『平和を叫ぼう!-”ひろしま”についての自主教材として(試案)』(2訂版)(広島県平和教育教材英語部門編集委員会・広島県被爆教師の会編、広島平和教育研究所出版部、19730701)
<「あとがき」=1971年1月>
『平和を叫ぼう!-”ひろしま”についての自主教材として(試案)』(2訂版)(広島県平和教育教材英語部門編集委員会・広島県被爆教師の会編、広島平和教育研究所出版部、19730701)
<「あとがき」=1971年1月>
『ナガサキの原爆読本』(ナガサキの原爆読本・平和教育資料編集委員会編、ナガサキの原爆読本刊、19720630)
| 雲になってきえた 初級用 | |
| 原子野のこえ 上級用 | |
| 三たび許すまじ 中学用 |
松永照正
| 20080127没 | まつなが・てるまさ | 享年81 | 国際文化会館(現原爆資料館)館長。著書『ナガサキよ世界へ』(松永照正著刊、19890628) |
『ナガサキよ世界へ 元原爆資料館長の回想』(松永照正著刊、19890628)目次
| 章節項 | 見出し | 備考 | |
| 発刊に寄せて | 本島等(長崎市長) | ||
| はじめに | |||
| 1 | 海外で核兵器廃絶をアピール | ||
| 2 | 原爆資料館を訪れた印象深い内外の人々 | ||
| 3 | 長崎原爆資料館(長崎国際文化会館)の紹介 | ||
| 4 | 長崎市民へのメッセージ | ||
| あとがき |
『ながさきの平和教育Ⅲ 原爆を教えつづけて』(平和教育資料編集委員会 編、長崎平和教育研究会、19770731)
目次
| ■ | 「ながさきの平和教育Ⅲ」発刊の意義 | 平和教育資料編集委員会 | |
| ■ | 原爆を教えつづけて | ||
| 一ナガサキーその被爆三十二年 二初期の平和教育運動 三原爆を教えつづけて 四その内容と方法の発展 五原爆継承の課題として |
|||
| 研究実践篇 | |||
| ■ | 平和教育の実践(教育研究の年次レポートから) | ||
| Ⅰ | 22次教育研究(昭和47年) | ||
| ◆ | 民主的教育運動としての定着 | ||
| 1原爆をどう教えたか | |||
| 2六・二九佐世保大空襲と平和教育 | |||
| Ⅱ | 23次教育研究(昭和48年) | ||
| ◆地域へ根ざす真の平和教育へ | |||
| ◆平和教育の持続と発展を | |||
| 1生徒会活動を中心にした平和教育 | |||
| 2「とびうおのぼうやはびょうきです」を扱って | |||
| Ⅲ | 24次教育研究(昭和49年) | ||
| ◆原爆問題の現代的意義をふまえて | |||
| ◆多面的でより豊かな平和教育の創造を | |||
| 1平和教育をどうすすめているか | |||
| 2平和教育の組織的なとりくみとカリキュラム | |||
| 3郷土史の発掘と平和教育の観点 | |||
| Ⅳ | 25次教育研究(昭和50年) | ||
| ◆前進する自主編成活動 年間カリキュラム編成への意欲 | |||
| 1被爆三十年目のとりくみと年間計画試案 | |||
| 2平和教育年間カリキュラム試案 | |||
| Ⅴ | 26次教育研究(昭和51年) | ||
| ◆底辺を拡げるための新しい組織づくりを求めて | |||
| 1国語科においての平和教育 | |||
| 2 | |||
| 「平和と教育」部会をとおしての実践 | |||
| 資料篇 | |||
| Ⅰ | 「平和教育世界会議」参加者の記録 | ||
| 1「原爆あれから三十年」世界会議に参加して | |||
| 2世界に広がる平和教育 | |||
| 3非暴力活動について深められた分科会 | |||
| 4アメリカにおける反核運動と在米被爆者 | |||
| 5被爆体験に対する米国市民の反応 | |||
| 6宗教平和カリキュラム分科会(付ボックスカーと直珠湾) | |||
| Ⅱ | 戦争と原爆を考えよう | ||
| Ⅲ | 三.一ビキニと第五福竜丸 | ||
| Ⅳ | 原爆読本を用いての年間計画(試案) | ||
| Ⅴ | 原爆・平和教育に関する年表 | ||
| ◆長崎平和教育研究会規約 | |||
『ながさきの平和教育Ⅰ 原爆を教えつづけて』(長崎原爆被爆教師の会平和教育資料編集委員会編・刊、19710720 )
目次
| ■ | 「ひろしま」「ながさき」を教えつづけることの誓いと訴え | ||
| ■ | ながさきの平和教育 | 坂口 便 | |
| 一 夾竹桃の花咲くころ 二 「沈黙の壁をやぶって」以前 三 「沈黙の壁をやぶって」以後 四 これからなさねばならぬこと 五 ながさきの平和教育 |
|||
| ■ | ながさきの原爆 | 大嶋 隆三郎 | |
| まえがき 一 原子爆弾の投下 二 原爆投下の惨状 三 ツメあとはまだ深く 四 平和への祈願 |
|||
| ■ | 平和教育の実践記録 | ||
| 一 滑石小でのとりくみ | 今田 斐男 | ||
| 1 小学二年の実践(国語・道徳・図工) | 清水 聡 | ||
| 2 小学四年の実践(国語・社会・文集) | 今田 斐男 | ||
| 3 小学五年の実践(社会) | 山川 剛 | ||
| 二 小学六年・戦争をどう教えたか | 貞方 一将 | ||
| 三中学一~三年・社会科の実践 | 末永 浩 | ||
| 四 中学一年・「原爆記念日」の実践 | 吉里 良輔 | ||
| 五 中学一年・国語科の実践 | 西浦上中学校 | ||
| 六 中学二年・社会科学習における実践 | 浦口 安巳 | ||
| 七 中学・学活の中で | 田吉 義明 | ||
| 八 中学・「原爆教育の日」の指導 | 橋本 正勝 | ||
| 九 広島市大手町中との交歓会 | 山里中学校 | ||
| ■ | 平和教育の指導資科 | ||
| 一 おとうさん・おかあさんの子どものころ | 今田 斐男 | ||
| 二 父と母の昭和二十年前後 | 松永 とき子他 | ||
| 三 死線をさ迷って | 斉藤 昌彦 | ||
| 四 平和教育分料会の中で(20次県教研) | 編者 | ||
| 五 英語科でどうとりくむか | 田吉 義明 | ||
| 六 美術教育をどうとらえるか | 吉田 克二 | ||
| 七 「夏休みの友」での八月九日 | 編者 | ||
| ■ | 平和教育の定着化と問題点 | 田吉 義明 | |
| ■ | 原爆関係の参考資料 | ||
| 一 原爆関係年表 | |||
| 二 原爆と平和教育に関する本 | |||
| 三 原爆資料室展示目録 | |||
| 四 原爆遺跡・塔碑所在地図 |
『沈黙の壁をやぶって』(長崎県教職員組合長崎総支部・長崎市原爆被爆教師の会編、労働旬報社、19700809)
目次
| 章節 | |||
| はじめに | |||
| 序 | 七○年代教育創造の糧に | 宮之原貞光(日教組委貝長) | |
| 序章 | 今こそ沈黙の壁をやぶって | 坂口 便 | |
| 1章 | 長崎の原爆 | 編者 | |
| その前夜 光と雲 幽鬼の群れ 屍の列車 看護るものなく 燔祭の炎の中に 児童・生徒・教師 | |||
| 2章 | 被爆教師の体験と証言 | ||
| 生き残り三人の記録 | 城山小学校 | ||
| 城山殉難記 | 荒川秀男 | ||
| 追憶の涙の中から | 江頭千代子 | ||
| 医者がいない、薬がない | 宮本スミエ | ||
| 「二六人の教師が憤死」 | 山里小学校 | ||
| 土壕の奥に生きて | 林英之 | ||
| 熱い骨・原爆の歌 | 瀬戸口千枝 | ||
| 母の愛情すら奪う | 川口勇 | ||
| 生きながら焼けた友 | 築城昭平 | ||
| トンネル工場 | まつお びん | ||
| 屍体整理班 | 三輪博志 | ||
| 3章 | 原爆と子どもたち | ||
| 子どもの記録 | 林勝己 | ||
| 「原爆に関する調査」の集計から | 編者 | ||
| 調査を実施して 広島と長崎と 原爆はなぜおとされたか 原爆を誰が教えるか 原爆に対する子どもの感じ方 | |||
| 4章 | 原爆学級の記録-世界でただ一つの悲しい学級 | ||
| 4-1 | 原子爆弾はまだ生きている | ||
| 4-2 | 原爆学級の編成 | ||
| 4-3 | 研究発表「被爆児の心身発達について」 | 城山小学校 | |
| 4-4 | 原爆学級のその後 | ||
| 4-4-1 | 四番目の犠牲者 | ||
| 4-4-2 | 原爆教室の父 | ||
| 4-5 | 被爆二世の問題 | ||
| 資料 | 被爆児の心身発達について(昭和28年2月26日) | 長崎市立城山小学校 | |
| 目次 | |||
| 1.発表までの経緯 | |||
| 2.被爆児の心身発達について | |||
| 3.一年実験学級年長組の被爆児と対照児 | |||
| 4.特殊児童の指導の実際 | |||
| 【付】 | 原爆の児を偲びて―故橋本長利さんの霊に捧ぐ | ||
| 5章 | 平和教育の原点 | ||
| (1)芽生えは出ている 編者 | |||
| (2)スラノド台本「原爆許すまじ」 | 佐世保・平和と教育を守る高校教師の会 | ||
| (3)原爆体験記の英訳について | 編者 | ||
| (4)一つの教室実践 | 三輪博志 | ||
| (5)教え子に明るい未来を | 中西俊造 | ||
| 6章 | 原爆体験の継承と国民教育への展望 -長崎の屈折した体験の中から | ||
| 鎌田定夫(長崎県教研講師・長崎造船大学教員) | |||
| 6-1 | 原点としての“原爆”とその風化・潜伏 | ||
| 6-2 | 風化に抗して新しい創造へ -子どもと教師・父母の葛藤のなかから | ||
| 6-2-1 | 教研活動のなかでの反省と確認(小・中) | ||
| 6-2-2 | 新しい民主的学園建設の試み(高・大) | ||
| 6-3 | 被爆者たちの連帯のなかで | ||
| 終章 | 長崎の教師はこう訴える-被爆25年間の屈辱と怒り、そして70年代の教師はいま何をなすべきか | ||
| 田中義明 (長崎市立江平中学校教諭) | |||
| あとがき-この芽を枯らすことなく | 宮崎勇二(長崎県教職員組合執行委員長) | ||
『明日に生きる 高校生のための平和読本』(広島・長崎平和読本編集委員会編、広島県・長崎県高等学校被爆教職員の会、19740701)
目次(初版)
| 章節 | |
| 1 | 原爆・原点から学ぶ |
| 1-1 | 広島の証言 |
| ■仮繃帯所にて2■コレガ人間ナノデス3■友よ、ゆるしてくれ!!4■死んではならない6■ヒロシマの空8■原爆の日、母は12 | |
| 1-2 | 長崎の証言 |
| ■写真の中の友14■火焔の中から16■「お母さん、妹が・・・」18 | |
| 1-3 | 爪あと |
| ■童女よ20■空白22■十九才の青春23 | |
| 1-4 | 原爆・その非人道性 |
| ■爆風による破壊力24■熱線による作用25■爆風・熱線・火災による被害26■黒い雨29■放射能29■原爆症30■人的被害32■覆いかくされた被災の実態33■被災資料の保存と怠慢34■救護活動34■国際法違反35 | |
| 1-5 | ■2つの説36■原爆が投下されるまで37■できるだけ早く投下せよ38■戦争完遂あるのみ40■原爆投下は必要なかった42■温存されたモルモット都市、広島・長崎43■人間不在46 |
| 2 | 戦争とは何か |
| 2-1 | ■戦争を知らない子どもたち50■聞け、わだつみの声52■ある学徒兵の手記54■両親の世代に聞く戦争体験56 |
| 2-2 | 大空襲を告発する |
| ■東京大空襲58 各地の空襲の記録とその運動・(福山)59■火の雨-(佐世保)63 | |
| 2-3 | 告発される側に立って |
| ■“爸々!(オトウチャン)”68■ヒト捨て70■「祖国」にそむいた愛国者たち72■東洋鬼日本とヒロシマ・ナガサキの虐殺74 | |
| 2-4 | 戦争とは何か |
| ■戦争とは何か82■戦争はなぜ起きるか84■ススメ ススメ ヘイタイススメ88■教科書は一体誰のものか90 | |
| 2-5 | 戦争から学ぶ |
| ■15年戦争まで92■日中戦争の開始95■太平洋戦争97■戦争経済と国民生活99■国家総動員と戦争経済99■国民生活の弾圧101 | |
| 2-6 | 現代の戦争 |
| 2-6-1 | ベトナムを考える |
| ■殺す側の論理104■ディエン・ビエンフーの戦い106■ベトナム和平108■ベトナムとヒロシマ・ナガサキ・オキナワ112 | |
| 2-6-2 | 沖縄を考える |
| ■戦に散った生徒たち116■沖縄一中鉄血勤皇隊の追体験120■基地の中の沖縄121 | |
| 3 | 私たちの課題 |
| 3-1 | 安保条約と私たち |
| 3-1-1 | 私たちをとりまく国際情勢 |
| 3-1-2 | 安保条約と私たちの生活 |
| ■安保条約とは131■公害・エネルギーなどの問題132■大砲かバターか132■ほんとうの独立133■「ノー」と言えるか135■安保条約と私たち136 | |
| 3-2 | 平和と防衛 |
| ■日本国憲法から138■あたらしい憲法のはなし138■骨抜きにされた平和条項140■4次防計画と第9条141■軍備拡張の背景144 | |
| 3-3 | 核時代に生きる |
| ■核戦略体制(恐怖の実態)154■日本をとりまく核戦力156■軍縮と日本160■原子力の平和利用と問題点164 | |
| 3-4 | 平和運動のあゆみ |
| 3-4-1 | 生きていてよかった |
| ■原爆を語るな168■正田篠枝さんの抵抗168■朝鮮戦争をやめろ!核兵器を使うな!170■三たび、“死の灰が”174■生きていてよかった177■インドの核実験によせて179 | |
| 3-4-2 | 沈黙の壁をやぶって(祈りから怒りへ、長崎の証言運動)180 |
| 3-5 | 被爆者、人間の復権 |
| ■25年めの回想と証言184■非差別部落の原爆被爆者として184■朝鮮人被爆者外国人被爆者190■立ちあがる被爆者192■援護法制定を求めて194■被爆二世の死(白血病で亡くなった教え子のこと)198■被爆二世について その(1)202 その(2)203 その(3)207■胎内被爆小頭症の人とその親たち207 | |
| 3-6 | 明日に生きる道を目ざして |
| ■恋人とともに不安をのりこえる208■広商生は“原爆”にどうとりくんできたか(原爆研究会の歩み-)212■ぼくのなかの“原爆”(「ナガサキの証言」ゼミのなかで)218■構成詩“灰のなか地の底から”222■「ピース・ナウ!」226 |
『未来を語りつづけて(続)ヒロシマ・平和教育の継承と連帯 原爆被爆50年事業』(広島県教職員組合、広島県原爆被爆教職員の会編、刊、19950525)
目次
| 章節 | タイトル | 著者 | 備考 |
| 発刊にあたって | 高橋晋作 | ||
| (広島県教職員組合執行委員長) | |||
| 序章 | 石田明 | ||
| (広島県原爆被爆教職員の会) | |||
| 1 | 戦争と人間の条件 | ||
| 2 | 爆心から生きて生きて | ||
| 3 | 人は生きるために生きる | ||
| 4 | 心配をこえて | ||
| 1章 | 被爆体験と教育 | ||
| 燃えて、そして燃えた | 坪井直 | ||
| すべてが無になったヒロシマ-被爆体験を語りつづけて- | 松井昭三 | ||
| ヒロシマを生きてきて-自分史としての一断章- | 寺岡昭壮 | ||
| 加害の原罪が間われた日 | 田坂積 | ||
| 黒こげの庭松と南瓜 | 下岡絹子 | ||
| 被爆・あゆみ続けた平和教育 | 空フミコ | ||
| 子らに語り継ぐ被爆体験と平和 | 大畠泰造 | ||
| 反戦・反核・反差別の闘いを | 下原隆資 | ||
| 2章 | ヒロシマ・平和教育といま | ||
| とりあげた「ヒロシマの平和教育」 | |||
| 1 | 組織的平和教育おこしの背景と動機 | ||
| 2 | 広島県原爆被爆教職員の会の結成 | 19690326 | |
| 3 | 広教組、教育研究集会の中に「平和教育」分科会を新設 | ||
| 4 | 広島県・市教育委員会の「8.6」学習提言 | ||
| 5 | “ヒロシマ・ナガサキを教えつづけることの誓いと訴え”全国にアピール | ||
| 6 | 「原爆犠牲国民学校教師と子どもの像」の建立 | ||
| 7 | 広島平和教育研究所の設立 | ||
| 8 | 平和教育の深まりとカリキュラム | ||
| 9 | 平和教育の全国への広まり | ||
| 10 | 興隆期・日教組教研・平和教育全国レポート表題で語ること | ||
| 11 | 一つのカリキュラムをみつめる | ||
| 12 | 広島県・市教育委員会の指導手引書・指導資科の配布 | ||
| 13 | 文部省「学習指導要領」の変遷と教科書検定を衝く | ||
| 14 | 平和教育と修学旅行 | ||
| 15 | 平和教育実践アンケートとその意味するもの | ||
| 16 | 全国シンポニ十周年記念。構成詩、“ヒロシマ・ナガサキを究めつづけて” | ||
| 17 | 被爆五十周年とゆるぎなきヒロシマの心 | ||
| 3章 | 戦後の平和教育理念とこれから | ||
| 戦後の平和教育をささえてきた不忘の理念 | |||
| 1 | 新教育指針 | ||
| 2 | あたらしい憲法のはなし | ||
| 3 | ストックホルム・アピール | ||
| 4 | 教え子を再び戦場に送るな | ||
| 5 | 原爆の子 | ||
| 6 | 原爆詩集・峠三吉 | ||
| 7 | 1951年、中学校社会科教科書にみる戦争体験記記述例 | ||
| 8 | 杉並アピール | ||
| 9 | 第1回原水爆禁止世界大会宣言文・1955年8月6日広島市公会堂 2 | ||
| 10 | 私は広島を証言する 八島藤子作詩 | ||
| 11 | 瞬光二十年 石田明作詩 | ||
| 12 | NG0・広島アピール | ||
| 13 | ユネスコ軍縮教育十原則 | ||
| 14 | 過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことである | ||
| 15 | 「広島アピール」軍縮教育国際シンポジウム、1982年10月29日 | ||
| 16 | 過去に目を閉ざすものは、現在に盲目となる | ||
| 17 | 核兵器廃絶に関する広島宣言 | ||
| 18 | 原爆ドーム保存募金運動 | ||
| 19 | 西ドイツに「広島同盟」、そのニュルンベルク宣言でみるヒロシマ | ||
| 20 | 八月六日・八月九日、広島・長崎両市の平和記念式典での両市長「平和宣言」例 | ||
| ヒロシマ・平和教育年表 | |||
『未来を語りつづけて-原爆体験と平和教育の原点』(広島県教職員組合・広島県原爆被爆教師の会編、労働旬報社、19690806)
目次
| 部章 | タイトル | 著者 | |
| はじめに | |||
| 教育の魂 | 宗像誠也 | ||
| 日本人の心から「ひろしま」を消してはならない | 服部学 | ||
| 初心に立ちかえって原爆教育を | 宮之原貞光 | ||
| 序章 | 被爆教師の名において告発する | 石田明 | |
| 1 | 原爆体験と教育の原点 | ||
| 1-1 | それでも未来を語りつづける | ||
| 被爆二世のわが子を失って | 名越謙蔵 | ||
| 子どもらに支えられて | 中谷玉江 | ||
| ある被爆教師の死 | 村木誠 | ||
| 石は川底からみていた | 増田勉 | ||
| 原罪への問いかけ | 高松由子 | ||
| 先生同情されない人間になって下さい | 森下弘 | ||
| 1-2 | 爪跡をこえて | ||
| 子どもたちに語る私の体験 | 米田進 | ||
| ふた昔を生き抜いて | 尾形静子 | ||
| 子どもらの遺骨をひろって | 石富広江 | ||
| “平和の鐘”をついて | 岩田守雄 | ||
| 甲状腺ガン | 吉本フサエ | ||
| 少年の日の被爆とABCCと | 橋本行宏 | ||
| 2 | 原爆教育・平和教育の実践のために | ||
| 原爆と子どもたち-「原子爆弾被害に関する調査」のまとめ・問題点 | 川島孝郎 | ||
| 広島をどう教えてきたか-学生時代の被爆教師として | 田坂積 | ||
| 原爆不在の教育・教科書の実態とその批判 | 空辰男 | ||
| ヒロシマを高校生にどう教えるか | 森下弘 | ||
| 終章 | 全国民・全教師への誓いと訴えと | 楠忠之 | |
| 補=ひろしま-原爆をかんがえる-(試案) 広島平和教育教材編集委員会 広島県原爆被爆教師の会 |
|||
| あとがき | 宅和純 |
『日本印象記-ヒロシマの家』(フロイド・シュモー、ヒロシマ・ピース・センター、19521001刊)<大原三八雄訳、谷本清発行>
内容
| 頁 | 著者 | 内容 |
| 口絵 | 祈平和灯籠() | |
| 江波町住宅骨組み | ||
| 皆実町住宅 | ||
| 江波町シュモー住宅 | ||
| 江波町シュモー住宅公民館 | ||
| 01 | 訳者 | フロイド・シュモー博士の横顔-序文にかえて(大原三八雄) |
| 01 | 日本印象記(ヒロシマの家) | |
| 71 | 浜井信三 | シュモー博士と広島の家 |
| 75 | 谷本清 | 跋 |
| 78 | あとがき | |
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| 装幀 | 新延輝雄 |