国際連合大学編『紛争と平和の世界的文脈(全3巻)』(国際書院、武者小路公秀 他監修、19891215)
概要
巻 |
著者 |
タイトル |
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1 |
地域紛争と平和 |
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サミール・アミン |
第三世界、南北関係、東西関係における三層危機 1 |
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テオトニオ・ドスサントス |
世界危機と新国際経済秩序 13 |
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タマス・センテス |
ヨーロッパ、その中心と周辺の対立 43 |
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ラシェードディン・カーン |
世界的文脈におけるアジアの地域的安全保障 65 |
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ウィリアム・M・サザーランド |
経済的依存、地政学、および脱植民地国家 103 |
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ヤシュ・タンドン |
超大国対立の中のアフリカ 129 |
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ホセ・アグスティン・シマバーミチェレーナ |
ラテンアメリカにおけるトランスナショナル化と政治変化 159 |
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シルヴェー・ブルカーン |
グローバル戦略ゲームの中のヨーロッパ 181 |
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2 |
地域の平和と安全保障の構図 |
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マイケル・ハメルグリーン |
ラロトンガ南太平洋非核地帯条約と地域的安全保障への貢献 1 |
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S・K・B・アサンテ |
アフリカの平和・発展・地域的安全保障とアフリカ統一機構 51 |
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ヘクトール・ファウンデス・レデスマ |
紛争解決の枠組としての米州システム 89 |
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坂本義和 |
アジア・太平洋地域における平和の条件 119 |
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オウンディバ・ンオリ |
アフリカにおける平和・発展・地域的安全保障の実現に向けての行動計画 155 |
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クロビス・ブリガガオ |
ラテンアメリカの危機管理システム 187 |
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3 |
国際危機と地域紛争の焦点 |
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ブルース・カミングス |
朝鮮半島における平和と安全保障 1 |
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ピーター・D・ジョーンズ |
太平洋の軍事化 31 |
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モハメド・アユーブ |
イラン・イラク戦争と湾岸地域の安全保障 71 |
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イボ・マンダーザ |
南部アフリカの紛争 87 |
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アルマンド・コルドバ |
中米におけるパックス・アメリカーナと国際経済危機 117 |
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ビヨルン・ヘットネ |
平和と発展のヨーロッパ・モデルを超えて 133 |
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止
国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」
回 |
発言者 |
演題 |
1回(19811207)A 地域の平和と共通の安全保障を考える |
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(会場) 高輪プリンスホテル |
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オロフ・パルメ(前スウェーデン首相) |
独立委員会の仕事と共通の安全保障について |
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ラジニ・コタリ(インド) |
専門家の研究と大衆運動を基盤にして |
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大石武一(国際軍縮促進議員連盟会長) |
国際連合の精神と日本の役割 |
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坂本義和 |
軍縮の新たな展望 |
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永井陽之助 |
新たな「平和の構造」を求めて |
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宮崎繁樹 |
核兵器の違法性と非核地帯 |
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アリ・アラタス(インドネシア) |
東南アジア諸国連合の緩衝的役割の可能性 |
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トー・カー・フーン(マレーシア) |
ASEAN諸国と日本への期待 |
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ジャン=マリ・ダリエ(フランス) |
EC諸国の歩みと平和への道 |
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関寛治 |
世界の軍事化の要因と新しいネットワーク 広島大学の研究プロジェクトから |
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アルフォンソ・ガルシア=ロブレス(メキシコ) |
非核地帯条約の成立過程について |
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ヨセフ・チランキエヴィッチ(ポーランド) |
非核地帯構想とポーランドの平和について |
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〔討議〕 |
アジアの非核問題と日本 |
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(発言者) オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア)、田英夫(参議院議員)、秦豊(参議院議員)、永井陽之助 |
(19811208)B 被爆地・広島で平和を考える |
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(会場)広島平和記念館 広島会議 |
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今堀誠二 |
広島・長崎の被爆研究の成果をもとに |
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荒木武 |
原爆の犠牲者に捧げた言葉とともに |
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本島等 |
核廃絶を訴える被爆者の心を伝えたい |
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〔被爆体験者の訴え〕 |
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栗原貞子 |
2編の詩に寄せて |
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深堀義昭(長崎県被爆者手帳友の会事務局長) |
被爆者の実態を知ってほしい |
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松重美人 |
爆心地を撮影したカメラマンとして |
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秋月辰一郎(長崎・聖フランシスコ病院院長) |
医者として体験した被爆の姿 |
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オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア) |
“ヒロシマ”体験は非核運動の原点だ |
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ガルシア=ロブレス(メキシコ) |
国家元首に広島訪問を義務づけたい |
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森滝市郎 |
“広島以前”と“広島以後”で人類史は変った |
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庄野直美 |
シェルター論や放射線の遺伝問題にふれて |
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軍縮問題にみるネコとネズミ論争 |
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宍戸ヒロシ(山口県・大島教会牧師) |
ネズミの軍縮会議にネコが議長である |
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オロフ・パルメ |
二匹の猫と国連の役割について |
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ゲオルギ・アルバトフ |
恐しいのは敵ではなく”無関心”だ |
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オロフ・パルメ |
この深い衝撃と感銘を世界につたえたい |
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2回(19821029-31)C 核時代の平和をもとめて |
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(会場)国連大学 |
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矢野暢 |
地域的安全保障とアジア |
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ライモ・バウルネン |
核の悪魔にいかに対処するか |
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スミトロ将軍(インドネシア) |
安全保障への地域的アプローチ |
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安川壮(元駐米大使) |
アジア・太平洋における日本の役割 |
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エドムンド・オスマンチク(ポーランド) |
地域安全保障に関するラパツキー案について |
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フランク・バーナビイ |
超大国の軍事政策と新たな防衛政策 |
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大西昭 |
軍備競争の軽減と経済的影響 |
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栗野鳳(広島大学教授・平和科学研究センター) |
“平和的生存権”と日本 |
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ブレークウェイ |
普遍的な運動の努力を惜しまずに |
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〔討議〕パルメ委員会報告をめぐって |
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武者小路公秀 |
国連大学の性格について |
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〔討議〕平和研究機関としての国連大学の可能性 |
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3回(19840415-17) |
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4回『1985』 |
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出典:『核時代の平和をもとめて』(永井道雄著 、国際連合大学 発行、東京大学出版会発売、19840324)
年表・国連大学
80 12 08 広島大学平和科学研究センター・国連大学、広島市で合同研究会開催。テーマ「平和と開発」(9日まで)
81 02 25 広島市長、国連大学学長らと懇談、「平和問題検討委員会」の設置を提案。
81 12 04 、パルメ委員会を東京・国連大学で開催(~6日).
81 12 07 国連大学・広島大学など共催軍縮と国際安全保障に関する研究討論集会の東京集会、開催。パルメ委のメンバーら、参加。
81 12 08 広島市・広島大学・国連大学、「軍縮と安全保障に関する独立委員会(通称:パルメ委員会)を平和記念館講堂で開催。
82 10 29 国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」、東京で開催。(31日まで)。広島・長崎両市長、特別講演。
84 03 26 シンポジウム「アジア・太平洋地域における平和と変革」(国連大学など主催)、横浜市で開催。(29日まで)。
84 04 17 広島・長崎市長、国連大学主催の第三回東京セミナー(於東京)に出席、講演。広島市長、軍縮・平和のための首脳会議を広島で開催すベきだと提案。
84 05 99 国連大学の第1回・2回「東京セミナー」(1981・1982年)の報告書「核時代の平和をもとめて」刊行。長崎市長、被爆者らの発言も収録。(B6、236P)
85 02 04 「核の危機に関する東京セミナー広島セッション」(国連大学・広島市共催)、広島市で開催(6日まで)。海国から11カ国28人が参加、原爆資料館など見学。
85 03 25 ミンポジウム「アジア・太平洋地域におれる平和と自立」(神奈川県、国連大学など共催)、横浜市で開催。
85 06 03 「世界平和を考える大阪会議」(大阪府主催、七月開催予定)の顧問に、国連大学学長スジャトモコが内定。
86 10 24 「国際平和年世界会議」(国連大学主催)、大阪市で開催(26日まで)。25日、記念シンポジウム開催。
92 11 14 長崎総合科学大学長崎平和文化研究所、平和文化講演会を開催。武者小路公秀前国連大学副学長が「アジア・太平洋の平和と変革」と題して講演。
92 12 04 広島市、平和問題調査会を東京・国連大学で開催。14人が出席。1993年8月に開催予定の第3回平和連帯都市市長会議の進め方や被爆50周年の取り組みなどについて意見を聴取。
93 12 02 広島市、平和問題調査会を東京・国連大学本部で開催。委員18人が出席。
98 10 27 「軍縮問題を考えるエコノミストの会」(ECAAR)日本支部、「どうなるアジアの安全保障と経済」を東京・国連大学で開催。インド・パキスタンの核実験を取り上げる。マクナマラ元米国防長官とグジュラル前インド首相が講演。
国連大学広島誘致期成同盟会
年月日 |
事項 |
1969年 |
ウ・タント国連事務総長、年次総会で、「真に国際的な性格を有し、国連憲章が定める平和と進歩のための諸目的に合致した国際連合大学」の設立を提案。国連総会はこのような大学の実現可能性を検討するため、ユネスコと緊密に協力して調査を行う専門家委員会を任命。https://jp.unu.edu/ |
19720818 |
山田広島市長、ベルギー・ブリュッセル大学で開催された第15回先生会連邦大会の最終日本会議で「国連大学の広島設置」を提案。23か国代表の全員賛成で決議。 |
19720916 |
広島県・広島市・広島大・経済界が広島商工会議所で「国連大学広島誘致期成同盟会」結成大会。永野厳雄県知事を会長に選ぶ。 |
19720726 |
広島市議会、国連大学誘致に関し決議。(「平和の推進」) |
197209 |
国連大学の設立を検討する委員会、国連経済社会理事会に報告書を提出。https://jp.unu.edu/ |
197212 |
国連総会、国連大学の設立を認める。https://jp.unu.edu/ |
197312 |
国連総会、国連大学の設立委員会が提出した大学憲章と決議案を採択。https://jp.unu.edu/ |
19750120 |
初代国連大学理事会および学長のジェイムス・M・ヘスター博士の就任式、東京の暫定本部施設で開催。https://jp.unu.edu/ |
197509 |
東京の本部施設および 寄付基金設立に向けて寄付金1億ドルが日本政府の好意により提供され、国連大学の研究活動スタート。https://jp.unu.edu/ |
19780605? |
国連大学広島誘致期成同盟会、誘致の構想まとまらず運動中断。 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。