「被爆教師」カテゴリーアーカイブ

広島県原爆被爆教職員の会訪中友好交流団

広島県原爆被爆教職員の会訪中友好交流団

第1次 1985年
第2次
第3次 1988年8月12日~10日間
12日大阪空港―上海空港―13日平頂山―上海14日―平頂山―戦犯管理所―15日瀋陽駅―長春駅―吉林省博物館―16日長白山賓館―17日和平邨賓館―731部隊―東北烈士記念館―18日賓館―19日兆竜飯店―盧溝橋―20日兆竜飯店―軍縮委員会―明の十三陵―万里の長城―飯店―21日兆竜飯店―北京空港―上海空港―大阪空港
 資料『広島県原爆被爆教職員の会第3次訪中友好交流団歴訪の記録』(『広島教育』426号 広島県教職員組合、19881205)

被爆建造物をたずねて

『被爆建造物をたずねて 平和学習のしおり』(広島平和教育研究所・広島県原爆被爆教職員の会編、広島平和教育研究所出版部 、19910801 )

目次

被爆建造物とヒロシマ案内
ヒロシマ原爆被爆建造物「広島からヒロシマまで」
被爆建造物をたずねて 平和学習のしおり
01 国前寺と広島駅周辺
02 福屋倉庫
03 福屋 八丁堀
04 広島アンデルセン
05 袋町小学校
06 日本銀行広島支店
07 国泰寺高校(旧制県立1中)
08 広島大学理学部1号館
09 広島電鉄本社変電所と路面電車
10 御幸通り
11 日本通運出汐倉庫
12 比治山陸軍墓地
13 広島城周辺の旧軍事施設
14 基町の被爆エノキ
15 原爆ドームと平和公園

 

 

被爆教職員ここまで生きてきて

『被爆教職員ここまで生きてきて 被爆40周年を記念して』(原爆被爆教職員の会全国連絡会編・刊、19880310)

目次

はじめに 石田明(全国被爆教職員の会 会長)
1 被爆教職員の会結成へ-自らの体験を教え子に語り伝え
1 未来を語りつづけて(広島県被爆教職員の会結成)11
2 二度と悲劇をくりかえさないために(広島高校被爆教職員の会結成)16
3 沈黙の壁をやぶって(長崎被爆教職員の会結成
2 どのような課題を背負ってきたか-平和教育を創り出す力
平和教育運動
(1)広島から平和教育の創造
1 組織的にとりあげた平和教育 27
2 広島平和教育研究所の設立 34
3 とりたてた平和教育とカリキュラム 45
4 修学旅行生への証言活動
(2)広島(高校)の平和教育運動
1 会結成以後の原爆、平和教育推進について 73
2 これからのわたしたちのつとめ-高校生の批判に応える
(3)長崎からの平和教育運動
1 初期の平和教育運動 94
2 平和教育運動の復活と抵抗と創造
(4)全国被爆教職員の会結成と行動
くらしといのちを守るために
(1)被爆教職員の健康管理と権利の確立について 109
(2)修学旅行ヒロシマ学習への対応について 112
(3)広島(高校)被爆教職員の会結成と活動 112
(4)長崎県被爆教職員の会活動
《資料》これが人間のすべてをうばった原爆の実相-原爆死没者に関する中間報告の要点
3 被爆40周年にたって
(1)ヒロシマの心と教育 広島・空辰男 155
(2)池子弾薬庫米軍住宅建設阻止闘争について 神奈川・矢納直彦 162
(3)沖縄の反戦平和のたたかい 沖縄・栄野川安邦 166
(4)あの時、私は-40年を生きてきて
(被爆40周年ヒロシマ・ナガサキ被爆教職員・ヒロシマの集いから)177
4 ここから被爆教職員は生きる
忘れられない8月9日 福岡・豊田千五穂 193
広島原爆記念日にあたって 福岡・小川武志 198
被爆の洗礼の下で 熊本・小高盛穂 210
一日もはやく被爆者援護法を 長崎・岡本博 214
被爆を体験した私が残せるもの 広島・峠岡邦英 218
原爆と私 広島・田邊智恵美 223
ちぎれかけた左腕 広島・占部成人 226
あの日から四〇年 広島・入沢庄平 228
原爆の日に想うこと 広島・林美喜雄 231
集団疎開 広島・渡部みさを 233
被爆体験を語りつぐ 広島・浅野知恵子 246
広島のまほうつかい 広島・沢井充子
■原爆被爆教職員の会全国連絡会会則

 

 

人類の未来への証言

『人類の未来への証言 シリーズ・日本の教師③』(全国原爆被爆教職員連絡会編、労働旬報社、19800806)

目次

教え子に残す貴重な遺産として 石田明
1 いま、子どもたちに語りつぐ
全校生徒を前に、初めての被爆体験報告 久田照和(福岡 )
半身の苦痛を戦争反対の強い叫びにして 空フミコ(広島 )
苦痛と惨禍を心の中から抜き出す 井木邦彦(福岡 )
 軍人勅論の暗誦テストの最中に  黒岩貞義(福岡)
2 原爆被爆と人間のきずな
自分につながる人間の発見 角増渉 (広島)
わが青春の友 田中米雄(大阪 )
被爆家庭の戦後史 松尾嘉人( 長崎 )
城山小学校殉難記 荒川秀男(長崎 )
3 明日を生きる
告発するわが「てのひら」 永坂昭( 東京)
母子五人で生きてきた道 萱原威(広島)
私の中に生きてきた爪跡 藤岡裕子(広島 )
生への執着 佐藤茂(北海道)
戦争をくり返さないための刻印  築城昭平(長崎)
4 平和教育を掲げて
小さな有名人ー先生・広島・原爆を結ぶ 里見香世子(東京 )
被爆教師として生きる 吉崎温(長崎 )
私の仕事 松井昭三(広島)

ヒロシマへの旅-平和学習のしおり

『ヒロシマへの旅 平和学習のしおり』(広島平和教育研究所・広島県原爆被爆教職員の会編、広島平和教育研究所出版部、19800120)

内容

(1)広島駅に降り立って
北口一帯は昔の東練兵場
あの日の広島/臨時の救護所となった東練兵場一帯
二葉山から七つの川を望む
死人の流れる川
(2)比治山展望台に登って
山頂にあるABCC
ABCCの開設/ABCCと被爆者
展望台から望む宇品港と似島
戦争と宇品港/戦争と似島/被爆者と似島
(3)爆心地とその付近を訪ねて
原爆ドームとそのあたり 12
爆心地・島病院跡/原爆ドームと保存運動/T字型をした相生橋
西練兵場だった広島城付近 14
一瞬にくずれた広島城/被爆の証人・老エノ
(4)原爆資料館と記念館の見学
資料館での原爆学習
原爆の構造/熱線/爆風/放射線/死者数もわからないヒロシマの悲劇/原爆症
記念館での平和学習
今日の核兵器/核兵器禁止運動
(5)平和公園内の碑を訪ねて
ヒロシマの碑とその心
占領下時代の碑/占領後の碑
平和公園とその周辺の碑
原爆慰霊碑/原爆の子の像/原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑
平和公園とその周辺の碑案内地図
(6)原爆病院のお見舞
 原爆病院と被爆者/日赤病院の破壊跡と養護ホーム
被爆者はいま
被爆者の実態/原爆医療法と特別措置法
被爆者の三つの願い
(7)ヒロシマヘの旅を終えて
そのまとめと今後への発展

この子らに語りつぐもの

『この子らに語りつぐもの-広島原爆被爆教職員の手記 第1集』(広島県原爆被爆教職員の会、広島県高校原爆被爆教職員の会編・刊、19771220 )

目次

備考
はじめに 石田明
広島県原爆被爆教職員の会会長
貴重な手記 森下弘
広島県高校原爆被爆教職員の会長
本谷正輝 戦災日記 原爆から終戦まで
空フミコ 私の被爆体験と生きる道
稲生雅之 1945年8月6日と私
山田和邦 運命の瞬間を生きてきて
山本博哉  私の原爆体験記
萱原威 明日に生きる
伊藤博幸 死人で埋まった広島の川
藤岡裕子 被爆30余年、私の残すもの
坪井直 とどろき
智谷秋宣  一瞬にくずれた広島城
池亀春男 原爆投下の日をふりかえる
山根和規 和代へ、父より
山本廣志 わたしの体験記
松井昭三 すべてが無になったヒロシマ
植野浩 あとがき

沈黙の壁をやぶって

『沈黙の壁をやぶって』(長崎県教職員組合長崎総支部・長崎市原爆被爆教師の会編、労働旬報社、19700809)

目次

章節
はじめに
七○年代教育創造の糧に 宮之原貞光(日教組委貝長)
序章 今こそ沈黙の壁をやぶって 坂口 便
1章 長崎の原爆 編者
その前夜 光と雲 幽鬼の群れ 屍の列車 看護るものなく 燔祭の炎の中に 児童・生徒・教師
2章 被爆教師の体験と証言
生き残り三人の記録 城山小学校
城山殉難記 荒川秀男
追憶の涙の中から 江頭千代子
医者がいない、薬がない 宮本スミエ
「二六人の教師が憤死」 山里小学校
土壕の奥に生きて 林英之
熱い骨・原爆の歌 瀬戸口千枝
母の愛情すら奪う 川口勇
生きながら焼けた友 築城昭平
トンネル工場 まつお びん
屍体整理班 三輪博志
3章 原爆と子どもたち
子どもの記録 林勝己
「原爆に関する調査」の集計から 編者
調査を実施して 広島と長崎と 原爆はなぜおとされたか  原爆を誰が教えるか 原爆に対する子どもの感じ方
4章 原爆学級の記録-世界でただ一つの悲しい学級
4-1 原子爆弾はまだ生きている
4-2 原爆学級の編成
4-3 研究発表「被爆児の心身発達について」 城山小学校
4-4 原爆学級のその後
4-4-1 四番目の犠牲者
4-4-2 原爆教室の父
4-5 被爆二世の問題
資料 被爆児の心身発達について(昭和28年2月26日) 長崎市立城山小学校
目次
1.発表までの経緯
2.被爆児の心身発達について
3.一年実験学級年長組の被爆児と対照児
4.特殊児童の指導の実際
 【付】 原爆の児を偲びて―故橋本長利さんの霊に捧ぐ
5章 平和教育の原点
(1)芽生えは出ている 編者
(2)スラノド台本「原爆許すまじ」 佐世保・平和と教育を守る高校教師の会
(3)原爆体験記の英訳について 編者
 (4)一つの教室実践  三輪博志
 (5)教え子に明るい未来を  中西俊造
6章 原爆体験の継承と国民教育への展望 -長崎の屈折した体験の中から
鎌田定夫(長崎県教研講師・長崎造船大学教員)
6-1 原点としての“原爆”とその風化・潜伏
6-2 風化に抗して新しい創造へ -子どもと教師・父母の葛藤のなかから
 6-2-1  教研活動のなかでの反省と確認(小・中)
  6-2-2  新しい民主的学園建設の試み(高・大)
 6-3  被爆者たちの連帯のなかで
 終章  長崎の教師はこう訴える-被爆25年間の屈辱と怒り、そして70年代の教師はいま何をなすべきか
   田中義明 (長崎市立江平中学校教諭)
 あとがき-この芽を枯らすことなく  宮崎勇二(長崎県教職員組合執行委員長)