「05 原爆被災資料」カテゴリーアーカイブ

案内状にみるヒロシマの動向

案内状(宇吹宛)にみるヒロシマの動向 <注:「発行年月日」は、消印による>

発年月日 事項 形態
19710819 <原災研例会お知らせ>ゲスト:小堺吉光(広島市戦災誌編集長、平和資料館主査)。議題:第3集編集進行報告ほか。日時:8月27日、場所:平和記念館。 原爆被災資料広島研究会 葉書
19710910 <原災研例会お知らせ>ゲスト:佐々木英男(広島市平和文化センター局長)「平和文化センターの新構想について」。議題:今後の原災研の方針について。日時:9月17日。場所:平和記念館。 原爆被災資料広島研究会 葉書
19711021 <原災研例会お知らせ>ゲスト:河村虎太郎(河村胃腸科内科病院長)「韓国へ原爆被爆者を往診して」。議題:原災研の会員増募について。日時:10月29日。場所:広島大学会館。 原爆被災資料広島研究会 葉書
19711120 <原災研例会お知らせ>ゲスト:渡辺孟「原医研データ・バンクについて」。議題:東京・広島・長崎に原爆被災資料センター設置など、政府に対する学術会議の韓国決議について。日時:11月26日。場所:広島大学原爆放射能医学研究所。 原爆被災資料広島研究会 葉書
19711213 <原災研例会お知らせ>ゲスト:佐々木雄一郎「原爆写真あれこれ」。議題:広大原医研・被爆者調査の充実について、市民の協力態勢を展開する可能性にかんして。日時:12月17日。場所:中国新聞ビル。 原爆被災資料広島研究会 葉書
19720121 <原災研例会お知らせ>ゲスト:熊田重邦(広島県史編纂室長)宇吹暁(同室員)「広島県史原爆資料編の編纂をめぐって」。議題:「原爆被災資料センター」の実現の可能性について。日時:1月28日。場所:中国新聞ビル。 原爆被災資料広島研究会 葉書
19720518 <原災研例会お知らせ>ゲスト:空辰男(宇品中学校)、脇田充子(袋町澄学校)「原爆を教室でどう教えるか」。議題:第3集発行について。日時:5月26日。場所:中国新聞社ビル。 原爆被災資料広島研究会 葉書
197212 <原爆被災資料総目録第3集出版記念合評会ごあんない>日時:12月16日。場所:中国新聞社ビル。 原爆被災資料広島研究会 葉書
1973 <原災研例会ごあんない>議題:①総目録第4集(社会科学の部)の企画について②第2集の配布状況について③会報発行について 葉書
19760812 「芸備地方史研究辞典」(仮題)原稿執筆催促 芸備地方史研究会(広島県立図書館郷土資料室内) 葉書
19761031 石田明『被爆教師』出版記念会(11月13日、会場:広島国際ホテル) 呼びかけ人(今堀誠二・大西典茂・坂田修一・佐藤正夫・庄野直美・宅和純・山田浩) 葉書
1977 広島憩いの家(事務局長:田辺耕一郎)(主催)日本ペンクラブ・広島市(後援)「文芸家・画家・名士色紙書画展」(7月21~27日)会場:天満屋7階画廊 広島天満屋美術部 葉書
19771026 広島県社会運動史研究会創立総会・講演会(11月8日、会場:労働会館3階会議室)<講演:鈴木裕子「戦後女性の労働運動史」、山木茂「中国視察報告」> 山木茂(広島県社会運動史研究協議会) 葉書
1978 広島県社会運動史研究会第5回例会「水原史雄(中国新聞文化部)報告「安芸門徒の歴史と風土」」(10月27日、広島市立中央図書館会議室) 広島県社会運動史研究会(山木方) 葉書
19790309 旧天神町有縁者親睦会(4月1日、場所:浄円寺) 世話人 葉書
197906 『白いチョゴリの被爆者』出版記念会(7月14日、会場:広島国際ホテル) 広島県朝鮮人被爆体験記協力委員会 葉書
19790717 『ヒロシマを語る十冊の本』(ヒロシマを知らせる委員会編)発行案内 労働教育センター 葉書
19790718 広島県社会運動史研究会第5回例会。報告:丸屋博(広島共立病院長)書評『白いチョゴリの被爆者(労働旬報社)』(7月25日、場所:広島平和文化センター会議室) 広島県社会運動史研究会(山木方) 葉書
19790918 アリス・ハーズ夫人平和賞受賞記念会(9月26日、会場:教育会館) 広島県原爆被害者問題研究会 葉書
19800124 広島県社会運動史研究会第12回例会。報告:宇吹暁(広大原医研)「広島と平和」(1月30日、場所:広島平和文化センター会議室) 広島県社会運動史研究会(山木方) 葉書
19800221 広島県社会運動史研究会第13回例会。報告:藤原浩修(県史編さん室)「広島県労働文化協会について」(2月27日、場所:広島平和文化センター会議室) 広島県社会運動史研究会(山木方) 葉書
19800715 広島県社会運動史研究会第17回例会。報告:藤原浩修(県史編さん室)「戦後広島県内の青年運動」(7月23日、場所:広島平和文化センター) 広島県社会運動史研究会(山木方) 葉書
 810703  平和と学問を守る大学人の会・原爆問題広島総合研究会(主催)シンポジウム「非核三原則をめぐって」<話題提起:大西典茂、桜井醇児、永井秀明>(7月11日、会場:広島市平和記念館)  原爆問題広島総合研究会 葉書
 20030806  第10回中島地区ゆかりの人交流会(8月6日、場所:レストハウス3階)
 20120624  「広島ジャーナリスト」2周年「談論風発の夕べ」(7月13日、JCJ広島支部事務所)  日本ジャーナリスト会議広島支部 葉書
 201308 「 『被爆者山岡ミチコさん 被爆証言ありがとう』―4年間の記録」写真展への観覧お礼  関邦久(JRP広島支部) 葉書

原爆遺跡の保存を求める決議(1990年3月27日)

広島市議会「原爆遺跡の保存を求める決議」
1990年3月27日
世界最初の原子爆弾投下による広島市の惨禍は、人類の未来に対して大きな警鐘を打ち鳴らすものであり、この惨禍を二度と繰り返させてはならない。
そのために、原子爆弾の被災による実相を世界の多くの人びとに伝えることは、広島の責務であると考える。
しかしながら、近年、原子爆弾の被災を受けた建物が、老朽化等の名のもとに次々と取り壊されている。
今後、被爆の実相を広く伝えるためにも、これらの被爆建物に対する対応の仕方については、慎重かつ十分な調査研究の上にたって、その歴史的財産を後世の広島市民に伝承すべきである。
以上、決議する。
1990年3月27日
広島市議会

原爆被爆者対策前史年表(1953)

原爆被爆者対策前史年表(1953)

出典:『原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)』

1953年

1 2 秩父農業高校、原爆展を開催(アカハタ)。
1 3 長崎日々新聞、社説「原爆被災者救援運動を促進せよ」を掲載。
1 4 広島県庄原町の青年連盟と婦人会の代表7人、餅5箱を広島へ持参、原爆被害者の会の吉川清や市内の戦災孤児収容所に配布。
1 5 福山市西学区婦人会、餅3000個を慰問文とともに似島学園に贈る(朝日新聞)。
1 6 柳原義達(彫刻家)、浜井広島市長を訪問、第16回新制作展出品のラ・パンセ像の原型の寄贈を申し入れる。
1 8 長崎市社会課、原爆後遺症患者甲級23名に、10日の選考診断の通知書を発送
1 10 長崎市のゆかり婦人会、原爆娘の上京資金として5000円を長崎市社会課に寄託。        上京資金第1号(長崎日々)。
1 10 長崎大学医学部附属病院で原爆娘21名の東大清水外科治療選考診断を実施
1 10? 広島市広報係の集計によると、1952年中に内外から広島市への寄付金、約500 万円。1948年9月以来の総計は4300万円。
1 12 長崎市婦人会、評議員会を出島町CIE図書館で開催。80名が参加。原爆娘の上京旅費、一般原爆傷害者の治療費募金方法の具体策について打ち合せ
1 12 広島大学東雲分校子どもを守る会、発足。会長:片山英治、会員25名。
1 13 広島市原爆障害者治療対策協議会(以下「広島市原対協」)発足。広島県医師会・市医師会・広島医大・市内官公立病院関係者出席。会長:広島市長。原爆障害者の治療対策を審議しその推進を図る。事務局広島市社会課内。
1 13? 初の日本国内の精神養子縁組、2組結ばれる。(朝日新聞)
1 14 田川長崎市長・調長崎大教授、東大清水外科で施療の原爆娘5名のうち3名を決定。山口ミサ子・橋アサ子・永富イク子(長崎日々)。
1 15 広島戦災児育成所(佐伯郡五日市町)、広島市に移管。
1 15 長崎市婦人会、浜町の繁華街で「原爆被災者救援資金」の募金活動を実施。
1 15 長崎市教委ほか21団体、赤松俊子・丸木位里「原爆の図展」を長崎市労働会館で開催(~18日)。15日、3000名が入場。18日までに1万名を突破。会期を19日まで延期(長崎日々)。
1 16 広島市東部復興事務所、幟町中学校校庭(元泉邸)の整地作業中、5体の遺骨 を発掘。
1 16 大阪の弁護士岡本尚一、原爆損害賠償の提訴を提唱。
1 17 浜井広島市長、イタリアの学者から原爆資料を送って欲しいとの手紙を受け取る(朝日新聞)。
1 17 朝日新聞厚生文化事業団、古月創作舞踊団の「ノーモアヒロシマズ」を日比谷公会堂で公演。(朝日新聞)
1 17? 広島大学福山分校附属高校、同校前身の旧広島市山中高女の学徒報国隊員で原爆で死亡した390余人のうち55人について弔慰金交付のため遺族を捜索中。
1 18 広島市原対協による初の原爆障害者診察実施。1952年7月の外科検診を受けた864人の中から138人に通知、うち75人が広島医大外科医師団の診察を受ける。
1 20 長崎の原爆乙女(3人)、東大清水外科に入院治療のため長崎を出発。
1 20 長崎の原爆娘3名、東大清水外科で治療のための上京途中、広島駅で広島原爆乙女の激励を受ける。(長崎日々)
1 21 広島市社会課援護係、原爆関係弔慰金請求の受付数(1952年12月16日~)発表。地域国民義勇隊員619人・職域国民義勇隊員202人・勤労学徒1274人・女子挺身隊員6人 計2101人。受付は2月9日まで。
1 21 長崎市の原爆被災者救援募金額、4万1080円となる(長崎日々)
1 21 藤井日達日本山妙法寺管主、仏舎利塔建立に関して来広。
1 21 ABCC定例研究会でコーネル博士、「広島市民の寄生虫症」について報告。
1 22 松坂義正広島県医師会長(原爆障害者治療対策協議会副会長)、山下参義とともに厚生省の山口衛生局長、曽田医務局長に原爆障害者治療について陳情。
1 22? 厚生省、4月から原爆患者の実態調査に着手する計画。国立予防防衛生研究所の被        爆者実態調査費用として予算(100万円)を計上したことが判明。(東京新聞)
1 23 任都栗広島市議、原爆犠牲者援護強化の陳情のため上京(朝日新聞)。
1 23? 崇徳学園、同校学校報国隊員で、原爆で死亡した520余人のうち41人について 弔慰金交付のため遺族を捜索中。
1 24 広島県双三郡地方事務所、各町村厚生主任を集め、原爆犠牲者の弔慰金請求など協議。
1 25 第2回全国教育研究大会(高知市)で呉市立和庄小学校の教諭が「軍事基地の教育白書」を発表.
1 25 長崎県西彼杵郡の少年、急性リンパ腺白血病で死亡。
1 25 原爆被害者の会、第4回幹事会を開催。会員を地域毎に支部に編成することを 決定。(「半年の足跡」)
1 26 広島市会厚生委員会、同市と協力して、原爆障害者の治療費補助を国に要求することを決定。
1 26 長崎日々新聞、社説「原爆被災者を救う道」を掲載。
1 26 長崎原爆資料保存会、①原爆中心地にある原爆資料館の充実をはかる②山王神社の片足鳥居を永久記念物と指定、永久保存をすることなどを決定(長崎日々)
1 27 永田広島市議会議長、原爆犠牲者弔慰金支給の事務費獲得などの陳情のため上京(朝日新聞)。
1 27 上京治療中の長崎原爆娘永富郁子のクラスメート(鶴鳴学園高校2年梅組)、「郁子友の会」を結成(長崎日々)。
1 28 片山英治広島大学教育学部東雲分校子どもを守る会代表、中国新聞(夕刊)紙上で、日本人の手による「精神養子」運動を呼びかける。
1 29 長崎の「鶴鳴学園友の会」、原爆被災者救援義金の街頭募金を実施(3日間)。(長崎日々)
1 30 広島県庄原町の婦人会の一行11人、餅800個や贈物を原爆被害者の会代表の吉 川清宅に届ける。
1 30 広島大学東雲分校子どもを守る会、長田新・田辺耕一郎らを招いて広島子供を守る会結成準備会を開催(朝日新聞)。
1 31? 青山学院大学助教授松浦田鶴子、被爆時の心理分析について研究発表。
2 2 広島市原対協実行専門委員会、1月18日の原爆障害者診察の受診者75人のうち 、治療可能と思われる58人を選出。15日、うち24人について治療希望等再診査。
2 02? 丸木・赤松の「原爆の図」、世界平和評議会の国際平和賞金牌賞を受賞(アカハタ)
2 3 広島・長崎原爆都市建設議員連盟(広島長崎関係国会議員からなる)懇談会。
2 4 長崎弁護士会、広島弁護士会からよびかけのあった原爆損害賠償問題について初の協議会を開催。
2 04? 広島逓信病院三木・土井両医師によると、ケロイド体質の原爆患者の皮片移植手術はかえって傷痕を大きくする。(産業経済新聞)
2 04? 中部復員連絡局広島支部の調べによると、旧第5師団司令部・歩兵・輜重兵・ 野砲兵各連隊で被爆死した1万2千人のうち身元不明の178柱および広島陸軍病院で死亡した1200柱の遺骨を同支部に安置。
2 04? 広大理学部萩原研究室、広島市とその周辺の残存放射能を調査、放射能は残存しておりガンマー線とベーター線を放射していることが判明。
2 7 長崎原爆娘の歌「平和の陰」完成。島内八郎作詞・木野普見雄作曲。長崎原爆資料保存委員会が委嘱。(長崎日々)
2 07? 広島市社会課、潜在孤児(一般家庭にいる孤児)実態調査を市内全民生委員を通じておこなうことを計画。
2 07? 長崎市、新たに原爆傷害者治療対策協議会を設けるか、原爆資料保存委員会を強化し、専門部として傷害者を重点的に取り扱うかを検討。(長崎日々)
2 07? 広島大学東雲分校の「東雲子どもを守る会」、日本人の精神養父母の呼びかけに対して全国から9組の申し出を受ける。
2 8 任都栗一興広島原爆遺家族援護会長、原爆犠牲者弔慰金年金化・厚生施設関係陳情より帰任報告。遺族年金の義勇軍への適用が可能であると判明。
2 08? ABCCテーラー所長、広島の残存放射能に関する中国新聞社の質問に対し、人体に影響はないと回答。
2 9 広島市社会課援護係、原爆関係弔慰金請求の受付(学区毎出張受付)を完了。受付総数3170人(地域国民義勇隊1012人・職域国民義勇隊319人・勤労学徒1833人・女子挺身隊6人)。以後同係で直接受付。
2 9 広島市原対協、広島ABCCに原爆症治療のための米治療班の招請を正式依頼14日、ABCCテーラー所長、治療班派遣実現に努力したいと広島市長に回答。
2 10 長崎県弁護士会、全員協議会で広島弁護士会と全面的に協力して、日本弁護士連合会に原爆損害賠償の研究善処方を要望することを決議。(長崎日々)
2 11 広島弁護士会,原爆投下は違法と特に国際法曹界に訴えることを決定.
2 11 広島市、原爆症治療費獲得のため、全国社会福祉協議会に、年末助け合い運動の益金の寄付を要請することを計画。
2 11 広島弁護士会、原爆損害賠償請求の民事訴訟について協議、特別調査委員会を設け、訴訟の可否など研究に着手することを決定。16日第1回委員会。
2 11? 広島市己斐・善法寺に名前が判明している数百体の無縁仏があることが判明。
2 12 佐古美智子(原爆乙女)作詞の「ほほえみよかへれ」発表会、広島・長崎・東京で開催。長崎では市婦人会が主催。
2 12 長崎市婦人会、YMCA会館講堂に市内の原爆乙女80名(15-30才までの未婚者)を招き、原爆の歌「平和の陰」の発表会を開催。(長崎日々)
2 13 広島の原爆乙女(4人)、上阪。阪大病院に入院治療(ケロイド等外科的治療) 18日大阪で治療を受ける原爆乙女たちの世話をするため広島ピースセンタ ー大阪協力会結成。
2 13 浜井広島市長、広島青年会議所の2月例会に出席。「(原爆ドームは)あのま ま放置し、将来再検討したい」、「中島公園に建造しつつある資料館に一切を集め、市内の市民の目にふれるところからは原爆の影を取り去りたい」と語る。
2 14 第5回広島医学会総会開催(15日まで)。杉本茂憲医師、原爆による外傷眼の 治療方法について発表。
2 14 真杉静枝(作家)、広島市役所を訪問、ヒロシマ・ピースセンター東京協力会として広島市原対協に協力したいと申し入れる(朝日新聞)。
2 15 広島県山内東村婦人会の一行32人と比婆郡婦人会連合会長、餅2,055個、現金1,600円など慰問品を広島に持参し、光の園・新生学園・吉川清(原爆被害者の会)を慰問。
2 15 広島市原爆障害者治療対策委員会、市役所で24名の第3次審査を実施。
2 16 長崎・広島原爆都市建設期成委員会、長崎市議会議長室に長崎側委員9名が参加して開催。原爆遺族援護、同傷害者救済対策、特別都市法の一部改正など3
項目を協議。(長崎日々)
2 16 広島市弁護士会の原爆損害賠償請求権に関する特別調査委員会、初会合。
2 18 長崎原爆傷害者治療対策協議会結成準備打ち合せ会。(長崎日々)
2 18 広島ピースセンター大阪協力会、大阪市産経会館で結成。
2 20 原爆被害者の会、事務所を吉川清宅から皆実町1丁目1930(4坪)に移転。上松時恵を専任事務局員に任命。
2 21 平和と学問を守る大学人の会、発会式を挙行。20数名参加。
2 22 「広島子供を守る会」広島市で結成。原爆の子を日本人の精神養子にする運動などに取り組み。
2 22? 長崎大学影浦内科の調査によると、長崎市内の原爆白血病死亡者数1951年3人 ・1952年3人。(社会タイムス)
2 22? 長崎大学医学部産婦人科教室、1947,49,51年の3回にわたる長崎・諌早両市の 女生徒約7000名を対象とした初潮調査の結果を発表。原爆は、初潮に影響しないことが判明。(長崎日々)
2 26 長崎城山小学校、原爆学級開設(1952年4月)から1年間の研究発表会を開催。関係者約50名が参加。被爆児(183人)は知能が劣る、疲労回復が遅い、普通児より胸囲が小さい、などの結果が報告される(長崎日々)
2 27 長崎市城山小学校教諭道口マチ子、冊子「原爆児の記録」をまとめる
2 27 原爆被害者の会、手記執筆者の懇談会を開催。(「半年の足跡」)
2 28 京都市で広島原爆孤児救済募金獲得のための第2回新国劇“沢田祭”開催。広 島市厚生局長出席し、原爆孤児の現況と原爆障害者治療対策を訴える。
3 1 長崎県傷痍軍人会、創立総会を諌早市公会堂で開催。(長崎日々)
3 01? 佐伯郡五日市町、ハワイ在住の同町出身者からの寄付90万円と町碑40万円で戦没者・原爆死者らの慰霊塔を建立することとし、光禅寺で起工式を挙行。5月 完工。
3 3 長崎市議4人、厚生省・建設省などへの陳情から帰任。厚生省が、1500万円くらいは大蔵省の了解さえあれば予算化できるとの見通しを語る。(長崎日々)
3 3 長崎市内私立鶴鳴高校の生徒、市役所に全原爆傷害者の援護費として街頭募金4735円を寄付。(長崎日々)
3 05? 長崎大学医学部小児科教室、城山小学校の原爆児の知能調査に関連し、4月から医学的調査を2年計画で実施することを決定。(長崎日々)
3 6 広島市原対協、広島市内の各外科病院で、原爆障害者の入院治療を開始。
3 6 広島ABCC年次大会(7日まで)。被爆児の発育調査・放射能の遺伝的影響 などに関する研究発表。
3 6 原爆被害者の会事務局、住居立退き問題の第1回打ち合せ会を広島市内・河畔荘で開催。
3 6 第4回広島長崎両原爆都青年交歓会、長崎市で開催(~8日)。沖縄代表団6名、オブザーバーとして参加。原爆傷害者の救済などについて協議。8月6日~9日に“原爆の羽”募金運動を行うことを決定。
3 9 原爆被害者の会、岡本尚一弁護士と広島弁護士会長の訪問を受ける。温品幹事と川手事務局長が応対。(「半年の足跡」)
3 10 峠三吉(原爆被害者の会幹事)、広島県西条国立療養所で死亡。36才。
3 11 長崎市原爆資料保存委員会、広島原爆記念館長長岡省吾を迎えて臨時総会を開催。長岡を顧問に決定。(長崎日々)
3 12 深安郡加茂村の婦人会有志24名、流川の広島ピース・センターで原爆乙女の会会員を見舞う。
3 13 笹井広島県世話課長、全国世話課長会議より帰任報告。原爆死没者の弔慰金に ついては、安佐・安芸・佐伯3郡の町村義勇隊・動員学徒の遺族に支給される 見込み。
3 13? 広島県、広島市へ遺骨1452柱の移管を申し入れ。内訳:旧陸軍病院で発掘した1410柱・野戦から帰還の42柱。
3 14 県労・広島地区労共催で平和擁護労働者総決起大会.1300人参加(児童文化会 館)長田新の講演「軍事学からみた第3次世界大戦の危機」.
3 15 峠三吉の告別祭、広島市金屋町・専立寺で開催。
3 18 長崎原爆の図展実行委員会、赤松俊子・丸木位里を招き、労働会館で長崎平和を守る会の結成大会を開催。(長崎日々3.13)
3 19 ビクターレコード、長崎原爆乙女の歌「平和の陰に」をレコード化し、8月9日 に発売することを決定。印税は傷害者の治療費に。(長崎日々)
3 21 広島市三篠小学校の4.5年生約300人、YMCA奉仕グループの河本一郎を囲み「広島と沖縄を結ぶ子供会」を開催。
3 21 広島市青連、広島市内で原爆障害者更生資金街頭募金実施。
3 24 広島市・広島戦災供養会、県庁内の中部復員連絡局広島支部にある広島第一陸軍病院の患者・職員の遺骨約1200柱を供養塔に合祭(朝日新聞)。
3 24? 広島ABCCテーラー所長、米の原爆障害者治療班派遣について、まず外科医2人を広島に派遣し検討すると広島市長に回答。
3 26 平和と学問を守る大学人の会、初会合。
3 29 原爆被害者の会(広島市皆実町1丁目)、第5回幹事会を開催。原爆損害賠償請求の民事訴訟問題で原告になる用意のあることを広島市弁護士会に申し入れることを決定。31日、川手事務局長が申し入れ。
3 29? 宇野長崎市社会課長、ヒロシマ・ピースセンター谷本清牧師より、原爆娘の交歓会を年中行事として開催することを提案した書簡を受け取る。(長崎日々)
3 31 広島県下の戦没者・原爆死没者遺族に対する国債交付29340件に達す。
3 31 広島大学で、ABCC顧問ブラント博士を招いて、「原子力」についての座談会開催。「生物におよぼす原子力について」など質疑応答。
3 36 長崎市ゆかり婦人会、原爆傷害者救済音楽の夕べ「鰐淵賢舟・晴子提琴演奏会」を三菱会館で開催。(長崎日々)
4 1 長崎市役所で広島・長崎両原爆乙女交歓世話人会を結成。(長崎日々)
4 2 大沢幹夫(脚本家、広島高師出身)、広島・土谷眼科で取材。5月上旬、脚本 「原爆の子」を書き上げる。
4 2 山田静代ら原爆被害者の会の会員10人、同会事務所(皆実町1丁目)で山内北 村婦人会から送られた餅米2斗でおはぎを作る。
4 03? 長崎市平和祈念像建設協賛会、「平和祈念像を讃える歌」の懸賞募集を実施。応募締切は4月20日。(長崎日々)
4 4 ハワイ三島連合観光団(3月31日来崎)、原爆傷害者・孤児救済基金として2万4870 円を長崎市長に寄贈。(長崎日々)
4 5 原爆被害者の会(広島市皆実町1丁目1930)、機関紙「芽生え」第1号を発行。
4 06? カンヌ映画祭に出品された映画「原爆の図」出品拒否を受ける(アカハタ)。
4 8 広島ABCC定例集団会でレーノルズ博士、被爆児と非被爆児を対象とする「1952年度の成長、発育の資料に関する報告」を発表。
4 9 長崎市原爆資料保存委員会、原爆資料の市民からの買い上げを開始。
4 10 YMCA奉仕グループの河本一郎らの努力により釧路市労働会館で原爆展。以後、北海道各地に巡回(1953.7.4朝日新聞)。
4 12 長崎市岩川町の原爆霊廟「宝塔山」完成。入仏式を挙行。(長崎日々)
4 13 国際医師会議日本準備会、草野信男を国際医師会議ウィーン大会(5月23日) に派遣することを決める(朝日新聞)。
4 13 長崎宗教連盟・ユネスコ協力会など11民間団体、広島原爆乙女歓迎世話人会を結成。(長崎日々)
4 15 米の原爆障害者治療班派遣について調査するために、米外科医2人、来広。広 島市原対協関係者から、要治療者調査・治療対策概況を聴取、患者診察。
4 16 広島市原対協、原爆障害者要治療者調査ならびに治療対策現況を発表。1952年1月の広島市の調査によると要治療者4038人、同年7月の検査受診者864人、うち75人が1953年1月の検査受診者、現在入院加療中8人・退院後通院中4人。
4 16? 広島市原爆資料館館長、原爆被害を総合的に調査しまとめた「原子爆弾による被害状況」を作成。死者26万人・焼失家屋56111戸など。
4 17? 広島原爆記念館、中・高校生向け教材用掛図「原爆と平和」を刊行。
4 21 カンヌ国際映画祭で「原爆の子」が上映される。
4 23 山口ミサコ(長崎原爆乙女)、東大清水外科を退院。(長崎日々)
4 23? 広島ABCCシンスキー博士によると、被爆者の眼科的放射線障害の症状は進行しておらず、将来失明することはほとんどない。
4 24 緒方副総理、広島の原爆慰霊碑を参拝。
4 24? 「広島子供を守る会」、国内精神養子運動の強力展開のため、広島市内小・中学校の原爆孤児実態調査を計画。
4 26 広島県青年連合会、原爆障害者に対する救済資金募金運動の展開を申し合わせ。
4 27 広島・長崎原爆乙女交歓会(初)、長崎市内の労働会館で開幕(~29日)。
4 27 広島原爆乙女友の会柴田田鶴子・山下元子・松原美代子・田坂博子・佐古美知子・谷本清、長崎入り。(長崎日々)
4 29? 長崎市平和祈念像建設協賛会、「平和祈念像を讃える歌」の一等を発表。松永雅子。(長崎日々)
4 30 長崎大学医学部、ABCCと会談。原爆傷害者治療を協力して行うことを申し合わせる。(長崎日々)
5 1 長崎市、長崎市原爆傷害者治療対策協議会結成委員会を開催。10日までに会長 ・副会長を選任することを申し合わせる。(長崎日々)
5 1 永井隆の逝去後2年の墓前祭。(長崎日々)
5 3 大橋成一(元陸軍軍医学校教官・少佐、宇品陸軍救護病院副院長)、井深健次(元陸軍軍医学校校長・中將)宛の書簡の中で原子爆弾災害調査報告集の中に軍関係者の名前が掲載されていないことを指摘。(「広島県史原爆資料編」)大橋書簡=「当時の軍関係者の研究分担者の名前が掲載されて居らず、大学の先生方等のみの名があり、之のレポートが大学の先生方によって主になされた如く誤解される恐れがあると愚考致します。」
5 5 広島市厚生局・広島子どもを守る会、袋町小学校に日雇労務者の母子を招き「働く母と子のための歌と映画とバレエの会」を開催。
5 5 長崎の入市被爆者、白血病で死亡。(長崎日々)
5 05? 広島県の原爆関係弔慰金請求の受付、7290件に達す。
5 6 松岡政一世界連邦広島協議会理事長、1月間の北米西部視察旅行から帰広。
5 07? 米オークリッヂで開かれた生物学研究会議で、原爆被害調査委員会プラマー・山根両博士、広島・長崎での調査研究結果を報告。放射線は将来生まれる子供にまで影響をおよぼす可能性がある。
5 8 長崎市平和祈念像建設協賛会、「平和祈念像の曲」発表会を勝山小学校で開催約500人が参加。(長崎日々)
5 9 長崎市仏教連合会、昭和12年以降の戦死・戦病没者・原爆殉難者4000余名の霊を慰める平和祈念慰霊大法要を今篭町大音寺大殿で挙行。2000余名が参列。
5 11 広島大学、日仏親善使節ポネー・モレー博士の講演会「放射能の生物に与える影響」を開催。
5 13 広島大学心理学久保良敏助教授の「原子力、原子爆弾の社会心理学的影響」に関する研究に文部省科学研究費交付が判明。
5 14 長崎市原爆傷害者治療対策協議会、発会式を市内東中町社会事業会館で挙行。会長:田川市長、副会長:高尾県医師会長。6月から無料診療を実施。患者の予審診は長崎大病院で、治療は本人の希望する病院で行うことを決定。
5 14 長崎の島内八郎作詞・木野普見雄作曲・飯田信夫編曲原爆乙女の歌「平和の陰に」、ビクターで吹き込みを終る。
5 15 全国青年団協議会(11日から於東京)で、原爆障害者更生資金募集運動を行うことを決定。
5 17 広島女学院、原爆犠牲者之碑を除幕。
5 18 浜井広島市長、広島ピース・センター・ファンデェイションのグリーンから19 52年12月1日から5月1日までに結縁された精神養子33名の名前の連絡を受ける。
5 18 世界平和広島仏舎利塔建設会、総務委員総会を開催。3億円募金に乗り出すことを決定。
5 19 広島市原対協、被爆障害者救済の全国募金運動について協議。(毎日新聞)
5 20 ウォルサー婦人(婦人国際平和自由連盟WILから派遣された国連のオブザーヴァー)、来広。原爆被害者の体験を全世界に訴えよと語る。
5 21 ABCC、ウァナリ・ウエルズが新所長に就任したと発表。
5 21 日教組製作原爆映画「ひろしま」撮影開始.
5 22 東伏見慈光善光寺管長を迎えて広島市中島町供養塔前で原爆死没者および戦没者の慰霊供養。
5 23 国際医師会議(25日までウィーンで).草野信男が原爆症について講演.
5 23 堺屋テル子・山口ミサ子・谷口スミ子の長崎原爆娘とYMCA総主事青山武雄、長崎原爆乙女の会第1回結成打ち合せ会を開催。6月に結成予定。
5 24 国際医師会議(23日~25日於ウィーン)で、草野信男・松本剛太郎、原子爆弾の被害に関する「広島・長崎における原爆症」報告。(朝日新聞)
5 24? 長崎市原対協、市内民生委員や自治会長などの協力による原爆患者の調査結果をまとめる。市内約2000名のうち要治療者は約400名。(長崎日々)
5 24? 蜂谷道彦「私の原爆日記」、近くアメリカで翻訳出版の予定。
5 27 広島市社会課、市内の施設収容以外の孤児・混血児の実態調査結果集計。孤児263人・うち原爆孤児150人。施設収容者と合わせると孤児617人・うち原爆孤 児289人。
5 29 広島市社会課によると、建物疎開に従事した原爆死没者の遺族弔慰金請求の受付数、4734人(地域義勇隊1615人・職域義勇隊511人・勤労学徒2602人・女子 挺身隊6人)。
5 30 長崎市青年協議会、役員会で原爆募金「黄色い羽根」運動の具体案を協議。
5 30 長崎市原爆資料保存委員会、一般市民から募集した原爆資料の審査を長岡省吾に依頼することなどを決定。(長崎日々)
6 1 原爆による内臓障害とみられる広島市の婦人、広島医大病院に入院。費用は原爆症研究費などでまかなわれる。
6 2 広島・長崎両市原対協、広島市で打合会(長崎市原対協5月14日結成)。原爆 障害者治療費獲得のため全国的な共同募金運動を行うことを決定、中央共同募金会へ申請書を送付。4日広島・長崎両市助役、中央共同募金会・NHKへの 協力要請から帰任。
6 2 ABCCテーラー所長、広島市原対協顧問に就任。
6 2 長崎原爆乙女の会、結成式を長崎市YMCAで開催。原爆娘約16名と長崎市議久保忠八、婦人会副会長山口初子、YMCA総主事青山武雄、長崎大学教授調来助などが出席。会長に堺屋テル子、副会長に山口ミサ子が推薦される。
6 5 広島市、建物疎開従事者以外の原爆死没者の弔慰金申請受付を開始。対象:徴用工および女子挺身隊員で職場で死没した者・学徒で建物疎開作業以外で死没した者。
6 5 広島平和大通りのラ・パンセ像、除幕。
6 5 桑原武夫、来広。6日、原爆の惨状を訴えよと広島の義務を直言。
6 8 広島市、精神養子委員会を開催。精神養子養育費147万1178円の配分について 協議。
6 8 ルーズヴェルト夫人、来広。原爆慰霊碑・原爆資料館・五日市戦災児育成所を訪問。9日、広島ABCCを訪問。原爆乙女と会見。
6 11 長崎市原爆傷害者治療対策委員会、東京の会社社長から2万円の寄付を受け取る(初の寄付)。(長崎日々)
6 13? 広島市の原爆症患者行守澄江(14歳女・内臓疾患)に対し、広島市内の病院、治療援助を申し出。厚生省中国医務出張所、原爆障害者の入院について、市中病院でも学用患者として入院治療費をまかなえるよう本省に申請中。
6 17 広島市原対協、全国共同募金理事会に原爆障害者治療費獲得募金を要請すること・治療対象者を内科・眼科関係障害者にまで拡大することを決定。
6 18 広島市社会課、原爆死没者・原爆障害者・原爆孤児・未亡人の実態調査結果集計。被爆による即死者ならびに直接死因者数は推定20数万人。
6 18 長崎市原爆資料保存委員会、長岡省吾を招いて、原爆資料の審査、被爆体験者の座談会開催などについて協議。(長崎日々)
6 22 全国共同募金会理事会、原爆傷害者治療費の全国募金実施を決定。浜井広島市長出席し要請。NHKのたすけあい運動の形で進行。
6 23? 山本康夫ら、広島泉邸で原爆をしのぶ歌の会を開催。
6 24? 小黒薫・マクミラン、峠三吉編の詩集「原子雲の下より」の英訳をアメリカ友和会(FOR)機関紙に掲載を計画(朝日新聞)。
6 26 広島市原対協企画部会、部会長に任都栗一興を選出。貧困障害者救済のための原爆障害保険の法制化など審議。
6 28? 日本学術会議、「原子爆弾災害調査報告集」を出版(朝日新聞、毎日新聞)。
6 29 原爆障害者治療班派遣について調査するため米外科医(1人)来広。30日患者14人を診察。7月1日、広島市内の外科医・ABCCの外科医と共に原爆乙女を 手術。
6 33 原爆被害者の会、事務所を吉川清宅から水主町の温品道義宅に移す
7 2 米上院歳出分科委員会で、前原子力委員会委員長デーン、広島・長崎の被爆生存者調査の結果報告。
7 8 長崎市議会建設委員会、平和祈念像の建設地を原爆爆心地と正式に決定。
7 08? 広島の原爆乙女(2人)、大阪市上福島厚生年金病院に入院。
7 09? 広島市、原爆死没者慰霊式と平和記念式の行事を公表。
7 10 山口大学講堂で原爆図展開催(3日間)。(アカハタ)。
7 10? 広島県立医大、予算200万円で放射性同位元素研究委員会を組織。
7 12 秋田正之(元広島市会議長)、精神養子となった溝島礼子を自宅に招待。広島市内の精神養子縁組は初。(朝日新聞)
7 12 原爆被害者の会、第8回幹事会を開催。29才以下の会員で青年クラブを結成す ることなどを決定。
7 12? 長崎市原爆資料保存委員会、パンフ「原爆」の刊行を準備。(長崎日々)
7 13 広島市表彰審査委員会、原爆当時人命救助・消火救護などに尽力した原爆功労者の調査を完了。8月6日に表彰。
7 14 長崎地区労・県教組など、平和大会(8月9日原爆記念全九州平和大会)の準備会を開催。(長崎日々)
7 14? 広島市原爆障害者治療対策協議会、研究治療部会を開き、新たに内科・眼科関係の障害者も治療することを決める。
7 16 東大附属病院小石川分院に入院・治療を受けていた広島の原爆乙女(1人)退院。
7 16 広島県教組、映画「ひろしま」製作本部などとともに、原爆孤児救済募金のため芸能の夕を児童文化会館で開催(~17日)。
7 16? 米国からの精神養子への送金総額2万4750ドル(邦貨891万円)、縁組状況:養 親420名、児童416名となる。
7 16? 広島市立本川小学校、山崎与三郎寄贈の資料をもとに原爆資料室設置を計画。
7 17 広島県婦人会連合協議会、広島市の婦人会館で青少年から「平和をどのように考えるか」を聞く座談会を開催。
7 17 広島県労会議、執行委員会を開催。総評提唱の平和国民大会を広島市で開催することを決定(朝日新聞)。
7 18 旧広島一中遺族会、国泰寺高校内の慰霊碑に参拝。約120名が参加。
7 18 映画「ひろしま」のラストシーンのため、労働者3000人、自由労組2500人、学生1万人、市民6000人など約2万人が原爆ドームを中心にデモ行進。
7 21 広島市原対協企画部会、“原爆障害者NHKたすけ合い旬間(8月1日~10日)実施要綱”を承認。
7 21 広島市史編さん室、昭和16年~25年の市勢の実態をつかむため、原爆で生き残った市職員の懇談会開催。
7 22? 広島市調査課長、広島市の原爆死没者数は10数万が妥当であると発言。
7 23 日本アマチュア・シネ・スライド協会、第1回全国コンクールで広島支部作成 の幻燈画「原爆ひろしま」を第1位に選出。
7 23? 広島市、平和記念都市建設のため米貨外債募集を計画。
7 26 原爆被害者の会、第7回幹事会を開催。
7 26 全九州平和大会連絡協議会、長崎市農民会館に九州各県の労組・平和団体の代表約120名が出席して開催。8月8-9日の大会行事を決定。(長崎日々)
7 30 広島市史編さん室、原爆当時の在広軍関係者から事情聴取。当時、広島市内・周辺地区にいた軍関係者は最大限5万2千人で、無傷だった宇品の暁部隊を除くと、全員死亡したとしても3万3千人。
7 30 長岡省吾広島原爆記念館長、長崎原爆資料保存委員会から依頼されたスライド映画「原爆と長崎」2巻を完成(朝日新聞、産経)。
7 30 長崎市、デンマークからの平和メッセージを受け取る。同市が祈念式典に披露するメッセージを各国大使館を通じて25か国に依頼した反響第1号。
7 30? 安芸郡府中町の龍仙寺、原爆犠牲者の遺骨143柱を広島市に移管することを決 める。
7 31 有朋会、原爆孤児援助興業の実演と映画の集いを児童文化会館で開催(~1日)月丘姉妹が出演。
7 31 中部復員連絡局広島支部、全国の弔慰金支給状況を調査し、広島市の軍人軍属の原爆死没者12300人を確定。届出漏れを加えて、推定死没者数15000人。
7 31 毎日新聞(広島)、長田新・谷本清・吉川清の座談会「広島の平和運動を語る」を連載。-8月2日(3回)。
8 1 NHK・中央共同募金会、「原爆障害者に救いの手を-NHKたすけあい旬間」開始(10日まで)。助け合い特集番組として、「療友だより-原爆症の患者を 訪ねて」、「生き残った人々」「友への手紙」等放送。期間中、NHK公開番組の入場者から寄付金。
8 1 広島ピース・センター東京協力会、第2回映画スター・プロマイド・サイン募 金を東京銀座・松屋で開催。
8 1 長崎市原対協、原爆傷害者1300名の予診開始。ABCC所長らも応援。この日約50人が受診。12日まで。(長崎日々)(朝日新聞)
8 1 広島県・市教育委員会・平和問題談話会・大学人会、広島市中央公民館で平和問題講座を開催(-3日)。
8 01? 広島逓信病院、原爆の放射能により内臓器官に慢性症状が潜在するかどうか研究、慢性症状の具体例を示す。(朝日新聞)
8 01? 1950年の国勢調査と同時に行われた被爆者調査の結果、生存者総数283508人、うち広島・長崎両市で被爆した者10人判明。(朝日新聞)
8 2 真樹社で原爆をしのぶ短歌会を開催。
8 2 九州地区平和大会実行委員会、長崎市内で原爆追放の署名運動を実施。
8 02? 原爆投下直後の広島駅の状況報告書の存在が明らかになる。
8 3 月丘夢路・千秋姉妹、浜井広島市長に原爆孤児救済募金10万3940円を手渡す
8 3 広島市木挽町浄円寺、原爆犠牲者追悼講演会を開催。
8 4 NHK、長崎市三菱会館で「放送演芸会」公開録音「民謡をたずねて」を開催。この収益は原爆傷害者の治療費として全国募金会に寄付。(長崎日々)
8 04? 比婆郡庄原町で「原爆犠牲軍人之碑」(工費10万円)完成。6日、宝蔵寺で追 悼会を執行。
8 04? 長崎市城山町聖火会(藤田治郎会長)、懺悔の炎をリレーで全国の戦災都市に点灯することを計画。(長崎日々)
8 5 NHK第2、中山侑が都築正男の手記をもとに構成したドキュメンタリドラマ 「原爆症研究の手記」を放送。
8 5 中国新聞、広島・長崎で二重に被爆した平田研之(長崎県庁通商貿易課主事)の体験談を掲載。
8 5 長崎平和を守る会、臨時総会を労働会館で開催。全九州平和大会について協議
8 5 長崎平和を守る会(会長林重治)、2日からの街頭署名運動で集まった1525円を原爆乙女の会へと長崎日々新聞社に寄託。(長崎日々)
8 5 広島市己斐小学校、「平和のつどい」を開催。4年生以上600名の児童が平和への誓いを新たにするとともに、校内72名の原爆孤児たちを慰める。
8 5 広島平和会議実行委員会、前夜祭を広島市児童文化会館で開催。
8 6 原爆8周年記念広島平和国民大会,広島市民広場に県内・全国から7600名参加 .原爆など大量殺人兵器の禁止,再軍備反対,基地撤去などのスローガン決定.市内デモ.
8 6 「アカハタ」,「原爆おとされて八年」(増岡敏和「平和をもとめて妹よ、歌いつごう」、峠三吉「へいわをかえせ」)を特集.
8 6 広島市原対協、平和記念公園供養塔前に原爆障害者治療相談所開設(約70人来所)。
8 6 広島平和婦人会、平和記念公園で、原爆傷害者治療費募金活動。
8 6 天理教広島教務支庁婦人青年会、中島供養塔前で原爆傷害者治療費募金活動。
8 6 広島市、原爆死没者慰霊式ならびに平和記念式を挙行。約5000人が参列。
8 6 広島市調査課、原爆慰霊碑に奉納した原爆死没者名簿の台帳を平和記念館に陳展(朝日新聞)。
8 6 ひろしま川祭委員会、元安川と本川で2000個のとうろう流しを実施(3日間)
8 6 広島市内の女子高校生200名、広島市の式典終了後の平和公園で原爆乙女佐古 美智子作詩の「ほほえみよ還えれ」のフォーク・ダンスを演じる。
8 6 旧広島二中遺族委員会、中島公園横で追悼碑の除幕式と追弔会を執行。
8 6 元広島陸軍病院在職世話会、旧病院堤防で原爆死没者慰霊式を執行。
8 6 広島市厚生連合会舟入支部、唯心寺で原爆追悼法要ならびに講演会を開催。
8 6 広島郵便局、完工した比治山多門院内の原爆慰霊碑前で慰霊祭を執行。
8 6 山県郡大朝町の円立寺、原爆死者の追悼法会を執行。
8 6 東京目黒区の羅漢寺で「さくら隊」殉難者の追悼法要。
8 6 長崎日々新聞、長崎・広島の原爆娘(山口ミサ子・佐古美智子)の電話対談を掲載。(長崎日々)
8 6 読売・朝日・中国各社の専用機、広島平和式典会場に花束を投下。
8 6 広島平和国民大会、広島市民広場(児童文化会館前広場)で開催。
8 6 広島市、原爆当時に人命救助・消火救護などに献身した功労者約600人を表彰
8 06? 「広島子供を守る会」、原爆孤児調査を集計。市内小・中学校45校で両親とも死亡423人・どちらか死亡1284人。
8 7 長崎市原対協の予診受診者、8月1日から7日までで302名。(長崎日々)
8 7 加計町遺家族援護会、常禅寺で戦没軍人軍属・原爆犠牲者の追悼法要を執行。
8 7 中国新聞社、「ノー・モア・ヒロシマズ原爆画展」を東京日本橋白木屋で開催(-12日)。福井芳郎の記録画を展示。
8 7 長崎市、西独大使館からのメッセージを受け取る。デンマークに続き第2号。
8 8 広島市原対協治療部会、原爆障害者(62人)集団診療実施。(毎日新聞)
8 8 長崎原爆供養協賛会、原爆公園で「供養盆踊り」(平和の踊り)を開催。
8 8 長崎市、三菱会館で前夜祭「平和の夕」を開催。映画「生きる」・「原爆の長崎」を上映。演劇「三つの鐘」を上演。
8 8 原爆記念全九州平和大会、長崎市内東高校講堂で開幕。約500名が参加(~9日)
8 9 吉川清、サンデー毎日「まだ死んでいく原爆の街」に紹介される。
8 9 長崎市、「原爆犠牲者供養」ならびに「平和祈念式典」を松山町・原爆公園で挙行。2000余名が参列。(長崎日々)
8 9 日本仏教奉賛会、東京築地・本願寺本堂で広島・長崎原爆犠牲者祈祷会を執行
8 9 原爆手記集「原爆に生きて」の出版記念会、広島市内の教育会館で開催。山代巴・佐久間澄・長田新など26人が出席。
8 9 広島市・朝日ホールで丸木・赤松「原爆の図」展を開催(-13日)。
8 9 長崎大学・長崎原対協、同大講堂で原爆に関する通俗講習会を開催。
8 9 アマチュア・シネ・スライド協会広島支部、中央公民館でスライド原爆ヒロシマの映写会を開催。
8 9 大沢幹夫作・原爆の子友の会総出演舞台劇「原爆の子」、広島市児童文化会館で初公開。
8 9 中国新聞、連載「原爆文献をめくる」(~14日,5回).
8 10 広島市原対協、第2次原爆障害者治療(外科・内科・眼科)開始。眼科患者の カルテ審査会。
8 10 広島大学医学部、佐伯郡大竹町で原爆被災者無料診療実施(12日まで)。
8 10 映画「ひろしま」,東京・広島・長崎で完成試写会.
8 12 ソ連がセミパラチンスクで、初の水爆実験。
8 12 長崎市原対協、原爆患者の予診を打ち切り、入・通院治療者を選考。
8 12 浜井広島市長、米国シアトルで開催される日米太平洋市長会議に出席のため離広。
8 13? 広島子供を守る会、原爆記念日から1週間の間に32通の精神養子縁組の申し込 みを受ける(朝日新聞)。
8 15 安芸郡海田市町遺族会、第4回軍人・軍属および原爆死没者慰霊祭を執行。
8 15 呉市公民館で「原爆の図」展覧会(17日まで).市民の10%約2万人が観覧
8 16 中国新聞、「原子病はどうなった-長崎の場合」を掲載。
8 21? 広島市原対協内科審査部会、要治療者(9人)を診察、今後の治療方針決定。
8 26 長崎・浦上駅で落成式と同駅勤務員20名の原爆殉難者の慰霊祭。(長崎日々)
8 27 ハワイの広島戦災救援会、解散。5年間に約11万ドル(約4000万円)を広島に 送金。
8 29 第4回ユネスコ学生全国大会、長崎市で開幕(~9月1日)。
9 1 日本ペンクラブ、原爆障害者救援のための委員会をつくり募金活動を行うことを決定。
9 03? 広島市の原爆関係弔慰金(3万円国債)、4722件受付、うち3297件裁定済み。
9 10 広島市原対協、内科関係患者審査会。(朝日新聞)
9 11? 広島市原対協、広島県知事に、治療費などの助成金の交付を申請する計画。
9 12 新本恵子ら広島原爆乙女の会8人、映画「ひろしま」について広島県教組に抗 議(朝日新聞)。
9 13 都築正男東大名誉教授、広島市原対協の招請により来広(12日~15日)。原爆障害者(30人)を診察。14日には患者(3人)を公開手術。
9 15 広島市原対協、眼科関係患者審査会。(朝日新聞)
9 15 東大教職員組合・日本文化人会議、映画「ひろしま」を上映。国際理論物理学会参加者を招待。
9 17 広島公演中の松竹少女歌劇団の小月冴子ら5名、福屋百貨店で原爆障害者治療 資金の「募金サインデー」を開催(朝日新聞)。
9 19 全国青年団協議会、広島市宝町婦人会館で平和対策特別委員会を開催。
9 20 ノーマン・カズンズ、来崎(~22日)。
9 21 広島戦災供養会理事会開催。収容限界に達した戦災供養塔の再建促進について協議。
9 21 「広島市建設促進協議会」設立総会、東京で開催。広島県選出国会議員・県知事・県会議長・広島市長・市議会議長らで構成。
9 22 ノーマン・カズンズ夫妻、長崎から来広。
9 23 広島市尾長学区婦人会・遺族援護会尾長支部、松本商業講堂で戦没者および原爆犠牲者慰霊祭を執行。870名が参列。
9 24 広島市原爆傷害対策関係者、ノーマン・カズンズ夫妻を囲んで懇談会
9 25 吉川清・大田洋子、国際理論物理学会議一行の宿舎(広島県大野町)を訪ね、懇談。
9 25 国際理論物理学会の一行、広島入り。
9 28 広島市原対協、治療現況・集計を発表。外科・内科・眼科で110人を審査、14 人の治療終了・17人治療中。
9 29? 長崎市、国際平和デー委員会のアルフレッド・パーカーより、10周年祭に「世界の木」を贈るとの申し入れを受け取る。(長崎日々)
9 30 田辺耕一郎、ノーマン・カズンズの原爆傷害者救済のための印税寄付申し入れ に関連して、長崎市の救済計画調査のため長崎入り。(長崎日々)
9 ? 原爆被害者の会、原爆被爆者の実態調査を実施。-10月。
10 4 田辺耕一郎、ノーマン・カズンズの依頼による長崎被害者調査から帰広。
10 4 第5回中四国小児科医学会、(於宇部市)で、広島ABCC遺伝部土本巌医師 、新生児に原爆による影響はみられなかったと発表。
10 4 第1回広島県傷痍軍人大会、進徳学園講堂で開催。「原爆戦傷病者の救済の即 時実施」などを決議。
10 7 広島の爆心地から1500メートルの屋外で被爆した男性(59歳)、リンパ性細網肉腫で死亡(54.2.4中国新聞)。
10 07? 草野信男、英文「原爆症」を出版(東京新聞)。
10 9 広島市の精神養子養育資金配分委員会で資金の配分をめぐり市と谷本牧師が対立。
10 14 日本学術会議原爆災害調査班の研究発表会(第3回)、長崎大学で開催。
10 14? 厚生省、原爆障害者治療対策として、広島市内への原爆症調査研究協議会の設置と傷病軍人・軍属に適用されている身体障害者福祉法を一部改正して被爆者への適用をはかることを計画。
10 16? 広島市原対協、中央共同募金会に、今夏のNHK“原爆障害者に救いの手を”のたすけあい運動で集められた義援金の7割を広島市に割り当てるよう申し入 れ。
10 16? 長崎市原爆資料保存委員会、写真集「原爆の長崎-閃きのあと」(岩波写真文庫版型)を発刊。(長崎日々)
10 17 アジア太平洋地域平和連絡会、東京の日赤本社講堂で開催。-18日。
10 18 都築博士来広。原爆障害者(7人)を診察。19日手術。
10 18 広島県産婦人科医学会、広島市で開催。広島医大田淵教授、被爆婦人百数十人の調査研究結果を発表、原爆によって不妊にはならないと指摘。
10 19 大阪府教育委員会、映画「ひろしま」を教育映画として推薦しないことを決める。
10 22 被爆直後の広島に3日間入市した男性(58歳)、肺臓ガンで死亡
10 22 映画「ひろしま」の広島県下での上映終了。観客は16万人を記録(朝日新聞)
10 28 安芸郡東海田町、長谷寺で戦死没者・原爆死没者の慰霊祭を執行。
10 28 米国国立科学協会、ジョン・J・モートンを広島のABCC所長に任命。
10 映画「ひろしま」空前の観客を動員.呉・福山・三原・広島で計15万8千人
11 6 木村厚生次官、広島市で、原爆傷害者の治療対策について国庫負担の特別立法は考えないが原爆傷害者を傷い軍人に適用されている厚生医療保護の対象に入る方針であると語る。
11 06? 広島大学医学部精神神経科教室、「原子爆弾後遺症の精神神経病学的症例」の研究に着手、精神神経病学的見地からの原爆症の再検討を図る。
11 7 第25回日本遺伝学会総会、三島市の国立遺伝学研究所で開催(~8日)。ABCC遺伝部長ダンカン・J・マクドナルドが特別報告。特別な遺伝的影響は見られぬ。
11 8 広島市未亡人会、第1回広島市母子福祉大会を本川小学校講堂で開催。約1200 名が参加。「原爆未亡人に対する戦死者同等の待遇」など決議。
11 9 宮城道雄、長崎市浦上の原爆公園で原爆犠牲者慰霊のため献奏。(長崎日々)
11 10 共同募金中央委員会から広島市原対協に通告。NHK原爆障害者たすけあい運動による募金総額約509万円、広島・長崎配分額は広島約359万円・長崎約150 万円。
11 10 東京で広島県選出の国会議員が広島市建設促進協議会を開催。
11 11 ABCC新所長モートン博士、ABCCが原爆傷害者の治療をするのはむつかしく、治療は日本の医療機関によっておこなわれるのが最も適当で、ABCCはできるだけ援助したいと語る。
11 13 映画「ひろしま」の輸出版、反米的な部分と残酷な部分を自主削除して映画倫理規定委員会をパス(アカハタ)。
11 14 広島市原対協治療部会、治療科目の増設(産婦人科・精神科)・新設される原爆症調査研究協議会との関係について協議。
11 14 広島県、原爆ドームを広島市に譲与することを通知。
11 15 広島大学医学部、大竹地区の被爆者54名の心電図検査を実施
11 15 第5回広島長崎両原爆都市青年交歓会、広島市で開催。原爆傷害者救済運動の 推進(アジア青年大会・国連への働きかけ)、自衛隊には参加せぬなど決議。
11 17 国立予防衛生研究所内に原爆症調査研究協議会結成。東京で第1回協議会開催 。原爆による後遺症の治療方法の究明をめざす。
11 18 広島市原対協、原爆症に関する総合的な資料収集のため、市内の精神・婦人・耳鼻・小児科開業医に原爆症に関すると思われる患者の疾病名・症状等について質問状を発送。
11 21 在広の日米専門医による原爆障害者の合同診察会、開催。広島市原対協・ABCC(個人資格)の医師ら参加。
11 21 長崎大学医学部・ABCC、銭座町聖徳寺で「解剖祭」を挙行。(長崎日々)
11 24 安部能成学習院院長、広島市山陽高校で開催の私学大会で「原爆を売り物にするな」と語る(朝日新聞)。
11 29 第1回日本のうたごえ大会(東京・日比谷公会堂、共立講堂)。
11 29 第49回中国四国眼科学会(広島大学医学部眼科教室主催)、広島市で開催。杉本茂憲博士、「広島市原爆治療対策協議会に申し出た眼科的患者の概況」を発表。
12 01? 広島市社会課内に原爆障害調査研究協議会の出先機関が設置される見込み。
12 3 衆院予算委員会で、山県厚相、原爆患者には予算措置は講じてはいないが、治療の促進には努力していると答弁。
12 9 広島市原対協、婦人・小児・精神・耳鼻咽喉・皮膚泌尿各科について原爆症と思われる疾患を調査、原爆症は各科に影響し「全身病」の性格を持つと判明。
12 11? 広島市原対協、原爆障害者の治療費案出のため台湾産バナナの輸入販売を計画
12 12 広島市原対協、広島ペンクラブ・大学人の会など市内39の文化団体と、原爆後遺症対策問題をめぐる懇談会開催。
12 19 広島市戦災児育成所、9周年の開所記念式典を挙行。
12 21 長崎原爆娘橋マサ子・永富郁子、東大清水外科を退院。(長崎日々)
12 22 都築正男、1954年2月開催予定の日米合同原爆傷害研究会の打ち合せのため来 広。
12 26 広島市精神養子養育資金配分委員会。

 

原爆被爆者対策前史年表(1952)

原爆被爆者対策前史年表(1952)

出典:『原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)』

1952年

1 5 厚生省から広島県に、軍指揮下での原爆死没者(国民義勇隊・動員学徒・徴用工・女子挺身隊)の調査費用30万円届く。
1 7 広島県、被爆当時の広島市内の国民義勇隊の家屋疎開工事状況をまとめる。8 月3日から毎日義勇隊3万人・学徒隊1万1千人を広島市に動員。
1 16 田坂具隆、長崎日日新聞に掲載した「長崎の歌は忘れじ-演出にあたって」の中で一兵士として広島で被爆したことを明らかにする。
1 17 広島市社会課、全市にわたり、原爆死没者(勤労学徒・徴用工員・女子挺身隊員・国民義勇隊員など)の遺族戸別面接調査開始(2月5日まで、民間調査員約700人動員)。
1 19 広島市教委、各学校長・遺族会長を集めて、原爆犠牲学徒協議会開催。
1 19 長崎市特別都市建設期成委員会、遺家族援護法案に、原爆犠牲者を含むよう運動展開を決定。25日上京し、広島市と協力して、国会・関係官庁に陳情。
1 19 長崎県など、大阪市近鉄阿倍野百貨店で「長崎県観光と物産博覧会」を開催(-2月2日)。
1 21 広島県の原爆死没者調査で、比婆郡の死没者48人判明。
1 21 京マチ子ら、「長崎の歌は忘れじ」のロケのため長崎入り。
1 21? 尾道市、市内在籍の原爆死没者(国民義勇隊員・徴用工員・学徒・女子挺身隊員)の遺族調査実施中(22日まで)。
1 22 長崎市議会、長崎市特別都市建設期成委員会の原爆犠牲者遺族援護陳情を議決
1 23 日赤、原爆攻撃の防御演習を取り入れることを決定、大阪市で近畿地区の指導者講習会を開催(-25日)。27日からは岡山市で中・四国地区の講習会(10日間)。
1 25 産業奨励館復興委員会(広島県貿易協会・広島商工会議所・広島市で組織)、県営として復旧する運動を起こすことを決める。
1 27? 尾道市在籍の原爆死没者遺族13人判明。
1 29 参院本会議で、天野文相、動員学徒犠牲者の遺族も援護対象にするよう努力すると答弁.
1 29 広島・長崎両市議ら、靖国神社事務総長に、原爆死没動員学徒・義勇隊員の同神社合祀を陳情。
1 30 米原子力委員会、原爆傷害調査委員会の研究結果を米議会に報告。被爆女性の出産の場合、男児の出生率が一般より低いなど。(「夕刊民友」)
1 31 田川長崎市長、来広。復興状況を視察。
2 2 長崎市議会議員、原爆犠牲者援護等陳情から帰任報告。原爆死亡者調査費の支給が決り,学徒義勇軍・勤労報国隊員などの死亡者の靖国神社合祀について同神社と話合い。
2 6 広大教養部学生大会(皆実分校講堂)に500名参加.「わだつみの悲劇をくりかえすな. ノーモア・ヒロシマ」など5基本スローガン.
2 6 広島市の原爆死没者調査で、1830人が判明。広島県による郡部の調査では1742人が判明。
2 08? 大阪大学理学部学生自治会、長田新編「原爆の子」の感想文集「原爆の子に答える」第1集を発行。
2 9 長崎県など、京都駅前丸物百貨店で長崎観光物産展を開幕。
2 12? 広島市議会副議長、全国議長会より帰任報告。原爆死没学徒・義勇隊員の弔慰問題について、地元調査の完了・靖国神社合祀が先決、と語る。
2 15 広島市、原爆死没学徒・国民義勇隊員・徴用工・女子挺身隊員調査の中間集計発表、計7528人判明。
2 16? 長崎市特別都市期成委員会、3月1日から各町民生委員を通じて原爆犠牲者調査の実施を計画。
2 17 原爆の子友の会結成式.長田新編「原爆の子」に手記を寄せた児童生徒約100人出席.
2 17 第4回広島医学会総会「講和条約議会批准を記念する原子爆弾症に関する研究 発表会」、広島市で開催。被爆後75日間の被爆者の臨床的観察の報告や原爆の遺伝に及ぼす影響に関する発表など。
2 18 広島長崎特別都市建設期成委員会第1回総会を、長崎市で開催。両市特別法に よる建設事業促進・原爆犠牲者の援護に関する請願書を政府・国会に提出・共同陳情することを決定。
2 22 エズラー・デニング英国大使、来崎。
2 25 長崎市立山里小学校、自主教育研究会に合わせて「永井博士と浦上の子ら」遺品展を開催。
3 3 長崎市議会副議長ら、原爆犠牲者援護など陳情のため上京。同市社会課の調査によると、原爆死亡者73884人うち徴用工6582人・動員学徒3413人・挺身隊員50人計10045人(推定)。
3 4 長崎市立城山小学校、教育心理学専門家を招き、原爆学級編成について協議。
3 7 長崎市、原爆犠牲者調査要項の説明会実施。調査対象:国民勤労隊・徴用工・学徒報国隊・女子挺身隊、3月10日から31日まで市内民生委員が戸別訪問。
3 8 長崎市立城山小学校、同校入学予定児童の身体検査を実施。うち、原爆被災児童36名に対しては別個に知能検査を実施。
3 11 長崎県議会厚生委員会、遺族援護法の原爆犠牲者への適用を政府に陳情する請願採択。
3 12 長崎復興平和博の工事現場から掘り出された原爆犠牲者の遺骨の慰霊祭を執行
3 14? 大村市社会課、長崎原爆による死傷者調査実施中、該当者に届出要望。
3 17 長崎市平和祈念像協賛会、理事会を開催。20日から2000万円を目標に募金運動を実施することを決定。
3 18 広島県世話課長、全国世話課長会議より帰任報告。審議中の戦傷病者戦没者遺族等援護法案は、純軍人軍属を対象とし、広島市の原爆死没動員学徒・徴用工などは見込みがない。
3 18 ABCC、原爆被害調査研究発表会、長崎市で開催。白血病・遺伝等に関する研究発表。
3 22 広島長崎特別都市建設期成委員会長任都栗一興、原爆犠牲者援護の中央陳情より帰任報告。広島県世話課長の報告を否定し、犠牲者の調査書が提出されれば 、援護予算が計上される見通しであると語る。
3 24 原爆殉難者供養塔保存会、長崎市岩川町の供養塔前で彼岸会追悼法要を執行。
3 24 中村巌原爆の子友の会会長ら30名、大阪大学理学部で京阪神の少年少女と交歓会を開く。
3 25 広島市、原爆死没者(学徒・徴用工など)調査ほぼ完了。国民義勇隊3374人・動員学徒5796人・女子挺身隊550人・徴用工688人・所属不明380人、計10788人判明。
3 26 衆院厚生委戦傷病者戦没者遺家族等援護法案をめぐる公聴会第2日。公述人と して広島県原爆犠牲者遺家族援護促進委員会委員長任都栗司(広島市市議)出席、原爆被災学徒・女子挺身隊員・徴用工・義勇隊員の遺家族も援護対象とするよう主張。
3 27 僧職小林葆生、再軍備に反対して広島市原爆ドーム横の大仏殿で割腹自殺をはかる(朝日新聞)。
3 28 広島戦災児育成所の原爆孤児10名、中学卒業祝いに上京。
3 28 長崎市の東宝喜楽館、映画「長崎の歌は忘れじ」の招待試写会を開催。
3 28 広島逓信病院、被爆職員の体験発表座談会開催。
3 29 広島県教職員組合第9回定期大会.-30日。「教え子を戦場に送るな」のスローガンを採択する.
3 29 新藤兼人、「原爆の子」のシナリオの下調べのため広島入り。原爆1号の吉川清のケロイドを見る。(「世界」1952.8)
4 1 戦没者遺家族援護法が、原爆死没学徒・徴用工に適用されることが判明。
4 4 長崎市立城山小学校入学式。新入学児童259人(うち被爆児童40人)を対象に 原爆学級2クラスを編成。
4 7 広島の原爆当日に生まれた3人、小学校に入学。
4 10 長崎復興平和博覧会、開幕。
4 13 長崎ユネスコ協会、松山町の原爆公園でユネスコ移動公民学校を開催。
4 19 日本学術会議、講和発効後の原爆医療調査の再開を決定。(毎日新聞)
4 21 ABCC、講和発効後、研究が日本側に引き継がれるという報道を否定。
4 22? 広島市児童福祉事務所、未亡人の生活実態調査の結果をまとめる。主な原因:夫が戦没・戦災死したもの1301名、病死989名、不慮の死124名。
4 23 長崎市議会原爆都市建設特別委員会、講和条約発効後、米国に原爆被災者遺族 に対する特別援助を懇請することを決議。
4 25 戦傷病者戦没者遺族等援護法案、成立。国家総動員法による徴用工・動員学徒・女子挺身隊・国民義勇隊員死没者の遺族に弔慰金支給。
4 25 元広島市復興顧問モントゴメリー、市役所を訪問。
4 28 サンフランシスコ「平和」、日米安保条約発効。
4 28 戦傷病者戦没者遺族等援護法成立の報告会、広島市で開催。
4 28 長崎国際文化会館、起工式を挙行。
4 30 戦傷病者戦没者遺族等援護法公布。
5 1 講和後初のメーデー.県下で4万人参加.広島では松川裁判の公正を求める緊急動議可決.会場に原爆の惨状を描いた絵や写真 100枚近くを展示.
5 2 広島県・市、戦没者追悼式を広島市児童文化会館前広場で開催。約1万人が参加。
5 3 原爆の子友の会、広島大学図書館で大阪原爆の子を守る会と交歓会を開催。
5 4 広島原爆犠牲者12800柱を靖国神社へ合祀。
5 7 原爆犠牲者遺家族援護促進委員長任都栗一興、靖国神社へ合祀された広島市の原爆死没者のうち、学徒義勇隊死亡者8205人分の名簿を同神社に納める。
5 12 広島長崎両県出身国会議員、「広島長崎特別都市建設促進議員連盟」を結成。両県特別都市建設事業促進と原爆犠牲者遺家族の援護措置の実現を図る。
5 12 全国世話課長会議、東京で開催。遺族援護法による広島県昭和27年度年金・弔慰金額決定。原爆死没学徒・徴用工など(約2万人)に、一時金1柱3万円支給
5 20 社会科学研究会(広島文理科大学)、吉川清の写真50葉と土井晩鐘の原爆の画12点で原爆展を開催。中野好夫が参加し座談会を開く。-21日。
5 20 文芸春秋新社、広島市中央公民館で中野好夫・真杉静枝らを迎えて文芸講演会を開催。
5 20? 広島長崎特別都市建設促進議員連盟、当面の運動方針決定。政府またはアメリカが一般の原爆傷害者の治療の責任をとる、など。
5 23? 外務・文部両省、6月26日からニューヨークで開催される国際児童図書展覧会 に「原爆の子」(岩波書店)など18点を出品することを決める。
6 5 近代映画協会の映画「原爆の子」、広島市内でクランクイン。
6 06? 広島県・市、遺族援護法による原爆死没者弔慰金の支払いについて、被爆証明の方法の基本方針を決定。遺族または団体責任者(町内会長・学校長・事業主など)の申請により市長が証明、そのための特別調査会を設置。(朝日新聞)
6 10 広島の原爆乙女9人と「原爆一号」吉川清、作家真杉静枝らの斡旋で、東大付 属病院小石川分院外科で受診。広島ピースセンター理事長長田新ら同行。入院・治療費の募金運動への動き活発化。
6 11 原爆乙女の一行10名、東京・巣鴨拘置所を慰問。吉川清、大田洋子より抗議の電話を受ける。
6 12 原爆乙女らの慰問を受けた巣鴨の戦犯ら、楠瀬常雄に感想文を託す。
6 14 ヒロシマ・ピース・センター事務局長マーヴィン・グリーン、来広。15日、流 川教会で孤児約60名と対面。
6 14 原爆乙女ら一行、東京から帰広。映画「原爆の子」のロケ隊が出迎え。
6 15 峠三吉「原爆詩集」(青木文庫)を刊行.
6 19 木村忠二郎引揚援護庁長官、来広。原爆死没者の弔慰金について、広島市から被爆証明方法などの正式な申請があり次第早急に対応すると発言。
6 20? 広島市、原爆死没者の弔慰金支払いについて資料完備のため、7月1日の住民登 録で再調査を計画。
6 21 中国5県民生部長会議、広島市で開催。旧総動員法関係の犠牲者に対する弔慰金の支給方法等について協議。(朝日新聞)
6 21? 広島市役所職員組合、映画「原爆の子」完成のために募金活動をおこなうことを決める。
6 22 長崎復興平和博覧会、閉幕。
6 25 長崎市戸町中学校教師酒井春子(29歳)、急性白血病で死亡。
6 25 広島地区労働組合会議、結成大会を開催。8月6日に平和大会を開催することを決議。
6 27 広島の画家福井芳郎、原爆の記録画の制作に着手(朝日新聞)。
6 ? 「婦人タイムズ」、吉川清と神近市子の対談「私タチハ見世物デハナイ-”原爆娘”の上京をめぐって」を掲載。
6 吉川清、峠三吉・山代巴・増岡敏和・川手健らに被害者組織作りについて相談
7 1 広島市、市内外科医・診療所の無料奉仕で、原爆症に悩む市民を対象に、治療の可否・治療のための必要経費など調査(15日まで)。
7 2 第5回広島長崎特別都市建設期成委員会、広島市で開催。外国資金による被爆 者治療機関設立など政府への要望事項決議。原爆死没学徒の靖国神社合祀推進を申し合わせ。
7 02? 浜井広島市長、文芸春秋6月号のトレイシー女史のヒロシマ印象記に抗議を表明。07 04   広島市議会厚生委員会の一行、金輪島で原爆遺骨約10体を発掘。
7 04? 広島市、8月6日に原爆慰霊碑に奉納する過去帳を製作中。心当たりの者へ市調査課への届出を要望。
7 5 任都栗遺家族連盟会長ら、広島市の金輪島で4日発見された原爆死没者の遺骨 を発掘収容(29柱)。
7 9 大山郁夫を迎えた広島市児童文化会館で平和講演会.聴衆3000人.アジアの不戦を強調.
7 10 広島県安芸郡坂町で、原爆死没者遺骨発見。関係者の話によると、埋葬された遺体は160体以上。
7 10 原爆傷害者厚生会、広島市内・朝日ホールで懇談会を開催。会員50人、映画「原爆の子」ロケ中の新藤監督・乙羽信子らも出席。参加者から「原爆投下についての米国の責任」が問題にされ、損害賠償の訴えがなされる。
7 12 広島ピース・センター東京協力会、発足。
7 13 広島平和友の会,YMCAで例会.FOR川本一郎,海田市町議法山大麓の実相報告をうけ,海田市への火薬庫設置反対を決議.
7 13 ラジオ東京、原爆記念日に放送の「原爆の体験についての座談会」を長崎市で収録。
7 13 長崎市永井図書館起工式。
7 13 仁都栗一興広島・長崎特別都市建設期成委員会(委員長)、オーナー・トレイシーに抗議文を発送。
7 13? 広島の旧陸軍船舶部隊関係者、被爆直後の原爆負傷・死没者の輸送・遺体処理について証言。似島(約7000人)・金輪島(2-3000千人)・坂村鯛尾(5-600人)・小屋浦に輸送。
7 14 広島の原爆乙女3人、上京し、東大病院小石川分院に入院。12日発足したヒロ シマ・ピースセンター東京協力会(真杉静枝・池田満子蔵相夫人ら)が、治療費など負担。
7 15 ABCC運輸部労働組合結成.18日組合つぶしのための解雇通告.8月8日,9月4日労組48時間ストライキ.9月9日妥結.
7 18 広島市内外科医・診療所で行われた原爆傷害者の調査(7月1日~15日)結果まとまる。カルテ1405人のうち完全回復の見込み214人・ある程度回復の見込み467人で治療費約300万円の見込み。
7 19 長崎ユネスコ協力会、勝本清一郎日本ユネスコ連盟理事長を迎えて、講演会を開催。
7 21 長崎市、平和記念祭準備実行委員会を市議会議場で開催。学校・文化団体・宗教団体・民生委員など約50名が参加。
7 23 ABCC、広島市に、原爆生存者調査(1950年10月1日国勢調査と同時実施) の結果を通知。広島原爆の被爆生存者は全国で157575人うち広島市内に98102 人。
7 23 長崎特別都市建設期成委員会、長崎市議会議場で開催。
7 24 長崎市平和祈念祭準備委員会、広島の中・高校生を招待して「平和への誓」を発表してもらうことを申し合わせる。
7 27? 長崎市・長崎県教育委員会・長崎民友新聞社、原爆体験記募集(8月5日まで、7日審査会)。
7 28 吉川清、原爆娘を宣伝に利用していると谷本清に抗議。
7 29 朝日新聞(広島版)、連載「原爆白書」(~8月2日,5回).
7 30 東京都平和会議・世界政府協会・キリスト者平和の会、東京都渋谷公会堂で大原爆展を開催(-8月2日)。(アカハタ)
7 30 原爆の子友の会の一行20名、上阪。
7 31 広島市、市内二葉山ろくで、原爆死没者遺体52体を発掘。
8 1 東大斉藤信房助教授、長崎の泥砂土からプルトニウムの検出に成功。
8 1 平和擁護日本委員会、世界平和評議会書記長ラフィットの広島平和国民大会・全九州平和大会宛の祝電を受け取る(アカハタ)。
8 3 肥川治一郎編「原爆の子―広島の少年少女・魂の叫び」(日本労働組合総評議会情報出版部)発刊.
8 4 広島長崎特別都市建設期成委員会、長崎市で開催。任都栗委員長、ABCCに対し原子病患者をモルモットぐらいにしか考えていないと批判。被爆者に対する治療機関・社会施設の建設など米への申し入れを決定。(読売新聞)
8 4 広島高検など在広治安取締関係首脳部、治安懇談会を開催。共産党の平和市民大会に厳戒体制で臨むことを決定。
8 5 長崎市・長崎県教育委員会・長崎民友新聞社、「私の原爆体験記」の募集を締め切る。9日、民友新聞紙上に掲載。
8 5 広島市中島供養塔で、広島市内・近郊で発掘された原爆死没者遺骨のうち無縁仏506柱の納骨法会開催。
8 05? 国際医師会議(10月16-18日於イタリア・モンテカチーニ)で、「原爆症に関する日本医師有志の見解」(同会議日本準備会が本部に送ったもの)が、正式議題として採択されることになり、同準備会、草野信男・山本杉・塩田正雄の派遣を決定。
8 6 広島市慰霊式ならびに平和記念式典、中島公園内慰霊碑前で開催。約1000名参加。
8 6 岩国基地駐留英連邦軍の軍用機、平和式典上空から三色の花輪をパラシュートに付して投下。
8 6 平和記念都市建設碑(原爆慰霊碑)除幕.
8 6 浜井広島市長、チェコのプラーグ市世界平和委員会から平和記念式に寄せる電報を受け取る。
8 6 広島地区労,平和国民大会を開催(原爆記念館前で).800人参加.
8 6 峠三吉,広島平和祭で詩「八月六日」「よびかけ」を朗読.25日「アカハタ」掲載.
8 6 「広島―戦争と都市」(岩波写真文庫)発刊.
8 6 「アサヒグラフ」8月6日号,「原爆被害の初公開」を特集.
8 6 世界連邦建設同盟・同広島協議会・同国会議員会、衆議院会館で世界連邦アジア会議の準備大会を開催。(朝日新聞)
8 6 広島県海田市町青年郷友会、明顕寺で原爆犠牲者追弔会を開催。
8 6 旧広島県立二中の慰霊碑の除幕式。
8 6 広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑除幕、過去帳奉納。
8 6 広島戦災供養会、広島県宗教連盟による慰霊祭を、中島供養塔で執行。約2000人が参列。
8 6 宗教者平和運動協議会・広島長崎両県在京県人会など、ノー・モア・ヒロシマ平和法要を東京・築地本願寺で挙行。
8 6 比婆郡庄原町・宝蔵寺の原爆犠牲軍人の碑前で追悼会。
8 6 長崎市原爆資料保存委員会、長崎市城山小学校で原爆思い出座談会を開催。
8 6 武蔵野市平和懇談会、井の頭公園で「大原爆展」を開催。-10日。
8 6 テーラーABCC所長、ABCC批判に対し、ABCCは完全な診断を行っており、これは完全な治療の第一歩であると回答。
8 6 映画「原爆の子」(近代映画協会・劇団民芸製作、新藤兼人監督)、広島で初公開。吉村公三郎・新藤兼人・乙羽信子・宇野重吉ら広島入りし、各方面に挨拶。
8 6 吉川清など原爆被害者の会の発起人、平和記念式典会場で会員を募集。
8 6 広島平和国民大会、広島市民広場で開催。原爆1号患者吉川清らが、挨拶。
8 6 郵便友の会第4回全国大会、広島市で開催。
8 7 広島郵政局、広島駅前の平和記念ポストの除幕式を挙行(朝日新聞)。
8 8 広島市の児童・生徒代表2人、長崎市平和祈年祭に出席のため長崎入り。
8 8 長崎市、平和祈念祭を三菱会館で挙行。午後7時半開会。約3000人が参加長崎市平和祈念祭式次=開会の辞、「平和の誓」斉唱(長崎放送合唱団、長崎東登校合唱団)、式辞(長崎市長)、メッセージ(県知事、市議会議長、日本国連協会長崎支部長、長崎ユネスコ協力会長)、長崎・広島両市高校生「平和の誓」朗読(4名)、宣言(長崎市長)、閉会の辞、映画「長崎の歌忘れじ」他。
8 08? 6日広島市の慰霊碑に奉納された過去帳(57902人分)に記帳もれの265人判明 今後の判明分とまとめて翌年8月6日に追加記帳。
8 9 長崎市、「長崎市原爆犠牲者慰霊式」を国際平和記念公園で開催。午前10時半から。式次=開式の辞(杉本市議)、「平和の長崎から」斉唱(カトリック合唱団、市署ブラスバンド)、追悼の辞(長崎市長)、慰霊の辞(遺族代表・遺児代表)、供花(長崎市長、同婦人、遺族代表30名)、黙祷(11時2分)全市一斉、<あの子らの碑>(山里小学校児童、市署ブラスバンド)、閉会の辞。
8 9 諌早市長田婦人会、同中学校で原爆犠牲者慰霊祭を執行。
8 9 大村市、市内野田墓地で原爆で死亡した無縁仏111柱の供養祭を執行。
8 9 長崎・大橋原爆供養塔奉賛会、元三菱長崎兵器製作所大橋工場跡で原爆殉難者の追悼法要を挙行。
8 9 長崎刑務所長崎支所、原爆犠牲者の慰霊祭をかねて慰霊塔の除幕式を挙行。
8 9 長崎大学、医学部講堂で原爆追悼慰霊祭を執行。
8 9 長崎県教組・県労評など、平和大会を開催。
8 09? 長崎婦人少年室、原爆による婦人負傷者の被害程度とその後の症状を調査、結果発表。
8 10 原爆被害者の会発会式.吉川清・佐伯晴代・内山正一・上松時枝・峠三吉の5 幹事を決定.事務局を原爆ドーム裏吉川清方に置く。
8 10 学芸光画社、スライド「原爆の子」を製作。
8 10 藤田隆国(広島市妙法寺僧侶、原爆被害者の会発起人)、電産長崎県支部、日教組支部などを訪問、長崎での被害者の会の組織化を呼びかける。(長崎民友)
8 10 長崎市城山小学校で広島の生徒を迎えて被爆児童座談会を開催。
8 12 長崎市桜馬場町一区自治会、戦没者・原爆死没者の慰霊祭を天満宮で執行。
8 12 第7回日本公衆衛生学会(於札幌)で、ABCCのレイノルズ博士、被爆児童 の発育調査結果報告。
8 13 八木保太郎を囲む広島県教組と原爆の子友の会共催の座談会、広島市内の教育会館で開催。約70人(吉川清・谷本清ら)が参加。
8 15 立川平和懇談会、赤松・丸木「原爆の図」5部作と東京都立大学の学生有志が集めた写真資料をもとに原爆展を開催。3日間。入場者総数は9907名(子供を加えると1万2000名以上)。(「平和のために-原爆展感想文より」
8 16 長崎市信愛女学院、「平和の乙女の碑」を除幕。
8 16 原爆の子友の会の一行20人、東京神田・教育会館で芝居「原爆の子」を上演
8 18 長崎市婦人会評議員会,広島市婦人会と提携して平和運動に乗り出すことを決定。08 20   長崎大学医学部、長崎市内巡回原爆障害者調査開始(30日まで)。
8 23 吉川清、朝日出版社が「ヒロシマの写真記録」に自分のケロイド写真を無断掲載していることについて抗議文を出す。
8 24 原爆被害者の会、広島市原爆ドーム裏の吉川清宅で第1回幹事会を開催。原爆傷害者の治療は投下国あるいは日本の政府の責任として、無料診断と治療などを政府・国会・広島市当局などに陳情することを決定。(「社会タイムス」9.7、人類愛善)
8 25 アカハタ、峠三吉の詩「八月六日」を掲載。
8 25 長崎大学医学部、原爆被害者調査中間報告、76人検診。
8 25? アサヒ・ニュース原爆特集(363号)、公開される。被爆直後のフィルムの一 部(アカハタ)。
8 26 長崎県福江町、同町の軍人・軍属・原爆犠牲者の合同慰霊祭を執行。
8 26? 新星プロ、「原爆の図」の映画化を計画。(朝日新聞)
8 30? 厚生省、ABCCの研究範囲を広島・長崎両県下郡部在住の被爆者(約4万5千人)まで拡大することを決定。(誤報)
9 1 原爆の詩編さん委員会,「原子雲の下より」(青木文庫)発刊.
9 3 原爆乙女の治療募金に関する懇談会、東京で開催。ヒロシマピースセンター東京協力会が中心となり、全国に募金を呼びかけ。12日~14日、東京で募金サイン会実施、40万円の純益。
9 4 広島市社会課、市内外科医・診療所の協力による原爆障害者調査(7月1日から実施)のカルテ869人分を集計、半数以上が治療すれば全快もしくは快方に向 かう見込み。
9 9 映画「原爆の子」、長崎市喜楽館で特別招待試写会。
9 12 ヒロシマ・ピース・センター東京協力会、原爆乙女達のための一流スター(高峰秀子ら)ブロマイド募金を東京銀座・松阪屋で開催(-14日)。
9 13 「原爆症状研究会」および「国際医師会議を支持する市民の夕べ」(同会議日本準備会長崎支部主催)、長崎市で開催。同会議に出席する東大外科塩月正雄出席。
9 16 古月舞踊研究所、「ノーモア・ヒロシマズ」の最後の振付けを原爆ドーム内で実施(朝日新聞)。
9 17 広島市の原爆被害者の会協力会など、基金募集のため新協劇団「死んだ海」の公演を児童文化会館で開催。
9 17? 広島大学理学部分析化学研究室、放射能総合研究室の設立を計画。
9 18 長崎大学医学部調外科部長・田川長崎市長・溝上長崎市議会議長、被爆者治療対策について協議。調外科、8月以降被爆者277人を無料診療、被爆者に受診を呼びかけ。
9 18 吉川清、西宮市の映画「原爆の子」推薦懇談会の招きで西宮市入り。
9 20 広島市社会福祉事務所の調査によると、同市内の身体障害者手帳交付済みの者 1182人、うち原爆による障害者は6人。
9 20 国際医師会議準備会・朝日新聞社、講演会「原子爆弾と医学」を東京本社で開催。講師:都築正男、山本杉、林タカシ、永井潜。
9 20 吉川清、西宮市東口公会堂で開催の「原爆の体験を聞く夕」で講演。
9 23 広島市・中国新聞社、古月舞踊研究所の舞踊劇「ノー・モア・ヒロシマズ」の公演を児童文化会館で行う。
9 24? 広島原爆の子友の会、国際医師会議に提出するため原爆体験記を募集。
9 25 読売新聞、広島入りする世界的な理論物理学者一行に対する藤原広島大学理学部長・児玉達朗(広島大学理学部学生)・村戸由子・長岡省吾・吉川清の談話を掲載。
9 26 日本放射災害剖検委員会、第2回会合を広島市のABCCで開催。
9 28 アカハタ、S・Yの詩「ピカドンを許さない-ある原爆展の会場にて」を掲載
9 29 日本学術会議原子爆弾災害調査研究班第1回協議会、呉市(広島医大)で開催 白血病・白内障・ケロイドに関する研究発表。
9 29 吉川清、LIFEに紹介される。
10 3 英国がオーストラリアのモンテ・ベロ島で、初の原爆実験。3番目の核保有国 に。
10 6 吉川清(原爆被害者の会)、武谷三男・佐久間澄・川手健らとともにABCCを訪問。テーラー所長に無料治療機関を設置するよう要求し拒否される。
10 7 アカハタ、映画「原爆の図」(今井正作品・新星映画社)を紹介。
10 7 広島文化振興会・広島県・市教委、武谷三男を迎えて自然科学講座を開催。
10 9 フロイド・シュモー、長崎市役所を訪問。
10 11 イタリア・モンテカチーニで開催予定の国際医師会議が、同国政府により開催禁止されたことが判明。
10 12 第2回世界仏教徒会議広島大会,児童文化会館前広場に20数カ国代表180名参 加. (13日まで)
10 15 京都市立美術館で原爆乙女献金似顔絵画き行動美術展を開催(-26日)。
10 16? 広島市遺族厚生連盟支部長会、原爆関係に年金・弔意金を早急に交付するよう厚生大臣などの要請することを決定。
10 17 広島市、市内二葉山ろくの原爆遺体発掘作業の再開を決定。
10 17 閣議、映画「原爆の子」の海外輸出を禁止。(アカハタ)
10 18? 広島市表彰審査委員会(松坂義正会長)、第1回市政功労者表彰事業として原爆被害を阻止した人の推薦を募る。
10 20 原爆被害者の会、第2回幹事会を開催。川手健を正式に事務局長とし、人件費 の支出(月3,000円)を決定。ABCCに一切協力しないことを決定、ウィーンで 開催予定の世界諸国民平和大会に送る代表に吉川清を選出。
10 23 山下義信参院議員によると、11月上旬、原爆死没者弔慰金の支給対象に関する厚生省次官通報が発令され、年内に支給開始の見込み。
10 24 マーフィ駐日米国大使、来崎。
10 30 ダルメスワール世界平和仏教徒大会インド・セイロン代表ら一行、来崎。
10 30? 広島県比婆郡庄原町で原爆死亡軍人の遺骨(約80柱)、発掘。(朝日新聞)
11 1 米国が太平洋マーシャル諸島のエニウェトク環礁で、初の水爆実験。
11 1 長崎市山里小学校、5年生以上の児童約600名で「あの子らの碑」第3回設立記 念式を開催。
11 2 東京都南多摩郡町田町などの「都南映画教室」の代表、原爆被災者への募金1 万3000円と見舞文200通を持って広島入り。映画「原爆の子」を見て計画(朝 日新聞)。
11 3 世界連邦アジア会議,広島市本川小学校で開催.-6日。県労会議・原爆被害者の会・婦人民主クラブ広島支部・新日本文学会広島支部・人民文学広島友のなど17団体が大会へメッセージを寄せる.
11 3 原爆被害者の会、世界連邦アジア会議参加者に英文のアピール(英文)を発表
11 3 世界連邦アジア会議インド代表パール博士、広島市の原爆慰霊碑に参拝。碑文に異論を唱える。
11 4 佐古美智子、広島原爆乙女の会40名を代表して世界連邦アジア会議で挨拶。
11 4 パール博士(インド代表)、世界連邦アジア会議で原爆投下の人道的責任に論及。
11 6 パール博士,広島ガスビルで開催の高裁・高検主催の懇談会で,アメリカが朝鮮で細菌弾を使用していると非難.
11 6 パール博士,原爆慰霊碑の碑文に異議をとなえる.10日,広大雑賀教授反論
11 7 広島市衛生課、市内二葉山ろくの原爆遺体発掘作業開始、4体発見。
11 8 横浜市の鶴見文化会、赤松俊子を招いて講演会「原爆の広島」を開催(アカハタ)
11 12 広島県、原爆犠牲の国民義勇隊員らに対する弔慰金受付事務を開始するよう通知を受ける。国民義勇隊3882、動員学徒6169、徴用工696、女子挺身隊574、その他322、合計11643人。
11 12? 広島逓信病院外科部長三木直二、原爆によるケロイドの効果的な手術方法を開発。
11 13 広島市議会厚生委員会、原爆遺族の弔慰金問題について協議。原爆死没者認定のための審査会の設置など、委員から要望。
11 13 広島・長崎特別都市建設委員会、広島市議会で開催。
11 14 マイキ正岡(アメリカ移民の功労者)、来広。上流川教会で原爆娘13人と対面
11 15 「改造」,増刊号「この原爆禍」を発刊.
11 16 原爆画展、佐世保市公会堂で開幕(4日間)。
11 18 山下義信参院議員によると、原爆死没者遺族に弔慰金のほかに遺族年金支給の見込み。
11 18 広島市で、原爆遺家族援護促進会、会合。運動方針(国家総動員法による犠牲者の援護対象の枠拡大など)決定。
11 19 広島市議会厚生委員会、原爆死没者弔慰金の取扱・五日市戦災児育成所の広島市への移管などについて協議。
11 19 長崎大学医学部の曲がり煙突の取り壊し始まる。
11 19 ハロルド・ブルー博士、ABCC顧問として来広。
11 20 広島市、京都市伏見板橋小学校の「原爆にあった人を慰める会」から慰問文23 0通などを受け取る。
11 20? 広島市、原爆当時の地域国民義勇隊幹部名簿作製中、関係者の連絡を要望。
11 22 第28回長崎医学会総会、長崎市で開催。長崎大学医学部朝永助教授、原爆と白血病の関係について、とくに関係づけるものはない、と報告。
11 24 第3回広島市民生委員・児童委員大会。末高早大教授が講演。
11 28 引揚援護庁事務官来広、戦傷病者遺族等援護法に基づく原爆死没者関係弔慰金交付の厚生次官通牒を広島県・市に交付。交付の対象は、国民義勇隊員で、8 月6日疎開作業中被爆死亡した者。
11 29? 広島県、ベルギー大使館から原爆前後の妊産婦の取扱についての問い合わせを受け取る。内務省の原爆攻撃対策のため。
12 4 広島市、原爆死没国民義勇隊員の弔慰金支給について、名簿作成のため、当時の義勇隊隊長などに隊員の認定を依頼。
12 4 原爆被害者の会、第3回幹事会を開催。(「半年の足跡」)
12 06? 元海軍指定管理工場長崎三菱4工場に勤務中原爆・空襲によって死亡した徴用 工・動員学徒・女子挺身隊員の靖国神社合祀が決定、長崎市、該当者に軍属任命手続きを呼びかけ。
12 7 東京都目黒区の羅漢寺で移動演劇団「さくら隊」の原爆殉難碑、除幕
12 8 東大病院小石川分院に入院治療中の原爆乙女の治療経過中間報告会(ヒロシマピースセンター東京協力会主催)、東京で開催。(朝日新聞)
12 08? 朝日ニュース、映画「原爆の長崎」を製作。
12 9 広島の原爆乙女(13人)、阪大・大阪市大で受診。
12 9 広島・長崎の議員連盟総会を東京で開催。会長に岩沢忠恭参議を決定。
12 12 ウィーンで諸国民平和大会(19日まで)。
12 12 浜井広島市長・広島市議会議長・厚生委員長、原爆都建設促進連盟総会・原爆遺家族援護法適用範囲拡大陳情より帰任・報告。
12 14 「原爆乙女の治療-何故東京や大阪でやる?」
12 14 原爆被害者の会、第1回総会を開催。6人の幹事を選出:温品道義・神田周三・内山正一・山田正喜・佐良田信夫・吉川清。事務局長:川手健。(「半年の足跡」)
12 15 作家真杉靜枝から田川長崎市長に、東大清水外科での長崎の原爆娘の治療を照会。
12 15 ABCCテーラー所長ら、吉川清の案内で広島の原爆被害者の職場や住居を訪問。
12 16 広島市、援護法に基づく原爆死没者弔慰金の請求受付開始。対象:地域国民義勇隊・職域国民義勇隊・動員学徒・女子挺身隊のいずれかに属し、建物疎開作業に従事していた者。
12 17? 原爆被害者の会、原爆ドーム裏吉川清宅内事務局に図書室を開設(朝日新聞)
12 18? 長崎市社会課4月調査によると、同市内の原爆身体障害後遺症者1288人、その うち外科的対象者839人(そのうち長崎大学調外科受診者290人)。
12 19 東大清水外科での長崎原爆娘の受け入れ治療・広島ピースセンター東京協力会による入院治療費負担が決定。20日長崎市長に入電。
12 20 長崎大学医学部調教授、同大附属病院に入院中の被爆者(山里中学校3年生) への援護を長崎市社会課へ懇請。
12 20 原爆被害者の会、「ヒロシマ通信」第1号を発行。(「半年の足跡」)
12 21 本多市郎国務相(長崎県出身)、長崎原爆娘の治療への尽力を約束。
12 22 長崎市議会議員による「原爆長崎議員団」設立準備協議会開催。一般原爆症被害者および遺家族に対する国家の救済要請・原爆総合施療所設立など打合せ。
12 22 長崎市議会、原爆娘ならびに全原爆被災者に対する強力な援護対策を求める緊急質問。
12 22? 広島県立医大附属病院外科、原爆によるケロイド・貧血など各傷病の治療開始を決定。
12 23 広島市、広島ピース・センター理事マービン・グリーン女史から新たに25人の精神養子の縁組が出来たとの連絡を受ける(朝日新聞)。
12 23 ゆかり婦人会(長崎市内の知名人士で組織)、原爆娘救済運動について協議。
12 24 原爆死没国民義勇隊・動員学徒らの弔慰金申請の広島県下第1号として、安佐 郡安村の国民義勇隊72人・同郡川内村国民義勇隊188人について、厚生省に申 請(朝日新聞)。
12 24 中国新聞社、第1回中国映画賞の作品(邦画特別賞「原爆の子」・洋画第1位「天井桟敷の人々」)鑑賞会を福屋名画劇場で開催(-26日)。
12 25 長崎市社会課、東大清水外科で治療を受ける長崎原爆娘の選出に着手
12 25 長崎市立永井図書館、開館式を挙行。
12 26 長崎市婦人会、原爆娘ならびに一般原爆傷害者救済運動役員協議会開催。街頭募金や催し物の開催を計画。
12 27 広島県立医大、広島市に、一般原爆症患者の無料入院治療を申し入れ。
12 28 三菱造船労組長崎支部など、原爆図展実行委員会を開催。1958年1月15日から 開催予定。
12 28? 広島市、12月市議会に原爆障害者治療費20万円計上。(朝日新聞)
12 28? テーラーABCC広島所長、米国整形外科学界次期会長シャンズ会長から原爆症治療班を広島・長崎に派遣したいとの連絡を受ける。

原爆被爆者対策前史年表(1951)

原爆被爆者対策前史年表(1951)

出典:『原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)』

1951年

1 8 ノーマン・カズンズ、来広。
1 10 仁科芳雄、死亡。61歳。
1 10 長崎国際文化都市建設協議会、第1回総会を市議会会議場で開催。
1 13 日本基督教団長崎平和記念教会(長崎市城山町)、牧師就任式ならびに献堂式を挙行。
1 20 呉市遺族会、「遺族援護決議の具現に関する請願」の署名を集める街頭活動を開始。1週間。
1 20 CMPE、東洋・双葉・ラッキー・太陽の4映画館、中国新聞社、戦災孤児ベネフィット・ショウの義捐金贈呈式を広島市東洋座で開催。
1 21 広島市、東京・平河寮で第3回広島平和記念都市建設専門委員会を開催。
1 27? 広島市社会課、ハワイの広島難民救済会からの2万ドル寄付申し入れに対し、 母子会館の建設・生業資金の貸付計画案を同会に提示。
1 31 国際友和会巡回幹事ミュリエル・レスター女史、広島市を訪問。
1 ? ABCCの広島市比治山の本建築が完成し、宇品の仮研究所から移転。(「予防衛生研究所年報」)。
1 芦品郡戸手高校で,校長のストックホルムアピール署名運動禁止命令に対し抗 議行動.
2 雑誌「自然」(中央公論社)、米国原子力委員会発行「原子爆弾の効果」(全訳)を掲載を開始。
2 2 米ネヴァダ州ラスベガスで原爆実験。
2 3 原爆孤児の*口*彦(15歳)、前年11月に神戸港から密航し、サイゴンで2か月生活した後、神戸に送り戻される。
2 3 ハワイ難民救済会の進藤卓爾(賀茂郡川上村出身)、ララ物資の配分状況と社会事業施設の視察のため来広。15日、似島学園に100ドルを寄贈。
2 4 レスター国際友和会幹事、長崎市内で講演。
2 8 富永良雄が長崎市城山小学校に贈る記念像の原型、長崎市に届く。
2 8 ドイツのフォト・リポーター、2年前に写真画報誌「ノイエ・イルストリールテ」に紹介された6・7編の広島の体験記を執筆した児童を訪ねて広島入り。
2 11 浜井広島市長、カズンズ秘書から新しい用紙縁組24件の名簿と2年目の養育資 金第1回分1000ドルを送金したとの書簡を受け取る。これで、広島の精神養子 は226名、養育資金は9000ドルに達す。
2 11 広島ABCC所長カール・F・テスマー中佐(元米国陸軍病理学研究所員)、広島を離れる。(「予防衛生研究所年報」)
2 11 広島市、米ミシガン大学のライル財団から、今年の夏季講座を広島で開催したいとの書簡を受け取る。
2 12 広島ABCCの新所長にテーラー博士就任。(「予防衛生研究所年報」)
2 12 広島市、平和記念館の陳列館の入札を実施。大林組が落札。
2 13 長崎市原爆資料保存委員会、彫刻家北村西望を迎えて会合。平和祈念塔建設について協議。設計については北村西望に一任。
2 14 広島県佐伯郡玖島小学校の生徒代表、五日市の戦災孤児収容所に餅約600個を持参。
2 14? 広島市、「広島市里親会」の結成を計画。
2 15 広島市の原爆資料館工事着工。
2 16 広島市社会課、広島県佐伯郡玖島村の青年団が寄託した餅約200個を基町新生園に贈る。
2 17 広大講堂で講和問題講演会. 150名参加.
2 17? 広島市史編さん委員会、新発足。委員長は魚澄広島大学教授。
2 20 元船舶工兵暁部隊730柱の分骨と広島原爆犠牲者遺骨1200柱が、山口県熊毛郡専唱寺に仮埋葬してあることが判明、山口県世話課・復員連絡広島支部に引き渡し。
2 20 第2回長崎国際文化都市建設協議会(1950年7月結成)、長崎市で開催。平和祈念塔建設計画承認。
2 20? 長崎市岡町付近の道路拡張工事で付近の防空壕から原爆死体13体を発掘。3月9日、同町原爆慰霊塔前で慰霊祭。
2 21 第4回広島平和記念都市建設専門委員会(1949年10月結成)、東京で開催。原 爆死没者慰霊塔の建設決定。
2 21 信州善光尼公上人一行、来広。日赤入院中の吉川清を慰問。
2 22 善光寺尼公上人を迎えての大親修会、広島市内供養塔前で開催。数千人参加。
2 23 広島市内の戦災孤児収容所の孤児の里親会結成のための準備会、広島市で開催
2 27? GHQ、旧学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会がまとめた記録の刊行を許可(朝日新聞)。
2 28? 広島市、西独・ハノーバーで開催予定(7月から約1月)のドイツ復興博に原爆被害写真や復興状況の統計を送ることを決める。
3 2 参院厚生委員、留守家族・遺族等援護状況視察のため来崎。3日、遺家族・留 守家族傷痍者・引揚者団体の代表と懇談。
3 02? 広島市、アルフレッド・パーカーの友人グレン・エヴァレットから8月6日に日本政府がピース・センター促進のための記念切手を発行するよう提唱した書簡を受け取る。
3 6 長崎県、県内1225名の身体傷害手帳所持者を対象に巡回相談を開始。
3 13 原民喜、東京・西荻窪で列車自殺。
3 14 第3回長崎国際文化都市建設協議会、開催。
3 16 長崎市議会、原爆記念施設「平和の像」建設費の寄付金募集(4年計画)を決定。
3 19 米学術研究会議医学部委員で広島ABCC顧問として来広中のデーヴィソン博士、ABCC解散の噂を否定。
3 19 ウィルバート・デーヴィソン米デューク医科大学学長、ABCC顧問として着任。6週間広島に滞在予定。
3 22 広島県民生部長、県下の生活保護者は1万7500世帯4万8-9000人に及ぶと県会で答弁。
3 24? 広島県下の児童福祉施設の収容状況、広島学園115人・六方学園80人・似島学園171人・新生学園70人・五日市収容所79人など、いづれも定員オーバー。
3 27 広島市で、精神養子委員会。米国その他からの養育資金(約39万円)の配分決定。
3 28 西独ハノーバー市で開催予定(5月)の都市計画博覧会に出品される東京・広島・長崎のパノラマ、東京日本橋・三越で展示。
3 29 浜井広島市長、南カリフォルニア日本難民救済会(代表・佐々木雅実)から衣料・食料品の小包15個を受け取る。
3 30 ローレンス・ヴァレンタイン・ボーアの3博士、ABCC顧問として着任。
3 30 第2回広島平和記念都市建設協議会、広島市会議事堂で開催。
4 2 吉川清、赤十字病院を退院。広島原爆傷害者救済援護会を設立。米田美津子宅に身を寄せる(-8月)。原爆ドーム前でみやげ物店を始める。川本福一の協力を得る(「原爆一号」とよばれて」)
4 3 長崎市、平和祈念像建設協賛会設立発起人会開催。
4 5 順宮・清宮、修学旅行の途次、広島入り。供養塔、原爆記念館、御便殿、ABCCなどを視察。
4 7 広島平和擁護委員会世話人会開催.
4 7 長崎民友、ハーシーの「ヒロシマ」に登場する6人のその後を掲載。
4 9 米国カリフォルニア州で果樹園を経営する武田安吉(佐伯郡地御前村出身)、広島県庁を訪れ、被災孤児にと1万円を寄贈。
4 10 図師嘉彦・中村登一(共に新日本建築家集団員)建築事務所で原爆安全施設研究会。武谷三男が「原爆効果について」と題して講演。4月15日に東大で開催された平和懇談会(約200名参加)でこれが問題となる。(「連盟通信」第96号)
4 12 米ハーマン・ミューラー博士、広島市を訪問。13日、広島ABCCで、原爆の遺伝的影響について、広島市民の場合、放射能による遺伝的影響が残っていても小さく見分けにくく、将来子孫に影響が現れることはあり得ないと思う、と否定。
4 16 広島市、平和記念公園内に建設予定の原爆犠牲者慰霊堂に、死没者氏名を記入した過去帳を奉納するため、全国的な広島原爆死没者調査を行うことになり、その調査方法など決定。
4 22 成田不動明王本尊・荒木大僧正、来崎。23日、浦上の原爆中心地で戦没者の供養。
4 23 ハワイホノルル観光団70余名、来崎。
5 1 P.M.S.ブラケット「恐怖・戦争・爆弾―原子力の軍事的・政治的意義」(法政大学出版局)発刊.
5 1 永井隆、死亡。
5 1 京都大学で春季文化祭「わだつみの声にこたえる全学文化祭」を開催。-20日。この中で同学会主催の原爆展が開催される。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
5 1 広島市、原爆死没者調査開始(31日まで)。全国の、広島原爆によって直接、またはその影響を直接の原因として死亡した者を対象とする。
5 3 中国新聞社、物故社員慰霊祭を広島別院で挙行。
5 4 日本教育学会第10回大会、広島大学附属小学校講堂で開催。「再び世界の教育学者に日本の教育学者の呼びかけを送る」主意書を発表。有志114名(参加者の約90%)が署名。
5 5 ベルリンアピールに長田新が署名.
5 5 五日市町戦災児育成所、里親会を開催。
5 6 西本願寺門主大谷光照、来崎。
5 10 広島市中島本町の平和塔の撤去作業開始。
5 10? 長崎地方裁判所長石田寿、京都地裁への栄転が内定。
5 11 マーシャル米国務長官、原子爆撃が日本の致命傷になったと証言。
5 12 衆院厚生委員会遺家族傷痍軍人などの援護に関する小委員会。田辺厚生省援護局長によると、厚生省、戦没者遺家族・傷痍軍人・抑留者遺家族など戦争犠牲者の援護法案(仮案)を作成。
5 14 5月1日死去した長崎市名誉市民故永井隆の長崎市公葬、浦上天主堂で執行。
5 16 長崎市駒場町の原爆殉難者慰安所の慰霊祭ならびに落成式。
5 16 西本願寺大谷嬉子裏方、広島市を訪問。
5 17 日本子供を守る会、結成(アカハタ1952.8.3)。
5 18 広島別院、西本願寺大谷光照門主を迎えて原爆死没者7回忌法要を挙行。
5 19 京都大学で「原爆に関する講演会」(木村毅一・天野重安・大田洋子の講演)
5 20 表千家長崎同門会、世界平和祈願と原爆遭難者の追善慰霊のため家元を迎えて諏訪神社で献茶式。
5 20? 愛媛県東宇和郡宇和町、広島市の原爆死没者調査に関して、該当者に連絡を要望。
5 21? 蓑内宗一(長崎市麹屋町)、原爆当時の被害図を完成。
5 25 長崎医学会、「故永井博士病理臨床対比研究発表会」開催。
6 2 大田洋子を囲んで座談会(われらの詩の会主催).
6 3 広島市で西日本婦人民主クラブ代表者会議をひらく.8・6婦人平和大会を開 くことなどを決議.
6 3 広島市広瀬連合会・広瀬母子愛育会・広瀬青年連盟など、広島別院で広瀬学区原爆死没者7周忌法会を挙行。
6 4 「民族の星」№44に吉田初夫(峠三吉の筆名),「墓標」(詩)を掲載.
6 04? 吉川清、広島の著名士の原爆患者援助署名運動に着手。
6 05? 広島県豊田郡河内町、広島市の原爆死没者調査に関して、該当者に連絡を要望
6 08? 広島市戸籍課、被爆当時の惨状をとどめた血ぞめの戸籍が残っていることを明らかにする。
6 08? 中国新聞、丸岡明(日本ペンクラブ)・谷口吉郎(東京工大)・大田洋子を迎えて開いた座談会「文化人の眼に映じた広島」を開催。
6 9 京都大学の学生、丸木夫妻から総合原爆展への「原爆の図」出展の了解を得て東京から帰任。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
6 10 広島県安佐郡祇園町のカトリック教会、米国民の浄財で建立した聖鐘三重の塔の聖鐘祝別式を挙行。
6 10 京都大学の学生、広島より総合原爆展用の大量の原爆資料を持って京都に帰任(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
6 11 アメリカ人彫刻家イサム・ノグチ、広島市を訪問。
6 12 広島市、原爆死没者調査で全国に配布した調査票60万枚(広島市内25万枚)のうち約6万枚を回収。
6 12 宗教者平和運動協議会、総会で平和宣言を公表。(中国新聞8.2社説)
6 13 同志社大学「平和に生きる会」、原爆展を開催。-18日。3500人が参観。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号収録の「都新聞」)
6 14 広島市精神養子育成資金配分委員会、1695ドルの施設別配分額決定。5月1日現在、精神養子248人。
6 15 東京大学五月祭で展示された原爆資料が京都に到着。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
6 15? 広島市、ノーマン・カズンズからの書簡を受け取る。
6 18 曹洞宗皓台寺、高階瓏仙管長を迎えて長崎市松山町の原子爆弾記念碑前で慰霊祭を執行。
6 24 県立広島商業学校同窓会、農協ビル講堂で原爆7回忌法要。
6 24 アール・レイノルズ(人類学者)、ABCC顧問として来広。
6 25 長崎ユネスコ協力会、日本のユネスコ正式加盟記念大会を出島・西日本会館で開催。
6 26 中西敏人(安佐郡)、アルゼンチンの広島県人からの送金予定の広島復興資金67万8875円を立て替えて広島市に寄付。
6 26 広島県遺族厚生連盟、理事会を県庁で開催。今秋に遺族大会と合同慰霊祭を開催することを決める。
6 26 シュモー博士の代理の3青年、来広。
6 29? 広島市教育委員会、市内小中学校在学中の孤児71人の境遇調査結果まとめる。原爆で父を失った者は、小学校25.8%・中学校32.9%、母を失った者小学校30.6%・中学校34.9%。
6 30 第3回広島・長崎原爆都市青年交歓会、広島市で開催。-7月2日。
6 30? 戦後内外から広島市に寄せられた書簡は1000通、寄付金は約4652万円にのぼっていることが判明。
7 7 国際建築家協会の国際会議、ロンドンで開幕。丹下健三、「平和記念都市復興計画」WWO発表。
7 10 第1回広島県再軍備反対共同闘争委員会開催.「原爆を再び落とすな」などのスローガン決定.
7 11 広島市内日連門下寺院連合、市内の七つの川で7回忌戦災死没者追善川施我鬼法要を執行。
7 11 長崎新聞販売所、原爆で死亡した長崎市新聞販売職員40余名の7周年忌を執行
7 14 京都大学文学部学友会「原爆体験記」発刊.
7 14 京都大学同学会、丸物で総合原爆展を開催。-24日。
7 15 広島第一県女、原爆遭難者7周忌法要を広島市中町・医師会館で執行。
7 20 広島県再軍備反対共闘委など8・6平和大会準備会を開催.
7 22 広島市竹屋学区原爆犠牲者第7回忌追善法要、順教寺で執行。
7 22? 宮川裕行(京都大学文学部学生)、広島で原爆体験の手記募集活動を行う。県庁職組、市庁職組・千田書房などを回る。
7 23 阿部知二、来崎。
7 25 広島平和協会、世界各国の主要都市(200)・国内各市(300)にメッセージを発送。
7 29 広島市観音婦人会、観音学区原爆犠牲者7回忌慰霊祭を東観音町・南正坊で執行。
7 29 広島女高師・山中高女卒業生、原爆7周忌生徒教官追弔慰霊祭を中島戦災供養 塔で執行。
7 31 共産党府中細胞が主体となり府中高校で原爆犠牲者追悼音楽会.
8 1 中国新聞、林芳郎「ヒロシマの調査-その生存者と死没者」を掲載。
8 1 広島県廿日市町蓮教寺、原爆死没者追弔大法要を執行。
8 1 「民族の星」№56に「ふたたび原爆を落とすな」写真6葉を掲載.
8 2 峠三吉「原爆詩集」(ガリ版刷り 500部).
8 2 広島市金座街商業協同組合、金座街原爆死者7周忌法要を堀川町・永照寺で執行。
8 2 平和祈念像建設協賛会、設立総会を長崎市で開催。
8 02? 広島大仏奉賛会、近く本殿の建立を計画。
8 3 広島県の五日市造幣局、原爆死没者7回忌ならびに創業以来物故者追弔法要を執行。広島戦災児育成所の少年僧が法要。
8 3 広島市弥生町事務所、町内の原爆物故者の7回忌法要を執行。
8 3 長崎市原爆保存委員会、浦上天主堂取り壊しに反対を確認。
8 3 広島市警・市公安委員会、平和大会などを禁止する声明書を発表。
8 4 定例広島市議会、平和祭分担金45万円の追加予算案を可決。
8 4 広島市鉄砲町・幟町上組・八丁堀町、原爆死没者慰霊祭を執行。
8 4 佐伯郡観音村遺族会、戦死ならびに原爆死者7回忌法要を善正寺で執行(~6日)
8 4 長崎市南大浦青年団、原爆犠牲者戦没者の供養を大浦劇場で執行。
8 4 広島県木材株式会社、戦災死没社員7周忌法要を広島別院で挙行。
8 5 広島市内国際ビルで平和展示会.-7日。
8 5 広島市比治山女子高等学校、職員・生徒原爆死没者7回忌追悼法要を執行。
8 5 長崎医大グピロが丘遺族会、原爆犠牲者7年忌供養を大音寺で執行。
8 5 福屋、原爆死没者追弔会を堀川町・永照寺で執行。
8 5 北米加州東本願寺別院で広島・長崎原爆遭難7周年法要を執行(1951.9.12長崎民友)。
8 5 中国新聞、原爆文献を紹介した「原爆文学の総決算」を掲載。
8 5 第3回世界青年学生祭、ベルリンで開催。-19日。われらの詩の会「ヒロシマ詩集」、峠三吉「原爆詩集」などが日本から送られる。
8 5 広島県ボーイ・スカウト「ジャンボリー大会」、広島市児童文化会館西側広場で開催。350名が参加。-6日。
8 5 広島市江波町で米婦人ブライアンから贈られた公民館の贈呈式。浜井広島市長 、森戸広島大学学長らが参列(朝日新聞)。
8 6 広島市、中島供養塔前で慰霊祭ならびに記念式典を挙行。
8 6 宗教者平和運動広島協議会(結成準備中),中島本町爆心地で辻説法するも警察に禁止され,広島駅前に移る.ビラ「原爆体験の宗教者として全世界の宗教者に訴う」を配布.
8 6 民主商工会,平和大売出し,駅伝競争,燈篭流しをおこなう.
8 6 中国新聞社、米空軍岩国基地の要請で、朝鮮動乱に50回以上出撃したパイロット20名を慰霊祭に招待。
8 6 広島県神社神道同志会、元護国神社で原爆犠牲戦死病没者慰霊祭式典を執行。
8 6 広島市北榎町旧町内会、町内原爆戦災者の7回忌法要を元横堀説教所で執行。
8 6 広島市本川区供養会・本川青年団、空鞘町納骨堂で原爆死没者7回忌法要を執 行。
8 6 広島平和記念聖堂建設後援会、建設中の聖堂で原爆犠牲者7回忌慰霊祭を執行
8 6 広島市の似島供養塔前で慰霊祭。
8 6 地方職員共済組合広島県支部、元県庁職員原爆死没者(744名)追弔会を広島別院で執行。
8 6 帝国人絹三原工場、旧帝人広島工場及び広島研究所の原爆死没者慰霊祭を執行
8 6 市女原爆遺族会、広島市内木挽町持明院で愛児追憶記念碑開眼法要を挙行。
8 6 丸木・赤松夫妻の「原爆の図」第4部「虹」、第5部「少年少女」が完成し、東京・日本橋丸善画廊で展覧会。-11日。(「連盟通信」第105号)
8 6 中国新聞、座談会「平和祭を語る」を掲載。出席者:浜井信三・大原博夫・森戸辰男・稲葉駿作。全員、遺跡保存は不必要と発言。
8 6 朝日新聞社、東京本社講堂で「原子力と平和」講演会を開催。講師は、杉本朝雄・真島正市・佐々貫之・田中慎次郎。
8 6 長崎平和運動推進会議、平和声明を発表。
8 6 日教組・総評など、広島市児童文化会館で全国労働者第1回平和大会を開催。約1000名が参加。
8 6 原爆記念全国平和会議(荒神小学校)に140団体代表1500名参加。サンフランシスコ会議反対のアピール発表。広島平和会議書記局が中華人民共和国政府に全面講和会議開催などの要請書を送る。
8 7 広島市楠木町・正法寺、原爆7回忌法要を執行。
8 7 長崎市稲田町・日蓮宗妙龍寺住職、岩川町に原爆供養塔を建立。
8 7 長崎本博多郵便局ならびに25特定郵便局、市内各郵便局の原爆殉難者7年忌慰 霊祭を皓台寺で執行。
8 7 日本教職員組合、第20回中央委員会を広島市児童文化会館で開催。-8日。
8 8 成長の家長崎信徒相愛会、松山町原爆中心地で原爆周忌大供養会を執行。
8 8 長崎市稲佐の悟真寺、原爆殉難7回忌法要ならびに戦没・引揚等戦争犠牲者の 合同追弔法会を執行(-10日)。
8 8 長崎市城山小学校で平和少年像(富永良雄作)、除幕。
8 9 長崎市戦災者連盟・市連合青年団・市仏教連合、浦上原爆公園で慰霊祭を執行
8 9 長崎浦上天主堂で追悼ミサ。
8 9 諌早市、安勝寺で無縁仏88柱の供養を執行。
8 9 西重工長崎造船所大橋工場(元精機)、1400名の原爆死没者の慰霊祭を執行。
8 9 長崎市平和祈念像建設協賛会、同像建設基金の募集開始。
8 9 平和推進長崎市民大会、本大工町市民運動場で開催。数千名が参加。
8 10 大村市、原爆無縁仏の慰霊祭を上久原野田の無縁墓地で執行。
8 13 長崎市、留守家族・遺族に民生委員を通じて線香料支給。
8 14 警視庁、部課長会議で、日共の「平和大会」、朝鮮団体の「解放記念日」などの集会を禁止する方針を決定。(朝日新聞8.15)。
8 14 都市計画長崎地方審議会、国際文化都市記念公園の建設を正式に決定。
8 17 高槻市・京都大学同学会、市会会議室で原爆展を開催。-19日。
8 17? 広島市教育委員会、5月に調査した市内小中学生の身体検査の結果を公表。被 爆児童と非被爆児童の間に身長・体重・胸囲とも差がないことが判明。
8 20 「東京平和会議ニュース」第4号、広告「原爆写真展を御利用下さい!!」を掲載。写真内容=原爆の図(16枚)、広島被害写真(5枚)、赤松丸木絵ピカドン(台紙4枚張17枚)の計38枚。
8 21 日本国連協会、サンフランシスコの自由アジア委員会から広島に「自由の鐘の模型を贈るとの連絡を受ける。
8 23 川崎駅前の百貨店で赤松俊子の「原爆三部作展」開催(長崎民友)。
8 23 赤松俊子・丸木位理共同製作「広島原爆図展」、川崎駅前・小美屋で開催。- 30日。(「進む車両」1951年8月20日)
8 25 民主主義科学者協会・新日本建築家集団・新日本医師協会・京都大学同学会、「戦争・平和をめぐる科学技術展」開催準備のため展示物の一部を占める京都大学同学会の「原爆展」を東京都港区の全銀連会館で関係者に公開。-27日。
8 26 長崎県仏教青年会、松山町原爆爆心地で原爆殉難者第7回追悼忌法要を執行。 約1500名が参列。
8 27 原爆傷害者更生会発足。傷害者共同作業場や原爆患者診療所の設置などを計画(「原爆一号」とよばれて」PP79-80)。
8 29 ウォーレン・カリフォルニア州知事、来広。
9 1 長崎日日新聞、「浦上天主堂存廃是か非か-各界代表はこう答う」を掲載。
9 1 横浜市従業員労働組合、神奈川体育館で「第1回市従平和文化祭」を開催。-5日。行事の一つに原爆絵画展(赤松・丸木協作原爆の図第1部-第5部)。
9 4 対日講和会議開催。8日(日本時間9日)サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約調印。
9 9 長崎市岩川町の原爆殉難者供養塔、除幕。27日、彼岸会追悼法要。
9 10? 日本ペンクラブ、原民樹詩碑建設委員会を設置。
9 10? 広島原爆記念会、「被爆のカワラ」の販売を計画。
9 11 西岡長崎県知事、在米長崎県人から長崎市原爆遺族難民救済費としての2万円 を受け取る。
9 11 長崎市内全神社連合会、太平洋戦争殉難者慰霊祭を諏訪神社で執行。
9 13 広島市にシュモー住宅“広島の家”完成、原爆犠牲者未亡人3家庭が、入居者 に決定。
9 13 長崎市城山町の「友愛館」、賀川豊彦を迎えて献館式。同館は、米国キリスト教婦人会から贈られた資金800万円で建立。
9 14? 広島市市長室企画係の調査によると、戦後内外から広島市へ贈られた寄付金(含利息)は、8月末現在で約3651万円に達す。
9 15 長崎醤油味噌工業共同組合、原爆殉難者7年忌慰霊祭を皓台寺で執行。
9 15 国際医師会議の準備会、慶応大学医学部北里記念館で開催。
9 18 長崎市原爆資料保存会、浦上天主堂講堂で天主堂遺壁存置問題を協議。
9 20 峠三吉「原爆詩集」(新日本文学会広島支部・われらの詩の会)発刊.
9 20 永井隆の遺児誠一・茅乃、ヘレン・ケラーから激励の手紙を受け取る。
9 20 如己堂友の会、長崎市博物館で発会式を挙行。
9 22 第38回日本エスペランチスト大会。京都大学エスペランチスト会、名古屋市の区役所廊下で原爆スチールを展示。(「原爆展」掘り起こしニュース)
9 22 広島大学平和問題研究会、付属小学校講堂で発会式を挙行。
9 28? 長崎の浦上文化振興会、原爆瓦の売り出しを計画。
10 1 長崎平和推進国民会議、藤井日達の講演会を長崎市内で開催。
10 2 長田新編「原爆の子―広島の少年少女のうったえ」(岩波書店)発刊.
10 3 広島市、カズンズ代理グリーン女史から1951年後半期の精神養子育成金1500ドル(54万円)を受け取る。
10 6 長崎県社会福祉協議会、創立総会を開催。
10 08? 中国新聞社、人類愛善会長出口伊佐男を迎えて平和問題懇談会「一つの世界をめぐって」を開催。森戸辰男、浜井信三、谷本清などが出席。
10 10 長崎市、米フロイド・シュモー寄贈の住宅(5戸)の入居者募集締切。入居資 格:長崎市で戦災を受け、現在市内に居住し特に住居に困っている人、など。
10 10? 河石九二夫広島医科大学教授、ハワイで開催される汎太平洋外科学会第5回会 議(11月15日~)に出席することが決まる。
10 12 全国戦災都市連盟中・四国地区総会、福山市で開催。
10 13 第24回日本社会学会、広島市で開催。中野清一・井上弥太郎、「少年非行における原爆影響の検出」発表。
10 16 広島平和問題談話会、広島市内で創立懇親会を開催。メリー・マクミラン、渡辺鼎、佐久間澄、浅野明夫などが発起。
10 19 広島県遺族厚生連盟、第1回戦没者合同慰霊祭を広島市児童文化会館前広場で 開催。約1万2000名が参加。
10 27 第6回国民体育大会、広島市で開幕。天皇・皇后参加。
11 1 大阪大学の体育文化祭で「原子力展」を開催。(「原爆の子に応えよう」)    11 02   長崎市立城山小学校子供会、第2回平和記念式を「あの子らの碑」前で開催。
11 6 山下参院厚生委員長、広島市で、戦死者遺族援護対策の中に、広島の原爆当時、軍の強制疎開作業で徴用された犠牲者の遺族も含めたい、と語る。
11 8 岐阜大学農学部で文化祭。-11日。自治会主催の原爆展が開催される。
11 8 デヴィン米シアトル市長、広島市を訪問。
11 9 長崎市山里町の有志、原爆犠牲者の骨拾いをおこなう。
11 9 第2回広島長崎両原爆都市協議会、広島市で開催。広島長崎特別都市建設期成 委員会の設置・原爆両都市戦災者の援護強化促進など決定。
11 14 広島市、強制作業中の原爆犠牲者12万8千人の靖国神社合祀と、遺族を戦争遺家族援護の対象に入れるよう国会請願展開。広島市議会議員ら、参院遺家族等援護小委員会で請願の主旨説明(15日には衆院)。
11 15 長崎市議会、広島長崎特別都市建設期成委員会設置を承認、長崎側委員を決定同期成委員会、原爆による警官・警防団・徴用従事者・学徒報国隊員などの殉難者の国家保障による救済を求める運動など展開。
11 19 広島市の原爆死没動員学徒が靖国神社へ合祀されることが判明。義勇団員については広島市の資料調査待ち。
11 20 北海道・札幌市の丸井デパートで「原爆の図展」を開催。-21日。
11 21 広島市議会文教・厚生両委員会、原爆死没動員学徒・徴用工・義勇隊員の靖国神社合祀と遺家族援護法の適用の陳情について協議。中島ピース・センター内への原爆犠牲学徒の像建設を可決。
11 22 広島市教育委員会、原爆犠牲学徒・教職員数を調査、犠牲者9505人と発表。
11 22 第2回戦没者遺族大会(日本遺族厚生連盟主催)、東京で開催。長崎原爆で母 を失った藤井陽子意見発表。
11 22 静岡大学の文化祭で「原爆展」を開催。-25日。
11 22 藤井陽子(長崎の原爆孤児)、東京で開催された第2回全国遺家族大会で挨拶
11 22? 広島市社会課、戦争犠牲者遺家族援護法案に基づく広島市の軍人軍属戦没者の調査実施中(10月末から12月10日まで)、21日現在約1500人の届出。
11 23 田坂具隆ら、「長崎の歌忘れじ」のロケハンのため来崎。
11 24 札幌市警、北海道大学の原爆展会場に展示されていたパネル3枚(広島・長崎に落ちた原爆についての市民の声)を占領目的阻害行為処罰令被疑として押収
11 24 長崎ユネスコ協力会、第4回県下高校平和弁論大会を開催。
11 24 長崎市議会代表、文化都市建設促進運動から帰任報告。戦没者遺家族援護法の枠内に原爆死没徴用員・学徒報国隊員など含むよう交渉。
11 24? 広島市労政課、失対事業労務者1096名の実態調査の結果(8月末現在)を公表 女651人のうち444人は未亡人。夫を亡くした理由別では戦災101人で大部分は 原爆。
11 26 広島市議会代表、靖国神社に、原爆死没動員学徒・義勇隊員の合祀を陳情。
11 26 イサム・野口、丹下健三ら、広島市内で懇談会「平和都市の建築を語る」を開催。11 27   参院遺族援護小委員会で、厚生次官、戦死者遺族の援護法案の大要を説明。援護対象は、旧軍人・軍属・徴用工・徴用船員および動員学徒。学徒については雇用人補助令に該当するものとして、原爆被害者も加えられる。
11 27 仁都栗広島市議ら、彫刻家朝倉文夫を訪問、原爆犠牲者の像について打ち合せ
11 33 「原爆の図」展、1950年2月から51年11月までの期間に、日本全国51か所で延べ223日間開催され、約65万人が入場。
12 9 中国・四国戦没者遺族大会、鳥取市で開催。
12 9 ABCC研究発表会(広島県医師会主催)、広島市で開催。「広島・長崎における原爆生存者の白血病発現率について」(J・H・ファーリー博士)・「原爆生存者にみるはん痕の現状について」(W・ウェルス博士)など発表。
12 09? 長大医学部影浦尚視教授によると、被爆者の栄養状態・血圧が回復するのに、大体6年間を要す。
12 10 広島市議会文教・厚生合同委員会。「原爆犠牲者遺家族援護促進会」の結成を決定。
12 10 広島市、米国ロスアンゼルス南加日本難民救済会佐々木雅実(広島県人)から贈られた中古衣料など12梱の慰問品を受け取る。
12 13 広島市、原爆犠牲者援護促進会(仮称)を結成。原爆死没者調査・指導にあたる。
12 14 厚生・大蔵両省の原爆犠牲者調査団、来広。県庁で原爆関係死亡者実情調査会開催。徴用工・女子挺身隊員・学徒・国民義勇隊員の原爆死亡者(約3万人と 推定)が、戦争犠牲者遺族援護法案の適用対象となるかどうか、当時の関係者から事情を聴く。
12 15 東京で平和記念都市建設専門委員会を開催。
12 18 長崎国際文化会館の設計図が完成。
12 22 広島県議会、戦争犠牲者援護法案の原爆犠牲者遺族への適用を求める発議可決
12 24? 広島市福祉事務所、身体障害者実態調査実施(1952年1月10日までに届出)。 対象:身体障害者・傷痍軍人・軍属および徴用・学徒動員・女子挺身隊などにより二目症以上の障害を受けた者。
12 25 長崎県、県下一斉に身体傷害者保護対象者の検査を実施。
12 27 ヒロシマピースセンター、原爆孤児約100名を流川教会に招いて慰安会。

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)はしがき

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)
1997年2月
平成6-8年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書(課題番号06610313)
原爆被爆者対策史の基礎的研究
研究代表者 宇吹暁(広島大学原爆放射能医学研究所)

はしがき
被爆50周年を迎え、行政・被爆者・被爆者団体などの間で、被爆50年の歩みをたどり、その意味を考える多くの試みが叢出した。例えば、厚生省は、広島・長崎両市に原爆死没者追悼平和祈念館の建設を進めており、その作業の一環として原爆資料の所在確認作業を行ってきた。広島・長崎両市は、それぞれ行政史(『被爆50周年広島市原爆被爆援護行政史』、『長崎原爆被爆50年史』)をまとめた。また、全国各地の被爆者や被爆者団体は、体験記や団体史・個人史を発行している。国際的にも、アメリカ・スミソニアン協会の被爆資料展示問題をめぐり、日米両国を中心に、さまざまな論議が巻き起こった。
本研究の目的は、広島大学原医研国際放射線情報センターの所蔵する原爆被爆者対策関係資料の整理を行うとともに、行政諸機関や各地の被爆者団体の資料の収集を行い、日本の原爆被爆者対策の歩みを、資料に基づいて跡づけることであった。今回、情報センター所蔵資料の整理とともに、以上の動向の中に現れた様々な歴史資料の所在の確認と整理にも力を注いだ。
原爆手記については、情報センター所蔵のものに、広島・長崎・東京・福岡・山口の各都県にある公共機関・被爆者団体所蔵のものを加え、掲載書誌3542件の目録を作成することができた。
当初、本研究のまとめとして、戦後50年間の歩みを示す基本資料の目録と年表の作成を考えていた。しかし、作業を進めるにつれ、大量の資料が存在し、それらの整理のためには膨大な時間を必要とすることが明かとなったので、時代を追って作業を進めることとした。今回、紹介するは、広島・長崎の被爆から被爆者問題が国民的課題として登場する契機となったビキニ水爆被災事件の発生にいたる(1945年8月から1953年まで)の資料である。
この時期の基本資料の多くは、『広島原爆医療史』、『広島原爆戦災誌』、『長崎原爆戦災誌』、『広島県史・原爆資料編』、『広島新史・資料編』などの形でまとめられている。本書では、原則として、これらに収録されたものは取り上げず、これらを補う形で構成しようとした。本書で、地元広島・長崎の医師会が原爆障害者治療に取り組み契機となった「原爆乙女」の治療などを取り上げていないのは、前述の既刊のもの以上の資料を今回発掘できなかったためである。
本書は、7部建てであるが、各部において、それなりのストーリー性を持たせるよう心掛けた。時期的には、1.原爆開発・投下にいたるまで(Ⅰ)、2.被爆直後(Ⅱ、Ⅲ)、3.占領期(Ⅳ)、4.講和条約発効前後(Ⅴ、Ⅵ)の4つの柱からなっており、これに被爆から1953年までの原爆犠牲者の追悼に関わる資料(Ⅶ)と年表(Ⅷ)を加えている。
Ⅰ(原爆開発・投下問題)に関する資料は、これまでアメリカの歴史研究者によってなされた様々な成果がすでに紹介されている。ここでは、主にその概要を示す資料と邦訳された基本文献を紹介した。これらの資料や文献に基づいて資料を収集することは、今後の課題として残っている。
Ⅱ(原爆被害をめぐる日米の対立)では、70年生物不毛説の基本資料を収録した。この説は、日本の戦争指導層による原爆被害の政治的利用の契機となるとともに、日本の学者による総合的な原爆被害調査の端緒となったものである。日本政府の政治的利用の実態やそれに対するアメリカ側の反応も併せて紹介したが、このような形で体系的に紹介されるのは、今回が始めてと思われる。
Ⅲ(被爆直後の救援と調査)・Ⅳ(占領期の原爆問題)に関する資料は、『広島原爆戦災誌』など前述の文献の中で体系的に紹介されているので、ここでは、これらに収録されていないものを中心に収録した。
Ⅴ(調査・研究・治療の再開)は、現在広島市公文書館で保管されている都築正男旧蔵資料を中心に構成した。これらの多くは、以前に広島大学原医研付属原爆被災学術資料センター(国際放射線情報センターの前身)発行の『資料調査通信』に紹介したことがある。
Ⅵ(講和条約発効前後の原爆問題)では、法政大学大原社会問題研究所など多様な機関・団体がなどが所蔵する社会運動資料によって構成した。今後の発掘作業により、なお多くの資料が期待される分野である。
Ⅶ(原爆犠牲者の追悼)に関する資料は、これまでにも様々な形で紹介されているので、基本的な資料のみを収録した。
Ⅷ(年表1951-1958年)は、中国新聞の情報に長崎のローカル紙(『長崎日日新聞』・『長崎民友』)や全国紙および生資料による情報を加えて作成したものである。
資料の収録に当たって、つぎのような方針をとっている。
1.読みやすくするため、一部、旧字を新字に、漢数字を算用数字に直した。
2.判読不能の部分には、「*」を付した。
3.編者の注は[ ]で示した。
なお、資料の収集に当たり、広島県立文書館・広島市公文書館・宮川裕行氏をはじめ多くの機関・個人の協力を得た。また、資料の整理にあたり、安藤幸子・小林知子・宇吹健の各氏の手をわずらわせた。末尾ながら記して謝意を表したい。[以下略]

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)目次

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)
1997年2月
平成6-8年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書(課題番号06610313)
原爆被爆者対策史の基礎的研究
研究代表者 宇吹暁(広島大学原爆放射能医学研究所)

目次

Ⅰ.原爆開発・投下問題 1- 19
【資料1】原爆投下に関するアーノルド将軍用メモ
【資料2】原爆投下命令書
【資料3】マンハッタン・プロジェクトのプレス・リリーズ(PRESS RELEASE)一覧
【資料4】原子力開発の主要事件
【資料5】マンハッタン・プロジェクトに関する基本資料一覧
【資料6】原子力発展年表
【資料7】米陸軍の公的歴史書『マンハッタン:陸軍と原爆』
【文献】原爆開発・投下問題(邦文)

Ⅱ.原爆被害をめぐる日米の対立 20- 44
1.アメリカにおける70年生物不毛説報道
【資料1】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料2】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料3】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料4】NEW YORK TIMES(ニューヨーク・タイムズ)紙の報道
2.日本の反応
【資料5】広島市爆撃問題に対する反響
【資料6】日本政府の原爆攻撃に対する抗議
【資料7】NEW YORK TIMESに見る日本の原爆報道
【資料8】外国人記者の現地報道
3.外務省による海外の反響の収集
【資料9】ベルン情報
【資料10】ストックホルム情報
【資料11】ベルン情報
【資料12】リスボン情報
【資料13】ストックホルム情報
【資料14】リスボン情報
【資料15】リスボン情報
4.アメリカの反応
【資料16】マンハッタン・プロジェクト調査団ファーレル団長の声明
【資料17】アメリカ軍が入手した日本政府の動向
5.原爆報道に関する規制
【資料18】GHQの言論指令「言論及び新聞の自由」
【資料19】朝日新聞24時間発行停止の指令
【資料20】GHQの言論指令「新聞規則」

Ⅲ.被爆直後の救援と調査 45- 75
1.日本軍の動向
【資料1】中国軍管区の救援・復旧命令
【資料2】広島空襲被害報告
【資料3】第一復員省大屋中佐の原爆被害報告
【資料4】『本土作戦記録・第二総軍』
【資料】米軍捕虜名簿(原爆犠牲者)
[参考資料]米兵捕虜の遺族の手紙
【資料6】『広島市戦災処理の概要』
【資料7】軍の調査報告一覧 1945年
2.政府・県・市の動向
政府
【資料8】政府の新型爆弾対策委員会
広島県
【資料9】竹内喜三郎(豊田地方事務所長)日記
広島市
【資料10】広島市の被害に関する言上書(案)
【資料11】災害後の食糧配給事情
【資料12】学校の罹災状況
【資料13】比治山迷児収容所概要
3.学術調査
【資料14】都築正男の原爆被害調査
【資料15】原爆被害の総合調査を求める声(1)
【資料16】原爆被害の総合調査を求める声(2)
【資料17】『朝日新聞』社説「被害調査も科学的なれ」[抄]
【資料18】広島市の原子爆弾被害状況調査依頼
4.米軍・合同調査団・ABCCの動向
【資料19】マンハッタン調査団
【資料20】原爆被害の長期研究計画に関するオーターソン・メモ
【資料21】戦略爆撃調査団報告書一覧(原爆関係分)
【資料22】被爆者の長期研究に関する大統領指令
【資料23】ABCC調査調査要領
【資料23】厚生省予防衛生研究所のABCCへの協力
【文献】被爆直後の救援・調査

Ⅳ.占領期の原爆問題 76- 127
1.外交文書の中の原爆被害
【資料1】占領軍の新聞発表(PRESS RELEASE)記事目録(原爆関係)
【資料2】中国連絡調整事務局報告の中の原爆被害
2.平和祭・文化祭
【資料3】広島市の平和復興祭
【資料4】広島市の平和祭構想
【資料5】広島市の第1回平和祭
【資料6】ノーモア・ヒロシマズ=谷本清牧師の訴え
【資料7】広島市の第2回平和祭
【資料8】広島市の慰霊式・平和記念式典
【資料9】広島・長崎両市の平和宣言
3.被爆者援護の構想
【資料10】桑原市男「新広島建設要綱[抄]」
【資料11】渡辺滋「広島市の復興計画案[抄]」
【資料12】模範社会事業都市建設に関する請願
【資料13】谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想[抄]
4.原爆孤児救済
【資料14】広島戦災児育成所要覧[抄]
【資料15】相生農場建設計画書[抄]
5.原爆被害(者)の調査
【資料16】労働省婦人少年局長崎出張所の被害者調査
【資料17】広島市の原爆関係資料提供依頼
【資料18】広島市の原爆関係資料提供依頼
【資料19】長崎市原爆資料保存委員会の活動
6.平和擁護運動の中の原爆被害
【資料20】平和擁護東京大会での大田洋子の発言[抄]
【資料21】『アカハタ』(日本共産党機関紙)の中の原爆被害(者)
【資料22】『平和の斗士』(アカハタ中国総局)の中の原爆被害(者)
【資料23】『民族の星』の中の原爆被害
7.原爆手記の出版
【資料24】小倉豊文『絶後の記録』
【資料25】永井隆『長崎の鐘』
【資料26】永井隆ブーム
【資料27】日本基督教青年会同盟『天よりの大いなる声』[抄]
【資料28】衣川舜子『ひろしま』
【資料29】マッカーサー元帥への衣川舜子の手紙
【資料30】吉川清『平和のともしび-原爆第一号患者の手記』
【資料31】広島市民生局社会教育課編『原爆体験記』
8.原爆被害に基づくさまざまな動向
【資料32】徳川義親の原爆被害観[抄]
【資料33】アメリカ人記者の質問への東久迩宮首相返書[抄]
【資料34】東久迩宮首相返書へのアメリカの反応[抄]
【資料35】広島市の戦災復興とGHQ
【資料36】長田新らの文化都市建設構想
【資料37】天皇「ヒロシマ巡幸」
【資料38】羅府新報(米ロスアンゼルスの邦字新聞)記事目録(原爆被害関係)
【資料39】婦人民主クラブ『婦人民主新聞』記事(原爆被害関係)

Ⅴ.調査・研究・治療の再開 128-146
1.都築正男資料にみる文部省原子爆弾災害調査研究班の発足
【資料1】科学研究費交付金総合研究計画調書草稿
【資料2】原子爆弾災害調査研究班班員名簿
【資料3】都築正男「原子爆弾災害調査研究班に就て」
【資料4】広島医科大学の原爆調査研究課題
【資料5】長崎医科大学の原爆調査研究課題
【資料6】研究連絡打合会に関するメモ
【資料7】研究連絡打合会についての都築正男の総括
【資料8】『昭和28年度文部省総合研究報告集録(医学及び薬学編)』[抜粋]
【資料9】都築正男略歴
2.原爆障害者治療対策協議会
【資料10】広島市原爆障害者治療対策協議会『原爆障害者治療対策の概要』[抄]
【資料11】長崎原爆傷害者治療対策協議会結成準備打合会
3.厚生省原爆症調査研究協議会
【資料12】原爆症調査研究協議会の設置
【資料13】原子爆弾後障害症治療指針

Ⅵ.講和条約発効前後の原爆問題  147-177
1.戦傷病者戦没者遺族等援護法
【資料1】広島市原爆犠牲者遺族援護に関する陳情書
【資料2】広島市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願
【資料3】広島、長崎両市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願
【資料4】原爆犠牲者年金等要求について原爆死没者援護に関する陳情経過
【資料5】戦傷病者戦没者遺族等援護法案をめぐる国会論議[抄]
【資料6】広島市の戦没者遺家族援護
【資料7】長崎市の遺族援護状況
【資料8】旧軍人の府県別原爆死亡者数
2.原爆裁判の提訴
【資料9】日本国との平和条約[抄]
岡本尚一弁護士の提起
【資料10】『原爆民訴或問』[抄]
【資料11】岡本尚一「米国に原爆の損害賠償を求む」[抄]
原爆裁判提起への反響
【資料12】原爆民訴提唱及びその反響
【資料13】アメリカの反応
【資料14】ニューヨク・タイムズの報道
【資料15】日本の反応
3.原爆被害者の会
【資料16】原爆第1号吉川清の試み
【資料17】原爆被害者の会設立の経緯
【資料18】原爆被害者の会会則
【資料19】中野懇談会の被爆者招請
【資料20】原爆裁判への対応
4.国民各層と原爆被害
【資料21】京都大学文学部学友会『原爆体験記』
【資料22】宮川裕行の日記[抄]
【資料23】原爆展への干渉・介入
【資料24】広島・長崎両原爆都市建設特別委員会の論議
【資料25】「原爆の詩」収集に関する依頼
【資料26】映画「原爆の子」製作への協力依頼
【資料27】映画「原爆の子」への原爆友の会の批判
【資料28】第4回広島・長崎青年交歓会
【資料29】子供を守る会の原爆孤児調査
【資料30】全面講和愛国運動協議会機関紙の中の原爆被害(者)

Ⅶ.原爆犠牲者の追悼  178-186
1.原爆犠牲者への追悼文
【資料1】広島県農業会長弔辞
【資料2】修道中学校生徒代表弔辞
【資料3】永井隆原子爆弾死者合同葬弔辞
【資料4】永井隆浦上合同慰霊祭祭詞
【資料5】広島市立原爆遺族会代表弔辞
2.原爆犠牲者追悼碑の碑文
【資料6】広島市立第一高等女学校慰霊碑
【資料7】中国配電株式会社弔魂塔
【資料8】広島女子高等師範学校・附属山中高女・県立第一高女殉国学徒慰霊碑
【資料9】原爆供養塔
【資料10】広島平和都市記念碑碑文
[参考資料]<英文>
[参考資料]パール博士の碑文批判[抄]
[参考資料]雑賀忠義(碑文作成者)の考え[抄]
【資料11】広島市の原爆死没者調査趣意書
3.広島・長崎両市の平和宣言
【資料12】1951年・広島
【資料13】1951年・長崎
【資料14】1952・長崎
【資料15】1952年・長崎
【資料16】1953年・広島
【資料17】1953年・長崎

Ⅷ.年表 1951-1958年  187-221

宇吹所蔵資料概要(広島大学原医研関係)

宇吹所蔵資料概要(広島大学原医研関係)

【2箱】年報他
広島大学原爆放射能医学研究所年報
1976年、第18号(1977年)~41号(2000年)。
広大原医研要覧別刷・年報別刷(ファイル1冊)
疫学・社会医学研究部門研究概況(1973年)
所長:「原爆爆心地被爆生存者」ならびに「被爆関係ふたご」に関する調査研究プロジェクトの概況(1974年)
疫学・社会医学研究部門 生物統計学研究部門 研究概況(1974年)
疫学・社会医学研究部門 生物統計学研究部門 研究概況(1975年~89年)
疫学・社会医学研究部門研究概況(1990年)
広大原医研年報別刷(ファイル1冊)
原爆医学標本センター概況(1968年~71年)
広島大学原爆放射能医学研究所データバンク(標本センター)概況(1974年)
原爆被災学術資料センター概況(1975年~91年)
広大原医研要覧別刷(1975年)(ファイル1冊)
志水清教授退官記念業績目録(1970年9月15日)
栗原教授退官記念 広島大学原爆放射能医学研究所
疫学・社会医学研究部門研究業績目録 1961年~1989年 (1989年3月)
資料センター庶務一件(ファイル5冊)1994年、96年、97年、98~99年、2000年。

【1箱】
原医研将来検討委員会<ファイル6冊、資料1冊、ノート1冊>
第1回(1984年7月11日)~第52回(最終回)(1992年6月10日)
資料<1990年12月8日>:「チェルノブイリ事故からの被曝」(原子放射線の影響に関する国連科学委員会から総会への1988年報告書)、
「第2回環境シンポジウム資料集 いのちと科学技術―チェルノブイリが問いかけること―」(1991年5月11日 於:上智大学 主催:「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク/上智大学社会正義研究所 [資料集編集:「女性ネットワーク」綿貫礼子、二神淑子、吉田由布子])
[広島大学]将来構想検討委員会経過報告 Ⅰ(1987年10月)~Ⅴ(1988年11月)
<原医研委員・鎌田七男>
将来構想検討委員会中間答申(1988年12月)
21世紀に向けての広島大学のあり方(将来構想検討委員会答申)(1989年4月)
『資料調査通信』関係ファイル<ファイル7冊>

【1箱】
部門会議(ファイル2冊)
Ⅰ[1976年12月15日~1979年3月30日]
部門会議Ⅱ[1979年4月11日~1981年3月25日]
手帳・レセプト整理関係資料(ファイル1冊)[1976年~]
資料センター庶務一件(ファイル11冊)
1976年~77年、1978年~79年、1980年~85年、89年、90年、91年。
修学旅行(ファイル1冊)1981年~
センター運営委員会(ファイル1冊)1981年6月26日~88年7月7日
センター図書選定委員会(ファイル1冊)1982年6月28日~83年9月13日
AFIP返還資料目録(追加)(ファイル1冊)[内田恵美子手書き資料のコピー]
1984年7月2日~31日(照合)、1984年8月8日(報告)
資料センター資料利用規程作成 (ファイル1冊)1991年~
資料センター人事 (ファイル1冊)1992年
資料センター会議録 (ファイル1冊)1992年
資料センター関係書類 (ファイル3冊)1992年
資料センター会議録 (ファイル1冊)1993年
資料センター (ファイル1冊)1993年

【1箱】
広島大学原爆死没者慰霊行事委員会関係資料(ファイル6冊)
広島大学原爆被災誌(学術編)霞地区編集委事務局関係書類(ファイル1冊)1986年
原爆関係論文(医学部)(ファイル2冊)広島大学原爆被災誌学術編編集委1986年
[広島大学原爆被災誌編集事務関係書類](3袋)
広島大学文書保存委員会専門委員会(ファイル3冊)1986年
大学博物館関係(ファイル3冊)
塩見班 1991年
研究教育総合資料館 1994年
広島大学博物館 2000年
医学資料館(ファイル1冊)1998年
広島大学史ホームページ打ち出し(ファイル1冊)
スライド(1フォルダー)

【1箱】
アルバム(1冊)
写真ネガ・焼付(1袋)
志水清資料(冊子)目録(ファイル1冊)
湯崎稔教授(広大総合科学部)保管原爆関係資料一覧(1冊) 1983年4月8日調
広島市街関係地図の目録 追録用 1983年3月12日
復元委員会より引継いだ資料について(ファイル1冊) 1983年7月14日
原爆死没者関連資料目録(ファイル1冊)
被爆者運動関係資料目録(1綴)
被爆者運動関係資料目録(ファイル1冊)
原水禁運動関係資料目録(ファイル1冊)
吉川清関係(ファイル1冊)
被爆者問題資料DOC(ファイル1冊)
ZASALL(ファイル1冊)
米国返還写真資料目録(ファイル1冊) 中国新聞社『ヒロシマ』より
原爆ドーム(ファイル1冊) 新聞記事1966年8月2日~
Ⅱ82文書・写真 新聞記事(ファイル1冊) 1968年7月27日~
被爆者問題 昭和40厚生省調査関係(ファイル1冊) 1965年

【1箱】
原医研設立関係 資料(ファイル1冊)
資料 広大原医研20年の歩み(ファイル2冊)
新聞報道 原医研の歩み(ファイル1冊)1993年
標本センター・資料センター 概算要求(ファイル1冊)1966年
被爆者問題資料(ファイル4冊)1967年
被爆者問題資料、特別措置法へ(資料)、昭40実態調査への批判、資料
原爆映画・復元・返還資料・資料センター(新聞・志水資料)雑誌論文(ファイル3冊)1966年、67年、70年
資料センター 資料(ファイル8冊)1967年~74年
原爆資料(新聞)(ファイル1冊)1968年
資料センター・平和科研etc. (ファイル1冊)1972年~75年
資料センター(新聞)(ファイル1冊)1973年
被爆者援護 資料 記事目録 (ファイル1冊)
95NHK 日記(ファイル1冊)
NEW YORK TIMES INDEX(ファイル2冊)
朝日新聞記事見出しDB(ファイル1冊)原爆展・スミソニアン・被爆者援護法
広島大学図書館OPAC[原爆]打ち出し(ファイル1冊)

出典:「原爆被災資料の収集・整理・保存~広島大学勤務期~」
(『広島における原爆・核・被ばく関連の史・資料の集積と研究の現況』 小池聖一編、広島大学文書館、2014/02/28)所収

原爆症の調査・研究・治療の再開

原爆症の調査・研究・治療の再開 -原爆医療法前史への覚書-

目次
はじめに
占領下の原爆被害者調査
文部省研究班の発足
文部省研究班の活動
組織的原爆症治療の再開
陳情・募金活動の展開
おわりに

はじめに
原爆被害者対策の歩みについては,すでに『広島原爆医療史』・『被爆者とともに-続原爆医療史』といった業績がある.これらは,広島市原爆障害者治療対策協議会(略称:原対協,のち広島原爆障害対策協議会に改組)の動きを広島市当局および市医師会の動向を交えながら克明に叙述したものである.また,『原爆被爆者対策の歩み-関係者による座談会』は,広島市と市議会の政府・国会にたいする陳情活動を関係者の貴重な証言によって明らかにしている.しかし,これらの業績では,多くの場合前述の動きの紹介にとどまり,こうした動きの相互関連,あるいは医療法制定以後の対策を規定する要因としてのそれぞれの位置づけについて明らかになっていない.
政府により原爆被害者対策が本格的に展開されるようになったのは,被爆から12年後の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下,医療法と略称)施行(1957年4月1日)以後のことである.しかし,それ以前にもABCCの開設・戦傷病者戦没者遺族等援護法の制定・原爆症の調査研究の再開・原対協の設立・原水爆禁止運動の中で展開された原爆被害者救援運動など原爆被害者対策に関連した動きが存在した.こうした動きは,医療法制定の原動力として,大きな役割を演じるとともに,法制定以後の政府の原爆被爆者対策に大きな影響を及ぼした.
小論の目的は,医療法施行以前の動向の中から,原爆症の調査・研究・治療の再開状況について取り上げ,その意義を明らかにすることにある.なお,筆者は,自らのテーマの一つである原爆被害者対策史について,対策の実行者の動向のみの整理では,その片面が明らかにされただけで十分とはいえないと考え,その対象者の動向についても関心を払ってきた.具体的な作業としては,これまで日本原水爆被害者団体協議会初代事務局長藤居平一氏の聞き取り作業および同協議会の資料(広島平和会館資料)の整理をおこなった.その成果の一部は,『資料調査通信』(当資料センタ-資料調査室発行)所収の「まどうてくれ」・「原爆被爆者対策史」などの形で,あるいは『広島新史歴史編』の中で公表してきた.しかし,本格的な整理はまだ十分でなく,小論でもこの点に触れ得なかった.

占領下の原爆被害者調査
1945(昭和20)年9月19日,GHQ(連合軍最高司令部)は「新聞準則」(プレス・コード)を指令した.この指令は,日本におけるアメリカ政府の原爆情報秘匿政策遂行に大きな役割を演じ,日本における原爆症調査・研究・治療の進展ひいては原爆被害実態の普及に大きな制約をもたらした.このことは,これまで様々な形で明らかにされている.
しかし,占領下でも,原爆被害への社会的関心が皆無となったわけではない.たとえば,原爆体験者による詳細な記録が,1948年以降,『絶後の記録』・『長崎の鐘』などの形で公表されている.また,原爆被害者に焦点づけた調査も実施された.1948年6月,諌早市社会課は,「具体的に救済方法を講じるため」「長崎の原子爆弾による被害者の中で,全快はしているが不具者となり,就業も結婚も出来ぬ諌早市在住者の調査」を実施した.また,労働婦人少年局の広島と長崎の出張所も,1948年7月に,原爆による「傷害の程度が特に人目につくものおよび外傷はなくとも内部機能に傷害ある婦女子」の調査を実施した.広島側の結果は不明であるが,長崎側の結果は,つぎのように公表されている.
労働省婦人少年局長崎職員室では去る七月初旬から原爆による婦人傷害者の現状を調査中であったが,このほど調査を完了,次のように発表した.すなわち原爆婦人傷害者百七十八名を対象に調査を進めた結果いまだに全治せず不自由な生活を続ける婦人がこのうち六十八パーセントを占め,これら未治療者達は辛うじて生活を維持出来る程度で,治療費を出して病院通いの出来る患者はほとんど見受けられない実情にあり,「一日も早く無料診療所を作って下さい」とは病床にふす彼女達の切実な願いである.
また一応治ったと紙をつけられた婦人達も労働に堪えられる身体を持っている者は少く,特に顔面その他に火傷を受けた人の中には就職も結婚も断念しているような不幸な婦人も混っており彼女達を救えとの声も高い.
占領下の行政施策の中では,原爆被害は一般的な福祉対策として扱われていた.そうした対策の基礎資料を得るために実施された調査の広島・長崎分の結果も,原爆被害者の占領下における実態を間接的に現している.1948年2月1日には,児童福祉法施行に向け全国一斉孤児調査がおこなわれ,3,725名の孤児が広島県内で確認された.うち,3,269名は未収容の浮浪児であり,地域別では,広島市776名,安佐郡586名,呉市419名,福山地区377名であった.また,長崎県内の結果は,孤児総数2,313名,うち戦災孤児の数は長崎市211名,西彼岐郡76名,大村市72名,佐世保市43名となっている.
1951年以降,広島市は原爆被害者の独自の調査に乗り出した.同年5月には,8月に完成する平和記念公園内の原爆慰霊碑に「七回忌を期して全死没者氏名の名簿を作成し,これを合祀することを目的」とした死没者調査を実施した.これは,県内はもちろん,各都道府県にも協力を呼びかけた全国規模の調査であった.調査の対象者には,原爆により直接死亡した者のみでなく,「その後原爆の影響で死没した」者をも含まれている.また,広島市は,翌1952年1月20日から2月5日にかけて,民間調査員693名(国勢調査員など)を動員した個々面接調査によって,市内の原爆障害者を調査した.この調査により,外科的障害者3,736人,内科的障害者152人,眼科的障害(失明又は視力障害)者132人,耳鼻科的障害(聴力障害)者18人,計4,038人の原爆障害者の存在が明らかになった.
プレスコードによって生じたいわゆる「原爆タブー」が,第一義的には,GHQによる原爆検閲の問題であることには異論はない.しかし,前述のような原爆被害実態調査の存在は,「原爆タブー」が,日本側の原爆実態解明の意志の有無の問題としても明らかにされる必要性を示している.

文部省研究班の発足
広島・長崎両市に投下された原子爆弾によって発生した被害については,1945(昭和20)年9月に組織された文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会が,日本の学会の総力を挙げた調査・研究を実施した.しかし,この体制は,約3年間で終息し,以後日本の科学者による組織的研究は途絶えていた. 一方,アメリカは,医学的立場から長期にわたる調査研究を計画し,1946年11月26日のトルーマン大統領指令にもとづいてABCC(Atomic Bomb Casuality Commission)を組織した.日本におけるABCCの本格的調査活動は,1948年2月の遺伝学的調査から着手され,広島・長崎両市の全妊産婦の登録が試みられた.当時,妊婦には政府による食糧の特別配給が認められていたので,その増配申請がおこなわれる機会に,職員による面接調査を実施し,1953年12月までに77,000名(全妊婦の93%)の登録を完了している.また,1949-50年には,48年の広島市米穀配給台帳に被爆者として記入されている全員の家庭訪問を実施し,181,000名の被爆歴を入手した.さらに,1950年10月1日に実施された国勢調査に際し,ABCCは,その付帯調査として,被爆者の所在調査を全国的規模でおこない,284,000名の被爆者を把握した.
一方,日本側でも,1951年暮頃から,病理学会・血液学会・放射線医学会などでは,各々の立場から放射線傷害対策委員会を設けて総合研究に着手する動きがあり.「有志の間で,この際再び原子爆弾災害調査研究の統合機関を設けてはとの話合が進められていた」.こうした動きに呼応して1952年4月19日,日本学術会議は,原爆被害調査の再開を決定し,研究班の結成を企画した.この企画の内容を,当時の新聞は,「原爆障害と取組む日本医学 ナゾの解明,引受けた 米医学団からバトン渡る」との見出しで,つぎのように報じている.
この研究は約十五万と推定される原爆傷害者をはじめその配偶者および子を対象として行い,特に原爆の父・母から生れた子供の体質を綿密に調査,禍根の根絶を期する.このため全国の調査網は京大・九大・長崎・広島・鹿児島・熊本の各医大によって張られ,発足と同時に原爆患者の無料診察を開始,また病死者の解剖を要請,二十八年一ぱいまでに第一次調査を完了,この資料から”原爆体験者は早死にし易い”といわれる原爆病の究明に乗出す.
(中略)
一方原爆傷害者は表面は健康体に見えても発作的に疲労状態に陥って執務不能になるもの,睡魔に襲われるものなど異常症状から脱し切れず,原爆のしぶとさは七年後の今日も衰えず日本医学が解決せねばならぬ課題となった.
この記事は,講和条約発効(1952年4月28日)を目前に控えた日本の学会に存在した原爆被害に対する強い関心を生き生きと伝えている.また,この記事は,「この研究は世界人類のため役立つものであり,またアメリカがこれまで尽力した研究を引継ぐわけなので当然助成されると思う」との中西文部省研究助成課長の談話を掲載しており,研究班の設置が,ABCCの研究に替わるものとして企画されていたことを示している.
しかし,日本側の研究再開の契機には,こうした日本側の事情とともにABCCの働きかけもあった.この企画の中心にあった都築正男は,草稿「科学研究費交付金総合研究計画調書丙(昭27)」の中で,その事情を,つぎのように述べている.
最近広島ABCC Tailer所長より学術会議亀山会長宛に本研究への協力申入れもあり,日本側としても中絶していた原子爆弾災害調査研究に関する総合研究再開の必要性が痛感されている.
ABCCは,1951年から講和条約発効後の研究継続のためのさまざまな方策を講じていた.2月にABCCの所長(Field Director)を武官(Lt.col.Darl F.Tessmer)から文官(Dr.Graut Taylor)に変更したのは,その手始めといえるものであろう.同年末には,GHQ外交局を通じ,条約発効後のABCCの日本における地位について外務省との折衝を開始,同時に日本人医師・研究者との接触にも乗り出した.12月9日,広島医師会館でABCCの原爆影響研究発表会(主催は広島医学会)を開催,引続き1952年1月26日には,東京大学医学部でABCC調査事業報告会(主催は日本学術会議)をおこなっている.前掲都築の「調書」にある学術会議への研究協力の申し入れは,この前後になされたものである.
日本学術会議は,「原子爆弾災害調査研究」という課題名で文部省に対し科学研究費の申請をおこなった.都築正男の手書きの計画草稿によれば,この研究班は,塩田広重(代表者,日本医科大学学長)のほか中泉正徳(東京大学医学部放射線科)など19名の班員で構成されていた.しかし,実際にはつぎの28名の班員で発足した.
(東京大学医学部)中泉正徳・三宅仁・羽田野茂・中尾久・   筧弘毅・[都築正男]
(京都大学医学部)菊池武彦・天野重安
(九州大学医学部)操坦道・小野與作・入江英雄
(広島医科大学)渡辺漸・[河石九二夫・浦城二郎]
(広島官公立病院)[蜂谷道彦(広島逓信病院)・黒川巌 (広島県立病院)・重藤文夫(日赤広島支部病院)]
(長崎大学医学部)和泉成之・調来助・広瀬金之助・林一郎
(熊本大学医学部)河北靖夫・亀田魁輔
(鹿児島大学医学部)桝屋富一
(名大医学部)日比野進
(厚生省)[小谷新太郎(厚生省公衆衛生局)・槙弘・永井勇(予防衛生研究所)]
このうち,[]内は,計画草稿には見られなかった班員である.発足にあたり,広島と厚生省の関係者が補強されたことを示している.これは,都築によれば,ABCCの研究の世話係をしている予防衛生研究所および「従来からの関係で引続いて研究している」「赤十字社広島支部病院,広島県立病院,広島逓信病院」に対する「特別の考慮」の結果であった.
また,都築は,文部省研究班の運営について,つぎのような方針を明らかにしている.ここには,1947年7月,GHQの指令により原爆症研究の中断を余儀なくされた都築の研究再開に当たっての心意気・矜持を読み取ることができる.
1)本研究班は今後我邦学会独自の立場で運営せられるべきこと.
2)本研究班は今後我邦に於ける原子爆弾災害調査研究の権威ある機関として存在し,既存研究団体間の統合連絡機関として活動するように運営せらるべきこと.
3)本研究班は予防衛生研究所を通じ,アメリカABCC研究所とは常に密接な連絡をとり,相互に協力し得るように運営せらるべきこと.

文部省研究班の活動
広島医科大学では,この研究班への参加が,原爆症研究出発の呼び水になった.1952(昭和27)年8月から大竹市に居住する被爆者の健康診断を実施するとともに,同年9月には,つぎのような同大学の研究構想を作成した.
1)(大谷・小沼・田中教授)被爆者に於ける原爆被爆就学児童の肉体的並びに精神的発育異常に関する研究
2)(柳原・田淵・玉川・渡辺・田中教授)被爆者に於ける生殖能力に関する調査並びに研究
3)(田淵・大谷・玉川・渡辺教授)被爆者を父母として生まれたる新生児及び流産児に関する研究
4)(塚本・百々教授)被爆者に於ける感覚器の病変の研究
5)(小沼・鈴木・玉川教授)被爆者に於ける中枢神経の障碍に関する研究
6)(玉川・河石・上村・柳原教授)被爆者に於けるケロイドに就ての研究
7)(浦城・和田・大谷・渡辺教授)被爆者に於ける白血病に関する研究
8)(河石・上村・玉川・渡辺教授)被爆者に於ける腫瘍に就いての研究
9)(河石・上村・浦城・和田・大谷・玉川・渡辺教授)被爆者に於ける恒久的病変に関する研究
10)(西丸教授)原爆被爆による白血球数の動揺に 関する研究
「従来の関係から引続いて研究をしている」長崎大学医学部でも,「昭和28年8月より長崎ABCCと協同して爆心地から2粁以内で被爆者8,000名を対象として血液像の検査を開始」し,54年には7,200名の検査を完了した(影浦尚視の1953・54年度報告).
広島・長崎両大学以外では,1953年に,京都・名古屋・鹿児島の各大学が,被爆者の調査・研究を開始し,つぎのような活動をおこなった.
京都大学「広島ABCC保管の被爆者名簿から,京都および大阪府,三重,奈良,岐阜,福井,島  根,香川,高知,愛知県に居住する被爆者約12,000名の氏名と現住所を調べ,その中,健康相談を希望するもの約1,800名を対象として,教室ならびに地方の関係大学および病院と協力して臨床的検査を実施し」,1954年までに577名の検査を完了(菊地武彦の1953・54年度報告)
名古屋大学「広島ABCCの被爆者名簿により,知り得た東海5県(愛知,岐阜,三重,静岡,長野)の被爆者2,352名中健康診断希望者451名あり,その中210名に就いて調査」(日比野進の1954年度報告)
鹿児島大学「ラジオ,新聞により鹿,宮両県民に訴え両県下3,028名の被爆者に受診を要望したが28年度は57名を検査」,「29年度は戸別訪問的調査を計画したが果たさず,自発的受診のみで僅かに9名」(桝屋富一の1954年度報告)
このように,研究班の発足は,特定の地域での悉皆的な調査の契機になった.その際,ABCCの資料が利用されていることも注目される.しかし,その財政的裏付けは,ABCCのそれに比較して微々たるものであった.交付金は,初年度の1952年が140万円,53年が216万円,54年が144万円で,3カ年分を合計しても500万円に過ぎなかった.「金額として500万円(1人当り25000-3000円)が外科方面の治療にはかかる」との班員の発言(1953年6月に長崎大学で開催された班会議での同大調来助の発言)に対する都築正男の回答は「予算が少なすぎる.同情を除いて本当に必要なだけ充分」と答えざるを得ない有様であった(都築メモによる).大学によっては研究活動が,研究班の枠を超えて,独自に展開されたものと推測される.
研究班は,自らの成果を,初年度において,血液疾患(特に白血病)および熱傷・外傷後遺症(ケロイド)に関し大凡の知見を得,2年度には,調査を軌道に乗せ,全体の2カ年半の期間に,「原子爆弾被爆者後遺症の様相はほぼ明らかにすることが出来,その成績はそれぞれ,治療指針におりこんで,傷害者の治療対策実施に貢献している」と総括している.
この研究班の活動は,当初,4カ年の期間で計画されていた(前出の都築「計画草稿」).しかし,3カ年で一応終了し,1955年度からは,広島の官公立病院関係者と厚生省関係者を除き,大学関係者のみで継続されることになった.

組織的原爆症治療の再開
1951(昭和26)年12月9日,広島医学会は,広島医師会館でABCCの原爆影響発表会を開催した.国内初のABCCの業績発表会は,広島医学会が,前年の50年10月以降,準備を整えたといわれる.1947年以後の組織的原爆症研究の空白の中で,手探りの治療・研究を続けていた医師・医学者にとっては,待望の会であったことであろう.この会合には,全国から来広した諸学者を交え広島医師会館の講堂の空席なきまでの参加者があった.この会の開催で学界における「原爆タブー」を打ち破った広島医学会は,翌1952年2月の第4回総会を,日本人による原爆研究発表会の第1回たらしめようと企画し,国内へ広く招待状を発送した.原子爆弾に関する会員の研究発表会は,総会第2日目の2月17日におこなわれた.ここでは,被爆直後の調査結果の5年ぶりの報告,当時の被爆者に多発していた白血病の症例紹介など15人の発表がなされた.こうした広島の動きは,文部省研究班の発足に先行するものであった.
1952年には,広島市当局が,原爆障害者に被爆直後から接し続けていた広島の医師たちの協力を得て,組織的な対応を開始した.その直接の契機となったのは,「原爆乙女」の上京治療であった.同年6月10日,9名の「原爆乙女」のケロイドの診断が東京大学附属病院小石川分院で実施されるや,「在京有識者の間に異常な衝動と同情をまき起こした」.さらに,12月9日には,13人の「原爆乙女」が上阪,大阪大学と大阪市立大学の附属病院で受診した.こうした広島での動きは,翌年には長崎に飛火し,1月20日,長崎の「原爆乙女」3名が上京した.
広島市当局や市内の医師たちのこうした動向への対応は,すばやいものであった.広島市社会課が,2週間後に,同年1月の原爆障害者調査で把握した障害者約4,000名の治療費の全国募金運動を発表,また,7月1日から15日にかけ,市内45カ所の外科医院と診療所において,約4,000名を対象とした無料診療を実施した.この調査により,1,405名の治療による回復の可否状況と必要な治療費が明らかになった.それによれば,治療による完全回復可能な者214名,ある程度まで回復可能な者467人で,その治療に要する費用は304,100円であった.
文部省の研究班に参加していた長崎大学と広島医大でも,無料診療を開始した.長崎大学の調来助は,同研究班の活動として,8月20日から800名の被爆者に対する障害調査を開始,9月18日には,長崎市長および市議会議長と被爆者の援助体制について協議した.広島医大も,同年12月27日に,「治療だけならわざわざ大阪や東京などに沢山の費用をかけてゆかなくても大阪東京でできることはもちろん広島でもできる」(附属病院長柳原英談)と広島市に原爆症患者の無料治療を申し入れている.
以上のような動向を背景として,広島市は,医師会・市議会などとの連絡協議の結果,1953年1月13日,広島市原爆障害者治療対策協議会(略称:原対協)を発足させた.原対協は,18日,初の具体的事業として,市民病院で診察をおこなった.診察には,前年末無料診察を申し入れた広島医大の15名を中心に市民病院の医師6名が従事した.対象者は,前年7月に広島市が医師会の協力のもとに実施した一斉診察のカルテの中から選定した139名であったが,このうち75名が受診した.広島医大は,8月10-12日にも,文部省の研究班の活動の一環として前年同様,大竹市において240名(前年は278名)の全科検診を実施した.なお,長崎では,5月14日に原対協が発足した.
厚生省は,予防衛生研究所(略称:予研)を通じて,1947年6月以降,ABCCの研究に協力していたが,独自の取り組み調査はおこなっていなかった.しかし,1952年に入ると,被爆者に関心を示し始めた.文部省研究班の第1回会合(1952年9月29日)において,予研の永井勇は,1950年の国勢調査に付帯して実施されたABCC調査の結果に触れ,「この資料を如何に整理して健康管理を実施すべきか,近く実施案作製の予定である」と述べている.この動きは,厚生省による1953年度予算への原爆調査研究費100万円の計上に結実した.さらに,厚生省は,10月には,原爆症調査研究協議会(略称:原調協)を設置することと身体障害者福祉法を改正して,傷痍軍人・軍属に適用されている厚生医療保護の対象に原爆傷害者を加える方針を明らかにした.後者のその後は不明であるが,前者は,11月17日に実現した.同日に予研で開催された第1回協議会では,治療基準の作成を目標として,とりあえず治療指針を起草することなどが決定された.第2回会合は,1954年2月17-18日の両日,広島医師会館で「原爆症の治療に関するシンポジウム」とともに開催された.
1953年は,広島・長崎両市においては,原対協という原爆症の治療組織が,また,厚生省では,原調協という治療方法研究組織が生まれた画期的な年であった.前年に組織された文部省研究班とあわせて,三つの原爆症の調査・研究・治療体制が出現したわけである.
ところで,これら3者の主な構成陣容と目的は,文部省研究班が,学術会議による原爆の影響調査,原対協が,広島長崎両市と医師会による原爆障害の研究治療対策の推進,原調協が,厚生省による原爆後遺症の治療方法の究明となっている.また,当初の構想における対象者の設定もそれぞれ異なるものであった.文部省研究班の場合,発足前の構想では,前述のように約15万の原爆傷害者とその配偶者・子供までも調査の対象とする大規模なものであり,原対協は,治療の必要な原爆障害者を,広島市関係6,000名,長崎市関係2,900名と推定,厚生省の場合,広島・長崎両県237,810人の被爆生存者のうち3,000人以内を調査対象としている.
しかし,各構成陣容は,交互に重なっており,実施に当たっては,相互の協力関係が配慮された.1953年12月14日付の予研の「昭和28年度原爆症治療方法に関する研究実施要領」では,「国立予防研究所広島,長崎両支所を中核として,広島,長崎所在の医療機関の協力を得て」おこなうことが,実施方法に明記されている.また,予研の永井勇は,文部省研究班の第2回会議で,「国としては原爆患者のみを特別に治療すること」はできないとの理由から原爆調査研究費の治療費としての使用を否定していたが,1953年度予算100万円の24万円余が広島市原対協に割り当てられた.

陳情・募金活動の展開
広島・長崎両市当局および議会関係者の間で,原爆被害者に対する関心が高まってくるのは,1951(昭和26)年末以降のことである.両市の関係者は,1949年の広島平和記念都市建設法・長崎国際文化都市建設法の両法制定以後,都市建設促進を目的として交流を重ねていた.そうした会合の一つである1951年11月9日の広島長崎両原爆都市協議会(広島市で両市議会関係者が会合)では,「戦没者家族援護費国庫補償に関連しとくに原爆両都市戦災者の援護強化促進」などが審議されている.この会合で設置が決定された広島長崎特別都市建設期成委員会は,第5回会合(1952年7月2日-3日,広島で開催)で,つぎのような特別都市建設促進案をまとめた.
[両市建設事業促進の財政措置](略)
[建設事業促進のための政府の措置](略)
[原爆犠牲者に対する援護救済]
▽原爆遺家族援護の対象範囲の拡大および援護措置の強化
▽犠牲者の救済施設(孤児,老幼,未亡人らを収容救護するための諸養護厚生施設)設立の ため国の内外にたいする共同募金の様式による募金事業の実現
▽原爆による預貯金,公債などの焼失者にたいする国庫ならびに銀行などの債務の弁済
▽外国資金による被爆者の治療機関の設立(ケロイド患者の治療,ABCCとの併置)
また,1952年8月4日に,長崎で開催された同委員会では,任都栗委員長(広島市議会議員)が,「アメリカはケロイド症状に悩む原子病患者をネズミかモルモットぐらいにしか考えていない,単なる研究資料として取扱っているが治療機関を設置すべきでアメリカはその責任がある」と発言,中村長崎特別委員長も会議後の談話でつぎのように述べた.
惨殺行為が国際法で禁止されていたにかかわらず,アメリカは一しゅんにして幾万の非戦闘員の生命を奪ったのだから,このつぐないは当然負うべきである,われわれはこのむねの申入れを広島とともに講和締結前,米極東軍司令部の民事部たいし行ったが,講和前であり公にされなかった,原爆による損害の請求をアメリカのよろんに訴えるのはわれわれの権利である
これらの発言の中には,ABCCの調査のやり方への批判とともに,アメリカの原爆投下は国際法違反との立場からアメリカによる原爆障害者の治療責任を問うという,二つの要素が見られる.いづれも占領下では表面化しなかった点である.このうち後者は,治療の必要性の主張に新たな根拠を提供するものであった.この点は,1953年には,原爆損害賠償請求訴訟の動きとして,広島・長崎両市議会関係者とは別に独自の展開を始めた.一方,前者は,1955年に「原爆乙女」の渡米治療という意外な展開を遂げる.
この外,1953年7月には,広島・長崎両市長および議長が連署で,「原子爆弾による障害者に対する治療援助に関する請願」を国会におこない,衆議院では8月3日,参議院では8月6日に採択された.これは,原爆障害者についての被爆地からの初めての請願であった.また,同年8月には,中央共同募金会が,広島・長崎両市の原対協会長(各市長)の申請に応え,8月1日から10日間,「原爆障害者NHKたすけあい旬間」を実施した.それまでにも,「原爆孤児」・「原爆乙女」という特定の原爆被害者に対する募金は,国内外を対象に呼びかけられてはいるが,原爆障害者を対象としたものは,これが初めてあった.全国から5,088,000円の募金が寄せられた.

おわりに
以上見たように,講和条約が締結された1951(昭和26)年9月からビキニ水爆被災事件が発生した54年3月までの期間に,その後の原爆被害者対策に大きな役割を果たすさまざまな団体・組織あるいは運動・活動が生まれた.たとえば,文部省の研究班は,1958年からは「原水爆被害に関する総括的研究」班として60年まで継続し,その総括として「現在の組織を何等かの形で残存させ,ますます相互の連絡を密にして日本独自の調査研究を進める必要性がある」と述べた.広島大学原爆放射能医学研究所(1961年4月)・長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設(62年4月)は,この必要性に応える機関として発足したものである.また,厚生省の原調協は,原爆医療法の制定にともない,原爆医療審議会に形を代え,その役割を継続している.この期間に見られる広島・長崎両市と議会関係者の陳情活動は,組織的に直接の継続性はないものの,1967年11月に設置された広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(通称:八者協)の源流ということができよう.また,1953年8月の「原爆障害者NHKたすけあい旬間」は,60年代後半から活性化する原爆報道の先駆と位置づけることができる.
一方,ビキニ水爆被災事件以後原爆医療法の成立に大きな役割を果たした団体・組織で,この時期にまだその姿を明瞭に現していないものも,いくらか存在する.原爆被害者対策の受け手である被害者団体は,その一例である.この時期までに,広島市連合未亡人会(1949年9月20日)・原爆乙女の会(51年8月27日)・原爆の子友の会(52年1月17日)・原爆被害者の会(52年8月10日)・広島子供を守る会(53年2月22日)などの団体が誕生しているが,いづれも大きな広がりを得ることができなかった.原爆被害者団体が,大規模に組織され,単に対策の受け手としての存在としてではなく,自立した独自の存在として社会的な影響力を持つようになるのは,ビキニ被災事件以後のことである.
この期間の一般社会の原爆被害者への共鳴状況も,ビキニ以後とは大きく異なっている.たとえば,1956年の原爆の子の像建設募金では,「原爆障害者NHKたすけあい旬間」の募金額(509万円)を越える額(607万円)が,全国的なマスメディアによってではなく,広島の子どもたちの手で集められている.この募金の目的は,原爆症によって死亡した級友の死を慰めようということにあったが,両者の募金額の差は,目的の違いというよりも,社会の原爆被害者に対する共鳴の成熟度の違いとして理解すべきものと思われる.
政府が,原爆被爆者対策を自らの責任として開始するまでには,ビキニ水爆被災事件以後の原水爆禁止運動を中心とする新たな展開が必要であった.

典拠・参考文献
1)財団法人広島原爆障害対策協議会編・刊『広島原爆医療史』(1961年8月)
2)財団法人広島原爆障害対策協議会編・刊『被爆者とともに-続広島原爆医療史』(1969年8月)
3)広島市衛生局原爆被害対策部調査課『原爆被爆者対策の歩み-関係者による座談会』(1988年8月)
4)広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センタ-資料調査室『資料調査通信』第5号(1981年12月)~第29号(84年1月)に10回にわたり紹介した.
5)『資料調査通信』第55号(1986年7月)~第78号(89年4月)に11回にわたり紹介した.
6)広島市編・刊『広島新史 歴史編』(1984年11月)
7)最近の業績としては,モニカ・ブラウ『検閲1945-1949 禁じられた原爆報道』(時事通信社,198  8年2月),『ヒロシマの「史点」-占領下の原爆文献考』(「中国新聞」1986年6月30日~8月12日  30回連載)があるが,なお,解明の必要な分野である.
8)『資料調査通信』第82号(1989年9・10月号)所収の「原爆手記掲載書・誌目録」
9)「長崎民友」1948年6月24日
10)「中国新聞」1948年7月24日
11)「長崎民友」1948年9月23日
12)「中国新聞」1948年2月28日
13)「長崎日日新聞」1948年3月3日
14)広島市役所「広島市原爆による死没者調査についての趣意書」
15)「中国新聞」1952年1月19日.なお,この記事によれば,この調査は,戦傷病者戦没者遺族等援護法(1952年4月30日公布)の対象者に軍命令により出動した動員学徒・徴用工員・女子挺身隊員・国民義勇隊員などを加える運動の基礎資料を得るための調査に,補足的に実施されたものであった.
16)広島市原爆障害者治療対策協議会「原爆障害者治療対策の概要」
17)広島市編・刊『広島新史資料編Ⅰ都築資料』(1981年3月)
18)『ABCC年報1961年7月1日-1962年6月30日』
19)ABCC業績報告集1-60『原子爆弾被爆生存者に見られる放射線照射の遅発的影響』
20)ABCC業績報告集12-68『ABCCの主要調査標本』
21)都築正男「原子爆弾災害調査研究班に就て」
22)「毎日新聞」1952年4月20日
23)当時は県立で呉市に所在した.1953年8月国立移管され,57年9月広島市の現在地に移転を完了した.
24)広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会『原爆と広島大学-「生死の火」学術篇』(1957年9月)
25)「広島医科大学の原爆調査研究課題 昭和27.9.29受」(都築資料)
26)「原子爆弾災害調査」(『昭和27年度文部省総合研究報告集(医学薬学編)』所収).以下この項は,これと『昭和28年度』・『昭和29年度』・『昭和30年度』の各版による.
27)「広島医学」第5巻第5・6号
28)1952年4月にも日本血液学会総会で「放射線並に原爆障碍に関するシンポジウム」が開催されている.
29)「中国新聞」1952年6月26日
30)「中国新聞」・「長崎日日新聞」など各紙の報道 による.
31)「中国新聞」1952年6月26日
32)「中国新聞(夕刊)」1952年7月21日
33)「長崎日日新聞」1952年8月27日
34)「長崎民友」1952年9月19日
35)「中国新聞」1952年12月28日
36)「原子爆弾災害調査」(『昭和28年度文部省総合研究報告集(医学薬学編)』所収)
37)「原子爆弾災害調査」(『昭和27年度文部省総合研究報告集(医学薬学編)』所収)
38)「東京新聞」1953年1月22日
39)「中国新聞」1953年10月14日,11月7日
40)『予防衛生研究所年報』1953年度版
41)広島長崎両市原対協会長が中央共同募金会会長に提出した申請書(1953年6月2日)による.
42)「原子爆弾災害調査研究班第2回会議記事」(都築資料)
43)「中国新聞」1951年11月10日
44)「長崎日日新聞」1952年7月8日
45)「長崎日日新聞」1952年8月6日
46)松井康浩『原爆裁判』(新日本出版社,1986年8月)
47)中条一雄『原爆乙女』(朝日新聞社,1984年3月)
48)「原水爆被害に関する総括的研究」(『昭和35年度文部省総合研究報告集)』所収)

歴史資料管理委員会(放影研)

歴史資料管理委員会(放射線影響研究所)(歴史懇話会を含む)

開催年月日 備考
1 20110704
2 20111219
3 20130418
歴史懇話会(第1回) 講師:岡本義夫元長崎研究所事務部長https://www.rerf.or.jp/uploads/2017/09/historyforum01j.pdf
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10 20170713
歴史懇話会(第8回) 話し手:土手盛人元疫学部次長
11 20171227