「年」カテゴリーアーカイブ

原爆被害:時時刻刻(6日被爆から夜半まで)

原爆被害:時時刻刻
1945年8月6日被爆から夜半まで

時刻 事 項
06 08:15 「[エノラゲイなどの行動]15分1/2 爆弾を投下(予定投下時刻は8時15分)。閃光に平手打のような衝撃が2波続く。巨大な雲。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
06 08:15? 「警戒警報解除直後(発令中)午前八時十五分頃敵機投下強力爆弾ノ為全市内家屋倒壊火傷患者続出並二火災発生、県庁亦倒壊シ庁員概ネ負傷又ハ死亡」(広島県「戦災記録」)
06 08:15? 「そのうちに火傷した患者が構内に、陸続と押しかけて来たので凱旋館屋内に収容し、船舶軍医部が総がかりで応急手当をした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:15? 「八月六日原爆直後、爆発の状況は全く不明であった。市内中心部の上空には入道雲が折り重なって天に沖し、実に悲惨な痛ましい状況を呈した。総軍・中国軍管区司令部・県庁・市役所に連絡した処、通信不通で状況が不明であったが、市内に火災が起ったことは現実に認められた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:15? 「県庁非常疎開先タル市役所、本川国民学校、福屋、商工経済会各焼失、安芸高女倒壊ノ為県庁防空本部ヲ比治山下多聞院ニ置ク」(広島県「戦災記録」)
06 08:50 「午前八時五○分取敢えず、市内の消火並びに救難に対応処置をとると共に、患者を最も安全地帯たる似島検疫所に輸送することとした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50a 「1、海上防衛隊長に命じ、消火艇を以て京橋川両岸を消火せしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50b 「2、広島船舶隊長に命じ、救難艇を以て逐次患者を似島に護送すると共に、主力を以て京橋川を溯江、救難に任ぜしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50c 「3、野戦船舶本廠長に命じ、救難隊を以て京橋川を溯江、救難に任じ、一部を以て市内の消防に当らしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50d 「4、船舶練習部長に命じ、救難隊を中央桟橋付近に出し、出発準備、一部は通信隊補充隊を救援せしめた。(註:船舶通信補充隊の特別幹部候補生部隊は、上半身裸体で体操実施中であったから、全身火傷を受け重傷のものが多発した。兵舎の破壊は船舶部隊中、最も甚だしかった。)」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50e 「5、教育船舶兵団長に命じ、一部を以て千田町特別幹部候補生通信隊の救難に任ずると共に、主力を以て破壊消防を準備させた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50f 「6、船舶砲兵団長に命じ、速やかに砲兵教導隊の一部を以て通信補充隊を救援せしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50g 「7、幸の浦・江の口部隊は、待機せしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 09:10 「[エノラゲイなどの行動]高度40,000フィートと思われる雲がまだ見える。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
06 09:30 「元安川東方地区一部火災の発生の報告により、次のとおり処置した。1、海上防衛隊長に命じ、消火艇二隻を以て天安川を溯江、赤十字病院付近の消火に任ぜしめた。2、船舶練習部長に命じ、救難艇三隻を以て天安川を溯江、救難に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 09:41 「[エノラゲイなどの行動]広島から363マイル、高度26,000フィートの地点で雲が視界から消える。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
06 10:00 「陸軍大臣・参謀総長宛、広島被爆の概況につき、電報報告をした」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 10:00 「第二総軍司令部及び其付近の被害相当大なる旨報告があったので、次の通り処置した。1、船舶衛生隊長に命じ、救護班一を第二総軍司令部に派遣救護せしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 10:00 「2、堀尾参謀を第二総軍司令部に派し、業務連絡に当らしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 10:00 「三滝分院ノ例=同日10時頃豪雨トナリ、池ノ水黒変シ、翌朝 鯉、鰻、鯰等ノ斃死セルヲ認メタリ」(陸軍省広調班速報4)
06 10:00? 「爾後、市内の状況が、逐次判明して来たので、爆撃の実体について種々研究を進めることとした。研究会の席上、誰れであったか、「米国が新しい爆弾を作って居るとの情報があったが、今度のはそれではないか」との発言があり、確定に至らなかったが、或いは然らんとの結論に一致したようであった。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 10:00? 「午前10時頃予て準備中の戦闘指揮所に移転するに及び炎々たる猛火に包もれたる全市街の被爆の様相を望見し、茲に特殊爆弾に非ずやとの疑問を懐き直ちに大本営に対し右所見を付して状況を報告せり。」(『本土作戦記録・第二総軍』)
06 10:40 「火災は京橋川西岸に延焼、死傷者続出の情報があったので、次の通り処置した。1、船舶衛生隊長に命じ、傷者の救護に任ぜしめた。2、船舶練習部長に命じ、救難班を出し、船舶衛生隊長の区処を受けしめた。3、広島船舶隊長に命じ、所要の船艇をして傷者を似島に輸送せしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 10:40b 「4、野戦船舶本廠長に命じ、速やかに百名を専売局付近に派遣、破壊消防に任じ、主力は破壊消防を準備せしめた。また、機動付艀舟四隻を元安川南大橋付近に出し救難に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 11:18 警戒警報発令(広島県知事8月21日報告)
06 11:20 「呉病ニ於テハ1120救護隊派遣準備ヲ命シ」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
06 11:30 「隷下部隊にも一一時三○分、平常業務及び教育を中止し救護に任ずる如く指示を与えた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 11:33 「似島収容所救護を強化する為、第十教育隊の百名を増加した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 12:00 「比治山北側地区の火災拡大する由、情報があったので、海上防衛隊長に命じ、消火艇の一部を以て猿猴川を溯江し、比治山北側地区の消火に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 12:03 警戒警報解除(広島県知事8月21日報告)
06 13:10 「南大橋北側元安川東岸地区の火災猶延焼中で死傷相当多数に上ったとの報告に接したので、左記部隊を以て南大橋付近に至り、破壊消防並びに救難に任ぜしめた。防空勤務中隊将校以下二五名、野戦船舶本廠将校以下一一○名、第十教育隊救護班軍医以下一○名」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 13:20 「宇品地区の水道減水し、使用不可能となった為、幸の浦より衛生濾水器一を宇品中央桟橋に輸送し、船舶防疫部長をして防疫給水に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 13:25 「呉鎮守府救援隊将校以下七三名を、鷹野橋付近に至り、救援に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 13:25 「呉病ニ於テハ1120救護隊派遣準備ヲ命シ1325信令第594号ニ依リ呉病2隊、呉廠、11空廠、呉施各1隊ノ救護隊ヲ派遣セラル」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
06 13:30 「被爆情報は、刻々その惨烈を伝うるに至ったので、船舶司令部は、電報班を除き、常務を停止し、全力を挙げて救護救難に任ずることとした」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 13:52 「福星丸及び交通船二隻を中央桟橋に差出し、似島への患者輸送を強化した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 13頃 「午後1時頃には廿日市・可部警察署よりの応援隊が来広」(「新編広島県警察史」)
06 14:00 「船舶司令部に於て、此時迄に収容した傷者は、約千三百名内外であった。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 14:55 「爾後の救難に対処する為、気象教育隊及び船舶練習部より、待機部隊を編成した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 14以降 「患者の収容護送の処置として、船舶本廠長に命じ、一四時以降患者の収容並びに似島への輸送に任ぜしめ、また、患者増加の為、似島の収容困難となったのに鑑み、船舶練習部長に命じ一五時以後、同部に患者収容の準備をなさしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 15以後 「船舶練習部長に命じ一五時以後、同部に患者収容の準備をなさしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 16:00 「野戦船舶本廠より下士官以下四六名を出し、比治山橋付近の宇品憲兵隊長の指揮下に入り、傷者の収容に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 16:40 「第十教育隊三二○名を南大橋北側元安川東岸地区の部隊に増加し、南大橋・明治橋・住吉橋、各付近の救難に任ぜしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 16:50 「罹災者用衣糧として、船舶倉庫長に命じ、差当り左記を市に交付せしめた。交付に当っては己斐・宇品両方面より都心部に及ぶ如くし、分配に関しては、積極的に市側に協力することに留意せしめ、また、補助憲兵三○名を出し、廿日市憲兵隊長の指揮を受けしめる如くした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 16:50? 「[船舶倉庫長より市に交付された罹災者用衣糧]己斐方面より 乾パン3000,作業衣袴1500,蜜柑瓶詰(患者用)2000,宇品方面より 乾パン6600,作業衣袴5000,蜜柑瓶詰(患者用)5000」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 16頃 「一六時頃、李[金禺]公殿下の御所在が不明であるとのことで、その捜索を命ぜられた。暫らくしてから、李[金禺]公殿下は、相生橋付近に居られたことが判明したが、陸上の自動車交通は不可能であったので、夕刻満潮を待って発動艇で凱旋館に御迎した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17:30 「1730呉病派遣救護隊指揮官ヨリ連絡アリテ広島市ノ大部壊滅炎上中ニシテ総人口ノ80%ハ負傷セルモノノ如ク其ノ大部分ハ熱傷ニシテ1/3ハ重傷、多数ノ死者アリト y」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
06 17:30 「<調査隊>1730-2200 呉廠調査隊5名」(呉鎮守府「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)」)
06 17:30? 「依テ直ニ呉鎮ニ報告スルト共ニ信令596号ニ依ル呉病派遣救護隊2隊ヲ率ヒ広島ニ急行ス」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
06 17?A 「夕刻近く、左記要旨の総軍命令を受けたので、之に基づき、更に警備並びに戦災処理に関し、所要の処置をとることとした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17?B 「総軍命令。一、船舶司令官は、在広部隊並びに逐次広島付近に到着する陸軍部隊を併せ指揮し、速やかに戦災処理に任ずべし。戦災処置の為警備に関し在広機関を区処すべし。二、中国地方総監・広島県知事及び広島市長は、予め計画する処に従い、速やかに官民の救護給養並びに災害の復旧に任ずべし。広島近傍の警備に関し、船舶司令官の区処を受くべし」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17?C 「右、命令を受けた船舶部隊は--在広諸部隊並びに救援部隊の状況全く不明であったので--取敢えず船舶部隊のみを以て、救護警備に任ぜんとし、次の如くその担任区域を示し、戦災処理に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17?D 「[救護警備担任区域]1、教育船舶兵団長(東地区)・船舶練習部長(中地区)・野戦船舶本廠長(西地区)は、別図の如く救護警備を担任し、戦災処理に任ず。2、船舶砲兵団長は、広島の救護警備に関し、船舶兵団長の指揮を受けること。3、海上防衛隊長は、前任務を続行すること」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17?E 「[船舶司令官指示]1、救護・警備の重点は、第二総軍司令部・中国軍管区司令部・中国地方総監府・広島県庁・広島市役所・広島駅各付近及び主要交通路上の要点とする。2、先ず重点付近の傷病者難民の処置を完了する」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17?F 「[船舶司令官指示]3、次いで成る可く速やかに主要幹線交通路を啓開し交通を維持する。4、流言蜚語を防止し、民心を安定せしめる。5、救護警備は、現態勢に吻合せしめつつ着手し、現在の任務を達成した後、逐次部署を変更し、八月七日一二時迄に新配備に移行する如く努める」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17頃 石原虎好広島県警察部長、比治山・多門院に入り、同院前に広島県防空本部の立て札を立ててはじめて罹災後の防空本部を開庁(「新編広島県警察史」)
06 18:00 「似島収容所に於ける救護の手が不足との旨、通報に接したので、船舶本廠の女子百名を増加した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 18:15? 「警察部長ハ山下多聞院県防空本部ヨリ県下各警察署ニ対シ既定計画ニ基ク食糧ノ応援警察官警防団員救護班員ノ緊急応援方ヲ命ズ」(広島県「戦災記録」)
06 18:30 「午後六時半知事(出張中)多聞院ニ到着。警察部長各其他ノ残存幹部ト協議ヲ為シ災害概況ヲ内務省ニ報告スルト共ニ県下各警察署各地方事務所二対シ指揮スルコト左ノ如シ」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?a 「内務省報告=県庁本部ヲ市内下柳町東警察署ニ七日早朝二移設スルコト。六日八時二十分頃特殊爆弾ニヨリ全市罹災死傷者数万ノ見込。各官庁公共団体庁舎殆ド全焼若クハ全壊。残存庁員ハ知事以下元気旺盛敢闘中。大塚総監戦死。」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?b 「地方事務所警察署指示事項=県庁本部ヲ市内下柳町東警察署二七日早朝ヨリ移設。六日八時二十分頃特殊爆弾ニヨリ全市罹災死傷者数万ノ見込。各官庁公共団体庁舎殆ド全焼若クハ全壌。残存庁員ハ知事以下元気旺盛敢闘中」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?c 「尾道庄原以東ヲ除ク各警察署地方事務所指示事項=イ、庁員署員ノ半数程度広島急援ノコト。ロ、警防団員ハ三日分ノ食糧急援工具携帯シ百名程度出勤ノコト。ハ、食糧(炊出シ)ハ予定計画通応援継続ノコト(以下略)」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?d 「市内ニ貼紙ヲ以テ告示=県庁本部ヲ市内下柳町東警察署ニ七日早朝ヨリ移設ス」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?e 「明七日午前十時ニ在広各官衙長並ニ各種団体長会議ヲ県本部ニ於テ開催スルコトニ決定。各官衙ノ所在不明ニツキ貼紙等ヲ利用スルコトトス」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?f 「内務省及び近県に対する報告(申報)書要旨=広島市は今朝特殊爆弾により殆ど全滅、市民の死傷多数各庁各*民間機関幹部の大部分を失う。医師、医薬、食糧其の他全面的の応援を求む」(「新編広島県警察史」)
06 20:30a 「警察署に対する指令(警察部長より各署長宛)=1.広島市空襲被害は予想外に大なり、速かに食糧、救護班を出来る丈け多数送れ。2.警察官、警防団員の応援を派遣すべし。3.貨物自動車を出来る限り多数送れ。4.ローソク、燐寸、給水用具例えば四斗樽の如きもの送れ。5.県庁員多数死傷ある見込み、指揮連絡に支障あり。各署は応援護自署同様献身的努力を払うべし。」(「新編広島県警察史」)
06 20:30b 「警察署に対する指令(警察部長より各署長宛)=尚地方事務所に連絡すべし。部長は比治山多門院、長官は安芸高女において指揮中」(「新編広島県警察史」)
06 20:40 「かかる間にも、患者は激増する一方で、為之、手当が不十分となるに至ったので、左記の如く療養所を開設し、此処に輸送して治療を容易にした。横浜国民学校四○○名、同説教所二○○名、坂国民学校二○○名、整備教育隊第五中隊二○○名。海上防衛隊長が機帆船曳船で輸送した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 20過ぎ 「午後8時過ぎに至り、備後松永に分駐していた警備隊1ケ小隊(小隊長池田勉)が帰広して防空本部に入り、防空本部の陣容は警察官吏及び県庁職員等を合して漸く5,60名となった」(「新編広島県警察史」)
06 21:00 「夜九時頃総軍ニ於テ明朝午前十時ヨリ各軍官衙長会議開催ノ通知ヲ承ケタルヲ以テ県主催右会議ハ之ニ合流スルコトトス」(広島県「戦災記録」)
06 21:30 「元安川・太田川(本川)流域付近(県庁付近と推定す)の火勢が、逐次増大したので、海上防衛隊長をして消火艇の主力を以て消火に任ぜしめた。同時に各警備地区隊長に現状報告を要求した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 22頃 「[李[金禺]公殿下の容体]当時、軍医部の殆んど全部は、似島で治療に当り、宇品には外科医一名が居たのに過ぎなかったので、内科専門の高級軍医を似島から招致して、二二時頃更に診断申上げたが、前の診断と同様、内臓には特に御異常を認めなかった。が、安全な似島で御静養願うこととして同島に御送りした。似島御到着後も元気であられたが、」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 23:30 「2330第二総軍ヲ訪問 海軍救護隊ノ任務ト編成ヲ報告シ其ノ担任区域ハ海田市ヨリ広島駅、己斐駅ヲ通ズル市電ノ線以北ハ海軍、以南ノ地域ハ陸軍トスルコトヲ協定ス」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
06 25 「<救護班ノ状況>八月六日中二救護所ヲ開設シタルモノ 比治山多聞院(豊田郡)」(広島県「戦災記録」8月8日の項)
06 r <調査報告書>「8月6日広島市付近ニ敵機ノ投下セル落下傘付無線装置調査報告」
06 r <調査報告書>呉海軍警備隊・板城探照灯台「広島爆撃目撃状況
06 r <調査報告書>呉海軍警備隊・中野探照灯台「広島爆撃目撃状況」
06 夕刻満潮 「[李[金禺]公殿下の容体]夕刻満潮を待って発動艇で凱旋館に御迎した。手及び顔面に少しく火傷を見たのみで御元気であられた。早速診断申上げたが、別条がない。殿下は、腸に異常がないかとの御言葉であったので、再度診断したがその時は、特に御異常を見なかった。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 「この頃広島市空襲の報あり。電子爆雷使用の為全市潰滅死者算なしとの情報に接す。夜、広島市に救援物資急送手配を為す。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
06 広島市、被災者に乾パン支給・米飯炊出し(12日から平常配給)。

資料:原爆投下までの日録(194501~05)

原爆投下までの日録(194501~194505)

450109 グローヴズ将軍にあてた覚書 J・S・デリー陸軍大尉 「資料マンハッタン計画」(930922)
450115 フランス人に関する諸問題(覚書) H・H・バンディ陸軍長官特別補佐官 「資料マンハッタン計画」(930922)
450120 グローヴズ少将が行う予定の勧告内容-重要機密を保全するうえで最も実行しやすい問題処理方法に関するグローヴズ自身の見解 「資料マンハッタン計画」(930922)
450127 [キング元帥からニミッツ元帥への書簡] E.J.King(Fleet Admiral,U.S.Navy) 「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450127 C・W・ニミッツ米国太平洋艦隊・太平洋地域司令長官にあてた書簡 E・J・キング海軍作戦部長 「資料マンハッタン計画」(930922)
450130 ハーヴィ・バンディ陸軍長官特別補佐官にあてた書簡 ブッシュ科学研究開発局長官 「資料マンハッタン計画」(930922)
450201 グローヴズ少將あて電文(第23969号) H・K・カルヴァート陸軍少佐 「資料マンハッタン計画」(930922)
450201 バンディにあてた書簡 ブッシュ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450206 H・H・バンディ陸軍長官特別補佐官にあてた覚書 グローヴズ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450213 J・B・コナント国防研究委員会委員長にあてた覚書 ブッシュ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450213 コナント国防研究委員会委員長にあてた書簡 ブッシュ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450215 スタイアー陸軍戦務部隊参謀長にあてた書簡 パタソン陸軍次官 「資料マンハッタン計画」(930922)
450215 コナント博士にあてた覚書 ブッシュ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450223 陸軍長官にあてた書簡 アルバート・J・エンゲル下院議員 「資料マンハッタン計画」(930922)
450225 陸軍長官にあてた書簡 パタソン陸軍次官 「資料マンハッタン計画」(930922)
450226 Stimson’s Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450303 大統領にあてた覚書 ジェイムズ・F・バーンズ戦時動員局長官 「資料マンハッタン計画」(930922)
450303 スチムソン陸軍長官にあてた覚書 バンディ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450303 Byrnes’s Memo to Roosevelt 「The Manhattan Project」(91)
450306 陸軍長官にあてた覚書 L・R・グローヴズ陸軍少将 「資料マンハッタン計画」(930922)
450310 L・R・グローヴズ陸軍少將にあてた覚書 J・A・デリー陸軍少佐 「資料マンハッタン計画」(930922)
450314 ハリソン陸軍長官特別顧問にあてた覚書 バンディ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450315 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450324 1944年7月3日付のニールズ・ボーア覚書補遺 「資料マンハッタン計画」(930922)
450326 MEMORANDUM TO THE CHIEF OF STAFF[グローヴス少将から参謀総長への覚書] L.R.Groves(Major General,U.S.A.) 「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)、米国国立公文書館
450326 マーシャル陸軍参謀総長にあてた覚書 グローヴス 「資料マンハッタン計画」(930922)
4504?? ロシア側動静の大要 「資料マンハッタン計画」(930922)
450403 スチムソン陸軍長官にあてた覚書 グローヴズ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450406 D・M・デニソン博士にあてた書簡 パーソンズ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450407 ファイル用覚書 グローヴズ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450418 Frankfurter’s Private Memo 「The Manhattan Project」(91)
450420 グローヴズ将軍にあてた覚書 J・A・デリー陸軍少佐 「資料マンハッタン計画」(930922)
450423 デニソン博士にあてた覚書 パーソンズ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450425 トルーマン大統領との協議に付された覚書 スチムソン陸軍長官 「資料マンハッタン計画」(930922)
450425 トルーマン大統領とスチムソン陸軍長官との会談についての覚書 グローヴズ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450425 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450425 Memo Discussed with Truman 「The Manhattan Project」(91)
450427 NOTES ON INITIAL MEETING OF TARGET COMMITTEE[目標委員会第1回会議議事録] 「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450427 目標検討委員会初回会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450428 統合目標検討グループ長にあてた覚書 L・ノースタッド第20航空軍参謀長 「資料マンハッタン計画」(930922)
4505?? ドイツの状況(要約) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450501 グローヴズ少將にあてた覚書 C・ビッセル一般参謀部第二部担当参謀次長 「資料マンハッタン計画」(930922)
450501 陸軍長官にあてた覚書 ハリソン 「資料マンハッタン計画」(930922)
450504 コナント国防研究委員会委員長にあてた覚書 スチムソン陸軍長官 「資料マンハッタン計画」(930922)
450505 グローヴズ将軍にあてた覚書 J・ランズデール陸軍大佐 「資料マンハッタン計画」(930922)
450505 第20航空軍参謀長にあてた覚書 J・A・サムフォード統合目標検討グループ長 「資料マンハッタン計画」(930922)
450505 陸軍長官にあてた覚書 コナント 「資料マンハッタン計画」(930922)
450509 作業の手順に関するデニソンの予備報告 「資料マンハッタン計画」(930922)
450509 暫定委員会非公式会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450510 J・R・オッペンハイマー・ロスアラモス科学研究所長にあてた書簡 K・T・コンプトン科学研究開発局現地業務部長 「資料マンハッタン計画」(930922)
450511 T・F・ファーレル准將にあてた覚書 J・R・オッペンハイマー 「資料マンハッタン計画」(930922)
450512 Memorandum For: Major General L.R.Groves[目標委員会第2回会議議事録] 「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450512 目標検討委員会第2回会議の要約-L・R・グローヴズ少將にあてた覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450512 Derry and Ramsey’s Memo to Groves 「The Manhattan Project」(91)
450512 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450514 グローヴズ陸軍少將にあてた覚書 J・R・オッペンハイマー 「資料マンハッタン計画」(930922)
450514 暫定委員会非公式会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450518 暫定委員会非公式会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450521 アルゾス諮問委員会委員にあてた覚書 W・M・アダムズ一般参謀部外国班長 「資料マンハッタン計画」(930922)
450521 グローヴズ将軍とデュポン社G・M・リードとの電話会談 「資料マンハッタン計画」(930922)
450528 MINUTES OF THIRD TARGET COMMITTEE MEETING[目標委員会第3回会議議事録] 「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450528 目標検討委員会第3回会議議事録 「資料マンハッタン計画」(930922)
450529 第21爆撃部隊司令官にあてた覚書 ノースタッド第20航空軍参謀長 「資料マンハッタン計画」(930922)
450530 ノースタッド将軍にあてた覚書 グローヴズ 「資料マンハッタン計画」(930922)
450530 陸軍長官にあてた覚書 ハリソン 「資料マンハッタン計画」(930922)
450531 暫定委員会会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450531 Ameson’s Notes of Interim Committee Meeting 「The Manhattan Project」(91)
450531 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)

 

 

 

第14回空襲・戦災を記録する会全国連絡会議呉大会

第14回空襲・戦災を記録する会全国連絡会議呉大会
日時:19840804~05
会場:呉市勤労会館
呉市国民宿舎音戸ロッジ

主催:空襲・戦災を記録する会全国連絡会議
呉戦災を記録する会・福山空襲を記録する会
後援:呉市・呉市教育委員会 報道機関各社
NHK広島放送局 中国放送
協力:呉原爆被害者友の会 歴史教育者協議会呉支部
呉市平和委員会 日中友好協会呉支部

資料一覧

1984年
 月日  資料名  備考
 0704  第14回全国連絡会議の開催のご案内  要項、ビラ
 0804  開会式(宇吹メモ)
  0804  空襲・戦災を記録する会全国連絡会議呉大会要項
 軍都・呉の基地と戦災(呉市平和委員会・呉戦災を記録する会・歴史教育者協議会呉支部)
戦跡よ語れ 呉の平和な未来を―呉戦災フィールドワークの手引き(呉地区高校生平和の集い第20次実行委員会)
 平和を築く文化のひろば ’84 8/4/~8/9 福山市民会館(実行委員会主催)
 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議呉大会-被爆県佐世保からの報告(佐世保空襲を語り継ぐ会)
 活動報告(大阪大空襲の体験を語る会)
 再び許すな東京大空襲!反戦平和の集い(実行委員会)
 みんなで福井空襲の大絵図をつくる会結成のつどい  ビラ
 「継承活動強化へ アピールを採択 空襲を記録する全国大会 呉」(たぶん『中国新聞』)  切抜き

 

福山空襲を記録する会

福山空襲を記録する会 設立:19730724

歩み

年月日 事項
19730724 「福山空襲を記録する会」発足
19750808 『福山空襲の記録』発刊
19751208 会報『福山空襲』創刊号発刊
19770806 福山空襲展、於天満屋。~8月10日。
19770808 会報『福山空襲』8号
19770807 第7回戦災・空襲を記録する全国連絡会議。於中央公民館。

呉市史第8巻

『呉市史第8巻』(呉市史編纂委員会、呉市役所、19950331)

目次(抄)

編章節 タイトル 備考
発刊のことば 小笠原臣也(呉市長)
発刊にあたって 高橋衛
1 呉海軍の解体と旧海軍施設の再編
1-1 海軍の解体と旧軍施設の転換  高橋衛
1-1-1 呉海軍の解体   高橋衛
1-1-1-1 復員業務などの推進
艦艇・兵器などの処理
引揚対策の推進
戦争犠牲者の慰霊
1-1-2 旧軍施設の再開
1-1-2-1 旧呉海軍工廠設備の再開
旧第11海軍航空廠設備の再開
旧軍港施設の移管
旧軍施設の総合的利用計画
施設賠償指定とその解除
旧軍所有施設・機械の活用
1-2 掃海業務の推進と海上自衛隊の誕生  平岡洋一
1-2-1 戦後の混乱と掃海活動の実態
1-2-1-1 終戦前後の掃海活動
組織・兵力の変遷
掃海活動の成果と犠牲
YCクラフトと試航船
1-2-2 海上保安庁の創設
1-2-2-1 呉航路啓開部の開設
航路啓開活動
朝鮮戦争と第六管区海上保安本部呉航路啓開部
①出動命令の発令②出動への不安と不満③「掃海艇(MS)第14号」の触雷沈没
④その他の海域の掃海⑤掃海隊派遣の成果
1-2-3 保安庁警備隊の誕生と呉市
1-2-3-1 警察予備隊の誕生
海上保安庁海上警備隊の誕生
保安庁警備隊への改組
呉掃海部隊の実績
1-2-4 海上自衛隊の誕生と呉
1-2-4-1 防衛庁海上自衛隊の誕生
市の性格論争-軍港か商港か  117
理想と現実―誘致への傾斜
旧海軍施設の配分
1-3 旧軍港市転換法」の制定   高橋衛
1-3-1 旧軍施設の平和利用促進運動
1-3-1-1 敗戦と旧海軍施設
旧海軍施設の平和的利用を陳情
旧軍港四市の連携
特別法立法化の発想
「旧軍港市転換法」の立案
 1-3-2  「旧軍港市転換法」の制定
 1-3-2-1  法案成立促進運動
 法案の国会上程
 法案の両院通過成立
 「旧軍港市転換法」の制定
1-3-3  「旧軍港市転換法」の効果
1-3-3-1  「旧軍港市転換法」とその効果
 「旧軍港市転換法」制定後の推移
 連合軍接収地域の返還要求
1-4  旧海軍用地への諸企業の進出と展開   高橋衛
1-4-1  企業誘致運動の推進
 1-4-1 -1  『旧軍港市転換法』制定以前の企業進出
 1-4-1 -2  『旧軍港市転換法』と企業誘致
 1-4-2  旧呉海軍工廠地区への企業進出
  1-4-2-1  『尼崎製鉄株式会社
 株式会社播磨造船所呉船渠
 NBCインコーポレイテッド
 日亜製鋼株式会社
 株式会社淀川製鋼所
 株式会社日立製作所
そ の他の企業・工場
 1-4-3  旧第11海軍航空廠地区への企業進出
  1-4-3-1  広造機株式会社
 東洋パルプ株式会社
 中国工業株式会社
 広重工業株式会社
 寿工業株式会社
 その他の事業所
 2  連合軍の進駐と呉市  千田武志
 2-1  連合軍の進駐と日本側の対応  千田武志
2-1-1  アメリカ占領軍の進駐
 2-1-1 -1  敗戦にともなう呉市民の不安
 アメリカ占領軍受入態勢の整備
 アメリカ占領軍の呉進駐
 中国・四国地区への展開
2-1-2  地方軍政機構の推移
2-1-2-1  地方軍政機構の確立
 地方軍政機構の変更
 地方軍政機構と英連邦占領軍
 2-1-3  連合軍受入機関の整備
 2-1-3-1  終戦連絡事務局の設立と業務
 特別調達庁の設立と活動
 広島県等の受入機関
 呉市渉外局の設立と活動
 2-2  英連邦占領軍の形成と任務  千田武志
2-2-1  外交交渉の推移
2-2-1-1  対日本土侵攻英連邦軍形成への胎動
 英連邦内の交渉
 アメリカとの交渉
 マッカーサー・ノースコット協定
2-2-2  指揮と管理をめぐる諸問題
2-2-2-1  『在オーストラリア統合参謀本部の設立と諸問題
 JCOSAとオーストラリア国防機構との関係
 英連邦軍日本占領参加計画書」にみるBCOFの指揮と管理
 2-2-3  任務と目的
 2-3  英連邦占領軍の進駐と再編成  千田武志
 2-3-1  占領地区の決定と拡大
 2-3-1-1  占領地区の決定と各国の反応
 占領地区の拡大
 2-3-2  英連邦占領軍の進駐と展開
 2-3-2-1  先遣隊の到着
 オーストラリア陸軍の進駐
 ニュージーランド陸軍の進駐
 英印師団の進駐
 イギリス海軍の進駐
 空軍の進駐
 英連邦占領軍の展開
 2-4  英連邦占領軍の組織と活動  千田武志
 2-4-1  指令と作戦
 2-4-1-1  司令部の動向
 2-4-1-2  軍事作戦
 ①旧日本軍の兵器処分②出入国者の監督③その他の軍事作戦
 2-4-1- 3  情報収集
 2-4-1- 4  訓練
 2-4-1- 5  通信
 2-4-1- 6  広報
2-4-2  人事部門等の活動
 2-4-2-1  人事問題と職員の不足
 給与等支払い
 従軍牧師
 医療
 歯科
 法律
 憲兵
 ①憲兵の任務②特別捜査班と捜査の概要
 教育
 慰安施設(アメニティ)
 社会奉仕班
 2-4-3  丘站部門の活動
 2-4-3-1  移動と輸送
 兵站支援と軍事施設
 工事
 補給と輸送
 軍需品の補給
 電気および機械工兵
 酒保
 郵便
 軍需品回収
 印刷と文房具
 2-5  朝鮮戦争勃発後の英連邦軍  千田武志
 2-5-1  朝鮮戦争の勃発と英連邦軍の活動
 2-5-1-1  朝鮮戦争の勃発と英連邦軍諸国の派兵
 英連邦朝鮮派遣軍への兵站支援
 2-5-2  国連軍協定をめぐる諸問題
 2-5-2-1  サンフランシスコ講和条約の締結と発効
 2-5-2-2  国連軍協定の締結
 2-5-3  英連邦朝鮮派遣軍の引揚げと施設の返還
 2-5-3-1  朝鮮休戦協定の締結と国連軍施設の返還
 国連軍の撤退にともなう施設の返還
2-6  連合軍と呉市民  千田武志
 2-6-1  連合軍の受入れと市民感情  千田武志
 2-6-1-1  連合軍の進駐と対応  千田武志
 労働者との交流  千田武志
 市民との交流  千田武志
 相互の誤解と理解  千田武志
 2-6-2  フラタニゼーション・ポリシーの実態  千田武志
2-6-2-1  スフラタニゼーション・ポリシーの発令  千田武志
 2-6-2-2  英連邦占領軍軍人の結婚にたいする方策の決定  千田武志
 ①COSAによる指針の策定②英連邦占領軍による方針の具体化  千田武志
 2-6-2-3  フラタニゼーション・ポリシーの推移  千田武志
 ①フラタニゼーションーポリシーの実施と矛盾②占領政策の変更とフラタニゼーション・ポリシーの転換  千田武志
  2-6-2-4  「戦争花嫁」の状況とその帰結  千田武志
  2-6-3  連合軍をめぐる犯罪  北村恒信
写真一覧
編集後記

呉市史第7巻

『呉市史 第7巻』(呉市史編纂委員会・呉市、19930331)

目次()

編章節 タイトル 備考
発刊のことば 佐々木有(市長)
1 戦後の市民生活
1-1 再建・復興期の呉市の動向 千田武志
1-2 民主政治の推進 千田武志
1-2-6 治安・消防と災害 北村恒信
1-3 経済の再建・復興 高橋衛
1-3-5 農林水産業の変様 千田武志
1-4 都市基盤の整備 千田武志
1-5 戦後の教育と文化
1-5-1 新教育制度の発足と充実 藤原浩修
1-5-2 文化 千田武志
1-5-3 宗教 千田武志
1-5-4 スポーツ活動 千田武志
1-6 社会運動と社会福祉の新展開
1-6-1 労働組合の結成と労働運動の高揚 天野卓郎
1-6-2 社会運動の進展 天野卓郎
1-6-3 社会福祉の展開 千田武志
1-6-4 失業問題とその対策 千田武志
1-7 医療・衛生事業の推進 千田武志
1-8 復興期の市民生活 千田武志
2 合併町村 千田武志

 

呉市史第6巻

呉市史第6巻(呉市史編纂委員会・呉市、19880331)

目次

編章節 見出し 備考(執筆者など)
1 呉海軍 高橋衛
1-1 呉鎮守府
1-1-2 戦時下の呉海軍
1-1-2-2 太平洋戦期の呉海軍
1-1-2-2-1 太平洋戦争の勃発
1-1-2-2-2 戦時下呉海軍の活動
1-1-2-2-3 呉軍港への空襲
1-1-2-2-4 組織・制度の変遷
1-1-2-2-5 戦時下の呉鎮守府司令長官
1-1-2-2-6 敗戦
1-2 呉海軍工廠
1-3 広海軍工廠・第11航空廠
1-4 呉海軍と市民
2 合併町村 千田武志
 2-1  周辺町村の合併
2-2-1 阿賀町
2-2-4 吉浦町
2-5 広村 山中寿夫