原爆被害:時時刻刻(8月9日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月9日)

時刻 事 項
09 04:00頃 「9日の午前4時ごろ電話がかかってきて、ソヴィエトが日本に宣戦布告をしたことをつたえてきた。これはタス通信を受信したのです」(「長谷川才次談」)
09 08:00 「[ボックスカーなどの行動]屋久島の合流地点に到着、随伴機を待つために旋回。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 08:00 「[ボックスカーなどの行動]屋久島の合流地点に到着、随伴機を待つために旋回。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 08:00 「患者自動車ニテ市内ノ空襲被害状況視察ス。総軍軍医部長ニ申告シ爾後調査班一行部長ニ随行シ調査ス。行動順序 船司-総軍-広病跡-三滝分院-広病二-江波分院-船司。宇品偕行社別館ニ宿泊ス。山科軍医似嶋ニ先行。」(陸軍省広島災害調査班行動表)
09 08:00 「8月9日08:00在広部隊(臨時動員部隊ヲ除ク)損害状況左記ノ如シ(船舶軍医部調査) 戦死473 負傷2530 生死不明4145 民側損害状況 死者約2-3万、傷者約10万」(陸軍省広調班速報4)
09 08:20 「[ボックスカーなどの行動]B291機が視界に入り、編隊に加わる。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 08:50 「[ボックスカーなどの行動]屋久島を出発、2機目のB29との合流に失敗したまま、第一目標の小倉に向かう。ラジオで受信した気象報告では、小倉の天候は良好。長崎の気象報告は良好、しかし、雲が増加するとの予想。このため、第一目標を選定。(低空に3/10の雲、中空又は上空には雲無し、状況は良くなりつつあるとの予想)。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)”
09 09:44 「[ボックスカーなどの行動]第一地点に到着、目標への投下飛行を開始。目標は、地上のもやと煙で霞む。近くで偵察していれば、目標を捕捉できるかもしれないと期待しながら、2度投下飛行を実施。目標地点は、見ることができず。目標地域で約45分を費やした後、長崎に向かうことに決定。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)”
09 10:50 「[ボックスカーなどの行動]長崎の目標地域に到着。目標への接近は、すべてレーダーで行った。20秒間の目視による投下飛行の後、11時50分、爆弾を投下。爆弾は、あらゆる観点から見て、正常に機能した。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 11:00 「午前11時より最高戦争指導会議構成員の会合を開催した。」(「東郷外相口述筆記」)
09 11:02 11時 2分,長崎市に原子(プルトニウム)爆弾投下さる.
09 11:02? 長崎県知事「防空情報第1報」(「長崎原爆戦災誌」5)
09 11:02? 米戦略爆撃機ボックス・カー、プルトニウム爆弾(ファットマン)を長崎に投下。
09 11:05 「[ボックスカーなどの行動]煙の柱を旋回した後、沖縄に向け出発。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 12:00 「8月9日正午現在広島市ニ在ル衛生機関ハ左ノ如シ」(陸軍省広調班速報)
09 12:00 「患者取容の状況は、本日十二時迄に於て西地区二一三○、中央地区二○一○で、このほかに治療を受けて帰ったもの約四、○○○名に上り、また、主なる個所に更に救護所を増設するのみならず、自ら救護所に行けぬ重患者に対する処療に遺憾なからしめるよう努めることとし、為之、救護班を細分して、時に巡回救護班を励行し、小なる道路内を行動して救護に手落ちなからしめ、また、河の中其他の死体処理を迅速ならしむることとした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 12:51 「[ボックスカーなどの行動]沖縄のヨンタン飛行場に着陸。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 13:00? 長崎県知事「防空情報第2報」(「長崎原爆戦災誌」5)
09 14:00 「一、本日十四時ヨリ第二総軍戦闘指揮所ニテ会合実施セラルルニツキ左記諸官参集相成度中国地方総監府副総監 広島県知事 右第二参謀副長ヨリ伝達アリタリ」(広島県「戦災記録」)
09 14:00?a 「一、第二総軍ニ於ケル会議ノ状況次ノ通リ 1食糧配給ハ概ネ順調ニ行ハレツツアリ 将来普通配給ニ順次移行セラレタシ 之ガ為残存町内会長部落会長ノ整備ヲ早急ニナスノ要アリ 2道路啓開主要幹線ハ完了セルモ其ノ次ニ必要ナル道路ノ啓開ノ要アル〔ヲ〕以テ之ガ計画ヲ樹テルコト 3屍体処理囚人ノ動員等当分継続シ区域ヲ定メテ河ノ中 細カナ路線ノ奥等ノ残レル者ヲ処理スルノ要アリ 」(広島県「戦災記録」)
09 14:00?b 「4救護 負傷者ニシテ分散数名宛点々ト居ルモノヲ治療スルタメ移動班ヲ設ケルコト(警察署二対シ調査応援ノタメ応援地方事務所員ノー部ヲ派遣スルコト) 給水関係ニ就テハ漏水ヲ止メル必要アリ 5民心ノ動向 警察情報ヲ通ジ民心動向ノ把握ニ努メルコト」(広島県「戦災記録」)
09 14:30 「ソ連の参戦通告により8月9日正午より臨時閣議が開かれる予定であったが、最高戦争指導会議構成員会議の論議が長かったのでやうやく14時半に開会」(下村海南著「終戦記」)
09 15:00? 長崎県知事「防空情報第3報」(「長崎原爆戦災誌」5)
09 16:00 「前記要望[広島市災害救護対策]ニ基キ現地部隊ハ直ニ別紙第二[広島市救護計画]ノ如キ具体策ヲ樹立シ9日16時之ニ関スル船舶司令官命令ヲ関係各部隊ニ下達セリ」(陸軍省広調班速報4)
09 16:06 「[ボックスカーなどの行動]テニアンに向け沖縄を出発。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 17:00 「一、本日十七時ヨリ市役所ニ於テ船舶司令部連絡会議開催 出席者 農務課長 刑事課長 衛生課長」(広島県「戦災記録」)
09 17:00? 「軍・官に於ける対策主任者の会同は本日も実施し、情報の交換を行なって現況を説明し、促進を図ることとした。此の日の主な申合せ事項は、次の通りであった。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 17:00?a 「1、会同には責任者が出席し、総て即決実行を期することに努める。  2、小豆島より醤油約三五○t、四国よりイリコ約一○○tを輸送する。 3、駅に案内所を設ける。 4、報道を整備し、報道の一元化を図る。 5、「トラック」三○両を統制使用する。 6、需品廠の板・木材を使用する。 7、各救援隊の援助状況及び実績を記録する。 8、処置した事項の大要は、総軍に筆記報告提出する。 」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 17:00?b 「9、各地区に於ける救護警備の部隊は、戦闘要報の如き様式で報告する。 10、船舶司令部経理部長は車輌の蒐集方につき適宜手配する。 11、船舶司令部軍医部長は、患者収容治療の為、野戦病院設置につき即急に研究手配する。 12、主要交通路の啓開は概成せられたが、その他の交通路も速やかに啓開するようにする。一般に市の南部地区に対し、一層、促進を期する。 」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 17:00?c 「13、水道は主機械の破損はないので早く給水し得る加く、軍に於て援助し漏水を速やかに防止する。 14、中国軍管区・中国地方総監府・県・市・海運局・文理大・新聞社にて、罹災者に救恤品を発送する。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 18:00? 長崎県知事「防空情報第4報」(「長崎原爆戦災誌」5)
09 18:30 「16時半再開[臨時閣議]」(下村海南著「終戦記」)
09 20:00? 長崎県知事「空襲被害状況第5報」(「長崎原爆戦災誌」5)
09 20:30 山岡静三郎海軍薬剤少佐(第二海軍療品廠)を団長とする大阪調査団、大阪駅を出発。同行、山田正明軍医少佐(大阪警備府衛生部)、桑田岩雄軍医中尉(大阪海軍病院)、中田左都男(海軍報道部員、同盟通信社)、浅田大阪大教授、尾崎誠之助(大学院学生)、荷物運搬用海軍兵員10名(「浅田常三郎メモ」)
09 21:45 「[ボックスカーなどの行動]テニアンに着陸。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 22:00 「(閣議は採決することなく)夜10時総理と同道参内し同時に拝謁仰せ付けられ委曲を奏上した」(「東郷外相口述筆記」)
09 23:30 「御前会議は、8月9日午後11時30分(実際は約20分遅れた)より宮中防空壕内の一室において親臨を仰ぐ最高戦争指導会議が開かれたのである。・・・翌8月10日の午前2時をすぎた。・・・聖断は下った」(迫水久常手記「降伏時の真相」)
09 25a 「一、官公衙事務所 総軍司令部 双葉山中腹 船舶司令部 市役所横 中国軍司令部 大本営跡 地区司令部(元) 総監府 文理大 鉄道局 広島駅東客車内 逓信局白島(元) 財務局 日銀支店 専売局(元) 憲兵司令部 猫屋町光道学校 市役所(元) 食糧事務所(元) 営林署 安佐郡長束村 海運局 福屋 控訴院 地方裁判所址 地方裁判所 同 軍需監理局 地御前村旭兵器」(広島県「戦災記録」)
09 25b 「<一、官公衙事務所>放送局 安佐郡原村 郵便局 千田町貯金局内 燃料局古田町古江五一○ 西部地方鉱山局広島支局 安佐郡深川村 農商省広島木炭事務所 中島本町五三(元事務所焼跡) 中国石炭配給統制株式会社 草津町古田町高田津脇勘市氏宅」(広島県「戦災記録」)
09 r <調査報告書>陸軍省広島災害調査班「広調班速報第4号」
09 「至急東京へ帰るべく決心したわたしは、同夜おそく仁科博士一行の世話役をしていた新妻中佐と連絡して、明日以降の合同調査研究には出席出来ぬからと万事仁科博士に纏めてもらうよう依頼した」(「有末機関長の手記」)
09 「此の日収容した屍体の概数は、白島方面約一、七○○、中央地区方面約三六五○、西地区約八四○、計約六一九○で、その中約八割は、八月九日夜、火葬終了したが、河の中の死体収容は未了であった。 尚、氏名不明のものに対しては、遺骨と所与品を添えて標示陳列し、死体捜索者に便宜を与えることとした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 諌早市、被災直後の長崎市に炊出し(13日までに20万食)。
09 国際赤十字委員会マルセル・ジュノー、満州国の首府新京(現在の長春=吉林省の省都)を出発、夜、羽田飛行場に到着(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
09 「仁科博士一行と共に、まず予想した爆心地での実地調査に着手した」、「一行は、原爆投下の実際を観測したと思われる向宇品」の独立高射砲第22大隊本部へ向った」「少佐の説明の中に、ピカッと光ってドーンという爆発音、いわゆるピカドンという名文句があった。」(「有末機関長の手記」)
09 「舶船司令部-総軍司令部間、中国軍管区-市役所-中地区間は、この日野戦建築一中隊で架設し、兎に角、有線電話は開通し、また、放送は地区毎(?)にて実行するに至った。 非常用受信機(岡山のもの) 観音町の予備は異常なし」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「電線二○万米(各種類)は鉄道輸送により逐次到着し、また電話工事の為九米電柱約三○○本を兵器補給廠より補給を受けた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「敵の宣伝ビラを拾ふ。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
09 「此の夜、駅の電灯工事概了し、三日振りに点灯するに至った。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「内務省防空総本部鳥居技師宮崎総務課長来県事情聴取」(広島県「戦災記録」)
09 「8月9日信令第610号ニ依リ救護隊ノ任務ヲ解カレ各救護隊ハ最寄救護隊ニ引継ヲ了シ夫々原隊ニ復帰シ」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
09 「一、広島市内乗用自動車運行状況 1広島駅-比治山-宇品間 九日ハ二輌運行」(広島県「戦災記録」10日の項)
09 「各地区に対し、陸上勤務中隊一○二、水上勤務中隊五○、建築勤務中隊一二○、総軍第一大隊九三○、総軍第二大隊五八五、独立工兵隊五九六、計二、三八三名を救援部隊として増強し、また、警防団四○名を中地区に増加した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「この頃になると火災は概ね鎮火し、主要交通の啓開も一応出来るようになったが、患者の収容並びに屍体の処理は尚少なくなからず残されて居た。電話は一部開通し、放送も実行し得るに至った。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「船舶司令官は総軍司令官に対し、次のように意見具申した。 1、自動車を至急増加配属され度いこと。 2、工兵部隊を増強され度いこと。 3、医薬物品等を増加交付されたいこと。 4、運搬具を増加送付され度いこと。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「一、午後地区司令官富士井少将来庁 小谷少将以下六十四人死亡」(広島県「戦災記録」)
09 「一、本日出頭ノ地方事務所員配置状況次ノ如シ 本部七名 内女二名 内政課三名 農務課六名 食糧課六名 援護課一○名 衛生課一○名特高課五名 市役所三名 林務課五名 総監府二名 計五七名」(広島県「戦災記録」)
09 「一、県庁員 関係団体員 応援地方事務所員ノ出県簿備付ト同時ニ死亡者健康者負傷者調査」(広島県「戦災記録」)
09 広島駅宇品間の臨時乗合自動車、運転開始。
09 「一、福山市戦災対策協議ノタメ経保課渡辺警部水産課古河技手食糧課小山属ヲ派遣ス」(広島県「戦災記録」)
09 「レントゲン教官ヲ至急派遣セラレ度」(陸軍省広調班速報4電報)
09 「一、呉警察署長ヨリ「ソ連ト交戦状態ニアル旨呉鎮長官ヨリ通報アリタル」報告アリ」(広島県「戦災記録」)
09 「一、警察電話一部復旧セルモ本日三原線上下線廿日市線開通シ県下各警察署ニ対シ連絡可能トナル」(広島県「戦災記録」)
09 「一、県庁職員及其家族ノ合宿所ハ五日市町産報道場ニ決定」(広島県「戦災記録」)
09 「此の日、ソ聯参戦の報に接したが、第二総軍司令官は隷下将兵に次の要旨の訓示を行なった。 国際情勢の変転に際し人心を安定せしめること。 ソ聯と交戦状態に入ることとなったが、この事は、予て予期して居た事であるので、特別に方針に変化はない。神州不滅に向って断乎毅然として実行が必要であること。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「一、小豆島ヨリ醤油千石運搬ノタメ三百五十噸ノ配船ヲ得テ運搬スベク三原属担任出発ノ予定 イリコ一万貫ヲ愛媛県ヨリ百噸ノ配船ヲ得テ運搬スベク田坂技手担任出発ノ予定」(広島県「戦災記録」)