「31 原爆報道」カテゴリーアーカイブ

原爆展(朝日新聞社主催)

原爆展(朝日新聞社主催)

資料

資料名 年月日 備考
本冊子 (編著者・発行所)
ヒロシマ原爆展 朝日新聞東京本社企画部、  広島市・朝日新聞社 19670905 G
原爆展アンケート集 朝日新聞社 19680101 G
ヒロシマ原爆参考資料集-原爆ドーム保存工事完成記念 朝日新聞社東京本社企画部・広島平和記念資料館 19680115 G
原爆展 朝日新聞西部本社企画部   広島市・長崎市・朝日新聞社 19680702 G
長崎原爆展 朝日新聞東京本社企画部 長崎市・朝日新聞社 19680806 G
ヒロシマ・ナガサキ原爆展 朝日新聞東京本社企画部 19700701 GU
原爆展 忘れまい、この惨禍 朝日新聞東京本社企画部 1982/07/01 GU
「原爆展」を見て 会場アンケートから 朝日新聞東京本社企画部 19820920 G

 

 

原爆展 忘れまい、この惨禍

『原爆展 忘れまい、この惨禍』(朝日新聞東京本社企画部、19820701 )

内容

表紙 写真
ヒロシマー1945 ナガサキー1945 挿図写真
02 ごあいさつ 広島市・長崎市・朝日新聞社
広島市から 荒木武(広島市長)
03 長崎市から 本島等(長崎市長)
05 広島ー人類最初の日
13 地球最後の地
21 非核日本の責務 岸田純之助
24 原爆の開発・破壊力
27 目標都市の選定
28 日本の原爆開発
29 広島・八月六日
32 被爆直後〈松重美人〉
34 被爆の品々
40 遺品など
48 原爆被害の全貌 庄野直美
51 長崎・八月九日
54 余燼くすぶるなかで 〈山端庸介〉
60 被爆の品々
64 遺品など
70 ラジオゾンデ・伝単など
76 原爆による人体の障害 西森一正
81 ヒバクシャの戦後 〈福島菊次郎〉
84 原爆の図-救出 〈丸木美術館〉丸木位里・丸木俊
86 原爆以後の核開発と反核
88 米ソの核戦力
89 もし「核」が落ちたら
90 私の反戦 瀬戸内晴美
92 出品目録

毎日ムック

『毎日ムック』(毎日新聞社 )

発行年 書名 所蔵
19950325 戦後50年 G
広島爆心地360度パノラマ写真
002 原爆・広島・長崎
055 アインシュタインの日本国民への釈明
066 第5福竜丸ビキニ被爆
188 エンタープライズ寄港阻止闘争
207 京大闘争
214 三島由紀夫割腹
19950815 アメリカ人の見た日本50年前 : カラー新発見 1945-1951 <毎日ムック 戦後50年姉妹篇> GU
031 広島商工会議所屋上望楼から360度パノラマ写真 194510<林茂夫撮影>
073 終戦1周年の平和式典 広島19460815<誤?>
090 ボルネオで日本軍と戦ったオーストラリア第7・9師団1200人が占領軍としてモロタイ島から呉に到着 広島19460214
102 米国人家庭の日本でのクリスマス 広島19471225
120 復興する広島 65%が再建された 19470516
154 瀬戸内海 広島・音戸 194908
176 広島駅 194904
178 カナダ人と日本人の血をひく着物姿の女性と子供 1949
179 肥おけのある商店街 広島194909
184 復興する広島 195001
184 原爆ドーム 19500112
184 広島爆心地「平和の木・戦争はもうたくさん」 19500112
185 戦争はもうこりごり 「NO MORE HIROSHIMA 」を掲げた西連寺 広島195004
191 米映画の看板 広島195004
194 ままごと遊び 広島19500403
204 墓地に隠した密造のドブロク 広島195012
238 ミスター・スチールと撮影著たち
19990220 シリーズ20世紀の記憶
1945年 : 日独全体主義の崩壊 日本の空が一番青かった頃
G
042 戦艦大和の最期(吉田満「戦艦大和の最期」より)
099 最初の原爆
100 エノラゲイ
101 ヒロシマ 1945/8/6 8:15
101 太陽の廃立1945年8月(カネッティ『断想1942-1948』より)
103 広島は平らになった (徳川夢声『夢声戦争日記8/10』より)
104 戦後丸儲け(『丸山真男手帖5』より)
105 ナガサキ 1945/8/91 11:02
252 原爆開発[木幡越士]
19991230 毎日ムック シリーズ20世紀の記憶 連合赤軍・”狼”たちの時代 : 1969-1975 G
003 東大落城へ
023 日大その後
025 早大
028 大学紛争 関東編
029 京大闘争
041 大学紛争 関西編
042 「広島死闘編」(広島大)
045 九大
046 4・28沖縄デー1969
047 ASPAC(アジア・太平洋協議会)粉砕闘争
047 10・21国際反戦デー
052 高校生全共闘
106 70年安保闘争
109 三島由紀夫の決起
 三島由紀夫割腹
三島由紀夫氏の死ののちに[武田泰淳]
(「中央公論」1971年1月号、『レクイエム57』より)
要するに天皇一家の存在はあんたの飯の種なんだね(「中井英夫未発表日記(1949~1992)抄」より)
112 三島回想
180 未完の変革 高橋和巳君の死
276 中ピ連

 

 

秘録大東亜戦史 原爆国内篇

『秘録大東亜戦史 原爆国内篇』(田村吉雄編、富士書苑、19531110)

内容

見出し 著者 メモ
口絵
昭和20年8月6日 原子爆弾、広島に爆発の一瞬  広島原子雲
B29の翼の下に 長崎原子雲
悪夢を綴って 平和に祈る子(長崎)
009 北辺の悲劇 森川勇作 北海道新聞社社会部次長
028 霧の中の死闘 山口武光 北海道新聞社旭川支社
044 敗戦への道 三沢重美 北海道新聞社遠軽支局長
050 北海道戦争末期図絵 森川勇作 北海道新聞社社会部次長
079 予告された空襲 本多徳治 ラジオ青森編成局長
085 猛火に崩れた仙台 佐藤英敏 河北新報社社会部
095 ああ、この惨禍 高橋清一 栃木新聞社編集局次長
098 記者ざんげ 河合栄 朝日新聞社弘前支局
103 女子挺身隊 五十嵐清江 朝日新聞社企画部
108 東京の表情 野村正男 朝日新聞社社会部
122 松代大本営異聞 河合栄 朝日新聞社弘前支局
126 山本元帥の墓碑 成沢猛 新潟日報長岡支局編集局長
131 金鯱炎上 中越富雄 中部日本新聞社社会部次長
142 雨の面会日 宍倉恒孝 朝日新聞社社会部次長
149 古都洛陽の紙爆弾 後藤明 京都新聞社編集局次長
155 焼都大阪 金子喜三 朝日新聞社調査研究室
168 岡山戦災記 谷竜太郎 山陽新聞社顧問
172 殉難の乙女二十二柱 石田晃 愛媛新聞社報道部
183 呪われし空襲 鶴田敬一 西日本新聞社文化部次長
195 壊滅した鹿児島市 川越政則 南日本新聞社論説委員
204 槍奇譚 鈴木正七 日本新聞協会事業課
215 赤い砲火を浴びて 藤井康吉 北海道新聞社連絡部長
226 鉄扉をくぐる 星野竜猪 元樺太新聞社編集局次長
242 第三十二軍壊滅す 富田祐行 日本文化放送協会製作部長
272 曼珠沙華ー原子雲の下の広島 中村敏 共同通信社整理部次長
空襲解除/紅蓮の焔/竜巻―黒い雨/(絵)自転車に無電気をくくりつけ広島へ/火傷者の群/合掌…/猛火のそと/可部街道/ピカッドン/(絵)原爆第一報を送るべく電話機をつかんだ/第一報、十七万/虫も鳴かない/信じられない第一報/算を乱す老兵/運命の酒/(絵)にぎり飯を口にした皆の頬に涙が流れた/体験者たち/屍の川/(絵)猛火に追われて川べりに集まる半裸の人々/白骨の父母/すすり泣き/(絵)変り果てた父のまわりを赤ん坊は無心に這い/一本の注射液/友の屍を焼く/大本営発表/収容所/悪魔の正体/(写真)石垣だけ残った広島城/裸の参謀長/(絵)全身繃帯した参謀長はテントの中で敗戦を/横穴陣地/(写真)形のみ残った産業奨励館/応援/合宿/(絵)明治時代そのままの新聞社が出現した/第二弾/トルーマン放送/政府の抗議/ソ連の参戦/真っ赤な太陽/平和の詔勅/建設そして絶望/神は許さない/
311 歴史の終焉―八月六日の悲劇 大下春男 中国新聞社調査部長
時に八時十五分/地獄図絵さながら/(絵)客車の中は重傷者でいっぱいだった/火の海を行く/燃える木材、飛び散る米/累々たる死屍/(図)広島市被害図―7万の家屋と26万の人命を一瞬に失い16万の傷者を出した広島市の被害区域/街を呑む紅蓮の焔/無電で代替紙の依頼/(絵)倒れた家から火がふき助けを求める声がする/必死に消火に努む/口伝隊の編成/青い火柱のたつ街/肉親者、地獄の生別/無謀な避難阻止/七十年死滅説/責任を回避する米人/人間モルモット/原爆投下状況/(写真)今なお残る階段の跡/いたまし、戦争の惨禍/
327 原子雲の下(長崎原爆) 熊倉一夫 読売新聞社神戸支局長
//(絵)//ピカドンの名付け親/(絵)///(写真)猛火におびえる市民《松重美人撮影・御幸橋写真》//////////////////////
340 私は生きていた(長崎) 田崎八重子
   勤労挺身の乙女///////////

 

敗戦と原爆投下(週刊朝日百科)

『週刊朝日百科日本の歴史122 現代1敗戦と原爆投下』(朝日新聞社、19880821)

目次

所蔵
藤村道生(責任編集) GU
02 日本の降伏をめぐる国際政治 藤村道生( 上智大学教授)
04 昭和二十年八月十五日 藤村道生
08 コラム:東京大空襲-昭和二十年3月十日 伊藤正徳 (聖徳学園関東高校教諭)
10 「和平」への戦い サイパン陥落以後  藤村道生
16 全国主要都市の空襲被害
18 玉砕―その「構図」と精神的風土 黒沢文貴 都(立日比谷高校講師)
18 連合軍の反攻から原爆投下まで
20 戦術としての<特攻> 櫻井良樹 (麗澤大学非常勤講師)
21 沖縄戦と原爆投下 藤村道生
23 原爆の惨劇
24 広島・長崎被害地図
26 もの言わぬ証言者
27 戦時下の教育-学徒動員と学童疎開 斎藤聖二 (茨城キリスト教短期大学助教授)
29 ポツダム宣言の受諾 藤村道生
30 満州開拓団とソ連軍の進入

アサヒグラフ

アサヒグラフ(原爆関係記事一覧)

発行年月日 記事  所蔵
19500816  18  ヒロシマを記録した人々告知板本  G
19520806 特別増刷 原爆被害の初公開 U
 19530701  04 原爆症患者その後-被爆八年目の広島にて

 G
 19530826  04   原爆記念日 広島 長崎   G
 19530930  06

本【雑誌】|広島平和記念資料館 平和データベース

原爆傷害調査委員会 広島
 G
 19531223  03  本年度”浮世バンザイ”告知板 国内で初めて縁組 原爆孤児を精神養子に   G
 <未入力>
19650528 表紙・くずれゆく原爆ドーム(広島)  U
 03 霊界から来だ”歌手・丸山明宏
 27  くずれゆく原爆ドーム
19730824 19 この人々に「戦後」はない―韓国・陝川郡の原爆被災者たち(写真と文:吉岡攻) U
19770617 特集:日本原発地図 U
 19780811  12  追跡全調査「原爆の子」106人の33年 閃光の記憶 いまも深く生々しく U

 

 

ヒロシマ 21世紀へのメッセージ

『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(朝日新聞社文化企画局大阪企画部(編・刊、199409)

目次

口絵写真
020 19940927-1030 熊本県立美術館
19950551-0612 大丸ミュージアム・梅田
19950812-0924 郡山市立美術館
19951007-1203 広島市現代美術館
021 ごあいさつ 主催者
024 霊魂よ眠れ 新藤兼人
033 コレクションテーマ[ヒロシマ]
087 ヒロシマ―半世紀への黙示
114 コレクション、テーマ「ヒロシマ」について 竹澤雄三(広島市現代美術館学芸課長)
120 21世紀への黙示―ヒロシマ 小泉晋弥(郡山市立美術館主任学芸員)
127 原爆写真とは何か―次代の人類のヴィジョンのために 平木収(写真論)
133 戦争を風化させないために―フォトCD[ヒロシマ・1945] 後藤和雄(朝日新聞写真データベース委員会幹事)
135 市民が描いた原爆の絵 小泉晋弥
136 作家略歴
140 出品目録

 

ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録

『ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録 』(佐々木雄一郎写真、毎日新聞広島支局編 、毎日新聞広島支局、19770701 )

内容

撮影年月日 備考
荒木武
194509 爆心
1948 原爆ドーム
<以下要入力>
ヒロシマの歩み<年表>
ヒロシマと生きて 佐々木雄一郎
ヒロシマに思う 山本皓三
編集後記 河野通宏
編集委員

原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと

『原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと』(NHKスペシャル取材班、岩波書店、20170725 )

目次

1 きのこ雲の下の二枚の写真
 原爆投下三時間後の写真
「涙でファインダーがくもった」
御幸橋は壊滅地帯の出口だった
コラム① 「地獄の再現」は、証言者がいたからこそ実現した
2 橋の上には凄惨な光景が広がっていた
少女は動かなくなった赤ちゃんを抱いていた
「どこに逃げればいいのか」それだけを考えていた
瀕死の重傷を負って
あれは「死の前の光景」だった
コラム② 私たちは八月六日、御幸橋を通った
3 写真にはどのような”痛み”が写し出されているか
「科学の力」で原爆の実相を浮かび上がらせる
人間が感じる最大の痛み、”フラッシュ・バーン”
写真は”原爆の非人道性”を物語る
放射線による影響は出ていたか
コラム③ 対談 熱傷の専門家×原子核物理学者
4 橋の上は、命を救う最前線だった
御幸橋は、救護の拠点となっていた
広島に入った特攻兵を皮肉な運命が待っていた
命の選別が行われた
似島に運ばれて
コラム④ 水をあげるか、あげないか。それは究極の選択だった
5 私は友を置いて橋へと逃げた
がれきの下で校歌の合唱が始まった
橋の上にいたのは、一〇代の少年少女たち
最大の犠牲者は中学生だった
悔いを抱えて
コラム⑤ 写真が写し出す”悲しき物語”
終章 原爆は市民の上に落とされた
公表になぜ七年もかかったのか
世界で唯一の写真は、訴え続ける
「被爆の真実」は伝わっているか
コラム⑥ 差別を超えて
あとがき

 

長崎 よみがえる原爆写真

『NHKスペシャル 長崎 よみがえる原爆写真』(NHK取材班編、日本放送出版協会、19950830)

目次

序文
序章 アメリカでよみがえる長崎
写真修復計画「長崎・ジャーニー」
1945年8月10日、川端庸介の「長崎・ジャーニー」
山端写真と最新技術との出会い/クリスとジュディ
第1章 長崎を記録した男
ヒロシマとナガサキ
原爆を記録したカメラマンたち
写真家・山端庸介の戦争
西部軍報道部と火野葦平
新たに発見された山端写真
PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー
第2章 長崎・ジャーニー1 ラッキーガール、おにぎりを持った親子
偶然の「浦上工場」/八月十日「悲劇の谷」到着/早朝の憲兵隊本部
少女の微笑み/「ラッキーガール」の悲劇/「さまよう兄弟」との出会い
炊き出しのおにぎり/「おにぎりを持った親子」/優しかった母の面影
第3章 長崎・ジャーニー2  爆心地・傷つき焼かれた人々
モンペの柄から/トラックの上の炎熱地獄/爆心地の悲惨/立ちすくむ少女
平和を祈る龍さんの五十年/路面電車、生と死のドラマ
謎の「浦上天主堂」写真
第4章 長崎・ジャーニー3  救援・逃げ延びた人々
爆心地から北へ/市役所職員奮闘す/「これは私の家だ」
道ノ尾駅の幻の看護婦/日赤第七一三救護班/胸に滲むチンク油の匂い
語ってくれた[お乳をあげる母]/二人の子を失って/写真が説明している
〇〇 PHOTOGRAPHS  8・10 長崎・ジャーニー
終章 長崎の映像は語る
クリスとジュディの長崎再訪/アメリカ・原爆写真展の衝撃
あとがき