資料年表:麻生太郎

資料年表:麻生太郎

年月日
1940
0920 誕生
2006
1017 麻生太郎外相、衆院安全保障委員会で、日本の核保有論議についてタブー視すべきでないとの考えを示す。 C
2007
0610 麻生太郎『とてつもない日本』(新潮新書、新潮社) U
2008
1105 麻生太郎首相、米大統領選で当選したオバマの核軍縮への強い熱意を示したことについて、「そんな簡単ではない」との冷めた見方をしめす。 C
2009
0413 麻生太郎首相、自民党役員会で米国と連携して核廃絶に取り組む意向を伝える親書をオバマ米大統領に送る意向を明らかにする。 C
 0806  平成21年8月6日広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
 あいさつ
 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

六十四年前の今日、原子爆弾が、この地に投下され、幾万の尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つきました。美しい「水の都」、広島の街も焦土と化しました。
しかし、戦後の歩みの中で、広島は、市民の皆様とともに、立ち上がり、今や「国際平和文化都市」として、大きく発展をしました。今日までの、広島の奇跡的ともいえる復興と発展に、尽力された皆さま方に心から敬意を表します。

日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国であります。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければなりません。

我が国は、これまで十五年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で、昨今、米露両国は、核兵器の一層の削減を目指して交渉を進めております。G8のサミットでは、先月ラクイラにおいて、初めて、「核兵器のない世界」を宣言し、世界的な核軍縮・不拡散に関する気運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明しております。

そして本日、私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。

被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。特に、原爆症の認定につきましては、できる限り多くの方々を認定するとの方針で臨んでおります。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、対象を拡大いたしました。
また、昨年、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするため、改正被爆者援護法が施行されております。今後とも、多くの方々を援護できるよう、引き続き、取り組んでまいります。

結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心よりお祈り申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。

平成二十一年八月六日

内閣総理大臣 麻生太郎

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ
0809 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ
 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

六十四年前、長崎の方々は、この地に投下された原子爆弾によって、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験されました。七万ともいわれる尊い生命が、一瞬にして失われました。一命をとりとめた方も、いやすことのできない傷跡を残すこととなられました。今、日本の平和と繁栄を振り返る時に、尊い犠牲があったことを決して忘れることはできません。

日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国であります。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければならないと存じます。

我が国は、これまで十五年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で、昨今、米露両国は、核兵器の一層の削減を目指して交渉を進めております。G8のサミットでは、先月、ラクイラにおいて、初めて、「核兵器のない世界」に言及し、世界的な核軍縮・不拡散に関する気運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明をいたしております。

そして、本日、私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを、改めてお誓い申し上げます。

被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療、福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。今回、原爆症の集団訴訟につきましては、原告の方々がご高齢でもあられること、また長きにわたり訴訟にたずさわってこられたことなどに鑑み、私は、新たな方針を決断しております。極めて異例な対応でありますが、一審で勝訴した原告の方々について、「国は控訴を取り下げることにより、原爆症と認定すること」を柱とする内容で、先日、合意をいたしました。原告団は、これをもって、集団訴訟を終結させることとなり、こうした合意に至ったことは、誠に喜ばしいことと考えております。

また、原爆症の認定を待っておられる方々に関しては、これまでも、できる限り多くの方々を、認定するとの方針で、臨んでまいりました。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方々を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、本年六月にさらに対象を拡大いたしております。今後とも、新たな認定基準に基づき、できる限り迅速な認定に努めてまいりたいと考えております。

また、昨年、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳を容易に取得できるよう、改正被爆者援護法が施行されております。今後とも、多くの方々を援護できるように、引き続き、取組みを進めてまいります。

結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして長崎市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。

 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

六十四年前、長崎の方々は、この地に投下された原子爆弾によって、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験されました。七万ともいわれる尊い生命が、一瞬にして失われました。一命をとりとめた方も、いやすことのできない傷跡を残すこととなられました。今、日本の平和と繁栄を振り返る時に、尊い犠牲があったことを決して忘れることはできません。

日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国であります。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければならないと存じます。

我が国は、これまで十五年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で、昨今、米露両国は、核兵器の一層の削減を目指して交渉を進めております。G8のサミットでは、先月、ラクイラにおいて、初めて、「核兵器のない世界」に言及し、世界的な核軍縮・不拡散に関する気運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明をいたしております。

そして、本日、私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを、改めてお誓い申し上げます。

被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療、福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。今回、原爆症の集団訴訟につきましては、原告の方々がご高齢でもあられること、また長きにわたり訴訟にたずさわってこられたことなどに鑑み、私は、新たな方針を決断しております。極めて異例な対応でありますが、一審で勝訴した原告の方々について、「国は控訴を取り下げることにより、原爆症と認定すること」を柱とする内容で、先日、合意をいたしました。原告団は、これをもって、集団訴訟を終結させることとなり、こうした合意に至ったことは、誠に喜ばしいことと考えております。

また、原爆症の認定を待っておられる方々に関しては、これまでも、できる限り多くの方々を、認定するとの方針で、臨んでまいりました。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方々を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、本年六月にさらに対象を拡大いたしております。今後とも、新たな認定基準に基づき、できる限り迅速な認定に努めてまいりたいと考えております。

また、昨年、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳を容易に取得できるよう、改正被爆者援護法が施行されております。今後とも、多くの方々を援護できるように、引き続き、取組みを進めてまいります。

結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして長崎市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。

平成二十一年八月九日 内閣総理大臣 麻生太郎

 <作業中

原爆献水 ヒロシマでは平和祈念と環境保全はかさなる

『原爆献水 ヒロシマでは平和祈念と環境保全はかさなる』 (広島銘水研究会著、名水バイオ研究所、20100730)

内容

1 はじめに 2
2 原爆献水とは 4
3 原爆献水の歴史 7
4 宇根さんと原爆献水 10
5 名水とは 12
6 水の汚れ、名水が名水でなくなるとき 14
7 「雨の日3日後名水」 16
8 原爆献水採水の場所と現状 17
8-1 天水の名水、牛田新町天水 17
8-2 清水谷沢水、温品八丁目清水谷 20
8-3 田方霊泉寺名水、田方斉神 22
8-4 三滝名水、三滝山三滝 24
8-5 相田湧水、安古市相田金湧山 26
8-6 荒谷山沢水、上安町荒谷山 28
8-7 毘沙門名水、緑井町権現山 30
8-8 大塚観音堂湧水、沼田町大塚 32
8-9 窓が山湧水、 沼田窓が山 34
8-10 小河内名水、安佐町大字小河内 36
8-11 福王寺加持水、可部町福王寺 38
8-12 中深川湧水、深川4丁目中深川 40
8-13 枡が谷霊泉、白木町大字秋山 42
8-14 尾崎神社井戸水、矢野町新町尾崎 44
8-15 景浦名水、阿戸町景浦山 46
8-16 屋代竜神の釜水、屋代竜神の釜 48
8-17 茶臼山名水、城山2丁目茶臼城跡 50
8-18 滝の観音名水、己斐上町滝の観音 52
8-19 桂の滝名水(公式の献水ではない、もうひとつの原爆献水) 54
9 原爆献水調査と環境の変遷について 56
9-1 清水谷沢水 56
9-2 相田湧水 58
9-3 天水の名水 58
9-4 屋代竜神の釜水 62
9-5 荒谷山沢水 62
10 原爆献水水質全データ 65
11 おわりに 106
12 原爆献水に関する初期の銘水研究会の記事(初出) 108
12-1 守ろう広島の名水、平和の願いとも一致 中国新聞(平成元年6月5日) 108
12-2 水は心(広島ペンクラブ会報、平成20年3月) 110
12-3 原爆献水(1) (ぴーぷる、昭和63年9月号) 111
12-4 原爆献水(2) (広島中国銘水紀行、平成元年6月号) 113
12-5 原爆献水(3) (ぴーぷる、昭和62年8月号) 115
13 参考文献 117

年表:灯ろう流し 1947~76年

年表:灯ろう流し

年 月日
1947
0714 広島市内の日蓮門下寺院8ケ寺の僧侶13人と広島立正婦人協会員1、000人が中 島本町慈仙寺鼻の供養塔で臨川大施我鬼法要を執行。供養塔での読経終了後、3隻 の発動機船に分乗し、本川の三篠橋から播磨橋の間を往復、原爆犠牲者の戒名・ 俗名などをしたためた経木を川に流して、水供養をおこなう。48年7月31日、51年 7月11日にも執行。
47年8月5日、広島県宗教連盟が、慈仙寺鼻河畔から慰霊船を元安川に出して、川供養。
1948
0806 広島市的場大通商店街が的場町太陽館前広場に「法界万霊戦死者供養塔」を 建て、法要を執行、午後7時から猿こう川で川施我鬼を催し、とうろう流し。
1950
0806 中国商店街連合会、とうろう流し。以後毎年実施(「中国新聞」56年8月5日)
1952 ひろしま川祭委員会
広島市・市教委・市観光協会・広島商工会議所・FK・国際文化協会・中国新聞社が、「原爆犠牲者の霊を慰めるとともに大衆への慰安をも併せ行い、春の広島まつりとともに広島の二大年中行事」にしようと結成(「中国新聞」1952年7月23日)
第1回52年8月9-10日。
9日、供養塔前と本川橋側水上で花火大会
相生橋河畔で9日夜の満潮時に2、000燈のとうろう流し
10日、原爆ドーム前元安川で水上音楽会
0806 午後9時から、本川青年団が今年も相生橋下でとうろう400個を流す。
1953 ひろしま川祭委員会
第2回53年8月8日。
6-8日夜の満潮時に元安川と本川で2、000燈のとうろう流し
8日、水上音楽会と花火
1954 ひろしま川祭委員会
第3回54年8月7-8日。7つの川で午後7時半からとうろう流し。2万個。
中部地区=6-8日、大仏殿前元安川河畔、2、000灯
横川地区=7-8日、横川橋下、700灯
己斐地区=6-7日、己斐橋、1、000灯
十日市地区=6日、本川小学校横河畔、300灯
鷹野橋地区=6日、明治橋下、700灯
駅前地区=6-7日、駅前橋下北側、800灯
段原地区=7日、大正橋下、300灯
6日、5、000個のとうろう
8日、平和記念公園で慰霊花火大会
0806 午後8時から、世界平和広島仏舎利塔建設会・広島大仏奉賛会が元安川原爆ドー ム前で5000個のとうろう流し。
0806 本願寺広島別院、水上法要と流灯会を行う。56年も。
1955 ひろしま川祭委員会
第4回55年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。1万個。
6日、8、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1956 ひろしま川祭委員会
第5回56年8月6-7日。7つの川(10か所)で午後8時からとうろう流し。1万2,000個。
6日、10、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1957 ひろしま川祭委員会
第6回57年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。
6日、15、000個のとうろう
相生橋・広島駅前橋・荒神橋・稲荷橋・大正橋西詰・京橋・明治橋・横川橋・己 斐橋・本川小学校裏
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1959 ひろしま川祭委員会
第9回60年8月6-7日。7つの川(11か所)で午後9時40分満潮時からとうろう流し。
6日、1万個のとうろう
広島駅前橋・稲荷橋・大正橋・京橋・元安橋・本川小学校・横川橋・観音橋・明 治橋・己斐橋・県貯木場(吉島)
7日、平和記念公園・市公会堂南側で慰霊花火大会
1960 ひろしま川祭委員会
第10回61年8月6-7日。
6日、6つの川でとうろう流し。
0806 広島県宗教連盟が、初めて本川で2、000個のとうろう流し
1962 ひろしま川祭委員会
第11回62年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会
11-12日、市民球場で盆おどり大会
1963 ひろしま川祭委員会
第12回63年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万2、000個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会
1964 ひろしま川祭委員会
第13回64年8月6日。
6日、川(10か所)で1万1、000個のとうろう流し。
1965
0807 広島市・中国新聞社など共催とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)市内10か所。約1万1、000個
0814 広島広島悲願の会とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)元安川と本川。約1万個
太田川夏祭=盆踊大会と花火大会
1973
0806 5か所、広島祭委員会は12,000個を用意。後始末が大変なため、この年は本川など3 つの川で姿を消す。
1976
0806 とうろう流し。花火大会。市政と市民では初紹介。
環境問題で流す数を制限され、昨年より5,000個少ない1万個を用意

とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)

とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)

実施状況 場所:原爆ドーム対岸 元安川浸水テラス

1973 とうろう流し。約1万2000個。
2005 とうろう流し。
2009 とうろう流し。約9000個。
2010 とうろう流し。約1万個。
2012 とうろう流し。約1万個。
2013 とうろう流し。約1万個。
2014 とうろう流し。約9000個。
2015
市民約70人、「広島 愛の川」合唱(初回)
2016 ピースメッセージとうろう流し
2017 とうろう流し。約1万個。
2018 ピースメッセージとうろう流し
2019 原爆ドーム前の元安川などで「とうろう流し」。約7000個の灯籠。
2020 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠17個を川に浮かべる。
2021 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠12個を川に浮かべる。

『平和記念式典の歩み』と「ヒロシマ遺文」投稿の対照表

『平和記念式典の歩み』と「ヒロシマ遺文」投稿の対照表

章節 見出し 「ヒロシマ遺文」投稿名、<メモ>
まえがき 平和式典の歩み(表紙)
第1章 平和祭
1 原爆被爆
2 原爆死者の慰霊
3 平和復興祭 平和復興祭(1946年)
4 第1回平和祭 平和祭(第1回、1947年)
5 第2回平和祭 平和祭(第2回、1948年)
5 広島県史 近代現代資料編Ⅲ
6 第3回平和祭 平和祭(第3回、1949年)
6 広島県史 近代現代資料編Ⅲ
7 平和祭の挫折
-1 第4回平和祭の中止 幻の平和祭(第4回、1950年)
-2 慰霊式・平和記念式典の開催 慰霊式(1951年)
第2章 平和式典の変遷
1 平和式典の原型 1952年式典(平和式典の原型)
慰霊と平和(平和式典の原型)
2 平和式典の主催者 平和式典の主催者
<協会・市・県>
3 平和式典の準備
-1 平和式典の会場-平和記念公園 平和式典の会場-平和記念公園<原爆慰霊碑、平和の灯>
-2 設営 平和式典の会場-平和記念公園(設営)
平和式典パネル(平和記念資料館南壁面)
幟と横断幕
-3 市民の奉仕活動 平和式典の会場-平和記念公園(市民の奉仕活動)
<清掃・パンフレット配布・献花・放鳩>
-4 式典にともなう規制と警備
平和式典にともなう規制と警備
式典にともなう規制と警備2021(平和式典の準備)
4 平和式典の式次第
-1 式次第 式次第
平和式典(1947・52・91年)の式次第
鳩魂碑(靖国神社)
-2 原爆死没者名簿の奉納 原爆死没者名簿の奉納(式次第)
原爆死没者名簿奉納数<1952年57902人>
-3 献花 献花(式次第)
-4 平和の鐘と黙とう 平和の鐘と黙とう(式次第)
<ベル⇒鐘>
-5 演奏と合唱 演奏と合唱(式次第)
合唱団の構成(1991年)
5 平和宣言
平和記念式典の変遷と平和宣言(広島新史歴史編)
宣言内容の変遷(平和宣言)
-1 宣言の主体、対象、形式 宣言の主体、対象、形式(平和宣言)
-2 原爆被害観 原爆被害観(平和宣言)
-3 原水爆禁止 原水爆禁止(平和宣言)
-4 国連への期待 国連(平和宣言)
-5 国際動向への憂慮 国際動向への憂慮(平和宣言)
-6 被爆者援護対策への要望 被爆者援護対策への要望(平和宣言)
-7 世論への期待 世論への期待(平和宣言)
-8 被爆体験の継承 被爆体験の継承(平和宣言)
-9 ヒロシマの動向と決意 ヒロシマの動向と決意(平和宣言)
-10 宣言内容の変遷 宣言内容の変遷(平和宣言)
-11 平和宣言の普及 平和宣言の普及(平和宣言)
6 平和式典の参列者
-1 参列者数 参列者数(平和式典の参列者)
-2 来賓 来賓(平和式典の参列者)
特別来賓の案内数(1991年)
-3 政府、議会関係者 政府、議会関係者(平和式典の参列者)
総理大臣・衆参両院議長の参列状況(1971-91年)
-4 長崎市など他都市からの参列者 長崎市など他都市からの参列者(平和式典の参列者)
-5 海外からの参列者 海外からの参列者(平和式典の参列者)
外国人参列者の概要(1991年)
-6 遺族、被爆者、市民、平和団体代表 遺族、被爆者、市民、平和団体代表(平和式典の参列者)
-7 一般参列者 一般参列者(平和式典の参列者)
広島市平和記念式典案内状(2005年)
7 平和式典への関心
-1 市民の関心 市民の関心(平和式典への関心)
広島市民の「8月6日の過ごし方」(NHK世論調査の結果)
-2 黙とうのひろがり 黙とうのひろがり(平和式典への関心)
-3 日本政府の関心 日本政府の関心(平和式典への関心)
-4 マスコミの関心 マスコミの関心(平和式典への関心)
原爆記念日に関する社説(1991年、ローカル紙)
-5 海外での関心 海外での関心(平和式典への関心)
海外からの広島市長あて書簡数(1947-51年)
 
8平和式典の関連行事
-1 原爆供養塔合同慰霊祭 原爆供養塔合同慰霊祭(平和式典の関連行事)
原爆死没者慰霊行事(2021年)
-2 原爆罹災者名簿の公開 原爆罹災者名簿等の公開(平和式典の関連行事)
-3 とうろう流し 灯ろう流し(平和式典の関連行事)
-4 平和集会・シンポジウム 平和集会・シンポジウム(平和式典の関連行事)
女子大反戦会議ビラ(シリーズNo.1 19710705)
おわりに
平和式典略年表 平和式典略年表
索引 索引(平和記念式典の歩み)
1991(平成3)年広島市平和記念式典資料
写真一覧(平和記念式典の歩み)
表一覧(平和記念式典の歩み)
参考資料・文献(平和記念式典の歩み)

 

カテゴリー 「ヒロシマ遺文」投稿名、<メモ>
1991~平岡敬市長 平和式典実況中継1996年8月6日
1999~秋葉忠利市長 秋葉忠利広島市長平和宣言(1999~2010年)
長崎市 長崎市都市公園条例
長崎市民平和憲章
被爆70周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典式次第
広島県 広島市平和記念式典での挨拶(広島県知事)2016~2021年
平和記念都市 広島市平和式典広島県知事、県・市議会議長の式辞(1952年)
広島市平和式典広島県知事、県・市議会議長の式辞(1953年)
広島市平和推進基本条例 広島市役所事務休停日条例
広島市平和推進基本条例

 

 

式典にともなう規制(宇吹メモ)

式典にともなう規制(宇吹メモ)

年月日 事項 備考
~1956 空からの取材の規制(1956年まではあり)
19630806 前夜の世界大会で踏みにじられた平和公園。
慰霊碑前の式典列席者の席はボーイスカウト広島県連盟・広島市消防局員など150人を動員して警備。
19640605 広島市は8月5・6・7日の3日間、平和記念公園の原爆慰霊碑前広場を一般団体の集会に使わせない方針を決定。
1965年も。
196704 山田節男、市長となる。平和公園の聖域化構想を打ち出す。
196902 公園内で市の許可を受け営業をしていた7業者の営業許可中止を決定。
19690805 広島県公安委員会、「8・6広島反戦集会実行委員会」から出されていた6日午後6時からのデモ行進の申請を、「コース変更」の条件付きで許可。理由は、とうろう流しに支障があるため。県公安条例に基づくデモ申請でコース変更という条件付きで許可されたのは、67年11月15日の羽田不当弾圧反対闘争(広大教養部学友会主催)のデモに次いで2度目。
1971 警備本部を設置し、式場内外の警備を強力に行うようになる。
19710804 広島県警察本部、「八・六平和祈念式典警備本部」を広島西署に設置。5・6両日は広島県警の1,800人のほか、大阪・兵庫・京都の3府県、広島以外の中国4県から応援を求め、計2,700人を動員。
1972 広島県警察本部、「八・六県警備本部」と「八・六現地警備本部」を広島西署に設置。1,000人動員。
1972 平和公園一帯の交通規制(「市政と市民」ではこの年から)
19730803 広島県警察本部、「八・六警備本部」を広島西署に設置。1,200人動員。
19740804 広島県警察本部、「八・六警備本部」を設置。1,300人動員。
19740805 23人逮捕
1975 県警、1,500人を動員。
1975 百米道路(NHK前-西平和大橋)900メートルを式典前後(午前7時から10時までの3時間)に車両の通行止めを行い、「静かな祈りの日」とする。
1976 県警、2,000人を動員。(他県から応援を求める)
1976 百米道路の車両通行止を平年度化。
1977  県警、1,500人を動員。(他県からの応援なし)
 1978  県警、1,300人を動員。
19790804 広島県警察本部、「八・六警備本部」を設置。
19790804 1,500人動員。
19810804 広島県警察本部、「警備本部」を設置。4-6日に延べ4,500人動員。中国・近畿の両管区から500人応援。
19820804 広島県警察本部、「警備本部」を設置。4-7日に延べ5,100人動員。5日1,800人、6日2,000人。
19830804 広島県警察本部、「総合警備本部」を設置。岡山・山口など4県警の応援200人を含め、4-6日に延べ6,000人動員。6日は2,500人。過去最高の動員。
19840804 広島県警察本部、「警備本部」を設置。4-6日延べ4,000人動員。
19850803 広島県警察本部、「警備本部」を設置。3-6日最高2,700人動員。
1986 広島県警察本部、「警備本部」を設置。6日1,800人動員。
19870803 広島県警察本部、「警備本部」を設置。3-6日延べ8,200人動員。
19880803 広島県警察本部、「警備本部」を設置。3-6日延べ8,500人動員。
 19890803  広島県警察本部、「警備本部」を設置。3-6日延べ8,300人動員。
 20210716  <バッハIOC(国際オリンピック委員会)会長、広島平和公園訪問。警備費379万円余は広島県・市が折半負担。>
 20210806  広島県警、平和公園周辺で交通規制。

 

平和復興祭(1946年)

平和復興祭(1946年)

1946年(昭和21年)4月、広島市町会連盟は、原爆1周年を記念して平和復興祭を開くことを計画し、広島市にその旨を申し入れた(佐伯武範「被爆翌年の平和復興祭のいきさつ」)。また、6月28日には広島県商工経済会が広島市本通商店街復興協議会とともに、世界平和記念祭のプログラムを作成し、広島市に建議している。広島市は、こうした市民の声に呼応して、7月初め、8月6日を中心に平和復興祭を開催することを計画した。その意図は「8月6日を戦争放棄世界平和の記念日として後世に伝えるとともに文化的平和都市として再建に努力する市民に希望を与える」ことにあった(「中国新聞」1946年7月6日)。
プレス・コード(1945年9月19日指令)以後、原爆報道は鳴りを潜めていたが、被爆1周年前後には、原爆についての記事がセンセーショナルな形で出現した。
中国新聞には、「恩讐越ゆ’‘世界の都”」(7月31日)、「原子爆弾落ちて一年 特攻基地の捉へた爆発の瞬間 天降る¨平和の序曲’」(8月1日)、「けふぞ巡り来ぬ平和の閃光」(8月6日)といった見出しが踊っている。
8月5日午前7時半から護国神社跡で、広島市町会連盟主催の平和復興市民大会が、つぎのような式次で開催された。
開会挨拶 (仁都栗司町内会連盟理事長)
挨拶   木原七郎市長。市議会議長
来賓挨拶 ハービー・サテン少佐(広島市復興顧問)、楠瀬   常猪知事、水野呉市長、糸川中国新聞社編集局長(大会後援者代表)、戦災孤児(広島戦災児育成所)
宣言・決議(大内町内会連盟事務局長)
閉会の辞 (小坂商工経済会理事長)
戦災礼拝堂参拝(慈仙寺鼻)(「中国新聞」1946年8月6日)
この大会には。市民約7.000人が参加したと報じられている。翌6日には、戦災死没者1周年追悼会が、午前6時半から中島本町の慈仙寺鼻に新築された礼拝堂で、神道。仏教、キリスト教、教派神道の順序により約6時間にわたり執行された。これは、広島市、宗教連盟広島県支部、広島市戦災死没者供養会が共同で閧催したもので、数千の市民が参列した。また。広島市は、6日の午
前8時15分に、黙とうをするよう市民に呼びかけていたが、その時の模様を、新聞はつぎのように報じている。
(前略)刻々と迫るあのピカリの一瞬、定刻8時15分に全市のサイレンが「平和の祈り」を市民に伝えた。それを合図に電車、自動車などの乗物、道行く人々も立ち止まり、オフィスでもペンを置いて、それぞれ静かにあの日の追憶と復興の決意を強固にする一分間の黙疇が捧げられた。この日この時の「平和の祈り」は戦争放棄を世界に宣言し、平和国家として再建するわが国で子孫永劫に続けられ民族の記念行事になることであらう。
(「中国新聞」1946年8月7日)

復興市民大会や慰霊祭のほかにも、経済、宗教、運動、教育、文化、報道、町内会などの各界により、つぎのような行事が繰り広げられた。

3~7日 復興美術展覧会、華道展(広島美術家連盟主催    於市役所議事堂)
4日   郷上楽人音楽会(於旭映画劇場)
5~6日 音楽会(於旭映画劇場)
5~7日 児童作品天覧会(於幟町国民学校)
5~7日 原子爆弾症医療無料医療相談所開設(於市内の学校、病院)、復興展示即売会(於広島県商工経済会)、農村感謝運動、廉売会(於商店街、公設市場)
6日 高田郡横田神楽団「追悼神楽」、戦災死没者1周年追悼法会(中島供養会主催 於中島本町供養塔前)、広島市復興事業起工式(広島市主催 於播磨屋町 広島ホテル跡)、短歌会(広島市主催 於市役所)
6~7日 映画会(於舟人旭劇場を除く市内劇映画館)
7日 戦災供養盆踊大会((11国新聞社主催 於基町護国神社跡)、英豪軍軍楽隊演奏(於旭劇場)
7~9日  子供デー(於旭劇場、比治山国民学校、福屋名画劇場)
11日 広島市体育大会(広島市体育協会主催 於県総合運動場など)

平和記念式典の変遷と平和宣言(広島新史歴史編)

平和記念式典の変遷と平和宣言(広島新史歴史編)

第1節 平和記念式典の変遷 476
第2節 平和宣言(昭和22年~昭和59年)486
昭和22(1947)年
写真:平和祭(8月6日 佐々木雄一郎撮影)
式典は、午前8時から9時までの1時間、中島町平和広場に新設した平和塔の前において、広島平和祭協会の主催により開催された。浜井信三広島市長の平和宣言朗読の後、マッカーサー連合軍最高司令官・英連邦軍司令官・米軍政部長・内閣総理大臣・衆参両院議長(以上代読)・森戸辰男文部大臣・楠瀬常猪広島県知事の8人のメッセージが相ついで発表された。
昭和59(1994)年
写真:献花する特別名誉市民代表(メアリー・マクミラン、フロイデ・W・シュモー 8月6日)
新奉納者4315人。参列者渡部恒三厚生大臣など約4万5000人。名誉市民(灘尾弘吉、愛宮真備)および特別名誉市民(マクミラン、シュモー)の4人が新たに献花に加わった。

 

監修のことば
軍都崩壊
第1節 原子爆弾の投下 2
第2節 敗戦 10
第3節 占領軍と軍政 14
第4節 民主主義 25
第5節 産業経済の危機 29
第6節 広島商人 34
第7節 教育改革 40
第8節 戦争記念物の運命 45
占領期の原爆問題
第1節 アメリカの原爆情報統制 50
第2節 原爆被害者 60
第3節 平和運動 71
原爆タブーからの解放
第1節 平和集会・平和大会 76
第2節 平和研究の出発 84
第3節 原爆症研究の再開 92
第4節 原爆被害者問題 101
第5節 原爆被害の実相の普及 109
原水爆禁止運動の出発
第1節 原水爆禁止世界大会 120
第2節 日本原水爆被害者団体協議会 131
第3節 原爆医療法 145
第4節 原爆被害者団体の諸相 162
原水爆禁止運動の展開
第1節 世界大会の継続開催 188
第2節 原水禁運動の高揚 207
第3節 安保問題と原水禁運動 238
第4節 原水禁運動の分裂 275
部落問題と部落解放運動
第1節 敗戦と部落解放運動の新展開 290
1 原爆被災と生活の実態 290
2 部落解放運動の成立 301
3 同和教育運動の発足 310
第2節 高度成長と部落解放運動の発展 324
1 社会構造の変化と生活実態 324
2 戦線の統一と大衆化路線 334
3 生活と権利を守る闘い 345
4 部落解放と被爆者救護の運動 367
青年運動の展開
第1節 市青連の発足 380
第2節 市青連の活動 383
第3節 原爆都市青年交歓会 289
第4節 青年たちによる平和運動 392
第5節 講和条約後の動向 396
教育機関の復興と6・3・3制の成立
第1節 原爆による教育機関の被害 400

1 教育機関の被害の概要 415
2 各教育機関の被害 405
第2節 当初教育機関の復興 415
1 集団疎開児童の引揚げ 415
2 国民学校の授業再開 418
3 学校の復興 424
第3節 3・3・3制の成立 439
1 戦後教育の新展開 439
2 新制中学校の発足 446
3 新制高等学校の発足 446
4 教育委員会の発足 468

平和記念式典の変遷と平和宣言
第1節 平和記念式典の変遷 476
第2節 平和宣言(昭和22年~昭和59年)486
世界の中のヒロシマ
第1節 広島への平和巡礼 564
第2節 広島からの平和巡礼 573
第3節 平和文化センター 581
付録 593
あとがき 613

『広島新史 歴史編(広島市、19841130)

 

内閣総理大臣挨拶(墨書き)

内閣総理大臣挨拶(墨書き)

名前 備考
昭和38年(1963) 池田勇人
昭和40年(1965) 佐藤栄作
昭和41年(1966) 佐藤栄作
昭和42年(1967) 佐藤栄作
昭和44年(1969) 佐藤栄作
昭和45年(1970) 佐藤栄作
昭和46年(1971) 佐藤栄作 本人
昭和47年(1972) 田中角栄
昭和51年(1976) 三木武夫 本人
昭和52年(1977) 福田赳夫 2種類残存
昭和53年(1978) 福田赳夫

 

 

 

索引(平和記念式典の歩み)

索引

数字は、それぞれの用語あるいは同じ意味の用語が用いられている頁を示す。

あ行
天野貞祐 14
アメラシンゲ国連総会議長 48,81
荒木武 53,55,56,81,108
安保改定反対闘争 87
池田勇人 77,92
遺骨 5,6,7,31,32,101-104
石島治志 9,12,15,18
石本喜久治 103
石本美由起 53
伊勢神宮 33
遺族代表 24,34,46-48,77,83,84
祈りの曲第一哀悼歌 53
慰霊祭→戦災死没者慰霊祭
慰霊塔 31
慰霊堂 31,42,43
慰霊の曲 53
慰霊碑→原爆死没者慰霊碑
岩国基地 24,26,46
宇野宗祐 78,92
右翼 38
英連邦軍 11,15,18,21,26,75,76
NHK世界の音楽 15,51
NHK広島放送管弦楽団 50,51
NHK広島放送(混声)合唱団 26,50
NHK広島放送局 9,12,15,105
MRA→道徳復興運動
遠藤実 53
扇ひろ子 41,52,53,
大木惇夫 15,41
大谷光照 7
大築邦雄 53
大原博夫 24,26,30
大原美術館 15
奥田達郎 21,22
長田新 13,25

か行
海部俊樹 78,92-94,99
核禁会議→核兵器禁止平和建設広島県民会議
核軍縮 58,61,68,81,108,109
核軍縮を求める22人委員会 84
核実験 58,60,61,64,70,
核戦争防止国際医師会議 68,69,84
核兵器禁止平和建設広島県民会議 33,84
核抑止論 58
過去帳→原爆死没者名簿
カズンズ 19,20,82,98
片田天玲 49
片山哲 11,91
香取正彦 50
カモメ 72
川崎優 53
韓国原爆被害者援護協会 47,82
岸信介 29,30,92
木原七郎 7,11
清瀬一郎 78
くす玉 41
楠瀬常猪 7,11,15,18,20,21
供養塔→戦災供養塔、原爆供養塔
供養会→広島市戦災死没者供養会、広島戦災供養会
クラーク 81
軍縮特別研究員→国連軍縮特別研究員
軍縮特別総会→国連軍縮特別総会
献花 24,27,35,41,42,46-48,53,78,83,84
献水 41
県婦協(県婦連)→広島県地域婦人団体連絡協議会
県労被爆連→ 広島県労働組合会議被爆者団体連絡協議会
原子爆弾症医療無料相談所 9
原子爆弾被爆者の医療等に関する法律 45,65
原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律 45
原水協→原水爆禁止日本協議会
原水禁→原水爆禁止国民会議
原・水爆禁止県民運動連絡本部 28,74,75
原水爆禁止国民会議 84
原水爆禁止日本協議会 36-38,84
原水爆禁止世界大会 36-38,48,65,75,80,82,84,86,88
原爆医療法→原子爆弾被爆者の医療等に関する法律
原爆乙女 50,83
原爆記念日→平和記念日
原爆供養塔 44,100,102-104
原爆供養塔納骨名簿 104
原爆孤児 8,25,47
原爆死没者慰霊碑 25,27,30,32-34,36,38,41,43,46,47,71,74,76,78,83,89,103,
106
原爆死没者名簿 25,43
原爆死没者調査 42,43,45
原爆資料館→広島平和記念資料館
原爆ドーム 31,69,85,103,105,107
原爆の子の像の歌 41,53
原爆被爆者対策基本問題懇談会 64,83
原爆被爆者養護ホーム 94
原爆病院→広島赤十字・原爆病院
原爆許すまじ 52
小磯良平 21
後遺症 56
皇太子 29,30,37,41,52,76,78
講和条約 25,102
国際軍縮促進議員連盟 78
国際自由宗教者世界大会 82
国際連合 19,58-63,67,72,81,108,109
国立東京博物館 15
国連→国際連合
国連軍縮会議 69
国連軍縮特別研究員 61,62
国連軍縮特別総会 60-62,68,108
国旗掲揚台 33
小林和作 14

さ行
雑賀忠義 32
坂田修一 25,39,102
佐藤栄作 78,92,94
産業奨励館→原爆ドーム
山陽競翔連合会 36
在日本大韓民国居留民団広島地方本部 83,94
在日本朝鮮人総連合会広島県本部 83
式典表示パネル 35
式典モニター 35
重園贇雄 10,52
死没者名簿→原爆死没者名簿
清水修 53
市民広場 11,17,21,23,30,31,49
宗教連盟広島県支部→広島県宗教連盟
終戦詔書 2,55
祝電披露 11,41
シュモー 81
新生学園 47
新日本協議会 37
GHQ 4,11,42
慈仙寺(の)鼻 6,8,10,11,23,74,100,104
人類破滅観 55,56,57,69
水上音楽会 105,106
鈴木善幸 78,92
世界平和アピール7人委員会 84
世界平和記念聖堂 76
世界平和デー 14,16,18,20,79
世界平和都市連帯 68,69
世界連邦 20,55,71,84,98
線香リレー 30
戦災供養塔 6,7,9,23,30,35,43,46,101,102,104,105
戦災供養盆踊 9,107
戦災孤児→原爆孤児
戦災死没者追悼法会 9
戦災死没者慰霊祭 9,23,24,27,41,42,46,100,101,107
戦災礼拝堂 7,8,100,101
戦没者追悼式 25,73,89
占領軍 10,23,75,77,83
全学連 38
全国鳩協会 76
全日自労 87

た行
胎内被爆 50
高松宮 76
谷川和穂 39
谷本清 13,14,19
丹下健三 18,30,32,33
中央公園 31
中国地方競翔部 76
弔旗 30,86
朝鮮戦争 21,24,36
寺田豊 10-12,15
天皇 29,33,37,48,52,76,78
天理スクールバンド 51
道徳復興運動 20,21,97
灯ろう流し 38,104-107
トルーマン 18-20
童心園 47

な行
中島供養会→広島市戦災死没者供養会
中島公園 30,31,102
中曽根康弘 39,78,92
中村藤太郎 10,11,41
中山マサ 77,78
長崎市 2,4,12,20-22,41,45,47,60,61,64,67,68,72,79,80,81,89-91,93,97,99,
108
永野巖雄 78
流れ献花 34,36,41,83
日米学生会議 82
仁都栗司 7,18,20
似島学園 47
似島供養塔 101
日本原水爆被害者団体協議会 84,89
日本国憲法 9,92
日本青年会議所 32
日本伝書鳩協会 36
日本文化平和協会 49
ノーモア・ヒロシマズ 13-15,20,98,99

は行
ハーシー 13,19,20
橋本登美三郎 78
花一輪運動 36
花行進 15
花満 36
花輪(奉呈) 24,26,41,46,47,50,80,81,83
浜井信三 6,10-15,17,18,20,21,23-26,28,31,35,38,43,46,47,50,53,54,70,71,
78,79,87,94
パーカー 19,98
パール・バック 98
非核三原則 59,64,78
非核宣言 80,85
非核都市宣言自治体連絡協議会 80
被爆者援護(法) 64,70,84
被爆者代表 47,48,80,83,89
被爆者代表から要望を聞く会 94
被爆者健康手帳 44,45
被爆体験 20,53,56,60,66,79
被爆体験の継承 66,67,70,88,108
碑文 6,32,71,87
平岡敬 53,71
平塩五男 29
広島折鶴の会 82
ひろしま川祭委員会 105
広島観光協会 10
広島県生花商組合 36
広島県遺族厚生連盟 25,73
広島県警察本部 37-39,52
広島県原爆被爆者援護対策協議会 38,89
広島県原爆被爆者団体協議会 45,94
広島県産業奨励館→原爆ドーム
広島県宗教連盟 8,86,100,101,105
広島県商工経済会 7-9
広島県戦没者合同慰霊祭 25,73
広島県地域婦人団体連絡協議会 38,44
広島県朝鮮人被爆者協議会 95
広島県労働組合会議 75,90
広島県労働組合会議被爆者団体連絡協議会 90,94
広島原爆病院→広島赤十字・原爆病院
広島交響楽団 51
広島市観光協会 10,105
広島市原爆被爆者協議会 38,47
広島市公衆衛生推進協議会 35
広島市商店街連合会 107
広島市視力障害者福祉協議会 72
広島市青年連合会 36,79
広島市戦災死没者供養会 6,8,9,100,101
広島市町(内)会連盟 7,8
広島市都市美化推進本部 35
広島市平和問題調査会 84
広島市未亡人会 32
広島市本通商店街復興協議会 7
広島修道院 47
広島商工会議所 10,11,28,41,77,105
広島少年合唱隊 51
広島吹奏楽団 18,51
広島赤十字・原爆病院 44,94
広島戦災供養会 23,24,44,46,101-103
広島戦災児育成所 8,47
広島茶業協同組合 36
広島中央競翔連合会 36
広島銅金鋳造会 17
ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展 61,67
広島被爆者団体連絡会議 95
広島ピース・センタ- 98
広島フィルハーモニー 51,105
広島平和記念館 32,41,104,108
広島平和記念資料館 32,34,35,69,72,94
広島平和記念都市建設法 17-19,21,31,32,49,68
広島平和協会 14,15,17,18,21-24,28,46,54,75,105
広島平和競翔連合会 36
広島平和祭協会 10,11,13,14,28,54
広島平和ツアー 85
広島平和都市記念碑→原爆死没者慰霊碑
ひろしま平和の歌 10-12,15,18,24,26,40,42,50,52,53,72
広島平和婦人連盟 107
広島平和文化センタ- 77,84,108,110
広島平和擁護委員会 22,23,107
広島放送管弦楽団→NHK広島放送管弦楽団
広島放送合唱団→NHK広島放送合唱団
ビキニ水爆被災事件 56,57
婦人国際平和自由連盟 82
プレスコード 4
平和記念資料館→広島平和記念資料館
平和祈念慰霊国民大祭 37
平和記念館→広島平和記念館
平和記念公園 18,25,27,30,32,33,37-39,74,89,100,102,107
平和記念植樹 12,15,18,41
平和記念都市建設法→広島平和記念都市建設法
平和記念日 11,12,28,35,37,41,65,67,85,88,90,91,96,97-99,101,105,107,108,
110
平和教育 66,67,70,108
平和祭(第1回) 9-14,23,40,48,92,50,52,55,91,95
平和祭(第2回) 13-16,23,28,29,49,98,105
平和祭(第3回) 17-19,27,42,49,73,79,97
平和祭(第4回) 19-23,36,48,53,77,97,101
平和祭協会→広島平和祭協会
平和サミット 68,108
平和式典(1951年) 23,24,27,42,43,46,53,73
平和式典(1952年) 25-27,33,43,73,74,92,98
平和請願署名運動 19,20
平和宣言 12,14,15,18,27,36,40,42,53-72,78,79,88,94,98,99,108
平和塔 11,15,23,41,48,49,54
平和都市記念碑→広島平和都市記念碑
平和の池 32,35,42
平和の歌→ひろしま平和の歌
平和の鐘 11,15,18,26,40,42,47-50,83,91
平和の灯 33
平和の灯奉賛会 35
平和広場 11,15,23,30,31
平和美術展覧会 14
平和復興祭 7-9,27
平和復興市民大会 7,9
平和文化推進審議会 88
平和文化都市建設協議会 31
平和問題調査会 77,84
平和擁護運動 20
平和を語る市民の会 108
ヘレン・ケラー 99
米軍軍政部 10,11
米国原爆被爆者協会 47
放鳩 11,15,18,21,26,36,40-42,76
放射能被曝 58,64
本願寺 7,33,105,107
ボーイスカウト 36,38,72
ポーツ 13

ま行
マクミラン 81
松岡駒吉 11,15,92
マッカーサー 11,12,18,99
松平恒雄 11,15,18,92
三笠宮 50,76
三木武夫 78,92,94
ミスヒロシマ 15,18,41
南薫造 14
名誉市民 81
モーテンソン 81
黙とう 8,13,23,24,26,40,42,48,88-91
森戸辰男 11,14,15,18,74
モントゴメリー 11

や行
野外音楽堂 11
山田節男 11,20,35,38,41,53,55,56,66,70,71,78,80,81,84,99
山本博 49
屋良朝苗 80
ユネスコ 20
吉田茂 18,24,26,50,92

ら行
礼拝の曲 53
レイノルズ 82
連合軍総司令官 11,21,75,76
ローズベルト夫人 98
ローマ法王 68,99
ロバートソン 15,16,18

わ行
渡辺忠雄 53,55,70
ワルトハイム 60,81
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写真一覧(平和記念式典の歩み)

写真一覧

写真 1 バーチェット記者のヒロシマ報告         広島県文書館提供
写真 2 平和復興祭          中国新聞社提供
写真 3 平和広場に建設中の平和塔   中国新聞社提供
写真 4 1948年(昭和23年)の第2回平和祭        中国新聞社提供
写真 5 1949年(昭和24年)の第3回平和祭        中国新聞社提供
写真 6 広島市警察のビラ       広島市公文書館提供
写真 7 1951年(昭和26年)の平和式典に参列した米軍兵士 中国新聞社提供
写真 8 1952年(昭和27年)の平和式典 中国新聞社提供

写真 9 原爆死没者慰霊碑の過去帳を見る市民      中国新聞社提供
写真10 広島県と広島市の共催で開催された1960年(昭和35年)の平和式典
中国新聞社提供
写真11 1910年代(大正初期)の平和公園付近       中国新聞社提供
写真12 椅子が並べられた平和式典会場       広島市広報課提供
写真13 原爆資料館壁面に掲示された平和式典パネル   広島市広報課提供
写真14 第5回原水爆禁止世界大会       中国新聞社提供
写真15 空からの参加や取材      広島市広報課提供
写真16 原爆死没者名簿を奉納する荒木市長と遺族代表  広島市広報課提供
写真17 遺族代表(原爆孤児)の献花       中国新聞社提供
写真18 平和の鐘の点打       中国新聞社提供
写真19 平和の鐘の点打      広島市広報課提供
写真20 平和の鐘(香取正彦作)を点打する遺族代表   広島市広報課提供
写真21 ひろしま平和の歌の合唱      広島市広報課提供
写真22 吹奏楽団と合唱団      広島市広報課提供
写真23 平和宣言を読み上げる浜井市長      中国新聞社提供
写真24 平和宣言を読み上げる渡辺市長      広島市広報課提供
写真25 平和宣言を読み上げる山田市長      広島市広報課提供
写真26 平和宣言を読み上げる荒木市長      広島市広報課提供
写真27 平和宣言を読み上げる平岡市長       広島市広報課提供
写真28 1952年(昭和27年)の平和式典      広島市広報課提供
写真29 1954年(昭和29年)の平和式典      広島市広報課提供
写真30 平和式典会場の高松宮夫妻       広島市広報課提供
写真31 広島の式典で献花する長崎市民代表       中国新聞社提供
写真32 献花する特別名誉市民(シュモー、マクミラン) 広島市広報課提供
写真33 流れ献花 1991年(平成3年)      広島市広報課提供
写真34 被爆者の声を聞く三木総理大臣      広島市広報課提供
写真35 供養塔前につめかけた市民       中国新聞社提供
写真36 相生橋の下を流れる灯ろう      中国新聞社提供