「04 できごと」カテゴリーアーカイブ

原爆被害:時時刻刻(8月15日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月15日)

時刻 事 項
15 08:00 「一、本日午前八時長官ヨリ左記会報アリタリ 1十一時ヨリ部課長会議開催 部課長ノ外市内東西宇品警察署長集合ノコト 2十三時本庁本部ニ勤務ノ全員集合ノコト」(広島県「戦災記録」)
15 11:00 「一、十一時ヨリ部課長会議行ハル」(広島県「戦災記録」)
15 12:00 天皇の終戦詔書放送さる.
15 12:00 「一、十二時ラジオ放送ニヨリ聖旨アリ 米英ソ支ニ対シソノ要求受諾セリ 万事休ス-万感交々至リ熱涙滂沱タルヲ如何セン 吾尊皇国一生ヲ享ケ茲ニ多年幾度カ死線ヲ彷徨シテ死スルヲ得ス 八月六日又九死ニ一生ヲ得 天未ダ借スニ余命ヲ以テスルヲ感謝シ更ニ決死奏公ヲ熱願シアリシトコロ コトココ二至ル 死所ヲ得サリシヲ亦如何セン鳴呼!!」(広島県「戦災記録」)
15 14:00 「一、本日十四時全庁員参集 長官ヨリ 1詔書奉読 2内閣総理大臣謹話 3長官訓示-特ニ大和民族ノ誇〔ト〕気迫ヲ失フ勿レト訓示アリタリ 言々切々肺腑ヲ衝ク」(広島県「戦災記録」)
15 14:00 「一、吉田高等女学校生徒一二五名 引率教員三名 午後二特到着直テニ左記配処ニ就ク (各収容所)江波二○ 神崎二○ 舟入二○ 本川二○ 逓信 一○ 己斐二○ 袋町一五」(広島県「戦災記録」)
15 r <調査報告書>広島災害調査班長島田中佐「状況報告(総軍軍医部長宛)」
15? r <調査報告書>陸軍省広島災害調査班「広調班速報第9号」
15 「一、地区司令部主催連絡会議」(広島県「戦災記録」)
15 「[畑]元帥は15日帰任し、陛下の和平に対する鞏固なる団結と至厳なる軍紀を確保して大御心に副ひ奉らんことを期すべしとの主旨を伝達し、直ちに両方面軍参謀長を招致して此の主旨の徹底方を命令せり。」(『本土作戦記録・第二総軍』)
15 「15日西練兵場(概ネ爆心付近)空気中ニ同ジク5倍強度ノ放射能ヲ認ム 第二総軍幕舎付近ニ於テハ増加ヲ認メ得ズ」(陸軍省広調班速報9)
15 「管内兵事主任会同あり。生口島の各国民学校より御真影を奉還す。正午戦争終結に関す御詔勅発せられ、ラヂオを通じ玉音を拝す。感慨無量涙滂沱たり。直に広島に上り県の対処方針を糾す為県庁に出頭。其足にて直ちに大竹に赴き海兵団より糧食融通方手配す。夜下野署長宅に泊る」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
15 新聞, 原爆被災の詳細を一斉に報道.
15 「二総作命甲号外第二号 第二総軍命令 八月十五日 広島」(広島県「戦災記録」17日の項)

原爆被害:時時刻刻(8月14日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月14日)

時刻 事 項
14 07:00 「700島田中佐宇品船司ニ到リ連絡ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
14 08:00 「中国軍作命甲第21号 中国軍管区部隊命令 8月14日0800 広島 中部軍管区防疫部派遣班(村江中尉以下16名)ハ広島到着ト共ニ広島地区司令官ノ指揮下ニ入ルヘシ 中国軍管区司令官」(『中国軍作命甲綴』)
14 10:30 「一、十時三十分長官河田警部帯同市内救護状況視察ノ為メ出張セラレタリ 零時十分帰来衛生課長招致左ノ如キ指示アリタリ」(広島県「戦災記録」)
14 10:50 「臨時閣議開催の後10時50分より全閣僚、枢密院議長、両総長お召しを受け、御前会議が開催せられた」「午後1時より更に閣議開催せられ、詔勅案を審議し、これを奉呈したが同11時御詔勅発布せられた」(「東郷外相口述筆記」)。
14 14:30 「一、十四時三十分長官ハ会計課長帯同産報道場ニ出向カル 舎ノ状況下見ノタメナリ 十七時帰来総監府(副総監、副参事官)宿舎申込ノタメ全部ハ入レナイガ一部ノ移転ハ可能ト認ム」(広島県「戦災記録」)
14 15:30 「中国軍作命甲第23号 中国軍管区部隊命令 8月14日1530 広島 一、独立電気第3中隊ノ1小隊、大阪第二陸軍病院派遣救護班ハ広島地区司令官ノ指揮下ニ入ルヘシ 二、広島第二陸軍病院長ハ救護班1ケ(長以下約10名)ヲ差出シ広島地区司令官ノ指揮下ニ入ルヘシ 三、広島地区司令官ハ第1項、第2項部隊ヲ併セ指揮スベシ 四、指揮転移ノ時機ハ8月15日零時トス 中国軍管区司令官」(『中国軍作命甲綴』)
14 23:00 東郷外務大臣「「ポツダム」宣言の条項受諾の件」(在瑞西・加瀬公使、在瑞典・岡本公使宛)
14 r <調査報告書>呉廠砲実部西田亀久夫(海軍技術大尉)・坂巻喬(海軍技術大尉)「長崎市空襲被害概況調査報告」
14 r <調査報告書>技術院松前参技官「新型爆弾ニヨル広島市被害状況調査報告」
14 r <調査報告書>呉鎮守府衛生部「8月6日広島空襲戦訓(第3報)」、「第4報」
14 「午後調味料蔬菜等の配給に当る。仲々徹底せず。知事閣下の命により戦災患者の給与に付特別の考慮を払ふ。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
14 「御園生教官一行福田教授等来島ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
14 理化学研究所仁科芳雄・阪大浅田博士、広島現地調査結果発表。使用された爆弾は原子爆弾であり、被爆中心地は放射性物質が広く撤布されており、身体に悪影響を及ぼすため長期滞在は危険である。(読売報知新聞)
14 朝日新聞、「敵の非道を撃つ」との社説を掲げ、アメリカの原子爆弾投下を非難。
14 長崎県知事「空襲被害状況並ニ災害応急対策ニ関スル件第8報」(「長崎原爆戦災誌」5)
14 「一、本日ノ本部宿直員左ノ通」(広島県「戦災記録」)
14 「海医校小松、太田両中佐帰還ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
14 「一、義勇隊本部長ヨリ左ノ通告知アリタリ」(広島県「戦災記録」)
14 「御園生少佐(陸医校)以下4名放射線研究班並ニ福田教授以下3名ノ火傷調査班派遣セラル」(陸軍省広島災害調査班状況報告)
14 「海医校小松中佐来島ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
14 「中国軍作命甲第22号 中国軍管区部隊命令 8月14日[不明] 広島 一、岡山地区赴援隊ハ通信班及救護班ヲ残置シ主力ヲ以テ原所属ニ復帰スベシ 中国軍管区司令官」(『中国軍作命甲綴』)
14 「御園生少佐以下9名8月14日朝似島到着」(陸軍省広調班速報9)
14 「8月14日、似島ニ於テ焼却セル屍体ノ骨ニツキ放射能ヲ検シ最高自然状態ニ於ケル放射能ノ強度ニ比シ約10倍強度ノ放射能ヲ存スルヲ認ム」(陸軍省広調班速報9)

 

原爆被害:時時刻刻(8月13日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月13日)

時刻 事 項
13 08:30 「午前8時半最高戦争指導会議構成員の会合が首相官邸地下室で開催」(「東郷外相口述筆記」)。「9時前に首相官邸に、首相、陸相、海相及び両総長6人だけの会議が開かれ意見の交換がある、両総長は参内のため9時より10時半まで中断されたが、さらに15時まで前後約5時間にわたり、くりかえし議論が蒸しかえされ」(下村海南著「終戦記」)
13 08:30 「中国軍作命甲第20号 中国軍管区部隊命令 8月13日0830 広島 一、第225師団工兵隊(1中隊欠)ハ広島到着ト共ニ広島地区司令官ノ指揮下ニ入ルヘシ 二、広島地区司令官ハ前項部隊ヲ併セ指揮シ主トシテ広島市内橋梁ノ復旧ヲ実施スベシ 中国軍管区司令官」(『中国軍作命甲綴』)
13 09:00 「一、午前九時長官河田警部帯同ニテ市内ノ救護状況視察セラレタリ 帰来後関係課長ヲ招致左ノ通リ指示アリタリ」(広島県「戦災記録」)
13 13:30 「一、本日十三時三十分ヨリ戦災対策委員会ヲ本庁ニ於テ開催セラレタリ」(広島県「戦災記録」)
13 16:00 「[閣議が]16時に至り漸く開会された。昨日の懇談につづき4国回答に対し首相は円卓を囲める席次を、左より順次指名して閣僚の腹蔵なき開陳を求めた。・・・閣議はまとまらずに散会する事となった」(下村海南著「終戦記」)
13 r <調査報告書>陸軍軍医大佐戸田古一郎[西部軍派遣調査隊]「広島空襲被害報告」
13 r <調査報告書>陸軍省広島災害調査班「広調班速報第7号」、「第8号」
13 r <調査報告書>中国軍管区司令部「8・6広島市被害状況」
13 「海医校病理教官来訪当所ノ業務ニ協力シアリ」(陸軍省広調班速報8)
13 「13日畑元帥に至急上京の招電あり。」(『本土作戦記録・第二総軍』)
13 「目下広島市内ニ赤痢散発シ当似島ニ於テモ現在患者約500名中30名疑似患者アリ 至急防疫処置ヲ実施中ナリ」(陸軍省広調班速報8)
13 仲みどり(移動演劇団桜隊の女優)、広島で被爆後、東大都築外科に入院(8.31毎日新聞)。
13 「西部軍ニ教育出張中ノ戸田教官以下教官5名8月11日広島ニ到着目下広島陸病第一(可部)ニアリ 被教育者30名ヲ有ス 現地教育(資料提供)ノ後一両日中ニ帰還ノ筈ナリ」(陸軍省広調班速報8)
13 「海医校太田教官(病院)来島ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
13 「一、次ノ通報告アリタリ 八月十三日 知事  内務 厚生 農 商 軍需 文部 各次官宛」(広島県「戦災記録」)
13 「一、本日ノ宿直員主左ノ通」(広島県「戦災記録」)
13 「市内各所の配給所を視察。末端の配給仲々徹底せず。今尚副食の配給を受けざるものあり。明日より毎朝配給責任者会同を催すことに決定。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
13 「一、第二総軍戦闘司令部ヨリ左ノ通連絡アリタリ 連絡 戦闘司令所 本日ノ戦闘司令所防衛会報ハ取止メ県庁ニ於テ一三時ヨリ実施ノ会議ニ於テ打合セヲ実施スル予定」(広島県「戦災記録」)
13 「火傷患者ノ温浴療法ヲ開始ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)

原爆被害:時時刻刻(8月12日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月12日)

時刻 事 項
12 00:45 「12日午前零時45分、外務省ラジオ室より米英ソ支4国の対日回答発表せられたりとて、その内容を通知して来た」(「東郷外相口述筆記」)。
12 09:00 「一、本日午前九時長官罹災患者手当ノ件ニ付船舶司令官ヲ訪問セラル」(広島県「戦災記録」)
12 14:00 「午後2時より市役所に於ける軍官民防衛連絡会議に出席。夜県庁に宿泊。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
12 15:00 「天皇、皇族会議を召集す。・・・18時20分、皇族会議散会す。」(「8月12日終戦誌」)
12 16:00 「一、本日十六時ヨリ第二総軍連絡会議開催サレ左ノ通リ協議行ハレタリ」(広島県「戦災記録」)
12 r <調査報告書>船舶獣医部「広島ニ於ケル馬匹被害状況」
12 「海軍省及海医校調査班来訪資料ヲ交換セリ」(陸軍省広調班速報8)
12 「12日頃大本営より「帝国政府は連合国に対し和平交渉中」との主旨の電報に接せり」(『本土作戦記録・第二総軍』)
12 「海軍省及海医校調査班来島種々意見ヲ交換ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
12 「8月11日西部ヨリ見習士官2名ノ調査班派遣セラレタルヲ以テ之ヲ指揮シ現在迄蒐集セル資料ヲ与エ今後ノ処置ニ就キ指導セリ8月12日夜似島出発帰還セリ」(陸軍省広調班速報8)
12 「本日より戦災対策委員会食糧係として応援勤務に就く。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
12 「一、本日左ノ通発令セラレタリ」(広島県「戦災記録」)
12 「一、左ノ通リ広島警備船舶命アリタリ 広警船作命第二三号 広島警備船舶命令  八月十二日 一六〇〇 広島市庁戦闘司令所」(広島県「戦災記録」)
12 「火傷患者ニ対シクレゾール温浴療法ヲ開始ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
12 「一、本日十四時ヨリ本部ニ於テ開催ノ災害復旧対策部課長会協議 内容左ノ如シ」(広島県「戦災記録」)
12 マーシャル将軍、マッカーサー将軍にマンハッタン・プロジェクトの原爆調査グループについての情報を伝える(マンハッタン・プロジェクト『広島・長崎への原爆の投下』。
12 「一、宇品ニ於テ対策協議会要領左ノ通リ」(広島県「戦災記録」)
12 「一、福山地方事務所長ヨリ福山市ノ罹災状況第二報左ノ通報告アリタリ」(広島県「戦災記録」)

原爆被害:時時刻刻(8月11日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月11日)

時刻 事 項
11 07:00 「700松永課員帰京ノ途ニ上ル」(陸軍省広島災害調査班行動表)
11 08:30 「一、午前八時半ヨリ長官市内及安佐郡可部線沿線ノ罹災者収容救護状況視察」(広島県「戦災記録」)
11 16:00 「一、本日午後四時ヨリ船舶司令部ニ於テ防衛会議開催 宍戸輸送課長及小山事務官出席 会議ニ於ケル協議内容次ノ如シ」(広島県「戦災記録」)
11 「杉山教授一行1900帰途ニツク」(陸軍省広島災害調査班行動表)
11 「8月11日西部ヨリ見習士官2名ノ調査班派遣セラレタルヲ以テ之ヲ指揮」(陸軍省広調班速報8)
11 「一、明後十三日午後一時半ヨリ戦災対策委員会開催左ノ通リ通知ヲ発ス」(広島県「戦災記録」)
11 「一、戦災保護法ニヨリ死者一人当リ金五十円ノ見舞金ヲ支出スルタメ金二百五十万円ノ臨時借入フナスコトノ手配ヲナス-援護課」(広島県「戦災記録」)
11 「広島応援不在中の事務に関し庁内各課長と連絡。尚広島市の戦災患者1千名収容の依頼あり。警察署長と連絡の上手配を了す。夕方の列車にて広島に至る。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
11 広島市、復興のために文理大で学徒決起隊を結成(予告)。
11 「一、安芸高等女学校々舎倒壊シ調査ノ結果其ノ下敷トナリタル県庁員十二名(耕地課六名調査課五名畜産課一名)軍隊六○名学校側一名ナリ 内死亡者県庁員一名軍側十六名学校一名ニシテ未発掘ノモノ県庁一名軍三名ナリ」(広島県「戦災記録」)
11 「一、広島市内主要神社ノ復旧ヲ早急ニナシ一般市民ノ参拝ガ出来ル様ニ取運ブコトニ手配ス-加藤警部」(広島県「戦災記録」)
11 長崎市の復旧・被災者救護作業のため周辺地域義勇隊・学徒隊出動。
11 「戸田、山県教官来島ス。」(陸軍省広島災害調査班行動表)
11 「臨床検査(血液及尿)茲ニ屍体解剖等調査研究ヲ進ム」(陸軍省広島災害調査班行動表)
11 「西部軍ニ教育出張中ノ戸田教官以下教官5名8月11日広島ニ到着」(陸軍省広調班速報8)
11 グローブズ少将、ファーレル准将にマンハッタン・プロジェクトの原爆調査グループを組織するよう指令(マンハッタン・プロジェクト『広島・長崎への原爆の投下』。

 

原爆被害:時時刻刻(8月10日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月10日)

時刻 事 項
10 02: 「翌8月10日の午前2時をすぎた。・・・聖断は下った。・・・我が国の国力の現状、列国の情勢を顧みるときは、これ以上戦争を継続することは日本国を滅亡せしむるのみならず、世界人類を一層不幸に陥れるものなるが故に、この際堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、戦争を終結せんとするものであるという主旨のお言葉であった。」(迫水久常手記「降伏時の真相」)
10 03:00 「3時更に閣議を開き、全員挙って原案に賛成決定を了した」(「東郷外相口述筆記」)。「各大臣は急遽内閣に引き返してここに待ち受けて居た全閣僚を会して閣議を再開し、閣議も聖慮のままを閣議決定として決定したのである」(迫水久常手記「降伏時の真相」)
10 06:45 東郷大臣「三国宣言受諾の件」(在瑞西・加瀬公使、在瑞典・岡本公使宛)
10 07:00 「一、長官午前七時出発 船舶司令官 鉄道局長逓信局長 西部逓信総局長 西警察署長等訪問」(広島県「戦災記録」)
10 08:00 「800定期便船ニテ松永少佐ヲ除ク全員似島ニ向フ作業開始」(陸軍省広島災害調査班行動表)
10 09:00 山岡静三郎海軍薬剤少佐ら大阪調査団、呉着。呉海軍病院へ。病院の車で広島市へ。西練兵場の砂に放射能を検出(「浅田常三郎メモ」)
10 10:00 「自1000至1630 陸、海軍合同特殊爆弾研究会」(呉鎮守府衛生部「陸、海軍合同特殊爆弾研究会決定事項(要項抜粋)」)
10 10:00? 「松永少佐ハ陸海軍合同研究会議ニ出席ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
10 10:00? 「<研究会>於陸軍補給廠 二総軍、陸軍軍務局、砲台監視哨、呉鎮、呉警、呉廠、一技廠、仁科、荒勝、木村」(呉鎮守府「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)」)
10 10:30頃 「運よく飛来した飛行機に跳び乗って離陸したのは10時半ごろであった。・・・大正飛行場に不時着・・・午後1時頃再飛行、立川飛行場に着いたのは午後4時過ぎであった。」(「有末機関長の手記」)
10 11:00? 長崎県知事「空襲被害状況第6報」(「長崎原爆戦災誌」5)
10 14:00 「一、広瞥船作命第一○号 広島警備命令 昭和二十年八月十日一四○○広島市庁ニテ」(広島県「戦災記録」)
10 16:00 「1600松永少佐似島ニ来リ京大杉山教授一行来島ス。陸海軍合同研究会議ノ状況ヲ聴キ現在迄調査セル事項ニ就キ之ヲ取纏ム」(陸軍省広島災害調査班行動表)
10 16:00? 「8月10、11日京大杉山教授(病理)似島ニ来リ本調査ニ協力セリ」(陸軍省広調班速報8)
10 16:30 情報局総裁談「・・・敵米英は最近新に発明せる新型爆弾を使用して人類歴史上かつて見ざる残虐無道なる惨害を無辜の老幼婦女子に与へるに至った。・・・」
10 16:30? 「会議[陸、海軍合同特殊爆弾研究会]終了直後阪大浅田教授(原子物理学)一行到着参会者ト談合呉病帰着後現地土塊ヨリ放射性物質ノ有在ヲ証認ノ旨報告アリタリ」(呉鎮守府衛生部「陸、海軍合同特殊爆弾研究会決定事項(要項抜粋)」)
10 17:00 「一、市役所ニ於ケル船舶司令部主催ノ連絡会議ハ十七時ヨリ開催 刑事課長食糧課藤巻小作官輸送課竹原部長衛生課神崎嘱託出席 会議内容次ノ通リ」(広島県「戦災記録」)
10 18:00 「1800臨時福岡第二陸病ヨリ派遣防空衛生隊長(見習士官)以下29名本調査班ニ配属セラル」(陸軍省広島災害調査班行動表)
10 20:00 「呉海軍鎮守府長官発信 信令第六二一号 一、海軍潜水学校長及大竹海兵団長ハ夫々朝鮮米四、○○○俵(六○粁入)ヲ広島県ニ貸与スベシ 二、海軍経理部長及呉海軍軍需部長ハ夫々広島食糧事務所長及広島食糧営団ト連絡ノ上右実施並県庁返却ニ関シ所要ノ事務ヲ処理スベシ」(広島県「戦災記録」)
10 20:00 「一、本日午後八時左ノ受信ヲナス 呉海軍鎮守府参謀長 広島県知事殿 広島市戦災応急糧食トシテ海軍兵学校保管ノ朝鮮白米二、○○○俵(六○粁入)広島県ニ一時貸与ノコトニ取計ヒ度 右実施及貸与米ノ返却ニ関シ呉海軍経理部及呉海軍軍需部ヨリ連絡ス」(広島県「戦災記録」)
10 25 「呉病2隊ハ10日夕刻迄作業セシメ第二総軍県庁ニ挨拶連絡ノ上之ヲ率ヒ呉ニ帰投シ任務ヲ終了セリ」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
10 25? 長崎県知事「空襲被害状況第7報」(「長崎原爆戦災誌」5)
10 25? 「戦訓(衛生)ヲ医務局長ヨリ各軍管区軍医部長宛電報指示ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
10 r <調査報告書>呉鎮守府広島派遣救護隊「広島派遣救護隊任務報告」
10 r <調査報告書>呉鎮守府衛生部「8月6日広島空襲被害状況並ニ対策(第2報)」
10 r <調査報告書>呉工廠「8月6日広島空襲ニ対スル研究会議事概要」
10 r <調査報告書>陸軍省広島災害調査班「広調班速報第5号」、「第6号」
10 r <調査報告書>陸軍省広島災害調査班 「八月六日広島市爆撃ニ於ケル戦訓(衛生)」
10 r <調査報告書>航本技術部「広島爆撃調査報告」
10 r <調査報告書>長崎地区憲兵隊「8月9日長崎地区空襲時ニ於ケル戦訓」
10 日本政府,スイス政府を通じ新型爆弾使用につきアメリカ政府に抗議.
10 「一、戦災復旧対策要項ニツキ八月八日付船舶司令部ヨリ発セラレタリ 其ノ内容次ノ通リ」(広島県「戦災記録」)
10 「一、八月七日付広島警備担任司令官船舶司令官次ノ通布告文ヲ発ス 広島市民ニ告グ」(広島県「戦災記録」)
10 国際赤十字委員会マルセル・ジュノー、アンクスト・ビルフィンガー・ペスタロッチとともに東京から軽井沢に向かう。17日、東京に戻る。24日、東京を出発しそれぞれが捕虜収容所に向かう(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
10 「レントゲン教官派遣方要請」(陸軍省広島災害調査班行動表)
10 荒勝文策京都帝国大学理学部教授、広島入り。(菊池論文)
10 「一、広島鉄道局長ヨリ福山及岩国被害復旧ノ状態二就キ次ノ通連絡アリタリ(九日一七・○○)」(広島県「戦災記録」)
10 「一、府中地方事務所員ヨリ福山地方戦災状況ニツキ次ノ如ク報告アリ」(広島県「戦災記録」)
10 政府、「新型爆弾対策委員会設置ノ件」を閣議決定。
10 「一、食糧配給 罹災直後ヨリ各警察署ニ依リ非常配給ヲ実施シツアリシモ十日従来ノ三十二配給区ヲ十六ケ所ノ学区単位ヲ原則ニ統合整備シ各学区ニ一ケ所宛ノ統合配給所ヲ設置スルコトトナリ周辺部ヨリ〔逐〕次開設ノ上主要食糧野菜等ノ配給ヲ開始スルコトトセリ右二要スル物資ノ集荷ニ就テハ己ニ大部分手配済ニシテ山口県ヨリ入荷セル四、○○○〆ノ蒸甘藷ヲ十一日ノ昼食ト共ニ配給スル等万全ヲ期シツアリ 尚督油イリコ等」(広島県「戦災記録」)
10 「本日始めて広島市の戦災を見舞ふ。惨害筆舌に絶す。夕方帰忠。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
10 日本政府、アメリカの新型爆弾使用に対し、スイス政府を通じて抗議文をアメリカに提出。
10 杉山京都帝国大学医学部病理学教授、広島市の似島で調査。-12日。被爆者3人の病理解剖を実施。(菊池武彦「京都大学原子爆弾災害総合研究調査班の成立とその活動」)
10 「一、岡山県知事 山口県内政部長 内務省防空総本部総務局長来県」(広島県「戦災記録」)
10 「一、広島市内電車運行並運行予定 1八月八日ヨリ運転中 己斐町‐天満町間 2九月六日ヨリ運転予定 宇品‐比治山‐広島駅間 天満町‐元小網町間 3其他ノ線ハ運転迄ニ三ケ月乃至五ケ月ヲ要ス 4焼失車輌 四二軸 残存〃六○輌」(広島県「戦災記録」)
10 「一、庁員罹災状況(八月十日現在)」(広島県「戦災記録」)
10 「一、市内送電計画 1市及市付近ノ送電区域ハ高等学校以南宇品ニ至ル地区 段原比治山裏以南地区 草津己斐方面 府中方面ナリ 2市内変電所ノ被害状況 段原 宇品 江波変電所ハ健在ナルモ千田町変電所ハ破損シ使用不能 三篠変電所ハ目下調査中 3市内八目下ノ処軍官民ノ要求ニ応シ緊急方面へ送電ヲ急ギツツアリ 4資材ハ不足ヲ来シ居ルモ相当量軍ヨリ補給ノ趣ナリ 労務者ハ全滅ノ状態ナルヲ以テ近県ヨリ応援ヲ得テ居ル模様ナリ」(広島県「戦災記録」)
10 「一、救護班ノ出動配置状況ハ三十班ニ対シ医師八十三名十六ケ所ニ配置救護ニ任ズ 海軍救護班ハ東練兵場ヲ除ク他ハ引上グ 暁部隊救護班ハ引続キ救護ニ任ズ」(広島県「戦災記録」)
10 「一、広島市内乗用自動車運行状況 1広島駅-比治山-宇品間 九日ハ二輌運行十日ヨリ一輌運行 2横川‐江波町間 十日ヨリ一輌運行 3鷹野橋-観音町-己斐町間 十日ヨリ一輌運行 小修繕ニテ運行可能車輌一○輌 「参考」省営バスハ広島駅-紙屋町-宇品間 八月十日ヨリ運行」(広島県「戦災記録」)
10 「一、上水道復旧対策 広島市ノ平常一日ノ送水量ハ約八万噸ニシテ今災害ニヨリ動力室其処ノ破損ニヨリ電動機ノ修理ヲセザレバ運転不可能トナリ非常用ノ予備機関ヲ以テ全能力ヲ発揮シ今日迄四万噸ヲ送水シツツアルモ一部電動機ノ修理モ完了シ本日午後ヨリ平常通八万噸ヲ送水シ得ル見込ナリ 然シ市内各所ニ配水管及給水管ニ漏水箇所アルヲ以テ目下軍部初メ各方面ノ応援ヲ得漏水防止ニ努メ所要ノ水圧ヲ保タント全カラ注ギツツアリ」(広島県「戦災記録」)
10 「軍ヨリノ指令ニヨリ広島駅宇品間ハ最モ重要線ナル故駅ヨリ比治山廻リノ比較的被害大ナラサルモノヨリ復旧ノ予定ニシテ広島駅ヨリ己斐駅ニ至ル線ハ稲荷橋(京橋川架設)ノ破壊ノタメ之ガ復旧ニハ時日ヲ要スル見込ナリ」(広島県「戦災記録」)
10 「一、宇品警察署管内一部ニ於ケル警備隊警察部警防団連合町内会長会議 光村少将刑事課長出張シ復旧方針ニツキ懇談  内容ハ官民機構ノ自発的復興ヲ期待スルモ軍ニ於テ可及的援助ヲ図ル 食糧ニ関シ必要トアラバ米ノ立替配給モ考慮スル 被服ニツイテハ出来得ル限リ相互融通ヲ図ラレタシ 町内会ニ於テ共同湯沸場共同便所設定ヲ希望ス 交通関係ハ主要路線ノミ軍ニテ行ヒタルモ他ハ町内会ニテ復旧セラレタシ 住居関係ニツイテハ倒壊居住ノ能否等調査ノコト 」(広島県「戦災記録」)
10 「一、本日出動ノ警防団員一、二三六名ナリ」(広島県「戦災記録」)
10 「一、本日ヨリ県庁員並応援地方事務所員ノ宿舎ヲ左ノ通り定ム 東警察署 県庁幹部 警察部関係等 三篠信用組合 県庁員及応援地方事務所員等」(広島県「戦災記録」)
10 「一、食糧其他配給状況 罹災者ニ対スル給与ニ付テハ既定計画ニ基キ災害発生当日午後三時迄ニ第一回ノ配給トシテ乾麺鞄十二万食ヲ配給シタルヲ初メトシ爾来引続キ警察側ニ於テ給食継続中ニシテ其ノ状況」(広島県「戦災記録」)
10 「一、食糧其他配給状況[つづき] 而シテ非常用食糧配給要綱ニ依レバ警察ニ於テ給食スベキ日数ハ二日間ニシテ三日以後即チ八月八日以後ハ市ニ於テ配給ノ責任ヲ有シ居レルモ今次災害ニ依リ市及配給機関ハ全ク機能停止ノ状態ニ陥リタルヲ以テ引続キ警察側ニ於テ給与ヲ当リツツアリテ十一日以後ニ於テハ町内組織ノ確立地区ヨリ順次通常配給ニ復帰ノ予定ニテ目下配給所ノ設置等準備中ナリ」(広島県「戦災記録」)

原爆被害:時時刻刻(8月9日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月9日)

時刻 事 項
09 04:00頃 「9日の午前4時ごろ電話がかかってきて、ソヴィエトが日本に宣戦布告をしたことをつたえてきた。これはタス通信を受信したのです」(「長谷川才次談」)
09 08:00 「[ボックスカーなどの行動]屋久島の合流地点に到着、随伴機を待つために旋回。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 08:00 「[ボックスカーなどの行動]屋久島の合流地点に到着、随伴機を待つために旋回。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 08:00 「患者自動車ニテ市内ノ空襲被害状況視察ス。総軍軍医部長ニ申告シ爾後調査班一行部長ニ随行シ調査ス。行動順序 船司-総軍-広病跡-三滝分院-広病二-江波分院-船司。宇品偕行社別館ニ宿泊ス。山科軍医似嶋ニ先行。」(陸軍省広島災害調査班行動表)
09 08:00 「8月9日08:00在広部隊(臨時動員部隊ヲ除ク)損害状況左記ノ如シ(船舶軍医部調査) 戦死473 負傷2530 生死不明4145 民側損害状況 死者約2-3万、傷者約10万」(陸軍省広調班速報4)
09 08:20 「[ボックスカーなどの行動]B291機が視界に入り、編隊に加わる。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 08:50 「[ボックスカーなどの行動]屋久島を出発、2機目のB29との合流に失敗したまま、第一目標の小倉に向かう。ラジオで受信した気象報告では、小倉の天候は良好。長崎の気象報告は良好、しかし、雲が増加するとの予想。このため、第一目標を選定。(低空に3/10の雲、中空又は上空には雲無し、状況は良くなりつつあるとの予想)。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)”
09 09:44 「[ボックスカーなどの行動]第一地点に到着、目標への投下飛行を開始。目標は、地上のもやと煙で霞む。近くで偵察していれば、目標を捕捉できるかもしれないと期待しながら、2度投下飛行を実施。目標地点は、見ることができず。目標地域で約45分を費やした後、長崎に向かうことに決定。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)”
09 10:50 「[ボックスカーなどの行動]長崎の目標地域に到着。目標への接近は、すべてレーダーで行った。20秒間の目視による投下飛行の後、11時50分、爆弾を投下。爆弾は、あらゆる観点から見て、正常に機能した。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 11:00 「午前11時より最高戦争指導会議構成員の会合を開催した。」(「東郷外相口述筆記」)
09 11:02 11時 2分,長崎市に原子(プルトニウム)爆弾投下さる.
09 11:02? 長崎県知事「防空情報第1報」(「長崎原爆戦災誌」5)
09 11:02? 米戦略爆撃機ボックス・カー、プルトニウム爆弾(ファットマン)を長崎に投下。
09 11:05 「[ボックスカーなどの行動]煙の柱を旋回した後、沖縄に向け出発。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 12:00 「8月9日正午現在広島市ニ在ル衛生機関ハ左ノ如シ」(陸軍省広調班速報)
09 12:00 「患者取容の状況は、本日十二時迄に於て西地区二一三○、中央地区二○一○で、このほかに治療を受けて帰ったもの約四、○○○名に上り、また、主なる個所に更に救護所を増設するのみならず、自ら救護所に行けぬ重患者に対する処療に遺憾なからしめるよう努めることとし、為之、救護班を細分して、時に巡回救護班を励行し、小なる道路内を行動して救護に手落ちなからしめ、また、河の中其他の死体処理を迅速ならしむることとした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 12:51 「[ボックスカーなどの行動]沖縄のヨンタン飛行場に着陸。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 13:00? 長崎県知事「防空情報第2報」(「長崎原爆戦災誌」5)
09 14:00 「一、本日十四時ヨリ第二総軍戦闘指揮所ニテ会合実施セラルルニツキ左記諸官参集相成度中国地方総監府副総監 広島県知事 右第二参謀副長ヨリ伝達アリタリ」(広島県「戦災記録」)
09 14:00?a 「一、第二総軍ニ於ケル会議ノ状況次ノ通リ 1食糧配給ハ概ネ順調ニ行ハレツツアリ 将来普通配給ニ順次移行セラレタシ 之ガ為残存町内会長部落会長ノ整備ヲ早急ニナスノ要アリ 2道路啓開主要幹線ハ完了セルモ其ノ次ニ必要ナル道路ノ啓開ノ要アル〔ヲ〕以テ之ガ計画ヲ樹テルコト 3屍体処理囚人ノ動員等当分継続シ区域ヲ定メテ河ノ中 細カナ路線ノ奥等ノ残レル者ヲ処理スルノ要アリ 」(広島県「戦災記録」)
09 14:00?b 「4救護 負傷者ニシテ分散数名宛点々ト居ルモノヲ治療スルタメ移動班ヲ設ケルコト(警察署二対シ調査応援ノタメ応援地方事務所員ノー部ヲ派遣スルコト) 給水関係ニ就テハ漏水ヲ止メル必要アリ 5民心ノ動向 警察情報ヲ通ジ民心動向ノ把握ニ努メルコト」(広島県「戦災記録」)
09 14:30 「ソ連の参戦通告により8月9日正午より臨時閣議が開かれる予定であったが、最高戦争指導会議構成員会議の論議が長かったのでやうやく14時半に開会」(下村海南著「終戦記」)
09 15:00? 長崎県知事「防空情報第3報」(「長崎原爆戦災誌」5)
09 16:00 「前記要望[広島市災害救護対策]ニ基キ現地部隊ハ直ニ別紙第二[広島市救護計画]ノ如キ具体策ヲ樹立シ9日16時之ニ関スル船舶司令官命令ヲ関係各部隊ニ下達セリ」(陸軍省広調班速報4)
09 16:06 「[ボックスカーなどの行動]テニアンに向け沖縄を出発。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 17:00 「一、本日十七時ヨリ市役所ニ於テ船舶司令部連絡会議開催 出席者 農務課長 刑事課長 衛生課長」(広島県「戦災記録」)
09 17:00? 「軍・官に於ける対策主任者の会同は本日も実施し、情報の交換を行なって現況を説明し、促進を図ることとした。此の日の主な申合せ事項は、次の通りであった。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 17:00?a 「1、会同には責任者が出席し、総て即決実行を期することに努める。  2、小豆島より醤油約三五○t、四国よりイリコ約一○○tを輸送する。 3、駅に案内所を設ける。 4、報道を整備し、報道の一元化を図る。 5、「トラック」三○両を統制使用する。 6、需品廠の板・木材を使用する。 7、各救援隊の援助状況及び実績を記録する。 8、処置した事項の大要は、総軍に筆記報告提出する。 」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 17:00?b 「9、各地区に於ける救護警備の部隊は、戦闘要報の如き様式で報告する。 10、船舶司令部経理部長は車輌の蒐集方につき適宜手配する。 11、船舶司令部軍医部長は、患者収容治療の為、野戦病院設置につき即急に研究手配する。 12、主要交通路の啓開は概成せられたが、その他の交通路も速やかに啓開するようにする。一般に市の南部地区に対し、一層、促進を期する。 」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 17:00?c 「13、水道は主機械の破損はないので早く給水し得る加く、軍に於て援助し漏水を速やかに防止する。 14、中国軍管区・中国地方総監府・県・市・海運局・文理大・新聞社にて、罹災者に救恤品を発送する。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 18:00? 長崎県知事「防空情報第4報」(「長崎原爆戦災誌」5)
09 18:30 「16時半再開[臨時閣議]」(下村海南著「終戦記」)
09 20:00? 長崎県知事「空襲被害状況第5報」(「長崎原爆戦災誌」5)
09 20:30 山岡静三郎海軍薬剤少佐(第二海軍療品廠)を団長とする大阪調査団、大阪駅を出発。同行、山田正明軍医少佐(大阪警備府衛生部)、桑田岩雄軍医中尉(大阪海軍病院)、中田左都男(海軍報道部員、同盟通信社)、浅田大阪大教授、尾崎誠之助(大学院学生)、荷物運搬用海軍兵員10名(「浅田常三郎メモ」)
09 21:45 「[ボックスカーなどの行動]テニアンに着陸。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
09 22:00 「(閣議は採決することなく)夜10時総理と同道参内し同時に拝謁仰せ付けられ委曲を奏上した」(「東郷外相口述筆記」)
09 23:30 「御前会議は、8月9日午後11時30分(実際は約20分遅れた)より宮中防空壕内の一室において親臨を仰ぐ最高戦争指導会議が開かれたのである。・・・翌8月10日の午前2時をすぎた。・・・聖断は下った」(迫水久常手記「降伏時の真相」)
09 25a 「一、官公衙事務所 総軍司令部 双葉山中腹 船舶司令部 市役所横 中国軍司令部 大本営跡 地区司令部(元) 総監府 文理大 鉄道局 広島駅東客車内 逓信局白島(元) 財務局 日銀支店 専売局(元) 憲兵司令部 猫屋町光道学校 市役所(元) 食糧事務所(元) 営林署 安佐郡長束村 海運局 福屋 控訴院 地方裁判所址 地方裁判所 同 軍需監理局 地御前村旭兵器」(広島県「戦災記録」)
09 25b 「<一、官公衙事務所>放送局 安佐郡原村 郵便局 千田町貯金局内 燃料局古田町古江五一○ 西部地方鉱山局広島支局 安佐郡深川村 農商省広島木炭事務所 中島本町五三(元事務所焼跡) 中国石炭配給統制株式会社 草津町古田町高田津脇勘市氏宅」(広島県「戦災記録」)
09 r <調査報告書>陸軍省広島災害調査班「広調班速報第4号」
09 「至急東京へ帰るべく決心したわたしは、同夜おそく仁科博士一行の世話役をしていた新妻中佐と連絡して、明日以降の合同調査研究には出席出来ぬからと万事仁科博士に纏めてもらうよう依頼した」(「有末機関長の手記」)
09 「此の日収容した屍体の概数は、白島方面約一、七○○、中央地区方面約三六五○、西地区約八四○、計約六一九○で、その中約八割は、八月九日夜、火葬終了したが、河の中の死体収容は未了であった。 尚、氏名不明のものに対しては、遺骨と所与品を添えて標示陳列し、死体捜索者に便宜を与えることとした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 諌早市、被災直後の長崎市に炊出し(13日までに20万食)。
09 国際赤十字委員会マルセル・ジュノー、満州国の首府新京(現在の長春=吉林省の省都)を出発、夜、羽田飛行場に到着(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
09 「仁科博士一行と共に、まず予想した爆心地での実地調査に着手した」、「一行は、原爆投下の実際を観測したと思われる向宇品」の独立高射砲第22大隊本部へ向った」「少佐の説明の中に、ピカッと光ってドーンという爆発音、いわゆるピカドンという名文句があった。」(「有末機関長の手記」)
09 「舶船司令部-総軍司令部間、中国軍管区-市役所-中地区間は、この日野戦建築一中隊で架設し、兎に角、有線電話は開通し、また、放送は地区毎(?)にて実行するに至った。 非常用受信機(岡山のもの) 観音町の予備は異常なし」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「電線二○万米(各種類)は鉄道輸送により逐次到着し、また電話工事の為九米電柱約三○○本を兵器補給廠より補給を受けた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「敵の宣伝ビラを拾ふ。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
09 「此の夜、駅の電灯工事概了し、三日振りに点灯するに至った。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「内務省防空総本部鳥居技師宮崎総務課長来県事情聴取」(広島県「戦災記録」)
09 「8月9日信令第610号ニ依リ救護隊ノ任務ヲ解カレ各救護隊ハ最寄救護隊ニ引継ヲ了シ夫々原隊ニ復帰シ」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
09 「一、広島市内乗用自動車運行状況 1広島駅-比治山-宇品間 九日ハ二輌運行」(広島県「戦災記録」10日の項)
09 「各地区に対し、陸上勤務中隊一○二、水上勤務中隊五○、建築勤務中隊一二○、総軍第一大隊九三○、総軍第二大隊五八五、独立工兵隊五九六、計二、三八三名を救援部隊として増強し、また、警防団四○名を中地区に増加した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「この頃になると火災は概ね鎮火し、主要交通の啓開も一応出来るようになったが、患者の収容並びに屍体の処理は尚少なくなからず残されて居た。電話は一部開通し、放送も実行し得るに至った。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「船舶司令官は総軍司令官に対し、次のように意見具申した。 1、自動車を至急増加配属され度いこと。 2、工兵部隊を増強され度いこと。 3、医薬物品等を増加交付されたいこと。 4、運搬具を増加送付され度いこと。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「一、午後地区司令官富士井少将来庁 小谷少将以下六十四人死亡」(広島県「戦災記録」)
09 「一、本日出頭ノ地方事務所員配置状況次ノ如シ 本部七名 内女二名 内政課三名 農務課六名 食糧課六名 援護課一○名 衛生課一○名特高課五名 市役所三名 林務課五名 総監府二名 計五七名」(広島県「戦災記録」)
09 「一、県庁員 関係団体員 応援地方事務所員ノ出県簿備付ト同時ニ死亡者健康者負傷者調査」(広島県「戦災記録」)
09 広島駅宇品間の臨時乗合自動車、運転開始。
09 「一、福山市戦災対策協議ノタメ経保課渡辺警部水産課古河技手食糧課小山属ヲ派遣ス」(広島県「戦災記録」)
09 「レントゲン教官ヲ至急派遣セラレ度」(陸軍省広調班速報4電報)
09 「一、呉警察署長ヨリ「ソ連ト交戦状態ニアル旨呉鎮長官ヨリ通報アリタル」報告アリ」(広島県「戦災記録」)
09 「一、警察電話一部復旧セルモ本日三原線上下線廿日市線開通シ県下各警察署ニ対シ連絡可能トナル」(広島県「戦災記録」)
09 「一、県庁職員及其家族ノ合宿所ハ五日市町産報道場ニ決定」(広島県「戦災記録」)
09 「此の日、ソ聯参戦の報に接したが、第二総軍司令官は隷下将兵に次の要旨の訓示を行なった。 国際情勢の変転に際し人心を安定せしめること。 ソ聯と交戦状態に入ることとなったが、この事は、予て予期して居た事であるので、特別に方針に変化はない。神州不滅に向って断乎毅然として実行が必要であること。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
09 「一、小豆島ヨリ醤油千石運搬ノタメ三百五十噸ノ配船ヲ得テ運搬スベク三原属担任出発ノ予定 イリコ一万貫ヲ愛媛県ヨリ百噸ノ配船ヲ得テ運搬スベク田坂技手担任出発ノ予定」(広島県「戦災記録」)

 

 

 

原爆被害:時時刻刻(8月8日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月8日)

時刻 事 項
08 05:30 「本早朝(五時三○分)救護並びに治安維持の為の戦闘司令所を市庁舎南側に推進すると共に、所要の兵力を警備地区隊に増加して処理を敏活ならしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
08 06:00 「船舶衛生部教育隊長を野戦船舶本廠長の指揮に入れ、西地区の救護に任せしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
08 06:37 「船舶工兵第六聯隊補充隊を西地区警備隊長の指揮に入らしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
08 07:00 「7時所沢陸病出発 第10飛行隊本部到着」(陸軍省広調班速報2)
08 07:00 「船舶通信補充隊三原分屯隊の主力(将校以下五九七名)を東地区警備隊長の指揮に入らしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
08 07:過 「8日早暁7時過ぎ飛行場に行き、故李[金禺]公殿下無言の京城ご帰還をお見送りした後、とりあえず自動車で広島北方の双葉山にある第二総軍の司令部へ向った」(「有末機関長の手記」)
08 07? 「八日早朝、御遺骸を朝鮮に御送りする直前、御付武官吉成弘中佐は、似島の宿舎で自刃し壮烈な最後を遂げた。蓋し、六日朝、所用の為、殿下に御随行出来なかった責任を痛感したが故であって、その誠実に対し、人々は深く感激する処があった」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
08 09:00 「一、本日午前九時山県、高田、賀茂、豊田、双三、比婆各地方事務所長出県セリ」(広島県「戦災記録」)
08 09:00 「一、本日午前九時地区司令官国民義勇隊自動車隊ヲ出動セシメテ負傷者ノ救助ニ当ラシム」(広島県「戦災記録」)
08 09:00 「配属憲兵を各地区に配属して秩序の維持を強化した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
08 09:30 「<調査隊>0930-1430 大本営海軍部調査団」(呉鎮守府「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)」)
08 0朝 「宮中地下室に於て拝謁、原子爆弾に関する敵側発表並びにこれに関連する事項を詳細に亘り上奏」(「東郷外相口述筆記」)
08 0朝 「陛下よりこの種武器が使用せらるる以上戦争継続は愈々不可能になれるにより、有利なる条件を得んがために、戦争終結の時期を逸するは不可なり、条件を相談するも纏らざるに非ざるが、成るべく速かに戦争の終末を見るよう努力せよとの御沙汰」(「東郷外相口述筆記」)
08 10:00 「一、午前十時県主催陸海軍関係者ノ衛生救護会議」(広島県「戦災記録」)
08 10:00 「東京第二造兵廠忠海製作所の軍医大尉以下一二名の救護班を日赤(病院)に位置し救護に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
08 10:00? 「県庁ニ於ケル衛生関係者打合セ会ニ於テ細部協定ヲ行フ」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
08 14:00 「午後2時から国務司令室の陸海軍大臣室に会合が開かれ、席上軍部と学者との原子爆弾に関するこれまでの研究が披露された」(下村海南著「終戦記」)
08 14:30 「病院船衛生第五十六班の救護班(軍医以下一四名)を似島船舶衛生隊長の指揮に入れた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
08 15:00 「輸送機ニテ所沢離陸。途中大阪ニテ燃料補給ノ後1800広島飛行場着陸」(陸軍省広島災害調査班行動表)
08 15:00 「一、船舶司令官午後三時県庁ニ来リ知事ト懇談」(広島県「戦災記録」)
08 15:30 「日本政府は・・・広島の爆弾を新型の特殊爆弾と発表した」(林三郎著「太平洋戦争陸戦概史」)
08 16:00 「特設船舶工兵第五十二聯隊を中地区警備隊に増加した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
08 16:00 「一、広島鉄道局長ヨリ左ノ如キ連絡アリ「閣下ノ絶大ナル御支援ニヨリ被害中ノ山陽本線広島横川間ハ本八日十六○○複線開通セリ」」(広島県「戦災記録」)
08 16:20 「一、午後四時二十分総軍連絡会議ノタメ比治山神社ニ知事内政課長衛生課長農務課長刑事課長出席船舶司令官以下各警備地区司令官輸送統制部鉄道局裁判所総監府市役所等軍官代表者集合「戦災復旧対策要項」ヲ中心ニ懇談」(広島県「戦災記録」)
08 16:20? 「尚、此の日午後、軍・県・市・其他の各機関を比治山西北麓大幡神社境内に集め、戦災処理の協議を行なった。社殿は焼失せられ、付近一帯は焼野原であったが、参道を中心として烈日の下、会議を開いたのであった。集合者は、軍関係者の外、県知事・市側・鉄道・逓信・海運局等、関係者約三、四○名位であった。船舶司令部側からは司令部主脳者・各地区警備司令官が集った。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
08 17:20 「一、総軍畑元帥午後五時二十分頃来庁警察部長ト懇談 懇談内容 屍体収容ヲ早クヤレ 流言ハ如何 給与状況如何 今回ノ爆弾ニツイテハ調査中ナルモ余リタイシタモノデハナイ等ニツキ警察部長ト懇談」(広島県「戦災記録」)
08 17:40 「一、中国軍需監理局長官午後五時四十分頃来庁警察部長ト懇談」(広島県「戦災記録」)
08 18:00 「1800広島飛行場着陸。直チニ船舶軍医部ニ至リ高級部員小坂少佐ト連絡シ業務ヲ開始ス。総軍高級部員等ヲ招致シ軍民患者ノ収療ニ関シ協力ニ指導ス。深更迄調査研究ス警報頻々タリ。宇品船司ニ宿泊。」(陸軍省広島災害調査班行動表)
08 18:30 「調査班ハ18:30広島ニ到着 業務ヲ開始ス」(陸軍省広調班速報3)
08 18:30? 「夕刻帰宿したところ、宿舎の前でちょうど東京から到着したばかりの仁科博士一行に出会い、明日からの調査研究の計画、段取りなどを打ち合わせた」(「有末機関長の手記」)
08 20:00 「<研究会>0930-1430 大本営海軍部調査団」(呉鎮守府「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)」)
08 21:58 「21時58分ハワイ放送によれば、人類発見の最大爆弾、原子爆弾とソ連政府の声明を併せて日本の考慮を望む旨を説き、原子爆弾はB29二千機に相当するものにして広島の実例にかんがみ、日本国民は平和克復につき陛下に請願せよ、ポツダム宣言の条件により新しき日本を建設すべきであり、われ等の申入れを受諾して戦争行為を中止し、全土の破壊を逃るることが賢明であると述べている」(下村海南著「終戦記」)
08 25? 「広島災害調査班ハ8日夜前記一般状況ノ承知シタル後ニ事後ノ救護処置ヲ促進セシムル為総軍船舶司令部県市各衛生担当者ノ参集ヲ求メ別紙第一[広島市災害救護対策]ニ基キ速カニ具体策ヲ樹立ノ上之ガ実行ノ促進ヲ要望セリ」(陸軍省広調班速報4)
08 r <調査報告書>陸軍省広島災害調査班「広調班速報第3号」
08 r <調査報告書>呉鎮守府司令部「8月6日広島市空襲被害状況調査報告概要」
08 r <調査報告書>陸軍船舶練習部「八月六日早朝ニ於ケル広島爆撃ニ関スル資料」
08 「総軍軍医部長並ニ高級部員出張中ニシテ8日漸ク帰隊ス」(陸軍省広調班速報4)
08 「一、広島市内電車運行並運行予定 1八月八日ヨリ運転中 己斐町‐天満町間」(広島県「戦災記録」10日の項)
08 「一、総監府ヨリ要望アリ 左記ノモノ応援ニ総監府ヘ出動」(広島県「戦災記録」)
08 吉川清の父、可部町・昌窮寺で死亡。
08 「一、市役所ニテ船舶司令部主催会議 加藤警部出席セルモ主催者来ラズ己ムヲ得ズ帰庁ス」(広島県「戦災記録」)
08 「一、応援警察官配置状況(七日 八日)左ノ如シ 横川小区一一 舟入七 袋町一四 本川小区四 観音四 天満八 広瀬小区三 中島四 大手七 神崎九 福島五」(広島県「戦災記録」)
08 「応援警防団配置<七日 八日> 大手二一五 西部小区七四 中島一五一 神崎一二九 福島一六七 天満四三 本川一九五 袋町一七九 大芝一二 観音二五 横川二八三」(広島県「戦災記録」)
08 「一、防空総本部書記官総務局総務課長宮崎太一外五名来広総監府総軍トノ連絡ノ後県庁ニテ知事ト懇談ス」(広島県「戦災記録」)
08 「一、官房主幹庶務課長死亡確認ノ連絡アリ」(広島県「戦災記録」)
08 「一、救護活動ニ関シテハ前日ニ引続キ実施ス」(広島県「戦災記録」)
08 「一、戦災復旧対策要項ニツキ八月八日付船舶司令部ヨリ発セラレタリ 其ノ内容次ノ通リ」(広島県「戦災記録」10日の項)
08 広島市保健課吏員、全市にわたり死没者の火葬にあたる。
08 「一、総監府 第二総軍 市役所ノ警察電話ヲ長官室ニ開設ス」(広島県「戦災記録」)
08 「夜間忠海上空を飛来の敵機の爆音強く町民の戦々怯々たるを見る。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
08 「一、双三地方事務所員応援者中総監府へ出動以外ノ者ハ官房付三名衛生課付二名他ハ罹災証明書発行」(広島県「戦災記録」)
08 「賀茂地方事務所長 福山地方事務所次長来庁」(広島県「戦災記録」)
08 「当日市内救護所ニ於ケル薬品資材ハ全部焼失セルラ以テ廿日市 西条 瀬野八木及市内比治山貯蔵所ニ備蓄セル薬品ヲ逐次搬送使用中(其数約二万人分)」(広島県「戦災記録」)
08 「患者ハ重傷者 安佐郡 安芸郡 佐伯郡各沿道国民学校ニ搬送地元救護所員ヲ以テ手配中(約三千人)」(広島県「戦災記録」)
08 「一、屍体処理ハ前日ノ計画通施行 僧侶安佐郡ヨリ四人 安芸郡四人 佐伯郡六人来庁セリ」(広島県「戦災記録」)
08 「八日島根県救護班医師三名歯科医師一名看護婦四名保健婦六名応援ノ為来庁」(広島県「戦災記録」)
08 「同日信令第602号ニ依リ岩病派遣救護隊2隊指揮下ニ入ル」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
08 「一、安佐地方事務所長宮庄勇行方不明ニツキ総務課長代理セシム」(広島県「戦災記録」)
08 「一、佐伯地方事務所長並次長行方不明ニツキ学務課長代理(セシム)方指示」(広島県「戦災記録」)
08 「一、船舶司令部県庁市役所ノ連絡臨時電話開通」(広島県「戦災記録」)
08 「市内宇品町船舶輸送司令部ニ収容セルモノ一万余名」(広島県「戦災記録」)

 

 

原爆被害:時時刻刻(1945年8月7日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月7日)

時刻 事 項
07 0 「7日早暁、部長会議が招集され、とりあえず至急わたしが調査のため現地に向うことになった」(「有末機関長の手記」)
07 00:25 「船舶工兵第六聯隊補充隊・特設工兵第五二聯隊・船舶通信聯隊三原分屯隊の主力(衛生部は全員)を宇品に前進せしめ、直轄とした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 01:30頃 「7日午前1時半頃に私の部屋に電話がかかってきた。川越に受信所を疎開して、アメリカ、イギリスの放送を全部キャッチしていたのですが、その電話でトルーマン大統領が原子爆弾で広島を攻撃したと発表し、アトリー・イギリス首相もおなじことをいっていたと知らせてきたのです。」(長谷川才次談「崩壊の前夜」)
07 03:過ぎ 「[李[金禺]公殿下の容体]似島御到着後も元気であられたが、七日三時過ぎ、御容体急変して薨去せられた。爆発点の直下を乗馬行進中であられたので、腸に強い衝撃を受けられたのは事実で、然も同時に原子的交感を受けられたものと拝察された。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 06:00 「午前六時県庁ヲ東警察二移設ス」(広島県「戦災記録」)
07 07:00 「未収容の患者を速やかに応急手当する為、教育船舶兵団長・船舶練習部長・船舶砲兵団長及び野戦船舶本廠長をして、現在収容しある患者の治療を一時停止し、第一線に進出し、物療の普及に勉めしめ、また、船舶衛生隊長に対しても、現収容患者の治療を一時中止し、救護班三ケを船舶練習部長の指揮に入らしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 08:00 「一、本日午前八時日本銀行広島支店及芸備銀行ニ対シ会計課長ヲ出頭セシメ速ニ金融対策ヲ講ズル様指示ス」(広島県「戦災記録」)
07 08:00 「船舶倉庫長をして向宇品に患者用衛生材料(主として火傷)二単位を集積し補給せしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 10:00 「八日(七日)午前十時ヨリ防空本部ニ於テ戦災後ノ救護ニ関シ協議会ヲ開催」(広島県「戦災記録」8月8日の項)
07 10:00 「午前十時総軍司令部二於テ在広陸海軍、官衙長会議開催。正午終了 知事農務課長出席。」(広島県「戦災記録」)
07 10:00? 「7日午前第二総軍主催陸海軍各官衙等ノ総打合セ会ニ於テ東練兵場、牛田、己斐、横川ノ4ケ所ニ海軍救護所ヲ設置シ更ニ土橋方面ニ移動隊ヲ派出シ前記地区内ノ救護ニ任ズル旨決定ス」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
07 10:20 「市の水道及び電灯復旧工事作業に対し、兵力を出し援助した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 10:30 「<調査隊>1030-1600 呉鎮調査隊11ケ班」(呉鎮守府「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)」)
07 12:00 「[宮内大臣室における定例会食の席上]昨朝、広島市に対し原子爆弾を米国は使用、被害甚大、死傷13万余との報告を受く」(「木戸日記」)
07 12:00a 「<在広陸海軍官衙長会議決定事項>1 今回ノ空襲ニヨリ(ハ)指揮系統ヲ(ノ)破壊セラレタルヲ以テ(ヲ企図セリ因ッテ)総軍ガ臨時指揮シ応急措置ヲ講ズルコトトス 各官庁ハ事務所ヲ決定スルコト 2 連絡員派遣 各官公署ハ総軍へ連絡員ヲ派遣スルコト 本日ハ特ニ十八時ニ比治山神社へ派遣ノコト 3 救護措置 テントヲ五○配布スルカラ適当二配分利用ノコト 救護所食糧配給所ノ位置ヲ示ス」(広島県「戦災記録」)
07 12:00b 「<在広陸海軍官衙長会議決定事項>4 屍体収容ハ出来ルダケ迅速ニ行フコト 輸送困難ニツキ現地デ焼クカ埋葬等ニ付スルコト 右ノ中比治山八丁堀紙屋町付近市役所土橋水主町付近ハ刑務所ノ囚人四○○名ヲ出動応援スルコト 郡部ヨリ僧侶(神官)ヲ集メ読経セシム」(広島県「戦災記録」)
07 13:30 「1時半より2時5分迄、御文庫にて拝謁、時局収拾につき御宸念あり、種々御下問ありたり」(「木戸日記」)
07 14:00 「島田中佐以下陸軍省ニ出頭指示ヲ受ク」(陸軍省広島災害調査班行動表)
07 14:00 「広警船作命第一号 八月七日一四、○○ 広島警備命令」(広島県「戦災記録」)
07 14:00 「一、午後二時県本部二於テ部長会議開催 イ、食糧其他ノ物資配給計画決定 ロ、屍体処理ニツキ刑務所ノ囚人四○○名ヲ使用スルコトト決定 僧侶ヲ動員シテ死者ニ対シ懇ロニ読経セシムルコトトシ安佐郡安芸郡佐伯郡内僧侶十数名八日午前八時迄ニ弁当持参集合セシム(ルコト)」(広島県「戦災記録」)
07 14:00 「わたしは同博士[仁科芳雄]のほか陸軍省軍事課の主任課員の新妻清一中佐などエキスパート10名と共に午後2時立川飛行場に集った」(「有末機関長の手記」)
07 14:00過 「仁科博士以下全員難を避けて明日出発することにきめたが、わたしは山田[耕作]副官と2人だけ予定通り2時過ぎ離陸、広島へ向った」(「有末機関長の手記」)
07 15:00 「井の口に在る陸上勤務第二百中隊の長以下、約百名を船舶練習部長に増加した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 16:00 「調査班ノ編成ヲナシ出発準備ヲナス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
07 17:00 「市内警防伝達用として揮発油一○○缶を広島市に交付した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 17:30過 「午後5時半過ぎ広島上空に着いた。・・・飛行機は大きく旋回して海岸の吉島飛行場に着陸した」「宇品から回送出迎えてくれた小蒸気で急ぎ宇品の運輸部(船舶司令部)へ向った」「船舶参謀長馬場英夫少将の詳細にわたる報告を受けた」(「有末機関長の手記」)
07 18:00 「<研究会>1800-2230 呉鎮調査隊」(呉鎮守府「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)」)
07 18:00 「一、午後六時船舶司令部ニ於テ罹災対策協議ノ為係員派遣決定事項等左ノ通 広警船作命第一号 八月七日一四、○○ 広警船作命第一号二基ク参謀長指示」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 19:00 「陸医校出発」(陸軍省広島災害調査班行動表)
07 21:00 「広島災害調査班ハ7日21・00所沢陸病ニ集合ノ上一応編成ヲ完了セリ」(陸軍省広調班速報1)
07 21:00 「所沢陸病ニ集結編成完了ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
07 21:過 「[電文案]その要旨は、威力強大な特殊爆弾であり、爆風のほか特に閃光に曝される時の熱風による被害は大きく、想像に絶するにかんがみ、これが対策として、1.まず遮蔽物に身をかくすことの必要、2.身体の露出を避け、特に白色の着衣を推せんする。黒色はなるべく避ける。この2点に絞り、特に第2旦が東京か京都に落とされるというルーマーがあることを付け加えた」(「有末機関長の手記」)
07 21:過 「午後9時過ぎ、1頁の通信紙に書いた数行の電文案を持って。山田[耕作]副官は船舶司令部内の通信所へ行き、暗号に換えず生のままで発電を依頼した。・・・しかし、この報告は翌8日昼過ぎにおくれて到着したことを後で知った」(「有末機関長の手記」)
07 25 「八月七日応援救護班到着セルモノ 岡山県五班(一班概ネ医師三名歯科医師一名薬剤師一名看護婦五名)」(広島県「戦災記録」8月8日の項)
07 r <調査報告書>陸軍省広島災害調査班「広調班速報第1号」、「第2号」
07 r <調査報告書>[呉海軍工廠]電気実験部長「敵新型爆弾調査ニ関スル意見ノ件具申」
07 午後 「7日午後右原子爆弾につき関係閣僚の協議が行われたが陸軍側は成るべくその効果を軽視せむとする気持が表われていた」(「東郷外相口述筆記」)
07 「左ノ布告文ヲ六十枚宛各所二配布掲示セリ イ知事論告 ロ救護所布告」(広島県「戦災記録」)
07 「一、宣伝啓発ニツキ未曽有ノ空爆ナルタメ流言蜚語ニ留意シ戦意ノ昂揚復興敢闘ノ精神ヲ振作スルヲ要ス 其為表現法ヲ考慮シ蛸壷又ハ壕ニアリタルモノハ被害ナキヲ参酌シ宣伝啓発ヲナスコト」(広島県「戦災記録」)
07 相川勝六厚生大臣、加藤英市医務課技師など3名に広島の調査を命令。10-14日(「平和の勇者」)。
07 「一、昨夜手配、可部署ヲ通シ加計、吉田、三次、庄原、上下、海日市署ヲ通シ呉、広、忠海、西条各署ニ命ジタル応援警察官各署半数、救護班、道路警戒用警防団、食糧ノ集結ヲ命シタルモノ逐次到着シタルニヨリ夫々部署二着カシメタリ」(広島県「戦災記録」)
07 「<八月七日応援救護班到着セルモノ>県下救護班 竹原、木ノ江、河内、油木、三原、府中、庄原、忠海、尾道、上下、西条、吉田、三次、廿日市、加計、甲山各警察署管内医師九九名外歯科医師薬剤師看護婦ヲ以テ三十三班ヲ組織ス 配置場所 江波国民学校 被服廠 西警察署 日本製鋼所 東練兵場 泉邸 府中国民学校 比治山 東警察署 県庁 市役所 住吉橋 中山ノ十三ケ所ニ救護所ヲ開設ス」(広島県「戦災記録」8月8日の項)
07 「一、八月七日付広島警備担任司令官船舶司令官次ノ通布告文ヲ発ス 広島市民ニ告グ」(広島県「戦災記録」10日の項)
07 「広島市空襲被害状況一報は一報に次いで悲惨なり。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
07 「8月7日総軍司令官は独断広島近郊の総軍隷指揮下外部隊及地方側機関を指揮し戦災者の救護、戦災地の整理復旧並広島周辺の治安等に関し一時指揮すべき命令を下達(実行動は6日直ちに採れり)し、船舶司令官をして之が実行を担任せしめたり。」(『本土作戦記録・第二総軍』)
07 「一、経済第一部長中心ニ農務課長地方事務所員等協議 食糧配給対策」(広島県「戦災記録」)
07 広島市、衣服全焼者に衣料給与。
07 「一、土木部ハ可部署ヲ通シ、近辺土木出張所二対シ応援ノ為メトラックニテ集結方連絡ス」(広島県「戦災記録」)
07 「一、市ニ対シ市長行方不明ノ間、第一助役指揮ノモト要(用)務遂行方並ニ県庁宛連絡連絡員一名派遣方指示 医療救護ニツキ県市一体(帯)活動ニツキ連絡」(広島県「戦災記録」)
07 吉川清、可部警察署の診療所で治療。勝円寺に収容される。正午ごろから意識混濁。
07 「一、経済第一部長、同第二部長(負傷)-登庁」(広島県「戦災記録」)
07 「一、広島市長死亡確実ノ旨森下助役ヨリ連絡アリ」(広島県「戦災記録」)
07 「一、広島鉄道局ヨリ連絡報告セル事項左ノ如シ 輸送状況ニ関シ山陽本線ハ海田市広島間八本日中ニ復旧開通ノ見込 広島横川間ハ明日中ニ開通ノ見込 宇品線ハ大須口宇品間ノ輸送ヲ強化シ一時間毎ニ運行ス 復旧状況ハ軍部ノ強カナル応援ニヨリ着々進捗セリ 災害状況ハ人ニハ相当多数ノ死傷アルモ物的資源ニツキテハ被害比較的少ク輸送復旧ニ好都合ナリ 駅本部ハ構内第二機関区ノ客車車内ニ在リ」(広島県「戦災記録」)
07 「一、新聞 温品中国新聞疎開先設備ニツキ至急配電印刷ノ予定ナルモ差当リ大阪ヨリ拾万部、門司ヨリ拾五万部、松江ヨリ壱万弐千部配布方連絡シ明八日ヨリ入荷ノ予定」(広島県「戦災記録」)

 
原爆被害:時時

原爆被害:時時刻刻(6日被爆から夜半まで)

原爆被害:時時刻刻
1945年8月6日被爆から夜半まで

時刻 事 項
06 08:15 「[エノラゲイなどの行動]15分1/2 爆弾を投下(予定投下時刻は8時15分)。閃光に平手打のような衝撃が2波続く。巨大な雲。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
06 08:15? 「警戒警報解除直後(発令中)午前八時十五分頃敵機投下強力爆弾ノ為全市内家屋倒壊火傷患者続出並二火災発生、県庁亦倒壊シ庁員概ネ負傷又ハ死亡」(広島県「戦災記録」)
06 08:15? 「そのうちに火傷した患者が構内に、陸続と押しかけて来たので凱旋館屋内に収容し、船舶軍医部が総がかりで応急手当をした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:15? 「八月六日原爆直後、爆発の状況は全く不明であった。市内中心部の上空には入道雲が折り重なって天に沖し、実に悲惨な痛ましい状況を呈した。総軍・中国軍管区司令部・県庁・市役所に連絡した処、通信不通で状況が不明であったが、市内に火災が起ったことは現実に認められた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:15? 「県庁非常疎開先タル市役所、本川国民学校、福屋、商工経済会各焼失、安芸高女倒壊ノ為県庁防空本部ヲ比治山下多聞院ニ置ク」(広島県「戦災記録」)
06 08:50 「午前八時五○分取敢えず、市内の消火並びに救難に対応処置をとると共に、患者を最も安全地帯たる似島検疫所に輸送することとした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50a 「1、海上防衛隊長に命じ、消火艇を以て京橋川両岸を消火せしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50b 「2、広島船舶隊長に命じ、救難艇を以て逐次患者を似島に護送すると共に、主力を以て京橋川を溯江、救難に任ぜしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50c 「3、野戦船舶本廠長に命じ、救難隊を以て京橋川を溯江、救難に任じ、一部を以て市内の消防に当らしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50d 「4、船舶練習部長に命じ、救難隊を中央桟橋付近に出し、出発準備、一部は通信隊補充隊を救援せしめた。(註:船舶通信補充隊の特別幹部候補生部隊は、上半身裸体で体操実施中であったから、全身火傷を受け重傷のものが多発した。兵舎の破壊は船舶部隊中、最も甚だしかった。)」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50e 「5、教育船舶兵団長に命じ、一部を以て千田町特別幹部候補生通信隊の救難に任ずると共に、主力を以て破壊消防を準備させた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50f 「6、船舶砲兵団長に命じ、速やかに砲兵教導隊の一部を以て通信補充隊を救援せしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 08:50g 「7、幸の浦・江の口部隊は、待機せしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 09:10 「[エノラゲイなどの行動]高度40,000フィートと思われる雲がまだ見える。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
06 09:30 「元安川東方地区一部火災の発生の報告により、次のとおり処置した。1、海上防衛隊長に命じ、消火艇二隻を以て天安川を溯江、赤十字病院付近の消火に任ぜしめた。2、船舶練習部長に命じ、救難艇三隻を以て天安川を溯江、救難に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 09:41 「[エノラゲイなどの行動]広島から363マイル、高度26,000フィートの地点で雲が視界から消える。」(Vincent C. Jones著「マンハッタン:陸軍と原爆」)
06 10:00 「陸軍大臣・参謀総長宛、広島被爆の概況につき、電報報告をした」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 10:00 「第二総軍司令部及び其付近の被害相当大なる旨報告があったので、次の通り処置した。1、船舶衛生隊長に命じ、救護班一を第二総軍司令部に派遣救護せしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 10:00 「2、堀尾参謀を第二総軍司令部に派し、業務連絡に当らしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 10:00 「三滝分院ノ例=同日10時頃豪雨トナリ、池ノ水黒変シ、翌朝 鯉、鰻、鯰等ノ斃死セルヲ認メタリ」(陸軍省広調班速報4)
06 10:00? 「爾後、市内の状況が、逐次判明して来たので、爆撃の実体について種々研究を進めることとした。研究会の席上、誰れであったか、「米国が新しい爆弾を作って居るとの情報があったが、今度のはそれではないか」との発言があり、確定に至らなかったが、或いは然らんとの結論に一致したようであった。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 10:00? 「午前10時頃予て準備中の戦闘指揮所に移転するに及び炎々たる猛火に包もれたる全市街の被爆の様相を望見し、茲に特殊爆弾に非ずやとの疑問を懐き直ちに大本営に対し右所見を付して状況を報告せり。」(『本土作戦記録・第二総軍』)
06 10:40 「火災は京橋川西岸に延焼、死傷者続出の情報があったので、次の通り処置した。1、船舶衛生隊長に命じ、傷者の救護に任ぜしめた。2、船舶練習部長に命じ、救難班を出し、船舶衛生隊長の区処を受けしめた。3、広島船舶隊長に命じ、所要の船艇をして傷者を似島に輸送せしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 10:40b 「4、野戦船舶本廠長に命じ、速やかに百名を専売局付近に派遣、破壊消防に任じ、主力は破壊消防を準備せしめた。また、機動付艀舟四隻を元安川南大橋付近に出し救難に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 11:18 警戒警報発令(広島県知事8月21日報告)
06 11:20 「呉病ニ於テハ1120救護隊派遣準備ヲ命シ」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
06 11:30 「隷下部隊にも一一時三○分、平常業務及び教育を中止し救護に任ずる如く指示を与えた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 11:33 「似島収容所救護を強化する為、第十教育隊の百名を増加した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 12:00 「比治山北側地区の火災拡大する由、情報があったので、海上防衛隊長に命じ、消火艇の一部を以て猿猴川を溯江し、比治山北側地区の消火に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 12:03 警戒警報解除(広島県知事8月21日報告)
06 13:10 「南大橋北側元安川東岸地区の火災猶延焼中で死傷相当多数に上ったとの報告に接したので、左記部隊を以て南大橋付近に至り、破壊消防並びに救難に任ぜしめた。防空勤務中隊将校以下二五名、野戦船舶本廠将校以下一一○名、第十教育隊救護班軍医以下一○名」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 13:20 「宇品地区の水道減水し、使用不可能となった為、幸の浦より衛生濾水器一を宇品中央桟橋に輸送し、船舶防疫部長をして防疫給水に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 13:25 「呉鎮守府救援隊将校以下七三名を、鷹野橋付近に至り、救援に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 13:25 「呉病ニ於テハ1120救護隊派遣準備ヲ命シ1325信令第594号ニ依リ呉病2隊、呉廠、11空廠、呉施各1隊ノ救護隊ヲ派遣セラル」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
06 13:30 「被爆情報は、刻々その惨烈を伝うるに至ったので、船舶司令部は、電報班を除き、常務を停止し、全力を挙げて救護救難に任ずることとした」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 13:52 「福星丸及び交通船二隻を中央桟橋に差出し、似島への患者輸送を強化した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 13頃 「午後1時頃には廿日市・可部警察署よりの応援隊が来広」(「新編広島県警察史」)
06 14:00 「船舶司令部に於て、此時迄に収容した傷者は、約千三百名内外であった。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 14:55 「爾後の救難に対処する為、気象教育隊及び船舶練習部より、待機部隊を編成した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 14以降 「患者の収容護送の処置として、船舶本廠長に命じ、一四時以降患者の収容並びに似島への輸送に任ぜしめ、また、患者増加の為、似島の収容困難となったのに鑑み、船舶練習部長に命じ一五時以後、同部に患者収容の準備をなさしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 15以後 「船舶練習部長に命じ一五時以後、同部に患者収容の準備をなさしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 16:00 「野戦船舶本廠より下士官以下四六名を出し、比治山橋付近の宇品憲兵隊長の指揮下に入り、傷者の収容に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 16:40 「第十教育隊三二○名を南大橋北側元安川東岸地区の部隊に増加し、南大橋・明治橋・住吉橋、各付近の救難に任ぜしめた」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 16:50 「罹災者用衣糧として、船舶倉庫長に命じ、差当り左記を市に交付せしめた。交付に当っては己斐・宇品両方面より都心部に及ぶ如くし、分配に関しては、積極的に市側に協力することに留意せしめ、また、補助憲兵三○名を出し、廿日市憲兵隊長の指揮を受けしめる如くした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 16:50? 「[船舶倉庫長より市に交付された罹災者用衣糧]己斐方面より 乾パン3000,作業衣袴1500,蜜柑瓶詰(患者用)2000,宇品方面より 乾パン6600,作業衣袴5000,蜜柑瓶詰(患者用)5000」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 16頃 「一六時頃、李[金禺]公殿下の御所在が不明であるとのことで、その捜索を命ぜられた。暫らくしてから、李[金禺]公殿下は、相生橋付近に居られたことが判明したが、陸上の自動車交通は不可能であったので、夕刻満潮を待って発動艇で凱旋館に御迎した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17:30 「1730呉病派遣救護隊指揮官ヨリ連絡アリテ広島市ノ大部壊滅炎上中ニシテ総人口ノ80%ハ負傷セルモノノ如ク其ノ大部分ハ熱傷ニシテ1/3ハ重傷、多数ノ死者アリト y」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
06 17:30 「<調査隊>1730-2200 呉廠調査隊5名」(呉鎮守府「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)」)
06 17:30? 「依テ直ニ呉鎮ニ報告スルト共ニ信令596号ニ依ル呉病派遣救護隊2隊ヲ率ヒ広島ニ急行ス」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
06 17?A 「夕刻近く、左記要旨の総軍命令を受けたので、之に基づき、更に警備並びに戦災処理に関し、所要の処置をとることとした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17?B 「総軍命令。一、船舶司令官は、在広部隊並びに逐次広島付近に到着する陸軍部隊を併せ指揮し、速やかに戦災処理に任ずべし。戦災処置の為警備に関し在広機関を区処すべし。二、中国地方総監・広島県知事及び広島市長は、予め計画する処に従い、速やかに官民の救護給養並びに災害の復旧に任ずべし。広島近傍の警備に関し、船舶司令官の区処を受くべし」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17?C 「右、命令を受けた船舶部隊は--在広諸部隊並びに救援部隊の状況全く不明であったので--取敢えず船舶部隊のみを以て、救護警備に任ぜんとし、次の如くその担任区域を示し、戦災処理に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17?D 「[救護警備担任区域]1、教育船舶兵団長(東地区)・船舶練習部長(中地区)・野戦船舶本廠長(西地区)は、別図の如く救護警備を担任し、戦災処理に任ず。2、船舶砲兵団長は、広島の救護警備に関し、船舶兵団長の指揮を受けること。3、海上防衛隊長は、前任務を続行すること」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17?E 「[船舶司令官指示]1、救護・警備の重点は、第二総軍司令部・中国軍管区司令部・中国地方総監府・広島県庁・広島市役所・広島駅各付近及び主要交通路上の要点とする。2、先ず重点付近の傷病者難民の処置を完了する」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17?F 「[船舶司令官指示]3、次いで成る可く速やかに主要幹線交通路を啓開し交通を維持する。4、流言蜚語を防止し、民心を安定せしめる。5、救護警備は、現態勢に吻合せしめつつ着手し、現在の任務を達成した後、逐次部署を変更し、八月七日一二時迄に新配備に移行する如く努める」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 17頃 石原虎好広島県警察部長、比治山・多門院に入り、同院前に広島県防空本部の立て札を立ててはじめて罹災後の防空本部を開庁(「新編広島県警察史」)
06 18:00 「似島収容所に於ける救護の手が不足との旨、通報に接したので、船舶本廠の女子百名を増加した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 18:15? 「警察部長ハ山下多聞院県防空本部ヨリ県下各警察署ニ対シ既定計画ニ基ク食糧ノ応援警察官警防団員救護班員ノ緊急応援方ヲ命ズ」(広島県「戦災記録」)
06 18:30 「午後六時半知事(出張中)多聞院ニ到着。警察部長各其他ノ残存幹部ト協議ヲ為シ災害概況ヲ内務省ニ報告スルト共ニ県下各警察署各地方事務所二対シ指揮スルコト左ノ如シ」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?a 「内務省報告=県庁本部ヲ市内下柳町東警察署ニ七日早朝二移設スルコト。六日八時二十分頃特殊爆弾ニヨリ全市罹災死傷者数万ノ見込。各官庁公共団体庁舎殆ド全焼若クハ全壊。残存庁員ハ知事以下元気旺盛敢闘中。大塚総監戦死。」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?b 「地方事務所警察署指示事項=県庁本部ヲ市内下柳町東警察署二七日早朝ヨリ移設。六日八時二十分頃特殊爆弾ニヨリ全市罹災死傷者数万ノ見込。各官庁公共団体庁舎殆ド全焼若クハ全壌。残存庁員ハ知事以下元気旺盛敢闘中」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?c 「尾道庄原以東ヲ除ク各警察署地方事務所指示事項=イ、庁員署員ノ半数程度広島急援ノコト。ロ、警防団員ハ三日分ノ食糧急援工具携帯シ百名程度出勤ノコト。ハ、食糧(炊出シ)ハ予定計画通応援継続ノコト(以下略)」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?d 「市内ニ貼紙ヲ以テ告示=県庁本部ヲ市内下柳町東警察署ニ七日早朝ヨリ移設ス」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?e 「明七日午前十時ニ在広各官衙長並ニ各種団体長会議ヲ県本部ニ於テ開催スルコトニ決定。各官衙ノ所在不明ニツキ貼紙等ヲ利用スルコトトス」(広島県「戦災記録」)
06 18:30?f 「内務省及び近県に対する報告(申報)書要旨=広島市は今朝特殊爆弾により殆ど全滅、市民の死傷多数各庁各*民間機関幹部の大部分を失う。医師、医薬、食糧其の他全面的の応援を求む」(「新編広島県警察史」)
06 20:30a 「警察署に対する指令(警察部長より各署長宛)=1.広島市空襲被害は予想外に大なり、速かに食糧、救護班を出来る丈け多数送れ。2.警察官、警防団員の応援を派遣すべし。3.貨物自動車を出来る限り多数送れ。4.ローソク、燐寸、給水用具例えば四斗樽の如きもの送れ。5.県庁員多数死傷ある見込み、指揮連絡に支障あり。各署は応援護自署同様献身的努力を払うべし。」(「新編広島県警察史」)
06 20:30b 「警察署に対する指令(警察部長より各署長宛)=尚地方事務所に連絡すべし。部長は比治山多門院、長官は安芸高女において指揮中」(「新編広島県警察史」)
06 20:40 「かかる間にも、患者は激増する一方で、為之、手当が不十分となるに至ったので、左記の如く療養所を開設し、此処に輸送して治療を容易にした。横浜国民学校四○○名、同説教所二○○名、坂国民学校二○○名、整備教育隊第五中隊二○○名。海上防衛隊長が機帆船曳船で輸送した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 20過ぎ 「午後8時過ぎに至り、備後松永に分駐していた警備隊1ケ小隊(小隊長池田勉)が帰広して防空本部に入り、防空本部の陣容は警察官吏及び県庁職員等を合して漸く5,60名となった」(「新編広島県警察史」)
06 21:00 「夜九時頃総軍ニ於テ明朝午前十時ヨリ各軍官衙長会議開催ノ通知ヲ承ケタルヲ以テ県主催右会議ハ之ニ合流スルコトトス」(広島県「戦災記録」)
06 21:30 「元安川・太田川(本川)流域付近(県庁付近と推定す)の火勢が、逐次増大したので、海上防衛隊長をして消火艇の主力を以て消火に任ぜしめた。同時に各警備地区隊長に現状報告を要求した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 22頃 「[李[金禺]公殿下の容体]当時、軍医部の殆んど全部は、似島で治療に当り、宇品には外科医一名が居たのに過ぎなかったので、内科専門の高級軍医を似島から招致して、二二時頃更に診断申上げたが、前の診断と同様、内臓には特に御異常を認めなかった。が、安全な似島で御静養願うこととして同島に御送りした。似島御到着後も元気であられたが、」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 23:30 「2330第二総軍ヲ訪問 海軍救護隊ノ任務ト編成ヲ報告シ其ノ担任区域ハ海田市ヨリ広島駅、己斐駅ヲ通ズル市電ノ線以北ハ海軍、以南ノ地域ハ陸軍トスルコトヲ協定ス」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
06 25 「<救護班ノ状況>八月六日中二救護所ヲ開設シタルモノ 比治山多聞院(豊田郡)」(広島県「戦災記録」8月8日の項)
06 r <調査報告書>「8月6日広島市付近ニ敵機ノ投下セル落下傘付無線装置調査報告」
06 r <調査報告書>呉海軍警備隊・板城探照灯台「広島爆撃目撃状況
06 r <調査報告書>呉海軍警備隊・中野探照灯台「広島爆撃目撃状況」
06 夕刻満潮 「[李[金禺]公殿下の容体]夕刻満潮を待って発動艇で凱旋館に御迎した。手及び顔面に少しく火傷を見たのみで御元気であられた。早速診断申上げたが、別条がない。殿下は、腸に異常がないかとの御言葉であったので、再度診断したがその時は、特に御異常を見なかった。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
06 「この頃広島市空襲の報あり。電子爆雷使用の為全市潰滅死者算なしとの情報に接す。夜、広島市に救援物資急送手配を為す。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
06 広島市、被災者に乾パン支給・米飯炊出し(12日から平常配給)。