「原爆と広島大学」カテゴリーアーカイブ

資料調査通信(広島大学原医研)1981年

1981年

第1号(1月号)-第5号(12月号)

 

分冊 記 事
1 8 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (1)1945年10月~12月 1 2
1 8 被爆問題年表 1981年8月 3 10
1 8 文献・図書資料 1981年8月受け入れ分 11 15
2 9 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (2)1946年 1 5
2 9 メモ(宇吹) ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」とビキニ原爆実験 5 0
2 9 被爆問題年表 1981年9月 6 9
2 9 文献・図書資料 1981年9月受け入れ分 10 14
3 1 10 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 収集資料一覧 単行本の部 3 12
3 1 10 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 収集資料一覧 逐次刊行物の部 12 22
3 10 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (3)1947-1953年 1 9
3 10 メモ(宇吹) パールハーバーとヒロシマ 9 0
3 10 被爆問題年表 1981年10月 10 15
3 10 トピック(寺井) 国連軍縮週間 15 16
3 10 文献・図書資料 1981年10月受け入れ分 17 20
3 別冊 あとがき(内田) <原爆体験記の収集について> 1 23
4 11 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (4)1954-1958年6月 1 8
4 11 被爆問題年表 1981年11月 9 14
4 11 文献・図書資料 1981年11月受け入れ分 15 18
5 12 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(1)「まどうてくれ」 1 8
5 12 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (5)1958年7月-1959年 9 11
5 12 メモ(寺井) 原爆被爆者の死亡発表 11 11
5 12 被爆問題年表 1981年12月 12 18
5 12 トピック(寺井) ―「老人保健法」案と原爆医療法― 18 19
5 12 文献・図書資料 1981年12月受け入れ分 20 22

 

爆心復元運動とヒロシマの思想

『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)

目次

章節
序に代えて-爆心地復元運動の今日的意義-(芝田進午)
人間の復権を目指して(湯崎稔)
Ⅰ-1 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔)
Ⅰ-2 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔)
Ⅰ-3 広島における被爆の実相
『歴史評論 NO.336』(197804)
爆心復元運動の誕生と展開(長屋龍人)
はじめに
Ⅱ-1 被爆原点の空白
Ⅱ-2 「爆心半径五〇〇メートル」の衝撃
Ⅱ-3 「爆心復元」アイデアの源泉
Ⅱ-4 爆心復元の論理と構想
Ⅱ-5 キャンペーン始動
Ⅱ-6 爆心復元運動の展開
爆心復元運動からヒロシマ理論へ(児玉克哉)
はじめに
Ⅲ-1 日本現代史の縮図としての広島
Ⅲ-2 ヒロシマの視点
Ⅲ-3 ヒロシマと現代
Ⅲ-4 爆心地復元運動からヒロシマ理論へ
座談会「爆心調査」からヒロシマを考える
出席者
青木豊子(爆心地復元調査協力者)
鎌田七男(原爆放射能医学研究所研究員)
高橋昭博(爆心地復元調査参加被爆者)
長屋龍人(爆心地復元運動企画提案者、当時NHK番組ディレクター)
渡辺正治(元原爆放射能医学研究所研究員)
児玉克哉(三重大学人文学部助教授)
太田武男([中国新聞]編集部)
あとがき(児玉克哉)

広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会陳情運動日誌

「原爆放射能医学研究所設置」・「原爆医療法中二粁の制限拡大」・「戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒・女子挺身隊・義勇隊等の時限法改正」に関する陳情運動日誌
(広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会 1962年2月)

はしがき
昭和三十四年九月原爆医療法の一部改正を目的とする政治運動展開を企図して構成された本対策委員会は、同年、画期的な同法改正に成功、翌三十五年原爆放射能医学研究所設置運動に乗り出し、僅々一カ月の短期間において同所究所創設にかかる予算獲得・法律改正を奇蹟的に果し、引続き三十六年には、特別被爆者の二粁制限撤廃に立ち上り、遂にその制限を三粁に拡大する予算獲得に成功し、ここに原爆問題の当面する重要案件を殆んど処理し終えたものである。
本委員会が斯る華々しい成果を収め得たのは、自民党幹部を始めとする関係各位の強力は御支援・御協力によるところであるが、特に運動の推進役を担当して貰った自民党広島県支部連合会被爆者対策委員長・広島市被爆者対策委員長任都栗司君の献身的努力に負うところ極めて多く、ここに改めて深甚なる敬意と謝意を表明するものである。
本委員会は、運動の当初より事務局をして運動の詳細を記録せしめていたものであるが、原爆問題の重要案件を殆んど処理完了した今日、ここにこれが運動日誌を公にし、格別の御協力を賜わった関係各位に対し心からの謝意を表すとともに、将来の参考とすることとした。
各位の御高覧を御願いして止まない。
昭和三十七年二月
広島長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会
常任委員 参議院議員 岩沢 忠恭

目次(其の一)

年月日
昭35(1960)
0922~1210
1.原爆医療法中2粁の制限拡大問題に関し、主として厚生省当局の意向を打診
1212-1213 1.原爆被害者医学総合研究機関の設置に関し関係各方面と基礎的打合わせ(特に所管省問題)をなす。
2.本対策委員会、昭和35年運動目標を原爆被害者医学総合研究機関の設置に置くことに決定。
1214-1221 1.広島市及び長崎市の原爆問題関係機関と打合せの結果、原爆医学研究機関の設置について地元の意識統一成る。
2.原爆医学研究機関設置にかかる陳情書作成
1223-1227 1.原爆医学研究機関設置に関し、関係各方面、特に自民党政調会文教部会に対し、陳情書提出の上、強力に陳情。
2.文部省当局に対し、原爆医学研究機関設置に関し、陳情運動展開中の旨連絡、表面化した場合引受け方陳情
1227 1.原爆医学研究機関設置の案件、広島大学に附置することとし、自民党政調会文教部会において満場一致をもって採択に決定
1228-0105昭36(1961) 広島大学当局に対し、原爆医学綜合研究機関設置に要する必要予算を至急追加要求方要請
2.広島大学との協同陳情書(要求予算を含む)作成
昭36(1961)
0106~0107
1.広島大学より広島原爆放射能医学研究所にかかる追加要求予算書を文部省当局に提出
2.広島大学より文部省に対し、提出の追加要求予算内容一部訂正の上、必要陳情書作成
0106~0107 1.自民党役員、同政調会役員、文教部会役員に対し、訂正陳情書を提示の上原爆放射能医学研究所問題の採択方について強力に陳情
2.自民党政調会文教部会は、政調役員会に対し原爆放射能医学研究所予算四億六百万円を要求することに決定
0107-0109 1.自民党政調役員会において原爆放射能医学研究所関係予算満場一致をもって採択に決定
0109-0111 1.自民党政調会副会長並びに各部会長合同会議において原爆放射能医学研究所関係予算採択に決定
2.大蔵省に対し、関係有力者を通じ、協力に陳情
0111-0115 文部省は、大蔵省当局に対し、新規追加要求予算として原爆放射能医学研究所予算四億六千六百万円を提出
0116-0117 1.広島原爆放射能医学研究所設置に要する関係予算、大蔵省第三次査定に於いて二カ年継続事業として遂に承認を受く
2.本件に関し格段の協力を賜った自民党役員、同政調会役員、その他関係各位に対し、御礼挨拶廻りをなす。

 

目次(其の二)

年月日
昭36(1961)
00403~1003
1.戦傷病者戦没者遺族等援護法中、学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関し、運動の基本的打合せ、陳情書の作成、国会に対する請願書の提出並びに同請願の衆議院社会労働委員会において採択に至るまでの陳情
2.、原爆医療法中二軒の制限拡大に関し、運動の基本的打合せ、拡大の必要性を裏付ける資料の蒐集並
びに二粁制限拡大に伴う経費の昭和三十七年度厚生省要求予算に計上に至るまでの陳情
3.昭和三十六年度原爆医療法一般疾病医療費予算の不足に伴う予備費補充に関する陳情
4.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度予算要求に関する陳情
1004-1116 1.原爆医療法中二粁の制限拡大にかかる経費について、昭和三十七年度厚生省要求予算に計上決定に伴い、関係各方面に対し、これが予算獲得に関する基礎的陳情運動
1128-1211 1.原爆問題陳情運動の一元化、漸くにして決定
2.二粁制限拡大の必要性を裏付ける資料蒐集、漸く完成し、陳情書作成
1212-1216 1.原爆医療法中二粁の制限拡大の必要性について、関係各方面、主として自民党政調会、社会部会並びに大蔵省に対し、陳情書を提出の上、強力に陳情
2.二粁制限拡大の案件、自民党政調会社会部会を満場一致をもって通過
3.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度事業並びに長崎支所設置の明年度予算獲得について関係方面に強力に陳情
1217-1219 1.二粁の制限拡大に関し、自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、関係有力者を通じ、強力に陳情
1220-1221 1.明年度予算にかかる大蔵省第一次査定の結果、二粁制限拡大に要する予算全額ゼロ査定を受く
1222-1223 1.二粁軒制限拡大関係要求予算、大蔵省第一次査定に於いて全額不承認の結果に基き、これが復活要求について自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、引続き強力に陳情
2.広島原爆放射能医学研究所残事業にかかる要求予算、大蔵省第一次査定において不承認の結果に基き、自民党政調会関係役員にこれが復活要求について陳情
1224-0105昭37(1962) 1.二粁制限拡大関係要求予算、大蔵省第二次査定において三粁に拡大することとする基本線に基き、遂に承認を受く。
2.、戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関する予算、厚生大臣、大蔵大臣の大臣接渉において、昭和三十八年度予算に計上することに確約を得る。
2.本件に関し、格段の協力を願った自民党役員、同政調会役員その他関係各位に対し、御礼の挨拶廻りをなす。

 

 

 

「資料調査通信」記事一覧

『資料調査通信』(広島大学付属原爆放射能医学研究所資料調査室、第1号(1981年8月号)-第94号(1991年5・6月号)

1981年

第1号(1月号)-第5号(12月号)

分冊 記 事
1 8 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (1)1945年10月~12月 1 2
1 8 被爆問題年表 1981年8月 3 10
1 8 文献・図書資料 1981年8月受け入れ分 11 15
2   9 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (2)1946年 1 5
2   9 メモ ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」とビキニ原爆実験 5 0
2   9 被爆問題年表 1981年9月 6 9
2   9 文献・図書資料 1981年9月受け入れ分 10 14
3 1 10 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 収集資料一覧 単行本の部 3 12
3 1 10 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 収集資料一覧 逐次刊行物の部 12 22
3   10 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (3)1947-1953年 1 9
3   10 メモ パールハーバーとヒロシマ 9 0
3   10 被爆問題年表 1981年10月 10 15
3   10 トピック 国連軍縮週間 15 16
3   10 文献・図書資料 1981年10月受け入れ分 17 20
4   11 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (4)1954-1958年6月 1 8
4   11 被爆問題年表 1981年11月 9 14
4   11 文献・図書資料 1981年11月受け入れ分 15 18
5   12 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(1)「まどうてくれ」 1 8
5   12 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (5)1958年7月-1959年 9 11
5   12 メモ 原爆被爆者の死亡発表 11 11
5   12 被爆問題年表 1981年12月 12 18
5   12 トピック ―「老人保健法」案と原爆医療法― 18 19
5   12 文献・図書資料 1981年12月受け入れ分 20 22

 

1982年

第6号(1月号)-第16号(12月号)

分冊 記 事
6 1 1 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(2)原水爆禁止大会 1 21
6   1 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (6)1960年 1 2
6   1 被爆問題年表 1982年1月 3 8
6   1 連載記事一覧 1981年 9 12
6   1 文献・図書資料 1982年1月受け入れ分 13 22
7 3 2 まどうてくれ 藤居メモ(1)1955年11月ー1956年3月 1 21
7 B 2 原爆障害症研究文献目録 ―渡辺 漸氏より借用分― 1 21
7 1 2 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(3)原爆被害者の救援と組織 1 17
7 2 2 まどうてくれ 資料 18 40
7   2 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (7)1961-1964年 1 4
7   2 被爆問題年表 1982年2月 5 12
7   2 文献・図書資料 1982年2月受け入れ分 13 16
8 1 3 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(4)広島県被団協 1 14
8 2 3 まどうてくれ 資料 14 58
8 3 3 まどうてくれ 藤居メモ (2)1956年3月~7月 1 31
8   3 被爆問題年表 1982年3月 1 13
8   3 被爆問題年表 1982年4月 14 25
8 3 「反核・軍縮の決議・意見書・宣言を採択した地方議会一覧」   26 33
8   3 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (8)1965-1971年 34 43
8   3 文献・図書資料 1982年3・4月受け入れ分 44 52
9 1 5 まどうてくれ 資料特集 1956年8月6日 第3回原水爆禁止広島大会,他 1 21
9 2 5 まどうてくれ 資料特集 くずれぬ平和を 8.6広島大会被害者大会議事録[抄] 1 19
9 3 5 まどうてくれ 資料特集 第2回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] 1 19
9   5 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (9)1972-1976年(連載終わり) 1 5
9   5 被爆問題年表 1982年5月 6 21
9   5 トピック 5月13日の宮沢官房長官の衆院外務委での答弁について 21 21
9   5 文献・図書資料 1982年5月受け入れ分 22 24
10   6 国会論議の中の原爆被害 (1)第55回特別国会 1967年2月15日~7月21日 1 5
10   6 被爆問題年表 1982年6月 6 21
10   6 連載記事一覧 1982年上半期 22 25
10   6 文献・図書資料 1982年6月受け入れ分 26 34
11   7 国会論議の中の原爆被害 (2)第56回~第60回国会 1967年7月12日~1968年12月21日 1 8
11   7 被爆問題年表 1982年7月 9 20
11   7 文献・図書資料 1982年7月受け入れ分 21 26
12   8 国会論議の中の原爆被害 (3)第61・62第国会 1968年12月27日~1969年12月2日 1 8
12   8 被爆問題年表 1982年8月 9 25
12   8 文献・図書資料 1982年8月受け入れ分 26 37
13   9 国会論議の中の原爆被害 (4)第63・64回国会 1970年1月14日~12月18日 1 5
13   9 被爆問題年表 1982年9月 6 11
13   9 トピック ―「週間明星」の“事実誤認記事”について― 12 13
13   9 文献・図書資料 1982年9月受け入れ分 14 24
14 10 国会論議の中の原爆被害 (5)第65-67回国会 1970年12月26日~1971年12月17日 1 6
14   10 メモ ―「被爆二世の遺族から体験を聞く会」とは? 16 16
14   10 被爆問題年表 1982年10月 7 16
14   10 文献・図書資料 1982年10月受け入れ分 17 21
15 11 国会論議の中の原爆被害 (6)第68-70回国会 1971年12月29日~1972年11月13日 1 6
15   11 被爆問題年表 1982年11月 7 14
15   11 文献・図書資料 1982年11月受け入れ分 15 22
16 12 国会論議の中の原爆被害 (7)第71-74回国会 1972年12月22日~1974年12月25日 1 10
16 12 トピック ―「被爆者対策予算」について― 17 17
16   12 被爆問題年表 1982年12月 11 17
16   12 連載記事一覧 1982年下半期 18 20
16   12 文献・図書資料 1982年12月受け入れ分 21 29

 

1983年

第17号(1月号)-第28号(12月号)

分冊 記 事
17   1 国会論議の中の原爆被害 (8)第75-78回国会 1974年12月27日~1976年11月4日 1 9
17   1 トピック ―「広島・長崎訪問者について」― 14 14
17   1 被爆問題年表 1983年1月 10 13
17   1 1982年新聞報道による「広島・長崎訪問者一覧」(外国人のみ)   14 15
17   1 文献・図書資料 1983年1月受け入れ分 16 22
18   2 国会論議の中の原爆被害 (9)第79-83回国会 1976年12月24日~1977年12月10日 1 6
18   2 被爆問題年表 1983年2月 7 13
18   2 文献・図書資料 1983年2月受け入れ分 14 18
19   3 国会論議の中の原爆被害 (10)第84-86回国会 1977年12月19日~1978年12月12日 1 9
19 3 被爆問題年表 1983年3月 10 17
19   3 文献・図書資料 1983年3月受け入れ分 18 28
20   4 国会論議の中の原爆被害 (補)第54回国会以前 1 11
20   4 トピック ―ひろしまフラワーフェスティバルと自衛隊パレード― 18 18
20   4 被爆問題年表 1984年4月 12 17
20   4 文献・図書資料 1983年4月受け入れ分 19 26
21   5 特集: 被爆後1年間の広島~慰霊行事表 1 9
21   5 新聞によるミニ原爆映画史 No.1映画「エフェクト・オブ・ジ・アトミックボム「ヒロシマ・ナガサキ」に関して 1967.5~1968.1 10 14
21   5 被爆問題年表 1983年5月 15 22
21   5 文献・図書資料 1983年5月受け入れ分 23 40
22   6 新聞によるミニ原爆映画史 No.2 映画「エフェクト・オブ・ジ・アトミックボム「ヒロシマ・ナガサキ」に関して 1968年 8 11
22   6 特集: 報道・原爆被爆者の死 1 7
22   6 被爆問題年表 1983年6月 12 22
22   6 文献・図書資料 1983年6月受け入れ分 23 34
23   7 国会論議の中の原爆被害 (11)第25-41回国会 1956年11月12日~1962年9月2日 1 12
23   7 被爆問題年表 11983年7月 13 29
23   7 文献・図書資料 1983年7月受け入れ分 30 40
24   8 国会論議の中の原爆被害 (12)第42-54回国会 1962年12月8日~1966年12月27日(連載終わり) 1 13
24   8 文献・図書資料 1983年8月受け入れ分 14 31
24 8 新聞によるミニ原爆映画史 No.3 1969年2月~1982年10月 32 39
24   8 被爆問題年表 1983年8月 40 65
25 2 9 まどうてくれ 資料特集 1956年8~9月 1 27
25 1 9 まどうてくれ 藤居メモ(3)1956年8~9月 1 27
25   9 被爆問題年表 1983年9月 1 9
25   9 文献・図書資料 1983年9月受け入れ分 10 24
26 1 10 まどうてくれ 資料特集 1956年10~12月 1 57
26   10 被爆問題年表 1983年10月 1 10
26   10 トピック ―「レーガン招請運動」 反核で盛り上がる西欧の裏側で― 11 15
26   10 文献・図書資料 1983年10月受け入れ分 16 26
27 1 11 まどうてくれ 藤居メモ(4)1957年1~2月 1 24
27 2 11 まどうてくれ (4)1957年1月~2月 資料つづき 25 54
27   11 被爆問題年表 1983年11月 1 9
27   11 文献・図書資料 1983年11月受け入れ分 10 21
28   12 被爆問題年表 1983年12月 1 7
28   12 連載記事一覧 1983年 8 14
28   12 文献・図書資料 1983年12月受け入れ分 15 27
28 1 12 まどうてくれ 藤居メモ及び関連資料(5)1957年3~5月 1 30
28 2 12 まどうてくれ 藤井メモ及び関連資料 「「(5)1957年3月~5月 30 65

 

1984年

第29号(1月号)-第39号(12月号)

分冊 記 事
29 1 1 まどうてくれ 資料特集 第3回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] 1 34
29   1 被爆問題年表 1984年1月 1 5
29   1 文献・図書資料 1984年1月受け入れ分 6 18
30   2 被爆問題年表 1984年2月 1 8
30   2 文献・図書資料 1984年2月受け入れ分 9 18
31   3 文献・図書資料 1984年3月受け入れ分 1 3
31   3 被爆問題年表 1984年3月 4 12
31   3 ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 ①1955~1964年 13 19
32 1 4 資料:原爆報道 新聞連載一覧 (1)1945~1953年 1 15
32   4 文献・図書資料 1984年4月受け入れ分 1 11
32   4 被爆問題年表 1984年4月 12 20
32   4 ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 ②1965~1974年 21 25
33   5 文献・図書資料 1984年4月受け入れ分 1 5
33   5 被爆問題年表 1984年5月 6 17
33   5 ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 ③1975~1984年(連載終り) 18 26
34   6 被爆問題年表 1984年6月 1 12
34   6 資料:原爆報道 新聞連載一覧 (2)1954~1956年 13 24
35 1 7 資料:原爆報道 新聞連載一覧 (3)1957~1962年 1 22
35   7 文献・図書資料 1984年6月受け入れ分 1 19
35   7 被爆問題年表 1984年7月 20 35
36 1 8 資料:原爆報道 新聞連載一覧 (4)1963~1965年 1 22
36   8 被爆問題年表 1984年8月 1 22
37 1 10 資料:原爆報道 新聞連載一覧 (5)1966~1969年 1 22
37   9 被爆問題年表 1984年9月 1 8
37   9 被爆問題年表 1984年10月 9 18
38 1 11 資料:原爆報道 新聞連載一覧 (6)1970~1971年 1 26
38 2 11 資料:原爆報道 新聞連載一覧 (7)1972~1974年 1 29
38   11 被爆問題年表 1984年11月 1 9
38   11 ―新聞報道による「全国平和教育シンポジウム」の歩み   10 11
38   11 「「新聞報道による「全国平和教育シンポジウム」一覧 第1回(1973年)~第12回(1984年) 12 16
39 1 12 資料:原爆報道 新聞連載一覧 (8)1975~1976年 1 27
39   12 被爆問題年表 1984年12月 1 10
39   12 連載記事一覧 1984年 11 32

 

1985年

第40号(1月号)-第49号(12月号)

分冊 記 事
40 1 2 資料:原爆報道 新聞連載一覧 (9)1977~1978年 1 22
40   1 被爆問題年表 1985年1月 1 7
40   1 被爆問題年表 1985年2月 8 15
41   3 資料:原爆報道 新聞連載一覧 (10)1979~1980年 1 23
41   3 被爆問題年表 1985年3月 1 11
42 1 4 文献・図書資料 1984年7月~12月受け入れ分 図書の部 3 37
42 2 4 文献・図書資料 1984年7月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 38 69
42 3 4 被爆問題年表 1985年4月 70 81
42 3 4 トピック ―「被爆証人捜し」1972(昭和47年)~ (「被爆証人捜し」一覧 P.84~) 82 86
43 1 5 資料:原爆報道 社説一覧 中国新聞(1945年~1984年) 1 28
43 2 5 資料:原爆報道 社説一覧 朝日・毎日・読売(1945~1984年) 1 50
43 3 5 資料:原爆報道 新聞連載一覧 (11)補遺 (1945ー1984年) 1 19
43   5 被爆問題年表 1985年5月 1 12
44   6 被爆問題年表 1985年6月 1 16
45   6 被爆問題年表 1985年7月 1 20
46   8 被爆問題年表 1985年8月 1 32
46   8 被爆問題年表 1985年7月補遺 33 33
46   8 被爆40年 原爆報道 ローカル紙の8・6社説 34 35
46   8 被爆40年 原爆報道 ローカル紙の8・6連載 36 39
46   8 トピック 反核意見広告(掲載紙・掲載日・頁・広告主) 40 40
47   9 被爆問題年表 1985年9月 1 9
47   9 資料:原爆報道 政党紙連載一覧 10 21
48   10 被爆問題年表 1985年10月 1 14
49 1 11 被爆問題年表 1985年11月 1 8
49 1 11 被爆問題年表 1985年12月 9 16
49 2 11 連載記事一覧 1985年 17 57

 

1986年

第50号(1月号)-第59号(11月号)

分冊 記 事
50 1 1 資料:原爆報道 新聞連載一覧 長崎編(1945ー1984) 1 48
50   1 被爆問題年表 1986年1月 1 7
50   1 資料調査通信索引 (1~50号) (別紙リーフレット) 1 2
50   1 原爆関連テレビ番組一覧 1985年 8 18
51   2 被爆問題年表 1986年2月 1 6
51   2 被爆問題年表 1986年3月 7 14
51   2 原爆関係新聞社説・投書一覧 「「中国・朝日・毎日・読売・長崎「「1985年 15 24
52   4 被爆問題年表 1986年4月 1 8
52   4 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (9)1977-1983年 9 13
52   4 原爆関連テレビ番組一覧 (1982-1984年) 原医研ビデオ所蔵分 14 18
53   5 被爆問題年表 1986年5月 1 10
53   5 トピック 原爆供養塔の遺骨をめぐって 11 11
53   5 トピック 新聞による年表―原爆供養塔の遺骨引き渡し(1968ー1985年) 12 16
54   6 被爆問題年表 1986年6月 1 9
54   6 被爆後1年間の長崎-慰霊行事表   10 12
54   6 被爆後1年間の長崎-慰霊行事表 弔辞と1945-1952年の関係記事 13 23
55   7 被爆問題年表 1986年7月 1 15
55   7 被爆者対策史 年表 1945(昭和20)年 16 22
56   8 被爆問題年表 1986年8月 1 25
57   9 被爆問題年表 1986年9月 1 6
57   9 被爆者対策史 年表 (2)1946-1948年 7 18
58   10 被爆問題年表 1986年10月 1 8
58   10 被爆者対策史 年表 (3)1949-1950年 9 16
59   11 被爆問題年表 1986年11月 1 7
59   11 被爆問題年表 1986年12月 8 13
59   11 連載記事一覧 1986年 14 29

 

1987年

第60号(1月号)-第68号(12月号)

分冊 記 事
60   1 被爆問題年表 1987年1月 1 5
60   1 被爆問題年表 1987年2月 6 11
60   1 被爆者対策史 年表 (4)1951-1952年 12 20
61   3 被爆問題年表 1987年3月 1 7
61   3 トピック 新聞報道による「広島長崎訪問者一覧」 (1983ー1986年) 8 18
62   4 被爆問題年表 1987年4月 1 6
62   4 原爆関係新聞社説・投書一覧 「「中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞「「1986年 7 13
62   4 ローカル紙の8.6社説 1986年 14 15
63   5 被爆問題年表 1987年5月 1 9
63   5 被爆問題年表 1987年6月 10 19
63   5 トピック 厚生省の被爆者実態調査結果の報道(1965・1975・1985年調査分) 20 23
64   7 被爆問題年表 1987年7月 1 14
65   8 被爆問題年表 1987年8月 1 20
65   8 ローカル紙の8.6社説 1987年 21 22
66   9 被爆問題年表 1987年9月 1 5
66   9 被爆者対策史 年表 (5)1953年 6 14
66   9 被爆者対策史 年表 掲載号一覧 15 15
66 1 9 文献・図書資料 1985年1月~12月受入れ分 図書の部 1 41
66 2 9 文献・図書資料 1985年1月~12月受け入れ分 図書の部 42 65
66 3 9 文献・図書資料 1985年1月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 66 86
67   10 被爆問題年表 1987年10月 1 8
67   10 被爆問題年表 1987年11月 9 14
67   10 被爆者対策史 資料(1)八者協に見る被爆者研究への要望 15 25
68   12 被爆問題年表 1987年12月 1 7
68   12 連載記事一覧 1987年 Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 8 14
68   12 連載記事一覧 1987年 Ⅱ.ローカル紙 15 17
68   12 連載記事一覧 1987年 Ⅲ.政党紙 18 20
68 1 12 被爆者対策史 資料 (2)原爆症研究の再開 A.予研年報にみるABCC略史 1 31
68 2 12 被爆者対策史 資料(2) B.都築正男資料にみる文部省原子爆弾災害調査研究班の発足 32 50

 

1988年

第69号(1月号)-第75号(11月号)

分冊 記 事
69   1 被爆問題年表 1988年1月 1 4
69   1 被爆問題年表 1988年2月 5 10
69   1 原爆関係社説・投書一覧 ―中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞―1987年 11 17
70   3 被爆者対策史 年表 (6)1954年 1 16
70   3 被爆者対策史 年表 掲載号一覧 16 16
70   3 被爆問題年表 1988年3月 17 23
71   4 被爆問題年表 1988年4月 1 8
71   4 被爆問題年表 1988年5月 9 17
71 1 4 文献・図書資料 1986年1月~12月受入れ分 1 39
71 2 4 文献・図書資料 1986年1月~12月受け入れ分 図書の部 40 75
71 3 4 文献・図書資料 1986年1月~12月受け入れ分 図書の部 76 115
71 4 4 文献・図書資料 1986年1月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 16 145
72   6 被爆問題年表 1988年6月 1 10
72   6 被爆問題年表 1988年7月 11 21
73   8 被爆者対策史 年表 (7)1955年 1 14
73   8 被爆問題年表 1988年8月 15 35
74   9 被爆問題年表 1988年9月 1 6
74   9 被爆問題年表 1988年10月 7 13
74 1 9 被爆者対策史 -資料(3)- 「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向 1978~1988 1 42
75   11 被爆問題年表 1988年11月 1 7
75   11 被爆問題年表 1988年12月 8 15
75   11 連載記事一覧 ―中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞―1988年 16 27
75   11 連載記事一覧 Ⅱ.ローカル紙 1987年 25 31
75   11 連載記事一覧 Ⅲ.政党紙 1987年 32 37
75   11 訂正 資料調査通信1988年9・10月号分 38 38

 

1989年

第76号(1月号)-第83号(11月号)

分冊 記 事
76   1 被爆問題年表 1989年1月 1 6
76   1 原爆関係新聞社説一覧 1988年 Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞― 7 8
77   2 原爆関係社説一覧 1988年 Ⅱ.ローカル紙 9 9
76   1 原爆関係新聞投書一覧 1988年 中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 10 15
77   2 被爆問題年表 1989年2月 1 8
77   3 被爆問題年表 1989年3月 9 17
78   4 被爆者対策史 年表 (8)1956年 1 30
78   4 被爆者対策史 年表 掲載号一覧 31 31
78   4 被爆問題年表 1989年4月 32 37
79   5 被爆問題年表 1989年5月 1 11
79 1 5 文献・図書資料 1987年1月~12月受入れ分 図書の部 1 40
79 2 5 文献・図書資料 1987年1月~12月受入れ分 図書の部 41 87
79 3 5 文献・図書資料 1987年1月~12月受入れ分 逐次刊行物の部 88 117
80   6 被爆問題年表 1989年 6月 1 9
80 1 6 文献・図書資料 1988年1月~12月受入れ分 図書の部 1 52
80 2 6 文献・図書資料 1988年1月~12月受入れ分 逐次刊行物の部 53 76
81   7 被爆問題年表 1989年7月 1 13
81   8 被爆問題年表 1989年8月 14 34
82   9 被爆問題年表 1989年9月 1 7
82   10 被爆問題年表 1989年10月 8 17
82   10 トピック 第9回核戦争防止国際医師会議(IPPNW)世界大会 ―特集記事一覧― 18 22
82 1 10 原爆手記掲載書・誌目録 1946(昭和21年)~1974(昭和49年) 1 36
82 2 10 原爆手記掲載書・誌目録 1975(昭和50年)~1984(昭和59年) 37 77
82 3 10 原爆手記掲載書・誌目録 1985(昭和60年)~1989(平成 1年) 78 104
83   11 被爆問題年表 1989年11月 1 8
83   11 被爆問題年表 1989年12月 9 15
83   11 連載記事一覧 Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 1989年 16 38
83   11 連載記事一覧 Ⅱ.ローカル紙 1989年 39 43
83   11 連載記事一覧 Ⅱ.ローカル紙 補遺(1986~1988) 44 45
83   11 連載記事一覧 Ⅲ.政党紙 1989年 46 49

 

1990年

第84号(1月号)-第90号(12月号)

分冊 記 事
84   1 被爆問題年表 1990年1月 1 6
84   1 原爆関係新聞社説・投書一覧 1989年 7 14
85   2 被爆問題年表 1990年2月 1 5
85   2 被爆問題年表 1990年3月 6 12
85   2 被爆問題年表 1990年4月 13 19
85   2 特集 新聞記事による被爆韓国人・被爆問題年表 (1)1989年 20 24
86   5 被爆問題年表 1990年5月 1 8
86   5 被爆問題年表 1990年6月 9 18
86   5 特集 新聞記事による被爆韓国人・朝鮮人問題年表(2)1988年 19 21
87   7 被爆問題年表 1990年7月 1 14
87   7 特集 新聞記事による被爆韓国人・朝鮮人問題年表(3)1982年-1987年 15 28
88   8 被爆問題年表 1990年8月 1 25
88   9 被爆問題年表 1990年9月 26 31
89   10 被爆問題年表 1990年10月 1 9
89   11 被爆問題年表 1990年11月 10 17
90   12 被爆問題年表 1990年12月 1 7
90   12 被爆問題年表 1990年補遺 8 10
90   12 1990年連載記事一覧   11 34

 

1991年

第91号(1月号)-第94号(6月号)

分冊 記 事
91   1 被爆問題年表 1991年1月 1 7
91   1 1990年原爆関係新聞社説・投書一覧   8 18
92   2 被爆問題年表 1991年2月 1 8
92   3 被爆問題年表 1991年3月 9 15
92   3 トピック 新聞報道による「広島・長崎訪問者一覧」 16 30
93   4 被爆問題年表 1991年4月 1 10
93   4 トピック ソ連大統領の長崎訪問 11 15
94   5 被爆問題年表 1991年5月 1 10
94   6 被爆問題年表 1991年6月 11 19

 

原爆被爆者対策前史年表(1953)

原爆被爆者対策前史年表(1953)

出典:『原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)』

1953年

1 2 秩父農業高校、原爆展を開催(アカハタ)。
1 3 長崎日々新聞、社説「原爆被災者救援運動を促進せよ」を掲載。
1 4 広島県庄原町の青年連盟と婦人会の代表7人、餅5箱を広島へ持参、原爆被害者の会の吉川清や市内の戦災孤児収容所に配布。
1 5 福山市西学区婦人会、餅3000個を慰問文とともに似島学園に贈る(朝日新聞)。
1 6 柳原義達(彫刻家)、浜井広島市長を訪問、第16回新制作展出品のラ・パンセ像の原型の寄贈を申し入れる。
1 8 長崎市社会課、原爆後遺症患者甲級23名に、10日の選考診断の通知書を発送
1 10 長崎市のゆかり婦人会、原爆娘の上京資金として5000円を長崎市社会課に寄託。        上京資金第1号(長崎日々)。
1 10 長崎大学医学部附属病院で原爆娘21名の東大清水外科治療選考診断を実施
1 10? 広島市広報係の集計によると、1952年中に内外から広島市への寄付金、約500 万円。1948年9月以来の総計は4300万円。
1 12 長崎市婦人会、評議員会を出島町CIE図書館で開催。80名が参加。原爆娘の上京旅費、一般原爆傷害者の治療費募金方法の具体策について打ち合せ
1 12 広島大学東雲分校子どもを守る会、発足。会長:片山英治、会員25名。
1 13 広島市原爆障害者治療対策協議会(以下「広島市原対協」)発足。広島県医師会・市医師会・広島医大・市内官公立病院関係者出席。会長:広島市長。原爆障害者の治療対策を審議しその推進を図る。事務局広島市社会課内。
1 13? 初の日本国内の精神養子縁組、2組結ばれる。(朝日新聞)
1 14 田川長崎市長・調長崎大教授、東大清水外科で施療の原爆娘5名のうち3名を決定。山口ミサ子・橋アサ子・永富イク子(長崎日々)。
1 15 広島戦災児育成所(佐伯郡五日市町)、広島市に移管。
1 15 長崎市婦人会、浜町の繁華街で「原爆被災者救援資金」の募金活動を実施。
1 15 長崎市教委ほか21団体、赤松俊子・丸木位里「原爆の図展」を長崎市労働会館で開催(~18日)。15日、3000名が入場。18日までに1万名を突破。会期を19日まで延期(長崎日々)。
1 16 広島市東部復興事務所、幟町中学校校庭(元泉邸)の整地作業中、5体の遺骨 を発掘。
1 16 大阪の弁護士岡本尚一、原爆損害賠償の提訴を提唱。
1 17 浜井広島市長、イタリアの学者から原爆資料を送って欲しいとの手紙を受け取る(朝日新聞)。
1 17 朝日新聞厚生文化事業団、古月創作舞踊団の「ノーモアヒロシマズ」を日比谷公会堂で公演。(朝日新聞)
1 17? 広島大学福山分校附属高校、同校前身の旧広島市山中高女の学徒報国隊員で原爆で死亡した390余人のうち55人について弔慰金交付のため遺族を捜索中。
1 18 広島市原対協による初の原爆障害者診察実施。1952年7月の外科検診を受けた864人の中から138人に通知、うち75人が広島医大外科医師団の診察を受ける。
1 20 長崎の原爆乙女(3人)、東大清水外科に入院治療のため長崎を出発。
1 20 長崎の原爆娘3名、東大清水外科で治療のための上京途中、広島駅で広島原爆乙女の激励を受ける。(長崎日々)
1 21 広島市社会課援護係、原爆関係弔慰金請求の受付数(1952年12月16日~)発表。地域国民義勇隊員619人・職域国民義勇隊員202人・勤労学徒1274人・女子挺身隊員6人 計2101人。受付は2月9日まで。
1 21 長崎市の原爆被災者救援募金額、4万1080円となる(長崎日々)
1 21 藤井日達日本山妙法寺管主、仏舎利塔建立に関して来広。
1 21 ABCC定例研究会でコーネル博士、「広島市民の寄生虫症」について報告。
1 22 松坂義正広島県医師会長(原爆障害者治療対策協議会副会長)、山下参義とともに厚生省の山口衛生局長、曽田医務局長に原爆障害者治療について陳情。
1 22? 厚生省、4月から原爆患者の実態調査に着手する計画。国立予防防衛生研究所の被        爆者実態調査費用として予算(100万円)を計上したことが判明。(東京新聞)
1 23 任都栗広島市議、原爆犠牲者援護強化の陳情のため上京(朝日新聞)。
1 23? 崇徳学園、同校学校報国隊員で、原爆で死亡した520余人のうち41人について 弔慰金交付のため遺族を捜索中。
1 24 広島県双三郡地方事務所、各町村厚生主任を集め、原爆犠牲者の弔慰金請求など協議。
1 25 第2回全国教育研究大会(高知市)で呉市立和庄小学校の教諭が「軍事基地の教育白書」を発表.
1 25 長崎県西彼杵郡の少年、急性リンパ腺白血病で死亡。
1 25 原爆被害者の会、第4回幹事会を開催。会員を地域毎に支部に編成することを 決定。(「半年の足跡」)
1 26 広島市会厚生委員会、同市と協力して、原爆障害者の治療費補助を国に要求することを決定。
1 26 長崎日々新聞、社説「原爆被災者を救う道」を掲載。
1 26 長崎原爆資料保存会、①原爆中心地にある原爆資料館の充実をはかる②山王神社の片足鳥居を永久記念物と指定、永久保存をすることなどを決定(長崎日々)
1 27 永田広島市議会議長、原爆犠牲者弔慰金支給の事務費獲得などの陳情のため上京(朝日新聞)。
1 27 上京治療中の長崎原爆娘永富郁子のクラスメート(鶴鳴学園高校2年梅組)、「郁子友の会」を結成(長崎日々)。
1 28 片山英治広島大学教育学部東雲分校子どもを守る会代表、中国新聞(夕刊)紙上で、日本人の手による「精神養子」運動を呼びかける。
1 29 長崎の「鶴鳴学園友の会」、原爆被災者救援義金の街頭募金を実施(3日間)。(長崎日々)
1 30 広島県庄原町の婦人会の一行11人、餅800個や贈物を原爆被害者の会代表の吉 川清宅に届ける。
1 30 広島大学東雲分校子どもを守る会、長田新・田辺耕一郎らを招いて広島子供を守る会結成準備会を開催(朝日新聞)。
1 31? 青山学院大学助教授松浦田鶴子、被爆時の心理分析について研究発表。
2 2 広島市原対協実行専門委員会、1月18日の原爆障害者診察の受診者75人のうち 、治療可能と思われる58人を選出。15日、うち24人について治療希望等再診査。
2 02? 丸木・赤松の「原爆の図」、世界平和評議会の国際平和賞金牌賞を受賞(アカハタ)
2 3 広島・長崎原爆都市建設議員連盟(広島長崎関係国会議員からなる)懇談会。
2 4 長崎弁護士会、広島弁護士会からよびかけのあった原爆損害賠償問題について初の協議会を開催。
2 04? 広島逓信病院三木・土井両医師によると、ケロイド体質の原爆患者の皮片移植手術はかえって傷痕を大きくする。(産業経済新聞)
2 04? 中部復員連絡局広島支部の調べによると、旧第5師団司令部・歩兵・輜重兵・ 野砲兵各連隊で被爆死した1万2千人のうち身元不明の178柱および広島陸軍病院で死亡した1200柱の遺骨を同支部に安置。
2 04? 広大理学部萩原研究室、広島市とその周辺の残存放射能を調査、放射能は残存しておりガンマー線とベーター線を放射していることが判明。
2 7 長崎原爆娘の歌「平和の陰」完成。島内八郎作詞・木野普見雄作曲。長崎原爆資料保存委員会が委嘱。(長崎日々)
2 07? 広島市社会課、潜在孤児(一般家庭にいる孤児)実態調査を市内全民生委員を通じておこなうことを計画。
2 07? 長崎市、新たに原爆傷害者治療対策協議会を設けるか、原爆資料保存委員会を強化し、専門部として傷害者を重点的に取り扱うかを検討。(長崎日々)
2 07? 広島大学東雲分校の「東雲子どもを守る会」、日本人の精神養父母の呼びかけに対して全国から9組の申し出を受ける。
2 8 任都栗一興広島原爆遺家族援護会長、原爆犠牲者弔慰金年金化・厚生施設関係陳情より帰任報告。遺族年金の義勇軍への適用が可能であると判明。
2 08? ABCCテーラー所長、広島の残存放射能に関する中国新聞社の質問に対し、人体に影響はないと回答。
2 9 広島市社会課援護係、原爆関係弔慰金請求の受付(学区毎出張受付)を完了。受付総数3170人(地域国民義勇隊1012人・職域国民義勇隊319人・勤労学徒1833人・女子挺身隊6人)。以後同係で直接受付。
2 9 広島市原対協、広島ABCCに原爆症治療のための米治療班の招請を正式依頼14日、ABCCテーラー所長、治療班派遣実現に努力したいと広島市長に回答。
2 10 長崎県弁護士会、全員協議会で広島弁護士会と全面的に協力して、日本弁護士連合会に原爆損害賠償の研究善処方を要望することを決議。(長崎日々)
2 11 広島弁護士会,原爆投下は違法と特に国際法曹界に訴えることを決定.
2 11 広島市、原爆症治療費獲得のため、全国社会福祉協議会に、年末助け合い運動の益金の寄付を要請することを計画。
2 11 広島弁護士会、原爆損害賠償請求の民事訴訟について協議、特別調査委員会を設け、訴訟の可否など研究に着手することを決定。16日第1回委員会。
2 11? 広島市己斐・善法寺に名前が判明している数百体の無縁仏があることが判明。
2 12 佐古美智子(原爆乙女)作詞の「ほほえみよかへれ」発表会、広島・長崎・東京で開催。長崎では市婦人会が主催。
2 12 長崎市婦人会、YMCA会館講堂に市内の原爆乙女80名(15-30才までの未婚者)を招き、原爆の歌「平和の陰」の発表会を開催。(長崎日々)
2 13 広島の原爆乙女(4人)、上阪。阪大病院に入院治療(ケロイド等外科的治療) 18日大阪で治療を受ける原爆乙女たちの世話をするため広島ピースセンタ ー大阪協力会結成。
2 13 浜井広島市長、広島青年会議所の2月例会に出席。「(原爆ドームは)あのま ま放置し、将来再検討したい」、「中島公園に建造しつつある資料館に一切を集め、市内の市民の目にふれるところからは原爆の影を取り去りたい」と語る。
2 14 第5回広島医学会総会開催(15日まで)。杉本茂憲医師、原爆による外傷眼の 治療方法について発表。
2 14 真杉静枝(作家)、広島市役所を訪問、ヒロシマ・ピースセンター東京協力会として広島市原対協に協力したいと申し入れる(朝日新聞)。
2 15 広島県山内東村婦人会の一行32人と比婆郡婦人会連合会長、餅2,055個、現金1,600円など慰問品を広島に持参し、光の園・新生学園・吉川清(原爆被害者の会)を慰問。
2 15 広島市原爆障害者治療対策委員会、市役所で24名の第3次審査を実施。
2 16 長崎・広島原爆都市建設期成委員会、長崎市議会議長室に長崎側委員9名が参加して開催。原爆遺族援護、同傷害者救済対策、特別都市法の一部改正など3
項目を協議。(長崎日々)
2 16 広島市弁護士会の原爆損害賠償請求権に関する特別調査委員会、初会合。
2 18 長崎原爆傷害者治療対策協議会結成準備打ち合せ会。(長崎日々)
2 18 広島ピースセンター大阪協力会、大阪市産経会館で結成。
2 20 原爆被害者の会、事務所を吉川清宅から皆実町1丁目1930(4坪)に移転。上松時恵を専任事務局員に任命。
2 21 平和と学問を守る大学人の会、発会式を挙行。20数名参加。
2 22 「広島子供を守る会」広島市で結成。原爆の子を日本人の精神養子にする運動などに取り組み。
2 22? 長崎大学影浦内科の調査によると、長崎市内の原爆白血病死亡者数1951年3人 ・1952年3人。(社会タイムス)
2 22? 長崎大学医学部産婦人科教室、1947,49,51年の3回にわたる長崎・諌早両市の 女生徒約7000名を対象とした初潮調査の結果を発表。原爆は、初潮に影響しないことが判明。(長崎日々)
2 26 長崎城山小学校、原爆学級開設(1952年4月)から1年間の研究発表会を開催。関係者約50名が参加。被爆児(183人)は知能が劣る、疲労回復が遅い、普通児より胸囲が小さい、などの結果が報告される(長崎日々)
2 27 長崎市城山小学校教諭道口マチ子、冊子「原爆児の記録」をまとめる
2 27 原爆被害者の会、手記執筆者の懇談会を開催。(「半年の足跡」)
2 28 京都市で広島原爆孤児救済募金獲得のための第2回新国劇“沢田祭”開催。広 島市厚生局長出席し、原爆孤児の現況と原爆障害者治療対策を訴える。
3 1 長崎県傷痍軍人会、創立総会を諌早市公会堂で開催。(長崎日々)
3 01? 佐伯郡五日市町、ハワイ在住の同町出身者からの寄付90万円と町碑40万円で戦没者・原爆死者らの慰霊塔を建立することとし、光禅寺で起工式を挙行。5月 完工。
3 3 長崎市議4人、厚生省・建設省などへの陳情から帰任。厚生省が、1500万円くらいは大蔵省の了解さえあれば予算化できるとの見通しを語る。(長崎日々)
3 3 長崎市内私立鶴鳴高校の生徒、市役所に全原爆傷害者の援護費として街頭募金4735円を寄付。(長崎日々)
3 05? 長崎大学医学部小児科教室、城山小学校の原爆児の知能調査に関連し、4月から医学的調査を2年計画で実施することを決定。(長崎日々)
3 6 広島市原対協、広島市内の各外科病院で、原爆障害者の入院治療を開始。
3 6 広島ABCC年次大会(7日まで)。被爆児の発育調査・放射能の遺伝的影響 などに関する研究発表。
3 6 原爆被害者の会事務局、住居立退き問題の第1回打ち合せ会を広島市内・河畔荘で開催。
3 6 第4回広島長崎両原爆都青年交歓会、長崎市で開催(~8日)。沖縄代表団6名、オブザーバーとして参加。原爆傷害者の救済などについて協議。8月6日~9日に“原爆の羽”募金運動を行うことを決定。
3 9 原爆被害者の会、岡本尚一弁護士と広島弁護士会長の訪問を受ける。温品幹事と川手事務局長が応対。(「半年の足跡」)
3 10 峠三吉(原爆被害者の会幹事)、広島県西条国立療養所で死亡。36才。
3 11 長崎市原爆資料保存委員会、広島原爆記念館長長岡省吾を迎えて臨時総会を開催。長岡を顧問に決定。(長崎日々)
3 12 深安郡加茂村の婦人会有志24名、流川の広島ピース・センターで原爆乙女の会会員を見舞う。
3 13 笹井広島県世話課長、全国世話課長会議より帰任報告。原爆死没者の弔慰金に ついては、安佐・安芸・佐伯3郡の町村義勇隊・動員学徒の遺族に支給される 見込み。
3 13? 広島県、広島市へ遺骨1452柱の移管を申し入れ。内訳:旧陸軍病院で発掘した1410柱・野戦から帰還の42柱。
3 14 県労・広島地区労共催で平和擁護労働者総決起大会.1300人参加(児童文化会 館)長田新の講演「軍事学からみた第3次世界大戦の危機」.
3 15 峠三吉の告別祭、広島市金屋町・専立寺で開催。
3 18 長崎原爆の図展実行委員会、赤松俊子・丸木位里を招き、労働会館で長崎平和を守る会の結成大会を開催。(長崎日々3.13)
3 19 ビクターレコード、長崎原爆乙女の歌「平和の陰に」をレコード化し、8月9日 に発売することを決定。印税は傷害者の治療費に。(長崎日々)
3 21 広島市三篠小学校の4.5年生約300人、YMCA奉仕グループの河本一郎を囲み「広島と沖縄を結ぶ子供会」を開催。
3 21 広島市青連、広島市内で原爆障害者更生資金街頭募金実施。
3 24 広島市・広島戦災供養会、県庁内の中部復員連絡局広島支部にある広島第一陸軍病院の患者・職員の遺骨約1200柱を供養塔に合祭(朝日新聞)。
3 24? 広島ABCCテーラー所長、米の原爆障害者治療班派遣について、まず外科医2人を広島に派遣し検討すると広島市長に回答。
3 26 平和と学問を守る大学人の会、初会合。
3 29 原爆被害者の会(広島市皆実町1丁目)、第5回幹事会を開催。原爆損害賠償請求の民事訴訟問題で原告になる用意のあることを広島市弁護士会に申し入れることを決定。31日、川手事務局長が申し入れ。
3 29? 宇野長崎市社会課長、ヒロシマ・ピースセンター谷本清牧師より、原爆娘の交歓会を年中行事として開催することを提案した書簡を受け取る。(長崎日々)
3 31 広島県下の戦没者・原爆死没者遺族に対する国債交付29340件に達す。
3 31 広島大学で、ABCC顧問ブラント博士を招いて、「原子力」についての座談会開催。「生物におよぼす原子力について」など質疑応答。
3 36 長崎市ゆかり婦人会、原爆傷害者救済音楽の夕べ「鰐淵賢舟・晴子提琴演奏会」を三菱会館で開催。(長崎日々)
4 1 長崎市役所で広島・長崎両原爆乙女交歓世話人会を結成。(長崎日々)
4 2 大沢幹夫(脚本家、広島高師出身)、広島・土谷眼科で取材。5月上旬、脚本 「原爆の子」を書き上げる。
4 2 山田静代ら原爆被害者の会の会員10人、同会事務所(皆実町1丁目)で山内北 村婦人会から送られた餅米2斗でおはぎを作る。
4 03? 長崎市平和祈念像建設協賛会、「平和祈念像を讃える歌」の懸賞募集を実施。応募締切は4月20日。(長崎日々)
4 4 ハワイ三島連合観光団(3月31日来崎)、原爆傷害者・孤児救済基金として2万4870 円を長崎市長に寄贈。(長崎日々)
4 5 原爆被害者の会(広島市皆実町1丁目1930)、機関紙「芽生え」第1号を発行。
4 06? カンヌ映画祭に出品された映画「原爆の図」出品拒否を受ける(アカハタ)。
4 8 広島ABCC定例集団会でレーノルズ博士、被爆児と非被爆児を対象とする「1952年度の成長、発育の資料に関する報告」を発表。
4 9 長崎市原爆資料保存委員会、原爆資料の市民からの買い上げを開始。
4 10 YMCA奉仕グループの河本一郎らの努力により釧路市労働会館で原爆展。以後、北海道各地に巡回(1953.7.4朝日新聞)。
4 12 長崎市岩川町の原爆霊廟「宝塔山」完成。入仏式を挙行。(長崎日々)
4 13 国際医師会議日本準備会、草野信男を国際医師会議ウィーン大会(5月23日) に派遣することを決める(朝日新聞)。
4 13 長崎宗教連盟・ユネスコ協力会など11民間団体、広島原爆乙女歓迎世話人会を結成。(長崎日々)
4 15 米の原爆障害者治療班派遣について調査するために、米外科医2人、来広。広 島市原対協関係者から、要治療者調査・治療対策概況を聴取、患者診察。
4 16 広島市原対協、原爆障害者要治療者調査ならびに治療対策現況を発表。1952年1月の広島市の調査によると要治療者4038人、同年7月の検査受診者864人、うち75人が1953年1月の検査受診者、現在入院加療中8人・退院後通院中4人。
4 16? 広島市原爆資料館館長、原爆被害を総合的に調査しまとめた「原子爆弾による被害状況」を作成。死者26万人・焼失家屋56111戸など。
4 17? 広島原爆記念館、中・高校生向け教材用掛図「原爆と平和」を刊行。
4 21 カンヌ国際映画祭で「原爆の子」が上映される。
4 23 山口ミサコ(長崎原爆乙女)、東大清水外科を退院。(長崎日々)
4 23? 広島ABCCシンスキー博士によると、被爆者の眼科的放射線障害の症状は進行しておらず、将来失明することはほとんどない。
4 24 緒方副総理、広島の原爆慰霊碑を参拝。
4 24? 「広島子供を守る会」、国内精神養子運動の強力展開のため、広島市内小・中学校の原爆孤児実態調査を計画。
4 26 広島県青年連合会、原爆障害者に対する救済資金募金運動の展開を申し合わせ。
4 27 広島・長崎原爆乙女交歓会(初)、長崎市内の労働会館で開幕(~29日)。
4 27 広島原爆乙女友の会柴田田鶴子・山下元子・松原美代子・田坂博子・佐古美知子・谷本清、長崎入り。(長崎日々)
4 29? 長崎市平和祈念像建設協賛会、「平和祈念像を讃える歌」の一等を発表。松永雅子。(長崎日々)
4 30 長崎大学医学部、ABCCと会談。原爆傷害者治療を協力して行うことを申し合わせる。(長崎日々)
5 1 長崎市、長崎市原爆傷害者治療対策協議会結成委員会を開催。10日までに会長 ・副会長を選任することを申し合わせる。(長崎日々)
5 1 永井隆の逝去後2年の墓前祭。(長崎日々)
5 3 大橋成一(元陸軍軍医学校教官・少佐、宇品陸軍救護病院副院長)、井深健次(元陸軍軍医学校校長・中將)宛の書簡の中で原子爆弾災害調査報告集の中に軍関係者の名前が掲載されていないことを指摘。(「広島県史原爆資料編」)大橋書簡=「当時の軍関係者の研究分担者の名前が掲載されて居らず、大学の先生方等のみの名があり、之のレポートが大学の先生方によって主になされた如く誤解される恐れがあると愚考致します。」
5 5 広島市厚生局・広島子どもを守る会、袋町小学校に日雇労務者の母子を招き「働く母と子のための歌と映画とバレエの会」を開催。
5 5 長崎の入市被爆者、白血病で死亡。(長崎日々)
5 05? 広島県の原爆関係弔慰金請求の受付、7290件に達す。
5 6 松岡政一世界連邦広島協議会理事長、1月間の北米西部視察旅行から帰広。
5 07? 米オークリッヂで開かれた生物学研究会議で、原爆被害調査委員会プラマー・山根両博士、広島・長崎での調査研究結果を報告。放射線は将来生まれる子供にまで影響をおよぼす可能性がある。
5 8 長崎市平和祈念像建設協賛会、「平和祈念像の曲」発表会を勝山小学校で開催約500人が参加。(長崎日々)
5 9 長崎市仏教連合会、昭和12年以降の戦死・戦病没者・原爆殉難者4000余名の霊を慰める平和祈念慰霊大法要を今篭町大音寺大殿で挙行。2000余名が参列。
5 11 広島大学、日仏親善使節ポネー・モレー博士の講演会「放射能の生物に与える影響」を開催。
5 13 広島大学心理学久保良敏助教授の「原子力、原子爆弾の社会心理学的影響」に関する研究に文部省科学研究費交付が判明。
5 14 長崎市原爆傷害者治療対策協議会、発会式を市内東中町社会事業会館で挙行。会長:田川市長、副会長:高尾県医師会長。6月から無料診療を実施。患者の予審診は長崎大病院で、治療は本人の希望する病院で行うことを決定。
5 14 長崎の島内八郎作詞・木野普見雄作曲・飯田信夫編曲原爆乙女の歌「平和の陰に」、ビクターで吹き込みを終る。
5 15 全国青年団協議会(11日から於東京)で、原爆障害者更生資金募集運動を行うことを決定。
5 17 広島女学院、原爆犠牲者之碑を除幕。
5 18 浜井広島市長、広島ピース・センター・ファンデェイションのグリーンから19 52年12月1日から5月1日までに結縁された精神養子33名の名前の連絡を受ける。
5 18 世界平和広島仏舎利塔建設会、総務委員総会を開催。3億円募金に乗り出すことを決定。
5 19 広島市原対協、被爆障害者救済の全国募金運動について協議。(毎日新聞)
5 20 ウォルサー婦人(婦人国際平和自由連盟WILから派遣された国連のオブザーヴァー)、来広。原爆被害者の体験を全世界に訴えよと語る。
5 21 ABCC、ウァナリ・ウエルズが新所長に就任したと発表。
5 21 日教組製作原爆映画「ひろしま」撮影開始.
5 22 東伏見慈光善光寺管長を迎えて広島市中島町供養塔前で原爆死没者および戦没者の慰霊供養。
5 23 国際医師会議(25日までウィーンで).草野信男が原爆症について講演.
5 23 堺屋テル子・山口ミサ子・谷口スミ子の長崎原爆娘とYMCA総主事青山武雄、長崎原爆乙女の会第1回結成打ち合せ会を開催。6月に結成予定。
5 24 国際医師会議(23日~25日於ウィーン)で、草野信男・松本剛太郎、原子爆弾の被害に関する「広島・長崎における原爆症」報告。(朝日新聞)
5 24? 長崎市原対協、市内民生委員や自治会長などの協力による原爆患者の調査結果をまとめる。市内約2000名のうち要治療者は約400名。(長崎日々)
5 24? 蜂谷道彦「私の原爆日記」、近くアメリカで翻訳出版の予定。
5 27 広島市社会課、市内の施設収容以外の孤児・混血児の実態調査結果集計。孤児263人・うち原爆孤児150人。施設収容者と合わせると孤児617人・うち原爆孤 児289人。
5 29 広島市社会課によると、建物疎開に従事した原爆死没者の遺族弔慰金請求の受付数、4734人(地域義勇隊1615人・職域義勇隊511人・勤労学徒2602人・女子 挺身隊6人)。
5 30 長崎市青年協議会、役員会で原爆募金「黄色い羽根」運動の具体案を協議。
5 30 長崎市原爆資料保存委員会、一般市民から募集した原爆資料の審査を長岡省吾に依頼することなどを決定。(長崎日々)
6 1 原爆による内臓障害とみられる広島市の婦人、広島医大病院に入院。費用は原爆症研究費などでまかなわれる。
6 2 広島・長崎両市原対協、広島市で打合会(長崎市原対協5月14日結成)。原爆 障害者治療費獲得のため全国的な共同募金運動を行うことを決定、中央共同募金会へ申請書を送付。4日広島・長崎両市助役、中央共同募金会・NHKへの 協力要請から帰任。
6 2 ABCCテーラー所長、広島市原対協顧問に就任。
6 2 長崎原爆乙女の会、結成式を長崎市YMCAで開催。原爆娘約16名と長崎市議久保忠八、婦人会副会長山口初子、YMCA総主事青山武雄、長崎大学教授調来助などが出席。会長に堺屋テル子、副会長に山口ミサ子が推薦される。
6 5 広島市、建物疎開従事者以外の原爆死没者の弔慰金申請受付を開始。対象:徴用工および女子挺身隊員で職場で死没した者・学徒で建物疎開作業以外で死没した者。
6 5 広島平和大通りのラ・パンセ像、除幕。
6 5 桑原武夫、来広。6日、原爆の惨状を訴えよと広島の義務を直言。
6 8 広島市、精神養子委員会を開催。精神養子養育費147万1178円の配分について 協議。
6 8 ルーズヴェルト夫人、来広。原爆慰霊碑・原爆資料館・五日市戦災児育成所を訪問。9日、広島ABCCを訪問。原爆乙女と会見。
6 11 長崎市原爆傷害者治療対策委員会、東京の会社社長から2万円の寄付を受け取る(初の寄付)。(長崎日々)
6 13? 広島市の原爆症患者行守澄江(14歳女・内臓疾患)に対し、広島市内の病院、治療援助を申し出。厚生省中国医務出張所、原爆障害者の入院について、市中病院でも学用患者として入院治療費をまかなえるよう本省に申請中。
6 17 広島市原対協、全国共同募金理事会に原爆障害者治療費獲得募金を要請すること・治療対象者を内科・眼科関係障害者にまで拡大することを決定。
6 18 広島市社会課、原爆死没者・原爆障害者・原爆孤児・未亡人の実態調査結果集計。被爆による即死者ならびに直接死因者数は推定20数万人。
6 18 長崎市原爆資料保存委員会、長岡省吾を招いて、原爆資料の審査、被爆体験者の座談会開催などについて協議。(長崎日々)
6 22 全国共同募金会理事会、原爆傷害者治療費の全国募金実施を決定。浜井広島市長出席し要請。NHKのたすけあい運動の形で進行。
6 23? 山本康夫ら、広島泉邸で原爆をしのぶ歌の会を開催。
6 24? 小黒薫・マクミラン、峠三吉編の詩集「原子雲の下より」の英訳をアメリカ友和会(FOR)機関紙に掲載を計画(朝日新聞)。
6 26 広島市原対協企画部会、部会長に任都栗一興を選出。貧困障害者救済のための原爆障害保険の法制化など審議。
6 28? 日本学術会議、「原子爆弾災害調査報告集」を出版(朝日新聞、毎日新聞)。
6 29 原爆障害者治療班派遣について調査するため米外科医(1人)来広。30日患者14人を診察。7月1日、広島市内の外科医・ABCCの外科医と共に原爆乙女を 手術。
6 33 原爆被害者の会、事務所を吉川清宅から水主町の温品道義宅に移す
7 2 米上院歳出分科委員会で、前原子力委員会委員長デーン、広島・長崎の被爆生存者調査の結果報告。
7 8 長崎市議会建設委員会、平和祈念像の建設地を原爆爆心地と正式に決定。
7 08? 広島の原爆乙女(2人)、大阪市上福島厚生年金病院に入院。
7 09? 広島市、原爆死没者慰霊式と平和記念式の行事を公表。
7 10 山口大学講堂で原爆図展開催(3日間)。(アカハタ)。
7 10? 広島県立医大、予算200万円で放射性同位元素研究委員会を組織。
7 12 秋田正之(元広島市会議長)、精神養子となった溝島礼子を自宅に招待。広島市内の精神養子縁組は初。(朝日新聞)
7 12 原爆被害者の会、第8回幹事会を開催。29才以下の会員で青年クラブを結成す ることなどを決定。
7 12? 長崎市原爆資料保存委員会、パンフ「原爆」の刊行を準備。(長崎日々)
7 13 広島市表彰審査委員会、原爆当時人命救助・消火救護などに尽力した原爆功労者の調査を完了。8月6日に表彰。
7 14 長崎地区労・県教組など、平和大会(8月9日原爆記念全九州平和大会)の準備会を開催。(長崎日々)
7 14? 広島市原爆障害者治療対策協議会、研究治療部会を開き、新たに内科・眼科関係の障害者も治療することを決める。
7 16 東大附属病院小石川分院に入院・治療を受けていた広島の原爆乙女(1人)退院。
7 16 広島県教組、映画「ひろしま」製作本部などとともに、原爆孤児救済募金のため芸能の夕を児童文化会館で開催(~17日)。
7 16? 米国からの精神養子への送金総額2万4750ドル(邦貨891万円)、縁組状況:養 親420名、児童416名となる。
7 16? 広島市立本川小学校、山崎与三郎寄贈の資料をもとに原爆資料室設置を計画。
7 17 広島県婦人会連合協議会、広島市の婦人会館で青少年から「平和をどのように考えるか」を聞く座談会を開催。
7 17 広島県労会議、執行委員会を開催。総評提唱の平和国民大会を広島市で開催することを決定(朝日新聞)。
7 18 旧広島一中遺族会、国泰寺高校内の慰霊碑に参拝。約120名が参加。
7 18 映画「ひろしま」のラストシーンのため、労働者3000人、自由労組2500人、学生1万人、市民6000人など約2万人が原爆ドームを中心にデモ行進。
7 21 広島市原対協企画部会、“原爆障害者NHKたすけ合い旬間(8月1日~10日)実施要綱”を承認。
7 21 広島市史編さん室、昭和16年~25年の市勢の実態をつかむため、原爆で生き残った市職員の懇談会開催。
7 22? 広島市調査課長、広島市の原爆死没者数は10数万が妥当であると発言。
7 23 日本アマチュア・シネ・スライド協会、第1回全国コンクールで広島支部作成 の幻燈画「原爆ひろしま」を第1位に選出。
7 23? 広島市、平和記念都市建設のため米貨外債募集を計画。
7 26 原爆被害者の会、第7回幹事会を開催。
7 26 全九州平和大会連絡協議会、長崎市農民会館に九州各県の労組・平和団体の代表約120名が出席して開催。8月8-9日の大会行事を決定。(長崎日々)
7 30 広島市史編さん室、原爆当時の在広軍関係者から事情聴取。当時、広島市内・周辺地区にいた軍関係者は最大限5万2千人で、無傷だった宇品の暁部隊を除くと、全員死亡したとしても3万3千人。
7 30 長岡省吾広島原爆記念館長、長崎原爆資料保存委員会から依頼されたスライド映画「原爆と長崎」2巻を完成(朝日新聞、産経)。
7 30 長崎市、デンマークからの平和メッセージを受け取る。同市が祈念式典に披露するメッセージを各国大使館を通じて25か国に依頼した反響第1号。
7 30? 安芸郡府中町の龍仙寺、原爆犠牲者の遺骨143柱を広島市に移管することを決 める。
7 31 有朋会、原爆孤児援助興業の実演と映画の集いを児童文化会館で開催(~1日)月丘姉妹が出演。
7 31 中部復員連絡局広島支部、全国の弔慰金支給状況を調査し、広島市の軍人軍属の原爆死没者12300人を確定。届出漏れを加えて、推定死没者数15000人。
7 31 毎日新聞(広島)、長田新・谷本清・吉川清の座談会「広島の平和運動を語る」を連載。-8月2日(3回)。
8 1 NHK・中央共同募金会、「原爆障害者に救いの手を-NHKたすけあい旬間」開始(10日まで)。助け合い特集番組として、「療友だより-原爆症の患者を 訪ねて」、「生き残った人々」「友への手紙」等放送。期間中、NHK公開番組の入場者から寄付金。
8 1 広島ピース・センター東京協力会、第2回映画スター・プロマイド・サイン募 金を東京銀座・松屋で開催。
8 1 長崎市原対協、原爆傷害者1300名の予診開始。ABCC所長らも応援。この日約50人が受診。12日まで。(長崎日々)(朝日新聞)
8 1 広島県・市教育委員会・平和問題談話会・大学人会、広島市中央公民館で平和問題講座を開催(-3日)。
8 01? 広島逓信病院、原爆の放射能により内臓器官に慢性症状が潜在するかどうか研究、慢性症状の具体例を示す。(朝日新聞)
8 01? 1950年の国勢調査と同時に行われた被爆者調査の結果、生存者総数283508人、うち広島・長崎両市で被爆した者10人判明。(朝日新聞)
8 2 真樹社で原爆をしのぶ短歌会を開催。
8 2 九州地区平和大会実行委員会、長崎市内で原爆追放の署名運動を実施。
8 02? 原爆投下直後の広島駅の状況報告書の存在が明らかになる。
8 3 月丘夢路・千秋姉妹、浜井広島市長に原爆孤児救済募金10万3940円を手渡す
8 3 広島市木挽町浄円寺、原爆犠牲者追悼講演会を開催。
8 4 NHK、長崎市三菱会館で「放送演芸会」公開録音「民謡をたずねて」を開催。この収益は原爆傷害者の治療費として全国募金会に寄付。(長崎日々)
8 04? 比婆郡庄原町で「原爆犠牲軍人之碑」(工費10万円)完成。6日、宝蔵寺で追 悼会を執行。
8 04? 長崎市城山町聖火会(藤田治郎会長)、懺悔の炎をリレーで全国の戦災都市に点灯することを計画。(長崎日々)
8 5 NHK第2、中山侑が都築正男の手記をもとに構成したドキュメンタリドラマ 「原爆症研究の手記」を放送。
8 5 中国新聞、広島・長崎で二重に被爆した平田研之(長崎県庁通商貿易課主事)の体験談を掲載。
8 5 長崎平和を守る会、臨時総会を労働会館で開催。全九州平和大会について協議
8 5 長崎平和を守る会(会長林重治)、2日からの街頭署名運動で集まった1525円を原爆乙女の会へと長崎日々新聞社に寄託。(長崎日々)
8 5 広島市己斐小学校、「平和のつどい」を開催。4年生以上600名の児童が平和への誓いを新たにするとともに、校内72名の原爆孤児たちを慰める。
8 5 広島平和会議実行委員会、前夜祭を広島市児童文化会館で開催。
8 6 原爆8周年記念広島平和国民大会,広島市民広場に県内・全国から7600名参加 .原爆など大量殺人兵器の禁止,再軍備反対,基地撤去などのスローガン決定.市内デモ.
8 6 「アカハタ」,「原爆おとされて八年」(増岡敏和「平和をもとめて妹よ、歌いつごう」、峠三吉「へいわをかえせ」)を特集.
8 6 広島市原対協、平和記念公園供養塔前に原爆障害者治療相談所開設(約70人来所)。
8 6 広島平和婦人会、平和記念公園で、原爆傷害者治療費募金活動。
8 6 天理教広島教務支庁婦人青年会、中島供養塔前で原爆傷害者治療費募金活動。
8 6 広島市、原爆死没者慰霊式ならびに平和記念式を挙行。約5000人が参列。
8 6 広島市調査課、原爆慰霊碑に奉納した原爆死没者名簿の台帳を平和記念館に陳展(朝日新聞)。
8 6 ひろしま川祭委員会、元安川と本川で2000個のとうろう流しを実施(3日間)
8 6 広島市内の女子高校生200名、広島市の式典終了後の平和公園で原爆乙女佐古 美智子作詩の「ほほえみよ還えれ」のフォーク・ダンスを演じる。
8 6 旧広島二中遺族委員会、中島公園横で追悼碑の除幕式と追弔会を執行。
8 6 元広島陸軍病院在職世話会、旧病院堤防で原爆死没者慰霊式を執行。
8 6 広島市厚生連合会舟入支部、唯心寺で原爆追悼法要ならびに講演会を開催。
8 6 広島郵便局、完工した比治山多門院内の原爆慰霊碑前で慰霊祭を執行。
8 6 山県郡大朝町の円立寺、原爆死者の追悼法会を執行。
8 6 東京目黒区の羅漢寺で「さくら隊」殉難者の追悼法要。
8 6 長崎日々新聞、長崎・広島の原爆娘(山口ミサ子・佐古美智子)の電話対談を掲載。(長崎日々)
8 6 読売・朝日・中国各社の専用機、広島平和式典会場に花束を投下。
8 6 広島平和国民大会、広島市民広場(児童文化会館前広場)で開催。
8 6 広島市、原爆当時に人命救助・消火救護などに献身した功労者約600人を表彰
8 06? 「広島子供を守る会」、原爆孤児調査を集計。市内小・中学校45校で両親とも死亡423人・どちらか死亡1284人。
8 7 長崎市原対協の予診受診者、8月1日から7日までで302名。(長崎日々)
8 7 加計町遺家族援護会、常禅寺で戦没軍人軍属・原爆犠牲者の追悼法要を執行。
8 7 中国新聞社、「ノー・モア・ヒロシマズ原爆画展」を東京日本橋白木屋で開催(-12日)。福井芳郎の記録画を展示。
8 7 長崎市、西独大使館からのメッセージを受け取る。デンマークに続き第2号。
8 8 広島市原対協治療部会、原爆障害者(62人)集団診療実施。(毎日新聞)
8 8 長崎原爆供養協賛会、原爆公園で「供養盆踊り」(平和の踊り)を開催。
8 8 長崎市、三菱会館で前夜祭「平和の夕」を開催。映画「生きる」・「原爆の長崎」を上映。演劇「三つの鐘」を上演。
8 8 原爆記念全九州平和大会、長崎市内東高校講堂で開幕。約500名が参加(~9日)
8 9 吉川清、サンデー毎日「まだ死んでいく原爆の街」に紹介される。
8 9 長崎市、「原爆犠牲者供養」ならびに「平和祈念式典」を松山町・原爆公園で挙行。2000余名が参列。(長崎日々)
8 9 日本仏教奉賛会、東京築地・本願寺本堂で広島・長崎原爆犠牲者祈祷会を執行
8 9 原爆手記集「原爆に生きて」の出版記念会、広島市内の教育会館で開催。山代巴・佐久間澄・長田新など26人が出席。
8 9 広島市・朝日ホールで丸木・赤松「原爆の図」展を開催(-13日)。
8 9 長崎大学・長崎原対協、同大講堂で原爆に関する通俗講習会を開催。
8 9 アマチュア・シネ・スライド協会広島支部、中央公民館でスライド原爆ヒロシマの映写会を開催。
8 9 大沢幹夫作・原爆の子友の会総出演舞台劇「原爆の子」、広島市児童文化会館で初公開。
8 9 中国新聞、連載「原爆文献をめくる」(~14日,5回).
8 10 広島市原対協、第2次原爆障害者治療(外科・内科・眼科)開始。眼科患者の カルテ審査会。
8 10 広島大学医学部、佐伯郡大竹町で原爆被災者無料診療実施(12日まで)。
8 10 映画「ひろしま」,東京・広島・長崎で完成試写会.
8 12 ソ連がセミパラチンスクで、初の水爆実験。
8 12 長崎市原対協、原爆患者の予診を打ち切り、入・通院治療者を選考。
8 12 浜井広島市長、米国シアトルで開催される日米太平洋市長会議に出席のため離広。
8 13? 広島子供を守る会、原爆記念日から1週間の間に32通の精神養子縁組の申し込 みを受ける(朝日新聞)。
8 15 安芸郡海田市町遺族会、第4回軍人・軍属および原爆死没者慰霊祭を執行。
8 15 呉市公民館で「原爆の図」展覧会(17日まで).市民の10%約2万人が観覧
8 16 中国新聞、「原子病はどうなった-長崎の場合」を掲載。
8 21? 広島市原対協内科審査部会、要治療者(9人)を診察、今後の治療方針決定。
8 26 長崎・浦上駅で落成式と同駅勤務員20名の原爆殉難者の慰霊祭。(長崎日々)
8 27 ハワイの広島戦災救援会、解散。5年間に約11万ドル(約4000万円)を広島に 送金。
8 29 第4回ユネスコ学生全国大会、長崎市で開幕(~9月1日)。
9 1 日本ペンクラブ、原爆障害者救援のための委員会をつくり募金活動を行うことを決定。
9 03? 広島市の原爆関係弔慰金(3万円国債)、4722件受付、うち3297件裁定済み。
9 10 広島市原対協、内科関係患者審査会。(朝日新聞)
9 11? 広島市原対協、広島県知事に、治療費などの助成金の交付を申請する計画。
9 12 新本恵子ら広島原爆乙女の会8人、映画「ひろしま」について広島県教組に抗 議(朝日新聞)。
9 13 都築正男東大名誉教授、広島市原対協の招請により来広(12日~15日)。原爆障害者(30人)を診察。14日には患者(3人)を公開手術。
9 15 広島市原対協、眼科関係患者審査会。(朝日新聞)
9 15 東大教職員組合・日本文化人会議、映画「ひろしま」を上映。国際理論物理学会参加者を招待。
9 17 広島公演中の松竹少女歌劇団の小月冴子ら5名、福屋百貨店で原爆障害者治療 資金の「募金サインデー」を開催(朝日新聞)。
9 19 全国青年団協議会、広島市宝町婦人会館で平和対策特別委員会を開催。
9 20 ノーマン・カズンズ、来崎(~22日)。
9 21 広島戦災供養会理事会開催。収容限界に達した戦災供養塔の再建促進について協議。
9 21 「広島市建設促進協議会」設立総会、東京で開催。広島県選出国会議員・県知事・県会議長・広島市長・市議会議長らで構成。
9 22 ノーマン・カズンズ夫妻、長崎から来広。
9 23 広島市尾長学区婦人会・遺族援護会尾長支部、松本商業講堂で戦没者および原爆犠牲者慰霊祭を執行。870名が参列。
9 24 広島市原爆傷害対策関係者、ノーマン・カズンズ夫妻を囲んで懇談会
9 25 吉川清・大田洋子、国際理論物理学会議一行の宿舎(広島県大野町)を訪ね、懇談。
9 25 国際理論物理学会の一行、広島入り。
9 28 広島市原対協、治療現況・集計を発表。外科・内科・眼科で110人を審査、14 人の治療終了・17人治療中。
9 29? 長崎市、国際平和デー委員会のアルフレッド・パーカーより、10周年祭に「世界の木」を贈るとの申し入れを受け取る。(長崎日々)
9 30 田辺耕一郎、ノーマン・カズンズの原爆傷害者救済のための印税寄付申し入れ に関連して、長崎市の救済計画調査のため長崎入り。(長崎日々)
9 ? 原爆被害者の会、原爆被爆者の実態調査を実施。-10月。
10 4 田辺耕一郎、ノーマン・カズンズの依頼による長崎被害者調査から帰広。
10 4 第5回中四国小児科医学会、(於宇部市)で、広島ABCC遺伝部土本巌医師 、新生児に原爆による影響はみられなかったと発表。
10 4 第1回広島県傷痍軍人大会、進徳学園講堂で開催。「原爆戦傷病者の救済の即 時実施」などを決議。
10 7 広島の爆心地から1500メートルの屋外で被爆した男性(59歳)、リンパ性細網肉腫で死亡(54.2.4中国新聞)。
10 07? 草野信男、英文「原爆症」を出版(東京新聞)。
10 9 広島市の精神養子養育資金配分委員会で資金の配分をめぐり市と谷本牧師が対立。
10 14 日本学術会議原爆災害調査班の研究発表会(第3回)、長崎大学で開催。
10 14? 厚生省、原爆障害者治療対策として、広島市内への原爆症調査研究協議会の設置と傷病軍人・軍属に適用されている身体障害者福祉法を一部改正して被爆者への適用をはかることを計画。
10 16? 広島市原対協、中央共同募金会に、今夏のNHK“原爆障害者に救いの手を”のたすけあい運動で集められた義援金の7割を広島市に割り当てるよう申し入 れ。
10 16? 長崎市原爆資料保存委員会、写真集「原爆の長崎-閃きのあと」(岩波写真文庫版型)を発刊。(長崎日々)
10 17 アジア太平洋地域平和連絡会、東京の日赤本社講堂で開催。-18日。
10 18 都築博士来広。原爆障害者(7人)を診察。19日手術。
10 18 広島県産婦人科医学会、広島市で開催。広島医大田淵教授、被爆婦人百数十人の調査研究結果を発表、原爆によって不妊にはならないと指摘。
10 19 大阪府教育委員会、映画「ひろしま」を教育映画として推薦しないことを決める。
10 22 被爆直後の広島に3日間入市した男性(58歳)、肺臓ガンで死亡
10 22 映画「ひろしま」の広島県下での上映終了。観客は16万人を記録(朝日新聞)
10 28 安芸郡東海田町、長谷寺で戦死没者・原爆死没者の慰霊祭を執行。
10 28 米国国立科学協会、ジョン・J・モートンを広島のABCC所長に任命。
10 映画「ひろしま」空前の観客を動員.呉・福山・三原・広島で計15万8千人
11 6 木村厚生次官、広島市で、原爆傷害者の治療対策について国庫負担の特別立法は考えないが原爆傷害者を傷い軍人に適用されている厚生医療保護の対象に入る方針であると語る。
11 06? 広島大学医学部精神神経科教室、「原子爆弾後遺症の精神神経病学的症例」の研究に着手、精神神経病学的見地からの原爆症の再検討を図る。
11 7 第25回日本遺伝学会総会、三島市の国立遺伝学研究所で開催(~8日)。ABCC遺伝部長ダンカン・J・マクドナルドが特別報告。特別な遺伝的影響は見られぬ。
11 8 広島市未亡人会、第1回広島市母子福祉大会を本川小学校講堂で開催。約1200 名が参加。「原爆未亡人に対する戦死者同等の待遇」など決議。
11 9 宮城道雄、長崎市浦上の原爆公園で原爆犠牲者慰霊のため献奏。(長崎日々)
11 10 共同募金中央委員会から広島市原対協に通告。NHK原爆障害者たすけあい運動による募金総額約509万円、広島・長崎配分額は広島約359万円・長崎約150 万円。
11 10 東京で広島県選出の国会議員が広島市建設促進協議会を開催。
11 11 ABCC新所長モートン博士、ABCCが原爆傷害者の治療をするのはむつかしく、治療は日本の医療機関によっておこなわれるのが最も適当で、ABCCはできるだけ援助したいと語る。
11 13 映画「ひろしま」の輸出版、反米的な部分と残酷な部分を自主削除して映画倫理規定委員会をパス(アカハタ)。
11 14 広島市原対協治療部会、治療科目の増設(産婦人科・精神科)・新設される原爆症調査研究協議会との関係について協議。
11 14 広島県、原爆ドームを広島市に譲与することを通知。
11 15 広島大学医学部、大竹地区の被爆者54名の心電図検査を実施
11 15 第5回広島長崎両原爆都市青年交歓会、広島市で開催。原爆傷害者救済運動の 推進(アジア青年大会・国連への働きかけ)、自衛隊には参加せぬなど決議。
11 17 国立予防衛生研究所内に原爆症調査研究協議会結成。東京で第1回協議会開催 。原爆による後遺症の治療方法の究明をめざす。
11 18 広島市原対協、原爆症に関する総合的な資料収集のため、市内の精神・婦人・耳鼻・小児科開業医に原爆症に関すると思われる患者の疾病名・症状等について質問状を発送。
11 21 在広の日米専門医による原爆障害者の合同診察会、開催。広島市原対協・ABCC(個人資格)の医師ら参加。
11 21 長崎大学医学部・ABCC、銭座町聖徳寺で「解剖祭」を挙行。(長崎日々)
11 24 安部能成学習院院長、広島市山陽高校で開催の私学大会で「原爆を売り物にするな」と語る(朝日新聞)。
11 29 第1回日本のうたごえ大会(東京・日比谷公会堂、共立講堂)。
11 29 第49回中国四国眼科学会(広島大学医学部眼科教室主催)、広島市で開催。杉本茂憲博士、「広島市原爆治療対策協議会に申し出た眼科的患者の概況」を発表。
12 01? 広島市社会課内に原爆障害調査研究協議会の出先機関が設置される見込み。
12 3 衆院予算委員会で、山県厚相、原爆患者には予算措置は講じてはいないが、治療の促進には努力していると答弁。
12 9 広島市原対協、婦人・小児・精神・耳鼻咽喉・皮膚泌尿各科について原爆症と思われる疾患を調査、原爆症は各科に影響し「全身病」の性格を持つと判明。
12 11? 広島市原対協、原爆障害者の治療費案出のため台湾産バナナの輸入販売を計画
12 12 広島市原対協、広島ペンクラブ・大学人の会など市内39の文化団体と、原爆後遺症対策問題をめぐる懇談会開催。
12 19 広島市戦災児育成所、9周年の開所記念式典を挙行。
12 21 長崎原爆娘橋マサ子・永富郁子、東大清水外科を退院。(長崎日々)
12 22 都築正男、1954年2月開催予定の日米合同原爆傷害研究会の打ち合せのため来 広。
12 26 広島市精神養子養育資金配分委員会。

 

原爆被爆者対策前史年表(1952)

原爆被爆者対策前史年表(1952)

出典:『原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)』

1952年

1 5 厚生省から広島県に、軍指揮下での原爆死没者(国民義勇隊・動員学徒・徴用工・女子挺身隊)の調査費用30万円届く。
1 7 広島県、被爆当時の広島市内の国民義勇隊の家屋疎開工事状況をまとめる。8 月3日から毎日義勇隊3万人・学徒隊1万1千人を広島市に動員。
1 16 田坂具隆、長崎日日新聞に掲載した「長崎の歌は忘れじ-演出にあたって」の中で一兵士として広島で被爆したことを明らかにする。
1 17 広島市社会課、全市にわたり、原爆死没者(勤労学徒・徴用工員・女子挺身隊員・国民義勇隊員など)の遺族戸別面接調査開始(2月5日まで、民間調査員約700人動員)。
1 19 広島市教委、各学校長・遺族会長を集めて、原爆犠牲学徒協議会開催。
1 19 長崎市特別都市建設期成委員会、遺家族援護法案に、原爆犠牲者を含むよう運動展開を決定。25日上京し、広島市と協力して、国会・関係官庁に陳情。
1 19 長崎県など、大阪市近鉄阿倍野百貨店で「長崎県観光と物産博覧会」を開催(-2月2日)。
1 21 広島県の原爆死没者調査で、比婆郡の死没者48人判明。
1 21 京マチ子ら、「長崎の歌は忘れじ」のロケのため長崎入り。
1 21? 尾道市、市内在籍の原爆死没者(国民義勇隊員・徴用工員・学徒・女子挺身隊員)の遺族調査実施中(22日まで)。
1 22 長崎市議会、長崎市特別都市建設期成委員会の原爆犠牲者遺族援護陳情を議決
1 23 日赤、原爆攻撃の防御演習を取り入れることを決定、大阪市で近畿地区の指導者講習会を開催(-25日)。27日からは岡山市で中・四国地区の講習会(10日間)。
1 25 産業奨励館復興委員会(広島県貿易協会・広島商工会議所・広島市で組織)、県営として復旧する運動を起こすことを決める。
1 27? 尾道市在籍の原爆死没者遺族13人判明。
1 29 参院本会議で、天野文相、動員学徒犠牲者の遺族も援護対象にするよう努力すると答弁.
1 29 広島・長崎両市議ら、靖国神社事務総長に、原爆死没動員学徒・義勇隊員の同神社合祀を陳情。
1 30 米原子力委員会、原爆傷害調査委員会の研究結果を米議会に報告。被爆女性の出産の場合、男児の出生率が一般より低いなど。(「夕刊民友」)
1 31 田川長崎市長、来広。復興状況を視察。
2 2 長崎市議会議員、原爆犠牲者援護等陳情から帰任報告。原爆死亡者調査費の支給が決り,学徒義勇軍・勤労報国隊員などの死亡者の靖国神社合祀について同神社と話合い。
2 6 広大教養部学生大会(皆実分校講堂)に500名参加.「わだつみの悲劇をくりかえすな. ノーモア・ヒロシマ」など5基本スローガン.
2 6 広島市の原爆死没者調査で、1830人が判明。広島県による郡部の調査では1742人が判明。
2 08? 大阪大学理学部学生自治会、長田新編「原爆の子」の感想文集「原爆の子に答える」第1集を発行。
2 9 長崎県など、京都駅前丸物百貨店で長崎観光物産展を開幕。
2 12? 広島市議会副議長、全国議長会より帰任報告。原爆死没学徒・義勇隊員の弔慰問題について、地元調査の完了・靖国神社合祀が先決、と語る。
2 15 広島市、原爆死没学徒・国民義勇隊員・徴用工・女子挺身隊員調査の中間集計発表、計7528人判明。
2 16? 長崎市特別都市期成委員会、3月1日から各町民生委員を通じて原爆犠牲者調査の実施を計画。
2 17 原爆の子友の会結成式.長田新編「原爆の子」に手記を寄せた児童生徒約100人出席.
2 17 第4回広島医学会総会「講和条約議会批准を記念する原子爆弾症に関する研究 発表会」、広島市で開催。被爆後75日間の被爆者の臨床的観察の報告や原爆の遺伝に及ぼす影響に関する発表など。
2 18 広島長崎特別都市建設期成委員会第1回総会を、長崎市で開催。両市特別法に よる建設事業促進・原爆犠牲者の援護に関する請願書を政府・国会に提出・共同陳情することを決定。
2 22 エズラー・デニング英国大使、来崎。
2 25 長崎市立山里小学校、自主教育研究会に合わせて「永井博士と浦上の子ら」遺品展を開催。
3 3 長崎市議会副議長ら、原爆犠牲者援護など陳情のため上京。同市社会課の調査によると、原爆死亡者73884人うち徴用工6582人・動員学徒3413人・挺身隊員50人計10045人(推定)。
3 4 長崎市立城山小学校、教育心理学専門家を招き、原爆学級編成について協議。
3 7 長崎市、原爆犠牲者調査要項の説明会実施。調査対象:国民勤労隊・徴用工・学徒報国隊・女子挺身隊、3月10日から31日まで市内民生委員が戸別訪問。
3 8 長崎市立城山小学校、同校入学予定児童の身体検査を実施。うち、原爆被災児童36名に対しては別個に知能検査を実施。
3 11 長崎県議会厚生委員会、遺族援護法の原爆犠牲者への適用を政府に陳情する請願採択。
3 12 長崎復興平和博の工事現場から掘り出された原爆犠牲者の遺骨の慰霊祭を執行
3 14? 大村市社会課、長崎原爆による死傷者調査実施中、該当者に届出要望。
3 17 長崎市平和祈念像協賛会、理事会を開催。20日から2000万円を目標に募金運動を実施することを決定。
3 18 広島県世話課長、全国世話課長会議より帰任報告。審議中の戦傷病者戦没者遺族等援護法案は、純軍人軍属を対象とし、広島市の原爆死没動員学徒・徴用工などは見込みがない。
3 18 ABCC、原爆被害調査研究発表会、長崎市で開催。白血病・遺伝等に関する研究発表。
3 22 広島長崎特別都市建設期成委員会長任都栗一興、原爆犠牲者援護の中央陳情より帰任報告。広島県世話課長の報告を否定し、犠牲者の調査書が提出されれば 、援護予算が計上される見通しであると語る。
3 24 原爆殉難者供養塔保存会、長崎市岩川町の供養塔前で彼岸会追悼法要を執行。
3 24 中村巌原爆の子友の会会長ら30名、大阪大学理学部で京阪神の少年少女と交歓会を開く。
3 25 広島市、原爆死没者(学徒・徴用工など)調査ほぼ完了。国民義勇隊3374人・動員学徒5796人・女子挺身隊550人・徴用工688人・所属不明380人、計10788人判明。
3 26 衆院厚生委戦傷病者戦没者遺家族等援護法案をめぐる公聴会第2日。公述人と して広島県原爆犠牲者遺家族援護促進委員会委員長任都栗司(広島市市議)出席、原爆被災学徒・女子挺身隊員・徴用工・義勇隊員の遺家族も援護対象とするよう主張。
3 27 僧職小林葆生、再軍備に反対して広島市原爆ドーム横の大仏殿で割腹自殺をはかる(朝日新聞)。
3 28 広島戦災児育成所の原爆孤児10名、中学卒業祝いに上京。
3 28 長崎市の東宝喜楽館、映画「長崎の歌は忘れじ」の招待試写会を開催。
3 28 広島逓信病院、被爆職員の体験発表座談会開催。
3 29 広島県教職員組合第9回定期大会.-30日。「教え子を戦場に送るな」のスローガンを採択する.
3 29 新藤兼人、「原爆の子」のシナリオの下調べのため広島入り。原爆1号の吉川清のケロイドを見る。(「世界」1952.8)
4 1 戦没者遺家族援護法が、原爆死没学徒・徴用工に適用されることが判明。
4 4 長崎市立城山小学校入学式。新入学児童259人(うち被爆児童40人)を対象に 原爆学級2クラスを編成。
4 7 広島の原爆当日に生まれた3人、小学校に入学。
4 10 長崎復興平和博覧会、開幕。
4 13 長崎ユネスコ協会、松山町の原爆公園でユネスコ移動公民学校を開催。
4 19 日本学術会議、講和発効後の原爆医療調査の再開を決定。(毎日新聞)
4 21 ABCC、講和発効後、研究が日本側に引き継がれるという報道を否定。
4 22? 広島市児童福祉事務所、未亡人の生活実態調査の結果をまとめる。主な原因:夫が戦没・戦災死したもの1301名、病死989名、不慮の死124名。
4 23 長崎市議会原爆都市建設特別委員会、講和条約発効後、米国に原爆被災者遺族 に対する特別援助を懇請することを決議。
4 25 戦傷病者戦没者遺族等援護法案、成立。国家総動員法による徴用工・動員学徒・女子挺身隊・国民義勇隊員死没者の遺族に弔慰金支給。
4 25 元広島市復興顧問モントゴメリー、市役所を訪問。
4 28 サンフランシスコ「平和」、日米安保条約発効。
4 28 戦傷病者戦没者遺族等援護法成立の報告会、広島市で開催。
4 28 長崎国際文化会館、起工式を挙行。
4 30 戦傷病者戦没者遺族等援護法公布。
5 1 講和後初のメーデー.県下で4万人参加.広島では松川裁判の公正を求める緊急動議可決.会場に原爆の惨状を描いた絵や写真 100枚近くを展示.
5 2 広島県・市、戦没者追悼式を広島市児童文化会館前広場で開催。約1万人が参加。
5 3 原爆の子友の会、広島大学図書館で大阪原爆の子を守る会と交歓会を開催。
5 4 広島原爆犠牲者12800柱を靖国神社へ合祀。
5 7 原爆犠牲者遺家族援護促進委員長任都栗一興、靖国神社へ合祀された広島市の原爆死没者のうち、学徒義勇隊死亡者8205人分の名簿を同神社に納める。
5 12 広島長崎両県出身国会議員、「広島長崎特別都市建設促進議員連盟」を結成。両県特別都市建設事業促進と原爆犠牲者遺家族の援護措置の実現を図る。
5 12 全国世話課長会議、東京で開催。遺族援護法による広島県昭和27年度年金・弔慰金額決定。原爆死没学徒・徴用工など(約2万人)に、一時金1柱3万円支給
5 20 社会科学研究会(広島文理科大学)、吉川清の写真50葉と土井晩鐘の原爆の画12点で原爆展を開催。中野好夫が参加し座談会を開く。-21日。
5 20 文芸春秋新社、広島市中央公民館で中野好夫・真杉静枝らを迎えて文芸講演会を開催。
5 20? 広島長崎特別都市建設促進議員連盟、当面の運動方針決定。政府またはアメリカが一般の原爆傷害者の治療の責任をとる、など。
5 23? 外務・文部両省、6月26日からニューヨークで開催される国際児童図書展覧会 に「原爆の子」(岩波書店)など18点を出品することを決める。
6 5 近代映画協会の映画「原爆の子」、広島市内でクランクイン。
6 06? 広島県・市、遺族援護法による原爆死没者弔慰金の支払いについて、被爆証明の方法の基本方針を決定。遺族または団体責任者(町内会長・学校長・事業主など)の申請により市長が証明、そのための特別調査会を設置。(朝日新聞)
6 10 広島の原爆乙女9人と「原爆一号」吉川清、作家真杉静枝らの斡旋で、東大付 属病院小石川分院外科で受診。広島ピースセンター理事長長田新ら同行。入院・治療費の募金運動への動き活発化。
6 11 原爆乙女の一行10名、東京・巣鴨拘置所を慰問。吉川清、大田洋子より抗議の電話を受ける。
6 12 原爆乙女らの慰問を受けた巣鴨の戦犯ら、楠瀬常雄に感想文を託す。
6 14 ヒロシマ・ピース・センター事務局長マーヴィン・グリーン、来広。15日、流 川教会で孤児約60名と対面。
6 14 原爆乙女ら一行、東京から帰広。映画「原爆の子」のロケ隊が出迎え。
6 15 峠三吉「原爆詩集」(青木文庫)を刊行.
6 19 木村忠二郎引揚援護庁長官、来広。原爆死没者の弔慰金について、広島市から被爆証明方法などの正式な申請があり次第早急に対応すると発言。
6 20? 広島市、原爆死没者の弔慰金支払いについて資料完備のため、7月1日の住民登 録で再調査を計画。
6 21 中国5県民生部長会議、広島市で開催。旧総動員法関係の犠牲者に対する弔慰金の支給方法等について協議。(朝日新聞)
6 21? 広島市役所職員組合、映画「原爆の子」完成のために募金活動をおこなうことを決める。
6 22 長崎復興平和博覧会、閉幕。
6 25 長崎市戸町中学校教師酒井春子(29歳)、急性白血病で死亡。
6 25 広島地区労働組合会議、結成大会を開催。8月6日に平和大会を開催することを決議。
6 27 広島の画家福井芳郎、原爆の記録画の制作に着手(朝日新聞)。
6 ? 「婦人タイムズ」、吉川清と神近市子の対談「私タチハ見世物デハナイ-”原爆娘”の上京をめぐって」を掲載。
6 吉川清、峠三吉・山代巴・増岡敏和・川手健らに被害者組織作りについて相談
7 1 広島市、市内外科医・診療所の無料奉仕で、原爆症に悩む市民を対象に、治療の可否・治療のための必要経費など調査(15日まで)。
7 2 第5回広島長崎特別都市建設期成委員会、広島市で開催。外国資金による被爆 者治療機関設立など政府への要望事項決議。原爆死没学徒の靖国神社合祀推進を申し合わせ。
7 02? 浜井広島市長、文芸春秋6月号のトレイシー女史のヒロシマ印象記に抗議を表明。07 04   広島市議会厚生委員会の一行、金輪島で原爆遺骨約10体を発掘。
7 04? 広島市、8月6日に原爆慰霊碑に奉納する過去帳を製作中。心当たりの者へ市調査課への届出を要望。
7 5 任都栗遺家族連盟会長ら、広島市の金輪島で4日発見された原爆死没者の遺骨 を発掘収容(29柱)。
7 9 大山郁夫を迎えた広島市児童文化会館で平和講演会.聴衆3000人.アジアの不戦を強調.
7 10 広島県安芸郡坂町で、原爆死没者遺骨発見。関係者の話によると、埋葬された遺体は160体以上。
7 10 原爆傷害者厚生会、広島市内・朝日ホールで懇談会を開催。会員50人、映画「原爆の子」ロケ中の新藤監督・乙羽信子らも出席。参加者から「原爆投下についての米国の責任」が問題にされ、損害賠償の訴えがなされる。
7 12 広島ピース・センター東京協力会、発足。
7 13 広島平和友の会,YMCAで例会.FOR川本一郎,海田市町議法山大麓の実相報告をうけ,海田市への火薬庫設置反対を決議.
7 13 ラジオ東京、原爆記念日に放送の「原爆の体験についての座談会」を長崎市で収録。
7 13 長崎市永井図書館起工式。
7 13 仁都栗一興広島・長崎特別都市建設期成委員会(委員長)、オーナー・トレイシーに抗議文を発送。
7 13? 広島の旧陸軍船舶部隊関係者、被爆直後の原爆負傷・死没者の輸送・遺体処理について証言。似島(約7000人)・金輪島(2-3000千人)・坂村鯛尾(5-600人)・小屋浦に輸送。
7 14 広島の原爆乙女3人、上京し、東大病院小石川分院に入院。12日発足したヒロ シマ・ピースセンター東京協力会(真杉静枝・池田満子蔵相夫人ら)が、治療費など負担。
7 15 ABCC運輸部労働組合結成.18日組合つぶしのための解雇通告.8月8日,9月4日労組48時間ストライキ.9月9日妥結.
7 18 広島市内外科医・診療所で行われた原爆傷害者の調査(7月1日~15日)結果まとまる。カルテ1405人のうち完全回復の見込み214人・ある程度回復の見込み467人で治療費約300万円の見込み。
7 19 長崎ユネスコ協力会、勝本清一郎日本ユネスコ連盟理事長を迎えて、講演会を開催。
7 21 長崎市、平和記念祭準備実行委員会を市議会議場で開催。学校・文化団体・宗教団体・民生委員など約50名が参加。
7 23 ABCC、広島市に、原爆生存者調査(1950年10月1日国勢調査と同時実施) の結果を通知。広島原爆の被爆生存者は全国で157575人うち広島市内に98102 人。
7 23 長崎特別都市建設期成委員会、長崎市議会議場で開催。
7 24 長崎市平和祈念祭準備委員会、広島の中・高校生を招待して「平和への誓」を発表してもらうことを申し合わせる。
7 27? 長崎市・長崎県教育委員会・長崎民友新聞社、原爆体験記募集(8月5日まで、7日審査会)。
7 28 吉川清、原爆娘を宣伝に利用していると谷本清に抗議。
7 29 朝日新聞(広島版)、連載「原爆白書」(~8月2日,5回).
7 30 東京都平和会議・世界政府協会・キリスト者平和の会、東京都渋谷公会堂で大原爆展を開催(-8月2日)。(アカハタ)
7 30 原爆の子友の会の一行20名、上阪。
7 31 広島市、市内二葉山ろくで、原爆死没者遺体52体を発掘。
8 1 東大斉藤信房助教授、長崎の泥砂土からプルトニウムの検出に成功。
8 1 平和擁護日本委員会、世界平和評議会書記長ラフィットの広島平和国民大会・全九州平和大会宛の祝電を受け取る(アカハタ)。
8 3 肥川治一郎編「原爆の子―広島の少年少女・魂の叫び」(日本労働組合総評議会情報出版部)発刊.
8 4 広島長崎特別都市建設期成委員会、長崎市で開催。任都栗委員長、ABCCに対し原子病患者をモルモットぐらいにしか考えていないと批判。被爆者に対する治療機関・社会施設の建設など米への申し入れを決定。(読売新聞)
8 4 広島高検など在広治安取締関係首脳部、治安懇談会を開催。共産党の平和市民大会に厳戒体制で臨むことを決定。
8 5 長崎市・長崎県教育委員会・長崎民友新聞社、「私の原爆体験記」の募集を締め切る。9日、民友新聞紙上に掲載。
8 5 広島市中島供養塔で、広島市内・近郊で発掘された原爆死没者遺骨のうち無縁仏506柱の納骨法会開催。
8 05? 国際医師会議(10月16-18日於イタリア・モンテカチーニ)で、「原爆症に関する日本医師有志の見解」(同会議日本準備会が本部に送ったもの)が、正式議題として採択されることになり、同準備会、草野信男・山本杉・塩田正雄の派遣を決定。
8 6 広島市慰霊式ならびに平和記念式典、中島公園内慰霊碑前で開催。約1000名参加。
8 6 岩国基地駐留英連邦軍の軍用機、平和式典上空から三色の花輪をパラシュートに付して投下。
8 6 平和記念都市建設碑(原爆慰霊碑)除幕.
8 6 浜井広島市長、チェコのプラーグ市世界平和委員会から平和記念式に寄せる電報を受け取る。
8 6 広島地区労,平和国民大会を開催(原爆記念館前で).800人参加.
8 6 峠三吉,広島平和祭で詩「八月六日」「よびかけ」を朗読.25日「アカハタ」掲載.
8 6 「広島―戦争と都市」(岩波写真文庫)発刊.
8 6 「アサヒグラフ」8月6日号,「原爆被害の初公開」を特集.
8 6 世界連邦建設同盟・同広島協議会・同国会議員会、衆議院会館で世界連邦アジア会議の準備大会を開催。(朝日新聞)
8 6 広島県海田市町青年郷友会、明顕寺で原爆犠牲者追弔会を開催。
8 6 旧広島県立二中の慰霊碑の除幕式。
8 6 広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑除幕、過去帳奉納。
8 6 広島戦災供養会、広島県宗教連盟による慰霊祭を、中島供養塔で執行。約2000人が参列。
8 6 宗教者平和運動協議会・広島長崎両県在京県人会など、ノー・モア・ヒロシマ平和法要を東京・築地本願寺で挙行。
8 6 比婆郡庄原町・宝蔵寺の原爆犠牲軍人の碑前で追悼会。
8 6 長崎市原爆資料保存委員会、長崎市城山小学校で原爆思い出座談会を開催。
8 6 武蔵野市平和懇談会、井の頭公園で「大原爆展」を開催。-10日。
8 6 テーラーABCC所長、ABCC批判に対し、ABCCは完全な診断を行っており、これは完全な治療の第一歩であると回答。
8 6 映画「原爆の子」(近代映画協会・劇団民芸製作、新藤兼人監督)、広島で初公開。吉村公三郎・新藤兼人・乙羽信子・宇野重吉ら広島入りし、各方面に挨拶。
8 6 吉川清など原爆被害者の会の発起人、平和記念式典会場で会員を募集。
8 6 広島平和国民大会、広島市民広場で開催。原爆1号患者吉川清らが、挨拶。
8 6 郵便友の会第4回全国大会、広島市で開催。
8 7 広島郵政局、広島駅前の平和記念ポストの除幕式を挙行(朝日新聞)。
8 8 広島市の児童・生徒代表2人、長崎市平和祈年祭に出席のため長崎入り。
8 8 長崎市、平和祈念祭を三菱会館で挙行。午後7時半開会。約3000人が参加長崎市平和祈念祭式次=開会の辞、「平和の誓」斉唱(長崎放送合唱団、長崎東登校合唱団)、式辞(長崎市長)、メッセージ(県知事、市議会議長、日本国連協会長崎支部長、長崎ユネスコ協力会長)、長崎・広島両市高校生「平和の誓」朗読(4名)、宣言(長崎市長)、閉会の辞、映画「長崎の歌忘れじ」他。
8 08? 6日広島市の慰霊碑に奉納された過去帳(57902人分)に記帳もれの265人判明 今後の判明分とまとめて翌年8月6日に追加記帳。
8 9 長崎市、「長崎市原爆犠牲者慰霊式」を国際平和記念公園で開催。午前10時半から。式次=開式の辞(杉本市議)、「平和の長崎から」斉唱(カトリック合唱団、市署ブラスバンド)、追悼の辞(長崎市長)、慰霊の辞(遺族代表・遺児代表)、供花(長崎市長、同婦人、遺族代表30名)、黙祷(11時2分)全市一斉、<あの子らの碑>(山里小学校児童、市署ブラスバンド)、閉会の辞。
8 9 諌早市長田婦人会、同中学校で原爆犠牲者慰霊祭を執行。
8 9 大村市、市内野田墓地で原爆で死亡した無縁仏111柱の供養祭を執行。
8 9 長崎・大橋原爆供養塔奉賛会、元三菱長崎兵器製作所大橋工場跡で原爆殉難者の追悼法要を挙行。
8 9 長崎刑務所長崎支所、原爆犠牲者の慰霊祭をかねて慰霊塔の除幕式を挙行。
8 9 長崎大学、医学部講堂で原爆追悼慰霊祭を執行。
8 9 長崎県教組・県労評など、平和大会を開催。
8 09? 長崎婦人少年室、原爆による婦人負傷者の被害程度とその後の症状を調査、結果発表。
8 10 原爆被害者の会発会式.吉川清・佐伯晴代・内山正一・上松時枝・峠三吉の5 幹事を決定.事務局を原爆ドーム裏吉川清方に置く。
8 10 学芸光画社、スライド「原爆の子」を製作。
8 10 藤田隆国(広島市妙法寺僧侶、原爆被害者の会発起人)、電産長崎県支部、日教組支部などを訪問、長崎での被害者の会の組織化を呼びかける。(長崎民友)
8 10 長崎市城山小学校で広島の生徒を迎えて被爆児童座談会を開催。
8 12 長崎市桜馬場町一区自治会、戦没者・原爆死没者の慰霊祭を天満宮で執行。
8 12 第7回日本公衆衛生学会(於札幌)で、ABCCのレイノルズ博士、被爆児童 の発育調査結果報告。
8 13 八木保太郎を囲む広島県教組と原爆の子友の会共催の座談会、広島市内の教育会館で開催。約70人(吉川清・谷本清ら)が参加。
8 15 立川平和懇談会、赤松・丸木「原爆の図」5部作と東京都立大学の学生有志が集めた写真資料をもとに原爆展を開催。3日間。入場者総数は9907名(子供を加えると1万2000名以上)。(「平和のために-原爆展感想文より」
8 16 長崎市信愛女学院、「平和の乙女の碑」を除幕。
8 16 原爆の子友の会の一行20人、東京神田・教育会館で芝居「原爆の子」を上演
8 18 長崎市婦人会評議員会,広島市婦人会と提携して平和運動に乗り出すことを決定。08 20   長崎大学医学部、長崎市内巡回原爆障害者調査開始(30日まで)。
8 23 吉川清、朝日出版社が「ヒロシマの写真記録」に自分のケロイド写真を無断掲載していることについて抗議文を出す。
8 24 原爆被害者の会、広島市原爆ドーム裏の吉川清宅で第1回幹事会を開催。原爆傷害者の治療は投下国あるいは日本の政府の責任として、無料診断と治療などを政府・国会・広島市当局などに陳情することを決定。(「社会タイムス」9.7、人類愛善)
8 25 アカハタ、峠三吉の詩「八月六日」を掲載。
8 25 長崎大学医学部、原爆被害者調査中間報告、76人検診。
8 25? アサヒ・ニュース原爆特集(363号)、公開される。被爆直後のフィルムの一 部(アカハタ)。
8 26 長崎県福江町、同町の軍人・軍属・原爆犠牲者の合同慰霊祭を執行。
8 26? 新星プロ、「原爆の図」の映画化を計画。(朝日新聞)
8 30? 厚生省、ABCCの研究範囲を広島・長崎両県下郡部在住の被爆者(約4万5千人)まで拡大することを決定。(誤報)
9 1 原爆の詩編さん委員会,「原子雲の下より」(青木文庫)発刊.
9 3 原爆乙女の治療募金に関する懇談会、東京で開催。ヒロシマピースセンター東京協力会が中心となり、全国に募金を呼びかけ。12日~14日、東京で募金サイン会実施、40万円の純益。
9 4 広島市社会課、市内外科医・診療所の協力による原爆障害者調査(7月1日から実施)のカルテ869人分を集計、半数以上が治療すれば全快もしくは快方に向 かう見込み。
9 9 映画「原爆の子」、長崎市喜楽館で特別招待試写会。
9 12 ヒロシマ・ピース・センター東京協力会、原爆乙女達のための一流スター(高峰秀子ら)ブロマイド募金を東京銀座・松阪屋で開催(-14日)。
9 13 「原爆症状研究会」および「国際医師会議を支持する市民の夕べ」(同会議日本準備会長崎支部主催)、長崎市で開催。同会議に出席する東大外科塩月正雄出席。
9 16 古月舞踊研究所、「ノーモア・ヒロシマズ」の最後の振付けを原爆ドーム内で実施(朝日新聞)。
9 17 広島市の原爆被害者の会協力会など、基金募集のため新協劇団「死んだ海」の公演を児童文化会館で開催。
9 17? 広島大学理学部分析化学研究室、放射能総合研究室の設立を計画。
9 18 長崎大学医学部調外科部長・田川長崎市長・溝上長崎市議会議長、被爆者治療対策について協議。調外科、8月以降被爆者277人を無料診療、被爆者に受診を呼びかけ。
9 18 吉川清、西宮市の映画「原爆の子」推薦懇談会の招きで西宮市入り。
9 20 広島市社会福祉事務所の調査によると、同市内の身体障害者手帳交付済みの者 1182人、うち原爆による障害者は6人。
9 20 国際医師会議準備会・朝日新聞社、講演会「原子爆弾と医学」を東京本社で開催。講師:都築正男、山本杉、林タカシ、永井潜。
9 20 吉川清、西宮市東口公会堂で開催の「原爆の体験を聞く夕」で講演。
9 23 広島市・中国新聞社、古月舞踊研究所の舞踊劇「ノー・モア・ヒロシマズ」の公演を児童文化会館で行う。
9 24? 広島原爆の子友の会、国際医師会議に提出するため原爆体験記を募集。
9 25 読売新聞、広島入りする世界的な理論物理学者一行に対する藤原広島大学理学部長・児玉達朗(広島大学理学部学生)・村戸由子・長岡省吾・吉川清の談話を掲載。
9 26 日本放射災害剖検委員会、第2回会合を広島市のABCCで開催。
9 28 アカハタ、S・Yの詩「ピカドンを許さない-ある原爆展の会場にて」を掲載
9 29 日本学術会議原子爆弾災害調査研究班第1回協議会、呉市(広島医大)で開催 白血病・白内障・ケロイドに関する研究発表。
9 29 吉川清、LIFEに紹介される。
10 3 英国がオーストラリアのモンテ・ベロ島で、初の原爆実験。3番目の核保有国 に。
10 6 吉川清(原爆被害者の会)、武谷三男・佐久間澄・川手健らとともにABCCを訪問。テーラー所長に無料治療機関を設置するよう要求し拒否される。
10 7 アカハタ、映画「原爆の図」(今井正作品・新星映画社)を紹介。
10 7 広島文化振興会・広島県・市教委、武谷三男を迎えて自然科学講座を開催。
10 9 フロイド・シュモー、長崎市役所を訪問。
10 11 イタリア・モンテカチーニで開催予定の国際医師会議が、同国政府により開催禁止されたことが判明。
10 12 第2回世界仏教徒会議広島大会,児童文化会館前広場に20数カ国代表180名参 加. (13日まで)
10 15 京都市立美術館で原爆乙女献金似顔絵画き行動美術展を開催(-26日)。
10 16? 広島市遺族厚生連盟支部長会、原爆関係に年金・弔意金を早急に交付するよう厚生大臣などの要請することを決定。
10 17 広島市、市内二葉山ろくの原爆遺体発掘作業の再開を決定。
10 17 閣議、映画「原爆の子」の海外輸出を禁止。(アカハタ)
10 18? 広島市表彰審査委員会(松坂義正会長)、第1回市政功労者表彰事業として原爆被害を阻止した人の推薦を募る。
10 20 原爆被害者の会、第2回幹事会を開催。川手健を正式に事務局長とし、人件費 の支出(月3,000円)を決定。ABCCに一切協力しないことを決定、ウィーンで 開催予定の世界諸国民平和大会に送る代表に吉川清を選出。
10 23 山下義信参院議員によると、11月上旬、原爆死没者弔慰金の支給対象に関する厚生省次官通報が発令され、年内に支給開始の見込み。
10 24 マーフィ駐日米国大使、来崎。
10 30 ダルメスワール世界平和仏教徒大会インド・セイロン代表ら一行、来崎。
10 30? 広島県比婆郡庄原町で原爆死亡軍人の遺骨(約80柱)、発掘。(朝日新聞)
11 1 米国が太平洋マーシャル諸島のエニウェトク環礁で、初の水爆実験。
11 1 長崎市山里小学校、5年生以上の児童約600名で「あの子らの碑」第3回設立記 念式を開催。
11 2 東京都南多摩郡町田町などの「都南映画教室」の代表、原爆被災者への募金1 万3000円と見舞文200通を持って広島入り。映画「原爆の子」を見て計画(朝 日新聞)。
11 3 世界連邦アジア会議,広島市本川小学校で開催.-6日。県労会議・原爆被害者の会・婦人民主クラブ広島支部・新日本文学会広島支部・人民文学広島友のなど17団体が大会へメッセージを寄せる.
11 3 原爆被害者の会、世界連邦アジア会議参加者に英文のアピール(英文)を発表
11 3 世界連邦アジア会議インド代表パール博士、広島市の原爆慰霊碑に参拝。碑文に異論を唱える。
11 4 佐古美智子、広島原爆乙女の会40名を代表して世界連邦アジア会議で挨拶。
11 4 パール博士(インド代表)、世界連邦アジア会議で原爆投下の人道的責任に論及。
11 6 パール博士,広島ガスビルで開催の高裁・高検主催の懇談会で,アメリカが朝鮮で細菌弾を使用していると非難.
11 6 パール博士,原爆慰霊碑の碑文に異議をとなえる.10日,広大雑賀教授反論
11 7 広島市衛生課、市内二葉山ろくの原爆遺体発掘作業開始、4体発見。
11 8 横浜市の鶴見文化会、赤松俊子を招いて講演会「原爆の広島」を開催(アカハタ)
11 12 広島県、原爆犠牲の国民義勇隊員らに対する弔慰金受付事務を開始するよう通知を受ける。国民義勇隊3882、動員学徒6169、徴用工696、女子挺身隊574、その他322、合計11643人。
11 12? 広島逓信病院外科部長三木直二、原爆によるケロイドの効果的な手術方法を開発。
11 13 広島市議会厚生委員会、原爆遺族の弔慰金問題について協議。原爆死没者認定のための審査会の設置など、委員から要望。
11 13 広島・長崎特別都市建設委員会、広島市議会で開催。
11 14 マイキ正岡(アメリカ移民の功労者)、来広。上流川教会で原爆娘13人と対面
11 15 「改造」,増刊号「この原爆禍」を発刊.
11 16 原爆画展、佐世保市公会堂で開幕(4日間)。
11 18 山下義信参院議員によると、原爆死没者遺族に弔慰金のほかに遺族年金支給の見込み。
11 18 広島市で、原爆遺家族援護促進会、会合。運動方針(国家総動員法による犠牲者の援護対象の枠拡大など)決定。
11 19 広島市議会厚生委員会、原爆死没者弔慰金の取扱・五日市戦災児育成所の広島市への移管などについて協議。
11 19 長崎大学医学部の曲がり煙突の取り壊し始まる。
11 19 ハロルド・ブルー博士、ABCC顧問として来広。
11 20 広島市、京都市伏見板橋小学校の「原爆にあった人を慰める会」から慰問文23 0通などを受け取る。
11 20? 広島市、原爆当時の地域国民義勇隊幹部名簿作製中、関係者の連絡を要望。
11 22 第28回長崎医学会総会、長崎市で開催。長崎大学医学部朝永助教授、原爆と白血病の関係について、とくに関係づけるものはない、と報告。
11 24 第3回広島市民生委員・児童委員大会。末高早大教授が講演。
11 28 引揚援護庁事務官来広、戦傷病者遺族等援護法に基づく原爆死没者関係弔慰金交付の厚生次官通牒を広島県・市に交付。交付の対象は、国民義勇隊員で、8 月6日疎開作業中被爆死亡した者。
11 29? 広島県、ベルギー大使館から原爆前後の妊産婦の取扱についての問い合わせを受け取る。内務省の原爆攻撃対策のため。
12 4 広島市、原爆死没国民義勇隊員の弔慰金支給について、名簿作成のため、当時の義勇隊隊長などに隊員の認定を依頼。
12 4 原爆被害者の会、第3回幹事会を開催。(「半年の足跡」)
12 06? 元海軍指定管理工場長崎三菱4工場に勤務中原爆・空襲によって死亡した徴用 工・動員学徒・女子挺身隊員の靖国神社合祀が決定、長崎市、該当者に軍属任命手続きを呼びかけ。
12 7 東京都目黒区の羅漢寺で移動演劇団「さくら隊」の原爆殉難碑、除幕
12 8 東大病院小石川分院に入院治療中の原爆乙女の治療経過中間報告会(ヒロシマピースセンター東京協力会主催)、東京で開催。(朝日新聞)
12 08? 朝日ニュース、映画「原爆の長崎」を製作。
12 9 広島の原爆乙女(13人)、阪大・大阪市大で受診。
12 9 広島・長崎の議員連盟総会を東京で開催。会長に岩沢忠恭参議を決定。
12 12 ウィーンで諸国民平和大会(19日まで)。
12 12 浜井広島市長・広島市議会議長・厚生委員長、原爆都建設促進連盟総会・原爆遺家族援護法適用範囲拡大陳情より帰任・報告。
12 14 「原爆乙女の治療-何故東京や大阪でやる?」
12 14 原爆被害者の会、第1回総会を開催。6人の幹事を選出:温品道義・神田周三・内山正一・山田正喜・佐良田信夫・吉川清。事務局長:川手健。(「半年の足跡」)
12 15 作家真杉靜枝から田川長崎市長に、東大清水外科での長崎の原爆娘の治療を照会。
12 15 ABCCテーラー所長ら、吉川清の案内で広島の原爆被害者の職場や住居を訪問。
12 16 広島市、援護法に基づく原爆死没者弔慰金の請求受付開始。対象:地域国民義勇隊・職域国民義勇隊・動員学徒・女子挺身隊のいずれかに属し、建物疎開作業に従事していた者。
12 17? 原爆被害者の会、原爆ドーム裏吉川清宅内事務局に図書室を開設(朝日新聞)
12 18? 長崎市社会課4月調査によると、同市内の原爆身体障害後遺症者1288人、その うち外科的対象者839人(そのうち長崎大学調外科受診者290人)。
12 19 東大清水外科での長崎原爆娘の受け入れ治療・広島ピースセンター東京協力会による入院治療費負担が決定。20日長崎市長に入電。
12 20 長崎大学医学部調教授、同大附属病院に入院中の被爆者(山里中学校3年生) への援護を長崎市社会課へ懇請。
12 20 原爆被害者の会、「ヒロシマ通信」第1号を発行。(「半年の足跡」)
12 21 本多市郎国務相(長崎県出身)、長崎原爆娘の治療への尽力を約束。
12 22 長崎市議会議員による「原爆長崎議員団」設立準備協議会開催。一般原爆症被害者および遺家族に対する国家の救済要請・原爆総合施療所設立など打合せ。
12 22 長崎市議会、原爆娘ならびに全原爆被災者に対する強力な援護対策を求める緊急質問。
12 22? 広島県立医大附属病院外科、原爆によるケロイド・貧血など各傷病の治療開始を決定。
12 23 広島市、広島ピース・センター理事マービン・グリーン女史から新たに25人の精神養子の縁組が出来たとの連絡を受ける(朝日新聞)。
12 23 ゆかり婦人会(長崎市内の知名人士で組織)、原爆娘救済運動について協議。
12 24 原爆死没国民義勇隊・動員学徒らの弔慰金申請の広島県下第1号として、安佐 郡安村の国民義勇隊72人・同郡川内村国民義勇隊188人について、厚生省に申 請(朝日新聞)。
12 24 中国新聞社、第1回中国映画賞の作品(邦画特別賞「原爆の子」・洋画第1位「天井桟敷の人々」)鑑賞会を福屋名画劇場で開催(-26日)。
12 25 長崎市社会課、東大清水外科で治療を受ける長崎原爆娘の選出に着手
12 25 長崎市立永井図書館、開館式を挙行。
12 26 長崎市婦人会、原爆娘ならびに一般原爆傷害者救済運動役員協議会開催。街頭募金や催し物の開催を計画。
12 27 広島県立医大、広島市に、一般原爆症患者の無料入院治療を申し入れ。
12 28 三菱造船労組長崎支部など、原爆図展実行委員会を開催。1958年1月15日から 開催予定。
12 28? 広島市、12月市議会に原爆障害者治療費20万円計上。(朝日新聞)
12 28? テーラーABCC広島所長、米国整形外科学界次期会長シャンズ会長から原爆症治療班を広島・長崎に派遣したいとの連絡を受ける。

原爆被爆者対策前史年表(1951)

原爆被爆者対策前史年表(1951)

出典:『原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)』

1951年

1 8 ノーマン・カズンズ、来広。
1 10 仁科芳雄、死亡。61歳。
1 10 長崎国際文化都市建設協議会、第1回総会を市議会会議場で開催。
1 13 日本基督教団長崎平和記念教会(長崎市城山町)、牧師就任式ならびに献堂式を挙行。
1 20 呉市遺族会、「遺族援護決議の具現に関する請願」の署名を集める街頭活動を開始。1週間。
1 20 CMPE、東洋・双葉・ラッキー・太陽の4映画館、中国新聞社、戦災孤児ベネフィット・ショウの義捐金贈呈式を広島市東洋座で開催。
1 21 広島市、東京・平河寮で第3回広島平和記念都市建設専門委員会を開催。
1 27? 広島市社会課、ハワイの広島難民救済会からの2万ドル寄付申し入れに対し、 母子会館の建設・生業資金の貸付計画案を同会に提示。
1 31 国際友和会巡回幹事ミュリエル・レスター女史、広島市を訪問。
1 ? ABCCの広島市比治山の本建築が完成し、宇品の仮研究所から移転。(「予防衛生研究所年報」)。
1 芦品郡戸手高校で,校長のストックホルムアピール署名運動禁止命令に対し抗 議行動.
2 雑誌「自然」(中央公論社)、米国原子力委員会発行「原子爆弾の効果」(全訳)を掲載を開始。
2 2 米ネヴァダ州ラスベガスで原爆実験。
2 3 原爆孤児の*口*彦(15歳)、前年11月に神戸港から密航し、サイゴンで2か月生活した後、神戸に送り戻される。
2 3 ハワイ難民救済会の進藤卓爾(賀茂郡川上村出身)、ララ物資の配分状況と社会事業施設の視察のため来広。15日、似島学園に100ドルを寄贈。
2 4 レスター国際友和会幹事、長崎市内で講演。
2 8 富永良雄が長崎市城山小学校に贈る記念像の原型、長崎市に届く。
2 8 ドイツのフォト・リポーター、2年前に写真画報誌「ノイエ・イルストリールテ」に紹介された6・7編の広島の体験記を執筆した児童を訪ねて広島入り。
2 11 浜井広島市長、カズンズ秘書から新しい用紙縁組24件の名簿と2年目の養育資 金第1回分1000ドルを送金したとの書簡を受け取る。これで、広島の精神養子 は226名、養育資金は9000ドルに達す。
2 11 広島ABCC所長カール・F・テスマー中佐(元米国陸軍病理学研究所員)、広島を離れる。(「予防衛生研究所年報」)
2 11 広島市、米ミシガン大学のライル財団から、今年の夏季講座を広島で開催したいとの書簡を受け取る。
2 12 広島ABCCの新所長にテーラー博士就任。(「予防衛生研究所年報」)
2 12 広島市、平和記念館の陳列館の入札を実施。大林組が落札。
2 13 長崎市原爆資料保存委員会、彫刻家北村西望を迎えて会合。平和祈念塔建設について協議。設計については北村西望に一任。
2 14 広島県佐伯郡玖島小学校の生徒代表、五日市の戦災孤児収容所に餅約600個を持参。
2 14? 広島市、「広島市里親会」の結成を計画。
2 15 広島市の原爆資料館工事着工。
2 16 広島市社会課、広島県佐伯郡玖島村の青年団が寄託した餅約200個を基町新生園に贈る。
2 17 広大講堂で講和問題講演会. 150名参加.
2 17? 広島市史編さん委員会、新発足。委員長は魚澄広島大学教授。
2 20 元船舶工兵暁部隊730柱の分骨と広島原爆犠牲者遺骨1200柱が、山口県熊毛郡専唱寺に仮埋葬してあることが判明、山口県世話課・復員連絡広島支部に引き渡し。
2 20 第2回長崎国際文化都市建設協議会(1950年7月結成)、長崎市で開催。平和祈念塔建設計画承認。
2 20? 長崎市岡町付近の道路拡張工事で付近の防空壕から原爆死体13体を発掘。3月9日、同町原爆慰霊塔前で慰霊祭。
2 21 第4回広島平和記念都市建設専門委員会(1949年10月結成)、東京で開催。原 爆死没者慰霊塔の建設決定。
2 21 信州善光尼公上人一行、来広。日赤入院中の吉川清を慰問。
2 22 善光寺尼公上人を迎えての大親修会、広島市内供養塔前で開催。数千人参加。
2 23 広島市内の戦災孤児収容所の孤児の里親会結成のための準備会、広島市で開催
2 27? GHQ、旧学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会がまとめた記録の刊行を許可(朝日新聞)。
2 28? 広島市、西独・ハノーバーで開催予定(7月から約1月)のドイツ復興博に原爆被害写真や復興状況の統計を送ることを決める。
3 2 参院厚生委員、留守家族・遺族等援護状況視察のため来崎。3日、遺家族・留 守家族傷痍者・引揚者団体の代表と懇談。
3 02? 広島市、アルフレッド・パーカーの友人グレン・エヴァレットから8月6日に日本政府がピース・センター促進のための記念切手を発行するよう提唱した書簡を受け取る。
3 6 長崎県、県内1225名の身体傷害手帳所持者を対象に巡回相談を開始。
3 13 原民喜、東京・西荻窪で列車自殺。
3 14 第3回長崎国際文化都市建設協議会、開催。
3 16 長崎市議会、原爆記念施設「平和の像」建設費の寄付金募集(4年計画)を決定。
3 19 米学術研究会議医学部委員で広島ABCC顧問として来広中のデーヴィソン博士、ABCC解散の噂を否定。
3 19 ウィルバート・デーヴィソン米デューク医科大学学長、ABCC顧問として着任。6週間広島に滞在予定。
3 22 広島県民生部長、県下の生活保護者は1万7500世帯4万8-9000人に及ぶと県会で答弁。
3 24? 広島県下の児童福祉施設の収容状況、広島学園115人・六方学園80人・似島学園171人・新生学園70人・五日市収容所79人など、いづれも定員オーバー。
3 27 広島市で、精神養子委員会。米国その他からの養育資金(約39万円)の配分決定。
3 28 西独ハノーバー市で開催予定(5月)の都市計画博覧会に出品される東京・広島・長崎のパノラマ、東京日本橋・三越で展示。
3 29 浜井広島市長、南カリフォルニア日本難民救済会(代表・佐々木雅実)から衣料・食料品の小包15個を受け取る。
3 30 ローレンス・ヴァレンタイン・ボーアの3博士、ABCC顧問として着任。
3 30 第2回広島平和記念都市建設協議会、広島市会議事堂で開催。
4 2 吉川清、赤十字病院を退院。広島原爆傷害者救済援護会を設立。米田美津子宅に身を寄せる(-8月)。原爆ドーム前でみやげ物店を始める。川本福一の協力を得る(「原爆一号」とよばれて」)
4 3 長崎市、平和祈念像建設協賛会設立発起人会開催。
4 5 順宮・清宮、修学旅行の途次、広島入り。供養塔、原爆記念館、御便殿、ABCCなどを視察。
4 7 広島平和擁護委員会世話人会開催.
4 7 長崎民友、ハーシーの「ヒロシマ」に登場する6人のその後を掲載。
4 9 米国カリフォルニア州で果樹園を経営する武田安吉(佐伯郡地御前村出身)、広島県庁を訪れ、被災孤児にと1万円を寄贈。
4 10 図師嘉彦・中村登一(共に新日本建築家集団員)建築事務所で原爆安全施設研究会。武谷三男が「原爆効果について」と題して講演。4月15日に東大で開催された平和懇談会(約200名参加)でこれが問題となる。(「連盟通信」第96号)
4 12 米ハーマン・ミューラー博士、広島市を訪問。13日、広島ABCCで、原爆の遺伝的影響について、広島市民の場合、放射能による遺伝的影響が残っていても小さく見分けにくく、将来子孫に影響が現れることはあり得ないと思う、と否定。
4 16 広島市、平和記念公園内に建設予定の原爆犠牲者慰霊堂に、死没者氏名を記入した過去帳を奉納するため、全国的な広島原爆死没者調査を行うことになり、その調査方法など決定。
4 22 成田不動明王本尊・荒木大僧正、来崎。23日、浦上の原爆中心地で戦没者の供養。
4 23 ハワイホノルル観光団70余名、来崎。
5 1 P.M.S.ブラケット「恐怖・戦争・爆弾―原子力の軍事的・政治的意義」(法政大学出版局)発刊.
5 1 永井隆、死亡。
5 1 京都大学で春季文化祭「わだつみの声にこたえる全学文化祭」を開催。-20日。この中で同学会主催の原爆展が開催される。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
5 1 広島市、原爆死没者調査開始(31日まで)。全国の、広島原爆によって直接、またはその影響を直接の原因として死亡した者を対象とする。
5 3 中国新聞社、物故社員慰霊祭を広島別院で挙行。
5 4 日本教育学会第10回大会、広島大学附属小学校講堂で開催。「再び世界の教育学者に日本の教育学者の呼びかけを送る」主意書を発表。有志114名(参加者の約90%)が署名。
5 5 ベルリンアピールに長田新が署名.
5 5 五日市町戦災児育成所、里親会を開催。
5 6 西本願寺門主大谷光照、来崎。
5 10 広島市中島本町の平和塔の撤去作業開始。
5 10? 長崎地方裁判所長石田寿、京都地裁への栄転が内定。
5 11 マーシャル米国務長官、原子爆撃が日本の致命傷になったと証言。
5 12 衆院厚生委員会遺家族傷痍軍人などの援護に関する小委員会。田辺厚生省援護局長によると、厚生省、戦没者遺家族・傷痍軍人・抑留者遺家族など戦争犠牲者の援護法案(仮案)を作成。
5 14 5月1日死去した長崎市名誉市民故永井隆の長崎市公葬、浦上天主堂で執行。
5 16 長崎市駒場町の原爆殉難者慰安所の慰霊祭ならびに落成式。
5 16 西本願寺大谷嬉子裏方、広島市を訪問。
5 17 日本子供を守る会、結成(アカハタ1952.8.3)。
5 18 広島別院、西本願寺大谷光照門主を迎えて原爆死没者7回忌法要を挙行。
5 19 京都大学で「原爆に関する講演会」(木村毅一・天野重安・大田洋子の講演)
5 20 表千家長崎同門会、世界平和祈願と原爆遭難者の追善慰霊のため家元を迎えて諏訪神社で献茶式。
5 20? 愛媛県東宇和郡宇和町、広島市の原爆死没者調査に関して、該当者に連絡を要望。
5 21? 蓑内宗一(長崎市麹屋町)、原爆当時の被害図を完成。
5 25 長崎医学会、「故永井博士病理臨床対比研究発表会」開催。
6 2 大田洋子を囲んで座談会(われらの詩の会主催).
6 3 広島市で西日本婦人民主クラブ代表者会議をひらく.8・6婦人平和大会を開 くことなどを決議.
6 3 広島市広瀬連合会・広瀬母子愛育会・広瀬青年連盟など、広島別院で広瀬学区原爆死没者7周忌法会を挙行。
6 4 「民族の星」№44に吉田初夫(峠三吉の筆名),「墓標」(詩)を掲載.
6 04? 吉川清、広島の著名士の原爆患者援助署名運動に着手。
6 05? 広島県豊田郡河内町、広島市の原爆死没者調査に関して、該当者に連絡を要望
6 08? 広島市戸籍課、被爆当時の惨状をとどめた血ぞめの戸籍が残っていることを明らかにする。
6 08? 中国新聞、丸岡明(日本ペンクラブ)・谷口吉郎(東京工大)・大田洋子を迎えて開いた座談会「文化人の眼に映じた広島」を開催。
6 9 京都大学の学生、丸木夫妻から総合原爆展への「原爆の図」出展の了解を得て東京から帰任。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
6 10 広島県安佐郡祇園町のカトリック教会、米国民の浄財で建立した聖鐘三重の塔の聖鐘祝別式を挙行。
6 10 京都大学の学生、広島より総合原爆展用の大量の原爆資料を持って京都に帰任(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
6 11 アメリカ人彫刻家イサム・ノグチ、広島市を訪問。
6 12 広島市、原爆死没者調査で全国に配布した調査票60万枚(広島市内25万枚)のうち約6万枚を回収。
6 12 宗教者平和運動協議会、総会で平和宣言を公表。(中国新聞8.2社説)
6 13 同志社大学「平和に生きる会」、原爆展を開催。-18日。3500人が参観。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号収録の「都新聞」)
6 14 広島市精神養子育成資金配分委員会、1695ドルの施設別配分額決定。5月1日現在、精神養子248人。
6 15 東京大学五月祭で展示された原爆資料が京都に到着。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
6 15? 広島市、ノーマン・カズンズからの書簡を受け取る。
6 18 曹洞宗皓台寺、高階瓏仙管長を迎えて長崎市松山町の原子爆弾記念碑前で慰霊祭を執行。
6 24 県立広島商業学校同窓会、農協ビル講堂で原爆7回忌法要。
6 24 アール・レイノルズ(人類学者)、ABCC顧問として来広。
6 25 長崎ユネスコ協力会、日本のユネスコ正式加盟記念大会を出島・西日本会館で開催。
6 26 中西敏人(安佐郡)、アルゼンチンの広島県人からの送金予定の広島復興資金67万8875円を立て替えて広島市に寄付。
6 26 広島県遺族厚生連盟、理事会を県庁で開催。今秋に遺族大会と合同慰霊祭を開催することを決める。
6 26 シュモー博士の代理の3青年、来広。
6 29? 広島市教育委員会、市内小中学校在学中の孤児71人の境遇調査結果まとめる。原爆で父を失った者は、小学校25.8%・中学校32.9%、母を失った者小学校30.6%・中学校34.9%。
6 30 第3回広島・長崎原爆都市青年交歓会、広島市で開催。-7月2日。
6 30? 戦後内外から広島市に寄せられた書簡は1000通、寄付金は約4652万円にのぼっていることが判明。
7 7 国際建築家協会の国際会議、ロンドンで開幕。丹下健三、「平和記念都市復興計画」WWO発表。
7 10 第1回広島県再軍備反対共同闘争委員会開催.「原爆を再び落とすな」などのスローガン決定.
7 11 広島市内日連門下寺院連合、市内の七つの川で7回忌戦災死没者追善川施我鬼法要を執行。
7 11 長崎新聞販売所、原爆で死亡した長崎市新聞販売職員40余名の7周年忌を執行
7 14 京都大学文学部学友会「原爆体験記」発刊.
7 14 京都大学同学会、丸物で総合原爆展を開催。-24日。
7 15 広島第一県女、原爆遭難者7周忌法要を広島市中町・医師会館で執行。
7 20 広島県再軍備反対共闘委など8・6平和大会準備会を開催.
7 22 広島市竹屋学区原爆犠牲者第7回忌追善法要、順教寺で執行。
7 22? 宮川裕行(京都大学文学部学生)、広島で原爆体験の手記募集活動を行う。県庁職組、市庁職組・千田書房などを回る。
7 23 阿部知二、来崎。
7 25 広島平和協会、世界各国の主要都市(200)・国内各市(300)にメッセージを発送。
7 29 広島市観音婦人会、観音学区原爆犠牲者7回忌慰霊祭を東観音町・南正坊で執行。
7 29 広島女高師・山中高女卒業生、原爆7周忌生徒教官追弔慰霊祭を中島戦災供養 塔で執行。
7 31 共産党府中細胞が主体となり府中高校で原爆犠牲者追悼音楽会.
8 1 中国新聞、林芳郎「ヒロシマの調査-その生存者と死没者」を掲載。
8 1 広島県廿日市町蓮教寺、原爆死没者追弔大法要を執行。
8 1 「民族の星」№56に「ふたたび原爆を落とすな」写真6葉を掲載.
8 2 峠三吉「原爆詩集」(ガリ版刷り 500部).
8 2 広島市金座街商業協同組合、金座街原爆死者7周忌法要を堀川町・永照寺で執行。
8 2 平和祈念像建設協賛会、設立総会を長崎市で開催。
8 02? 広島大仏奉賛会、近く本殿の建立を計画。
8 3 広島県の五日市造幣局、原爆死没者7回忌ならびに創業以来物故者追弔法要を執行。広島戦災児育成所の少年僧が法要。
8 3 広島市弥生町事務所、町内の原爆物故者の7回忌法要を執行。
8 3 長崎市原爆保存委員会、浦上天主堂取り壊しに反対を確認。
8 3 広島市警・市公安委員会、平和大会などを禁止する声明書を発表。
8 4 定例広島市議会、平和祭分担金45万円の追加予算案を可決。
8 4 広島市鉄砲町・幟町上組・八丁堀町、原爆死没者慰霊祭を執行。
8 4 佐伯郡観音村遺族会、戦死ならびに原爆死者7回忌法要を善正寺で執行(~6日)
8 4 長崎市南大浦青年団、原爆犠牲者戦没者の供養を大浦劇場で執行。
8 4 広島県木材株式会社、戦災死没社員7周忌法要を広島別院で挙行。
8 5 広島市内国際ビルで平和展示会.-7日。
8 5 広島市比治山女子高等学校、職員・生徒原爆死没者7回忌追悼法要を執行。
8 5 長崎医大グピロが丘遺族会、原爆犠牲者7年忌供養を大音寺で執行。
8 5 福屋、原爆死没者追弔会を堀川町・永照寺で執行。
8 5 北米加州東本願寺別院で広島・長崎原爆遭難7周年法要を執行(1951.9.12長崎民友)。
8 5 中国新聞、原爆文献を紹介した「原爆文学の総決算」を掲載。
8 5 第3回世界青年学生祭、ベルリンで開催。-19日。われらの詩の会「ヒロシマ詩集」、峠三吉「原爆詩集」などが日本から送られる。
8 5 広島県ボーイ・スカウト「ジャンボリー大会」、広島市児童文化会館西側広場で開催。350名が参加。-6日。
8 5 広島市江波町で米婦人ブライアンから贈られた公民館の贈呈式。浜井広島市長 、森戸広島大学学長らが参列(朝日新聞)。
8 6 広島市、中島供養塔前で慰霊祭ならびに記念式典を挙行。
8 6 宗教者平和運動広島協議会(結成準備中),中島本町爆心地で辻説法するも警察に禁止され,広島駅前に移る.ビラ「原爆体験の宗教者として全世界の宗教者に訴う」を配布.
8 6 民主商工会,平和大売出し,駅伝競争,燈篭流しをおこなう.
8 6 中国新聞社、米空軍岩国基地の要請で、朝鮮動乱に50回以上出撃したパイロット20名を慰霊祭に招待。
8 6 広島県神社神道同志会、元護国神社で原爆犠牲戦死病没者慰霊祭式典を執行。
8 6 広島市北榎町旧町内会、町内原爆戦災者の7回忌法要を元横堀説教所で執行。
8 6 広島市本川区供養会・本川青年団、空鞘町納骨堂で原爆死没者7回忌法要を執 行。
8 6 広島平和記念聖堂建設後援会、建設中の聖堂で原爆犠牲者7回忌慰霊祭を執行
8 6 広島市の似島供養塔前で慰霊祭。
8 6 地方職員共済組合広島県支部、元県庁職員原爆死没者(744名)追弔会を広島別院で執行。
8 6 帝国人絹三原工場、旧帝人広島工場及び広島研究所の原爆死没者慰霊祭を執行
8 6 市女原爆遺族会、広島市内木挽町持明院で愛児追憶記念碑開眼法要を挙行。
8 6 丸木・赤松夫妻の「原爆の図」第4部「虹」、第5部「少年少女」が完成し、東京・日本橋丸善画廊で展覧会。-11日。(「連盟通信」第105号)
8 6 中国新聞、座談会「平和祭を語る」を掲載。出席者:浜井信三・大原博夫・森戸辰男・稲葉駿作。全員、遺跡保存は不必要と発言。
8 6 朝日新聞社、東京本社講堂で「原子力と平和」講演会を開催。講師は、杉本朝雄・真島正市・佐々貫之・田中慎次郎。
8 6 長崎平和運動推進会議、平和声明を発表。
8 6 日教組・総評など、広島市児童文化会館で全国労働者第1回平和大会を開催。約1000名が参加。
8 6 原爆記念全国平和会議(荒神小学校)に140団体代表1500名参加。サンフランシスコ会議反対のアピール発表。広島平和会議書記局が中華人民共和国政府に全面講和会議開催などの要請書を送る。
8 7 広島市楠木町・正法寺、原爆7回忌法要を執行。
8 7 長崎市稲田町・日蓮宗妙龍寺住職、岩川町に原爆供養塔を建立。
8 7 長崎本博多郵便局ならびに25特定郵便局、市内各郵便局の原爆殉難者7年忌慰 霊祭を皓台寺で執行。
8 7 日本教職員組合、第20回中央委員会を広島市児童文化会館で開催。-8日。
8 8 成長の家長崎信徒相愛会、松山町原爆中心地で原爆周忌大供養会を執行。
8 8 長崎市稲佐の悟真寺、原爆殉難7回忌法要ならびに戦没・引揚等戦争犠牲者の 合同追弔法会を執行(-10日)。
8 8 長崎市城山小学校で平和少年像(富永良雄作)、除幕。
8 9 長崎市戦災者連盟・市連合青年団・市仏教連合、浦上原爆公園で慰霊祭を執行
8 9 長崎浦上天主堂で追悼ミサ。
8 9 諌早市、安勝寺で無縁仏88柱の供養を執行。
8 9 西重工長崎造船所大橋工場(元精機)、1400名の原爆死没者の慰霊祭を執行。
8 9 長崎市平和祈念像建設協賛会、同像建設基金の募集開始。
8 9 平和推進長崎市民大会、本大工町市民運動場で開催。数千名が参加。
8 10 大村市、原爆無縁仏の慰霊祭を上久原野田の無縁墓地で執行。
8 13 長崎市、留守家族・遺族に民生委員を通じて線香料支給。
8 14 警視庁、部課長会議で、日共の「平和大会」、朝鮮団体の「解放記念日」などの集会を禁止する方針を決定。(朝日新聞8.15)。
8 14 都市計画長崎地方審議会、国際文化都市記念公園の建設を正式に決定。
8 17 高槻市・京都大学同学会、市会会議室で原爆展を開催。-19日。
8 17? 広島市教育委員会、5月に調査した市内小中学生の身体検査の結果を公表。被 爆児童と非被爆児童の間に身長・体重・胸囲とも差がないことが判明。
8 20 「東京平和会議ニュース」第4号、広告「原爆写真展を御利用下さい!!」を掲載。写真内容=原爆の図(16枚)、広島被害写真(5枚)、赤松丸木絵ピカドン(台紙4枚張17枚)の計38枚。
8 21 日本国連協会、サンフランシスコの自由アジア委員会から広島に「自由の鐘の模型を贈るとの連絡を受ける。
8 23 川崎駅前の百貨店で赤松俊子の「原爆三部作展」開催(長崎民友)。
8 23 赤松俊子・丸木位理共同製作「広島原爆図展」、川崎駅前・小美屋で開催。- 30日。(「進む車両」1951年8月20日)
8 25 民主主義科学者協会・新日本建築家集団・新日本医師協会・京都大学同学会、「戦争・平和をめぐる科学技術展」開催準備のため展示物の一部を占める京都大学同学会の「原爆展」を東京都港区の全銀連会館で関係者に公開。-27日。
8 26 長崎県仏教青年会、松山町原爆爆心地で原爆殉難者第7回追悼忌法要を執行。 約1500名が参列。
8 27 原爆傷害者更生会発足。傷害者共同作業場や原爆患者診療所の設置などを計画(「原爆一号」とよばれて」PP79-80)。
8 29 ウォーレン・カリフォルニア州知事、来広。
9 1 長崎日日新聞、「浦上天主堂存廃是か非か-各界代表はこう答う」を掲載。
9 1 横浜市従業員労働組合、神奈川体育館で「第1回市従平和文化祭」を開催。-5日。行事の一つに原爆絵画展(赤松・丸木協作原爆の図第1部-第5部)。
9 4 対日講和会議開催。8日(日本時間9日)サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約調印。
9 9 長崎市岩川町の原爆殉難者供養塔、除幕。27日、彼岸会追悼法要。
9 10? 日本ペンクラブ、原民樹詩碑建設委員会を設置。
9 10? 広島原爆記念会、「被爆のカワラ」の販売を計画。
9 11 西岡長崎県知事、在米長崎県人から長崎市原爆遺族難民救済費としての2万円 を受け取る。
9 11 長崎市内全神社連合会、太平洋戦争殉難者慰霊祭を諏訪神社で執行。
9 13 広島市にシュモー住宅“広島の家”完成、原爆犠牲者未亡人3家庭が、入居者 に決定。
9 13 長崎市城山町の「友愛館」、賀川豊彦を迎えて献館式。同館は、米国キリスト教婦人会から贈られた資金800万円で建立。
9 14? 広島市市長室企画係の調査によると、戦後内外から広島市へ贈られた寄付金(含利息)は、8月末現在で約3651万円に達す。
9 15 長崎醤油味噌工業共同組合、原爆殉難者7年忌慰霊祭を皓台寺で執行。
9 15 国際医師会議の準備会、慶応大学医学部北里記念館で開催。
9 18 長崎市原爆資料保存会、浦上天主堂講堂で天主堂遺壁存置問題を協議。
9 20 峠三吉「原爆詩集」(新日本文学会広島支部・われらの詩の会)発刊.
9 20 永井隆の遺児誠一・茅乃、ヘレン・ケラーから激励の手紙を受け取る。
9 20 如己堂友の会、長崎市博物館で発会式を挙行。
9 22 第38回日本エスペランチスト大会。京都大学エスペランチスト会、名古屋市の区役所廊下で原爆スチールを展示。(「原爆展」掘り起こしニュース)
9 22 広島大学平和問題研究会、付属小学校講堂で発会式を挙行。
9 28? 長崎の浦上文化振興会、原爆瓦の売り出しを計画。
10 1 長崎平和推進国民会議、藤井日達の講演会を長崎市内で開催。
10 2 長田新編「原爆の子―広島の少年少女のうったえ」(岩波書店)発刊.
10 3 広島市、カズンズ代理グリーン女史から1951年後半期の精神養子育成金1500ドル(54万円)を受け取る。
10 6 長崎県社会福祉協議会、創立総会を開催。
10 08? 中国新聞社、人類愛善会長出口伊佐男を迎えて平和問題懇談会「一つの世界をめぐって」を開催。森戸辰男、浜井信三、谷本清などが出席。
10 10 長崎市、米フロイド・シュモー寄贈の住宅(5戸)の入居者募集締切。入居資 格:長崎市で戦災を受け、現在市内に居住し特に住居に困っている人、など。
10 10? 河石九二夫広島医科大学教授、ハワイで開催される汎太平洋外科学会第5回会 議(11月15日~)に出席することが決まる。
10 12 全国戦災都市連盟中・四国地区総会、福山市で開催。
10 13 第24回日本社会学会、広島市で開催。中野清一・井上弥太郎、「少年非行における原爆影響の検出」発表。
10 16 広島平和問題談話会、広島市内で創立懇親会を開催。メリー・マクミラン、渡辺鼎、佐久間澄、浅野明夫などが発起。
10 19 広島県遺族厚生連盟、第1回戦没者合同慰霊祭を広島市児童文化会館前広場で 開催。約1万2000名が参加。
10 27 第6回国民体育大会、広島市で開幕。天皇・皇后参加。
11 1 大阪大学の体育文化祭で「原子力展」を開催。(「原爆の子に応えよう」)    11 02   長崎市立城山小学校子供会、第2回平和記念式を「あの子らの碑」前で開催。
11 6 山下参院厚生委員長、広島市で、戦死者遺族援護対策の中に、広島の原爆当時、軍の強制疎開作業で徴用された犠牲者の遺族も含めたい、と語る。
11 8 岐阜大学農学部で文化祭。-11日。自治会主催の原爆展が開催される。
11 8 デヴィン米シアトル市長、広島市を訪問。
11 9 長崎市山里町の有志、原爆犠牲者の骨拾いをおこなう。
11 9 第2回広島長崎両原爆都市協議会、広島市で開催。広島長崎特別都市建設期成 委員会の設置・原爆両都市戦災者の援護強化促進など決定。
11 14 広島市、強制作業中の原爆犠牲者12万8千人の靖国神社合祀と、遺族を戦争遺家族援護の対象に入れるよう国会請願展開。広島市議会議員ら、参院遺家族等援護小委員会で請願の主旨説明(15日には衆院)。
11 15 長崎市議会、広島長崎特別都市建設期成委員会設置を承認、長崎側委員を決定同期成委員会、原爆による警官・警防団・徴用従事者・学徒報国隊員などの殉難者の国家保障による救済を求める運動など展開。
11 19 広島市の原爆死没動員学徒が靖国神社へ合祀されることが判明。義勇団員については広島市の資料調査待ち。
11 20 北海道・札幌市の丸井デパートで「原爆の図展」を開催。-21日。
11 21 広島市議会文教・厚生両委員会、原爆死没動員学徒・徴用工・義勇隊員の靖国神社合祀と遺家族援護法の適用の陳情について協議。中島ピース・センター内への原爆犠牲学徒の像建設を可決。
11 22 広島市教育委員会、原爆犠牲学徒・教職員数を調査、犠牲者9505人と発表。
11 22 第2回戦没者遺族大会(日本遺族厚生連盟主催)、東京で開催。長崎原爆で母 を失った藤井陽子意見発表。
11 22 静岡大学の文化祭で「原爆展」を開催。-25日。
11 22 藤井陽子(長崎の原爆孤児)、東京で開催された第2回全国遺家族大会で挨拶
11 22? 広島市社会課、戦争犠牲者遺家族援護法案に基づく広島市の軍人軍属戦没者の調査実施中(10月末から12月10日まで)、21日現在約1500人の届出。
11 23 田坂具隆ら、「長崎の歌忘れじ」のロケハンのため来崎。
11 24 札幌市警、北海道大学の原爆展会場に展示されていたパネル3枚(広島・長崎に落ちた原爆についての市民の声)を占領目的阻害行為処罰令被疑として押収
11 24 長崎ユネスコ協力会、第4回県下高校平和弁論大会を開催。
11 24 長崎市議会代表、文化都市建設促進運動から帰任報告。戦没者遺家族援護法の枠内に原爆死没徴用員・学徒報国隊員など含むよう交渉。
11 24? 広島市労政課、失対事業労務者1096名の実態調査の結果(8月末現在)を公表 女651人のうち444人は未亡人。夫を亡くした理由別では戦災101人で大部分は 原爆。
11 26 広島市議会代表、靖国神社に、原爆死没動員学徒・義勇隊員の合祀を陳情。
11 26 イサム・野口、丹下健三ら、広島市内で懇談会「平和都市の建築を語る」を開催。11 27   参院遺族援護小委員会で、厚生次官、戦死者遺族の援護法案の大要を説明。援護対象は、旧軍人・軍属・徴用工・徴用船員および動員学徒。学徒については雇用人補助令に該当するものとして、原爆被害者も加えられる。
11 27 仁都栗広島市議ら、彫刻家朝倉文夫を訪問、原爆犠牲者の像について打ち合せ
11 33 「原爆の図」展、1950年2月から51年11月までの期間に、日本全国51か所で延べ223日間開催され、約65万人が入場。
12 9 中国・四国戦没者遺族大会、鳥取市で開催。
12 9 ABCC研究発表会(広島県医師会主催)、広島市で開催。「広島・長崎における原爆生存者の白血病発現率について」(J・H・ファーリー博士)・「原爆生存者にみるはん痕の現状について」(W・ウェルス博士)など発表。
12 09? 長大医学部影浦尚視教授によると、被爆者の栄養状態・血圧が回復するのに、大体6年間を要す。
12 10 広島市議会文教・厚生合同委員会。「原爆犠牲者遺家族援護促進会」の結成を決定。
12 10 広島市、米国ロスアンゼルス南加日本難民救済会佐々木雅実(広島県人)から贈られた中古衣料など12梱の慰問品を受け取る。
12 13 広島市、原爆犠牲者援護促進会(仮称)を結成。原爆死没者調査・指導にあたる。
12 14 厚生・大蔵両省の原爆犠牲者調査団、来広。県庁で原爆関係死亡者実情調査会開催。徴用工・女子挺身隊員・学徒・国民義勇隊員の原爆死亡者(約3万人と 推定)が、戦争犠牲者遺族援護法案の適用対象となるかどうか、当時の関係者から事情を聴く。
12 15 東京で平和記念都市建設専門委員会を開催。
12 18 長崎国際文化会館の設計図が完成。
12 22 広島県議会、戦争犠牲者援護法案の原爆犠牲者遺族への適用を求める発議可決
12 24? 広島市福祉事務所、身体障害者実態調査実施(1952年1月10日までに届出)。 対象:身体障害者・傷痍軍人・軍属および徴用・学徒動員・女子挺身隊などにより二目症以上の障害を受けた者。
12 25 長崎県、県下一斉に身体傷害者保護対象者の検査を実施。
12 27 ヒロシマピースセンター、原爆孤児約100名を流川教会に招いて慰安会。

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)はしがき

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)
1997年2月
平成6-8年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書(課題番号06610313)
原爆被爆者対策史の基礎的研究
研究代表者 宇吹暁(広島大学原爆放射能医学研究所)

はしがき
被爆50周年を迎え、行政・被爆者・被爆者団体などの間で、被爆50年の歩みをたどり、その意味を考える多くの試みが叢出した。例えば、厚生省は、広島・長崎両市に原爆死没者追悼平和祈念館の建設を進めており、その作業の一環として原爆資料の所在確認作業を行ってきた。広島・長崎両市は、それぞれ行政史(『被爆50周年広島市原爆被爆援護行政史』、『長崎原爆被爆50年史』)をまとめた。また、全国各地の被爆者や被爆者団体は、体験記や団体史・個人史を発行している。国際的にも、アメリカ・スミソニアン協会の被爆資料展示問題をめぐり、日米両国を中心に、さまざまな論議が巻き起こった。
本研究の目的は、広島大学原医研国際放射線情報センターの所蔵する原爆被爆者対策関係資料の整理を行うとともに、行政諸機関や各地の被爆者団体の資料の収集を行い、日本の原爆被爆者対策の歩みを、資料に基づいて跡づけることであった。今回、情報センター所蔵資料の整理とともに、以上の動向の中に現れた様々な歴史資料の所在の確認と整理にも力を注いだ。
原爆手記については、情報センター所蔵のものに、広島・長崎・東京・福岡・山口の各都県にある公共機関・被爆者団体所蔵のものを加え、掲載書誌3542件の目録を作成することができた。
当初、本研究のまとめとして、戦後50年間の歩みを示す基本資料の目録と年表の作成を考えていた。しかし、作業を進めるにつれ、大量の資料が存在し、それらの整理のためには膨大な時間を必要とすることが明かとなったので、時代を追って作業を進めることとした。今回、紹介するは、広島・長崎の被爆から被爆者問題が国民的課題として登場する契機となったビキニ水爆被災事件の発生にいたる(1945年8月から1953年まで)の資料である。
この時期の基本資料の多くは、『広島原爆医療史』、『広島原爆戦災誌』、『長崎原爆戦災誌』、『広島県史・原爆資料編』、『広島新史・資料編』などの形でまとめられている。本書では、原則として、これらに収録されたものは取り上げず、これらを補う形で構成しようとした。本書で、地元広島・長崎の医師会が原爆障害者治療に取り組み契機となった「原爆乙女」の治療などを取り上げていないのは、前述の既刊のもの以上の資料を今回発掘できなかったためである。
本書は、7部建てであるが、各部において、それなりのストーリー性を持たせるよう心掛けた。時期的には、1.原爆開発・投下にいたるまで(Ⅰ)、2.被爆直後(Ⅱ、Ⅲ)、3.占領期(Ⅳ)、4.講和条約発効前後(Ⅴ、Ⅵ)の4つの柱からなっており、これに被爆から1953年までの原爆犠牲者の追悼に関わる資料(Ⅶ)と年表(Ⅷ)を加えている。
Ⅰ(原爆開発・投下問題)に関する資料は、これまでアメリカの歴史研究者によってなされた様々な成果がすでに紹介されている。ここでは、主にその概要を示す資料と邦訳された基本文献を紹介した。これらの資料や文献に基づいて資料を収集することは、今後の課題として残っている。
Ⅱ(原爆被害をめぐる日米の対立)では、70年生物不毛説の基本資料を収録した。この説は、日本の戦争指導層による原爆被害の政治的利用の契機となるとともに、日本の学者による総合的な原爆被害調査の端緒となったものである。日本政府の政治的利用の実態やそれに対するアメリカ側の反応も併せて紹介したが、このような形で体系的に紹介されるのは、今回が始めてと思われる。
Ⅲ(被爆直後の救援と調査)・Ⅳ(占領期の原爆問題)に関する資料は、『広島原爆戦災誌』など前述の文献の中で体系的に紹介されているので、ここでは、これらに収録されていないものを中心に収録した。
Ⅴ(調査・研究・治療の再開)は、現在広島市公文書館で保管されている都築正男旧蔵資料を中心に構成した。これらの多くは、以前に広島大学原医研付属原爆被災学術資料センター(国際放射線情報センターの前身)発行の『資料調査通信』に紹介したことがある。
Ⅵ(講和条約発効前後の原爆問題)では、法政大学大原社会問題研究所など多様な機関・団体がなどが所蔵する社会運動資料によって構成した。今後の発掘作業により、なお多くの資料が期待される分野である。
Ⅶ(原爆犠牲者の追悼)に関する資料は、これまでにも様々な形で紹介されているので、基本的な資料のみを収録した。
Ⅷ(年表1951-1958年)は、中国新聞の情報に長崎のローカル紙(『長崎日日新聞』・『長崎民友』)や全国紙および生資料による情報を加えて作成したものである。
資料の収録に当たって、つぎのような方針をとっている。
1.読みやすくするため、一部、旧字を新字に、漢数字を算用数字に直した。
2.判読不能の部分には、「*」を付した。
3.編者の注は[ ]で示した。
なお、資料の収集に当たり、広島県立文書館・広島市公文書館・宮川裕行氏をはじめ多くの機関・個人の協力を得た。また、資料の整理にあたり、安藤幸子・小林知子・宇吹健の各氏の手をわずらわせた。末尾ながら記して謝意を表したい。[以下略]

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)目次

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)
1997年2月
平成6-8年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書(課題番号06610313)
原爆被爆者対策史の基礎的研究
研究代表者 宇吹暁(広島大学原爆放射能医学研究所)

目次

Ⅰ.原爆開発・投下問題 1- 19
【資料1】原爆投下に関するアーノルド将軍用メモ
【資料2】原爆投下命令書
【資料3】マンハッタン・プロジェクトのプレス・リリーズ(PRESS RELEASE)一覧
【資料4】原子力開発の主要事件
【資料5】マンハッタン・プロジェクトに関する基本資料一覧
【資料6】原子力発展年表
【資料7】米陸軍の公的歴史書『マンハッタン:陸軍と原爆』
【文献】原爆開発・投下問題(邦文)

Ⅱ.原爆被害をめぐる日米の対立 20- 44
1.アメリカにおける70年生物不毛説報道
【資料1】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料2】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料3】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料4】NEW YORK TIMES(ニューヨーク・タイムズ)紙の報道
2.日本の反応
【資料5】広島市爆撃問題に対する反響
【資料6】日本政府の原爆攻撃に対する抗議
【資料7】NEW YORK TIMESに見る日本の原爆報道
【資料8】外国人記者の現地報道
3.外務省による海外の反響の収集
【資料9】ベルン情報
【資料10】ストックホルム情報
【資料11】ベルン情報
【資料12】リスボン情報
【資料13】ストックホルム情報
【資料14】リスボン情報
【資料15】リスボン情報
4.アメリカの反応
【資料16】マンハッタン・プロジェクト調査団ファーレル団長の声明
【資料17】アメリカ軍が入手した日本政府の動向
5.原爆報道に関する規制
【資料18】GHQの言論指令「言論及び新聞の自由」
【資料19】朝日新聞24時間発行停止の指令
【資料20】GHQの言論指令「新聞規則」

Ⅲ.被爆直後の救援と調査 45- 75
1.日本軍の動向
【資料1】中国軍管区の救援・復旧命令
【資料2】広島空襲被害報告
【資料3】第一復員省大屋中佐の原爆被害報告
【資料4】『本土作戦記録・第二総軍』
【資料】米軍捕虜名簿(原爆犠牲者)
[参考資料]米兵捕虜の遺族の手紙
【資料6】『広島市戦災処理の概要』
【資料7】軍の調査報告一覧 1945年
2.政府・県・市の動向
政府
【資料8】政府の新型爆弾対策委員会
広島県
【資料9】竹内喜三郎(豊田地方事務所長)日記
広島市
【資料10】広島市の被害に関する言上書(案)
【資料11】災害後の食糧配給事情
【資料12】学校の罹災状況
【資料13】比治山迷児収容所概要
3.学術調査
【資料14】都築正男の原爆被害調査
【資料15】原爆被害の総合調査を求める声(1)
【資料16】原爆被害の総合調査を求める声(2)
【資料17】『朝日新聞』社説「被害調査も科学的なれ」[抄]
【資料18】広島市の原子爆弾被害状況調査依頼
4.米軍・合同調査団・ABCCの動向
【資料19】マンハッタン調査団
【資料20】原爆被害の長期研究計画に関するオーターソン・メモ
【資料21】戦略爆撃調査団報告書一覧(原爆関係分)
【資料22】被爆者の長期研究に関する大統領指令
【資料23】ABCC調査調査要領
【資料23】厚生省予防衛生研究所のABCCへの協力
【文献】被爆直後の救援・調査

Ⅳ.占領期の原爆問題 76- 127
1.外交文書の中の原爆被害
【資料1】占領軍の新聞発表(PRESS RELEASE)記事目録(原爆関係)
【資料2】中国連絡調整事務局報告の中の原爆被害
2.平和祭・文化祭
【資料3】広島市の平和復興祭
【資料4】広島市の平和祭構想
【資料5】広島市の第1回平和祭
【資料6】ノーモア・ヒロシマズ=谷本清牧師の訴え
【資料7】広島市の第2回平和祭
【資料8】広島市の慰霊式・平和記念式典
【資料9】広島・長崎両市の平和宣言
3.被爆者援護の構想
【資料10】桑原市男「新広島建設要綱[抄]」
【資料11】渡辺滋「広島市の復興計画案[抄]」
【資料12】模範社会事業都市建設に関する請願
【資料13】谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想[抄]
4.原爆孤児救済
【資料14】広島戦災児育成所要覧[抄]
【資料15】相生農場建設計画書[抄]
5.原爆被害(者)の調査
【資料16】労働省婦人少年局長崎出張所の被害者調査
【資料17】広島市の原爆関係資料提供依頼
【資料18】広島市の原爆関係資料提供依頼
【資料19】長崎市原爆資料保存委員会の活動
6.平和擁護運動の中の原爆被害
【資料20】平和擁護東京大会での大田洋子の発言[抄]
【資料21】『アカハタ』(日本共産党機関紙)の中の原爆被害(者)
【資料22】『平和の斗士』(アカハタ中国総局)の中の原爆被害(者)
【資料23】『民族の星』の中の原爆被害
7.原爆手記の出版
【資料24】小倉豊文『絶後の記録』
【資料25】永井隆『長崎の鐘』
【資料26】永井隆ブーム
【資料27】日本基督教青年会同盟『天よりの大いなる声』[抄]
【資料28】衣川舜子『ひろしま』
【資料29】マッカーサー元帥への衣川舜子の手紙
【資料30】吉川清『平和のともしび-原爆第一号患者の手記』
【資料31】広島市民生局社会教育課編『原爆体験記』
8.原爆被害に基づくさまざまな動向
【資料32】徳川義親の原爆被害観[抄]
【資料33】アメリカ人記者の質問への東久迩宮首相返書[抄]
【資料34】東久迩宮首相返書へのアメリカの反応[抄]
【資料35】広島市の戦災復興とGHQ
【資料36】長田新らの文化都市建設構想
【資料37】天皇「ヒロシマ巡幸」
【資料38】羅府新報(米ロスアンゼルスの邦字新聞)記事目録(原爆被害関係)
【資料39】婦人民主クラブ『婦人民主新聞』記事(原爆被害関係)

Ⅴ.調査・研究・治療の再開 128-146
1.都築正男資料にみる文部省原子爆弾災害調査研究班の発足
【資料1】科学研究費交付金総合研究計画調書草稿
【資料2】原子爆弾災害調査研究班班員名簿
【資料3】都築正男「原子爆弾災害調査研究班に就て」
【資料4】広島医科大学の原爆調査研究課題
【資料5】長崎医科大学の原爆調査研究課題
【資料6】研究連絡打合会に関するメモ
【資料7】研究連絡打合会についての都築正男の総括
【資料8】『昭和28年度文部省総合研究報告集録(医学及び薬学編)』[抜粋]
【資料9】都築正男略歴
2.原爆障害者治療対策協議会
【資料10】広島市原爆障害者治療対策協議会『原爆障害者治療対策の概要』[抄]
【資料11】長崎原爆傷害者治療対策協議会結成準備打合会
3.厚生省原爆症調査研究協議会
【資料12】原爆症調査研究協議会の設置
【資料13】原子爆弾後障害症治療指針

Ⅵ.講和条約発効前後の原爆問題  147-177
1.戦傷病者戦没者遺族等援護法
【資料1】広島市原爆犠牲者遺族援護に関する陳情書
【資料2】広島市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願
【資料3】広島、長崎両市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願
【資料4】原爆犠牲者年金等要求について原爆死没者援護に関する陳情経過
【資料5】戦傷病者戦没者遺族等援護法案をめぐる国会論議[抄]
【資料6】広島市の戦没者遺家族援護
【資料7】長崎市の遺族援護状況
【資料8】旧軍人の府県別原爆死亡者数
2.原爆裁判の提訴
【資料9】日本国との平和条約[抄]
岡本尚一弁護士の提起
【資料10】『原爆民訴或問』[抄]
【資料11】岡本尚一「米国に原爆の損害賠償を求む」[抄]
原爆裁判提起への反響
【資料12】原爆民訴提唱及びその反響
【資料13】アメリカの反応
【資料14】ニューヨク・タイムズの報道
【資料15】日本の反応
3.原爆被害者の会
【資料16】原爆第1号吉川清の試み
【資料17】原爆被害者の会設立の経緯
【資料18】原爆被害者の会会則
【資料19】中野懇談会の被爆者招請
【資料20】原爆裁判への対応
4.国民各層と原爆被害
【資料21】京都大学文学部学友会『原爆体験記』
【資料22】宮川裕行の日記[抄]
【資料23】原爆展への干渉・介入
【資料24】広島・長崎両原爆都市建設特別委員会の論議
【資料25】「原爆の詩」収集に関する依頼
【資料26】映画「原爆の子」製作への協力依頼
【資料27】映画「原爆の子」への原爆友の会の批判
【資料28】第4回広島・長崎青年交歓会
【資料29】子供を守る会の原爆孤児調査
【資料30】全面講和愛国運動協議会機関紙の中の原爆被害(者)

Ⅶ.原爆犠牲者の追悼  178-186
1.原爆犠牲者への追悼文
【資料1】広島県農業会長弔辞
【資料2】修道中学校生徒代表弔辞
【資料3】永井隆原子爆弾死者合同葬弔辞
【資料4】永井隆浦上合同慰霊祭祭詞
【資料5】広島市立原爆遺族会代表弔辞
2.原爆犠牲者追悼碑の碑文
【資料6】広島市立第一高等女学校慰霊碑
【資料7】中国配電株式会社弔魂塔
【資料8】広島女子高等師範学校・附属山中高女・県立第一高女殉国学徒慰霊碑
【資料9】原爆供養塔
【資料10】広島平和都市記念碑碑文
[参考資料]<英文>
[参考資料]パール博士の碑文批判[抄]
[参考資料]雑賀忠義(碑文作成者)の考え[抄]
【資料11】広島市の原爆死没者調査趣意書
3.広島・長崎両市の平和宣言
【資料12】1951年・広島
【資料13】1951年・長崎
【資料14】1952・長崎
【資料15】1952年・長崎
【資料16】1953年・広島
【資料17】1953年・長崎

Ⅷ.年表 1951-1958年  187-221

原子放射能基礎医学研究施設設立について

原子放射能基礎医学研究施設設立について
『広島大学原子放射能基礎医学研究施設年報 第1号 昭和35年』
原子放射能基礎医学研究施設設立について
広大医学部長 渡辺 漸
広島大学医学部原子放射能基礎医学研究施設が正式に成立したのは昭和33年4月1日であり,その実際的の発足は同年秋となったが,その成立に至るまでの経過の概略に就て述べたい.
我々の医学部の前身であった県立広島医科大学では放射線医学の重要性を河石学長が強調されアイソトープ委員会もすでに昭和28年には構成され、アイソトープ研究室も広の附属病院構内に同じ頃に新築されたのであって,我が原基研の前身はすでにこの頃出来たと言ってもよかろう.しかし具体的に放射能医学生物学研究所の構想が出来たのは昭和29年の春,我々の医学部が国立に移管した翌年の事であった.この年の3月にビキニ水爆実験に伴う福龍丸の放射l能灰の被曝があって放射能の人体に及ぼす影響に就てにわかに世人の関心が高くなって来た時期である.
昭和30年度の概算要求に広大放射能生物学研究所の設立案を提出しようではないかとの考えが医学部内で強〈なり,それは理学部の協力が必要であるとの理由で、昭和29年6月3日の午後3時30分から阿賀の医学部会議室で当時の藤原理学部長,川村智治郎教授,品川睦明教授の3名を招き,当方からは河石学部長,浦城教授,沖野事務長と私の4名が出席して会合を開いたのがそもそもの初めてある.その時には研究所の設立だけでなく,広大放射能研究委員会の創設の案も席上の話題となった.この時に出来上って30年度の概算要求として提出された案は総経費479,000,000円(初年度151,000,000円)3ケ年完成の計画であって,基礎的研究,生物学的研究及び医学的研究の3部が更に13の部門に分れており,その各々に教授1,助教授1,助手3,その他66名、合計131名の職員があると言うので,当分は現在の霞町の医学部の建物の中に一棟を当てるが、将来は大学隣接地に鉄筋4層1900坪の建物を約2億円で新営するとの規模宏大な案であったが、文部省の省議も通過し得なかった.
その翌年即ち昭和30年には昭和31年度の新規概算要求として広大放射線基礎医学研究所としての案を提出したがこれは前年度に比べて可成規模が大きくなり,総予算733,700,000円(初年度148,000,000円)であって,物理,化学,生物,遺伝,診断,治療,障害の7研究部があり,これが更に17室に分れておるので,多くの研究部は2~3の研究室から構成されている.職員mp前年度要求よりは増えて165名となっているが,助教授を各研究室に置いたので17名とし,雇員、傭人の数を増しているのがその主なものである.建物は初めから新営として2590坪の鉄筋となっておるが,初年度の人員の要求を前年の73人に比して25人と縮少したのが目立つ点であった。然しこの案も結局は日の目を,見ずに終わった.
当時文部省はそれ自体として放射能生物学医学研究所を設立したい希望があり,その構想は大体我々が立案したものに近かいようであるとの情報があったが.厚生省もまた類似の構想を持ち他の省にも似たような希望があつたのだが各省で各々こうした同じような研究所を持つ事はよくないと言うので結局は科学技術庁直属の現在の放医研の誕生を見るに至ったと言う風に伝えられている.現在の放医研の物理,化学,生物,生理病理,障害基礎,環境衛生,臨床の7研究部23研究室の機構が我々の当初の案に甚だ似ておる点を見ても我々の構想が決して単なる空想でなかった事はよく分ると思う.こうした経緯で放射線の生物学医学研究所は恐らくは放医研だけに絞ぽられて行くであろうと言う見通しが強くなったので,当初の研究所と言う構想を我々は捨てて昭和32年度の概算要求には医学部原子放射能基礎医学研究施設として,予算61,700,000円、教授5,助教授5,助手12,その他10,合計32人で,生理学,病理学,生化学,薬理学及び細菌学の5部門に分れ,霞町の現在の校舎の一棟260坪を補修して使用する計画を樹てたが,完成は3年である点は以前と変りない.この案 は可成り本省でも注目されたが結局は翌年に持ち越さざるを得なかった.
斯くして昭和33年度の新規概算要求として総経費51,700,000円,2部門計17名の職員から成る計画が出来て,それが昭和33年度に1部門だけ認められ,更に昭和34年度に更に他の1部門が承認されて,一応計画の完成となったのである.この間大学院設置の要求などがあり,本研究施設の要求を第一義的に考えて行く事が出来ず,絶えず大きな困難に直面していたのであったが,本省側のたえざる好意と森戸学長以下大学当局の絶大の援助と,また他学部からの熱烈な支持があったからこそ今日の成果を収め得たのであり,また顧みて,歴代学部長以下我が医学部の関係職員の多年に亘る労苦を忘れることは出来ないのである.この機会に河石,西丸,鈴木の元学部長,及び田淵昭教授及び小山豪教授の名を特に挙げてその多年の尽力に対して感謝の意を表したい.
しかし我々多年の要望は本研究施設の成立によって充たされたわけではないので,一昨年春以来,理学部,工学部及び水畜産学部の関係の方々とも数回に亘り会合して意見の交換を行った結果,広島大学に原子核放射能研究所の実現を計ると言う点で一致した結論に到達した.それが為にはすでに発足した本施設を育成しつつこれを発展拡張せしめ次第に所期の目的に到達するのが適当であるとの意見が多かった.従って我々は今後たゆまざる努力と熱情とを以って一歩一歩所期の目的に近づいて行きたいのであって,かくてこそ本研究施設の成立の意義も充分にあるものと考えられる.