『被爆二世 その語られなかった日々と明日』(広島記者団被爆二世刊行委員会編、時事通信社、1972年7月15日)
目次
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そうてい・カット 四国五郎 |
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今中次麿 |
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序 |
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この子らのあすに何があるか/ひき継がれる“核の爪跡” |
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Ⅰ |
あすにむかって-被爆二世とその周辺 |
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1 |
“帰らぬ鶴”を越えて<瀬戸真美さんの場合> |
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被爆二世であることの自覚/四つのときからの会員/玄海灘を越えて/多くの人に知らっもらいたい/真美さんの夢 |
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2 |
歩みはじめた二十歳<川口裕子さんの場合> |
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私は平凡な女の子/主体的な歩み/活動家一年生/若ものたちとともに/大地に種をまく勇気を |
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3 |
看護婦をえらんだ姉<向井秀子さんの場合> |
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陸上競技の選手/お母さんの被爆/弟の発病/弟の死/看護婦の道をえらんで |
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4 |
十三日目の二次被爆が…<栗栖みどりさんの場合> |
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午前六時までもちこたえれば/いっしょに仕事をしたい・遊びたい/あの人に悪いけど、死にたい/原爆投下後十三日目の放射能が……/母の思い |
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5 |
もう少し遅く生まれていれば<山下恵子さんの場合> |
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クラスの中心人物/たった一つの弱音/壁と壁を破るもの |
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6 |
母親の心の軌跡<名越史樹君と操さんの場合> |
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原爆の生き証人/ランドセルも背負えないで/フミキ、シッカリ、カンドケ/『ぼく生きたかった』の出版/マスコミにとりあげられる苦痛/ベトナムの子らと |
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7 |
四十五万円の希望<沖縄の被爆者> |
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復帰にともなう生活危機/米軍を恐れながら/絶望を深める検診/沖縄の被爆二世/この距離をどう埋めるか |
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Ⅱ |
原水禁運動と被爆二世 |
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1 |
黙殺しつづけた行政 |
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『ヒロシマの証言』の所信/行政姿勢の反映? |
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2 |
「守る会」生まれる |
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守る会の目的と方針/被爆者差別は核武装への奉仕/日本中の子どもの問題/目的は一致しながら/『広島はたたかう』 |
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3 |
被爆二世の健康調査 |
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五人に一人が異常あり/救援に役立つ調査を |
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4 |
一貫する行政の姿勢 |
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広島県・市へ申し入れ/調査に踏みきらぬ行政当局/母の怒り、市民の怒り/守る会から対策会ヘ |
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5 |
母親たち 110 |
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山下会の歩み/被爆二世と結婚/屈折した経験/手記づくり運動\ヒロシマの母とベトナムの母 |
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6 |
要求で起ち上がった労働者 |
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国労被爆協の取組/全電通の調査活動/被爆教師の会/新しい共同の動きⅢ 医学と被爆者 |
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Ⅲ |
医学と被爆者 |
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1 |
原爆と医学 杉原芳夫 |
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医学の根底-政治/障害の隠蔽-ABCC/原爆症とは何か-科学的認識論/胎内被爆-非人道的調査/遣伝的障害-突然変異/被爆二世-白血病/差別の根源-核戦争政策 |
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2 |
核戦略体制下のABCC |
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二十五年ぶり来広の真意は/原爆投下直後の救護体制/日本側救護を禁圧したプレス・コード/調査研究資料を押収したアメリカ調査団/日本料学者の努力とそれへの圧迫/ABCCの調査活動/被害者より加害者がはばをきかす/ABCCの真の目的/核戦争対策/ABCCは米政府機関/米本国へ送られた被爆者の臓器/アメリカの防衛と安全のための「契約」/無条件完全返還を |
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3 |
ABCCに癒着する広大原医研 |
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三つの研究機関/遺体についての協定/ABCCへの死亡連絡/原医研のなりたち/原爆医学標本センター/原医研と被爆二世/ABCCとの関係/被爆者の背番号/下請け機関であることをやめよ |
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Ⅳ |
国、地方自治体と被爆二世 |
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1 |
“特別援護はしない”―厚生省- |
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「学術の進歩に合わせて考慮する」/その行政上の矛盾/急務にこたえよ |
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2 |
“医科学的証明がない”―広島県・市- |
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被爆地の自治体でありながら…/県も市と同歩調/後退する陳情書 |
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3 |
先進的にとりくむ京都府など |
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京都の被爆者/被爆二世対策の実施/北海道でも/川崎市でも |
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4 |
長崎にて<ルポルタージュ> 深川宗俊 |
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被爆二世の死/国への要望/対策にのりだした長崎市/ある被爆活動家の意見/沈黙は差別を助長する/長崎「青年と被爆二世の会」の発足/鎮魂のうたとして/“死を待つ行政”をのりこえて |
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Ⅴ |
朝鮮人被爆者・被爆二世 |
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1 |
差別の中を生きぬく |
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朴竜時さん一家の場合-一家の苦難/差別にくじけずに 金秀鉉さん一家の場合-生きかえってからの苦しみ/被爆者の子どもの人生/骨身にしみる憤り/快活な二世たち |
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2 |
二十七年間の空白 |
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差別と貧困ヘの告発/広島の朝鮮人被爆者/はかどらぬ朝鮮人被爆者の救援/北朝鮮の被爆者たち/日本の責任 |
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むすびにかえて |
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あとがき <本書は、日本ジャーナリスト会議広島支部(昭和42年結成)の学習会のなかから生まれた> |
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広島大学総合科目:戦争と平和のための総合的考察 1977年~
出典:山田浩、森利一編『平和研究ノート』(広島大学総合科学部国際関係論教室、19790518)
目次
章 |
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01 |
芝田進午 |
平和の思想 |
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14 |
北西允 |
日本の原水禁運動―略史と問題点 |
15 |
庄野直美 |
核時代と原爆被爆者 |
16 |
藤井敏彦 |
平和教育 |
17 |
松元寛 |
原点としてのヒロシマ |
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ICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合=The International Coalition to Ban Uranium Weapon)広島大会 20060803~
出典:『ウラン兵器なき世界をめざして ICBUWの挑戦』(NO DU ヒロシマ・プロジェクト、20080415)
目次
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プロローグ |
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(4)劣化ウラン問題をめぐる動き-第二次世界大戦からイラク戦争まで |
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開会 |
ICBUW国際キャンペーンの展開(全体会議/8月3日/広島国際会議場ひまわり) |
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嘉指信雄:ヒロシマ大会の使命-”核の影”としてのDU問題 |
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秋葉忠利(広島市長):力を合わせて、大きな運動のうねりを創り出しましょう |
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第1 |
被害-1/イラク(8月3日/広島国際会議場ひまわり) |
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第2 |
被害-2/アメリカ(8月3日/広島国際会議場フェニックス) |
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第3 |
科学-1/問題の核心と展望(8月4日/広島国際会議場ひまわり) |
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(5)広島・長崎原爆の残留放射線による内部被曝の影響 沢田昭二(原水爆禁止日本協議会代表理事) |
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(6)[コメンテーターからの発言]①市川定夫②小出裕章 |
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第4 |
被害-3/ヨーロッパ(8月4日/広島国際会議場フェニックス) |
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第5 |
キャンペーン-1/アジア太平洋(8月4日/広島国際会議場ひまわり) |
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(4)「生きているか?正常か?」と問うイラクの母親たち-イラクにおけるDU被害緊急調査 森瀧春子 |
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特別 |
特別セッション ヒバクシャとの交流 特に”内部ヒバク”をめぐって |
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(1)わたしの被爆体験 松島圭次郎 |
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(2)原爆症認定集団訴訟の広島地裁判決について 渡辺力人 |
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(3)広島の医師として、イラクの医師から学んだもの 丸屋博 |
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(4)「あの日」の体験 高橋昭博 |
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(6)原爆症認定集団訴訟について 松尾健太郎/田部知江子 |
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(8)[解説]ICRPの「放射線安全基準」の問題性 内藤雅義 |
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第6 |
キャンペーン-2/禁止条約実現に向けての戦略(8月5日/袋町市民交流プラザ) |
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第7 |
科学-2/科学問題をめぐる討議(8月5日/袋町市民交流プラザ) |
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(1)討論/[コメンテーターからの発言]①矢ケ崎克馬②松井英介 |
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第8 |
キャンペーン-3/被害者支援に向けて(8月5日/袋町市民交流プラザ) |
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閉会 |
ICBUWヒロシマ・アピール採択 |
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(1)核被害者をこれ以上出さないために-60年間ヒバクシャを診てきて思うこと 肥田舜太郎 |
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(2)未来が引く力は、過去が押す力よりも強い-ヒロシマ大会に参加して思うこと ナスリーン・アジミ(ユニタール広島事務所所長) |
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(4)ウラン兵器禁止ヒロシマ・アピール |
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原爆展(米ペンシルバニア州フィラデルフィア市郊外・スワースモア大学) 1961年晩秋
出典:『権力にアカンベエ! 京都大学新聞の65年』(京大新聞史編集委員会、草思社、19900427)
SSDII行動日本代表団 代表団の行動 19820603~19820625
出典:第2回国連軍縮特別総会に核兵器完全禁止と軍縮を要請する国民運動推進連絡会議『地球を覆う草の根のうねり-SSDII行動日本代表団の記録1982.6.4-6.24』(19820601)
目次
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はじめに(国民運動推進連絡会議の発足からニューヨーク行動に至る経過の概要) |
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代表団の行動日誌―核兵器完全禁止と軍縮の声を、国連へ、全世界へ 〇ニューヨーク行動、〇ホノルル行動、〇再びニューヨーク |
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第2回国連軍縮特別総会(SSD-II)の概要 |
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代表団のニューヨーク行動の概要 |
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名4項目の実現を要請-58カ国代表部を訪ねて |
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ニューヨーク行動に呼応して-欧州とカナダの行動 |
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ニューヨーク行動を終わって全米各地の行動へ |
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国民運動推進連絡会議の国連行動代表団登録者数 |
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ホノルルにおける統一行動 |
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音楽家代表団の多彩な活動 |
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国連軍縮特別総会NGOデー |
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「ニューヨーク・タイムス」6月13日朝刊の記事から |
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医療班の報告 |
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資料編 |
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I 核兵器完全禁止と軍縮の実現をめざして |
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日本政府および国連軍縮特別総会に要請する国民運動のよびかけ |
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3・21ヒロシマ・アピール |
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5・23東京・アピール |
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SSD-IIへの要請書 |
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今後の行動のために/6月10日・ニューヨーク |
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入国拒否に対する国民運動推進連絡会議の声明/6月10日・ニューヨーク |
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各界の反核声明・アピール |
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II 第2回国連軍縮特別総会より |
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第2回国連軍縮特別総会最終報告書・結語 |
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同、付属文書V、世界軍縮キャンペーン |
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SSD-II一般討論各国代表演説/日本・ソ連・米国・インド |
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SSD-IIにおけるNGO代表の演説 |
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-演説者リスト |
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-国民運動推進連絡会議代表・山口仙二氏の演説 |
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-国際平和研究協会(IPRA)代表・坂本義和氏の演説 |
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-世界軍縮キャンペーン(WDC)代表・P.ノエルベーカー卿の演説 |
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III ニューヨーク行動より |
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核兵器の動議性と合法性に関する国際シンポジウム・まとめ |
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署名提出にあたってのデクエアR国連事務総長の挨拶 |
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核兵器全面禁止国際協定締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団:1975年12月8日、ワルトハイム国連事務総長と会見。
出典:『広島・長崎の原爆被害とその後遺-国連事務総長への報告』(核兵器全面禁止国際協定締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団派遣中央実行委員会、19760806)
目次
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Ⅰ |
原爆被爆者の30年-事例研究 1 |
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事例-1.広島、男、65歳 被爆当時陸軍運輸部 現在、精神病 院入院中 |
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事例-2.長崎、女、故人 原爆孤老となり、82歳で死亡 |
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事例-3.広島、女、47歳 被爆当時高女在学 現在、離婚 |
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事例-4.長崎、男、41歳 被爆当時小学生、後遺に苦しむ |
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事例-5.広島、女、73歳 被爆当時主婦、残留放射能による 被爆者 |
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事例-6.ある被爆二世の死<長崎の事例> |
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Ⅱ |
原爆被害とその後遺の実態 |
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1 |
被害の物理実態 |
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2 |
被害の医学的実態 |
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3 |
被害の社会的実態 |
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あとがき<報告書作成の専門家グループ=伊東壮、庄野直美、川崎昭一郎、田沼肇、草野信男、峠一夫、佐久間澄> |
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ヨーク・フォーラム=軍拡競争の終結と軍縮のための国際フォーラム 1976年3月28日~4月1日 場所:イギリス・ヨーク大学
出典:『ヨーク宣言と原水爆禁止運動の新たな局面-「軍拡競争の終結と軍縮の為の国際フォーラム」の報告』(ヨーク・フォーラム日本代表団、1976?)
目次
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はしがき |
田沼肇(日本代表団代表委員) |
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1 |
ヨーク宣言・宣言付属文書 |
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2 |
日本代表団総括 |
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3 |
ヨーク・フォーラムに対する日本代表団報告 |
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4 |
分科会のまとめ |
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5 |
軍縮分野におけるGO・NGO関係の樹立について ―核廃絶への具体的第一歩 |
佐藤行通(日本原水協担当常任理事) |
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6 |
代表団活動日誌 |
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7 |
ヨーク・フォーラム、ユーゴ、ルーマニアの旅-日本代表団の報告と感想 |
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8 |
日本原水協 日本平和委員会 ユーゴ友好親善訪問代表団報告 |
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9 |
日本原水協 日本平和委員会 ルーマニア友好親善訪問代表団報告 |
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10 |
日本代表団名簿 |
[広島関係者なし] |
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アピールの記録
出典『核の傘に覆われた世界 現代人の思想19』(久野収編、平凡社、1967年8月20日)
アピール名 |
年月日 |
主体 |
備考 |
アムステルダム反戦会議での演説 |
19320827 |
ロマン・ロラン |
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平和三原則について |
19540423 |
日本学術会議第17回総会(国内声明) |
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ラッセル・アインシュタイン宣言 |
19550709 |
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第1回原水爆禁止広島世界大会宣言 |
19550808 |
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ゲッチンゲン宣言 |
19570412 |
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新安保条約批准に反対する声明 素粒子論懇談会 |
19600406 |
素粒子論懇談会 |
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地上の平和(回章) |
19630411 |
ヨハネ23世 |
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原爆実験についての中国政府声明 |
19641016 |
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ベトナム問題に関して日本政府に要望する |
19650420 |
我妻栄ほか91名 |
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日米共同宣言 |
19650522 |
「ベトナムに平和を!」市民・文化団体連合 |
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ヴェトナム戦争と平和運動の責務 |
19650710 |
J・D・バナール |
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アメリカ人民に宛てた南ベトナム解放民族戦線のメッセージ |
19650728 |
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第3回科学者京都会議声明 |
19660702 |
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徹底抗戦の声明 |
19660717 |
ホー・チ・ミン |
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《ベトナムに平和を!日米市民会議》へのメッセージ |
19660811 |
ドイッチャー |
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ベトナム戦争と反戦の原理 |
19661015 |
J・P・サルトル |
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佐藤首相の南ベトナム訪問計画に関する日本政府への要望書 |
19670722 |
我妻栄ほか25名 |
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「平和の船」を送ろう |
19670717 |
久野収、小田実ほか47名 |
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広島市政白書
広島市政白書 |
編・発行 |
発行年月日 |
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(第1次) |
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197412 |
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(第2次)住民参画の広島市政を実現するために |
広島市職員労働組合・広島自治体問題研究会(編集)広島市職員労働組合(発行) |
19781010 |
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14.平和教育、17.被爆者問題 |
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(第3次)広島・ヒロシマ |
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19831021 |
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(第4次) |
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19861225 |
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(第5次)10年のあゆみ・これからの広島 |
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19901227 |
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(第6次)くらしといのち 輝く広島に |
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19950324 |
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(第7次)ひろしまの明日のために |
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19990110 |
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出典:『広島自治体問題研究所20年の歩み―21世紀の地方自治をひらく』 |
創立20周年記念 「ヒバクシャと現代」 地域と科学者第8号
創立20周年記念 ヒバクシャと現代[1981年2月1日開催のシンポジウムをもとにまとめる]
目次
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大森正信 |
巻頭言 |
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1.被爆者の実態―生活と援護の諸問題 |
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江崎須賀子 |
被爆者の実態と生活史 |
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舟橋喜恵 |
被爆者の生活史調査の意義―石田忠氏の場合― |
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宇吹暁 |
原爆被災資料をめぐって |
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田村和之 |
「被爆者援護法」の検討 |
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2.被爆者と医学―その歴史と今後の課題 |
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斎藤紀 |
被爆者と医師 |
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鎌田七男 |
現場kの人体影響とその研究の歩み |
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3.ヒバクシャ、原爆、核問題と自然科学研究 |
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星正治 |
広島・長崎の原爆放射線量の見直し―第4回(最終)日米ワークショップより |
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永井秀明 |
現代核科学と科学者 |
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山田浩 |
広島大学平和科学研究センターの歴史と今後の加害―平和研究の制度化推進のために |
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佐中忠司 |
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創立20周年 地域にねざす科学者の運動―日本科学者会議広島県支部の創立10周年から20周年への歩み |
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|
3.ヒバクシャ、原爆、核問題と自然科学研究 |
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