NPT再検討会議(2000年)

4月から5月、核兵器不拡散条約(NPT)の無期限延長決定後初めてとなるNPT運用検討会議が、ニュー・ヨークで開催された。この会議は、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効、カットオフ条約交渉の即時開始とその5年以内の終了等を始めとする、今後国際社会が取り組むべき核軍縮・不拡散のための「現実的措置」を含む最終文書を全会一致で採択することに成功した。最終文書では、全面的核廃絶に対する核兵器国の「明確な約束」が明記されるなど、目標としての核廃絶はより現実的なものとなっており、今後、国際社会は、これらの「現実的措置」の実施のため、真摯に議論し実行することが要請される。

なお、この会議に際して、日本は、核軍縮・不拡散のための将来に向けた現実的措置に関する8項目提案を行って各国の合意形成のための基盤を提供する等、会議成功のために積極的な貢献を行った。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/01/1st/bk01_21.html#21-2-3

略年表:NPT(2000年)

M D NEWS1
02 12 読売新聞「解説と提言:NPT再検討会議4月開催へ-実効的核軍縮へ日本の努力重要」
02 18? 連合・原水禁国民会議・核禁会議、4月下旬から米ニューヨークで開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ、原爆展の開催を計画。
02 26 読売新聞「シンポジウム「核不拡散体制-核軍備競争再来の可能性に直面して」-核軍縮、危機の国際情勢-4月にNPT再検討会議」
03 04 中国新聞「中国論壇:核軍縮か核抑止か-NPTで問われる日本」(ハンズ・クリステンセン)
03 12 4月下旬から米ニューヨークで開催される核拡散防止条約(NPT)再検討会議で議長を務めるアブダラ・バーリ、外務省の招きで広島市を訪問、原爆資料館を見学。
03 14 中国新聞「核軍縮進展に希望-NPT再検討会議前に広島訪問-バーリ議長<アルジェリア国連大使>に聞く」
03 23 伊藤長崎市長、国連で開催される核拡散防止条約(NPT)で5月3日にスピーチを行うことを明らかにする。
03 33 広島市、4月下旬から米ニューヨークで開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議に提出するため、世界平和連帯都市市長会議に加わっている486都市の市長に平和メッセージを依頼。
04 05 核拡散防止条約の再検討会議-核軍縮へ具体的前進を-印パの核実験でNPTの危機-梅林宏道さんに聞く」
04 10 秋葉忠利広島市長、今月下旬から米国ニューヨ ークの国連本部で始まる核拡散防止条約(NPT)の再検討会議には、ひろしまフラワーフェスティバル(FF)への参加を理由に出席しない考えを明らかにする。
04 11 朝日新聞「論壇:NPT再検討会議に望む」(神谷昌道)
04 13 広島県原水禁・連合広島などのNPT派遣団の結団式、広島市内で開催。約70人が訪米の予定。
04 14 広島市、米国ニューヨークの国連本部での核拡散防止条約(NPT)再検討会議開幕を控え、日本政府が会議で「核兵器廃絶」の姿勢を明確にするよう外務省に要請書を提出。
04 14 秋葉忠利広島市長と伊藤一長長崎市長、連名で、核拡散防止条約(NPT)再検討会議において核兵器廃絶に向けた積極的外交を展開するよう求めた要請文を森首相と河野外相に送付。
04 16? 日本政府、核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、2003年までの兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)条約交渉の合意達成など、核軍縮・核拡散防止での包括提案を行う方針を固める。
04 17 伊藤長崎市長、核拡散防止条約(NPT)再検討会議での演説の骨子を発表。核兵器の違法性を指摘。
04 17 中国新聞連載「NPT会議の行方」(-19日、3回)
04 17 「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」、米ニューヨークの国連本部で開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議で日本政府が核廃絶に向けて努力するよう求める要望書を河野外相宛に送付。
04 19 広島県原水禁・連合広島・核禁県民会議の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けての訪問団一行10人、広島を出発。
04 19 原水禁・連合・核禁会議の核拡散防止条約(NPT)再検討会議派遣団一行約70人、成田空港を出発。
04 21 朝日新聞「論壇:NPT前進に積極的役割を」(黒沢満)
04 21 原水禁などの「NPT再検討会議派遣団」、ネバダ核実験場を訪問。実験場ゲート前で座り込み。
04 22 原水禁などの「NPT再検討会議派遣団」、米ニューヨークに到着。23日、非政府組織のメンバーを招き学習会を開く。
04 22 長崎新聞「24日からNPT再検討会議-無期限延長後初めて-21世紀の核不拡散を左右」
04 22 長崎新聞連載「核軍縮は進むか-NPT再検討会議を前に」(-24日、3回)
04 22 毎日新聞社説「NPT会議-核廃絶の歩みを止めるな」
04 22 毎日新聞「深層:NPT再検討会議-ほんろうされる核軍縮努力-被爆者らの訴えどこまで」
04 23 長崎新聞社説「NPT会議-「核の傘」を考えてみよう」
04 23 中国新聞社説「「非核の世紀」-NPT再検討会議-核廃絶への道筋を描け」
04 23 読売新聞「NPT体制維持の道探る-再検討会議あす開幕」
04 24 朝日新聞社説「NPT会議-世論こそ核軍縮の推力」
04 24 核拡散防止条約(NPT)再検討会議、米ニューヨークの国連本部で開催。-5月19日。アナン国連事務総長が冒頭の演説で米本土ミサイル防衛(NMD) 構想に触れ、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約を危機にさら し、新たな軍拡競争を促す可能性があると指摘、米国を批判。
04 24 朝日新聞「核の行方、波瀾含み-NPT再検討会議」
04 25 反核ネットワーク「アボリション2000」、核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれている米ニューヨークの国連本部前で集会「TIME IS UP」を開催。約300人が参加。
04 27 原水禁・連合・核禁会議の「NPT再検討会議派遣団」、米ニューヨーク国連本部の日本代表部を訪れ、核兵器廃絶へ向けたリーダーシップを発揮するよう要請。
04 27 朝日新聞「NPT再検討会議で批判の的-米NMD予算膨らむばかり-総見積もり594億ドル」
04 27 読売新聞「解説と提言:NPT再検討会議、米への批判強まる-「核」改良続行に懸念」
04 27 広島市が世界平和連帯都市市長会議のメンバーから募った核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けたメッセージの冊子が完成。森元広島市助役が核兵器保有国や国連関係者に配布する予定。
04 28 伊藤一長長崎市長、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に出席のため出発。
04 29 読売新聞「NPT再検討会議前米代表トマス・グレアム氏に聞く」
04 29 中国新聞「NPT会議第1週終了-登・軍縮大使に聞く-各国、合意へ強い意志-日本提案には高い評価」
04 30 伊藤一長長崎市長、森元広島市助役、米・ニューヨーク入り。5月1日、ダナパラ国連軍縮局長、バーリNPT再検討会議議長を表敬訪問。
04 30 読売新聞「核保有国に「廃絶」圧力-新アジェンダ連合、厳しい要求-NPT再検討会議-非同盟諸国にも共感」
05 01 フランスの代表、米・ロ・仏・英・中国の核保有5カ国、NPT再検討会議で、核廃絶を目指した「明確な誓約」などをうたった共同宣言を発表。
05 02 広島県原水禁などの核拡散防止条約(NPT)再検討会議派遣団の一行5人、広島市役所で帰国報告。
05 03 核拡散防止条約(NPT)再検討会議で非政府組織代表の演説。公式会合としては初。伊藤一長長崎市長、世界平和連帯都市市長会議の副会長として演説。
05 03 読売新聞「全米ミサイル防衛網計画-核軍縮後退、世界が懸念-米にNPT不信」
05 04 毎日新聞「NPT・核保有国「廃絶」共同声明-中露合意で「照準解除」-拒否一転、緊張緩和に期待」
05 06 中国新聞社説「「非核の世紀」-NPT再検討会議-抽象論では許されない」
05 06 中国新聞「NPTの行方:NGOと連携手ごたえ-”被爆地ロビー外交”終了」
05 08 伊藤一長長崎市長、帰国の記者会見。ニューヨークで開催中の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、被爆地を代表して演説した様子を語る。
05 08 森元弘志広島市助役、米・ニューヨークの国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議から帰任し、記者会見。
05 08 核拡散防止条約(NPT)再検討会議、論議を再開。ニュージーランドのピアソン議長が示した早急な核廃絶を求める提案に核保有5カ国が猛反発。
05 09 長崎県平和・労働センターなど、「反核9の日座り込み」を平和公園で実施。県原水禁から核拡散防止条約(NPT)再検討会議に派遣された西首延子が参加報告。
05 11 (日本時間12日)国連本部で開か れている核拡散防止条約(NPT)再検討会議、核軍縮を議論する第1主要委員会の最終会合を開く。核兵器廃 絶への姿勢をめぐる核保有国と非保有国との意見の溝は埋まらず、「合意なし」のまま12日の本会議に報告することを決定。
05 15 新アジェンダ連合、核拡散防止条約(NPT)再検討会議、論議を再開で、核保有5カ国の主張に大幅に譲歩する妥協案に対し反発。結論を16日以降に持ち越す。
05 20 中国新聞「NPT会議制約合意-非核保有国の粘り強さ奏功-思惑絡み玉虫色の決着」
05 20 朝日新聞「時時刻刻:核廃絶の道筋、地図なき交渉-NPT再検討会議大詰め-「主役」中国、軟化カギ-187カ国思惑バラバラ-進む核開発にいらだち」
05 20 (日本時間21日)核拡散防止条約(NPT)再検討会議、初めて保有国も一致して、核兵器完全廃絶の「疑いのない約束」をうたった最終文書を採択し閉幕。
05 21 中国新聞社説「「非核の世紀」-NPT会議-「核廃絶の約束」は成果」
05 21 毎日新聞「ニュースキー2000:NPT会議、土壇場で紛糾-ガード堅い核保有国-政治的駆け引きに終始」
05 21 毎日新聞「NPT会議空転-米の妥協に限界-合意の弱さ露呈」
05 21 米主要メディア、前日まで開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議をほとんどが無視。
05 22 長崎新聞「決裂の危機辛うじて回避-日本代表ら必死の説得-核保有国が廃絶確約-NPT体制維持へ仏など折れる」
05 22 長崎新聞「NPT最終文書採択-薄れゆく核の惨禍-保有国の無関心、浮き彫り」
05 22 朝日新聞社説「NPT会議-合意を結実させよう」
05 22 中国新聞「表層深層:NPT最終文書採択-日本の説得、決裂救う-登大使が大演説、各国に妥協訴え」
05 22 読売新聞「再検討会議閉幕-軍縮停滞、揺らぐNPT体制」
05 22 朝日新聞「NPT最終文書採択-核軍縮の道なお不透明-具体策は決まらず-米の指導力低下」
05 22 毎日新聞連載「核廃絶は可能か-NPT再検討会議」(-24日、3回)
05 23 読売新聞社説「NPT最終文書の有言実行を」
05 23 毎日新聞社説「NPT会議閉幕-核廃絶誓約を実現させよ」
05 23 長崎新聞社説「NPT会議-被爆地長崎の役割大きい」
05 24 赤旗「NPT再検討会議、核廃絶訴えたNGOの2代表に聞く」
05 26 中国新聞連載「核廃絶の誓約-NPT会議を終えて」(-28日、3回)
05 28 朝日新聞「世界の論調:ガーディアン(英国)-NPT合意の核軍縮実行を」
05 29 赤旗「NPT2000年再検討会議-国際世論の高まりを反映」
05 30 中国新聞「本社記事審査担当から-NPT再検討会議-核廃絶運動の試練続く」
06 05 伊藤長崎市長、NPT再検討会議への参加について定例市議会の冒頭で報告。
06 08 朝日新聞「オピニオン:核不拡散条約(NPT)再検討会議-「核廃絶の約束」実現へ-NGOと被爆地連携を」
07 06? プーチン・ロシア大統領、秋葉忠利・長崎の伊藤一長両市長にそれぞれ書簡を送り、米国との第三次戦略兵器削減条約(START3)で核弾頭を1500個まで削減する用意があるとあらためて表明。書簡は、ニューヨークで今春開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議の際に両市長がプーチンにあてた核兵器削減の要望書への返書。
07 23 沖縄サミット、終了。共同宣言「沖縄2000」で、「核兵器廃絶への明確な誓約」を合意した今年五月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議について、「その成功を歓迎する」とさらりと触れただけで論議は皆無。
07 24 広島市、今年の平和式典の概要を発表。遺族・子ども代表ら決まる。森首相・津島厚相・衆参両院議長のほかアブダラ・バーリNPT再検討会議議長などが参列予定。
08 01 中国新聞「あすからNPT合意実行どう迫る-原子力平和利用も柱に」
08 03 4月から1カ月米国ニューヨークの国連本部であった核拡散防止条約(NPT)再検討会議で議長を務めたアルジェリア国連大使、アブダラ・バーリ、秋葉広島市長を訪問。
08 05 アブダラ・バーリ核不拡散条約(NPT)再検討会議議長、広島市内での記者会見で、広島市民に「原爆の恐ろしさを世界に訴えて欲しい」と語る。
08 06 アブダラ・バーリ核拡散防止条約(NPT)再検討会議元議長、広島市の平和式典に参列。

沖縄サミットと原爆展 (2007年)

 

M D NEWS1
02 07 広島・長崎両市、サミット期間中、沖縄で原爆展の開催を計画。
02 12 鳩山由紀夫・民主党代表、沖縄サミットに合わせて広島市が計画中の原爆展に賛意を表明し、政府に協力を働きかける考えを示す。
02 14 稲嶺沖縄県知事、広島・長崎両市が沖縄サミットに合わせて計画している原爆展に協力する意向を表明。
02 22 長崎新聞社説「サミット原爆展-長崎の願い伝える好機だ」
02 22? 沖縄県、広島・長崎両市の原爆展の会場として糸満市の県平和祈念資料館の使用を承諾。
02 29 朝日新聞「列島2000:秋葉・広島市政1年-「沖縄原爆展」久々のヒットだが」-平和・経済の両立に腐心」
05 24 広島・長崎両市、両市が沖縄サミットに合わせて沖縄県で開催する原爆展に、核保有5カ国首脳に視察してもらうよう、各国大使館に要請。-25日。
06 12 秋葉忠利広島市長、主要国首脳会議(沖縄サミット)に合わせて広島、長崎両市が沖縄県で開く「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」の概要を記者会見で発表。
06 12 伊藤長崎市長、主要国首脳会議(沖縄サミット)に合わせて広島、長崎両市が沖縄県で開く「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」の概要を記者会見で発表。
06 14? 主要国首脳会議(沖縄サミット)期間中、広島市と長崎市が沖縄県糸満市で開催する原爆展について中国新聞社が在日大使館などを通じて尋ねた結果、サミット参加の海外7カ国首脳と欧州連合(EU)委員長の見学予定は無し。
06 17 広島・長崎両市、沖縄サミットに合わせて開催する原爆展を、首脳に同行して来日する夫人に見学してくれるよう招請状を、7カ国の在日大使館などに届ける。
06 20? 広島・長崎両市が沖縄サミットに合わせて開催する原爆展で、沖縄在住の被爆者が証言することが決まる。
06 23 朝日新聞「沖縄戦継承へ課題-終結から55年きょう慰霊の日-原爆展も計画」
06 23 広島・長崎両市、沖縄サミットに合わせて開催する原爆展をクリントン大統領が視察するよう求める書簡を在日米大使館に提出。
07 06 広島原爆資料館、先進国首脳会議(沖縄サミット)に合わせて沖縄県で開く原爆展の展示資料を発送。長崎原爆資料館も。
07 11 朝日新聞(広島版)「広島ひと模様:反核、沖縄から発信-原爆展で実相訴え」
07 14 広島・長崎両市、原爆展の開会式を沖縄県糸満市・県平和祈念資料館で開催。両市長など100人が参列。-26日。期間中6000人が参列。
07 20 秋葉忠利広島市長、沖縄県入り。クリン トン米国大統領が21日、糸満市の県平和祈念資料館そばの「平和の礎(いしじ)」前で演説する計画があるため、資料館で開催中の 「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」の会場で、大統領の見学に備え待機。伊藤長崎市長も。
07 21 クリントン米大統領が演説した沖縄県糸満市の平和祈念公園を訪れていた米軍基地の子供たち約40人、大統領の演説後、同公園内の同県平和祈念資料館で開かれている「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を見学。大統領は見学せず。
07 23 金城文栄・山岡ミチコ・比嘉幸子、沖縄県糸満市で開催中の原爆展会場で被爆体験を証言。約300人が参加。
07 26 長崎新聞「訴えは届いたか-沖縄の原爆展から」(-27日、2回)
07 31 朝日新聞(広島版)「沖縄の「原爆展」6000人見学-反核のメッセージ心に刻み-核廃絶への行動、ますます重要に」

ヒロシマ平和巡礼 1962年

ヒロシマ平和巡礼 1962年

事項
01 22 レイノルズ夫妻、「ヒロシマ平和巡礼計画」を発表。
02 04 ヒロシマ平和巡礼代表に松原美代子、英宏昌決まる。
03 10 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、広島を出発。13日、羽田を出発。
03 19 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、米サンフランシスコに到着し、記者会見。
04 11 ヒロシマ平和巡礼、国連本部で米ソ代表に核兵器禁止を訴える。
04 11 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、米ニューヨークの国連本部を訪れ、バンチ事務次官らに核実験禁止への努力を要請。
04 23 英核兵器廃止運動主催の大行進、ロンドンに到着。野外大会で、「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌が挨拶。
04 30 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、ジュネーブに到着。
05 01 平和巡礼の広島原爆被災者松原美代子・英宏昌, 18カ国軍縮会議開催中のジュネーブでゾーリン・ソ連代表と会見. 広島平和行進委員会のメッセージを手渡す.
05 02 平和巡礼、米代表にも核実験停止を訴える。11日のタス通信, メッセージが軍縮委の公式文書として配布されることになったと報道.
05 26 広島平和巡礼委員会、タイム誌に抗議電報。
06 19 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、共産圏諸国に向けストックホルムを出発。
07 09 全面軍縮と平和のための世界大会、モスクワで開催。-14日。各国代表2200人参加。13日、斉藤義雄日本被団協代表理事、演説(「岩手の被爆者は願う」)。広島の山田浩広島大学助教授が参加。
07 27 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、広島に帰る。
07 29 ヒロシマ平和巡礼、広島に帰る。ソなど14カ国訪問。
08 03 ヒロシマ平和巡礼報告会、広島市・平和記念館で。
04 24 19630424 レナ・エッケルト(シュバイツァー博土のひとり娘)広島を訪問。「広島は全世界の人間性を象徴する意味をもつ都市です。広島を見てたとえようのない感銘を受けました。広島こそ巡礼地にいる気持ちをいだかせるところです。非人間性は破壊されねぱ

 

書名コード 書名 編著者 出典
6201 「被爆者平和巡礼」の提議
620124 [ヒロシマ平和巡礼者推薦のお願い] レイノルズ一家 (L)-25
620201 各団体・個人の皆様へ バーバラ・レイノルズ(平和巡礼広島本部) (L)-61
620204 ヒロシマ平和巡礼メンバー選考会 (L)-31
620206 広島の皆様へ フェニックス・オブ・ヒロシマ号、ヒロシマ平和巡礼本部 (L)-26
620224 [平和巡礼広島委員会委員就任の]おねがい 相原和光(平和巡礼広島委員会準備事務局長) (L)-44
620301 国連総会に対する広島市民の訴え ヒロシマ平和巡礼委員会 (L)-63
620301 18カ国軍縮会議に対する広島市民の訴え ヒロシマ平和巡礼委員会 (L)-64
620309 [平和巡礼壮行会出席依頼] 平和巡礼広島委員会・代表委員・河村政任、事務局長・相原和光 (L)-62
620801 ヒロシマの願いを訴えて 平和巡礼の座談会 『中国新聞(2回連載)』~8月2日
620803 [平和巡礼一般報告会案内ビラ] 広島平和巡礼委員会 (L)-179

 

国連軍縮会議

 

国連軍縮会議は、アジア・太平洋地域において、軍縮問題に対する意識を高め、また、軍縮・安全保障に関する対話を行う場を提供するという観点から、1988年に設置された国連アジア太平洋平和軍縮センター(当初はアジア平和軍縮センター)の主催により開催されている。この会議では、国連総会やジュネーブ軍縮会議など、各国政府代表で構成される通常の軍縮会議のように条約交渉や決議、アピールを行うのではなく、世界各国の政府高官や軍縮問題の専門家などが、個人の資格で参加し、毎回のテーマに沿った討議を行っている。
国連軍縮会議は、1988年の第3回国連軍縮特別総会において、竹下内閣総理大臣(当時)より、国連主催の軍縮会議を日本で開催する用意があると表明したことを受けて、1989年以来毎年、日本政府の協力の下で、日本国内の地方都市で開催されている。これは、日本の軍縮に対する積極的な姿勢を国内外にアピールする良い機会となるとともに、この種の会議を全国の様々な都市で開催することにより、軍縮問題に対する日本国民の関心を高めることに貢献している。これまで、広島、長崎をはじめとして、京都、仙台、札幌、秋田、金沢、大阪、横浜,さいたま,新潟で開催。出典:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/un_cd/gun_un/gaiyo.html

開催年月日 開催地 備考
01 1989年4月19ー22日 京都
1991年5月 京都 05 31 FRI 14:10 S 国連京都会議一行への講演。14時10分より15分間。後、秋葉(放影研)・阿部静子・高橋昭博。
05 31 FRI 18:30 S 国連軍縮専門家一行歓迎レセプション(県知事・市長主催)。於グランドホテル。
06 01 SAT 10:00 S 「国連と軍縮」シンポジウム。於広島国際会議場。-12時。こういう啓蒙活動は、もういいのではないか。だれを対象としているのか、日本政府のため?明石次長の「北鮮」発言、気になっていたら、会場からもその後にも問題になった。
1992年6月15-18 広島
 03 1993年4月 京都 93 04 17 SAT 13:30 S 第3回国連軍縮京都会議参加者一行への「原爆被害の概況説明」。宇吹・長谷川・渡辺美代子・高橋。
1995年6月12-16日 長崎
08 1996年7月17-20日 広島
10 1998年11月24-27 長崎 基調テーマ「核兵器のない世界に向けて」
25 2015年8月26-28日 広島 参加者:23か国・5国際機関から83人。
27 2017年11月29-30日 広島

年表:国連軍縮会議(1989~2000年)

Y M D NEWS1
89 03 04? 長崎・広島両市長に、「国連軍縮京都会議」(4月19日-)への招待状が届く(オブザーバーとして出席)。
89 03 16 国連軍縮局、4月に京都で開催する「軍縮問題に関する国連京都会議」の概要を発表。それによると、31カ国約100人が参加。テーマは「軍縮と安全保障」など。同会閉会後は広島に移動し、原爆資料館など見学。
89 04 16 京都の市民グループ、国連軍縮京都会議へのアピール文を掲げ、反核デモ(約30人参加)。
89 04 17 「国連軍縮京都会議」(19ー22日)出席者のうち広島を訪問するメンバー・スケジュールなど決定。
89 04 19 「国連軍縮京都会議」(国連主催)、京都市で開催(31ヵ国から90人参加、22日まで)。テーマ「核実験禁止と検証」。被爆国日本での初の世界的な軍縮会議。外相、開会式に出席。広島・長崎両市長、オブザーバーとして出席。
89 04 19 「国連軍縮京都会議」の主催者、広島市の被爆者の作った「反核人形」の配布を、「人手がない」と断わる。
89 04 19? 京都の市民グループ「国際市民アクセスセンター」、各国の市民の「国連軍縮京都会議」へのメッセージをパソコン通信で収集、冊子にまとめ同会議参加者に配布。
89 04 20 「核軍縮を求める二十二人委員会」、「国連軍縮京都会議」で、非核三原則の法制化を検討していることを公表。
89 04 20 京都の市民グループ、「国連軍縮京都会議」の会場周辺で、プラカードを掲げて同会議参加者へ核兵器廃絶などを訴え。京都府警からデモ行進を阻止され、中止。
89 04 23 「国連軍縮京都会議」に出席したベネゼエラ・ソ連代表、原爆ドーム募金に寄金。(海外からの第1号。)
89 04 23 「国連軍縮京都会議」への参加者(25ヵ国53人)、来広し、原爆資料館など見学。原医研・放影研職員より被爆の社会・医学的影響の説明を受け、被爆者より被爆体験を聴取。
89 04 24 「国連軍縮京都会議」に参加したカナダ代表、来広し、原爆ドーム保存募金に寄金。
89 04 24 「『国連と軍縮』広島講演会」(広島市など主催)、広島市で開催(聴衆約400人)。「国連軍縮京都会議」参加者(日・米・ソ・カナダ代表)による講演。テーマ「いま、世界は」。
90 04 16 広島平和文化センター河合護郎理事長ら、国連軍縮仙台会議にオブザーバー参加。
90 11 15 広島市長、即位の礼出席のため来日したデクエヤル国連事務総長と東京で会見。同市長、1991年の国連軍縮京都会議参加者の広島訪問と1992年の国連軍縮会議の広島開催を要請。事務総長、前向きに取り組む姿勢を表明。
91 04 09 中山外相、参院外務委で、広島市が同市で開催を希望している国連軍縮会議について、政府としても実現に協力する考えのあることを表明。
91 04 10 国連筋、5月末の「国連軍縮京都会議」には海部首相らが参加し、これまでより注目度の高いものになるとの見方を表明。海外からの会議参加者の大半が、会議後に来広。
91 05 14 第2回国連軍縮京都会議の参加者を広島に招いて開催する「国連と軍縮シンポジウム」の内容、決定。テーマは「冷戦後の国際システム構築への課題」。
91 05 27 第2回国連軍縮京都会議、京都市で開催。30日まで。広島・長崎両市長、オブザーバー参加。広島市長ら、軍縮会議の広島開催を関係者にアピール。
91 05 28 本島長崎市長、国連軍縮京都会議に出席中に、広島市と合同で在韓・北朝鮮の被爆者の調査を国に要望したい意向を表明。
91 05 30? 国連軍縮京都会議に出席した仏のソラニュ・フェルネクス(「欧州議会」議員・「平和のための婦人グループ」メンバー)、同会議について「抽象論議をやめて具体的に行動を」とコメント。同グループは、毎年パリ郊外で広島・長崎記念行事を開催。
91 05 31 国連軍縮京都会議参加者一行45人、来広し、原爆資料館など見学。原爆映画を鑑賞し、被爆体験を聴取。
91 06 01 「国連と軍縮シンポジウム」、広島市で開催(広島県・市など主催、約500人参加)。「冷戦後の国際システム構築への課題」をテーマに、国連軍縮京都会議参加者らがパネリストとして参加。
91 10 26 広島市長、帰広。1992年の国連軍縮会議の広島市での開催について、前向きの感触を得たこと・1993年の第3回世界平和連帯都市市長会議が広島・長崎両市で開催されることなどを報告。
91 11 12 宮沢首相、広島市が1992年に開催を要望している国連軍縮広島会議について、開催が決定すれば政府は積極的に協力していきたいとの見解を表明。
92 01 21 広島市議会国際交流推進特別委員会で、6月ごろ広島市で国連軍縮会議が開催されることが明らかにされる。
92 02 01 広島市、同市で初めて開催される国連軍縮会議の日程などを発表。6月15日-18日に60人参加。国内での開催は4回目。
92 02 06? 宮沢首相、広島市で開催される国連軍縮会議に出席の意向を示す。
92 02 18 平岡広島市長、首相官邸で宮沢首相に6月の国連軍縮広島会議への出席を要請。首相、日程が許せば出席したいとの意向を表明。
92 02 19 非核の呉港を求める会、呉市・同市議会に国連軍縮広島会議が核兵器廃絶をテーマとするよう請願。
92 03 12 広島県平和委員会、6月の国連軍縮広島会議の議題を「核兵器廃絶」とするよう、広島市長と市議会議長に文書で申し入れる。
92 03 19 「核兵器全面禁止・廃絶のためにヒロシマ・ナガサキからのアピール広島市署名推進委員会、国連軍縮広島会議で核兵器の緊急廃絶を議題とするよう国連に求めることを、広島市と市議会に要請。
92 03 27 田中義具ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部大使、平岡広島市長と広島市内で会談。国連軍縮広島会議について意見を交換。
92 05 13 広島県被団協(市岡正憲理事長代行)、米国の国連本部軍縮室に国連軍縮広島会議の主要テーマを「核兵器廃絶」とするよう要請書を送付。
92 05 13? 高橋昭博ら2人の被爆者が国連軍縮広島会議終了後の6月18日、各国代表に被爆体験を証言することが決定。
92 05 15 堂ノ脇光朗前軍縮大使、国連軍縮広島会議の会場視察のため広島市を訪問。
92 06 03 広島県被団協(市岡正憲理事長代行)、広島平和文化センタ-に、国連軍縮会議代表に核兵器廃絶を要請できるよう取り計らって欲しいと申し入れ。
92 06 03 広島平和文化センタ-、国連軍縮局から明石国連事務総長特別代表が国連軍縮広島会議に出席できないとの連絡を受ける。
92 06 09 宮沢首相、国連軍縮広島会議への出席を断念。
92 06 10 国連軍縮広島会議の参加者が決定。海外22か国31人と国内38人計69人。
92 06 12 広島県被団協(市岡正憲理事長代行)、核兵器廃絶を国連軍縮広島会議の主要テーマにするよう求めた英文の申入書を広島平和文化センタ-に提出。
92 06 12 プロブスラブ・ダビニッチ国連軍縮室長、軍縮会議出席のため広島入り。
92 06 15 長崎市議会総務委員会で、国連軍縮広島会議に長崎市が関与していないことに関連し、市の平和行政へのとりくみに対する批判が出る。
92 06 15 国連軍縮広島会議開幕。19か国56人が出席。-18日。
92 06 15 国連軍縮広島会議の参加者、原爆資料館を見学し原爆慰霊碑に献花。
92 06 16 国連軍縮広島会議2日目。「アジア・太平洋地域における対話の開始及び信頼醸成の現状」をテーマに討議。
92 06 16 フィリップ・ゼリコー米ハーバード大学教授、国連軍縮広島会議で「原爆投下は正当」と発言。
92 06 16 国連軍縮広島会議で原爆投下容認発言を行ったゼリコー米大教授、姿を消し会議を欠席。
92 06 17 広島県原水爆被害者団体協議会と広島県原水禁のメンバー約30人、国連軍縮広島会議での米教授の原爆投下容認発言に抗議して原爆慰霊碑前で座り込み。
92 06 17 「平和を願う友の会」(竹内千代ら)、国連軍縮広島会議の参加者全員に手作りの折り紙人形を渡し終える。
92 06 17 大阪府高槻市立庄所小学校の修学旅行生52人、広島国際会議場を訪れ、国連軍縮室のスタッフに折り鶴を手渡す。
92 06 17 国連軍縮広島会議3日目。「大量破壊兵器とその運搬手段の不拡散」・「アジア・太平洋地域における信頼醸成措置」の2つの作業部会に分かれて討議を続行。
92 06 17? 国連軍縮広島会議の参加者、全員が毎日新聞社のアンケートに「核兵器廃絶は可能」と回答。
92 06 18 国連軍縮広島会議、全体会議を開催し閉幕。
92 06 18 国連軍縮広島会議の海外からの参加者約20人、原爆映画「ヒロシマ・母の祈り」を鑑賞後、被爆者2人の証言を聞く。
92 06 19 広島修道大学、国連軍縮広島会議に参加した米国務省科学部門科学専門調査顧問を招いて国際交流講演会を開催。約150人が聴講。
92 07 25 広島県原水禁、国連軍縮広島会議で原爆投下肯定発言をおこなったゼリコーハーバード大助教授を広島に改めて招待し対話することを計画。
92 08 28 広島県原水禁、6月の国連軍縮広島会議で原爆投下を正当する発言をしたゼリコー米ハーバード大講師に反論文を送付。
92 10 05 広島県原水禁、6月の国連軍縮広島会議で原爆投下正当化発言をしたゼリコー米ハーバード大講師から返書を受け取る。
92 11 09 国連軍縮室、1993年に京都市で国連主催の軍縮会議を開催することを明らかにする。
93 01 12 本島長崎市長、国連軍縮会議を被爆50周年に長崎で開催したい意向を表明。
93 01 13 渡辺外相、パリの化学兵器禁止条約調印式で4月に京都で国連軍縮会議(4月13日~16日)を開催することを明らかにする。
93 02 09 国連アジア太平洋平和軍縮センタ-、国連軍縮局と共催で4月13日から4日間、「第3回国連軍縮京都会議」を開催すると発表。
93 03 20 国連軍縮室・国連アジア太平洋軍縮センタ-、第3回国連軍縮京都会議の細目と主な参加者を発表。
93 04 09? 長崎県・市でつくる国連軍縮会議長崎シンポジウム協議会が開催するシンポジウムの概要が決定。
93 04 13 本島・平岡の広島・長崎両市長、国連軍縮京都会議に出席し、参加者や国連関係者と懇談。本島市長、被爆50周年に国連軍縮長崎会議を開催したい意向を伝える。
93 04 13 国連軍縮京都会議開催。-16日。メインテーマ「相互依存世界における軍縮と国家安全保障」。約80人が参加。
93 04 16 国連軍縮京都会議の出席者のうち17か国22人、広島入り。
93 04 17 長崎県・市、ダビニッチ国連軍縮室長らを招き「国連軍縮会議長崎シンポジウム」を長崎市で開催。約420人が参加。
93 04 17 第3回国連軍縮京都会議参加者のうち17か国の22人、広島の原爆資料館などを見学し、被爆者らの話を聞く。
93 04 18 国連軍縮京都会議の参加者によるシンポジウム「アジア太平洋地域における対話構築と共通安全保障の探求」、広島国際会議場で開催。約500人が参加。
93 06 03? 国連軍縮室と国連アジア太平洋軍縮センター、被爆50周年の1995年に長崎市で国連軍縮会議を開催する方向で検討を開始。
93 09 20 本島長崎市長、中田勝郎市議会議長、2年後の被爆50周年の記念行事として国連軍縮会議の長崎開催を、細川首相に要望。首相、理解を示す。
94 02 08 本島長崎市長、記者会見で第6回国連アジア太平洋地域軍縮会議に参加した感想を述べる。被爆50周年に国連軍縮会議を長崎市で開催するよう要請。
94 02 08 石栗勉国連アジア太平洋平和軍縮センター所長、広島入りし、5月に国連軍縮会議を広島市内で開催する方向で準備していることを明らかにする。
94 02 15 広島市、平成6年度当初予算案を発表。6月の国連軍縮広島会議、7月の平和・戦争に関する博物館会議の開催に向けた費用などを盛り込む。
94 05 19 石栗勉国連アジア太平洋平和軍縮センター所長、24日から開催の国連軍縮広島会議に中国・北朝鮮は参加しないことを明らかにする。
94 05 23 ダビノビッチ国連軍縮センター所長、第2回国連軍縮広島会議について「アジア太平洋地域の軍縮と信頼醸成を図る」と記者会見で語る。また、被爆50周年にあたる1995年の国連軍縮会議の開催地として長崎が内定していることを公表。
94 05 24 「ピース・リンク広島・呉・岩国」、国連軍縮広島会議を主催する国連軍縮センターと国連アジア太平洋平和軍縮センターあてに、核兵器廃絶などの取り組み強化を求める要請書を提出。
94 05 24 第2回国連軍縮広島会議開会式・全体会議、広島国際会議場で開催。テーマ「軍備の透明性、地域対話及び軍縮」。-27日。19か国から61人が参加。核拡散防止条約(NPT)の延長問題に議論が集中。
94 05 24 河野洋平自民党総裁、国連軍縮広島会議で、来年広島で核兵器保有国会議を開催するよう提案。
94 05 24 平岡広島市長、国連軍縮広島会議の全体会議で、核保有5か国の首脳会議の開催など、核兵器廃絶やヒバクシャ救援を目的とした提案をおこなう。
94 05 24 本島等長崎市長、国連軍縮広島会議で被爆50周年に国連軍縮会議を長崎で開催したい意向を表明。
94 05 24 日本政府代表、国連軍縮広島会議の発言で、来年の軍縮会議の長崎開催支持を表明。
94 05 24 第2回国連軍縮広島会議の参加者、原爆資料館を見学。
94 05 25 「被爆体験者証言の集い」、国連軍縮広島会議に参加している伊東壮日本被団協代表委員を囲み被爆者援護法の展望について話し合い。13人が参加。
94 05 25 米国の反核市民団体「ネバダ砂漠の体験」代表パメラ・マイデル、国連軍縮広島会議の出席者に、全面核廃絶を求める要請書を提出。
94 05 25 第2回国連軍縮広島会議、第2日目。「地域安全保障と軍縮推進への努力」をテーマに全体会議。
94 05 26 第2回国連軍縮広島会議、非公開の作業部会。
94 05 26 国連軍縮広島会議に出席中のシャー・インド駐日大使、平岡広島市長を表敬訪問。
94 05 27 ダビニッチ国連軍縮センター所長、来年の国連軍縮長崎会議には中国・北朝鮮が参加する公算が大きいことを明らかにする。
94 05 27 広島県・市など、公開シンポジウム「核軍縮と今日の安全保障対話」を、広島国際会議場で開催。ダビニッチ国連軍縮センター所長をコーディネーターに軍縮会議に参加した5カ国の5人が参加。市民約750人が聴取。
94 05 27 国連軍縮広島会議、締めくくりの全体会議。
94 05 27 国連軍縮広島会議の参加者ら約40人、原爆記録映画「ヒロシマ・母たちの祈り」を鑑賞後、高蔵信子と高橋昭博の被爆体験を聴取。
94 07 04 長崎県、被爆50周年に国連軍縮会議を長崎市に誘致するため高田知事らが10月か11月にニューヨークの国連本部を訪問し要請する予定であることを発表。
94 07 26 長崎県の戦後50周年記念事業懇話会、第1回会合を開催。県が提示した国連軍縮会議の開催などの事業計画案について話し合う。
94 10 12 高田長崎県知事と本島長崎市長、米ニューヨークの国連本部を訪れ、来年の被爆50周年に国連軍縮会議を長崎市で開催することを正式に要請。-13日。
94 10 13? グールディング国連事務次長、国連軍縮会議を1995年6月12日から長崎市で開催することを高田長崎県知事・本島長崎市長ら訪問団に正式回答。
94 10 18 高田長崎県知事・本島市長、国連軍縮長崎会議開催を要請するためのニューヨーク国連本部訪問を終え、県庁で記者会見。長崎開催の正式決定と「核廃絶」が主要議題になったことを明らかにする。
95 02 16? 長崎市で6月15日から5日間の日程で開催予定の国連軍縮長崎会議のテーマがまとまる。「半世紀の軍縮努力と展望」。
95 02 24 石栗勉国連アジア太平洋平和軍縮センター所長、6月の国連軍縮会議の打ち合わせのため高田長崎県知事・本島長崎市長を訪問。
95 05 11 村山首相、6月12日から長崎市で開催される国連軍縮長崎会議に出席の意向を表明。
95 05 17 村山首相が6月から長崎市で開催される国連軍縮長崎会議で演説することが決まる。
95 06 06 共産党長崎市議団、伊藤長崎市長に対し、国連軍縮長崎会議で核兵器全面禁止などを各国代表や国連に強く働きかけるよう申し入れ。
95 06 08 原水爆禁止長崎県協議会、国連軍縮長崎会議で核兵器廃絶を求める県民の願いを強く主張するよう高田県知事に申し入れ。
95 06 08 国連軍縮長崎会議を主催する国連の現地事務所が長崎市内のホテルに開設される。
95 06 09 長崎県原水禁、長崎市平和公園で「反核9の日座り込み」で、国連軍縮長崎会議で核兵器廃絶を真剣に討議するよう求めるアピールを採択。高田県知事・伊藤市長に提出。
95 06 09 村山首相、国連軍縮長崎会議への出席取りやめを決める。
95 06 11 NGO「ワールド・ピース・プレイヤー・ソサエティー」、国連軍縮長崎会議の開催に合わせて「世界各国の平和を祈る長崎の集い」を長崎市内で開催。約130人が参加。
95 06 12 徐冒植北朝鮮外交部軍縮課長、国連軍縮長崎会議に参加した長崎市で記者会見し、同国内の被爆者の実態調査を開始していることを明らかにする。
95 06 12 村山首相、国連軍縮長崎会議の演説(園田官房副長官代読)で、来年に「核軍縮セミナー」を日本で開くことを提案。
95 06 12 長崎の被爆者と若者代表、国連軍縮長崎会議の開会式で被爆体験や平和への願いを訴える。会議の場でのこうした訴えは初めて。
95 06 12 国連軍縮長崎会議、開会式を長崎市内のホテルで開催。36か国91人が参加。平岡広島市長、10月に採択される国連50周年記念特別宣言に核兵器廃絶促進を盛り込むよう提案。
95 06 12 国連軍縮長崎会議、「過去半世紀における軍縮努力と将来への展望」をテーマに開幕。-16日。国連軍縮会議としては初めて「核兵器廃絶」をテーマに掲げる。
95 06 12 国連軍縮長崎会議の参加者やオブザーバー約80人、長崎市の平和祈念像に献花、原爆資料館を見学し、原爆養護ホームを慰問。
95 06 14 国連軍縮長崎会議(全体会議)。伊藤長崎市長、再度の長崎開催を提案。
95 06 15 国連軍縮長崎会議。非公開の作業部会。核兵器廃絶が討論されず、究極の目標確認に終わる。
95 06 15? 共同通信社、国連軍縮長崎会議参加者を対象としたアンケート結果をまとめる。「原爆投下は正しくなかった」とする回答が6割を占める。
95 06 16 国連軍縮長崎会議、最終全体会議を開催。ダビニッチ国連軍縮センター所長が総括報告。「究極的な核廃絶」を確認。
95 06 16 国連軍縮長崎会議の一環として長崎市内で軍縮シンポジウムが開催される。
95 06 18 広島県・市・平和文化センター、国連軍縮長崎会議の参加者を招きシンポジウム「核軍縮の促進と核兵器廃絶」を広島国際会議場で開催。約500人の市民が参加。
96 01 26? 第8回国連軍縮会議(5月開催予定)の開催地が広島市に決定。
96 03 21 国連、5月に開催予定だった国連軍縮広島会議を7月頃に延期すると広島市に連絡。
96 06 06 広島県、7月に広島市で開催される第3回国連軍縮広島会議の概要を発表。テーマは「より安全な、また核兵器のない世界に向けての共通の努力」。
96 07 17 第3回国連軍縮広島会議の開会式、広島国際会議場で開催。22か国の政府関係者や学者62人が参加。
96 07 17 第8回国連軍縮会議、広島市で開催。-20日。
96 07 17 第3回国連軍縮広島会議の各国の参加者、広島市平和公園の原爆慰霊碑に参拝後、原爆資料館を見学。
96 07 18 第3回国連軍縮広島会議(第2日)。全体会議「通常兵器・新たな問題」、作業部会「核軍縮促進のための今後の措置」、「信頼醸成措置と地域の安全」を開催。
96 07 19 第3回国連軍縮広島会議「広島県民・市民との対話」、広島国際会議場で開催。海外参加者と被爆地代表9人が意見交換。
96 07 19 第3回国連軍縮広島会議の海外参加者ら約60人、渡辺美代子の被爆の証言を聴取。
96 07 20 第3回国連軍縮広島会議、総括の全体会議を開き閉幕。
96 10 08 桂信雄札幌市長、来年7月22日-25日に、札幌市で国連軍縮会議を開催すると発表。
97 03 26 伊藤長崎市長、国連軍縮長崎会議の来年開催を国連側に要請する考えを国連側に要請する考えを明らかにする。
97 06 21 伊藤長崎市長、来年の第10回国連軍縮会議が長崎で開催される見通してあることを明らかにする。
97 07 22 国連軍縮札幌会議、開催。32か国からオブザーバーを含む101人が参加。-25日。
97 07 27 長崎県・長崎市、国連軍縮札幌会議の海外参加者を招いて「国連と軍縮シンポジウム」を長崎原爆資料館で開催。約300人が参加。
97 08 28 伊藤長崎市長・高田県知事、国連本部を訪問。-29日。2日、帰国の記者会見。来年秋の国連軍縮会議の長崎開催が実現しそうだと語る。
97 11 26? 国連軍縮会議の第10回会議が来年11月に長崎市で開催されることが内定。
98 02 10 伊藤長崎市長、国連に対し県とともに要請していた国連軍縮会議の同市開催が決定した、と発表。同会議は今年で10回目、長崎開催は2回目。
98 02 24 長崎市、新年度予算案を発表。新規予算として国連軍縮長崎会議開催費負担金2000万円など。
98 09 25 平岡広島市長、長崎市で11月に開かれる国連軍縮会議でのあいさつの中に、米国の臨界前核実験への抗議を盛り込む考えを、市議会本会議の一般質問の中で明らかにする。
98 11 13 長崎市の「平和推進専門会議」の初会合、東京で開催。「国連軍縮長崎会議」への対応などを協議。
98 11 15 朝日新聞「国連軍縮会議、24日から長崎で-議題はひとつ、核廃絶」
98 11 17 長崎平和研究所・長崎総科大学平和文化研究所、国連軍縮長崎会議に向け緊急シンポジウム「核不拡散・廃絶への道を探る」を長崎原爆資料館で開催。
98 11 19 中国新聞連載「核なき世界へ-10回目の国連軍縮会議」(-24日、6回)。
98 11 22 長崎新聞「長崎で再び国連軍縮会議-「核不拡散・核軍縮」に絞り論議」
98 11 24 武見敬三外務政務次官、日本政府が来年4月か5月にカザフスタン共和国・セミパラチンスク旧核実験場周辺の被曝者を救済する技術・医療協力を推進するための国際セミナーを日本で開催する方針を、国連軍縮長崎会議の挨拶の中で明らかにする。
98 11 24 国連軍縮長崎会議。基調テーマ「核兵器のない世界に向けて」。-27日。10回目。
98 11 24 国連軍縮局など、国連軍縮長崎会議を長崎ブリックホールで開催。海外23か国の29人と国内42人の計71人が参加。広島・長崎両市長や山口仙二が開会式で挨拶。市民約1000人が傍聴。
98 11 24 長崎市内の中学・高校計30校の生徒約420人、国連軍縮長崎会議の開会式を傍聴。主催者が招待。
98 11 24 国連軍縮長崎会議(第1日)。明石康広島平和研究所長が基調講演「核不拡散・軍縮を阻害する新たな課題」。「核不拡散および軍縮を阻害する新たな課題」をテーマにした全体会議。
98 11 24 国連軍縮長崎会議の参加者、会議を前に長崎原爆資料館を訪問。
98 11 25 長崎新聞「国連軍縮会議要旨」
98 11 25 国連軍縮長崎会議に参加したインド・パキスタン・米国・中国などからの6人、谷口長崎被災協会長代行、杉本県被爆二世の会会長ら6人と懇談。
98 11 25 国連軍縮長崎会議(第2日)。「当面の課題・核兵器開発能力の拡散をいかに防ぐか」をテーマに全体会議。
98 11 25 国連軍縮長崎会議に参加したインド・米国・パキスタン・インドネシア・中国の代表5人、長崎の高校生・大学生34人との意見交換会に出席。
98 11 26 長崎新聞「国連軍縮長崎会議・2日目要旨」
98 11 26 朝日新聞「時時刻刻:「核拡散」危機直面で緊迫 国連軍縮長崎会議」
98 11 26 国連軍縮長崎会議(第3日)、「核軍縮への現実的手段」と「核不拡散および軍縮への好ましい環境づくり」をテーマとする全体会。核兵器廃絶への取り組みと長崎を最後の被爆地とする決意を盛り込んだ決議を採択。軍縮会議での決議は初めて。
98 11 27 長崎新聞「国連軍縮長崎会議・3日目要旨」
98 11 27 国連軍縮長崎会議。最後の全体会を開催。
98 11 28 長崎新聞「国連軍縮会議閉幕、成果と課題」
98 12 02 伊藤長崎市長、国連軍縮長崎会議を、核兵器廃絶への大きな一歩と、市議会本会議で評価。
98 12 02 朝日新聞「国連軍縮長崎会議:核の惨禍、繰り返さぬ、被爆地からの決意の一歩」
98 12 07 広島県立庄原格致高校高野山分校、「教育に新聞を」(NIH=Newspaper In Education)の公開授業を実施。「国連軍縮長崎会議」・「被爆」などを取り上げる。
98 12 08 毎日新聞「記者の目:国連軍縮長崎会議-「核廃絶の意志」連携を」(綿貫洋・長崎支局)
98 12 08 長崎新聞「わがまち回顧(1)本社(上)-「長崎を最後の被爆地に」-国連軍縮会議で決議」
98 12 15 平岡広島市長、明石広島平和研究所長の「普遍的核の傘」発言(国連軍縮長崎会議の基調講演で)について慎重論を、市議会一般質問の中で述べる。
98 12 22 中国新聞「中国新聞を読んで:国連軍縮会議-市民とのかかわり焦点」(吉田修)
99 07 27 国連軍縮局・国連アジア太平洋平和センター、国連軍縮京都会議を国立京都国際会館で開催。24か国60人の政府高官・軍縮専門家らが参加し、「今後10年間の安全保障上の懸念と軍事戦略」をメーンテーマに意見交換。-30日。
99 07 27 明石康・前広島平和研究所長、国連軍縮京都会議で基調講演。東京フォーラムの内容を紹介。
99 07 27 武見敬三外務省政務次官、カザフスタンなど5か国による中央アジア非核地帯設置に向けた取り組みを財政支援することを、国連軍縮京都会議の開会式で明らかにする。
99 07 28 国連軍縮京都会議(第2日目)。東京フォーラムの報告書について意見交換。「北東アジアにおける安定と協力」について集中討議。
99 07 29 毎日新聞「「平和」に不況の影-次回開催地決まらず-自治体負担4000万円[国連軍縮会議]」
99 07 29 国連軍縮京都会議(第3日目)。「核兵器とミサイル」・「通常兵器軍縮の再検討」の二つの全体会議を開催。
99 07 30 朝日新聞「時時刻刻:国連軍縮京都会議 24カ国が参加-軍拡阻め10年の計」
99 07 30 国連軍縮京都会議(第4日目)。閉会式。5つの全体会のごとに討議内容を報告。
99 08 02 長崎新聞「報道スペシャル:国連軍縮京都会議を終えて」
99 08 11 毎日新聞「深層:国連軍縮京都会議を振り返って-北朝鮮不参加にいら立ち」
99 10 28? 広島市など自治体が財政難を理由に、開催引き受けに伴う約4000万 円の費用負担を渋っているため、国連軍縮会議の2000年の開催が危ぶまれる。
00 08 22 国連軍縮局・国連アジア太平洋平和軍縮センター、国連軍縮秋田会議、秋田市で開催。明石康前国連事務次長(広島平和研究所前所長)が「国連の役割」と題して問題提起。-25日。主テーマ:21世紀の軍縮と国連-その戦略と行動。広島・長崎両市長が出席。

ハーグ平和市民会議

 1899年にハーグで開催された平和会議の100周年を記念し、1999年5月12日~15日、オランダのハーグで開催。「国際反核法律家協会」・「核戦争防止国際医師会議」・「国際平和ビューロー」・「世界連邦運動」の4団体が、国際社会から戦争と軍備(とりわけ核兵器)をなくすための討論と運動を、世界に呼びかけた。

文献

 

年月日 書名 編著者
2000806 戦争のない世界の実現を-公正な世界秩序のための基本10原則 日本ハーグ平和アピール運動

 

年表

Y M D NEWS1
99 01 30 原水爆禁止日本協議会、全国理事会を東京都内で開催。-31日。1999年度の運動方針としてガイドライン関連法案反対運動を推進すること、5月にハーグで開催される国際平和市民会議に代表団を派遣するこなどを決定。
99 03 02 長崎市、オランダ・ハーグで5月に開かれるNGO(非政府組織)主導の国際市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」に幹部職員ら数人を代表として派遣する方針を明らかにする。
99 03 18 広島県原水禁、常任理事会を開催。5月にオランダのハーグで開催されるハーグ国際市民平和会議に7人の派遣団を送ることを決める。
99 04 27 ピースボート(本部:東京)、ハーグで開催される世界市民平和会議に北朝鮮の代表を招き、北東アジア非核化などについて討議する計画を明らかにする。
99 04 27 日本被団協・日本生協連などでつくる「つたえようヒロシマ・ナガサキ」、ハーグで開かれる世界市民平和会議に総勢79人の共同代表団を派遣することを明らかにする。広島県からは、両被団協の代表ら5人が参加。
99 05 06 中国新聞連載「築け非核市民ネット-印パ衝撃から1年-ハーグNGO平和会議を前に」(-8日、3回)
99 05 07 伊藤長崎市長、記者会見でハーグ市民平和会議に出席することを明らかにする。
99 05 09 「第9条の会ヒロシマ」の世話人・藤井順子、ハーグ平和会議に出席するため出発。
99 05 10 朝日新聞「ハーグ平和会議 期待と役割-県内から惨禍の4人に聞く」
99 05 10 広島からハーグ平和会議に出席する金子一士・坪井直・石川俊義の出発式、JR広島駅で実施。約30人が見送る。
99 05 10 秋葉広島市長、ハーグ平和会議に出席するため広島を出発。-16日。
99 05 11 長崎原爆松谷訴訟の原告・松谷英子、ハーグの市民平和会議に出席するため日本を出発。
99 05 11? 「核兵器廃絶を求める広島・長崎市民集会」実行委員会、「ハーグ平和アピール1999」で、NATO軍によるユーゴスラビア空爆の中止や今世紀中に国連軍縮特別総会を開き核兵器廃絶宣言をすることなど7項目を提言することを計画。
99 05 11? ハーグ市民平和会議で採択される提言「21世紀の平和と正義への課題(ハーグ・アジェンダ)」の草案が明らかになる。1.市民(団体)の重要性、2.軍備に頼らない人間の安全保障と人権の尊重、3.力の支配から法の支配への転換、など。
99 05 12 世界市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」、オランダのハーグ市国際会議場で開催。-15日。100か国から日本の400人を含む約8000人が参加。
99 05 12 日本被団協などの「つたえようヒロシマ・ナガサキ共同代表団」、オランダ・ハーグ市内で被爆者の証言集会を開催。約60人が入れる会議室は満員。
99 05 13 秋葉広島市長、「ハーグ平和アピール1999」の中の「軍縮と人間の安全保障」全体会で冒頭発言。核抑止論の打破を訴える。
99 05 13 秋葉広島市長・伊藤長崎市長、「ハーグ平和アピール1999」の「ジャパン・デー」で講演。被爆体験の継承を訴える。
99 05 13 ハーグ世界市民平和会議、広島・長崎の被爆者や世界の核実験被害者が被爆の実相を語る討論集会を開催。200人以上が参加。
99 05 14 世界平和連帯都市市長会議と「ピースメッセンジャー都市国際協会」、オランダ・ハーグで会合を開く。20都市の約90人が参加。秋葉広島市長、ネットワークの強化を呼びかける。
99 05 14 日本のNGOピースボートが「ハーグ平和アピール1999」で企画した東アジアの非核地帯化を目指す会合、予定していた北朝鮮のパネリストが欠席のまま開催。
99 05 14? 森下一徹・伊藤孝司・桐生広人・豊崎博光・本橋成一の5人、「ハーグ平和市民会議」の会場で世界の「ヒバクシャ」をテーマとした写真展を開催。
99 05 15 朝日新聞「時時刻刻:ハーグ市民会議-空爆・・・すくむ平和の理念」
99 05 15 世界市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」、核兵器禁止条約の交渉完結などを求める「21世紀の平和と正義に向けたハーグ・アジェンダ(提言)」を採択して閉幕。
99 05 16 朝日新聞社説「ハーグ会議-したたかに、しなやかに」
99 05 16 オランダ・ハーグからNATO本部のあるベルギー・ブリュッセルまで歩く「核廃絶2000ウオーク」、ハーグを出発。平和市民会議の出席者ら約500人が参加。出発集会で日本の被爆者4人が挨拶。
99 05 16 秋葉広島市長、ハーグでの世界市民平和会議から帰国し、記者会見。
99 05 17 伊藤長崎市長、ハーグの国際市民平和会議から帰国し、記者会見。
99 05 18 中国新聞連載「ハーグ発平和-検証世界NGO会議」(-19日、2回)
99 05 19 朝日新聞「主張・解説:ハーグ平和市民会議-NGO、収穫と課題と-国際舞台で軍縮けん引、日本の指導性に期待も」(山本敦子・深津弘・斎賀孝治)
99 05 19 朝日新聞「ハーグ市民会議-「戦争」被害手つなぎ発信-広島・長崎の被爆者-核実験場の犠牲者らと証言」
99 05 25 朝日新聞(広島版)「風・取材ノートから-ハーグ会議で知った「市民」の様々な主張」
99 05 25 大庭里美「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」代表、広島市役所で世界市民会議「ハーグアピール1999」の帰国報告。
99 05 28 長崎新聞連載「ハーグの報告-平和会議に参加して」(-6月4日、7回)
99 05 28 坪井直・金子一士ら、オランダ・ハーグで開かれた世界市民会議に参加した5人、広島市役所で共同の記者会見。
99 06 05 中国新聞「中国論壇:ハーグ精神とNATO空爆-国連軸に平和の世紀に」(神谷昌道)
99 06 08 中国新聞「中国新聞を読んで:ハーグ平和会議-「核」追跡継続を熱望」(三上瞻)
99 06 09 朝日新聞(広島版)連載「ハーグからヒロシマへ」(-11日、3回)
99 06 26 毎日新聞「ウイークエンド・リポート:NGOから世界へ発信-ハーグ平和アピール1999-100か国超、8000人が参加」
99 07 23 「被爆体験証言者交流の集い」、広島原爆資料館で開催。坪井直広島県被団協事務局長と石川俊義自治労連委員長がハーグ会議への出席報告。約20人が参加。
99 07 23 広島原爆資料館、講演会「ハーグ平和アピール1999に参加して」を同館で開催。講師:金子一士、坪井直。(「ひろしま市民と市政」)

原爆参考資料陳列室(原爆記念館)

原爆参考資料陳列室(原爆記念館)

開設:1949(昭和24)年9月25日

 

広島市、市内中央公民館内に暫定的に
原爆参考資料陳列室(原爆記念館)を開設。
長岡省吾が中心となり収集した
被爆岩石・瓦・コンクリート・植物類などを
机や椅子の上に並べた
写真:中央公民館横に開設された原爆資料館。
出典:「広島市勢要覧」1951年版

参考資料

文沢隆一「平和記念資料館物語」(『季刊平和教育1』、明治図書、1976.5.15)

広島平和記念資料館概要

広島平和記念資料館(通称:原爆資料館)

1955年8月24日開館

所在地:広島市中区中島町1-2

TEL:082-241-4004

 

前史 平和都市建設と原爆資料==広島市勢要覧にみる「観光都市広島」
原爆参考資料陳列室(原爆記念館)
原爆資料保存会
年表 1951~69年、1970~77年、1978~79年、1980~81年、1982~831984~87年、
1988~90年、1991~93年、1994~95年、1996~97年、1998
関連文献
入館者数の変遷

 

書名・資料名 著者・発行者 発行年月日 備考
 広島原爆被害の概要  広島平和記念資料館  197011  197803改訂

 

日米安全保障条約改定反対共同声明広島世話人会(1959年12月)

日米安全保障条約改定反対共同声明広島世話人会

平和と学問を守る大学人の会は,1959(昭和34)年7月7日の常任理事会および7月20日の理事会において,日米安全保障条約改定交渉の即時打ち切りを求める声明書の案を作成し,それを会の名において発表することについて,全会員の賛否を問うことを決定した。この声明は,152人中77人の賛成を得て7月31日に発表された。

同会有志は,11月初めには,再度声明文の発表を企画,前回よりも広い範囲の署名を集めるため,会員外の人々にも呼びかけ人(=世話人)となってもらうよう働きかけた。11月19目の第1回世話人会時点では,29人が世話人となることを承諾,12月初めには40数人の文化人・学者からなる安保改定反対共同声明広島世話人会が発足した。

世話人会の討議の結果,「一般大衆署名は他団体の運動に期待することにし,世話人会としては広島県下の文化人・学者の安保改定にたいする反対意志の表明に運動の重点をおき,その立場から全国民の運動にサポートを与えるという方針を打ち出した。12月10日には,次のような声明書を作成,48人の世話人名で共同声明への参加を呼びかけた。

 昨年の秋から交渉が進められてきた新しい日米安全保障条約は,その全貌が国民に明らかにされないままに,いよいよ調印されようとしています。

 この日米安全保障条約の改定にたいして私どもは日本の安全と平和,世界の平和をねがう見地から深刻な不安を感じます。

 政府は今回の条約改定の目的として日本の安全と自主性の回復とをあげ,その具体的な問題として,日米共同防衛の原則を確立すること,在日米軍の配備,装備並びに出動を協議事項とすること,期限を十年にすることなどをあげています。

 しかしながら,第一に,これによって日本が戦争にまきこまれる危険がかえって大きくなるばかりか,極東における国際的な緊張が緩和されないで,かえって強められる恐れがあります。合衆国が一方的に他国と紛争をひきおこしたばあい,日本はその意思いかんにかかわりなくほとんど自動的に参戦せしめられることになるでしょうし,事前協議にかんする規定も,寸秒を争うミサイル戦の時代においては事実上実効をもたないと考えられます。

 第二に,これによって,原水爆禁止という日本国民全体,とくに原爆被災者である私ども広島県民の悲願が日本自身の手でふみにしられる恐れがあります。改定条約の中に,バンデンバーグ決議をもりこんだ「共同防衛」の原則が確立されることによって,当然に日本の軍事力の増強,とくに核武装が避けられないものとなるでしょう。

 第三に,これによって日本国憲法と国内民主主義にさらに重大な制約が加えられる恐れがあります。この改定によって国内法上違憲の疑いのある日本の自衛隊が国際的に合法化され,ひいては「共同防衛」の原則によってその海外派兵が避けられなくなり,この面から日本国憲法改定のための突破口が開かれることが懸念されます。また,日米協議事項を定めることとひきかえに,秘密保護法がつくられる恐れもあります。

 フルシチョフ・ソ連首相の訪米と来春に予定されているアイゼンハワー米大統領の訪ソ,また,国連における八十二か国の軍縮決議の可決など,急速に世界情勢が平和と軍縮に向かおうとしている今日,日本がなぜ急いでこのように多くの重大な疑点のある条約を,しかも十年間という長い期限を定めて結ばなければならないのでしょうか。このことについても私どもは納得できません。

 ふたたび戦争の悲劇をくりかえさないことを念願している私どもは,以上の理由からしてこのたびの日米安全保障条約改定交渉ならびに調印は中止すべきであると考えます。

 右声明致します。

この声明書は,12月25日,広島大学関係者374人をはじめ,文学者・画家・舞踊家など計531人の名前とともに発表され,内閣・国会・各政党および県内の市長・市議会議長その他諸団体に送付された。

世話人会は,共同声明発表後もひきつづき存続し,1960(昭和35)年2月28日には,広島市内専立寺において相原和光・佐久間澄を講師として安保研究集会を開催,集会終了後,参加者は平和公園原爆慰霊碑前まで静かなる行進を実施した。また,3月16日には,安保改定阻止広島県民共闘会議主催の「安保改定阻止・日中国交回復・生活と権利を守る国民大行進」に積極的に参加した。

5月19日から20日にかけての国会は,安保条約を自民党の単独で採決,これを契機に安保反対の運動は最大の盛り上がりを示すが,世話人会は,6月4日,広島キリスト者平和奉仕会・広島平和問題談話会・広島文学会・平和と学問を守る大学人の会とともに,「新安保反対,平和と民主主義を守る抗議集会および行進」を行った。

広島平和委員会(1958年 )

広島平和委員会

昭和33年9月27日,広島市内の光道会館で広島平和委員会の結成総会が開かれた。

これは,在広の日本平和委員会々員十余名の集まりであった広島平和協議会が原水爆問題に限定されがちな広島県原水協の制約を越えて、原水爆問題のみならず、民主主義の確保、憲法擁護,基地撤廃など広範な平和運動を進めるための組織として準備したものであった。(広島平和協議会「広島平和協議会へ参加のお願い」昭和33年9月)。

成総会には県内から50人が参加(総会当日の入会者は60人)し,日中関係・勤評問題・国際続一行動の点について討議を行った。また,当日,会長(佐久間澄)・幹事(佐久間・板倉静夫・三宅登・石井金一郎・村中好穂・石田千鶴子・松江澄)を決定している(「広島平和ニュース」No.1)。

広島平和委は,10月末に労働者を中心とした部会を開いたが,40人近く参加した。この時の討議で岩国基地行進を成功させようということが強く主張された。この行進というのは,10月16日に広島で開催された日本原水協中国ブロック山陽側会議で決定されたものである。この時,11・1国際共同行動デーの取り組みとして,広島・山口両県原水協共催で,核武装阻止岩国墓地平和大行進と岩国市における大衆集会を開催することとなった(「広島原水協情報」No.1 昭和33年10月30日)。

11月8日から9日にかけて広島から岩国まで40人近くの人々が徒歩行進を行ったが,その半数以上は広島平和委の労働者部会に参加した者かあるいはその働きかけによる参加者であった。広島平和委員会が結成後初めて取り組んだ続一行動である岩国基地行進の成功は,その後の平和運動に少なくない影響力を与えた(「広島大学人会会報」N。.22)。同会自身の総括によれば,その意義は次のようである。

①平和委員会グルーブによる目的意識的な活動によって基本的に成功した。労働者部会の果した役割はこの成功を決定づけた。

②運動の目標の面で,不充分ながらも警職法闘争を平和を守る運動の一環としてとらえ,この闘争に組織された力を意識的な行動方向をうちだすことによって,民主主義と平和の闘争を統一的に発展させた。

③運動の方法の面で,従来くりかえされた官僚的な上からの動員方法を打破し下からの自主的参加とそのための活動を強調し,それは基本的に実現され,今回の「行進」の重要な特徴としてその成功を保障する主要な原因となった。

④この「行進」は従来の一般的,抽象的な原水禁運動を,昨年の美保基地闘争から発展させ,具体的な基地反対の行動にたかめ広島の平和運動を前進させた。

⑤さらにこの「行進」は国鉄第二支部の経験にみられるように,行動を通じて活動家をつくりだし,今後の平和活動の一層の発展を保障した。

昭和33年12月初めには,会員数は100人を越え,各地・各職域に,平和委員会結成の動きが生まれた。

8・6学生平和会議(1956年8月5~7日)

8・6学生平和会議

主催:広島大学学生自治会

1956年8月5~7日

第1日(5日)

午前9時半~午後5時半 広島児童文化会館

広島大学・広島女子短大、北海道・東北・東京・京都・四国・九州など全国80の大学・高校から約500人が参加。

開会宣言=棗田金治(広島大学文学部)

実行委員長あいさつ=児玉健次(広島大学文学部)

「原爆許すまじ」全員合唱

平和問題シンポジューム

講演

長田新日本教育学会会長

佐久間澄広島大学教授

柳田謙十郎戦没学生記念会理事長

今中次麿広島大学教授

重藤文夫広島赤十字病院院長

討論

午後6時~

高校生代表者会議

映画会=原爆記録映画「生きていてよかった」観賞

レセプション 於紙屋町ガスビル

第2日(6日)

午前8時~ 広島市平和記念式典参列

午前10時~ 修道高等学校講堂

原爆被害者実情報告会=吉川清・原成子・温品道義など7名。

午後1時~

大学部会(於広島市平和記念館)

北海道・東北・東京・京都・四国・九州などから約300名参加。

高校部会(修道高等学校)

四国・鳥取などからの参加者を含め100名参加。

代表30名による原爆症患者の慰問=日赤・市民病院・県病院

午後6時~

被害者を囲む会(学生会館)

柳田謙十郎氏を囲む高校座談会(教育会館)

女子学生懇談会(東保健所ホール)

第3日(7日)

午前9時~午後4時 広島市中央公民館

総会

大会宣言

人類の上に初めての原爆が投下されて十一周年目に世界の平和運動とはっきりとした連帯の下に進められた、始めての日本学生の平和会議が開催されました。この会議に集った学生代表は平和を望むすべての人々、とりわけ日本の学生の平和への希望と期待とに応え、原子戦争を企だてている力をうち砕くためにいかにすべきかについて、自由かつ真剣に討議しました。私達は平和をめぐる世界情勢を検討することを通じて、社会体制の相違にもかゝわらず両体制の共存は可能であり、戦争は不可避ではないという点ですべての参加者の意見の一致を見、平和についての強い確信をうるにいたりました。

私達はこの様な期待のもとに開催される第二回原爆禁止世界大会に心からの支持と援助を送ります。

第一回原爆禁止世界大会以后の此の一年間に国際緊張を緩和し、冷たい戦争を中止させる動きは増々活発になり、現在東西陣営の間での軍縮について、歩みよりが次々と行なわれております。軍備の増大は今迄諸国民に対して貧困と不安をもたらしただけでした。軍拡競争はたヾ戦争に向かって進むにすぎません。最大の軍備である原水爆兵器が出現した現在、戦争の危険ははかりしれない程大きなものとなり、将来もし原水爆戦争がおこるならば世界中がヒロシマ、ナガサキ、ビキニとなって人類は死滅してしまうでしょう。

しかし長い間の国際緊張に代って第一回原水爆禁止世界大会以後のこの一年間、国際緊張を緩和し冷たい戦争を中止させる動きはますます活発となり現在大国の間での軍縮についての歩みよりがつぎつぎと行なわれております。和解のための共通の努力があれば大国の間にある色々な障害は必ず解決されるでしょう。この見通しを実現するのは私達の努力いかんにかゝっております。けれどもこの様な世界の国際緊張緩和の動きに逆行する動きが私達の祖国日本に於て依然続行されております。沖繩問顧にみられる様に、日本がアジアにおける国際緊張の増大の焦点となっております。原水爆戦争の基地は拡大され軍国主義復活の傾向が明らかになり、世界の平和に対する主要な障害となっております。私達は国際緊張増大に反対する立場からその様な平和の障害を取り除く為に活動を続けて行かなくてはなりません。

この様な国際緊張緩和の運動に於て、成功をおさめることこそ原爆被害者の私達の期待にこたえる第一の道であります。この道にそって被害者の国家保障を勝ち取る運動を強力に押し進めて行かればなりません。平和はすべての学生の中心的課題であり、学問と学園を守り発展させることは平和なくしてはありません。

平和運動を正しく展開して行くことによって私達は日本の若き知性と良心と云う名に恥じない立派な学生であることが出来ます。私達は第二回原水爆禁止世界大会を全面的に支持し大会の成果を日本の国民とりわけ学生のものとする為に全カをかたむけるでありましょう。私達は第二回世界大会の成果を全世界のすべての学生の運動に発展させて行くことによって日本の学生の平和への名誉ある義務を果して行くでしょう。

本日の会議によってうち立てられた平和運動の正しい方向によって、私達日本の学生は原水爆が禁止され、その貯蔵が廃棄され全般的な軍縮が達成されて人類の上に恒久平和の確固とした保証が行なわれる日迄広く全世界の願いを同じくする人々としっかりと手を携えて前進して行くでしょう。

輝かしい世界恒久平和への望みは私達の努力にかゝっています。

一九五六年八月六日 広島にて

 

決議

1.軍縮、原水爆実験禁止を世界全学連へアッピールする。

2.大国間の軍縮協定、原水爆実験禁止協定の即時締結を国連に要請する。

3.日ソ国交回復について日本政府に要請する。

4.日本政府に対して、軍縮と原水爆禁止運動の先頭に立って努力するよう要請する。

5.日本の再軍備は世界の動きに逆行するものであるから憲法擁護について日本政府、自民党に要請する。

6.沖縄返還問題について米政府と沖縄政府へ決議文を送る。

7.砂川土地接収に反対するむね日本政府に呼びかける。

8.原水爆被災者の救援について治療、家族の生活の完全な国家保障を政府に要請する。

長崎大会代表選出

 

 

ヒロシマ会議

ヒロシマ会議 1970年11 月29 日~ 12 月2日

「平和文化推進審議会」委員の発案が契機となり,「ヒロシマ会議」が開催された。広島市が市民の協力を得て開催した戦後初めての国際平和会議である。招待参加者は,海外からフィリップ・ノエルベーカー(英国,ノーベル平和賞受賞),ユージン・ラビノビッチ(米国,パグウォッシュ会議創始者の一人)ら6人,国内からは,湯川秀樹・朝永振一郎(いずれもノーベル物理学賞受賞者)ら13 人であった。

ヒロシマ宣言 1970年12月2日
原子爆弾がヒロシマ・ナガサキに投下されてから二十五年経た今日、われわれはこの広島に集まり、同時に組織された市民会議と相協力して「現代における平和への条件」を中心に真剣な討議を行なった。
われわれは、今なお被爆による肉体的苦痛と精神的不安に耐えつつ生きる多くの人々のいることを知り、被爆者の切実な声を聞き、推定二十万人を越える犠牲者の数々の遺品、被爆の物的資料、さらに本年七月広島市民の手で編集された当時の惨状を生々しく伝えるフィルムを見る機会を得た。核兵器は二度と使われてはならない。一日も早くこれを廃絶しなければならない。
にもかかわらず、現実の世界においては、ますます核兵器体系は巨大化と多様化の一途をたどっている。われわれは、われわれの努力が足りず、こうした事態を招いていることに対して深い自責の念を禁じ得ない。
核時代においてはいかなる国家にとっても、もはや防衛はありえない。核抑止とは核報復を前提とする戦略であり、核報復は自滅ないし共滅以外の何物でもない。その上、抑止戦略の根底には大量殺りくの威かくによって生存を図ろうとする恩恵が横たわっており、それは人類の安全をおびやかすだけでなく、人間の尊厳に対する許しがたい冒とくと言わなければならない。
したがって核兵器は即時禁止され、廃棄されなければならない。さらに各国は他の軍備をも廃棄し、軍事力を徹底的に解体する必要がある。このような措置が平和の強化のために持つ意義は大きい。
しかし、その場合でも、もし国際紛争が戦争に転化するならば、核兵器の再軍備が始り相手への不信と恐怖にかられて、ついには核戦争に突入する危険もある。
人類がこの核戦争の危険を防止し、現代における科学技術の進歩と人間の精神的荒廃というこの矛盾を克服し、人類の安全と人間の尊厳を確立するために、われわれのとるべき道はただ一つ、それは戦争を廃絶することである。
そのためには、われわれ自身の価値体系を変革し、従来の国家主権から人類主権へと向かう道を切りひらかなけれぱならない。それは単なる理想ではなく、人類の生存にとって不可欠の条件である。のみならず、政治、経済、文化の面で国際的相互依存関係が急速に増大している今日、その実現可能性も増大している。この人類主権の原理を現実化するために、われわれは次のような措置がぜひ必要であることに合意した。
第一に、国際機構の次元において、われわれは、核兵器の使用は国連憲章に直接違反すると宣言した第十六回国連総会決議に立脚して、国連がこれを実効性のあるものにするための具体杓措置をとり、核兵器の廃絶を早急に実現することを要請する。またこのような決定を有効に実行しうるためにも国連は中国の復帰によって普遍性を高める必要がある。それは国連を一層強化する道でもある。とりわけ、焦眉の課題であるインドシナと中東に平和をもたらすためにも、国連の強化は急がれなければならない。さらにまた、人類の成員は主権者として、だれしも全く平等であるにもかかわらず、現代の世界には南北間の重大な不平等があり、また、一国の内部にも不当な差別が存在している。こうした社会的不正義を平和的に除去するには、人類の協力を一段と強めなければならない。そのためにも現在開発途上にある貧しい人々に代って、人類共同の建設的努力を行なっている国連及びその他の国際機関に対しこれまでにも増して強力な努力を望むものである。
第二に、日本の対外政策に関して、会議への日本人参加者は、核武装と日本国憲法とが全く相いれないことを再確認し、日本政府が全人類に向けて非核武装を誓約する宣言を行なうことを強く要求する。また参加者の全員は、軍備競争の悪循環を断ち切るために、日本国憲法に規定された一方的非武装の方式が、きわめて有効であることを再確認し他の日々も日本の例にならうことを希望する。
第三に、全世界においてまた日本において以上のような変革を実現するためにも、一人々々の思考様式や価値体系を変革する必要がある。われわれは、そのような目的のために、全世界で平和研究が一段と活発に行なわれることが緊要であると考える。平和研究は単なる過去や現在の事実の分析だけでなく、戦争の廃絶された人類の将来を想像し計画し、これを積極的につくり出して行くために、軍備を必要としている現在の制度を乗り越えていくものでなければならない。さらにわれわれは、次の世代に戦争の悲惨と平和の意義とを正しく伝えるために、すべての国において平和教育が自由かつ学問的に行なわれる必要を強く訴えたい。特に世界の様々の宗教団体、青少年団体、文化団体にも積極的に平和教育にたずさわる責任が負わされていると考える。
被爆四半世紀後のヒロシマに集まったわれわれは、世界の同胞に向ってこう訴えたい。人間の能力の中で最も弱いのは想像力であり最も強いのは忘却力であるという。だがわれわれは決してヒロシマを忘れないし、戦争の廃絶された世界を構想する能力を失わない決意である。
一九七○年十二月二日  広島にて(本会議への参加者全員)
相原和光 秋月辰一郎 テイボール・バルタ ダニロ・ドルチ 江川義雄 原田東岷 橋本栄一 飯島宗一 今堀誠二 石田明 ロベルト・ユンク 川田侃 牧二郎 松元寛 森滝市郎 村上忠敬 フィリップ・ノエルベーカ 野村浩一 小黒薫 岡咲恕一 大田昌秀 ユージン・ラビノビッチ バーバラ・レイノルズ 坂本義和 佐久間澄 関寛治 庄野直美 荘司雅子 田畑茂一郎 高野雄一 谷川徹三 朝永振一郎 豊田利幸 山田節男 湯川秀樹

ヒロシマ会議・市民会議の報告

世界最初の原子爆弾が広島・長崎に投下され、二十五年を経過した。この間、被爆者の不安と社会的差別は解消されないばかりか、憲法第九条は空洞化され、日本の核武装の危険は増大し、国際情勢は大きな危機をはらむに至っている。われわれは、こうした現実を直視し、その歴史的、政治的根源を追求しなければならない。今日、被爆者は、みせかけの繁栄の中に埋没し、いまなお原爆症の不安におののいている。われわれは、被爆者の援護措置が国の戦争責任において、国家補償としてすみやかに確立されるよう、日本政府に強く要求する。

さらに進んで、われわれ広島・長崎市民はもとより、被爆者も自らの体験をのり越え、通常戦災者や公害被害者との連帯を強化するとともに、核基地沖縄の県民や外国人被爆者がおかれた生々しい苦悩にも切実なる思いを寄せ、一方では、日本の侵略戦争によって犠牲となった中国をはじめとする諸国民の実情をも見つめなおし、それらを自分自身の内なる問題として位置づけなければならない。

また、原爆のおそろしさが意識的に知らされなくなった今日のきびしい体制分析をふまえて、平和教育の重要性を深く認識し、学校教育や家庭教育を通じて教師と母親との一体化をはかり、真の被爆体験の継承をしんぽうづよく持続させなければならない。そのためにも、正確な資料の収集・調査・活用や平和問題の科学的研究を行なうための総合的な研究のセンターが設立され、被爆者を勇気づけ、市民や教師の諸活動を結びつけ、はげます方向が打ち出されることを望むものである。

われわれは、ここにいままでねぱり強く展開され、積みかさねてきた幾多の平和運動の成果を正しく評価するものである。同時にその欠陥をも忠実に摘出しながら自己の戦争責任を反省し、人間生命の尊厳を運動の基調として定着させなければならないと考える。

将来にわたって国民的課題である平和の諸問題を、根気よく、探究することを誓い、それを行動化することを確認する。

出典:ヒロシマ会議委員会『現代における平和への条件-1970ヒロシマ会議-』

 

参考資料:「原爆関係文献目録-ヒロシマ・ナガサキは世界に問い続ける」

BK701129

広島平和記念資料館

広島平和記念資料館(通称:原爆資料館)

1955年8月24日開館

前史 平和都市建設と原爆資料==広島市勢要覧にみる「観光都市広島」
原爆参考資料陳列室(原爆記念館)
原爆資料保存会
年表 1951~69年、1970~77年、1978~79年、1980~81年、1982~831984~87年、 1988~90年、1991~93年、1994~95年、1996~97年、1998
関連文献
入館者数の変遷

*1998年4月、広島平和文化センターに委託。

*被爆資料約1万2000点。165項目の分類。

*1999年、図録を作成。

原爆開発・使用関係資料(1945年1月3日~6月10日)

原爆開発・使用関係資料(1945年1月3日~6月10日)

450103 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450109 グローヴズ将軍にあてた覚書(J・S・デリー陸軍大尉)

 

 

「資料マンハッタン計画」(930922)
450115 フランス人に関する諸問題(覚書)

(H・H・バンディ陸軍長官特別補佐官)

「資料マンハッタン計画」(930922)
450120 グローヴズ少将が行う予定の勧告内容-重要機密を保全するうえで最も実行しやすい問題処理方法に関するグローヴズ自身の見解 「資料マンハッタン計画」(930922)
450127 C・W・ニミッツ米国太平洋艦隊・太平洋地域司令長官にあてた書簡(E・J・キング海軍作戦部長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450127 [キング元帥からニミッツ元帥への書簡](E.J.King(Fleet Admiral,U.S.Navy)) 「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450130 ハーヴィ・バンディ陸軍長官特別補佐官にあてた書簡(ブッシュ科学研究開発局長官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450201 バンディにあてた書簡(ブッシュ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450201 グローヴズ少將あて電文(第23969号)(H・K・カルヴァート陸軍少佐) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450206 H・H・バンディ陸軍長官特別補佐官にあてた覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450210 広島工業専門学校職員録
450213 J・B・コナント国防研究委員会委員長にあてた覚書(ブッシュ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450213 コナント国防研究委員会委員長にあてた書簡(ブッシュ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450213 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450215 コナント博士にあてた覚書(ブッシュ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450215 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450215 スタイアー陸軍戦務部隊参謀長にあてた書簡(パタソン陸軍次官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450223 陸軍長官にあてた書簡(アルバート・J・エンゲル下院議員) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450225 陸軍長官にあてた書簡(パタソン陸軍次官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450226 Stimson’s Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450303 Byrnes’s Memo to Roosevelt 「The Manhattan Project」(91)
450303 スチムソン陸軍長官にあてた覚書(バンディ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450303 大統領にあてた覚書(ジェイムズ・F・バーンズ戦時動員局長官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450305 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450306 陸軍長官にあてた覚書(L・R・グローヴズ陸軍少将) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450308 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450310 L・R・グローヴズ陸軍少將にあてた覚書(J・A・デリー陸軍少佐) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450314 ハリソン陸軍長官特別顧問にあてた覚書(バンディ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450315 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450315 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450324 1944年7月3日付のニールズ・ボーア覚書補遺 「資料マンハッタン計画」(930922)
450326 MEMORANDUM TO THE CHIEF OF STAFF[グローヴス少将から参謀総長への覚書](L.R.Groves(Major General,U.S.A.)) 「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450326 マーシャル陸軍参謀総長にあてた覚書(グローヴス) 「資料マンハッタン計画」(930922)
4504?? ロシア側動静の大要 「資料マンハッタン計画」(930922)
450402 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450403 スチムソン陸軍長官にあてた覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450403 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450406 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450406 D・M・デニソン博士にあてた書簡(パーソンズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450407 ファイル用覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450412 Stimson mentions the Bomb to Truman Memoirs by Harry S. Truman
450412 HARRY TRUMAN’S DIARY AND PAPERS 1945.4.12-48.3.3 http://www.he.net/~douglong/index.html
450418 Frankfurter’s Private Memo 「The Manhattan Project」(91)
450420 グローヴズ将軍にあてた覚書(J・A・デリー陸軍少佐) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450423 デニソン博士にあてた覚書(パーソンズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450423 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450424 Stimson Informs Truman about the Bomb :Memorandum http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450424 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450425 トルーマン大統領とスチムソン陸軍長官との会談についての覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450425 Memo Discussed with Truman 「The Manhattan Project」(91)
450425 トルーマン大統領との会談に関するスチムソン陸軍長官の覚書(スチムソン陸軍長官) 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
450425 スティムソンがトルーマンに提出したメモ(スティムソン) 「葬られた原爆展-スミソニアンの抵抗と挫折」(950918)
450425 トルーマン大統領との協議に付された覚書(スチムソン陸軍長官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450425 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450425 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450425 Report prepared by Eben Ayers, White House Assistant http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450427 NOTES ON INITIAL MEETING OF TARGET COMMITTEE

[目標委員会第1回会議議事録]

「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450427 目標検討委員会初回会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450428 統合目標検討グループ長にあてた覚書(L・ノースタッド第20航空軍参謀長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
4505 スチムソン陸軍長官あて匿名友人からの対日和平構想の覚書 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
4505?? ドイツの状況(要約) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450501 陸軍長官にあてた覚書(ハリソン) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450501 グローヴズ少將にあてた覚書(C・ビッセル一般参謀部第二部担当参謀次長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450501 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450502 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450503 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450504 コナント国防研究委員会委員長にあてた覚書(スチムソン陸軍長官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450504 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450505 陸軍長官にあてた覚書(コナント) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450505 第20航空軍参謀長にあてた覚書(J・A・サムフォード統合目標検討グループ長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450505 グローヴズ将軍にあてた覚書(J・ランズデール陸軍大佐) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450508 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450509 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450509 作業の手順に関するデニソンの予備報告 「資料マンハッタン計画」(930922)
450509 Interim Committee Log, 9 May 1945 through 1 July 1945 http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450509 暫定委員会非公式会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450510 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450510 J・R・オッペンハイマー・ロスアラモス科学研究所長にあてた書簡(K・T・コンプトン科学研究開発局現地業務部長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450511 原爆の放射能についてのオッペンハイマー博士からファレル将軍あて覚書(オッペンハイマー) 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
450511 T・F・ファーレル准將にあてた覚書(J・R・オッペンハイマー) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450512 Target Committee, Los Alamos, May 10-11 http://www.dannen.com/decision/index.html
450512 目標委員会会議(5月10、11日)の要約 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
450512 目標検討委員会第2回会議の要約-L・R・グローヴズ少將にあてた覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450512 Memorandum For: Major General L.R.Groves

[目標委員会第2回会議議事録]

「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450512 Derry and Ramsey’s Memo to Groves 「The Manhattan Project」(91)
450512 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450513 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450514 暫定委員会非公式会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450514 グローヴズ陸軍少將にあてた覚書(J・R・オッペンハイマー) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450514 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450515 Notes of an Informal Meeting of the Interim Committee,

Monday, 14 May 1945

http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450515 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450516 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450517 Notes of an Informal Meeting of the Interim Committee,

Wednesday, 9 May 1945

http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450518 Notes of the Interim Committee Meeting

Friday, 18 May 1945

http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450518 暫定委員会非公式会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450518- Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450521 グローヴズ将軍とデュポン社G・M・リードとの電話会談

-ソ連、英国およびフランスが米国に追いつく予想時期について

「資料マンハッタン計画」(930922)
450521 アルゾス諮問委員会委員にあてた覚書(W・M・アダムズ一般参謀部外国班長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450528 目標検討委員会第3回会議議事録 「資料マンハッタン計画」(930922)
450528 MINUTES OF THIRD TARGET COMMITTEE MEETING

[目標委員会第3回会議議事録]

「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450528 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450529 第21爆撃部隊司令官にあてた覚書(ノースタッド第20航空軍参謀長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450529 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450530 陸軍長官にあてた覚書(ハリソン) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450530 ノースタッド将軍にあてた覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450530 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450531 Ameson’s Notes of Interim Committee Meeting 「The Manhattan Project」(91)
450531 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450531 暫定委員会会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450531 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450531 暫定委員会会議(5月31日)ノート 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
450531 Notes of the Interim Committee Meeting,

Thursday, 31 May 1945

http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
4506?? ホワイトハウス-1945-原子(バーンズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450601 Armeson’s Notes of Interim Committee Meeting 「The Manhattan Project」(91)
450601 暫定委員会会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450601 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450601 Notes of the Interim Committee Meeting http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450604 スチムソン陸軍長官あて覚書に対する統合参謀本部戦略政策グループの論評(統合参謀本部戦略政策グループ) 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
450606 Stimson’s Memo of Talk with Truman 「The Manhattan Project」(91)
450606 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450607 スチムソン合同政策委員会委員長にあてた書簡(グローヴズ合同開発トラスト委員長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450607 From “Interim Committee Log” 「The Manhattan Project」(91)
450611 The Frank Report 「The Manhattan Project」(91)
450611 The Franck Report, June 11, 1945 http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450611 The Franck Report, June 11, 1945 http://www.dannen.com/decision/franck.html
450611 政治的および社会的諸問題(フランク報告) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450612 From “Interim Committee Log” 「The Manhattan Project」(91)
450612 陸軍長官にあてた書簡(アーサー・H・コンプトン冶金計画責任者) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450612 Compton’s Memo to Stimson 「The Manhattan Project」(91)
450612 Minutes of Meeting of “Committee of Three” 「The Manhattan Project」(91)
450614- Joint Chief of Staff knowledge of the Atom bomb and Chronology

June 14 – July 24, 1945:

http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450615 陸軍長官にあてた覚書(L・R・グローヴズ・マンハッタン工兵管区司令官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450616 核兵器の即時使用に関する勧告(科学顧問団) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450616 Recommendations on the Immediate Use of Nuclear Weapons http://www.dannen.com/decision/index.html
450616 Recommendations of Scientific Panel 「The Manhattan Project」(91)
450618 Minutes of Meeting Held at the White House http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450618 Minutes of Meeting Held at the White House http://www.whistlestop.org/study_collections/bomb/large/
450618 トルーマン大統領と軍首脳との対日戦略会議 「資料マンハッタン計画」(930922)
450618 Stimson Diary Entries 「The Manhattan Project」(91)
450618 Minutes of President’s Meeting 「The Manhattan Project」(91)
450619 グローヴズ陸軍少將にあてた書簡(アーサー・H・コンプトン) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450621 暫定委員会会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450621 Notes of the Interim Committee Meeting http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450622 グローヴズ陸軍少將にあてた書簡(ジェイムズ・コナント国防研究委員会委員長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450625 Arneson’s Memo to Harrison 「The Manhattan Project」(91)
450625 スチムソン陸軍長官にあてた覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450626 Harrison’s Memo to Stimson 「The Manhattan Project」(91)
450626 Stimson Diary Entries 「The Manhattan Project」(91)
450627 Memorandum by the Undersecretary of the Navy Ralph A. Bard http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450627 RALPH BARD:AN ALTERNATIVE TO A-BOMBING JAPAN http://www.he.net/~douglong/bard.htm
450627 Bard’s Memo on Use of S-1 Bomb 「The Manhattan Project」(91)
450627 Bard Memorandum, June 27, 1945 http://www.dannen.com/decision/bardmemo.html
450628 アーサー・コンプトン博士にあてた書簡(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450628 陸軍長官にあてた覚書-S1爆弾使用に関するR・A・バード海軍次官覚書を送付 「資料マンハッタン計画」(930922)
450629 Opinion Poll on Treatment of the Japanese Emperor http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450630 マーシャル陸軍参謀総長にあてた覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450630 統合参謀本部によって採択された措置 「資料マンハッタン計画」(930922)
450630 米穀配給台帳による広島市の原爆被爆前人口
450630 Recommended Action by the Joint Chief of Staff

[総合参謀本部による勧告]

「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450630 MOMORANDUM TO THE CHIEF OF STAFF

[グローヴス少将から参謀総長への覚書]

 

原子爆弾被爆者特別措置に関する陳情書<抄>(1969年~97年)

原子爆弾被爆者特別措置に関する陳情書

陳情項目の変遷 1969年~1997

原子爆弾被爆者特別措置に関する陳情書(1969101日)

 昭和42年9月1日付で原子爆弾被爆者特別措置法の制定について陳情いたしましたところ、昨年9月には、特別措置に関する法律が新たに制定施行され、また施設等の予算も計上されて被爆者の福祉が図られました。

 これはひとえに各位の御尽力のたまものと深く謝意を表するものであります。

 しかしながら、法律による措置についても実施上なお多くの問題があると同時に未解決の問題が相当残されておりますので、さきの衆参両院における付帯決議の趣旨もあり、この際早急に次の事項が実現されますよう重ねてお願いするものであります。

 一 被爆者健康管理及び医療制度の充実強化

 一 被爆者健康管理・保養・保護施設の充実

 一 被爆者援護措置の拡充

 一 障害補償その他被爆にともなう補償制度の確立

 一 放射能医学研究機関の拡充

 一 原子爆弾被爆者対策審議会の設置等

昭和44年 原子爆弾被爆者特別措置陳情概要

第1 被爆者健康管理及び医療制度の充実強化

 1 健康診断の内容充実

 2 被爆2・3世に対する被爆影響の調査研究の促進

 3 認定疾病の範囲拡大

 4 特別被爆者の範囲拡大

 5 被爆者温泉療養費の補助

 6 健康診断受診奨励金の支給

 7 認定患者入・通院手当の支給

第2 被爆者健康管理・保養・保護施設の充実

 1 被爆者保養センターの設置

  (説明)原爆被爆者は、放射能を浴びたことによって常に生命の不安と焦燥に脅えながら生活を続けてきました。

     このようは被爆者に心のよりどころを与えるとともに、心身の保養を図る必要があります。

     特に被爆者のうちには、老齢者、低所得者あるいは病弱者が多く、遠隔地の温泉等へでかけることは不可能であり、また、既存の民間保養所の利用については多額の経費を要し、利用することが困難であります。

     したがって、近接地域に一日の保養を楽しむことのできる慰安・娯楽設備の完備した総合的な保養センターを設置すべきであります。

 2 被爆者更生授産所の設置

 3 被爆者健康管理、医療施設整備特別補助制度の創設

第3 被爆者援護措置の拡充

 1 生活困窮被爆者に援護費の支給

  (説明)原爆特別措置法は、原爆放射能の影響による特定の疾病に罹病している一部の者を援護の対象としていますが、援護の対象から除かれている者のうちにも、被爆の影響によって健康を阻害され、正常な生活を営むことのできない者が多数存在しています。

     これら被爆障害者の生活の安定を図るため、疾病制限の緩和・年齢制限の撤廃・所得制限の緩和等による支給対象の拡大ならびに支給金額の増額等援護措置の充実を図るべきであります。

 2 被爆者奉仕員及び生活相談員制度の実施

 3 被爆者就職支度金および雇用奨励金の支給

第4 障害補償その他被爆にともなう補償制度の確立

第5 放射能医学研究機関の拡充

  (説明)原爆放射能の人体に与える影響については、未解明な分野が多く、その学問的な解明のおくれていることが、被爆者対策の進展を阻害する要因となっています。ついては、被爆者の健康管理・医学の根本的対策を確立するため、広島大学原爆放射能医学研究所の研究部門の増設ならびに、長崎大学原爆後障害研究施設の研究所昇格と施設の拡充及び資料センターの新設を早急に実現し、その機能の充実強化を図るべきであります。

第6 その他

 1 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

  (説明)被爆者対策全般に関する重要事項を調査審議するための機関として、原子爆弾被爆者対策審議会を設置すべきであります。

 2 被爆者対策の事業運営に要する経費の全額国庫負担

 3 動員学徒等準軍属に対する処遇の改善

 4 旧防空法等による防空業務従事犠牲者の援護措置の確立

  (説明)防空業務従事者は、旧防空法によって防空業務に従事することを義務づけられていたものであり、このことは動員学徒等の旧国家総動員業務に服した者と少しも変るところがありません。したがって、防空業務従事者およびその遺族についての援護措置を確立すべきであります。

 5 原爆被爆者の実態調査の実施

  (説明)原爆被爆者の被爆後現在までの生活及び健康の状況等被爆の影響の実態を広汎に調査し、被爆者に対する根本的な対策を講ぜられるべきであります。

     なお、これらの調査を地方公共団体が実施した場合、国はその費用の全額を負担し調査を促進すべきであります。

 6 国民健康保険財政における原爆被爆者に係る医療費の影響に対する国庫補助(特別調整交付金)の10割交付

 7 原爆被爆者養護ホーム運営費の全額国庫負担

  (説明)昭和44年度において、国の建設補助金の交付をうけて広島・長崎両県市に原爆被爆者養護ホームが建設されていますが、この施設は全国に散在する恵まれない原爆孤老等を収容保護するための全国的な施設であり、また、被爆者という特異性から本来国の責任において設置運営すべきものであります。したがって、この施設運営費は、全額国庫で負担すべきであります。

原子爆弾被爆者特別措置に関する陳情書(19707月)

 原子爆弾被爆者に対しては、昭和32年に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」が制定され被爆者の健康管理並びに医療についての援護が行なわれ、さらに昭和43年からは「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」により被爆者の生活面の援護が実施されたほか、施設等の予算も充実強化され、被爆者の福祉の向上が図られてきました。

 これはひとえに各位の御尽力のたまものと深く謝意を表するものであります。

 本年は被爆25周年にあたりますが、さきの衆参両院における付帯決議にもみられるとおり被爆者対策については、なお多くの解決しなければならない問題が残されておりますので、この際早急に次の事項が実現されますよう重ねてお願いするものであります。

 なお、最近の被爆者の状況にかんがみ被爆者対策の根本的改善を促進するため「原子爆弾被爆者対策審議会」(仮称)を設置せられるよう特に切望するものであります。

 一 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

 一 被爆者健康管理及び医療制度の充実強化

 一 被爆者保養・保護施設の充実

 一 被爆者援護措置の拡充

 一 障害補償その他被爆にともなう補償制度の確立

 一 放射能医学研究機関の拡充

 一 原爆被爆者の実態調査等

昭和45年 原子爆弾被爆者特別措置陳情概要

第1 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

  (説明)原子爆弾被爆者対策全般に関する重要事項を調査審議するための機関として、原子爆弾被爆者対策審議会を設置すべきであります。

第2 被爆者健康管理及び医療制度の充実強化

 1 健康診断の内容充実

     被爆者は、被爆の影響による悪性新生物、その他の成人病の発生率が高い。また被爆者は逐年老令化しているので検診内容、検診方法を改善すべきであります。

 2 被爆2・3世に対する被爆影響の調査研究の促進

     被爆者の二世・三世に対する被爆の影響が、学問的に究明されていないので、早急に調査研究すべきであります。

 3 認定疾病の範囲拡大

     現在認定疾病とされるものは、ごく一部の疾病に限定されているので認定疾病制度の趣旨を十分に活用し適用範囲の拡大を図るべきであります。

 4 特別被爆者の範囲拡大

     現在、特別被爆者以外の一般被爆者においても認定疾病の発生等放射能の影響を多大に受けた被爆者の存在することが認められるので、現在の特別被爆者の距離制限の緩和等合理的にその範囲の拡大を図るべきであります。

 5 原爆被爆区域の是正

     被爆指定区域に指定格差を生じているので是正すべきであります。

 6 被爆者温泉療養費の補助

     温泉療養は、被爆者の健康管理上、好結果をもたらしている実績から、医師が入湯の療養効果を期待し管理入湯を行なう被爆者に対して、温泉療養費を補助すべきであります。

 7 健康診断受診奨励金の支給

     健康診断の受診促進と健康管理の徹底を図るため、一般検査、精密検査、収容検査を受診した者に対して奨励金を支給すべきであります。

 8 認定患者入・通院手当の支給

     認定被爆者の治療促進を図るため、治療のために入院、通院(退院を含む)した場合本人および介護人にその交通費を支給すべきであります。

第3 被爆者保養・保護施設の充実

 1 原爆被爆者施設の法制化ならびに運営費の全額国庫負担

     原爆被爆者施設は被爆の特異性からして本来国の責任において設置運営すべきものであり、且つ、その施設設置の基盤を確固たるものとするため、これを法制化し、施設の運営費は全額国庫で負担すべきであります。

 2 被爆者特別養護ホームの増設

     昭和44年度国庫の補助を得て建設した特別養護ホームは、既に、定員を上回っており且つ老令化に伴なう被収容者の増加が見込まれるので増設すべきであります。

 3 被爆者保養センターの設置

     被爆者は、心身の保養を図る必要がありますが、被爆者の中には、老令者、低所得者あるいは病弱者が多く、遠隔地の温泉等へでかけることが不可能であり、また、既存の民間保養所の利用については多額の経費を要し、利用することが困難であるので、近接地域に慰安・娯楽設備の完備した総合的な保養センターを設置すべきであります。

 4 被爆者更生授産所の設置

     被爆者のうちには労働能力の低下により一般の職業につくことができない者があるので、これらの者の生活の保障と自立更生を図るため原爆被爆者更生授産所を設置すべきであります。

 5 被爆者健康管理、医療施設整備特別補助制度の創設

     被爆者の健康管理の徹底を期するため被爆者専用の公的医療機関の新設・増改築等に対しては特別高率補助制度を創設して、被爆者の健康管理、医療機関の整備促進を図るべきであります。

第4 被爆者援護措置の拡充

 1 原爆特別措置法による諸手当の支給範囲の拡大及び支給金額の増額

     現行の原爆特別措置法は、原爆放射能の影響による特定の疾病に罹病している一部の者を援護の対象としているが、援護の対象から除かれている者のうちにも、被爆の影響によって健康を阻害され、正常な生活を営むことのできない者が多数存在する等、被爆者の実情にそぐわない面があるので、早急に次の事項を改善すべきであります。

 (1) 諸手当の所得制限の撤廃と支給金額の増額

 (2) 特別手当の支給条件の改善

 (3) 健康管理手当の年令制限の撤廃と疾病制限の緩和

 (4) 認定医療の給付日数による医療手当の支給条件を改め毎月定額の支給

 (5) 介護手当の介護事実に対する定額支給

 2 被爆者奉仕員及び生活相談員制度の実施

     被爆者が居宅で安らかな療養生活を送ることができるようにするため、且つ生活上の各種相談に応ずるため、被爆者奉仕員及び生活相談員を設置すべきであります。

 3 被爆者就職支度金および雇用奨励金の支給

     被爆者の就職を促進して、経済的な自立を図るため疾病・障害等の健康上の理由によって失職し、または就職することができなかった者が、常用労働者として就職する場合に、被爆者就職支度金を支給すべきであります。

      また、被爆者の雇用を促進するため、就職支度金受給者を常用労働者として雇用する事業主に対して、雇用奨励金を支給すべきであります。

 4 被爆障害者手当の支給

     原爆特別措置法による援護の対象から除かれている者のうちには、被爆の影響による身体上の障害、または健康を阻害され正常な日常生活を営むことができない被爆者が多数存在しています。これら原爆被爆障害者に対し障害者手当を支給すべきであります。

 5 被爆障害者の国鉄運賃割引制度の実施

     被爆者のうち、身体障害(外的・内的障害とも)により、介護を要する者が日本国有鉄道の鉄道・自動車および連絡船を利用した場合に、本人および介護人の運賃割引を行なうべきであります。

第5 障害補償その他被爆にともなう補償制度の確立

 1 被爆障害者に障害年金の支給

     原爆被爆者に障害年金支給制度を創設すべきであります。

 2 認定疾病死亡者に対する弔慰金の支給

     原爆被爆者のうち認定被爆者が死亡した場合、その葬祭を行なう者に対して弔慰金を支給すべきであります。

 3 被爆者補償および死没者の遺族補償

     被爆者補償及び死没者の遺族補償について早急に実態を調査検討し、必要な措置を講ぜらるべきであります。

第6 放射能医学研究機関の拡充

 1 長崎大学原爆後障害医療研究施設の研究所昇格と施設の拡充及び資料センターの設置

     長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに研究部門を増設し且つ資料センターを創設してその機能の強化を図るべきであります。

 2 広島大学原爆放射能医学研究所の拡充

     広島大学原爆放射能医学研究所に必要な研究部門を増設し、その機能の強化を図るべきであります。

第7 原爆被爆者実態調査

 1 復元調査費の増額

     昭和45年度から実施した原爆被爆の復元調査は、被爆の基本的実態を把握するための緊急且つ重要なことであるので、国庫支出金を増額し調査を促進すべきであります。

     なお、その費用は全額国庫負担とすべきであります。

 2 原爆被爆者実態調査の実施

     原爆被爆者の、被爆後現在までの生活及び健康の状況等被爆の影響の実態を広汎に調査し、被爆者に対する根本的な対策を講ぜられるべきであります。なお、これらの調査を地方公共団体が実施した場合、国はその費用の全額を負担し調査を促進すべきであります。

第8 その他

 1 被爆者対策の事業運営に要する経費の全額国庫負担

     原子爆弾被爆者特別措置法の施行運営に伴う、事業費、事務費および人件費等は、全額国庫負担とすべきであります。

 2 動員学徒等準軍属に対する処遇の改善

     原爆によって公務上負傷し、あるいは障害をうけた動員学徒、国民義勇隊及び女子挺身隊員等の準軍属に対しては軍人軍属と同等の処遇を講ぜらるべきであります。

 3 旧防空法等による防空業務従事犠牲者の援護措置の確立

      防空業務従事者は、旧防空法によって防空業務に従事することを義務づけられていたものであり、このことは動員学徒等の旧国家総動員業務に服した者と変るところがありません。

     したがって、防空業務従事者及びその遺族に対する援護措置を確立すべきであります。

 4 国民健康保険財政における原爆被爆者に係る医療費の影響に対する国庫補助(特別調整交付金)の10割交付

     原爆被爆者に係る医療費は国の責任において保障すべきであり、被爆者以外の被保険者に負担させるべきではない。従って原爆被爆者に係る医療費に対する国庫補助(特別調整交付金)は10割交付とされるべきであります。

     なお、現行の医療保険制度の抜本改正を行なう場合は、

    1 標準保険料の医療費段階別の保険料率設定については原爆被爆者に係る医療費を除いた平均額をもって算定基礎とすべきであります。

    2 原爆被爆者に対する医療費については、国庫補助として措置されると共に、従前の特別調整交付金の交付率を下廻らないよう配慮されるべきであります。

昭和46年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

第2 被爆者援護措置の拡充

第3 被爆者健康管理および医療制度の充実強化

  6 被爆2・3世に対する被爆影響の調査研究の促進

第4 被爆者保養・保護施設の充実

第5 放射能医学研究機関の拡充

  1 長崎大学原爆後障害医療研究施設の研究所昇格と施設の拡充及び資料センターの設置[説明略]

  2 広島大学原爆放射能医学研究所の拡充[説明略]

第6 原爆被爆者実態調査

  1 復元調査費の増額[説明略]

  2 原爆被爆者実態調査の実施[説明略]

第7 その他

昭和47年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者援護措置の実施

第2 被爆者健康管理および医療制度の充実強化

  4 被爆2・3世に対する被爆影響の調査研究の促進

第3 被爆者に対する補償制度の確立

第4 被爆者保養・保護施設の充実

第5 原爆被爆者実態調査

  1 復元調査費の増額[説明略]

  2 原爆被爆者実態調査の実施

    原爆被爆者の実態は昭和40年に実施されたが、その後日時もかなり経過しているので、前回と同様の調査を早急に実施し、被爆者に対する根本的な対策を講じていただきたい。

第6 放射能医学研究機関の拡充

  1 長崎大学原爆後障害医療研究施設の研究所昇格と施設の拡充及び資料センターの充実強化[説明略]

  2 広島大学原爆放射能医学研究所の拡充

    広島大学原爆放射能医学研究所に必要な研究部門を増設し特に情報機能の強化を図っていただきたい。

第7 その他

  6 原爆被災資料センターの設置

    原爆資料の収集、保存、調査研究機関として、原爆被災資料センターを設置していただきたい。

昭和48年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者援護措置の拡充強化

第2 被爆者健康管理および医療制度の充実強化

第3 被爆者に対する補償制度の確立

第4 被爆者の子および孫に対する調査研究の促進

   被爆者の子および孫に対する被爆の影響が、いまだ学問的に究明されていないので、被爆者のなかには、被爆者本人の健康だけでなく、その子・孫の健康についても常に不安をいだいているものもある現状から調査研究を一層促進し、適切な措置を講じていただきたい。

第5 被爆者保養・保護施設の充実

第6 原爆被爆者実態調査の実施および復元調査費の増額

  1 原爆被爆者実態調査の実施

    原爆被爆者の実態は昭和40年に実施されたが、その後日時もかなり経過しているので、昭和50年に行なわれる国勢調査に併せ、ぜひ被爆者の実態調査を実施し、被爆者に対する根本的な対策を講じていただきたい。

  2 復元調査費の増額[説明略]

第7 その他

  1 放射能医学研究機関の拡充

    広島大学原爆放射能医学研究所における研究情報は、ますます多様化・多量化し、現在設置の電算機の機能では消化しきれないので、これを大型化していただきたい。長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに研究部門を増設し、且つ医学標本センターの機能の充実強化を図っていただきたい。

  2 国立原水爆被爆資料センターの設置

    広島・長崎・ビキニの原水爆被災資料の散逸を未然に防ぐとともにその資料の収集、保存と調査研究を行なうための機関として、日本学術会議が多年にわたり要望している国立被爆資料センターを、広島・長崎・東京の三か所に早急に設置していただきたい。

  6 原子爆弾傷害調査委員会(ABCC)の研究体制の強化

    現在原子爆弾傷害調査委員会が行なっている調査研究は長期に継続する必要があるので、その構成ならびに運営については、主体性を日本側が持つようじゅうぶん検討していただきたい。

昭和49年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者援護措置の拡充強化

第2 被爆者健康診断の充実強化

第3 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第4 被爆者実態調査の実施

   原爆被爆者の実態は、昭和50年に行なわれる国勢調査に併せて実施し、被爆者に対する根本的な対策を講じていただきたい。

第5 被爆者の子および孫に対する調査研究の促進[説明略]

第6 その他

  1 放射能医学研究機関の拡充

    広島大学原爆放射能医学研究所における研究事業は、ますます多様化・多量化しているので、ビデオファイリングシステムの導入など設備の拡充強化及び事業費の増額を図っていただきたい。長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設し、かつ資料センターの機能の充実強化を図っていただきたい。

  6 原子爆弾傷害調査委員会(ABCC)の主体性の確立[説明略]

  2 国立原水爆被災資料センターの設置

    原水爆被災資料の散逸を未然に防ぐとともに、その資料の収集・保存と調査研究を行うための機関として、日本学術会議が多年にわたり要望している国立原水爆被災資料センターを設置していただきたい。

昭和50年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者援護措置の拡充強化

第2 被爆者健康診断の充実強化

第3 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第4 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆影響に関する調査研究の促進[説明略]

  2 被災全体像調査の促進

    原爆被爆の復元調査は、被爆による死没者等のは握するための調査として緊急かつ重要なことであるので、被災全体像調査を一層促進していただきたい。

第7 その他

  1 放射能医学研究機関の充実

    長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設し、かつ資料センターに電算機を設置する等機能の充実強化を図っていただきたい。広島大学原爆放射能医学研究所における研究事業は、ますます多様化・多量化しているので、ビデオファイリングシステムの導入等研究事業費の増額を図っていただきたい。

  4 国立原水爆被災資料センターの設置[説明略]

昭和51年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者援護措置の拡充強化

  1 被爆者年金制度の創設

第2 被爆者健康診断の充実強化

第3 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第4 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆者とその子及び孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射能医学研究機関の充実

    長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設し、かつ資料センターに電算機を設置する等、機能の充実強化を図っていただきたい。広島大学原爆放射能医学研究所における被爆影響の研究に必要な自動染色体分析装置の導入等、研究事業費の増額を図っていただきたい。

  3 被災調査の促進

    原爆被爆による死没者等の実態をは握するための調査は、緊急かつ、重要なことであるので、被災調査の実施を促進していただきたい。

第5 その他

昭和52年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者年金制度の創設

第2 被爆者援護措置の拡充強化

第3 被爆者健康診断の充実強化

第4 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第5 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆者とその子及び孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射能医学研究機関の充実

    長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設していただきたい。広島大学原爆放射能医学研究所及び長崎大学原爆後障害研究施設の設備の充実、研究費の増額を図っていただきたい。

  3 被災調査の促進[説明略]

第5 その他

昭和53年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 被爆者健康診断・医療の充実強化

第4 被爆者援護措置の拡充強化

第5 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第6 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆者とその子及び孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進[説明略]

昭和54年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 被爆者健康診断・医療の充実強化

第4 被爆者援護措置の拡充強化

第5 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第6 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆者とその子及び孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射能医学研究機関の充実

   1.長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設していただきたい。

   2.広島大学原爆放射能医学研究所及び長崎大学原爆後障害研究施設の設備の充実、研究費の増額を図っていただきたい。

  3 被災調査の促進[説明略]

昭和55年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

第2 被爆者健康診断・医療の充実強化

第3 被爆者援護措置の拡充強化

第4 原子爆弾被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第5 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆者とその子及び孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実

   1.放射線影響研究所の研究成果を、被爆者の健康管理と治療に役立てるため、広島・長崎の両研究施設を市内の適地へ移転することを促進していただきたい。

   2.広島大学原爆放射能医学研究所及び長崎大学原爆後障害研究施設の設備の充実、研究費の増額を図っていただきたい。

  3 被災調査の促進[説明略]

昭和56年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 被爆者健康診断・医療の充実強化

第4 被爆者援護措置の拡充強化

第5 原子爆弾被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第6 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の推進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進

    原爆放射線の身体的影響及び遺伝的影響については、いまだ学問的に究明されていないため、被爆者のみならず、その子・孫の中には健康について常に不安をいだいている者が多いので、原爆後障害についての調査研究機関の充実強化と調査研究の促進について、特別の措置を講じていただきたい。

  2 放射線医学研究機関の充実

   1.放射線影響研究所の研究成果を、被爆者の健康管理と治療に役立てるため、広島・長崎の両研究施設の研究設備の充実・研究費の増額を図っていただきたい。また、広島の研究施設を市内の適地へ移転することを促進していただきたい。

   2.長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設していただきたい。

   3.広島大学原爆放射能医学研究所及び長崎大学医学部附属原爆後障害研究施設の設備の充実・研究費の増額を図っていただきたい。

  3 被災調査の促進[説明略」

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進

    原爆被害の実態については、いまだ国民に十分な認識が得られず、また、36年の経過の中で忘れ去られようとしている現況にかんがみ、国も被爆影響に関する調査研究の結果及び被爆の実相について、広く国民の認識を深め、理解が得られるよう努力していただきたい。

昭和57年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 被爆者健康診断・医療の充実強化

第4 被爆者援護措置の拡充強化

第5 原子爆弾被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第6 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の推進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進[説明略]

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和58年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者援護措置の拡充強化

第6 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進

    原爆被爆による死没者等の実態をは握するための調査は、緊急かつ重要なことであるので、被災調査の実施を促進するよう措置を講ずるとともに、当該事業に対する助成額の増額を図っていただきたい。また、昭和60年国勢調査に当り、その付帯調査として、被爆者及び原爆死没者とその遺族に関する調査を実施していただきたい。

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和59年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者援護措置の拡充強化

第6 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進

    原爆被爆による死没者等の実態をは握するための調査は、緊急かつ重要なことであるので、被災調査の実施を促進するよう措置を講ずるとともに、当該事業に対する助成額の増額を図っていただきたい。また、昭和60年国勢調査にあわせて、被爆者及び原爆死没者とその遺族に関する調査を実施していただきたい。

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和60年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者援護措置の拡充強化

第6 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進

    原爆被爆の実態をは握するための調査は、緊急かつ重要なことであるので、国の責任において、被爆者及び原爆死没者とその遺族に関する調査の実施を促進するよう措置を講じていただきたい。

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和61年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者援護措置の拡充強化

第6 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進[説明略]

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和62年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者援護措置の拡充強化

第6 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進[説明略]

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和63年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 遺族弔慰金・年金の支給

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  1 諸手当の所得制限の撤廃

  2 諸手当の大幅増額

  3 諸手当の適用範囲の拡大

  4 医療特別手当等の収入認定の適用除外

  5 原爆小頭症患者の終身保障制度の確立

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

  1 健康診断内容等の充実

  2 被爆者健康管理施設の充実

  3 医療費自己負担の解消

第5 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  1 要介護被爆者対策の充実

  2 被爆者相談事業の充実

  3 被爆者家庭奉仕員派遣事業の充実

第6 被爆者援護措置の拡充強化

  1 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

  2 法外援護事業の制度化

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進

  2 放射線医学研究機関の充実

  3 被災調査の促進

  4 被爆の実態に関する啓発活動の推進

平成元年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 遺族弔慰金・年金の支給

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  1 諸手当の所得制限の撤廃

  2 諸手当の大幅増額

  3 諸手当の適用範囲の拡大

  4 医療特別手当等の収入認定の適用除外

  5 原爆小頭症患者の終身保障制度の確立

  6 法外援護事業の制度化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

  1 健康診断内容等の充実

  2 医療費自己負担の解消

第5 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  1 要介護被爆者対策の充実

  2 被爆者相談事業の充実

  3 被爆者家庭奉仕員派遣事業の充実

第6 被爆者関係施設の整備充実

  1 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

  2 被爆者健康管理施設の充実

  3 原爆養護ホームの建設

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進

  2 放射線医学研究機関の充実

  3 被災調査の促進

  4 被爆の実態に関する啓発活動の推進

平成2年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 遺族弔慰金・年金の支給等

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  1 保健手当の支給対象の拡大

  2 諸手当の所得制限の撤廃

  3 健康管理手当の認定期間の上限の撤廃

  4 介護手当の改善

  5 医療特別手当等の収入認定の適用除外

  6 原爆小頭症患者の終身保障制度の確立

  7 法外援護事業の制度化

第3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  1 短期保護、デイ・サービス制度の創設等

  2 被爆者相談事業の充実

  3 被爆者家庭奉仕員派遣事業の充実

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

  1 健康診断内容等の充実

  2 医療費自己負担の解消

第5 被爆者関係施設の整備充実

  1 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

  2 被爆者健康管理施設の充実

  3 原爆養護ホームの建設

第6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進

  2 放射線医学研究機関の充実

  3 被災調査の促進

  4 被爆の実態に関する啓発活動の推進

第1 被爆者年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 遺族弔慰金の支給等

原爆死没者に対する弔意表明として、遺族弔慰金の支給等必要な措置を講じていただきたい。

平成3年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者関係施設の整備充実

第6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第8 放射線被曝者医療国際協力の推進

第1 被爆者年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 弔慰事業の充実

原爆死没者に対する弔意表明に関する事業の充実について、必要な措置を講じていただきたい。

平成4年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者関係施設の整備充実

第6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第8 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

第1 被爆者年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 弔慰事業の充実

原爆死没者に対する弔意事業の充実として、原爆死没者慰霊等施設の建設などを促進していただくとともに、遺族弔慰金等必要な措置を講じていただきたい。

平成5年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者関係施設の整備充実

第6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第8 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

平成6年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者年金制度等の創設

第2 被爆50周年記念事業の実施

第3 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第4 在宅被爆者援護対策の拡充強化

第5 被爆者健康診断・医療の充実強化

第6 被爆者関係施設の整備充実

第7 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第8 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第9 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

第1 被爆者年金制度等の創設

原子爆弾による被害は、人類の想像を絶したものであり、一般の戦災による被害と比べ際立った特殊性をもつものであることを十分認識していただき、国家補償の見地に立って次の措置を講じられるよう特に要望します。

  1 被爆者年金の支給

被爆者に対する年金の支給について必要な措置を講じていただきたい。

  2 弔意事業の充実

原爆死没者に対する弔意事業の充実として、原爆死没者慰霊等施設の建設などを促進していただくとともに、遺族弔慰金の支給等必要な措置を講じていただきたい。

平成7年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 弔意事業の充実強化

第2 保健医療福祉事業の充実

  1 被爆者実態調査の反映

  2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  4 被爆者健康診断内容等の充実強化

  5 被爆者関係施設の整備充実

  6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第3 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第4 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

第1 弔意事業の充実強化

原子爆弾による被害は、人類の想像を絶したものであり、一般の戦災による被害と比べ際立った特殊性をもつものであることを十分認識し、原爆死没者追悼平和祈念館の建設を促進するなど、原爆死没者に対する弔意事業を一層充実強化していただきたい。

平成8年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 弔意事業の充実強化

第2 保健医療福祉事業の充実

  1 被爆者実態調査の反映

  2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  4 被爆者健康診断内容等の充実強化

  5 被爆者関係施設の整備充実

  6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第3 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第4 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

第1 弔意事業の充実強化

原子爆弾による被害は、人類の想像を絶したものであり、一般の戦災による被害と比べ際立った特殊性をもつものであることを十分認識し、原爆死没者追悼平和祈念館の整備に当たっては、施設の内容及び運営の充実列びに関係資料の整備に努めるなど、原爆死没者に対する弔意事業を一層充実強化していただきたい。

平成9年 原子爆弾被爆者援護措置に関する陳情書

 広島・長崎両市が、原子爆弾により人類史上未曾有の大惨禍を被ってから52年が経過しました。

 昭和32年の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」の制定に始まり、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が施行されている現在まで、被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策が充実されてきたことは、ひとえに各位の御尽力のたまものと深く謝意を表するものであります。

 しかしながら、被爆者及び遺家族は、原子爆弾の特異性により、長年にわたり社会的・医学的・精神的後遺症に苦しみながら、今後も終生悩み続けなければならない実情にあります。

 また、被爆者の高齢化が一段と進み、ひとり暮らしや寝たきり等要介護者が年々増加しているなかで、生存被爆者対策はもとより、死没者に対する弔意事業の推進についても、強く望まれているところであります。

 さらに、これらの状況を踏まえ、衆議院厚生委員会においては付帯決議もなされているところであります。

 ついては、国の責任において、被爆者及び遺家族の実態に即した援護対策を、より一層充実していただくよう要望します。

平成9年7月

広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会

広島県知事 藤田雄山

広島県議会議長 檜山俊宏

長崎県知事 高田 勇

長崎県議会議長 村山一正

広島市長 平岡 敬

広島市議会議長 今田 智

長崎市長 伊藤一長

長崎市議会議長 奥村修計

平成9年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 弔意事業の充実強化

第2 保健医療福祉事業の充実

  1 被爆者実態調査の反映

  2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  4 被爆者健康診断内容等の充実強化

  5 被爆者関係施設の整備充実

  6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

  7 介護保険制度の実施に伴う配慮

第3 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第4 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

第1 弔意事業の充実強化

原子爆弾による被害は、人類の想像を絶したものであり、一般の戦災による被害と比べ際立った特殊性をもつものであることを十分認識し、原爆死没者追悼平和祈念館の整備に当たっては、施設の内容及び運営の充実列びに関係資料の整備に努めるなど、原爆死没者に対する弔意事業を一層充実強化していただきたい。

第2 保健医療福祉事業の充実

保健医療福祉事業については、逐次その充実が図られ、平成7年7月の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の施行により、総合的な援護対策が推進されているところであるが、なお次の事項について特段の配慮をお願いしたい。

  1 被爆者実態調査の反映

平成7年度実施された被爆者実態調査の速やかな分析に努めるとともに、調査結果に基づき生活実態に即した細かな援護対策を、今後講じていただきたい。

  2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

被爆者が原子爆弾の特異性により、社会的・医学的・精神的に特別な状態におかれている実情にかんがみ、家族介護手当等諸手当の充実及び原爆小頭症患者の終身保障について特段の配慮をするとともに、広島・長崎の各県市が独自に実施している各種援護事業についても助成措置を講じていただきたい。

  3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

高齢化が一段と進み、ひとり暮らしや寝たきりなど、日常生活に介護を要する被爆者が増加している実情を踏まえ、老人福祉施設のショートステイ、デイサービス利用及び老人保健施設入所にかかる助成措置を講じていただきたい。

  4 被爆者健康診断内容等の充実強化

被爆者は、被爆の影響により成人病の発生率が高く、また、高齢化が進んでいるので、健康診断の内容を更に充実するとともに、健康診断費の改善を図っていただきたい。

  5 被爆者関係施設の整備充実

被爆者の医療・養護等を進めていくうえで重要な原爆病院、原爆養護ホーム等の被爆者関係施設は、その特殊性から人的・物的負担が多く、経営に困難を来しているので、運営費を充実するとともに、施設建設に当たっては、より一層の助成措置を講じていただきたい。

  6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

被爆者医療については、原爆被爆による健康上の障害の特異性と重大性にかんがみ、老人保健法による地方公共団体の負担が解消されるよう、同法施行前の実績を踏まえ、制度上、財政上、適切かつ十分な措置を将来にわたって講じていただきたい。

  7 介護保険制度の実施に伴う配慮

介護保険制度の導入実施に当たり、原爆被爆者に対しては、同制度による給付のほか、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づくこれまでの施策を継続し、新たな負担が生じないよう措置を講じていただきたい。

また、被爆者を多く抱える広島・長崎両県市に対しては、保険者の財政負担が過度にならないよう特に配慮をお願いしたい。

第3 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

原爆被爆による人的被害等の実態を把握するための被災調査の促進並びに被爆者とその子・孫に対する原爆放射線の身体的影響及び遺伝的影響についての調査研究の促進を図っていただきたい。

また、放射線影響研究所、広島大学原爆放射能医学研究所、長崎大学医学部付属原爆後障害医療研究施設の整備充実及び研究の振興を図るとともに、その研究成果を被爆者の健康管理と医療に一層活用されるよう、引き続き、お願いいたしたい。

第4 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

広島・長崎が、長年積み重ねた被爆者検診・治療の実績及び放射線障害に関する調査研究の成果を生かし、世界の放射線被曝(爆)者医療への貢献と、国際協力の推進に資するために行う各種事業等に対し、引き続き助成措置を講じていただきたい。

また、国においても、引き続きこうした国際協力事業を積極的に推進し、広島・長崎が実施する事業との連携を図っていただきたい。

八者協陳情書の第1項目の変遷

昭和42年 医療制度の充実強化

昭和44年 被爆者健康管理及び医療制度の充実

昭和45年 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

昭和46年 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

昭和47年 被爆者援護措置の実施

昭和48年 被爆者援護措置の拡充強化

昭和49年 被爆者援護措置の拡充強化

昭和50年 被爆者援護措置の拡充強化

昭和51年 被爆者援護措置の拡充強化

昭和52年 被爆者年金制度の創設

昭和53年 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

昭和54年 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

昭和55年 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

昭和56年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和57年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和58年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和59年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和60年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和61年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和62年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和63年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和63年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

平成元年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

平成2年 被爆者年金制度等の創設

平成3年 被爆者年金制度等の創設

平成4年 被爆者年金制度等の創設

平成5年 被爆者年金制度等の創設

平成6年 被爆者年金制度等の創設

平成7年 弔意事業の充実強化

平成8年 弔意事業の充実強化

平成9年 弔意事業の充実強化

 

『本土作戦記録・第二総軍』(第一復員局、1946.10)[抄]

『本土作戦記録・第二総軍』(第一復員局、1946.10)[抄][防衛庁防衛研究所蔵]

第12章 原子爆弾被爆及終戦の経緯

第1節 原子爆弾の被爆

7月下旬より8月初頭に互り総軍は前述せる新情勢判断の下作戦計画の修正、総軍決戦綱領の策定、之に伴ふ大本営との連絡も終了し、8月9日より両方面軍司令官を広島に会同し以て作戦準備並実施に関する最後の会同を実施すべく、之が準備中の所8月6日午前8時10分頃真に突如原子爆弾の攻撃を受けたり。被弾直後の印象は高々度より司令部に対し爆弾及焼夷弾の集中爆撃を受けたりと思考せるも、時間の経過と共に被害逐次判明、午前10時頃予て準備中の戦闘指揮所に移転するに及び炎々たる猛火に包もれたる全市街の被爆の様相を望見し、茲に特殊爆弾に非ずやとの疑問を懐き直ちに大本営に対し右所見を付して状況を報告せり。

本攻撃に依り全市街及軍管区司令部以下軍隊も殆んど一挙に大打撃を受けたるも総軍司令部のみは比較的損害軽微(司令部の戦死80数名入院多数)なりしを以て、直ちに船舶司令部及地方総監府以下の地方機関と連絡、8月7日総軍司令官は独断広島近郊の総軍隷指揮下外部隊及地方側機関を指揮し戦災者の救護、戦災地の整理復旧並広島周辺の治安等に関し一時指揮すべき命令を下達(実行動は6日直ちに採れり)し、船舶司令官をして之が実行を担任せしめたり。

広島の状況は真に言語に絶し死者8万を超え爆心地付近は一木一草を留めず屍死累々として目を蔽ふの惨状を呈せり。

第2節 終戦の経緯

総軍は原子爆弾の被爆が帝国戦争指導を左右すべき因子なりとは思考せず且又原子爆弾に対しては対策宜しきを得ば之を克服し得べしとの印象と強き敵愾心に依り、幸に微傷だにせざりし総軍司令官の下、小数の残存幕僚を以て鋭意司令部の恢復に努めつつ、方面軍司令官会同準備を続行せり。

然るにも12日頃大本営より「帝国政府は連合国に対し和平交渉中」との主旨の電報に接せり。次て13日畑元帥に至急上京の招電あり。元帥は15日帰任し、陛下の和平に対する鞏固なる団結と至厳なる軍紀を確保して大御心に副ひ奉らんことを期すべしとの主旨を伝達し、直ちに両方面軍参謀長を招致して此の主旨の徹底方を命令せり。

斯くて8月15日正午遂に終戦の大詔を拝し茲に総軍の作戦は終結せり。

第一復員省大屋中佐の原爆被害報告(1945年12月10日)

第一復員省大屋中佐の原爆被害報告

1945年12月10日 米国戦略爆撃調査団資料

戦略爆撃調査団「レフコ」中尉ニ対スル回答

昭和20年12月10日 第一復員省 大屋中佐

但シ本回答ハ小官ノ記憶及関係方面ニ連絡シ調査セルモノニシテ数字及専門事項ニ関シテハ正確ヲ保シ難キモノアリ

其ノ1.原子爆弾ノ影響

原子爆弾8月6日始メテ広島市ニ対シ使用セラレタル影響ハ当時ニ於ケル日本ノ状況及直後ニ於ケル「ソ」連邦等ノ参戦等ニ関連シ日本ノ戦争指導ニ重大ナル影響ヲ与ヘタルコトハ否定シ得サルヘシ

其ノ主ナルモノ左ノ如シ

1.終戦ニ及ホセル影響

累次ニ亘ル焼夷攻撃及爆撃ニ依リ本土主要都市及周辺軍事工場ハ灰燼ニ帰シ軍需工場及重要諸施設ノ地下転移ノ遅延ト交通遮断等ノ障碍ハ逐次軍需生産力ノ衰退ヲ来シ戦争ノ継続ニ大ナル支障ヲ来シタルハ事実ニシテ之カ対策ハ着々進捗シ本土決戦ヲ準備中ナリシ総合国力及戦力ノ減退ハ対米決戦ヲ逐次困難ナラシメ一部ニハ終戦ハ時間ノ問題ナリトノ感ヲ持ツモノモアルニ至レリ

此時ニ於ケル原子爆弾ノ現出ハ一般軍隊ニ対シテハ比較的影響少ナク却ツテ敵愾心ヲ昂揚シタルモ国民一般ニ多大ノ恐怖心ヲ与フルト共ニ戦争指導首脳者ノ一部ニ対シテハ「ソ」連ノ参戦ニ関連シ継戦ヲ絶望的ナラシムルニ画期的影響ヲ与ヘタルモノアリ

2.原子爆弾ノ威力ニ関スル反響

原子爆弾ノ威力(広島市及長崎市ノ損害別紙記述ノ如シ)ハ十分認識シタルモ現地ニ於ケル当時ノ所感ハ其ノ損害ヲ軽減シ得ルモノニシテ絶対致命的ノモノニアラスト結論セリ

然レドモ広島ニ於ケル一発ノ原子爆弾ノ威力カ上下ヲ通ジ国民ニ与ヘタル精神上ノ打撃ノ大ナリシハ否ムヘカラズ

註.広島ニ於ケル当時ノ状況ヲ回想スルニ8月6日午前7時乃至7時30分頃広島市東方ヲ旋回中ナリシB29 2~3機ニ対シ発令中ナリシ警戒(空襲)警報ハ8時前後解除 セラレ市民ハ所謂「ホッ」トシタル気分ニテ朝ノ始末、出勤、登校等ノ途ニアリ タルモノニシテ本爆撃ハ全ク奇襲ヲ受ク是カ為家外ニアリタルモノハ勿論屋内ニ アリシ者モ爆風、火傷及家屋倒壊ノタメ大小トナク重軽傷シ比較的軽傷、活動力 アルモノモ重傷者等ノ救助ニ尚及ハズ 折カラ発生セル火災ヲ消スノ努力ヲナサザルハ勿論避難モ困難ナルノ状況ニシテ全市灰燼ニ帰シタルモノナリ 最適例ハ (数字ニ若干ノ誤アルヘシ)当時歩兵第一補充隊ハ(兵営ハ全壊全焼)約3,000人 ノ兵員ヲ有シタルモ8月8日ノ調査ニ依リ判明セルハ兵営ニアル生存者約800名内活 動力アルモノ200名ニ足ラスシテ他ハ行方不明トノ報告アリシ如ク記憶シアリ 以 テ一般ノ状況ヲ推シ得ヘシ

即チ広島ニ於ケル被害状況ヲ見ルニ爆心ヨリ1~2粁ノ地域ニ於ケル家屋ハ全壊、全焼、約4粁付近迄ハ中、小破ノ打撃ヲ受ケ中心点付近ノ路上電車ハ脱線、方向ヲ転換、鉄柱ハ倒レ1~2粁以内ニ於テ屋外ニ在リシモノハ着衣全焼、全身火傷ニテ死亡、500米以内ニ於テハ内臓ノ露出セルモノアリ 又5粁付近迄ハ硝子ノ破片等ニ依ル損傷若干アリシ等被害ノ程度甚大ナリシモ一方市内ニ於テモ鉄筋「コンクリート」ハ(焼失シアリ)ハ比較的破壊度少ク普通程度ノ防空壕ニモ完全ニ形ヲ止ムルモノアリ

地下「ケーブル」、水道ハ損害ナク爆心ヨリ約3粁離隔セル飛行場ニ於テハ暴露セル小型機ノ中央座席付近ヨリ折損、風防硝子ヨリ引火焼失セル外掩体内ニアリシハ損害比較的軽微ニシテ又白夜ノ部分ハ火傷軽易ニシテ白色ノ光線ヲ反射スル等判明セルヲ以テ広島ノ如キ奇襲ヲ受ケタルコトニ対シテハ所謂奇襲兵器トシテ精神的動揺ヲ来シタルコトハ事実ナルモ又一面対応準備十分ナレハ敢テ対抗不可能ナラスト決論セラレタリ

3.当時考慮セル主要対策次ノ如シ

1.警戒警報中ト雖モ敵機ノ近接ヲ知ラバ掩蓋ヲ有スル屋外防空壕ニ待避ス 2.防空壕ニ入リ得サルモノハ遮蔽下ニ姿勢ヲ低クシ閃光後急速ニ脱出ス 3.露出部少キ服装トシ厚着ヲシ出来得ル限リ白色ノ下着ヲ使用ス 4.火傷薬ヲ必ス携行ス 5.「ガラス」窓ハ負傷ノ原因トナルヲ以テ直ニ撤去シ日本家屋ハ半地下式ノ壕舎ニ改築スヘシ 6.防空壕ハ爆風除ケヲ付スヘシ 7.消火器其置場ハ家屋倒壊ノ危険少キ屋外ニ格納ス 8.燃料弾薬ハ一般防護ノ程度ニシテ特ニ考慮ノ要ナシ 9.飛行機ハ有蓋掩体(補強セルモノ)若クハ地下ニ格納ス 10.高射砲其他ノ対空部隊用掩体ハ努メテ之ヲ高クシ偽装用材料ヲ以テ遮蔽シ得ル如クス 11.其他一般防護対策ニ同シ

4.中央ヨリ現地軍宛通牒セル原子爆弾ニ依ル患者ノ治療法ノ参考

1.治療法  イ.安静  ロ.自家輸血ノ筋肉内注射  ハ.生理食塩水又ハ5%葡萄糖液ノ皮下注射  ニ.「クロール、カルシウム」ノ静脈内注射  ホ.「ビタミン」「B1」及「C」ノ大量投与 2.爆心ヨリ半径2粁以内者(為シ得レハ4粁以内ノモノ)ハ健康診断(特ニ白血球数、赤血球沈降速度)ノ要アリ  白血球3000以下、赤沈50粍以上ヲ患者トシテ取扱ヒ、白血球3~5000、赤沈30粍程度ノ者ヲ要注意者トシテ安静ヲ必要トス

其ノ2.広島ニ関シテ

1.被害状況

明年1月中旬頃被害地域図完成(松本ニ於テ印刷中)予定ナルモ概要別紙要図ノ如シ

2.在広島陸軍部隊及其ノ状況

広島市付近5万分ノ1地図ナキニ付記入提出不可能ナルモ概要別紙要図ノ如ク又在広島陸軍部隊ノ数左ノ如シ

第二総軍司令部 370
中国軍管区司令部 688
歩兵第一補充隊 3346
砲兵補充隊 400
工兵補充隊 461
通信補充隊 243
輜重兵補充隊 627
広島地区鉄道司令部 267
独立鉄道第二大隊 1541
船舶司令部 15000
広島支部 80
船舶砲兵司令部 1135
其他 若干
約 244158

註.1.広島ニハ宇品ヲ含ミアリ   2.船舶司令部ノ人員ハ当時広島ニアリタリト推定セラルノ人員ナリ   3.其他2~3中隊ノ野戦勤務部隊駐屯シアリシカ如モ詳ナラス

3.陸軍関係被害

1.小官ノ記憶ニヨル陸軍関係ノ損害 中国軍管区司令部・歩兵第一補充隊・砲兵補充隊・工兵補充隊・輜重兵補充隊・ 広島第一陸軍病院・広島第二陸軍病院・広島連隊区司令部   庁舎全壊全焼   但中国軍管区司令部ハ防空作戦室(鉄筋コンクリート)ノミ健在又陸軍病院第一及第二共ニ職員約80%患者(第一約500第二約650)ハ殆ント全滅ス 第二総軍司令部   本庁舎ノミ半壊全焼 爾他ハ全壊全焼ス 宇品船舶司令部・広島補給廠   建物ニ若干ノ被害アリシ他異状ナシ 2.陸軍関係死傷者統計

死亡者 6082
傷者 3353
行方不明 687
10122

3.船舶関係   一部家屋ノ破壊セルモノアルモ被害僅少ナリ

4.広島市一般人民ノ損害左表ノ如シ(終戦直後)

63,614
64,670
128,284
全焼 55,005
全壊 6,820
61,825
罹災者 193,719

備考.本表ハ防空総本部ノ資料ニ依ル、広島市ハ他ノ爆撃ハ殆ント無キヲ以テ原   子爆弾ノミニ依ルモノト見ルヲ得ヘシ

5.宇品ニ関シテ

陸軍ハ宇品ニ於テハ陸軍船艇ノ修理及艤装ヲ主トシ一部上陸用小艇ヲ製作ス

其ノ3.長崎ニ関シテ

1.当時ニ於ケル在長崎部隊左ノ如シ

独立混成第122旅団 6291
高射砲134連隊 約2700
其他 若干
8991

註.長崎ニ於テハ独立混成122旅団ノ市内ニアリタルハ其ノ一部ト推定セラルルモ詳細ナル駐屯人員ハ不明ナリ

2.被害ノ状況

1.原子爆弾ニ依ル被害状況別紙要図ノ如シ 2.戦災様相  市ノ大部ハ一瞬ニ破壊セラレ市ノ全人口ノ5%ハ死傷シ全市家屋ノ40%ヲ焼失セリ  細部ノ状況左ノ如シ   但シ広島ニ比シ損害ハ比較的僅少ナリシハ爆心ノ都心ヨリ4粁余離隔セルト都心部ト投下点ノ間ニ比高約200米ノ山地存在セシニ依リタルモノト判断セラル

種類 人員 家屋火災 家屋ノ破壊
死亡 負傷 行方不明 全焼 半焼 全壊 半焼 損傷
原子爆弾 23,753 23,345 1,927 11,494 150 2,653 5,921 残リ全部
一般爆弾 364 600 43 59 1 288 223
船舶ノ被害 沈没 大破
6隻 3隻

而シテ主要罹災地域タル浦上川沿線ハ住宅完全ニ粉砕セラレ其ノ形骸ヲ止メス  造船其他重要建築物ハ全壊シ鉄骨ノミ残存シアリ  長崎駅西南都心部ハ離隔度ノ大ナニ従ヒ損傷小ナリト雖完全ナル居住施設ハ殆ント皆無ノ状況ナリ 3.長崎港防衛火砲ノ旧式ナル理由  長崎ノ防空兵力ハ弱勢ニシテ更ニ強化ノ必要ヲ認メタルモ長崎地区ハ日本全国的ニ見ル時他ニ比シ生産工場地帯乃至ハ港湾トシテ次等ニ位シ当時日本軍ノ兵力トシテヨリ以上ノモノヲ配置シ得ザリシモノナリ

其ノ4.俘虜ニ関スル事項

広島、長崎共ニ目下主任者出張中ノタメ判明セズ

其ノ5.水上特攻撃艇ノ配置ニ就テ

陸軍水上特攻艇隊ハ各方面軍ニ配属セラレアリシ関係上現在中央ニ於テ資料ナシ

従ツテ又残島(ノコノシマ)ノ配備ニ関シテモ現地軍(福岡ニ在リシ西部軍管区)ニ就テ調査セサレバ判明セス

 

 

GHQの言論指令「新聞規則」(1945年9月18日)

GHQの言論指令「新聞規則」

新聞規則

AG000、73(1945年9月18日

CI SCAPIN33

昭和20年9月19日

1、ニュースハ巌格ニ真実ニ符合スルモノタルベシ。

2、直接又ハ間接公安ヲ害スル惧アル事項ヲ印刷スルコトヲ得ズ。

3、聯合国ニ対スル虚偽又ハ破壊的批評ヲ行ハザルベシ。

4、聯合国占領軍ニ対スル破壊的批評及ビ軍隊ノ不信若ハ憤激ヲ招ク惧アル何事モ為サザルベシ。

5、聯合軍軍隊ノ動静ニ関シテハ公式ニ発表セラレタルモノ以外ハ発表又ハ論議セザルベシ。

6、ニュースノ筋ハ事実ニ即シ編輯上ノ意見ハ完全ニ之ヲ避クベシ。

7、ニュースノ筋ハ宣伝的意図ヲ以テ着色スルコトヲ得ズ。

8、ニュースノ筋ハ宣伝的意図ヲ強調又ハ拡大スル目的ヲ以テ微細ノ点ヲ過度ニ強調スルコトヲ得ズ。

9、ニュースノ筋ハ関係事実又ハ細目ヲ省略スルコトニ依リ之ヲ歪曲スルコトヲ得ズ。

10、新聞ノ編輯ニ於テニュースノ筋ハ宣伝的意図ヲ設定若ハ展開スル目的ヲ以テ或ルニュースヲ不当ニ誇張スルコトヲ得ズ。

OFFICE OF THE SUPREME COMMANDER FOR THE ALLIED POWERS

Ag 000.73(18 Sep 45) CI

(SCAPIN-33)

19 September 1945

MEMORANDUM FOR:IMPERIAL JAPANESE GOVERNMENT.

THROUGH    :Central Liaison Office,Tokyo.

SUBJECT    Press Code for Japan.

1.News must adhere strictly to the truth.

2.Nothing shall be printed which might, directly or by inference disturb the public tranquillity.

3.There shall be no false or destructive criticism of the Allied Powers.

4.There shall be no destructive criticism of the Allied Forces Occupation and nothing which might invite mistrust or resentment of those troops.

5.There shall be no mention or discussion of Allied troops movements unless such movements have been officially released.

6.News stories must be factually written and completely devoid of editorial opinion.

7.News stories shall not be colored to conform with any propaganda line.

8.Minor details of a news story must not be overemphasized to stress or develop any propaganda line.

9.No news story shall be distorted by the omssion of pertient facts or details.

10.In the make-up of the newspaper no news story shall be given undue  prominence for the purpose of establishing or devoloping any propaganda line.

FOR THE SUPREME COMMANDER

(Sgd.)Harold Fair HAROLD FAIR,

Lt.Col.,A.G.D.,Asst Adjutant General.

 

 

朝日新聞24時間発行停止の指令(1945.9.18)

朝日新聞24時間発行停止の指令 1945.9.18

GENERAL HEADQUARTERS SUPREME

UNITED STATES ARMY FORCES PACIFIC

Public Relations Office

1630   18 September 1945

PRESS RELEASE

ASAHI SHINBUN, TOKYO Daily newspaper, was suspended today for a period of 48 hours by order of the Supreme Commander. Suspencion becomes effective at 4 p.m. today and remains in force until 4 p.m. September 20.

Material printed by ASAHI SHINBUN in the issues of 15, 16 and 17 September, the three days following delivery to them of General MacArthur’s censorship order was found to be in violation of the directive prohibiting publication of matter designed to disturb public tranquility, destructively criticising the Allied Powers, or containing false statements.

On September 15 the newspaper published an article which said in part:

“The United States stands for the slogan ‘ Justice is power.’ Accordingly they cannot deny that the use of the Atomic bomb and attacks on hospital ships are violations of international law more than the use of poison gas and they do constitute war crime. Let Americans inspect conditions in the war-suffering areas as much as possible and let them awaken to the sense of compensation for their acts and their responsibility for reconstruction. We should tell them plainly that it is impossible for Japan to attain reconstruction by her own power alone and endeavor to let them recognize the fact that the return of Japan to democracy and her participation in inter-national trade would never go against the interests of the United States and the welfere of the world. We should also endeavor to have them give us positive co-operation for the restoration of Japan.”

[以下略]

 

 

ファーレル米軍准将広島調査結果声明(1945年9月12日)

ファーレル米軍准将広島調査結果声明

1945年9月12日

STATEMENT BY BRIG. F. FARELL

CHIEF, ATOMIC BOMB MISSION

Tokyo, Japan

12th September 1945

We have made a preliminary inspection of Hiroshima. Our doctors stayed over in Hiroshima, in order to make a further study of those injured by the explosion of the atomic bomb. Detailed studies of the effects, both physical and on personnel, will be continued in order that we may have a true picture of the results of the explosion.

Detailed measurements of the city were made by our scientific personnel to determine if there was any radio activity present. No measurable radio activity was found under the point of detonation or elsewhere on the ground, streets, in the ashes, or on other materials. Col. Stafford Warren, Medical Corps, of Rochester, N. Y., who has been the chief Medical Officer of the project for the past three years and who is an expert in the field of radiology, has made a preliminary check on the casualties. These investigations will continue.

Col. Warren’s preliminary conclusions are as follows:-

The largest number of casualties at Hiroshima probably resulted from blasts, missles and fires. The actual numbers and proportions will probably never be known. Many, of course, will die from the initial effects of the explosion.

Colonel Warren and his party of doctors have examined a number of patients whose symptoms are such as would be caused by radiation. It is Col. Warren’s opinion that those patients who were affected by radiation resulted from a single exposure to a dose of gamma radiation at the time of detonation, and that they did not result from the deposit of dangerous amounts of radio activity on the ground. His conclusions are based on the information obtained as to locations of the affected individuals at the time of the blast, and on the results from the New Mexico test as related to the detonation at Hiroshima. It is believed by Colonel Warren that the much higher altitude of detonation would prevent the deposit of much radio activity on the ground and, at the same time, would increase the blast effects of the weapon. Persons could survive the blast, missles, or flames, and still be within the comparatively limited range of the gamma radiation at the time of the explosion. Some of them could have been shielded by buildings or other obstructions from the effects of the blast and heat. The bomb was designed primarily as a blast weapon, with secondary effects from heat and light and, at the elevation used, it was expected that there would be a radio active effect in a limited area under the point of detonation just at the moment of the explosion. It was further expected that any one so affected would have received serious damage from the primary effects of the bomb. Many of the patients examined by Colonel Warren who showed results of radio active damage also had either burns or other injuries.

The story that personnel coming into the area to assist in evacuation were seriously injured is the truth, but not the whole truth. The personnel were already in the area to carry out a previously ordered evacuation and were caught there by the blast. Many of them became casualties. Some other personnel, mostly military, arrived in the area about ten hours after the explosion. Statement have been made by the Japanese that these showed ill effects, including fatigue. Japanese officials at Hiroshima on 9 September stated that none of these died and none were seriously affected. This confirms the opinion of our experts that there would be no residual radioactivity on the ground in dangerous amounts. At our meeting in Hiroshima, Dr. Masao Tsuzuki, radiologist at the Imperial University, made a statement that he considered it possible that poison gases were released at the time of the explosion of the bomb, and asked for confirmation or denial. An official statement was made to Dr. Tsuzuki that such an assumption was entirely erroneous. No poison gasses were released.

The Japanese have made an official report, dated 15 August, of their investigation of Hiroshima, largely by Medical Officers, and the following is quoted from an official U. S. translation of their report:- “At present (15 August 45), an increase in radioactivity in the area of explosion has been noted, but not to the extent that it will be injurious to humans. Immediately following the explosion, the amount of radioactive rays which caused human injuries could not be determined. Also, the actual presence of radioactive substances, and the assumption that artificial radioactive substances were created, could not be proved.”

We have no means of checking the radioactive conditions existing on the 15th of August, but we found none on the 9th of September. there was no crater. There was no sign of heating of the ground beyond that due to burning buildings. There was no fusing of the ground nor melting of materials such as occurred at New Mexico, where the bomb was set off at a much lower altitude. The area immediately under the point of detonation is not marked by any special phenomena on the ground, either physical or radio active.

The flash burning by radiant heat was quite spectacular. A cardboard sign at about 1-1/4 miles away had the black lettering charred and the white background untouched. In a building a mile away from the explosion, plush chairs in front of a window were scorched on the portions exposed to radiant heat coming through the window.

The physical destruction in the target area was practically complete. The scene was one of utter devastation. The number of totally burned buildings at Hiroshima was 55,000. The number half-burned was 2300; totally destroyed by blast 6800; half destroyed by blast 3800.

The total number destroyed and damaged buildings was 68,000, or somewhere between 80 and 90% of the entire buildings in the city. The above statistical information is from Hiroshima officials. For a radius of 1-1/4 miles from point of detonation, the area including the Japanese military headquarters was completely demolished. To a radius of two miles, everything is blasted with some burning. Between two and three miles, the buildings are about half destroyed. Beyond three miles, the damage is generally slight, with roof damage up to five miles and glass broken up to twelve miles. About twenty well built structures of masonry and steel remain standing in central portion of city, but all windows are out and interiors are gutted. A few bridges are destroyed but most modern bridges are intact expect for hand rails and some sidewalks which have torn loose. Individual warehouses are collapsed on the pier area, nearly three miles away. Relatively close areas were protected from the blast by intervening hills. Light shelters were caved in, street cars were derailed and burned, automobiles had the roofs caved in. A fire started in the forest on a mountain about four miles away.

Huge trees were uprooted and broken. The Japanese reported that of the 9,000 soldiers in Hiroshima, 4,000 were killed, 3,000 were wounded, and 2,000 escaped. The dead include the Commanding General and his entire staff.