広島第一県女原爆犠牲者追憶之碑
設置場所:広島市中区小町2番 平和大通略地帯 |
撮影:2019年11月16日 |
撮影:2015年8月6日 |
広島第一県女原爆犠牲者追憶之碑
設置場所:広島市中区小町2番 平和大通略地帯 |
撮影:2019年11月16日 |
撮影:2015年8月6日 |
『創立五十年記念誌 広島大学教育学部付属中学校高等学校』(広島大学教育学部付属中学校・高等学校内創立五十年記念事業会 、1955/11/03)
内容
校歌 | ||
序(広島大学教育学部附属中・高等学校長 森岡文策) | ||
口絵写真 | ||
Ⅰ | 祝辞 | |
創立50周年に寄せて(広島大学長 森戸辰男) | ||
祝辞(教育学部長 皇至道) | ||
式辞(附属中・高等学校長 森岡文策) | ||
祝辞(アカシア会長 里美真造) | ||
祝辞(PTA総代 島薫) | ||
Ⅱ | 五十年史年表 | |
Ⅲ | 中学校概要 | |
Ⅳ | 高等学校概要 | |
Ⅴ | 旧現職員名簿 | |
Ⅵ | 回想の五十年 | |
明治草創期 大正時代 昭和戦前期 昭和戦後期 |
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Ⅶ | 臨海・蹴球・庭球 | |
Ⅷ | アカシア会だよ り | |
編集後記 | ||
目次
『原爆の追憶 手記』(広島県立広島商業高等学校第48期生編、卒業50周年記念事業被爆体験集編集委員会、1999/07/20)
内容
校歌 |
<写真>慰霊碑 |
<写真>48期生寄贈の石燈籠 |
<写真>戦時中の校舎、皆実町の校舎 |
峠三吉「八月六日(峠三吉氏は広商33期の卒業生)」 |
◇被爆体験集発刊に寄せて(校長) |
◇本校被爆の概要 |
◇校章の変遷 |
◇教師の原爆犠牲者 |
◇学徒動員中の原爆犠牲者 |
◇第四十八期の物故者 |
◇体験記 |
網岡正義(原爆体験記) 19 石井就忠(被爆体験) 28 石井英夫(中学二年生夏) 31 井野。靖弘(警報なき空) 33 尾崎正行(心に傷) 47 大成修治(私の被爆体験) 49 奥田恒夫(あの日あの時) 52 渓谷一生(焦土の中を往く) 54 小原正樹(被爆体験) 57 梶野正早(恐怖の核はいらんけん) 59 金子弘(「あっB29だ、落下傘が落ちてくる」) 64 加茂吉治(私の昭和二十年と八月六日の原爆被爆記) 68 河口義之(地獄から逃れて) 70 神田侃(今は亡き友を偲んで) 72 合山卓志(被爆体験について) 75 佐々木克巳(悔しい運命を頑張る) 78 下桶敏之(被爆の日の悲しい思い出) 83 新保壬三(追想) 85 隅川譲(被爆体験) 88 須山美昭(「原爆体験」) 91 瀬川博(九死に一生) 93 竹岡幹晃〔原爆体験記) 95 谷田不二夫(生き抜く) 99 谷本憲昭(「那須君」のこと) 101 中野利則(原爆の思い出) 105 新述琢磨(「原爆体験記」) 107 西崎政敏(建物の陰で助かる) 112 野田博(詩生と死を) 114 檜垣久夫(原爆体験記) 115 日原洋(黒い雨」が降った日) 120 平田成行(炎からのがれて) 125 藤田道男(キノコ雲の下で) 129 政近良到(原爆体験記) 135 丸本積(原爆体験記) 138 三澤一磨〔原爆の日より) 141 宮崎清一〔被爆(原子爆弾)体験について) 145 宗田強(被爆体験について) 149 森正幸(昭和二十年の思い出) 151 山田實(被爆体験記) 153 山田尚(私の被爆体験) 156 山中健稔(私の被爆体験記) 158 山根明(私の被爆体験記) 160 湯川健次郎(句 炎の記憶) 162 吉冨孝(被爆体験記) 163 下田則明(この野郎、詩) 166 橋本悦雄(黒い斑点) 168 |
◇ご遺族による消息と記録 |
◇思い出を語る座談会 |
◇あとがき |
広島県立第二中学校(現在・広島県立観音高等学校)
関係資料
いしぶみ | 広島テレビ放送局編、ポプラ社刊 | 19700920 |
動員学徒隊長の手記―被爆体験を中心とした | 堂本豊著、文化評論出版刊 | 19800720 |
『西條農学校と広島原爆』(東広島市原爆被爆資料保存推進協議会、2012/11/01)
内容
「グラビア」 | ||
ごあいさつ 会長 石井康隆 | ||
年表「原爆から65年」 | ||
1 | 1.戦時下の西農生 | |
(1)はじめに 1 (2)教練 2 (3)勤労動員 |
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2 | 広島原爆と西農 | |
3 | 広島原爆当日の西農生 8 | |
4 | 西農と賀北部隊 | |
5 | 西農生広島市民を救う | |
6 | 被爆体験記 | |
(1)回想 校長 池辺和夫 (2)核兵器のない平和を求めて 光本充晴 (3)私の原爆の記 枡井治 (4)私の被爆体験記 今井亮 (5)被爆体験記 矢壁修二 (6)西条農学校の朝礼 浜田和登 (7)私の原爆体験記 坂内宏彰 (8)五十年間脳裏に焼きついた惨状 前重義明 (9)私の原爆体験記 竹本謹治 (10)被爆体験記 立畠憲作 (11)私の被爆体験記 田丸誠6 (12)被爆体験記 尾崎賢三 (13)敗戦四十五年考 松田文弘 (14)救護で悲惨な体験 平藤春三 (15)農学校生徒の遺骨拾い 小川叡 |
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7 | 用語説明 | |
(1)賀北部隊 | ||
(2)学徒動員令 | ||
コラム1 西農茶園の運命 | ||
コラム2 短歌 頭髪の焼きつけし | ||
『生死の火 広島大学原爆被災誌』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会、1975/08/06)
内容
巻頭写真 | ||
まえがき | 広島大学長 飯島宗一 | |
題字 | 広島大学長 飯島宗一 | |
001 | 被災の概況 | |
018 | 死歿者名簿 | |
教職員の部 | ||
広島文理科大学 19 広島高等学校 23 広島工業専門学校 24 広島高等師範学校 27 広島高等師範学校附属中学校 28 広島高等師範学校附属国民学校 29 広島女子高等師範学校 30 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校 30 広島師範学校 31 広島師範学校附属国民学校 32 広島県立医学専門学校 32 広島市立工業専門学校 3 |
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学生・生徒・児童の部 | ||
広島文理科大学 33 広島高等学校 35 広島工業専門学校 37 広島高等師範学校 43 広島高等師範学校附属中学校 45 広島高等師範学校附属国民学校 47 広島女子高等師範学校 48 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校 48 広島師範学校 74 広島師範学校附属国民学校 74 広島県立医学専門学校 74 広島市立工業専門学校 74 |
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手記 | ||
077 | 1 遺稿 | |
102 | 2 遺族 | |
118 | 3 生存者 | |
広島文理大学 118 広島高等学校 221 広島工業専門学校 232 広島高等師範学校 238 広島高等師範学校附属中学校・同附属国民学校 281 広島女子高等師範学校・同附属山中高等女学校 306 広島師範学校・同附属国民学校 312 広島県立医学専門学校 320 広島市立工業専門学校 328 |
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339 | 4 留学生 | |
357 | メッセージ | |
373 | 広島大学原爆死歿者追悼式記録 | |
381 | 参考資料 | |
392 | 人名索引 | |
393 | あとがき | |
広島県立広島工業学校被爆職員・生徒追悼碑<編集中>
資料
碑(写真) | ||
文献 | ||
ああ麗しき太田川 広島県立広島工業学校 原爆追悼集 第1集 | 広島県立広島工業高等学校同窓会 | 1994/08/06 |
ああ麗しき太田川 広島県立広島工業学校 原爆追悼集 第2集 | 広島県立広島工業高等学校同窓会 広島県立広島工業高等学校 |
1995/08/06 |
ああ麗しき太田川 広島県立広島工業学校 原爆追悼集 第3集 | 広島県立広島工業高等学校同窓会 広島県立広島工業高等学校 |
1996/08/06 |
ああ麗しき太田川 広島県立広島工業学校 原爆追悼集 | 広島県立広島工業高等学校同窓会 広島県立広島工業高等学校 |
1997/11/15 |
『礎(いしずえ)』(県立広島商業高校原爆研究部編、県立広島商業高校遺族会、1976/05/23)
内容
礎―そして、私たちはいま― | ||
巻頭言 | 寺地操(旧職員 ) | |
詩 「8月6日」 | 峠三吉 | |
被爆による戦没者氏名一覧 | ||
本校(皆実校舎)平面図 | ||
本校生の罹災地図 | ||
1 | 本書を世に送るにあたって | |
永遠に慰霊と鎮魂を | 松本義吉(県立広島商業学校遺族会副会長 ) | |
原爆犠牲137名を礎に | 吉見広行(県立広島商業学校同窓会長 ) | |
ヒロシマの心を | 真田義隆(県立ヒロシマ商業高等学校長 ) | |
ヒロシマを若者の手で | 松崎徹 (広商 原爆研究部 参与) | |
2 | 本校被爆の概要 | |
3 | 当時の教師の記録 | |
4 | 当時の生徒の記録 | |
第44期 第45期 第46期 第47期 第48期 第49期 |
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5 | 遺族による記録 | |
6 | そして私たちはいま 在校生の記録 | |
あとがきにかえて |
『波羅密多に想う 進徳高女被爆生の記録』(進徳高女被爆生の会、1981/12/06)
内容
09 | 昭和二十年八月六日… | 新開ウメ子 |
15 | 思い出せば… | 藤田博子 |
19 | 十字架負って二十年… | 黒石雅子 |
27 | 昭和二十年代の流れに生きて… | 岩本節子 |
47 | 私の昭和二十年代… | 松長静子 |
61 | 戦後十年私は此の様に生きた… | 定信多紀子 |
『書名 流光 語り継ごう平和を 被爆50年』(修道中学・高等学校記念誌「流光」編集委員会、修道中学・高等学校、1995/11/04)
内容
備考 | ||
(写真) | ||
発刊に寄せて (校長 畠眞實) | ||
1 | 修道の原爆被災記録 | |
広島市に原子爆弾投下される 1 広島県警察部の発表した広島市の被害 1 被爆時の千田地区 2 修道中学校の被害 3 原爆被災寺の学徒動員出動状況 6 被爆当時の広島市街図 8 修道中学校戦災日記 9 戦災時教職員の動静 17 修道中学校原爆死没者名簿 21 |
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2 | 被爆五十年の記録 | |
被爆五十年の歩み(1945~1995年)年表 25 関係註記 修中生徒二告ぐ(ビラ)31 戦災を偲ぶ会 戦災死没者合同慰霊祭 32 慰霊碑の建立 32 1950年(昭和二十五年)三月三日の卒業式 32 感謝状(修道中学校原爆死没者生徒遺族会会長 香川凱二殿)33 慰霊祭を学校主催で行うにあたって 33 慰霊祭で献水を行うようになった経緯 34 慰霊の辞(昭和五十三年八月六日)34 本校原爆慰霊碑に関する調査とその平和教育教材化 35 何故中二だけが原爆慰霊祭に参加するのか 36 慰霊の辞(昭和六十一年八月六日)36 慰霊の辞(昭和六十二年八月六日)37 「炎の絵」 ヒロシマ生変図誕生秘話 38 被爆煉瓦保存記念碑建立 除幕式校長挨拶(平成五年月十五日)38 |
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3 | 当時の生徒の手記 | |
私の八月六日 中西淳雄 43 広島の長い一日 絹谷晴沼 45 古里へ向かって歩いたあの日 平山郁夫 46 被爆五十年を迎えて 三枡積 47 五十年前のタイムカプセル 佃昭信 49 花も蕾も若桜 私の勤労動員 佐々木博 52 制服の白線 深崎敏之 53 学校での救助活動 名越渉 54 あの日あの時の修道中学三年・合同製鋼組 久保利雄 55 火傷 坪田幸雄 56 原爆投下五十年を迎えて 四竃揚 59 生と死を分けた学徒動員 八木圭三 60 原爆と私-我が子への伝言-天野治男 61 半世紀後の後輩へ-受け継ぐ時代- 林孝治 62 悲しみを乗り越えて-サッカーへの道- 下村幸男 64 昭和二十年 林晃司 65 八月のカラス雨 中村和彦 66 慰霊碑の前で 竹本成徳 68 あの日、あの時 谷尾励 71 原爆 阿部正 72 新たなる出会い 十三才と六十三才の同級生 永谷道孝 73 核を阻むことが同級生への最大のプレゼント 森島剛 75 浜さんよう生きて帰った 浜田一 76 |
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4 | 父母家族の手記 | |
原爆死没者懇談会にて 後藤健蔵 81 原爆の記録 井上和子 81 想い出 平泉清子 83 追憶 山本孝子 85 三人の学徒 長尾梅代 86 弟の八月六日 徳富俊子 88 尊い犠牲 辰本キミヨ 89 かぼちゃの魂 木葉博 90 広島原爆の思い出 戸田實 92 私の思い 貞方サク子 93 |
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5 | 元教職員の手記 | |
心の故郷を求めて 岡島四郎 97 動員先の三菱造船所にて 松石義郎 98 思い出 田辺甲子生 99 原爆と修道・そして平和 脇田久二 101 「8・6平和学習」にかかわって 東通雄 102 |
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6 | 語り継ごう平和を | |
「語り継ごう平和を 被爆五十年」 107 慰霊の辞(一九九五年八月六日)108 被爆五十年に寄せて(東京芸術大学長 平山郁夫)109 生徒教職員の思い 核廃絶へ 岡野真之 111 家族と共に平和の大切さ感じた 杉原惇平 112 戦争が起きないよう努力を 瀬戸大気 113 原爆許すまじ 森元裕貴 115 人間どうしじゃないか 和田憲二 116 僕達が語り継ぐ原爆 井上大輔 118 ぼくたちの使命 武永憲二 119 平和について関心を持とう 谷岡貴法 120 過ちを二度と起こさないために 深井大輔 123 心に残る深い傷 白石隆史 124 語り継ごう核兵器の恐ろしさ 桧垣忠直 125 五十年前の八月六日 佛原悠介 126 自国の平和は世界の平和から 溝端祥浩 127 僕達は何をすればよいか 杉原哲平 128 僕らにできること 高橋俊彦 130 地球を破壊させてはいけない 中村忠 132 世界平和とは 原直輝 133 人類の義務 丸本健次 134 なぜ戦争は起こるのか 兼平佑一 136 世界へ向けて叫けぼう「原爆許すまじ」と 高橋峻洋 137 澄みきった平和な世界を 浜田亮 138 平和な時代に生きる 満居紘史 139 何を忌むべきか 城水輝之 140 |
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被爆五十年に平和を祈って 大純一 143 今、地球の「滅亡者」か「救世者」か二者択一のとき 橋谷秀雄 144 心の被爆者 渡辺郁夫 145 |
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原爆資料関係目録 | ||
原爆資料関係目録 153 平和宣言N(一九九五年八月六日 広島市長)180 参考引用文献・資料 182 |
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語り継ごう平和を 被爆五十年 | ||
類焼を食い止めた千田町人々 3 旧広島陸軍兵器支廠(南区霞町)44 悲しく揺れた4つの水筒(浜田一さん) 51 雑魚場街疎開跡(中区国棒寺町)58 広島工専周辺の惨状(中区千田町)67 御幸橋(1)(中区千田町)69 御幸橋(2)(中区千田町)75 母が守った学用品(山本孝子さん)86 被爆動員学徒慰霊慈母観音像(平和大橋東詰)89 動員学徒慰霊塔(原爆ドーム南)93 原爆慰霊祭後の座談会(一九九六年八月六日)98 生徒情報記録・戦災記録 103 広島貯金支局跡(中区千田町)104 被爆樹木 柳(千田公園)115 被爆ポンプ(広電本社バス停前)119 ふりかえりの塔(中区鷹野橋)126 広島電鉄発電所跡(中区千田町)130 旧広島赤十字病院(中区千田町)134 防火水槽(中区南千田東町)138 「広島生変図」陶壁画(広島市原爆資料館)142 |
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動員学徒悼歌「ほのお果てては」 183 付録(折込)類焼をまぬがれた当時の千田町住宅図 |
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あとがき | ||
備考