『広島県戦災史』(広島県編、19880325)
目次
章節項 |
タイトル |
執筆者 |
|
口絵 |
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序 |
竹下虎之助 |
序章 |
戦争と戦災 |
熊田重邦 |
1 |
15年戦争と戦災の様相 |
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2 |
戦災への対応 |
|
Ⅰ |
軍都広島と戦争 |
|
1 |
15年戦争の展開 |
|
|
1 戦局の推移 |
安藤福平 |
|
2県内の主要な軍事施設 |
有元正雄 |
|
3郷土部隊と開拓団 |
児玉正昭 |
2 |
戦時体制の確立 |
安藤福平 |
|
1 準戦時体制の進行 |
|
|
2 日中全面戦争下の国民動員 |
|
|
3 大政翼賛運動 |
|
3 |
戦争経済の推移 |
|
|
1 産業の軍需化 |
高橋衛 |
|
2 戦時下の農村と農業 |
有元正雄 |
|
3 戦時経済統制の強化 |
高橋衛 |
4 |
戦時の生活 |
天野卓郎 |
|
1 深刻化する耐乏生活
2 国民統制の強化 |
|
5 |
戦争の激化と対応 |
天野卓郎 |
|
1 防空体制の整備と疎開
2 本土決戦の準備と国民動員 |
|
Ⅱ |
広島県の戦災 |
|
1 |
県内の空襲と戦災 |
天野卓郎 |
2 |
呉空襲 |
|
|
1 軍港内艦艇への攻撃 |
高橋衛 |
|
2 軍事施設への爆撃 |
千田武志 |
|
3市民への空襲 |
千田武志 |
3 |
福山空襲 |
有元正雄 |
|
1 戦争末期の福山市
2 福山大空襲 |
|
4 |
原爆の広島投下 |
宇吹暁 |
|
1 原爆の被害
2 救護と救援 |
|
5 |
化学兵器の製造と毒ガス被害 |
天野卓郎 |
Ⅲ |
終戦と広島県 |
|
1 |
戦争の終結 |
|
|
1 被災者の援護 |
宇吹暁 |
|
2 連合軍の進駐 |
藤原浩修 |
|
3 復員と引揚げ |
児玉正昭 |
2 |
戦後の生活 |
|
|
1 戦禍につづく台風禍 |
松林俊一 |
|
2 戦後の混乱 |
天野卓郎 |
|
3 復興への胎動 |
高橋衛 |
終章 |
戦争と平和 |
|
1 |
平和への道 |
宇吹暁 |
2 |
核戦争の脅威 |
宇吹暁 |
|
原水爆禁止運動 |
宇吹暁 |
|
非核・平和宣言 |
宇吹暁 |
|
戦争から平和へ |
熊田重邦 |
付録 |
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資料1 |
戦時期市町村別人口の推移 |
宇吹・安藤(資料5) |
資料2 |
市町村別戦没者数 |
|
資料3 |
市町村別・法区分別被爆者数 |
|
資料4 |
戦災者名簿一覧 |
|
資料 5 |
戦時期広島県の主要通牒一覧 |
|
資料6 |
戦災調査報告一覧 |
|
資料7 |
原爆モニュメントー覧 |
|
資料8 |
戦災者・戦没者慰霊碑一覧 |
|
資料9 |
広島県議会決議(戦災・平和・原水爆禁止関係)一覧 |
|
資料10 |
広島県内の非核・平和都市宣言一覧 |
|
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|
文献1 |
原爆被災記録 |
宇吹・内田恵美子(協力) |
文献2 |
空襲・戦災・戦争体験記 |
文献3 |
その他 |
年表 |
1931(昭和6)年~1946(昭和21)年 |
宇吹・安藤 |
|
口絵写真一覧 |
松林・宇吹・安藤 |
|
さし絵写真一覧 |
松林・宇吹・安藤 |
|
図一覧 |
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表一覧 |
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松下孝昭 |
あとがき |
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熊田重邦 |
広島市原対協被爆生存者(児童生徒)調査表
1956年1月10日現在
|
|
小学校 |
中学校 |
高等学校 |
計 |
A.外傷のみあるもの |
検査希望 |
27 |
44 |
15 |
86 |
治療希望 |
31 |
52 |
16 |
99 |
検査治療希望せず |
155 |
270 |
149 |
574 |
計 |
213 |
366 |
180 |
759 |
B.自覚症状のみあるもの |
検査希望 |
186 |
175 |
82 |
444 |
治療希望 |
151 |
140 |
52 |
343 |
検査治療希望せず |
332 |
619 |
286 |
1237 |
計 |
669 |
935 |
420 |
2024 |
C.外傷自覚症状共にあるもの |
検査希望 |
50 |
52 |
34 |
136 |
治療希望 |
60 |
86 |
29 |
175 |
検査治療希望せず |
83 |
150 |
125 |
358 |
計 |
193 |
288 |
188 |
669 |
D.外傷自覚症状共にないもの |
検査希望 |
175 |
161 |
73 |
413 |
治療希望 |
76 |
98 |
22 |
196 |
検査治療希望せず |
1690 |
2801 |
1105 |
5596 |
計 |
1945 |
3060 |
1200 |
6205 |
E.総計 |
検査希望 |
442 |
433 |
204 |
1079 |
治療希望 |
318 |
376 |
119 |
813 |
検査治療希望せず |
2260 |
3840 |
1665 |
7765 |
計 |
3000 |
4349 |
1988 |
9657 |
出典:『広島原爆医療史』」601頁
広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会
(資料)
年月日 |
タイトル |
備考 |
195302 |
広島資源科学博物館建設趣意書 |
広島資源科学博物館設立発起人一同 |
19970714 |
自然史博物館の設立を求める要望書 |
浜本正良(広島県高等学校教育研究会理科部会)⇒広島県教育委員会教育長木曽功) |
19970714 |
要望する自然史博物館の基本構想 |
19980525 |
自然史博物館の設立を求める要望書 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島県議会議長桧山俊宏) |
19980525 |
自然史博物館の設立を求める要望書 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島県知事藤田雄山) |
19981027 |
自然史博物館の設立を求める要望書 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市教育委員会教育長森元弘志) |
19990308 |
「地球ミュージアム(仮称)」構想に関する要請 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利) |
19990308 |
自然史博物館の設立を求める要望書 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利) |
19991004 |
自然史博物館の設立を求める要望書 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利) |
19991004 |
自然史資料の収集事業に関する要請 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利) |
19991208 |
自然史博物館の設立を求める要請書 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利) |
19991208 |
自然史資料の収集事業に関する要請 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長秋葉忠利) |
20000726 |
自然史博物館の設立を求める要請 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島市長・広島県議会議長 |
20000726 |
自然史博物館の設立を求める要請 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島県知事・広島市議会議長 |
20000726 |
自然史資料の収集事業に関する要請 |
渡辺泰邦(広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会事務局長)⇒広島県知事・広島県議会議長 |
20050201 |
広島県に自然史博物館の設立を求める要請 |
松浦貞子( 「自然の博物館」をつくる会事務局長)⇒広島県議会議長新田篤実 |
20050201 |
「自然の博物館(仮称)」構想 |
20050322 |
広島大学跡地(旧広大理学部1号館)に自然史博物館の設立を求める要望書 |
「自然の博物館」をつくる会、広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会、元広島文理科大学(旧広大理学部1号館)の保存を考える会、広島大学跡地に自然史博物館を作る広大有志の会⇒広島市長秋葉忠利) |
20050322 |
広島大学跡地(旧広大理学部1号館)に自然史博物館の設立を求める要望書 |
「自然の博物館」をつくる会、広島県に自然史博物館をつくる連絡協議会、元広島文理科大学(旧広大理学部1号館)の保存を考える会、広島大学跡地に自然史博物館を作る広大有志の会⇒広島県知事藤田雄山) |
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広島大学跡地保存利用についての国・県・市の動向(保存を考える会、200310)
<内容未入力>
元広島文理科大学本館(旧広大理学部1号館)保存運動の経過(保存を考える会、2003.10)
資料一覧
年月日 |
資料名 |
19910805 |
中国新聞記事「移転で今秋閉鎖 広大理学部1号館」 |
19910926 |
請願書(後藤陽一・被爆遺跡保存運動懇談会座長後藤陽一⇒田中隆荘・広島大学長) |
19910926 |
要請書(後藤陽一・原爆遺跡保存運動懇談会座長後藤陽一⇒平岡敬・広島市長・広島大学跡地利用研究協議会会長) |
19910927 |
中国新聞記事「広大理学部1号館残せ 原爆遺跡保存運動懇 学長に要請書出す」 |
19910927 |
朝日新聞記事「被爆した広大理学部1号館 学長に保存請願 運動懇 市長にも協力要請」 |
19911209 |
旧・理学部1号館(旧文理科大本館)保存についてのアンケート集約結果 |
19920221 |
広島大学跡地と旧文理科大学校舎の保存再利用についての考え方<小原提案> |
19920421 |
旧広島文理科大学校舎の保存についての要望(案) |
199302 |
今正秀「広島大学旧理学部1号館(旧広島文理科大学)」(『芸備地方史研究』183・184号) |
|
<以下未入力> |
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|
『いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言』
「いのちの塔」手記集編纂委員会
中国新聞社 19920610
目次
|
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|
グラビア |
痛恨の『あの日 あの時』 |
|
|
核時代の生命のしるし ~序にかえて~ |
大江健三郎 |
プロローグ |
被爆前後の日赤かいわい |
前保美枝子 |
証言・その一 ~周辺住民と入院患者ら~ |
|
一枚の白衣 |
宗藤尚三 |
|
八月六日 |
笠間徳子 |
|
長い白日夢 |
真栄田年穗 |
|
救護活動の拠点・日赤で |
中谷昇 |
|
まるで悪夢の日々 |
中島睦男 |
|
父と弟の死の日に |
船倉[土+坒]子 |
証言・その二 ~医師・看護婦~ |
|
外科医の、それは“悲しい日々”が… |
服部達太郎 |
|
ヒロシマを語りつぐもの |
入江長生 |
|
生き残った一人として |
宇野ヨネ子 |
|
二十歳の夏に |
面田孝子 |
|
従軍看護婦になりたかった私 |
内田千寿子 |
|
婦長の一言に励まされて |
栗原アヤコ |
|
若い血を躍らせた館 |
浅野智恵子 |
|
無念の涙 |
大阪己佐子 |
|
耳を澄ませば聞こえる悲鳴 |
高田静子 |
|
青春の詰まる“故郷” |
小里美智子 |
証言・その三 ~被爆後の入院患者~ |
|
|
日赤病院で受けたケロイド手術 |
光島太郎 |
|
日赤は生きる希望でした |
米田美津子 |
|
日赤入院とその後 |
吉川生美 |
|
今もお世話になる日赤なのに… |
小野春子 |
|
詩・『窓』 |
野津彼方 |
小説 『母の炎』から |
|
|
母の炎 |
山口勇子 |
考証 『被爆遺跡としての日赤本館』 |
|
|
広島赤十字・原爆病院の建築について |
石丸紀興 |
未来へのメッセージ |
|
|
「広島日赤病院本館」について |
後藤陽一 |
|
核政策への無言の抵抗碑として |
伊東壮 |
|
貴重な原爆遺跡を保存しよう |
久保浦人 |
|
あとがき |
宗藤尚三 |
資料編 |
|
<資料1> |
広島赤十字・原爆病院保存運動の経過 |
|
<資料2> |
広島赤十字・原爆病院の沿革 |
|
<資料3> |
座談会・あの時の広島赤十字病院 |
|
元広島文理科大学(旧広島大学理学部一号館)の保存を考える会 1995年1月7日発足。
会員
氏名 |
|
|
川村智治郎 |
元広島大学長 |
会長 |
竹山晴夫 |
元広島大学長 |
副会長 |
沖原豊 |
元広島大学長 |
副会長 |
三好稔 |
元広島大学長代行 |
|
後藤陽一 |
広島大学名誉教授・原爆遺跡保存運動懇談会座長 |
|
渡辺則文 |
広島大学名誉教授・芸備地方史研究会会長 |
|
向山宏 |
広島大学教授・広島史学研究会理事長 |
|
頼祺一 |
広島大学教授・芸広島史学研究会理事 |
幹事 |
小原誠 |
広島大学工学部教授 |
幹事 |
石丸紀興 |
広島大学工学部助教授 |
|
宇吹暁 |
広島大学工学部助教授 |
|
河瀬正利 |
広島大学文学部助教授・考古学研究会委員 |
|
長谷川博史 |
広島大学文学部助手 |
事務担当 |
|
|
|
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|
|
袋町国民学校
現在袋町小学校西校舎
爆心地からの距離:460メートル
所在地:中区袋町6番36(袋町)
竣工時期:1937(昭和12)年1月
構造/階数:鉄筋コンクリート造/3階建・地下1階
設計者/施工者:広島市役所営繕課/森田工業
本川国民学校校舎
現在:本川小学校平和資料館
爆心地からの距離:410メートル
所在地:中区本川町1丁目5-39(鍛治屋町)
竣工時期:1928(昭和3)年7月
構造/階数:鉄筋コンクリート造/3階建・一部地下1階
設計者/施工者:増田清/清水組
中国軍管区司令部防空作戦室
現在:中国軍管区司令部跡
爆心地からの距離:790メートル
所在地:中区基町21(基町)
竣工時期:不詳
構造/階数:鉄筋コンクリート造/半地下1階
設計者/施工者:不詳
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