広島市立本川小学校原爆慰霊碑

広島市立本川小学校原爆慰霊碑
建立年月日:1995(平成7)年11月3日
場所:広島市立本川小学校

 HIC506b
 HIC506c
 『広島原爆戦災誌』(第4巻)57頁
 全焼して、外郭だけになった校舎は、被爆翌日から陸軍衛生隊が来て、西校舎一階に臨時救護所を開設した。終戦以後は、長崎五郎医師らが引継ぎ、大芝国民学校臨時救護所に移るまで、治療活動をおこなった。
昭和二十年八月二十一日の臨時校長会によって、本校児童は暫定的に己斐国民学校に通学させたが、その数は全く不明である。しかし、昭和二十一年二月二十三日に学区内有志の協力によって、本川および広瀬の両学区を併せ、本川校舎内に復帰して授業を再開した時、教員は四人、児童数は約六〇人程度であった。
 2015年8月5日
 第20回本川地区原爆死没者慰霊式典
 第33回本川地区原爆死没者慰霊盆踊り大会
 出典:『被爆70周年記念事業 原爆死没者慰霊式典の記録』(広島市、2016年1月)