福山空襲を記録する会 設立:19730724
歩み
年月日 | 事項 | ||
19730724 | 「福山空襲を記録する会」発足 | ||
19750808 | 『福山空襲の記録』発刊 | ||
19751208 | 会報『福山空襲』創刊号発刊 | ||
19770806 | 福山空襲展、於天満屋。~8月10日。 | ||
19770808 | 会報『福山空襲』8号 | ||
19770807 | 第7回戦災・空襲を記録する全国連絡会議。於中央公民館。 | ||
福山空襲を記録する会 設立:19730724
歩み
年月日 | 事項 | ||
19730724 | 「福山空襲を記録する会」発足 | ||
19750808 | 『福山空襲の記録』発刊 | ||
19751208 | 会報『福山空襲』創刊号発刊 | ||
19770806 | 福山空襲展、於天満屋。~8月10日。 | ||
19770808 | 会報『福山空襲』8号 | ||
19770807 | 第7回戦災・空襲を記録する全国連絡会議。於中央公民館。 | ||
『呉市史第8巻』(呉市史編纂委員会、呉市役所、19950331)
目次(抄)
編章節 | 頁 | タイトル | 備考 | |
発刊のことば | 小笠原臣也(呉市長) | |||
発刊にあたって | 高橋衛 | |||
1 | 呉海軍の解体と旧海軍施設の再編 | |||
1-1 | 海軍の解体と旧軍施設の転換 | 高橋衛 | ||
1-1-1 | 呉海軍の解体 | 高橋衛 | ||
1-1-1-1 | 復員業務などの推進 | |||
艦艇・兵器などの処理 | ||||
引揚対策の推進 | ||||
戦争犠牲者の慰霊 | ||||
1-1-2 | 旧軍施設の再開 | |||
1-1-2-1 | 旧呉海軍工廠設備の再開 | |||
旧第11海軍航空廠設備の再開 | ||||
旧軍港施設の移管 | ||||
旧軍施設の総合的利用計画 | ||||
施設賠償指定とその解除 | ||||
旧軍所有施設・機械の活用 | ||||
1-2 | 掃海業務の推進と海上自衛隊の誕生 | 平岡洋一 | ||
1-2-1 | 戦後の混乱と掃海活動の実態 | |||
1-2-1-1 | 終戦前後の掃海活動 | |||
組織・兵力の変遷 | ||||
掃海活動の成果と犠牲 | ||||
YCクラフトと試航船 | ||||
1-2-2 | 海上保安庁の創設 | |||
1-2-2-1 | 呉航路啓開部の開設 | |||
航路啓開活動 | ||||
朝鮮戦争と第六管区海上保安本部呉航路啓開部 | ||||
①出動命令の発令②出動への不安と不満③「掃海艇(MS)第14号」の触雷沈没 ④その他の海域の掃海⑤掃海隊派遣の成果 |
||||
1-2-3 | 保安庁警備隊の誕生と呉市 | |||
1-2-3-1 | 警察予備隊の誕生 | |||
海上保安庁海上警備隊の誕生 | ||||
保安庁警備隊への改組 | ||||
呉掃海部隊の実績 | ||||
1-2-4 | 海上自衛隊の誕生と呉 | |||
1-2-4-1 | 防衛庁海上自衛隊の誕生 | |||
市の性格論争-軍港か商港か | 117 | |||
理想と現実―誘致への傾斜 | ||||
旧海軍施設の配分 | ||||
1-3 | 「旧軍港市転換法」の制定 | 高橋衛 | ||
1-3-1 | 旧軍施設の平和利用促進運動 | |||
1-3-1-1 | 敗戦と旧海軍施設 | |||
旧海軍施設の平和的利用を陳情 | ||||
旧軍港四市の連携 | ||||
特別法立法化の発想 | ||||
「旧軍港市転換法」の立案 | ||||
1-3-2 | 「旧軍港市転換法」の制定 | |||
1-3-2-1 | 法案成立促進運動 | |||
法案の国会上程 | ||||
法案の両院通過成立 | ||||
「旧軍港市転換法」の制定 | ||||
1-3-3 | 「旧軍港市転換法」の効果 | |||
1-3-3-1 | 「旧軍港市転換法」とその効果 | |||
「旧軍港市転換法」制定後の推移 | ||||
連合軍接収地域の返還要求 | ||||
1-4 | 旧海軍用地への諸企業の進出と展開 | 高橋衛 | ||
1-4-1 | 企業誘致運動の推進 | |||
1-4-1 -1 | 『旧軍港市転換法』制定以前の企業進出 | |||
1-4-1 -2 | 『旧軍港市転換法』と企業誘致 | |||
1-4-2 | 旧呉海軍工廠地区への企業進出 | |||
1-4-2-1 | 『尼崎製鉄株式会社 | |||
株式会社播磨造船所呉船渠 | ||||
NBCインコーポレイテッド | ||||
日亜製鋼株式会社 | ||||
株式会社淀川製鋼所 | ||||
株式会社日立製作所 | ||||
そ の他の企業・工場 | ||||
1-4-3 | 旧第11海軍航空廠地区への企業進出 | |||
1-4-3-1 | 広造機株式会社 | |||
東洋パルプ株式会社 | ||||
中国工業株式会社 | ||||
広重工業株式会社 | ||||
寿工業株式会社 | ||||
その他の事業所 | ||||
2 | 連合軍の進駐と呉市 | 千田武志 | ||
2-1 | 連合軍の進駐と日本側の対応 | 千田武志 | ||
2-1-1 | アメリカ占領軍の進駐 | |||
2-1-1 -1 | 敗戦にともなう呉市民の不安 | |||
アメリカ占領軍受入態勢の整備 | ||||
アメリカ占領軍の呉進駐 | ||||
中国・四国地区への展開 | ||||
2-1-2 | 地方軍政機構の推移 | |||
2-1-2-1 | 地方軍政機構の確立 | |||
地方軍政機構の変更 | ||||
地方軍政機構と英連邦占領軍 | ||||
2-1-3 | 連合軍受入機関の整備 | |||
2-1-3-1 | 終戦連絡事務局の設立と業務 | |||
特別調達庁の設立と活動 | ||||
広島県等の受入機関 | ||||
呉市渉外局の設立と活動 | ||||
2-2 | 英連邦占領軍の形成と任務 | 千田武志 | ||
2-2-1 | 外交交渉の推移 | |||
2-2-1-1 | 対日本土侵攻英連邦軍形成への胎動 | |||
英連邦内の交渉 | ||||
アメリカとの交渉 | ||||
マッカーサー・ノースコット協定 | ||||
2-2-2 | 指揮と管理をめぐる諸問題 | |||
2-2-2-1 | 『在オーストラリア統合参謀本部の設立と諸問題 | |||
JCOSAとオーストラリア国防機構との関係 | ||||
英連邦軍日本占領参加計画書」にみるBCOFの指揮と管理 | ||||
2-2-3 | 任務と目的 | |||
2-3 | 英連邦占領軍の進駐と再編成 | 千田武志 | ||
2-3-1 | 占領地区の決定と拡大 | |||
2-3-1-1 | 占領地区の決定と各国の反応 | |||
占領地区の拡大 | ||||
2-3-2 | 英連邦占領軍の進駐と展開 | |||
2-3-2-1 | 先遣隊の到着 | |||
オーストラリア陸軍の進駐 | ||||
ニュージーランド陸軍の進駐 | ||||
英印師団の進駐 | ||||
イギリス海軍の進駐 | ||||
空軍の進駐 | ||||
英連邦占領軍の展開 | ||||
2-4 | 英連邦占領軍の組織と活動 | 千田武志 | ||
2-4-1 | 指令と作戦 | |||
2-4-1-1 | 司令部の動向 | |||
2-4-1-2 | 軍事作戦 | |||
①旧日本軍の兵器処分②出入国者の監督③その他の軍事作戦 | ||||
2-4-1- 3 | 情報収集 | |||
2-4-1- 4 | 訓練 | |||
2-4-1- 5 | 通信 | |||
2-4-1- 6 | 広報 | |||
2-4-2 | 人事部門等の活動 | |||
2-4-2-1 | 人事問題と職員の不足 | |||
給与等支払い | ||||
従軍牧師 | ||||
医療 | ||||
歯科 | ||||
法律 | ||||
憲兵 | ||||
①憲兵の任務②特別捜査班と捜査の概要 | ||||
教育 | ||||
慰安施設(アメニティ) | ||||
社会奉仕班 | ||||
2-4-3 | 丘站部門の活動 | |||
2-4-3-1 | 移動と輸送 | |||
兵站支援と軍事施設 | ||||
工事 | ||||
補給と輸送 | ||||
軍需品の補給 | ||||
電気および機械工兵 | ||||
酒保 | ||||
郵便 | ||||
軍需品回収 | ||||
印刷と文房具 | ||||
2-5 | 朝鮮戦争勃発後の英連邦軍 | 千田武志 | ||
2-5-1 | 朝鮮戦争の勃発と英連邦軍の活動 | |||
2-5-1-1 | 朝鮮戦争の勃発と英連邦軍諸国の派兵 | |||
英連邦朝鮮派遣軍への兵站支援 | ||||
2-5-2 | 国連軍協定をめぐる諸問題 | |||
2-5-2-1 | サンフランシスコ講和条約の締結と発効 | |||
2-5-2-2 | 国連軍協定の締結 | |||
2-5-3 | 英連邦朝鮮派遣軍の引揚げと施設の返還 | |||
2-5-3-1 | 朝鮮休戦協定の締結と国連軍施設の返還 | |||
国連軍の撤退にともなう施設の返還 | ||||
2-6 | 連合軍と呉市民 | 千田武志 | ||
2-6-1 | 連合軍の受入れと市民感情 | 千田武志 | ||
2-6-1-1 | 連合軍の進駐と対応 | 千田武志 | ||
労働者との交流 | 千田武志 | |||
市民との交流 | 千田武志 | |||
相互の誤解と理解 | 千田武志 | |||
2-6-2 | フラタニゼーション・ポリシーの実態 | 千田武志 | ||
2-6-2-1 | スフラタニゼーション・ポリシーの発令 | 千田武志 | ||
2-6-2-2 | 英連邦占領軍軍人の結婚にたいする方策の決定 | 千田武志 | ||
①COSAによる指針の策定②英連邦占領軍による方針の具体化 | 千田武志 | |||
2-6-2-3 | フラタニゼーション・ポリシーの推移 | 千田武志 | ||
①フラタニゼーションーポリシーの実施と矛盾②占領政策の変更とフラタニゼーション・ポリシーの転換 | 千田武志 | |||
2-6-2-4 | 「戦争花嫁」の状況とその帰結 | 千田武志 | ||
2-6-3 | 連合軍をめぐる犯罪 | 北村恒信 | ||
写真一覧 | ||||
編集後記 |
『呉市史 第7巻』(呉市史編纂委員会・呉市、19930331)
目次()
編章節 | タイトル | 備考 | |
発刊のことば | 佐々木有(市長) | ||
1 | 戦後の市民生活 | ||
1-1 | 再建・復興期の呉市の動向 | 千田武志 | |
1-2 | 民主政治の推進 | 千田武志 | |
1-2-6 | 治安・消防と災害 | 北村恒信 | |
1-3 | 経済の再建・復興 | 高橋衛 | |
1-3-5 | 農林水産業の変様 | 千田武志 | |
1-4 | 都市基盤の整備 | 千田武志 | |
1-5 | 戦後の教育と文化 | ||
1-5-1 | 新教育制度の発足と充実 | 藤原浩修 | |
1-5-2 | 文化 | 千田武志 | |
1-5-3 | 宗教 | 千田武志 | |
1-5-4 | スポーツ活動 | 千田武志 | |
1-6 | 社会運動と社会福祉の新展開 | ||
1-6-1 | 労働組合の結成と労働運動の高揚 | 天野卓郎 | |
1-6-2 | 社会運動の進展 | 天野卓郎 | |
1-6-3 | 社会福祉の展開 | 千田武志 | |
1-6-4 | 失業問題とその対策 | 千田武志 | |
1-7 | 医療・衛生事業の推進 | 千田武志 | |
1-8 | 復興期の市民生活 | 千田武志 | |
2 | 合併町村 | 千田武志 | |
呉市史第6巻(呉市史編纂委員会・呉市、19880331)
目次
編章節 | 見出し | 備考(執筆者など) | |
1 | 呉海軍 | 高橋衛 | |
1-1 | 呉鎮守府 | ||
1-1-2 | 戦時下の呉海軍 | ||
1-1-2-2 | 太平洋戦期の呉海軍 | ||
1-1-2-2-1 | 太平洋戦争の勃発 | ||
1-1-2-2-2 | 戦時下呉海軍の活動 | ||
1-1-2-2-3 | 呉軍港への空襲 | ||
1-1-2-2-4 | 組織・制度の変遷 | ||
1-1-2-2-5 | 戦時下の呉鎮守府司令長官 | ||
1-1-2-2-6 | 敗戦 | ||
1-2 | 呉海軍工廠 | ||
1-3 | 広海軍工廠・第11航空廠 | ||
1-4 | 呉海軍と市民 | ||
2 | 合併町村 | 千田武志 | |
2-1 | 周辺町村の合併 | ||
2-2-1 | 阿賀町 | ||
2-2-4 | 吉浦町 | ||
2-5 | 広村 | 山中寿夫 | |
呉空襲を記録する会設立総会(宇吹メモ)19741124<作業中>
1974年11月24日 於勤労会館 |
呉空襲を記録する会設立総会 20人参加 |
1)司会挨拶(大田) |
2)呼びかけ人代表挨拶 |
3)経過報告 |
4)規約審議 |
当面の運動方針 |
「呉戦災を記録する会」規約(案) 1974年11月24日 |
呉歴史教育者協議会例会(19731013)宇吹メモ
1973年10月13日 呉歴史教育者協議会10月例会 於:呉勤労会館 |
<作業中> |
『今、平和のために-戦災・空襲を記録する会全国連絡会議第10回記念那覇大会報告書 』(那覇市企画部市史編集室、19801025)
内容
刊行にあたって | 平良良松( 那覇市長) | ||
1 | 映画と講演の夕べ | ||
あいさつ「平和は自治体の責務」 | 平良良松 | ||
あいさつ 「反戦と平和の叫びを」 | 池宮城秀意 | ||
記念講演 「庶民と戦争」 | 松浦総三 | ||
記念講演 「空襲・沖縄・アウシュビッツ 」 | 早乙女勝元 | ||
2 | 連絡会議 | ||
開会のあいさつ | 今井清一( 横浜の空襲を記録する会) | ||
開催市長あいさつ | 平良良松( 那覇市長) | ||
メッセージ 各市長/各団体・個人 | |||
全国連絡会議基調報告 | 松浦総三(議長) | ||
2-1 | 各記録する会活動報告 | ||
2-2 | 沖縄からの報告 | ||
2-3 | 文書報告と発言 | ||
総括 | 早乙女勝元 | ||
アピール | |||
3 | わたしの思いわたしの決意 | ||
早乙女勝元 | |||
林 | |||
大田英雄 | |||
4 | 参加団体一覧表 |
空襲・戦災を記録する会全国連絡会議http://kushusensai.net/
第1回 東京 1971年8月14日
第2回 東京 1972年8月12日
第3回 名古屋 1973年8月11日
第4回 横浜 1974年8月11日
第5回 神戸 1975年8月9日
第6回 宇都宮 1976年8月7日
第7回 福山 1977年8月7日
第8回 岡崎 1978年8月5日
第9回 高松 1979年8月11日
第10回 那覇 1980年8月1日
第11回 箱根 1981年8月11日
第12回 佐世保 1982年8月7日
第13回 仙台 1983年8月5日
第14回 呉 1984年8月4日
第15回 大阪 1985年8月10-11日
第16回 高知 1986年7月5日
第17回 福井 1987年7月2日
第18回 姫路 1988年7月2日
第19回 京都 1989年8月5日
第20回 横浜 1990年7月28日
第21回 愛知 1991年7月27日
第22回 宇都宮・水戸 1992年8月7日
第23回 米子 1993年7月24日
第24回 大阪 1994年7月30日
第25回 高知 1995年7月29日
第26回 宇和島 1996年7月27日
第27回 富山 1997年8月9日
第28回 岐阜 1998年7月19日
第29回 岡山 1999年7月24日
第30回 神戸 2000年7月29日
第31回 東京 2001年8月11日
第32回 福井 2002年7月27日
第33回 豊橋 2003年7月25日
第34回 横浜 2004年7月23日
第35回 長岡 2005年8月1-2日
第36回 今治 2006年7月29-30日
第37回 前橋 2007年8月4-5日
第38回 青森 2008年8月23-24日
第39回 八王子・多摩 2009年7月25-26日
第40回 東京 2010年8月21-22日
第41回 大牟田 2011年8月20-21日
第42回 愛知 2012年8月25-26日
第43回 函館 2013年8月24-25日
第44回 神戸 2014年8月23-24日
第45回 東京 2015年8月22-23日
第46回 仙台 2016年8月27-28日
出典:全国大会 – 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議 (kushusensai.net)
全国連絡会議全国大会開催状況(抄)
回 | 年月日 | 開催地 | 備考 |
01 | 19710814 | 東京 | |
07 | 19770807 | 福山 | |
「福山空襲の記録運動の中で」 (岡田智晶) | |||
10 | 19800801 | 那覇 | |
『今、平和のために(那覇市史だより)第16・17・18号』 | |||
12 | 19820807 | 佐世保 | |
14 | 19840804 | 呉 | 資料一括あり |
『呉の戦災 あれから 半世紀くりかえすな』(呉戦災展実行委員会編、呉戦災を記録する会刊、19950622)目次
備考 | ||
はじめに―被災50周年記念が問いかけるもの | ||
朝倉郁夫(呉戦災を記録する会) | ||
Ⅰ | 戦争への道 | |
1 | 呉と海軍・海軍工廠 | |
2 | 日中15年戦争とアジア・太平洋戦争のはじまり | |
3 | 日本の戦争加害 | |
Ⅱ | 戦時体制と空襲 | |
1 | 戦時体制下でのくらし | |
2 | 日本への空襲 | |
Ⅲ | 呉の空襲 | |
1 | 呉が「真珠湾攻撃」された日 | |
2 | 恐怖の白昼爆撃 | |
3 | 呉海軍工廠、壊滅 | |
4 | 呉市街地夜間無差別大空襲 | |
5 | 帝国海軍、最後の日 | |
6 | 爆弾と焼夷弾 | |
7 | 原爆投下計画と呉 | |
8 | 呉空襲の特色 | |
Ⅳ | 呉の現在 | |
1 | 呉と基地 | |
2 | 呉の戦災遺跡 | |
Ⅴ | 資料と参考文献 | |
1 | 呉空襲の記録とアメリカ軍の記録 | |
2 | 参考文献 | |
おわりに―呉の戦後は終わっていない | ||
アジア・太平洋戦争および呉の戦災 略年表 | ||
編集委員:朝倉邦夫(呉戦災を記録する会)、是恒高志(全教広島海田支部)、武智碩一(歴史教育者協議会)、林茂(非核の呉港を求める会)、平岡典道(高教組平和教育推進部)、平賀伸一(呉戦災を記録する会)、吉田昭雄(呉戦災を記録する会) | ||
2020年4月(日録)
日 | 事項 |
03 | NHK「ラウンド中国:ひろしまタイムライン」を視聴。 |
03 | 自宅の学生運動関係資料の整理。 |
04 | 自宅の中学・高校時代や卒論、教育実習関係資料の整理 |
05 | 自宅の学生運動、音戸高校関係資料の整理。 |
06 | ヒロシマ遺文への投稿=「呉空襲記」。 |
07 | ヒロシマ遺文への投稿=「卒論-鎌倉時代の在地構造」、「教育実習(1968年9月)」。 |
08 | ヒロシマ遺文への投稿=「2020年4月(日録)」。トップページを更新。 |
09 | 新聞切り抜きの分類作業。呉市図書館のネットへ呉市史7、8、9巻を予約。 |
10 | ヒロシマ遺文への投稿=「呉の戦災」 |
11 | 昭和図書館へ。ネットで申し込んだ『呉市史第6・7・8巻』を借り出す。 |
11 | ヒロシマ遺文への投稿=「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」、「戦災・空襲を記録する会那覇大会報告書」、「呉歴史教育者協議会例会(19731013)宇吹メモ」、「呉空襲を記録する会設立総会(宇吹メモ)」、 |
12 | ヒロシマ遺文への投稿=「呉市史」、「呉市史第6巻」、「呉市史第7巻」、「呉市史第8巻」、「福山空襲を記録する会」、「第14回空襲・戦災を記録する会全国連絡会議呉大会」 |
13 | 新聞切り抜き(最近1年半分)の分類整理。 |
14 | ヒロシマ遺文への投稿=「資料:原爆投下までの日録(194501~05)」、「原爆被害:時時刻刻(6日被爆から夜半まで)」、「原爆被害:時時刻刻(1945年8月7日)」、「原爆被害:時時刻刻(8月8日)」、「原爆被害:時時刻刻(8月9日)」、「原爆被害:時時刻刻(8月10日)」、「原爆被害:時時刻刻(8月11日)」、「原爆被害:時時刻刻(8月12日)」、「原爆被害:時時刻刻(8月13日)」、「原爆被害:時時刻刻(8月14日)」、「原爆被害:時時刻刻(8月15日)」、「原爆被害:時時刻刻(8月16日~31日)」、「原爆被害者援護法案要綱(1956.8)」 |
15 | ヒロシマ遺文のカテゴリー「原爆報道」の再検討。 |
16 | 広島市東区民文化センターの「城下町広島の歴史講座」(7月28日分を宇吹が担当予定)がコロナウィルスのため翌年に延期との連絡あり 。 |
18 | ヒロシマ遺文への投稿=「被爆70年-市民が育んだヒロシマ」、「毒ガス工場・大久野島(関連資料)」 |
19 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマ基礎講座」、「回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1945年)」、「第49回日本新聞協会マスコミ倫理懇談会全国大会」、「回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1946年)」、「回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1947年)」、「回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1948年)」 |
20 | ヒロシマ遺文への投稿=「回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1949年)」、「回顧五年-原爆ヒロシマの記録(爆弾篇/体験篇)」、「回顧五年-原爆ヒロシマの記録(概要)」、「原爆文献を読む会会報記事目録」 |
21 | ヒロシマ遺文への投稿=「昭和55年度内地研究員調書(控・抄)」、「藤原教授宛宇吹依頼状(控)」、「藤原教授より宇吹宛ハガキ」、「藤原教授より宇吹宛ハガキ」、「受入承諾のハガキ(藤原⇒宇吹)」、「宇吹の東京だより(198007)」、「東京資料調査覚え(198007現在)」、「東京資料調査報告(198104)」 |
23 | 学生時代の資料の整理。 |
23 | ヒロシマ遺文への投稿=「明治百年論批判」、「ヒロシマ基礎講座(第1回):ヒロシマはどう伝えうるか」。 |
25 | Nとスカイプで話す。妻のパソコン使用。カメラが使用不能。 |
28 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島県原子爆弾被爆者援護措置要綱(19670401)」、「戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(衆議院)」、「日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料に関するシンポジウム-発言要旨-」、「戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(参議院)」 |
29 | エディオン呉店へ。パソコンのカメラ機能の修理を依頼。 |
29 | 自宅のパソコン内のデジタルデータをヒロシマ遺文のカテゴリーに対応するよう整理。 |
30 | 日記・日誌の打ち出しデータをもとに、データの増補・改訂作業に着手。 |