原水爆禁止広島市協議会(再建)
1965年6月20日再建大会<作業中> |
1965年6月25日第1回理事会 |
参考:『原水爆禁止広島県協議会・広島県原爆被害者団体協議会(再建)』 |
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広島県原水協通信 号外(19741022)<作業中>
10・26県内連鎖平和行進を成功させよう |
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広島県原水協通信 号外(19741015)<作業中>
広島県原水協総会 |
佐久間・田辺両氏を国連へ!! 岩国基地講義行動など決まる |
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『広島県原水協通信』第10号(1974年10月11日)
第20回原水爆禁止世界大会の総括(案) |
当面の運動方針(案) |
核兵器完全禁止国際協定の締結を求める各界代表者署名(続報) |
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第20回原水爆禁止世界大会準備ニュースNo.1 1974年6月25日
面 | 見出し | 備考 |
1 | 発行人:吉田嘉清 | |
広島を世界に訴える大会に(小林徹 世界大会企画委員長) | ||
核実験をやめさせよう 核開発・核軍拡に終止符を! | ||
フランス核実験をだんこ糾弾する | ||
ただちに核兵器完全禁止協定を―中国核実験で声明 | ||
2 | 広島へ―広島・長崎の声を世界に | |
広島へ―全国30万被爆者に援護法を | ||
広島へ―原水爆禁止運動の国民的統一の実現を | ||
日本原水協拡大常任理事会 広島で開く〈6月3日〉 | ||
第20回大会のもち方(大要)きまる | ||
7月6・9行動を 各界1万人署名を早めよう | ||
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第20回原水爆禁止世界大会1974 ポスター
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平和新聞=第20回原水爆禁止世界大会特集号(19740825)
主な内容
面 | 見出し | 備考 |
1 | 広島、長崎、ビキニ 再びくりかえすな 核兵器完全禁止国際協定の締結 世界に訴える | |
第20回原水爆禁止世界大会 大会のあらまし | ||
1 | 長崎アピール 90万人こえる | |
2 | ~3面 今こそ核兵器完全禁止国際協定の締結を | |
2 | 被爆者の訴え―名越操さん わが子を奪われた 悲しみをのりこえ | |
2 | 分散会 | |
2 | 分科会 | |
2 | 海外代表 資料館を見学 被爆者と懇談 | |
2 | 戦争の動き・平和の闘い | |
2 | 被爆者の訴え―渡辺千恵子さん 生きる望み与えた 広島の第1回大会 | |
3 | 300人の被爆者を900人の代表が訪問 被爆者の苦しみ痛感 | |
3 | 3000人の代表が市民訪問 市民の声を大会に 署名5千余名 募金44万円 | |
3 | 広島市内で6・9行動 8万円近くの募金寄せられる | |
3 | 岩国―動く分散会―呉 | |
3 | 分散会・分科会 まとめ報告 | |
4 | ~5面 大会文書とスナップ | |
6 | 8・6記念 少年少女の集い | |
6 | 文化大集会 この熱気を世界に | |
6 | 第20回原水爆禁止東京大会 | |
7 | 今も続く不明者さがし 今年も原爆罹災者名簿公開 8名が新たに判明 | |
8 | 8・15と私 | |
堀江正規 | ||
江戸屋猫八「被爆者ゆえに」 | ||
吉田義男 | ||
8 | 第20回母親大会終る | |
8 | 平和はがきで親しまれた いわさきちろ<本名:松本知弘> さん 死去<8月8日、55歳> | |
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第20回原水爆禁止世界大会1974広島 記念文化集会
1974年8月6日 会場:広島県立体育館 |
第1部 |
(司会)矢野宣・津田京子 |
佐藤光政 |
横井久美子 |
ダーク・ダックス |
第2部 |
構成劇「ある恋の物語」(モデル:里見京子さん夫妻) |
最後:壇上に出演者全員、渡辺千恵子、各地の被爆二世、木原なおみ(民芸) |
大合唱:「ベン・セレーモス」(指揮 いずみ・たく)チリ人民との連帯の心ををこめて |
矢野宣 |
出典:『原水爆禁止世界大会記録(第20回)1974(広島)』 |
ポスター |
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第20回原水爆禁止世界大会―1974 大会案内・参加券ほか
分担金など領収証(原水爆禁止広島市協議会) |
参加券 |
大会案内(表) |
大会案内(裏) |
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原水爆禁止世界大会記録(第20回)1974(広島)=「ひろしまの声を世界に」 (19740805)
頁 | ||
1 | 私は広島を証言する | 八島藤子 |
2 | ひろしまの29年 あの日の広島 | |
3 | 水ヲ下サイ | 原民喜 |
4 | ひろしまの真実を世界に | |
5 | 1950年の8月6日 | 峠三吉 |
6 | 平和を訴える ひろしまの子どもたち | |
7 | 1974年 8月の広島はよびかける | |
8 | ひろしま=ながさきの心 | |
編集後記 |
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