「1983年」カテゴリーアーカイブ

原水爆禁止世界大会に 関する覚書

「原水爆禁止世界大会に関する覚書」(『広島県史研究』第8号 1983年)

内容

 

タイトル
はじめに
1 世界大会の継続開催
表1 世界大会の開催地・参加者数(第1~9回)
表2 世界大会の日程
表3 新しい潮流による大会開催状況
表4 原水禁3団体による大会の開催地・参加者数(昭和39~51年)
表5 統一大会の開催地・参加者数
2 大会の課題
表6 第1回大会の分科会における代表の発言内容
表7 各大会の正式名(昭和30~38年)
表8 分科会一覧(第2~4回)
表9 大会本会議(総会)における意見発表者
表10 世界大会で採択された宣言・決議・勧告(第1~9回)
表11 原水協・原水禁の大会でとりあげられた主要議題(昭和39~51年)
3 大会の基盤(国民運動性・大衆性・国際性)
表12 平和行進の概要
表13 平和行進歓迎集会の概要
表14 原水協大会・統一大会の平和行進の概要
表15 原水協による大会内外での対外活動
表16 統一大会に参加したアメリカ代表の所属団体一覧
表17 各大会に厳守・議長などがメッセージを寄せた国一覧
おわりに
付記 大会関係資料の収集に当たっては、北西允・佐久間澄・竹内武・藤居平一・三宅登・宮崎安男の各氏、および平和会館。平和親善センター・日本原水協の各機関のご協力を得ました。末尾ながら、記して謝意を表します。

はじめに

昭和29年3月1日のビキ二水爆被災事件を直接の契機として生まれた日本の原水爆禁止運動は、今日まで絶えることなく展開されている。昭和30年以降毎年8月6日に前後して開催される原水爆禁止世界大会は、各年の運動の頂点に位置するものであった。各大会は、マスコミにより大きく取りあげられ、各方面からさまざまな論評が加えられている。また、これまでにも、この運動に関する著書がいくつか出版されてきた。今堀誠二『原水爆禁止運動』(潮出版社 昭和49年)は、第1回から第10回までの大会への参加記をまとめたものであるが、同時にこの間の大会の分析を通して日本における原水爆禁止運動の特質の解明を試みた書ということができる。熊倉啓安『原水爆禁止運動』(労働教育センター 昭和53年)は、原水爆禁止日本協議会の指導的立場からの、また伊藤茂(編著)『平和運動と統一戦線―原水禁運動の歴史と
展望-(増補版)』(ありえす書房 昭和50年)は、原水爆禁止国民会議の指導的立場からの運動の一つの総括である。また、岩垂弘『核兵器廃絶のうねり―ドキュメント原水禁運動-』(連合出版、昭和57年)は、昭和52年以降の統一大会に関する詳細な報告書である。しかし、これらの著書は、いずれも対象とする時期が限定されたり、分裂した運動の一方の立場に立った総括であり、日本で30年近くにわたって展開されてきた原水爆禁止運動の全体を対象としたものではない。一般的に、大会が分裂して開かれた昭和39年から51年までの期間の運動の意義は、分裂した大会の一方の当事者によっては無視され、第三者からは、両者ともに極めて不当に軽視されている。また、運動の総括は、しばしば、
分裂の責任あるいは運動の正統性に集中する傾向があり、そのことは運動の実態の把握を困難なものとしている。
本稿は、原水爆禁止世界大会の分析を対象とするものであるが、大会の論議に立ち入ることは意識的に避け、主としてその形式的側面からのアプローチを試みた。また、大会が分裂していることにではなく、大会が分裂してではあれ開催されつづけてきたことを重視する立場をとった。こうした方法によって明らかにできる日本の原水爆禁止運動の性格や意義は、おのずと限られたものであろう。本稿の意図は、すでに28回を数える大会を、大会の継続開催、大会の課題、大会の基盤という三点から整理し、今後の運動の本格的な分析に資そうとするものである。

「被爆体験」の展開

「被爆体験」の展開――原水爆禁止世界大会の宣言・決議を素材として(『芸備地方史研究 140・141合併号』、芸備地方史研究、19830531)

内容

はじめに
原水爆禁止と被爆者救援
第1図 第1回大会宣言における原水爆禁徒と原爆被害の関連
運動分裂後の展開
2-1 原水爆被害者
第1表 宣言・決議(1955~62年の大会)に現れた原水爆被害者の用例
第2表 宣言・決議(1963~76年の大会)に現れた原水爆被害者の用例
2-2 原爆投下責任の追求
第2図 第14回大会における原水爆禁止と原爆被害の関連
第3表 大会決議の標題にみえる救援と援護法
2-3 「被爆体験」の新展開
第4表 大会宣言・決議に現れた原水爆被害者(被爆者およびABCCなど被爆者関連機関・制度を除く)
おわりに
第3図 原爆手記の掲載書・誌数と手記数の年次別変遷(『原爆被災資料総目録第3集』原爆被災資料広島研究会、1972年 より作成)
第5表 原爆手記の掲載書・誌数と手記数の発行主体別変遷

はじめに

「被爆体験」を原爆被害の組織化と思想化を契機に形成される社会的体験としてとらえるならば<1>、ビキニ水爆被災事件は、その全国的展開の出発点であった。1954年3月以降国会をはじめ全国の議会で採択された決議や全国各地で展開された署名運動は、そのほとんどが水爆実験禁止ではなく原水爆禁止を訴えていた<2>。また、1955年8月に開催された第1回原水爆禁止世界大会は、原水爆被害者救援運動を原水爆禁止運動と密接不可分のものとして位置づけた。こうした中で原爆被爆者自身による原爆被害の組織化と組織化か急速に進んだ。たとえば、広島県内の原爆被害者の組織状況をみると、1955年5月頃には約300名(原爆被害者の会々員数)ほどであったが、56年2月には「数個の団体、二千名程度」となり、同年一一月には「一七郡市及び広島市(12団体)約2万名」が組織されている。こうした55年5月から11月にかけての原爆被害者の組織化の急速な発展は、原水爆禁止運動の力によるものであった<3>。一方、広島県原爆被害者団体協議会の結成(1956年5月27日)につながる広島県原爆被害者大会(56年3月18日)および日本被団協の結成総会となった原水爆被害者全国大会(56年8月10日)の決議は、その第一項でそれぞれ「原・水爆禁止運動を促進しよう」、「原水爆とその実験を禁止する国際協定を結ばせよう」と述べていた。これは、原爆被害者レベルでの「被爆体験」が原水爆禁止と密接に結合していることか示すものである。原水爆禁止運動は、一方で、原爆被害者の「被爆体験」形成の契機になるとともに、原爆被害者の「被爆体験」を核にしながら、独自の「被爆体験」を発展させていく。本稿の課題は、原水爆禁
止世界大会の宣言・決議を素材として、日本における原水爆禁止運動の中で展開された「被爆体験」をあとづけることである<4>。なお、1977年以降の統一大会および独自大会は、本稿の対象としなかった。

<1>拙稿「日本における原水爆禁止運動の前提-『被爆体験』の検討-」(『日本史研究』236 1982年)。
<2>拙稿「日本における原水爆禁止運動の出発一1954年の署名運動を中心に―」 (広島大学平和科学研究センター『広島平和科学5』1982年)。
<3>「原爆医療法の成立」(『広島大学原爆放射能医学研究所
年報』23号 1982年)。
<4> 被爆者問題については、田沼肇『原爆被爆者問題』(新日本出版社 1971年)、伊東壮『被爆の思想と運動』(新評論 1975年)の労作がある。また拙稿「原水爆禁止世界大会に
関する覚書」(『広島県史研究』第8号 1983年)は、日本の原水爆禁止運動を大会の形式的側面から検討したものであり、これを総論とすれば、本稿はその各論に当たる。

 

広島県原水協年表(1983年)

広島県原水協年表(1983年)

月日 事項 備考
広島市職員労働組合, 「広島・ヒロシマ―第 3次広島市政白書」を発行.
0125 -26 劇団「月曜会」, 広島の見真講堂で「閃光の遺産―浅野泉邸殺人事件」を上演.
2.11-13 第 6回広島県高校生平和ゼミナール.
2.25 ローマ法王平和アピール碑除幕.
3. 6 峠三吉の没後30年を記念して「碑前祭」. 広島平和公園に 200人が参加.
3.24 福山の「平和をつむぐ人の会」, 対話集会「核戦争の危険は, 私たちは平和のために何ができるか」を開催.
3.25 安芸郡府中町, 非核宣言一周年を記念して「非核講演会」を開催.
3.26 呉原水協主催「エンプラはもう日本へ来るな, 核積載艦は呉港に来るな呉集 会」. 21台の車で市内をパレード.
4.10 安芸郡府中町の原爆体験を語りつぐ会, 証言集「きのこ雲を見た町から」を発行.
4.30 広島市中央公民館で「峠三吉と広島の青春―講演と朗読のつどい」. 講師増岡敏和約 120人参加.
5. 1 峠三吉没後30周年記念事業委員会, 「原爆詩集」・「われらの詩」・「反戦詩歌集」の復刻版を発行.
5.21 広島県原水協など, 北海道演習に出発する自衛隊13師団に海田駅前で抗議. 6. 6 広島県母親連絡会, 呉・東広島の基地を調査.
6. 8 10フィート映画「歴史―核狂乱の時代」, 広島市内見真講堂で公開. 10日, 福山市中央公民館で.
6.18 広島市で中国 5県原水協ブロック会議.
6.18-19 第10回全国平和教育シンポジウム.
6.21-30 広島市平和記念館で峠三吉遺品展.
7. 9 広島県原水協理事会.
7. 9 西本願寺別院でシンポジウム「平和を願う念仏者の集い―核兵器廃絶へ向けて」. 約 400人参加.
7.10 広島県原水協・市原水協, 平和公園原爆慰霊碑前で核兵器廃絶, 米核積載可能艦ニュージャージー・カールビンソンの日本寄港に抗議して座り込み.
7.11 83年世界大会準備委主催平和大行進(広島―長崎コース), 広島市平和公園をスタート.
7.16 広島市職員労働組合第58回定期大会, 広島市が「非核ヒロシマ宣言」をするよう求める「特別決議」を採択.
7.24 広島県原水協など 5団体, 「核艦船入港反対 4・24呉集会」を開催. 40人が参加.
8. 2-5 創作劇「河」公演. 見真講堂で. 広島での公演は10年ぶり 4度目.
8. 5 安芸郡府中町, 「非核都市の輪を広げよう―組織づくり準備会」を開催.
8. 5 日本原水協・中国 5県原水協主催「原水爆禁止1983年・ヒロシマのひろば」6000人参加.
8. 5 広島市似島で原水爆禁止少年少女のつどい. 400人参加.
8. 6 広島平和記念式典に出席した中曽根首相, 原爆養護ホーム「舟入むつみ園」で「病は気から」と発言.
8. 6-8 83平和を築く文化のひろば. 福山市民会館を中心に開かれ, 1000人を超える市民が参加.
8.27-28 ヒロシマ被爆二世の会, 広島平和記念館で「原爆映画フィルムマラソン」を開催.
9.11 新日本婦人の会広島県本部第14回大会. 被爆国(県)が世界に向かって非核宣言を行うよう求めた「特別決議」・「広島の婦人へのアピール」を採択. 9.14 日本被団協, 中曽根首相が「気は病から」発言の非を認めないことに抗議の声明.
9.23 広島県被団協第20回定期総会.
10. 1 呉原水協・呉平和委員会, 「米原子力空母カールビンソン日本入港抗議, 日米共同演習反対全国連帯呉行動」を展開.
10.30 「府中町平和のためのつどい」主催「平和行進と講演の集い」. 約80人参加10.30 ヒロシマ被爆二世の会, 平和公園の峠三吉詩碑の前で「ヒロシマの青春群像―いまなぜ峠三吉を受けつぐのか」を開催. 約50人参加.
1211 シンポジウム「未来を問う!被爆者援護法制定の意味―わたし達は何をすべきか」広島YMCAに約 100人が参加.

 

 

死者が語る戦争

『死者が語る戦争』(河出書房新社編集部編、河出書房新社、19830801)

内容

写真No. 撮影者
03 日中戦争
13 太平洋戦争
21 アウシュヴィッツ
29 沖縄
39 空襲
45 広島・長崎
66 松重美人
67 宮武甫
68 中田左都男
69 中田左都男
70 中国新聞社
71 山端庸介
72 山端庸介
73 山端庸介
74 山端庸介
75 山端庸介
76 山端庸介
55 朝鮮戦争
63 ベトナム戦争
71 アフリカ諸国
79 エルサルバドル
87 ベイルート

 

10フィート映画世界を回る

『10フィート映画世界を回る』(永井秀明、朝日新聞社、19830730)

目次

章節 見出
序章 出会い
1 衝撃的な出会い
2 旅の概要
第I章 旅立ちまで
4  被爆者を求めて
5  フィルムの中の被爆者
6 被爆者はいま
7 証言者への軌跡
第II章  ヨーロッパの旅
8  反核の波の高まるヨーロッパに入る
9  東西緊張の最前線、西ドイツ
10 オランダの反核兵士と難波博士
11 東西両陣営の接点 フィンランド
12 非核自治体宣言のすすむイギリス
第III章 アメリカの旅
13 核凍結運動とニューヨーク
14  カナダ国立美術館
15 シカゴの平和資料館
16 セツコ・サーローの軌跡
17  再びニューヨークで
18 アマーストのハートマン牧師
19 ネルソン兄弟の活動
第IV章  旅は続く
20  片岡ツヨ、バチカンに立つ
21 キリスト教3大指導者に会う
22  世界を回るフィルム
10フィート運動の歩み-広島を中心に
あとがき
参考文献
10フィート映画リスト

 

カール・マイダンス 激動日本の目撃者

『カール・マイダンス 激動日本の目撃者1941~1951』(三木淳監修 、ニッコールクラブ、19830301)

内容

002 フォトジャーナリスト<カール・マイダンス> ライフ写真家の経歴より
004 写真家カール・マイダンス 妻である立場を離れて彼の写真が歴史の中でしめる位置を考える シェリー・マイダンス
原爆投下跡を空から見る 長崎
2年後のヒロシマ
戦後最初に生産された三輪自動車 1947年 広島にて
被爆した墓地の壊れた水道から水を汲む老婦人
広島から2年後の広島の人たち
背中のケロイドが原爆の恐怖を如実に示す[吉川清]
ヒロシマの被爆者1号といわれる吉川清さん 1947年 現在も入院中
122 インタビュー:マイダンス夫妻 写真、戦争、そして家庭を語る (聞き手および写真・三木淳)
127 あとがき 三木淳(ニッコールクラブ会長)

 

年表:原爆展(1983年)

年表:原爆展(1983年)

記事
01 31 広島原爆資料館、5月にデンマークで開催される「日本展」で展示する被爆資料を発送。
03 11 東広島市の郷土史研究会、「東広島百年の歩み‐戦争と平和展」(市教委など主催)を同市で開催。「原爆」のコーナーも設置。
03 22 佐世保市で、「平和を求める市民文化展」開催。広島・長崎の被爆記録写真なども展示。
03 23 米国NGO(非政府組織)団体代表、米での被爆資料展開催に向け資料選定などのため長崎市入り。
03 99 「平和を求める市民文化展」(於佐世保市、被爆写真なども展示)、使用していた市立中学校から借りたテントを、父兄からのクレームで返却。
04 99 昨年全国八都市で開かれた原爆写真展を紙上に収めた「母と子でみる広島・長崎」、刊行。
05 05 デンマーク・コペンハーゲンで「日本展」開催。被爆資料なども展示。
05 06 日伯親善訪日使節団長、長崎市を訪れ、ブラジルでの原爆展開催について同市へ協力要請。
05 99 米の市民グループ広島・長崎原爆移動巡回展実行委員会から、米での「原爆展」開催について協力を要請する手紙が、長崎平和推進協会に届く。
05 99 国連広報センター今夏7月にジュネーブで“原爆と核の脅威展”を開催すると発表。
06 11 北海道の市民グループ、道内で原爆巡回展を開催。
06 11 国連広報局、ジュネーブで7月~8月に、原爆展を開くことを発表。
06 15 長崎市長、ニューヨークの国連本部での被爆資料の永久展示について外務省に早期実現へ向けて協力を要請。
06 23 長崎市長、東独での原爆写真展に参加の意向表明。
06 99 長崎市、スイス・ジュネーブで7月20日から開かれる「核兵器‐現代世界の脅威展」(国連欧州本部主催)での展示資料を発送。
06 99 国連欧州本部、広島・長崎市長にスイス・ジュネーブで開かれる“原爆と核の脅威展”に出席を要請。
07 01 「岩見沢平和を語る会」北道海岩見沢市で「原爆展」を開催。(3日まで)。
07 01 広島平和文化センター、米・オハイオ州の私立クリーブランド保健教育博物館に被爆資料を発送。9月からの同館での「原子・その危険性と有効性」展で展示。
07 05 広島市、スイスの国連欧州本部で開かれる「核兵器‐現代世界への脅威展」に、広島平和文化センター高橋事業部長らを派遺することを決定。
07 06 長崎市長、20日からのスイス・ジュネーブでの原爆資料展開会式に出席することが、決定。
07 20 広島・長崎両市、創価学会の協力で、スイスジュネーブの国連欧州本部で、被爆資料展「核兵器‐現代世界の脅威展」開催。(19日開会式)(8月21日まで)約3万人入場
07 22 ジュネーブでの原爆展に出席した長崎市長、帰任、同展の模様などを報告。
07 22 「市民が描いた原爆の絵展」、広島市船越公民館で開催(8月10日まで)。
07 23 ひろしま原爆被災写真展、広島市段原公民館で開催。(8月10日まで)
07 23 「平和のための戦争展」(戦争展実行委主催)大阪市で開催。被爆資料も展示。
07 25 スウェーデン、ゴーテンブルグ市で原爆展開催。(国際婦人平和自由連盟主催)(31日まで)
07 26 スイス・ジュネーブの国連欧州本部で開催中の原爆資料展に出席した広島平和文化センター事業部長ら、帰国、報告。
08 01 市民が描いた原爆の絵展、広島平和記念館で、開催。(31日まで)
08 02 広島市中区のNHK広島ロビーで被爆写真・原爆の絵など展示。
08 02 札幌市での原爆展を見た小中学生らの感想文、広島平和文化センターに届く。
08 04 第7回読売新聞連載〈戦争〉展、大阪市で開催。(15日まで)被爆資料も展示。
08 05 原爆絵画展、京都市で開催(10日まで)(京都YMCAなど主催)。
08 06 「第四回被爆直後の長崎写真展」(NHK長崎放送局主催)、長崎市で開催(14日まで)。
08 09 東独・ベルリン市で、原爆資料展を開催。(21日まで)
08 12 東独・マグデラブルク市から、長崎市議会議長に同市で開かれる原爆資料展への招へい状届く。
08 12 広島平和文化センター、広島・長崎の被爆資料49点を国連に発送。(ニューヨーク、国連本部での常設展示用)
08 17 長崎市長、外国での原爆資料展などに出席要請があった場合、被爆者を派遣することを検討したいとの意向表明。
09 01 東独・マグデブルグ市で原爆資料展開催長崎市長、開催式に出席。
09 03 原爆遺跡「聖アグネス像」、ニューヨークの国連本部に向けて発送。
09 05 東独マグデブルグでの原爆資料展開会式に出席した長崎市長ら、帰任、同展の模様などを報告。
09 14 「核兵器‐現代世界の脅威展」(国連広報局、国際原子11機関主催)、ウィーンで開催。広島・長崎の被爆写真、展示。
09 28 米・ニューヨークの国連本部で、広島・長崎の原爆資料常設展示開始。長崎市の被爆者、オープンセレモニーに出席。
10 03 東ドイツの社会主議統一党幹部、長崎市を訪問、8・9月の東独での原爆展への長崎市長出席について「感謝している」
10 04 米・ニューヨーク国連本部での被爆資料常設展示の開設式に出席した長崎県被爆者手帳友の会副会長、帰国報告。
10 05 ブラジル県人会の一行、里帰りで長崎市役所を表敬訪問。来年開催予定のブラジルでの原爆写真展について同市に協力を依頼。
10 11 長崎市、東独に原爆関係資料を永久貸与する旨を通知。
10 25 東独・日本文化協会総裁、長崎市を訪れ長崎国際文化会館などを見学。同総裁、長崎市での平和展の開催を同市長に申し入れ。
10 27 国連、「世界軍縮キャンペーン」へ、約7億円余の拠出を決定。広島・長崎被爆資料の常設展示などにも使用。
11 04 長崎市、西彼西彼町で「語りつごう原爆被災写真展」を開催。(県内10町を巡回、12月初旬まで)。
11 15 東独の子供たちから平和希求を込めた折りヅルなど、長崎市へ届く。(今夏の東独での原爆資料展への長崎市長出席に対する“答礼”)
11 28 「語りつごう原爆被災写真展」、長崎県諫早市で開催(12月4日まで)。
11 99 「広島・長崎原爆資料展」を見た仏の生徒らの感想文集、広島平和教育研究所に届く。
12 07 長崎市内の公立全中学校を対象にした「長崎原爆被災写真展」(市、市教委主催)、開始(1984・2まで28校を巡回)
12 12 長崎市・ニューヨーク、国連本部の原爆被災資料常設展示場の拡張に伴い、被災資料を発送。
12 13 広島市・ニューヨークの国連本部内の常設展示コーナーに被爆資料7点を追加発送。(9月末から常設)
12 22 7月に北海道・岩見沢市で開かれた原爆資料展のもようを伝える冊子「岩見沢原爆展の記録」、広島平和文化センターに届く。

 

資料調査通信(広島大学原医研)1983年

資料調査通信 1983年

第17号(1月号)-第28号(12月号)

 

分冊 記 事
17   1 国会論議の中の原爆被害 (8)第75-78回国会 1974年12月27日~1976年11月4日 1 9
17   1 トピック(秦野) ―「広島・長崎訪問者について」― 14 14
17   1 1982年新聞報道による「広島・長崎訪問者一覧」(外国人のみ)  14 15
17   1 被爆問題年表 1983年1月 10 13
17   1 文献・図書資料 1983年1月受け入れ分 16 22
18   2 国会論議の中の原爆被害 (9)第79-83回国会 1976年12月24日~1977年12月10日 1 6
18   2 被爆問題年表 1983年2月 7 13
18   2 文献・図書資料 1983年2月受け入れ分 14 18
19   3 国会論議の中の原爆被害 (10)第84-86回国会 1977年12月19日~1978年12月12日 1 9
19 3 請願雑感(石田) 7 9
19 3 被爆問題年表 1983年3月 10 17
19   3 文献・図書資料 1983年3月受け入れ分 18 28
20   4 国会論議の中の原爆被害 (補)第54回国会以前 1 11
20   4 トピック ―ひろしまフラワーフェスティバルと自衛隊パレード― 18 18
20   4 被爆問題年表 1984年4月 12 17
20   4 文献・図書資料 1983年4月受け入れ分 19 26
21   5 特集:被爆後1年間の広島~慰霊行事表(石田) 1 9
21   5 新聞によるミニ原爆映画史(秦野) No.1映画「エフェクト・オブ・ジ・アトミックボム「ヒロシマ・ナガサキ」に関して 1967.5~1968.1 10 14
21   5 被爆問題年表 1983年5月 15 22
21   5 文献・図書資料 1983年5月受け入れ分 23 40
22   6 特集:報道・原爆被爆者の死(石田)1 7
22   6 新聞によるミニ原爆映画史(秦野) No.2 映画「エフェクト・オブ・ジ・アトミックボム「ヒロシマ・ナガサキ」に関して 1968年 8 11
22   6 被爆問題年表 1983年6月 12 22
22   6 文献・図書資料 1983年6月受け入れ分 23 34
23   7 国会論議の中の原爆被害 (11)第25-41回国会 1956年11月12日~1962年9月2日 1 12
23   7 被爆問題年表 11983年7月 13 29
23   7 文献・図書資料 1983年7月受け入れ分 30 40
24   8 国会論議の中の原爆被害 (12)第42-54回国会 1962年12月8日~1966年12月27日(連載終わり) 1 13
24   8 文献・図書資料 1983年8月受け入れ分 14 31
24 8 新聞によるミニ原爆映画史(秦野) No.3 1969年2月~1982年10月 32 39
24   8 被爆問題年表 1983年8月 40 65
25 2 9 まどうてくれ 資料特集 1956年8~9月 1 27
25 1 9 まどうてくれ 藤居メモ(3)1956年8~9月 1 27
25   9 被爆問題年表 1983年9月 1 9
25   9 文献・図書資料 1983年9月受け入れ分 10 24
26 1 10 まどうてくれ 資料特集 1956年10~12月 1 57
26   10 被爆問題年表 1983年10月 1 10
26   10 トピック(秦野) ―「レーガン招請運動」 反核で盛り上がる西欧の裏側で― 11 15
26   10 文献・図書資料 1983年10月受け入れ分 16 26
27 1 11 まどうてくれ 藤居メモ(4)1957年1~2月 1 24
27 2 11 まどうてくれ (4)1957年1月~2月 資料つづき 25 54
27   11 被爆問題年表 1983年11月 1 9
27   11 文献・図書資料 1983年11月受け入れ分 10 21
28   12 被爆問題年表 1983年12月 1 7
28   12 連載記事一覧 1983年 8 14
28   12 文献・図書資料 1983年12月受け入れ分 15 27
28 1 12 まどうてくれ 藤居メモ及び関連資料(5)1957年3~5月 1 30
28 2 12 まどうてくれ 藤井メモ及び関連資料(5)1957年3月~5月 30 65

 

ひろしま修学旅行ガイド

『ひろしま修学旅行ガイド 世界平和に貢献する水と緑と文化のまち 』(広島市観光課・広島市観光協会編 刊、19830731)

目次

 頁
はじめに 荒木武(広島市長)
1 君はいくつの広島を見るだろうか
 6  広島のルーツたどってみよう
 14  広島のあゆみ
 16  頭の中に広島のデータを入れておこう
 17   ひろしまナンバーワン
 18   ピックアップひろしまシティ
18   中・四国圏をリードする90万人都市「広島」
 20   広島の母なる川・太田川
 22   世界に開かれた広島
 24   動く路面電車の博物館
 26  広島の都心には大きな公園が2つもある
 28 スポーツ王国・広島の代表は赤ヘルカープ
 30   海に向かって発展する広島
 ふるさと広島
 23 砂原美智子 25 若杉 慧 27 新藤兼人 31 原田真二
 32   自分の足で気軽に見てまわろう
 32   文化の道コース
 37   平和の道コース
  40 歴史の道コース
 43   水の都散策コース
 46   橋のコース
  49 グループで楽しむコース(サイクリングコース)
  52 瀬戸の小島めぐりコース
  55  東洋工業と黄金山のコース
 58   西部流通センターコース
  61 足をのばそう市内観光 番外編
  64 スケジュールに取り入れたい産業施設見学
 65   君に語りかけるヒロシマ
 66  あの日時計は8時15分で止まった
 67  原子爆弾の破壊力
 68  多くの児童・学徒たちも原子雲の下にいた
 69  被害者の一人としてヒロシマを語る
 72  年間130万人が訪れる 広島平和記念資料館
 73  いつまでも記憶の中にとどめておきたい
 77  平和について学び語りあおう 広島平和記念館
 80  ヒロシマを世界へアピール
 82  平和記念公園はヒロシマの原点
  86  私が見たヒロシマ
  87 もっと広くヒロシマを見つめよう
 88   フリータイムひろしま
 90   ひろしまの四季
 96   ひろしま味覚事典
 99  広島地酒の話
 100  広島伝統工芸事典
 101  広島流お好み焼き物語
 103   広島のむかし話
 105   ひろしまのことば・広島市の読みにくい地名
  106  広島の周辺みてある記
 107 三段峡・湯来温泉
 108   宮島
 110   岩国
  111  呉・江田島
 112  交通メモ
 114  広島駅ガイド・バス路線ガイド
 116  お問合せコーナー