/調和の道/侵害された財産権 / |  | 
| 284 | 食い足りぬ答弁書 |  | 
|  | /請求棄却求める/賠償義務の否認/”政治問題” / |  | 
| 286 | 政府の議声明 |  | 
|  | /被告の釈明を要求/「人類文化に対する罪状」/「交戦国としての抗議」 / |  | 
| 289 | 二つの論理 |  | 
|  | /原告の主張/被告の反論/法相の申し送り事項 /仕事の鬼/ |  | 
| 291 | 後継者 |  | 
|  | /学徒出陣で北支へ/岡本さんとの出会い/ 原水禁大会に参加/ |  | 
| 294 | 国際法違反で一致 |  | 
|  | /国際法に苦労/3人の鑑定人/ 害的手段の制限禁止//不必要な苦痛/高野説に反対/田畑教授の見解/ |  | 
| 298 | 三鑑定人の解釈 |  | 
|  | /国家代行が原則/権利を放棄した政府/ 高野、田畑説/追及する羽仁議員/強者の論理/ |  | 
| 303 | 裁判官の怒り |  | 
|  | /主文はあと回し/国家の破壊力と殺傷力/ 規定のない新兵器/防守と無防守の区別/違法な戦闘行為/軍事目標と非軍事目標/キメ細かい違法性の立証/トルーマンに責任なし/”東京裁判”の論理/個人にない請求権/異例の感想/8年7カ月の歳月/ |  | 
| 313 | あふれた真情 |  | 
|  | /さまざまな反響/被爆者の声を代弁/真の争点だけを考察 /人類絶滅の警鐘 |  | 
| 316 | 回想と反省 |  | 
|  | /真正面からの判断/「提携が不十分」/ |  | 
| 318 | 戦後は終わらない |  | 
|  | /恵庭事件/衆参両院の決議/被爆者の苦しみ/救いの手を待ちながら/法廷内論争に終始 / |  | 
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止
	 
	
	
	
	
		
		『広島は訴える 原爆広島11年の記録』(小積明男<川手健?>編、発行者:吉川清、発行所:広島原爆資料出版会、19560801)
目次
| 頁 | 見出し |  | 
| 002 | その朝までの広島 |  | 
| 005 | 運命の日、八月六日 |  | 
| 014 | 原爆は平和をもたらしたか |  | 
| 019 | 魔の遺産、原爆症 |  | 
| 045 | 原爆被害者の生活 |  | 
| 069 | 原爆被災児の実態 |  | 
| 082 | 原爆被害者の運動 |  | 
| 103 | 原水爆禁止運動の発展 |  | 
| 128 | 附録1 原爆障害者調査結果表(原対協発表) |  | 
| 132 | 附録2 原爆被害者の損害賠償請求起訴状 |  | 
| 145 | 附録3 損害賠償請求訴訟の政府側答弁書 |  | 
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		岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)
「拝啓 人類と文明の為一書を敬呈することを御許し下さいませ。
私は昭和21年6月から2年有半に亘り東京に於ける極東国際軍事裁判に主任弁護人の一人として参加していました。其間終始私の念頭にありましたことは、戦勝国側の極めて重大な国際法違反が勝てるが故に何等その責任を問われない不公正でありました。然し私は、講和条約が発効した暁には、戦勝国側の指導者から広島・長崎に対する原爆投下については、悔恨の情を披瀝されるであらうと心ひそかに期待しつづけてきたものであります。
然るに、それより既に1ケ年を経た今日に於て、未だかかる言葉の片鱗だに聞くことを得ないのであります。
これが基督教を以て普遍的な宗教となし、ヒューマニズムを以て民主主義の基調とする米国・英国の態度であることは遺憾の極みであります。私は当時から講和条約が発効した後においては、尠くとも広島及び長崎に対する原爆の投下についてはこの責任を民事不法行為の面において採りあげて原爆投下の決定に参与した指導者及び国家に対して不法行為の管轄裁判所に対し提訴致し度いと念願し、これを親友にも語ってまいりました。(後略)」
 
| 月日 | 事項 | 
| 1953年 | 
| 01 | 16、17両日広島市在住弁護士46名長崎市在住弁護士18名に「主要関係研究事項」を付して原爆損害民訴提起の可能提唱の書面を郵送。又同じ頃弁護士、学者、宗教家等の知友その他64名に同一書面を郵送 | 
| 0120 | 印度最大の新聞タイムズ・オブ・インディアの東京特派員(前本社副編輯長) N・G・ナンポリア氏来訪、岡本提唱の内容及び進行の予定について3時間に渉って質問、即夜徹夜して長文の記事原稿をタイプし空輸 | 
| 0124 | 朝日新聞大阪本社社会部記者平野一郎氏来訪相当質問して取材 | 
| 0128 | 朝日新聞7面中央に別枠で岡本提唱の記事掲載、又BKニュース放送 | 
| 0130 | UP通信員藤本博氏来訪。印度ではタイムズ・オブ・インディアその他の新聞の記事によってセンセーションを起しているので取材に来たという。同時にUP東京支局から電話で質問があった。 | 
| 0131 | 人類愛善新聞記者長掛芳介氏来訪 | 
| 0201 | 英文毎日に岡本提唱及び其の論拠を報じた | 
| 0221 | 1月31日付広島市内発行の法廷新聞は第1面を埋める記事を掲げ広島弁護士会はこの問題で2月11日臨時総会開催を報じた | 
| 0203 | UP藤本博氏来訪。 | 
| 0203 | 毎日新聞7面に「原爆投下に賠償請求」と題して広島、長崎弁護士会では岡本提唱がきっかけとなって右損害賠償請求訴訟の具体的研究にのりだしたことを報じ た。 | 
| 0204 | 英文毎日は広島弁護士会総会開催その他の反響を報じた | 
| 0118~0201 | 原爆被害者その他から感謝激励の電信書面葉書来る。自宅への電報配達人は感謝激励の言葉を添えて送達紙を手渡した。被害者の手紙は一つ一つ泣かされる。 | 
| 0206 | 原爆損害民訴の主要法律関係研究事項について一応卑見を原爆民訴或問と題して簡単な問答体に書き上げた書面を広島弁護士会員全部その他に郵送 | 
| 0207 | 中国新聞によれば長崎弁護士会も立上り2月10日全員協議会を開く | 
| 0209 | ナンポリア氏の令兄から記事掲載のタイムズ・オブ・インディアを届けらる。見出しには「日本弁護士原爆訴訟を計画す。トルーマン氏は被告名簿の一人」 とあり正確な好意ある立場での報道である。 | 
| 0211 | 産経によれば10日開催の長崎弁護士会全員協議会では広島弁護士会と連絡提携し21日開催の日本弁護士連合会(常任理事会)に本問題の研究と善処方を要望する正式議案を提出することを可決した | 
| 0212 | 原爆民訴或問を長崎弁護士会員全部その他に郵送 | 
| 0308 | 岡本、広島弁護士会の招請により広島に出張。特別委員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談、又広島市庁及び原爆被害者の会訪問 | 
| 0329 | 広島原爆被害者の会は幹事会開催原爆民訴の原告になる用意がある旨決議し、これを広島弁護士会に申入れた。 | 
| 0427 | 岡本、長崎弁護士会に出張。同会員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談 | 
 
 
	 
	
	
	
	
		
		原爆被害の損害賠償を求める裁判(岡本尚一、原爆被害者の会)
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| 原爆裁判提訴の意図 | 岡本尚一書簡(広島弁護士会長宛)1953年1月14日 | 
| 岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月) | 
| 岡本尚一「米国に原爆の損害賠償を求む」 (『日本週報』1954年1月25日)
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| 原爆被害者の会の対応 | 原爆被害者の会の原爆裁判への対応 -『芽生え』NO.2(原爆被害者の会事務局、1954年1月18日)
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| 提訴への反響 | 原爆裁判提訴への米国の反応 1954.1.14 | 
| 原爆裁判提訴への国内の反応[気流] 原爆賠償批判(『読売新聞』1954年1月15日)
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| 原爆裁判提訴への国内の反応[民声] 原爆損害求償同盟に反対(『中国新聞』1954年1月15日)
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| 原爆裁判提訴への広島市長の反応 1954.2.9 | 
| 原爆裁判提訴への米国の反応(『中国新聞』1954年3月14日) | 
|  | 原爆裁判の提訴とその後の経緯 | 
| 判決の反響 | 米紙The New York Timesの原爆裁判判決報道 1963.12.7 | 
| 参議院「原爆被爆者援護強化に関する決議」 1964年3月27日 | 
| 衆議院「原爆被爆者援護強化に関する決議」 1964年4月3日 | 
| 参考文献 | ドキュメント中国百年第3部-重い軌跡(中国新聞社(編)、浪速社、1968年5月27日) | 
| 原爆裁判ー核兵器廃絶と被爆者援護の法理(松井康浩、新日本出版社、1986年8月5日) | 
 
 
	 
	
	
		 
	
		
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