「学校」カテゴリーアーカイブ

広島県立第二中学校歌碑

広島県立第二中学校歌碑

建立年月日:1953(昭和28)年8月6日
場所:広島市・平和公園
正面
なくさめの言葉
なけれはたた泣かむ
汝かおもかけと
いさをしのひて
元広島二中校長 古田兵衛
裏面
嗚呼 昭和二十年八月六日
学徒動員作業中戦災並に原爆により教官七名生徒三百四十三名平和の礎となる
昭和二十八年八月六日
広島県立第二中学校
遺族一同建之

 

 

 

広島市立本川小学校原爆慰霊碑

広島市立本川小学校原爆慰霊碑
建立年月日:1995(平成7)年11月3日
場所:広島市立本川小学校

 HIC506b
 HIC506c
 『広島原爆戦災誌』(第4巻)57頁
 全焼して、外郭だけになった校舎は、被爆翌日から陸軍衛生隊が来て、西校舎一階に臨時救護所を開設した。終戦以後は、長崎五郎医師らが引継ぎ、大芝国民学校臨時救護所に移るまで、治療活動をおこなった。
昭和二十年八月二十一日の臨時校長会によって、本校児童は暫定的に己斐国民学校に通学させたが、その数は全く不明である。しかし、昭和二十一年二月二十三日に学区内有志の協力によって、本川および広瀬の両学区を併せ、本川校舎内に復帰して授業を再開した時、教員は四人、児童数は約六〇人程度であった。
 2015年8月5日
 第20回本川地区原爆死没者慰霊式典
 第33回本川地区原爆死没者慰霊盆踊り大会
 出典:『被爆70周年記念事業 原爆死没者慰霊式典の記録』(広島市、2016年1月)

 

 

広島大学原爆死没者追悼碑

広島大学原爆死没者追悼碑
建立年月日:1974(昭和49)年8月6日
場所:広島市千田町
(裏面銅版)
昭和二十年八月六日、広島に原子爆弾が投ぜられた。
一瞬、莫大な破壊を生じ、無数の 人命を奪ったのみならず、その被害は長く今日に及び、身心の傷痕なお癒ゆることがない。
本学前身諸学校のうち、広島文理科大学、広島高等学校、広島工業専門学校、広島高等師 範学校、同附属中学校、同附属国民学校、広島女子高等師範学校、同附属山中高等女学校、 広島師範学校、同附属国民学校、広島県立医学専門学校、広島市立工業専門学校は当時市 内に所在し、直接被災した。
その教職員並びに学生生徒児童は学校の内外において死傷し、 また後遺症により没した者多きを数える。
爾来星霜三十年を経て、被爆により死没せられ た人々を悼む心吾人において益々ふかく、核兵器を憎み、その完全な廃絶と、世界恒久の 平和を願うこと切なるものがある。
ここに有志相はかり、建碑して追悼の意を表するとと もに、広島大学が人類平和の確立に敢然寄与すべきふかい学門的責務を負う所以を永久に 銘記する。
昭和四十九年八月六日

広島大学学長  飯島宗一撰
元広島大学学長 井上政雄書