『原爆災害 ヒロシマ・ナガサキ 岩波現代文庫 学術 149』(広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会編、岩波書店、20050715)
内容
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刊行に寄せて 荒木武(広島市長)・本島等(長崎市長) |
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まえがき 飯島宗一 |
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1 |
一九四五年八月広島・長崎…1 |
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広島被爆す
三日後長崎も |
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2 |
壊滅した街-広島…7 |
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行政・文化の中心都市
被爆直前の広島市街
爆風と焦熱と
広島の被爆人口
広島での死者
余熱と灰燼のなかで
猛火をのがれて
死者を焼く煙 |
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3 |
廃墟と化した丘と谷-長崎…35 |
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歴史と信仰の町
浦上地区の被爆
大地が火を噴く
長崎の被爆人口
長崎での死者
被災への対応-混乱のなかで
救護と医療
傷ついた人びと |
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4 |
原子爆弾による災害とは何か…60 |
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原子爆弾
火球
強烈な熱戦
衝撃波と爆風
建物の破壊
原爆放射線
放射線量の測定
線量再評価
遮蔽効果
誘導放射能
フォールアウト |
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5 |
傷ついた人びと…91 |
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原子爆弾症
原子爆弾症の経過 |
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6 |
急性期の原子爆弾症…100 |
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原子爆弾熱傷
熱線と火炎に焼かれて
垂れ下がる皮膚
爆風による外傷
くいこむ破片
放射線障害
致死線量
急性放射能症
血液への傷害
二次被爆者 |
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7 |
消えない傷あと…126 |
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ケロイド
原爆白内障
白血病
早期入市者の白血病
がん患者の発生
甲状腺癌
乳癌
肺癌
染色体の異常
胎内被爆と小頭症
遺伝的影響 |
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8 |
被爆者…153 |
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生きのびた人びと
心身のくるしみ
傷害を背負って
家族の崩壊
原爆孤児
原爆孤老 |
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9 |
廃墟のなかで…175 |
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家もなく食も乏しく
復興へのあゆみ |
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10 |
医療と援護…182 |
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医療体制の整備
原対協の成立
原爆医療法
行政のとりくみ
被爆者援護法へ |
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11 |
被爆体験の深化と継承…196 |
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平和への願い
平和教育 |
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12 |
核廃絶への道…204 |
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核時代への幕あけ
ヒロシマ・ナガサキの悲願
平和への原点 |
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文献…211
年表…213 |
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メモ :『広島・長崎の原爆災害』(1979年 岩波書店発行)を底本とし、その主な内容を要約した文庫版。 |
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止
『日本被団協と出会う 私たちは「継承者」になれるか』(大塚茂樹、旬報社、20250805)
内容<作業中>
章 |
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1 |
日本被団協についての一問一答 |
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2 |
沈黙を乗り越えて、原爆被害者は立ち上がった |
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3 |
苦難に負けず、被爆者の訴えを貫き通した |
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4 |
被爆者とは何か、被爆体験とは何かー日本被団協の視点と私たち |
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5 |
被爆体験を受け継ぐ、核廃絶を求め続ける |
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止め
『あなたは戦争で死ねますか 生活人新書 230』(斎藤貴男・知念ウシ・沼田鈴子・広岩近広著、日本放送出版協会、20070810)
内容
部 |
章 |
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1 |
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この日本を再び戦争のできる国にはさせない 斎藤貴男 9 |
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1 |
戦争と格差社会は表裏一体である 10 |
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踏みにじられる憲法尊重義務 10
アメリカと一緒に戦争を繰り返す国へ 13
アメリカの戦争で儲け続けてきた日本 17
日本の子どもが兵士にされる日 20
弱者が弱者を見下すとき、戦争が始まる 22
急激に進む日米の軍事提携 24
“衛生プチ帝国”化に邪魔な憲法 27
進む琉球諸島全域の軍事基地化 30 |
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2 |
子どもたちが大人の善意を享受できる社会へ 35 |
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戦争を語らなかった父 35
私はエリート層に奉仕する道具なのか 39
何も知らずに生きてきた後ろめたさ 41
外道たちの国民監視活動 43
安全の美名の下に監獄化する社会 47
反戦的な言動への過激な弾圧 51
究極の植民地根性が政治家を支配する 54
戦争になど万に一つの理もあり得ない 57 |
2 |
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日本の友だちよ。基地持って帰ってから、またメンソーレー 知念ウシ 61 |
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1 |
「テイクアウトでお願いします」 62 |
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在日米軍基地の負担平等論 62
沖縄を「悪魔の島」にしているのは誰か 64
「消費税」で考える 68
地政学とは政治である 70
「平和の実現という根本的課題の解決にはならない」のか 73
沖縄から基地をなくす処方箋 76
「自分たちの痛みを他人に押しつけるのはよくない」のか 78
基地の負担は本土こそ負うべき 81 |
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2 |
イマジン 84 |
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東京 84
神戸 86
東関東 89
宜野湾 91 |
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3 |
沖縄は日本の植民地である 95 |
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|
「アメリカが悪い」 95
沖縄に在日米軍基地の75%が集められるまで 95
米軍基地が「消え」、安保反対が消える 100 |
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|
日本人は植民者であり、沖縄人は被植民者である 102 |
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|
沖縄の植民地化 102
何と呼ぶか 107
沖縄植民地論への批判・反論 110
「じゃあ、独立すれば」 112 |
|
おわりに 日本人が基地を持って帰るということ 116 |
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|
平等の要求 116
基地持って帰ってから、またいらっしゃい 118 |
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3 |
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一粒の平和の種をまこう 沼田鈴子/広岩近弘 123 |
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プロローグ ヒロシマの思想 124 |
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1 |
被爆そして語り部へ 130 |
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2 |
戦争の真実を知る旅 148 |
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慟哭の沖縄 148
韓国、中国、マレー半島、そして米国へ 155 |
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3 |
平和の種よ、世界へ 173 |
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止
『焼跡からのデモクラシー 草の根の占領期体験(上)・(下)』(吉見義明、岩波書店、20241115)
内容<作業中>
章 |
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はじめに |
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1 |
戦争から戦後へ |
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2 |
平和の構想 |
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1 平和主義の成立 |
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2 原爆と平和 |
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原爆の威力への感嘆 |
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科学技術信仰の発生・強化 |
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原子力の「平和利用」 |
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|
民衆の中の「平和利用」論とその批判 |
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放射能の危険性と被爆者 |
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|
原爆の甘受と日本の責任 |
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被爆体験から |
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原爆批判と平和の希求 |
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原爆の国際管理と世界国家論 |
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3 |
平和意識の獲得 |
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4 |
戦争責任と天皇制 |
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5 |
自由と民主主義の再創造 Ⅰ |
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6 |
自由と民主主義の再創造 Ⅱ |
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7 |
女性の自立と解放をめざして |
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8 |
中国・ソ連へのまなざし |
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9 |
見えない他者 |
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10 |
変わらざる意識-あるエリート社員のインドネシア体験 |
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おわりにー草の根の占領期体験の意味 |
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あとがき |
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岩波現代文庫版あとがき |
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止
『ヒロシマはどう記録されたか 上 昭和二十年八月六日 』、『ヒロシマはどう記録されたか 下 昭和二十年八月七日以後』(小河原正己著、朝日新聞出版、20140730)
|
『ヒロシマはどう記録されたか 上 昭和二十年八月六日 』 |
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目次 はじめに…3
序章 そのとき、ラジオ・新聞は…25
ラジオ放送が止まった/
新聞記事にできない
第一章 それぞれの八月六日朝…39
八月六日付中国新聞朝刊/
その朝のラジオ放送/
大佐古記者の身代わり/
生き運のいい松重カメラマン/
中村記者の汚れたワイシャツ/
間一髪、三人の放送局員
第二章 広島壊滅のとき…85
原爆投下・一〇秒の衝撃/
広島中央放送局壊滅/
中国新聞・もう一つのヒロシマ/
中国新聞社壊滅/
中国新聞社国民義勇隊全滅
第三章 あの日の五枚の写真…131
八月六日午前・二枚の写真/
黒い赤ちゃんと丸坊主/
後ろ姿の少年とセーラー服の少女/
明の行方を知っていますか/
八月六日午後・三枚の写真/
被爆写真・もう一つの記憶
第四章 絵に残されたあの日の記憶…175
市民の手で原爆の絵を/
母と子の原爆の絵/
血みどろの被爆者の列/
まぼろしの声/
母と子の絵、ふたたび/
母の形見・人影の石
第五章 幻の原爆第一報…217
黒い雨/
幻となった原爆第一報/
軍管区発表、記事にできない/
ピカドン第二報、地獄の川を下る
第六章 爆心地の夜…247
八月六日夜・相生橋の一夜/
袋町小学校の朝、比治山の夜/
韓国に渡った原爆孤児/
アメリカに渡った原爆乙女/
生ましめんかな
第七章 原子野の月…277
比治山多聞院の臨時県庁/
宇品・江戸家猫八さんと原爆資料館長/
中国新聞社、代行印刷へ/
呉鎮調査隊、市内に入れず |
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『ヒロシマはどう記録されたか 下 昭和二十年八月七日以後』 |
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第八章 原子砂漠の朝…11
八月七日・広島が消えた/
爆心半径五百メートル/
被爆地図復元へ/
爆心地復元の元ディレクター/
材木町から中島本町へ/
ヒロシマからの第一声
第九章 子どもたちの被爆…53
三位一体の人形になった子どもたち/
母たちの悲しみ/
元原爆資料館長と元エノラ・ゲイ機長/
動員学徒たちの被爆
第十章 アメリカ兵捕虜の被爆…89
爆心地の被爆米兵/
爆撃機ローンサム・レディー号/
元搭乗員たちの生と死/
トルーマン米大統領の声明/
二発目の原爆・長崎被爆
第十一章 特殊爆弾の正体を解明せよ…127
呉鎮調査団、爆心地へ/
密命・幻の海軍原爆調査団/
陸軍原爆調査団/
わが国の原爆研究/
三発の不発弾(?)/
終戦を決めた原爆調査報告書/
調査団員、それぞれの戦後
第十二章 新聞再開への苦闘…185
在広新聞社の被爆/
一県一紙と代行印刷/
八月九日付中国新聞、そして終戦/
九月三日付、自力発行第一号/
原爆プレス・コードの発令/
台風、ふたたび代行印刷へ/
十一月五日付、本社復帰第一号/
生きている「死せるカメラマン」/
放送局再開、平和祭の開催
第十三章 「廣島特報」から「ビロシマ新聞」へ…253
三十五年目の原爆新聞/
昭和二十年八月七日付け「廣島特報」/
昭和二十年八月八日付け「廣島特報」/
昭和二十年八月七日付け「ヒロシマ新聞」/
いまなぜ「ビロシマ新聞」か
昭和二十年八月十五日付け「沖縄戦新聞」
終章 未来への伝言…295
俳優木村功の遺言/
記者たちの伝言/
科学者たちの予見・核戦争後の地球/
ヒロシマとチェルノブイリ/
ヒロシマからフクシマへ
あとがき この十年の間に…343
解説・竹西寛子…356
引用・参考文献 |
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止
『医学的根拠とは何か』(津田敏秀、岩波新書、20131120)
内容
章 |
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まえがき |
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序 |
問われる医学的根拠―福島・水俣・PM2.5 |
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1 |
医学の三つの根拠―直感派・メカニズム派・数量化派 |
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1 繰り返される三つ巴の論争 |
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2 現代医学の柱は数量化、対象は人 |
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2 |
数量化が人類を病気から救った―疫学の歩み |
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1 数量化を始めた人々 |
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2 疫学の現代化 |
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3 病気の原因とは何か |
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3 |
データを読めないエリート医師 |
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1 数量化の知識なき専門家 |
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(1)なぜ100ミリシーベルトか―「有意差がない」と「影響がない」との混同 |
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広島と長崎の被ばく者数 |
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診断X線の影響 |
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「有意差がない」≠「影響がない」 |
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解消されない混同 |
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福島の直観派とメカニズム派 |
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(2)O157による大規模食中毒事件 |
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2 水俣病事件 |
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3 赤ちゃん突然死への対応を逸した研究班 |
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4 |
専門家とは誰か |
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1 進まない臨床研究 |
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2 日本の医学部の一〇〇年問題 |
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3 診察室でデータを作る時代 |
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終 |
医学部の”開国を” |
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津田敏秀[ツダ・トシヒデ]
止
『女性・家庭・社会-広島で学んだこと』(山手茂・山手秀子著、東方出版)
部 |
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まえがき 3 |
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1 |
生きることと学ぶこと |
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学ぶことと生きること 10
一生かかって学ぶこと 13
学校での学習と社会での学習 23
読書と人生 26
変動する社会のなかでの婦人の学習 29
社会科学を国民のものに 32
科学的な家庭観をもとう 38
文学と人生と家庭と 40 |
|
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2 |
女性・家庭・社会 |
|
|
|
人間らしく生きること 48
主婦の栄光と悲惨 68
「婦人解放の壁」は何か 82
婦人解放論の前進のために 87
共かせぎの将来 96
女性化論争・家庭論争への批判 103
大熊信行氏の家庭論への批判 114
これからの家庭はどう変わるか 119
これからの家庭と婦人 128
人間らしい生活と文化 134 |
|
|
|
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|
3 |
子ども・家庭教育・学校教育 |
|
|
|
子どもの生活はどう変わっているか 138
子どもを忘れた子どものための文化 147
子どもの非行化に対する親の責任 158
カギッ子ママ 166
共稼ぎ家庭の家庭教育の方向 168
入学試験と親の立場 177
父母と教師との協力 180
家庭科教育の課題 184
高等学校教育はどう変わっているか 190
大学教育と学問の自由 193
「期待される人間像」の検討 198
平和教育と同和教育との共通の課題 205 |
|
|
|
|
|
|
4 |
原爆・人間・平和 |
|
|
|
原爆被爆者と原水爆禁止運動 220 |
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|
原爆被爆体験と戦争体験の交流を 224 |
|
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|
原爆被爆20周年を迎えた被爆者 227 |
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|
|
原爆被爆体験を原水爆禁止運動に生かそう 232 |
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|
原爆被爆者問題と被爆体験の意義 237 |
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|
戦争と平和 246 |
|
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付 |
拙著『現在日本の家族と家庭』への書評およびそれに対する感想 |
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広島大学助教授・新堀通也氏の批評 250 |
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|
広島県立保育専門学校主事・野垣義行氏の批評 251 |
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|
『家庭と教育』誌編集長・切明悟氏の批評 252 |
|
|
|
小田原女子短大助教授・毛利明子氏の批評 255 |
|
|
|
大阪市立大学教授・上子武次氏の批評 256 |
|
|
|
『生産性新聞』HB氏の批評 258 |
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|
書評に対する感想 259 |
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|
あとがき 263 |
|
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|
止
『親鸞からの射程-宗教・平和・国家』(樹心の会編、永田文昌堂、19830910)<作業中>
内容
頁 |
著者 |
タイトル |
|
001 |
西光義畝 |
はじめに |
|
002 |
上田義文 |
念仏と平和―念仏者の社会的課題 |
|
035 |
日高六郎 |
現代の日本社会をどうとらえるか |
|
|
|
安田講堂事件から京都精華大学へ |
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|
|
「十五年戦争」という表現の意味 |
|
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|
「十五年戦争」と「きけわだつみのこえ」の手紙 |
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|
戦時下の農民の手記と学生の手記 |
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|
大正生まれの三つの区分 |
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|
戦後三十七年の学生の思想状況と推移―革新政党から保守政党へ |
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|
戦前社会から戦後社会への転換 |
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|
戦後三十七年の質的変化―時代の開閉 |
|
|
|
戦後日本社会の質的変化を計るものさし |
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|
高度経済成長 |
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|
国内政治と国際関係 |
|
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|
天皇制について |
|
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|
戦前の日本国家の思想的構造 |
|
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|
「滅私奉公」から「滅公奉私」へ |
|
|
|
現代日本人の「天皇制」意識 |
|
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|
1985年体制 |
|
|
|
軍事費突出の意味 |
|
|
|
日本の今後の課題 |
|
|
|
マルクス主義の課題と展望 |
|
080 |
池田行信 |
念仏者にとって国家とは何か |
|
142 |
李実根 |
原爆体験をめぐって今思うこと |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
183 |
遊亀教授 |
真宗学とはなにか―その将来への展望 |
|
243 |
加藤西郷 |
あとがき |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
止
『原爆に生きて 原爆被害者の手記』(原爆手記編纂委員会、三一書房、19530625)
内容
|
著者 |
タイトル |
メモ |
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序(原爆手記編纂委員会=山代巴・隅田義人・山中敏男・川手健・松野修輔) |
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1 |
生きる |
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短かき夜の流れ星 檜垣干柿 17
生命の河 小原秀治 41
白血病と闘う 恵京吉郎 52
ヌートリアの思い出 石井一郎 63
真如の心 磯川喜幸 78
母子抄 吉川みち子 87 |
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2 |
歩む |
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|
敗戦日記 山下寛治 97
七年の記 日詰忍 112
「無窮」の木 鳥本正治郎 126
四十八願 浮気モト 133
夫はかえらない 多田マキ子 136
友の手紙 山野音代 146
生長の家から 宮田君子 156
行くとこなし 辻本トラ 169
未亡人の願い 山田静代 175
喜生園 大屋ヒデ 180
父情記 内山正一 187
傷害年金受給のこと 温品道義 196 |
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3 |
叫び |
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春雪日記 山中敏男 215
平和をわれらに 上松時恵 233
青年の独想 浦本稔 239
甲神部隊の父 横山文江 248
すみれのように 牧かよ子 254
母となりて 池田精子 258
私は生きたい 西山わか子 261
子等とともに 尾形静子 271
半年の足跡 川手健 280 |
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止
『戦後日本と戦争死者慰霊―シズメとフルイのダイナミズム』(西村明、有志舎、20061225)
内容
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章 |
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Ⅰ |
|
|
戦争死者へ向き合うこと |
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1 |
|
戦争死者の慰霊を問い直す |
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1 |
戦争死者とは何か? |
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2 |
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2 |
|
戦争死者へ向き合うことウチの死者とヨソの死者と―戦死者表象の集合化と戦死者儀礼の集団化 |
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3 |
|
慰霊と暴力連関―戦争死者儀礼の系譜的理解 |
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|
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|
|
Ⅱ |
|
|
戦後慰霊と戦争死者―長崎原爆慰霊をめぐって |
|
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4 |
|
戦後慰霊の展開とその二源泉―長崎における全市的原爆慰霊の公共性を軸に |
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|
5 |
|
岡正治における慰霊と追悼―「二様の死者」のはざまで |
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|
6 |
|
死してなお動員中の学徒たち―被爆長崎医科大生の慰霊と靖国合祀 |
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|
7 |
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国の弔意?―広島と長崎の国立原爆死没者追悼平和祈念館をめぐって |
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|
まとめと展望 戦争死者慰霊とは何だったのか、そして何でありうるのか? |
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1 |
「シズメ」と「フルイ」の慰霊論 |
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2 |
戦争死者慰霊と無縁空間の可能性 |
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止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。