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ドキュメント:1970年8月6日

ドキュメント:1970年8月6日<作業中

できごと 備考
広島の女子高校生グループ「折鶴の会」、3月に白血病で死亡した8歳の被爆二世の少女をしのぶパンフレットを平和記念式終了後、遺族に配布。
内田常雄厚生大臣、平和式典終了後、広島原爆病院と原爆養護老人ホームを慰問。
広島市、原爆死没者慰霊式・平和祈念式を挙行。約5万人が参列。米兵捕虜の名前が合祭。
山田広島市長平和宣言。「ヒロシマの叫びは、世界の世論に支えられ、少なくとも核兵器の使用を阻止してきた。われわれはこの成果を踏まえて、国民的悲願を結集しつつ、ヒロシマの体験をすべての人の心に探く定着させ、核兵器の全廃と世界恒久平和
広島市の原爆死没者名簿に米兵捕虜と白系ロシア人の名簿を記載。
旧中島本町原爆復元地図製作委員会、平和公園で復元地図の碑除幕式と慰霊式.
鷹野橋商店街振興組合原爆犠牲者慰霊碑、大手町五丁目で除幕式
済美学校の碑、広島市八丁堀で除幕式。
原爆被災資料広島研究会、原爆被災資料総目録第二集を発行.内容:官公庁文書・中国放送(RCC)・広島テレビ(HTV)・映画・音楽.
原爆記録映画「ヒロシマ・原爆の記録」、広島市公会堂で一般公開。中国放送・広島テレビでも放映。
広島市と報道三社製作の映画「ヒロシマ・原爆の記録」(29分)、一般公開。広島市公会堂で六回上映。テレビ放映も
ニューヨーク・タイムズ、「ヒロシマの教訓」と題する社説を掲載。
中国放送RCC,平和記念式典の模様を宇宙衛星により米CBS系ネットワークを通じ全米に向け放映。初の試み。
日本原水協の第16回原水禁世界大会広島大会。広島県立体育館に約五千人「核兵器と侵略のない世界実現のために、共に戦うことを被爆二十五周年の広島から全世界に呼びかける」
原水禁国民会議などの被爆25周年原水爆禁止世界大会、閉会。
8・6ヒロシマ反戦集会。広島平和記念公園に学生、労働者ら1500人が参加。
北ベトナム労働党機関紙ニャンザン、原爆投下は不必要だったとする社説を掲載。
クランストン米上院議員、「原爆投下はトルーマン大統領の誤り」と、広島・長崎平和使節団に語る。
クレイグ・ホズマー塀下院議員、下院本会議で原爆投下は「必要やむを得ない措置であった」と演説。
フランス、ムルロア環礁で核実験。同国の実験はこれで通算39回に。

 

 

 

 

 

 

広島県原水協年表(1970年)

広島県原水協年表(1970年)

月日 事項
0124 第 2回広島県学生ゼミナール, 県下18の大学・短大・看護学校と 6の高校か –25 ら 650人参加.
1.24
2.11 原爆慰霊碑を正す会発足. 代表世話人岩田幸雄広島県モーターボート競争会会長.
2.12 安保破棄諸要求貫徹広島県実行委員会など,原爆慰霊碑の碑文変更反対を山 田広島市長に申し入れ.
3.13 原爆慰霊碑の碑文を守る連絡会議結成.
2.14 広島県原水協拡大理事会, 原爆慰霊碑の碑文を抹消しようとする「原爆慰霊碑を正す会」に反対する声明を発表.
3.17 原爆慰霊碑の碑文を守る連絡会議, 碑文を守るよう広島市長に申し入れる. 4.12 広島県被団協常任理事会.
4.28 共・社・県労などによる 4・28沖縄即時無条件全面返還・安保条約廃棄全国統一行動広島県中央集会, 県庁前で開催. 54団体・6500人参加.
5.14 広島県原水協常任理事会.
5.23 弾薬輸送反対・黄幡基地撤去要求県民共闘会議, 毒ガス持ち込み反対・カンボジア侵略反対広島県中央集会を呉市広町で開催. 50団体・ 600人参加.
6. 6 第16回原水爆禁止世界大会の成功をめざす国民平和大行進広島―東京コース, 広島市の平和公園を出発.
6.23 安保条約廃棄・沖縄即時無条件全面返還・毒ガス撤去・弾薬輸送反対 6・23広島県中央集会, 県庁前で開催. 1500人参加. 県内20地区で統一行動を展開, 5万人参加.
6.24 広島県原水協常任理事会, 原爆被爆者医療相談所建設委員会を発足させる. 6.26 桑原訴訟を勝ちぬく決起集会, 広島市社会福祉センターで開催. 30名参加. 6.  山下会, 「あさ第 6号」発行.
7. 4 広島県原水協, 原爆記録映画「1945年 8月―広島・長崎」の貸し出しを始める.
7.  桑原訴訟を勝ちぬく決起集会, 尾道市で開催. 80 名参加.
8.  吉島被爆者の会, 「老いと怒りと第 3集」発行.
8. 3 広島市長, 原爆慰霊碑の碑文変えぬと公式見解.
8. 5 海外代表・被爆者懇談会. 於せとうち苑.
8. 5 国際青年交流の夕べ. 於見真講堂.
8. 6 特別集会「若い世代と原水禁運動」・「被爆者救援運動」. 被爆者家庭訪問 8. 6 70年第16回原水爆禁止世界大会広島大会. 広島県立体育館に5000人参加.
8. 6 広島市原水協, 深川宗俊著「1950年 8月 6日―朝鮮戦争下の広島」を出版. 8. 6 福島地区被爆者の会, 「壁第 3集」発行.
8.21 広島市八丁堀原水協, 原水禁大会の報告会を開く.
8.24 原爆被爆者医療相談所建設委員会.
8.31 被爆二世中本緑, 急性白血病で死亡.
10.21 10・21国際反戦統一行動広島県中央集会, 県庁前で開催. 1万2000人参加. 県内で 5万人参加.
10.27 10・27自衛隊パレード反対福山地区実行委員会, パレード抗議行動を展開. 10.29 県労会議加盟労組, 被爆者対策協議会準備会を結成.
11.19 弾薬列車, 広駅に到着. 呉市議会, 施設局に抗議.
11.25
1125 弾薬輸送反対・基地撤去要求11・25呉地区集会, 広駅前で開催. 30人参加.
1210 12.10-11 広島労演, 広島演劇サークル協議会と共同企画で「ひろしまの冬」を上演.

 

 

年表:原爆展(1970年)

年表:原爆展(1970年)

記事
02 03 万国博・テーマ館への広島・長崎被爆写真展示、再検討ヘ。政府の万国博推進対策会議で「どぎつくて万国博にふさわしくない」との意見が出たため
02 24 万国博・地方自治体館、被爆写真を撤去。
03 04 万国博政府出展懇談会、最終会合。茅誠司座長、原爆タペストリーを「抽象的でわからぬ」と批判。
03 06 中国新聞「受難続きの原爆展示-万国博-撤去や横ヤリ相次ぐ-”悲惨さにベール”-主催者・米人に気がね」
03 13 原爆展示をめぐって紛糾した万国博テーマ館が、公開される。15日、一般公開。
03 15 日本万国博、大阪・千里で開幕。原爆展示は大幅後退
03 万国博の宮内弥地方自治体館館長、地方自治体館2号館「明け行く日本列島」の”海と船のショー・中国地方”(上映時間1分30秒)の場面に登場する原爆被害関係のシーンを差し替えるように日本映画新社に伝える。4月30日、差し替えたものが上映される。
04 14 米ニューヨーク在住のノーマン・カズンズ、広島市に、5月から開催を予定しているリンカーン・センターでの原爆資料展のために、被爆資料写真などの貸出を要請。
04 24 大原亨、万国博の地方自治体館の写真展示から館側が勝手に原爆被爆写真を撤去した問題を、衆議院文教委員会で取り上げる。
04 24 山田広島市長、米の平和団体がニューヨークで開く原爆資料展への資料貸出について、時期が適当でないと、断る。
05 11 万国博の地方自治体館が公開される。初めに制作者が計画していた「被爆母子」と「原爆の子の像」など円形パネル写真が姿を消し、きのこ雲の写真と長崎・浦上天主堂のマリア像の背景写真だけとなる。
05 11 米のニューヨーク文化センターで開催される「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」の開会式。リンゼー・ニューヨーク市長とノーマン・カズンズが挨拶。
05 12 米フレンド奉仕委員会、海外初の原爆写真展をニューヨーク文化センターで開幕(~6月21日).2万人以上の観客.
05 22 朝日新聞社、ニューヨークで原爆展を開催。海外初(「平和の推進」)。
07 18 大阪市の働くものの絵画集団「レアラ・ロンド(真実の仲間)」、万国博場外の原爆展として「原爆と平和展」を大阪・朝日文化ホールで開催。万国博に展示されなかった被爆写真の展示や映画の上映。-22日。8月5日~16日には、京都府立総合資料館で開催。
07 21 広島の写真家・佐々木雄一郎、原爆写真展「広島の日記」を西宮市民会館で開催。-23日。
07 24 長崎の浦上天主堂の写真を撮り続けた池松経興とその写真をもとに油絵をかいた福田重人の「原爆・二つの心展」、長崎市内のギャラリーで開催。
08 05? 万国博会場で数少ない原爆展示の「かなしみの塔」のある日本館のホステスたち、被爆の悲惨さについて勉強会を開く。原爆に関する英文パンフの配布を計画するが政治的な配慮から中止させられる。
08 06 万国博会場の野外劇場で広島テレビ制作の原爆ドキュメンタリー映画「朝顔」が上映される。
08 06 ゲレロ国連貿易開発会議(UNCTAD)事務局長、同会議デーを迎えた万国博の国連館で、各国のコインを集めて鋳造された「平和の鐘」を付き鳴らし、原爆死没者などを追悼。
08 07? 万国博会場内テーマ館の空中展示室にある原爆写真コーナーに菊の花が供えられる。
08 23 広島県、万国博の地方自治体館の「広島県の日」に被爆当時の写真パネル3枚を展示。-25日。
08 26 中国新聞「万国博「県の日」終わる-観光面で大収穫-被爆写真に不満の声も」

 

ヒロシマ25年 写真記録

『ヒロシマ25年 写真記録』(佐々木雄一郎、朝日新聞社、19700730)

No. 備考
2 佐々木雄一郎
3 8本の線と1個の点
4 1 自宅付近の焼け跡
2 市電の残骸
3 義兄本田勘六宅の焼け跡
4 次兄佐々木末爾宅の焼け跡
7 原子砂漠
5 原子砂漠
8 6 爆心地
10 7 爆心地1
11 7 爆心地2
12 8 鉄分の噴き出した墓石
9 ピカドン墓
13 10 屋根のぬけ落ちた産業奨励館
14 11 爆心地下の白骨
15 閃光
15 12 石段の人影
16 13 ガスタンクの影
18 14 護国神社入口の狛犬1
15 護国神社入口の狛犬2
16 護国神社入口の狛犬3
17 避雷針の基礎の影
18 竹の火傷
19 広島城のユーカリ1
20 広島城のユーカリ2
23 爆風
21
21 御幸橋の欄干…23
22 相生橋風景… 25
23 爆心地島病院の跡…26
24 日赤病院のガラス破片…26
25 ねじれた鉄窓… 27
26/28 家屋の破損1~3…28/29
29 鉄梯子の曲った煙突
30 焼け跡
30 街の焼け跡 1~20
43 人間をかえせ
50 50 孤独な老人…43
51 はたらく原爆孤児…44
52/54 原爆浮浪児 1~3…46/48
55 孤児と修道尼…49
56 お祈りをする孤児…49
57 似島学園の女の子…50
58 先生と孤児…51
59 バラックの老夫婦…53
60 日向ぼっこの孤老
55 惨劇の証人
61 早暁の原爆ドーム…55
62/76 原爆ドーム 1~15…56/68
77 原爆ドームの碑…68
69 廃嘘のヤドカリ
78 バラックと子ども…69
79 石とトタンの家…70
80 防空壕の住居…71
81 兵営跡の市営住宅…72
82 新居と畑…72
83 バラック住い…73
84 バラックと子ども…73
85 基町のスラム…73
86/91 立ちのき 1~6…74/78
79 怒りと祈りと
92 ハトと噴水…79
93 ドームと洗たく女…80
94 写生する子どもたち…81
95 はねつきをする少女…82
96 置去りにされた石仏…82
97 工事場の群像…83
98 紙芝居屋と子ども…83
99 慰霊碑に詣でる被爆娘…84
100 読経する老人…85
101 消えていくバラック…86
102 工事場の人骨…87
103 工事の遅れた公会堂…88
104 公園建造物全景…89
105 遠足に来た生徒たち…90
106 雪の中の参詣…90
107 雨の中の参詣…90
108 ある対話…90
109 若い自衛隊員…90
110 休暇の黒人兵…90
111 暮色の公園…91
112 供養塔暮景…92
113 新春の供養塔…93
114 原爆の子の像…93
115 供養塔そばの自衛隊員…94
116/17 原爆資料館1~2…94/95
118 詩碑と少女…97
119 平和記念公園遠望…99
120 盛夏の平和記念公園…100
101 消えぬ爪あと
121 街を行く被爆者…101
122 原爆第1号のケロイド…102
123 原爆1号の店…103
124 ドームと第1号…103
125 はたらく被爆者…104
126 デパート屋上の被爆者…104
127 街に出てきた原爆乙女…105
128 発言する原爆乙女…105
129 川遊びの被爆少女…106
130 討議する被爆者代表…108
131 広島原爆病院…108
132 原爆病院の病室…111
133 原爆病院標本室…112
134/135 原爆病院病理室 1~2…112
136 原爆病院の回診風景…113
137 結び合う手…114
115 涙と叫びの夏
138 8月6日の慰霊碑…115
139 第1回平和祭…116
140 平和塔と人骨…117
141 第3回平和祭…118
142 第6回平和記念式典…119
143 過去帳奉納…120
144/151 第8回~第22回平和記念式典…121/125
152 8月6日の流燈会…126
153 ドーム前の流燈…127
154 折鶴の会の平和集会…128
155/161 8月6日の供養塔 1~7…129/133
162 涙の老女…134
163 少年と線香…134
164 動員学徒犠牲者の会…135
165 慰霊祭のあと…135
166 原水禁広島平和大会…136
167 第1回原水禁世界大会…137
168 核禁会議のタイマツ行進…137
169 平和大行進…139
170 遺影を胸に…140
171 林立する旗…141
172 ヘルメットに囲まれて…141
173 原爆病院前の平和行進…142
174 海を渡ってきた行進者…142
175 広島反戦集会…143
176 国際放射線影響学会…144
177 胎内被爆者・被爆二世を守る会結成大会…144
178 原水爆禁止科学者会議…144
179 慰霊碑前の抗議すわりこみ…144
180 第2回世界仏教徒会議…145
181 ある花束…146
147 死者をたずねて
182 原爆っ子の成人式…147
183 供養塔に眠る無縁仏…148
184 遺骨の引渡し…149
185 むなしく眠る遺骨…149
186 学徒死没者の碑…150
187 検視調書名簿…150
188 名簿を追って…151
189 探し疲れて… …151
190 あったッ!…152
191 供養塔納骨名簿…152
192 確認…153
193 喜び…153
194 祭壇上の遺骨…154
195 遺骨引渡し…154
196 悲しみ…155
197 被爆者実態調査票…156
198 被爆者調書…156
199 爆心地の復元…156
157 来訪者の顔
200 ジョセフィン・ベーカー…157
201 皇太子殿下…158
202 ザビエル順礼団…159
203 西部劇俳優ケニー・ダンカン…159
204 天皇・皇后両陛下…159
205 ヘレン・トローベル…160
206 宇野重吉…160
207 ルーズベルト夫人…160
208 ディマジオとモンロー…161
209 パルゴーザ・カルメーロ・ブラジル大使夫妻…162
210 高松宮ご夫妻… 163
211 高松宮妃…163
212 鳩山首相夫妻…164
213 原水禁世界大会ソ連代表…164
214 原水禁世界大会中国代表…164
215 ネール首相… 165
216 オーベルン・キルヘン少女合唱団…165
217 皇太子殿下ご夫妻…166
218 ハイネマン西ドイツ大統領夫妻…166
219/225 自衛隊1~7…167/172
173 不死鳥のごとく
226/275 よみがえる街々1~50…173/202
276 宇品港の引揚げ船…203
277 宇品港の外米輸入船…203
278 宇品港桟橋…204
279 ソ連観光船入港…204
205 焦土の祭典
 280 消防出初め式…205
281 相撲興行…206
282 庭球卓球競技大会…207
283 こどもまつり…207
284 広島カーブ結団式…207
285 第6回広島国体…208
286 秋祭(天神祭)…208
287 ファションショー…209
288 広島まつり…209
289 立太子式…210
290 競輪…211
291 亥の子祭…211
292 とうか祭…212
293 市民球場びらき…212
294 博覧会…213
295 X’masフェスティバル213
296 聖火リレー…214
297/309 第21回~第41回メーデー…215/222
223 声なき墓標の群れ
広島県地方木材KKの慰霊碑
225 慰霊碑
 311 雑草の中の供養塔…225
312 瓦礫の中の供養塔…226
313 広島郵便局の供養塔…226
314 広島土木出張所の供養塔…227
315 爆心地横死者の供養塔…227
316 さまざまなる供養塔…228
317 集められた供養塔…229
318 県立広島二中の供養塔…230
319 放置された供養塔…230
320 県立広島二中慰霊碑の裏面…231
321 広島二中慰霊碑の表面…231
322 広島市役所の慰霊碑除幕式…232
323 牛田町児童公園の供養塔…232
325 五日市町の慰霊碑…233
326 左官町の慰霊碑…233
327 宇品造船所の供養塔…233
328 広島女学院慰霊碑の表面…234
329 広島女学院慰霊碑の裏面…234
330 崇徳中学校の供養塔…235
331 広陵学園の慰霊碑…235
332 進徳高等女学院の慰霊碑…235
333 広鳥市高等女学校の慰霊碑…235
334 広島市造船工業学校ならびに広島市立商業学校卒業生原爆戦残者の慰霊碑…237
335 原爆の子の像の碑文…238
336 移動演劇さくら隊原爆殉難碑…238
337 慰霊碑守りの未亡人…238
239 墓標
338/351 墓標1~14…239/246
247 供物
247 352 タイ国海軍使節団の捧げた花輪
248 353 皇太子殿下の捧げた花輪
249 354 ネール・インド首相の花輪
249 355 世界連邦外国代表一行の花輪
249 356 ジョンソン駐日アメリカ特命全権大使の花軸
249 357 スポポダ・チェコスロバキア大統領の花輪
250 358 修学旅行生の献花
250 359 修学旅行生の捧げた折鶴
250 360 小学校児童の献花
251 361 センをぬいて供えられた酒
252 362 供養塔前の供物
252 363 慰霊碑前の菊の花と硬貨
253 364 新婚旅行者が捧げたブーケ
253 365 万博粉砕の千羽鶴
255 366 ヒロンマ1970年
258 広島被爆地図
260 ヒロシマの持続 大江健三郎
268 ヒロシマ年表 庄野直美・編…
279 あとがき

HIROSHIMA(長岡省吾)

『HIROSHIMA』(長岡省吾、19700720)

構成と概要

構成
Aerial View of’ Hiroshima City
01 HIROSHIMA : under atomic bomb attack
Determination of the Explosion Center.2
Measurement of the Epicenter & Fireball.2
Rainfall Following the Explosion.3
Fires.4
How Building Stones were Affected by the Heat Rays.5
Effects on Human Body.7
07 Casualties.
Distributions of Survivors.8
09 Physical Damage
Buildings and Houses.10
Roads and Bridges.10
Water Supply System.10
Sewerage System.11
City Establishments.11
Summary of Damage by Pressure Waves.12
Schools and Libraries.13
Important Governmental Offices, Business Firms & Factories.14
Transportation & Communication Facilities, Public Utilities.14
Railway.15
Damages Compared between Hiroshima & Nagasaki.
01 ひろしま・航空写真
02 広島市被害図
廃墟と化した広島全市(約1ケ月後撮影)
03 原子雲(爆心地より4000米離れた宇品町7丁目より決死的撮影、木村権一氏)
04 爆心地(細工町 志摩病院の廃屋)
04 爆央と市内各所に火災起る(撮影 木村権一氏)
05 市中央より東方を望む
09 産業奨励館焼跡(爆心地より150米)
18 比治山第一高等国民学校収容所
19 似ノ島収容所
20 似ノ島収容所
21 本川小学校前道路、比治山小学校収容所、本川小学校収容所
22 比治山第一高等国民学校収容所
23 宇品収容所、比治山第一高等国民学校収容所、似ノ島収容所
24 柄模様の火傷、熱線によるケロイド症状
25 熱線によるケロイド症状、馬、放射能による脱毛
26 柳橋
27 瓦、本川橋、竹の焼傷
28 墓石
29 万代橋に残った9人の影
30 ガスタンク、住友銀行
31 下村時計店、
32 富国生命ビル、竹屋町付近、三滝分院、本川小学校3階
33 護国神社、慈仙寺、相生橋、
34 御幸橋欄干
35 平和記念聖堂、比治山ABCC
36 原爆慰霊碑
37 平和記念資料館
38 広島原爆病院
39 平和記念講演
40 原爆の子の像
01 “ひろしま” 原子爆彈による被害状況(長岡省吾)
10 刊行の言葉(長岡省吾)

核権力ーヒロシマの告発

『核権力ーヒロシマの告発』(金井利博、三省堂、19700615 )

目次

章節
核権力下の日本
1 広島はなぜ“ヒロシマ”か
広島と沖縄
広島の顔
核権力からの脱出
2 「核権力」下の日本
日本をとりまく「核」
エンタープライズ入港時の国内反応
「核戦力」と「核権力」
3 日本の「核権力」
核軍縮と日本政府
ソ連の単独核実験停止
キューバ事件の意味
部分核停と不拡散条約
日本の「核権力」
アメリカの日本への期待
アメリカ軍の伝統思想
4 「核」軍事論の誤算
抑止論の弱点
偶発戦争のトリック
「抱き締め」戦法と「突き放し」戦法
5 核廃棄の政治学-「人質」論をめぐって
戦略から政略へ
「人質」は一枚岩か
人質の「まだら」化
人質を犠牲にすること
「核権力」を無意味化する道
「人質」と「核は張り子の虎」
全人類が「人質」
6
核権力と軍事
1 「軍都」広島の体験
人民と「軍都」
「軍都」広島
原爆投下と「一枚岩」態勢
日本に非戦闘員なし
原爆投下までの核権力構造
「軍事」をこえる三つの問題
2 「無差別爆撃」の歴史
日本軍の無差別爆撃
イギリス・アメリカが始めた無差別爆撃
変質低下の技術
「火攻め」の新戦略から原爆へ
原爆投下前後の日本
3 「戦時」と「平時」の境界なき攻撃
外国との戦争と民衆の被害の歴史
「平時」に及ぶ緩慢殺人
「人災」と「天災」
ビキニ実験とその被害
過剰殺人と緩慢殺人
4 「未知」効果に無責任な攻撃
原爆投下作戦の実態
実験室となった広島・長崎
後回しの人体効果
日本医学者の努力
アメリカの資料略奪
「未知兵器」への無責任
核権力と自由
1 「あいまいさ」の恐怖
原爆投下の戦略上、政略上の「あいまいさ」
ベトナム戦争の中の「あいまいさ」
2 人種差別は「敵意」を増幅するか
人種差別と戦争
日本の中の差別体系
民族自決と人権の確立
3 被爆者ヘの差別
生活上の差別
補償上の差別
意識上の差別
4 官尊民卑の戦災補償
軍人優先の思想
切り捨てられる非戦闘員
救貧措置としての被爆者対策
原爆体験抜きの原子力産業
反核権力論
1 原水禁運動の断層
意識のずれの問題
基本的な問題
2 核権力の「君臨」
核権力の神格化
「制服」と「私服」の原爆体験
3 原爆被害の実態調査
「人的被害」の追跡
今もって未整理の被爆人口
4 広島の「怨念」と「自由」
広島の「怨念」と権力者
差別の垣
被爆地図復元運動-原爆体験を社会体験に
貴重な原爆映画
拡大する資料収集運動
核権力“神話”の破壊
〈資料〉原水爆被害白書を国連へ提出の件
1.原爆は「威力」としてだけ知られた
2.原水爆は人間的悲惨の極としてはいまだ知られていない
(1964年8月5日・中国新聞社論説委員・金井利博記)
あとがき(抄)
この本は安田武氏、また中国新聞社の平岡敬、大牟田稔両氏の三年前の強い勧めによって生まれた。間接には原爆犠牲者と亡母金井時子の無言の励ましを感じながら書き続けた。

年表:平和教育(1961~1970)

年表:平和教育(1961~1970)

事項
1967 06 20 広島女学院大学で学生対象に原爆特別講座始まる。テーマ「八月六日の意味するもの」。同大宗教委主催
1968 07 01 広島市教委、原爆・平和問題に関する特別授業実施を決める。8・6を中心に一時間程度
1969 03 26 広島県被爆教師の会結成。県内小、中、高校教員、退職教員などが参加。平和教育の推進が目的
69 04 20 東京都青梅市の都立農林高校定時制4年生50人、修学旅行で広島を訪問。同校は3年前から修学旅行で広島に来ているが、今回初めて被爆者を囲み懇談。
69 06 19 鳥取市での日教組三十六回定期大会、原爆教育推進を運動方針に掲げる
69 07 05 広島県教組の原爆・平和教育教材「ひろしま」出版
69 07 16 広島県教委、原爆・平和教育指導指針をまとめ各学校に通知。「原爆の日の意義を理解させるとともに、いっそう平和を願う心情や態度を育てる」
69 07 19 広島市立荒神小学校で原爆・平和教育。被爆教師の体験と同校制作のスライドで
69 07 28 広島県教組、同県被爆教師の会編集の被爆教師の体験記「未来を語りつづけて」出版
69 08 02 広島市、第2回平和を語る市民集会を開催。テーマ「被爆体験の継承と平和教育」。
69 10 18 吉川清、原爆慰霊碑前で東京電気大学高校工業科2年生340人に原爆の惨状などを話す。
1970 10 18 東京電気大学高校工業科2年生344人、修学旅行で広島市を訪問。今回が10回目。高橋昭博広島県被団協理事の話を聞く。

 

沈黙の壁をやぶって

『沈黙の壁をやぶって』(長崎県教職員組合長崎総支部・長崎市原爆被爆教師の会編、労働旬報社、19700809)

目次

章節
はじめに
七○年代教育創造の糧に 宮之原貞光(日教組委貝長)
序章 今こそ沈黙の壁をやぶって 坂口 便
1章 長崎の原爆 編者
その前夜 光と雲 幽鬼の群れ 屍の列車 看護るものなく 燔祭の炎の中に 児童・生徒・教師
2章 被爆教師の体験と証言
生き残り三人の記録 城山小学校
城山殉難記 荒川秀男
追憶の涙の中から 江頭千代子
医者がいない、薬がない 宮本スミエ
「二六人の教師が憤死」 山里小学校
土壕の奥に生きて 林英之
熱い骨・原爆の歌 瀬戸口千枝
母の愛情すら奪う 川口勇
生きながら焼けた友 築城昭平
トンネル工場 まつお びん
屍体整理班 三輪博志
3章 原爆と子どもたち
子どもの記録 林勝己
「原爆に関する調査」の集計から 編者
調査を実施して 広島と長崎と 原爆はなぜおとされたか  原爆を誰が教えるか 原爆に対する子どもの感じ方
4章 原爆学級の記録-世界でただ一つの悲しい学級
4-1 原子爆弾はまだ生きている
4-2 原爆学級の編成
4-3 研究発表「被爆児の心身発達について」 城山小学校
4-4 原爆学級のその後
4-4-1 四番目の犠牲者
4-4-2 原爆教室の父
4-5 被爆二世の問題
資料 被爆児の心身発達について(昭和28年2月26日) 長崎市立城山小学校
目次
1.発表までの経緯
2.被爆児の心身発達について
3.一年実験学級年長組の被爆児と対照児
4.特殊児童の指導の実際
 【付】 原爆の児を偲びて―故橋本長利さんの霊に捧ぐ
5章 平和教育の原点
(1)芽生えは出ている 編者
(2)スラノド台本「原爆許すまじ」 佐世保・平和と教育を守る高校教師の会
(3)原爆体験記の英訳について 編者
 (4)一つの教室実践  三輪博志
 (5)教え子に明るい未来を  中西俊造
6章 原爆体験の継承と国民教育への展望 -長崎の屈折した体験の中から
鎌田定夫(長崎県教研講師・長崎造船大学教員)
6-1 原点としての“原爆”とその風化・潜伏
6-2 風化に抗して新しい創造へ -子どもと教師・父母の葛藤のなかから
 6-2-1  教研活動のなかでの反省と確認(小・中)
  6-2-2  新しい民主的学園建設の試み(高・大)
 6-3  被爆者たちの連帯のなかで
 終章  長崎の教師はこう訴える-被爆25年間の屈辱と怒り、そして70年代の教師はいま何をなすべきか
   田中義明 (長崎市立江平中学校教諭)
 あとがき-この芽を枯らすことなく  宮崎勇二(長崎県教職員組合執行委員長)

広島県立広島商業高等学校

広島県立広島商業高等学校

資料 (所蔵:ピカ研)

『創立70周年記念文化祭 10月31日、11月1日・2日』(冊子)

『県立広島商業高校 創立70周年記念文化祭 本校被爆実態調査を終了するにあたって、御来場皆様に訴える』(広商原爆実態調査研究会、1970年)

広商1970