「広島平和協会」カテゴリーアーカイブ

広島平和祭協会(広島平和協会)略年表

広島平和(祭)協会略年表

1947年
事項
06 20 広島平和祭協会設立の打ち合せ会を広島商工会議所で開催。役員など決定。
07 03 広島平和祭協会、平和祭行事について市内各団体との打ち合せ会を開催(~7日)。
07 07 広島市平和祭協会、常任委員会を開催。「平和マーク」を販売して社会事業費に当てることを決定。
07 11? 広島平和祭協会、行事の大綱を決定。平和メッセージ・平和の鐘・平和の鳩など。
07 16? 広島市平和祭協会、平和祭予算105万円の募集に奔走。
07 22 広島平和祭協会、公募していた平和の歌・慈仙寺鼻と護国神社前の広場の名称の当選者を発表。
08 10? 広島平和祭協会、被爆体験を後生に伝える資料写真集・パンフレットの作成を計画。
08 15? 広島平和祭協会、市民のお祭騒ぎ批判の声に対し弁明。
1948年
06 14 広島市平和祭協会、48年度第1回総会を開催。協会名を平和協会と改称。
1948年
06 28 広島平和協会、宗教・茶華道関係団体の委員会を開催。30日までに興業・スポーツ・新聞報道・文化・商店街関係団体の委員会も開催。
08 06 広島平和協会・NHK・FK,NHK「世界の音楽」公開演奏会を広島児童文化会館で開催。
1949年
05 03 広島平和協会、世界憲法起草人民会議(50年9月ジュネーブで開催予定)代議員派遣署名運動を開始。
05 03 広島平和協会・中国新聞社、国際平和協会理事長賀川豊彦を招いて平和確立記念講演会「世界平和の創造」を開催。
06 06 広島平和協会、第1回役員会を開催。13名が参加。平和祭行事を決定。
06 27? 広島平和協会など、8月5日から3日間開催予定の平和都市記念書道展覧会の作品を募集。
08 05 広島平和協会、平和音楽祭を児童文化会館で開催。
08 06 広島平和協会、第4回平和祭式典を市民広場(児童文化会館前)で開催。約3000人が参加。
08 06 広島平和協会、平和音楽祭を児童文化会館で開催。英国の詩人ブランデン(東大講師)が平和祭に寄せた「ヒロシマに寄する歌」を広島放送合唱団が合唱。7日も。
1950年
02 11 広島市中央公民館で、原爆と平和展(広島平和協会主催)、開催(3月12日まで)。原爆関係資料展示。3月8日までの入場者数大人4273人、小人1611人。入場者収入32万2290円。
06 02? 広島平和協会、平和祭行事の計画案を作成。お祭り気分的行事を廃することをとする。予算は約200万円。
08 02 広島平和協会、緊急常任委員会を開催。平和祭を中止することを決定。
08 02 広島平和協会,平和祭中止を決定.
08 06 広島市民生局社会教育課編「原爆体験記」(広島平和協会)発刊.
1951年
07 25 広島平和協会、世界各国の主要都市(200)・国内各市(300)にメッセージを発送。

出典:『中国新聞』ほか

「原爆と平和」展(主催:広島平和協会)

時:1950年2月11日~3月12日

場所:広島市中央公民館

dc500211

「原爆と平和」展内容案内

第1部 原子力

世界平和は広島から(電動装置)
原子力の象徴
元素発見の科学者
原子と湯川博士
元素表
原子図解
原子の生産
三大国と原子力
世界のウラニューム鉱山
アメリカ原子力工場の分布
原子エネルギー製産地
原子の威カースツテイン博士
原子爆弾の威力
原子の発熱量(ウラニューム)

第2部 原爆と広島

被爆直後の広島(モデオラマ)
被爆前の広島
被爆後の広島大観
被爆状況の詳細
長崎と原爆

第3部 戦争の回顧

真珠湾攻撃
原子爆弾と竹槍(東京空襲)
日本海軍の終焉

終戦の大詔
ミズリー艦上の降伏調印式
日本新憲法
戦費と人的損害
戦争と結果
日本の生きる道

第4部 原子力と平和

原子力と工業
原子力と交通
原子力の応用
原子力と医学
放射線と保護
原子ニュース(特設自動回転)

第5部 平和と産業

世界現勢要図
世界貿易産業図解
日本産業貿易大観

第6部 世界平和と広島

広島平和宣言
広島ピースセンターの構想
招来の大広島(パノラマ)
世界国家への構想
文化国家日本の将来
広島平和協会