「広島大学原爆放射能医学研究所」カテゴリーアーカイブ

原爆被爆者対策前史年表(1951)

原爆被爆者対策前史年表(1951)

出典:『原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)』

1951年

1 8 ノーマン・カズンズ、来広。
1 10 仁科芳雄、死亡。61歳。
1 10 長崎国際文化都市建設協議会、第1回総会を市議会会議場で開催。
1 13 日本基督教団長崎平和記念教会(長崎市城山町)、牧師就任式ならびに献堂式を挙行。
1 20 呉市遺族会、「遺族援護決議の具現に関する請願」の署名を集める街頭活動を開始。1週間。
1 20 CMPE、東洋・双葉・ラッキー・太陽の4映画館、中国新聞社、戦災孤児ベネフィット・ショウの義捐金贈呈式を広島市東洋座で開催。
1 21 広島市、東京・平河寮で第3回広島平和記念都市建設専門委員会を開催。
1 27? 広島市社会課、ハワイの広島難民救済会からの2万ドル寄付申し入れに対し、 母子会館の建設・生業資金の貸付計画案を同会に提示。
1 31 国際友和会巡回幹事ミュリエル・レスター女史、広島市を訪問。
1 ? ABCCの広島市比治山の本建築が完成し、宇品の仮研究所から移転。(「予防衛生研究所年報」)。
1 芦品郡戸手高校で,校長のストックホルムアピール署名運動禁止命令に対し抗 議行動.
2 雑誌「自然」(中央公論社)、米国原子力委員会発行「原子爆弾の効果」(全訳)を掲載を開始。
2 2 米ネヴァダ州ラスベガスで原爆実験。
2 3 原爆孤児の*口*彦(15歳)、前年11月に神戸港から密航し、サイゴンで2か月生活した後、神戸に送り戻される。
2 3 ハワイ難民救済会の進藤卓爾(賀茂郡川上村出身)、ララ物資の配分状況と社会事業施設の視察のため来広。15日、似島学園に100ドルを寄贈。
2 4 レスター国際友和会幹事、長崎市内で講演。
2 8 富永良雄が長崎市城山小学校に贈る記念像の原型、長崎市に届く。
2 8 ドイツのフォト・リポーター、2年前に写真画報誌「ノイエ・イルストリールテ」に紹介された6・7編の広島の体験記を執筆した児童を訪ねて広島入り。
2 11 浜井広島市長、カズンズ秘書から新しい用紙縁組24件の名簿と2年目の養育資 金第1回分1000ドルを送金したとの書簡を受け取る。これで、広島の精神養子 は226名、養育資金は9000ドルに達す。
2 11 広島ABCC所長カール・F・テスマー中佐(元米国陸軍病理学研究所員)、広島を離れる。(「予防衛生研究所年報」)
2 11 広島市、米ミシガン大学のライル財団から、今年の夏季講座を広島で開催したいとの書簡を受け取る。
2 12 広島ABCCの新所長にテーラー博士就任。(「予防衛生研究所年報」)
2 12 広島市、平和記念館の陳列館の入札を実施。大林組が落札。
2 13 長崎市原爆資料保存委員会、彫刻家北村西望を迎えて会合。平和祈念塔建設について協議。設計については北村西望に一任。
2 14 広島県佐伯郡玖島小学校の生徒代表、五日市の戦災孤児収容所に餅約600個を持参。
2 14? 広島市、「広島市里親会」の結成を計画。
2 15 広島市の原爆資料館工事着工。
2 16 広島市社会課、広島県佐伯郡玖島村の青年団が寄託した餅約200個を基町新生園に贈る。
2 17 広大講堂で講和問題講演会. 150名参加.
2 17? 広島市史編さん委員会、新発足。委員長は魚澄広島大学教授。
2 20 元船舶工兵暁部隊730柱の分骨と広島原爆犠牲者遺骨1200柱が、山口県熊毛郡専唱寺に仮埋葬してあることが判明、山口県世話課・復員連絡広島支部に引き渡し。
2 20 第2回長崎国際文化都市建設協議会(1950年7月結成)、長崎市で開催。平和祈念塔建設計画承認。
2 20? 長崎市岡町付近の道路拡張工事で付近の防空壕から原爆死体13体を発掘。3月9日、同町原爆慰霊塔前で慰霊祭。
2 21 第4回広島平和記念都市建設専門委員会(1949年10月結成)、東京で開催。原 爆死没者慰霊塔の建設決定。
2 21 信州善光尼公上人一行、来広。日赤入院中の吉川清を慰問。
2 22 善光寺尼公上人を迎えての大親修会、広島市内供養塔前で開催。数千人参加。
2 23 広島市内の戦災孤児収容所の孤児の里親会結成のための準備会、広島市で開催
2 27? GHQ、旧学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会がまとめた記録の刊行を許可(朝日新聞)。
2 28? 広島市、西独・ハノーバーで開催予定(7月から約1月)のドイツ復興博に原爆被害写真や復興状況の統計を送ることを決める。
3 2 参院厚生委員、留守家族・遺族等援護状況視察のため来崎。3日、遺家族・留 守家族傷痍者・引揚者団体の代表と懇談。
3 02? 広島市、アルフレッド・パーカーの友人グレン・エヴァレットから8月6日に日本政府がピース・センター促進のための記念切手を発行するよう提唱した書簡を受け取る。
3 6 長崎県、県内1225名の身体傷害手帳所持者を対象に巡回相談を開始。
3 13 原民喜、東京・西荻窪で列車自殺。
3 14 第3回長崎国際文化都市建設協議会、開催。
3 16 長崎市議会、原爆記念施設「平和の像」建設費の寄付金募集(4年計画)を決定。
3 19 米学術研究会議医学部委員で広島ABCC顧問として来広中のデーヴィソン博士、ABCC解散の噂を否定。
3 19 ウィルバート・デーヴィソン米デューク医科大学学長、ABCC顧問として着任。6週間広島に滞在予定。
3 22 広島県民生部長、県下の生活保護者は1万7500世帯4万8-9000人に及ぶと県会で答弁。
3 24? 広島県下の児童福祉施設の収容状況、広島学園115人・六方学園80人・似島学園171人・新生学園70人・五日市収容所79人など、いづれも定員オーバー。
3 27 広島市で、精神養子委員会。米国その他からの養育資金(約39万円)の配分決定。
3 28 西独ハノーバー市で開催予定(5月)の都市計画博覧会に出品される東京・広島・長崎のパノラマ、東京日本橋・三越で展示。
3 29 浜井広島市長、南カリフォルニア日本難民救済会(代表・佐々木雅実)から衣料・食料品の小包15個を受け取る。
3 30 ローレンス・ヴァレンタイン・ボーアの3博士、ABCC顧問として着任。
3 30 第2回広島平和記念都市建設協議会、広島市会議事堂で開催。
4 2 吉川清、赤十字病院を退院。広島原爆傷害者救済援護会を設立。米田美津子宅に身を寄せる(-8月)。原爆ドーム前でみやげ物店を始める。川本福一の協力を得る(「原爆一号」とよばれて」)
4 3 長崎市、平和祈念像建設協賛会設立発起人会開催。
4 5 順宮・清宮、修学旅行の途次、広島入り。供養塔、原爆記念館、御便殿、ABCCなどを視察。
4 7 広島平和擁護委員会世話人会開催.
4 7 長崎民友、ハーシーの「ヒロシマ」に登場する6人のその後を掲載。
4 9 米国カリフォルニア州で果樹園を経営する武田安吉(佐伯郡地御前村出身)、広島県庁を訪れ、被災孤児にと1万円を寄贈。
4 10 図師嘉彦・中村登一(共に新日本建築家集団員)建築事務所で原爆安全施設研究会。武谷三男が「原爆効果について」と題して講演。4月15日に東大で開催された平和懇談会(約200名参加)でこれが問題となる。(「連盟通信」第96号)
4 12 米ハーマン・ミューラー博士、広島市を訪問。13日、広島ABCCで、原爆の遺伝的影響について、広島市民の場合、放射能による遺伝的影響が残っていても小さく見分けにくく、将来子孫に影響が現れることはあり得ないと思う、と否定。
4 16 広島市、平和記念公園内に建設予定の原爆犠牲者慰霊堂に、死没者氏名を記入した過去帳を奉納するため、全国的な広島原爆死没者調査を行うことになり、その調査方法など決定。
4 22 成田不動明王本尊・荒木大僧正、来崎。23日、浦上の原爆中心地で戦没者の供養。
4 23 ハワイホノルル観光団70余名、来崎。
5 1 P.M.S.ブラケット「恐怖・戦争・爆弾―原子力の軍事的・政治的意義」(法政大学出版局)発刊.
5 1 永井隆、死亡。
5 1 京都大学で春季文化祭「わだつみの声にこたえる全学文化祭」を開催。-20日。この中で同学会主催の原爆展が開催される。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
5 1 広島市、原爆死没者調査開始(31日まで)。全国の、広島原爆によって直接、またはその影響を直接の原因として死亡した者を対象とする。
5 3 中国新聞社、物故社員慰霊祭を広島別院で挙行。
5 4 日本教育学会第10回大会、広島大学附属小学校講堂で開催。「再び世界の教育学者に日本の教育学者の呼びかけを送る」主意書を発表。有志114名(参加者の約90%)が署名。
5 5 ベルリンアピールに長田新が署名.
5 5 五日市町戦災児育成所、里親会を開催。
5 6 西本願寺門主大谷光照、来崎。
5 10 広島市中島本町の平和塔の撤去作業開始。
5 10? 長崎地方裁判所長石田寿、京都地裁への栄転が内定。
5 11 マーシャル米国務長官、原子爆撃が日本の致命傷になったと証言。
5 12 衆院厚生委員会遺家族傷痍軍人などの援護に関する小委員会。田辺厚生省援護局長によると、厚生省、戦没者遺家族・傷痍軍人・抑留者遺家族など戦争犠牲者の援護法案(仮案)を作成。
5 14 5月1日死去した長崎市名誉市民故永井隆の長崎市公葬、浦上天主堂で執行。
5 16 長崎市駒場町の原爆殉難者慰安所の慰霊祭ならびに落成式。
5 16 西本願寺大谷嬉子裏方、広島市を訪問。
5 17 日本子供を守る会、結成(アカハタ1952.8.3)。
5 18 広島別院、西本願寺大谷光照門主を迎えて原爆死没者7回忌法要を挙行。
5 19 京都大学で「原爆に関する講演会」(木村毅一・天野重安・大田洋子の講演)
5 20 表千家長崎同門会、世界平和祈願と原爆遭難者の追善慰霊のため家元を迎えて諏訪神社で献茶式。
5 20? 愛媛県東宇和郡宇和町、広島市の原爆死没者調査に関して、該当者に連絡を要望。
5 21? 蓑内宗一(長崎市麹屋町)、原爆当時の被害図を完成。
5 25 長崎医学会、「故永井博士病理臨床対比研究発表会」開催。
6 2 大田洋子を囲んで座談会(われらの詩の会主催).
6 3 広島市で西日本婦人民主クラブ代表者会議をひらく.8・6婦人平和大会を開 くことなどを決議.
6 3 広島市広瀬連合会・広瀬母子愛育会・広瀬青年連盟など、広島別院で広瀬学区原爆死没者7周忌法会を挙行。
6 4 「民族の星」№44に吉田初夫(峠三吉の筆名),「墓標」(詩)を掲載.
6 04? 吉川清、広島の著名士の原爆患者援助署名運動に着手。
6 05? 広島県豊田郡河内町、広島市の原爆死没者調査に関して、該当者に連絡を要望
6 08? 広島市戸籍課、被爆当時の惨状をとどめた血ぞめの戸籍が残っていることを明らかにする。
6 08? 中国新聞、丸岡明(日本ペンクラブ)・谷口吉郎(東京工大)・大田洋子を迎えて開いた座談会「文化人の眼に映じた広島」を開催。
6 9 京都大学の学生、丸木夫妻から総合原爆展への「原爆の図」出展の了解を得て東京から帰任。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
6 10 広島県安佐郡祇園町のカトリック教会、米国民の浄財で建立した聖鐘三重の塔の聖鐘祝別式を挙行。
6 10 京都大学の学生、広島より総合原爆展用の大量の原爆資料を持って京都に帰任(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
6 11 アメリカ人彫刻家イサム・ノグチ、広島市を訪問。
6 12 広島市、原爆死没者調査で全国に配布した調査票60万枚(広島市内25万枚)のうち約6万枚を回収。
6 12 宗教者平和運動協議会、総会で平和宣言を公表。(中国新聞8.2社説)
6 13 同志社大学「平和に生きる会」、原爆展を開催。-18日。3500人が参観。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号収録の「都新聞」)
6 14 広島市精神養子育成資金配分委員会、1695ドルの施設別配分額決定。5月1日現在、精神養子248人。
6 15 東京大学五月祭で展示された原爆資料が京都に到着。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
6 15? 広島市、ノーマン・カズンズからの書簡を受け取る。
6 18 曹洞宗皓台寺、高階瓏仙管長を迎えて長崎市松山町の原子爆弾記念碑前で慰霊祭を執行。
6 24 県立広島商業学校同窓会、農協ビル講堂で原爆7回忌法要。
6 24 アール・レイノルズ(人類学者)、ABCC顧問として来広。
6 25 長崎ユネスコ協力会、日本のユネスコ正式加盟記念大会を出島・西日本会館で開催。
6 26 中西敏人(安佐郡)、アルゼンチンの広島県人からの送金予定の広島復興資金67万8875円を立て替えて広島市に寄付。
6 26 広島県遺族厚生連盟、理事会を県庁で開催。今秋に遺族大会と合同慰霊祭を開催することを決める。
6 26 シュモー博士の代理の3青年、来広。
6 29? 広島市教育委員会、市内小中学校在学中の孤児71人の境遇調査結果まとめる。原爆で父を失った者は、小学校25.8%・中学校32.9%、母を失った者小学校30.6%・中学校34.9%。
6 30 第3回広島・長崎原爆都市青年交歓会、広島市で開催。-7月2日。
6 30? 戦後内外から広島市に寄せられた書簡は1000通、寄付金は約4652万円にのぼっていることが判明。
7 7 国際建築家協会の国際会議、ロンドンで開幕。丹下健三、「平和記念都市復興計画」WWO発表。
7 10 第1回広島県再軍備反対共同闘争委員会開催.「原爆を再び落とすな」などのスローガン決定.
7 11 広島市内日連門下寺院連合、市内の七つの川で7回忌戦災死没者追善川施我鬼法要を執行。
7 11 長崎新聞販売所、原爆で死亡した長崎市新聞販売職員40余名の7周年忌を執行
7 14 京都大学文学部学友会「原爆体験記」発刊.
7 14 京都大学同学会、丸物で総合原爆展を開催。-24日。
7 15 広島第一県女、原爆遭難者7周忌法要を広島市中町・医師会館で執行。
7 20 広島県再軍備反対共闘委など8・6平和大会準備会を開催.
7 22 広島市竹屋学区原爆犠牲者第7回忌追善法要、順教寺で執行。
7 22? 宮川裕行(京都大学文学部学生)、広島で原爆体験の手記募集活動を行う。県庁職組、市庁職組・千田書房などを回る。
7 23 阿部知二、来崎。
7 25 広島平和協会、世界各国の主要都市(200)・国内各市(300)にメッセージを発送。
7 29 広島市観音婦人会、観音学区原爆犠牲者7回忌慰霊祭を東観音町・南正坊で執行。
7 29 広島女高師・山中高女卒業生、原爆7周忌生徒教官追弔慰霊祭を中島戦災供養 塔で執行。
7 31 共産党府中細胞が主体となり府中高校で原爆犠牲者追悼音楽会.
8 1 中国新聞、林芳郎「ヒロシマの調査-その生存者と死没者」を掲載。
8 1 広島県廿日市町蓮教寺、原爆死没者追弔大法要を執行。
8 1 「民族の星」№56に「ふたたび原爆を落とすな」写真6葉を掲載.
8 2 峠三吉「原爆詩集」(ガリ版刷り 500部).
8 2 広島市金座街商業協同組合、金座街原爆死者7周忌法要を堀川町・永照寺で執行。
8 2 平和祈念像建設協賛会、設立総会を長崎市で開催。
8 02? 広島大仏奉賛会、近く本殿の建立を計画。
8 3 広島県の五日市造幣局、原爆死没者7回忌ならびに創業以来物故者追弔法要を執行。広島戦災児育成所の少年僧が法要。
8 3 広島市弥生町事務所、町内の原爆物故者の7回忌法要を執行。
8 3 長崎市原爆保存委員会、浦上天主堂取り壊しに反対を確認。
8 3 広島市警・市公安委員会、平和大会などを禁止する声明書を発表。
8 4 定例広島市議会、平和祭分担金45万円の追加予算案を可決。
8 4 広島市鉄砲町・幟町上組・八丁堀町、原爆死没者慰霊祭を執行。
8 4 佐伯郡観音村遺族会、戦死ならびに原爆死者7回忌法要を善正寺で執行(~6日)
8 4 長崎市南大浦青年団、原爆犠牲者戦没者の供養を大浦劇場で執行。
8 4 広島県木材株式会社、戦災死没社員7周忌法要を広島別院で挙行。
8 5 広島市内国際ビルで平和展示会.-7日。
8 5 広島市比治山女子高等学校、職員・生徒原爆死没者7回忌追悼法要を執行。
8 5 長崎医大グピロが丘遺族会、原爆犠牲者7年忌供養を大音寺で執行。
8 5 福屋、原爆死没者追弔会を堀川町・永照寺で執行。
8 5 北米加州東本願寺別院で広島・長崎原爆遭難7周年法要を執行(1951.9.12長崎民友)。
8 5 中国新聞、原爆文献を紹介した「原爆文学の総決算」を掲載。
8 5 第3回世界青年学生祭、ベルリンで開催。-19日。われらの詩の会「ヒロシマ詩集」、峠三吉「原爆詩集」などが日本から送られる。
8 5 広島県ボーイ・スカウト「ジャンボリー大会」、広島市児童文化会館西側広場で開催。350名が参加。-6日。
8 5 広島市江波町で米婦人ブライアンから贈られた公民館の贈呈式。浜井広島市長 、森戸広島大学学長らが参列(朝日新聞)。
8 6 広島市、中島供養塔前で慰霊祭ならびに記念式典を挙行。
8 6 宗教者平和運動広島協議会(結成準備中),中島本町爆心地で辻説法するも警察に禁止され,広島駅前に移る.ビラ「原爆体験の宗教者として全世界の宗教者に訴う」を配布.
8 6 民主商工会,平和大売出し,駅伝競争,燈篭流しをおこなう.
8 6 中国新聞社、米空軍岩国基地の要請で、朝鮮動乱に50回以上出撃したパイロット20名を慰霊祭に招待。
8 6 広島県神社神道同志会、元護国神社で原爆犠牲戦死病没者慰霊祭式典を執行。
8 6 広島市北榎町旧町内会、町内原爆戦災者の7回忌法要を元横堀説教所で執行。
8 6 広島市本川区供養会・本川青年団、空鞘町納骨堂で原爆死没者7回忌法要を執 行。
8 6 広島平和記念聖堂建設後援会、建設中の聖堂で原爆犠牲者7回忌慰霊祭を執行
8 6 広島市の似島供養塔前で慰霊祭。
8 6 地方職員共済組合広島県支部、元県庁職員原爆死没者(744名)追弔会を広島別院で執行。
8 6 帝国人絹三原工場、旧帝人広島工場及び広島研究所の原爆死没者慰霊祭を執行
8 6 市女原爆遺族会、広島市内木挽町持明院で愛児追憶記念碑開眼法要を挙行。
8 6 丸木・赤松夫妻の「原爆の図」第4部「虹」、第5部「少年少女」が完成し、東京・日本橋丸善画廊で展覧会。-11日。(「連盟通信」第105号)
8 6 中国新聞、座談会「平和祭を語る」を掲載。出席者:浜井信三・大原博夫・森戸辰男・稲葉駿作。全員、遺跡保存は不必要と発言。
8 6 朝日新聞社、東京本社講堂で「原子力と平和」講演会を開催。講師は、杉本朝雄・真島正市・佐々貫之・田中慎次郎。
8 6 長崎平和運動推進会議、平和声明を発表。
8 6 日教組・総評など、広島市児童文化会館で全国労働者第1回平和大会を開催。約1000名が参加。
8 6 原爆記念全国平和会議(荒神小学校)に140団体代表1500名参加。サンフランシスコ会議反対のアピール発表。広島平和会議書記局が中華人民共和国政府に全面講和会議開催などの要請書を送る。
8 7 広島市楠木町・正法寺、原爆7回忌法要を執行。
8 7 長崎市稲田町・日蓮宗妙龍寺住職、岩川町に原爆供養塔を建立。
8 7 長崎本博多郵便局ならびに25特定郵便局、市内各郵便局の原爆殉難者7年忌慰 霊祭を皓台寺で執行。
8 7 日本教職員組合、第20回中央委員会を広島市児童文化会館で開催。-8日。
8 8 成長の家長崎信徒相愛会、松山町原爆中心地で原爆周忌大供養会を執行。
8 8 長崎市稲佐の悟真寺、原爆殉難7回忌法要ならびに戦没・引揚等戦争犠牲者の 合同追弔法会を執行(-10日)。
8 8 長崎市城山小学校で平和少年像(富永良雄作)、除幕。
8 9 長崎市戦災者連盟・市連合青年団・市仏教連合、浦上原爆公園で慰霊祭を執行
8 9 長崎浦上天主堂で追悼ミサ。
8 9 諌早市、安勝寺で無縁仏88柱の供養を執行。
8 9 西重工長崎造船所大橋工場(元精機)、1400名の原爆死没者の慰霊祭を執行。
8 9 長崎市平和祈念像建設協賛会、同像建設基金の募集開始。
8 9 平和推進長崎市民大会、本大工町市民運動場で開催。数千名が参加。
8 10 大村市、原爆無縁仏の慰霊祭を上久原野田の無縁墓地で執行。
8 13 長崎市、留守家族・遺族に民生委員を通じて線香料支給。
8 14 警視庁、部課長会議で、日共の「平和大会」、朝鮮団体の「解放記念日」などの集会を禁止する方針を決定。(朝日新聞8.15)。
8 14 都市計画長崎地方審議会、国際文化都市記念公園の建設を正式に決定。
8 17 高槻市・京都大学同学会、市会会議室で原爆展を開催。-19日。
8 17? 広島市教育委員会、5月に調査した市内小中学生の身体検査の結果を公表。被 爆児童と非被爆児童の間に身長・体重・胸囲とも差がないことが判明。
8 20 「東京平和会議ニュース」第4号、広告「原爆写真展を御利用下さい!!」を掲載。写真内容=原爆の図(16枚)、広島被害写真(5枚)、赤松丸木絵ピカドン(台紙4枚張17枚)の計38枚。
8 21 日本国連協会、サンフランシスコの自由アジア委員会から広島に「自由の鐘の模型を贈るとの連絡を受ける。
8 23 川崎駅前の百貨店で赤松俊子の「原爆三部作展」開催(長崎民友)。
8 23 赤松俊子・丸木位理共同製作「広島原爆図展」、川崎駅前・小美屋で開催。- 30日。(「進む車両」1951年8月20日)
8 25 民主主義科学者協会・新日本建築家集団・新日本医師協会・京都大学同学会、「戦争・平和をめぐる科学技術展」開催準備のため展示物の一部を占める京都大学同学会の「原爆展」を東京都港区の全銀連会館で関係者に公開。-27日。
8 26 長崎県仏教青年会、松山町原爆爆心地で原爆殉難者第7回追悼忌法要を執行。 約1500名が参列。
8 27 原爆傷害者更生会発足。傷害者共同作業場や原爆患者診療所の設置などを計画(「原爆一号」とよばれて」PP79-80)。
8 29 ウォーレン・カリフォルニア州知事、来広。
9 1 長崎日日新聞、「浦上天主堂存廃是か非か-各界代表はこう答う」を掲載。
9 1 横浜市従業員労働組合、神奈川体育館で「第1回市従平和文化祭」を開催。-5日。行事の一つに原爆絵画展(赤松・丸木協作原爆の図第1部-第5部)。
9 4 対日講和会議開催。8日(日本時間9日)サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約調印。
9 9 長崎市岩川町の原爆殉難者供養塔、除幕。27日、彼岸会追悼法要。
9 10? 日本ペンクラブ、原民樹詩碑建設委員会を設置。
9 10? 広島原爆記念会、「被爆のカワラ」の販売を計画。
9 11 西岡長崎県知事、在米長崎県人から長崎市原爆遺族難民救済費としての2万円 を受け取る。
9 11 長崎市内全神社連合会、太平洋戦争殉難者慰霊祭を諏訪神社で執行。
9 13 広島市にシュモー住宅“広島の家”完成、原爆犠牲者未亡人3家庭が、入居者 に決定。
9 13 長崎市城山町の「友愛館」、賀川豊彦を迎えて献館式。同館は、米国キリスト教婦人会から贈られた資金800万円で建立。
9 14? 広島市市長室企画係の調査によると、戦後内外から広島市へ贈られた寄付金(含利息)は、8月末現在で約3651万円に達す。
9 15 長崎醤油味噌工業共同組合、原爆殉難者7年忌慰霊祭を皓台寺で執行。
9 15 国際医師会議の準備会、慶応大学医学部北里記念館で開催。
9 18 長崎市原爆資料保存会、浦上天主堂講堂で天主堂遺壁存置問題を協議。
9 20 峠三吉「原爆詩集」(新日本文学会広島支部・われらの詩の会)発刊.
9 20 永井隆の遺児誠一・茅乃、ヘレン・ケラーから激励の手紙を受け取る。
9 20 如己堂友の会、長崎市博物館で発会式を挙行。
9 22 第38回日本エスペランチスト大会。京都大学エスペランチスト会、名古屋市の区役所廊下で原爆スチールを展示。(「原爆展」掘り起こしニュース)
9 22 広島大学平和問題研究会、付属小学校講堂で発会式を挙行。
9 28? 長崎の浦上文化振興会、原爆瓦の売り出しを計画。
10 1 長崎平和推進国民会議、藤井日達の講演会を長崎市内で開催。
10 2 長田新編「原爆の子―広島の少年少女のうったえ」(岩波書店)発刊.
10 3 広島市、カズンズ代理グリーン女史から1951年後半期の精神養子育成金1500ドル(54万円)を受け取る。
10 6 長崎県社会福祉協議会、創立総会を開催。
10 08? 中国新聞社、人類愛善会長出口伊佐男を迎えて平和問題懇談会「一つの世界をめぐって」を開催。森戸辰男、浜井信三、谷本清などが出席。
10 10 長崎市、米フロイド・シュモー寄贈の住宅(5戸)の入居者募集締切。入居資 格:長崎市で戦災を受け、現在市内に居住し特に住居に困っている人、など。
10 10? 河石九二夫広島医科大学教授、ハワイで開催される汎太平洋外科学会第5回会 議(11月15日~)に出席することが決まる。
10 12 全国戦災都市連盟中・四国地区総会、福山市で開催。
10 13 第24回日本社会学会、広島市で開催。中野清一・井上弥太郎、「少年非行における原爆影響の検出」発表。
10 16 広島平和問題談話会、広島市内で創立懇親会を開催。メリー・マクミラン、渡辺鼎、佐久間澄、浅野明夫などが発起。
10 19 広島県遺族厚生連盟、第1回戦没者合同慰霊祭を広島市児童文化会館前広場で 開催。約1万2000名が参加。
10 27 第6回国民体育大会、広島市で開幕。天皇・皇后参加。
11 1 大阪大学の体育文化祭で「原子力展」を開催。(「原爆の子に応えよう」)    11 02   長崎市立城山小学校子供会、第2回平和記念式を「あの子らの碑」前で開催。
11 6 山下参院厚生委員長、広島市で、戦死者遺族援護対策の中に、広島の原爆当時、軍の強制疎開作業で徴用された犠牲者の遺族も含めたい、と語る。
11 8 岐阜大学農学部で文化祭。-11日。自治会主催の原爆展が開催される。
11 8 デヴィン米シアトル市長、広島市を訪問。
11 9 長崎市山里町の有志、原爆犠牲者の骨拾いをおこなう。
11 9 第2回広島長崎両原爆都市協議会、広島市で開催。広島長崎特別都市建設期成 委員会の設置・原爆両都市戦災者の援護強化促進など決定。
11 14 広島市、強制作業中の原爆犠牲者12万8千人の靖国神社合祀と、遺族を戦争遺家族援護の対象に入れるよう国会請願展開。広島市議会議員ら、参院遺家族等援護小委員会で請願の主旨説明(15日には衆院)。
11 15 長崎市議会、広島長崎特別都市建設期成委員会設置を承認、長崎側委員を決定同期成委員会、原爆による警官・警防団・徴用従事者・学徒報国隊員などの殉難者の国家保障による救済を求める運動など展開。
11 19 広島市の原爆死没動員学徒が靖国神社へ合祀されることが判明。義勇団員については広島市の資料調査待ち。
11 20 北海道・札幌市の丸井デパートで「原爆の図展」を開催。-21日。
11 21 広島市議会文教・厚生両委員会、原爆死没動員学徒・徴用工・義勇隊員の靖国神社合祀と遺家族援護法の適用の陳情について協議。中島ピース・センター内への原爆犠牲学徒の像建設を可決。
11 22 広島市教育委員会、原爆犠牲学徒・教職員数を調査、犠牲者9505人と発表。
11 22 第2回戦没者遺族大会(日本遺族厚生連盟主催)、東京で開催。長崎原爆で母 を失った藤井陽子意見発表。
11 22 静岡大学の文化祭で「原爆展」を開催。-25日。
11 22 藤井陽子(長崎の原爆孤児)、東京で開催された第2回全国遺家族大会で挨拶
11 22? 広島市社会課、戦争犠牲者遺家族援護法案に基づく広島市の軍人軍属戦没者の調査実施中(10月末から12月10日まで)、21日現在約1500人の届出。
11 23 田坂具隆ら、「長崎の歌忘れじ」のロケハンのため来崎。
11 24 札幌市警、北海道大学の原爆展会場に展示されていたパネル3枚(広島・長崎に落ちた原爆についての市民の声)を占領目的阻害行為処罰令被疑として押収
11 24 長崎ユネスコ協力会、第4回県下高校平和弁論大会を開催。
11 24 長崎市議会代表、文化都市建設促進運動から帰任報告。戦没者遺家族援護法の枠内に原爆死没徴用員・学徒報国隊員など含むよう交渉。
11 24? 広島市労政課、失対事業労務者1096名の実態調査の結果(8月末現在)を公表 女651人のうち444人は未亡人。夫を亡くした理由別では戦災101人で大部分は 原爆。
11 26 広島市議会代表、靖国神社に、原爆死没動員学徒・義勇隊員の合祀を陳情。
11 26 イサム・野口、丹下健三ら、広島市内で懇談会「平和都市の建築を語る」を開催。11 27   参院遺族援護小委員会で、厚生次官、戦死者遺族の援護法案の大要を説明。援護対象は、旧軍人・軍属・徴用工・徴用船員および動員学徒。学徒については雇用人補助令に該当するものとして、原爆被害者も加えられる。
11 27 仁都栗広島市議ら、彫刻家朝倉文夫を訪問、原爆犠牲者の像について打ち合せ
11 33 「原爆の図」展、1950年2月から51年11月までの期間に、日本全国51か所で延べ223日間開催され、約65万人が入場。
12 9 中国・四国戦没者遺族大会、鳥取市で開催。
12 9 ABCC研究発表会(広島県医師会主催)、広島市で開催。「広島・長崎における原爆生存者の白血病発現率について」(J・H・ファーリー博士)・「原爆生存者にみるはん痕の現状について」(W・ウェルス博士)など発表。
12 09? 長大医学部影浦尚視教授によると、被爆者の栄養状態・血圧が回復するのに、大体6年間を要す。
12 10 広島市議会文教・厚生合同委員会。「原爆犠牲者遺家族援護促進会」の結成を決定。
12 10 広島市、米国ロスアンゼルス南加日本難民救済会佐々木雅実(広島県人)から贈られた中古衣料など12梱の慰問品を受け取る。
12 13 広島市、原爆犠牲者援護促進会(仮称)を結成。原爆死没者調査・指導にあたる。
12 14 厚生・大蔵両省の原爆犠牲者調査団、来広。県庁で原爆関係死亡者実情調査会開催。徴用工・女子挺身隊員・学徒・国民義勇隊員の原爆死亡者(約3万人と 推定)が、戦争犠牲者遺族援護法案の適用対象となるかどうか、当時の関係者から事情を聴く。
12 15 東京で平和記念都市建設専門委員会を開催。
12 18 長崎国際文化会館の設計図が完成。
12 22 広島県議会、戦争犠牲者援護法案の原爆犠牲者遺族への適用を求める発議可決
12 24? 広島市福祉事務所、身体障害者実態調査実施(1952年1月10日までに届出)。 対象:身体障害者・傷痍軍人・軍属および徴用・学徒動員・女子挺身隊などにより二目症以上の障害を受けた者。
12 25 長崎県、県下一斉に身体傷害者保護対象者の検査を実施。
12 27 ヒロシマピースセンター、原爆孤児約100名を流川教会に招いて慰安会。

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)はしがき

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)
1997年2月
平成6-8年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書(課題番号06610313)
原爆被爆者対策史の基礎的研究
研究代表者 宇吹暁(広島大学原爆放射能医学研究所)

はしがき
被爆50周年を迎え、行政・被爆者・被爆者団体などの間で、被爆50年の歩みをたどり、その意味を考える多くの試みが叢出した。例えば、厚生省は、広島・長崎両市に原爆死没者追悼平和祈念館の建設を進めており、その作業の一環として原爆資料の所在確認作業を行ってきた。広島・長崎両市は、それぞれ行政史(『被爆50周年広島市原爆被爆援護行政史』、『長崎原爆被爆50年史』)をまとめた。また、全国各地の被爆者や被爆者団体は、体験記や団体史・個人史を発行している。国際的にも、アメリカ・スミソニアン協会の被爆資料展示問題をめぐり、日米両国を中心に、さまざまな論議が巻き起こった。
本研究の目的は、広島大学原医研国際放射線情報センターの所蔵する原爆被爆者対策関係資料の整理を行うとともに、行政諸機関や各地の被爆者団体の資料の収集を行い、日本の原爆被爆者対策の歩みを、資料に基づいて跡づけることであった。今回、情報センター所蔵資料の整理とともに、以上の動向の中に現れた様々な歴史資料の所在の確認と整理にも力を注いだ。
原爆手記については、情報センター所蔵のものに、広島・長崎・東京・福岡・山口の各都県にある公共機関・被爆者団体所蔵のものを加え、掲載書誌3542件の目録を作成することができた。
当初、本研究のまとめとして、戦後50年間の歩みを示す基本資料の目録と年表の作成を考えていた。しかし、作業を進めるにつれ、大量の資料が存在し、それらの整理のためには膨大な時間を必要とすることが明かとなったので、時代を追って作業を進めることとした。今回、紹介するは、広島・長崎の被爆から被爆者問題が国民的課題として登場する契機となったビキニ水爆被災事件の発生にいたる(1945年8月から1953年まで)の資料である。
この時期の基本資料の多くは、『広島原爆医療史』、『広島原爆戦災誌』、『長崎原爆戦災誌』、『広島県史・原爆資料編』、『広島新史・資料編』などの形でまとめられている。本書では、原則として、これらに収録されたものは取り上げず、これらを補う形で構成しようとした。本書で、地元広島・長崎の医師会が原爆障害者治療に取り組み契機となった「原爆乙女」の治療などを取り上げていないのは、前述の既刊のもの以上の資料を今回発掘できなかったためである。
本書は、7部建てであるが、各部において、それなりのストーリー性を持たせるよう心掛けた。時期的には、1.原爆開発・投下にいたるまで(Ⅰ)、2.被爆直後(Ⅱ、Ⅲ)、3.占領期(Ⅳ)、4.講和条約発効前後(Ⅴ、Ⅵ)の4つの柱からなっており、これに被爆から1953年までの原爆犠牲者の追悼に関わる資料(Ⅶ)と年表(Ⅷ)を加えている。
Ⅰ(原爆開発・投下問題)に関する資料は、これまでアメリカの歴史研究者によってなされた様々な成果がすでに紹介されている。ここでは、主にその概要を示す資料と邦訳された基本文献を紹介した。これらの資料や文献に基づいて資料を収集することは、今後の課題として残っている。
Ⅱ(原爆被害をめぐる日米の対立)では、70年生物不毛説の基本資料を収録した。この説は、日本の戦争指導層による原爆被害の政治的利用の契機となるとともに、日本の学者による総合的な原爆被害調査の端緒となったものである。日本政府の政治的利用の実態やそれに対するアメリカ側の反応も併せて紹介したが、このような形で体系的に紹介されるのは、今回が始めてと思われる。
Ⅲ(被爆直後の救援と調査)・Ⅳ(占領期の原爆問題)に関する資料は、『広島原爆戦災誌』など前述の文献の中で体系的に紹介されているので、ここでは、これらに収録されていないものを中心に収録した。
Ⅴ(調査・研究・治療の再開)は、現在広島市公文書館で保管されている都築正男旧蔵資料を中心に構成した。これらの多くは、以前に広島大学原医研付属原爆被災学術資料センター(国際放射線情報センターの前身)発行の『資料調査通信』に紹介したことがある。
Ⅵ(講和条約発効前後の原爆問題)では、法政大学大原社会問題研究所など多様な機関・団体がなどが所蔵する社会運動資料によって構成した。今後の発掘作業により、なお多くの資料が期待される分野である。
Ⅶ(原爆犠牲者の追悼)に関する資料は、これまでにも様々な形で紹介されているので、基本的な資料のみを収録した。
Ⅷ(年表1951-1958年)は、中国新聞の情報に長崎のローカル紙(『長崎日日新聞』・『長崎民友』)や全国紙および生資料による情報を加えて作成したものである。
資料の収録に当たって、つぎのような方針をとっている。
1.読みやすくするため、一部、旧字を新字に、漢数字を算用数字に直した。
2.判読不能の部分には、「*」を付した。
3.編者の注は[ ]で示した。
なお、資料の収集に当たり、広島県立文書館・広島市公文書館・宮川裕行氏をはじめ多くの機関・個人の協力を得た。また、資料の整理にあたり、安藤幸子・小林知子・宇吹健の各氏の手をわずらわせた。末尾ながら記して謝意を表したい。[以下略]

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)目次

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)
1997年2月
平成6-8年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書(課題番号06610313)
原爆被爆者対策史の基礎的研究
研究代表者 宇吹暁(広島大学原爆放射能医学研究所)

目次

Ⅰ.原爆開発・投下問題 1- 19
【資料1】原爆投下に関するアーノルド将軍用メモ
【資料2】原爆投下命令書
【資料3】マンハッタン・プロジェクトのプレス・リリーズ(PRESS RELEASE)一覧
【資料4】原子力開発の主要事件
【資料5】マンハッタン・プロジェクトに関する基本資料一覧
【資料6】原子力発展年表
【資料7】米陸軍の公的歴史書『マンハッタン:陸軍と原爆』
【文献】原爆開発・投下問題(邦文)

Ⅱ.原爆被害をめぐる日米の対立 20- 44
1.アメリカにおける70年生物不毛説報道
【資料1】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料2】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料3】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料4】NEW YORK TIMES(ニューヨーク・タイムズ)紙の報道
2.日本の反応
【資料5】広島市爆撃問題に対する反響
【資料6】日本政府の原爆攻撃に対する抗議
【資料7】NEW YORK TIMESに見る日本の原爆報道
【資料8】外国人記者の現地報道
3.外務省による海外の反響の収集
【資料9】ベルン情報
【資料10】ストックホルム情報
【資料11】ベルン情報
【資料12】リスボン情報
【資料13】ストックホルム情報
【資料14】リスボン情報
【資料15】リスボン情報
4.アメリカの反応
【資料16】マンハッタン・プロジェクト調査団ファーレル団長の声明
【資料17】アメリカ軍が入手した日本政府の動向
5.原爆報道に関する規制
【資料18】GHQの言論指令「言論及び新聞の自由」
【資料19】朝日新聞24時間発行停止の指令
【資料20】GHQの言論指令「新聞規則」

Ⅲ.被爆直後の救援と調査 45- 75
1.日本軍の動向
【資料1】中国軍管区の救援・復旧命令
【資料2】広島空襲被害報告
【資料3】第一復員省大屋中佐の原爆被害報告
【資料4】『本土作戦記録・第二総軍』
【資料】米軍捕虜名簿(原爆犠牲者)
[参考資料]米兵捕虜の遺族の手紙
【資料6】『広島市戦災処理の概要』
【資料7】軍の調査報告一覧 1945年
2.政府・県・市の動向
政府
【資料8】政府の新型爆弾対策委員会
広島県
【資料9】竹内喜三郎(豊田地方事務所長)日記
広島市
【資料10】広島市の被害に関する言上書(案)
【資料11】災害後の食糧配給事情
【資料12】学校の罹災状況
【資料13】比治山迷児収容所概要
3.学術調査
【資料14】都築正男の原爆被害調査
【資料15】原爆被害の総合調査を求める声(1)
【資料16】原爆被害の総合調査を求める声(2)
【資料17】『朝日新聞』社説「被害調査も科学的なれ」[抄]
【資料18】広島市の原子爆弾被害状況調査依頼
4.米軍・合同調査団・ABCCの動向
【資料19】マンハッタン調査団
【資料20】原爆被害の長期研究計画に関するオーターソン・メモ
【資料21】戦略爆撃調査団報告書一覧(原爆関係分)
【資料22】被爆者の長期研究に関する大統領指令
【資料23】ABCC調査調査要領
【資料23】厚生省予防衛生研究所のABCCへの協力
【文献】被爆直後の救援・調査

Ⅳ.占領期の原爆問題 76- 127
1.外交文書の中の原爆被害
【資料1】占領軍の新聞発表(PRESS RELEASE)記事目録(原爆関係)
【資料2】中国連絡調整事務局報告の中の原爆被害
2.平和祭・文化祭
【資料3】広島市の平和復興祭
【資料4】広島市の平和祭構想
【資料5】広島市の第1回平和祭
【資料6】ノーモア・ヒロシマズ=谷本清牧師の訴え
【資料7】広島市の第2回平和祭
【資料8】広島市の慰霊式・平和記念式典
【資料9】広島・長崎両市の平和宣言
3.被爆者援護の構想
【資料10】桑原市男「新広島建設要綱[抄]」
【資料11】渡辺滋「広島市の復興計画案[抄]」
【資料12】模範社会事業都市建設に関する請願
【資料13】谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想[抄]
4.原爆孤児救済
【資料14】広島戦災児育成所要覧[抄]
【資料15】相生農場建設計画書[抄]
5.原爆被害(者)の調査
【資料16】労働省婦人少年局長崎出張所の被害者調査
【資料17】広島市の原爆関係資料提供依頼
【資料18】広島市の原爆関係資料提供依頼
【資料19】長崎市原爆資料保存委員会の活動
6.平和擁護運動の中の原爆被害
【資料20】平和擁護東京大会での大田洋子の発言[抄]
【資料21】『アカハタ』(日本共産党機関紙)の中の原爆被害(者)
【資料22】『平和の斗士』(アカハタ中国総局)の中の原爆被害(者)
【資料23】『民族の星』の中の原爆被害
7.原爆手記の出版
【資料24】小倉豊文『絶後の記録』
【資料25】永井隆『長崎の鐘』
【資料26】永井隆ブーム
【資料27】日本基督教青年会同盟『天よりの大いなる声』[抄]
【資料28】衣川舜子『ひろしま』
【資料29】マッカーサー元帥への衣川舜子の手紙
【資料30】吉川清『平和のともしび-原爆第一号患者の手記』
【資料31】広島市民生局社会教育課編『原爆体験記』
8.原爆被害に基づくさまざまな動向
【資料32】徳川義親の原爆被害観[抄]
【資料33】アメリカ人記者の質問への東久迩宮首相返書[抄]
【資料34】東久迩宮首相返書へのアメリカの反応[抄]
【資料35】広島市の戦災復興とGHQ
【資料36】長田新らの文化都市建設構想
【資料37】天皇「ヒロシマ巡幸」
【資料38】羅府新報(米ロスアンゼルスの邦字新聞)記事目録(原爆被害関係)
【資料39】婦人民主クラブ『婦人民主新聞』記事(原爆被害関係)

Ⅴ.調査・研究・治療の再開 128-146
1.都築正男資料にみる文部省原子爆弾災害調査研究班の発足
【資料1】科学研究費交付金総合研究計画調書草稿
【資料2】原子爆弾災害調査研究班班員名簿
【資料3】都築正男「原子爆弾災害調査研究班に就て」
【資料4】広島医科大学の原爆調査研究課題
【資料5】長崎医科大学の原爆調査研究課題
【資料6】研究連絡打合会に関するメモ
【資料7】研究連絡打合会についての都築正男の総括
【資料8】『昭和28年度文部省総合研究報告集録(医学及び薬学編)』[抜粋]
【資料9】都築正男略歴
2.原爆障害者治療対策協議会
【資料10】広島市原爆障害者治療対策協議会『原爆障害者治療対策の概要』[抄]
【資料11】長崎原爆傷害者治療対策協議会結成準備打合会
3.厚生省原爆症調査研究協議会
【資料12】原爆症調査研究協議会の設置
【資料13】原子爆弾後障害症治療指針

Ⅵ.講和条約発効前後の原爆問題  147-177
1.戦傷病者戦没者遺族等援護法
【資料1】広島市原爆犠牲者遺族援護に関する陳情書
【資料2】広島市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願
【資料3】広島、長崎両市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願
【資料4】原爆犠牲者年金等要求について原爆死没者援護に関する陳情経過
【資料5】戦傷病者戦没者遺族等援護法案をめぐる国会論議[抄]
【資料6】広島市の戦没者遺家族援護
【資料7】長崎市の遺族援護状況
【資料8】旧軍人の府県別原爆死亡者数
2.原爆裁判の提訴
【資料9】日本国との平和条約[抄]
岡本尚一弁護士の提起
【資料10】『原爆民訴或問』[抄]
【資料11】岡本尚一「米国に原爆の損害賠償を求む」[抄]
原爆裁判提起への反響
【資料12】原爆民訴提唱及びその反響
【資料13】アメリカの反応
【資料14】ニューヨク・タイムズの報道
【資料15】日本の反応
3.原爆被害者の会
【資料16】原爆第1号吉川清の試み
【資料17】原爆被害者の会設立の経緯
【資料18】原爆被害者の会会則
【資料19】中野懇談会の被爆者招請
【資料20】原爆裁判への対応
4.国民各層と原爆被害
【資料21】京都大学文学部学友会『原爆体験記』
【資料22】宮川裕行の日記[抄]
【資料23】原爆展への干渉・介入
【資料24】広島・長崎両原爆都市建設特別委員会の論議
【資料25】「原爆の詩」収集に関する依頼
【資料26】映画「原爆の子」製作への協力依頼
【資料27】映画「原爆の子」への原爆友の会の批判
【資料28】第4回広島・長崎青年交歓会
【資料29】子供を守る会の原爆孤児調査
【資料30】全面講和愛国運動協議会機関紙の中の原爆被害(者)

Ⅶ.原爆犠牲者の追悼  178-186
1.原爆犠牲者への追悼文
【資料1】広島県農業会長弔辞
【資料2】修道中学校生徒代表弔辞
【資料3】永井隆原子爆弾死者合同葬弔辞
【資料4】永井隆浦上合同慰霊祭祭詞
【資料5】広島市立原爆遺族会代表弔辞
2.原爆犠牲者追悼碑の碑文
【資料6】広島市立第一高等女学校慰霊碑
【資料7】中国配電株式会社弔魂塔
【資料8】広島女子高等師範学校・附属山中高女・県立第一高女殉国学徒慰霊碑
【資料9】原爆供養塔
【資料10】広島平和都市記念碑碑文
[参考資料]<英文>
[参考資料]パール博士の碑文批判[抄]
[参考資料]雑賀忠義(碑文作成者)の考え[抄]
【資料11】広島市の原爆死没者調査趣意書
3.広島・長崎両市の平和宣言
【資料12】1951年・広島
【資料13】1951年・長崎
【資料14】1952・長崎
【資料15】1952年・長崎
【資料16】1953年・広島
【資料17】1953年・長崎

Ⅷ.年表 1951-1958年  187-221

原子放射能基礎医学研究施設設立について

原子放射能基礎医学研究施設設立について
『広島大学原子放射能基礎医学研究施設年報 第1号 昭和35年』
原子放射能基礎医学研究施設設立について
広大医学部長 渡辺 漸
広島大学医学部原子放射能基礎医学研究施設が正式に成立したのは昭和33年4月1日であり,その実際的の発足は同年秋となったが,その成立に至るまでの経過の概略に就て述べたい.
我々の医学部の前身であった県立広島医科大学では放射線医学の重要性を河石学長が強調されアイソトープ委員会もすでに昭和28年には構成され、アイソトープ研究室も広の附属病院構内に同じ頃に新築されたのであって,我が原基研の前身はすでにこの頃出来たと言ってもよかろう.しかし具体的に放射能医学生物学研究所の構想が出来たのは昭和29年の春,我々の医学部が国立に移管した翌年の事であった.この年の3月にビキニ水爆実験に伴う福龍丸の放射l能灰の被曝があって放射能の人体に及ぼす影響に就てにわかに世人の関心が高くなって来た時期である.
昭和30年度の概算要求に広大放射能生物学研究所の設立案を提出しようではないかとの考えが医学部内で強〈なり,それは理学部の協力が必要であるとの理由で、昭和29年6月3日の午後3時30分から阿賀の医学部会議室で当時の藤原理学部長,川村智治郎教授,品川睦明教授の3名を招き,当方からは河石学部長,浦城教授,沖野事務長と私の4名が出席して会合を開いたのがそもそもの初めてある.その時には研究所の設立だけでなく,広大放射能研究委員会の創設の案も席上の話題となった.この時に出来上って30年度の概算要求として提出された案は総経費479,000,000円(初年度151,000,000円)3ケ年完成の計画であって,基礎的研究,生物学的研究及び医学的研究の3部が更に13の部門に分れており,その各々に教授1,助教授1,助手3,その他66名、合計131名の職員があると言うので,当分は現在の霞町の医学部の建物の中に一棟を当てるが、将来は大学隣接地に鉄筋4層1900坪の建物を約2億円で新営するとの規模宏大な案であったが、文部省の省議も通過し得なかった.
その翌年即ち昭和30年には昭和31年度の新規概算要求として広大放射線基礎医学研究所としての案を提出したがこれは前年度に比べて可成規模が大きくなり,総予算733,700,000円(初年度148,000,000円)であって,物理,化学,生物,遺伝,診断,治療,障害の7研究部があり,これが更に17室に分れておるので,多くの研究部は2~3の研究室から構成されている.職員mp前年度要求よりは増えて165名となっているが,助教授を各研究室に置いたので17名とし,雇員、傭人の数を増しているのがその主なものである.建物は初めから新営として2590坪の鉄筋となっておるが,初年度の人員の要求を前年の73人に比して25人と縮少したのが目立つ点であった。然しこの案も結局は日の目を,見ずに終わった.
当時文部省はそれ自体として放射能生物学医学研究所を設立したい希望があり,その構想は大体我々が立案したものに近かいようであるとの情報があったが.厚生省もまた類似の構想を持ち他の省にも似たような希望があつたのだが各省で各々こうした同じような研究所を持つ事はよくないと言うので結局は科学技術庁直属の現在の放医研の誕生を見るに至ったと言う風に伝えられている.現在の放医研の物理,化学,生物,生理病理,障害基礎,環境衛生,臨床の7研究部23研究室の機構が我々の当初の案に甚だ似ておる点を見ても我々の構想が決して単なる空想でなかった事はよく分ると思う.こうした経緯で放射線の生物学医学研究所は恐らくは放医研だけに絞ぽられて行くであろうと言う見通しが強くなったので,当初の研究所と言う構想を我々は捨てて昭和32年度の概算要求には医学部原子放射能基礎医学研究施設として,予算61,700,000円、教授5,助教授5,助手12,その他10,合計32人で,生理学,病理学,生化学,薬理学及び細菌学の5部門に分れ,霞町の現在の校舎の一棟260坪を補修して使用する計画を樹てたが,完成は3年である点は以前と変りない.この案 は可成り本省でも注目されたが結局は翌年に持ち越さざるを得なかった.
斯くして昭和33年度の新規概算要求として総経費51,700,000円,2部門計17名の職員から成る計画が出来て,それが昭和33年度に1部門だけ認められ,更に昭和34年度に更に他の1部門が承認されて,一応計画の完成となったのである.この間大学院設置の要求などがあり,本研究施設の要求を第一義的に考えて行く事が出来ず,絶えず大きな困難に直面していたのであったが,本省側のたえざる好意と森戸学長以下大学当局の絶大の援助と,また他学部からの熱烈な支持があったからこそ今日の成果を収め得たのであり,また顧みて,歴代学部長以下我が医学部の関係職員の多年に亘る労苦を忘れることは出来ないのである.この機会に河石,西丸,鈴木の元学部長,及び田淵昭教授及び小山豪教授の名を特に挙げてその多年の尽力に対して感謝の意を表したい.
しかし我々多年の要望は本研究施設の成立によって充たされたわけではないので,一昨年春以来,理学部,工学部及び水畜産学部の関係の方々とも数回に亘り会合して意見の交換を行った結果,広島大学に原子核放射能研究所の実現を計ると言う点で一致した結論に到達した.それが為にはすでに発足した本施設を育成しつつこれを発展拡張せしめ次第に所期の目的に到達するのが適当であるとの意見が多かった.従って我々は今後たゆまざる努力と熱情とを以って一歩一歩所期の目的に近づいて行きたいのであって,かくてこそ本研究施設の成立の意義も充分にあるものと考えられる.

長崎市原爆資料保存委員会の活動(1949年4月11日~)

(1949年4月11日~53年5月30日)

[メモ]『原爆資料保存委員会経過報告』(長崎市原爆資料保存委員会、1959)]をもとに構成した。

昭和24. 4.11 第1回原爆資料保存委員会設立協議会

       [協議事項]

        1.会則の説明、並一部改正の件

        2.委員の委嘱の件

        3.資料収集の周知の件

        4.写真展の開催の件

        5.原爆地の実地調査の件

       [経過]414日現地調査を実施。

昭和24. 4.14 第2回原爆資料保存委員会

       [協議事項]

        1.火の見台(外人墓地)、石鳥居(山王神社)、石像(浦上天主堂)、 石門(城山小)、水タンク(けい浦学校)、ベッド(マリヤ学院)、 等の資料を平和公園に移す件                 

       [経過]給水タンク昭和25年2月平和公園に移転

昭和24. 5. 6  第2回原爆資料保存委員会

        原爆資料館の開設を決議

昭和24. 5.13 第3回原爆資料保存委員会

       [協議事項]

        1.原爆火傷者の写真撮影の件

        2.資料館大型資料配置の件

        3.寄捨箱設置の件

        4.資料館に花壇設置の件

        5.絵画買上の件

昭和24. 5.13 第4回原爆資料保存委員会

       [協議事項]

        1.被爆樹木を平和公園に移植する件

        2.被爆植物の影響統計表作成の件

        3.文化会館設置の件

       [経過]被爆枯木を昭和25年3月平和公園に移転

昭和24.12. 9 原爆資料保存委員会現地調査

       [協議事項]

        1.原爆資料館の視察調査(資料の展示方法、展示資料の整備)

        2.浦上天主堂を視察

       [経過]浦上天主堂に廃きょを資料として保存するよう申入れる

昭和25. 6.29 第1回原爆資料保存委員会

       [協議事項]

        1.資料を学術的に科学的に収集する

        2.浦上天主堂・山王神社・紡績会社跡・医大その他10ケ所の原爆材指定の件

        3.委員会規則の整備

       [経過]7月に委員会規則を改正、改正に伴い委員を委嘱

昭和25. 7.24 第2回原爆資料保存常任委員会

       [協議事項]原爆中心塔の件

昭和25. 8.17 第3回原爆資料保存委員会

       [協議事項]

        1.原爆中心塔建設の件

        2.パノラマ製作の件

        3.農産物に対する影響研究発表(古野氏)

        4.原爆資料被災者状況記録収集の件

昭和26. 3.28 原爆資料保存委員会現地調査

       [協議事項]文化会館建設用地視察

昭和26. 8. 3 第1回原爆資料保存委員会

       [協議事項]浦上天主堂の壊壁保存の件

昭和26. 9.18 第2回原爆資料保存委員会

       [協議事項]浦上天主堂残存物保存の件

昭和26.12.25 第3回原爆資料保存委員会

       [協議事項]如己堂保存の件

昭和28. 1.14 第1回原爆資料保存委員会

       [協議事項]原爆娘治療の件

昭和28. 1.20 第2回原爆資料保存小委員会

       [協議事項]

        1.原爆の図の作成の件

        2.被爆者の体験記保存の件

        3.パノラマ作製の件

        4.天主堂さく作製の件[ママ]

        5.傷害者写真保存の件

        6.治療対象者範囲拡大の件

        7.26日の現地調査の件

        8.委員長広島派遣の件

昭和28. 1.26 原爆資料保存委員会現地調査

昭和28. 3. 7 第3回原爆資料保存委員会臨時総会

       [協議事項]

        1.28年度に於ける事業計画の件

        2.委員長広島視察報告の件

昭和28. 5.30 第4回原爆資料保存委員会

       [協議事項]

        1.スライド並模型製作の件

        2.原爆図絵製作の件

        3.「長崎原爆被害概況」パンフレット出版の件

        4.長岡省吾氏招聘の件

        5.ABCC田中直氏委員会嘱託推薦の件

        6.浦上天主堂廃きょ保存の件

        7.資料館新設の件

       [経過]

        1.8月スライド長岡氏によって作製さる。36カット2本。

        2.29年3月、丸木・赤松夫妻共同作2枚屏風式100000円

        3.7月パンフレット「原爆の長崎」10000部発刊

        4.6月に招聘

[以下略]