2022年5月(日録)

2022年5月(日録)

できごと
01 メーデー。水俣病犠牲者慰霊式。
01 ヒロシマ遺文への投稿=「広島合唱団」
02  ヒロシマ遺文への投稿=「2022年5月(日録)」、「年表:石田原爆訴訟 1973~78年」
03 休日(憲法記念日)。日本国憲法施行75年。
03  ヒロシマ遺文への投稿=「文献:憲法とヒロシマ」、「現代憲法読本」。
04 休日(みどりの日)。ヒロシマ遺文への投稿=「憲法9条を守る音楽と講演の集い(呉)」、「那須正幹」、「くずれぬ平和と人民の解放を求めて」、「日本共産党史関係文献一覧」。
05  休日(こどもの日)。日経コラムに「ヒロシマ戦後史」への言及ありとのこと。
05  ヒロシマ遺文への投稿=「『日本共産党の70年』目次(概要)」、「『日本共産党の70年』目次(第7章)」。
06  ヒロシマ遺文への投稿=「『日本共産党の70年』目次(第8章)」
07  ヒロシマ遺文への投稿=「『日本共産党の70年』目次(第9章)」
08  ヒロシマ遺文への投稿=「『日本共産党の70年』目次(第10章)」
09  ヒロシマ遺文への投稿=「『日本共産党の70年』目次(第11章)」、「『日本共産党の70年』目次(第12章)」、「浄土真宗本願寺派(西本願寺)」、「非核の政府を求める広島の会ニュース」
10  ヒロシマ遺文への投稿=「非核の政府を求める広島の会ニュース 第25号 19950720」、「3・1ビキニデー広島集会(広島県原水協主催)一覧」、「森脇勝義」
11  ヒロシマ遺文への投稿=「非核の政府を求める広島の会ニュース 第26号 19951101」、「非核の政府を求める広島の会ニュース1996年・第27~30号」、「李実根」。
12  ヒロシマ遺文への投稿=「非核の政府を求める広島の会ニュース1997年・第31~34号」、「現代の発見(春秋社)」、「ヒロシマを侵略戦争の基地にするな(広島県平和委員会)」
13  東京にいる息子夫婦、初帰省。大阪・広島から兄・姉も来宅。
13  ヒロシマ遺文への投稿=「非核の政府を求める広島の会ニュース1998年・第35~38号」
14  ヒロシマ遺文への投稿=「遺骨奉還宗教者市民連絡会と壱岐への朝鮮人遺骨移管」
15  沖縄本土復帰50年。野呂山学園へ、花苗を購入。
15 ヒロシマ遺文への投稿=「沖縄本土復帰50年報道(2022年5月15日)」
16  ヒロシマ遺文への投稿=「婦人のあゆみ80年(日本婦人団体連合会編・刊)」、「広島民報 19650425-2」
17  **問題研究会、初のZOOM会議。
18  ヒロシマ遺文への投稿=「広島民報 19650801-12号」、「被爆20年を生きて_『広島民報』連載」、「原爆ゆるすまじ」。
19  ヒロシマ遺文への投稿=「02犬丸義一」
20  ヒロシマ遺文への投稿=「日本共産党(国際問題)重要論文集」、「書誌(日本共産党中央委員会編・刊)」
21  ヒロシマ遺文への投稿=「自衛隊の『観閲式』に反対しよう(広島民報号外)」、「第12回原水禁世界大会特集(『広島民報』1966年)」。
22  ヒロシマ遺文への投稿=「非核の政府を求める会」、「PEACE FOCUS ピースフォーカス(日本平和委員会)」
23  ヒロシマ遺文への投稿=「日本平和委員会発行資料(集)」、「2000年日本平和大会(宇吹メモ)」、「2000年日本平和大会(宇吹メモ)2000年12月3日」、「2000年日本平和大会(宇吹メモ)2000年12月2日」
24  桜が丘へ。倉庫の沖縄関係資料3箱を自宅に持ち帰る。
ヒロシマ遺文への投稿=「2000年日本平和大会(宇吹メモ)2000年12月1日」、「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」
25  ヒロシマ遺文への投稿=「沖縄世界遺産調査 2006年9月12日~14日」、「書誌:琉球王国のグスクおよび関連遺産群」、「今帰仁城跡(なきじん)」
26  ヒロシマ遺文への投稿=「座喜味城跡(ざきみ)」、「勝連城跡(かつれん)」、「中城城跡(なかぐすく)」
27  ヒロシマ遺文への投稿=「斎場御獄(セーファウタキ)」、「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」、「首里城跡(しゅりじょうあと)」、「玉陵(タマウドゥン)」、「識名園(しきなえん)」
28  ヒロシマ遺文への投稿=「書誌:オキナワの心と行動」、「沖縄人民党の歴史」
29  ヒロシマ遺文への投稿=「沖縄人民党の歴史 第1章~第3章」
30  ヒロシマ遺文への投稿=「沖縄人民党の歴史 第4章 弾圧の激化と”島ぐるみ”土地闘争の高まり」、「沖縄人民党の歴史 第5章 瀬長那覇市政と民主主義擁護、祖国復帰運動の発展」、「沖縄人民党の歴史 第6章 軍事的植民地的支配の新段階と県民運動の前進」
31  ヒロシマ遺文への投稿=「沖縄人民党の歴史 第7章 専制支配の強化とそのもとでの共闘と分裂」、「沖縄人民党の歴史 第8章 ベトナム侵略戦争の拡大と大衆闘争の高まり」、「沖縄人民党の歴史 第9章 革新共闘の発展と三大選挙の勝利」、

ヒロシマから生物・化学兵器を考える

『全国シンポジウム「ヒロシマから生物・化学兵器を考える」―過去・今・未来全廃のシナリオ―』(広島県教職員組合「広島教育」編集部(編)、広島教育会館(刊)、19931101)<作業中

タイトル 発言者など 備考
01 基調講演「人類はBC兵器を棄てられるか」 常石敬一
第1部 生物・化学兵器の過去と現在
18 ABC兵器廃絶そしてDへ 水島朝穂
20 C兵器廃絶にむけた日本の「国際貢献」 粟屋憲太郎
21 禁止条約の抜け道 常石敬一
22 「私たちの叫びが通じた」条約締結 村上初一
23 水で洗うことを教わった軍国少女 沼田鈴子
31 毒ガス障害者援護の長い道のり 梶村政夫
39 窮地に「毒ガス使え」の命令 谷菅静夫
第2部 全廃へのシナリオ
42 竹田
45 七沢
54 岡田
56 松江澄
59 木原省二
63 岩野
64 宝木
65 中土
67 伊藤
76 生物・化学兵器に対するヒロシマアピール(要旨)

「ヒロシマから生物・化学兵器を考える―過去・今・未来全廃のシナリオ―」<資料集> 1993年1月30日(土) 東方2001(広島教育会館)

在韓被爆者問題を考える

『在韓被爆者問題を考える』(在韓被爆者問題市民会議(代表:高木健一)編、凱風社、19880915)

内容

「在韓被爆者の援護問題を考えるシンポジウム」(1988.3.20-21、東京)の記録

発言者 タイトル 備考
001 高木健一 いまこそ戦後処理を!
在韓被爆者問題市民会議代表
009 Ⅰ.在韓被爆者とは
010 平岡敬 Ⅱ.法的問題と政府の対応の戦後史
027 伊東壮 「原子爆弾被害者援護法」制定要求と在韓被爆者問題
042 中島竜美 「朝鮮人被爆」の歴史的意味と日本の戦争責任
059 Ⅱ.法的問題と政府の対応
060 高木健一 渡日治療打ち切りまでの経緯と現状
072 椎名麻紗枝 Ⅱ.法的問題と政府の対応に対する法的責任
085 Ⅲ.海峡を越えて
辛泳洙 「一等国」としての義務を果たせ
金拗根 人知れず、被爆の苦しみに耐えて
金分順 字も書けない、言葉も出せない
111 Ⅳ.支援の現状と今後の課題
124 石川洋 「戦争責任」追及で支援の輪を―WCRPの活動報告
134 各地の活動報告
鎌田定夫 1 長崎より
豊永恵三郎 2 広島より
松井義子 3 大阪より
李命根
167 発言者紹介
168 資料

アジアの声-侵略戦争への告発

『アジアの声-侵略戦争への告発』(戦争犠牲者を心に刻む会編、東方出版、1987年3月27日)

見出し 備考
001 集会報告集の刊行にあたって
003 趣意書
009 呼びかけ人名簿
015 開催にあたって(小山仁示)
019 第1部 各国からの証言
021 強制連行指揮官の戦争犯罪(日本)吉田清治
戦争犯罪者の証人として/従軍慰安婦の悲劇/被爆者は日本人だけではない
026 日本軍の侵略と泰緬鉄道の惨状(タイ)テーパンヤ・スティー
泰緬鉄道の犠牲者たち/ジェス博物館を世界中の人々に
031 非人道的な日本軍の虐待(シンガポール)陸培春
母の戦争体験/イナゴに似た残酷な日本軍/拷問の手口/許しがたい靖国神社公式参拝/日本人に期待したい良識ある行動
043 捕虜への虐待、バターン死の行進(フィリピン)マリア・フェリア
バターン降伏で約八万人の捕虜が死の行進/母の死/日本軍の無差別な拷問と虐殺/今も続く日本の侵略
〈日本軍によるフィリピン住民虐殺のレポート〉
はじめに/バタンガス/日本軍によるフィリピン占領/聞き取り/日本人に対して思うこと
059 広島が私の顔を奪った(韓国)辛泳洙
日本語は屈辱の言葉/いまだ迷える韓国人の霊たち/被爆によって別人になった/「不幸な歴史」を再び繰り返さない/真の日韓親善を
068 父の死と日本人の戦争犯罪(中国)陳貞馥
日本軍が約三○万人の中国人を虐殺/過去の罪を認めない日本
073 沈黙の時(上杉聰・沙田明)
一五分間の沈黙に思いを馳せる/詩
080 不戦の誓い(大島孝一・伊勢谷功・松井義子)
当集会開催までの経過/不戦の誓い
087 第2部 シンポジウム アジアの中の日本-過去と今
日本人は、いま何をすべきか/タイの八月一五日/在日アジア人は虫けらか/関西新空港はアジア侵略の基地/広島・長崎には本当に原爆が落ちたのか!/平和のために/良識を問う日本政府の言動/歴史をゆがめた教科書に抗議の輪を/各地の運動からの肉声/すべての日本人が加害者の立場で
123 第3部 タイ現地集会
悲願の平和寺院を建立/泰緬鉄道建設隊の死の体験/タイの地に立って思うこと/敗戦前後の模様/教育の場で伝えたい日本の戦争犯罪/親日感情に甘えは禁物/一人一人の心で世界平和を
145 第四部 経過報告・資料
第一回呼びかけ人会議/第二回呼びかけ人会議/賛同人と事務局について/第一回実行委員会/第二回実行委員会/ホームステイ/知事訪問と戦争資料室/八・一五集会/関連集会/会計報告/反省と今後
161 賛同人名簿
173 「一五年戦争」と靖国神社にかんする参考資料目録
181 あとがき-集会アンケートにふれて

趣意書

 一九八五年八月一五日、中曽根首相による靖国神社公式参拝は、内外からの厳しい批判の声にさらされました。私たちの多くも、さまざまな形で、この公式参拝に異議を申し立ててきました。その理由の一つは、憲法が強く要求している政教分離の原則を踏みにじり、信教や思想の自由を侵すものであると考えるからです。

しかし、私たちの批判は、それにとどまりません。靖国神社への公式参拝は、本当の意味で、戦没者を追悼することにならないという思いを強く抱きつづけてきたからなのです。

靖国神社に祀られた戦没者の多くは、侵略戦争に駆り出されていった人たちです。たとえば、全合祀者の九五パーセントは、「満州事変」以来の「一五年戦争」ヘの参加者です。そこには、周知のように、A級戦犯さえも含まれています。靖国神社は、これらの人々を「英霊」とし、誉め讃える施設です。首相がいかに宗教色を除くように配慮したと強弁しても、この施設に崇敬の意思表示をしたことは、紛れもない事実です。

首相自ら、一九八五年七月の自民党第五回軽井沢セミナーで、靖国神社に祀られた人たちを「国のために殉じた人」と呼ぴ、「感謝をささげるのは当然。さもなくば誰が国に命をささげるか」と演説しました。

これは、アジア・太平洋地域および対戦国の人たちに重大な惨害をもたらした戦争犯罪を免責するだけでなく、人々の死を政治的に利用し、再び同じ誤ちを繰り返すと宣言したと同じことです。アジアからの強い抗議は当然のことですが、加えて、死者を著しく冒涜するものであると言わざるをえません。

これまで、私たちは、靖国神社に祀られている戦没者の多くを、むしろ侵略戦争に強制動員された被害者であると考えてきました。したがって、その追悼は、「英霊」として讃えることではなく、戦争犠牲者として苦しみと悲しみを胸に刻みつけ、悲劇を二度と繰り返さないために、私たちこそが責任を果たしつづけることでなければならないと考えてきました。そして、ささやかながら今日まで、私たちは、それぞれの立場と方法でそれを実践してきました。

私たちの親や兄弟、親族そして友人、またその周囲には数多くの戦死者がいます。そして、その人たちに悲しみの思いを馳せるにしたがい、私たちは重大なことに気付いてきました。

それは、私たちの知己、親族を、戦争による「犠牲者」と呼ぶなら、私たちの国によって踏みにじられ、辱めを受け、虐殺されていったアジア・太平洋地域での死者を何と呼べばよいのか、ということです。むしろ、私たちが真っ先に思いを馳せ、心に刻み、悲しみのうちに記憶しつづけなければならなかったのは、私たちの親族や友人によって傷つけられ、殺されていった人たちの方ではなかったか、ということなのです。

南京で無差別に虐殺された二○万人とも三○万人とも数えられる人たち、重労働や拷問で殺され、捨てられ、埋められた万人坑の人たち、生体実験や解剖に付され、「丸太」と呼ばれて人間の尊厳の一切を奪われて死んでいった七三一部隊による犠牲者、強制連行によって奴隷労働を強いられ、従軍慰安婦として軍人に凌辱され、空襲で、原爆で、病で、異邦の地に絶望のうちに死んでいった朝鮮の人たち、銃剣や日本刀によって切り裂かれたルソン島の幾千とも幾万ともいわれる老若男女、バターン半島の「死の行進」で斃れた幾千ものアメリカ軍捕虜の人たち、食糧の供出と苛酷な労働で殺されていったインドネシアの人たち、「枕木の数だけ死者をだした」といわれる泰緬鉄道の建設現場に斃れていったタイ・ビルマ・マレーシアの「ロームシャ」や、イギリス軍捕虜の人たち、そして、シンガポールで虐殺された数万の「華僑」の人たち、皇民化政策によって文字や文化を奪われ、侵略者である日本のために徴兵され、傷つき、斃れていった台湾の人たち、そして、アジア全域に広がる抗日闘争での犠牲者。私たち日本人の多くは、四○年間にわたって、この人たちのことを忘れ、頬かむりをし、ただ ひたすら身内の死のみを悼んできたというのは言い過ぎでしょうか。

一九五二年以来、八月一五日に開かれる政府主催の「全国戦没者追悼式」には、原爆や空襲による民間日本人の被害者が加えられていますが、アジア・太平洋地域で命を奪われた人たちは除外されています。そして、戦後四一年目の八月、中曽根首相は、それにもあきたらず、日本の軍人・軍属のみを神と祀る靖国神社へ、国の最高責任者として崇敬の意を表したのです。

私たちは、激しい憤りを押さえきれません。同時に、心の奥深くに強い苦悩を抱かざるをえません。私たちの国を代表するはずの戦後歴代の政府は、過去の誤ちを世界の人たちの前に、一度として慚愧したことがありません。そして、私たち自身も、そのことを真の課題となしえないままに、ここまできてしまいました。政府は、再び新たな誤ちへとすすみつつあります。

今、首相が過去の罪責を忘れることを「戦後政治の総決算」と呼ぴ、新たな犯罪へすすもうとするのであれば、私たちは、それに正面から抵抗して、過去の罪責を深く心に刻み、そこから立ち直る新しい道を捜し求め、渾身のカで歩みはじめるほかありません。そのためには、四○年間放置してきたところから出発する必要があります。

このような考えから、私たちは、靖国神社の公式参拝にかわる、すべての戦争犠牲者と向き合う新たな追悼と平和追求のあり方を生みだすために、模索を開始することにしました。

これまでの討議から、私たちは、次のような原則と方法を提案したいと思います。多くの方がたが賛同くださり、集会の実現に協力、参加いただきますよう呼びかけます。

一、原則

(1)「一五年戦争」における日本の戦争犯罪の犠牲となった人たちに、さらに広く深く思いを馳せ、それを心に刻もうとすること。そのために、関連する事実の発堀に努めるとともに、アジア・太平洋地域で亡くなった人たちの遺族を訪れ、また招き、交流しつつ、直接被害者の声にぷれながら、私たち自身の変革をめざすこと。

(2)以上を基礎とし、日本の戦争犠牲者-思想的、宗教的信条ゆえに弾圧を受け、生命を奪われた人たち、原爆・空襲・沖縄戦で斃れた民間人、またアジア・太平洋各地で、また日本本土内で犠牲になった日本人軍人・軍属など-ヘの思いを整理し、「英霊」として讃えるのではなく、悲しみのうちに記憶し、長く語り継ぐ努力を積み重ねる。

(3)犠牲者の死は、また生き残った人たちの苦しみは、今日生きる私たちが過去の誤ちを反省し、再び同じ誤ちを繰り返さないために、あくまで平和を守る責任を負いつづけることによってしか償うことができないことを明らかにし、そのための道を捜し、また歩みつづけることを言う。

(4)以上について同意する人たちが、宗教や思想・信条・社会的立場の違いを超えて、共同して集まりをもてるよう、相互に最大限の努力をはらう。

二、方法

(1)以上の原則を実現するために、宗教的儀式等によらないで、「一五分間の沈黙の時」を中心に据え、内外の犠牲者の証言や表現活動などで構成する集会を開催する。

(2)集会は、アジアの人たちにとって解放の日であるとともに、日本の民衆にとっても解放の日となるべき八月一五日に大阪地区において開催し、その前後に可能な限り日本全国とアジア各地で同趣旨の集会を実現するよう努める。

(3)集会の実現、とりわけアジア・太平洋地域の遺族への訪問、招請に向けて広範に賛同人を募り、一口一○○○円の基金を集める。賛同人は個人の資格とするが、団体の協力は広く求める。

以上

一九八六年三月二六日


OATH OF PEACE--NO MORE WAR

First of all, we would like to extend our heartful thanks to the guests from abroad for their participation in this forum.

It is 41 years since the end of the ‘Fifteen-Year-War’ which was provoked by Japan and has brought about. the great and severe damages and left the scars to the various parts of Asia.

Today’s forum gave us an opportunity to listen to the strong appeals from the war victims and their families in the Asian-Pacific region.

We find no words to express our astonishments and grief by learning the brutarity of the war crimes which were committed by Japan in the past as well as the seriousness of continuing discrimination, oppression and economic invasion by Japan against countries in the region.

On August 15, 1985, Prime Minister Nakasone visited Yasukuni Shrine which symbolizes worship of the Japanese dead soldiers as gods and praises a death for war as the highest virtue. His visit was made in the capacity of a head of state, which no other post-war prime ministers had ever done.

However, severe criticism arose immediately after his visit in different parts of the world, and it finally became a great power to make him refrain from this year’s visit.

Comparing with these critical voices from abroad, criticism inside the country was very weak, of which we are deeply ashamed.

Moreover, some people have started fighting back with hostility, claiming that the sensible voices from overseas are “interference in the internal aftairs”.

However, Iistening to the acute and grave cries of the foreign guests, we ascertained that the criticism from abroad has no single indication of interference. On the contrary, it is a warning of the risk that Japan may repeat the same error since the Japanese society as a whole has shown no reflection on the invasion into the Asian countries during the war, which was the worst “mterference m the mternal affairs”.

We will engrave in our mind the seriousness of the war crimes cornmitted in the pas_t and the great weight of the innumerable deaths thereupon, and we will act to come up to the expectations of those who gave us valuable speech today.

We hereby swear :

1 . that we will further strengthen our movement for peace and disarmament so that the Japanese military and weapons will never crush and destroy your land again,

2 . that we will strengthen our appeal for prompt and sincere measures on behalf of the Hibakushas living in Korea towards the Japanese govern-ment, who does not yet clearly admit the responsibility for war and has not made even the minimum compensation to them as pointed out in the speech of the Korean Hibakusha,

3 . that we will give our thorough consideration to the fact that the Japanese society still has bias and discrimination against people in the Asian-Pacific region and economically oppresses them, and we will further strengthen our efforts to change our society and way of living.

On August 15, 1986

By all participants of “Forum to Ponder on the War Vrctims m the Asran Pacific Region and Engrave It in Our Mind”.

 

2022年4月(日録)

2022年4月(日録)

できごと
01 SとZOOMで話す。原爆関係資料について。
01 ヒロシマ遺文への投稿=「広島県の近代化遺産」
02 N君(学生時代の研究室で同期)死亡。
02  ヒロシマ遺文への投稿=「2022年4月(日録)」、「アジアの声-侵略戦争への告発」
03  ヒロシマ遺文への投稿=「中国人戦争被害者の要求を支える会」
04 **(ガーデン夢工房)、桜が丘庭木で道路に枝がはみ出したものを伐採。
04  ヒロシマ遺文への投稿=「中国人戦争被害者の要求を支える会ニュース」。
05  ヒロシマ遺文への投稿=「日本の戦争責任センター」、「文献:戦争責任・戦後補償」。
06  ヒロシマ遺文への投稿=「広島・長崎と戦争責任─原水爆禁止運動以前の動向」、「季刊 戦争責任研究」。
07  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:チェルノブイリ原発事故1986~88」
08 呉市民劇場。前進座「くずーい 屑屋でござい」。新日本造機ホール。<市民劇場は解散したが、残務整理で確定した予算残金での公演。7月19日にも。>
08  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:チェルノブイリ原発事故 1989」、「同前 1990」、「同前 1991」、「同前 1992」、「同前 1993」、「同前 1994」、「同前 1995」
09 ヒロシマ遺文への投稿=「年表:チェルノブイリ原発事故1996」、「年表:チェルノブイリ原発事故1997」、「年表:チェルノブイリ原発事故1998」、「
年表:チェルノブイリ原発事故1999」、「年表:チェルノブイリ原発事故2000~」
10 ヒロシマ遺文への投稿=「「桑原裁判」の証人尋問記録」、「原爆医療法に基づく認定申請却下処分の取消請求事件(昭和44年(行ウ)第8号)」、「年表:桑原原爆訴訟」、
11 ヒロシマ遺文への投稿=「『桑原裁判判決(全文)-昭和48年4月19日言渡』(水爆禁止広島県協議会・広島県原爆被害者団体協議会)」、「桑原裁判の経過と問題点」
12 ヒロシマ遺文への投稿=「桑原訴訟に対する田辺判決の矛盾について 佐久間澄」、「桑原裁判の判決について 相良勝美」、「三菱広島・元徴用工裁判を支援する会」、「深川宗俊関連資料」
13 **より電話。森滝資料40箱分が広島大学文書館へ託された由。
14 ヒロシマ遺文への投稿=「在韓被爆者渡日治療広島委員会」、「年表:在韓被爆者渡日治療広島委員会」、「在韓被爆者問題を考える」、「在韓被爆者問題市民会議」、「見捨てられた在韓被爆者-日・韓両政府は彼らを見殺しにするのか-」
15 ヒロシマ遺文への投稿=「土居和江」。
16 ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマから生物・化学兵器を考える」
17 ヒロシマ遺文への投稿=「大久野島毒ガス障害死没者慰霊碑」、「大久野島毒ガス資料館」。
18 ヒロシマ遺文への投稿=「戦争記念館 戦争展 読売新聞大阪本社社会部」
19 ヒロシマ遺文への投稿=「資料:日本現代史研究会」
20 ヒロシマ遺文への投稿=「現代史サマーセミナー開催一覧」、「731免責の系譜-細菌戦部隊と秘蔵のファイル」、「イラン毒ガス被害者とともに」。
21 ヒロシマ遺文への投稿=「戦争はどのように語られてきたか」、「8ケ国語訳「世界の人へ」 朝鮮人被爆者の記録」、「天皇の逝く国で(ノーマ・フィールド)」。
22 ヒロシマ遺文への投稿=「現代歴史学と戦争責任(吉田裕)」
23 ヒロシマ遺文への投稿=「レポート 揺れる京大 紛争の序章」.
24 ヒロシマ遺文への投稿=「東大闘争 その事実と論理(井上清)」、「嵐の中に育つわれら――東大闘争の記録」、「「満州事変」と広島」、「南京の日本軍―南京大虐殺とその背景(藤原彰)」。
25 ヒロシマ遺文への投稿=「年表:沖縄・広島 1972年~」、「沖縄文化共同取材ツアー(日本機関紙協会広島県本部)」。
26 ヒロシマ遺文への投稿=「シナリオ 世界の人へ 朝鮮人被爆者の記録」、「朝鮮人被爆者と私(岡正治)」、「年表:沖縄・広島 1995年」、「年表:沖縄・広島 1972年~94年」、「年表:沖縄・広島 1996年~2000年」
27 赤帽、桜が丘の書庫に来る。資料15箱を広島へ。
27 ヒロシマ遺文への投稿=「タブーへの挑戦ー本島(長崎市長)発言に市民は…」。
28 ヒロシマ遺文への投稿=「広島県原爆被害者団体協議会陳情書(市長宛、1970年6月16日)」
29 ヒロシマ遺文への投稿=「長崎の証言20年」、「日印サルダボヤ協会」、「機関紙サルダボヤ」
30 ヒロシマ遺文への投稿=「沖縄を返せ 荒木栄作品集「不知火」所収」。

 

2022年3月(日録)

2022年3月(日録)

できごと
01 ビキニデー
01 ヒロシマ遺文への投稿=「京都大学文学部平和委員会(学生) 1967年10月~3月」、「資料:学生運動」。
02  ヒロシマ遺文への投稿=「平城宮跡保存の呼びかけ(1967年9月12日)」、「万葉一日旅行(1967年5月21日)」。
03  ヒロシマ遺文への投稿=「資料:京都大学美術研究会」、「刀剣(工芸班 線の美術 京大11月祭スライド会)記録」
04  ヒロシマ遺文への投稿=「紀元節問題に関する資料集 1966年1月」、
05  ヒロシマ遺文への投稿=「連盟通信(全日本学生新聞連盟)ヒロシマ関係記事」、「8・6広島学生平和会議(1954年)」、「文化財を守る会」、「文化財を守る会(宇吹メモ)」、「ニュース 平城と藤原」。
06  ヒロシマ遺文への投稿=「宇吹レジメ(発表・報告・講演)一覧」。
07  ヒロシマ遺文への投稿=「広島市立洛陽工業高等学校要覧」、「教育実習ノート(指導案)」、「実習日誌(第12日)」。
08  国際女性デー
08 ヒロシマ遺文への投稿=「原動機付自転車運転免許証」
09  ヒロシマ遺文への投稿=「明治百年祭・式典(1968年10月23日)批判資料」、「資料:家永三郎教科書検定訴訟」。
10  桜が丘へ。母屋の写真帳をチェック。家族史に役立ちそうなものを自宅に持ち帰る。
10 ヒロシマ遺文への投稿=「京大闘争 京大神話の崩壊」。
11  東電福島第一原発事故10年。
11 朝日新聞紙面ビューアーインストール。
11 昭和図書館で山形県・秋田県・青森県・新潟県の歴史(山川出版社)を借り出す。
11 ヒロシマ遺文への投稿=「宇吹暁の先祖」、「宇吹静男の兵籍」。
12  桜が丘へ。幸男の資料など母屋の資料を見る。
12 ヒロシマ遺文への投稿=「創立百周年記念誌(呉市立吉浦小学校)」、「修道高等学校卒業記念(昭和39年度)[アルバム]」、「道重哲男」、「香川亀人」。
13  ヒロシマ遺文への投稿=「誕生~保育所 アルバムより」、「呉市立吉浦小学校 アルバムより」、
14  ヒロシマ遺文への投稿=「宇吹静男のアルバム」、「宇吹ヤスのアルバム」、「呉市第1回鉱山勤労報告隊 昭和17・8・22」。
15  BSプレミアム「アナザーストーリー この世界の片隅に」視聴。
15 ヒロシマ遺文への投稿=「祖母と母」、「父の納骨のため京都旅行 1995年10月14~15日」、「宇吹ヤス私歌集(8月分抄録)」。
16  ヒロシマ遺文への投稿=「日本の原爆被爆者数(都道府県別)」、「北海道のヒバクシャ」
17  ヒロシマ遺文への投稿=「青森のヒバクシャ」
18  昭和図書館に山形県・秋田県・青森県・新潟県の歴史(山川出版社)を返却。
18 ヒロシマ遺文への投稿=「秋田のヒバクシャ」、「山形のヒバクシャ」、「新潟のヒバクシャ」、「宮城のヒバクシャ」、
19  尾関周二著『21世紀の変革思想に向けて―環境・農・デジタルの視点から』、届く。
19 ヒロシマ遺文への投稿=「年表:青森のヒバクシャ」
20  ヒロシマ遺文への投稿=「富山のヒバクシャ」、「沖縄のヒバクシャ」、「年表:岩手のヒバクシャ」
21  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:富山のヒバクシャ」
22  3度目の千羽鶴製作開始。<千羽鶴製作 20181203~20190427=目標達成。中断。20210331~20211027=目標達成>再開。
22 ヒロシマ遺文への投稿=「群馬のヒバクシャ」、「年表:群馬のヒバクシャ」、「山梨のヒバクシャ」、「長野のヒバクシャ」、「
石川のヒバクシャ」、「福島のヒバクシャ」、「福井のヒバクシャ」、「高倉山温泉被爆者療養センター」
23  ヒロシマ遺文への投稿=「元広島文理科大学(旧広島大学理学部1号館)の保存を考える会」、「ウクライナの世界遺産」。
24  ヒロシマ遺文への投稿=「Ukraine: UNESCO statement 20220303」、「Ukraine: UNESCO statement 20220224」、「Struve Geodetic Arc」、「Struve Geodetic Arc–map」
25  ヒロシマ遺文への投稿=「沖縄県在住被爆者対策推進調査団報告集(1973年6月)厚生大臣および沖縄県知事への要望書 1972年9月25日」。
26  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:長野のヒバクシャ」。
27  ヒロシマ遺文への投稿=「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」
28  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:韓国の原爆被害者を救援する市民の会」
29  『生きる 被爆者の自分史 第6集』(20220323)、『こころの病は人生もよう―統合失調症・ユング・人類精神史』(尾関夢子・尾関周二、本の泉社刊、20210322)届く。
29 ヒロシマ遺文への投稿=「広島県立文書館だより 記事抄録」。
30  ヒロシマ遺文への投稿=「広島県立文書館紀要」。
31  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:中国人被爆者」。

ヒロシマと右翼暴力団<運営委員会の発表(1969年8月6日)>

ヒロシマと右翼暴力団<運営委員会の発表(1969年8月6日)>

出典:『議事要録 (第15回原水爆禁止世界大会)1969年』p75
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昨日の文化大集会に参加するために本体育館に集ってきた世界大会代表団ならび一般広島市民にたいし、右翼暴力団が数次にわたり襲撃し、多数の負傷者を出す・・・
自動車でのりつけ・・・樫の棒をもっておそいかかり、ところ構わずなぐりつけ頭や腕腰に負傷させた。福島、大阪、埼玉代表団員数名は、頭を五つハリ、六つハリも縫うという相当な重傷をおいました。
この事件で最も重視すべきことは、暴力団があばれまわっているのを警察は、これを制止せず、むしろ傍観的態度をとっていたということ
わったしは事件後ただちに、徳毛広島県原水協常任理事とともに県警本部に厳重抗議し、警察のこのような無責任な不当な態度を追求し、犯人の即時逮捕を要求・・・
かつて、1960年の安保闘争を前にしての第5回原水禁大会のときもこの広島で暴力団が、わが平和行進団を襲撃し、多数の負傷者を出したことを忘れることはできない。

放射線影響研究の十年

『放射線影響研究の十年』(文部省科学研究費」(総合)「放射線の影響」研究班、1965年3月)

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前篇(時代別)
 田島英三、渡辺漸、桧山義夫、田島英三
 後篇(分野別)
山崎文男、三宅泰雄、田島弥太郎、桧山義夫、宮川正
 はしがき
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新聞論調反核1965

新聞論調反核1965

月日 紙名 著者・「見出し」など 備考
0109 中国 新聞 青ポスト 若い世代と平和
青ポスト=投書
0112 中国 新聞 市政レポート 成人式と青年運動
広島 ここにも原爆の傷
0113 中国 新聞 青ポスト 消防団員の被爆証明
0117 朝日新聞 世界の鼓動 欧州核戦略の現実
0122 中国 新聞 青ポスト 被爆証明は町名明記
0129 中国 新聞 青ポスト お役所仕事に疑問
0129 中国 新聞 青ポスト 被爆者救援の実態
0304 中国 新聞 書評 「アメリカの英雄」(いいだ・もも著)
0310 中国 新聞 森滝市郎「シェルフ博士をいのぶ」
0310 中国 新聞 青ポスト 被爆は過去か未来か
0316 中国 新聞(夕刊) いやほん 原爆碑にもうでて
いやほん=夕刊投書
0419 中国 新聞 被爆20年 ヒロシマは忘れない その「遺産」を見守る作家
エッセー 大江健三郎「ヒロシマ・ノート」
小説  いいだ・もも「アメリカの英雄」
映画  黒木和雄「とべない沈黙」
   今井正「かあさんと呼べた」
演劇 宮本研「ザ・パイロット」
0422 中国 新聞 青ポスト 原爆でも銃弾でも
0422 中国 新聞(夕刊) 風紋 平和ボケ
風紋=夕刊コラム
0423 中国 新聞 田辺耕一郎「ベトナム戦争と平和運動」
広島市原水協常任理事
0425 中国 新聞 青ポスト 悲願の鐘のトビラ
0512 中国 新聞 原田東岷「沖縄で原爆被爆者を健診」
0515 朝日新聞 本社記者座談会 2回目の中国核実験
0524 中国 新聞 青ポスト まず被爆者の団結を
0525 中国 新聞(夕刊) いやほん 市当局へ三つの疑問
0527 中国 新聞 青ポスト 広島人に理解できぬ
0601 朝日新聞(夕刊) 大江健三郎「『原爆体験記』に思う(上)―配布禁止書の出版にあたって」
**** 大江健三郎「『原爆体験記』に思う(下)―被爆者同士の救助」
0605 中国 新聞 田坂戒三「原爆被害補償の法制化を―原爆は国際法に違反する」
広島弁護士会原爆対策特別委員会会長
0609 中国 新聞 青ポスト 被爆義勇隊員の援護
0613 中国 新聞 青ポスト 被爆者白書を早く
0613 中国 新聞 青ポスト 被爆義勇隊員に答え
0616 中国 新聞 青ポスト うらやましい病院
0617 中国 新聞 青ポスト 拝啓-永山自治大臣殿
0619 中国 新聞 青ポスト 生体解剖も考えよう
0622 中国 新聞 原爆おとめにやっと”春” 晴れてゴールイン 花嫁探しの日系二世と
0622 中国 新聞 青ポスト 一日も早く援護を
0624 中国 新聞 青ポスト ”生体解剖”を読んで
0626 中国 新聞 田丸久夫(広島県松永警察署長)「私の秘けつ」
朝日新聞(夕刊) 風紋 原爆歌人の死
0629 中国 新聞 青ポスト 被爆児の母として
0630 中国 新聞 青ポスト 生体解剖より生活を
0701 中国 新聞 ようこそ 大浜信泉(のぶもと)氏(早稲田大学総長)「平和運動乱す政治 ”人類”の純粋さに戻れ」
0703 中国 新聞 天風録
0710 朝日新聞 『原水爆白書』へ高まる要求 ”権威ある資料を” 学者・文化人が具体的構想 政府も秋に被爆者調査
0719 朝日新聞 社説 原水禁中国代表の入国許可
0720 朝日新聞 都内に住む原爆被災者 ”傷跡”生々しい4018人
0720 朝日新聞 被爆20年目を迎えた二つの原水禁大会 焦点はベトナム ソ連系代表、出席に慎重
0724 中国 新聞 ニュース世界図 200回記念特集
どこまで届いたヒロシマの悲願
0727 朝日新聞 社説 原水禁運動は再出発を
0729 中国 新聞 天風録
0728 アカハタ 連載 被爆者はたたかっている 被爆20周年を迎える広島と長崎(1)~ ~0807(10)
0731 中国 新聞 天風録
0731 中国 新聞(夕刊) 『ヒロシマ』の写真を4万枚 20年撮影し続けた佐々木さん 廃墟・復興ありあり 肉親13人の死で決意 供養に出版したい
0801 中国 新聞  青ポスト 原爆資料館と市民球場の間
0802 中国 新聞  読書 8月6日をめぐる本 20年後にえがかれた実存ヒロシマ
0802 中国 新聞(夕刊)  好核武装
0803  中国 新聞  原爆への怒りと平和への悲願 この20年 ステージ 映画
 0803   中国 新聞  天風録
 中国 新聞(夕刊)  風紋 生きのびて
 0804   中国 新聞  青ポスト 被爆避難者の遺骨 中島小学校吉島分室の生存者へ
 0804  朝日新聞  「ヒロシマ」の歩み ”原爆記者”の手帳から
0805  中国 新聞  天風録
0806  朝日新聞  社説 原爆記念日に思うこと
0806  中国 新聞  小西ノブ子「追憶の記」
 0806  中国 新聞  天風録
 0806  中国 新聞(夕刊)  ニュースの主役 浜井信三 被爆20周年平和記念式典を主催する広島市長
 0807  中国 新聞  天風録
 中国 新聞  青ポスト 暗すぎる平和公園 所期の目的に戻れ
0807  中国 新聞(夕刊)  ひろしまの宿 女優望月優子 大江氏の原爆観に共鳴 ”母親”役に気概と自信
0808   朝日新聞  おとうさんがいない 原爆で身内を失って
0808  中国 新聞  大原博夫(元広島県医師会長、前広島県知事)「原爆直後のこと 医師の献身的な活動」
0808  中国 新聞  きょうのスナップ 作家井上光晴氏 被爆者の差別追及 進歩的ポーズを批判
 0809  中国 新聞   天風録
 0809  中国 新聞  青ポスト 原爆短歌
 0809  中国 新聞(夕刊)   風紋 長崎の日に思う
 0810  中国 新聞    天風録
 0811  中国 新聞   青ポスト 完全医療を一日も早く 平和公園の照明度
 0812  中国 新聞  岩崎昶「原爆 悪夢からの脱出 『持つこと』と『使うこと』」
0813  朝日新聞  本社記者座談会 原水禁各大会を終って
 0815 中国 新聞   天風録
0816 中国 新聞  原水禁運動の反省と展望
 中島健蔵(原水協、評論家)
 末次一郎(核禁会議系、日本健青会会長)
 日高六郎(原水禁系、東大教授)
 0816  中国 新聞  ことしの原水禁大会 三つの大会を振り返る
0820 中国 新聞  灯浮標 野地潤家「夏の花」
0821 中国 新聞 三木利英「大クレゴリウスの回心 平和運動の再出発のために」
0821 中国 新聞 大野允子さん 原爆長編童話「海に立つにじ」を出版した
0822 中国 新聞 ドームによせて(10) 秋島芳恵「光が地上を射すのは」
0823 中国 新聞(夕刊) いやほん 八・六集会の跡始末
0824 中国 新聞 読書 「海に立つにじ」大野允子著
 0828  中国 新聞  天風録
0903 中国 新聞 三好英夫「原爆症治療への試み」
0904 中国 新聞 <ラテ欄>作業中ひろしまの歌 原爆症宣告されヤケ 殺人のむすこに悩む母親
0906 中国 新聞 宍戸(共同通信社)「シュバイツァー博士 ランパネレ訪問の思い出」
0906 中国 新聞(夕刊) 風紋 魂の師
0910  中国 新聞  青ポスト 広島市歌作詞者としての反省
0911 中国 新聞 明窓 八月六日の恐怖
0914 中国 新聞 この人この本 「失意の虹」大木惇夫氏
0916 中国 新聞 青ポスト 原爆体験記を読んで
0920 中国 新聞 こだま 新聞協会賞と原爆
1002 中国 新聞  天風録
1004 中国 新聞 丸木位里画伯 墨絵の未来を切り開く 「原爆の図」で国際画壇に
 1010  中国 新聞  青ポスト 広島憩の家の利用
1013 中国 新聞  青ポスト 「広島憩いの家」についてお答え
1020 中国 新聞 今日から新聞週間 新聞の勇気が守る世界の平和 新聞週間代表標語
1020 中国 新聞(夕刊) 本紙(原爆報道)協会賞を受賞 第18回新聞大会ひらく
1021 中国 新聞 新聞協会賞受賞記念座談会 20年目の日本―戦争と平和を考える―
出席者:猪木政道、桑原武夫、高橋和巳
 本社側:森脇編集局長、平岡編集委員
1021 中国 新聞(夕刊) 風紋 被爆者援護法の推進
1023 中国 新聞  天風録
1023 中国 新聞 この人この本 坂田稔・伊東壮「大正文化」
1024 中国 新聞 どうなる戦後処理法 広島平和都市兼摂法旧軍港市転換法
1024 中国 新聞 青ポスト 原爆死亡者の調査を
1026 中国 新聞 青ポスト 平和公園前の戦車 天獏慰霊碑と自衛隊
1027 中国 新聞 青ポスト 観閲行進に大賛成 平和の誓いにそむく
1027 中国 新聞(夕刊) 回想
1029 中国 新聞 ぺんだこ 余震続く平和公園問題
1030 中国 新聞 青ポスト 被爆手帳は何のため 被爆者にも法の壁
1111 中国 新聞 青ポスト 被爆者手帳と被爆者援護についてお答え
1116 中国 新聞 原爆小頭症の娘さん ”短い生涯”終える 20年の闘病の末 小頭症コロニー造れ
1123 中国 新聞 NHKTV28日放送「耳鳴り」 原爆のむごさ訴える 広島一主婦の記録
1203 中国 新聞 この人この本 憂鬱なる党派 戦後の青春と対決 広島の生と死を起点に
1211 中国 新聞 天風録
1221 中国 新聞 連載 在日朝鮮人(14 おわり)

ハーザック「アメリカの戦争・平和グループ」

アーサー・ハーザック「アメリカの戦争・平和グループ」

『朝日ジャーナル』連載 1965年7月11日~8月29日 Vol.7  NO.28~36.

NO. 掲載月日
1 0711 前進戦略主義者
2 0718 軍事分析家たち(上)
3 0725 軍事分析家たち(下)
4 0801 現実主義者たち
5 0808 実験主義者たち
6 0815 平和研究家たち
7 0822 平和主義者たち(上)
一つの目標、百の態度/生存主義と急進主義/部分核停条約の橋渡し役/SANEとWSP/
8 0829 平和主義者たち(下)
拡散するイデオロギー/非暴力抵抗主義者/「平和のための世界ゼネスト」団/

雑誌反核1965

雑誌反核1965

誌名 著者「タイトル」 備考
01 現代の眼 編集部「記録・原潜寄港の2年間」
02  歴史学研究  朴慶植「地平洋戦争における朝鮮人強制連行」
 02  歴史学研究  総合部会 原水禁運動をめぐって
 遠山茂樹「戦後平和運動の歴史」
 峰岸純夫「第10回原水爆禁止世界大会参加記-とくに階層別集会『科学者協議会』を中心に」
 深谷克巳「平和運動と歴史学」
0301 日本読書新聞 日高六郎「人間の威厳と人間の連帯-大江健三郎氏の『ヒロシマ・ノート』が訴えるもの」
0419 日本読書新聞 いいだ・もも「<美しい雲>と戦後 俳優座〔ザ・パイロット〕を観て」
0419 日本読書新聞 「連載 ドキュメント ヒロシマ八月六日(6)
 05 歴史学研究  清水知久「第2次大戦終了期アメリカのアジア政策」
 07  歴史評論  今堀誠二「歴史への旅 パールバックとエドガー・スノー」
 07  歴史評論  <アンケート>危機に想う 2
 今堀誠二「核兵器使用反対運動を」
 太田秀通「」、永原慶二「」、増井経夫「」
 石井金一郎「許しがたいくりかえし」
  直木幸次郎「」、門脇禎二、鈴木良、平野義太郎、、、、、
07  歴史評論  <ものみやぐら>
1、ベトナム・・・
2、ベトナム・・・
3、ベトナム・・・
4、ベトナム・・・
5、日本史資料センター問題、東京で第1回公聴会
  学術会議人文科学特別委員会主催
0711 朝日ジャーナル アーサー・ハーザック「アメリカの戦争・平和グループ」
連載 1965年7月11日~8月29日 Vol.7  NO.28~36.
 08  科学朝日 特集 広島・長崎原爆から20年
  08   科学朝日  杉原芳夫「原爆症をめぐる二つの立場」
20220215112933529
  08   科学朝日 「長崎原爆症の実態」
  08   科学朝日 熊取敏之「ビキニ被災者の臨床医的経過」
  08   科学朝日 塚本憲甫「国連科学委員会におけるその後の討議」
  08   科学朝日  藤井正一「原子爆弾と建築物」
  08   科学朝日  岸田純之助「核軍縮の協定を急げ」
08  放送RCC  私の戦後20年
深川宗俊
 小林みさを
 蜂谷道彦
 08   放送RCC 編集部「原爆特集番組を顧みて」
 ●原爆特集番組一覧
0802 日本読書新聞 渡辺一衛(『方向感覚』同人)「市民派の独自性-異なる様式のままの統一を」
0807 図書 三好徹「原爆に忘却の麻酔はきかない 4冊の原爆書から」
0809 日本読書新聞 ”ヒロシマ”と私 大江健三郎『ヒロシマ・ノート』を読んで 第3回「私の読書ノート入選発表」
日高六郎「応募作を読んで 4つの典型的視角-問題の所在そのものを暗示する」
入野忠芳(25歳・画家)「共有されるべき原点 ヒロシマは特殊だろうか?否!」
遠藤昭己「」、吉村敬一郎「」、斎藤酉子「」
0809 日本読書新聞 NEWS 「8・15を迎えるにあたっての訴え 平和と民主主義の理念を再確認するため」
0813 週刊朝日 ヒロシマの影いまだ消えず 原爆病院重藤院長のみてきた20年
0830 読書新聞 小久保均「続日本教育探検(5)ある被爆少女」
 09  現代の眼  いいだ・もも「市民民主主義運動の論理と心理」
0906 日本読書新聞 石田郁夫「”原爆の死者”との対話 被爆記録が今日に語りかけるもの」
11 文化評論 中根博「被爆者問題とテレビ番組」
11 文化評論 第11回原水禁世界大会のあとに(その1)
北西允「広島の被爆体験と原水禁運動のあゆみ―一知識人活動家のおぼえがき」
11 文化評論 第11回原水禁世界大会のあとに(その2)
山代巴「一つの補足―『この世界の片隅で』を編集して
12 現代の眼 汐見太郎「道徳再武装運動の謎」
12 現代の眼 峠三吉「ユートピア・ヒロシマ」1946・7・20
中国新聞懸賞募集「ユートピア・ヒロシマの建設」応募作品1等当選作

 

雑誌『世界』反核1965

雑誌『世界』反核1965

著者「タイトル」 備考
01 日本学術会議第42総会「原水爆実験の禁止、核兵器の全面廃棄について世界の科学者に訴える」 19644030
01 佐久間澄など「声明<原潜寄港関連>」 19641010
1106物理学会(名古屋)で発表、11月6日現在の署名者総数1215名。
01 安部知二・家永三郎・今中次麿など24名「声明書」 19641103
01 J・D・バナール(世界平和評議会代表委員会議長)「中国核実験にかんする声明」
03 今堀誠二「原水禁と被災白書の運動―広島におけるある試み―」
04 「日本の潮 日本にも地下核実験観測所」
04 臨時増刊号 ヴェトナム問題に関する声明・要望
世界平和アピール七人委員会「要望」 ⇒佐藤栄作(内閣総理大臣) 19650406
物理学研究者有志「ベトナムにおける米国の軍事行動を非難する声明」 19650402
物理学研究者有志「米軍の毒ガス使用に抗議する声明」 19650402
07 岸田純之助「中国の核実験と戦略構想」
08 安田武「20年後の『戦争体験』-わだつみ会と平和運動-」
10 アメリカのヒロシマ・ナガサキ・デー
10 木下順二「1965年8月15日の思想」
10 スタンフォード大学教授一同「アメリカ合衆国大統領に抗議する」
10 8月15日はまだ終わっていない―8・15記念国民集会の記録
木下順二、丸岡秀子、蝋山正道、藤井日達、武田清子、古在由重、岡村明彦、遠山茂樹、石井伸枝、丸山真
11 石橋政嗣「日米安保条約の論理と実態-「事前協議」を中心に」

『月刊社会党』反核1965

『月刊社会党』反核1965

著者「タイトル」 備考
01 吉川清「被爆記」
02 吉川清「被爆記」②
02 谷木寛作「”反原潜”の闘い 激闘・佐世保の4日間」
02 上住実「『平和』と『軍縮』はひとつ ニュー・デリー平和会議報告」
02 森滝市郎「たくましい平和運動の根っ子” オーストラリア平和会議に出席して」
03 吉川清「被爆記」③
04 吉川清「被爆記」完
04  鈴木正次「原水禁運動の構想とその意義 原水禁国民会議の発足にあたって」
04  吉永正人「反原潜闘争の問題点① ”社共共闘”と党中央の指導性 現地・佐世保からの提言」
07 伊藤茂「 特集 被爆20周年・原水禁世界大会の課題 その成功のための4つの提案」
07  鈴木正次「被爆20周年―その運動の重点」
07  大原亨「被爆20周年を迎える救援運動の課題―被爆の実相を明らかにし援護法制定へ」
07 特別寄稿
07  太田薫 「反戦・平和の闘いをすすめよう」
 07  高桑純夫「原水禁大会と護憲の論理」
 07  東京の被爆者の記録

編年資料:ヒロシマ-1964年(第10回世界大会をめぐる広島の動向を中心に)

編年資料:ヒロシマ-1964年(第10回世界大会をめぐる広島の動向を中心に)

月日 事項・資料名など 発⇒宛
0226 『3・1ビキニ被災10周年記念原水爆禁止全国大会』(日本原水協主催)を迎えるに当って皆さんに訴えます 日本共産党広島県委員会
0429 5月10日準備会結成集会日程
0516 第10回世界大会ニュース No.1(世界大会世話人会)
05 第10回原水爆禁止世界大会・百万人集会のための宣伝・組織・寒波活動材料の取扱いについて 第10回原水爆禁止世界大会推進広島県世話人会
0603 広島県被爆者代表会議ニュースNo.1 世界大会世話人会
0607 宣言(案) 原水爆禁止広島県協議会再建大会
0607 原水爆禁止広島県協議会会則(案)
0612 第10回原水禁世界大会ニュース No.3(原水爆禁止広島県協議会)
 0620  日本原水協の旗のもとに結集し第10回世界大会を成功させよう  第10回原水禁世界大会推進安芸郡原水協再建実行委員会
 0623  第10回原水禁世界大会推進安芸郡原水協再建実行委員会
 0701  東南アジアでのアメリカの核兵器使用、核戦争挑発を阻止し 日本原水協の主催する第10回原水禁世界大会を成功させよう  原水爆禁止府中町協議会・原水爆禁止安芸郡協議会⇒
 0701  広島県原爆被害者組織再建の御挨拶
 07  第2回常任理事会(0705)決定事項
 07  第10回原水禁世界大会支持者名簿-第2次集計-(1964年7月7日現在)
 0711  第10回原水禁世界大会を成功させるために会員は全力をあげて奮斗しよう!!  原水爆禁止広島県協議会
 ****  第10回原水禁世界大会へのとりくみ 1964.7.5~7.31
 ****  第10回原水禁世界大会のもちかた、第10回原水禁世界大会会議日程
  ****  第10回原水爆禁止世界大会を成功させよう!!   原水爆禁止広島県協議会
07  「被災三県連絡会議」と私どもの立場  鈴木直吉(原水爆禁止広島県協議会会長)・佐久間澄(理事長)
0723  第10回原水禁世界大会の成功のために 日本共産党広島県常任委員会
0723 第9回原水禁世界大会と日本共産党の立場 政策シリーズ第78集 第79集・第89集
日本共産党中央委員会宣伝教育文化部編・日本共産党中央委員会出版部刊
0803  第10回原水禁世界大会日本共産党速報No.1  原水爆禁止世界大会日本共産党代表団
 08 第10回 原水爆禁止世界大会広島記念行動に参加しよう!  日本原水協・広島県原水協
08  核戦争阻止・核兵器・核実験の、全面禁止の旗を高くかかげて、第10回原水禁世界大会の成功をかちとろう!  日本共産党広島県委員会
 0804  アカハタ(日本共産党中央機関紙)号外 、第10回原水禁世界大会国際会議
0805 第10回世界大会速報(号外1964・8・5)
原水爆禁止日本協議会(発行人:吉田嘉清)
0806 第10回世界大会速報 号外
0904  第10回原水禁世界大会とりくみの中間総括について
0910 原水協通信号外 原子力潜水艦寄港反対ッ特集号
0915 広島原水協通信No.4 発行責任者:三宅登
   原水爆禁止広島協議会(広島市東白島官有無番地)
11 第10回原水禁世界大会が決定した11月の国際共同行動について
1128 日本原水協・県原水協主催12・6被爆者救援広島大集会(仮称)支援並びに同集会への参加方要請の件 田辺勝(広島県原爆被害者団体協議会理事長)⇒