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8・6学生平和会議(1956年8月5~7日)

8・6学生平和会議

主催:広島大学学生自治会

1956年8月5~7日

第1日(5日)

午前9時半~午後5時半 広島児童文化会館

広島大学・広島女子短大、北海道・東北・東京・京都・四国・九州など全国80の大学・高校から約500人が参加。

開会宣言=棗田金治(広島大学文学部)

実行委員長あいさつ=児玉健次(広島大学文学部)

「原爆許すまじ」全員合唱

平和問題シンポジューム

講演

長田新日本教育学会会長

佐久間澄広島大学教授

柳田謙十郎戦没学生記念会理事長

今中次麿広島大学教授

重藤文夫広島赤十字病院院長

討論

午後6時~

高校生代表者会議

映画会=原爆記録映画「生きていてよかった」観賞

レセプション 於紙屋町ガスビル

第2日(6日)

午前8時~ 広島市平和記念式典参列

午前10時~ 修道高等学校講堂

原爆被害者実情報告会=吉川清・原成子・温品道義など7名。

午後1時~

大学部会(於広島市平和記念館)

北海道・東北・東京・京都・四国・九州などから約300名参加。

高校部会(修道高等学校)

四国・鳥取などからの参加者を含め100名参加。

代表30名による原爆症患者の慰問=日赤・市民病院・県病院

午後6時~

被害者を囲む会(学生会館)

柳田謙十郎氏を囲む高校座談会(教育会館)

女子学生懇談会(東保健所ホール)

第3日(7日)

午前9時~午後4時 広島市中央公民館

総会

大会宣言

人類の上に初めての原爆が投下されて十一周年目に世界の平和運動とはっきりとした連帯の下に進められた、始めての日本学生の平和会議が開催されました。この会議に集った学生代表は平和を望むすべての人々、とりわけ日本の学生の平和への希望と期待とに応え、原子戦争を企だてている力をうち砕くためにいかにすべきかについて、自由かつ真剣に討議しました。私達は平和をめぐる世界情勢を検討することを通じて、社会体制の相違にもかゝわらず両体制の共存は可能であり、戦争は不可避ではないという点ですべての参加者の意見の一致を見、平和についての強い確信をうるにいたりました。

私達はこの様な期待のもとに開催される第二回原爆禁止世界大会に心からの支持と援助を送ります。

第一回原爆禁止世界大会以后の此の一年間に国際緊張を緩和し、冷たい戦争を中止させる動きは増々活発になり、現在東西陣営の間での軍縮について、歩みよりが次々と行なわれております。軍備の増大は今迄諸国民に対して貧困と不安をもたらしただけでした。軍拡競争はたヾ戦争に向かって進むにすぎません。最大の軍備である原水爆兵器が出現した現在、戦争の危険ははかりしれない程大きなものとなり、将来もし原水爆戦争がおこるならば世界中がヒロシマ、ナガサキ、ビキニとなって人類は死滅してしまうでしょう。

しかし長い間の国際緊張に代って第一回原水爆禁止世界大会以後のこの一年間、国際緊張を緩和し冷たい戦争を中止させる動きはますます活発となり現在大国の間での軍縮についての歩みよりがつぎつぎと行なわれております。和解のための共通の努力があれば大国の間にある色々な障害は必ず解決されるでしょう。この見通しを実現するのは私達の努力いかんにかゝっております。けれどもこの様な世界の国際緊張緩和の動きに逆行する動きが私達の祖国日本に於て依然続行されております。沖繩問顧にみられる様に、日本がアジアにおける国際緊張の増大の焦点となっております。原水爆戦争の基地は拡大され軍国主義復活の傾向が明らかになり、世界の平和に対する主要な障害となっております。私達は国際緊張増大に反対する立場からその様な平和の障害を取り除く為に活動を続けて行かなくてはなりません。

この様な国際緊張緩和の運動に於て、成功をおさめることこそ原爆被害者の私達の期待にこたえる第一の道であります。この道にそって被害者の国家保障を勝ち取る運動を強力に押し進めて行かればなりません。平和はすべての学生の中心的課題であり、学問と学園を守り発展させることは平和なくしてはありません。

平和運動を正しく展開して行くことによって私達は日本の若き知性と良心と云う名に恥じない立派な学生であることが出来ます。私達は第二回原水爆禁止世界大会を全面的に支持し大会の成果を日本の国民とりわけ学生のものとする為に全カをかたむけるでありましょう。私達は第二回世界大会の成果を全世界のすべての学生の運動に発展させて行くことによって日本の学生の平和への名誉ある義務を果して行くでしょう。

本日の会議によってうち立てられた平和運動の正しい方向によって、私達日本の学生は原水爆が禁止され、その貯蔵が廃棄され全般的な軍縮が達成されて人類の上に恒久平和の確固とした保証が行なわれる日迄広く全世界の願いを同じくする人々としっかりと手を携えて前進して行くでしょう。

輝かしい世界恒久平和への望みは私達の努力にかゝっています。

一九五六年八月六日 広島にて

 

決議

1.軍縮、原水爆実験禁止を世界全学連へアッピールする。

2.大国間の軍縮協定、原水爆実験禁止協定の即時締結を国連に要請する。

3.日ソ国交回復について日本政府に要請する。

4.日本政府に対して、軍縮と原水爆禁止運動の先頭に立って努力するよう要請する。

5.日本の再軍備は世界の動きに逆行するものであるから憲法擁護について日本政府、自民党に要請する。

6.沖縄返還問題について米政府と沖縄政府へ決議文を送る。

7.砂川土地接収に反対するむね日本政府に呼びかける。

8.原水爆被災者の救援について治療、家族の生活の完全な国家保障を政府に要請する。

長崎大会代表選出

 

 

藤居メモ(1956年3月-5月)

【資料】藤居メモ(1956年3月-5月)

[3月19日 原水爆禁止日本協議会全国総会]

長崎、東京、広島

世界大会を開くかどうか

杉本[長崎]市議 世界大会 資金の自信がない

八戸-費用を出す  広島でやれ-費用、距離の点

長崎の代表[小佐々八郎]-長崎が陰にかくれるのは不都合

会場がない 爆心地屋外テントを張ってでも

第1候補 長崎、第2候補 広島  常任委員会

太平洋における水爆実験阻止-連帯性

救援

他の平和諸運動との関連性

国際協定の進め方

原水爆禁止と軍縮の日

国際法の問題 1.中止要求の権利、2.予防措置、3.賠償

3300万の署名、7億の署名

世界的科学者-同盟体を作ってボイコットの要

国際法違反として国際法廷

宗教家の結合体・被災団体->ローマ法皇提案

1.太平洋地域の原水爆実験禁止に関する決議

2.救援運動の促進に関する決議

[4月12日 原水爆禁止日本協議会幹事会]

木野、山本、新屋敷、福島、草野、草野、広田、藤居、安井、御前

第2回世界大会

1.広島・長崎原水協-現地の意向

2.各地域の意向

3.世界平和行動の日

第1.長崎 第2.広島

1.禁止運動-世界大会への準備

2.救援運動

3.4/15-4/21 阻止週間

4.生きていてよかった 5:30 国鉄会館の講堂-約1時間

5.その他

5月6日 [原水爆禁止広島協議会理事会]

1.御前様のお話  会場がないところでこそやるべきだ

2.常任委・準備-水爆実験対策

水爆実験阻止国民大会

中心は水産 かつを、まぐろ

1.国際協定を結べ

2.救援--国家補償

-救うことが救はれることだ

3時間 13,000 1800名

8日 第1回実行委員会

長崎現地 1,000人収容 7-8ケ所

3.被害者の声に相呼応する-批判層の獲得

軍縮と原子兵器 大会の組方

4.国際的・国内的-車の両輪

平和と軍縮と原子兵器 署名

田辺 両方へ出得る人数を1,000人

第1回軌道にのせる-藤居 実行委員会、浜井

長崎 独自の力では準備が出来ぬ

広島 被害者派遣等をしている

世界大会

8・6-8・9大会

8・6集会 世界大会の一環として

救援と禁止運動を明確にする

国際的-禁止協定 禁止と軍縮

国内的-援護法、救援と禁止

分科会に重点を置く

大会までに充分議論を尽す

8・6大会 地域大会を持つ

広島 8・6被害者全国総会-協力 1,000-2,000名

長崎 世界大会の一環として長崎大会

東京 主要世界大会

実行委員会の成立

性格-歴史的つながりで原水協が世話団体として

団体数 2500通  中央団体 300 原水協 300 国会議員 700

個人 400 地方自治体 800

5月8日 [第2回原水爆禁止世界大会実行委員会]

田辺氏に臼田さんより、仕事の件で長崎の帰途一度広島へよる。

5月9日に予定せられるエニウェトク水爆実験は、9日が長崎原爆投下の日にあたる

[中止を]強く要求する。

各国主権に制限を加へても、戦争防止をする。

297坪 1坪6人坐る 1,300人 体育館

2,000人収容の三菱会館は6月より補強改装

長崎国際文化会館 1,000人収容

宿舎は50名は可能

やれる方法を定めて帰って来てくれ

広島 6、7  禁止と救援-被害者援護法と国家補償問題

長崎 9、10、11 禁止と軍縮-水爆実験禁止協定

5月9日 全国社会福祉協議会原爆被害者対策特別小委員会

長友技官、斉藤事務官

青木事務局長 挨拶

民生部長 3回政府衆参両議院

佐伯氏 三輪

長友 公衆衛生局

原爆による人体への影響は大きい

予防・治療・診断の関係 本体発見は未経験 定説までには相当期間

適確な治療法を発見する 本体が逐次判明

治療法の確立に協力する立前

予算化 臨床検査

精密検査費 27年から 28 100

研究治療費 1240

原対協 広島

長崎 医大

広島、長崎、市川

1.いのち、2.生活

骨子を作る-此の次までに

地元議員に出てもらう

大蔵省 8月終りに  6月初め 項目  6月中旬頃課長会議

全社協青木事務局長、佐野民生部長、熊谷厚生部長、厚生省公衆衛生局長長友技官外3名、藤居広島原水協事務局次長、市川千代子(未亡人会)、小佐々長崎市会副議長等-20名が集まり、5月9日午前10時から東京渋谷区原宿社会事業会館で、全国社会福祉協議会原爆被害者対策特別小委員会を開き、特別小委員会を常置すると共に、次のことを協議した。特に長友技官その他の人は涙をうかべながら現地側の説明を聞いていた。

1.原爆症の治療費の全額国庫負担については厚生省は熱意を示しているが、問題は政府、衆参両議院にある。

2.現在、広島及長崎原対協が行っている被爆者の検査結果の速かなる判明をまって原爆被害者援護法の骨子を作り第2回特別小委員会を開く。その時は出来るだけ多くの国会議員の参加をもとめる。政府-議員立法?

3.6月中旬に厚生省の課長会議までに援護法の裏付予算資料として十分な資料を公衆衛生局は待っている。

4.本年度研究治療費が昨年の額になったことは衆参両議員、広島長崎市および市議会が大きな力となったが、原水爆禁止世界大会とその後の運動の成果が決定的基礎を  なしている。

5月22日 [原水爆禁止世界大会常任実行委員会]

295坪 体育館 長崎に会場なし

安井総長 経過報告

畑氏報告 駅より2つ目の茂里町 118K×30K 50坪 3分

1m×50cm 1列8本 2,000人 廃墟 市所有物

周辺-

長崎バス整理工場 戦後の建物らしい

真中に向って右側はあけ開げ 最中に鉄骨の柱7,8本<縦長50cm>ある

真中から左を修理工場 解放の可能性あり

兵器製作所 450坪 400坪 2,000人

便所その他は? 増設の要あり 床はコンクリート

国際文化会館 補助椅子を加へ1,025 屋外ステージ

東高校 7-8分 勝山小学校体育館295坪

黒田氏 三菱兵器製作所-建築専門

長崎バス修理工場 修理に使用している

3日間 装飾等を加へるならば1週間

杉本 東高等学校講堂体育館 医師会3,000人の人-集ったといふ

兵器製作所 会場にするならば整備する テント・屋根・ビニール

写真の通り板囲い通風、便所は設備する

長崎バス-昨年譲渡

小山 16日 地評議長 長崎バス 貸りられれば可能

分科会会場はある 爆心地

田辺 ①三菱兵器製作所、廃墟だから補強しなければ安心してやる 国際儀礼

②茂里町の自動車修理工場は可、1/3程度 修理を続ける所

修理工場の機能をやめなければ会議場にならぬ。大会中そっくり借りなければ ならぬ。相当広い空地があるので、収容数は相当数ある。

①第一会場 市で装飾を考える、②450坪、③400坪×4人

午后 大会の意義

平和アピール7人委員会日高

禁止は具現段階-どう取扱ふか

イーデン首相から返事、全廃することに賛成

協議の上に協定された軍縮するといふことを含む

米国スチーブンソン、キーフオーバー

ソ連は120万軍縮実現

第1日に政治的努力を払ふ為に東京で行ふ、東京案

愛善会 1.東京を主会場にして長崎と広島をどう生かすか 2.

他人数を集めたのは広島といふよりも原水爆禁止がそういふ力を持った。集めた 次にどう組織し、力を持たすか、それをどう政治的に高めるかといふことだ。会 場については東京が決定的ではない。広島-長崎と往復するかといふことではな い。大衆運動は長崎といへばそちらに動いている。労苦を積重ねていたことに対 し、 長崎1年間に何に

運動

○組織がどうであったか-運動がどうか

○救援金-救援運動はどうか

○未組織層が多かったのはどうか

8・6 行動-各地でもつ

8・9 世界大会

13-15  世界大会

決定 長崎主要会場 5月29日長崎へ原水協・総評

事務総長 安井郁