死体処理と遺骨授受

死体処理と遺骨授受
原爆被爆の翌日1945年(昭和20年)8月7日、広島にあった軍官施設の指導者は、在広陸海軍官衙長会議を開催し、被害対策の基本方針を検討した。その中で「屍体処理ハ出来ルダケ迅速ニ行フコト」を決定、具体的内容として、つぎの3点が指示された。(『広島県戦災記録』)

1 輸送困難ニツキ現地デ焼クカ埋葬等ニ付スコト

2 右ノ中比治山八丁堀紙屋町付近市役所土橋水主町付近ハ刑務所ノ囚人400名ヲ出動応援スルコト

3 郡部ヨリ僧侶ヲ集メ読経セシム

第2項にあげられた地域では、それぞれ5,000人近い学徒隊、国民義勇隊が建物疎開作業のために動員されており、大量の死者が発生した(志水清「動員学徒等特殊集団にみられる原爆被爆直後の人的被害調査補遺」)。

これらの死体収容は、軍と警察の指揮のもとに実施されたが、8月11日までに軍部隊は、1万2,054体、警察機関は、1万7,865体、市外の救護施設は、3,040体を、それぞれ処理している(広島市調査課『戦災被害調書』1946年1月26日)。

原爆に生き延びた広島の市民の生活は、肉親や知人の消息捜しと死者への慰霊から始まった。広島市立高等女学校を例にとれば、その日誌の8月7~14日の項には、つぎのような記述をみることができる。

8月 7日
仮本部ニテ事務受付ク(中略)捜査全面的実施
上野教諭 日赤、富士見町、共済病院御捜査
柳楽教諭 同上
宮脇教諭 船舶司令部運輸部御捜査
8月 9日
捜査続行
似島方面ニ小谷教諭御捜査
現場ニ於テ御骨ヲ頂戴シ帰ル 同時ニ遺品ヲ持チ帰ル(中略)
8月14日
校長御欠席ノママ事務佐々木氏ノ斡旋ニヨリ、唯信寺御坊ヲ招キ、職員室ニ於テ午前9時半ヨリ納経引続キ判明遺家族及御希望家族ニ御分骨申上グ 約百名ノ遺家族御参列
(『昭和20年8月6日罹災関係 経過日誌 広島市立高等女学校』)
広島市は、市内各所に収容された原爆死者の遺骨を引き取り、市民部保健課で遺族への遺骨交付を行なったが、10月31日現在での授受取扱数は、受領1万1,525体、交付4,805体、残6,720体であった(『昭和20年広島市事務報告書並財産表』)。

平和記念都市建設碑(原爆慰霊碑)碑文論争

平和記念都市建設碑(原爆慰霊碑)碑文論争

広島平和都市記念碑碑文(1952.7.22文案完成、8.6碑除幕)

 安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから

(英文)Let all the souls here rest in peace For we shall not repeat the evils

参考:原爆慰霊碑の写真

雑賀忠義「碑文について」(『広島市 おしらせ』第31号、1952年9月1日)

二十数万の霊は安らかに眠れない筈だ。「安らかに眠って下さい」と祈る上は不可能を可能にする決意と努力と(更にむずかしい)賢明さがいる。「過ちは繰り返しませぬから」との誓いにそれが表わされている。・・・ませぬがま・・・せんでもヘナヘナになるだろう。

一度あることは二度ある。広島は長崎で繰り返された。この繰り返しは防げるか。二十数万の犠牲が可能にする。むだにしないと忘れぬ間は。それならば、金石文字にしておこう。

廿世紀己文明の犯した最大の過ちは広島の原爆であった。

過去に低迷している広島市民ではない。飛躍して人類のなし得なかった仕事をしようと光明を見出す。

過ちは繰返さぬという決意は長崎と共に広島がなし得る特権である。原爆文明は世界の破滅を脅している。

文明はこのように不賢明だ。

人類の光明は広島の一角からとすれば、犠牲はむだでない。

パール博士の碑文への抗議(「中国新聞」 1952年11月4日)

この碑文に「過ちは再び繰返しませんから」とあるのは、むろん日本人をさしているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明りょうである。落としたものの手は、まだ清められていない。この過ちとはもしも前の戦争をさしているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が問うよう侵略のために起したものであることも明瞭である。

浜井市長の説明(「中国新聞」 1952年11月4日)

過去の戦争は明かに人間のあやまちであった。私はあの碑の前に立つ人々がだれであろうと「自分に関する限りはあやまちは繰り返さない」という誓いと決意を固めることが将来の平和を築く基礎であり、また現在生きている人たちがそれを実践したときはじめて地下の英霊は安かに眠るることができるものである。その意味のことをあの短い文章に書いたのである、碑の前に対してだれの罪であると個人をつかまえてせんさくする必要はないと思う、あの碑の前には世界各国の人が立つだろうと私は思う。

雑賀忠義(碑文作成者)の考え(「中国新聞」1952.11.11)

広島市民であるとともに世界市民であるわれわれが過ちを繰返さないと霊前に誓う-これは全人類の過去・現在・未来に通じる広島市民の感情であり、良心の叫びである。「広島市民が過ちを繰返さぬといっても外国人から落とされた爆弾ではないか。だから繰返さぬではなく繰返させぬであり、広島市民の過ちではない」とは世界市民に通じないことばだ。そんなせせこましい立ち場に立つときは過ちは繰返さぬことは不可能になり霊前でものをいう資格はない。

岸田日出刀「広島の碑」(『文芸春秋』1957年2月号)

(前略)

「安らかに眠って下さい」も冗漫度しがたいセンスと思うのだが、「過ちは繰返しませぬから」に至っては、いったい何を言おうというのだろう。侵略戦争のようなものは二度としませんの意かもしれないが、こんな妙ちきりんな但し書は、あの残虐無慚な死に方をした多くの人たちの冥福とは何の関係もないことだ。(中略)

慰霊堂や碑石の造形にみられる簡素清純さによく合うような、もっとあっさりと素直な碑文を書き表せなかったものだろうか。わたくしだったら「慰霊」の二字だけを筆太に力強く縦に刻むだろう。この慰霊碑がこのままいつまでも据えつづけられるのだろうか。(後略)

Y M D NEWS1
52 08 06 平和記念都市建設碑(原爆慰霊碑)除幕.
52 11 03 世界連邦アジア会議インド代表パール博士、広島市の原爆慰霊碑に参拝。碑文に異論を唱える。
52 11 06 パール博士,原爆慰霊碑の碑文に異議をとなえる.10日,広大雑賀教授反論
54 08 11 浜井広島市長、原爆で両親を失った黒沢銀子(17才、東京都大田区)から原爆慰霊碑の碑文に対する抗議の手紙を受け取る。
55 08 19 原水爆禁止世界大会参加の中共代表団(劉寧一団長、謝泳心ら7名)、広島入り。原爆慰霊碑参拝。広島赤十字病院訪問。
57 03 14 吉田治平(革政ク),広島市議会予算市会で原爆慰霊碑の碑文についての市長の見解を問う.
57 08 04? 呉市の文化団体、広島の原爆慰霊碑の碑文について、各界からアンケートを集める。木下夕爾「意味が不徹底だから撤去する」などの回答。
70 02 11 「原爆慰霊碑を正す会」結成。有志八十人。「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませんから」の碑文は、屈辱的で二十数万の犠牲者の霊を冒とくする」
70 02 12 安保破棄要求貫徹広島県実行委員会、原爆慰霊碑の碑文変更反対を山田広島市長に申し入れ。十四日には原水禁母の会など五団体も広島市に申し入れ
70 03 09 原爆慰霊碑を正す会、「碑文まっ消」を市長へ請願(「平和の推進」)。
70 03 09 原爆慰霊碑を正す会、山田広島市長と浅尾市議会議長に「碑文抹消」を請願
70 03 13 「原爆慰霊碑の碑文を守る連絡会議」結成。社会、共産両党系の団体、市民運動グループなど十五団体が共闘、「碑文抹消運動は核アレルギーの解消、軍国主義復活を目指す策略だ。碑文は絶対に守り抜く」
70 08 03 山田広島市長、原爆慰霊碑の碑文は変えないと公式発表。「碑文の主語は〃世界人類〃であり、人類全体への警告、戒めである」(「平和の推進」)
71 04 16 天皇・皇后、広島市の原爆慰霊碑を参拝。
77 09 23 広島市の平和記念公園内、原爆慰霊碑の碑文の照明装置が壊されているのを発見。
83 08 09 ジュネーブ軍縮委員会で今井大使、広島市の原爆慰霊碑の碑文についての解釈を表明。「核戦争をあくまで回避せねばならないという決意を示したもの」
88 10 19? 故雑賀忠義広大教授による原爆慰霊碑碑文の英語版、広島市立本川小学校の平和資料館に展示。
96 08 29 亀井静香自民党組織広報本部長、広島国際会議場で開催された党青年議員連盟総会の講演で、原爆慰霊碑の碑文を批判。
96 09 02 新進党広島県連、「原爆慰霊碑は目障り」と発言した亀井静香自民党組織広報本部長に対する抗議声明を発表。
97 12 20 亀井静香前建設大臣、広島市の原爆慰霊碑について「広島にもそういうばかげた碑がある。日本が悪いということを堂々とうたっている」と新潟市内での講演で発言。

 

原爆死没者名簿奉納者数の変遷

原爆死没者名簿奉納者数の変遷

 

追加数 内  数 総 数
1952(昭和27) 57902 57902
1953(昭和28) 391 58293
1954(昭和29) 212 58505
1955(昭和30) 523 59028
1956(昭和31) 680 59708
1957(昭和32) 185 15 59893
1958(昭和33) 173 60066
1959(昭和34) 187 60253
1960(昭和35) 161 95 66 60414
1961(昭和36) 139 64 60553
1962(昭和37) 125 83 42 60678
1963(昭和38) 127 29 60805
1964(昭和39) 169 44 60974
1965(昭和40) 469 69 61443
1966(昭和41) 550 68 61993
1967(昭和42) 430 157 43 62423
1968(昭和43) 1101 521 428 121 63524
1969(昭和44) 9211 1390 6764 1035 72735
1970(昭和45) 3606 1228 1122 1196 76341
1971(昭和46) 1745 243 389 1107 78086
1972(昭和47) 2097 204 319 1567 80183
1973(昭和48) 2650 321 742 1575 82833
1974(昭和49) 1970 139 396 1429 84803
1975(昭和50) 2172 128 450 1590 86975
1976(昭和51) 2159 114 392 1647 98134
1977(昭和52) 2282 143 528 1611 91416
1978(昭和53) 2179 97 370 1712 93595
1979(昭和54) 2090 59 318 1713 95685
1980(昭和55) 2279 71 355 1853 97964
1981(昭和56) 2753 82 656 2015 100717
1982(昭和57) 3060 112 792 2153 103777
1983(昭和58) 5179 65 2648 2466 108956
1984(昭和59) 4315 56 1685 2573 113271
1985(昭和60) 25419 123 22009 3234 138690
1986(昭和61) 4941 165 1018 3656 143590
1987(昭和62) 4619 110 993 3473 148177
1988(昭和63) 4476 114 931 3428 152650
1989(平成 元) 4424 23 921 3474 157071
1990(平成 2) 10175 1565 5117 3483 167243
1991(平成 3) 4787 20 1081 3682 172024
1992(平成 4) 4944 176964
1993(平成 5) 4878 181836
1994(平成 6) 5110 186940
1995(平成 7) 5094 192020
1996(平成 8) 5030 197045
1997(平成 9) 5076 202118
1998(平成10) 4927 207045
1999(平成11) 5071 212116
2000(平成12) 5021 217137
2001(平成13) 4756 221893
2002(平成14)
2003(平成15)
2004(平成16)
2005(平成17)

 

注:①1945年8月6日死没者、②1945年8月6日~前年8月5日死没者、③前年8月6日~当年8月6日死没者
出典:1967年までは新聞報道、68年以降は広島市原爆被害対策部の資料

 

原爆死没者名簿

原爆死没者名簿

広島市調査課は、1951年(昭和26年)5月、原爆死没者調査を実施した。再三のGHQへの陳情の結果実現したもので、7回忌(51年8月6日)を期して慰霊堂に合祀するための全死没者名簿作成を目的とするものであった。

調査は、「広島に投下された原子爆弾により直接に、又は原爆の影響を直接の原因として死没された方全部」を対象としており、調査の内容としては、「1.死没者の氏名、2.性別、3.死没時の年齢、4.死没者の当時の住所、5.死没者の当時の職業(勤務先)、6.死没年月日、7.直接の原因、8.死没の場所、9.被爆時にいた場所」の9項目があげられていた。

その方法は、関連者からの申告によるものとし、「広島市内及び広島県下については特別に徹底を期して、調査票も市内は全世帯に配布、県下も多量配布し、個人票以外に事業体、学校、団体、病院、寺院等には連記制調査票も配布」した。また、県外については、「各県の地方課から各市町村役場の関係課係を通じて連絡員(部落の世話人)、前国勢調査員、学校の生徒達の御協力により、或は告知板の利用等により申告者に調査票を入手させ、記入して貰う」こととした(広島市役所「広島市原爆による死没者調査についての趣意書」)。

慰霊堂の建設は、51年の式典には間に合わなかった。しかし、式典前日までに確認された氏名は、いろは別にカーボン紙に記載され、式典会場の戦災供養塔に供えられた(広島市『市勢要覧昭和26年版』、「中国新聞」54年8月6日)。

1952年7月上旬、広島市は、市内の能筆家20人に委嘱して過去帳への記載を始めた。5万7,902人の原爆犠牲者の名前を謹記した15冊の「広島市原爆死没者名簿」は、8月6日の式典で、浜井広島市長の手によって原爆死没者慰霊碑の中に設けられた奉納箱に納められた。広島市調査課は、この名簿の写しを、式典当日、原爆死没者慰霊碑と戦災供養塔前で公開し、記帳洩れの届出の受け付けを行なった。

1953年の式典では、この日以降新たに確認された391人の追加者の名簿が奉納され、以後、追加名簿の奉納が式典の慣例となった。

広島市は、1951年の調査に先だって、死没者の総数を20数万人と想定していた(「中国新聞」51年4月14日)。この根拠は、被爆当時の広島市内の人口を42万人(市内在住者約25万人、軍関係者約8万人、市外からの来広者約9万人)と推定、それから、50年に国勢調査付帯調査で明らかになった生存者数15万7,575人を差し引くという大雑把なものであった。ところが、51年の調査の結果は、6万人にも達せず、広島市調査課長は、53年7月に、死没者数は十数万が妥当との見解を発表した(「中国新聞」53年7月22日)。

原爆死没者名簿作成当時、この中への記帳者は、原爆被爆時またはその直後に死亡したもののみが対象との理解があった。翌1954年の式典での追加記入は212人に過ぎず、こうした結果を踏まえて、今後の追加者を加えても、名簿記帳者数は、6万人程度にとどまるのではないかとの見解が報じられている(「中国新聞」54年8月6日)。しかし、その後、被爆後数年経過した時点での死没者も記帳対象と考えられるようになった。57年には22人、58年には34人、59年には38人(原爆病院で死亡した人)が、過去1年間の死没者として名簿に追加されている。
表は、現在までの追加数と名簿奉納総数を年別にみたものである。名簿への記帳は、遺族からだけでなく、関係団体からの申し出によってもなされた。1955年と56年には、県婦協の調査により確認された死亡者が追加され、記帳者数が増加した。69年の9,211人という増加は、市長が、被爆者健康手帳所持者で届出の無い死亡者6,844人を職権で記載したためである。また、この年には、原爆供養塔の無縁仏のうち氏名判明分1,071柱の名前が、広島戦災供養会の申し出により記入された。

追加奉納された犠牲者のうち、過去1年間の死亡者の人数は、67年までは、100人未満、68年は121人であった。しかし、広島市が、市内の死亡者の中から被爆者を調査して追加奉納を行なうようになった69年以降は、1、000人を超えるようになった。

広島市は、市外の死亡者については、自動的に名簿に記載するという措置を取ることができないでいた。原爆医療法(1957年3月31日公布、正式名称:原子爆弾被爆者の医療等に関する法律)、原爆特別措置法(68年5月20日公布、正式名称:原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律)にもとづく行政事務は、広島・長崎両市を除き都道府県が担当しているからである。77年の場合、7月13日現在で名簿追加記帳予定者数は、1,664人(最終的には2,282人)であったが、そのうち、広島市の措置による数は、1,489人であり、遺族と名簿記入運動を進めている広島県原爆被害者団体協議会の届出分は、175人に過ぎない。

この年、広島市を除く広島県内の被爆者健康手帳1,141人分が、所持者の死亡により県に返還されていた。しかし、広島県が、記帳の申し出は遺族の自主判断に任せるという方針を採っていたため、県から市へ記帳対象者として連絡されることはなかった(「読売新聞」1977年7月22日)。

このような死亡時の居住地による名簿記帳手続き上の差異を無くするため、広島市は、80年、全国の原爆被爆者対策担当窓口に死没者名簿登載申請書を送った。また翌81年には、長崎市と連名で、知事、政令市市長などを通じて、全国の遺族に犠牲者の名簿記載を呼びかけ、さらに82年には各地の被爆者団体にも働きかけを行なった。

年々の追加奉納数は、表のように1972年と83年を画期として、それぞれ2,000人、4,000人を超えるようになっており、85年と90年には顕著な増加を示した。85年の急増は、前年、被爆者関係のデ-タ処理をそれまでの片仮名処理から漢字処理に変更した広島県が、被爆者健康手帳が交付されるようになった57年以降の死亡による手帳返還者2万865人の名前を広島市に提供したことによる。また、90年の急増は、85年に厚生省が実施した死没者調査で新たに判明した5,551人の犠牲者名が加えられたためである。

原爆死没者名簿の奉納は、一貫して市長の役割であった(ただし、1960年のみ県知事と共同で行なった)。その補助者を、69年までは市の職員が務めていたが、翌年からは遺族代表が務めるようになった。70年の補助者に選ばれたのは、この年に新たに名簿に追加された2人の死没者の遺族であった。その後、補助者は、2人(男女)が通例となった。ただ、追加者数の多かった85年と90年には3人が務めている。

原爆死没者名簿(仏式で「過去帳」とも呼ばれる)には、俗名・死没年月日・享年が記入されている。奉納された簿冊の数は、1952年の15冊から始まり、91年には、57冊となった。

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)小史

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)小史

平和記念公園には、戦前、中島本町、天神町、材木町、元柳町が存在し、店舗や住宅約700軒が密集していた。この地域は、原爆爆心地からほぼ500メートル圏内に位置しており、原爆攻撃により壊滅した。戦後、広島市は、この場所を、公園(中島公園)とすることを計画した。広島市は、1949年4月20日、この公園を平和記念公園として建設することとし、設計図を全国に公募した。7月18日に募集を締め切ったが、応募作品は145点におよんだ。この中から選ばれたのは、丹下健三ら4人の共同作品であった。

この公園は、広島平和記念都市建設法の公布(1949年8月6日)にともない、その裏づけのもとに建設されることとなった。49年10月3日、東京で平和文化都市建設協議会の第1回会合が開催されたが、そこでは平和の理想を象徴する平和記念施設として、①記念公園(平和公園)、②記念館、③記念街路(平和緑道)が建設されることとなった。

①は、本川と元安川に抱かれた三角州の頂点に位置する中島公園(=平和広場、3万2、200坪)とその東側対岸の4、800坪(旧広島県産業奨励館敷地)と、その東北に接続する旧広島城跡を中心とする中央公園(=市民広場、22万坪)を総合した公園とされた(その後、中央公園部分は平和公園から外される)。③は、中島公園南端を基点として、東西に伸びる延長約4、000メートル、幅員100メートルの街路であった(後に「平和大通り(百メートル道路)」と呼ばれる)。また、②は、中島公園およびその東側対岸に設置するものとし、その内容としては、つぎのようなものが考えられていた。
(a)平和会館 2、500人収容の会議室及び事務室、原爆関係資料陳列室等。
(b)平和アーチ 張間120メートル、高60メートル、頂点に五つの鐘を吊す。
(c)慰霊堂 原爆犠牲者の遺骨並びに銘を納める。
(d)原爆遺跡 原爆により破壊された旧産業奨励館の建物を補強し保存する。
(大島六七男「復興の足どり」)

1951年2月21日、東京で第4回広島平和記念都市建設専門委員会が開催された。この席上、浜井広島市長は、「今夏で7回忌を迎える原爆都市の慰霊塔関係の設立を急ぎたい」との意向を述べた。しかし、建設省は、広島市の納骨堂を含む「慰霊塔」案は、墓地であり、公園法の建前から認められないと、難色を示した。そこで広島市は、遺骨の代わりに名簿を奉納することとし、8月6日までの式典に間に合うように碑を建立することを決定した(「中国新聞」51年2月22日)。しかし、碑は、51年の8月6日には間に合わず、52年3月末着工した。

碑の設計者は、丹下健三であった。コンクリート素打の工法で埴輪をデフォルメした設計で、当初案の巨大な「平和アーチ」は、正面から見た底辺4.7メートル、高さ3.67メートル、横から見た上辺8.29メートル、下辺5.26メートルのはにわ型に縮小・変更された。原爆死没者名簿を奉納するため、碑の中央に黒い御影石製の矩形の箱が配置された。そして、この箱の正面には、雑賀忠義が作成した碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」(雑賀の英訳:Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil.)が、刻み込まれた。この碑は、建立当時から「原爆慰霊碑(原爆死没者慰霊碑)」と呼ばれたが、碑の正式名称は、「広島平和都市記念碑」である。工費は、300万円であった。

広島市は、1984年1月、碑改築の方針を発表した。その理由として、コンクリートの石灰分が表面に吹き出して中の鉄筋の腐食が進み、碑にひびが入ることが明らかになったこと、原爆死没者名簿が32冊入っているが、あと数冊の余裕しか残っていないことの二つがあげられた。改築工事は、同年7月23日から始められ、翌85年3月26日、新慰霊碑(旧慰霊碑と同型で材質はコンクリートからみかげ石に変更)の除幕式が行なわれた。

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)

建立年月日 1952(昭和27)年8月6日
場所:地図no.51 広島市中区中島町・平和公園

関連資料

写真
HIC024P
1950年代後半。左端は私。
HIC024B
HIC024C
HIC024D

解説

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)小史
原爆死没者名簿
原爆死没者名簿奉納者数の変遷
平和記念都市建設碑(原爆慰霊碑)碑文論争

 

 

 

1988縮景園原爆犠牲者慰霊碑

縮景園原爆犠牲者慰霊碑

【建立年月日】昭和63年(1988年)3月19日
【建立者】縮景園原爆犠牲者慰霊供養会
【来歴】1987年7月下旬、被爆直後の縮景園を撮った写真が発見され、その1枚に、「戦死者之墓38名」「戦死者墓5名」「戦死者21名墓」と記した3本の立て札が並んで写っていました。県教育委員会が同年7月31日と8月1日、遺骨の発掘調査を行ったところ数千点の骨片を収集し、6日に原爆供養塔に納骨しました。これを機に、地元町内会や老人クラブなど11団体からなる供養会が結成され、碑が建立されました。毎年8月1日に供養祭が行われています。https://www.hiroshima-navi.or.jp/post/006464.html

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2021年3月4日撮影
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2021年3月4日撮影

 

 

広島の碑をめぐる闘いの記録

『廣島の碑をめぐる闘いの記録』(藤井一郎編、瀬戸内報道社海内興論、19710927)

内容

見出し
林房雄氏の論文とその反響
(1)何を訴えようとする碑か 1

(2)林氏の寄稿を第一波として 2

(3)その反撃は万波となって 4

(4)高田範幸氏は岸田博士の一文を 5

(5)武藤貞一氏の悲憤の文字 6

(6)元中国新聞論説委員小林健三氏の所論 6

(7)中村武彦氏の二十年前の炎の文字 6

(8)平泉澄博士の「広島」 8

(9)葦津珍彦氏の鉄腸の訴え 9

市民世論の盛り上がりを背景に
(1)「原爆慰霊碑を正す会」発足 10

(2)一万八千人の署名請願書と提出 12

(3)「請願」に市側の誠意見られず 13

(4)山田市長の独断専行 14

(5)山田市長の不実の答弁 14

両陛下御巡幸にあたり
(1)偽りの碑へのお立寄り拝辞を求めて 16

(2)要請・要望を繰返したが 17

資料=民族派要請文
(1)日本青年旭心団要請文 21

(2)原爆慰霊碑碑文改正推進青年学生協議会の「要請」文 23

(3)全九州民族運動協議会の訴え 24

(4)川田貞一氏の訴え 25

(5)中央における「道の友」の闘い 28

(6)未だ一生氏の訴え 32

両陛下ご来広までのまとめ
(1)運動主導者としての懺悔 36

(2)若者をミスリードするマスコミ 37

(3)文化人意識過剰の座談会記事 40

(4)新左翼を育てる素地 42

(5)遂に現れた 天皇糾弾 43

「天皇糾弾集会」をめぐる闘い
(1)三月の彼我の動き 45

(2)坂田教授との面談四時間 47

(3)広大全共斗の策動 48

陛下ご来広中のデモに対する闘い
(1)新左翼を狂奔させる背景 49

(2)「天皇糾弾」デモ五件に対し我らもデモを申請 51

(3)「天皇は国民統合の象徴である」こと 53

(4)県警本部に対策について質す 54

(5)歴史は夜つくられる 55

(6)総理の 強権発動 は当然の措置 55

(7)破砕できなかった二つのデモ 57

資料= 合法闘争 記録
A  平和記念館使用問題
(1)「使用取消処分」取消の訴状 59

(2)行政処分執行停止申立書 61

(3)広島市長の「意見」 72

(4)付1 広島平和記念館使用条例 74

付2 広島市職務権限規定 75

付3 記念館使用許可書 77

付4 記念館使用許可書取消通知書 78

(5)付1.2 永野知事の「通達」 78

付3 永野知事の「謹話」 79

付4 奉迎送計画書 80

(6)「申立」を支持する地裁決定 81

(7)広島市長の「抗告状」 86

(8)即時抗告理由追加申立書 89

(9)「即時抗告」を支持する高裁決定 90

(10)集団示威運動許可申請書 93

(11)広島県公安委員会指令第五七号 94

B  糾弾デモに対抗する粉砕デモ問題
(1)集団行動許可申請書(四通)95

(2)広島県公安委員会指令第五八号~六一号 97

(3)代理人(弁護士)委任状 99

(4)行政処分取消請求訴状 100

(5)行政処分執行停止申立書 100

(6)裁判請求陳情書 101

(7)広島県公安委員会の「意見書」 102

(8)1付・デモ集会に関する「条例施行規則」 103

C  天皇来広糾弾デモ問題
(1)新左翼の集団更新許可申請書 111

1 天皇来広糾弾連絡協議会(二通)111

2 広島大学全学共闘会議(三通)112

3 三段体連絡会議(一通)115

(2)不許可理由 115

(3)申立人の暴力的傾向 116

(4)全共闘申立を支持する地裁決定 116

(5)即時抗告棄却の高裁決定 118

(6)全共闘の申立を支持する地裁決定 119

(7)即時抗告原決定変更支持の高裁決定 120

(8)三団体の申立を支持する地裁決定 122

(9)佐藤総理の「異議の理由」 125

(10)地裁決定を取消す 126

デモ一覧表
 デモ周辺図
資料=新左翼による「天皇糾弾」の主張
原爆慰霊碑を正す運動年表

 

 

 

中国配電株式会社弔魂塔

中国配電株式会社弔魂塔
建立年月日:1948(昭和23)年8月6日
場所:広島市寺町・西本願寺別院
(正面)
弔魂塔
(裏面)

昭和二十年八月六日ノ戦災ニ因リ本社社員ノ非命ニ斃レシ者二百七十八名是レ皆国家再造ノ犠牲本社進展ノ礎石ト謂フ可シ
茲ニ三周年ニ当リ僚旧均シク哀ヲ新ニシ感ヲ増ス
仍テ此ノ塔ヲ建テテ聊カ追弔ノ情ヲ表ハシ亦以テ永ク其ノ幽魂ヲ慰メント欲ス
昭和二十三年八月六日
中国配電株式会社取締役社長
島田兵蔵撰並書

原爆慰霊碑一覧(全国)

原爆慰霊碑一覧(全国)

年月日 碑名 設置場所 備考
1952 移動演劇桜隊原爆殉難碑 東京都目黒区・五百羅漢寺
19650808 東友会慰霊の木碑 東京都品川区・東海寺
19670813 東友会慰霊碑 東京都品川区・東海寺
1967 韓国人慰霊碑 長崎県壱岐郡芦辺町
1970 神奈川県原爆慰霊碑 神奈川県鎌倉市・大船観  音
197308 原爆慰霊碑 鳥取市・円護寺
197404 原爆死没者慰霊碑 愛媛県松山市・石手川公園
19740809  原爆死没者の碑  香川県高松市
19740906  原爆死没者の碑  山口市・江良墓地
19810726  原爆犠牲者追悼碑  東京都江戸川区・滝野公園
19810822  群馬県関係原爆犠牲者慰霊碑  前橋市・嶺公園
198312 願いの碑 北海道宗谷郡・浅茅小中学校
19850801 被爆四十周年平和記念碑 鳥取市
19850825  被爆四十周年平和祈念碑  大阪市・大阪城公園
19850906  原爆死没者の碑の新納骨堂  山口県山口市
19850922  被爆40周年平和祈念塔  神奈川県鎌倉市・大 船観音
19860806   平和記念碑  千葉県我孫子市
19860806   平和祈念の碑  千葉県八千代市
19860806  平和の碑  東京都目黒区
19860806   原爆死没者慰霊碑  愛媛県今治市・吹揚公園
 19870903   平和の石   岡山市立鹿田小学校

 

 

 

 

 

碑一覧(広島県内)

慰霊碑一覧(広島県内)

年月日 名称 設置場所 備考
19460806 藤川製鋼所慰霊碑 安芸郡府中町
19530511 原爆犠牲無名軍人の碑 庄原市・宝蔵寺境内
195308 原爆犠牲者無縁仏供養塔 安芸郡坂町横浜
195803 慰霊碑 庄原市山内町
19681123 正田篠枝三十万名号記念碑 江田島市
19740108 極楽寺山原爆死者慰霊塔 廿日市市
19750806 極楽寺山地蔵尊 廿日市市
19780806 口和原爆被爆者友の会「比婆部隊」原爆歌碑 庄原市口和町
未完

参考資料:『広島県戦災史』

53・12・11 大田洋子文学碑(佐伯郡佐伯町・玖島小学校)
56・ 7・19 平和の碑(呉市阿賀町・大空山公園)
58・ 7・31 原爆慰霊碑(双三郡吉舎町)
58・11・ 6 叫魂碑(大竹市)
60・ 3・  大竹市原爆被爆者協議会被爆四十周年記念碑(   大竹市)
60・ 8・ 6 原爆の碑(安芸郡府中町)
60・ 8・ 6 広島新生学園慰霊碑(東広島市)
60・ 8・ 6 吉田町原爆被害者の会の無名戦没者慰霊碑(高   田郡吉田町)
60・ 8・18 広島陸軍幼年学校生徒の碑(庄原市・淨光寺)
61・ 3・  慰霊碑(安芸郡江田島町)
61・ 4・13 折鶴観音(佐伯郡廿日市町極楽寺山)
61・ 8・25 韓国人原爆犠牲者の碑(山県郡芸北町)
61・12・20 御調町被爆者協議会原爆慰霊碑(御調郡御調町)
62・ 6・  豊平町原爆被爆者の会平和の碑(山県郡豊平町)
62・ 8・ 5 原爆慰霊碑(安芸郡坂町小屋浦)
62・ 8・ 7 賀北部隊・原爆被災者救援の碑(東広島市・中   央公園)
62・10・31 三良坂町平和を願う会母と子の像(双三郡三良   坂町)
62・11・14 三和町平和の碑(双三郡三和町)
62・11・  油木町非核・平和自治体宣言碑(神石郡油木町)

 

原爆慰霊碑一覧(広島市内)

原爆慰霊碑一覧(広島市内)

年月 碑名称 設置場所 備考
194510 戸坂町供養塔 広島市(戸坂桜上町・桜ケ丘墓地)
194608 修道中学校慰霊碑 広島市(南千田町・修道学園)
194608 第三国民学校慰霊塔 広島市(翠町・翠町中学校)
1947 広島市立中学校慰霊碑 広島市(土橋町・淨国寺)
19470815 西地方町・西新町町民慰霊碑 広島市
19480806 広島市立第一高女原爆慰霊碑(平和塔) 広島市(平和大通・平和大橋西詰)
19480806 広島県立第一中学校追憶の碑 広島市(国泰寺町・国泰寺高校)
19480806 中国配電株式会社弔魂塔 広島市(寺町・西本願寺別院)
1949 子まもり地蔵 広島市(三川町・円隆寺)
1949 日本生命広島市支社平和の礎殉職記念碑 広島市(中町・日生ビル屋上)
194908 広島銅金鋳造会平和の鐘 広島市(基町)
194908 多聞院八時の鐘 広島市(比治山町)
19190806 広島市水道部員殉職の碑 広島市(基町)
19491103 殉職警察職員の碑 広島市(比治山公園)
19500130 広島搬送電気通信工事局歌碑 広島市(比治山本町)
195005 牛田町供養塔 広島市(牛田中町・牛田公園)
195011 殉職消防組員の碑 広島市(比治山公園)
195105 安田高女慰霊碑 広島市(白島北町・安田学園)
195105 三滝寺多宝塔 広島市(三滝山)
19510713 原民喜詩碑 広島市(大手町一丁目)
19510806 広島市立第一高等女学校原爆追悼碑 広島市(戸坂町・持明院)
19510806 崇徳中学校職員生徒原爆死没者供養塔 広島市(楠木町・崇徳高校)
19510806 左官町原爆精霊供養塔 広島市(本川町・善応寺)
195203  佐東町原爆精霊供養塔 広島市(三滝本町・三滝墓苑)
19520806 広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑) 広島市(広島平和記念公園)
19520806 広島女子高等師範学校・附属山中高等女学校殉国学徒の碑 広島市(国泰寺町・荒神堂)
19520806 広島女子高等師範学校・附属山中高女・県立第二高女殉国学徒慰霊碑 広島市(国泰寺町・荒神堂)
19520806 広島県立広島第二高等女学校殉国学徒の碑 広島市(国泰寺町・荒神堂)
195304 日本発送電株式会社中国支店原爆殉職者慰霊碑 広島市(大手町・元安川西岸緑地)
19530517 広島女学院原爆犠牲者の碑 広島市(幟町・広島女学院)
19530806 広島県立第二中学校歌碑 広島市(広島平和記念公園)
19530806 広島郵便局原爆殉職者の碑 広島市(比治山町・多門院)
19530806 原爆死者・戦没者慰霊塔 広島市(五日市町・光善寺)
19540806 世界平和記念聖堂 広島市(幟町)
19540806 内務省中国四国土木出張所歌碑 広島市(大手町)
195409 広島女子商業学校慰霊塔 広島市(南段原町・広島女子商学園)
19550806 広島県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追憶の碑 広島市(中町・平和大通公園)
19550806 原爆供養塔 広島市(広島平和記念公園)
19550806 移動演劇さくら隊原爆殉難碑 広島市(中町・平和大通公園)
19550806 中国電気通信局原爆犠牲者慰霊碑 広島市(基町)
19560428 龍心寺原爆死者の霊の像(浪切不動尊) 広島市(大手町・龍心寺)
19560806 中島本町平和の観音像 広島市(広島平和記念公園)
19560806 広島陸軍病院原爆慰霊碑 広島市(基町)
19570321 江波町戦没者慰霊碑 広島市(江波南町・海宝寺)
19570519 的場町原爆慰霊碑 広島市(的場町・猿猴川岸)
19570806 石田学園山陽中・高等学校追悼碑 広島市(観音新町・山陽高校)
19570806 堀川町原爆慰霊碑 広島市(新天地)
19570806 石炭関係会社原爆殉難者慰霊の像 広島市(大手町・児童公園)
19570806 本川学区慰霊碑 広島市(本川町・大田川岸)
195709 広島県下真言宗徒供養塔 広島市(広島平和記念公園)
19580505 広島平和をきずく児童生徒の会原爆の子の像(折鶴の子の像) 広島市(広島平和記念公園)
19580806 広島県職員原爆犠牲者慰霊碑 広島市(加古町)
195901 広島市東部十二カ町山本康夫歌碑 広島市(段原新町・猿猴川岸)
195908 進徳学園慰霊碑 広島市(皆実町・進徳学園)
19590806 段原町原爆慰霊碑 広島市(段原新町・猿猴川岸)
195912 高須・庚午北町原爆慰霊碑 広島市(庚午北町・庚午第一公園)
19591208 広島赤十字病院慰霊碑 広島市(千田町・広島赤十字病院)
19600806 広島市医師会原爆殉職碑 広島市(小町・平和大通公園)
19600806 嵐の中の母子像 広島市(広島平和記念公園)
19600815 平和祈念慰霊国民大祭記念祈りの像 広島市(広島平和記念公園)
19601109 三菱重工業広島造船所慰霊碑 広島市(観音新町)
1961 平和の森の碑 広島市(中島町・平和公園)
1961 新日本協議会平和の森の碑 広島市(広島平和記念公園)
19610806 慈母の像 広島市(西平和大橋西詰)
19610806 広島県立第二中学校慰霊碑 広島市(広島平和記念公園)
19610930 広島県立広島商業学校慰霊碑 広島市(舟入南町・広島県立商業高校)
196111 比治山学園歌碑 広島市(西霞町・比治山学園)
196112 日本国有鉄道中国支社慰霊碑 広島市(二葉の里)
196206 広島県立広島工業高等学校慰霊碑 広島市(出汐町・広島県立工業高校)
19630806 広島市立商業学校・広島市立造船工業学校原爆戦没者慰霊碑 広島市(広島平和記念公園)
19630806 峠三吉詩碑 広島市(広島平和記念公園)
19630806 河野家悲涙碑 広島市(三滝山)
19631015 広島市信用組合真心像 広島市(袋町・市信用組合)
19640801 平和の灯 広島市(広島平和記念公園)
19640806 佐東町川内・温井義勇隊の碑 広島市(広島平和記念公園)
19640920 広島悲願の会平和の鐘 広島市(広島平和記念公園)
196504 帰らぬ鶴平和の碑 広島市(三滝本町・三滝墓苑
19650523 原水爆禁止五日市町協議会原爆慰霊碑 広島市(五日市町・光禅寺)
196508 広陵学園慰霊碑 広島市(沼田町・広陵学園)
19650806 日本損害保険協会広島地方委員会友愛碑 広島市(中島町・平和大通公園)
19650806 観音婦人会原爆慰霊碑 広島市(東観音本町・天満川岸)
19650806 五日市・正向寺碑 広島市(五日市町)
19650806 国税職員和碑 広島市(上八丁堀・合同庁舎)
19650806 全日本損害保険労働組合被爆20周年記念碑 広島市(広島平和記念公園)
19650806 広島法曹原爆物故者敬憶碑 広島市(上八丁堀・広島地裁)
19651218 広島市役所慰霊碑 広島市(国泰寺町・市役所)
1966 三菱銀行慰霊碑 広島市(本通り・三菱銀行)
19660322 NHK原爆の碑 広島市(大手町・NHK会館)
196607 住友銀行殉職碑 広島市(紙屋町)
196607 松本商業高等学校慰霊碑 広島市(尾長町・瀬戸内高校)
19660731 被爆動員学徒死没者の慈母観音像 広島市(平和大橋東詰)
196608 浜田一原爆犠牲者慰霊の像 広島市(宇品海岸)
19660805 東照宮原爆慰霊碑 広島市(二葉の里・東照宮)
19660805 二葉山平和塔(仏舎利塔) 広島市(二葉山山頂)
19660806 千潮会植樹碑 広島市(東千田町・千田小学校)
19660806 日本銀行広島支店慰霊の像 広島市(袋町・日銀支店)
196705 動員学徒慰霊塔 広島市(大手町・原爆ドーム側)
19670806 広島県地方木材株式会社慰霊碑 広島市(大手町・原爆ドーム側)
19670806 広島瓦斯株式会社原爆犠牲者追憶碑 広島市(大手町・元安川岸)
19670806 広島市歯科医師会原爆の碑 広島市(富士見町・県歯科医師会館)
19680805 松原町慰霊碑 広島市(松原町・猿猴川岸)
19681102 広島銀行慰霊碑 広島市(紙屋町・広島銀行)
19681103 八・六の鐘 広島市(富士見町・万徳寺)
196905 牛田町清霊碑 広島市(牛田中町・牛田公園)
19690806 広島県職員原爆犠牲者名録碑 広島市(加古町)
19700410 韓国人原爆犠牲者慰霊碑 広島市(堺町・本川橋西詰)
197006 牛田町観音像 広島市(牛田中町・牛田公園)
19700705 観音町原爆犠牲者慰霊碑 広島市(東観音町・天満川岸)
19700805 中国海運局慰霊碑 広島市(宇品海岸・広島港湾合同庁舎)
19700806 中島本町復元地図の碑 広島市(広島平和公園)
19700806 鷹野橋商店街振興組合原爆犠牲者慰霊碑(大手町五丁目原爆犠牲者慰霊碑)(鷹野橋) 広島市大手町五丁目
19700806 済美学校の碑 広島市
19710523 広島大学工学部殉職者慰霊碑 広島市(千田町から東広島市へ移転)
19710731 広島県農業会原爆物故者慰霊碑 広島市(大手町・元安川岸)
19710804 原爆犠牲者国民学校教師と子どもの碑 広島市(広島平和記念公園)
19710805 広島郵政関係職員原爆死没者慰霊碑 広島市(東白島町・中国郵政局)
19710806 殉国国民義勇隊慰霊碑 広島市(西観音町・平和大通公園)
197111 広島県防空機動隊戦病没者慰霊碑 広島市(三滝山・三滝寺)
19721121 原爆死没者似島慰霊碑 広島市(似島町)
19721225 広島文理科大学・広島高等師範学校原爆死没者遺骨埋葬の地の碑 広島市(東千田町・広島大学)
197302 北天神町原爆犠牲者の碑 広島市(広島平和記念公園)
19730722 旧天神町南組町内会慰霊碑 広島市(平和大橋西詰)
19730306 国鉄労働組合原爆死没者慰霊碑 広島市(東白島町・常盤橋西詰)
19740108 極楽寺山原爆死者慰霊塔 広島県廿日市市
197404 西脇家原爆碑 広島市(三滝山・三滝寺)
19740806 広島大学原爆死没者追憶碑 広島市(東千田町・広島大学)
26 観音町婦人会原爆犠牲者慰霊仏像 広島市(観音町・河川公園)
19750806 広島市立中学慰霊碑 広島市(小網町・天満川岸)
19750806 極楽寺山地蔵尊 広島県廿日市市
 197508 鎮魂の碑 広島市(比治山公園・陸軍墓地)
19760326 広島郵便局職員殉職の碑 広島市(大手町・元安川東詰)
19760725 福島地区原爆犠牲者慰霊の碑 広島市(福島町)
197608 小網町原爆慰霊碑(女子挺身隊・義勇隊・学徒動員慰霊碑) 広島市(小網町・三光寺)
19760803 千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶の碑 広島市(東千田町・千田小学校)
19760806 営林署慰霊碑 広島市(基町・営林署)
197703 世良家原爆供養石仏 広島市(三滝山)
19770714 広島電鉄株式会社慰霊碑 広島市(東千田町・広電本社)
19770723 広島市立第二高等小学校慰霊碑 広島市(西平和大橋西詰)
19770802 平和祈念像 広島市(平和公園)
19770806 広島通商産業局関係職員原爆慰霊祈の碑 広島市(上八丁堀・合同庁舎)
19770806 中広二丁目地区原爆死没者供養の碑 広島市(三滝山・三滝寺)
19770806 ふりかえりの塔 広島市(大手町)
19770806 広島市原爆被爆者協議会大芝学区支部原爆慰霊碑 広島市(大芝町・大芝公園)
19780503 似島臨時野戦病院慰霊碑 広島市(似島町・臨時野戦病院跡)
19780505 平和観世音菩薩像 広島市(基町・ひろしま美術館)
19780729 草野心平詩碑 広島市(広島平和記念公園・平和祈念像側)
19780730 大田洋子文学碑 広島市(基町・中央公園)
19780806 原爆供養合同歌碑 広島市三滝山・三滝寺)
19790513 中国軍管区司令部慰霊碑 広島市(基町・護国神社前)
197908 三滝墓苑無縁墓地 広島市(三滝墓苑)
19800730 歩兵第十一聯隊跡碑 広島市(基町・広島城東側)
19810719 幟町国民学校跡慰霊碑 広島市(幟町・幟町公園)
19810802 草津南町国民義勇隊追悼の碑 広島市(草津南町)
19810806 大河地区慰霊碑 広島市(大河町・大教寺)
19810816 広島高師付中謝恩の碑 広島市(翠町・広島大学附属中・高校)
19811226 平和のためのモニュメント 広島市(八丁堀・広島YMCA)
19820320 皆実小学校「いしぶみ」碑 広島市(皆実町・皆実小学校)
19820516 広瀬国民学校駐とん特設警備隊慰霊碑 広島市(広瀬北町・天満川東岸)
19820805 原爆犠牲・ヒロシマの碑 広島市(大手町一丁目・元安橋東詰)
19820806 広島県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼の碑の芳名板 広島市(小町・平和大通公園)
19821021 宇品地区町民慰霊碑の鐘楼 広島市(宇品海岸一丁目)
19830805 江波小学校平和の碑 広島市(江波南町・江波小学校)
19840126 似島・平和地蔵尊 広島市(似島町・平和養老館前)
19840129 慰霊多宝塔 広島市(佐東町・権現山)
198407 原爆忌碑 広島市(三滝山・三滝寺)
19840704 峠三吉「墓標」詩碑 広島市(八丁堀・広島YMCA)
19841119 殉国学徒の碑の折り鶴の塔 広島市(国泰寺町一丁目)
19841126 仮原爆慰霊碑 広島市平和公園
19850301 広島中電話局鎮魂碑 広島市(袋町・電電ビル)
19850310 大手町国民学校記念碑 広島市(大手町四丁目)
19850326 原爆慰霊碑(改築) 広島市(広島平和記念公園)
19850410 鶴学園平和の碑 広島市福島町一丁目・広島工大附属情報専門校
19850410 鶴学園愛の碑 広島市(中島町・広島工業大学広島校)
19850804 国泰寺の仏舎利塔 広島市(田方一丁目)
19850806 不戦の碑-原爆犠牲新聞労働者の碑 広島市(加古町・河岸緑地)
19850806 市立第一高等女学校慰霊碑の銘碑 広島市(中島町・平和大橋西詰)
19851110 真言宗平和山妙光寺の護摩堂 広島市(本浦町)
19860805 動員学徒原爆犠牲者の碑 広島市(祇園町・大下学園)
19860805 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の由来の石碑 広島市(堺町・本川橋西詰)
19860810 平和観音像 広島市(似島・平和養老館)
19860910 広島・長崎交流碑 広島市(大手町二丁目・平和大通公園)
19870913 電信慰霊碑 広島市(広島陸軍墓地)
19871112 中曽根康弘句碑 広島市大手町一丁目・元安川岸)
19871213 千同第一町内会和碑 広島市(五日市町)
19880805 全国建設労働組合総連合原爆犠牲建設労働者・職人之碑 広島市
19881106 真言宗妙光寺・平和の鐘と鐘楼 広島市
19890803 全損保の碑(仮設置) 広島市
19890806 中国郵政局の碑(旧広島地方貯金局の被爆タイルを使用) 広島市中国郵政局
19891118 電気通信関係原爆死没者慰霊碑(移築) 広島市
19891123 類焼を免れたよろこびを伝えるモニュメント 広島市・千田地区
 1989 愛と平和のモニュメント 広島市(広島平和記念公園・国際会議場内)
19900204 原爆慰霊碑 広島市安佐北区のパラシュート落下地点に
 199003 原爆ドーム保存工事(第2回)記念碑 広島市(広島平和記念公園)
19900417 在ブラジル原爆被爆者協会などの平和記念碑 広島市中区加古町
19900731 旧広島市立第一高等小学校・第一国民学校原爆犠牲者慰霊碑 広島市・段原中学校
199105? 広島女学院原爆犠牲者慰霊碑(移築) 広島市中区幟町の中・高校校地
19920126 新天地地蔵尊 広島市・新天地
 199208 袋町地区原爆死没者慰霊碑 広島市・
19931016 旧制修道中学校慰霊碑 広島市・修道学園内
 199408 歩兵第11連隊略歴 広島市・
19941213 坂本文子を追悼する碑 広島市中島町の坂本の旧自宅跡
19950331 元南方特別留興南寮跡地記念碑 広島市
19950803 広島市神崎学区原爆慰霊碑[再建] 広島市神崎学区
19950806 広島県庁舎の記念碑 広島市中区の旧庁舎跡
19950807 母子愛之像 広島市江波山公園展望広場
19950810 広島市長・粟屋仙吉?記念碑 広島市/旧市長公舎跡
19951103 広島市立本川小学校原爆慰霊碑 広島市立本川小学校
19951218 日本赤十字社原爆殉職職員・戦時事変戦没者合祀「平和への祈り」 広島市広島赤十字・原爆病院
19960613 広島市基町小学校被爆エノキの像 広島市基町小学校
19960725 原爆で一家が全滅するなど無縁となった墓を供養するための石像(インドから輸入) 広島市寺町の光福寺
19980510 広島市白島九軒町町内会原爆慰霊碑 広島市白島九軒町
  大下学園祇園女子高校碑 広島市(祇園町南下安・大下学園)
  原爆記念雑魚場疎開跡の碑 広島市(国泰寺1・荒神堂)
  島病院爆心地の碑 広島市(大手町1・島病院)
  原爆供養地蔵尊 広島市(三滝寺)

 

 

流灯-ひろしまの子と母と教師の記録

『流灯-ひろしまの子と母と教師の記録』(原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会事務局 、19711215)

著者 タイトル 備考
005 発刊によせて
広島県連合小学校長会会長 広島県公立中学校長会会長 広島市公立中学校長会会長 広島県PTA連合会会長 広島県退職校長会長 広島県退職婦人教職員会会長
石田明 広島県原爆日学教師の会会長
宅和純 広島県教職員組合執行委員長
楠忠之 広島県教職員組合広島地区支部長
018 芥川永 制作をおえて 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑制作者
原爆犠牲国民学校教師と子ども追悼の記
原爆犠牲国民学校子どもへの追悼
原爆犠牲国民学校教師への追悼
追悼によせて
増田勉 未来を悔いあらしめぬよう 第一国民学校勤務
 井上 博  原爆思い出すまま  済美学校勤務
寺沢 篤雄  原爆に遭いて  竹屋国民学校勤務
田島 三次 碑の建立に霊よ安かれ 第一国民学校勤務
小出 鈴子 あのときのこと 竹屋国民学校2年生
「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」除幕にささげる 構成詩 未来を語りつづけて
深川宗俊 作と構成
土屋清 演出
 山本学  語りて
  小さな骨[楽譜]
  碑歌[楽譜]
 229  原爆犠牲国民学校教師と子ども・犠牲者名簿
 265 附属関係資料
<その1>建設の経過概要
<その2>建設募金訴えのビラ
 <その3>維持委員会と遺族会の規程・規約
 <その4>原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設募金会計中間報告書
 深川宗俊  「流灯」によせて
 植野浩  あとがきにかえて

 

 

 

「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」建立についてのおねがい

「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」建立についてのおねがい

“太き骨は先生ならむ そのそばに
小さきあたまの骨 あつまれり”
“目玉飛びでて盲となりし学童は
かさなり死にぬ 橋のたもとに”
(正田篠枝「耳鳴り」「百日紅」より)
“ひろしま”に原爆が投下されて二十五年の歳月が流れました。ただ一発で中国地方第一の都市広島が火の海となり、一瞬にして二十万余の人たちが亡くなりました。その中に幼い子どもたちと、指導し引率していた教師がいるのです。

一九四五年八月六日午前八時十五分でした。終戦に近いこの日、アメリカははっきりした目的をもって世紀の非人道兵器、原子爆弾を、密集した住宅街の頭上に投下したのです。当時、広島市の国民学校初等科は、四年生以上が田舎に強制疎開され、三年生以下は、まだ小さいことから親の元に残され毎日登校していました。また、高等科の一・二年生は連日市内の建物疎開作業に動員され、奉仕の労働をしていたわけです。こうして原爆は子どもたちを無残な戦争犠牲者にまきこんだのです。
その人数は、いまだ正確にされていませんが約二千名といわれています。そのうち大半が高令な女教師でありました。
二十五年たった今日、広島市の平和公園をはじめ市内の各地に多くの慰霊碑がたてられています。ところが、どうしたことかこの国民学校の教師と子どもの碑は、いまだに建立されていないのです。その上に、生き残った被爆教師も年月とともに次第に教職を去り、また黙したまま世を去り、その人数は少なくなってきています。こうした中で、誰がいうともなく深い意義をみつめて碑の建立をしなければいけないという声が各地に生まれてきました。
ここにわたしたち発起団体は、互いに連絡しあい協議を重ねた結果「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の建立運動をおこすことを申し合わせたのです。
広島県民及び教師のみなさん、この碑はもちろん教師と子どもの慰霊碑であります。そのことともに、三たび許してはならぬという原爆教育と、みんなが力をあわせて人類最高の倫理といわれる平和の教育を“ひろしま”の教育として、現在及び未来に押しすすめる決意の碑にしていきたいと願っているのです。
みなさん、あのあつい炎の中で、互いに抱きあい助けあい呼びあい、そして、、力つきて共に集まり燃えきっていった師弟たち、その白骨の中に限りない生命の声を今にして聞きとり、これを互いに継承しなければならないと考えます。
この碑の建立の趣意を十分御理解くださり、募金に協力していただきますようお願い申しあげます。
発起団体名
広島県小学校長会
広島県中学校長会
広島市小学校長会
広島市中学校長会
広島県PTA連合会
広島市PTA連合会
広島県退職校長会
広島県退職婦人教師の会
広島県原爆被爆教師の会
広島県教職員組合
広島県教組広島地区支部
事務局
730 広島市国泰寺町二丁目一-一九
教育会館内
TEL 43-一四六一
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会
委員長 惣野真澄
事務局長 石田明

原爆犠牲者国民学校教師と子どもの碑

原爆犠牲者国民学校教師と子どもの碑
建立年月日:1971(昭和46)年8月4日
場所:広島市・平和公園

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[台座正面]
原爆犠牲国民学校
教師と子どもの碑
DSC04023
[台座裏面]

篠枝
太き骨は先生ならむ そのそばに
小さきあたまの骨 あつまれり

昭和四十六年八月六日建立
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会

資料

構成詩  未来を語りつづけて「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」除幕にささげる (8月4日午前8時15分除幕)
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ピカ研資料

 

 

 

原爆死没者の追悼行事主催者一覧(1945年)

原爆死没者の追悼行事主催者一覧(1945年)
出典:「中国新聞」

月日 追悼行事主催者
8.31 広島逓信局
9. 5 日本通運会社広島支社
9. 6 広島県庁
9. 6 中国海運局
9. 6 広島市内各中等学校・国民学校
9. 6 広島鉄道局
9. 9 中国石炭配給統制株式会社
9.14 広島県農業会
9.16 広島市立中学校
9.2 安芸高等女学校
9.2 広島郵便局
9.2 山陽中・商業・工業・高等女学校
9.2 広島女学院高等女学校
9.21 中国配電株式会社
9.21 広島電鉄株式会社
9.22 合名会社水野組本店・有限会社水野造船所
9.22 広島県燃料配給統制組合
9.22 東洋工業株式会社
9.22 広島市
9.22 中国地方総監府
9.23 広島印刷株式会社
9.23 日本電話設備株式会社中国支社
9.23 広島市多門院
9.25 広島瓦斯株式会社
9.25 広島県貨物自動車株式会社
9.27 油谷重工業株式会社広島祇園工場
9.3 広島陸軍偕行社附属済美学校
11. 6 広島財務局
11. 6 広島女子高等師範学校・同附属山中高等女学校
11.11 広島市銀行団
11.12 社団法人映画公社中国本部
11.12 広島市立造船工業学校
11.12 広島市信用組合
11.13 広島市白島国民学校
11.13 生長の家広島教化部
11.15 広島市神崎国民学校
11.2 日本赤十字社広島支部
11.3 広島県金物配給統制組合
12. 6 島病院若井小児科
12. 6 広島市下柳町内会
12. 6 広島遊興飲食税納税組合
12. 6 広島青果物統制株式会社
12. 9 広島市大手町三丁目町内会
12. 9 元中国7161部隊
12.1 株式会社鯉城園
12.11 広島高等学校
12.13 進徳高等女学校
12.14 広島市観音国民学校
12.16 広島市大手町国民学校
12.17 森永食糧工業株式会社広島支店
12.2 広島県立広島第一高等女学校
12.2 損害保険中央会・損害保険会社一同
12.2 広島市平塚町内会
12.21 大東亜食料興産株式会社
12.23 広島市大手町学区連合町内会
12.25 広島市本川国民学校
12.26 合資会社関西工作所・関西工業株式会社
12.27 広島軽金属工業株式会社

 

原爆死没者慰霊式典の記録(2015年)

『原爆死没者慰霊式典の記録 被爆70周年記念事業』(広島市(主管課:健康福祉局原爆被害対策部調査課)、20160101)

no. 実施主体 行事名 月日 場所
01 白島中町町内会 第二回原爆死没者追悼慰霊祭 0805
02 白島九軒町町内会 中区白島九軒町地区原爆死没者慰霊祭・同慰霊盆踊り 0801 碑前
原爆死没者慰霊碑前
03 国鉄労働組合広島地方本部原爆被爆者策協議会 第43回国鉄原爆死没者慰霊式典  0806
国鉄原爆死没者慰霊碑前
04 鯉城ふれあいクラブ 原爆死没者慰霊式並びに鯉城ふれあい夏祭り  0808
05 広島県原爆被害者団体協議会 広島県被団協原爆死没者追悼慰霊式 0806
06 広島陸軍病院原爆慰霊会 広島陸軍病院原爆死没者慰霊式  0806
広島陸軍病院原爆慰霊碑前
07 基町地区社会福祉協議会 基町地区原爆死没者慰霊式  0809
08 袋町地区社会福祉協議会 第39回袋町地区原爆死没者慰霊祭同慰霊夏まつり  0801
袋町公園母子像前
09 一般法人広島県動員学徒等犠牲者の会 原爆死没者追悼式典 0806
動員学徒慰霊塔前
10 原爆犠牲ヒロシマの碑維持委員会 第34回原爆犠牲ヒロシマの碑碑前祭  0805
11 広島市タカノ橋商店街振興組合 原爆死没者慰霊祭‐平和への祈りを込めて2015‐「たかのばし こども みらい」 0806
原爆犠牲者慰霊碑前
12 竹屋地区原爆慰霊式典実行委員会 竹屋地区住民及び竹屋小学校教職員・児童原爆死没者慰霊式典
竹屋小学校「原爆慰霊碑」前
13 皆実有朋会 広島県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼式  0806
広島第一県女原爆犠牲者追憶之碑前
14 一般社団法人広島市医師会 広島市医師会原爆殉職会員並びに医療従事者追悼式  0806
広島市医師会原爆殉職碑「祈りの手」前
15 広島一中原爆死没者遺族会 広島一中原爆死没者慰霊祭  0726
広島国泰寺高等学校内「追憶の碑」前
16 国泰寺一丁目町内会 第62回山中女学校・県立女子高等学校原爆死没者慰霊祭 0806
高人 荒神堂慰霊碑前
17 千田町一丁目町内会 ふりかえりの塔慰霊祭  0802
鷹野橋交差点角塔前
18 旧制広島市立中学校原爆死没学徒慰霊祭実行委員会 旧制広島市立中学校原爆死没学徒慰霊祭  0806
広島市立中学校原爆慰霊碑前
19 広瀬学区原爆死没者慰霊事業委員会 広瀬学区原爆死没者慰霊祭事業  0803
広島市立広瀬小学校慰霊碑前
20 神崎学区原爆慰霊碑管理運営委員会 神崎学区原爆死没者慰霊式  0802
河原町公園内神崎学区原爆慰霊碑前
21 本川地区社会福祉協議会 第20回本川地区原爆死没者慰霊式典及び第33回本川地区原爆死没者慰霊盆踊り大会  0805
本川小学校「原爆慰霊碑」前
22 本川学区Aブロック町内会 空鞘橋慰霊碑・被爆70年慰霊祭 0802
空鞘橋慰霊碑前
23 広島舟人・市女同窓会 第39回広島市立第一高等女学校職員生徒原爆死没者慰霊式典  0806
原爆慰霊碑前(平和大橋西詰)
24 広島市立広島商業高等学校同窓会 広島市立広島商業高等学校原爆死没者慰霊祭 0806
広島市商慰霊碑前(国際会議場横)
25 広島被爆者援護会 献花・献水慰霊式典  0806
26 在日本大韓民国民団広島県本部 韓国人原爆犠牲者慰霊祭  0805
平和公園内碑前
27 芸陽観音同窓会 広島二中原爆死没者慰霊祭  0806
広島二中原爆慰霊碑前
28 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑維持委員会 被爆70周年「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」慰霊祭  0804
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑前
29 広島商業同窓会 広島県立広島商業高等学校原爆慰霊祭  0719
広島県立広島商業高等学校原爆慰霊碑前
30 江波地区社会福祉協議会 原爆被爆者「母子愛之像」献花式典  0807
江波公園内碑の丘「母子愛之像」前
31 牛田学区社会福祉協議会 原爆死没者追悼式典  0805
牛田公園内「原爆死没者慰霊碑」前
32 段原中学校区ふれあい活動推進協議会 第26回原爆死没者慰霊祭  0802
段原中学校内「慰霊碑」前
33 旧被服支廠の保全を願う懇談会 旧被服支廠原爆死没者追悼講演会と追悼の集い  0808
旧被服支廠赤レンガ倉庫前
34 広島県立広島工業高等学校同窓会 平成27年度原爆犠牲者慰霊式  0806
広島県立広島工業高等学校慰霊碑前
35 学校法人広島山陽学園 山陽高等学校原爆死没者慰霊式  0806
山陽高等学校慰霊碑前
36 庚午北町内会 広島市西区庚午第・公園原爆死没者慰霊祭  0805
庚午第一公園内碑前
37 広島市立己斐小学校PTA ピースメモリアルセレモニー己斐小慰霊祭  0806
広島市立己斐小学校・慰霊碑前
38 瀬野川地区原爆被害者の会 原爆死没者追悼式典  0723
中野第二公園・原爆死没者慰霊碑前

 

愛媛県原爆被害者の会原爆死没者慰霊碑

愛媛県原爆被害者の会原爆死没者慰霊碑

19920310没 くぼ・なかこ 享年64 愛媛県原爆被害者の会会長。藤居平一聞き書き

 

愛媛県
愛媛県原爆被害者の会「原爆死没者慰霊碑」
(松山市石手川公園)
「この碑は廣島・長崎で被爆し愛媛県各地に眠る被爆者の冥福を祈り後の世に再び核兵器の惨禍を起こさせない事を誓って之を建てる
 昭和四十九年四月十四日
    愛媛県原爆被害者の会 会長 久保仲子 
              副会長 阿部幸雄 仝西岡周子」
 2016年5月撮影

 

 

鹿児島県原爆犠牲者慰霊平和祈念碑(1998年)

鹿児島県原爆犠牲者慰霊平和祈念碑
鹿児島県鹿児島市照国町城山公園・探勝園

DSC09652
DSC09647
DSC09646
 一九四五(昭和二〇)年八月六日
広島に、九日には長崎に原子爆弾が
投下され、二つの都市は一瞬のうち
に壊滅しました。熱線や放射能など
で死亡した人は年末までに二一万人
を超えました。
唯一の被爆国である日本の国民は
あの恐ろしい戦争を再び起こさない
よう、また残虐極まりない核兵器の
廃絶を叫び続けてきました。しかし
いまだに実現されていません。
あの時から五三年経った今も鹿児
島県内の一七〇〇余名の被爆者は、
原爆後遺症と闘いながら懸命な運動
を続けています。
ここに原爆犠牲者のご冥福を心か
ら祈り、核兵器廃絶と世界の恒久平
和を願って、平和都市宣言のまち・
鹿児島市の絶大なご厚意により、こ
の地に碑を建てました。
建立にご援助をいただいた国・県・市
ご当局をはじめ、建立募金にご協力
の皆様に深く感謝申しあげます。
一九九八(平成一〇)年一〇月三〇日
鹿児島県
原爆被爆者福祉協議会
撮影年月日:2018年10月29日

原爆供養塔

原爆供養塔

建立年月日:1955(昭和30)年8月6日
場所:広島市中区中島町・平和公園
〔側碑〕
(正面)(原文左横書)
原爆供養塔
〔側碑〕(同じ側碑四柱あり)(正面)
広島戦災供養塔
〔説明板〕(木製 現在は存在せず)
世界最初の原子爆弾昭和二十年八月六日午前八時十五分による犠牲者数万柱の遺骨を納める。
この地一帯が爆心地であったため期せずしてここに痛ましい無数の遺骨が運ばれ処理せられたものである。
昭和二十一年一月広島戦災供養会が創立せられ同五月仮供養塔同七月仮納骨堂礼拝堂が市民の喜捨により建立せられ三十年七月満十周年を期して広島市が中心となって納骨堂を改築せられ各処に散在していた遺骨を此処に納めた。
毎年八月六日には全県市挙げて追悼の誠をこめた供養慰霊祭が行われるほか毎月六日例祭が行われている。
供養行事は広島県宗教連盟が奉仕するほか各宗教派別による特別供養も厳修せられている
広島戦災供養会