『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房、20110615 )
目次
部章 |
|
|
1 |
メディアの世界で |
|
1- |
衰弱する言論 |
|
1– |
“書き屋”の弁 |
|
|
吉川幸次郎氏 人間生活こそ文明 |
|
1— |
唯一の一面コラム |
|
|
天風録 |
|
1—- |
新聞界の苦悩 |
|
1—– |
「為人民服務」はどこへ |
|
2 |
朝鮮半島へのまなざし |
|
2-1 |
韓国の被爆者たち |
|
2-2 |
私の”朝鮮体験” |
|
3 |
原爆・平和をめぐって |
|
3- |
原水禁運動の混乱と後遺症 |
|
|
分裂と主導権争い 一九六一年の平和運動 |
|
|
一九六二年・平和理論の課題 |
|
|
被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』 |
|
|
今も消えぬ原爆のせん光 二十四年目の被爆者たち |
|
|
広島市の平和行政の展開 |
|
|
新しい生き方を |
|
|
痛烈な異議申し立て こうの史代『夕凪の街桜の国」(双葉社) |
|
|
被爆五十周年の広島 |
|
|
核兵器を禁止する国際法を |
|
|
世界各国で「原爆展」を |
|
|
二十一世紀におけるヒロシマの役割 |
|
|
ヒロシマからアジアへ 平和をつくる市民運動 |
|
|
癒しの空間 効率主義に抗して |
|
|
調査と医療支援の一体化 NGO「ヒロ・セミ」の活動 |
|
|
日本・カザフスタンの人々の連帯を強め核兵器廃絶の世論を |
|
|
事前説明が不充分か?不満を訴える被害者 |
|
|
前進する被曝者医療 第五次医療支援訪問を終えて |
|
|
カザフの聞き取り調査に対する所感 |
|
|
生き抜く人々 |
|
|
カザフの高麗人 |
|
|
広島と長崎の教訓を忘れるな |
|
|
私と原子力光と影を見つめて |
|
|
大胆な原子力政策の転換を ヒロシマからのメッセージ |
|
|
|
|
|
「ヒロシマ再考」ノート |
|
|
おわりに |
|
書誌2011
本・パンフレット
書名 |
著者 |
発行所 |
発行年月日 |
まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる |
大塚茂樹 |
旬報社 |
20110708 |
兵士たちの戦後史 |
吉田裕 |
岩波書店 |
20110726 |
広島、長崎、そして福島 |
直野章子 |
平凡社(新書) |
20111215 |
|
|
|
|
雑誌論文
広島大学平和科学研究―センター・原爆放射能医学研究所・広島大学文書館(共催)「第16回広島国際シンポジウム 広島の黒い雨と関連する課題」。開催日:20110112
情報元:広島大学平和科学研究センター”NEWSLETTER”2011年
平成23年8月6日広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
原爆死没者慰霊碑の奉安箱の原爆死没者名簿の概要
名簿に記帳された氏名 |
5785人 |
|
名簿登録者総数 |
275230人 |
|
名簿総数 |
100冊 |
|
参列者の概要
被爆者や遺族など |
約5万人 |
|
菅直人 |
内閣総理大臣 |
|
ブーク・イェレミッチ |
国連総会議長 |
|
遺族代表 |
都道府県 |
|
各国大使や代表 |
か国と欧州連合(EU)。核兵器国のアメリカ、イギリス、フランスを含む。 |
|
|
|
|
出典:『平和文化 No.179 2012年1月号』(広島平和文化センター)
広島市長平和宣言(下記参照)
http://www.city.hiroshima.lg.jp/
内閣総理大臣挨拶
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠(まこと)を捧げます。
そして今なお原子爆弾の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
六十六年前、ここ広島を襲った核兵器の惨禍を、人類は決して忘れてはならず、二度と繰り返してはなりません。私は、日本国政府を代表し、唯一の戦争被爆国として、究極的な核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、日本国憲法を遵守し、非核三原則を堅持することを誓います。
我が国は、「核兵器のない世界」の実現に向け、国際社会の先頭に立って取り組むと強く決意し、それを実践してきました。昨年、我が国が国連総会に提出した「核兵器の全面的廃絶に向けた共同行動」と題する決議案は、米国を含む過去最多の九十か国が共同提案国に加わり、圧倒的な賛成多数で採択されました。また、昨年の核不拡散条約(NPT)運用検討会議で得た合意を着実に実施するため、核兵器を持たない国々の地域横断的なグループである「核軍縮・不拡散イニシアティブ(NPDI)」を立ち上げました。こうした志を共有する国々との活動などを通じて、核軍縮・不拡散分野における国際的な議論を主導しています。
核兵器の悲惨な実態を将来の世代に語り継いでいくことは、我が国が世界に果たすべき歴史的な役割です。昨年、この式典で、私は「非核特使」の派遣を提唱しました。本日までに、広島で被爆された延べ十七名の方々が、地球一周証言の航海に参加されるなど、世界各地で、核兵器の悲惨さや平和の大切さを発信していただきました。非核特使の皆様の献身的なご協力に感謝申し上げます。また、被爆者の方々の協力を得て、被爆証言を外国語に翻訳し、世界各国に紹介する取組も始めました。核軍縮の機運を高めていく上で、市民の皆様の熱意と関心は欠かすことができません。皆様と共に、核軍縮・不拡散教育に関する活動を世界に広げてまいります。
原子爆弾の後遺症により、現在も苦しんでいる方々がおられます。政府は、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護策を講じてきました。
原爆症の認定を待っておられる方々を一日でも早く認定できるよう最善を尽くします。認定制度のあり方については、昨年十二月から有識者や被爆者団体等の関係者にご参加いただき、検討会を開催しています。今後とも、高齢化の進む被爆者の方々の声にしっかりと耳を傾けながら、被爆者の方々の援護に誠心誠意、取り組んでまいります。
本年三月十一日に発生した東日本大震災は、東京電力福島原子力発電所に極めて深刻な打撃を与えました。これにより発生した大規模かつ長期にわたる原発事故は、放射性物質の放出を引き起こし、我が国はもとより世界各国に大きな不安を与えました。
政府は、この未曾有の事態を重く受け止め、事故の早期収束と健康被害の防止に向け、あらゆる方策を講じてまいりました。ここ広島からも、広島県や広島市、広島大学の関係者による放射線の測定や被ばく医療チームの派遣などの支援をいただきました。そうした結果、事態は着実に安定してきています。しかし、今なお多くの課題が残されており、今後とも全力をあげて取り組んでまいります。
そして、我が国のエネルギー政策についても、白紙からの見直しを進めています。私は、原子力については、これまでの「安全神話」を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、「原発に依存しない社会」を目指していきます。
今回の事故を、人類にとっての新たな教訓と受け止め、そこから学んだことを世界の人々や将来の世代に伝えていくこと、それが我々の責務であると考えています。
結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々並びにご遺族の皆様の今後のご多幸を心からお祈りし、併せて参列者並びに広島市民の皆様のご健勝を祈念申し上げます。核兵器による惨禍が二度と繰り返されることのないよう、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に、全力で取り組んでいくことを改めてお誓い申し上げ、私のあいさつといたします。
平成二十三年八月六日
内閣総理大臣 菅直人
出典http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201108/06hiroshima.html
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。