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沖縄在住被爆者訴訟に対する国の答弁書 1965年12月1日(抄)

沖縄在住被爆者訴訟に対する国の答弁書(抄)

1965年12月1日

被告の主張

 原告らは、本件訴訟において原爆医療法14条に基づいて医療費の支給を請求されるが、同法は、沖縄および沖縄に居住するその住民に適用されていないから、原告らは同法に基づく請求権を有しない。

以下その理由を説明するとともに、併せて沖縄に居住する原子爆弾被爆者に対して日本国政府のとっている救済措置の概略にもふれることにする。

1.沖縄および沖縄住民の地位

日本国との平和条約3条によれば、沖縄を国際連合の信託統治制度のもとにおく提案が可決せられるまで、合衆国は、沖縄の領域及ぴ住民に対して、行政立法及び司法上の権力を行使する権利を有する趣旨が定められている。この結果、沖縄は、依然日本国の領域に留まり、その住民は、日本国民ではあるが、これらの地域および住民に対しては合衆国が施政権を行使することとなった。従って、日本国は、潜在主権を有するにすぎず、これらの地域および住民は、日本国の施政権の行使の対象から外されるに至ったのである。

2、原爆医療法は、沖縄に居住する沖縄住民に通用されない。

沖縄は上に述べたように日本国に潜在主権はありながらその施政権は合衆国に属するという特殊の地位にある地域であるため、わが国の法律が沖繩に居住する沖繩住民に適用されるか否かは、それぞれの法律の定める内容に応じて決定されなければならない。

そして法律のうちには、当該住民の居住地におけるわが国の施政権の存在を必ずしも前提としていないと認められる内容のもの(たとえば、国籍法など)については、反対の明文の規定のない限り沖縄に居住する沖繩住民にも適用があるといえようが、他方、そのような内容の法律ではなくわが国の施政権の存在を前提とする事項を定めるような法律(特に行政関係法規)については、当該法律が特に沖縄住民にも適用する趣旨で制定されたもの(たとえば、戦傷病者戦没者遺族援護法など)でない限りその適用がないものと解さざるを得ないのである。ただし、平和条約3条により沖縄及びその住民に対する行政、立法及ぴ司法の権力、つまり施政権は合衆国に属し、日本国はこれを有しないことと定められているのであるから、日本国の法律は、沖繩に対する施政権を前提としない性質のものであるか或いは特に沖縄住民に通用を及ぼす趣旨で制定されたものでない限り、その適用を否定せざるを得ないことは当然のことだからである。

しこうして原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下原爆医療法という)には特に沖縄居住する沖繩住民にも適用する旨の規定がなく、また規定の趣旨、体裁からしても上のような趣旨で制定されたものと解することはできないのである。かえって同法は、日本国の施政権の及ぶ地域に居住する者に対してのみ適用する法律(属地法)であると考えるべきである。即ち、原爆医療法は、広島市および長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が施政権の及ぶ地域内に居住する「被爆者」に対し健建康診断、それに基づく指導および医療を行なうことにより、その健康の保持および向上をはかりもって日本国の施政権の及ぶ地域内に成立している地域社会の福祉の維持、増進を目的とする社会保障法であるというべきである。

以上のことは

① 同法が居住地もしくは現在地の都道府県知事に申請して、被爆者健康手帳の交付を受けた「被爆者」(同法2条3条1項)のみを健康管理および医療の対象としていること。従って、日本国の施政権の及ぶ地域内に居住もしくは現在しない者は、同法にいう「被爆者」になり得ないこと。

② 同法は、「被爆者」に対する医療給付とともに都道府県知事の毎年行なう健康診断およびその結果に基づく指導等被爆者の健康管理の措置を定めているのであるが(同法4条、6条、7条)、これら都道府県知事の行なう健康診断および指導は、日本国の施政権の及ぶ地域に居住もしくは現在する者に対してのみ行なうことが可能であること。

③ 同法は、前記の如き諸権限を直接都道府県事の権限と規定しているほか、厚生大臣の権限と定めているものについても都道府県知事にのみ委任することができる旨規定し(同法21条)、その他の者(たとえば琉球政府の当局)に委任することは認めていない。従って、たとえば、医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ当該負傷または疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けることを要することになっているが(同法8条)、これもいうまでもなく日本国の施政権の及ぶ地域に居住もしくは現在する者にしてはじめてなし得ることである。

等よりみても明らかであると考える。

以上述べたとおり、原爆医療法は、沖縄に居住する沖繩住民には適用されないのであるから、原告らは、同法に基づく健康管理および医療を受け得ず、従って本件医療費の支給の請求権を有しないものといわねばならない。

3、原告らは、具体的医療費請求権を有しない。

原告らは、本件訴訟において被告に対して直接医療費の支払いを請求されているが、原告らが原爆医療法に基づく健康管理および医療を受けるか否かの点はしばらく措くとしても、原告らは、いまだ右金員の支払いを求める権利を有しない。即ち、原爆医療法による医療費請求権は、同法2条により被爆者健康手帳の交付を受けた「被爆者」が、同法8条の定めるところにより当該負傷又は疾病が原子爆弾の復害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受け、しかも、緊急その他やむを得ない理由により指定医療関係以外の者から同法7条2項各号に規定する医療を受けた場合において、所定の手続により医療費の支給を請求し、厚生大臣が必要があると認めて支給決定処分をしてはじめて具体的な金銭債権として発生するものであって、かような手続を経る以前においては、「被爆者」といえども直接被告に対して医療費の支払いを請求する権利を有しないのである。原告らは、本件請求に依る受療当時はいずれも被爆者健康手帳の交付を受けた「被爆者」ではなく、まだ当然当該負傷又は疾病につき同法8条の厚生大臣の認定を受けておらず、従ってまた厚生大臣の医療費の支給決定を受けていないのである から、被告に対して直接医療費の支払いを求める原告らの本訴請求は、この点においても失当といわなければならない。

4、沖縄に居住する原子爆弾被爆者に対して日本国政府のとっている救済措置

以上は、原爆医療法の解釈について述ぺたのであるが、日本国政府としては、沖縄に居住する原子爆弾被爆者に対して原爆医療法に基づく健康管理及び医療を受け得ないからといって、そのまま放置して無駄に過ごしてきたわけではない。即ち、日本国政府は、昭和39年1月沖縄住民から原子爆弾被爆者救援の要請もあったので、爾来外務省を通じて合衆国政府と折衝を続けたところ、昭和40年4月5日日本国政府総理府特別地域連絡局長、同厚生省公衆衛生局長および米国民政府の承認を受けた琉球政府校正局長との間に沖縄在住原爆被爆者の医療問題に関する了解覚書が成立した。この了解は、沖縄住民であって日本本土に居住するならば、原爆医療法による給付を受ける資格のある者(以下申請者という)の要請に応ずるためになされたものであって、大要次の如きものである。

① 日本国政府が沖縄に対して行なう毎年の技術援助計画の一部として、日本国政府は、適当な人数の医療専門家である医師および補助員を派遣し、申請者の充分な医学的調査を実施する。

② 申請者が日本国政府、琉球政府間の協議により原爆医療法に定める「被爆者」である旨決定され、かつ、医学的調査の結果同法の適用地域において同法7条1項の適用を受けうる者であるときは、その者を必要な治療を受けさせるための患者として日本本土に送る。

③ 日本国政府は、患者が送られるぺき医療施設を決定し、同法に規定されている入院加療を含む必要な医療を供給し、患者に対する医療費および必要な医療手当を支給する。そして各医療手当等は、日本本土に居住する患者に与えられるものを下回らないものとする。

④ 日本国政府は、右患者の沖縄、日本本土間の往復の旅費を支給する。

日本国政府は、右了解覚書に基づいて、昭和40年3月30日から4月29日までの間沖縄において行った原子爆弾被爆者に対する医学的調査の結果に基づき、原爆医療法7条1項に該当する患者に相当するものと認められた13名のうち、本土で治療を希望する原告丸茂つる、同謝花良順を含む11名の患者を日本本土の病院で治療することになり、同人らは、同年9月26日広島または長崎原爆病院に収容されたが、これらの者のうち7名は、すでに軽快および治癒退院し、現在4名が入院加療中である。

また、日本国政府は、右措置に加えて、さらに沖縄に居住する原子爆弾被爆者全員を対象として日本本土の「被爆者」に対すると同様の取扱いが沖縄においてもなされるようその具体的手続、方法等について目下米国民政府及び琉球政府と協議を行なっており、合意が得られ次第実施に移す予定である。

出典:原水爆禁止沖縄県協議会『基地沖縄の全貌』(1966年12月)

衆議院 原爆被爆者援護強化に関する決議 1964年4月3日

原爆被爆者援護強化に関する決議

衆議院会議録第21号 1964年4月3日

原爆被爆者援護強化に関する決議

 広島・長崎に原子爆弾が投下されて18年余を経たが、今日なお白血病その他被爆に起因する患者、死亡者の発生をみており、その影響が存続していることは憂慮に耐えないところである。

原爆被爆者に関する制度としては、昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され、被爆者の健康管理及び医療措置が行なわれているが、原爆被害者に対する施策としては、なお十分とは認めがたい。

よって政府は、すみやかにその援護措置を拡充強化し、もって生活の安定を図るよう努めるべきである。

右決議する。

提出者趣旨弁明(松山千恵子)

 御承知のとおり、昭和20年8月、広島、長崎に投下されました原子爆弾は、両市民のうち約10万人を死に至らしめ、行くえ不明その他重軽傷者約8万人、罹災した者20数万人を数え、生存者においても、白血病、原爆性ケロイド等の特異な症状にさいなまれ、今日なおこれに起因する死亡者があとを断たないところであります。

この対策としては、昭和29年より3カ年間、これが治療方策を確立するため、予算を計上して治療方法の調査研究が行なわれ、その結果に基づき、昭和32年3月、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され、被爆者の医療並びに健康管理を中心に、その施策が進められてきたところであります。その後、被爆者の実情並びにわが国経済力の成長と相まって、その援護についても、年々強化をはかり、39年には特別被爆者制度を設けて、健康障害の可能性の強い特定の被爆者については、ほとんどすべての医療を公費をもって行なうこととするとともに、原爆症の治療を受けている者に医療手当を支給することとし、さらに2回にわたって特別被爆者の範囲を拡大する等、数次にわたって改善が重ねられました。今日まで30数億円の国家予算により、26万人に及ぶ被爆者の把握、延べ65万人の健康診断の実施、15万人の特別被爆者の登録、約5000人の原爆症患者の治療等が行なわれており、昭和39年度においては、これら被爆者援護のため、13億円の予算が計上され、その対策が推進されるところでありまして、被爆者のために、いささか心の安らぐものがあるのでございます。

しかしながら、原爆被爆者が今日なお置かれている特別な状態に対応する援護措置は必ずしも十分とは言いがたく、より一そうの健康管理並びに医療の強化はもとより、就職、結婚等における原爆被爆者の社会的遊離の解消等に対しては、医学上の正しい見解に立脚して、この問題の打開につとめることが必要であり、また、被爆者の老齢化等、今日における被爆者のさらに正確な現状の把握につとめ、実情に即した援護措置を強化することが、今後に残された問題であります。

政府は、今後、健康管理、医療の徹底を期するとともに、日常生活における被爆者の不安の解消、社会的理解の増進等に努力し、また、各種福祉制度の十分な活用をはかり、もって被爆者 を心身両面においてあたたかく援護し、その生活の安定に役立つようつとめられたい。これが本決議案の提案趣旨であります。何とぞ各位の御賛同をお願い申し上げます。

討論(河野正)

 私は、自由民主党、日本社会党並びに民主社会党3党を代表いたしまして、ただいま提案せられました原爆被爆者援護強化に関する決議案に賛成の討論を行なわんとするものであります。

思えば昭和20年8月、広島、長崎両市に投ぜられた原子爆弾は、両市民の大半のとうとい生命を奪い、また、その被爆者の数は実に29万余に及んだのであります。わが国医学史上かって経験をせざる特異な障害を残し、その惨状は全く筆舌に尽くしがたく、今世紀最大の悲惨事であったのであります。

御承知のごとく、原子爆弾による障害は全く特異的なもので、特に熱風、爆風、放射能障害は、肉体的にも精神的にもきわめて深刻なものがございます。すなわち、外部障害者は、幾度かの手術も効果なく、ケロイドは暑さ寒さに耐えがたき疼痛を覚え、人間としての気力を失い、醜い自分の姿に人生の希望を失いつつあるのであります。また、放射能による血液疾患に対しましては、医学上いまだ完全な治療方法が発見されず、遠い海外からの慰問や激励にもかかわらず、千羽ツルの塔の悲願もむなしく、毎年数十人が死亡している現状であります。さきにも申し述べたごとく、その被害の深刻さは、外部障害者より一そう悲惨なものであります。

しかるに、投爆後20年をけみした今日も、なお30万に近い被爆者は、ある者はその苦痛に呻吟し、ある者は死の恐怖におびえ、またその家族は常に不安にかられているのであります。中でも、身寄りをなくした60歳以上の原爆孤老のみじめな姿は言語に絶するものがあるといわれております。もちろん、今日、広島、長崎両市に投下された原子爆弾の被爆者に対し、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律によりまして、その健康の保持及び向上がはかられてはいるのでありますが、医療手当をはじめとし、その実態はまことに微々たるもので、全く不十分なものと断ぜざるを得ないのであります。同時に、それらの被爆者に肝要である生活保障の面が等閑に付されていることは、まことに心外に存ずるものであります。

昭和38年12月7日の東京地方裁判所におきます広島、長崎原爆判決は、その判決文の中で、広島、長崎に対する原爆投下は国際法に違反するものと断定し、さらに判決文は、国家は、みずからの権限とみずからの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ、しかも、その被害の甚大さはとうてい一般災害の比ではない、したがって、国家が十分な救済策を講ずべきであると指摘いたしておるのであります。さらに、高度の経済成長を遂げたわが国において、国家財政上、これが不可能であるとはとうてい考えられない点も強調いたしておるのであります。

かくのごとく、原爆被爆者援護の問題は、単に長崎、広島という特定地区の問題でなく、原水爆禁止問題とともに、国民すべての重大問題なりと確信いたすものであります。

戦後20年の歳月をけみした今日、農地補償や在外補償等が終戦処理の一環として論及される中で、いまなお人道上放置することのできない原爆被害者に対する十分な施策が実現されなかったことをわれわれは心から遺憾に感じておったのであります。しかるに、本日、ここに決議案が上程されましたことは、まことに喜ばしく存ずるのであります。

特に、この際、今日までの医療法が援護法として、東京裁判にもあるごとく、高度成長経済にふさわしい原爆被害者全般に対する補償、救済措置が一日もすみやかに実現されることを強く要望いたしますと同時に、当面医療手当の増額、制限の撤廃あるいは特別被爆者の範囲制限の撤廃拡大、さらに、医師の認める被爆者のための精密検査施設の設立あるいは被爆者の医療の裏づけとなります生活保障、同時に、治療あるいは保養に際しての鉄道運賃等の減免制度の確立、不幸死没者に対しましては弔慰金、葬祭料の支給、さらに死没者の遺家族の生活の実態を十分調査し、援護対策を樹立するための原爆被害者対策審議会の設立等、直ちに制度化されることの緊要たることを重ねて主張し、本決議案に賛成の意を表するものであります。何とぞ諸君の絶大なる御賛同を心からお願い申し上げるものであります。

参議院 原爆被爆者援護強化に関する決議 1964年3月27日

原爆被爆者援護強化に関する決議

参議院会議録第13号 1964年3月27日

原爆被爆者援護強化に関する決議

 広島・長崎に原子爆弾が投下されて18年余を経たが、今日なお白血病その他被爆に起因する患者の発生をみており、その影響が存続していることは憂慮に耐えないところである。

原爆被爆者に関する制度としては、すでに昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定せられ、被爆者の健康管理及び医療の措置が進められているところであるが、被爆者の置かれている状況にかんがみ、政府は、すみやかにその援護措置を改善し、もって生活の安定に役立つよう努めるべきである。

右決議する。

発議者代表提案趣旨説明(藤野繁雄)

 原子爆弾が残した放射能障害は、一生その人々につきまとい、これがため、白血病、貧血症等の発病の不安に常時おののきながら勤労しなければならないことが、被爆者のすべてに通ずる社会的活動におけるマイナスとなっているのであります。さらに被爆者のうちには、あるいは原爆熱線による、みにくいケロイドの痛ましい傷痕のゆえに、悲歎にくれている人々があります。あるいは放射能に起因する白血病、肺臓、肝臓その他のガン、白血球減少症、悪性貧血症等にさいなまれて、病床に呻吟している人たちがあります。また、原爆おとめのみならず、外形上何らの傷を持たないおとめの中にも、結婚を敬遠されている若い女性群があるのであります。そして、これらの原爆症による死亡や精神的不安に基づく厭世観による自殺者が相次いでいるという現実を、われわれは忘れてはならないと考えるのであります。

これらの悲しむべき不幸の原因が、当時予測もできなかった悲惨な原子爆弾の被爆に基づくものであることにがんがみ、昭和32年4月、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され、主として原爆症を中心とした医療について特別措置がなされたのであります。しかし、近時、わが国の経済力回復に伴って、戦争犠牲者に対する救済の立法が次々となされております。さらに今国会には、旧金鵄勲章年金受給者に関する特別措置法案が提案されております。このような戦後処理の措置が次々と講じられつつある情勢にかんがみまして、原爆被爆者に対する措置も、その健康面及び精神面の特殊な状態に適応すべく一そうの拡充がはかられるべきであると考えるのであります。

この趣旨を実現するためには、まず第一に、被爆者に対する健康管理の徹底が期せられるべきであります。そのためには、新たに被爆者ドックを設けて、現在の健康診断のほかに、徹底的な精密検査をも実施し、それに基づいて健康維持上必要な指示指導がなさるべきであります。さらに健康診断の受診に伴い、被爆者には、日本国有鉄道を無料で乗車することができるよう措置することが望ましいのであります。次に、発病の不安におののき、焦燥にかられている被爆者は、全身倦怠、疲労感を覚え、常人のような勤労に従事することは不可能でありますので、絶えず休養をとり、かつ栄養補給をしながら勤労する以外に道はないのでありますから、これらの被爆者に対しても特別な手当を考慮さるるべきであります。なお、現在実施されております医療の充実のために、原爆症患者完全収容病棟の建設、原爆放射能医学研究所の拡充、医療内容の充実及び医療手当の増額と支給条件の緩和をはかるほか、特別被爆者の範囲を拡大して、爆心地より3キロから4キロ以内にあった者及び原爆投下の直後の救護整理にあたり、強烈な第2次放射能を受けた者を加うることについても、考慮が払わるべきでありま す。次に、被爆者の福祉の向上につきましては、広島平和記念都市建設法及び長崎国際文化都市建設法があるにもかかわらず、いまなお、公園、緑地等に数千戸のバラック住宅が残されておるので、その解消につき、また、原爆孤老のための被爆者老人ホームの建設につき、さらに被爆者福祉センター、被爆者レクリエーション・センターの建設、被爆者相談所の設置等が緊急の措置として必要と考えられます。その他、被爆者に身寄りの少ない者が多い実情にかんがみ、原爆による死亡者に対する弔慰の道を講ずることも必要かと考えられるのであります。以上がこの決議案の趣旨でありますが、政府においては、今後も医療の進歩等事態の推移に応じて、決議を待たずとも、逐次検討を加え、一そうの改善をはかる心がまえを切に要望いたしたいと存ずるものであります。私は、ここまで提案の趣旨を説明してまいりますと、長崎に原爆が投下されました当日、長崎におりまして、九死に一生を得、また、多数の肉親と知己を失い、その惨状をよく承知しておりますから、私は、ことばで言いあらわすことのできない当時の悲惨な状況が、ありありと私の目の前にあらわれてまいりました。何とぞ各位の御賛同 をお願い申し上げる次第であります。

賛成討論(藤田進)

 私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま議題になりました原爆被爆者援護強化に関する決議案に賛成いたすものであります。わが党は、原爆投下以後、終戦以来、原爆被爆者に対する援護についていろいろ努力をしてまいりました。この間、いわゆる原爆医療法が制定せられてまいりましたが、これとても満足すべきものでございませんので、特に最近本院における院議として決議をし、政府において善処されるべく、特に、当院議院連営委員会、なかんずく議運委員長はじめ理事会においていろいろ折衝をしていただきました。また、関係社会労働委員会におきましても、委員長ほか皆さんの熱心な御折衝をいただいたのであります。その間紆余曲折をいたしまして、私ども特に提案者同様、原爆被爆地出身者といたしましても、非常に心配をいたしておりました。幸いに、その第一歩を画します本院の意思として、ここに決議が日の目を見ようといたしております点、努力していただきました各会派皆さんに対して、まず深く敬意を表し、お礼を申し上げたいと思います。かかる事情に徴しましても、政府は、即刻これが提案にございましたような事例を含めた、立法的、予算的措置を講じていた だきたいと思うのであります。顧みますと、昭和20年8月、広島市及び長崎市に投ぜられました原子爆弾による被害は、今世紀最大の悲惨事でありまして、わが国医学史上かつて経験せざるものであったことは、いまさら申し上げるまでもございません。運命の両市におきまして、この原子爆弾の犠牲に供せられた被害者の数というものは、原爆投下のその日に市民の半分が即死いたしております。あるいはまた、残りの約3割5分というものは、100日を出でないうちに、その後、命を失っているのであります。また、爆心地から4キロ半径以内におりました者はもちろんのこと、爆発から2週間以内に焦土に足を踏み入れたというだけで、ことごとく第二次放射能の影響を受けたのでありますが、その数は実に30万人と数えられております。18年余を経た今日もなお、放射能による特異な障害が残され、あるいは障害の苦痛に呻吟し、また、死の恐怖におびえているという、きわめて重大なる状況を呈しております。中には困窮の生活に当面をいたしまして、日々まことに不安な生活を送っているという気の毒な実情にあるのであります。このことは、すでに18年をけみしておりますために、単に原 爆といえば、広島、長崎に限定されるような印象を受けますけれども、私の調査では、日本全土に普遍的にこれら被爆者は在住している事実があるのであります。

あの忌まわしい、のろわれた日から今日まで、いまなお白血病やガンなどによる死亡者が絶えず、放射能による血液疾患に対する完全な治療方法が発見されず、その被害の深刻さは、まことに凄惨なものがあるのであります。これは、人道上からもとうていこのまま放置することができないのでありまして、30万人余の被爆死亡者と、さらに30万人余の被爆者及び遺族に対する補償救援の諸政策を確立をいたしますことは、世界ただ一つの被爆国として当然の責務といわなければなりません。

特に、指摘いたしたいことは、昨年の12月7日、東京地方裁判所の判決は、広島、長崎における原爆投下が、「国際法からみて違法な戦闘行為である」と解し、「戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるが、現行の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律、この程度のものでは、とうてい原子爆弾による被害者に対する救済救援にならないことは、明らかである。」と判示いたしまして、「原爆被害者全般に対する救済策を講ずることは、立法府である国会及び行政府である内閣において果さなければならない職責である。」と結んでいるのであります。

人類の歴史始まって以来の大規模かつ強力な破壊力を持ちます原子爆弾の投下によって、今日もなおその影響が存続し、被爆者の置かれている現状を見るならば、心から同情の念を抱かないものはないはずであります。今日、終戦後18年余を経て、高度の経済成長を遂げたわが国において、原爆被爆者に対する救援対策が、わずかに限られた医療給付に尽きるということは、政治の貧困を言われてもやむを得ないところであります。放射能による特殊性を認められた、いわゆる原爆症の医療目的を達するためには、国の責任による社会保障が不可欠であるばかりでなく、今日、公務、すなわち軍人軍属あるいは戦犯や引き揚げ者に対する社会立法との均衡から見ましても、被爆者の家族及び遺族に対する国家的援護は当然であると言わなければなりません。この際、私は、このような悲惨な原爆被爆者を将来一人もつくらないということを念願いたしますと同時に、すみやかに現行の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の内容を改善するということが一つ、さらに原子爆弾被爆者援護法の制定についても、具体的な施策を講ずべきであると信ずる次第であります。

広島県議会意見書 原爆記念行事を厳粛荘厳に挙行することについての要望

広島県議会

原爆記念行事を厳粛荘厳に挙行することについての要望

1964年

意見書

一、原爆記念行事を厳粛荘厳に挙行することについての要望

理由

廻りくる原爆投下による惨害の厄日は広島県市民の悲運と、また極まる感情は世代をかえても消えることはない。

十九年を経て原爆の後遺症は、医学的研究により広く影響を増している事実を立証している。

等しく健康と平和の社会を創造して生きる歴史的民族の誇りを傷つけてはならない。

昨年の八月六日は、原爆禁止大会の名のもとに、広島県民の感情をよそに慰霊碑前広場は赤旗にうまり、政治闘争と怒号に明け暮れ左右激突の危機をはらみ、数千の警官を動員する事態をみたことは、広島県民として許すべからざる心情にある。

国の如何なる援護に接してもかかる醜態を目のあたりにして何が犠牲者の援助であろうか、今年こそは地下に眠る多数犠牲者を心から慰め、原爆病のため呻吟する人々の安らか保養を願い世界の恒久的平和が確立されるよう、この日こそ「静かな祈りの日」にすることを強く念願するものである。

よって、当局は、原爆被爆者の援護対策を一層充実するとともに、十九度廻りくる本年の八月六日を期して永遠にこの日を「祈りの日」として、厳粛にして真実のある原爆記念行事が催されるよう、関係方面に適切な措置を講ぜられたく要望する。

提出者〔三六名略〕

原爆医療法の拡大強化と被爆者救援に関する決議案 1963年9月28日

原爆医療法の拡大強化と被爆者救援に関する決議案

1963年9月28日

決議案第二号

原爆医療法の拡大強化と被爆者救援に関する決議案

 吾々は夙に被爆者救援の急を訴え、紆余曲折を経て原爆医療法の特別立法をみるに至った。然しなお多くの問題が残されている。

すなわち、特別被爆者としての距離の制限撤廃、及び入市者救済をその対象とすべきことは、科学的にまた臨床医学的にも立証された多くの資料を有する今日、政府は同法の拡大に踏み切るべきである。

また被爆者の救援に関しては生活援護、栄養補給並びに優遇措置等しばしば訴えつづけて来たが、いまだにその実現をみないことは甚だ遺憾である。

よって速かにこれが対策について予ねて主張してきた要旨に関し、適当な対策を樹立されたい

市当局また被爆者の本質とその実態にかんがみ救援に必要な予算措置を講ずぺきである。

右決議する。

昭和三十八年九月二十八日

広島市議会

広島県議会意見書 核実験停止協定締結要請に関する決議 1962年12月22日

広島県議会意見書 核実験停止協定締結要請に関する決議

1962年12月22日

核実験停止協定締結要請に関する決議

アメリカとソ連は、現在なお核実験を続けています。核実は、現在将来にわたって人類の生命と健康に害を与えます。

広島県議会は、従来しばしば決議要請してまいりましたがすぺての国の核実験をやめさせるために何度でもくりかえし反対し、一刻も早く停止協定を結ばせなければなりません。

ここに広島県民を代表して、すべての核保有国は来年一月一日を期して核実験停止協定を締結されるよう要請します。

右決議する

昭和三十七年十二月二十二日

広島県議会

広島県議会 核実験禁止要請に関する決議 1962年8月11日

広島県議会 核実験禁止要請に関する決議 1962年8月11日

核実験禁止要請に関する決議

世界で最初に原爆の惨禍を受け、今尚放射能害による死と闘いつつ原水爆禁止と核実験停止を全世界にくりかえし強く呼びかけてきた広島県民は、今回の貴国の核実験に対し不安と憤激の念とどめがたく、真に遺憾とするものである。

たといどのような理由があろうと実験のもたらす放射能は人類の生存に多大な悪影響を与え、実験が実験を呼ぶ悪循環は、軍拡競争に拍車をかけ、恐しい人類の危機をますます増大させている。

よって、広島県議会は従来しばしば決議要請した如く広島県民を代表してここに貴国核実験の即時中止を要請するとともに核保有国による実験停止協定の締結、核兵器の製造禁止を含む軍備全廃を目指して即時首脳会談を開いて努力されるようう要請する。

昭和三十七年八月十一日

要請先
ソビエート社会主義共和国連邦
アメリカ合衆国

広島県議会

広島・長崎原爆被爆者大会 1962年5月22日

広島・長崎原爆被爆者大会

1962年5月22日

広島市公会堂で2,500人の被爆者の参加のもとに開催。厚生省公衆衛生局全画課長の講演・両市被爆者代表の意見発表ののち,次のような宣言および決議を採択。大会の席上、全日本被爆者協議会を結成。

案内ビラ

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宣言

 われわれ原爆被害者は,一生拭い去ることのできない放射能に対する不断の脅威と不安を内包し,日常生活並びに社会活動に多くの障害と制約を受け,物心共に苦難の十七年を生きてきた。その間放射能障害による症状の悲惨な現実と,被爆者の生活の実態が認識され,被爆者の切実な声が通して,最近に至り原爆医療法が制定され,逐次医療の充実をみつつあることはまことに慶びに堪えない。ここに関係各位の並々ならぬ御熱意と御努力に対し深甚なる感謝の意を表するものである。

本日被爆者大会の開催に当り,われわれは核爆発の実験停止と,真の世界平和確立のための,広島・長崎の悲願達成に,根気強く努力をつづけ,全国二十方に上る被爆者相携えて,あらゆる困難と苦痛を克服して力強く生き抜くことを誓い,更にいわれなき無この犠牲者に対する国家の責任と保障において,万全の援護対策の速かなる実現を切に要望して已まない。

右宣言する。

決議

 戦後既に十七カ年の歳月を閲みし,全国二十万に上る原爆被爆者の多くは,経済的基盤を失い,或いは放射能障害に悩みかつ脅えつつ,日常生活並びに社会活動に幾多の制約を蒙り,苦難の日々に堪えて今日に至った。

医療に関しては,さきに特別立法により補償の途が開かれ,稍々安らかなるものを得たとはいえ,更に政府,国会その他関係機関におかれては,被爆者の生活の実態に鑑み,原爆犠牲者国家保障性の見地に立って更に援護その他強力なる施策を打出すべきである。よって次の事項について速かに適切なる措置を講するとともに全面的な援助を要請する。

一、特別被爆者の範囲の拡大をすみやかに実現することを期する。
二、原爆被爆者援護対策の確立を期する。
三、原爆被爆者ホームの建設を要望する。
四、原水爆禁止と世界恒久平和実現への正しい国民運動を力強く推進する。
五、全日本被爆者協議会の結成を促進する。

右決議する。

大会次第

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核兵器禁止平和建設国民会議結成宣言 1961年11月15日

核兵器禁止平和建設国民会議結成宣言

1961年11月15日

結成宣言

 戦争をなくし,自由と平和な世界の実現を希望する人々の強い願いにもかかわらず,ベルリン問題に端を発した東西の緊張は,ソ連の核兵器実験の再開,それにつづく,アメリカの地下核爆発実験の再開という事態に発展した。

これらの事態は,他の核保有国の実験を誘発し,また新たな核保有国の出現を誘起するものであって,断じて許すことのできないものである。

いかなる国家,民族といえども人類の福祉を脅かす死の灰を勝手に地球上に散布することは人類を滅亡に導くものであり,人道主義に反するものである。

このような行為を行う国家,民族は人類の敵と言わざるを得ない。

この重大な時期に,自由と平和を愛する全国民の代表は,すべての国家,民族,階級,思想,宗教等の立場を超越して純粋な人道主義に立脚し,核兵器の禁止並びに自由と平和社会の建設を念願し,ここに核兵器禁止平和建設国民会議を結成した。

今後はこの崇高な理想の実現のために国内はもとより,国際的にも積極的に運動を展開し,友情と信頼にもとづく結束を一段と固くし幾多の困難を克服しながら核兵器を禁止し,自由と平和社会を建設し,人類の繁栄実現に向って邁進することを誓う。

自由と平和を愛する全国民の名において右宣言する。

1961年11月15日

核兵器禁止平和建設国民会議結成大会

出典:『核兵器廃絶の叫び一核禁会議二十年史』

広島県議会 核実験禁止に関する決議 1961年9月7日

広島県議会 核実験禁止に関する決議

1961年9月7日

核実験禁止に関する決議

原爆の悲しむべき惨禍を体験したわが広島県においては、人類の破滅をきたす原爆の惨酷さと脅威を叫び、戦争のない人類恒久の平和な世界の実現を念じ、あらゆる機会に、世界の国々に核実験の禁止を強く訴え続けてきたのである。

しかるに最近ソ連においてはわれわれのこの悲願をも顧みず無謀にもすでに三回にわたる核実験を強行したと伝えられ、又米国もこれに対応するかの如く核実験を再開すると報道せられているのは、きわめて遺憾である。

本議会としては、既に過去三回にわたり核実験禁止要望の決議を行ない、人類久遠の平和を広く世論に訴えてきたのであるが、この非情な核実験再開の衝撃に耐えず、ここに広島県民の名において核実験強行の暴挙に対し強く反省を求めるとともに、理由のいかんにかかわらず、核実験は永遠に全面的禁止をすることを要求するものである。

右決議する。

昭和三十六年九月七日

広島県議会