広島県原爆被爆教師の会入会のしおり 1972年6月現在
| 所蔵:ピカ研 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
広島県原爆被爆教師の会入会のしおり 1972年6月現在
| 所蔵:ピカ研 |
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『”ひろしま”-原爆をかんがえる(試案)=そのとり扱いと若干の留意点について=』(広島県原爆被爆教師の会・広島県平和教育教材編集委員会・広島県教職員組合、19690701)
| 所蔵:ピカ研 形態:紙1枚 | ||
| はじめに(1969年7月1日) | ||
| 平和教育教材「ひろしま」について | ||
| 1 | 8月6日8時15分 | |
| 2 | 被爆の苦しみと怒り | |
| 3 | 第2次世界大戦のありさま | |
| 4 | 戦争をすすめた人びとのうごき | |
| 5 | 原爆投下の目的 | |
| 6 | 原子爆弾の破壊力 | |
| 7 | 死の科学 | |
| 8 | 原爆症 | |
| 9 | プレスコード | |
| 10 | ストックホルム・アピール | |
| 11 | 映画「ひろしま」 | |
| 12 | 第五福竜丸と原水爆禁止運動の高まり | |
| 13 | ひろしまの子どもたちのさけび | |
| 14 | いまなお続く被爆者の苦しみ | |
| 15 | 被爆者の苦しみ、その責任はどこに | |
| 16 | 日本人としておもうこと | |
平和教育校内研究会(石田講師)の概要(19701120)
| 資料所蔵:ピカ研 |
| 骨子 |
| 平和教育のあゆみ |
| 現代の世相と平和 |
| 平和教育の位置づけ |
| 平和教育の定義 |
| 学校と家庭 |
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第22次教育研究広島県集会報告書4 第1分科会[1972年]
| 氏名 | 所属 | タイトル |
| 仁田 | 甲山支区 中央小 | 「あるハンノキの話-6年生でのとりくみ」 |
| 砂畠 | 三原地区支部 中之町小学校 | 国語教育を通しての人間形成はどのようにすればよいか |
| 神原 | 三原地区支部 尾道支区 吉和中学校 | 平和教育共通教材のとりくみ「ヒロシマのうた」 |
| 今西祐行 | ヒロシマのうた | |
『文学教材をどうとられどう教えるか―自主教材「ヒロシマのうた」をめぐって』(児玉晴子 国語教育研究サークル・ニ土会 段原中学校)
日教組第21次・日高教第18次教育研究全国集会報告書 34
第5分科会
注:『ヒロシマのうた』=今西祐行の小説。1970年刊。
『『ヒロシマ原爆の記録』でどう教えるか―ひろしまをすべての子らに―(試案)』
(広島県原爆被爆教師の会、197106) 所蔵:ピカ研
内容
| 章節 | タイトル | 備考 |
| ヒロシマ 原爆の記録 | ||
| 01 | 指導のねらい | |
| 02 | 指導にあたっての留意点 | |
| 指導展開例(中学校) | ||
| あとがき(この指導を機に発展させたいもの) | ||
| 図書の紹介 | ||
| この映画は、1970年7月広島市民の参加と支持のもとに、広島市および地元報道機関の協力により制作された。 | ||
| 企画・監修・広島原爆映画製作委員会 | ||
| 制作:株式会社日本映画新社 | ||
| 共同構成・小笠原基生、松川八州雄 | ||
| 語り手:宇野重吉 | ||
| ドキュメンタリー映画、16ミリ白黒(一部カラー)上映時間29分 | ||
| <ナレーション台本>ヒロシマ原爆の記録 | ||
イモヅル(広島地区高部協機関誌)8号(1978年度)
(広島地区高校生部落問題研究協議会、197905)
目次
| 頁 | 著者 | タイトル |
| <未入力> | ||
『現代教育科学 No.173 特集:戦後教育における「原爆問題」の欠落』(明治図書、19720301) 所蔵:ピカ研
| 著者 | タイトル | 備考 |
| 石田明 | 戦後教育における「原爆問題」の欠落(50枚) | |
| ■社会科教科書で「原爆」はどう扱われてきたか | ||
| 空辰男 | 小学校社会科教科書での「原爆」の扱い | |
| 真野久 | 中学校社会科教科書での「原爆」の扱い | |
| 磯本恒信 | 「原爆問題」と「部落問題」 | |
| ■被爆体験は教師の生き方にどうかかわってきたか | ||
| 箱田浩 | 風化現象はどこから起きるか | |
| 今田斐男 | 教師の平和に対する意識の確認を | |
| 永坂昭 | 子どもらにピカを浴びさせない | |
| ■副読本「ひろしま」はどう教えられているか | ||
| 米田進 | 小学校における「ひろしま」の実践 | |
| 藤原義治 | 中学校における「ひろしま」の実践 | |
| ■地下核実験「アムトチカ島」は教室でどう話し合われたか | ||
| 三上敏夫 | 学級会の話し合い活動の中で | |
| 山岡照 | 国語科・ロングホームルームの中で | |
| ■「」を授業でどう扱ったか | ||
| 押上武文 | 文学の授業での「原爆」教育 | |
| 野口良子 | 「同和」教育との関連での「原爆」教育 | |
『夏の生活』(広島県夏休み帳編集委員会、広島教育会館出版部、1977) 所蔵:ピカ研
| 学年 | 科目 | 備考 |
| 1 | 国語科 | 峠三吉「仮繃帯所にて」 |
| 社会科 | 原爆=戦争=平和を考えよう | |
| 音楽科 | 原爆ゆるすまじ | |
| 数学科 | ||
| 英語科 | ||
| 技術家庭科(男子用) | ||
| 技術家庭科(女子用) | ||
| 2 | 国語科 | 八島藤子「私は広島を証言する」 |
| 社会科 | 原爆=戦争=平和を考えよう | |
| 英語科(New Prince用) | ”Give back my father”(峠三吉) | |
| 英語科(New Horizon用) | ”Give back my father”(峠三吉) | |
| 数学科 | ||
| 音楽科 | ||
| 理科 | ||
| 3 | 国語科 | 峠三吉「八月六日」 |
| 英語科(New Horizon用) | “A Little Boy”(Takehiko Fujimoto) | |
| 英語科(New Prince用) | 1.English Diary<例>ひとつの事件・問題などを例として | |
| 数学科 | ||
| 音楽科 | ||
| 技術家庭科(男子用) | ||
| 技術家庭科(女子用) | ||
| 別冊 | 原爆を考えよう | 46年度夏の生活 |
| 別冊 | 今日の核時代を考える | 52年度夏の生活 |
| 別冊 | 今日の核兵器と被爆者問題を考える | 53年度夏の生活 |
『なつやすみ(52年度)』(広島県夏休み帳編集委員会(編)広島教育会館出版部(発行)、1977) 所蔵:ピカ研
| 対象学年 | ||
| 1 | ||
| 2 | ||
| 3 | ||
| 4 | ||
| 5 | ||
| 6 | ||
『なつやすみ(46年度)』(広島県夏休み帳編集委員会(編)広島教育会館出版部(発行)、1971) 所蔵:ピカ研
| 対象学年 | ||
| 1 | ||
| 2 | ||
| 3 | ||
| 4 | ||
| 5 | ||
| 6 | ||
『きょうど「ひろしま」』 広島県社会科資料研究会編、中国書店(発行所)19620405 所蔵者:ピカ研
| 発行日 | 監修者 | 備考 |
| 19620405 | 金子廉 | 広島大学東雲分校 |
| 三上嘉明 | ||
| 19700405(15版) | 金子廉 | 以降の奥付初版発行日は「19571201」 |
| 19740401(18版) | 金子廉 | |
| 19750401(19版) | 金子廉 | |
| 19770401(20版) | 金子廉 | |
『わたしたちの広島市』(広島市小学校社会科研究会(編集・執筆、金子廉(監修)、19600401)
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| 初版19600415 | 19720401発行 | 19750401発行 |
| 中国書店発行 | 児童図書出版社(取扱) | |
| 宇吹蔵 | ピカ研蔵 | |
『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』
「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会(編・刊)1983/02/21
目次
◆『八月六日』 峠三吉 1
◆『あの時…』 小林岩吉 2
◆『水ヲ下サイ』 原民喜 4
◆建立除幕によせて 5
石田明/河野浩樹/荒木武 7
若者の願いはばたけ 森下弘 11
ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 森滝市郎 12
原爆瓦が語るもの 佐久間澄 13
君たちは知ったのです 宮崎安男 14
ヒロシマの碑建立に思う 藤本幸作 15
『高校生の平和アピール』の意味するもの 松崎徹 16
高校生の平和アピール・行動提起 17
原爆瓦の叫び今こそ 大亀信行 18
小さなともしびから大きな炎へ 吉川徹忍 19
青春のエネルギーに囲まれて 土肥穣治 20
◆ちかいのことば 21
小学生のちかい・斉藤力(福山市立旭丘小学校 児童会代表)23
中学生のちかい・林文子(広島市立翠町中学校 生徒会代表)24
若者のちかい・山口小百合(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール)25
◆碑・制作を終えて 27
『ヒロシマの碑』の思想 横山英 28
モニュマンの空高く 芥川永 30
平和を願う心の目を 吉田正浪 31
『ヒロシマの碑』に思う 林重男 32
私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して 深川宗俊 34
『原爆瓦』を追う映画を 田辺昭太郎 38
◆建設のあしどり 山下希昭 39
原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし 41
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 62
原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌)63
原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 69
◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで 71
平和学習のシンボルとして 沢野重男 72
全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 73
◆ヒロシマの碑プロフィール 77
◆募金に添えて送られてきた全国からの便り 91
◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 123
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 深川宗俊 131
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 丸山亜季 146
◆附属資料 147
1 原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英)149
2 除幕式関係・各社報道記事(紙面)151
3 ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり 157
4 広島市長『平和宣言』 166
5 一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 188
6 平和の歌 歌曲集 232
『原爆瓦-世界史をつくる十代たち』
(山口勇子著,出版元:平和文化、発売元:汐文社、1982/07/07)
| 頁 | タイトル | 備考 |
| 12 | 瓦が再現してみせた原爆 | |
| 実験-原爆を再現する 12 瓦が気体になった 12 ぼくたちの原爆 16 ヒロシマナガサキを「体験」する 17 熱量計算-三・〇×一〇の一二乗カロリー 19 核兵器廃絶の若い仲間 20 にのしま |
||
| 25 | 「その日はいつか」の詩にあるように | |
| ヒロシマの風景 27 そしてわたしのヒロシマ 29 ほんとうのところを見極めて欲しい |
||
| 34 | 高枚生集会の高まり | |
| 原爆瓦までの道のり 34 歩み始めた高校生たち 35 高まり見せた高校生集会 37 「史樹ちゃんはわたしたちです」 |
||
| 46 | 平和ゼミナールで育つ高校生たち | |
| 無名戦士の碑 46 平和ゼミナールの授業 48 その日にこそ平和と民主主義を学ぶ 52 ヒロシマに生きる |
||
| 56 | ヒロシマの子どもたち | |
| 拠点 56 八木満喜男のこと |
||
| 62 | 初めて瓦を掘りあてたとき | |
| 片手落ちの広島 62 「あった!」 63 頭と心と体で学ぶフィールドワーク 66 突然の新聞記事 |
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| 71 | 瓦のように溶かされたくない | |
| アピール・ヒロシマの川を考えよう 71 初めての対市交渉 71 みんなの手で一枚でも多く 75 瓦のように溶かされたくない |
||
| 79 | 各地に旅立つ原爆瓦 | |
| 輪の広がり 79 世界につながる瓦発堀 81 「この瓦でヒロシマの願いを広めてください!」 82 瓦を守れ |
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| 93 | はがき作戦 | |
| 荒木広島市長殿 93 再び瓦発掘ヘ 95 市の計画 97 急速に盛り上がる瓦保存運動 |
||
| 100 | ボタンを見つけた | |
| 四種のボタンが語る戦争と原爆 100 「だからなくさなければ、わたしらがやらなくては……」 102 「原爆さえなかったら……」 104 自分の手でつかみとったもの |
||
| 108 | 「昭和の歴史」研究グループ | |
| 特別講座-学習から自分の生き方を考える 108 ヒロシマのもう一面 110 青春のひとみを支えるもの 113 米軍機ファントム墜落 114 安保によって米兵は裁かれない! 115 女性である前に人間であれ |
||
| 120 | 受ける平和からつくりだす平和へ | |
| ヒロシマ-一九八一・八・六 120 ええことばかりいって 121 “新天地”長崎ヘ 122 第八回八・六高校生集会 123 受ける平和からつくりだす平和ヘ 124 白いチョゴリの被爆者 126 吸収したものの重さ 127 「ぼくの弟も食べ物がなくなって死にました」 128 ずっと続く道 |
||
| 131 | 長崎研修旅行で得たもの | |
| 平和ヘの初旅 131 この怖さをいっぱいに広げよう 133 ヒロシマナガサキの瓦で友情と平和を 135 平和ゼミの感覚だけで考えてはいけない 137 若者は若者らしい方法で |
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| 141 | ノエルベーカーの手紙運動 | |
| ノエルベーカー卿との再会 141 ノエルベーカーの手紙 142 ノエルベーカー卿に瓦を渡した |
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| 156 | 原爆の証を消してはいけない | |
| 第三回対市交渉 156 こっちの力を大きくすることだ |
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| 163 | げんばくがわらをほりました | |
| すすむ発掘作業と交流 P63 現実と理想が一体化されない不安 164 げんばくがわらをほりました 166 一〇フィートフィルムカンパ 170 お供養して下さい |
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| 174 | 平和への願いが市を動かした | |
| 「ぼくはかわらをすててはいけないと思います」 174 平和への願いが市を動かした 176 最後の原爆瓦発掘 |
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| 182 | 原爆瓦モニュメントの土台の重さ | |
| かわらおばさん 182 あの平和公園はきれいすぎる 183 安田女子高校社会科学研究部の場合 185 出会いのすばらしさ 190 原爆瓦前史-故田辺勝さんのこと |
||
| 196 | アリス・ハーズ賞受賞 196 アリス・ハーズ賞 196 生にむかって先頭に立ってください 197 生命が未来をもつように 199 実践を通じて学ぶこと 201 高校生平和ゼミの意義深さ |
|
| 206 | 原爆瓦のモニュメント建設へ | |
| 建設募金一番乗り 206 原爆の子の像 207 第二の原爆の子の像建設にむけて 209 平和のためのモニュメント 214 街頭行動ヘ 216 世界の歩みの中の原爆瓦発掘 218 |
||
| 220 | 各地の高校生平和ゼミ“出航” | |
| 被爆体験継承の役目を担って 220 神奈川でも 221 長崎でも 223 呉でも 223 埼玉でも |
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| 236 | 平和の記念碑を | |
| 相つぐ募金と手紙 236 小学生たちの奮闘 238 ヒロシマの心を世界に 244 第五回平和ゼミナール 5 別れと出発の季節 247 もどらぬ風 249 平和教育“戦士”の新しい門出 251 平和は待つものではない、つくりだすものだ |
||
| 254 | あとがき 1982年5月23日・東京行動の日に | |
『加害基地宇品-新しいヒロシマ学習』
空辰男著 汐文社 1994 /07/10
目次
| 章 | 見出し | 備考 |
| はじめに | ||
| 1 | 原爆につながっていた軍港宇品 | |
| 金輪島で見た火の玉 似島で叫ぶ母の呼び声 凱旋湯の子、日出子さんはまだ 若き海上特攻隊の被爆者救出 「軍港・宇品」の終結とヒロシマ |
||
| 2 | 「臨戦地宇品」とはなんだったのか | |
| 日清戦争と軍港のはじまり その頃の世界勢力と富国強兵 臨時首都(帝都)広島と神話 木口小平と正岡子規 軍港と陸軍検疫所似島のあゆみ 凱旋碑が平和碑になり得るか |
||
| 3 | 宇品築港の本当の目的はなんだったのか | |
| 千田貞暁と願いと苦難 漁場を失う地元漁民の反対運動 人造石と服部長七と功労 「呉鎮」と「海兵」と「字品」 無用の長物と士族授産の行彼 西方をみつめる千田銅像 |
||
| 4 | “うじな”にそろっていた自然条件 | |
| 仁保姫神社の伝説と港 宇品島観音寺伝説と港 三代十郎兵衛物語りと大河のり “うじな”の名の由来と港 |
||
| 5 | 軍港と陸軍墓地と歴史的責任 | |
| 離散家族・三百万人の責任 平頂山事件と撫順戦犯管理所の教え 陸軍墓地の兵士の骨と被爆者の骨 「港」唱歌とヒロシマの心 |
||
| 6 | 古代から年表が語る「港・宇品」 | |
『日本の科学者』 日本科学者会議機関誌
| 年Vol.No. | 著者 | 論文名 |
| 1995 | ||
| 30-8 | 特集:被爆50年とこれからの課題 | |
| 宇吹暁 | 被爆50周年とヒロシマの動き | |
| 斎藤紀 | ||
| 田村和之 | ||
| 1999 | ||
| 34-8 | 特集:広島平和記念都市法の50年 | |
| 石丸紀興 | ||
| 河瀬正利 | ||
| 舟橋喜恵 | ||
主催:平和国際教育研究会
参加者:89人(内、高校生20人、大学生2人、大学院生1人)。
1998年8月17日(月)-21日(金)
| 日 | 地名 | 訪問施設 | メモ |
| 17 | ソウル | 景福宮 | |
| 李朝の王宮。1395年創建。 | |||
| 明成皇后(閔妃)遭難の地 | |||
| 景福宮境内 | |||
| パゴタ公園 | |||
| 正式名称:塔洞公園。 | |||
| 西大門独立公園 | |||
| 延世大学 | |||
| 18 | 漢陽大学 (韓日平和教育シンポジウム) |
||
| ハンギョレ新聞(当日夕刊)が、シンポジウムの模様を大きく取り上げる。 大半は、シンポジウムに出席したが、1人が板門店へ、8人(私を含む)が市内観光。 観光組は、ロッテワールド内の免税店と民族博物館で大半の時間を費やす。 |
|||
| 安重根義士記念館 | |||
| 19 | 広州郡 | ナヌムの家 | |
| 水原市 | レストラン | ||
| 昼食。「堤岩里教会」(水原の虐殺事件現場=1919年4月15日)の近くだったが、日程の都合か、寄らなかった。 | |||
| 天安市 | 独立記念館 | ||
| 20 | 柳寛順(ユガンスン)記念堂 | ||
| 柳寛順の生家と梅峰教会 | |||
| 光州市 | 5・18メモリアルパーク | ||
| 光州学生独立運動記念館 | |||
| レストラン | |||
| 光州の民主化運動関係者・犠牲者遺族との懇談会。 | |||
平和・国際教育研究会全国集会の軌跡(抄)
出典:
http://www.chichibu.ne.jp/~sekine-kz56/heikokuken/zenkoku.html
| 回数 | 開催地 | 開催年 | おもな内容 |
| 1 | 埼 玉 | 198603 | 全国集会は、「平和教育研究・森田塾」として、埼玉県秩父市で開催。当時の明治政府を震撼させた秩父事件の学習とフィールドワーク実施。地学で有名な秩父のフズリナ化石にも親しんだ。研究会の方針討議など |
| 5 | 広島・山口 | 198912 | 24日は横路謙次郎さんの講義「核戦争阻止と核兵器廃絶の課題」。25日は岩国基地の踏査と研究会(外山英昭さんの講義「山口における平和教育」、渡辺久丸さんの講義「日米安保条約と日本国憲法」、山根勝さんの講義「戦前山口県の民主主義と平和を求めるたたかい」と森田俊男さんの講演「安保条約と自衛隊をどう教えるか」) |
| 9 | 広島 | 199404 | 4月1日は横山英さんの講義「侵略戦争とアジア」とドゥジョンファンさんの特別報告「全教組運動の新しい展開方向」。2日は加藤西郷さんの講義「宗教と教育」、宇吹暁さんの講義「被爆体験の戦後50年」、江種祐司さんの被爆体験。3日は原爆フィールドワーク後、公開講座として、映画「渡り川」の上映、キムクワンミンさんの講演、森田俊男さんの講演「新学力観の創造的な克服を」が行われた。 |
| 12 | 韓国 | 199803 | 8月17日から21日までソウル市と光州市を会場として開催された韓国集会は、「日韓平和教育シンポジュウム」として4つの分科会を設けて、日韓の平和教育・歴史教育の実践を交流した。高麗大学の姜萬吉教授が「21世紀 東アジアの平和のために」と題して講演。同時に開催した、日韓高校生交流の旅で、高校生とともに「ナヌムの家」を訪問した。 |
| 14 | 広島 | 2002 | 月31日と4月1日、広島市の東区民文化センターを会場にして、広島集会を開催した。FWは、平和公園にある原爆ドームの中に入るなど、充実した内容であった。 |
| 16 | 広島 | 2006 | 3月31日と4月1日、広島市中区の原爆資料館を会場にして、平和教育の実践交流を行った。広島市立大学平和研究所の浅井基文所長が、「広島1年生の『平和』についての所感」と題して講演。4月1日には岩国米軍基地のFWを実施した。 |
| 27 | 東京 | 201711 | 11月26日に『秋の研究集会』を開催。第1部:実践報告『中学生が憲法をどう学んだか』井田佐恵子さん/第2部『社会とつながる、社会を変える若者の活動』 ①奥田愛基さん②林田光弘さん/まとめ『平和教育の今日的課題』佐貫浩さん。平和・国際教育研究会(主催)・東京高校生平和ゼミナール世話人会(共催)・全国民主主義教育研究会東京支部(後援)。参加者44名。 |
出典:
http://www.chichibu.ne.jp/~sekine-kz56/heikokuken/zenkoku.html
平和・国際教育研究会会報
| 号 | 発行年月日 | 記事など |
| 1 | 20020101 | わたしたちの教育の改革=平和と民主主義の教育を!(会長 森田俊男) |
| 2 | 20020407 | |
| 36 | 201110 |