広島原爆障害研究会 設立日:1956年11月
研究会メンバー
名前 |
所属 |
分野 |
井上省三 Inoue,Shozo |
広島赤十字病院 |
内科 |
小川修三 Ogawa,Shuzo |
広島大学理学部 |
理論物理 |
於保源作 Obo,Gensaku |
広島市 |
内科 |
佐久間澄 Sakuma,Kiyoshi |
広島大学理学部 |
理論物理 |
重藤文夫 Shigeto,Fumio |
広島赤十字病院 |
内科 |
品川睦明 Shinagawa,Mutsuaki |
広島大学理学部 |
分析化学 |
庄野直美 Shono,Naomi |
広島女学院大学 |
理論物理 |
杉原芳夫 Sugihara,Yoshio |
広島大学医学部 |
病理 |
瀬戸紀守 Seto,Norimori |
広島市 |
産婦人科 |
原田東岷 Harada,Tomin |
広島市 |
外科 |
広瀬文男 Hiroshe,Fumio |
広島大学医学部 |
病理 |
広藤道男 Hirofuji,Michio |
広島市 |
内科 |
細川利郎 Hosokawa,Toshiro |
広島赤十字病院 |
内科 |
槙殿順 Makidono,Jun |
広島市 |
放射線科 |
山本司 Yamamoto,Tsukasa |
広島原爆病院 |
病理 |
以上は1957年12月末のメンバー |
以下は1958年7月のメンバー表で新たに加えられたメンバー |
Masuda,Yoshiya |
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Mizuno,Moriso |
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Nishida,Sekio |
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Nakayama,Hiromi |
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Tabuchi,Akira |
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平和キャラバン 1971年、山口大学ユネスコクラブ(被爆者福祉会館『ゆだ苑』内)が第1回を実施。
出典:『第十回平和キャラバン総括集』(山口大学ユネスコクラブ、1981年?)目次
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第1部 |
第10回平和キャラバン総括―歴史を再検討しつつ― |
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1. |
趣意書 |
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2. |
第10回平和キャラバンの足どり |
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3. |
各企画紹介 |
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(1)被爆者懇談会 |
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(2)自治体交渉 |
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(3)6・9行動 |
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(4)行進 |
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(5)施設訪門 |
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4. |
平和キャラバン、第10回迄の歩みと今後の発展方向 |
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5. |
各企画総括 |
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(1)自治体交渉被 |
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(2)爆者懇談会 |
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(3)施設訪門 |
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第2部 |
基本懇答申をのりこえて~状況とユネスコクラブの運動の方向~ |
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第1章 |
基本懇答申の経緯と内容 |
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第2章 |
被爆者援護法の根本精神と答申批判 |
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第3章 |
基本懇答申に反映される社会情勢 |
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第4章 |
地域の申に援護法精神を~ユネスコクラブの今後に向けて~ |
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※哀悼の意を表します |
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※第10回平和キャラバン会計報告 |
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※協力団体 |
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※県内被爆者を支える『ゆだ苑』にご協力を |
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『社会福祉ひろしま(号外)』(広島県社会福祉協議会)19671208
目次
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原爆被爆者と社会福祉 |
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小川政亮 |
被爆者援護法と社会保障 |
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平岡敬 |
被爆者の生活と感情 |
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志水清 |
原爆被爆者の医療制度の現状と問題点 |
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永田守男 |
随想 科学者と原爆 |
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向井佐歳 |
〈福祉の言葉〉 |
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宮本 |
編集後記 |
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編集後記=「…▼新聞「社会福祉ひろしま」の号外として、本会初めての雑誌の発行を試みた。現代福祉国家論の虚構を弾劾してゆく基点に思想としての「ヒロシマ」を擁立したいと思う。被爆地広島における貧困と植民地的繁栄の断絶、被爆者の生活保障の筋道は、われわれに社会事業対象へアプローチする上での新しい視覚を要求しているのではないだろうか?…」 |
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紹介:ヒロシマの小さな流れ
8月6日、広島に集中する平和運動の流れは、大会決議の発表で頂点に達し、以降、引き潮のように霧散します。「ヒロシマ」と「広島」の格差を象徴しているようです。しかし、それを埋める小さなながれもあります。次に紹介するグループは、その流れです。(いづれも広島市内=順不同) |
グループ名 |
連絡責任者 |
連絡場所 |
原水爆禁止広島母の会 |
前田富子 |
八丁堀*** |
憩いの家 |
田辺耕一郎 |
宇品 |
広島折鶴の会 |
河本一郎 |
的場 |
八・六友の会 |
吉川清 |
江波 |
談和会 |
今堀誠二 |
千田町広島大学教養部内 |
平和と学問を守る大学人の会 |
佐久間澄 |
同上理学部内 |
被災白書を進める市民の会 |
永田守男 |
胡町中国新聞社文化部内 |
きのこ会 |
長岡千鶴乃 |
宝町婦人会館内 |
広島原爆資料保存会 |
横田工 |
中島町平和記念資料館内 |
広島キリスト者平和の会 |
橋本栄一 |
八丁堀広島YMCA内 |
宗教者平和協議会 |
相原和光 |
同上 |
ヒロシマ研究の会 |
小林省三 |
同上 |
広島研究の会 |
大牟田 |
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「平和の灯」奉賛会 |
藤田定一 |
金屋町労働会館内 |
ワールド・フレンドシップ・センター |
原田東岷 |
南観音 |
山下会 |
近藤幸子 |
己斐上 |
胎内被爆者、被爆二世を守る会 |
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上幟町1-3・平和センター |
原爆被害友の会 |
升川貴志栄 |
山根 |
平和のために対話を!市民の会 |
庄野直美 |
牛田町広島女学院大学内 |
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『被爆二世 その語られなかった日々と明日』(広島記者団被爆二世刊行委員会編、時事通信社、1972年7月15日)
目次
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そうてい・カット 四国五郎 |
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今中次麿 |
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序 |
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この子らのあすに何があるか/ひき継がれる“核の爪跡” |
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Ⅰ |
あすにむかって-被爆二世とその周辺 |
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1 |
“帰らぬ鶴”を越えて<瀬戸真美さんの場合> |
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被爆二世であることの自覚/四つのときからの会員/玄海灘を越えて/多くの人に知らっもらいたい/真美さんの夢 |
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2 |
歩みはじめた二十歳<川口裕子さんの場合> |
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私は平凡な女の子/主体的な歩み/活動家一年生/若ものたちとともに/大地に種をまく勇気を |
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3 |
看護婦をえらんだ姉<向井秀子さんの場合> |
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陸上競技の選手/お母さんの被爆/弟の発病/弟の死/看護婦の道をえらんで |
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4 |
十三日目の二次被爆が…<栗栖みどりさんの場合> |
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午前六時までもちこたえれば/いっしょに仕事をしたい・遊びたい/あの人に悪いけど、死にたい/原爆投下後十三日目の放射能が……/母の思い |
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5 |
もう少し遅く生まれていれば<山下恵子さんの場合> |
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クラスの中心人物/たった一つの弱音/壁と壁を破るもの |
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6 |
母親の心の軌跡<名越史樹君と操さんの場合> |
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原爆の生き証人/ランドセルも背負えないで/フミキ、シッカリ、カンドケ/『ぼく生きたかった』の出版/マスコミにとりあげられる苦痛/ベトナムの子らと |
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7 |
四十五万円の希望<沖縄の被爆者> |
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復帰にともなう生活危機/米軍を恐れながら/絶望を深める検診/沖縄の被爆二世/この距離をどう埋めるか |
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Ⅱ |
原水禁運動と被爆二世 |
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1 |
黙殺しつづけた行政 |
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『ヒロシマの証言』の所信/行政姿勢の反映? |
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2 |
「守る会」生まれる |
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守る会の目的と方針/被爆者差別は核武装への奉仕/日本中の子どもの問題/目的は一致しながら/『広島はたたかう』 |
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3 |
被爆二世の健康調査 |
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五人に一人が異常あり/救援に役立つ調査を |
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4 |
一貫する行政の姿勢 |
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広島県・市へ申し入れ/調査に踏みきらぬ行政当局/母の怒り、市民の怒り/守る会から対策会ヘ |
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5 |
母親たち 110 |
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山下会の歩み/被爆二世と結婚/屈折した経験/手記づくり運動\ヒロシマの母とベトナムの母 |
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6 |
要求で起ち上がった労働者 |
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国労被爆協の取組/全電通の調査活動/被爆教師の会/新しい共同の動きⅢ 医学と被爆者 |
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Ⅲ |
医学と被爆者 |
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1 |
原爆と医学 杉原芳夫 |
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医学の根底-政治/障害の隠蔽-ABCC/原爆症とは何か-科学的認識論/胎内被爆-非人道的調査/遣伝的障害-突然変異/被爆二世-白血病/差別の根源-核戦争政策 |
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2 |
核戦略体制下のABCC |
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二十五年ぶり来広の真意は/原爆投下直後の救護体制/日本側救護を禁圧したプレス・コード/調査研究資料を押収したアメリカ調査団/日本料学者の努力とそれへの圧迫/ABCCの調査活動/被害者より加害者がはばをきかす/ABCCの真の目的/核戦争対策/ABCCは米政府機関/米本国へ送られた被爆者の臓器/アメリカの防衛と安全のための「契約」/無条件完全返還を |
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3 |
ABCCに癒着する広大原医研 |
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三つの研究機関/遺体についての協定/ABCCへの死亡連絡/原医研のなりたち/原爆医学標本センター/原医研と被爆二世/ABCCとの関係/被爆者の背番号/下請け機関であることをやめよ |
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Ⅳ |
国、地方自治体と被爆二世 |
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1 |
“特別援護はしない”―厚生省- |
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「学術の進歩に合わせて考慮する」/その行政上の矛盾/急務にこたえよ |
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2 |
“医科学的証明がない”―広島県・市- |
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被爆地の自治体でありながら…/県も市と同歩調/後退する陳情書 |
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3 |
先進的にとりくむ京都府など |
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京都の被爆者/被爆二世対策の実施/北海道でも/川崎市でも |
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4 |
長崎にて<ルポルタージュ> 深川宗俊 |
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被爆二世の死/国への要望/対策にのりだした長崎市/ある被爆活動家の意見/沈黙は差別を助長する/長崎「青年と被爆二世の会」の発足/鎮魂のうたとして/“死を待つ行政”をのりこえて |
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Ⅴ |
朝鮮人被爆者・被爆二世 |
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1 |
差別の中を生きぬく |
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朴竜時さん一家の場合-一家の苦難/差別にくじけずに 金秀鉉さん一家の場合-生きかえってからの苦しみ/被爆者の子どもの人生/骨身にしみる憤り/快活な二世たち |
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2 |
二十七年間の空白 |
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差別と貧困ヘの告発/広島の朝鮮人被爆者/はかどらぬ朝鮮人被爆者の救援/北朝鮮の被爆者たち/日本の責任 |
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むすびにかえて |
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あとがき <本書は、日本ジャーナリスト会議広島支部(昭和42年結成)の学習会のなかから生まれた> |
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シンポジウム:原爆被害と援護問題
日時:1983年8月7日
場所:広島市社会福祉センター
主催:「原爆被害と援護問題」シンポジウム世話人会
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田村和之 |
開会のあいさつ |
小川政亮 |
被爆者援護の法理 |
湯崎稔 |
原爆被害者援護問題への課題 ー「基本懇」答申の問題をめぐって一 |
河合幸尾 |
被爆者援護と社会保障 |
若林節美 |
被爆者行政の現状と限界 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。