「02月忌」カテゴリーアーカイブ

ヒロシマ巡礼 バーバラ・レイノルズの生涯

『ヒロシマ巡礼 バーバラ・レイノルズの生涯』(小谷瑞穂子著、筑摩書房、1995/06/25)

内容

プロローグ 5
第1章 ヒロシマへ 14
初めて会ったヒバクシャたち
レインボー・ブリッジは虹色の村?
そして第五福竜丸事件が起こった
第2章 平和を求めて 40
ゴールデン・ルール号、その運命的出会い
6年ぶりのヒロシマ、揺れる平和運動
フェニックス号、嵐のナホトカ行き
第3章 ヒロシマ・メッセージ 73
「原爆の子」像前でのクリスマス
宏昌と美代子と平和巡礼の旅
第4章 デモクラシー国家とは 116
ある女性ジャーナリストからの手紙
再び世界へ―世界平和研究使節団の出発―
死の灰の危険性
トルーマンとの会見
ベルリンの壁を越えて
第5章 クオ・ヴァディス(神よ いずこ) 151
切れた絆
世界友情の家(ワールド・フレンドシップ・センター=WFE)
風に吹かれて
第6章 ホーム・カミング(帰郷) 194
さらば、ヒロシマ
ペンドルヒルの鐘
ウィルミントン大学ヒロシマ・ナガサキ・コレクションの設立へ
ヒロシマ会議
アメリカにいた被爆者たち
国際平和セミナー開催
広島名誉市民章
第7章 「原爆の絵」キャラバン 231
ヒロシマからの誘い
アメリカ女性たちの反核運動
友情よ永遠に
第8章 神の計画 258
軌跡を信じて
ワンダーウーマン賞
未来の子供たちのために
チェルノブイリ原発事故
燃えたアパート
神からの招待
あとがき
主要参考文献・資料

村上忠敬

村上忠敬

むらかみ・ただよし 1907***生19850211没 村上忠敬  むらかみ・ただよし 享年 77  広島大学高師教授。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。広島大学名誉教授。1970年4月~74年3月、広島女学院大学長。1968年~83年、核禁広島県民会議議長。在韓被爆者のための医師団派遣などに尽力。[70ヒロシマ会議]

関連資料

『放送RCC』第70号Vol. 7 No.8 1967.08.01
討論会■平和三団体は何をしてきたか 10
浜井信三・原田東岷・永松初馬・松浦亮・田辺勝・板倉静夫・村上忠敬・今堀誠二
『放送RCC』第90号Vol. 9 No.7 1969.07.01
放送とわたし■宇宙のはなし 村上忠敬 2
『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会、1969/08/06)
YMCAに尽力 村上忠敬 330
『生死の火 広島大学原爆被災誌』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会、1975/08/06)
原爆のあとさき 村上忠敬 247
『在韓被爆者』(核兵器禁止平和建設国民会議編・刊、1978/04/01)
おわりに  核禁広島県民会議議長 村上忠敬 51
『広島通信』No.57 1978.04.01
韓国人被爆者とともに 村上忠敬
『追懐 広島高等師範学校創立八十周年記念』(広島高等師範学校創立八十周年記念事業会、1982/10/17)
五 理科第二部関係 303 (一) 小史 303(二) 思い出  ・村上忠敬 306
『創立百周年記念誌』(日本基督教団広島教会、1983/11/27)
回顧と展望 村上忠敬 46
『昭和13年早生まれ』(佐藤健、2007/04/15)
(10)村上忠敬先生と私…96

 

原爆の絵アメリカを行く

『原爆の絵アメリカを行く』(松原美代子著 、ヒロシマを知らせる委員会編、日本放送出版協会、1983/08/20)

内容

bk19830820-000s
18年待った旅が始まる 7
ロサンゼルス/サンタモニカ
「これは本当に起こったことなのか?」 9
サンフランシスコ/バークレー
“グラウンド・ゼロ”運動は迫る姿勢に欠けている! 26
ユージン/ブレマートン
「ニュークリア イエス(核賛成)!」 43
モンタナからアイオワへ 55
 ミズラ/ヘレナ
「私も体がふるえて止まりませんでした」 57
ボーズマン/ラピッドシティ
「人間がいちばん愚かな動物だ」 74
オマハ/バーリントン
町の人達の反応は冷たい 85
いま、なぜアメリカへ来たのか 93
 シカゴ/バトルクリーク
「どうして悪いと感じなければいけないの」 95
アンアーバー/トロント
さわやかな夜、優雅なひととき 110
ユチカ/ベニントン
石つぶてのようなトーク・ショウ3時間 120
私の旅はまだまだ終わらない 135
 「この痛みは永久に消えないだろう」 137
ニューヨーク/ワシントン
“To be, or not to be!” 147
フィラデルフィア/ロサンゼルス
いちばん大切で必要なのは“愛” 155
私は歌い続け、語り続けてゆく 171
著者略歴<抄>
1962年 第1回世界平和巡礼に出発、14カ国歴訪
1964年 「広島・ナガサキ世界平和使節団」の一員として、7カ国歴訪。
現在、広島平和文化センター主事、ヒロシマを知らせる委員会職員。

松原美代子

松原美代子

まつばら・みよこ 1932****生20180210没 享年85歳 広島女子商業1年、12歳の時、建物疎開の作業中に爆心地から約1.5キロで被爆。<資料年表:松原美代子>

資料年表:松原美代子

 年月日
1956/1/1 われらのうた 1956.1.1 第15号 われらのうたの会
望み 松原美代子   28
1956/3/8 われらのうた 1956.3.8 第17号 われらのうたの会
思いやり 松原美代子   29
1957/2/1 われらのうた 1957.2.1 第27号 われらのうたの会
思いやり  松原美代子   40
1982/6/15 原爆の絵アメリカ反核の旅 松原美代子さん NHK NHK広島放送局
1982.7.1 『平和文化』第36号(広島平和文化センター)
米国でのヒロシマの証言を終えて(広島平和文化センター主事 松原美代子)
1982/8/20 ヒロシマ・ナガサキの証言’82夏 石田明、浜崎均編 広島・長崎の証言の会
1983/2/4 ヒロシマナガサキ 核戦争のもたらすもの 上映の記録 1982.4~12 岩波映画、岩波映像販売編 岩波映画、岩波映像販売
1983/8/20 原爆の絵アメリカを行く 松原美代子著 、ヒロシマを知らせる委員会編 日本放送出版協会
1983/8/20 ヒロシマ・ナガサキの証言’83夏 秋月辰一郎、庄野直美編 広島・長崎の証言の会
1983/9/22 ヒロシマ・ナガサキ平和学習の旅 昭和58年度 上智大学学内共同研究平和研究(庭野平和財団助成)
1984/2/21 核・貧困・抑圧 ’83アジア文学者ヒロシマ会議報告 アジア文学者ヒロシマ会議実行委員会編 ほるぷ出版
1984/11/11 HIROSHIMA&WAR 栃木県立那須農業高等学校2年4組・社会部編 栃木県立那須農業高等学校
1985/8/1 ぼくたちはヒロシマを見た ヒロシマと戦争の実態に迫るために 栃木県立那須農業高等学校社会部 栃木県立那須農業高等学校
1985/8/6 原爆の絵は訴える NHK NHK
1986/4/21 松原美代子さんの被爆体験を聞いて 池田市立細河小学校6年生 池田市立細河小学校
1986/5/1 平和文化 1986.5 第59号 広島平和文化センター
原爆乙女の暗い青春 原爆被爆体験語り部 松原美代子
1987/1/20 ヒロシマの女たち 広島女性史研究会著編 ドメス出版
1988/3/31 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 平和冊子 No.6 広島平和文化センター編 広島平和文化センター
1989/4/1 かけはし 1989.04.01 第20号 YMCA国際平和研究所
限りない平和の巡礼者として 松原美代子
1994/3/10 千羽鶴 12人の語り部証言集 堺市立五箇荘中学校16期生編 堺市立五箇荘中学校16期生
1995/1/1 1995年度 ひろしまを考える旅 記録集 ひろしまから明日へ 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会
1996/1/1 1996年度 ひろしまを考える旅 記録集 ヒロシマの声は、世界に届かないの? 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会
1996/9/10 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1996 長崎の証言の会編 長崎の証言の会
1997/3/31 創大平和研究 1997.03.31 第18号 1996 創価大学平和問題研究所
ヒロシマの心:核兵器のない世界への祈りと行動 松原美代子
1998/1/1 千代田区平和使節団の報告 (平成9年度) 千代田区 千代田区
1998/10/31 親子広島バスツアー感想文集-平和・非核学習の旅 平成10年度 原水爆禁止西宮市協議会、西宮市編 原水爆禁止西宮市協議会、西宮市
1999/3/31 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 第2版 平和図書 No.6 広島平和文化センター編 広島平和文化センター
2000/8/15 広島市医師会だより 2000.8.15 No.412 広島市医師会
特集 対談 「ヒロシマ」を語り継ぐ-語り部 松原美代子さんに聞く- 20 松原美代子VS碓井静照
2001/12/20 2001年度 ひろしまを考える旅 記録集 日本YWCA「ひろしまを考える旅」準備委員会 日本YWCA「ひろしまを考える旅」準備委員会
2004/1/1 広島市平和祈念式に参加して 平成16年度派遣団記念文集 甲府市 甲府市
2004/5/22 証言集 大和中学校 大和市立大和中学校
2005/6/10 原子野からの旅立ち 女子パウロ会 女子パウロ会
2008/7/28 原爆の絵 2007 広島市立基町高等学校 創造表現コース 広島市立基町高等学校
2010/3/19 修学旅行「旅と証言の記録」 2009年 第2学年 埼玉県立松山女子高等学校 埼玉県立松山女子高等学校
2010/7/5 次世代と描く原爆の絵 2007・2008・2009 広島市立基町高等学校 創造表現コース 広島市立基町高等学校
2011/7/31 上空より = From above ポーレ・サヴィアーノ著 コンテンツ・ファクトリー
2012/3/30 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 第3版 平和図書 No.6 広島平和文化センター編 広島平和文化センター
2012/8/1 次世代と描く原爆の絵 広島市立基町高等学校 創造表現コース 広島市立基町高等学校
2016/11/18 女性たちのヒロシマ 笑顔かがやく未来へ 創価学会広島女性平和委員会編 第三文明社
2017/8/12 原爆の絵 平成19~28年度 広島平和記念資料館、広島市立基町高等学校
2018/8/6 次世代と描く原爆の絵 平成19年度~29年度 広島市立基町高等学校
2001/8/1 月刊クーヨン 2001.08 6巻通巻65号8月号 クレヨンハウス
[落合恵子責任編集]戦争を知らない大人たちへ 91
パピアン・美智子/村井志摩子/栗原貞子/松原美代子/酒井キヨ子/西岡由香/植木智子/石司真由美/上原当美子/高里鈴代
2022/6/20 次世代と描く原爆の絵 平成一九年度~令和二年度 広島市立基町高等学校美術科編 広島市立基町高等学校

宇根利枝

宇根利枝 うね・としえ 191809**生20120210没 享年93歳

関連資料

「保育と献水にかけた戦後 宇根利枝」
 unerie19870720-16a
unerie19870720-17a
出典『ヒロシマ・ナガサキの群像 ヒロシマ・ナガサキの証言’87 第21号/終刊号』
(教育・文化・スポーツ振興功労) (15 名・4 団体)
宇 根 利 枝 :被爆体験を継承するための証言活動を通じて、本市教 育の推進に寄与した。
  『ヒロシマのいのちの水』(作者:指田和、画家:野村たかあき、発行所:文研出版、20090530)

 

資料年表:森一久

資料年表:森一久

出版年 書名 著者 出版者
1954/11/10 原子力発電の経済的影響 Sam H. Scharr,Jacob Marschak監修 森一久訳 東洋経済新報社
957/04/17 原子力発電所 コールダーホール物語 ケネス E. B・ジェイ著 伏見康治、森一久、末田守訳 岩波書店
1976/04/05 平和研究 第1号 平和研究の方法 日本平和学会 日本平和学会、日本経営出版会(発売)
1981/04/16 嵯峨根遼吉記念文集 嵯峨根遼吉著 嵯峨根遼吉記念文集出版会
1986/09/15 21世紀の原子力を考える 通商産業省編 通商産業調査会
1986/11/18 原子力年表(1934-1985) 森一久編 日本原子力産業会議
1986/11/18 原子力は、いま 日本の平和利用30年 上 森一久編 日本原子力産業会議
1986/11/18 原子力は、いま 日本の平和利用30年 下 森一久編 日本原子力産業会議
1990/04/20 誰も知らなかったソ連の原子力 中村政雄 V.グーバレフ 他 電力新報社
19940413~15日、第27回原産年次大会、広島国際会議場。
1995/07/20 廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想 廣島高等学校同窓有志の会編 廣島高等学校同窓有志の会
森一久(昭和19理甲)「ヒロシマと阪神大震災―50年後のわたし」
1999/12/20 ドキュメント・東海村 火災爆発と臨界事故に遭遇した原子力村の試練 ソシオエナージー・プロジェクト21 國分郁男, 吉川秀夫編著 ミオシン出版
2006/06/10 都立第五福竜丸展示館30年のあゆみ 1976.6-2006.6 開館30周年記念誌 第五福竜丸平和協会編 第五福竜丸平和協会
2015/07/30 湯川博士、原爆投下を知っていたのですか ”最後の弟子”森一久の被爆と原子力人生 藤原章生著 新潮社

森一久

森一久

もり・かずひさ 1926生20100210没 享年84歳 元日本原子力産業会議副会長、肺炎で3日死去、1926年広島生まれ。京都大学在学中に広島で家族とともに被爆。「第27回原産年次大会」で面識。<資料年表:森一久

真下信一

真下信一

ました・しんいち 19061024生19850209没 享年78歳 哲学者[1982推進連絡会議呼びかけ人]

関係資料<作業中

1957/11/12 岩波講座現代思想第11巻 現代日本の思想 岩波雄二郎編、 岩波書店
1958/04/20 講座現代倫理 第4巻 対等の倫理 筑摩書房
  1969/12/20 原点 「戦後」とその問題 吉野源三郎編、 評論社
1975/08/15 八・一五敗戦前後 汐文社
1995/08/15 京都・左京の十五年戦争 戦時下を生きた人々 平和と民主主義をすすめる左京懇談会編 かもがわ出版

 

一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~

「一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~」(川井 龍介)『ディスカバーニッケイ』28回連載

このシリーズについて

1960年前後全米を自動車で駆けめぐり、日本人移民一世の足跡を訪ね「米國日系人百年史~発展人士録」にまとめた加藤新一。広島出身でカリフォルニアへ渡り、太平洋戦争前後は日米で記者となった。自身は原爆の難を逃れながらも弟と妹を失い、晩年は平和運動に邁進。日米をまたにかけたその精力的な人生行路を追ってみる。

第1回 人の一生を追うということ – ディスカバー・ニッケイ (discovernikkei.org)

年月日 見出し 備考
2020年
1 11月13日 人の人生を追うということ
2 11月27日 「百年史」はだれが書いたか
3 12月11日 全米を走破し1世を訪ねる
4 12月25日 一世への敬意と日本人としての誇り
2021年
5 1月8日 日米を股にかけて活動
6 1月22日 原爆投下時に記者として
7 2月12日 81歳で故郷広島に永眠
8 2月26日 広島の親族は?
9 3月12日 確かに全米を回っていた
10 3月26日 加藤家の墓
11 4月9日 アメリカ移民と父・松次郎の渡米
12 5月14日 土台は宗教的エートスか
13 5月28日 父に呼ばれてカリフォルニアへ
14 6月11日 日系新聞の記者となる
15 6月25日 米國産業日報の編集長となるが……
16 7月9日 抑留され、交換船で帰国
17 7月23日 広島はアメリカ2世の郷里だから?
18 8月13日 原爆の日を駆け回る
19 8月27日 被爆直後の中国新聞と加藤
20 9月10日 アメリカ撮影の映像の中に
21 9月24日 力量を発揮するも退社へ
22 10月8日 広島で平和運動に取り組むが…
23 10月22日 再びアメリカへ
24 11月12日 「広島北米クラブ」に尽力
25 11月26日 世界連邦建設への訴え
26 12月10日 地球市民となる
27 12月24日 日本から世界へ
2022年
28 1月14日 終わりなき世界平和の旅