『明治百年論批判』(「百年史」研究会、196711)目次
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声明文「明治百年論」に反対する(「百年史」研、19671114) | ||
”明百”祭の内容と意図 | ||
理解を深めるために | ||
△近代化論批判 | ||
△ 明治百年論と天皇制 | ||
△「愛国心」について | ||
△経済に於ける対米従属の起源 | ||
△明治百年論の捉え方に関する覚え書き | ||
△教科書検定を中心にして | ||
<資料>教育の軍国主義化の過程 | ||
戦後史年表 | ||
編集後記 | ||
明治百年に関する資料 | ||
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『明治百年論批判』(「百年史」研究会、196711)目次
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声明文「明治百年論」に反対する(「百年史」研、19671114) | ||
”明百”祭の内容と意図 | ||
理解を深めるために | ||
△近代化論批判 | ||
△ 明治百年論と天皇制 | ||
△「愛国心」について | ||
△経済に於ける対米従属の起源 | ||
△明治百年論の捉え方に関する覚え書き | ||
△教科書検定を中心にして | ||
<資料>教育の軍国主義化の過程 | ||
戦後史年表 | ||
編集後記 | ||
明治百年に関する資料 | ||
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東京資料調査報告(198104)
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東京資料調査覚え(198007現在)
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宇吹の東京だより(198007)
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受入承諾のハガキ
19791002(藤原⇒宇吹) |
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19791124(藤原⇒宇吹) |
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藤原教授宛宇吹依頼状(控)1979年9月
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昭和55年度内地研究員調書(控・抄)
氏名 | 宇吹暁 |
研究区分 | 文-歴史学 |
研究題目 | 被爆者の社会史的研究 |
研究の方法及び計画 | ①戦争責任論の立場から原爆被害に関する国家責任の究明 ②原爆被害と一般戦災被害の比較検討 ③原水禁・被爆者運動のもつ国際的・国内的・地域的3側面の比較検討 |
研究期間 | 昭和55年9月1日~昭和56年2月28日 |
受け入れ機関 | 一橋大学社会学部社会学科藤原研究室 |
指導教授等の職名及び氏名 | 教授 藤原彰 |
教育研究上特に必要とする理由 | |
文部教官(助手) | |
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文部省内地研究員研究成果報告書(草稿)
昭和56年3月4日提出 | |
研究期間 | 昭和55年5月1日から昭和56年2月28日まで |
研究経過概要 | (600字以内) |
藤原教授の指導の下に下記の研究をおこなった。 ①日本における原爆症研究の発足および展開過程を、故都築正男(元東京帝国大学教授、学研原爆災害調査特別委医学科会長)旧蔵資料などを資材として考察した。 ②被爆体験が日本の戦争犠牲者援護政策、原子力開発政策、安全保障政策にどのような形で定着しているかを、国会議事録を素材として考察した。 ③被爆体験の国民レベルでの定着形態を、新聞報道・雑誌論文などを素材として考察した。 ④被爆体験の国際的な意味について、ニューヨーク・タイムズを中心とする諸外国の新聞・雑誌を素材として考察した。 |
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原爆文献を読む会会報記事目録(抄)
号 | 記事 | 著者 | メモ |
1 | 経過報告と感想-初会合の記録にかえて | 長岡弘芳 | 19681101刊、19690711再刷 |
原爆の思想を築きたい アンケート集計結果 | |||
原爆文献を読む会-活動の記録 | |||
8月例会記 | |||
誌上録音 | |||
原爆講演会 | |||
1日合宿 | |||
9月例会 | |||
大牟田氏を囲んで | |||
10月例会 | |||
丸木美術館訪問 | |||
東友会・慰霊祭 | |||
忘れられなかった「原爆」 | 鵜沼礼子 | ||
広島と僕 | 近藤弘 | ||
「この世界の片隅で」レポート以後 | 岡寿克 | ||
「原爆の図」を見て | 佐藤博史 | ||
原爆展を見て | 佐藤博史・古川智子 | ||
地方会員からの便り | |||
書面出席 | |||
会員の仕事 | |||
編集後記 | |||
2 | 核時代のメモ・ノート(1)1968年の軌跡-広島・長崎被爆から中国の核実験まで- | 林栄介 | 19690205刊 |
3 | (続)孫貴達さんが残していったもの | 19690524刊 | |
4 | (特集)原爆と私たちの今日的課題 | 19690712刊 | |
5 | (特集)「原爆と私たちの今日的課題」集会報告 | ||
6 | 19700425 | ||
7 | 〈講演記録〉ある被爆者の戦後史 | 石田忠 | 19701002 |
8 | 19710305 | ||
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)概要
序 | 瀬戸内海文庫編集部 | |
口絵写真 | 1945年8月6日午前8時15分 世界史に大きく記録される一瞬、それは広島市の上空に原子爆弾の第一弾が投下された時間であり、この一発こそ第二次世界大戦の終止符となり、世界平和への大きな原動力となった |
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1 | 一発の爆弾で見渡す限り死の原子沙漠と化した広島市 | |
2-1 | 爆発直後に撮影されたキノコ形の原子雲 | |
2-2 | ||
3-1 | ||
3-2 | ||
4-1 | ||
4-2 | ||
5-1 | ||
5-2 | ||
5-3 | ||
6 | ||
7 | ||
8 | ||
9 | ||
10 | ||
11 | ||
12-1 | ||
12-2 | 原爆の直下ともいえる相生橋の被害はひどかったが現在では全くそのかげをとどけぬまでに復旧工事がほどこされた | |
目次 | ||
報道篇 | ||
爆弾篇 | ||
体験篇 | ||
宣言 | 日本ペンクラブ「広島の会」(中国19500416) | |
あとがき | 編者 | |
奥付 | ||
編集者 | 「回顧五年-原爆ヒロシマの記録」 | |
広島市外祇園町 電話;祇園66番 | ||
発行者 | 田中嗣三 | |
印刷所 | 増田兄弟活版所 | |
広島市空鞘町 電話;西(3)2567 | ||
発行所 | 瀬戸内海文庫 | |
広島市研屋町12番地 電話;中(2)4495 | ||
回顧五年-原爆ヒロシマの記録(爆弾篇/体験篇)
爆弾篇(1945年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
英で着手、米で生産 | 毎日 | 0815 |
動力の世界に革新 | 毎日 | 0815 |
五百トン爆弾と同じ作用 | 朝日 | 0816 |
浅田博士に聴く(1) | 朝日 | 0821 |
理博、阪大教授、産業科学研究所員、超電波の権威 | ||
浅田博士に聴く (2) | 朝日 | 0822 |
浅田博士に聴く(3) | 朝日 | 0823 |
浅田博士に聴く(4) | 朝日 | 0824 |
浅田博士に聴く(5) | 朝日 | 0826 |
浅田博士に聴く(6) | 朝日 | 0827 |
原子爆弾の神秘を声明 | 19460330 |
体験篇(1945年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
原子弾を浴びて | 朝日 | 0831 |
つきぬ情の一筋 | 中国 | 19460215 |
名作「原爆の回顧」 | 朝日 | 19470808 |
原爆孤児が綴る新版「父帰る」 | 中国 | 19470821 |
私らは大きくなった | 朝日 | 19480808 |
出典:『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)