「04 できごと」カテゴリーアーカイブ

たたかう映画-ドキュメンタリストの昭和史

『たたかう映画-ドキュメンタリストの昭和史』(亀井文夫著 谷川義雄編、岩波書店、19890821 )

目次

ドキュメンタリーをめざして 001
わんぱく時代/ソビエト留学/上海事変の記録/戦う兵隊/記録映画を考える/記録映画と真実と/
わが戦争と平和 073
信濃風土記 /シナリオ小林一茶/コミンテルンと雑魚一匹/日本の悲劇/来なかったのは軍艦だけ/
戦後を記録する 137
軍事基地日本 138
原爆への視線 146
世界は恐怖する 155
部落差別は生きている 176
生物みなトモダチ 185
ギャラリー東洋人にて 186
みんな生きなければならない 197
編者あとがき(谷川義雄) 215
亀井文夫監督作品目録 225

 

 

ヒロシマ二十年 原爆記録映画製作者の証言

『ヒロシマ二十年 原爆記録映画製作者の証言』(加納竜一・水野肇、 弘文堂、19650805 )

目次

口絵
まえがき
はじめに-つめたい試写室 一
1 ヒロシマ・八月六日
1 歴史の流れの中で
2 八月六日のヒロシマ
3 科学者第一陣
2 原爆記録映画の企画
1 ニュース・カメラマンの記録
2 先発隊長崎へ
3 記録映画班の編成
4 あわただしい調査活動
3 撮影隊、広島へ
1 クラン開始
2 海田市の合宿寮
3 広島上空五五〇メートル
4 原爆ドームをめぐって
5 被爆者の島・似島
6 物資不足をのりこえて
4 科学測定を追って
1 キノコ雲の正体
2 爆心と黒い雨
3 熱と影をさぐる
5 死の街を行く
1 医者をさがす人々
2 ヒロシマの医師たち
3 人体への影響
4 ある被爆者の二〇年
6 広島から長崎へ
1 ナガサキ・八月九日
2 撮影隊、長崎へ入る
3 捕らわれたカメラマン
7 米軍の干渉と没収
1 撮影禁止命令
2 軟禁下の編集
3 再び長崎へ
4 奪われた原爆記録映画
8 それから二〇年
1 はばまれる真実の声
2 公開された惨禍
3 研究体制はこれでよいか
4 「幻のフィルム」の復元を

 

爆心地ヒロシマに入る

『爆心地ヒロシマに入る カメラマンは何を見たか
』(林重男 、岩波ジュニア新書208 、19920619)

目次

1 パノラマ写真
原爆災害調査団
パノラマを撮る
パノラマ写真を見る
技術上の問題点
2 広島を撮る
志願してヒロシマへ
第一日目
護国神社
島病院の伝言板
西向寺
産業奨励館
広島瓦斯本社
広島城址
相生橋
庶民金庫(商工中金)
中国新聞社屋上からのパノラマ
植物への放射能障害
枕崎台風
日照計の記録
3 裏側から見た戦争
東方社に入る
大艦隊や大戦車隊を”つくりあげる”
新鋭機発表
”空中遊泳”
東京に戦火せまる
松戸上空の死闘
撃墜記録が敗戦記録に
敗戦
4 長崎を撮る
ある兵士を護送する
パノラマを撮る
城山国民学校
市電大橋終点
ガスタンク
山王神社
山里国民学校
浦上天主堂
長崎医科大学付属病院
三菱重工長崎兵器製作所大橋工場
最上少年の被爆
鎮西学院からのパノラマ
アトミックーフィールド
春木町丘陵からのパノラマ
新興善国民学校からのパノラマ
長崎を離れる
5 原爆カメラマンたち
接収されたフィルム
原爆災害を記録した人たち
原子爆弾を最初に撮った人―山田精三さん
ファインダーが涙でくもった―松重美人さん
縮景園の感動を呼びおこした写真―松本栄一さん
6 写真が生んだ感動
返還されたフィルム
城山国民学校との再会
ニューヨークに展示された写真
「反核・写真運動」
孫の一言
あとがき

 

 

広島(吉川清)

『広島』(吉川清<編集・発行人>、広島八・六の会<発行所>、19580415)<第3版>

写真 備考
表紙 原爆慰霊碑、原爆ドーム
原爆ドーム
01 原子雲 木村権一撮影
02 被爆前の広島 比治山より写す
04 広島城 被爆前
04 広島城 被爆12年後
05 広島大本営跡
05 広島大本営表門
06 原爆ドーム・広島産業奨励館
07 原爆ドーム 閃光電球による美観
08 原子雲
09 原子雲
10
11 御幸橋西詰
12 兄弟
13 似ノ島収容所、
14
15
16 広大萩原教室のドーム内放射能検査
17
18
19
20 動員学徒及び義勇隊の罹災
21
22
23
24
25
26 日赤病院
27
28 日赤病院
29 富国生命ビル6階
30
31
32
33
34 収容名簿に見入る人々
35 富国生命ビル内、白骨
36
37
38
39
40 広島市戦災児育成所、天皇
41 原爆乙女
42
43 原爆・水爆禁止広島市民大会
44
45
46 原爆資料館、原爆資料館内部
47 100米道路、広島市公会堂
48 中国新聞社
49
50
51 広島大学、市営アパート
52 広島赤十字原爆病院
53 比治山ABCC
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63 (深川宗俊記)
64 広島原爆一号 吉川清氏
65

 

HIROSHIMA(長岡省吾)

『HIROSHIMA』(長岡省吾、19700720)

構成と概要

構成
Aerial View of’ Hiroshima City
01 HIROSHIMA : under atomic bomb attack
Determination of the Explosion Center.2
Measurement of the Epicenter & Fireball.2
Rainfall Following the Explosion.3
Fires.4
How Building Stones were Affected by the Heat Rays.5
Effects on Human Body.7
07 Casualties.
Distributions of Survivors.8
09 Physical Damage
Buildings and Houses.10
Roads and Bridges.10
Water Supply System.10
Sewerage System.11
City Establishments.11
Summary of Damage by Pressure Waves.12
Schools and Libraries.13
Important Governmental Offices, Business Firms & Factories.14
Transportation & Communication Facilities, Public Utilities.14
Railway.15
Damages Compared between Hiroshima & Nagasaki.
01 ひろしま・航空写真
02 広島市被害図
廃墟と化した広島全市(約1ケ月後撮影)
03 原子雲(爆心地より4000米離れた宇品町7丁目より決死的撮影、木村権一氏)
04 爆心地(細工町 志摩病院の廃屋)
04 爆央と市内各所に火災起る(撮影 木村権一氏)
05 市中央より東方を望む
09 産業奨励館焼跡(爆心地より150米)
18 比治山第一高等国民学校収容所
19 似ノ島収容所
20 似ノ島収容所
21 本川小学校前道路、比治山小学校収容所、本川小学校収容所
22 比治山第一高等国民学校収容所
23 宇品収容所、比治山第一高等国民学校収容所、似ノ島収容所
24 柄模様の火傷、熱線によるケロイド症状
25 熱線によるケロイド症状、馬、放射能による脱毛
26 柳橋
27 瓦、本川橋、竹の焼傷
28 墓石
29 万代橋に残った9人の影
30 ガスタンク、住友銀行
31 下村時計店、
32 富国生命ビル、竹屋町付近、三滝分院、本川小学校3階
33 護国神社、慈仙寺、相生橋、
34 御幸橋欄干
35 平和記念聖堂、比治山ABCC
36 原爆慰霊碑
37 平和記念資料館
38 広島原爆病院
39 平和記念講演
40 原爆の子の像
01 “ひろしま” 原子爆彈による被害状況(長岡省吾)
10 刊行の言葉(長岡省吾)

広島壊滅のとき-被爆カメラマン写真集

『広島壊滅のとき-被爆カメラマン写真集』(広島原爆被災撮影者の会、19810801)

目次

撮影者 備考
序にかえて(広島市長 荒木武)
001 尾糠政美
004 尾木正己
016 鴉田藤太郎
017 川原四儀
028 川本俊雄
070 岸田貢宣
077 岸本吉太
096 北勲
099 木村権一
101 黒石勝
106 斉藤誠二
109 空博行
122 林寿麿
127 深田敏夫
130 松重三男
133 松重美人
143 森本太一
146 山田精三
147 山本儀江
148 谷川長次
149 陸軍船舶司令部写真部
153 廣島特報
154 廣島特報
[一覧表]=撮影者氏名、撮影時年齢、遺族ほか
156 発刊のことば(19810715、ヒロシマ原爆被災撮影者の会)

 

原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと

『原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと』(NHKスペシャル取材班、岩波書店、20170725 )

目次

1 きのこ雲の下の二枚の写真
 原爆投下三時間後の写真
「涙でファインダーがくもった」
御幸橋は壊滅地帯の出口だった
コラム① 「地獄の再現」は、証言者がいたからこそ実現した
2 橋の上には凄惨な光景が広がっていた
少女は動かなくなった赤ちゃんを抱いていた
「どこに逃げればいいのか」それだけを考えていた
瀕死の重傷を負って
あれは「死の前の光景」だった
コラム② 私たちは八月六日、御幸橋を通った
3 写真にはどのような”痛み”が写し出されているか
「科学の力」で原爆の実相を浮かび上がらせる
人間が感じる最大の痛み、”フラッシュ・バーン”
写真は”原爆の非人道性”を物語る
放射線による影響は出ていたか
コラム③ 対談 熱傷の専門家×原子核物理学者
4 橋の上は、命を救う最前線だった
御幸橋は、救護の拠点となっていた
広島に入った特攻兵を皮肉な運命が待っていた
命の選別が行われた
似島に運ばれて
コラム④ 水をあげるか、あげないか。それは究極の選択だった
5 私は友を置いて橋へと逃げた
がれきの下で校歌の合唱が始まった
橋の上にいたのは、一〇代の少年少女たち
最大の犠牲者は中学生だった
悔いを抱えて
コラム⑤ 写真が写し出す”悲しき物語”
終章 原爆は市民の上に落とされた
公表になぜ七年もかかったのか
世界で唯一の写真は、訴え続ける
「被爆の真実」は伝わっているか
コラム⑥ 差別を超えて
あとがき

 

2020年9月(日録)

2020年9月(日録)

できごと
01 投稿『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』の校訂作業。
02 『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』を昭和図書館へ返却。
 02  ヒロシマ遺文への投稿=「2020年9月(日録)」
 03  ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと」。
 04  ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと」。「広島壊滅のとき-被爆カメラマン写真集」、「廣島あの日から(長岡省吾)」、
05  ヒロシマ遺文への投稿=「平和擁護広島大会宣言(19491002)」、「HIROSHIMA(長岡省吾)」、「広島(吉川清)」、
06  ヒロシマ遺文への投稿=「原爆記録映画」、「論文:原爆記録映画」、「年表:原爆記録映画」、「爆心地ヒロシマに入る」、「ヒロシマ二十年 原爆記録映画製作者の証言」、「たたかう映画-ドキュメンタリストの昭和史」、「世界写真家平和シンポジウム・写真展報告書」
07  ヒロシマ遺文への投稿=「母と子でみる 原爆を撮った男たち」、「佐々木雄一郎ヒロシマ25年 写真記録」、「ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録」、
08 呉市立昭和図書館。『広島原爆写真集』、『長崎原爆写真集』、『広島、1945 生きていた広島』を借り出す。
 08  ヒロシマ遺文への投稿1=「ヒロシマ 21世紀へのメッセージ」、「年表:原爆展(1952年)」、「年表:原爆展(1953年)」、「年表:原爆展(1954~55年)」、「年表:原爆展(1956年)」、「年表:原爆展(1958~64年)」、「年表:原爆展(1969年)」、
  08  ヒロシマ遺文への投稿2=「年表:原爆展(1970年)」、「年表:原爆展(1973年)」、「年表:原爆展(1974年)」、「年表:原爆展(1975年)」、「年表:原爆展(1976年)」、「年表:原爆展(1977年)」、「年表:原爆展(1978年)」、「年表:原爆展(1979年)」、
09  ヒロシマ遺文への投稿1=「年表:原爆展(1980年)」、「年表:原爆展(1981年)」、「年表:原爆展(1982年)」、「年表:原爆展(1983年)」、「年表:原爆展(1984年)」、「年表:原爆展(1985年)」、「年表:原爆展(1986年)」、「年表:原爆展(1987年)」、「年表:原爆展(1988年)」、「年表:原爆展(1989年)」
09  ヒロシマ遺文への投稿2=「年表:原爆展(1990年)」、「年表:原爆展(1991年)」、「年表:原爆展(1992年)」、「年表:原爆展(1993年)」、「年表:原爆展(1994年)」、「年表:原爆展(1995年)」、「年表:原爆展(1996年)」、「年表:原爆展(1997年)」、「年表:原爆展(1998年)」、「年表:原爆展(1999年)」
09  ヒロシマ遺文への投稿3=「広島原爆写真集 決定版」、「長崎原爆写真集 決定版」、「広島、1945 生きていた広島」、「トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録」、「原爆=写真論 「網膜の戦争」をめぐって」、「原爆と写真」
10  NHK総合「土門拳のヒロシマを探して 戦後75年を生きた人たち」(2020年8月8日07:30~07:55)<再放送>視聴。
10  ヒロシマ遺文への投稿=「明田弘司」、「年表:広島原爆資料館」、「文献:原爆資料館」。
 11  ヒロシマ遺文への投稿=「松重美人「世界の記録写真」をめぐって」、「ヒロシマ・1960 永田登三写真集」。
 13  ヒロシマ遺文への投稿=「土門拳」。
14  新聞のダウンサイズ作業。切り抜き対象記事掲載の紙面だけを切り取る。9月13日~8月24日分終了。
 15  新聞のダウンサイズ作業終了。8月23日~8月6日。
18  NHK総合ラウンド中国「また、語れる日まで~被爆者“コロナの夏”を生きる~」(出演:豊永恵三郎、森下弘)視聴。
19  ピカ研資料整理=主に地図の整理。
19 19:00~ ~21:00。BS1「少年たちの連合艦隊〜“幸運艦”雪風の戦争〜」(再放送)視聴
 20  ユーチューブのせこへい美術館(2020年8月8日~16日まで、旧日銀広島支店で開催)を視聴https://www.youtube.com/watch?v=cvGz5-kye-Q
20  岩波写真文庫写真(長野重一・名取洋之助撮影)の整理。
 21  ヒロシマ遺文への投稿=「生きているヒロシマ」、
 22  ヒロシマ遺文への投稿=「HIROSHIMA」、「原爆第1号―ヒロシマの写真記録」、「アサヒグラフ」、「グラフひろしま」、
 23  石踊(安芸書房)に電話。ピカ研にあった第五師団の詳細な地図の存在を尋ねたが、知らないとのこと。
 23  ヒロシマ遺文への投稿=「敗戦と原爆投下(週刊朝日百科)」、「秘録大東亜戦史 原爆国内篇」、
 24  ヒロシマ遺文への投稿=「秘録大東亜戦史 原爆国内篇」の校訂作業。
 25  ヒロシマ遺文への投稿=「感性で撮るうまい写真」、「森下一徹」、「ヒロシマ 土門拳(1958)」、「ヒロシマ 土門拳全集10」、「生きているヒロシマ  土門拳1978」、「写真随筆 土門拳1979」、
 27  ヒロシマ遺文への投稿==「江成常夫」、「記憶の光景・十人のヒロシマ」、「ピカドン-ある原爆被災者の記録」、「福島菊次郎」、「福島菊次郎原爆と人間の記録」、「戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集」、「遺品は語る」、「きみはヒロシマを見たか」、「写真集 被爆45年広島の声なき証言者たち」、「写真集 平和のモニュメント」
 28  ヒロシマ遺文への投稿=「写真集 ドンが聞こえなかった人々」、「写真でみる原爆の記録」、「浜口タカシ写真集」、「カール・マイダンス 激動日本の目撃者」、「写真家100人 顔と作品」、

予定

年月日
20021004 ピカ資料研究所資料整理。
20201103  アメリカ大統領選挙。
202012  真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。

 

 

ヒロシマの証(土田ヒロミ)

『ヒロシマの証  岩波グラフィックス ・7 』(土田ヒロミ写真、杉原正、兼口芳哉文、岩波書店、19821124)

目次

遺品 旧所有者 タイトル 証言者(寄贈者)
02 半ズボンとバンド 満田二朗 ナガサキ・ヒロシマ 満田義忠
06 懐中時計 二川謙吾 8時15分で止まった時計 二川一夫
10 弁当箱と水筒 折免シゲコ
12 防空ずきんとカバン 生まれ変わり 舛田耀夫・舛田和枝
17 スリップ
18 救急袋 妹のけな気さ 桑山暁美
22 ご飯蒸しとコウリャン 黒いコウリャン 道田政雄
26 双眼鏡
28 学生服 甲子園への夢 下田則明
33 中学生の学生服
34 将校の軍服 心の負い目 冨田実
39 サーベル
40 ガラス・皿・酒杯 「武田一括資料」 武田学郎
45 ワンピース
46 ガラス片 体内ガラス 伊藤悟
50 軍医の服 夫からのはがき 本田松子
55
56 預金通帳 残った通帳 佐久間一夫
61 もんぺ
62 ピアノ 被爆ピアノ 金子修郎
66 鉄かぶと 教師の心の痛み 福丸敦枝
70 帽子・防空ずきん・被服帳
72 下駄 執念の下駄 井上富子
76 ワンピース 謝る毎日 古川ミツヨ
80 金銅仏