平和式典報道体制(広島テレビ)
撮影年月日:2017年8月6日午前8時26分 |
撮影者:宇吹暁 |
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撮影年月日:2018年8月6日午前8時35分 |
撮影者:宇吹暁 |
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平和式典報道体制(広島テレビ)
撮影年月日:2017年8月6日午前8時26分 |
撮影者:宇吹暁 |
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撮影年月日:2018年8月6日午前8時35分 |
撮影者:宇吹暁 |
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『ヒロシマはどう記録されたか NHKと中国新聞の原爆報道』(NHK出版<日本放送出版協会>編・刊、20030730)
内容
章 | |||
はじめに | |||
序 | そのとき、ラジオ・新聞は | ||
ラジオ放送が止まった/新聞記事にできない | |||
1 | 第一章 それぞれの八月六日朝 | ||
八月六日付中国新聞朝刊/その朝のラジオ放送/大佐古記者の身代わり/生き運のいい松重カメラマン/中村記者の汚れたワイシャツ/間一髪、三人の放送局員 | |||
2 | 第二章 広島壊滅のとき | ||
原爆投下・一〇秒の衝撃/広島中央放送局壊滅/もう一つのヒロシマ/中国新聞社壊滅/中国新聞社国民義勇隊全滅 | |||
3 | 第三章 あの日の五枚の写真 | ||
八月六日午前・二枚の写真/坪井はここに死す/後ろ姿の少年とセーラー服の少女/明の行方を知っていますか/八月六日午後・三枚の写真/被爆写真・もう一つの記憶 | |||
4 | 第四章 絵に残されたあの日の記憶 | ||
市民の手で原爆の絵を/ 母と子の原爆の絵/ 司令部特設放送室壊滅/ まぼろしの声/ 母と子の絵、ふたたび |
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5 | 第五章 幻の原爆第一報 | ||
黒い雨/幻となった原爆第一報/軍管区発表も、記事にできない/ピカドン第二報、地獄の川を下る | |||
6 | 第六章 爆心地の夜 | ||
八月末日夜・相生橋の一夜/袋町小学校の朝、比治山の夜/韓国に渡った原爆孤児/アメリカに渡った原爆乙女/生ましめんかな | |||
7 | 第七章 原子野に月冴えわたる | ||
比治山多聞院の臨時県庁/宇品・江戸家猫八さんと原爆資料館長/中国新聞社、代行印刷へ/呉鎮原爆調査隊、広島に入れず | |||
8 | 第八章 原子砂漠の朝 | ||
八月七日・広島が消えた/爆心半径五百メートル/被爆地図復元へ/爆心地復元の元ディレクター/材木町から中島本町へ/遺影は語る/ヒロシマからの第一声 | |||
9 | 第九章 子どもたちの被爆 | ||
三位一体の人形になった子どもたち/母たちの悲しみ/元原爆資料館長と元エノラ・ゲイ機長/動員学徒たちの被爆 | |||
10 | 第十章 アメリカ兵捕虜の被爆 | ||
爆心地の被爆米兵/爆撃機ローンサム・レディー号/元搭乗員たちの生と死/トルーマン米大統領の声明/長崎被爆 | |||
11 | 第十一章 特殊爆弾の正体を解明せよ | ||
呉鎮原爆調査団、爆心地へ/密命・幻の海軍原爆調査団/陸軍原爆調査団と仁科博士/わが国の原爆研究/三発の不発弾と長崎原爆のゾンデ/終戦を決めた原爆調査報告書/調査団員、それぞれの戦後 | |||
12 | 第十二章 新聞再開への道 | ||
在広新聞社の被爆/一県一紙と代行印刷/八月九日付中国新聞/終戦、大佐古記者の召集/九月三日付、自力発行第一号/原爆プレス・コードの発令 | |||
13 | 第十三章 原爆報道のあけぼの | ||
台風、ふたたび代行印刷へ/十一月五日付、本社復帰第一号/生きている「死せるカメラマン」/放送局再開、平和祭の呼びかけ | |||
14 | 第十四章 「広島特報」から「ビロシマ新聞」へ 三十五年目の原爆新聞/昭和二十年八月七日付と八日付「広島特報」/昭和二十年八月七日付「ヒロシマ新聞」/いまなぜ「ビロシマ新聞」か |
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15 | 第十五章 未来への伝言 | ||
俳優木村功の遺言/記者たちの伝言/核時代の記録・中国新聞は何を伝えたか/科学者たちの予見・核戦争後の地球/テレビは核をどう伝えたか | |||
あとがき 本書の編集にあたって | |||
引用・参考文献 | |||
年表NHK・中国新聞社原爆報道史 | |||
NHK・NHK出版、中国新聞社編集・発行の原爆関連図書 | |||
協力・資料提供者一覧 | |||
『NHK広島放送局60年史』( NHK広島放送局60年史編集委員会編、NHK広島放送局刊、1988/07/01)
内容
章節 | ||
開局60周年にあたって | ||
Ⅰ | 広島放送局の誕生 1 | |
1 | 日本放送協会中国支部設立 | |
ラジオの幕開け 1 日本放送協会中国支部設立 2 JOFK・こちらは広島放送局 4 総動員の郷土芸能人-開局記念番組- 7 |
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2 | 初期の放送番組 | |
放送番組の編成 9 とぎれとぎれの放送時間 10 報道放送 13 ニュース 臨時ニュース 産業ニュース 職業紹介 時報 生繭相場 局報 日用品値段 気象通報 経済市況 教養放送 17 講演講座 料理献立 青年の時間と農家の時間 学校放送 子供の時間 慰安放送 20 演芸 演劇 邦楽 洋楽 スタジオ外放送 23 |
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3 | 初期の放送設備 | |
放送機 電源 空中線 演奏室 マイクロホン 音声増幅器 連絡線・中継線・非常時連絡装置 有線中継と無線中継 | ||
4 | 強まるラジオへの関心 | |
全国初めての聴取者嗜好調査 30 受信者普及運動 31 文書宣伝 映画講演会 放送実演・放送実験つき子供大会 ラジオ体操の会 講習会 ラジオ商組合・供電業者 特殊サービス 伸びる受信契約者数 35 地方局と出張所 37 中国支部が広島中央放送局に 38 |
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Ⅱ | 戦争と放送 | |
1 戦争体制へ 日中戦争と放送統制 41 戦時色に変わる放送番組 42 ひろがる放送網 45 岡山・鳥取放送局は、大阪から広島中央放送局管内に 46 |
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2 太平洋戦争 きびしい電波管制 48 戦時中の放送番組 49 原放送所に三角塔型空中線建設 53 妨害放送 53 受信者の動き(昭和10年代)55 司令部地下壕からの空襲警報放送 56 番組表・加入者原簿の疎開 57 |
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Ⅲ | 原爆と広島中央放送局 | |
昭和20年(1945)8月6日、広島に原爆投下 59 原爆投下8月6日午前8時15分 61 被爆直後の広島中央放送局 63 広島中央放送局職員の被爆状況 65 原放送所での救急活動と生活 77 惨禍の中での単独放送開始 78 昭和20年8月21日以降の放送部事務日誌から 81 |
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Ⅳ | 混乱から復興へ | |
1 占領下の放送 第二放送、第三放送開始 89 ラジオコードの指令 90 復旧した流川演奏所 92 再生第一歩の初放送 94 ゼロからの出発 95 2 開放された放送 ローカル放送番組始まる 97 戦後のJOFKかいわい 99 マイク街頭へ 101 放送ストライキと放送国家管理 102 放送記者誕生 104 天皇ご巡幸と報道 105 平和記念式典の変遷 106 公開番組あれこれ 107 広島県放送文化普及委員会の発足 109 |
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Ⅴ | 発展するラジオ文化 | |
1 新しい放送制度 電波三法の施行 111 特殊法人日本放送協会の発足 111 中国地方の民間放送 112 2 ラジオ全盛期へ 多彩なラジオ番組 115 戦後の番組編成から- FKのスタジオ事情 農事放送とRFD全局をあげての仕事 スポーツ放送(昭和20年代)全国版に躍り出たローカル番組 芸能番組と部外放送関連団体 報道課誕生(昭和26年から現在まで)134 ラジオ・ドラマ花ざかり 151 FK芸能団体の活躍 156 広島放送管弦楽団 広島放送交響楽団 広島放送合唱団 広島放送劇団 広島放送児童合唱団 広島放送児童劇団 円盤録音からテープ録音へ 167 ラジオ放送網の建設 168 活発な周知活動 171 瀬戸内海文化船・文化バス 巡回ラジオ列車 NHKたすけあい夏・期移動相談 ラジオの集い NHK全国学校音楽コンクール 受信者の動き(昭和20年代)176 受信障害対策の変遷 178 |
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Ⅵ | テレビ時代の到来 | |
1 広島テレビジョン局開局 テレビの始まり 181 比治山テレビ放送所 182 昭和31年3月21日JOFK-TV開局 185 |
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2 初期のテレビ番組と放送制作 テレビローカル定時番組開始 189 平和記念式典初のテレビ中継 190 ローカルテレビニュース放送開始 192 待望のテレビ中継車配備 196 テレビ中継車でスタジオ番組を制作 199 8ミリによるローカル番組 200 テレビ特集、特別番組(昭和30年代)202 スポーツ放送(昭和30年代)205 FK制作テレビドラマの系譜 207 広島放送会館落成 213 テレビジョン放送局建設ラッシュ 217 中国地方放送番組審議会の発足 221 FM放送の開始と運行業務 222 |
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3 放送利用運動と視聴者サービス 放送教育研究会全国大会の開催 225 NHK婦人学級・放送利用農業集団の開設 228 あいつぐ海外演奏家・海外著名人の来広 228 番組公開 230 NHKサービスステーションの開設 231 テレビ受信対策 232 福山テレビ開局対策 大崎テレビ局UHF転換対策 受信者の動き(昭和30年代)234 |
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Ⅶ | カラー放送の時代 | |
1 テレビ、カラー化進む カラー放送の開始 237 ローカル番組もカラー化 238 爆心地図復元運動 240 ローカル30分番組の移り変わり 246 市民の手で原爆の絵を運動 249 特集・特別番組(昭和40年代)256 スポーツ放送(昭和40年代)と昭和50年のカープ初優勝 258 |
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2 視聴者とともに 視聴者サービス月間実施 261 生涯学習と放送 262 NHK交響楽団公演 266 番組公開 267 難視解消への取り組み 268 広島中央放送局ロビーに原爆之碑建立 272 受信者の動き(昭和40年代)275 |
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Ⅷ | 地域放送の拡充 | |
1 多様化するテレビ番組 ローカルワイドニュースの新設 277 特集番組の拡充 284 瀬戸内海企画シリーズ(昭和15年から現在まで)285 番組素材の宝庫「厳島」 288 昭和50年代の特集番組 290 地域とともに「まちかど号」 293 スポーツ番組(昭和50年代)296 昭和50~60年代の主なラジオ番組 297 |
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2 新しい技術 ニュース・番組制作全面ビデオ化 298 ニュースメディアの幕開け 300 衛星放送 文字放送 テレビ音声多重放送 緊急警報放送 ハイビジョン放送 |
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3 放送文化の発展を願って 視聴者センターの設置 304 テレビ放送開始30周年キャンペイン 305 中国地方テレビ映像祭 306 地域総合イベント 307 受信者の動き(昭和50年代)311 |
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4 ニューメディア時代を迎えて 各地で衛星放送公開・BSコンサート 315 中国地方文字放送フェア 315 広島放送局のきょうとあす 317 |
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原爆放送史 | ||
原爆放送の概観 321 | ||
NHKの原爆放送と私 327 | ||
原爆関連放送番組表(昭和21年~昭和63年)330 | ||
広島放送局制作原爆関連番組出版図書一覧 364 | ||
資料 | ||
昭和63年度地域放送番組一覧 367 広島放送局制作受賞番組一覧 368 ラジオ受信契約数の推移 371 テレビ受信契約数の推移 373 中国管内・県別受信契約数 376 中国管内ラジオ放送局一覧 377 中国管内テレビジョン・FM放送局一覧 378 広島県内の辺地共同受信施設一覧 393 広島放送局在籍者名簿[管理職 昭和2年度~61年度] 399 〃 [全職員 昭和30年度~61年度] 413 〃 [全職員 昭和62年度] 426 |
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年表 429 |
備考
『爆心』(朝日新聞(広島版)連載 19850403~0822)
部 | 回 | |
Ⅰ | 被爆死の空白 | |
1 | 白い花の記憶 遺骨の中に一輪 手向けの主は呉服商と判明 消えた繁華街・中島 消息不明なお多数 | |
2 | 小さき骨 | |
3 | 軍用旅舎 | |
4 | 天神町北組 | |
5 | 検校社 | |
6 | 支社史 | |
7 | 1/37 | |
8 | アイゴー | |
9 | 白衣 | |
10 | 通行人 | |
11 | 動員学徒 | |
12 | 68.8キロ | |
Ⅱ | その生活史 | |
1 | ||
2 | ||
3 | ||
4 | ||
5 | ||
6 | ||
7 | ||
8 | ||
9 | ||
10 | ||
11 | ||
12 | ||
13 | ||
14 | ||
Ⅲ | 40年の歩み | |
1 | ||
2 | ||
3 | ||
4 | ||
5 | ||
6 | ||
7 | ||
8 | ||
9 | ||
10 | ||
11 | ||
12 | ||
13 | ||
14 | ||
15 | ||
16 | ||
17 | ||
18 | ||
19 | ||
Ⅳ | 生還 | |
1 | ||
2 | ||
3 | ||
4 | ||
5 | ||
6 | ||
7 | ||
8 | ||
9 | 二度とあっちゃいけんこと 9歳の記憶 | |
『消えたペン-新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編 、汐文社、19880718)
目次
頁 | 項目 | 備考 |
003 | はじめに | 中国新聞労働組合不戦の碑実行委員会 |
009 | 炎熱のもとで取材したこと | 大佐古一郎 |
019 | <記録>新聞労働者の1945・8・6 | |
相川愛子さん(21) 相原利夫さん(23) 有馬軍治さん(25) 井川勝雄さん(28) 伊藤音三郎さん(29) 石井道子さん(32) 石井諒一さん(36) 出雲初一さん(39) 今田レツさん(42) 今出良秋さん(44) 上田照子さん(46) 後チサ子さん(50) 小野一明さん(53) 落窪ミカさん(55) 神田留次郎さん(57) 本原フサヨさん(59) 北山一男さん(63) 串本誉さん(65) 桑原玉江さん(67) 小迫周蔵さん・美律枝さん(68) 小谷増夫さん(70) 河野秀三さん(72) 佐伯カメさん(84) 佐上美代子さん(77) 佐々木猪勢治さん(80) 佐瀬実さん(84) 坂本定造さん(86) 下本キクエさん(88) 下江達重さん(91) 新城朝子さん(96) 杉野勝吉さん(97) 高田久子さん(100) 竹前省三さん(102) 千葉恭子さん(105) 寺尾政之さん(107) 寺本簫三さん(108) 戸田正記さん(111) 伴谷ヤスヨさん(112) 中井ヨシヱさん(114) 中野勝正さん(115) 仲伏一之さん(118) 中村正男さん(121) 難波くみ子さん(124) 西村静一さん(126) 馬場謙一郎さん(128) 橋本令一さん(130) 桧山八重子さん(132) 平本ウメ子さん(134) 深川庄三郎さん(136) 福井ミツヱさん(137) 藤勇哲さん(140) 法安雅次さん(143) 細川儀一さん(146) 前田英子さん(148) 三木芳郎さん(150) 三田久ニさん(152) 三好友太郎さん(155) 水原智識さん(157) 宮武松三郎さん(161) 宮本軍一さん(163) 宮本澄香さん(165) 宮本藤吉さん(166) 望月慶三さん(168) 矢田茂さん(170) 保田博さん(173) 山井治吉さん(176) 山根喜美子さん(179) 山本利さん(181) 横田怐治さん(185) 横山隆ニさん(186) 吉田芳夫さん(189) 若林ツネヨさん(190) | ||
192 | 藤間侃治(合同新聞=現山陽新聞) | |
196 | <座談会>「不戦の碑」運動と犠牲者遺族取材を通して | |
204 | 戦時編集局の八月六日 | ト部清隆 |
209 | 逝ってしまった先輩たち | 兼井亨 |
214 | 原爆と私 | 下住忠 |
218 | 涙でうるんだファインダー | 松重美人 |
224 | おわりに | 浅井幹夫(中国新聞労働組合執行委員長) |
戦争展(読売新聞社)開催概要
回 | 会期 | 会場 | 備考 |
1 | |||
『戦争記念館 第1回・第2回 <戦争>展全記録 別冊新聞記者が語りつぐ戦争』(読売新聞大阪社会部編、読売新聞社、19790515) | |||
2 | |||
3 | |||
『戦争記念館 第3回・第4回 <戦争>展全記録 別冊新聞記者が語りつぐ戦争』(読売新聞大阪社会部編、読売新聞社、19790515) | |||
4 | 昭和55年8月7日-19日 | ||
5 | 昭和56年8月6日-18日 | 大丸大阪店 | |
6 | 昭和57年8月5日-16日 | 大丸大阪店 | |
7 | 昭和58年8月4日-15日 | 大丸心斎橋店 | |
『真夏の戦争記念館 戦争展 第7回全記録 付第6回 記録 』(読売新聞大阪社会部編、読売新聞社、19830801) | U | ||
8 | 昭和59年8月9日-21日 | 大丸心斎橋店 | |
原爆展(朝日新聞社主催)
資料
資料名 | 年月日 | 備考 | |
本冊子 | (編著者・発行所) | ||
ヒロシマ原爆展 | 朝日新聞東京本社企画部、 広島市・朝日新聞社 | 19670905 | G |
原爆展アンケート集 | 朝日新聞社 | 19680101 | G |
ヒロシマ原爆参考資料集-原爆ドーム保存工事完成記念 | 朝日新聞社東京本社企画部・広島平和記念資料館 | 19680115 | G |
原爆展 | 朝日新聞西部本社企画部 広島市・長崎市・朝日新聞社 | 19680702 | G |
長崎原爆展 | 朝日新聞東京本社企画部 長崎市・朝日新聞社 | 19680806 | G |
ヒロシマ・ナガサキ原爆展 | 朝日新聞東京本社企画部 | 19700701 | GU |
原爆展 忘れまい、この惨禍 | 朝日新聞東京本社企画部 | 1982/07/01 | GU |
「原爆展」を見て 会場アンケートから | 朝日新聞東京本社企画部 | 19820920 | G |
『原爆展 忘れまい、この惨禍』(朝日新聞東京本社企画部、19820701 )
内容
表紙 | 写真 | ||
ヒロシマー1945 ナガサキー1945 | 挿図写真 | ||
02 | ごあいさつ | 広島市・長崎市・朝日新聞社 | |
広島市から | 荒木武(広島市長) | ||
03 | 長崎市から | 本島等(長崎市長) | |
05 | 広島ー人類最初の日 | ||
13 | 地球最後の地 | ||
21 | 非核日本の責務 岸田純之助 | ||
24 | 原爆の開発・破壊力 | ||
27 | 目標都市の選定 | ||
28 | 日本の原爆開発 | ||
29 | 広島・八月六日 | ||
32 | 被爆直後〈松重美人〉 | ||
34 | 被爆の品々 | ||
40 | 遺品など | ||
48 | 原爆被害の全貌 | 庄野直美 | |
51 | 長崎・八月九日 | ||
54 | 余燼くすぶるなかで | 〈山端庸介〉 | |
60 | 被爆の品々 | ||
64 | 遺品など | ||
70 | ラジオゾンデ・伝単など | ||
76 | 原爆による人体の障害 | 西森一正 | |
81 | ヒバクシャの戦後 | 〈福島菊次郎〉 | |
84 | 原爆の図-救出 | 〈丸木美術館〉丸木位里・丸木俊 | |
86 | 原爆以後の核開発と反核 | ||
88 | 米ソの核戦力 | ||
89 | もし「核」が落ちたら | ||
90 | 私の反戦 | 瀬戸内晴美 | |
92 | 出品目録 | ||
『毎日ムック』(毎日新聞社 )
発行年 | 頁 | 書名 | 所蔵 |
19950325 | 戦後50年 | G | |
広島爆心地360度パノラマ写真 | |||
002 | 原爆・広島・長崎 | ||
055 | アインシュタインの日本国民への釈明 | ||
066 | 第5福竜丸ビキニ被爆 | ||
188 | エンタープライズ寄港阻止闘争 | ||
207 | 京大闘争 | ||
214 | 三島由紀夫割腹 | ||
19950815 | アメリカ人の見た日本50年前 : カラー新発見 1945-1951 <毎日ムック 戦後50年姉妹篇> | GU | |
031 | 広島商工会議所屋上望楼から360度パノラマ写真 194510<林茂夫撮影> | ||
073 | 終戦1周年の平和式典 広島19460815<誤?> | ||
090 | ボルネオで日本軍と戦ったオーストラリア第7・9師団1200人が占領軍としてモロタイ島から呉に到着 広島19460214 | ||
102 | 米国人家庭の日本でのクリスマス 広島19471225 | ||
120 | 復興する広島 65%が再建された 19470516 | ||
154 | 瀬戸内海 広島・音戸 194908 | ||
176 | 広島駅 194904 | ||
178 | カナダ人と日本人の血をひく着物姿の女性と子供 1949 | ||
179 | 肥おけのある商店街 広島194909 | ||
184 | 復興する広島 195001 | ||
184 | 原爆ドーム 19500112 | ||
184 | 広島爆心地「平和の木・戦争はもうたくさん」 19500112 | ||
185 | 戦争はもうこりごり 「NO MORE HIROSHIMA 」を掲げた西連寺 広島195004 | ||
191 | 米映画の看板 広島195004 | ||
194 | ままごと遊び 広島19500403 | ||
204 | 墓地に隠した密造のドブロク 広島195012 | ||
238 | ミスター・スチールと撮影著たち | ||
19990220 | シリーズ20世紀の記憶 1945年 : 日独全体主義の崩壊 日本の空が一番青かった頃 |
G | |
042 | 戦艦大和の最期(吉田満「戦艦大和の最期」より) | ||
099 | 最初の原爆 | ||
100 | エノラゲイ | ||
101 | ヒロシマ 1945/8/6 8:15 | ||
101 | 太陽の廃立1945年8月(カネッティ『断想1942-1948』より) | ||
103 | 広島は平らになった (徳川夢声『夢声戦争日記8/10』より) | ||
104 | 戦後丸儲け(『丸山真男手帖5』より) | ||
105 | ナガサキ 1945/8/91 11:02 | ||
252 | 原爆開発[木幡越士] | ||
19991230 | 毎日ムック シリーズ20世紀の記憶 連合赤軍・”狼”たちの時代 : 1969-1975 | G | |
003 | 東大落城へ | ||
023 | 日大その後 | ||
025 | 早大 | ||
028 | 大学紛争 関東編 | ||
029 | 京大闘争 | ||
041 | 大学紛争 関西編 | ||
042 | 「広島死闘編」(広島大) | ||
045 | 九大 | ||
046 | 4・28沖縄デー1969 | ||
047 | ASPAC(アジア・太平洋協議会)粉砕闘争 | ||
047 | 10・21国際反戦デー | ||
052 | 高校生全共闘 | ||
106 | 70年安保闘争 | ||
109 | 三島由紀夫の決起 | ||
三島由紀夫割腹 三島由紀夫氏の死ののちに[武田泰淳] (「中央公論」1971年1月号、『レクイエム57』より) 要するに天皇一家の存在はあんたの飯の種なんだね(「中井英夫未発表日記(1949~1992)抄」より) |
|||
112 | 三島回想 | ||
180 | 未完の変革 高橋和巳君の死 | ||
276 | 中ピ連 | ||
『秘録大東亜戦史 原爆国内篇』(田村吉雄編、富士書苑、19531110)
内容
頁 | 見出し | 著者 | メモ |
口絵 | |||
昭和20年8月6日 原子爆弾、広島に爆発の一瞬 | 広島原子雲 | ||
B29の翼の下に | 長崎原子雲 | ||
悪夢を綴って | 平和に祈る子(長崎) | ||
009 | 北辺の悲劇 | 森川勇作 | 北海道新聞社社会部次長 |
028 | 霧の中の死闘 | 山口武光 | 北海道新聞社旭川支社 |
044 | 敗戦への道 | 三沢重美 | 北海道新聞社遠軽支局長 |
050 | 北海道戦争末期図絵 | 森川勇作 | 北海道新聞社社会部次長 |
079 | 予告された空襲 | 本多徳治 | ラジオ青森編成局長 |
085 | 猛火に崩れた仙台 | 佐藤英敏 | 河北新報社社会部 |
095 | ああ、この惨禍 | 高橋清一 | 栃木新聞社編集局次長 |
098 | 記者ざんげ | 河合栄 | 朝日新聞社弘前支局 |
103 | 女子挺身隊 | 五十嵐清江 | 朝日新聞社企画部 |
108 | 東京の表情 | 野村正男 | 朝日新聞社社会部 |
122 | 松代大本営異聞 | 河合栄 | 朝日新聞社弘前支局 |
126 | 山本元帥の墓碑 | 成沢猛 | 新潟日報長岡支局編集局長 |
131 | 金鯱炎上 | 中越富雄 | 中部日本新聞社社会部次長 |
142 | 雨の面会日 | 宍倉恒孝 | 朝日新聞社社会部次長 |
149 | 古都洛陽の紙爆弾 | 後藤明 | 京都新聞社編集局次長 |
155 | 焼都大阪 | 金子喜三 | 朝日新聞社調査研究室 |
168 | 岡山戦災記 | 谷竜太郎 | 山陽新聞社顧問 |
172 | 殉難の乙女二十二柱 | 石田晃 | 愛媛新聞社報道部 |
183 | 呪われし空襲 | 鶴田敬一 | 西日本新聞社文化部次長 |
195 | 壊滅した鹿児島市 | 川越政則 | 南日本新聞社論説委員 |
204 | 槍奇譚 | 鈴木正七 | 日本新聞協会事業課 |
215 | 赤い砲火を浴びて | 藤井康吉 | 北海道新聞社連絡部長 |
226 | 鉄扉をくぐる | 星野竜猪 | 元樺太新聞社編集局次長 |
242 | 第三十二軍壊滅す | 富田祐行 | 日本文化放送協会製作部長 |
272 | 曼珠沙華ー原子雲の下の広島 | 中村敏 | 共同通信社整理部次長 |
空襲解除/紅蓮の焔/竜巻―黒い雨/(絵)自転車に無電気をくくりつけ広島へ/火傷者の群/合掌…/猛火のそと/可部街道/ピカッドン/(絵)原爆第一報を送るべく電話機をつかんだ/第一報、十七万/虫も鳴かない/信じられない第一報/算を乱す老兵/運命の酒/(絵)にぎり飯を口にした皆の頬に涙が流れた/体験者たち/屍の川/(絵)猛火に追われて川べりに集まる半裸の人々/白骨の父母/すすり泣き/(絵)変り果てた父のまわりを赤ん坊は無心に這い/一本の注射液/友の屍を焼く/大本営発表/収容所/悪魔の正体/(写真)石垣だけ残った広島城/裸の参謀長/(絵)全身繃帯した参謀長はテントの中で敗戦を/横穴陣地/(写真)形のみ残った産業奨励館/応援/合宿/(絵)明治時代そのままの新聞社が出現した/第二弾/トルーマン放送/政府の抗議/ソ連の参戦/真っ赤な太陽/平和の詔勅/建設そして絶望/神は許さない/ | |||
311 | 歴史の終焉―八月六日の悲劇 | 大下春男 | 中国新聞社調査部長 |
時に八時十五分/地獄図絵さながら/(絵)客車の中は重傷者でいっぱいだった/火の海を行く/燃える木材、飛び散る米/累々たる死屍/(図)広島市被害図―7万の家屋と26万の人命を一瞬に失い16万の傷者を出した広島市の被害区域/街を呑む紅蓮の焔/無電で代替紙の依頼/(絵)倒れた家から火がふき助けを求める声がする/必死に消火に努む/口伝隊の編成/青い火柱のたつ街/肉親者、地獄の生別/無謀な避難阻止/七十年死滅説/責任を回避する米人/人間モルモット/原爆投下状況/(写真)今なお残る階段の跡/いたまし、戦争の惨禍/ | |||
327 | 原子雲の下(長崎原爆) | 熊倉一夫 | 読売新聞社神戸支局長 |
//(絵)//ピカドンの名付け親/(絵)///(写真)猛火におびえる市民《松重美人撮影・御幸橋写真》////////////////////// | |||
340 | 私は生きていた(長崎) | 田崎八重子 | |
勤労挺身の乙女/////////// | |||