被爆者援護法に関する報告書(日本弁護士連合会、19741215)
内容
頁 | |||
01 | 報告書作成の趣旨について | ||
05 | 第一、原爆摧害の特質 | ||
23 | 第二、被爆者援護の国家責任 | ||
37 | 第三、国家補償に関する諸法令 | ||
48 | 第四、諸外国の事例からみた国家補償法の流れ | ||
61 | 第五、被爆者援護のあり方と現行二法の問題点 | ||
72 | 第六、被爆者問題に関する裁判例 | ||
83 | 資料 | ||
止
被爆者援護法に関する報告書(日本弁護士連合会、19741215)
内容
頁 | |||
01 | 報告書作成の趣旨について | ||
05 | 第一、原爆摧害の特質 | ||
23 | 第二、被爆者援護の国家責任 | ||
37 | 第三、国家補償に関する諸法令 | ||
48 | 第四、諸外国の事例からみた国家補償法の流れ | ||
61 | 第五、被爆者援護のあり方と現行二法の問題点 | ||
72 | 第六、被爆者問題に関する裁判例 | ||
83 | 資料 | ||
止
『日本の戦後補償』(日本弁護士連合会編、明石書店、19940730)
内容
章 | |||
はじめに 7 | |||
1 | 被害の実態と課題 11 | ||
第1総論 13 | |||
第2 アジア・太平洋地域における被害と課題 19 1.住民虐殺・虐待 19 2.細菌戦・毒ガス戦・生体実験 37 3.性的虐待・性的奴隷 45 4.捕虜への虐待・虐殺 62 5.強制連行・強制労働 68 6.被支配地域の戦争従事者 80 7.経済的被害 83 8.文化の抹殺 88 9.日本国内の外国人被害 97 |
|||
第3 日本の被害と課題 105 1.総論 105 2.沖縄 108 3.原爆被害者 118 4.民間被害者 121 5.海外残留邦人 125 6.シベリアなど抑留における補償問題 130 7.政治的弾圧・犠牲者等 134 |
|||
2 | 日本の戦後処理の実態と問題点 139 | ||
第1総論日本の戦後補償の問題点 141 第2 日本の戦争被害補償制度とその問題点 153 第3 日本政府による賠償と被害者への補償 165 1.サンフランシスコ講和条約の締結 165 2.個別の賠償条約、経済協力協定の締結 170 3.問題点 201 第4 戦後処理の視点から見た日本の経済援助 204 第5 戦後処理の視点から見た日本の教科書問題と歴史教育 213 |
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3 | 外国の戦後処理 223 | ||
第1 ドイツ 225 第2 アメリカ 235 第3 カナダ 241 第4 自国の軍隊において負傷または戦死した外国人である元兵士、およぴ捕虜に対する欧米諸国の補償等 244 1.自国の軍隊において貴傷または戦死した外国人である元兵士に対する補償内容 244 2.捕虜に対する各国の戦後補償 248 第5 戦後補償と国際機関、国際的動向 253 |
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4 | 被害者の補償講求権の法的検討 259 | ||
第1 はじめに 261 | |||
第2 違法性の根拠 262 1.違法性の根拠とされる条約、国際慣習法 262 2.被害類型別の違法性の根拠 265 (1)住民被害 265 (2)細菌戦・毒ガス戦・生体実験 270 (3)性的虐待・性的奴隷 275 (4)捕虜 279 (5)強制連行・強制労働 287 (6)被支配地域の戦争従事者 290 (7)経済的被害 291 3.国際慣習法について 295 4.国際軍事裁判の検討 301 |
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第3 被害者への賠償、補償の法的根拠 314 1.国家間の賠償 314 2.被害者の賠償、補償請求権の法的根拠 315 3.被害者への賠償、補償についての国家責任の実施 325 |
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第4 日本国民の被害と国家補償請求権 332 1.総論 332 2.各論 340 |
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第5 その他の検討事項 354 1.賠償と補償との関係 354 2.条約の個人請求権放棄条項 359 3.時効(出訴期限法)366 4.企業の責任 371 5.平等原則 373 6.判例の批判的検討 380 |
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5 | 課題と提言 385 | ||
1.課題 387 2.実現へ向けて 391 3.戦争における人権侵害の回復を求める宣言 393 |
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6 | 資料 399 | ||
1.人権および基本的自由の重大な侵害の被害者の原状回復、補償、リハピリテーションの権利に関する研究 401 2.個人の請求権に関連した判例の紹介 463 3.現在係属中の裁判の紹介 489 4.日弁連の宣言・決議 494 5.関係条約・協定関係 510 文献目録 518 |
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止
『地下壕に埋もれた朝鮮強制労働』( 広島の強制連行を調査する会編、明石書店刊、19920731)
内容
はじめに 1 | ||
広島の強制連行を調査する会:1990年12月8日発足。会代表:深川宗俊。 | ||
第1部 調査・証言篇 7 | ||
1 「蜘蛛の巣」のような地下司令部を求めて-宇品陸軍地下施設 9 2 宮島-もう一つの顔 24 3 地御前物語-8876部隊とトンネル 41 4 怨念の島-似島 72 5 紙園町と地下工場-三菱重工業と油谷重工業 91 6 幻の第2総軍地下司令部-二棄山 106 7 日本まけた 朝鮮かった バンザイ-第11海軍航空廠海田地下工場 118 8 東洋工業(現マツダ)と地下工場 136 9 瀬戸内の幻想-倉橋島に眠る軍事施設 151 10 「海軍の島」-江田島を走れば 194 |
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第二部 資料篇 235 | ||
1 第2次世界大戦時軍用施設配置図(広鳥市)238 2 広島の旧軍用地 240 3 広島における軍および軍需工場と地下壕 245 4 旧海軍の地下施設について 252 5 旧海軍地下施設調(呉鎮管内)255 6 韓国・朝鮮人の証言より 262 7 市民団体による調査の報道記事 275 8 呉造船所新宮工場地区ごう内平面図 276 9 呉市光町若葉住宅地区ごう内平面図 278 10 船見町船見住宅地区特殊地下ごう対策工事地上平面図 280 11 昭和通り4丁目(城山運輸裏)地下平面図 282 12 呉市天応町地内天応中学校地下 284 13 強制連行関係資料 その一(1991年3月現在)286 14 強制連行関係資料 その二(1991年7月以降)292 15 強制連行関係書籍(1)308 16 広島県における強制連行企業一覧(未完成)312 |
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止
『アンニョンハシムニカ-お元気ですか-李さん』( 李実根編・刊、19900806)内容
頁 | |||
この本について私が考えたこと | 小田実 | ||
口絵写真 | |||
-子どもたちに 未来に- 過ちを繰り返させないために 3 |
李実根 | ||
出会い 25 | |||
加害者と被害者(写真) | |||
加害者と被害者 49 朝・日関係史年表 |
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慰霊碑 81 | |||
慰霊碑についての若干の質問にこたえて | |||
差別を越えて 99 修学旅行生を迎えての講演より |
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平和を求めて 155 私の西ドイツ反核運動への旅 |
李実根 | ||
連帯の心をこめて 195 | |||
そのいたみが私の心を突きさす故に | 深川宗俊 | ||
李実根さんと私の出会い | 原広司 | ||
愛すベき李さん | 吉川徹志 | ||
李さんへ | 殿平善彦 | ||
(謝辞) | 李実根 | ||
歩んできた道 | 李実根 | ||
資料 | |||
あとがき | |||
止
『私たちは敵だったのか 在米ヒバクシャの黙示録』(袖井林二郎、潮出版社、19781210)
内容
1 | 広島からヒロシマヘの道…7 | |
2 | 砂漠の中の生と死… 21 | |
3 | 母国の劫火が焼く…36 | |
4 | 原子野に向かう男たち…53 | |
5 | 来る二世、帰る二世…70 | |
6 | 祖国は異国だった…84 | |
7 | 絵のないジクソウパズル-1…106 | |
8 | 大統領の患者が死んだ…123 | |
9 | 「死に損い記念日」の呼びかけ…138 | |
10 | 発見されたHIBAKUSHA…152 | |
11 | お前たちは敵だったのだ…173 | |
12 | 被爆線量を求める旅…197 | |
13 | 絵のないジグソウパズル-2…213 | |
14 | アメリカ-1975・8・6…231 | |
15 | はげましと利用と支持と… …245 | |
16 | 医師団は来たけれど…254 | |
17 | ワシントンがやってきた…269 | |
18 | 「我ら皆ヒバクシャ」…286 | |
あとがき…301 | ||
主要参考文献・資料 | ||
備考 英訳:Were we the enemy? : American survivors of Hiroshima | ||
止
『かくされた空襲と原爆』(小林啓治・鈴木哲也著、高橋伸一監修、機関紙共同出版刊、19930815)
内容
部 | |||
はじめに-「かくされた空襲と原爆」とは何か・1 | |||
1 | かくされた空襲-鈴木哲也 | ||
一、「高揚」と「不安」の日々・12 | |||
「そら敵機だ、爆弾だ!」・12 「防空」は国民の義務-中国東北戦争(「満州事変」)から日中戦争・14 戦勝気分と不安と-アジア・太平洋戦争(「太平洋戦争」)の勃発・22 日本初空襲と京都市民・25 「逃げずに消せ」28 初めて見るB29・31 |
|||
二、血にまみれた京都・37 | |||
深夜、突然に・37 「京都も戦場なり」・46 原爆目標第一号・50 血にまみれた西陣・53 日本軍の京都空襲対策・57 |
|||
三、「軍都」舞鶴ヘの攻撃・59 | |||
相次ぐ空襲予告・59 軍港舞鶴・海軍工廠と学徒動員・62 皮膚のついた黒髪が…66 原爆投下の演習だった、七・二九空襲・72 艦載機二百四十機が襲った七月三十日の空襲-軍港とその周辺への空襲(一)・74 伊根空襲と潜水母艦長鯨の被爆-軍港とその周辺への空襲(二)・74 峰山・宮津・丹後沖・加悦谷への攻撃-軍港とその周辺への空襲(三)・85 |
|||
四、府南部の軍事・軍需地帯の空襲、その他・93 | |||
京都飛行場・日本国際航空工場と空襲・93 神足の工場群と空襲・97 鉄道関連施設を狙った空襲・99 そのほかの府下南部の空襲・101 |
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五、家と団らんを奪った「疎開」・105 | |||
建物強制疎開と市民の悲しみ・105 親元を離れ、おなかをすかした子どもたち。-学童疎開・111 人命保護ではなく、「資源」の確保として・11 |
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六、「無空襲伝説」の陰で・118 | |||
被害者たちの戦後・118 なぜ空襲は「かくされた」のか・121 悲しみを繰り返さないためにも、掘り起こしと語り継ぎを・123 |
|||
2 | 京都空襲と原爆、現代の空襲-小林啓治 | ||
一、つくられた伝説・126 | |||
空襲被害は軍事機密・127 京都は「文化都市」だから空襲をうけなかった?・130 「ウォーナー伝説」・132 伝説の真相・134 米軍によってつくりだされたうわさ・136 |
|||
二、日本空襲の中の京都空襲・139 | |||
「超・空の要塞」・139 B29の出現・141 第二十爆撃機集団-近づく日本本土空襲・144 成都からマリアナヘ・146 高高度精密爆撃―空襲第一期・148 無差別爆撃への転換-空襲第二期・150 中小都市への爆撃-第三期・153 京都空襲の特徴・154 |
|||
三、原爆投下目標-京都・157 | |||
アメリカの原爆開発・158 なぜ「無傷の都市が必要か」・161 第一目標としての京都・165 目標からはずされた京都・170 目標からはずされたのはいつか・173 「大空襲の前触れ」だったかもしれない西陣空襲・176 原爆投下目標にこだわったグローブズと京都・178 なぜ、スティムソンは京都案に反対したのか?・180 対日支配を有利に通ぼうとしたスティムソン・182 |
|||
四、戦略爆撃から核の時代へ―その結びめとしての京都空襲・186 | |||
新しい兵器、航空機の誕生・187 受け入れられなかった航空機万能論・189 日本、第一次大戦後初の都市爆撃を敢行・193 ゲルニカ、そしてまたも日本の中国爆撃・195 重慶爆撃・197 日本の侵略戦争と無差別爆撃・199 ヨーロッパでの戦略爆撃・201 ドレスデン・204 戦略爆撃の帰結と新たな起点…ヒロシマ・ナガサキ・206 |
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五、空襲は過去のことか・209 | |||
日本空襲の五倍の爆弾が使われた、朝鮮戦争での空襲・209 ベトナム戦争での大空襲・210 現代の空襲と核戦争の危機・212 |
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監修者あとがき-高橋伸一 | |||
資料1 京都府下空襲一覧・219 資料2 『戰災による銃後人口の減耗調査について』(一九四八年九月 抜粋)・221 |
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参考資料・文献・223 |
止
『京都に原爆を投下せよ ウォーナー伝説の真実』(吉田守男著、角川書店、19950730)
内容
章 | |||
はじめに 3 | |||
1 | ウォーナー博士は古都を救った恩人か? 11 | ||
1 志賀直哉のハガキ 11 2 《ウォーナー伝説》の定着 19 3 六つの記念碑 24 4 《伝説》の根拠 34 5 《伝説》の真相(1)-ロバーツ委員会の目的 39 6 《伝説》の真相(2)-<ウォーナー・リスト>の正体 52 7 石仏を盗んだ? 66 |
|||
2 | 京都に原爆を投下せよ! 75 | ||
1 第一目標は京都 75 2 投下目標の<予約> 90 3 空襲の実態 94 4 戦時下のうわさ 116 5 奈良・鎌倉・会津若松の場合 127 |
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3 | 京都の運命 143 | ||
1 京都案をめぐる確執 143 2 <スチムソン恩人説>批判 154 3 原爆投下のリハーサル 165 4 五〇発のパンプキン爆弾 171 5 <八月六日>以後のリハーサルの意味 181 6 原爆ラッシュの開幕 192 |
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終 | 《ウォーナー伝説》を創作したのはだれか? 201 | ||
1 占領軍からの呼び出し 201 2 民間情報教育局の使命 216 |
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参考文献 224 | |||
あとがき 229 | |||
止
『原爆はなぜ投下されたか 日本降伏をめぐる戦略と外交』(西島有厚著、青木書店、1968/07/20)
はしがき | |||
1部 | はたして原爆によって戦争は終わったか? | ||
I | 原爆神話と大量殺戮兵器としての原爆 10 | ||
1 原爆と戦争終結 10 2 大量殺戮兵器としての原爆 13 3 長崎の悲運 18 4 原爆による人命の被害 19 |
|||
II | 原爆役下を正当化する論理 22 | ||
1 トルーマンの声明と三つの論拠 22 2 早期終戦・人命救助のためという論理 30 |
|||
III | もし原爆が投下されなかったら40 | ||
1 米軍の対日最終戦略 40 2 本土上陸作戦による米軍の損害見積り 43 |
|||
IV | 原爆投下に批判的な諸見解 50 | ||
1 日本攻撃責任者の見解 50 2 その他の批判的な諸見解 57 3 ソ連における原爆投下についての諸見解 61 |
|||
V | はたして原爆が日本の降伏をもたらしたか? 68 | ||
1 戦争終結を実現する条件は何であったか? 68 2 原爆が和平派と主戦派に及ぼした影響 80 3 主戦派の本土決戦計画 98 |
|||
VI | 八月十五日の降伏をもたらしたものは何か? 107 | ||
1 降伏決定の直接的要因 107 2 ソ連参戦の和平派に及ぼした影響(その一)112 3 ソ連参戦の和平派に及ぼした影響(その二)128 4 ソ連参戦の主戦派に及ぼした影響(その一)138 5 ソ連参戦の主戦派に及ぼした影響(その二)152 |
|||
2部 | 原子爆弾は何のために投下されたか | ||
VII | 原爆役下以外の戦争終結の可能性 170 | ||
1 日本の抗戦能力 171 | |||
2 日本の和平工作 185 | |||
(i)繆斌工作 186 (ii)バッゲ工作 187 (iii)ダレス工作 189 (iv)ソ連工作 192 |
|||
VIII | 原爆役下命令とポツダム宣言 224 | ||
1 原爆投下命令をめぐる諸問題 224 | |||
2 ポツダム宣言をめぐる諸問越 245 | |||
IX | 原爆使用反対の声と原爆投下方針の採択 267 | ||
1 原爆使用反対の声(科学者と軍最高首脳部)267 | |||
2 原爆投下方針の採択(暫定委員会と諮問委員会)281 | |||
X | ソ連参戦と原爆投下 293 | ||
1 ソ連参戦前の原爆投下(=対日戦終了)293 | |||
2 原爆実験成功後のアメリカの態度の変化 305 | |||
3 原爆投下のもう一つの目的 317 (モートン博士のブラッケット批判にたいする反批判) |
|||
むすび 328 | |||
年表 337 | |||
文献目録 340 | |||
止
『被爆者はどこにいても被爆者 郭貴勲・回想録』( 郭貴勲著、井下春子訳、韓国人被爆者・郭貴勲手記出版委員会編・刊、 20160331)
内容
頁 | ||
日本語出版に当たり(郭貴勲) | ||
013 | 植民地下で生まれて | |
玄風・郭氏の村/火と因縁が深い私/山を越え簡易学校へ/秀才を集めて馬鹿を作った師範教育 | ||
023 | 日本軍生活 | |
問うなかれ、甲子生/貨物列車に乗せられて行った所/広島西部第二部隊/初年兵訓練/苦しい訓練の連続/わずかな期待/乙種幹部候補生/乗馬訓練/頻繁になった空襲警報/古参兵との摩擦/特別休暇/5日遅れの帰隊/転属/工兵隊の夜 | ||
059 | 被爆 | |
1945年8月6日午前8時15分/背中が焼けているのも知らず/戦友M君の遺体を前にして/被爆直後の惨状/水をちょっとください!/幸運の生存者/火の海になった広島/歩ける者は駅に行け/60余時間の昏睡状態/生死の分かれ道/変わっていく病室の様子 | ||
083 | 戦争は終わったけれども | |
敗戦の放送/落ち着かない雰囲気/原隊復帰/原子爆弾とは?/テニアン島/部隊解散 | ||
099 | 帰国 | |
広島よ、さようなら/船の墓場となった下関/仙崎港の帰国船/感激の釜山港/奇跡のような帰郷/私が失ったもの/私が得たもの | ||
118 | 教育者の道 | |
解放直後、教壇に立つ/登山も教育の課程/私の夢は地理教師/金山中・商校の時節/ソウル明星女子中学校へ/明星女子高のころ/東国大附属中のころ/学校も変わらねば/また明星女子中に/短い東国大附属高時代 | ||
145 | 山に登る | |
智異山、初登頂/登攀大会の開催/生徒と山へ行ったと、始末書を書くことも/山岳運動を興す/二つの山岳事故/洞窟探検 | ||
165 | 捨てられた韓国人原爆被爆者 | |
世界唯一の被爆国という嘘/原爆被害とは/被爆体験記投稿/韓国被爆者を無視した韓日協定/初めて韓国人原爆犠牲者慰霊祭に参列/孫振斗裁判とその成果/三菱重工業本社訪問/日本政府、我々の手帳申請を拒否する | ||
186 | 人道的支援の虚と実 | |
日本政府の狡狽なやり方/恩に着せられて終わった渡日治療/気の毒な韓国人被爆者たち/救援ではなく補償をしろ/人道的支援金40億円 | ||
198 | 被爆者はどこにいても被爆者 | |
切迫した韓国人被爆者問題/裁判闘争に突入/被爆者はどこにいても被爆者/日本人在外被爆者/ブラジルの原爆被爆者たち/アメリカの原爆被爆者たち/初勝訴/負けると信じていた2審で勝訴/痛快の至り/被爆者運動から反核平和運動へ | ||
222 | 韓国人被爆者とともに歩んだ日本人 | |
広島の良心、平岡敬/韓国人被爆者問題の伝導師、中島竜美さん/韓国人被爆者の同伴者、市場淳子さん/実践する「聖者」、本島等さん/情熱と執念の平和運動家、平野伸人さん | ||
239 | 韓国原爆被害者協会と私 | |
協会設立初期/私の原則/福祉平和会館建設の陶書画展/失敗した東京展示会/初回の任務は事務室移転/人事刷新/もしかしたら殺人容疑者になったかも/協会と保健福祉部/被爆者を本気でかばった金槿泰長官/国史編纂委員会に裁判記録寄贈 | ||
270 | 年表 | |
止
『朝鮮人被爆者実態調査報告書』(広島・長崎朝鮮人被爆者実態調査団、広島・長崎朝鮮人被爆者実態調査団刊、19791215)
内容
章 | |||
1 | 朝鮮人被爆者とは | ||
朝鮮人被爆者実態調査にあたって | |||
実態調査を終えて | 尾崎*(調査団長) | ||
広島からの報告 | 中塚明 | ||
長崎からの報告 | 藤島宇内 | ||
2 | 証言「歴史は生きている」 | ||
3 | 明日のために | ||
朝鮮人被爆者実態調査報告集会アピール | |||
日本政府に対する要請書 | |||
なぜ、実態調査か | 吉留路樹 | ||
付録・資料 | |||
止