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中国地方総監府誌-原爆被災記録

『中国地方総監府誌-原爆被災記録』(中国地方総監府誌原爆被災誌記録刊行会、1972/08/06)

内容

見出し 著者
 瀬尾弘吉
刊行にあたって 武藤文雄
1 開庁の経過 3
2 機構の概要 11
3 被爆の惨状 17
4 終戦以後(廃庁)41
5 体験記と思出の栞 53
(1) 父大塚惟精の殉職 53 大塚駿
(2) あの日のこと  61 中埜由美子
(3) 総監府で被爆  67 福井数三
(4) 運命と奇蹟  70 池田秀雄
(5) 辛うじて助かる 74 岡部史郎
(6) 八月六日 78 原田貢
付・大塚総監の想出
(7) 被爆した父と総監府  91 原田敬二
(8) 原子雲を望見  96 山口乾治
(9) 炸裂下の服部副総監 98 高本達寿
(10) 総監府と私  101 三郎丸義春
(12) 鶴田副参事官の思出 104 丸川敏明
(13) 終生忘れ得ず 106 加賀正寿
(14) お日さまがわれた 107 山際節子
(15) 県庁・総監府の追憶  111 竹内喜三郎
(付)中国地方総監府職員原爆犠牲者追悼法要 127
6 中国地方総監府職員録 149
編集後記  160 原田貢・小堺吉光

 

炎の墓標 被爆体験記

『炎の墓標 被爆体験記』(〔双三郡〕三和町原爆被爆者友の会被爆体験編集委員会 編・刊、1984/08/06)

序にかえて……三和町被爆者友の会会長 村上弘
出版によせて……三和町長 冨野井利明
被爆体験記
1 その朝わたしは広島で
1.床屋の椅子に坐った途端に……戸政志六 1
2.牛田の山中に三日間かくれて……為平忠志 2
3.私の被爆体験を詩に託して……村上弘 3
4.学徒動員で被爆……坂田尚也 5
5.そのとき私は長崎で……広田進 6
6.長女三女も後遺症で逝く……金光村一 8
7.絶対に許せない憤り……前金茂 9
8.死んだ母の乳房にしがみつく乳児……細美数人 11
9.少年の日のショック……大平昭義 12
10.薬も包帯もない……広田正子 13
11.満身ガラスの破片で……笹岡寛 14
12.鶴見橋下へ飛び込んで……森村納 15
13.動員学徒の頭上に火の玉……伊藤トミコ 16
14.河土手で一週間暮らす……金光み弥 17
15.忘れるな.あの日の出来事……鍛治川道夫 18
16.少年の日の悲痛な思い出……前岡一敏 19
17.その日の救護活動……政岡義人 20
18.野宿して被爆者の治療に従事……長尾和子 20
19.原爆.あの日の記憶をたどって……毛利恭典 21
20.言語に絶する生き地獄……山田省三 22
21.戦争のない平和な社会を……今谷美代子 23
22.爆弾で皆んな死んだげなーと……近村春子 25
23.姉の声が耳に残る……信原妙子 26
24.学徒動員として……竹川義則 26
25.母と妹を失って……中田美智子 27
26.真赤に焼けた大砲のような物を見た……松山政子 28
27.意識を失って一か月……後藤アツコ 29
28.生き地獄から這い出て……宗末綾子 30
29.死体にガソリンをかけて……行政繁子 31
30.建物が頭上にのしかかって……梶川一女 32
31.歩きつづけて井原まで……大平春子 33
32.同僚をたづねて……光原哲夫 34
33.妻の安否を気遣いながら……大平高雄 35
34.可部線を横切って三滝へ……恒森徳 35
35.砂雨の中を逃げる……増井季子 36
36.一部始終をこの目で……渡辺聡 37
37.近距離の被爆……難波アサノ 38
37.おびえた長い一日……佐藤フジエ 39
39.後頭部の髪は抜けて……後藤初人 40
40.起きてみると隣の人は死んでいた……梶谷幸夫 41
41.被爆者の訴え……寺川年行 42
42.中隊毎に工兵隊近くの竹やぶに行け……松山定夫 43
43.体験を通して世界平和を祈る……光森一 44
44.背中に電気の焼けつく熱さを……佐藤連 45
45.主人を送り出して……為平房子 46
46.学校の運動場は火葬場と化す……藤原佐恵子 46
47.灰かぐらのように舞い上って……山崎益夫 47
48.防空壕で命拾い……長尾薫 48
49.隣家の親娘の手を引いて逃れたが……宍戸開・宍戸チエ子 49
50.旧福屋の一階で被爆……倉東亀雄 50
51.江波の三菱造船所で……広川武司 51
2 安否をたずねて広島へ
1.耳に灼きついたB29の爆音……石丸辰美 53
2.従姉の家族を捜し求めて……佐々木正人 55
3.元の職場は原爆ドーム……児玉美智子 57
4.軍人だった夫の影を求めて……田中モモヨ 58
5.思い出したくないあの日の出来事……大山八重子 59
6.疎開児童の親はいずこに……山本隆司 60
7.地獄のような光景だけが残る……曲田ハマヨ 61
8.重傷の隣人救援に馬車を挽いて……岡田益太郎 62
9.死者の山の間で一夜をすごす……日南義男 63
10.白骨の山に合掌……寺光忠之 64
11.被爆の姉.迎えの馬車上にて死す……実広守 64
12.義弟の遺骸を求めて……重信多作 65
13.兄弟の安否をたずねて……児玉盛円 66
14.知人を尋ねて……平田ハナエ 67
15.竹やぶの中に夫の部隊がいた……恒森カスミ 68
16.夫の骨と信じて持ち帰る……渡辺ハルヨ 68
17.妹の遺骸を捜し求めて……和泉清子 69
18.近所の娘さんの遺体を掘り出す……山本一男 70
19.被爆者の姿が忘れられない……本川英子 71
20.憲兵だった夫を捜し求めて……佐々木キミエ 71
21.近所の娘さんをさがして……佐々木コユミ 72
22.三滝分院の弟をたずねて……川崎忠志 73
23.夫の遺体を求めて四度五度……佐々木ヲアイ 74
24.兄をたずねて広島から庄原へ……森川艶子 75
25.義弟の安否をたずねたが……黒川フジコ 76
26.人類最大の悲劇……児玉福一 77
27.曳光性特殊高性能爆弾と発表……徳川清子 78
28.召集を受けて歩兵第二部隊入隊の朝……長尾和文 79
29.何も知らされず航空機部品を運んで……森川道子 80
30.一発の爆弾の威力……増田初一 81
31.三十八年間原爆症に苦しむ……後藤〓 [食部に誉] 81
32.夫を捜して劫火の中を……中村マサコ 82
33.知人をたずねて歩き廻る……行原ノブコ 83
34.交代勤務で直爆から免がれる……田上時夫 84
35.帰還兵を馬車で迎えに入前……後藤正俊 84
36.帰郷していたのが幸運……益田一枝 85
37.十六日.甲種合格入営の弟と共に……福原俊壮 86
38.一望焼野原と美しい安芸の小富士と……益田浅枝 87
39.無名の遺骨と共に供養塔に眠っている妹……木原二男 88
40.入隊の日は終戦の日であった……中丸正利 89
41.農繁休暇のお蔭で命ながらえて……細美半二 90
42.兄の再召集日は原爆の日……竹間スミ子 91
43.むすび・草履をもって義弟さがし……細美ヤス子 93
44.必死に救いを求める重傷者を見て見ぬふりして……土井毅 94
45.二日間日帰りで探し求めた主人は……塚本ハルミ 95
46.捜し求めた父との対面は火葬場で……間弓澄子 97
47.救いを求められても何もできなかった悲しさ……福間只四郎 100
48.思い出したくない.考えたくない……長尾緑 101
49.遺体の髪と袖を切り取って帰る……山本勝己 102
50.八月十四日召集令状で……渡辺光明 104
51.見ぬ人には話しにならぬ……平野忠之 105
52.原爆と私……時丸卓爾 105
53.原爆病院で死んでゆく友から……細美繁人 106
54.放心状態のある婦人の思い出……上岡武雄 107
55.捜し出して連れて帰った人は二日後には……山本利美 109
56.背中一面ざくろのようになった伯母……和田トモエ 110
57.今.母が死んだと泣きすがる妹……片岡貞子 111
58.学徒動員高女生に付き添って……難波護 113
3 救援活動に従事して
1.高射砲陣地から射撃命令を持つ……佐藤月二 117
2.勤労奉仕隊から被爆者救護へ……仁科美代子 119
3.ラバウルから帰って……上陰政義 120
4.着のみ着のままで救護活動を……岡野ミヨ子 121
5.被爆者を病院に運んで……岩見秋人 122
6.負傷者のうめく被爆地獄を歩き続けて……寺川調江 123
7.警防団出動命令により……谷重柳一 125
8.被爆死者を焼く苦悩……佐々木佐一 126
9.猛暑と悪臭の中の奉仕活動……水野義夫 127
10.警防団員として出動……松山春二 128
11.警備隊員として動員されて……渡辺頼己 128
12.軍の救援活動に参加して……今谷昇 129
13.海軍工廠から派遣されて……豊田丈三 130
14.会社の命令で救援に……矢井好 131
15.防衛隊の非常召集により救援に……山根静間 132
16.警備隊として救援に出動……児玉升雄 133
17.看議隊に属して……佐縁馬信子 134
18.農業会職員の救護活動……長尾博子 135
20.暑さと悪臭の中で……細美春江 136
21.いつもの通り迎えた朝なのに……小島文子 137
22.赤チンキで○印と×印……山崎正行 138
23.在郷軍人として被爆軍人の収容に……新川護 139
24.ダルマのようにふくれた死骸……栗橋鎮雄 140
25.生死の境に叫ぶ被爆者の食事を担当して……佐々木美佐子 141
26.重患から番号をつけて宇品倉庫に運ぶ……信政則人 143
27.役場より救援出動命令……岡光久夫 144
28.東練兵場にテントを張って救援……中村広登 145
29.死んだ母親の胸の下に生きている幼児……田上竹一 146
30.お寺で見た地獄絵を現実にみる……佐々木雪江 147
31.出張の日の出来事……山田実徳 148
32.死んで行く被爆者の看護に明けくれた二週間……石丸清子 149
33.荘ばくとした真暗闇の中で……桃田辮 151
34.あの時の悲惨さがよみがえる……殿重稔 151
35.傷口から蛆がはい出る……中森玉子 152
36.隣保班から救護活動に……殿重清 153
37.警察署の自動車で広島へ……津川義一 154
38.婦人会にも出動命令がくだる……殿重シゲ子 155
39.岡竹隊の遺骨を抱いて……小川行登 156
40.学徒動員で救護活動に……若林悦子 157
41.焼け残った建物は救護所に……難波真一 158
42.海軍衛生学校から救援に……岡光次郎 158
43.日赤病院等の電気取付工事に……今谷恵 159
44.今も消えない.被爆患者のあの叫び……吉田光枝 159
45.敵機の中を縫って.再召集に向う……松本徳勝 161
46.水!水と叫ぶ声が今も耳底に……田中角美 162
47.警防団員として出動……寄宗文夫 163
48.私の心に悔だけを残して……山田芳江 164
49.止められている水をコッソリと……福原アサ子 165
50.悠々と飛ぶ十四機の敵機……益田静磨 167
51.猛暑と渇水の救援活動……蔵谷照男 168
52.世羅防衛隊大原隊員として……細美寿一 170
53.平和な日々を迎えて……津島アキミ 172
54.戦争の悲劇を二度と繰り返さないためにも……橿原寿子 173
55.死体を集めて焼く救援活動……佐々木昭二 175
56.看護婦の見習のような女学生……長尾鈴子 176
57.板木診療所で救護にあたる……中原花子 177
58.入院中私は看護婦に早変り……竹川真佐子 179
59.死にゆく患者を団扇で扇ぐ……新川スミ子 180
60.太陽をにらんで死んで行く人たち……素利昭三 181
61.私の被爆体験記……福馬君子 182
62.消防団の救護班で広島へ……貞広幸夫 184
63.被爆死体火葬用燃料輸送に従事……森川清 185
64.挺身隊から救護活動へ……難波ユキ子 186
65.米軍偵察機の下で救護作業……福馬博美 187
4 焦炎の街を通過して
1.学校報国隊の腕章をつけて……還来地忠子 189
2.被爆者の責務を痛感……平岡苗香 190
3.呉海軍施設部へ徴用されて……片岡守 192
4.負傷者のうずまく広島駅での九時間……片岡ミツエ 193
5.闇の広島駅での長い一夜……佐々木咲江 193
6.学徒動員から帰郷中死体と骨の山に勧奨………佐々木佐和子 195
7.原爆白内症に悩む……後藤敏子 196
8.女子挺身隊解除の帰途……渡辺信子 197
9.「海ゆかば」を歌い終わって……米沢繁子 198
10.空襲に馴れた私もこれは……原田武清 199
11.余生をがん張りたい……安川敏子 200
12.広海軍工廠を解除されて……箕岡照子 201
5 村役場の対応の思い出
1.対応の思い出……片岡輝雄 203
あとがき……207

加計町史 資料編Ⅲ

『加計町史 資料編Ⅲ』(加計町<広島県>、2004/09/30)

内容抄

年月日 No. 資料名など 備考
口絵
発刊の辞 1

解説 26

明治2年の凶作
武一騒動
編年資料
1871 明治4年~<抄>
011 解放令に対する「百姓」の反応 24
012 戸籍編成につき山家・乞丐の者取調の達 26
1897 100 加計村の兵役志願 209
1901  120  北清事変凱旋兵士歓迎会
 1904  130  加計町国威宣揚祭
 1906  134  夏目漱石より加計正文あての礼状
 135  鈴木三重吉書簡
1907  139 加計町在郷軍人会会則
 140  朝鮮人捕虜「テルマ」媛について古老口伝の書留
 1918  164  加計町における米騒動
 1924  181  大倉飛行士郷土訪問飛行の案内
 1928 209  加計町融和事業委員会々則
 1929  213  感情融和に関する協議の通知文
1930  219  第25回陸軍記念日在郷軍人召集状
1932  226  満州事変凱旋兵士への祝辞
1933  232  国際聯盟脱退に関する詔書奉戴式・武術大会の開催
 233  時局匡救対策事業資金の起債
1935  239  安野村産業組合婦人会の設立
 241  満州事変戦死者の加計町葬
 243  内鮮融和講演会の開催
 1936  245  防空演習実施通知
 1937  247  戦病死者の遺骨出迎えと町葬
 250  出征奉告祭・送別式に関する通知
 251  出征軍人家庭援助に関する通知
 252  加計町国防義会の設立
 253  戦死者に関する通知
254  南京陥落祝賀の急告
 255  「長期戦の覚悟」
 1938  256  安野村産業組合の国民精神総動員運動家庭実践項目
 257  加計町招魂祭と軍人遺家族慰安会開催案内
 259  加計町国防義会経理状況報告
 260  銃後後援強化週間実施要項
 1939  263  帰郷軍人奉告祭・座談会に関する通知
 264  警防団の設置
 266  戦時期における加計町役場の庶務事務
 267  祝幟樹立全廃に関する通知
 1942 271  梵鐘応召報告法要及撞納式執行
 273  聖旨奉戴教化町指定につき加計町民への願い
 275  加計町教化暦
 1943  277  大東亜戦争必勝食糧増産管理米供出加計町民大会
 279  安野発電所水力使用計画に対する意見聴取及び答申
281  学徒生草刈取動員実施計画書
1944  285  昭和19年度安野村銃後奉公会事業計画書
286  西松組に対する野菜供出協力依頼
 287  脱走中国人労働者逮捕協力への礼状
 1945  289  満州太田開拓団員の勧誘
 290  敵襲時における情報放送周知に関する通知
 291  集団疎開学童入町に関する件
 292  疎開受入地事情調査報告
 293  加計町国民義勇隊長の宣誓
 294  広島市空襲被害に関する通知
 295  終戦に関する通知
 296  終戦直後の強制連行中国人への対応
1946  299  加計町招魂祭に関する通知
 300  太田開拓団員現況報告
 301  満州開拓民・義勇軍援護金募集通知
302  殿賀村青年団機関紙『愛郷』創刊之辞
 303  小作関係団体結成報告
 304  戦没者葬儀等に関する通知
 305  殿賀村青年団機関紙記事
  306  安野水力発電所建設協定書
307  加計町内国民学校の増設
  308  公葬の取扱いに関する通知
309  葬儀執行通知
 1947 311  マッカーサーあて鉄道速成請願書
 320  要保護者の一斉調査
1948  321  農民団体についての報告
 325  自治警察建設場所問題についての陳情書
 1949  327  日の丸の旗の普及についての通知
 1950  329  加計町広報の創刊
 1951  332  吉水園の広島県史跡名勝への指定
 335  加計町自治警察の廃止
 336  ルース台風による加計町の被害
 337  ルース台風による安野村の災害状況報告
 1952  341  戦没者慰霊祭案内
 342  加計町戦没・戦争犠牲者の追悼・慰霊祭執行
 347  加計町教育委員会の発足
 348  遺族靖国神社参拝団要綱
1953  350  殿賀村国民健康保険組合の状況
 1954  352  本郷線の開通
354  加計正文「本郷線開通のよろこび」
  357  加計町国民健康保険の実施
1956 362 加計町郷友会結成大会
1957 374 加計町郷友会の平和祈念碑建立趣意書
1958 375 広島県部落解放委員会加計支部結成協議会開催の案内
1958 376 原水爆禁止加計町民大会
1960 381 全日本同和会広島県連合会加計支部の綱領案・宣言・決議案・規約案
1964 386 原水爆禁止平和行進山県集会の案内
1964 388 部落解放同盟加計支部の支部規約
1969 395 加計町同和対策基本方針
1978 411 加計町議会の「被爆者援護法制定に関する決議」
1985 721 安野中学校の核実験抗議の座り込み
1986 422 加計町非核平和宣言
1987 425 米軍機事故に対する要請書
1997 438 米軍機低空飛行訓練即時中止を求める意見書
 1998  439  可部線一部廃止問題

 

広島赤十字病院慰霊碑

広島赤十字病院慰霊碑

建立年月日:1959年12月8日
所在地(建立当時):広島市千田町・広島赤十字病院
所在地(現在):広島県広島市中区千田町2-5-64
撮影年月日:2021年7月5日
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 (正面)(原文左横書)慰霊
(裏面) 昭和三十四年十一月吉日建之 日本赤十字社
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〔説明板〕(仏文略)

死はこの市に住む人々をも
その救護を使命とする人々をも
同時に襲った。かくして
残虐な無差別兵器はこの地点において
赤十字が創設した博愛の施設にも
打撃を与えたのであった。
しかしこの事件は
人間の良心を呼びさました。

その後人類は一体となって
戦争を放棄し
正義と平和の支配する友情の世界を
生みださねばならないことを 知った。

赤十字はこの福祉の業に
その熱情と誠意とを傾けるであろう。
赤十字国際委員会々長
レオポルド・ボアシエ

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広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク

広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク

所在地:広島県広島市中区千田町2-5-64
撮影日:2021年7月5日
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(資料) https://www.hiroshima-med.jrc.or.jp/brandnew/page2.php
メモリアルパークの移設について病院敷地の東端に以前ありました被爆遺跡(歪んだ窓枠)等のモニュメントを移設し、平成25年7月2日に「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」がオープンしました。当日は日本赤十字社名誉副総裁である高円宮妃殿下によるご供花が行われ、多くの方々にご参列いただきました。モニュメントが設置されていた一帯に新棟を建設する計画となったことから、検討を重ねた結果、移設先は今後の病院の建て替え等で長期に亘り影響の出ない日本赤十字社広島県支部の敷地となりました。平和と人権尊重の重要性を語り継いでいく役割を担っているメモリアルパークを、平和教育の一環としても継承していきたいと考えています。また、既存メモリアルパークが466.0㎡であるのに対し約600㎡に面積を拡張させ、毎年8月6日に行われる慰霊式では、より多くの方に参列して頂けるよう配慮しています。