広島女子高等師範付属山中高等女学校慰霊祭
1998年8月6日午前8時-8時30分 於広島市中区国泰寺町・荒神堂 |
焼香 |
読経 |
級友による遺族の手記朗読 |
広島大学付属福山高等学校生徒代表弔辞 インド・パキスタンの核実験に言及。 |
千羽鶴の捧呈 |
広島女子高等師範付属山中高等女学校慰霊祭
1998年8月6日午前8時-8時30分 於広島市中区国泰寺町・荒神堂 |
焼香 |
読経 |
級友による遺族の手記朗読 |
広島大学付属福山高等学校生徒代表弔辞 インド・パキスタンの核実験に言及。 |
千羽鶴の捧呈 |
ニック・ユソフ墓
南方特別留学生 |
場所:広島市佐伯区五日市 光禅寺 |
2019年5月26日撮影 |
広島文理科大学・広島高等学校 原爆死没者遺骨埋葬の地の碑
建立年月日:1972年12月25日
場所:広島市東千田町・広島大学
『創立五十年記念誌 広島大学教育学部付属中学校高等学校』(広島大学教育学部付属中学校・高等学校内創立五十年記念事業会 、1955/11/03)
内容
校歌 | ||
序(広島大学教育学部附属中・高等学校長 森岡文策) | ||
口絵写真 | ||
Ⅰ | 祝辞 | |
創立50周年に寄せて(広島大学長 森戸辰男) | ||
祝辞(教育学部長 皇至道) | ||
式辞(附属中・高等学校長 森岡文策) | ||
祝辞(アカシア会長 里美真造) | ||
祝辞(PTA総代 島薫) | ||
Ⅱ | 五十年史年表 | |
Ⅲ | 中学校概要 | |
Ⅳ | 高等学校概要 | |
Ⅴ | 旧現職員名簿 | |
Ⅵ | 回想の五十年 | |
明治草創期 大正時代 昭和戦前期 昭和戦後期 |
||
Ⅶ | 臨海・蹴球・庭球 | |
Ⅷ | アカシア会だよ り | |
編集後記 | ||
目次
『生死の火 広島大学原爆被災誌』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会、1975/08/06)
内容
巻頭写真 | ||
まえがき | 広島大学長 飯島宗一 | |
題字 | 広島大学長 飯島宗一 | |
001 | 被災の概況 | |
018 | 死歿者名簿 | |
教職員の部 | ||
広島文理科大学 19 広島高等学校 23 広島工業専門学校 24 広島高等師範学校 27 広島高等師範学校附属中学校 28 広島高等師範学校附属国民学校 29 広島女子高等師範学校 30 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校 30 広島師範学校 31 広島師範学校附属国民学校 32 広島県立医学専門学校 32 広島市立工業専門学校 3 |
||
学生・生徒・児童の部 | ||
広島文理科大学 33 広島高等学校 35 広島工業専門学校 37 広島高等師範学校 43 広島高等師範学校附属中学校 45 広島高等師範学校附属国民学校 47 広島女子高等師範学校 48 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校 48 広島師範学校 74 広島師範学校附属国民学校 74 広島県立医学専門学校 74 広島市立工業専門学校 74 |
||
手記 | ||
077 | 1 遺稿 | |
102 | 2 遺族 | |
118 | 3 生存者 | |
広島文理大学 118 広島高等学校 221 広島工業専門学校 232 広島高等師範学校 238 広島高等師範学校附属中学校・同附属国民学校 281 広島女子高等師範学校・同附属山中高等女学校 306 広島師範学校・同附属国民学校 312 広島県立医学専門学校 320 広島市立工業専門学校 328 |
||
339 | 4 留学生 | |
357 | メッセージ | |
373 | 広島大学原爆死歿者追悼式記録 | |
381 | 参考資料 | |
392 | 人名索引 | |
393 | あとがき | |
『昭和二十年の記録 全滅を免れた附中一年生』(「昭和20年の記録」刊行委員会編、広島高等師範学校附属中学校刊、1984/07/20)
内容
はじめに | ||
1 私たちは、こうして、原爆から生き残った 1 | ||
2 手記-思い出をつづる(手記二篇)宮岡力 15 附中生徒の原村疎開 思い出を語る(私の行動) 全滅を免れた附中一年生 新井俊一郎 20 |
||
3 わがヒロシマ日記-一年生四人の日記から 51 | ||
昭和二十年四月 五月 六月 七月 八月 九月 十月 十一月 十二月 昭和二十一年一月 二月 三月 四月 五月 |
||
4 証言-昭和20年を記録する会恩師をかこむ座談会 215 | ||
はじめに 昭和20年4月の状況 戦時体制下での附中の立場 8月6日、その朝は 農村動員-疎開計画 大学南門の悲劇 入学してからの幾旬日 当時の、動員学徒の被災状況 農村動員への出発も、混乱の中で 科学学級の東城町疎開 終戦から原村時代へ 原村での初のストライキ あの日、広島に帰省した5人 敗戦の日、原村では 終戦直後の原村生活 原村から西條へ(母校裏面史) |
||
5 資料編 | ||
附中の昭和二〇年史(年表)301 昭和二十年旧制附中入学生名簿 313 昭和二十三年新制附中卒業生名列表 315 移動・死没者名簿 316 恩師・旧担任教官名簿 328 同期会の開催記録 330 焼失前の附中平面図など(資料)360 |
||
あとがき 365 | ||
備考
広島大学原爆死没者追悼碑
建立年月日:1974(昭和49)年8月6日
場所:広島市千田町
(裏面銅版)
昭和二十年八月六日、広島に原子爆弾が投ぜられた。
一瞬、莫大な破壊を生じ、無数の 人命を奪ったのみならず、その被害は長く今日に及び、身心の傷痕なお癒ゆることがない。
本学前身諸学校のうち、広島文理科大学、広島高等学校、広島工業専門学校、広島高等師 範学校、同附属中学校、同附属国民学校、広島女子高等師範学校、同附属山中高等女学校、 広島師範学校、同附属国民学校、広島県立医学専門学校、広島市立工業専門学校は当時市 内に所在し、直接被災した。
その教職員並びに学生生徒児童は学校の内外において死傷し、 また後遺症により没した者多きを数える。
爾来星霜三十年を経て、被爆により死没せられ た人々を悼む心吾人において益々ふかく、核兵器を憎み、その完全な廃絶と、世界恒久の 平和を願うこと切なるものがある。
ここに有志相はかり、建碑して追悼の意を表するとと もに、広島大学が人類平和の確立に敢然寄与すべきふかい学門的責務を負う所以を永久に 銘記する。
昭和四十九年八月六日
広島大学学長 飯島宗一撰
元広島大学学長 井上政雄書