「32 原水爆禁止運動」カテゴリーアーカイブ

『民族の星』の中の原爆被害

『民族の星』の中の原爆被害

創刊号 1950.10.10

原爆紙芝居で千票集まる
東京貯金統一委員会の渡辺富成君ら5名(3名女性)は休日で賑う上野公園で丸木、赤松両氏の「ピカドン」の紙芝居をしながら原爆の恐しさを訴え1日で1040票もの平和署名をかくとくした、子供を抱いた主婦や動物園見物の子供たち、美術展帰りの人たちが感激した面持ちでわれ先にと署名した、なお同委員会では都内各地でこれをおこなう(連合)

第2号 1950.10.16

原爆を忘れえない人たちの 秋の夜語り
10月5日から5日間、爆心地の五流荘で開かれた、丸木位里、赤松俊子両氏の大作「原爆之図三部作展覧会」を好評裏に終えたので、両氏と来広中の詩人壷井繁治氏を囲む座談会が八日夜もたれ、30数名の人たちの秋にふさわしい夜物語りがつずけられた、会は数編の原爆詩の朗読の後、原爆詩人の峠三吉氏の司会で始められた
自分の問題として
峠   壷井さんはこの絵ははじめてでしようか
壷井  一部作は東京で、二部、三部作は始めてです、東京では幾分誇ちょうがあるので はないか、と聞いたが、広島でこれを見て批評が間違っていることがわかった、 実に大した仕事だ、所がこれがまだ一般に切実に自分自身の問題として感じず、 原爆の絵から大きなものを引出すまでに行っていないのが残念だ、やがては自分 自身のこととして考え出すことは明かだ
原爆之図の動機
峠   あのような絵を書こうとした思いつきは?
赤松   前から群像を書きたいと思っていた、何となく明るい健康なものが画きたかっ た、ちょうど原爆が落ち丸木の父、姪、友人たちが50人も死んだ、それを悲し み、追憶しようと思う気になり、前から画こうとしていたこととぴったりした、 人間は自分達が裸になってその姿をまね、友人に頼み、三部全体に200人の人 間を画いた、一人終るたびにこれで一人、これで二人死んだという気持ちになっ た、広島の死者は23万といわれるが一生かかっても画けないことがわかった、 画いているうちに正体がわかって来、それを追求することで原爆の罪悪が身にし みた
峠   今後やはり続ける?
赤松  東京では誇ちょうというし、広島ではもっとひどかっというので、当時の状態を もっと追求し、五部作位までつずけたい
モチーフの問題
増岡  木材その他のものが扱っていないが
赤松  木や瓦、トタン屋根など画いたが、ちっぽけな感じなので、人間ばかり画いた、 画家の主観だから、いろい問題があるが、長崎の鐘でも原子雲だけ、広島の写真 は産業奨励館のドームなどで、これが原爆の跡としてのみ大衆の先入観になるの がくやしかった
峠   赤松さんのハッキリ意識せぬままに仕事を始めた点、あなたの最近の詩論と関係 あると思うのですが、
壷井  木材その他のモテイフは人間の憎悪の強くでている画から、見る人の頭に描けば よい、詩でいえば感動の点から、やはり木材などはいれぬ方がよい
坂本  合作は困難と思うが
赤松  意見のちがいなども原爆のあまりにも大きな前ではケンカする気にもなれぬし、 それよりももっと大きい共通した原爆に対する怒りがあった
坂本  個性その他の解決は
赤松  気があえば出来る、夫婦という関係にあるので同じ環境、目的に向っていたこと が成功させた
平和は行動で
峠   東京では展覧会で平和運動として何をやったか
赤松  平和署名、一日平均千票でした、署名する婦人の中にはアメリカへ原爆を落して やれという人がいたが、どこに落してもいけないことだ
峠   芸術家が一しょにやれば大きな平和運動がやれる
壷井  平和運動をやらねばならぬ状態になっていることを認識し、この呼びかけの出来 る人が一人二人と拡がってゆかねば戦争反対の運動は起きない、そういう意味で 両氏の巡回展は大きな力となる、平和問題はなんらかの形で行動化することが大 切だ
峠   私は広島の特殊性によりかかるわけではないが、今夜の感銘を母胎にして、どん な困難の中でも人間の平和と幸福のための皆さんと一しょに努力したい

第3号 1950.10.21

感激の2700票 「原爆之図」展会場で
(既報)丸木、赤松両画伯共同製作になる「原爆之図三部作展覧会」は10月5日より4日間にわたって爆心地の文化会館で開かれた、戦争を憎み悲劇を再びくり返すなと叫ぶ感激的な画を観覧した氏人々は、同所で行った民婦協広島支部準備会の平和投票に続々署名を行い、2662票があつまった

世界の動き 平和のため斗う世界の婦人
[前略]▽ソ同盟、世界大会代表に婦人が続々えらばれている。又、ソヴェト反ファッショ婦人同盟委員長マリヤ・ネギスチェンコは15日モスクワ放送を通じ日本の婦人に次のようによびかけた。
私は大田洋子の作品(屍の町)を胸をたぎらせながら読んだ。日本の婦人のみなさん、再び広島、長崎の悲劇を許してはならない。平和を守るためにSアピールに署名し世界大会代表をえらんで下さい。

第4号 1950.10.26

平和展でソ連紹介 上下・府中両高校
(福山)広島県芦品郡上下高等学校、府中高等学校ではそれぞれ10月20日-25日、11月3日15日の記念祭に『平和展』会場をもうけ、原爆写真、ソ同盟の発展ぶりを学生、一般市民に紹介すると共に、Sアピール平和投票を行う、これは同校の文化班、新聞班の平和への情熱のほとばしり出たもので、植民地的風潮の中で注目されている

第5号 1950.11.1

斗いの歌声よ! 平和の歌声や! 広島・われらの詩の会
われらの詩の会機関誌-ことば-「かつて山上で奏でられいた孤独な自我の歌は、既に寂しい嘆きのようにうすれて今や歌がと絶えざるためには人民の魂が鳴り出でねばならぬ時がきた……」これは同会主幹峠三吉氏(32)の詩人生活の発展そのままを現している
われらの詩の会は同氏を中心に昨年11月「働くものの中から新しい歌を」の呼びかけに集った 県下勤労詩人廿数名が発起人となり力強く発足した
その第1の仕事は勤労者を奴隷にする内外タイ廃的植民地的文化に抗して勤労者の生活を真実に詩い、新しい社会への欲求を歌う創造活動で、「われらの詩」も現在8号を数えるまでに成長した
だが同会はただ詩のみに止ってはいなかった、この魂の歌は実践的活動を始めた生活苦にあえぐ勤労者に希望の詩を送り、その中から次々と歌う人達のサークルが出来、今同会の指導下にあるサークルは既に30を越え独自の活動を行うまでになった、又会は進んで国際婦人デーのシュプレイコールや原爆座談会、メーデーなどに参加した、さらに歌は労働者の斗いの中で起った
……もっと強く  もっとはげしく斗え  斗うんだ  電鉄の兄弟よ
動脈が切れたあとの  うつろな街すじを  いかりの一色に  ぬりつぶせ……
会員の一人は6・15広島電鉄のストをうたい、これは同会編集の辻詩と共に電鉄労働者に感動をもって迎えられた
斗いの歌声よおこれ  平和への歌声よおこれ
Sアピールに応えた「われらの詩」平和特集号は全国の文化人に高く評価された数日前から数回のカッ血で病床にある峠氏は「われわれは原爆禁止、戦争反対のため更にうたいつずけます、これは30万の原爆犠牲者と世界平和愛好者に応える義務です」と語っている(T)

第7号 1950.11.11

原爆の悲劇忘れるな 公判廷で平和戦士さけぶ
(三次)広島県双三郡三次町の8・6反戦デモで不当検束された平和の戦士9名のうち山脇・瀬羅両君の公判は31日三次区裁でひらかれた、電産、芸備自動車などの職場からおしかけた200名の傍聴者は法廷をうずめたが山脇君は、5年前に学徒動員中に見た原爆被害者がいかに悲惨であったかを訴え、「戦争に反対し平和を守る運動がなぜ悪い外国の戦争に奉仕するものこそ日本民族を亡す売国奴だ」とはげしく供述すれば前4列の一婦人はたまらなくなってすすり泣き、満廷われるような拍手におどろいた下井検事は小声で罰金3万円を求刑した、当局はこの日もその特高的正体を見せ傍聴席に私服警官3名をもぐらせたが、たちまち見破られて引ずり出された

第8号 1950.11.16

平和委1万結成へ 全国平和擁護会議開く
6日全国代表100名が集ってひらかれた平和擁護全国大会は、プラーグ・アピールを確認した後、当面の活動方針として△平和投票をもっと精力的につずけ4千万票の目標を達成すると同時に平和をまもる会をどしどし開き平和戦線をひろげ強めて斗う戦線にする、組織方針として△1万の平和委員会をつくり、1千万人を組織することを当面の目標とし工場、経営、農村、町内を基礎にあらゆるところに平和委員会を組織するとの決議を行い、世界大会代表を選出(別稿)次の諸項目を満場拍手のうちに確認した
①全国的な平和投票デーの実施②世界大会委員会の日本視察の要請③標語募集④各政党への協力申入れ⑤世界労連日本評議員団の申れ受諾⑥「原爆の図」の全国的開催⑦活動のおくれている地方へ奮起を要請

中下委員長日本代表に 広船
世界大会への日本代表の氏名は次のとおり
◇知識人…大山郁夫、箕作秋吉(作曲家)畑中政春
◇中央団体代表…亀田東伍(大化学)松谷仙次郎(全新聞)市川鏡次(全自労連)山口寛治(全逓)益田哲夫(全自動車)後藤甲吉(私鉄総連)江藤肇(三井船舶)小倉金吉(富士三鷹)熊倉啓安(全学連)
◇地方代表20名(氏名略)尚地方代表に選ばれた中下氏は「もう今からでは飛行機でいってもまにあわぬ」と前おきし「原爆を体験した広島の労働者として全世界に原爆禁止を訴えようとの希望もいろいろ努力したのですが行けませんでした残念です」と語った

広島で戦没学生慰霊祭 原爆被災者遺族も呼かけ
(広島)別稿戦没学生記念会広島支部では近く戦没学生慰霊祭を開く計画を進めている、慰霊祭には戦没学生遺族、原爆被災者遺族を中心に平和を望む人々によびかける、又同日は映画「きけわだつみの声」、「平和への意志」阿部行蔵氏-広島市出身、都立大学教授、牧師-の講演が予定される

われらの集い 戦没学生記念会広島支部
「原爆のため2人の小さな子供はみにくいはげ頭の不具者となり、私はつんぼとなって毎日悲しい日を送っています、戦争はこりごりです、原爆のおそろしさはいうまでもありませんが、食糧に困ったことが私の心の中には忘れることができません……」広島市千田町の田村としえさんは戦争の悲惨さをこのように語っている
戦没学生記念会はこのような戦没学生や原爆被害者の遺家族を中心に、心から平和を望む人々によってつくられたもので、今まで戦没学生の手記「きけわだつみの声」出版をはじめ多面的な活動を行ってきた、朝鮮動乱以後戦争挑発者の手先のブルジョアジャーナリズムが「平和」を口にすることが何か悪いことでもあるかのような空気をあふりたて、日本の若い生命を再び侵略戦争へかりたてようとしているとき、広島文理大今堀教授を中心に平和への熱情にもえる学生たちは、圧迫をはねのけて戦没学生記念会広島支部を結成した、近く同支部主催で同会理事阿部行蔵氏の講演などともに戦没学生慰霊祭が行われる、この人々の平和への意志は必ずや原爆の地広島の「生きのこった人々」の胸に死んだ人々の切々たる「わだつみの声」をひびかせ「長い長い夜であった、星の見にくい夜ばかりであった」という述懐を永遠にしないですむ日をかちとるであろう

第9号 1950.11.21

広島で戦ぼつ学生慰霊祭
(広島)既報=戦没学生記念会広島支部では26日午後1時半から、広島市千田町広島高師付属小学校講堂で戦没学生慰霊祭を開く、同日は広島支部結成大会につずき、阿部行蔵氏=同会本部理事、東京四谷教会牧師=の“平和への意志”の講演、映画「きけわだつみのこえ」の上映を行う
なお同祭準備会では戦没学生遺族をはじめ、原爆被災者家族を招待しており、一般学生市民の多数参列を要望している

第11号 1950.12.1

平和と生活と教育とを 婦人は求めてやまないのに
師走の風はつめたい、とくに家計をあずかり正月ぐらいはあったかく暮らして…と日夜思案する婦人にとってはなおさらである、こうした中で日本の独立と世界の平和確立のため、職場や家庭を豊かにするため活躍する婦人の姿をひろってみよう
日本で唯一の民主的な婦人団体、婦人民主クラブは岡山、広島、福山、下松、防府、鳥取と支部が結成され平和署名かくとくに活動している。[中略]広島支部は12月2日結成されるが丸木・赤松両画伯による”原爆の図”展覧会で2000票の署名をはじめ職場でもおこなっている。このように婦人の平和への熱情は次第に高まっている。[後略]
第12号 1950.12.6

戦没学生記念祭中止 あいまいな理由で会場拒否さる
【広島】既報=さる26日広島市で行われる予定の戦没学生記念会広島支部主催の戦没学生記念祭は開催日の迫った19日突如「講堂を修理するためお貸し出来ません」と広島高師附属小学校からことわられたためやむなく中止することになった、この講堂使用についてはすでに主催者と附小側とは了解がついていたものだが、このたびの使用中止については不明朗なものがあり、戦没学生遺族をはじめまじめな市民の批判の声が高い

第15号 1951.1.1

1951年を!   峠三吉
先頃この病院で、どうしたはづみか高圧線が切れたことがある。闇の中でボッと青白い光が閃めきその近くにある病棟の窓を瞬間に照した、眠りかけていた私はぎょっと半身を起した、胸がどきどきしていた、硝子に映った枯木の枝も丁度あの「幽霊の手」だった。私は確かにあの8月6日の閃光の恐怖が今でも私の心に生生しく刻みこまれ反射作用のように現れることを経験した。
翌朝同じ病棟の人人にそれとなく話しかけてみたが大部分の人は別に記憶にもとめていないようだった、唯、広島で原爆を体験した2、3の人のみがはっきりその光を覚えていた。その人たちは突差にベットから降りたり、そのまま眠れなかったりした。
無理もない、私たちはこのように近近とあの光線に照されたら、たとい微傷だに受けなくても、もう1週間か10日の命であることをあまりにもよく知っている然もその光線はあの朝だって何の予知する方法もなく実にいきなりひらめいたのだ。此の恐怖は原爆を受けた人間でなければ本当に分ることは出来ないだろう。
みんな広島で20万ほどの人間が1発の原子爆弾で死んだ事を知っている、然しそれは概括的な事実のみであって、もしこの現実に直面したら何人であろうとどう哭してもしきれぬであろう実感を受とることは出来ぬこれを知っているのはあの時広島に居た人間のみだ
1950年12月1日、米国大統領が北鮮の戦いに原爆を使用するかもしれぬと声明したことが伝えられた。続いて英、仏、等における反対の動きと世界中の衝動が伝えられた。
私は待った。人類史上最初に原爆の洗礼を受けた広島の人人の地獄の光りを潜った良心が、全世界の善意にむかって何らかの意思表示をするのを、否!いかなる所にいかなる理由があろうとも絶対に再びこの災禍を人間の頭上に浴びせるべきではない、と叫ばざるを得ぬ広島市民の、自分で触れるのさえ怖しい悲痛な意思表示がされるのを待った
然し遂に、ジャーナリズムのちょっとした動き以外広島市民からは何の叫びもあげられなかった。
私たちは智識によって、原子爆弾が大急ぎで造られつつあることを知っているそれが使用され得る條件が日日高まりつつある国際情勢と、その渦中に位置しようとしている日本であることをも知っている。
1951年はどうかそれを知っているだけでなしにそれに対して私たちが自分の頭で考え、自分のハートで感じ、自分の言葉でものをいう人間であることを示す年にしたい。そして広島の人間、あの光線の恐怖を刻みつけられている人間でなければ出せぬほどの力を平和のために、原子力戦争の破滅から人類を救うために発揮しうる年でありたいと思う。 (詩人)
第27号 1951.3.6

”原爆の悲劇を忘れぬ” 広島の青年学生 平和アピール
【広島】この日広島市の青年、学生はけつき、メーデー、8・6反戦カンパニヤえの火ぶたを切った。
広島反戦青年同盟準備会は国際ビルで集会を開催、最初に原爆をうけた広島市の青年として『原爆禁止』『再軍備反対』のアピールを出す等を決定した。
広島大学=広大皆実分校で約20名が参加、われわれ広島の学生は広島に投下された原子爆弾の痛ましさを忘れることは出来ない、われわれは平和を欲する」と集会の名をもって、朝鮮ヴェトナム学生へメネセージを送った。
広島文理大でも午前10時より午後5時まで同学図書館で、ソヴエト写真展を催し数百名を動員。

積極的に全面講和投票 広島県反学同準備会ひらかる
【広島】広島県反戦学生同盟準備会は25日広大皆実分校で、文理大、広大、忠海、国泰寺、船入、戸手、府中、尾道東、西、世羅(欠席)の諸高校の代表が集まり、来る4月20日を目標に結成大会をひらくことを決定、全面講和投票を積極的に行うことになった。

広島のメッセージを下さい 国際婦人デーメルボルン祝賀会から
2日付中国新聞によれば、オーストラリアのメルボルンにある国際婦人委員会書記デイス・ヘジャー女史から広島市長あてに次のような便りがきた。
3月8日は現在世界的な婦人デーとなっている。メルボルンの国際婦人デー祝賀委員会では、軍備廃止を論議するためレーク・サクセスに特別世界婦人大会を招集するよう国連に勧告する。男子は世界的会合をもつ機会がありながら未だ戦争を追放できません。いまや近代戦の残虐性は戦争そのものを追放するに十分な理由を与えています。
と婦人の平和問題に関する世界的会合の必要と戦争反対を訴え、国際婦人デーに「世界的な」広島からメッセージを送ってほしいと結んでいる。

第28号 1951.3.11

スクラム◇原爆体験記、原爆に関する詩集、写真、絵画など、この恐るべき大量殺りく兵器禁止の訴えとなる生々しい原稿を募ります。前線兵器としても使用できるなどと外電も報じている今日、5年前がまた昨日のことのように脅えて感じているはずの、原爆体験はぜひ本紙を通じてもう一度世界の人たちに訴えて下さい。

第29号 1951.3.16

広島の全婦人は 原爆の禁止を叫んでいる 国際婦人デー集会で全世界に訴う
(広島)広島婦人民主クラブ主催の国際婦人デー記念集会は、8日午后7時より広島市国際ビル二階で、“ふきのとう”の著者山代巴さん、広島県労書記長松江氏を迎えて開催され、約70数名が参加した。
大会では一、平和と独立のための中・ソを含む全面講和、二、講和後には占領軍に帰ってもらいましよう、三、広島の婦人は原子兵器の使用禁止を望みます、四、戦争えの道再軍備反対、五、再びわが夫わが子を戦場に送るな、六、戦争のための税金反対、七、平和のために全世界の婦人と手をつなげ等のスローガンを決定した、ついで松江氏の「平和を守れ」の講演、山代巴さんの「広島市の婦人が平和を守るために全世界の婦人に呼びかけねばならない」の講演があり、民主婦人クラブ、朝鮮女性同盟代表の挨拶がなされた。とくに朝鮮女同代表の1月5日、全世界の婦人えのアピールが朗読されるや、参加者の中からすすり泣きの声が聞え、全参加者に帝国主義者に対するはげしいにくしみとともに平和を守らねばならないとの大きな感めいを与え、「戦争準備のための強制送還反対」のスローガンを満場一致で追加した。続いて幻燈会、レコード・コンサートの後、平和問題の討論会に移り、メルボルンの国際婦人会委員会書記エデイス・ヘジャー女史より浜中広島市長えの、3・8国際婦人デーに平和のメッセージを下さい(本紙27号)との呼びかけに答えること、大会の決定スローガンについて浜中市長に対し代表6名を送出して交渉することを決定した。尚本大会の名で前記メルボルンよりの呼びかけ及び朝鮮民主女性同盟のアピールに応答文を出すことを決定した。

第30号 1951.3.21

原爆使用を断固拒否 長崎大学学生 世論調査に決意示す
(長崎)原爆により学園を壊滅させられ、多くの師、友、先輩を失った長崎大学では、さる2月反戦学生同盟および同盟機関紙「平和」編集部の手で全学生の世論調査が行われたが、原爆使用反対94%、全面講和支持96%、日本の軍事基地化反対91%、進歩的教授追放反対96%という結果で、全学生が戦争と単独講和を断固として拒絶していることが示された、調査の内容と結果次のとおり[略]

メルボルンからの手紙 ”そんなものは知らぬ”
広島市長の暴言に怒る 婦人デー代表
(広島)既報メルボルンよりの手紙について(本紙27号)8日ひらかれた広島市国際婦人デー大会は代表者6名(うち朝鮮女性3名)をえらんで9日市長に面接、①メルボルン婦人からの平和へのよびかけをどう処置したか、②朝鮮人強制送還反対などを抗議した、市長は「メルボルンからの便りは知らなかった」とあわてて渉外課から探し出し代表の要求で朗読したが、代表に責任を追求されて「私のところへは何百通という外国からの手紙がくるから一々返事できない。平和のよびかけでも相手の性質をよく調べなければ」「原爆々々というがそんな抽象的なことでは」など市民の平和への熱意を侮辱した言をはき、代表ははげしく抗議の後国際婦人デーの意義を説いておくればせながら早急に市長のメッセージを送ることを約束させ、全文は市民に公表させることにした。

第41号 1951.5.21

日本教育学会総会有志 平和を五大国で協議せよ 全世界の学会に”平和宣言”
(広島)日本教育学会第10回総会は5月3、4日の両日広島市広大附属小学校講堂で、全国百数十名の会員が集ってひらかれたが、4日評議会員城戸幡太郎氏より再び世界の学会へ日本の教育学者の平和のよびかけを送ることが提案され、議長についていた同学会会長長田新博士は一たん閉会を宣した後参加者全員で同問題の審議に移った。
評議員宗像誠也氏は昨年東京での第9回総会における平和宣言の反響について「国内は勿論外国から大きな反響があり、とくにアメリカの有力な諸学会からその趣旨は当を得、堂々として立派なものであると激賞し衷心から支持する旨回答があった」と報告、城戸評議員よりふたたび平和宣言を出す趣旨について説明があったのち、長田会長が「人間の理性を信ずる教育学者としてわれわれは絶対に戦争に反対する。米ソ英中仏の五大国は国際的紛争を平和的に解決するため協議してもらいたい。」との有志一同の宣言文を朗読するや多数拍手をもって賛成、退場のさい3分の2以上が正式に署名した。この宣言は直ちに国内各団体に配布され、英訳文を世界の各学会及び有識者に送る手筈となった。

鐘盗まれ塔こわされる「平和」広島
(広島)広島市中島本町の平和の塔は22年8月6日以来毎年8・6反戦記念日はもとより平和を望む市民、民主団体の集会が常にそのもとでひらかれていたが、昨年の反戦記念日に民事部が一切の平和の集会を禁止して以来市当局はその管理を放置し、そのため3月には塔上の「平和の鐘」が盗まれるなど市民の憤慨をかつていたが、同塔を原爆反対の旗じるしとしてますます高まる戦争反対の空気に、市当局は同塔一体[ママ]を観光用の公園にすることを計画、10日遂に同塔のとりこわしにかかった。

第42号 1951.5.27

長田博士も署名
(広島)既報=世界の学会に訴える平和宣言を発した日本教育学会の会長長田新博士(広島文理大教授)は15日同氏宅を訪れた広島平和委書記局員のさし出したベルリン・アピール署名用紙に、「これはいいことです」と進んで署名した。

第43号 1951.6.1

8月・原爆都市広島で平和祭を開催 祭典準備会、全国の青年学生にアピール
【広島】8月5日より19日までベルリンで開かれる第3回世界青年学生平和祭にこおうして、広島の青年学生は7年前人類が最初に原爆を体験した広島市で広島平和祭を挙行することを決定し、祭典準備会はその準備をすすめているが、このほど全国の青年学生につぎのようなアピールを発した。
すべての青年学生及び平和愛好者の皆さん!
われわれはベルリン世界青年学生平和祭を諸民族の友情と連帯性の強化に寄与するものとして心から歓迎するものです。
われわれは世界平和祭に参加し、その準備活動をおこしていくとともに、原爆の都、広島においても、全国によびかけて広島平和祭を開催することを提唱したいのです。そしてこのことは充分注目すべきことだと考えます。
われわれはすべての青年、学生、平和愛好者に対し、「広島の悲劇をくりかえすな! わだつみの悲劇をくりかえすな! 平和にために団結せよ」という祭典スローガンを支持して、この祭典にぜひとも参加するよう訴えます。!
第3回世界青年学生平和祭万才!!
広島平和祭万才!!

広島平和祭の多彩なプログラム
(広島)広島平和祭祭典準備会は全中国の青年、学生に対しベルリンの世界青年学生平和祭に次のようなプログラムで参加するようよびかけている。
平和を守る斗いの記録、写真(原爆、斗争、民族風景等)作品(文学、絵画、研究論文その他)出版物等の編集出品、ベルリン平和祭及び各国青年学生とのメッセージ交かん。
さらに同準備会は広島平和祭に対しつぎのようなプログラムを発表し、祭典スローガンを支持するよう団体個人によびかけている。
(文化プログラム)△文芸雑誌展示会△詩、小説コンクール△文芸講演会△映画会△音楽会△演劇発表会
(スポーツ)△野球大会△バレー大会(講座)文化講座、巡回講座(展覧会)△美術展△現代ソヴェト展△日本学生運動史展

第45号 1951.6.11

広島の反戦詩をベルリンへ
(広島)8月5日より19日までベルリンで開催される世界青年学生平和祭に対し、広島市の「われらの詩の会」では峠三吉氏を中心に「広島の悲劇をくりかえすな」を全世界に訴えるため、昨年より集められた反戦詩歌をまとめて近日中に出品参加することになった。

太田洋子氏を囲んで座談会
【広島】2日夜、「われらの詩の会」主催で太田洋子氏を囲む座談会が開かれ約40名集った。原爆の悲惨を体験した作家太田氏や詩人峠三吉氏は、戦争か平和かの問題をぬきにした創作活動が現在では全く考えられないことやベルリン・アピールの意義などを語りあった。

第46号 1951.6.18

反戦平和よう護八月斗争開始さる 広島で8・6平和大会
広島16団体実行委、全国にアピール
〔広島〕8・6を全日本平和擁護者の断固たる斗いの日とせよとの広島平和擁護委員会のよびかけで、4日広島市基町国際ビルに集った広島県労など別項の16団体代表は、8・6平和擁護全国代表者会議実行委員会を結成、全国の労組、民主団体、平和擁護者に別項のアピールを発し、次のような基本的方針を決定して8・6への斗いを大きくすすめることになった。
一、大会スローガン
再び原爆を落すな
5大国(米、ソ、華、英、仏)は平和條約を結べ
対日講和のための5大国(米、ソ、華、英)外相会議をひらけ!
二、このスローガンの下に全国の平和擁護勢力を8・6に結集し、広島では人民大会およ び全国代表者会議をひらく。
三、このために全国の平和擁護者にアピールするとともに、あらゆる機会に8・6の意義 を浸透させ準備に全力をあげる。
四、とくに同じ原爆罹災都市長崎の市民によびかけ両市の平和愛好市民の強力な提携の下 に斗う。
広船代表は西重の組織を通じて直ちに長崎造船によびかけると発言、全建設代表も21日琴平でひらかれる全国大会で訴えることを約した。
なお既報同実行委員会と青年平和祭準備委員会および8・6婦人大会は緊密に協力しながら、それぞれの立場から独自にそれぞれの層を8・6へ結集することになっている。

広島の悲劇をくりかえさないために アピール(全文)
8月6日-広島の市民が仕事にとりかかった午前8時15分、その1秒前まで青白い原子雲の下で焼き殺され、焼けただれた幽霊のさまよい燃え移る家の下敷になって助けを求めながら死んでいく地獄図が広島にくり拡げられようとは誰が想像しただろう。その8月6日を広島の市民、否全人類は永遠に忘れ去ることはできない筈です。その日が6度めぐってきます。
原爆を世界で最初にうけた広島の私たちは今こそ全世界に向って強く叫びます「戦争はいやだ」と。そして戦争を望む一握りの人々にたいして強いいきどおりと憎しみを感じていますしかしその広島の上空には爆弾をつんだアメリカの飛行機が飛び、地響をあげて45輛の特別貨物列車は西へ西へと走り去っています。あたかも広島市民の希望をうち砕くかのように………。だがすでに私たちは弱くないことを知っています。平和は私たちの力で守れることを知っています。
私たちは再びめぐり来る8月6日を世界人類の幸福のために意義あらしめようと準備しています。すなわち私たち広島の市民は「広島の悲劇をくりかえすな」「5大国の平和協定を結べ」「4大国の外相会議をひらけ」というスローガンの下に結集し、8月6日を期して平和擁護人民大会ならびに平和擁護全国代表者会議を原爆の地広島で開催するよう準備をすすめています。
特に同じ原爆の犠牲になった長崎の市民の皆さん。私たちは皆さんがこの私たちの企てに心から賛成して下さることを確信します。
さらにこの原爆の都で私たちが行おうとしていることがいかに偉大であり、平和のためどれだけ貢献するかを正しく判断され、広島の一大平和カンパニアを中心に各地でカンパニアを計画し実行されるよう、広島の市民は全国の平和愛好者に訴えます。(後略)
1951年6月4日
8・6全国平和擁護大会実行委員会
広島県労働組合協議会 西重広島造船所分会 全建設中国四国総支部
国鉄刷新同盟 反戦青年同盟 反戦学生同盟 広大平和擁護委準備会
朝鮮人解放救援会 われらの詩の会 新日本文学会広島支部
広島平和擁護委員会 西條平和擁護委員会 舟入平和擁護委員会
広島平和の斗士団 婦人民主クラブ広島支部 日ソ親善協会広島県連

第48号 1951.6.27

星座
桜木町国電丸焼事件のむごたらしさを、広島の原爆体験者は「問題ぢぁない、原爆のことを思えば」という△本紙新年号で広島の詩人峠氏の挨拶文中、電光でハッと8月6日の閃光を思い出した、それを感覚したのは沢山いる入院患者中4、5名の広島の人で、なかには目がさえて眠れなかった人もあると書いている△このように広島の人々の脳裏から原爆のむごたらしさは永久に忘れることの出来ないものとなっている△戦争屋どもは、広島市民が8月6日を記念し「広島の悲劇をくりかえすな」と叫ぶことがそれほどこわいのか8月6日に行われる罹災者の供養を今年はあわててすでにやり、平和塔をこわし墓標はでたらめな都市計画の下にうずまり、広島市から何一つ平和、原爆のあとかたをなくしようと必死になっている△しかし本紙にけいさいされた吉田氏に詩「墓標」はなくすることは出来ない、そしてこの「墓標」は必ずや広島の子供達をして全市に平和のシンボルとしての墓標をつくろうとの力をよびさまし、更に全市いたるところに、「原爆をつかうな」「平和を守ろう」との記念碑から集会から巨大な斗争がもり上って来るだろう。

第49号 1951.7.1

準備進む広島青年平和祭 準備委既に30団体を結集
(広島)広島の青年平和祭準備会では20日の第2回準備会までにすでに次の卅団体を結集、別項のようなプログラムに従って活動をすすめている。準備会事務局では近く全世界の青年および全国の青年へのアピールを出すべく準備中。
△参加団体-広船青年部、全建設中国四国総支部青年部、広島平和擁護委、宮打村平和擁護委、舟入平和擁護会、安芸郡反戦青同、朝鮮青年協議会、広大学友会同文研、同哲学研、同社研、新日本文学会広島支部、人民文学広島友の会われらの詩の会、安芸郡演劇サークル、広島電鉄青年部、全銀連広銀支部、全電通広島電報局支部、広島郵政局、国鉄広島地方本部、同第一、第二、工機部各支部、同己斐分会、日通広島県支部、同広島支店分会、全商工広島支部、広島市役所職組
△文化プログラム
①全国に作品募集中のコンクール(〆切7月20日)
☆文芸雑誌展-皆実町広大学友会事務局あて、広大文研、「世代」が共催。
☆小説-皆実町3丁目松尾忠あて、審査は文学会中央が担当。
☆詩-平野町第3平和アパート内われらの詩の会。
②文芸講演会-新日本文学会。全学連(中央)で講師団を準備中。
③映画会-「戦争と平和」など。全建設で映写機、会場を引受けている。
④スポーツ-市側の7月末の野球大会との共催やバレー大会を準備中。
⑤ソヴェト展-日ソで準備。
⑥音楽、コーラス-放送局、エスポワール文化協会、国鉄と交渉中。
その他演劇、討論会、美術展、学生、労働運動史展などの準備がすすんでいる。
△東京、大阪、九州など各地の青年も参加の準備をすすめているとの報告があり、6月末には長崎、東京の青年代表が準備のため来広する。

第50号 1951.7.6

B・アピールを支持 全建労全国大会
全建労全国大会は20日から22日まで四国琴平に代議員90名傍聴者40名が参加してひらかれ、組織、賃金、税金、国土復興、平和擁護などの51年度斗争争方針を決定したが、執行部の一般報告で提案されたベルリン・アピール署名運動は満場一致で支持され強力に進めることを決議、とくに各組合幹部がよく勉強して自信をもって一般組合員に浸透させることが強調された。広島代表は8・6をめざして原爆犠牲者追悼の平和記念碑建立運動をすすめていることを報告すれば会場は原爆反対の空気でわき立ち直ちに全国で基金カンパをおこすことがきめられた。2日目は平和擁護と国土復興、賃金と税金、組織の3分科にわかれて討議したが、平和擁護の分科会では△ソ同盟の理解が不足しており社会主義の理解を深めねばならないこと、△単独講和は講和ではなく絶対に結んではならないこと、△ベルリン・アピール署名の強化などの結論が出され、国土復興は具体的な対策案をつくって、農民、市民と共斗することをきめた。

第55号 1951.7.26

連日平和の集会 広島市 8月反戦平和行事きまる
〔広島〕8月平和擁護斗争の中心地広島市での計画がこのほど各主催団体からその一部が発表された。
8・6大会実行委員会主催で、6日午前平和擁護人民大会(全広島市民を中心)午後平和擁護全国大会開催なお同日全建労平和慰霊祭YMCA平和慰霊祭が挙行される。
8月5日=反戦青年同盟中国地方結成大会。夜は青年交歓会(予定)
10日=在日朝鮮人中国地方少年団大会。
15日=国鉄広島地方委主催の平和祭。
広島平和祭々典委員会はつぎ計画を決定した。
7月29日=阿部行蔵氏平和講演会(27日三原、28日昼西條、夜呉、30日三次)
7月30日=新協劇団“潮ざい”(予定)
8月21=鈴木共子ヴァイオリン独奏会、宅孝二ピアノ独奏、園部三郎解説(29日岡山、30日府中、31日尾道、8月3日山口、4日宇部)
8月11日=文芸講演会、佐々木基一、花田清輝、野間宏。
8月12日=平和祭芸能コンクール(各組合、民主団体出演、音楽、演劇、舞踊等)

広島平和祭 コンクール作品募集
〔広島〕広島平和祭祭典委員会ではベルリン世界青年平和祭に呼応し諸種の行事を行うが、文学関係準備会で創作コンクールを行うことになり、広く次の規定で作品を募集している。
△詩、小説、戯曲、シナリオ、短歌、俳句
△テーマは平和について多くの人に訴え、希望を与えるもの
△選者-追って発表
△〆切-八月末(新日本文学中国地協雑誌「海燕」に発表
△送り先及び問い合わせは広島市皆実町三
広島大学教養学部学友会内広島平和祭典委員会へ

第56号 1951.8.1

ふたたび原爆を落とすな!
(写真説明)
①1945年8月6日、原爆投下直後広島市御幸橋付近(爆心地より約1粁半)
②母親にだかれた火傷の子供
③一瞬、死の街と化した広島市
④火傷の子供
⑤電車内の惨状
⑥ここまで母子来たが、力つき死亡
⑦街路にて(以上広島市)
⑧長崎市稲佐嶽中腹よりみた同市の全景

主張 八・六大会に結集せよ!
1945月8月6日! それは日本帝国主義の崩壊が、ソ同盟対日戦参加数日後にひかえて、既に決定的であったにもかかわらず、世界で初めての原子爆弾がアメリカの手によって広島に投下された。一瞬30万の生命は失われ全市は破壊と叫喚のなかに叩きこまれた。
7度回り来る8月6日!広島の街には戦火の跡はまだ生々しく、悲愁の想ひなお昨日の如く新たなるにもかかわらず、世界は再び原爆の恐怖にさらされている。朝鮮における1ケ年に及ぶ干渉戦争は世界幾億の平和をのぞむ人々の決意によって、原爆の使用を防止し、漸く平和的解決への曙光が見出されたとはいえ、幾百万朝鮮人民の生命と財産が奪い去られ破壊された。
[以下略]

8・6への態勢成る 準備会20団体、全国へアピール
〔広島〕8・6平和大会準備会は既報の広島県再軍備反対共斗委参加団体のほか金属山口支部、岡山窯連、朝鮮民戦、41団体を結集した平和祭祭典委代表など約20名が広島県労会議室に集ってひらかれ次の方針を明確にし実戦への態勢をを整えた。
①8月6日は次の大会をひらく
原爆記念平和大会(午前10時、基町市民広場)
原爆記念平和擁護全国大会午後1時広島市荒神小学校
②共斗委提案の3スローガン(既報)の第3項は情勢の切迫から「サンフランシスコ単独 講和会議反対、4大国会議にもとずく全交戦国による対日全面講和会議の即時開催」に 改め、3スローガンの下にできるだけ廣はんな大衆を結集する。
③このスローガンの下に参加せぬ中立的平和運動に対しても積極的に協力し、戦争屋とそ の手先の偽瞞的平和運動を徹底的に暴露する。
④広島青年平和祭には緊密に協力する。
25日準備会参加のため労組、民主団体は連名で全国の労組、民主団体へ招請状を送り、 全広島の市民および全国の平和愛好者へのアピールを発した。
広船、国鉄第二支部、全建労中四国、全商工中国、尾船、尼鉄呉、三車、東洋工業、広島自労、同県労協、笠戸ドック、長門鉄道、小野田炭鑛、桜山炭鑛、金属山口支部、岡山窯連、岡山自労、広島平和委、山口県平和委、岡山県平和を守る、会、中国地方朝鮮統一民戦委員会外。
なお市の指導する平和協会は「祈りと反省」をスローガンとして6日午前8時半から集会をひらき、リ最高指令官、吉田首相らのメッセージその他で市民大会へ参加するよう積極的によびかける。

第59号 1951.8.11

連日平和集会を決行 広島 悪質な弾圧妨害に抗議
(広島)広島市の8・6平和カンパは、しつように繰返される当局の妨害の中で平和擁護者の抗議斗争とともに堂々開催されている。広島平和祭28日プーク公演で開始、会場妨家で予定が1日のびたが350名が集った。
29日は阿部行蔵氏の講演が行われたが、これも予定の会場を警察が妨害、前日になって変向した。
原爆犠牲者追悼独奏会 1日夜の鈴木共子氏の原爆犠牲者追悼ヴァイオリン独奏会は、またまた会場が開催前日になって断わられ会場を五流荘(爆心地)に変更したところ、警察は会場変更届を受付けぬと届出時間が過ぎたことを理由に拒否して来た。会場を引受け五流荘主人に対しても警察が何回も貸すなと脅迫的干渉を行った。こうした悪質な弾圧のなか五流荘で約200名が集まった。
八・六大会にも干渉 3日朝に到って平和擁護全国大会の集合届責任者、広船労組委員長角田氏の所へ数名の警官が押しかけ「届出は受理しない」理由は昨年6月のウイロビー書簡に該当すると妨害にのりだした。これに対し大会準備会では直ちに抗議を行うとともに、参加団体によびかけ一大抗議斗争に立ち上っている。

第60号 1951.8.14

8・6平和大会の勝利万歳 この力を桑港会議の陰謀粉砕へ 平和斗争に輝かしき発展  労働者の指導歴史的決議 弾圧・分裂けり1500・140団体結集
8月6日、広島市荒神小学校で原爆記念全国平和会議が、中国、関西、九州、四国、名古屋、東京など各地から140団体を代表する1500名が集り盛大に開会された。この会議が7・7再軍備反対労働者会議に結集した労働組合により指導されたことは特にわが国平和擁護運動の前進に重大な意義をもっている。
会議は午後1時半広船八木氏の挨拶、国鉄広島第二支部金子氏司会で始り、議長団に関西平和委大津氏、広船角田委員長、金属山口支部谷口委員長が推され、来賓挨拶、メッセージ、祝電披露の後、事務局松井県労書記長の一般報告が行われとくにB署名運動の推進、平和戦線の統一、目前に迫った桑港会議の粉砕が強調された。ついでこの報告にもとずき別項の決議などを採択し、各地方代表の報告で豊富な体験が交換され、とくに戦線統一に討論が集中、結局別項事務局の見解をわずか反対四の圧倒的多数で可決した。かくて平和勢力が正しいスローガンの下に結集できたこと、戦線の正しい統一方針が明らかにされたこと、さらに労働者階級を統一の中心においた平和愛好者の実力によるスト、デモなどの力で桑港会議を粉砕すること、これらはすべて全世界の平和勢力との固い結合によってのみ成功的にかちとりうること等大会の画期的意義が結語として満場一致確認され全員固いスクラムでインターナショナルを高唱し成功的勝利をかちとり閉会した

広島からのアピール
平和の敵の弾圧と妨害の中から
広島に眠る廿四万の声なき人々のねがいにこたえて
いま日本の支配者は、日本を再軍備し、軍事協定を締結し、日本を永久に外国軍の掌中にゆだねるたくらみをもって桑港講和会議を開こうとしている。
われわれがこれを許すならば、世界の平和は脅かされ日本民族は永久に屈辱の歴史をたどるであろう
広島の悲劇をくりかえさぬことをねがい、原爆の日を記念して広島に結集した全国の平和擁護者は、世界の恒久平和と民族の独立を求める全人民諸君に訴える。
平和を脅かし民族を滅亡に導く桑港会議に反対せよ
米・ソ・英・中四国外相会議にもとずく全交戦国参加の対日講和会議即時開催を要求せ よ
1951年8月6日 於広島 全国平和会議

採択されたメッセージ
緊急動議で満場一致採択されたメッセージ、決議抗議などは次のとおり
▽四大国をはじめ全世界の国々へ単独講和反対のアピール▽ベルリン世界青年学生平和祭祭典委員会への挨拶▽朝鮮人民、同人民軍中国義勇軍へのメッセージ▽トルーマン、ダレス、リツジウェー、吉田首相などへの抗議▽松川事件犠牲者への激励および法務総裁らへの抗議▽八月九日長崎平和大会へのメッセジ▽奄美大島沖縄へのメッセジ▽朝鮮民主主義人民共和国の対日講和参加要請
全国から祝辞
この日次の団体から来賓として挨拶、祝辞が述べられた(敬称略)
△平和擁護日本委亀田東伍△平和の戦士団阿部行蔵△関*平和委△慶応大平和委△朝鮮民戦中国地方委△朝鮮少年団△日共臨時指導部鈴木市蔵△青祖戦・全学連中執△東京平和会議△全愛協・新日本文学壷井繁治△労農党広島地本△反青同中国地方委△日共関西統一委△婦人民主クラブ△日共中国地方委内藤知周△広島市長濱井信三(代)松川事件鈴木被告ほか5氏他に関西青年婦人代表者会議、民青同、全統会議、日帰同、大阪朝鮮民戦対策委、大阪朝鮮学連、東大反戦学同経済学部班、筑豊民青同(挨拶省略、団体名のみ)また産別会議、筑豊地区平和促進委、小野田地区労、仙台平和戦士団、新日本文学神戸支部、布施生擁同、八尾生擁同からはメッセジがよせられ、原爆記念茨城平和大会、九大教職組連合会、茨城平和と独立戦士団、全倉庫住友、全銀連近畿支部青婦人部、全建設中四国鳥取総支部、埼玉平和委、仙台統一同盟、愛知平和大会8・9長崎原爆記念行事実行委などからは祝電

決議(要旨)
世界で最初に原子兵器が使用された8月6日を記念し、広島に結集した日本全国の平和擁護者は世界平和と日本民族の独立のため次のことを決議する
一、世界が再び広島の悲劇をくりかえさぬため、原爆の使用が永久に禁止されなければな らない
二、世界平和を強化し国際安全を保障するために、米、ソ、中、英、仏の5大国が平和協 定を締結することを要求する
三、世界の平和が現に破られている朝鮮問題が速かに平和的解決に向うため、全関係諸国 の会議が開かれ外国軍隊が朝鮮より撤退し、朝鮮人民が自らの手でその国内問題を処理 できるようになることを要求する
四、国際協定と日本人民の意志をふみにじり日本の再軍備を進め、特定国との軍事協定に より日本に外国軍隊駐在を許すあらゆる企図に反対する、この企図を実現するために計 画されている桑港会議にたいしては平和と独立のため断固反対して闘わねばならぬ
われわれは日本を戦争と奴隷に導くニセの講和会議ではなく米、ソ、英、中四国外相会 議にもとずく全交戦国との講和会議の即時開催を要求する
五、以上の要求実現のため全日本の平和と独立を求める人民大衆が一致団結し、その隊列 を拡大強化し世界の平和擁護陣営との固い連絡をもって平和と独立の闘いを進めなけれ ばならぬ。平和と独立の戦線は思想、信教、政党の如何を問わず広汎に結集さるべきで あり分裂主義者が反共平和戦線をつくりあげようとする企図は、平和の敵の手先たる役 割を果すものとして粉砕しなければならぬ
六、この会議は平和の敵の摯ような弾圧と妨害の中で140団体が正式に代表を送るほか、 1500名の平和擁護者を集めて決行された平和擁護者の固い団結を何ものも妨害し弾 圧しさることができないことをこの会議は実証した
われわれは、この会議の成果にたち平和と独立のためこの決議を実践し発展させることを、広島の地下にねむる24万の声なき人々に誓うものである
1951年8月6日
於広島 全国平和会議
命かけ平和を闘いとらん 朝日両民族のスクラム・爆発したデモ
6たびめぐりきたる原爆の日、ここ広島の荒神町小学校には、朝から各地の平和愛好者たちがぞくぞく集ってきた。遠く東京、名古屋からまた九州から関西から、むし暑い夜汽車にゆられながら人々は集ってきた地元中国地方は勿論、山陰の人人も山を越えて集ってきた、人々の数は開会時遂に140団体、1342名に達した。
労働者がいる、学生がいる、婦人が、農民が、少年が、そして老人も、あらゆる階層、年令の人がそこにいる
官憲の度重なる干渉、妨害と、新聞、ラジオを総動員した逆宣伝をけちらして人々は後から、後から原爆の閃いた日と同じカンカン照りの街路を会場え急ぐ 原爆記念全国平和会議!校門前に大書きされたビラ、逞しい若者たちによって武装警官から守られた講堂、あの日の追憶も新に再びしのびよる帝国主義者共の戦争の魔手を、命かけてはねかえさんと決意の眼をかがやかし、千余の人々は今会議の開会を待っている、労働者が沢山いる、7・7再軍備反対中国地方労働者会議に結集した広船以下20いくつの労働組合の人々はこの日も逞しい推進力だ
原爆を落とした奴によっていままた美しい故国を打ちこわされ、肉親を殺された在日朝鮮人が、これも年若い人々を混えて、民族の悲しみと怒りと闘いえの決意にもえて集っている
もうすぐ開会だ
会議は1面所報のごとく祝辞、報告、討論とすすめられた、午前中の屋外集会を禁止した戦争屋の手先共は、この会議にも弾圧の牙をといでいた、会場には刻々敵の動静が報告され緊迫感があふれている、1人も帰らない、ぎっしりと講堂の土間に坐りこんだ平和擁護者たちは真剣だ、意義なし、そして万雷の拍手が全員の平和えの誓いと決意を高めて行く、こっそりもぐりこんだ分裂主義者はそのみじめな正体を見事にバクロされた、彼等によって一時ひきおこされた混乱は、全員の整然たる拍手の波の裡に間もなく平静に帰し、挑発を排し、き然たる態度の中に画期的な重要な諸決議が可決されて行く、全国平和会議は完全に闘い取られた、勝利したのだ、平和は遂に弾圧に打ち勝ったのだ
松江県労書記長の結語の後、全員は一せいに立ち上り1600の堂を圧するインターの大合唱が始まった皆んなガッチリと腕をくんでこの平和の大集会の勝利の喜びと感激にあふれている、合唱が終り万歳が終っても人々は帰らない
突然校庭の方でワッショワッショのかけ声が起った去りかねた人々が一団となってジグザグデモや始めたのだ*見る見る内に皆んなデモに加わった、「平和」「独立」「ワッショ」「ワッショ」デモの波は校門をのりこえ広島の街に溢れ出し、全市を平和と独立の闘いの坩つぼに化せしめるほどに逞しくつずく
午後7時、全員は整然と校庭に集合大会スローガンを斉唱、世界平和勢力と日本の平和擁護者の闘いを祝して再び万歳と拍手の波、原爆の日の広島の夕空にその鼓動が高く長く尾をひいて歴史的な会議は終った
長崎で平和集会を弾圧
広島に呼応して、同じ原爆の残虐な殺りくをうけた長崎でも8・9平和集会が準備されていたが、平和勢力の結集を恐れた平和の敵どもは8・9より8・15にいたる間集会を禁止し平和勢力に弾圧を加えてきた

動員きかぬ総評平和大会
平和会議実行委の数回に及ぶ統一申し入れを拒否して行われた、総評主催の分裂「全国労働者平和会議」は特定の人々だけの入場を許してこの日10時から児童文化会館で行われた。入場者約800、その半数近くは折柄当地に集った日教組中央委員の人々で、実際の動員は少かった。
会議は型の如く進められたが、一般に低調であいさつも提案もただ原爆の悲惨さと平和えの悲願を強調するのみで何ら具体的な活動方針にふれずわずかに日教組岡委員長の、アジア諸国の反対をおし切って日本は孤立して単独講和の途を進みえない、再びわだつみの悲劇をくりかえしてはならないとの発言が、満場の共感をよんだことが参加者の中に真面目な平和愛好者のいることを示した程度で、議事進行の不馴れに野次が乱れ飛んでいた
最後に恒常的平和運動機関の組織と全権団えの平和決議文手交が提案されたが、拍手低調で3度採決をとる有様で集った人々の中には会場にまかれた国鉄広島第二支部の、平和の戦線統一を訴えるビラ等に見入っているのが多く全くお手盛速成平和会議の感があった

市の慰霊祭
朝8時半から広島平和協会主催の慰霊祭が相生橋の平和広場で開かれ、米空軍の飛行機から花束が投下されたり、首相のメッセージで単独講和が強調されたりした

二挺拳銃で原爆供養
この日の広島の市街は、花束をもった遺族の姿が方々に見られ一しお人の心に平和への願いをきざみつけたが、一方米空軍岩国基地の朝鮮出撃50回以上という「歴戦の勇士」24名がオーマン大佐らに引卒されて市主催慰霊祭に出席した後市内見学を行い、射撃の名手ケニー・ダンカンが二挺拳銃を手に白馬にうちのり市内をカッ歩し、許された唯一の街頭デモが日の丸を先頭にし行進曲に歩調をそろへたボーイスカヴトであった

第61号  1951.8.21

長崎でも8・9平和集会
〔長崎〕長崎原爆投下の8月9日を平和と独立えの前進の日にしようとする「8・9長崎原爆記念行事実行委員会」主催の諸集会は売国的官憲により「その筋」の名の下にすべて禁止された。
9日浦上の爆心地で挙行予定の長崎県平和擁護大会を禁止、弾圧した市警派、午前9時市内医師会館でひらかれた長崎県平和代表者会議にも警官隊を派遣し、福岡、佐世保、などからも参加した代表たちの抗議を無視して強引に解散させ、同所で開催予定の午後の平和祭、夜の平和大会も引きつずき弾圧した。会議参加者は日共九州地方統一委星野力氏らを市警に送って抗議するとともに別会場で平和活動者会議をひらき、当日の大会および会議に送られた全統会議、福岡県平和懇談会、九学連などの祝電、メッセージを発表したのち5大国平和協定締結、桑港単独講和会議粉砕を中心とする今後の活動方針をきめ全国、全世界の平和愛好者に一そうの団結を訴えた「長崎からの訴え」を採択した長崎文化サークルは当日夜市内農民会館で新日本文学会中央委員大西巨人氏らを迎えて「平和と文学の夕」をひらき、多数の聴衆がつめかけたが血に狂った当局はこれにも警官隊を派遣して弾圧、長崎文化サークルは直に全市民に抗議ビラを配布し、市内職場大衆のふん激は高まっている。

『平和の斗士』の中の原爆被害

『平和の斗士』(アカハタ中国総局)の中の原爆被害(者)

2号 1950.7.17
原爆で広島市民はこのように死んで行った[写真1葉]
3号 1950.7.23
8・6反戦平和大会に結集 平和投票15万 広島平和ようご委で
原爆投下の8月6日をまじかに迎えた広島平和擁護委員会では14日実行委員会をひらき、さきに決定された6日の平和よう護大会、1日から10日までの平和よう護週間を討議、6日の大会は午前10時から平和広場で行い各労組、民主団体にひろく参加をよびかける、6日までを第1期として平和投票15万を集める等を決議した、なお原爆体験記の出版も計画されている
6号 1950.8.3
世界幾億人民の叫びに応え 原子兵器の禁止 広島市民8・6大会に総けっき
全国から青年大挙2千名参加
帝国主義者どもの第3次世界戦争へのしつような兆発と、恐るべき非人道的な原子戦の危機のさ中、20数万の原爆犠牲者を出した広島市で、5たび迎える8月6日、「原子兵器の禁止」を叫んで市民総けっきの反戦平和大会が、佐久間教授(広大)四竃牧師(教会)岩宮副委員長(県労協)菅原校長(安芸高女)を常任委員とする広島市平和よう護委員会で準備されている同委員会は27日全国の平和愛好者に対し次のような招請状をおくった
原爆が広島に投下されてから5年、またまた戦争への危機はせまっております、この危機を前にして人類殺りくの武器、原子兵器を禁止せよとの叫びは全世界幾億万の人々の熱望となっています、わが広島平和よう護委員会はこの8月6日を期して平和よう護原爆禁止のための市民総けっきの日とすべく左の日程で平和大会を開催します、尚当大会には全国各種代表、特に青年代表2千名の大挙参加も予定され既に海外からも深い関心が表明されています
一、日時8月6日10時半
一、場所 平和広場
一、順序 △開会 △議長選出 △メッセージ △大会宣言決議 △行進
7号 1950.8.6
再び広島の悲劇を繰返すな 八.六をストで斗え 全労連各単産に訴える
全労連では1日の幹事会で「反戦平和月間」について次の要請を各加盟組合に出す事をきめた
(1)それぞれの條件に応じて8月6日はスト、職場大会、デモで斗い、戦争反対の決議をすること
(2)ストや大会のできないところは全員1分間の黙とうをすること
(3)最初に原爆を投下された8月6日午前8時15分(広島)、また8月8日午前11時2分(長崎)にはあらゆる工場、列車、電車は一斉に汽笛、サイレンを吹鳴すること
(4)この斗争の中で全員ストックホルム・アピールに対する平和投票を行うとともに平和擁護委員会の組織運動をすすめる
8・6大会に中止警告 この暴圧と断呼斗え 広島平和委・県労協声明を発表
3日広島平和擁護委員会主催の平和擁護市民大会の許可願に対し西署長は受理を拒否し、大会をあくまで行うならばウイロビー少將の覚書にてい触するおそれがあるとの「警告」を発した、これに対し4日直ちに委員会を開き平和の希望を表明することさえこばまれる重大な事態と暴圧に対して断固斗うよう訴える声明を発表した、県労協でも同日執行委員会を開き、全国の労働者と広島市民に断固弾圧反対斗争に立ち上れとの声明を発表し直ちに市警本部へ厳重抗議した
八・六大会によす      川村よしお
“けうは三き きのうは七きとんだ とうちゃん”
そうだ 戦争にゆくひこうきだよ 一機で二十万にん 母ちゃんたちを
殺した数こうきだよ
みんなくろ焦げになっても こぶしを木のこぶしのように握りしめ
まぶたのめくれた眼のタマで 空をニラみながら死んでいた
そのなかで 折れた腕をぶらさげ はだかで泣いていたおまえ
母ちゃんも どこかできっと こぶしを握り眼をむいて ちくしよう!と 死んだのだ
いちにんでも多く殺すようにねらい 出勤と隣り組のかり出しで 女もとしよりも
集ったところをみはからい 豚のように殺された あのあさ
死にかけたけが人たちも 自動車のばくおんでさへ にげようと
収容所の木のベットから ころげ落ちた あの ひと殺しの 飛行機!
けんじよ こわがるな
おまえが数えるように ヒロシマのにんげんはみな 心のなかで けうも何機
あれがとんだかを知っている
夜はこっそり たくさんとぶのを しっている
その影が くろい羽根のように 心の底に積み重なって ゆくぞ
おばあちゃんも おじいちゃんも だんだん拳をにぎってゆくぞ
あのゴム人形のような 銅像のような かみの毛も皮膚もない ひとたちのように
拳をにぎり 眼をとび出させてゆくぞ
そのとき そのときが来たら けんじよ
はっきり知れ! だれが原子ばくだんをどんどんつくり だれがまたひとごろしの
戦争をおつぱじめているかを
だまされるな うそにのるな そのやけどの痕のある まゆげにつばをつけて
よく 飛行機をかぞえておけ
8号 1950.8.9
論説 8・6平和擁護斗争
日本を軍事基地としての朝鮮の民族解放斗争に対する帝国主義者の侵略戦争のまっただ中、5年目にめぐりきたった広島原爆投下の日、広島の青年、全中国から集った青年が中心になって、平和擁護人民大会がもたれた
8・1にはじまる反戦平和擁護週間は全中国で斗われたが、8・6を頂点として各地でデモ、大会が組織された、これらの大会は、すべて、官憲の野ばんきわまる弾圧の中でもたれたことは特別に重要である
広島では、一切の平和のための集会が禁止されたばかりでなく、事前に市警は数万の弾圧恐はくのビラを号外として配布し、ラジオは3日間にわたって3時間おきの恐はく放送をやり、当日は全県下から2千の警官を動員し、さらに千余の警官を待機せしめた正に彼らのいう「平和都市広島」は、何千の武装警官によって街頭を固められた戦時的状態を出現した、しかも平和集会がもたれるや「暴動が起った」というデマ放送をやり市民を不安動揺せしめた
平和擁護大会はこのような敵の弾圧をけってもたれ、戦争反対、原子兵器禁止のストックホルム・アピトルの支持、アメリカ帝国主義打倒、日鮮労働者提携万才、朝鮮の解放斗争支持を堂々と決議し、数万のビラを配布し、市民に多大の感銘をあたえた
いまや「平和」そのものを最もおそれているのはアメリカ帝国主義者であり、日本におけるその番犬であることがきわめて明確である、彼らはつねに口で平和をとなえ、平和の仮面をかぶって、あたかもソ同盟を先頭とする平和勢力が侵略者であるごとく宣伝しているが、実に彼らは、彼ら自身が数十万を殺りくした広島で、死亡者を追悼する数万の大衆を武装警官とラジオで恐はくし、原子兵器の禁止と戦争反対を訴える平和のための集会を3千余の武装警官隊で弾圧したことをみても、彼らこそ平和愛好人民の殺りく者であり、第2次世界戦争を兆発する火つけ人であることがあきらかとなった
さらに重要なことは、いまや平和は、労働者を中心とする広はんな愛国人民大衆の平和への欲求の結集、組織によって、戦争放火人-アメリカ帝国主義者とその日本における番犬との決然たる斗争なしには断じて守り得ないことは明らかである
平和擁護の斗争こそが帝国主義者を戦りつさせる当面の中心課題であることはいまや明白である、ストックホルム・アピールの飛躍的な拡大と工場を中心とする平和擁護委員会の組織の拡大は当面最も重要な斗いであることを銘記しなければならぬ、歴史的な8・6平和擁護大会の決議はいまこそ全中国、全日本で実せんされねばならぬ
平和を愛する全世界の人民へ 八月六日広島平和擁護委員会 平和宣言
8月6日、広島平和擁護委員会は心から戦争を憎み平和を愛する全世界の人民に対し要旨次の宣言を発表した
心から戦争を憎み平和を愛する人々よ!5年前の本日午前8時15分、わが広島市に原子爆弾がさく裂しました、この恐るべき非人道的な殺りく武器のもと、しかばねと焔の中にあって、われわれ生き残った者の全身からしぼり出された戦争への憎しみと平和への熱願が現在では全世界幾億の人々の平和をかちとろうとの固い決意の中に置かれていることをみて限りない喜びと勇気とをおぼえるものであります
平和こそ現在われわれが斗いとるねうちのある最大なものとなりました、世界をおおう反戦の巨大なさけびの中で、孤立した戦争放火人達は平和に関係のあるものの一かけらも抑圧しないでおれないのであります既に極東の一角では銃火が交えられ、原爆使用の論議がされているさ中、広島市民は原子兵器の無條件禁止を要求するストックホルム・アピールがわれわれの悲痛な要求と完全に一致するものであり、これに署名することがわれわれの光栄ある義務であり、そしていく億の平和署名は必ずや新しい戦争をそ止し、原子兵器の使用を禁止することを確信します
われわれはどのような困難なる條件のもとにあろうとも、諸君とのより堅いていけいにより、平和を守る斗争の飛躍的発展を期するものであります
☆再び広島の惨かをくり返すな!
☆戦争反対、平和擁護運動の偉大なる進展万才!
反戦ビラをよみ入る広島市民 平和を叫んだ20万犠牲者を忘れるな
武装警官数千の恐はく下広島市
その日の広島市民-福屋デパートの周辺はガリ刷りの小さなビラで一ぱいだ、それを拾って泥をおとししわをのばし丹念に読む勤人学生達-チョゴリ姿の朝鮮人のお婆さんは、きけばわざわざ平和大会に参加しようと思って出てきたそうで弾圧に屈せずビラをまいた日本の青年たちの気持も祖国で斗っている人民軍戦士の気持もまったく同じだとビラを大切にもちさった△電車の中では、例年のお祭騒ぎの行事が今年はなくてよい、だがこの警官隊が広島市を占領した恰好ではどうして何十万の犠牲者がめい福できるかと憤がいの声がきかれた
各国で大々的に行事 世界民青連発表 8月6日にS署名成果発表
(連合)パリの世界民青連本部はつぎのように発表した
S・アピールにたいする署名の第1回集計が広島に原子爆弾が投下された第5回記念日にあたる8月6日に発表されることになっている、△8月6日を国際的に平和斗争の日とする準備をすすめている国が多く、米国労働青年同盟会長はつぎのような文章を発している「われわれは平和のために働いているすべてのものにたいしリーフレットやポスターやデモによって広島の日を記念するよう要求する、われわれは広島の日を記念することによって独立と民族解放の運動に加えられている帝国主義の犯罪的政策をばくろすることができるのだ」△フィンランドの青年は8月6日に終る1週間をとくに平和署名週間とし、西ドイツの青年は8月4、5、6日をドイツ青年の平和斗争デーとして宣言し、オーストリアおよびチュニジアの青年も同様な計画を発表している
ソヴェト1億2千万を署名
平和ようごソヴェト委員会の発表によれば8月1日までに1億1527万940名のソヴェト人民が署名した
中国で1億を目標
中国ではS・アピールにすでに5千万人以上が署名し1億以上目標をめざしている
弾圧下1万5千のデモ ニューヨーク 「ノーモアヒロシマ」大会
(連合)既報ニューヨーク労働平和会議のノーモア・ヒロシマ大会は2日デモを禁止されたが、当日は1万5千名の平和戦士がユニオン・スクエアで平和をまもり対韓援助に反対するというスローガンの下に平和デモを行った、警官は馬上からこん棒をふりまわして大衆を解さんさせようとしたが、デモ参加者は「われわれは平和をのぞんでいる」「原子爆弾禁止」を叫びながら行進をつずけた
モスクワ放送 6日プラウダ 「ヒロシマ」と題する記事
6日付プラウダは、「ヒロシマ」と題する次の如き記事をけいさいした
アメリカ帝国主義者が広島に原子爆弾を投下してから今日で5年目になる、平和擁護世界会議常任委員会機関誌「平和擁護」はこの爆撃の野ばんな意図をバクロし爆撃瞬間の広島の人口は31万2千であったが爆撃終了后は、3分の1が生残っただけで家屋の9割がうちこわされた、更にアメリカ側の報告を引用し広島と長崎が投下の対象となったのは両市とも人口が稠密なことをのべている、つずいて今年5年目に発表された広島・長崎青年の全世界へのメッセージをあげ日本では7月末までに150万以上のS・アピール署名が集まり、その后ますます増加している、日本平和を守る会では4千万の署名を目標にしている
10号 1950.8.15
モスクワ放送 広島8・6斗争の模様報道
11日モスクワ放送は広島の8・6平和大会の模様をつぎのように報道した
東京から上海に達した報道によれば、アメリカが広島に原子爆弾を投下した日8月6日、この都市は事実上戒厳状態にあった、警察当局は勤労者の集会も含めあらゆる集会を禁止した、彼らは治安維持の名の下に2千名の警官を動員したが、この計画的弾圧にも拘らず愛国者たちは平和ヨーゴを叫んで2カ所で集会を行った

 

 

 

『アカハタ』の中の原爆被害

『アカハタ』(日本共産党機関紙)の中の原爆被害(者)

1950.4.13 
広島に平和擁護委 谷本牧師 教えられる米の反戦運動
(中国総局発)6日、大山郁夫氏を囲む「平和懇談会」で広島平和擁護委員会」が結成されたが、世話人になった谷本牧師は、ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」で世界的に有名であり、先日1年余のアメリカ視察から帰ったカトリック広島上流川の牧師さんで、この懇談会の席上「私も宗教家として平和運動に身を捧げていますが、もっと地についた民主的な平和運動にしなければならない、そのため勤労者を中心とした平和擁護の運動と緊密な連絡をとってやりましょう」との意見をのべ、さらに現在アメリカでたたかっている平和運動の一端を
「カトリック、プロテスタント、クエーカーをはじめキリスト教の中から良心的戦争反対熱が非常に起っている、とくに学生に間では世界国家建設運動(U・W・F)国際反戦同盟(W・R・I)とか戦争防止協会などに加盟して戦争に反対してたたかっている。スワスモアー大学できいた話ではアメリカでも戦争をこばんで投獄された学生が多く、現在でも5、6名の学生が投獄されている、沢山な税金がとられ、これが軍備に使われることに反対してたたかっています」
と語った。
なお第一回世話人会は15日、広島市流川カトリック教会でひらかれることになった。
1950.5.12
”原爆の日”8月6日を反戦デーに 広島青年平和運動に立つ
(中国総局発)世界民青連から「原爆最初の犠牲者である広島の青年諸君から全世界の平和愛好者に原爆・水爆中止のための署名運動をよびかけるよお努力していただきたい」との要請がきた。これにたいし、民青団広島地区委員会はただちにこれに答え、広島全青年の総力を結集して原爆記念日の八月六日を反戦斗争デーに決定、反戦大デモンストレーションを行なうよう決定した。また、国内における署名運動を平和投票の形式で原爆反対のスローガンを要求の中に入れる、なお広島造船青年部は5月はじめ青年部委員会で反戦旗を青年部旗に決定、近く民青団とともに原爆中心地で平和投票をおこなう。
1950.5.20
世界に報道さる 広島・長崎 青年の平和アピール
去る4月21日から3日間東京で開らかれた青年祖国戦線結成大会に広島代表として参加した全商工長沢昭二(22)大金属空海田義則(25)広島造船高木栄(24)民青団広島望月久枝(21)広島県学連熊谷頼忠(23)の5君および長崎県代表の長崎造船楠本浩(21)山下安雄(22)の2君は、広島で原爆をうけ長崎で家族を失った民青団書記長佐々侃君と連名で、世界民青連にたいし、原爆の体験を通じて世界の青年は平和のためにけっ起せよと別記のよおなアピールを送った。このアピールは全文が去る12、13両日のモスクワ放送で全世界に報道されたが15日世界民青連書記局から左の手紙が祖国戦線事務局宛にとどいた。
「原爆の廃墟の中から全世界の青年諸君に訴たう」(要旨)・世界民青連の手紙[略]
1950.5.27
胸痛む原爆の傷痕 広島市の平和投票
(中国総局発)民青団広島地区委員会を中心とした原爆都市広島の平和投票はその後ずっとつずけられている。原爆の中心地に近い市内八丁堀の署名場には毎日黒山のよおな人があつまり「原爆の日の惨状」を写した数枚の写真をじっと見つめ、緊張した顔に「うちの子供も死にました」と戦争に対する心からのにくしみを平和投票にあらわしてゆく。署名運動は広船、全商工、全逓をはじめ労組青年部を中心に大きく発展、20日現在すでに数千名にのぼっており、8月6日の反戦斗争デーを目標に働く全市民の署名を集めようとすすめられている(写真は原爆傷に苦しむ赤ちゃん母親「原爆の日の惨状」の写真から)
1950.6.1
原子爆弾禁止せよ 長崎 青年団体が運動起す
(長崎支局発)広島についで第二発目の原子爆弾の洗礼を受けた長崎市でも、平和擁護委員会のストクホルム・アピールにこたえ青年層が中心となり原子爆弾禁止運動にのり出した。長崎市では長崎造船労組青年部、民青団などで、代表を中央の青年祖国戦線結成大会に送ってから急速に具体化し、長崎三菱4工場青年協議会、高島炭坑労組青年部、民主青年団の会合で、原子爆弾禁止運動を中心に広く結集することが決議され各青年団体に原子爆弾反対準備委員会の名前で広く呼びかけた。26日には午前十時から長崎市丸尾町漁業会館で第一回の準備会が開かれ、長崎造船、三菱電気、三菱精機、日通、全逓各青年部代表、地域青年団、共産党など約18万名を代表する11団体の代表30名が集まり、次のことを決定した。
一、組織の性格は連絡準備会とし、各参加団体の自主性を尊重するとともにそれぞれの活動に対して相互批判の自由を認める
二、名称は取りあえず「原爆反対運動連絡協議会準備会」とする。
三、今後の行事としては
(1)ストックホルム・アピールによる署名運動をやる
(2)原子爆弾体験者の手記を広く集めて出版する
(3)原子爆弾体験者の座談会を開きその速記録を出版する
(4)世界の平和愛好者に対し原爆禁止のアピールを出す
なお29日の長崎地区労主催「自由党をほおむる人民大会」に原爆反対連絡準備会の名前で長崎造船青年部から原子爆弾禁止運動を提案することがあわせて決議された。
1950.6.21
「屍の街」合評会 原爆使用に身をもって抗議する世界最初の記録
松田[解子] こんど「屍の街」がでて、各方面でたいへんな反響を呼んでいます。作家の大田[洋子]さんは広島に疎開するまで私の家の近くに住んでおられ、今になってみれば、まるで原爆をうけにわざわざあちらまでゆかれたみたいです。近ごろではまたずいぶんからだが弱り、科学者にいろいろ研究材料を提供されているそおですが、痛々しいことです。いま新しい戦争が刻々と迫り、一方ではストックホルム・アピールが、世界中の人々に原爆禁止を訴たえている最中ですし、今日はこれを読んだ職場婦人のみなさんに正直に感想を話し合いたいと思います。[以下略]
1950.6.26
二世兵士まで署名 ”わだつみの声”出演者たちが 日劇前で平和投票集め
[前略]
「原子爆弾で石がガラスのよおにとけるのです」と爆心地広島から持ってきた石をみせながら説明すると、戦災孤児でくつみがきをやっている****君までいっしょになって署名かく得のお手伝い、丸の内署の巡査や二世の米兵まで署名、1時間もたたぬうちに1500枚があつまった。[以下略]

 

 

書誌:世界連邦

書誌:世界連邦

発行年月日 書名 編著者・発行所  発行所 メモ
1950
0110 世界連邦運動と我国におけるその現状 外務省情報部文化課
0201 世界連邦アジア会議報告書 世界連邦アジア会議広島準備委員会事務局(編)
1952年11月3日~6日に広島で開催された会議の報告書
1951
1952
0201 国際平和読本 小谷鶴次著 関書院 U
1953
0201 世界連邦アジア会議報告書 世界連邦アジア会議広島準備委員会事務局著編・刊
0430 世界連邦は広島から 中島進  世界連邦広島協議会
1954
1101 世界連邦第二回アジア会議広島大会 世界連邦建設同盟、世界連邦建設同盟広島支部
1101 世界連邦 下中弥三郎  元々社
    「8.ひろしま会議」
1961
0401 国際平和読本 改版 小谷鶴次著  関書院
1965
0101 サンフランシスコ大会(第12回世界連邦世界大会)-参加と欧米視察の報告書 [出版者不明]
0205 平和像のできるまで 世界連邦建設同盟豊中支部
0411 平和の解剖 エメリー・リーヴス著 稲垣守克訳  世界連邦協会出版局
0701 世界連邦第1集 尾崎行雄記念財団
1966
0307 世界は一つ 森義明  新東海社
0615 岐路に立つ-世界連邦実現の近みち 南俊夫著、世界連邦日本国民会議編  世界連邦日本国民会議
 0615 世界連邦西日本大会-大会のしおり 広島市、世界連邦建設同盟広島県協議会
1967
0101 世界連邦都市宣言運動 その目的・精神・方法・効果 世界連邦都市宣言世界本部
0301 世界連邦新聞 172号 世界連邦建設同盟
0501 世界連邦新聞 174号 世界連邦建設同盟
1007 世界連邦日本大会 第6回 世界連邦日本大会準備事務局
1968
0415 世連人間山脈 世界連邦建設同盟
世連講座  高橋三郎 [ほか] 世界連邦建設同盟広島支部連合会
第一回鹿島平和賞受賞の記録 受賞者クーデンホーフ伯 鹿島平和研究所編・刊
平和記念日へのメッセージ 広島市
世界連邦運動20周年記念日本大会 1968 世界連邦建設同盟
1969
0125  武力とその使用 小谷鶴次著  世界連邦建設同盟広島支部連合会
0331  世連の声 世界連邦建設大阪府協議会編  桃谷勉三郎
0501 世界連邦運動二十年史 世界連邦建設同盟編・刊
0501 世界連邦の現実性、核時代から世界連邦時代へ-世界連邦運動20年史抜萃 世界連邦宣言自治体全国協議会
0507 世界連邦都市宣言運動の歩み-戦争なき一つの世界を! 世界連邦都市宣言世界本部
0806 濱井信三追想録 濱井信三追想録編集委員会
1101 世界連邦日本大会 第9回 世界連邦日本大会事務局(第9回)
1970
0101 「平和記念日」の取扱について 広島市教育委員会編・刊
0101 世界連邦の構想 武藤勝恵著  広島文教女子大学
0101 世界連邦運動情報資料(1970.1.26) 世界連邦都市宣言世界本部
0401 アジアの平和と日本 武者小路公秀、ノーマンカズンズ 他  世界連邦建設同盟
1101 こども平和文集 平和についてこう考える 児童平和協会  児童平和協会
1971
01015 オタワ大会-第14回世界連邦世界大会報告 世界連邦建設同盟
0429 世界連邦ハンドブック 1971 世界連邦建設同盟編  世界連邦建設同盟、国際平和協会
0529 世界連邦平和促進宗教者大会 第3回 世界連邦促進宗教者大会事務局
1003 世界憲法 ロバート・ハッチンス著 賀川豊彦訳  世界連邦推進委員会
世界憲法 ロバート・ハッチンス著 賀川豊彦訳  世界連邦推進委員会
 1220 平和競存の創造 人類永遠の生存法則 加藤新一著編  地球人友の会
1972
0625 世界連邦運動ヒロシマ25年史-第2回世界連邦平和促進宗教者大会記念 世界連邦運動ヒロシマ25年史編集委員会(編)  世界連邦建設同盟広島県協議会
1972
0101 世界連邦都市宣言運動の歩み-戦争なき一つの世界を 世界連邦都市宣言世界本部編  世界連邦都市宣言世界本部
0206 世界連邦国会決議ハンドブック 世界連邦建設同盟
0206 世界連邦国会決議ハンドブック 世界連邦建設同盟編  世界連邦建設同盟
0331 原子雲を越えて-各国首脳との核停交渉記録 上田貞治著  全国日本学士会
0601 世界連邦平和促進宗教者大会 第4回 世界連邦日本宗教委員会
0625 世界連邦運動ヒロシマ25年史 第2回世界連邦平和促進宗教者大会記念 世界連邦運動ヒロシマ二十五年史編集委員会編  世界連邦広島宗教者協議会、世界連邦建設同盟広島県協議会
0921 世界連邦日本大会 第11回 世界連邦日本大会事務局(第11回)
1333 世界連邦都市宣言運動の歩み 世界連邦都市宣言世界本部
1973
0101 平和像除幕記念式典 大阪府・大阪市 世界連邦平和都市宣言10周年記念 世界連邦建設同盟大阪支部
0610 教育は一つの世界を志向する-平和教育に関する教育者会議資料 鈴木義光著  国際平和協会
0801 サム・レイバー氏の建設的国際主義提案資料 世界連邦
 1005 世界連邦運動-われらの歩み(1948-73) 小塩完次著  世界連邦建設同盟
 1016 世界連邦日本大会 第12回 世界連邦日本大会事務局(第12回)
1974
0725 広島に捧げる日本の天命 喜澎晃久著  春陽社出版
0810 第一回地球市民日本大会ならびに第四回世界連邦教育者全国会議 : (略称)地球市民ヒロシマ大会 地球市民ヒロシマ大会
10102 世界連邦-その思想と運動 田中正明  平凡社
1975
0520 われら地球市民 安積得也著  時事通信社
0715 平和への道 庭野日敬  佼成出版社
1976
0101 総会資料 昭和51年度 世界連邦宣言自治体全国協議会
0308 世界連邦を21世紀までに-世界連邦の諸価値をめぐる報告と討論 世界連邦第一次五ヵ年計画委員会
0515 農業・食糧問題と世界連邦 世界連邦を21世紀までに第一次五ヶ年計画委員会
0601 世界連邦を21世紀までに-世連宗教者亀岡大会報告書 第七回世界連邦平和促進宗教者大会事務局編・刊
0715 山田節男追想録 山田節男追想録刊行委員会編・刊
1977
0101 世界連邦日本大会参加者名簿 第13回 世界連邦
0101 世界連邦日本大会 第13回 第13回世界連邦日本大会事務局
0101 総会資料 昭和52年度 世界連邦宣言自治体全国協議会
0110 世界連邦の構想 谷川徹三著  講談社
0503 1か0(ゼロ)か 世界は一体のものとなるか さもなければ無に帰してしまう ギュイ・マルシャン著 小谷鶴次訳  柳原書店
 1220 国際連合論序説 齋藤鎮男著  新有堂
1978
0101 総会資料 昭和53年度  世界連邦宣言自治体全国協議会
0115 世界連邦国会決議-1978特集資料 世界連邦建設同盟編・刊
0301 全国小・中学生ポスター作文コンクール優秀作品集 第6回 世界連邦宣言自治体全国協議会、世界連邦建設同盟編
0301 世界連邦への道 世界連邦宣言自治体全国協議会編  世界連邦宣言自治体全国協議会
0501 世界連邦運動の推進歴(S24.4-53.4満30周年の記録) 世界連邦推進全国協議会
1979
0101 総会資料 昭和54年度 世界連邦宣言自治体全国協議会
0301 世界連邦への道 世界連邦宣言自治体全国協議会
 0301 全国小・中学生ポスター作文コンクール優秀作品集 第7回 世界連邦宣言自治体全国協議会
1001 国際連合論序説 齋藤鎮男著  新有堂
1980
0101 1980 HIROSIMA World Citizens Assembly 第18回世界連邦世界大会・第3回地球市民大会ヒロシマ 地球市民連合広島センター
0101 世界連邦への道 世界連邦宣言自治体全国協議会
 0301 全国小・中学生ポスター作文コンクール優秀作品集 第8回 世界連邦宣言自治体全国協議会
 1225 地球世紀に生きる-人類文明史成長の軌跡 第3回地球市民ヒロシマ大会実行委員会  第18回世界連邦・第3回地球市民世界大会ヒロシマ会議実行委員会
1981
 0101  世界連邦への道 世界連邦宣言自治体全国協議会
 0301  全国小・中学生ポスター作文コンクール優秀作品集 第9回 世界連邦宣言自治体全国協議会
1982
 0201  全国小・中学生ポスター作文コンクール優秀作品集 第10回 世界連邦宣言自治体全国協議会
 0320  世界的に狂っている国防論 「世界連邦」創設の「政治的プロセス」 三好康之著  勁草書房
 0430  新世界秩序をめざして-第18回世界連邦世界大会報告 世界連邦建設同盟編・刊
 1120  国際連合の話 桑原輝路  広島平和文化センター
1983
 0201  全国小・中学生ポスター作文コンクール優秀作品集 第11回 世界連邦宣言自治体全国協議会
1984
 0201  全国小・中学生ポスター作文コンクール優秀作品集 第12回 世界連邦宣言自治体全国協議会
 0301  世界連邦への道 世界連邦宣言自治体全国協議会編・刊
 0410  全人類への訴え 世界平和のために 大槻憲二著  大槻憲二遺選集刊行会
1985
 0201  全国小・中学生ポスター作文コンクール優秀作品集 第13回 世界連邦宣言自治体全国協議会編・刊
 0220  世界連邦がやってくる-多国籍企画、国際化、進む情報化、往来居住の自由化などで世界は変わる 田中照雄著  泉文社
 0301  非核都市宣言自治体連絡協議会 結成総会 報告書 昭和60年3月 広島県府中町
 1001  総会資料 世界連邦宣言自治体全国協議会
1105 海外事情から世界連邦へ 小谷鶴次  出版サービス
1986
 0201  全国小・中学生ポスター作文コンクール優秀作品集 第14回 世界連邦宣言自治体全国協議会
 0301  世界連邦への道 世界連邦宣言自治体全国協議会編・刊
 0430  国際関係と人間 小谷鶴次著  Toshindo出版サービス(発売)
1218  世界はひとつ 道ひとすじに 日高一輝著  八幡書店
1987
0101  全国小・中学生ポスター作文コンクール優秀作品集 第15回 世界連邦宣言自治体全国協議会
1988
0124  平和を生きる 三宅歳雄著、三宅龍雄編  講談社
1989
 0705  湯川秀樹著作集 5 平和への希求 湯川秀樹著  岩波書店
 0720  この道五十年 小谷鶴次著  Toshindo出版サービス
1991
 0420  世界連邦へのプロセス 神野清著  晃洋書房
 0503  世界市民の対話 平和と人間と国連をめぐって 池田大作、ノーマン・カズンズ著  毎日新聞社
 0814  パール博士の日本無罪論 田中正明著  慧文社
 1992
1115  国際平和法序説 小谷鶴次著  Toshindo出版サービス
1993
 0301  平和の条件 奥田広隆著  奥田広隆
1994
 0410  平和の条件 世界連邦の目標と構想 奥田広隆著  中日出版社、愛知県郷土資料刊行会(発売)
 0701  最終平和論-世界連邦をめざして 奥田広隆著  奥田広隆
1995
 0220  思い出から平和の構築へ 小谷鶴次著  晃洋書房
 0701  世界連邦と国連-世界改造計画の理想と現実 奥田広隆著  奥田広隆
 0901  今日の世界連邦主義 奥田広隆著  奥田広隆
1996
 0516  記念誌 世界連邦全国婦人協議会  世界連邦全国婦人協議会
2000
 1014  平和へ魁ける綾部 新世紀へのメッセージ 綾部世界連邦運動50年史編纂委員会編  綾部世界連邦運動協会
 1101  パール判事の日本無罪論 田中正明著  小学館
2002
 0513  私の二十世紀 岡本安正著  岡本安正
  1125

 人類共存の哲学 庄野直美著  日本図書センター
2003
 非核平和都市宣言20周年イベント 町田市  町田市
 1110  平和研究 第28号 世界政府の展望 日本平和学会編  早稲田大学出版部
 1110  第9条と国際貢献 勝守寛著  影書房
2004
 0201 国際刑事裁判所とは? 国際刑事裁判所問題日本ネットワーク(JNICC)
 0401 女性たちが歩む平和の道しるべ  世界連邦全国婦人協議会創立45周年記念誌編纂室  世界連邦全国婦人協議会
 0801 地球に平和を 世界連邦ものがたり 荻野忠則  世界連邦運動協会 世界連邦・北海道
2005
 1005 人類共存を実現しよう 庄野弘全著  学術出版会
2007
 0815 パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義 中島岳志著  白水社
2008
 0525 原子爆弾とキリスト教 広島・長崎は「しょうがない」か? 栗林輝夫著  日本キリスト教団出版局
 0704 湯川秀樹とアインシュタイン 戦争と科学の世紀を生きた科学者の平和思想 田中正著  岩波書店

 

 

 

 

写真でたどる第五福竜丸

『写真でたどる第五福竜丸 ビキニ水爆実験被災50周年記念・図録』(第五福竜丸平和協会、20040301)

目次

項目 備考
刊行にあたって 川崎昭一郎(財団法人第五福竜丸平和協会会長)
発刊にあたって・東京都 伊藤精美(東京都東部公園緑地事務所長)
01 水爆実験との遭遇
第五福竜丸23人の乗組員、第五福竜丸の航海の位置と被災位置
02 乗組員のその後と久保山さんの死
03 「原子マグロ」と国民生活
04 ビキニの海へ―俊鶻丸の海洋放射能調査
05 漁船第五福竜丸
06 原水爆反対の声おこる
1各地で取り組まれた署名簿、2第1回原水爆禁止世界大会ポスター、3第2回原水爆禁止世界大会ポスター、4第1回世界大会参加証、5署名簿
07 乗組員へのお見舞いの手紙
08 漁業補償と事件の「決着」
09 マーシャル諸島の核被害
10 世界の核実験被害
11 原水爆のない未来へ
12 第五福竜丸の保存と展示館の建設
13 船体とエンジンの再会
展示館のこんにち
年譜 第五福竜丸のあゆみ
解説:第五福竜丸一廃船から展示館開館まで 山村茂雄(第五福竜丸平和協会理事)
解説:水爆実験と日本の科学者 森一久(第五福竜丸平和協会評議員、日本原子力産業会議副会長)
解説:第五福竜丸事件の現在一日本経済への影響 山本義彦(静岡大学人文学部教授、焼津市史編集委員会副委員長、近現代日本経済史専攻)
解説:マーシャル諸島の核被害者 竹峰誠一郎(w瀬田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程)
解説:世界の核実験被害 安田和也(第五福竜丸平和協会事務局長、学芸員)
解説:第五福竜丸の被災と被爆者 岩佐幹三(第五福竜丸平和協会評議員、日本原水爆被害者団体協議会事務局次長)
おわりに一展示毎開館から今日まで 川崎昭一郎(財団法人第五福竜丸平和協会会長)
主な所蔵資料
掲載写真提供一覧
ビキニ事件と第五福竜丸に関する参考文献
50周年記念プロジェクトのよびかけ
都立第五福竜丸展示館の案内

 

第五福竜丸展示館関係資料

第五福竜丸展示館関係資料

書名 発行者・発行所 発行年月日 備考
奪う者は誰か 第五福竜丸船員の手記から 橋爪健、 東都書房 1958/03/31
死の灰の谷間 日本-放射能と原爆被害の実相 原水爆禁止日本協議会 1958/06/25
第五福竜丸-ビキニ事件と原水爆禁止運動 原水爆禁止日本協議会 1968/09/23
第五福竜丸 1954年3月1日その日から 第五福竜丸平和協会 1975/07/01
 ビキニ水爆被災資料集 第五福龍丸平和協会編 、東京大学出版会 1976/03/31
第五福龍丸事件 「第五福龍丸事件」編集委員会編、 焼津市  1976/11/01
中央集会・第五福竜丸のつどい  原水爆禁止日本協議会 1977/03/30
 第五福竜丸 その真相と現在  広田重道、 白石書店   1977/07/31
私たちの平和教育 「第五福竜丸」「3.1ビキニ」を教える 飯塚利弘著、静岡県歴史教育者協議会編 民衆社 1977/08/01
 ビキニ水爆被災の証人 第五福竜丸 第五福竜丸平和協会 1978/08/01
都立・第五福竜丸展示館・管理レポート4 第五福竜丸平和協会 1980/06/01
 第五福竜丸保存運動史 広田重道著 白石書店 1981/03/10
東京都立第五福竜丸展示館管理レポート5 第五福竜丸平和協会 1981/06/10
船を見つめた瞳-第五福竜丸・親と子の感想録 第五福竜丸平和協会、同時代 1981/09/23
平和問いかける船と共に 都立第五福竜丸展示館管理レポート7   第五福竜丸平和協会 1983/06/10
沈めてよいか第五福竜丸 武藤宏一氏追悼文集編集委員会 1983/07/30
熊野からの手紙 熊野で造られた第五福竜丸の記録 徳田純宏著 編集工房ノア 1984/03/01
 死の海をゆく 第五福竜丸物語 長谷川潮 著 文研出版 1984/07/01
 母と子でみる 第五福竜丸   第五福竜丸平和協会、草土文化  1985/01/20
 水爆実験との遭遇 ビキニ事件と第五福竜丸  川井龍介、斗ヶ沢秀俊著 三一書房   1985/07/15
   The Lucky Dragon ; 第五福竜丸  ed. by Koji Suzuki, Susan Murata ; 鈴木光治、スーザン村田 Sanyusha ; 三友社出版  1986/07/20
 第五福龍丸  第五福竜丸平和協会 1989/01/01
 わすれないで 第五福竜丸ものがたり  赤坂三好 文・絵 金の星社  1989/03/01
 死の灰を背負って 私の人生を変えた第五福竜丸 大石又七 著、工藤敏樹 編 新潮社  1991/07/10
 死の灰を越えて 久保山すずさんの道  飯塚利弘著 かもがわ出版 1993/08/15
 ひかりのばらは-第五福竜丸ものがたり  「ひかりのばらは」編集委員会 、かもがわ出版 1994/08/06
 世界の平和博物館  西田勝・平和研究室編 、日本図書センター 1995/08/25
 第五福竜丸のベン・シャーン展   秦小夜子編 、第五福竜丸展示館 1996/11/01
 原水爆のない未来へ  TOMOHIRO H. 第五福竜丸平和協会  1997/03/15
 世界の「戦争と平和」博物館 写真・絵画集成 第6巻  日本 荒井信一、早乙女勝元監修 山本耕二写真総責任 日本図書センター  1997/04/25
 原爆のない未来へ 第五福竜丸全長(ポスター)  第五福竜丸展示館  1997/08/08
日本の平和博物館展 特別展 = Exhibition of peace-related museums in Japan  立命館大学国際平和ミュージアム  1998/10/29
 平和をどう展示するか‐第3回世界平和博物館会議報告書 第3回世界平和博物館組織委員会 他  1999/03/30
 第五福竜丸ものがたり-この船の名を告げ合おう-  第五福竜丸平和協会  2000/01/22
都民運動の記録 第五福竜丸エンジンを東京・夢の島へ 「第五福竜丸エンジンを東京・夢の島へ」都民運動 20000831
 第五福竜丸とともに 被爆者から21世紀の君たちへ   川崎昭一郎、新科学出版社   2001/03/01
 ビキニ事件の真実 いのちの岐路で  大石又七 、みすず書房   2003/07/24
  第五福龍丸 2004年、平和への願い  焼津市歴史民俗資料館  2004/01/01
母と子でみる 水爆ブラボー 3月1日ビキニ環礁・第五福竜丸  豊崎博光、安田和也 、草の根出版会 2004/02/10
写真でたどる第五福竜丸 第五福竜丸平和協会 2004/03/01 U
第五福竜丸心の航跡 静岡新聞社 2004/03/20
第五福竜丸 ビキニ事件を現代に問う 川崎昭一郎、岩波書店 2004/07/06
訪ねてみよう戦争を学ぶミュージアム/メモリアル 「記憶と表現」研究会著 岩波書店   2005/06/21
「核」とイメージ-博物館展示の考察 修士論文 中尾麻伊香 2006/01/17
千の波 万の波 元第五福竜丸漁労長 見崎吉男のことば 見崎吉男著、水野紀子絵 新妻博子、中村謙介 2006/04/12
都立第五福竜丸展示館30年のあゆみ 1976.6-2006.6 開館30周年記念誌 第五福竜丸平和協会 2006/06/10
ベン・シャーンの第五福竜丸 第五福竜丸平和協会 2006/09/20
ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸  ベン・シャーン絵 アーサー・ビナード構成・文 集英社 2006/09/30
これだけは伝えておきたいビキニ事件の表と裏 第五福竜丸・乗組員が語る 大石又七著 かもがわ出版  2007/07/20
平和ミュージアムに行こう 高見祥一著 京都教育大学教育社会学研究室 2008/04/15
第五福竜丸平和協会設立35周年記念の栞   第五福竜丸平和協会 2008/11/28
平和創造のための空間としての平和博物館 第6回国際平和博物館会議報告集 第6回国際平和博物館会議組織委員会 2009/02/28
イケナイ世界遺産 ビキニ環礁(チラシ) 第五福竜丸展示館 2010/10/20
 第五福竜丸から「3.11」後へ 被爆者大石又七の旅路  小沢節子著 岩波書店  2011/10/26
 第五福竜丸は航海中 ビキニ水爆被災事件と被ばく漁船60年の記録  第五福竜丸平和協会  2014/03/01
 第五福竜丸ゴジラ1954→2014 ビキニ事件60年企画  原爆の図丸木美術館  2014/09/13
 国際平和博物館会議 第8回 日本参加者報告書  安斎科学・平和事務所  2014/10/01
 世界における平和のための博物館  山根和代、安斎育郎、小島健太郎 共同編集責任者 第10回国際平和博物館会議・組織委員会  2020/09/01

 

 

 

 

3・1ビキニデー2019

2019年の「3・1ビキニデー」関連イベント一覧

月日 イベント 主催者 場所 備考
0224 被災65周年3・1ビキニデーヒロシマ集会 広島県原水協 約70人。
講師:高橋博子名古屋大学大学院法学研究科研究員。約70人。(『朝日新聞』)
0227~0301 被災65年2019年3・1ビキニデー集会 実行委員会(原水協など) 静岡市・焼津市
0227 日本原水協全国集会/国際交流会議 静岡市
パネリスト:アメリカ、韓国、リトアニア、日本からの4人。120人が参加
0228 日本原水協全国集会/全体集会 日本原水協 静岡市 参加者:約750人。
0228 日本原水協全国集会/分科会 日本原水協 静岡市
0228 3・1ビキニデー宗教者平和運動交流集会 日本宗教者平和協議会 焼津市 40人が参加。
0301 故久保山愛吉氏墓参行進 日本原水協 焼津市
0301 墓前祭 日本原水協 焼津市 弘徳院
 0301  被災65年2019年3・1ビキニデー集会  日本原水協 焼津市  1500人が参加。

 

静岡県史の中のビキニ水爆被災事件

静岡県史の中のビキニ水爆被災事件

通史編6 近現代二
第一編 満州事変期の地域社会と経済発展
―――
第四編  経済成長と県政の変容
第五章  住民運動の発展
第一節  ビキニ被爆と核兵器に反対する議会の決議と運動
1 第五福竜丸事件
第五福竜丸の被爆/原水爆禁止決議/市民の怒り
2 原水爆禁止運動と静岡県
原水禁運動の出発/県下の原水爆被害者
第二節 安保闘争とその前後
1 勤評反対闘争と警職法改悪反対闘争
さまざまな県民共闘/勤務評定反対、民主主義を守る県民会議/警職法改悪反対県民会議
2 60年安保反対闘争
第四節  公害反対運動
5 浜岡原子力発電所と住民運動
設置の申し入れ/誘致の背景/誘致推進と反対運動の始まり/用地買収と漁場問題/安全協定と原子力発電所の建設
資料編21 近現代六
第一編 政治・行政
第二編 経済
第三編 社会
第一章 新生日本の創造
第二章 社会改造への努力
第一節 敗戦後の社会問題
一 戦災の実態
二 生活難と秩序の動揺
第二節 労働組合運動の高揚から方向転換へ
第三節 農民運動と農民組合
第四節 占領期の在日朝鮮人
一 外国人登録令の施行
二 在日朝鮮人団体の活動
三 浜松事件
第五節 女性の進出と女性団体の再編
第二章 社会改造への努力
第一節 基地拡張と住民の対応
一 朝鮮戦争の影響
二 静浜・東富士演習場問題
三 東富士演習場返還を求める運動
第二節 平和運動の始まり
第三節 労働組合運動の再編
第四節 社会諸運動
一 青年の生活状態概観
二 広がる青年学級
三 青年団体の組織と活動
第五節 女性団体と活動の諸相
一 県婦連と農協婦人部の活動
二 母親学級の展開
第三章 高度成長と安保改定
第一節 ビキニ被曝と原水禁運動
1 ビキニ被曝の実相
2 核廃絶を決議する会
3 被爆者県民の実情
第二節 高度成長期の労働運動
第三節 安保闘争とその前後
一 さまざまな県民共闘
二 安保反対県民共闘会議
三 日韓条約反対・ヴェトナム戦争反対運動
第四章 環境問題と公害反対運動
第一節 公害問題と運動の概観
第二節 沼津・三島コンビナート計画と地元民
一 県当局の公害対策とコンビナート計画を支持する運動
二 地元世論と反対運動
第三節 富士公害反対運動
一 富士市公害対策と開発促進運動
二 火力発電所公害及びヘドロ問題に対する住民運動
第四節 浜岡原子力発電所と住民運動
一 原子力発電所設置の推進
二 原子力発電所設置反対の住民運動
第四編 教育・文化
第一章 学校教育の新生と改編
第一節 占領下の教育と新教育への出発
第二節 新制中学校・高等学校の成立
第三節 大学の発足
第四節 教育行政と教師
一 教師の適格審査と教職員組合の結成
二 教育委員会制度の成立
第五節 社会教育の自立
一 PTAの結成
二 公民館などでの活動
第六節 障害児教育義務制と幼児教育
第二章 社会の変動と教育
第一節 教育課程の再編成と教育環境
第二節 生活指導と特設道徳
第三章 高度経済成長と教育
第一節 勤務評定の実施と反対運動
第二節 全国一斉学力テストの実施
第三節 高校進学率の向上と高校多様化
第四節 短大の設立
第五節 教職員の勤務条件をめぐって
第六節 民族教育をめぐって
第七節 青少年問題
第八節 障害児教育と幼児教育の進展
第四章  文化財保護と大衆文化・宗教活動
第一節 登呂遺跡の発掘調査
第二節 文化財保護行政と県指定史跡伊場遺跡の保存運動
第三節 地域の文化活動
一 地域文化団体の叢生
二 庶民大学三島教室
三 民主主義科学者協会静岡支部
四 文化団体名簿 ・・・953
五 音楽と演劇 ・・・959
第四節 民間放送とテレビ放映の開始 ・・・968
第五節 新宗教団体
別編 静岡軍政(民事)部月例報告書〔抄〕
解説
あとがき
付録 明治二十二年四月一日(市制・町村制施行)現在・市町村区域図
昭和二十八年九月一日(町村合併促進法公布日)現在・市町村区域図
昭和四十三年十月二十三日現在・市町村区域図
平成三年五月一日現在・市町村区域図
市町村配置分合一覧
静岡県歴史文化情報センター
〒420-0853 静岡市葵区追手町9-18 静岡中央ビル7階

 

反核運動1998

反核運動1998


5月11日、インドが1974年5月以来24年ぶりに地下核実験を実施、さらに、同月28日にはパキスタンがこれに対抗し初の地下核実験を行った。また、アメリカが、前年に続き第3・4回目の臨界前核実験を3月25日と9月28日に実施し、核開発の意志を放棄していないことを示した。印パ両国は、1996年9月の国連総会において採択された包括的核実験禁止条約(CTBT)に加盟しておらず、また、臨界前核実験は同条約で禁止されていないものであった。そのため、これら一連の実験は、同条約に基づき核軍縮をめざそうとする国際社会に大きな衝撃を与えた。

**国内の動き**

この1年、日本の反核運動は、印パ両国の核実験問題を中心に展開された観があった。直後から国内のさまざまな団体が、抗議行動を繰り広げた。これを受け、衆参両院が両国の実験にたいする抗議の決議(参議院:5月13日、29日、衆議院:5月14日、6月4日)を採択した。今年初めから原爆展が印・パ両国内でつぎつぎに開催されるが、これらの多くは、広島・長崎両市や日本の反核団体などが現地の平和団体に働きかけて実現したものであった。実験前の1月と4月、インドのムンバイおよびニューデリーで広島・長崎両市の協力により原爆展「ヒロシマ・ナガサキ・ネバーアゲイン」が開催された。両国の核実験実施後には、ピース・ボート、原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)、連合などの協力による原爆展も開催された。また、政府も原爆展に関心を示し、12月に、パキスタン日本文化協会主催(在パキスタン日本大使館後援)の原爆展が首都イスラマバードで開催された。

原爆記念日前後に広島・長崎両市を中心に開催された諸行事においても印パ両国の関係者への働きかけが行われた。その結果、広島・長崎両市の平和記念式典に両国の駐日大使の参列が実現したが、外国大使の式典への参加は初めてのことであった。また、原水爆禁止日本協議会(広島・長崎それぞれ7300人、3300人規模)および原水爆禁止国民会議(4500人、3000人規模)を中心に開催された二つの原水爆禁止世界大会に、印パ両国から代表が参加し、それぞれ、国内での反核運動の困難な実情を伝えるとともに、国際的な支援を訴え、注目を集めた。

8月30-31日に米ロなど核保有5か国と印パ両国を含む18か国の軍備管理・軍縮専門家らによる東京フォーラム「核軍縮・不拡散に関する緊急行動会議」の初会合が東京で開催された。印パの核実験直後、日本政府が核軍縮に関する国際フォーラムの開催を提唱していたが、これが具体化したものであった。12月18-19日、広島で2回目の会合が開催され、来年には、核軍縮に向けた具体的提案がまとめられる予定である。

このほか、11月24-25日、国連軍縮長崎会議(日本での開催は10回目、長崎では2回目)が、「核兵器のない世界に向けて」を基調テーマとして開催された。印パ両国を含む24カ国の政府の軍縮担当者・研究者・非政府組織(NGO)代表など71人が参加したこの会議では、宣言やアピールの採択はしないとのこれまでの慣例を破って初めて「長崎を最後の被爆地に」との決議が採択された。

**海外の動き**

6月6日、国連安全保障理事会が印・パ両国の核実験を非難し、核不拡散体制の堅持を求める決議を採択。また、同月9日には、スウェーデン・アイルランド・南アフリカ・ブラジル・メキシコ・エジプト・ニュージーランド・スロベニアの非核保有8か国(新アジェンダ連合)が、米ロなど核保有5大国と印パ両国およびイスラエルにたいし、核兵器と核製造能力を廃絶し放棄する意志表明を即刻行うよう求める共同声明を発表した。この声明の趣旨は、その後、8か国を中心に「核兵器のない世界に向けて-新しい課題(アジェンダ)の必要性」という決議案にまとめられ第53回国連総会に提案、11月4日に採択された。このほか、ジュネーブ軍縮会議(CD)の兵器用核分裂性物質の生産禁止(カットオフ)条約を交渉するための特別委員会設置の決定や、ドイツの新政権によるNATOでの核先制不使用を求める動きなど、核軍縮をめぐる新たな動きが見られた。

印パ両国の核実験を契機とする国内外での反核運動の盛り上がりにもかかわらず「核兵器のない21世紀」を迎える展望は未だ見えていない。国内では、広島・長崎への修学旅行の減少や平和教育の衰退などが懸念されている。原爆展の海外での継続的な開催とともに、国内での「被爆体験継承」の積極的な取り組みが期待される。

反核運動1997

反核運動1997


アメリカが7月と9月に臨界前核実験を実施、11月には、ロシアが昨年と今年それぞれ2回づつ同実験を実施していたことが判明した。また、湾岸戦争で使用され帰還兵の間でその影響による障害が問題となっている劣化ウラン弾が米海兵隊機により沖縄の射撃場で誤射されていたこと(2月)や、新たに開発された地下直撃型B61核爆弾が米国内に配備ずみであること(6月)が明らかになった。

包括的核実験禁止条約(CTBT)の国連総会での採択(1996年9月)後、核実験反対運動の国際的な盛り上がりは姿を消した。しかし、核兵器の廃絶を求める地道な運動は、引き続き展開された。

【原水爆禁止世界大会】

原爆記念日前後、例年どおりさまざまな反核団体が広島・長崎両市で大会を開催した。原水爆禁止日本協議会(原水協)系の原水爆禁止世界大会は、それぞれ3300人、7000人規模で開催された。国際会議には15カ国から海外代表52人が参加し、前年と同様に「核兵器のない21世紀」をめざす取り組みについて論議を深めた。

一方、原水爆禁止国民会議(原水禁)系の大会は、「核廃絶への新しい一歩を」をメインテーマに、それぞれ5000人、2000人規模で開催した。連合・原水禁・核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)の合同集会(1995年に続き3回目)、生活協同組合連合会の集会なども同じ時期に両市で開催されている。

【原爆展】

広島・長崎両市が計画し被爆50周年から実施されている海外での原爆展が、今年はイタリアのペルージア・アッシジ両市(3月)とアメリカ・ニューヨーク市立大学リーマン校(9月-10月)において開催された。また両市それぞれによるドイツ・ビュルツブルグ(2月、長崎市)、スペイン・バルセロナ(5月、広島市)での原爆展も開かれた。6月には日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がパネル「原爆と人間展」を完成し、国内外での同展の開催が始まった。

日本の加害展示を含む「戦争と原爆展」も、広がりを見せた。韓国・ソウル市での初開催(1995年7月)以後2年間に開かれた日韓両国の会場数は23に及んでいる。8月には、マレーシア中華大会堂総商会によりクアラルンプールで「戦争の恐怖-すべての戦争と核兵器のない世界を目指して」展が開催された。

【原爆遺跡保存運動】

前年に始まった長崎市爆心地公園にある原爆落下中心碑の撤去・建て替え問題は、2月に同市が計画の撤回を表明したことにより、一応の解決をみた。一方、広島市では、ユネスコ世界遺産センター代表(7月)や文化庁(8月)などが、平和公園内のレストハウス(元大正屋呉服店、被爆遺跡)を解体し新設するという同市の方針(1995年末発表)に対し、現状維持や保存を求めた。その主な理由は、同建物が原爆ドームの世界遺産化にともなって設定されたバファーゾーン(緩衝地帯)内に存在していることであった。これにより、広島市は新たな対応をせまられることとなった。このほかに、昨秋和歌山の海底から引き上げられた第五福龍丸のエンジンを保存する運動が始まり、10月には、「第五福龍丸エンジンを東京・夢の島へ都民運動」の結成集会が開かれている。

【原爆被爆者対策】

原爆被爆者援護法に基づく特別葬祭給付金の請求が6月末に締め切られた。厚生省は、支給者を25万人と予想していたが、8月末現在では半数に止まっていることが判明した。10月、同じく同法に基づき広島・長崎に建設される原爆死没者追悼平和祈念館(仮称)の事業の一環として、原爆被爆手記のデータベース化が始まった。これは、広島市が厚生省から委託を受け行うもので、当面厚生省が被爆50周年に集めた広島・長崎の被爆体験記約8万9000人分の入力が行われることになった。しかし、同館自体の建設は、両市の被爆者団体が強く求める核兵器廃絶の建設理念をめぐり調整がつかず、10月、当初予定の1998年(広島)・99年(長崎)の開館が遅れることが明らかになった。

11月7日、福岡高裁が、長崎原爆松谷訴訟(1988年長崎地裁に提訴)の控訴審で、国側の控訴を棄却する判決を下した。この裁判は、松谷英子(長崎の被爆者)が医療特別手当の受給に必要な原爆症認定申請を却下した国(厚生大臣)に処分の取り消しを求めたものであるが、同時に原爆被害を過小評価しがちな国の姿勢を問う性格を持っており、被爆者だけでなく原水禁運動関係者も大きな関心を寄せていた。しかし、国は、同月20日、判決を不服として最高裁に上告した。

12月2日には、金順吉(在韓被爆者)が戦時中に強制連行され三菱重工業長崎造船所で働かされ被爆したとして、三菱重工と国に未払い賃金支払いと損害賠償を求めた訴訟(1992年提訴)に対する判決が長崎地裁であった。国の徴用を不法行為と認定する初めての判断が下されたが、請求そのものは棄却された。

【国内の動向】

7月、国連軍縮会議が札幌市で開かれた。32か国から約100人が参加し、CTBTの発効への道筋などをめぐり意見の交換を行った。この会議は今回が9回目に当たるが、同市では初めての開催である。また、この会議に先立ち第5回非核自治体全国草の根交流大会も同市で開かれた。こうした自治体を中心とした軍縮問題への取り組みは、「冷戦」終了後も着実に進展しており、日本非核宣言自治体協議会(事務局・神奈川県藤沢市)の調査によれば、7月現在で「非核宣言自治体」の数は全自治体数の3分の2を超える2774に上っている。

8月5日-9日、広島・長崎両市を舞台に第4回世界平和連帯都市市長会議が「平和・公正・自由-世界の調和を目指して」を基調テーマとし、32か国・地域75都市から参加して開催された。このほかに11月には、長崎市で核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の初の北アジア会議が開かれた。6か国から約100人が参加し、「21世紀の核依存からの脱皮」をメインテーマに討議を行った。また、長崎平和研究所(鎌田定夫所長、1月)や平和資料協同組合(梅林宏道代表、11月)が設立され、市民レベルでの新たな取り組みが始まった。

【海外の動き】

期限を切った核兵器廃絶のプログラムを求める声が、これまで核軍縮と無縁であった分野の運動や団体の間に拡がりを見せた。1996年12月に公表された世界17か国60人の退役将軍などによる共同声明で中心的役割を果たしたバトラー元米戦略空軍司令官は、1月のワシントンでの講演でも、核兵器廃絶を求める重要性や核抑止論の誤りを指摘した。3月には、米国医師会・米国公衆衛生協会・内科医師会の3団体が期限を切って段階的に核兵器を廃絶する条約の交渉を開始するよう求める宣言を発表した。8月、ノルウェー・リレハンメルで開かれたパグウォッシュ会議第47回年次会議で、評議会が、核兵器廃絶条約の交渉、締結をめざして作業を始めるようよびかける声明を発表、また、10月にはロートブラットやIPPNWなどノ-ベル平和賞を受賞した6名と3団体が中・東欧に非核地帯の設置をよびかける声明を発表した。