「書誌1962」カテゴリーアーカイブ

書誌1962一覧

書誌1962一覧

年月日 書名 編著者 発行所
62010101 句集・ひまわり 川本柳本城等編 広島ひまわり句会
62012001 平和への悲願をこめて-原水爆禁止運動の虚偽と真実(再版) 時事問題研究所
62020101 広島県詩集1962年版 広島県詩人協会
62022501 デリー・バンドン・北京-原爆被害者と教師との旅 今村真直 東京書店
62022801 アメリカ感情旅行 安岡章太郎 岩波新書
62023301 [「原爆放射能医学研究所設置」などに関する陳情運動日誌] 広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会(編)
62031501 死の灰-その恐怖とこれからの生活設計 塚本憲甫 保健同人社
62032501 平和をもとめて-長田新論文・追想記 広島大学新聞会(編)
62033001 第2回原子爆弾後障害研究会講演集 長崎原子爆弾後障害研究会
62033101 新修広島市史第5巻-年表・索引・地図・編纂沿革 広島市(編) 広島市
62041501 核戦争の火もと-日本の米軍基地 日本共産党中央委員会宣伝教育文化部編 日本共産党中央委員会出版部
62042001 破滅の決定-世界を変えた”マンハッタン”計画 マイケル・アムライン 三一書房
62042301 岩手県原爆被害者団体協議会第六回定期総会議案 岩手県原爆被害者団体協議会編
620427 被爆者は願う 岩手県原爆被害者団体協議会
62043301 原子核将来計画 日本学術会議原子核特別委員会
62050501 原子戦争をふせぎ,平和な生活のために[第3版] 日本共産党中央委員会宣伝教育文化部編 日本共産党中央委員会出版部
62050502 学□-原子と水爆 松田栄 丸善
62052601 第八回原水爆禁止四国大会議案 原水爆禁止四国協議会編
62052701 あの日あの時-私達の原爆体験記集 兵庫県原爆被害者の会(編)
62053301 第二十一回全国理事会決定集(1962年5月16日) 原水爆禁止日本協議会(編) 原水爆禁止日本協議会
62061501 人間の声1943-45-第2次世界大戦戦没者の手紙と手記 ハンス・W・ベーア 河出書房新社
62061502 原爆戦後史研究会・報告1 原爆戦後史研究会[東京]
62062001 詩集・空 堀場清子 冬至書房
62071001 詩集・苦悶の花 田中喜四郎 国文社
62071002 保健衛生のしおり 東友会(東京都原爆被害者団体協議会)編
62071003 戦争国家 Cook, Fred J.(クック,フレッド) みすず書房
62071501 わが小説 朝日新聞学芸部編 雪華社
62071601 完全軍縮と日本 横手真夫・堀一郎共編 原水爆禁止大阪府協議会
62072001 核戦争阻止・原水爆禁止第八回世界大会中国ブロック・県内平和行進参加の 原水爆禁止広島県協議会編
62072501 広島の遺産(上) E.テラー・A.ブラウン 時事通信社
62072502 広島の遺産(下) E.テラー・A.ブラウン 時事通信社
62072503 放射能・影響と対策 関野英夫 時事通信社
62072601 広島-アウシュヴィッツ平和行進 広島~アウシュヴィッツ平和行進団事務局編
62072701 「原子爆弾被爆者の病理学的調査」の協力実施に関する同意書,協議機関に 原爆傷害調査委員会(編)
62080102 原水爆秀歌 豊田清史 日本文芸社
62080501 ヒロシマわが罪と罰-原爆パイロットの苦悩の手紙 クロード・イーザリー、ギュンター・アンデルス 筑摩書房
62080601 原爆回顧録・一閃轟音・第1集 田辺至六(著)広島県庁職員原爆被爆者更生会(編) 広島県庁職員原爆被爆者更生会
62080602 広島市民の訴え 浜井信三 広島市
62080701 日本被団協総会議案・資料 日本原水爆被害者団体協議会編
62081001 歌集・流雲 鷹下さち子
62081301 平岡さんの談話と思い出 同刊行会
62082001 佐竹信朗詩集『蟹のうた』 佐竹信朗 広島詩歌研究会
62082401 第8回原水禁世界大会と日本共産党の態度 日本共産党中央委員会宣伝教育文化部編 日本共産党中央委員会出版部
62082501 世界の若者たち 大江健三郎 新潮社
62083301 第8回原水爆禁止世界大会議事要録=(1) 原水爆禁止日本協議会編
62083302 第8回原水爆禁止世界大会議事要録=(2) 原水爆禁止日本協議会編
62083303 第八回原水禁世界大会と日本共産党の態度 日本共産党中央委員会宣伝教育文化部編 日本共産党中央委員会出版部
62083304 歌集・白き光 竹内一作 新星書房
62090101 原子爆弾に依る障害研究文献目録〔2〕1945-1961 原爆傷害調査委員会(編)
62090102 第3回原子爆弾後障害研究会講演集 財団法人広島原爆障害対策協議会
62090103 戦争と平和に関する9章 岩波書店 岩波書店
62091501 日本原子力研究所の立地条件と放射線安全対策 日本原子力研究所
62101401 広島資材史 日本国有鉄道広島地方資材部(編)
62101601 昭和二十年八月六日原子爆弾投下倒壊校舎脱出手記(元広島一中生徒) 数田猛雄(編)
62102001 核時代の軍縮問題 軍縮問題研究会編 国民出版協会
62102701 日本放射線影響学会第4回研究発表会講演要旨集 広島大学原爆放射能医学研究所
62103301 戦災復興と全国戦災都市連盟の歩み 全国戦災都市連盟 全国戦災都市連盟
62110301 私の体験記・卒中物語 蜂谷道彦
62111701 静岡県原水爆被害者白書-地方に生きる被害者の実態 静岡県原水爆被害者の会(編)
62113001 耳鳴り-原爆歌人の手記 正田篠枝 平凡社
62113002 原子雲わく-ジュニア版太平洋戦争史4・平和編 秋永芳郎・棟田博(伊藤正徳・高木惣吉監修) 集英社
62120801 ニミッツの太平洋海戦史 Nimitz, Chester W.(ニミッツ・C.W.)(等) 恒文社
62121501 原爆医療必携 厚生省公衆衛生局企画課(編) 教文堂
62122501 長崎五郎を偲ぶ 長崎隆(編)
62123301 核停協定を締結させるために-原水爆問題の技術的背景と核停交渉の経緯 広島県原水協専門委員会編
62133301 県被団協の歩み 広島県原爆被害者団体協議会(編) 広島県原爆被害者団体協議会
62133302 原爆関係文献目録(中国新聞社調) 中国新聞社編
62133303 ABCCの医学的調査計画-国立予防衛生研究所とABCCとの関係 原爆傷害調査委員会-国立予防衛生研究所

 

ヒロシマわが罪と罰 クロード・イーザリー

『ヒロシマわが罪と罰-原爆パイロットの苦悩の手紙』
(クロード・イーザリー、ギュンター・アンデルス、篠原正瑛(訳)、筑摩書房、1962年8月5日)

内容

解説(ロベルト・ユンク)
1.未来図の象徴という断罪/
2.私は狂信的な人間ではない/
3.平和のために役立ちたい/
4.原子力時代の最初の犯罪/
5.ありがたくない宣伝材料/
6.幅の広い戦線をつくろう/
7.ボブ・ホープの映画化計画/
8.広島の少女たちの友情/
9.自伝映画に出演するな/
10.私を利用しようとする人びと/
11.二人で伝記を書こう/
12.ユダがもらった銀貨/
13.泳ぐためにはまず泳げ/
14.日本からの多くの手紙/
15.殉教者というものの運命/
16.原子兵器反対のリーダーに/
17.見せ物にならないように/
18.(省略)/
19.(省略)/
20.平和運動をさまたげる弟/
21.だれが君を病院に入れたのか/
22.闇ルートで返事を送る/
23.(省略)/
24.君の主治医に手紙を書いた/
25.ドイツのグラフ誌に君の記事が/
26.禁止措置はとれないか/
27.掲裁中止を申し入れよう/
28.みずから刑罰を求めた私/
29.プライバシーと報道の自由/
30.審問の結果が知りたい/
31.僕が求めている欲張った報酬/
32.君はノーマルだ/
33.クロードは責任回避を拒絶したのです/
34.もしも退院したら/
35.君はユーモアをとりもどした/
36.もっと 積極的なたたかいを/
37.ワナにかかったのかもしれない/
38.トランキライザーに参っている/
39.一五年目の広島記念日/
40.僕がまちがっていた/
41.日本からのアンケート/
42.広島上空で私がしたこと/
43.弟たちを説得してくれ/
44.ポーリング博士を救おう/
45.希望と現実のかけ橋/
46.人類はじまって以来の問題/
47.私信も検閲にかかっている/
48.選挙が僕の退院をさまたげる/
49.日本へ行きたい/
50.ノーマルな生活を立証せよ/
51.病院から脱走した/
52.秘密の家で守る九カ条/
53.(省略)/
54.アメリカは僕を歓迎しない/
55.メキシコヘ行ってみてはどうか/
56.再びとらわれの身となって/
57.二○世紀のドレフュス事件/
58.精神の健全さを証明しよう/
59.(省略)/
60.なぜ事件を忘れるのか/
61.疑わしいイーザリー裁判/
62.ラッセル卿のイーザリー観/
63.ドレフュス・コンプレックス/
65.君の良心は奪われない/
66.僕はけっして勇気を失わない/
67.イーザリーの抑留は正当である/
68.法律的にも疑問あり/
69.提訴は実を結びつつある /
70.君を忘れない、永遠に/
71.釈放の日は目前だ/

42.広島上空で私がしたこと[抄]
私は先導機、すなわち”ストレート・フラッシュ”号を指揮していました。私の任務は、原爆投下の目標地を選定したときに、第一候補としてあげられたこの広島に無事に到達し、天候の状態を確認するとともに、敵の空軍や高射砲部隊から何らかの抵抗が予想されるかどうかを判断することでした。
私は広島の上空に達してから約45分間、そのあたりを飛行しながら、広島の上空に立ちこめて一部視界をさえぎっていた雲の状態をしらべました。原爆投下の目標は、軍司令部と広島市との中間にある橋でした。約15機ほどの日本の飛行機が1万5000フィート(約5000メートル)の上空を飛んでいましたが、私のいる2万9000フィート(約1万メートル)の高度まで上昇しようとする気配はありませんでした。しかし、これら日本の飛行機は、まもなくどこかへ行ってしまいました。
この日、すなわち8月6日の天侯の状況はつぎのようでした。広島の上空には、1万2000フィートと1万5000フィートの間に積雲が散在し、毎時10ないし15マイルのスピードで広島の方向へ動いているようでした。私がこれらの事実を観測したのは、午前7時30分ごろだったと思います。目標の地点ははっきりと見えていました。それは、すでに申しあげましたとおり、一つの橋で、この橋を破壊することによって、日本軍の司令部に致命的な打撃をあたえずにはいないだろうと考えられたのです。
私には、天候の状況は理想的であると思われました。つまり、目標の橋だけが見えていて、広島市は視界からさえぎられているから、市それ自体は爆撃をまぬかれるだろう、そして、司令部に投下された原爆は、日本の軍部をして否応なしにそのおそるぺき破壊力を知らしめ、講和の条約に署名してこのおそろしい戦争を終わらせねばならねと悟らせるだろう、とこのように私には思われたのです。
私は、僚機に対して、”準備完了、投下〃を知らせる暗号の命令を送りました。すなわち私は、目標への原爆投下を指令したのです。

1987年7月28日、ちくま文庫に