「1996年」カテゴリーアーカイブ

反核運動1996

反核運動1996


フランスが、1月27日に南太平洋ムルロア環礁で核実験(昨年の核実験再開以来6回目)を実施したが、終了後、実験終結を宣言、その後ムルロアの核実験場の閉鎖に着手した。また、中国も、6月8日と7月29日に、ウィグル自治区ロプノルで核実験を実施、7月の実験後、核実験を凍結するとの声明を発表した。これにより、前年に引き続いて展開された両国の核実験に対する反対や抗議の運動は終息した。

今年には、世界の非核化に大きな進展があった。仏・米・英の3つの核保有国の南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)への調印(3月25日)、ロシアを除く核保有4カ国のアフリカ非核化条約(ペリンダバ条約)への調印(4月11日)がなされた。これにより、これまでに調印された南極(1959年)・中南米(トラテロルコ条約、67年)・東南アジア(95年)の各非核地帯条約と合わせ、南半球の大半が非核地帯で覆われることとなった。さらに、9月10日には、国連総会であらゆる核兵器の爆発実験やその他のあらゆる核爆発を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)が158カ国の賛成で採択された。

【核実験反対運動】

日本国内ではさまざまな団体が、仏・中両国の在日大使館への抗議デモや抗議文の送付を実施した。1月4-14日には、広島の市民グループによる「市民のフランス原爆展」が、パリ・リヨン・グルノーブルの3都市で開催され、約1000人の観客を集めた。また、2月6日-17日、連合や広島・長崎の被爆者団体など主催の「ヒロシマ・ナガサキ原爆資料展」が、パリで開催され、期間中に約9000人が見学した。

このほかに、長崎大学医学部有志が、ルモンド紙(1月27日付)に、1面を使った反核意見広告を掲載している。また、6月には衆議院(14日)と参議院(17日)が中国の核実験に抗議する決議案をいずれも全会一致で採択した。

【原水爆禁止世界大会】

原爆記念日前後、広島・長崎両市で原水爆禁止日本協議会(原水協)系の原水爆禁止世界大会が、それぞれ7500人、3000人規模で開催された。国際会議では「核兵器のない21世紀を=国際共同行動」を提唱した宣言が採択された。また、大会には核保有5カ国の核開発・実験・使用によって生じた放射線被曝者の代表が参加し、交流を深めた。

一方、原水爆禁止国民会議(原水禁)系の大会も、「CTBTから核廃絶へ」をメインテーマに、それぞれ5500人、2800人規模で開催された。連合・原水禁・核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)の合同集会(前年に続き2回目)、生活協同組合連合会の集会なども同じ時期に両市で開催されている。

【被爆体験の普及と継承】

広島・長崎両市は、昨年のスミソニアン協会航空宇宙博物館の被爆資料展示の中止問題を契機に、被爆の実相を伝えるため国内外の団体に原爆展の開催を呼びかけていたが、7月26日には政府主催による海外での原爆展開催を外務省に要請した。アメリカでは平和をめざす退役軍人の会が、広島・長崎両市の呼びかけに応え、8月20日から13日間、コロンビア市のスティーブン大学で原爆展を開催した。また、広島市は、8月27日-9月1日に新潟市で「ヒロシマ原爆展」が開催した。両市は、こうした国内外での原爆展を来年以降も継続的に開催することを計画している。

原爆展以外にも被爆体験の普及と継承をめぐる新たな動きが見られた。長崎市の原爆資料館が、4月1日に新装開館した。同館に展示された南京大虐殺など日本の加害を示す資料は、国内外に反響を呼び起こした。中国からは、新華社通信が開館を報道するなど好意的な反応が示されたが、同月23日、開館前からこの展示に反対していた長崎日の丸会などが「長崎の原爆展示をただす市民の会」を結成した。

平岡広島市長が8月6日の平和宣言の中で、「被爆資料の集大成」と「平和文化」の創造を訴えたが、宣言の中でこうした問題が取り上げられたのは、初めてのことである。広島では、12月に原爆ドームの世界遺産化の実現し、被爆体験の国際化が新たな形で進められようとしている。

広島・長崎両市は、数年前から平和公園一帯の整備を進めている。しかし、その一環として計画されたレストハウス解体(広島)、原爆落下中心地碑の撤去・立て替え(長崎)について、両市民の間で、これらの計画を撤回し保存を求める集会や署名運動が広がりを見せた。

【国際司法裁判所】

オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)は、世界保健機構(WHO、1993年11月決議)と国連総会(94年12月決議)の要請に基づき核兵器使用と威嚇が国際法に違反するかどうかの審理を続けていたが、7月8日、その判断を示した。それは、WHOの要請については、要請を提出する資格がないとして却下する一方、国連総会決議に対しては「核兵器使用または核兵器による威嚇は一般的には国際法違反」との勧告的意見を示したものであった。

この意見が、自衛目的の使用についての判断を避けたものであったことから、広島・長崎両市では、否定的な評価が目立った。しかしその一方で、ICJの意見を、核兵器廃絶を求める国際世論に応えたものとして評価し、これを足がかりとして核兵器廃絶をめざす動きが見られた。マレーシアなど非同盟23カ国は、10月31日、ICJの勧告的意見に基づき核兵器禁止条約交渉の早期開始を求める決議案を国連総会第1委員会(軍縮)に提出した。この案は、同月14日の委員会において圧倒的多数で採択された(日本政府は棄権)。

【チェルノブイリ10周年】

チェルノブイリ原発事故10周年のさまざまな行事が催された。4月9-12日には、IAEAと世界保健機構(WHO)・欧州連合(EU)の共催による同事故の影響と今後の対策について話し合う国際会議が、ウィーンで開催された。世界各国から約700人が参加したこの会議では、事故により放出された放射線が当初推計の3-4倍に及ぶことや事故後に発生した小児甲状腺がんの増加状況などが報告され、改めて事故の被害の大きさが確認された。

同月20日には主要7カ国(G7)とロシア首脳がモスクワで原子力安全サミットを開き、原子力平和利用で安全性を最優先させることやCTBTの早期締結などを柱とする声明と宣言を採択した。事故当日に当たる26日には、ロシアやウクライナなどで事故犠牲者の追悼行事が催された。ロシアでは事故犠牲者27人が眠るモスクワ郊外の墓地において、ロシア第一副首相ら約2000人が参列して追悼式典が挙行された。

【海外の動き】

4月1日から4日間、米・ネバダ大学ラスベガス校で米内外の反核・平和団体35組織から500人余が参加して核廃絶サミットが開かれた。また、4月24-25日にはNGO(非政府組織)国連軍縮会議が、「1996年-重大な転機にある軍縮」との全体テーマのもとにアメリカ・ニューヨークの国連本部で開催された。日本から、前者には原水協や日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表が、また後者には広島・長崎両市の代表が参加した。このほかに7月25-28日には、米マサチューセッツ州ウースターで核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の第12回世界大会が、42カ国から400人が参加して開催された。

平和記念式典後の総理記者会見19960806

平和記念式典(広島市)における総理記者会見19960806

[質問] 最初の質問ですが、国が計画している平和祈念館の建設理念に、国の戦争責任を明確にした上で、核兵器廃絶に向けた国の決意をそこに明記する考えはありますでしょうか。

[橋本総理] 原爆死没者追悼平和祈念館について、国は原爆死没者全体に対する永続的な追悼を行う、そして、永遠の平和を祈念すると同時に、原爆に関する資料及び情報を幅広く収集、整理をし、後代に継承していく、これを目的として広島と長崎につくうとしているものです。
この設置に当たっては、昨年11月、厚生省に設置しましまた原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会においてこの具体的な内容についての検討を行っていただいているところですが、本年の2月に公表されました「原爆死没者追悼平和祈念館基本設計に際して留意すべき事項について」という中で、祈念館の設置の理念については、日本国憲法の前文、被爆者援護法の前文及び第41条の精神とするとされております。
これから先、なお具体的な内容について検討会の中で御審議をいただきたいと考えているところです。

[質問] それでは次の質問に移ります。被爆者援護法について法の不備が指摘されていますが、今後、法改正の可能性はありますでしょうか。

[橋本総理] 平成6年に、被爆者援護法は制定された訳ですけれども、この法律は、被爆者の高齢化が進んでいること、そして、被爆者援護対策の充実・強化というものが喫緊の課題であることとともに、被爆後50年という節目の年を迎えることなどを考えて、国家補償という文言の取扱いを含めて政府与党内で精力的な調整を行いました。そして、国会で十分な御審議をいただいた上で成立をしたもので、今、見直すということを考えてはおりません。
この法律は、従来の原爆2法同様に、国内で被爆された方々を対象として立法されたものですから、国外の被爆者に対して、この法律を適用することは出来ない訳ですが、国籍要件を設けていないというところに一つの特色があります。言い換えれば、在外被爆者の方々でありましても、日本国内に滞在しておられれば、この法律は適用される訳です。また、国外に居住される被爆者の方々については、基本的には、その健康と福祉をあずかるそれぞれの国において対応していただくべきものだと思いますけれども、在韓国の被爆者の方々については、人道的な観点から、平成2年5月に、医療面で総額40億円程度の支援を行うことを日本側として意図表明をしてきました。そして、これを踏まえて、我が国政府から平成3年度及び平成4年度において合計約40億円、これを韓国赤十字社に対して拠出をしております。これが今実態として申し上げられることです。

[質問] 次ですが、被爆地と国では核兵器の違法性について異なった判断をしていますが、国際司法裁判所の判断に対する評価と、政府が海外で原爆展をしていく可能性があるかについてお尋ねします。

[橋本総理] 国際社会において、主要な司法機関ということになれば、国際司法裁判所、ICJということになる訳ですが、そのICJの判断については我々はこれを厳粛に受け止めておりますし、この勧告的な意見というものが核兵器の国際法上の評価に対して、今後いかなる影響を与えていくか、私どもとしては非常に注目をして見ているところです。
政府としては、このICJにおける口頭陳述で述べたとおり、核兵器の使用というものがその絶大な破壊力、殺傷力のゆえに、国際法の思想的基盤にある人道主義の精神には合致しないと考えてきました。いずれにしても、政府としては、人類に多大な惨禍をもたらし得る核兵器、我が国だけが広島と長崎においてその被爆の体験を持つ訳ですけれども、こうした核兵器が将来二度と使用されるようなことがあってはならない、そして、核兵器のない世界というものに向けて我々は努力をしていかなければならない。核兵器のない世界を目指した、現実的かつ着実な核軍縮の努力を積み重ねていくことが重要だと考えています。
そして、今原爆展についてお触れになりましたけれども、7月26日に広島市と長崎市から広島・長崎原爆展を国の事業とする御要望が外務大臣あてに提出をされたと報告を受けました。政府としては唯一の被爆国として、原爆の悲惨さ、そしてこれを繰り返してはならない、人類はそれほど愚かではないはずだという強い願いを後世に伝えていくことは本当に重要なことだと思います。
その上に立って、実際に国の広報活動、海外広報活動としてこれを行おうとする場合には、相手国、すなわち受け入れ国との関係などありますし、その開催の対応、規模、様々な要素を総合的に勘案しながら、具体的な案件ごとに検討していかなければならない性格のものだと、そのように思っています。

[質問] 先日シーリングの方が決定いたしましたけれども、今後、財政再建にどう取り組んでいく考えか、また、景気の本格回復に向けて、補正予算を求める声が出ておりますけれども、財政再建と補正予算についてどういう認識で総理はおられるかということをお伺いしたいんですけれども。

[橋本総理]<略>

[質問] 与党内には、総理の衆議院解散・総選挙の時期について、年内という見方が広まりつつある一方で、年明けの通常国会冒頭など、巷間いろいろ推測されているんですけれども、総理の基準として国民に信を問うタイミングとしてはいつ頃を考えているかというのが1点です。
あと、予算編成と解散・総選挙の関係とか、あと、総理は通産大臣の頃から解散を打てるような景気状況にすることが非常に大切なんだという言い回しをしてきたと思うんですけれども、年内解散、現時点では解散を打てるような景気状況にあるというふうに見ていらっしゃるのか、その辺のことも含めてお願いします。

[橋本総理]<略>

[質問] 最後に質問させていただきます。今お話のありました沖縄問題なんですが、この解決に向けまして現在政府与党で進めております振興策の進捗状況は現在いかがなものかということと、更に、この問題について、総理補佐官を置くことについて、橋本総理のお考えを聞かせてください。

[橋本総理]<略>

核に灼かれて 安芸地区被爆の記録

『核に灼かれて 安芸地区被爆の記録』(安芸地区被爆実相委員会)

第1集
第2集
第3集
目次
1 はじめに(1996.7.30)
2 各町の実相
B 矢野町
高山俊郎 原爆を目のあたりにして
広島高等師範学校附属中学校1年生
C 海田町
尾木正己 白島付近を通って
D 船越町
上田盈 私の原爆体験記
F 熊野町
田原詩郎 熊野町では
平和のために
中節二 槇尾さんを偲んで
奥村邦一 中節二さんに捧げる
金子一士 タヒチ集会に参加して
4 三村博保さん追悼集

 

 

ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来への記録

『ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来への記録』(被爆建造物調査研究会編、広島平和記念資料館、19960331)

目次

部章節 項目 備考
序章
Ⅰ部 図説編
1 被爆建造物の被害の概要
2 被爆建造物の全体像
3 図説
1. 平和記念公園・周辺地区
2. 紙屋町・本通地区
3. 銀山・幟地区
4. 基町・白島地区
5. 国泰寺・千田地区
6. 十日市・中広地区
7. 牛田・広島駅周辺地区
8. 比治山・仁保地区
9. 皆実・宇品地区
10. 吉島・舟入・観音地区
11. 己斐・草津地区
12. 三篠・祇園地区
 2部 概説編
1 原爆とその物理的影響
 2  被爆建造物の保存の意義を考える
 3  被爆建造物と都市
 4  被爆前の広島の建築文化
 5  被爆建造物の保存・継承のあゆみ
6  被爆建物と被爆者の医学的検討
 7  国民学校と被爆
 8  橋と被爆者
9  日本の戦争遺跡
 10  ヨーロッパの戦争遺跡
 3部 資料編
 年表
 被爆建物の変遷
 被爆建造物リスト
 原爆被災説明板の一覧

 

街と暮らしの50年

『街と暮らしの50年-被爆50周年 図説戦後広島市史』(高橋衛監修 被爆50年記念史編修研究会、広島市総務局公文書館、19960331 )

 

 

 

執筆等
刊行によせて (高橋衛)
第1部  写真でみる50年
003 1995年 平和宣言 (平岡敬)
006 広島の戦後は8月6日に始まった
017 被災調査と放射線障害
019 占領軍と広島
027 お母さん僕はここに立っています
029 槌音が響き、街はよみがえる
033 家が建ち、笑顔がもどる
035 活気みなぎる駅前ヤミ市
041 空から見た復興、昭和22年
043 広島 2年目の夏
048 街並みがよみがえる
051 街を考える
053 街並みを変える
059  一人もれなく投票だ
061  平和をデザインする
065  太田川改修工事
069 市民の暮らしと住宅の戦後史
073 復興した街
075 郊外の都市化
077 変わり行く都市空間
079 新しい住・商空間
081 戦後史のなかのランドマーク建築
083 市民の台所をささえる
085   届かなかったはしご車
089 都市圏の拡大と水道事業
091 ごみ非常事態宣言をこえて
095 市財政やりくりの記録
097 政令指定都市への移行
099 産業の復興
101 朝鮮戦争特需から造船ブームへ
103 復興を実感した広島博
105 自動車工業の戦後
107 あこがれのマイカー
109 高速経済成長と特産工業
111 造船不況から航空機生産へ
113 統計でみる生活の一面
115 農村のくらし
119 海辺のくらし
121 まちのくらし
139 原爆ドームのある風景
141 祭りと市民
145 子どもの笑顔に未来が見えた
157 狭められた子どもの空間
159 ぼくらのまいにち
165 戦後スポーツのスタート
167 たのしい運動会
169 東京五輪から市民スポーツへ
171 輝かしき学校運動部
173 カープを見つめるひとびと
177 広島アジ競技大会
181 原爆を描く
183 美術館
185 美術展と美術賞
187 原子雲の下の文学
191 演劇半世紀のドラマ
195 市民と音楽
199 チケット50年
203 地域のなかの公民館
205 映像のなかの広島
207 姉妹都市の歴史
209 カメラ少年の8・6
211 原爆犠牲者の追悼
213 被爆者援護
217 もえあがる反核運動
219 広がる反核の波
221 広島を訪れた外国人
223 被爆体験を知らせる
225 体験を伝える
227 継承運動が広がる
229 被爆建物さまざまなその後
231 新聞社会面のヒロシマ
233 切手の中の原爆
235 町の中の「平和」
239 平和記念式典のあゆみ
241 50年目の8月6日
第2部  50年おもなできごと  247~
 1945 8月6日のカメラマンたち/戦禍につづく冷風禍一枕崎台風/被爆直後の新聞報道 <残っていた戦時中の防火水槽 >
1946  復興審議会の設立と役割/本通商店街のあのころ一中山良一の遺稿から/食糧メーデー <雑草を食べて飢えをしのぐ >
1947 町内会・部落会・隣組の廃止一政令15号と市民生活一/初の公選市長・浜井市政の発足/「原爆十景」の選定 < 机がほしい、窓ガラスがほしい! >
1948  児童文化会館の建設/サマータイム/広島で生まれたエスキーテニス  <戦後初のプロ野球試合 >
1949 フロイド・シュモーと「ヒロシマ・ハウス」の建設/ノーマン・カズンズと国際精神 養子連動/海外布住者からの復興援助 <市民を悩ませた衛生害虫 >
1950 天気図がはじめて新聞に掲載される/開かれなかった平和祭/評判が悪かった平和祭/原爆ドームの史跡指定決議  <紙しばいが免許制になる >
1951  文化行事が盛んになる/第6回国民体育大会の開催 < 盗まれた平和の鐘>
1952 原爆死没者慰霊碑と碑文/戦後広島の演劇と広島民衆劇場 <バタンコの登場 >
1953 原爆文学論争  <ラ・パンセ像の出現>
1954 ビキニ事件と原水爆禁止運動/被爆体験記の刊行が活発化  <中国大動物園の盛況>
1955 文化施設の落成/戸坂・中由・井口3村の編入合併  <本通りのオーニング倒壊>
1956 「原爆の子の像」の建立/原爆乙女の渡米治療  <テレビ劇場の登場>
1957  百メートル道路と供木運動/交通事故の激増とノークラクション運動/バスセンターの開業  <第1回春季赤ちゃんコンテスト >
1958 広島復興大博覧会の開催  <平和公園でホタル狩り >
1959  ごみ焼却場の建設が始まる/ホノルル市との姉妹都市縁組 < 放水路工事で魚ピチピチ >
1960 原爆ドームの存廃論議/フェニックス号、広島に帰る <ユースホステルの開所 >
1961 広島空港の開港/「20歳の直言」募集始まる/戦後最大規模のメーデー  <レジャーブーム到来>
1962  「交通地獄から「交通戦争」へ/「二都物語」の波紋 <広島市の動物園 >
1963 38年豪雪と過疎化の波/失業対策事業の45年 <ヘルスセンターの隆盛 >
 1964 山陽本線の電化/原水禁運動の分裂と新しい展開 <東京オリンピックの聖火リレー>
1965 -66 三篠川の氾濫/陸上自衛隊の観閲行進/広島民衆駅の落成と開業/的場町河岸の強制立ち退き執行 <しぐさの社会史>
1967 -68 「原爆スラム」の火災と再開発/原爆ドームの保存工事完成/「原爆白書」運動と原爆被災資料広島研究会 <ミニスカートの大流行>
1969 -70 大学紛争と広大統合移転/原爆記録映画を市民の手で <大阪万博の大盛況 >
1971 -72 昭和40年代の広島市の公害/安佐動物公園の開園 <ポケベルの登場>
1973 -74 広域合併の推進/米国からの被爆資料の返還  <歩行者天国}
1975 -76 ごみ非常事態宣言/広島市植物公園の開園 <マンガブーム再び>
1977 -78 ひろしまフラワーフェスティバル/広島市西部開発事業の展開 <市民菜園が大人気 >
1979 文化行政の展開 <アメリカの「船上デパート」寄港>
1980 -81 政令指定都市広島の区名の決定/反核運動の新しい波10フィート連動/被爆瓦の発掘と「ヒロシマの碑」建立運動 <ドルトムント路面電車が広島に >
1982 -83 反核20万人集会/相生橋の架けかえ工事/段原再開発の工事が始まる <週休2日制始まる>
1984 -85 原爆死没者慰霊碑の改築/第1回ワールドカップ・マラソン広島大会/第1回国際アニメーションフェスティバル広島大会  <ハレー彗星を観る>
1986 -87 旧国鉄宇品線の廃止/アストラムラインの建設 < 平和記念ポストが平和記念公園に>
1988 -89 築城400年を迎えた広島城/海と島の博覧会開幕  <広島市現代美術館の開館 >
1990 -91 アニメと反核/台風19号の襲来 <「カラオケ花見」の自粛を >
1992 -93 米スミソニアン原爆展問題/新広島空港の開港毎 <サメ騒動 >
1994 広島アジア競技大会の開催/広島市立大学の開学 <カラカラ天気に泣く>
1995  広島市の被爆50周年記念事業 <ヒロシマエバヤマザクラ>
特論
323 1.占領下の広島 中川剛
325 2.プレス・コードとヒロシマ 好村富士彦
327 3.講和条約と広島 宇吹暁
329 4.広島の復興をどうみるか 石丸紀興
331 5.60年安保と広島 宇吹暁
333 6.戦後建築の変遷過程 杉本俊多
335 7.生活者からの都市づくり 阪神大震災から被爆後50年を考える 船場正富
337 8.戦後市政の特質 中川剛
339 9.高度経済成長と市民生活 高橋衛
341 10.広島の美術50年 金田晋
343 11.広島と音楽 広島と音楽
345 12.市民の活動にみる 広島のアイデンティティ 嶋陸奥彦
347 13.教室不足のなかの戦後教育 菅井直也
349 14.戦後の社会教育 新見豊
351 15.レジャーとスポーツの現在 新井貞光
353 16.被爆者援護とこの50年 宇吹暁
355 17.次の半世紀へ継承を考える 石田信夫
357 グラビア・50年目の広島
379 写真図版リスト
382 あとがき (松林俊一)
再版(20010731) ヒロシマの音楽「一本の鉛筆があれば…」CD付

年表:原爆展(1996年)

年表:原爆展(1996年)

記事
01 02 「市民のフランス原爆展」開催実行委員会一行8人(沼田鈴子・姜文煕など)、広島を出発。4日-14日、パリやリオンなどで展示会や被爆体験の発表会などを開催する予定。
01 04 広島の市民グループ「市民のフランス原爆展」開催の原爆展、パリ市内で開幕。-14日。
01 12 広島県被団協(伊藤サカエ理事長)などが2月にフランスで開催する「ヒロシマ・ナガサキ原爆資料展」の展示資料約1700点の通関手続き、広島税関支署で終了。瀬戸高行・坪井直・山岡ミチコの3人が被爆の証言をすることが決まる。
01 16 広島の市民グループ「市民のフランス原爆展」開催実行委員会のメンバーら8人、フランスから帰国。17日、市役所で帰国報告。4日-14日にパリ・リヨン・グルノーブルの3都市で開催した原爆展に約1000人が訪れたと語る。
01 18 広島平和教育研究所など、「戦争と原爆展」を呉市役所ロビーで開催。-23日。引き続き、広島・福山などあわせて県内7会場で開催。
01 24 連合長崎、来月にフランスのパリで「ヒロシマ・ナガサキ原爆資料展」を開催すると発表。
01 27 連合広島など、2月6日から11日間フランス・パリで開催する「ヒロシマ・ナガサキ原爆資料展」の壮行会を広島市内で開催。
01 29 平岡広島市長、今年にフランスでの開催を予定している原爆展の開催をパリのユネスコ本部で実施したい意向を表明。
01 29 平岡広島市長、橋本首相に対し、被爆の実相を伝えるため国家事業として海外で原爆展を開催するよう要請する考えを記者会見で示す。
01 31 「戦争と原爆展-幻のスミソニアン展、アジアから見た原爆」三次展、三次市教育会館で開催。県内の会場としては3番目。-6日。
02 03 坪井直・広島県被団協事務局長ら9人、フランスで開催する原爆展に出席のため広島を出発。
02 06 連合広島など、「ヒロシマ・ナガサキ原爆資料展」をフランス・パリで開催。広島・長崎の遺品など90点を展示。-17日。
02 13 伊藤長崎市長、日本政府の援助などで韓国慶尚南道に建設中の「被爆者福祉センター」に被爆写真など30点を寄贈する意向を表敬訪問した韓国人被爆二世に表明。
02 16? 「戦争と原爆展」、広島県尾道市で開催。-20日。
02 17 フランス・パリで開催された「ヒロシマ・ナガサキ原爆資料展」、閉幕。期間中9000人が入場。
02 21 連合長崎など、フランスのパリで開催した「ヒロシマ・ナガサキ原爆資料展」を終え、県庁で帰国報告。
02 22 伊藤長崎市長、来年3月にもドイツ・ビュルツブルグ市で長崎原爆展を開催することを明らかにする。
02 29 生野了連合広島事務局長らフランス・パリで開催された原爆資料展派遣団のメンバー3人、平岡広島市長に帰国報告。
03 01 連合長崎など、2月にパリで開催した「ヒロシマ・ナガサキ原爆資料展」の報告集会を長崎市内で開催。約100人が参加。
03 01 斉藤鉄夫(新進党)、衆議院予算委員会第3分科会で海外原爆展の国家事業化を要請。外務省、明確な意志表示を避ける。
05 21 平岡広島市長・伊藤長崎市長、ジュネーブで同市長と懇談、原爆展開催を打診。
05 25 大場充広島市立大学教授らがインターネットに開設した「原爆展」へのアクセスが80か国77万件となる。
05 25 ベンジャミン・ラドナー・米アメリカン大学学長、広島市を訪問し原爆資料館を見学。
06 10? 長崎市議会に原爆落下中心碑や長崎原爆資料館展示問題などに関する請願・陳情が相次ぐ。
06 13 米国スミソニアン航空宇宙博物館の新館長に元海軍中将のダナルド・エンゲンが就任。
06 30? 米国の「平和をめざす退役軍人会」、8月末にミズーリ州で開催予定の全国大会で広島・長崎両市の原爆展を開くことを決める。
07 10? 広島県府中市立図書館、「絵は語る-あの日のヒロシマ」展を開催。-29日。1974年にNHK広島が募集した絵を展示。
07 12 広島・長崎両市長が連名で、池田外相に政府主催の海外原爆展を開催することを計画していることが判明。
07 12 岡山市・西大寺地方原爆被爆者の会、岡山市立上道中学校で出張原爆展を開催。
07 13 福山市人権平和資料館、企画展「反核・平和運動に生きて」を開催。-8月4日。
07 15 舟橋喜恵広島大学教授・山田寿美子福島生協病院相談室長(広島県府中市の市民団体「ジュノーの会」の派遣)、8月上旬にキエフ市のチェルノブイリ博物館が開催する「キエフ原爆展」に展示する広島平和文化センター所蔵の「市民が描いた原爆の絵」
07 23 名古屋市の「被爆写真展を開く会」、スリランカの旧首都コロンボで原爆写真展を開催。6日間。
07 23 広教組・広島平和教育研究所・県原水禁など、「侵略と原爆展-日本は朝鮮・マレー半島で何をしたか」を広島市の県民文化センターで開催。
07 23 広教組・県高教組・県原水禁など、「侵略と原爆展-日本は朝鮮・中国・マレー半島で何をしたか」を県民文化センターで開催。-31日。
07 25 広島市立中央図書館、企画展「消えた街-心にのこる広島」を開催。-8月16日。
07 26 広島・長崎両市の関係者4人、外務省を訪れ、政府が海外原爆展を開催するよう要望。
07 31? 広島県大竹町郵便局で「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真ポスター展」開催。-8月8日。
08 01 広島市各区役所ロビーで原爆写真ポスター展。-9日。
08 02 上田正紀(広島県河内町在住の元小学校長)、写真展「ヒロシマ・オキナワ」を東広島市内のスーパーで開催。
08 03 広島池田平和記念会館、企画展示「もうひとつのヒロシマ」展を開催。-25日。
08 06 橋本首相、広島市の平和式典出席後の記者会見で、海外原爆展の開催に前向きな姿勢、また援護法改正は考えていないとの考えを示す。
08 06 ユーゴスラビア日本友好協会・セルビア人共和国日本友好協会、ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人支配地域最大都市バニャルカで原爆展を開催。
08 08 日中友好協会福岡支部など、「96平和のための福岡の戦争展」を福岡市内で開催。-11日。
08 09 橋本首相、長崎市内で記者会見。政府主催の海外原爆展に積極的意向を表明。
08 09 「長崎の原爆展示をただす市民の会」、原爆殉難者追悼集会を長崎市内のホテルで開催。約100人が参加。
08 09 末永浩、「アジアの戦争加害写真展」を長崎市内のギャラリーで開催。-13日。
08 19 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部、北朝鮮支部から8月6日に平壌で原爆写真展を開催したとのファックスを受け取る。
08 20 米国「平和をめざす退役軍人会」、ミズーリ州コロンビア市の私立女子大スティーブン大学で「原爆展」を開催。広島・長崎両市が協力。-9月1日。期間中、2700人が参観。
08 21 「96平和のための広島の戦争展」、県民文化センターで開催。-25日。
08 27 広島市・広島平和文化センター、新潟市の県民会館で原爆展を開催。-9月1日。期間中1万人以上が参観。
08 27 北海道標津町生涯学習センターで、「原爆写真展」を開催。-9月1日。
10 01 長崎市の惨状や復興過程を撮影した元米海兵隊エドワード・ロジャーズ(ロサンゼルス在住)の写真展、長崎原爆資料館で開催。-1997年3月31日。
11 26? 長崎市、シーボルト生誕200周年をきっかけに交流を深めているドイツ・ビュルツブルグで来年2月に原爆展開催を計画。
11 27? 広島平和教育研究所、市民からカンパを募って広島と長崎の被爆写真を海外の学校などに贈る「ひろしまピースネットワーク」運動を開始。
12 03 江並・米スティーブン大学常務理事、8月に開催された原爆展の報告のため長崎市長を表敬訪問。6日、平岡広島市長を訪問。
12 10? マーチン・ハーウィット元米スミソニアン航空宇宙博物館館長、原爆展中止の経過を詳述した「拒絶された展示」を出版。
12 13 平岡広島市長、来年3月にイタリアで長崎市と共同の原爆展を開催する計画を市議会で明らかにする。
12 18 「ピースボート」、世界一周の船旅に出発。広島の大学生ら3人、6寄港地での原爆資料の展示を計画。

 

『核と平和 日本人の意識』

『核と平和 日本人の意識』(庄野直美・永井秀明・上野裕久編、法律文化社 、19781201 )目次

章節 見出し
核意識研究の構想
1 研究の目的
2 調査項目の構成
従来の核意識調査の特徴
1 核問題世論調査の推移
2 世論調査に見る国民の核意識
2-1.原爆投下に対する態度 2-2.被爆者行政に対する評価 2-3.被爆体験の継承と政治への反映 2-4.原水爆実験に対する態度( 2-5.非核3原則に対する態度 2-6.日本の核武装の可否 2-7.原水禁運動の評価
3 平和教育に関する調査
3-1.小・中学校における調査(20)3-2.高等学校における調査(22)
広島・長崎と他地域における核意識の比較
1 中学生の場合
1-1.学校教育について(25)1-2.親と子の対話(26)1-3.原水爆に関する知識(27)1-4.憲法問題と人権問題(31)1-5.原水爆にかかわる態度や意見(32)1-6.核問題にかかわる政治への評価(36)
2 高校生の場合
2-1.学校の授業と家庭での対話(37)2-2.原水爆に関する知識(38)2-3.原水爆に関する意識(41)2-4.核問題に関する政治への評価(42)
3 父母の場合
3-1.原爆・戦争体験の話し合いや見聞(44)3-2.原水爆に関する知識(46)3-3a.原水爆にかかわる態度や意見(47)3-3b.安全保障政策に関する意見(50)3-4.政治と運動に対する評価(52)3-5.原子力発電所に関する態度と見解(57)
戦争体験と核意識
1 戦争体験の実態
1-1.体験率の地域による違い(61)1-2.体験率の学校群による違い(63)1-3.居住歴と被爆体験・学校群との相関(65)1-4.居住歴による核意識の違い(66)
2 戦争体験と核意識の相関
2-1.被爆体験の位置づけ(68)2-2.被爆・戦災体験と核意識(71)2-3.参戦・引揚げ・疎開等の体験と核意識(79)2-4.総括として(80)
平和教育と核意識
1 家庭の平和教育と子どもの核意識
1-1.親と子の意識の比較(83)1-2.家庭での話し合いと子どもの核意識(89)
2 学校の平和教育と子どもの核意識
2-1.学校群の比較(93)2-2.平和教育の内容・方法と子どもの核意識(100)2-3.知識と態度の相関(105)
3 核兵器否定の態度形成要因
3-1.原水爆問題への関心事項の影響(107)3-2.見聞の違いによる影響(110)3-3.原爆投下に対する態度(112)
性別・職業等の属性と核意識
1 1-1.従来の調査にみる女性の平和意識(115)1-2.今回の調査にみる男女の特性(118)1-3.核・戦争・平和の問題における性差要因(124)
2 年齢・職業・収入・学歴と核意識
2-1.年齢の違いによる意識差(131)2-2.職業の違いによる意識差(133)2-3.収入の違いによる意識差(135)2-4.学歴の違いによる意識差(136)
政治意識と核意識
1 政党支持と核意識
1-1.全般的にみた政党支持別の核意識(139)1-2.各論的にみた政党支持別核意識(142)
2 被爆者行政の評価と核意識
3 被爆3原則への態度と核意識
4 核防衛政策への態度と核意識
5 原水禁運動の評価と核意識
6 原子力発電への態度と核意識
憲法意識と核意識
1 憲法知識度と核意識
2 権利意識と核意識
3 戦争観と核意識
4 憲法第9条に関する意見と核意識
5 自衛隊に関する意見と核意識
6 安保条約に対する態度と核意識
核意識の構造-多変量解析
1 核意識の類型と林の数量化理論3類
2 父母の核意識構造
3 中学生の核意識構造
総括と提言
1 分析結果の総括
1-1.反核意識の普遍性と脆弱性(209)1-2.被爆問題と現代的核問題との相関(210)1-3.戦争体験の限界と重要性(211)1-4.女性の平和的本性(212)1-5.反核意識の形成と家庭の役割(213)1-6.反核意識の形成と学校の役割(213)1-7.反核意識の形成とマス・メディアの役割(214)
2 平和教育への提言
2-1.家庭の平和教育(214)2-2.学校の平和教育(216)
3 核意識世論調査と国際調査への提言
3-1.総合的核意識調査の重要性(220)3-2.核意識調査における留意事項(222)3-3.核意識国際比較調査の提案(223)
資料編
調査対象・サンプリング等
原水爆・戦争・憲法問題に関する調査(中学生・高校生)の地域別結果
原爆、核兵器、原子力、憲法問題に関するアンケート(父母)の地域別結果

戦後五十年広島県政のあゆみ

『戦後五十年広島県政のあゆみ』(広島県、19960301)

目次

編章節項 タイトル 備考
口絵
発刊にあたって 藤田雄山(広島県知事 )
第1編 戦後50年のあゆみ
第1章 民主県政のはじまり
第Ⅰ節 戦争の終結
1. 県土の壊滅
(1)県庁の壊滅 (2)戦禍に続く台風禍
2. 被災者の援護と連合軍の進駐
(1)被災者の援護 (2)進駐軍対策
第Ⅱ節  県政の民主化と地方自治体制の確立
1. 民主化への取組
(1)初の公選知事誕生 (2)親しまれる県政 (3)公職追放
2. 財政健全化への努力
3. 新警察・消防制度の発足
(1)国家警察から自治体警察へ (2)市町村消防制度の発足
4. 教育の民主化
(1)教育委員会の発足 (2)6・3・3制の発足 (3)社会教育の復活
第Ⅲ節 経済の民主化と都市・農山漁村の復興
1. 農地改革
(1)農地委員会 (2)農地の買収・売渡し
2.食糧危機と増産 21
(1)食糧の確保 21
(2)緊急開拓 23
(3)生産技術指導
3食糧・衣料品・日用品の配給
4.広島市戦災復興区画整理事業
第Ⅳ節 戦後社会の復興と新たな展開
1.戦後の援護対策
(1)救済援護態勢の整備と対応 31
(2)住宅対策 32
(3)失業対策
2.県民生活への新たな体制づくり
(1)福祉3法等の成立と対応 34
(2)衛生行政の対応 36
(3)労働3法の成立と対応
3.教育文化スポーツの復興
(1)県美展の開催 38
(2)国体と広島カーブ 39
(3)広島大学の開学、夜間部の開設と広島女子短期大学の設立 40
第2章 消費県から生産県へ
第Ⅰ節 生産県構想の推進
1.生産県構想
(1)生産県へのみち 46
(2)生産県民運動 47
(3)第2次計画
2.農林水産業の振興
(1)地帯農業の確立と農業技術の振興 48
(2)年間1万haの造林 51
(3)水産業の振興 52
(4)団体の育成と制度資金 53
(5)新農山漁村の建設
3.臨海工業地帯の造成と商圏の拡大
(1)軍用施設の転換 57
(2)日本鋼管の誘致 59
(3)広島港,尾道糸崎港港湾地区の整備 61
(4)民間貿易の再開と国内販路の開拓 63
(5)中小企業の振興 64
(6)工業試験場の整備
4.交通網の整備
(1)幹線道路の整備 66
(2)1万トンバースの整備 67
(3)広島空港の開港
5.水資源開発と治山治水
(1)芸北特定地域の電源開発 68
(2)ダム建設促進 71
(3)治山治水
第Ⅱ節 市町村の廃置分合と郡の区域変更
(1)市町村合併の推進 74
(2)新市町村建設促進 75
(3)第2次の大型合併 76
(4)郡の区域の変更
第Ⅲ節 県民生活の増進と教育の振興
1.原爆被爆者対策
(1)原爆医療法に基づく援護 79
(2)原爆病院の開院
2.結核予防の取組
(1)予防対策の強化 80
(2)保健所・県立病院の整備拡充
3.教育文化施設の整備
(1)高等学校の新増設 82
(2)専門教育機関の設置 84
(3)社会教育施設の整備
4.国連軍引揚対策
5.海外移住の再開
第Ⅳ節 県行政基盤の整備
1.基町へ県庁移転
2.3年連続の赤字決算
3.戦後改革の見直し
(1)公職追放の解除 92
(2)県警察の創設 93
(3)教育の再編
第3章 県勢の均衡ある発展
第Ⅰ節 地域の均衡ある発展と基盤の整備
1.広域開発と大規模プロジェクトの推進
(1)広島広域都市圏と備後地区工業整備特別地域 98
(2)水源の確保 99
(3)工業用水道 101
(4)国道バイパス,港,鉄道の整備
2.農山漁村の振興
(1)農林漁業の構造改善 105
(2)農山漁村地域の開発 109
(3)大規模林業圏 110
(4)内陸工業団地の造成 111
(5)試験場の整備
3.中小企業の振興
(1)工場・店舗などの集団化 115
(2)職業訓練の充実
4.行政執行体制の整備
(1)行政組織の改編 118
(2)電子計算組織の導入 119
(3)公営企業関係組織の整備 120
(4)公社・事業団の設立
第Ⅱ節 健康で快適な生活環境
1.住宅と生活環境施設
(1)住宅建設計画の推進と住宅団地の造成 123
(2)広島市基町地区再開発 124
(3)広島市内の河川不法占用 125
(4)生活環境施設の整備
2.公害防止対策の展開
(1)公害防止対策の推進 127
(2)瀬戸内海の水質保全
3.自然環境保全行政の開始
(1)自然環境保全の取組 131
(2)緑化の推進と自然公園などの整備
第Ⅲ節 同和対策の総合的推進
1.推進体制の整備
(1)同和対策審議会答申までの取組 135
(2)県同和対策基本方針の策定
2.同和対策事業の計画的推進
(1)生活環境の整備 137
(2)社会福祉と保健衛生の充実 138
(3)産業の振興と就業機会の確保 139
(4)啓発活動の推進
3.同和教育の推進
(1)推進態勢の充実 140
(2)同和地区児童生徒の進路保障 141
(3)社会同和教育の充実
第Ⅳ節 幸せな県民生活づくり
1.福祉保健行政の本格化
(1)西条福祉団地の整備 145
(2)原爆被爆者,毒ガス障害者対策の充実 145
(3)献血の推進
2.青少年育成と教育・文化施設の充
(1)健全な青少年の育成 148
(2)障害児教育施設の全県的整備 150
(3)教育センターの整備 151
(4)全国高等学校総合体育大会の開催 151
(5)美術館の建設と縮景園の整備
3.総合交通安全対策の推
4.災害への対応
(1)豪雪災害と防災対策の整備 155
(2)豪雨災害と防災行政無線の整備
5.明治百年記念事業
(1)県民の森の整備 157
(2)県史の編さん
第4章 住みよい地域社会の形成
第Ⅰ節 地方の時代とコミュニティづくり
1.地方の時代
(1)市町村自治の強化 164
(2)広報広聴活動の充実
2.コミュニティづくりの推進
(1)コミュニティづくり推進体制の整備 165
(2)コミュニティ活動の促進
3.文化行政の総合的推進
(1)県民の文化活動の促進 169
(2)草戸千軒町遺跡とみよし風土記の丘
第Ⅱ節 不況対策と地場産業の振興
1.構造不況への対応
(1)中小企業構造不況業種への対応 173
(2)特定不況地域振興総合対策の推進
2.地域産業の振興
(1)水田の総合的利用の促進 174
(2)農業の担い手対策 178
(3)栽培漁業センターの整備 180
(4)地場産業の振興
第Ⅲ節 県民生活の安定と福祉社会への前進
1.県民生活の安定
(1)県民生活安定緊急対策本部の設置 183
(2)消費生活条例の制定 183
(3)土地利用対策
2.資源問題への対応
(1)省資源・省エネルギー 186
(2)水資源開発の促進
3.福祉社会への前進
(1)県立病院の整備と保健医療計画 188
(2)救急医療の体系的整備1 89
(3)へき地医療の拡充 190
(4)社会福祉計画と大規模社会福祉施設等の整備 191
(5)在宅福祉対策の充実
4.私学助成の強化
第Ⅳ節 新しい地域社会の形成
1.魅力ある地域社会の建設
(1)賀茂学園都市 197
(2)備北新都市圏 198
(3)広域市町村圏振興計画
2.自然環境の保全と創造
(1)緑化センターの設置と自然歩道 200
(2)自然公園大会と全国野鳥保護の集い 200
(3)松くい虫の防除
3.生活環境の広域化
(1)県営広域水道 203
(2)流域下水道の整備 205
(3)産業廃棄物処理
第5章 21世紀広島の基盤づくり
第Ⅰ節 基幹的交通体系など社会資本の整備
1.高速交通時代への対応
(1)新広島空港整備 212
(2)空港の活用とコミューター化 213
(3)高速自動車道と30分道路網整備 215
(4)新幹線新駅の設置支援
2.国際化等に対応した港湾整備
(1)国際港湾広島港の整備 217
(2)流通拠点整備と都市再開発用地の確保
3.情報ネットワークの整備
第Ⅱ節 産業の活性化と個性豊かな地域づくり
1.技術立県の構築
(1)技術開発の促進と情報機能の強化 221
(2)広島中央テクノポリス 223
(3)新たな企業立地の促進
.農山漁村地域の活性化
(1)いきいき農業ひろしまの展開 225
(2)チャレンジ林業ひろしまの展開 228
(3)マリンピア芸南と豊かな海づくり大会 229
(4)離島架橋の整備
3.個性豊かな地域づくりと観光・イベントの振興
(1)特色を生かした地域づくりへの支援 232
(2)瀬戸内中央リゾート地域の整備 233
(3)SunSunひろしまスタート 234
(4)海と島の博覧会の開催 235
(5)景観の保全と創造 237
(6)大規模公園の整備
第Ⅲ節 豊かな県民生活づくり
1.あたたかい地域社会の実現に向けて
(1)21世紀の高齢社会への対応 242
(2)広島県立保健福祉短期大学 243
(3)暴力追放への取組 244
(4)野生生物の保護
2.男女共同参画社会の実現
(1)男女共同参画社会の実現 246
(2)女性総合センター「エソール広島」の建設
3.教育の振興
(1)学校教育の充実と生涯学習の推進 248
(2)広島県立大学の開学 250
(3)広島女子大学の再編整備
4.文化・スポーツの振興
(1)地域文化の創造 253
(2)文化施設の整備 254
(3)県立総合体育館の整備
第Ⅳ節 行財政改革の実施と民間活力の活用
1.行財政改革の推進
(1)行革大綱の策定と実施 257
(2)行政組織活性化方策 258
(3)公文書の公開と個人情報の保護
2.民間活力の導入
第Ⅴ節 国際交流・協力や国際平和の推進
1.国際交流・協力の推進
(1)中国四川省との交流 263
(2)国際化推進プラン21の策定 264
(3)国際経済交流の促進
2.国際平和の実現に向けて
(1)国際平和年記念事業 266
(2)第12回アジア競技大会の広島誘致と開催
むすび 日本で一番住みやすい生活県を目指して
第2編 座談会 戦後50年の回想
第1部 民主県政のはじまりと生産県構想
終戦直後の広島県政と新たな体制づくり 281
終戦直後の災害復旧と広島市の戦災復興 283
食糧の確保と農地改革285教育制度の改革 287
町村合併の促進 290
生産県構想の推進
第2部 経済の高度成長と地域の均衡ある発展
臨海工業地帯・都市圏整備 298
過疎過密問題への対応 309
水源の確保と県営広域水道 315
昭和38(1963)年1月豪雪と昭和47(1972)年7月豪雨
第3部 地方の時代と福祉・保健の展開
地方の時代への対応 324
こころ豊かな人づくり 329
同和対策の推進 332
保健医療体制と大規模社会福祉施設の整備
第4部 地域の活性化と国際化時代への対応
技術立県の構築 344
高等教育機関の整備と地域おこし 350
高速交通網の整備 353
国際化時代への対応
第3編 年表・付表
年表 365
付表 419
主要参考文献 435
表・図版リスト 436
写真リスト 439
編集を終えて

波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂

『波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂』(金本邦夫著、財団法人富士社会教育センター刊、19960520刊)目次抄

章節
出版に寄せて
はじめに
1 小さい頃と両親のこと
2 小学校時代のこと
3 青年団活動
4 大東亜戦争のこと
4-12 原爆と終戦
5 音戸町体育協会のこと
6 全力つくした町議会議員
6-1 戦後第1回統一地方選挙に出馬。<音戸町議員>
6-2 戦争未亡人救済の町営授産場設立に努力
6-3 町立保育所の設立を実現
6-4 音戸高等学校誘致に死力をつくす
7 呉造船労働組合時代 労働運動に生涯をかける決意
7-1 労働運動に入るきっかけ
7-2 給料遅配に特別交渉委員。出征兵士見送り同様の壮行会で上京
7-6 全国初の厚生年金還元融資の串山住宅
7-7 中国労災病院呉誘致に一役買う
7-9 呉造船独立と労働組合
7-10 生協売店市中進出反対デモの応対。本部建設に一役、音戸取次所を自宅に
7-12 労働組合長に就任
7-13 年満者夫婦の招待慰安旅行の実施
7-16 組合特自の共済規定の実現
7-17 家族会の結成と家族相談室の設立
7-19 年満者引続き雇用を要求・遂に呉船産業株式会社設立を実現
7-20 毎日新聞全国版(1961年2月4日)に40代の顔として紹介される
7-22 組合結成十五周年記念事業として十五年史発刊と会館建設を実施
8 広島全労議長として活躍
8-1  造船総連、総同盟等の上部役員
8-2  広島全労議長に就任
 8-3  県関係の各種委員に任命される
 8-4  日本生産性本部米国派遣視察。労働者チーム十二名の団長として
 8-4-1  出発に郷里で見送り壮行会
 8-4-2  いよいよアメリカ、主要都市周辺のこと
 8-4-3  労働組合が国旗と組合旗を尊重
 8-4-4  徹底している産業別組織の確立。大手鉄鋼会社で県出身二世課長の案内
 8-4-5  組合大会を見学、幹部と懇談。働きすぎの日本におひやかされる
 8-4-6  日系人のこと
 8-4-7  手土産と家庭訪問
 8-4-8  余話
 8-5  最賃法裁判で基準局賃金課長を激励
8-7-1
 8-6  憲法調査会の公述人として意見陳述
8-7 核禁会議の結成で原水協とテレビ対決
8-8 労済、労住、労福協の結成
8-8-1 植木仙次郎氏8-5の功績
8-8-2 広島県労働者共済生活協同組合の設立
8-8-3 広島県労働者住宅生活協同組合の設立10月
8-8-4 広島県労働者福祉対策協議会結成
8-8-5 結成周年記念式典の思い出
8-8-6 焼山政畝団地造成の思い出
8-8-7 音戸波多見竹田浜埋立団地に
8-9 労働争議の斡旋、調停、指導
8-9-1 西美電気西光精機(現テンパール工業)
8-9-2 府中町静養院の争議
8-9-3 ニコニコバスの争議
8-9-4 日東製網の争議解決に努力
8-9-5 佐竹新労結成は暴力を排除して
8-9-6 激しかった当時の労働争議
8-9-7 国鉄、電産のスト、労使に苦言
8-9-8 地労委としての私の基本的考えと携わった事件
8-9-9
8-9-10 メーデー改善を訴える
8-9-11 講演依頼やテレビ、ラジオの対談。常にマスコミの対象にされる
8-9-12 同盟会議結成の準備と全労議長退任
9 職場復帰で全力投球 社長表彰、更に営業で実績
10 PTA活動と小、中学校の分離推進で中学校建設に献身
11 生涯民社党を貫く
12 思い出深い選挙活動
まえがき
12-1 衆議院議員前田栄之助先生を支えて
12-2 民社党結党直後の衆院選、私に出馬要請されるも遂に辞退
12-3 永野巖雄先生とのかかわり
12-4 二区衆議院選に香河直祐氏。選対委員長を引受けて闘う
12-5 山田節男先生と私。参議院選挙と広島市長選挙
12-6 浜田光人先生、衆院選擁立について
12-7 保野健治郎先生の選挙
12-7-1 呉市長選擁立に社公民三党の話合い
12-7-2 二回目の市長選は未曽有の激戦
12-7-3 衆院二区に擁立して健闘。事務長を引受ける
12-8 小西博行先生擁立に主役。経緯と参院選
12-9 永末英一選対委員長来呉で二区衆院候補擁立について話合う
12-10 全国初の公民協力、勝谷勝弘氏を支援
12-11 盟友玉野晃君と県会議員選挙
12-12 玉野君病で引退説得を依頼される。後任混乱。私は苦しみ抜き、党のため遂に候補受諾
12-13 次期県議候補に柳田稔氏を説得
12-14 参院地方区佐々木秀隆候補は呉支部党員
12-15 呉市議選につくした私の役割
12-15-1 組合長在任中二回の補欠選挙に勝利
12-15-2 出崎文三氏をわが社社員で市議へ
12-15-3 榊原伍市議との交友
12-15-4 横田勝信市議とのこと
12-15-5 民社の申し子、重盛親聖市議。永年の結びつきと選挙を思う
12-15-6 組織外から森岡よし子氏擁立に一役。平成七年統一地方選に初の女性市議
12-15-7 成功しなかった市議選
12-16 川尻町長選に花田博幸氏、惜敗する
12-17 音戸町長選(平成五年)を思う
12-18 公職選挙法違反で留置場十九日。会社、団体等役員十九件を辞任
12-19 民社党候補者探しは私の役目として努力
13 会社設立し理想に向って
13-1 IHIを中途退職して外で行動
13-2 株式会社くれせん設立
14 家庭、家族のこと
15 大東亜戦争戦没者慰霊碑建設と老人福祉施設の建設を希求して
むすびに
金本邦夫略年譜

原爆被害相談員の会からの報告

原爆被害相談員の会からの報告(IPSHU研究報告シリーズ No.23 広島大学平和科学研究センター 1996年3月1 日)

 著者  タイトル
 相良カヨ(原爆被害者相談員の会) 被爆者とABCC
 三村正弘(広島県保険医協会)  原爆被害者援護法と社会保障の一考察
 若林節美(広島YMCA健康福祉専門学校)  被爆者は今
 船橋喜恵(広島大学総合科学部)  原爆被害者相談員の会の歩み