核兵器禁止条約50カ国・地域批准報道(日本)
日本の新聞(10月26日1面掲載)
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| 日本の新聞報道(1面掲載20201026) |
| 中国新聞 |
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| 日本経済新聞 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
核兵器禁止条約50カ国・地域批准報道(日本)
日本の新聞(10月26日1面掲載)
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| 日本の新聞報道(1面掲載20201026) |
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『広島女学院大学の世界遺産学-』(広島女学院大学生活科学部生活デザイン・情報学科、広島女学院大学総合研究所、20080228)
目次
| 著者 | タイトル | 備考 |
| 宇吹暁・末永航 | はじめに | |
| 宇吹暁 | 世界遺産条約と世界遺産をめぐる動向 | |
| 田頭紀和 | 日本の誇る自然の美-日本の自然遺産とそのあり方- | |
| 堀田佳克 | 建築構造からみた世界文化遺産-工人の知恵と工夫の結集- | |
| 末永航 | ヨーロッパの世界遺産と世界遺産の未来 | |
2021年1月(日録)
丑 |
1945年8月6日から27542日 |
| <ピカ暦(ぴかごよみ)> <原爆資料館ロビーの地球平和監視時計> |
核兵器禁止条約元年 |
| 2021(令和3)年 |
元旦 |
| 日 | できごと |
| 04 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島女学院大学の世界遺産学」 |
| 05 | 新聞切り抜き「月忌」「WHO」関係の分類整理。 |
| 06 | 中国新聞「原爆手記刊行 75年間で6194冊 家族・市民 聞き書き担う」(西本雅実)。 |
| 07 | ヒロシマ遺文への投稿=「金正堂書店」 |
| 09 | ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器批准条約批准50カ国・地域批准報道(日本)」 |
| 12 | 厚労省のサイトから黒い雨関連のデータをダウンロード。 |
| 13 | ビキニ水爆被災事件関係データの整理。 |
| 14 | ヒロシマ遺文への投稿=「年表:ヒロシマ(1946年)」 |
| 15 | ヒロシマ遺文への投稿=「第五福龍丸事件(焼津市)」、「われら水爆の海へ<俊鶻丸ビキニ報告>」 |
| 16 | 東芝COSMIO2011年春バージョンを立ち上げる。ネットに接続せず過去のデータを読むだけに利用予定。一太郎の過去のデータが利用できるはず。 |
| 16 | ヒロシマ遺文への投稿=「岩手県原水協30年の歩み」 |
| 17 | 昭和図書館へ。県内の町村史を閲覧。 |
| 17 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止日本協議会出版物」、「ドキュメント1945→1985 核兵器のない世界を」 |
| 18 | 自宅書庫の原水禁大会・平和運動関係資料の整理。 |
| 18 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市宇品町民が献納した飛行機」 |
| 19 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止2013年世界大会」、「原水爆禁止世界大会記録一覧(第10~22回)」、「原水爆禁止世界大会記録一覧(1979年~)」、 |
| 20 | ヒロシマ遺文への投稿=「ノーベル平和賞-90年の軌跡と受賞者群像」 |
| 21 | アメリカ大統領就任式(現地時間20日)テレビ番組視聴。 |
| 21 | ヒロシマ遺文への投稿=「ノーベル平和賞受賞者(ヒロシマ関連)一覧」、「国連歴代事務総長」、「核兵器白書 ウ・タント国連事務総長報告」、「核兵器の包括的研究 国連事務総長報告」 |
| 22 | 核兵器禁止条約発効。 |
| 22 | コンビニで4紙を購入。「核兵器禁止条約発効」、「バイデン米大統領就任式」関連情報収集のため。 |
| 22 | ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器禁止条約発効-Yahooニュース」、「核兵器禁止条約発効-新聞報道(20210122)」 |
| 23 | ヒロシマ遺文への投稿=「ウ・タント「世界平和のために」」、「ストックホルム平和大会(1958)の記録」 |
| 24 | ヒロシマ遺文への投稿=「世界平和への提言-ユネスコ語録」 |
| 25 | ヒロシマ遺文への投稿=「核を葬れ!森瀧市郎・春子父娘の非核活動記録」 |
| 27 | ヒロシマ遺文への投稿=「記録:核実験抗議座り込み―広島平和公園慰霊碑前」 |
| 29 | ヒロシマ遺文への投稿=「記録・82年 平和のためのヒロシマ行動」。 |
| 31 | ヒロシマ遺文への投稿=「年表:学術会議(稿)~1964」、「年表:学術会議(稿)1965~」 |
『新編広島県警察史』(広島県警察史編修委員会編、広島県警察連絡協議会刊、19540428)
目次
| 編 | 章 | 節 | 見出し | |
| 序 | 警察制度の変遷と広島県の警察 | |||
| 1、中央政治機構の変遷 2、広島県の行政機構の変遷 3、警察制度の変遷 4、広島県警察の変遷 5、警察官吏制度、警察費及び服制の変遷 6、警察法規の変遷 7、警察官吏の採用と教養 |
||||
| Ⅰ | 日支事変及び太平洋戦争と警察 | |||
| 1 | 戦争と国内の戦時体制 | |||
| 第1節 日支事変の発生とその展開 第2節 太平洋戦争の勃発とその推移 第3節 国内の新体制 第4節 戦争と広島県 |
||||
| 2 | 警察の戦時体制 | |||
| 第1節 戦時下行政機構の改革 第2節 戦時下の警察法規 第3節 警察機構の戦時編成 第4節 警察執務態勢の改善刷新 第5節 警察(消防)官吏の採用、教養制度の特別措置 |
||||
| 3 | 戦時下の警察活動一般 | |||
| 1 | 防空の強化と警防警察 | |||
| 2 | 経済警察の誕生とその推移 | |||
| 3 | 輪送統制と交通輪送警察の展開 | |||
| 4 | 戦時下の犯罪趨勢と刑事警察 | |||
| 5 | 言論統制の強化と特高警察 | |||
| 6 | 戦時下の風俗警察 | |||
| 7 | 労務統制の強化と労政警察 | |||
| 8 | 警防団の活動と梨本官殿下の御視閲 | |||
| 9 | 特設消防署の設置 | |||
| 10 | 警備隊の設置とその推移 | |||
| 11 | 南方占領地域の拡大と警察 | |||
| 12 | 華人労務者の警備 | |||
| 13 | 敵国人の抑留と俘虜の警備 | |||
| 14 | 戦時下警察武道の振興 | |||
| Ⅱ | 原爆下の広島県警察 | |||
| 1 | 原爆投下さる | |||
| 2 | 原爆罹災下の警防活動 | |||
| 3 | 原爆の被害 | |||
| 4 | 原爆下の警察部及び広島市内の警察、消防署 669 | |||
| 5 | 原爆と広島 | |||
| Ⅲ | 終戦直後(終戦より警察法施行まで)の警察 | |||
| 1 | 戦争の終結と国内諸制度の変革 | |||
| 1 | 終戦の大詔下る | |||
| 2 | 連合軍の本土進駐と日本管理政策 | |||
| 3 | 国内諸制度の改革と混乱 | |||
| 敗戦と広島県 | ||||
| 2 | 警察の民主化 | |||
| 第1節 行政機構の改革 第2節 終戦直後の警察機構の改編 第3節 警察法規の応急措置 第4節 警察執務態勢の改革 第5節 特高並びに武徳会追放 第6節 警察自体の混迷と監察制度の強化 第7節 警察教養制度の整備 |
||||
| 3 | 終戦直後の警察活動一般 | |||
| 第1節 治安情勢の悪化と公安警察 第2節 連合国軍の進駐とその警備 (附)連合国軍特殊慰安施設の開設とその推移 第3節 第三国人(主として朝鮮人)の暴挙と警察 第4節 犯罪の激増と刑事警察 第5節 混乱期の経済警察 第6節 闇市場の簇生とその推移 第7節 風俗の頽廃と風俗警察 第8節 交通の混乱と交通警察の強化 第9節 水上警察の復活とその推移 第10節 天皇の行幸と御警衛 |
||||
| Ⅳ | 新制度下の警察 | |||
| 1 | 新憲法制定と諸制度の改革 | |||
| 第1節 占領政策の転換とその推移 第2節 日本国憲法の制定 第3節 新憲法下における政治機構の改革 第4節 地方制度の改革と広島県 |
||||
| 2 | 警察制度の改革 | |||
| 第1節 警察法の制定とその推移 第2節 広島県における新警察制度の実施とその推移 第3節 警察法規の整備再建 第4節 公安委員連絡協議会の設置のその推移 第5節 警察連絡協議会の設置とその推秒 第六節 警察執務態勢の刷新 第七節 警察教養制度の充実、強化 |
||||
| 3 | 新制度下の警察活動一般 | |||
| 第1節 犯罪の趨勢と刑事警察 第2節 各種社会運動の激化と警備警察 第3節 防犯警察活動の強化 第4節 交通機関の発達と交通警察 第5節 朝鮮動乱の勃発と警察 第6節 警察予備隊の設置と警察 第7節 天皇、皇后両陛下の国体御臨席と御警衛 第8節 警察武道の復活 |
||||
| Ⅴ | 警察官吏制度、警察費及び服制の改革 | |||
| 1 | 警察官吏制度 | |||
| 第1節 戦時中の警察官吏制度 第2節 終戦直後の官吏制度の改革と警察官吏 第3節 公務員制度下の警察官吏 |
||||
| 2 | 警察費の変遷 | |||
| 第1節 旧制度時代(主として戦時中及び終戦直後)の警察費 第2節 新制度下の警察費 |
||||
| 3 | 警察官吏服制の改革 | |||
| 第1節 戦時中の服制 第2節 終戦後の服制改革 |
||||
| 年表 | ||||
| 索引 | ||||
| 付録 | ||||
| Ⅰ | 警察各部署の沿革 | |||
| 1 | 旧制度下 | |||
| 1、 | 警察部の沿革 | |||
| 2、 | 各警察署の沿革 | |||
| 2 | 新制度下 | |||
| 1、 | 公安委員会の沿革 | |||
| 2、 | 警察本部の沿革 | |||
| 3、 | 各警察署の沿革 | |||
| Ⅱ | 殉職警察(消防)官吏並びに功労記章(功績章)受領 警察官吏の殉職功績録 | |||
| 1 | 殉職警察(消防)官吏 | |||
| 2 | 功労記章(功績章)受領警察官吏 | |||
| Ⅲ | 警察職員名簿 | |||
『広島市勢要覧 昭和21年版 復興第1年号』(広島市役所、194612)
目次
| 頁 | 項目 | 備考 | |
| (口絵) | |||
| 例言(広島市役所調査課) | |||
| 01 | 総説 | ||
| 05 | 風土 | ||
| 07 | 行政 | ||
| 12 | 財政 | ||
| 21 | 教育 | ||
| 22 | 水道 | ||
| 26 | 保健衛生施設 | ||
| 26 | 社会援護施設 | ||
| 27 | 経済 | ||
| 36 | 都市計画 | ||
| 45 | 原子爆弾の犠牲と復興 | ||
| 81 | 付録 | ||
向原町原爆被爆者慰霊碑
1976年10月建立、1995年8月1日、丸山公園に移設。
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| 被爆者慰霊誌
昭和二十年八月六日広島市に原子爆弾が投下され本町がいち早くこれらの戦災者の救護活動を展開したが真夏日と医薬品皆無の状態の下悶死された犠牲者は百数十柱に及んだ |
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| 裏面 「昭和56(1981)年10月 建之」 |
『いのちあるかぎり 原爆と未解放部落』(福島地区被爆者の会編、兵庫県部落問題研究所刊、19850520 )
内容
| 著者 | ||
| 藤川春雄 | はじめに | |
| 戦争・差別・貧困 | ||
| 高橋信雄 | 軍都広島 | |
| 戦争のあゆみと一本の線路 軍都広島への道 軍港宇品から戦場へ 戦争とはなんだったのか 食料の補給もない戦場で すべての物を奪いつくす すべての物を焼きつくす そして殺しつくす-「三光」作戦 | ||
| 手記〔その1〕 | ||
| 田中ハル | ピカに夫を奪われて | |
| 和佐田政一(仮名) | 米騒動と原爆で差別がわかった | |
| 堀川俊市 | 三重苦のわたしらの現状 | |
| 高田春子 | 娘を奪ったあの日 | |
| 滝川ヨネ子 | 若い人たちに伝えたい | |
| 炎と瓦礫の中で | ||
| 金崎是 | 原爆と未解放部落 | |
| 三滝山の無縁仏 炎と瓦礫の中で-わたしの体験 原爆による福島地区の被害状況戦前の部落の生活とわたしの生いたち部落差別を解消し、平和で豊かな日本を | ||
| 手記〔その2〕 | ||
| 山中幸雄 | 悲しき被爆二世 | |
| 前畑チヨノ | 日本が戦争さえしなければ | |
| 大崎ヨシ子 | 一ケ月もたって掘り出されたわが子 | |
| 宝神実人 | まちがいなくわが娘だった | |
| 森本範雄 | 太陽の光もなんにもない | |
| 川口ユミ子(仮名) | そりゃ生き地獄です | |
| 藤井イマコ | 助かるとは思いませんでした | |
| いのちあるかぎり | ||
| 田阪正利 | 未解放部落の健康と医療 | |
| 福島診療所創設のこと 部落と健康 健康へのあゆみ これからの課題 | ||
| 佐藤秀之 | 非核の日本を-若者たちは今 | |
| 平和と核兵器廃絶は全人類の願い 深まる核戦争の危機 広がる反核運動の輪 若者たちは今 | ||
| 手記〔その3〕 | ||
| 丸岡ユキ | 二人の息子をかえして! | |
| 川田芳夫(仮名) | みんなの力で! | |
| 滝本静 | いのちあるかぎり | |
| 中島カヨ | 子どもや孫には平和な世界を | |
| 広田美千代 | 戦争を二度とおこさないために | |
| 平田路雄 | 原爆と森永ヒ素ミルク中毒のなかで | |
| 古賀昭子 | 被爆二世にも手帳を! | |
| 中西はるゑ | あとがき | |
| 金崎是 | あとがき(福島地区被爆者の会会長) | |
壁―未解放部落原爆被害者の手記(発行:福島地区被爆者の会)
| 第集 | 発行年 | 備考 |
| 1 | 19680806 | 差別と貧困の中から |
| 壁―差別と貧困の中から―によせて 2 原爆被爆者の手記に寄せて 4 「未解放部落の被爆者として」 6 「日雇いぐらしの中から」 7 「差別と闘う我が子たち」 9 「私しゃ戦争にゃぜったい反対ですよ」 11 「ピカに夫を奪われて」 13 「朝鮮人被爆者として」 15 「原爆ブラブラ病に苦しむ」 16 「私の体験」 19 「二人のむすごをかえして!」 20 「一日も早く差別と戦争のない世の中を」 23 「私のあゆんだ道」 25 むすびのことば 28 |
||
| 2 | 19690806 | 三重苦の斗かい |
| ○推せんのことば 広島県被爆者団体協議会理事長 田辺勝 1 ○推せんのことば 部落解放同盟広島県連委員長 藤川春雄 2 はんせんのうた (一被爆者) 5 被爆者の保障はない *** 6 三重苦の斗い *** 7 食べるものも食べられぬ生活 *** 10 戦争と差別をなくするため!! *** 12 二十五年たったいまでも *** 14 三重苦のわたしらの現状 *** 17 原水禁運動を強めなくては *** 27 むすびのことば 金崎是 29 |
||
| 3 | 19700806 | |
| 「壁」第三集発行によせて 福島病院院長 田坂正利 1 被爆者健診から 福島病院被爆診療科 鏑木富衛 3 被爆老人に生きる喜こびを 部落解放同盟広島県連合会 委員長 藤川春雄 13 〔特別寄稿〕 原子爆弾傷害調査委員会を告発する 深川宗俊 33 手記 米騒動と原爆で差別がわかった *** 15 カンボジアでもベトナムでもけっしてこんなことを切り返さないで *** 18 私の感想 *** 19 悲しき被爆二世 *** 21 みんなの力で! *** 24 生命のあるかぎり *** 28 子係や孫には平和な世界を *** 30 戦争を二度とおこさないために *** 31 あとがき 41 |
||
| 4 | 19710806 | |
| すいせんのことば 福島生協病院々長・田坂正利 1 人間らしい生活を 失対・***(62才) 2 嫁に行けない子 (認定被爆者)無職・***(63才) 3 わたしたちが死ぬのをまっている 失対・***(60才) 5 一五、六〇〇円で暮らしている ***(69才) 7 天皇や佐藤さんが来てもうれしくない ***(47才) 9 夫婦の記録 (認定被爆者)***(63才)・***(59才) 11 あの時の悲惨さは口にはいえない ***(67才) 13 このままでは死にきれない ***(63才) 14 被爆者活動から *** 17 ここに生きる(赤旗より) 故 鏑本富衛 19 むすび 事務局 25 |
||
| 5 | 19720806 | 被爆二世特集号 |
| 6 | 19730806 | 広島県水平社50周年記念 |
| 「壁」第六集発行によせて 部落解放同盟正常化広島県連委員長 藤川春雄 1 〔主張〕 原水禁運動と被爆者運動の真の統一と発展を願って 福島地区被爆者の会 3 〔特別寄稿〕 吉島被爆者の会「老いと怒りと」と野口久子さんの死 田丸歌子 5 〔手記〕 三重苦のわたしらの現状 堀川俊市 6 終戦の年のこと *** 14 差別の中に生きて靴職人の生活と原爆被爆 *** 16 娘をうばったあの日 八月六日 ひたむきに生きつづけてきた老婆の怒り *** 20 老いて訪づれた不幸 *** 23 どうしても語りつがなければ 少年の日、原爆と生活を背負って *** 25 被爆二世にも「手帳」を! *** 28 原爆被爆下の福島町 *** 30 「壁」を読んで読者からの便り 34 あとがき 38 |
||
| 7 | 19740806 | 原水禁運動20年 |
| はしがき 1 福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2 原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8 被爆者の会を結成したころ 14 廃品回収運動の想い出 15 分裂への怒り(九回大会) 18 被爆者訪問の中から 20 被爆診療科のあゆみ 26 原水禁運動の日常化をめざして 30 被爆二世としてのとりくみ 32 原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35 あとがき 36 |
||
| 8 | 19750806 | 原爆被爆30周年 |
| はしがき 1 福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2 原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8 被爆者の会を結成したころ 14 廃品回収運動の想い出 15 分裂への怒り(九回大会) 18 被爆者訪問の中から 20 被爆診療科のあゆみ 26 原水禁運動の日常化をめざして 30 被爆二世としてのとりくみ 32 原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35 あとがき 36 |
||
| 9 | 19760806 | 福島地区原爆犠牲者慰霊の碑建設記念 |
| 10 | 19780806 | 「壁」第十集発刊によせて 田阪正利 1 被爆者を囲んで 2 太陽の光もなんにもない。まっ暗ななかから狂うた牛が飛びかかってきた *** 17 何べん死のう思うたかわからん *** 23 福島生協病院に入院中の被爆者のかたの話 27 戦争さえなければ、こんな目におうてないのに *** 34 「わしゃあ、あんたをかばっとるヒマはないんじゃけぇ」と妻に言って *** 39 あとがき 46 |
| 11 | 19790806 | |
| 「壁」第十一集発刊によせて 中本康雄 1 われわれが訴えなければ、われわれの体験を現在の方々に伝えなければ 林田みや子 2 命をみつめて 林田みや子 8 いつでも子どもといっしょに いっしょに死ぬりゃあええ思うっとたんです 佐藤テル子(仮名)14 原爆に遭うた者には平等に手当をだしてもらいたい 鈴木ミネ子(仮名) 23 貧血のせいで、この暑いのにコタツがはなせんのですよ 藤川貞雄・藤川房江(仮名) 27 朝鮮の人に助けてもろうての、うれしかったよ 山田スミ子(仮名) 31 生き証人として大きい声でいゝたいよ *** 37 街が燃える最中に広島にはいってきました 杉山ヨシ子(仮名) 46 あとがき 53 |
||
| 12 | 19950806 | 終刊号 |
| 巻頭言・『壁』に寄せる 齋藤紀 1 主張 被爆者援護法の課題 3 平和・民主主義・生活擁護のたたかい五十年-金崎是の被爆・戦後五十年- 小西正則 5 助産婦として六十年-益田小蝝さんとの対談- 西岡ミツ子 12 岩井コマノさんの被爆体験 秋本美佐子 18 学童疎開から五十年-水本文子さんの孫への話し- 藤井みな子 22 藤川美代子さんの被爆とその後 佐竹陽子 27 米三升で焼いてもらったひろこちゃん・姉 木原清子さんの回想 柿本一征 30 金崎さんのお話を聞いて 山口竜司 36 金崎さんの話をうかがって 小西結介 38 |
||
『ふるさとふくしまひろしま-金崎是画集』(広島県水平社六〇周年記念事業金崎是画集刊行委員会編・刊、19840110)
内容
| タイトル | ||
| ひょうたん堀 | ||
| 賭場正面 | ||
| 福島川南沖町側 | ||
| 電停前のくすの木 | ||
| 賭場への道 | ||
| 十四軒長屋 | ||
| <以下つづく> | ||
『核に灼かれて 安芸地区被爆の記録』(安芸地区被爆実相委員会)
| 第1集 | ||
| 第2集 | ||
| 第3集 | ||
| 目次 | ||
| 1 | はじめに(1996.7.30) | |
| 2 | 各町の実相 | |
| B | 矢野町 | |
| 高山俊郎 | 原爆を目のあたりにして | |
| 広島高等師範学校附属中学校1年生 | ||
| C | 海田町 | |
| 尾木正己 | 白島付近を通って | |
| D | 船越町 | |
| 上田盈 | 私の原爆体験記 | |
| F | 熊野町 | |
| 田原詩郎 | 熊野町では | |
| 3 | 平和のために | |
| ① | 中節二 | 槇尾さんを偲んで |
| ② | 奥村邦一 | 中節二さんに捧げる |
| ③ | 金子一士 | タヒチ集会に参加して |
| 4 | 三村博保さん追悼集 | |
広島市公文書館開館30年講演会(2007年9月29日)
占領下における被爆者医療活動-医学博士・都築正男資料から
宇吹 暁(広島女学院大学)
はじめに
1972年2月3日、日赤に重藤文男院長を訪問。
都築著『医学の立場から見た原子爆弾の災害』借用。
1978年6月11日、80年11月17日~18日、都築家資料調査。
1994~96年度 科学研究費補助金
1995年12月23日、広島大学公開講座「原爆医療法制定前の被爆者問題」。
Ⅰ 占領下における被爆者医療活動
『広島大学公開講座・被爆50年-放射線が人体に与えた影響』
(広島大学1995.10.01)<資料1
Ⅱ 都築資料の概要
広島市寄贈(1981年7月6日)点数
書簡・葉書53点、論文247点、講演要旨27点、写真19点、雑誌17点、調査票9点、地図9点、その他264点 計645点 <『広島市公文書館紀要 第5号』(広島市、1981.03.31)>
『広島新史 資料編1(都築資料)』(広島市、1981.03.31)
目次<略>
Ⅲ 都築正男をめぐる現在
1.文献
1.文献
| No. | 発行年月日 | 書名 | 著者・編者 | 発行所 |
| 1959.07.21 | 原水爆時代-現代史の証言(上) | 今堀誠二 | 三一書房 | |
| 1972.03.31 | 広島県史・原爆資料編 | 広島県(編) | 広島県 | |
| 1979.07.25 | 広島・長崎の原爆災害 | 広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会(編) | 岩波書店 | |
| 1980.08.06 | 桜隊全滅-ある劇団の原爆殉難記 | 江津萩枝 | 未来社 | |
| 1981.03.31 | 広島新史・資料編Ⅰ-都築資料 | 広島市(編) | 広島市 | |
| 1981.03.31 | 広島市公文書館紀要 第5号 | 広島市(編) | 広島市 | |
| 1981.04.05 | 都築正男研究業績目録-都築正男大人命20年祭 | 広島市史編纂室(編) | 都築正和 | |
| 1982.11.10 | 長崎原爆体験-医師の証言 | 調来助・吉沢康雄 | 東京大学出版会 | |
| 1986.08.11 | DDT革命-占領期の医療福祉政策を回想する | サムス,クロフォード、F.、竹前栄治(訳) | 岩波書店 | |
| 1990.10.18 | 核と共に50年 | 木村一治 | 築地書館 | |
| 1995.03.30 | 漱石の脳 | 斎藤磐根 | 弘文堂 | |
| 1995.10.01 | 広島大学公開講座・被爆50年 -放射線が人体に与えた影響 |
広島大学 | 広島大学 | |
| 1997.02. | 原爆被爆者対策史の基礎的研究―原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28)資料集― | 宇吹 暁 | 宇吹 暁 |
2.今堀誠二の評価
占領軍と日本人科学者:サムス、アレン、ケリー、 ジュノー
『原水爆時代-現代史の証言(上)』、『広島県史・原爆資料編』、(『広島・長崎の原爆災害』)、『広島新史・資料編Ⅰ-都築資料』
3.検閲
「所謂『原子爆弾傷』に就いて-特に医学の立場からの対策」(『総合医学』、1945年10月1日)
<ゲタバキ部分あり。「昭和20年9月8日米国原子爆弾損害調査団を案内して広島市へ向ふ時記す」>
4.調査データのプライオリティ
大橋成一(元陸軍軍医学校教官・少佐、宇品陸軍救護病院副院長)、井深健次(元陸軍軍医学校校長・中將)宛の書簡(1953年5月3日付)の中で原子爆弾災害調査報告集の中に軍関係者の名前が掲載されていないことを指摘。(「広島県史原爆資料編」)。
大橋書簡=「当時の軍関係者の研究分担者の名前が掲載されて居らず、大学の先生方等のみの名があり、之のレポートが大学の先生方によって主になされた如く誤解される恐れがあると愚考致します。」
5.政府機関
予防衛生研究所、文部省、厚生省研究班、
6.広島・長崎の医療関係者
*都築正男報告(新聞発表)『中国新聞』
1945.9.4 9.5 11.25 1946.5.22 12.21
『広島県史・原爆資料編』(広島県、1972.03.31)
*公開治療
*松坂義正(広島)、調来助(長崎)
*学研調査団資料 調査票
7.被爆者
1945年8月13日、仲みどり(移動演劇団桜隊の女優)、広島で被爆後、東大都築外科に入院。24日、仲みどり、東大病院で死亡。30日、東大医学部教授都築正男ら調査団、来広。
1956年4月15日、東京の原爆被災者の会(事務局長松尾明人)、東京で、原爆被災者の集いを開催(東京・群馬・神奈川などから約100人参加)。都築博士による講演。被災者対策の充実・促進などを申し合わせ。
「畑とし子」=<東京の日赤で都築博士の治療を受ける>『あの日から生きて生きて』(1986年2月20日)
宗藤尚三=<被爆場所:1.3キロ自宅。大学生。日赤・似島・庄原日赤で治療。庄原では都築の診断を受ける。>『いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言』(1992年6月10日)
『マンハッタン:陸軍と原爆―第2次世界大戦中の合衆国陸軍:特別研究』(Vincent C. Jones著、合衆国陸軍軍事史センター、1985年刊)
目次
| 部章 | 見出し | 備考 |
| 序言:1939年までの原子力の歴史 | ||
| Ⅰ | 原爆開発任務の始まり | |
| Ⅱ | 核分裂物質の生産 | |
| Ⅲ | 支援活動 | |
| Ⅳ | 原爆 | |
| Ⅴ | 原爆開発任務の完了 | |
| Ⅳ | 原爆 | |
| 24 | ロスアラモスの兵器プログラム | |
| 25 | 兵器開発と実験 | |
| 26 | 日本への原爆投下 | |
| 原爆投下部隊の準備 | ||
| 原爆使用の決定 | ||
| 原爆投下 | ||
| 日本の降伏 | ||
| 原爆の効果の調査 | ||
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| 広島大学原医研・疫学部門の抄読会(19920914) 宇吹報告(「マンハッタン:陸軍と原爆」)用レジメ。 |
| マンハッタンは、陸軍航空軍の7月26日の命令[ハンディ発スパーツ原爆投下命令]の実行にあたり、重要な協力的役割を担った.トップレベルでは、グローブズ将軍が、ワシントンのアーノルド将軍のスタッフとの接触、テニアンの彼の代理(カークパトリック大佐、7月31日からはファーレル将軍)、キング提督から太平洋戦域の海軍司令官たちと原爆投下業務を調整することを任されたパ-ネル提督を通して、投下部隊全体に影響力を保持していた. ファーレル将軍は、進行中の日本への原爆投下の準備を調整するようグローブズから特命を受け、中部太平洋に到着した.ファーレルは.まずグァムに降り、ルメイ将軍(この直後に合衆国陸軍戦略航空軍参謀長に就任)とニミッツ提督と協議を行った.テニアンに移動してからは、ファーレルは、パ-ネル提督とパースンズ大尉を訪問した. ファーレルは、かなりの時間をパ-ネル提督と過ごした.パーネルは、第1技術支隊が7月の間にテニアンで行った集中的な活動について詳細に語った.同支隊は、第509部隊の他の部門と海軍の協力で、爆弾、特にリトルボーイの部品の組立とテストのための技術的能力を蓄え、緊惷時における硫黄島での再装填の能力のチェックを慎重に実施していた.更に、パースンズは、彼が新たに組織したプロジェクト技術委員会の役割についてもファーレルに語った.その役割とは、ガン型および内破型両タイプの複雑な最終テストと組立に関して、彼が計画し、陸軍航空軍の部門と協力することを援助することであった. 両タイプの爆弾の部品とアクティブ原料[ウラン]は、原爆投下部隊が実際に使用する直前に、テニアンの支隊に届いた.まず、リトルボーイのものが届いた.部品とU-235の大部分は、7月中旬にロスアラモスを出発した.それまでは、ロバート・R・ファーマン少佐(グローブスのワシントンの司令部から派遣された特別プロジェクト将校)、ジェームズ・F・ノーラン大尉(ニューメキシコ実験場の主任軍医将校)の厳重な管理下にあった。<以下未入力>
|
書誌1974
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行年月日 |
| 災害の行動科学 : そのとき人はどう行動するか組織はどう対応すべきか | アレン・H.バートン | 学陽書房 | 197411 |
| Communities in disaster : a sociological analysis of collective stress situations | |||
雑誌論文
| 著者 | タイトル | 掲載誌(編集、発行所) | 発行年月日 |
2020年12月(日録)
| 日 | できごと |
| 02 | 桜が丘の倉庫で米国戦略爆撃調査団関係資料を閲覧。 |
| 02 | ヒロシマ遺文への投稿=「書誌1974」、「書誌1971」、「主要建物・事業所(国泰寺地域)」、「主要建物・事業所(中島地域)」、「主要建物・事業所(本川地域)」、「主要建物・事業所(基町地域)」、「主要建物・事業所(白島・二葉の里地域)」、「広島県内市町村(地図)」 |
| 03 | 泉美術館「没後5年 明田弘司写真展 昭和を歩く」。10月23日~12月13日。観覧。 |
| 03 | ヒロシマ遺文のTOP頁の大幅変更の試み。 |
| 04 | 桜が丘の倉庫から米軍調査団関係資料を自宅に移動。 |
| 04 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆被害調査概要(直後)」、「マンハッタン:陸軍と原爆」、「米国戦略爆撃調査団」 |
| 05 | ヒロシマ遺文への投稿=「合衆国戦略爆撃調査団報告書(森祐二訳)一覧」、「放射線影響研究の10年(文部省科研研究班)」、 |
| 06 | ヒロシマ遺文への投稿=「占領下被爆者医療活動(都築正男資料から)」、「京都大学原爆災害調査班遭難記念碑」 |
| 07 | 広島県の市郡町村別被爆関連データを検討。 |
| 07 | ヒロシマ遺文への投稿=「核に灼かれて 安芸地区被爆の記録」、「許すまじ被爆体験記(広島市原被協井口支部)」 |
| 08 | 呉市立図書館。1965年の中国新聞の閲覧をしようとしたが、利用不可とのこと。 |
| 08 | 真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。 |
| 08 | ヒロシマ遺文への投稿=「ふるさとふくしまひろしま-金崎是画集」 |
| 09 | ヒロシマ遺文カテゴリー「広島原爆被災白書(地域) 」関連資料の整理。 |
| 10 | 桜が丘へ。倉庫の原爆モニュメント・原爆遺跡関係資料を自宅に持ち帰る。 |
| 10 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島中央保健生活協同組合」、「壁―未解放部落原爆被害者の手記」、「原爆と未解放部落-いのちあるかぎり」。 |
| 11 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島部落問題研究会」 |
| 19 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和を―被爆から75年を行きぬいて」 |
| 21 | 年賀状投函。 |
| 24 | ヒロシマ遺文への投稿=「書誌2020」 |
| 26 | 10:00自宅発-豊栄経由-11:50向原・丸山公園-向原町被爆者慰霊碑―13時中岡宅-16時帰宅 |
| 27 | BS1スペシャル『アウシュビッツ 死者たちの告白』(再放送2020年8月16日に放送)22:00~13:50(110分)視聴。 |
| 28 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島県内市郡別人口推移(1944・45・46)」、「向原町原爆被爆者慰霊碑」、「広島市勢要覧 昭和21年版 復興第1年号」、 |
| 29 | ヒロシマ遺文への投稿=「関連市町村の状況(広島原爆戦災誌)」、「新編広島県警察史」 |
| 30 | 過去の写真データの確認と整理。自宅2階書庫の整理と掃除。 |
| 31 | 被団協新聞(1500円)・原水協新聞など(3840円)代金を郵便振込。 |
| 31 | ヒロシマ遺文のTOP頁の更新 |
「黒い雨―降雨地域住民に被爆者手帳を 第1部」(『赤旗(連載)』1980年、40回)、「同 第2部」(1981年4月14日~7月28日
<『黒い雨』(広島県「黒い雨」・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会、19820111)に収録される>
内容
| 1部 | 1980年 |
| 回 | 見出し |
| 1 | 8月6日その日 太い棒のように なぜ、このような雨が |
| 2 | 気象かえた原爆 火災で巨大な雨雲 爆撃で複雑な作用発生 |
| 3 | 証言 |
| 4 | ひょうのように |
| 5 | 放射能 |
| 6 | 雨戸についた泥 |
| 7 | ヒロシマ西方では |
| 8 | 原因不明の鼻血 |
| 9 | 死んだ子ども |
| 10 | 被災調査 |
| 11 | 江波山の気象台 |
| 12 | 被爆と気象台 |
| 13 | 白色の朝顔 |
| 14 | 煙と雲と |
| 15 | 枕崎台風 |
| 16 | 台風と原爆 |
| 17 | 二男の脱毛 |
| 18 | 気象人気質 |
| 19 | 26インチ |
| 20 | 爆心の決定 |
| 21 | 郊外でも |
| 22 | 提案 |
| 23 | 聞き書き |
| 24 | 報告書の作成 |
| 25 | 一枚の図 |
| 26 | 特別被爆者 |
| 27 | 特別被爆地域 |
| 28 | 住民の運動 |
| 29 | 片手落ち |
| 30 | 急性症状 |
| 31 | 健康調査 |
| 32 | みなしひばくしゃ |
| 33 | 反響 |
| 34 | 指定の矛盾 |
| 35 | 踊る見出し |
| 36 | 政府交渉団 |
| 37 | 妻の死 |
| 38 | 土壌調査 |
| 39 | 現地調査 係官を派遣せよ 当時の状況聞いて |
| 40 | 燎原の火 本格的救済運動へ 署名も急速に広がる |
| 2部 | 19810414~19810728 |
| 1 | 報告集会 線引きの矛盾つく 初めての住民組織発足 |
| 2 | 山やまを越えて 村上さんええ話でした 大歓迎、和気あいあいの懇談 |
| 3 | 行政の光 手帳交付の相談も 集会後に質問や意見続出 |
| 4 | 健康調査 |
| 5 | 陳情 |
| 6 | 請願 |
| 7 | 広がる請願 |
| 8 | 大きな流れ |
| 9 | 出発点 |
| 10 | 残留放射能 |
| 11 | 相生橋 熱戦うけてから36年も 残留放射能を調査 |
| 12 | 核分裂生成物 |
| 13 | 突然の死 |
| 14 | 第五福竜丸 |
| 15 | ブラボー爆弾 |
| 16 | 死の灰 |
| 17 | 広島の死の灰 |
| 18 | 政府の調査 |
| 19 | 対照地区 |
| 20 | 参院社労委 緊張”走る”渡辺質問 残留放射能の対応策は |
| 21 | 参院社労委 強い放射能を含む 少雨地域も特別指定を |
| 22 | 夏の大要のように ”被爆地”と認めよ 1市4町1村で署名2万 |
| 23 | 画期的な夏 初の原水協調査団 住民からの訴え次つぎ |
| 24 | 証言の重み 北側にも大雨が・・・ 不合理な”線引き”ただす |
| 25 | すすむ運動 被爆地指定の声新た ”核兵器ノー”の声とともに |
| 連絡協議会役員一覧 | |
『大田洋子文学碑建立記念誌 1978・9』(岩崎清一郎編、[大田洋子文学碑]建立委員会事務局、19780925)
| 頁 | ||
| 口絵<いしぶみと大田洋子関係> | ||
| 01 | お礼 | 建立代表 斎木寿夫・栗原貞子 |
| 02 | 追憶・大田洋子 ―文学碑建立に際して | 佐多稲子 |
| 08 | 大田洋子文学碑について | 大原富枝 |
| 11 | 記録・資料 | |
| 11 | 碑文の由来 | |
| 12 | 爆風の中の碑 | 四国五郎 |
| 14 | 大田洋子略年譜 | |
| 18 | 記録・資料 | |
| 18 | 大田洋子文学碑建立についてのお願い | 安芸文学内 建立委員会事務局 |
| 20 | 協賛者 | |
| 23 | マスコミ関係のご協力 | |
| 25 | 経過報告 | 事務局・岩崎清一郎 |
| 29 | 除幕式に寄せられた祝電 | |
| 30 | 通信のなかから | |
| 34 | 募金協賛・御芳名録 | |
| 47 | 会計報告 | |
| 48 | 楽譜”少女たちは” | |
| 除幕式<於・中央公園/昭53・7・30> | ||
内容
『ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来への記録』(被爆建造物調査研究会編、広島平和記念資料館、19960331)
目次
| 部章節 | 項目 | 備考 |
| 序章 | ||
| Ⅰ部 | 図説編 | |
| 1 | 被爆建造物の被害の概要 | |
| 2 | 被爆建造物の全体像 | |
| 3 | 図説 | |
| 1. | 平和記念公園・周辺地区 | |
| 2. | 紙屋町・本通地区 | |
| 3. | 銀山・幟地区 | |
| 4. | 基町・白島地区 | |
| 5. | 国泰寺・千田地区 | |
| 6. | 十日市・中広地区 | |
| 7. | 牛田・広島駅周辺地区 | |
| 8. | 比治山・仁保地区 | |
| 9. | 皆実・宇品地区 | |
| 10. | 吉島・舟入・観音地区 | |
| 11. | 己斐・草津地区 | |
| 12. | 三篠・祇園地区 | |
| 2部 | 概説編 | |
| 1 | 原爆とその物理的影響 | |
| 2 | 被爆建造物の保存の意義を考える | |
| 3 | 被爆建造物と都市 | |
| 4 | 被爆前の広島の建築文化 | |
| 5 | 被爆建造物の保存・継承のあゆみ | |
| 6 | 被爆建物と被爆者の医学的検討 | |
| 7 | 国民学校と被爆 | |
| 8 | 橋と被爆者 | |
| 9 | 日本の戦争遺跡 | |
| 10 | ヨーロッパの戦争遺跡 | |
| 3部 | 資料編 | |
| 年表 | ||
| 被爆建物の変遷 | ||
| 被爆建造物リスト | ||
| 原爆被災説明板の一覧 | ||
『爆心』(朝日新聞(広島版)連載 19850403~0822)
| 部 | 回 | |
| Ⅰ | 被爆死の空白 | |
| 1 | 白い花の記憶 遺骨の中に一輪 手向けの主は呉服商と判明 消えた繁華街・中島 消息不明なお多数 | |
| 2 | 小さき骨 | |
| 3 | 軍用旅舎 | |
| 4 | 天神町北組 | |
| 5 | 検校社 | |
| 6 | 支社史 | |
| 7 | 1/37 | |
| 8 | アイゴー | |
| 9 | 白衣 | |
| 10 | 通行人 | |
| 11 | 動員学徒 | |
| 12 | 68.8キロ | |
| Ⅱ | その生活史 | |
| 1 | ||
| 2 | ||
| 3 | ||
| 4 | ||
| 5 | ||
| 6 | ||
| 7 | ||
| 8 | ||
| 9 | ||
| 10 | ||
| 11 | ||
| 12 | ||
| 13 | ||
| 14 | ||
| Ⅲ | 40年の歩み | |
| 1 | ||
| 2 | ||
| 3 | ||
| 4 | ||
| 5 | ||
| 6 | ||
| 7 | ||
| 8 | ||
| 9 | ||
| 10 | ||
| 11 | ||
| 12 | ||
| 13 | ||
| 14 | ||
| 15 | ||
| 16 | ||
| 17 | ||
| 18 | ||
| 19 | ||
| Ⅳ | 生還 | |
| 1 | ||
| 2 | ||
| 3 | ||
| 4 | ||
| 5 | ||
| 6 | ||
| 7 | ||
| 8 | ||
| 9 | 二度とあっちゃいけんこと 9歳の記憶 | |
『原爆爆心地』(志水清編、日本放送出版協会、19690720 )
目次
| 部章節 | 見出し | 備考 |
| Ⅰ | 残された都市 | |
| プロローグ | ||
| 広島 | ||
| 1 | 爆撃禁止令の出ていた広島 | |
| (1)アインシュタインよりルーズヴェルトへの書簡 20 (2)マンハッタン計画 22 (3)原爆完成目標-一九四五年八月一日 24 (4)ニュー・メキシコからヒロシマへ |
||
| 2 | 戦時下の広島 | |
| (1)空襲は何故ないのか? 28 (2)富国強兵と広島 29 (3)爆心地 33 (4)一九四五年八月六 |
||
| Ⅱ | 炎の中から 失われたものと残されたもの | |
| 炎の中から | ||
| 1 | その朝の爆心地 | |
| (1)電話 その一 42 (2)電話 その二 43 (3)横川で 45 (4)牛田で 47 (5)材木町で 47 (6)造船所で 50 (7)疎開先出 |
||
| 2 | その日 | |
| (1)爆心地「中島」 53 (2)幻の爆心生存者 54 (3)炎の中の中島 55 (4)焼けたニワトリ 57 (5)本川橋 61 (6)爆心に生き残っていた人びと 65 (7)慈仙寺 66 (8)地下足袋が燃える 68 (9)みんなだったんだから… 71 (10)元安橋 その一 73 (11)元安橋 その二 77 (12)火が舞うて… 79 (13)岡山の水蜜桃 82 (14)遡ぼる舟 |
||
| 3 | 夜を徹して | |
| (1)手記 その一 91 (2)手記 その二 94 (3)落ちていた雑嚢 99 (4)相生橋に泊った人びと |
||
| 4 | 夜が明けて-八月七日 | |
| (1)「おじさん、キルものはないですか」 104 (2)焼けて女時計 108 (3)三姉妹 113 (4)誓願寺に集まった人たち 116 (5)みんな死んでいた 119 (6)何もかも変わった 122 (7)川の中のわが子の遺体 128 (8)全部の骨を少しずつ 129 (9)ひとりぼっち 130 (10)相生橋・慈仙寺ノ鼻・元安川 131 (11)被爆の実体-調査の経験から- |
||
| 残された傷跡 | ||
| 1 | 断絶 | |
| (1)断絶の街 144 (2)生き残った人の断絶 |
||
| 2 | 残された身体の傷 | |
| (1)被爆による身体的な後遺障害 153 (2)よくわからない身体障害 156 (3)社会的後遺障害 160 (4)被爆者のおかれている状況 162 (5)さまざまな被災調査 |
||
| Ⅲ | 広島の空白から広島の復元へ ―鎮魂から平和原点への道のり |
|
| 広島の空白 | ||
| 1 | 爆心の空白 | |
| (1)確定せぬ犠牲者の数 170 (2)被爆実態をつかめぬ空白 |
||
| 2 | 爆心調査の系譜 | |
| (1)「爆心半径500メートル」 183 (2)広大原医研調査 186 (3)爆心復元-市民・メディア・学会の握手 192 (4)爆心追跡調査 198 (5)市民運動を通して「全体へ」 202 |
||
| 3 | 市民の胎動 | |
| (1)手書きの戸別地図 | ||
| 4 | ノー・モア・ヒロシマ | |
| (1)ダモクレスの剣 213 (2)原水禁運動と「広島」 |
||
| 5 | 広島の風化と模索 | |
| (1)原点広島の風化 225 (2)始まった「広島」の模索 |
||
| 爆心復元の論理と構想 | ||
| 1 | 爆心復元の論理 | |
| (1)核時代に 238 (2)素朴な疑念-結びあうもの |
||
| 2 | 追跡調査の構想 | |
| (1)血の通った調査 242 (2)綜合調査 243 (3)基礎調査と「爆心復元」 246 (4)本調査と生活史のあとづけ 249 (5)「爆心復元」のひろがり |
||
| 3 | 爆心復元の意味するもの | |
| 被爆地図復元運動 | ||
| 1 | 被爆地図復元運動を支えるもの | |
| (1)被爆者・市民の「地図作り」 257 (2)行政の役割り 260 (3)学会・研究機関の体制作り 263 (4)報道機関の参加 |
||
| 2 | 被爆地図復元調査のもたらすもの | |
| (1)被爆地図 265 (2)被爆者戸籍と家族別ファイル 265 (3)核時代の良心の証 266 (4)被爆地図復元の実施・推進組織 267 (5)爆心復元の現状 |
||
| 3 | 爆心復元の課題 | |
| エピローグ | ||
| 参考文献 | ||
| あとがき | ||
| 付録 | 広島市原爆爆心地復元市街図 | |
東照宮原爆慰霊碑
1966年8月5日建立、広島市(尾長町・東照宮)
碑文
[正面] 原爆慰霊碑
[裏面]
昭和二十年八月六日の原爆により罹災者境内に溢れ救護所設けらる
偶然 境内に湧井在り
この清水を飲みて幽明異にする者多し
寔に哀愍の情に堪えず
茲に慰霊碑を改建して永く哀史を伝えんとす
昭和四十一年八月五日
東照宮宮司 久保田幸重誌