「03月忌」カテゴリーアーカイブ

内田恵美子(追悼文)

内田恵美子

うちだえみこ 1942年 19910305没 広島大学原医研事務官。

 

 亡き内田恵美子さんへ-宇吹暁追悼文

あなたが亡くなって、最初にやったことは、私が資料センターへ来てからの15年間を振り返ることでした。手帳や作業日誌をめくると、復元調査のまとめ作業、手帳・レセプトの整理、故湯崎先生が関与された広島市と広島大学の原爆白書作成やNGOシンポのための資料づくり、文献収集と新聞切抜きをすすめるための市内公共機関の調査、AFIP資料の整理、蔵書目録の出版、医学文献の整理・・・忙しかったけれども、私には30代の楽しい思い出です。センターの仕事以外に、「ひろしま」をよむ会・原爆体験記読書会・「藤居平一氏を囲む会」などでも一緒でした。

その次にやったことは、あなたが抱え込んでいた資料を整理することでした。何一つ捨てていませんでしたね。未整理の資料が随分ありました。次から次に仕事に追われている様子が思い出され、目頭が熱くなることがしばしばでした。3月末締切の年報の原稿のデータを整理し終るのは6月に入ってから。8・6に向けて来客の急増、応対に追われる毎日。7・8月を中心に出版された本の整理が、秋から冬にかけての仕事。毎年、この繰り返しでした。本の山の中で鼻の頭に汗を浮かべていたあなたを思い出します。

あなたの資料の整理に2か月かかりました。あなたの原医研での足跡をまとめて置きたいという気持ちもありましたが、他に仕事をする気が起こらなかったというのが本当のところです。

被爆50周年まで原爆手記を集め続けること、原爆文献のデ-タベースを作成すること、それをもとに原爆被害の実態を集大成することなど、一緒に多くの夢を語りましたね。6月2日の原爆後障害研究会で、あなたとの約束を一つ果たしました。まもなく8月、しばらくあなたのことは忘れます。

追伸:つい先日、ある会合で演劇家故T氏の奥さんと会いました。T氏の追悼公演に際しカンパをしていたそうですね。蔭でいろいろ気を配っていたあなたの話は、これから、まだまだ聞かされそうです。  1991.6.19

 

内田さんと古本-石踊一則追悼文
内田さんが一番嬉しそうな顔をするときは探し求めている本との”めぐり合わせ”のときでした。本も、本当に求めつづけていれば、いつかは必ず本の方から、近づいて来てくれます。

原爆被災学術資料センタ-には、約6500冊余りの原爆関係の蔵書があるといわれています。特に、原爆被災学術資料センタ-が力を入れて集めようとされていた本は、原爆の体験記でした。私家版などは新聞をみては著者と連絡を取り一冊一冊を、こまめに集められていました。体験記で、現在入手できないものもかなりあります。それを宇吹先生や内田さんは”古本”で集めてみようと考えられて、私に収書の依頼をされたのです。

私も最初は、原爆の体験記がどの位あるのか見当もつきませんでした。本のタイトルでも原爆という題がついていましたら、探しやすいのでしょうが、体験記が本の中の一ページしかないものも数多くあります。私は一冊一冊の本を手に取り、目次や索引で内容を調べてみまして、体験記の話が記載していますと、片っ端から入手して歩きました。

調べて気がつきましたのは、広島市内の戦前からある”学校誌”の中には「座談会」「思い出」のページがあり、その中にはかならず悲惨な思い出が数多く記載されていることです。

内田さんは、原爆被災学術資料センタ-を日本で一番の原爆体験記のセンタ-にしようと思われていました。”原水爆関係資料目録第三号”発行前には、一冊でも多くの体験記を発掘してくるようにといわれ、私も東京・四国・九州の古本屋さんをまわってみました。

行きますと、かならず一冊二冊の古い体験記を入手して、内田さんに大変喜ばれました。私は古本を集める事が仕事ですが、良い勉強をさせてもらいました。内田さん有難う!御冥福を心よりお祈りします。
あき書房代表 石踊一則

 

後藤陽一

後藤陽一

ごとう・よういち 20020317没 享年88 広大名誉教授 88

資料

 道重哲男「追悼「後藤陽一先生を悼む」 」 『芸備地方史研究』237号(2003.6)
「おのが自し郷土に生活の運命を託した幾世代もの人たちの人間的営み、喜びも悲しみも、悲願も嘆息も、あらゆる人間的な感慨をこめて生き抜こうとした人たちの現実の行為は今は確かにない。しかし一切のものは、その土壌に深く浸み透って清冽な地下水となり、不断の流れをたたえて今日を養ってくれる。郷土の歴史とはそのようなものではあるまいか」  (追悼文に紹介された後藤の言葉)

天野卓郎

天野卓郎

あまの・たくろう 19270128生19940318没 享年 67
広島県史編さん室。職場の上司

資料

『大正デモクラシーと民衆運動』(天野卓郎、雄山閣出版、19840220)
 『近代日本の教育と部落問題』(天野卓郎、部落問題研究所出版部、19860620)
  『戦後地域民主主義の歩み』(天野卓郎、溪水社、19900320)
 『記念録』(天野教授退官記念録編集委員会、1990年3月)
 『地域民主主義を問いつづけて―水平社70年と広島のたたかい』(社団法人ふくしま文庫編、部落問題研究所、19920516)

https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/monjokan/sub6-01.html

古文書 広島市 – 広島県立文書館 | 広島県

199505(寄贈)/天野卓郎文書(広島市)

  • 性格・内容・・・広島県史・近現代史部会委員,刊行物・資料など
  • 整理状況・・・終了
  • 検索手段・・・閲覧室仮目録(戦前社会運動史料のみ)(要相談・要審査)
  • 数量・・・1,485点

 

栗原貞子記念平和文庫

広島女学院大学図書館コレクション http://library.hju.ac.jp/com/collection.html

 

栗原貞子氏の長女、真理子氏により、貞子氏の著書、収蔵書籍、雑誌、肉筆原稿等、自宅に残された全資料の寄贈を受け、2008年10月7日広島女学院大学図書館2階に文庫が開設されました。書籍2,020冊、雑誌類2,304冊、新聞類308部、肉筆原稿206点、肉筆メモ・ノート136点、寄稿者の肉筆原稿26点、書簡などを収録しています。

「生ましめんかな」「ヒロシマというとき」等の詩で広島を代表する詩人栗原貞子氏の反核、平和等に関する貴重な資料を収録しています。2008年に「栗原貞子記念平和文庫」が開設された当初は、貴重な資料が多いため施錠し、希望者のみの閲覧としていましたが、真理子氏の跡を引き継がれた内藤みどり氏(貞子氏の孫)のご提案により、出来るだけ多くの資料を閲覧できるように、2013年6月より施錠をやめ開架しました。

●栗原貞子記念平和文庫 1980点の目録http://library.hju.ac.jp/com/kurihara_mokuroku.pdf

峠三吉

 峠三吉
とうげ・さんきち 19170219生19530310没 享年36

資料

追悼集
19540215 『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会・われらの詩の会(編・刊)
出版委員会:平和問題連絡協議会、平和問題懇談会、原爆の子友の会、原爆被害者の会、ムシカ、新日本文学会、人民文学広島友の会、広島葦会、われらの詩の会。
論文・記事
19560701 今堀誠二「峠三吉 原爆戦争に抗して」(『芸備地方史研究』17・18号、1956.7.1)
19821025 大原三八雄「峠三吉」(中国新聞社『広島県大百科事典』1982.10.25)
20021222  「原爆詩人・峠三吉の遺品80点 日本共産党に寄贈」(『しんぶん赤旗』2002.12.22)
 20030112  増岡敏和「峠三吉資料のこと 劇的に発展させた詩人の人生を反映」(『しんぶん赤旗』)
 20030304  御庄博実「文化・学問 発禁覚悟で『原爆詩集』 戦争の足音響く今 峠三吉文学の新しさ ~没後50周年に寄せて~」(『しんぶん赤旗』)
 20030306  「つなぐ詩魂 峠三吉没後50年(上) 読み解く 平和の訴え色褪せず 批評・研究の機運高まる」(『中国新聞』岡部哲博・記)
 20030306  「つなぐ詩魂 峠三吉没後50年(下) 引き継ぐ ゆかりの資料未来へ 保存・公開に文学館を熱望」(『中国新聞』)
 20030323  増岡敏和「原爆詩人・峠三吉没後50年に いまに生きる絶唱「にんげんをかえせ」」(『しんぶん赤旗』日曜版)
20030417 「峠三吉戦禍の今こそ 広島で没後50年文学資料展 自筆原稿など初公開 朝鮮戦争での原爆資料懸念」(『中国新聞』岡部哲博・記)
 20030710  「終えんの地峠三吉展 東広島の画廊来月3日から 没後50年自筆原稿や詩誌」(『中国新聞』)
20130730 「記憶伝えた『原爆作品』④ 逮捕覚悟の自費出版 峠三吉「原爆詩集」」(『毎日新聞』)
 20140109  「執筆は峠三吉だった 広島の復興案1等入選論文 1946年に公募」
20161122 秋村宏「文化・学問 峠三吉と『原爆詩集』 人間の生き方現代に問う」(『しんぶん赤旗』)

関連本

書名 著者 発行所 発行年月日
原子雲の下より 峠三吉、山代巴編 青木書店
原爆詩集 峠三吉 青木書店
人間のよのあるかぎり くずれぬ平和を 平和のための広島県文化会議峠三吉詩碑建設委員会 広島県文化会議峠三吉詩碑建設委員会 1963/10/20
八月の詩人 原爆詩人・峠三吉の詩と生涯 増岡敏和 東邦出版社 1970/08/31
現代に反核を問う―峠三吉の生涯とその文学 峠集会実行委員会(ヒロシマ反核テーブル) 1982/7/25
原爆詩集 : われらの詩8号・反戦詩歌集2集 (復刻版 峠三吉没後30年記念事業委員会 峠三吉没後30年記念事業委員会 1983/01/31
峠三吉文学資料目録 広島市企画調整局文化課編 広島都市生活研究会 1988/08/01
風のように炎のように-峠三吉没後40年企画 岩崎健二(作画) 三吉記念事業委員会 1993/06/20
ヒロシマの青春 私の中の峠三吉 ひろしまミニコミセンター編 峠三吉記念事業委員会 1994/07/10
峠三吉の生き方からひきつぐもの 村中好穂 ひろしま青年連絡会(広島県労働者学習協議会内) 1994/6/1

 

 

献花(3月)

献花(2019年3月)

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サクラソウ 撮影日時:2019年3月1日 撮影場所:自宅
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サンシュユ(山茱萸) 撮影日時 2019.3.1 撮影場所:実家
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? 撮影日時 2019.3.1 撮影場所:実家
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菜の花 撮影日時 2019.3.1 撮影場所:倉庫
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? 撮影場所:実家 撮影日時:2019.3.9
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? 撮影場所:自宅から実家へ向かう路傍 撮影日時:2019.3.11
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? 自宅から実家へ向かう路傍 撮影日時:2019.3.11
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? 自宅から実家へ向かう路傍 撮影日時:2019.3.11
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スノードロップ 場所:実家 撮影日時:2019.3.16
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クリスマスローズ  場所:実家 撮影日時:2019.3.16
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ハナニラ  場所:実家 撮影日時:2019.3.16
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?  場所:実家 撮影日時:2019.3.16
撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

 

献花(2018年3月)

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うめ(梅) 撮影日時 2018.3.1 撮影場所:自宅
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クリスマスローズ 撮影日時 2018.3.24 撮影場所:実家
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しだれざくら(枝垂れ桜) 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:実家
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タラの芽 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:実家
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ハクモクレン(白木蓮) 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:実家
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サンシュユ(山茱萸) 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:実家
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スミレ(菫) 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:自宅
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シンビジウム 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:自宅
撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

3月忌(一覧)

3月忌(一覧)

没年 氏名 読み 享年 備考
01 19610301 手塚良道 てづか・よしみち 72 広島文理科大学教授(漢文学)の時被爆。「奇怪な火焔」<被爆場所:爆心より2000米、当時の住所:白島中町72-1、広島文理科大学教授、55歳>(『原爆体験記』広島市民局社会教育課編、広島平和協会刊、19500806)pp.81-85。
01 20030301 藤田進 ふじた・すすむ 参議院議員5期、第2代総評議長、大阪工大摂南大学総長・理事長。
01 20040301 飯島宗一 いいじま・そういち 81 広島大学学長(1969~1977年)。追悼記=庄野直美(『中国新聞』20040305)、来栖武士郎(『中国新聞』20040327)、高木新(『朝日新聞』20040330)。
01 20110301 クラウス・ルーメル 94 1937年に来日。イエズス会の長束修練院<広島市安佐南区>で被爆。
01 20140301 アラン・レネ 91 フランス・ヌーベルバーグとなった映画監督。「24時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」(1959年)
01 20180301 佐藤行通 さとう・ぎょうつう 99 日本山妙法寺僧侶、社会運動家。『日本中が私の戦場  平和を求める宗教者の手記』 (東邦出版社、1970730)
01 20190301 大井健二 おおい・けんじ 72 [退任教員の履歴と業績]大井健二(『広島国際研究 2012』第18巻、広島市立大学国際学部、2012/11/30)
02 19800302 安井郁 やすいかおる 72 [原水爆禁止世界大会日本準備会事務総長]。日本原水協顧問。『道-安井郁 生の軌跡』(「道」刊行委員会編、法政大学出版局、1983/08/06)
03 19890303 岸本吉太 きしもと 広島市で写真店経営(被爆者)。被爆直後から被爆の惨状を撮影し続け、1981年に原爆資料館に写真を寄贈。広島原爆被災撮影者の会のメンバー。
03 20000303 伊東壮 いとう・たけし 70 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員、元山梨大学学長。広島市生まれ。広島一中3年の時、動員先の兵器工場で被爆。東京・国立被爆者の会の結成に参画、東京都原爆被害者団体協議会事務局長、日本被団協事務局長などを歴任。江種則貴「評伝」(『中国新聞』2000.3.6)、本田雅和「惜別」(『朝日新聞』2000.4.12)
03 20090303 伊藤明彦 いとう・あきひこ 72 長崎の入市被爆者。長崎放送記者だった1968年、担当したラジオ番組をきっかけに被爆者の声の証言の収録を始める(高見浩太郎=共同「この人」『中国新聞』20080621)。石井みちこ「伊藤元記者をしのぶ」(『中国新聞』20090308投書欄)<参照:原爆ジャーナリスト
04 19870304 北村西望 きたむら・せいぼう 102 彫刻家。長崎市の「平和祈念像」の制作者。
04 20170304 長友啓典 ながとも・けいすけ 77 グラフィックデザイナー。2010年に「ヒロシマ・アピールズ」を制作。参照:HIROSHIMA APPEALS ARCHIVES http://hiroshima.jagda.or.jp/appeals.html
05 19710305 山本正房 やまもと・まさふさ 72 中国新聞社長(1958年9月~)、同会長(1969年11月~)。『山本正房追悼録』(1971.8.15)
05 19720305 神田周三 かんだ・しゅうぞう 78 洋画家。広島で被爆。広島平和美術展設立に参加。(『広島県大百科事典』岡本隆寛・記)
05 19780305 島本正次郎 しまもとしょうじろう 92 広島県被団協理事。『理容生活六十五年』(島本正次郎、1966/08/06)
05 19910305 内田恵美子 うちだ・えみこ 広島大学原医研事務官。職場の同僚投稿
06 19730306 バック、パール・ ばっく、ぱーる 80 アメリカの小説家。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。<投稿
06 20050306 栗原貞子 くりはら・さだこ 92 詩人・歌人・評論家。『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)。広島原水禁常任理事 http://www.gensuikin.org/gnskn_nws/0505_1.htm<投稿
06 20240306 児玉正昭 こだま・まさあき 広島県史編さん室勤務時期の宇吹の上司。
06 20240306 五百籏頭眞 いおきべ・ まこと 政治学者 、 歴史学者 (日本政治外交史)。広島大学勤務期に面識あり。
07 19840307 浅田常三郎 あさだ・つねさぶろう 85 物理学者。『町人学者 産学連携の祖 浅田常三郎評伝』(増田美香子編、毎日新聞社、20080419)
08 19960308 下江武介 しもえ・ 92 広島県被団協理事。<投稿予定>
08 20010308 田畑茂二郎 たばた・しげじろう 89 京大名誉教授。原爆投下は国際法違反と鑑定。
08 20180308 大田萩枝 おおた・はぎえ 96 1942年、広島県立病院勤務。核戦争防止国際医師会議(IPPNW)第9回世界大会(広島)で被爆体験を語る。西本雅実「大田萩枝さん死去 被爆医師 救護に奔走」『中国新聞』20180402)。
09 19520309 松田重次郎 まつだ・じゅうじろう 77 梶山季之著『松田重次郎』(時事通信社、1966/02/25)<投稿>
10 19530310 峠三吉 とうげ・さんきち 36 [52広島平和問題談話会](新日本文学会広島支部長)。[原爆被害者の会幹事]。広島県西条国立療養所で死亡。(『広島県大百科事典』大原三八雄・記)『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)<投稿
10 19920310 久保仲子 くぼ・なかこ 64 愛媛県原爆被害者の会会長。藤居平一聞き書きに登場。原爆死没者慰霊碑
11 20190311 諏訪了我 すわ・りょうが 85 浄土真宗本願寺派浄寶寺前住職。<投稿予定>
12 19720312 モリス、アイラ もりす・あいら 68 フランス在住の米国人作家。「広島憩いの家」の生みの親。妻エディタとともに広島市特別名誉市民(1967年4月)。(『広島県大百科事典』田辺耕一郎・記)
12 19840312 渡辺嶺男 わたなべみねお 63 元広島大学原医研から鳥取大学医学部教授。コンピューターによる被爆者の疫学研究。1976年12月、78年11月、79年12月、81年12月に原医研で講義。ネットワークの概念について学ぶ。
13 19510313 原民喜 はら・たみき 45 詩人・小説家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)1919年広島高師附中入学。慶応義塾大学に進む。千葉から郷里の広島に疎開中被爆。東京・西荻窪で鉄道自殺。広島市本通り商店街の商店で原時彦氏(民喜の甥)に被爆時民喜が所持していた手帳を閲覧させていただく
13 19930313 渡辺千恵子 わたなべ・ちえこ 63 長崎原爆乙女の会を結成。映画「生きていてよかった」に藤居平一に抱かれて外出した映像あり。
14 19960314 木村一治 きむら・もとはる 『核と共に50年』(木村一治、築地書館、1990.10.18)<投稿
14 20010314 芝田進午 しばた・しんご 70 哲学者。反核文化論を提唱。広島大学教授(1976~93年)。する平和科目での講義(2コマ)を依頼される。<投稿
15 19880315 モリス、エディタ もりす・えでいた 小説家・平和活動家。夫アイラとともに広島市特別名誉市民(1967年4月)。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)
16 19890316 太田司朗 おおた・しろう 85 元広島大学助教授。元エリザベト音楽大教授。広島平和記念公園の「平和の時計塔」から流れる「平和の時計塔の歌」の作詞・作曲者。
17 19980317 下程勇吉 したほど・ゆうきち 1904年10月6日 – 1998年3月17日 広島県安佐郡戸山村生。1924年3月広島県立第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)卒業。1927年3月広島高等学校(文科乙類)卒業。
1930年京都帝国大学文学部哲学科卒。1937年京都府立医科大学予科教授。1947年、京都大学助教授、「天道と人道 二宮尊徳の哲学」で、文学博士(京都大学)を取得。1948年京都大学教授。教育学部創設に参加し1951年から学部長。「京大原爆展」調査の中で名前を知る。その後親族の結婚式で面識
17 20020317 後藤陽一 ごとう・よういち 88 広島大学名誉教授。恩師・道重哲男の恩師投稿
18 19940318 天野卓郎 あまの・たくろう 68 広島県史編さん室。職場の上司。(投稿
19 20170319 今田洋子 いまだ・ようこ 73 1歳の時、母に背負われ入市被爆。広島平和記念資料館でピースボランティア。「シュモーに学ぶ会」代表。「今田洋子さん死去 シュモーに学ぶ会代表 私が広島の思い伝えなければ」(『朝日新聞』20170321 岡本玄・記)
20 19650320 峠和子 とうげ・かずこ 56 峠三吉の妻。
20 20170320 肥田舜太郎 ひだ・しゅんたろう 100 被爆当時、広島陸軍病院所属の軍医。日本原水爆被害者団体協議会原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。(投稿
21 19980321 竹内千代 たけうち・ちよ 90 ワールド・フレンドシップ・センターの創立メンバー。平和を願う友の会代表。
21 20020321 高木昌彦 たかぎ・まさひこ 76 元大阪大学医学部。カザフスタンで医療ボランティア活動。
21 20180321 吉田嘉清 よしだ・よしきよ 92 平和運動家。元原水爆禁止日本協議会代表理事。『人間銘木 藤居平一追想集』に寄稿。
22 20050322 丹下健三 たんげ・けんぞう 91 建築家。
23 19930323 芹沢光治良 せりざわ・こうじろう 小説家。『広島県現代文学事典』(村上林造・記)
23 20170323 佐古美智子 さこ・みちこ 85 原爆による心身の傷を歌った「ほほえみよ還れ」の作詞者。渡米治療。(出典『中国新聞』20170324)
24 19930324 ハーシー、ジョン はーしーJohn Hersey 78 広島のルポルタージュ「ヒロシマ」の著者。2002年の広島市の平和宣言(秋葉市長)に著書『ヒロシマ』が取り上げられる。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)。<投稿
24 20140324 新堀 通也 しんぼり・みちや 92 教育学者・社会学者。「大学研究者の履歴書
」、「新堀通也(しんぼりみちや)先生【全6回】(広島大学・武庫川女子大学名誉教授)」、『新堀通也、その仕事』(新堀通也先生追悼集刊行委員会編 東信堂、2015)
25 20140325 シェル、ジョナサン しぇる、じょなさん 70 2000、2007年に広島を訪問。パネリストを務める。2002年の広島市の平和宣言(秋葉市長)に著書『地球の運命』が取り上げられる。
26 19940326 山口誓子 やまぐち・せいし 俳人。『広島県現代文学事典』(山下航正・記)
26 20190326 萩原健一 はじわら・けんいち 68 俳優・歌手。広島大学原爆放射能医学研究所でロケしたNHKドラマ「されど、わが愛」(19950805放映)に出演。撮影当日(19950419)、宇吹の研究室が彼の休憩所になる。
28 19850328 河村郷四 かわむら・さとし 82 第23代広島商工会議所会頭。『河村郷四追想録』(河村郷四追想録編纂委員会、19860315)
30 19950330 ダーリング、ジョージ だーりんぐ 89 George B. Darling. 1957年~1972年原爆傷害調査委員会(ABCC) 所長。米国学士院が招聘した時、エール大学の人類生態学教授。http://www.rerf.or.jp/glossary/darling.htm
30 20140330 四国五郎 しこく・ごろう 89 『広島県現代文学事典』(西原大輔・記)。広島市広報課所蔵の写真調査でお世話になる。
31 19900331 山田信蔵 やまだ バーバラ・レイノルズに日本語を教えたのが縁で、1964年に第2回世界平和巡礼に参加。
31 20020331 川本義隆 かわもと・よしたか 69 広島平和記念資料館館長(1983年4月~1993年3月)。<資料年表:川本義隆
31 20190331 久保田訓章 くぼた・のりあき 86 広島東照宮名誉宮司。<投稿

 

内田恵美子

内田恵美子

うちだえみこ 1942年 19910305没 広島大学原医研事務官。

 

内田恵美子著
「図書・資料紹介 原爆被災資料総目録第四集=占領期文献の発刊」(『ヒロシマ・ナガサキの証言第13号 ’85冬』広島・長崎の証言の会1985.2.20)
『図書館反核平和通信』準備号No.2 1985.9.14<下記
19850914b
19850914
追悼文
宇吹暁(原爆放射能医学研究所)「内田恵美子さんの御逝去を悼む 」(『広大フォーラム』23期2号No.289 1991.5.20)

 

栗原貞子

くりはら ・さだこ 19130304生20050306没 享年92
詩人・歌人・評論家。『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)。広島原水禁常任理事 http://www.gensuikin.org/gnskn_nws/0505_1.htm

著書

書名 出版社 出版年月日
黒い卵 詩歌集 中国文化発行所 19460830
私は広島を証言する-栗原貞子詩集 詩集刊行の会 19670715
どきゅめんと・ヒロシマ24年-現代の救済 社会新報 19700420
詩集 ヒロシマ・未来風景 詩集刊行の会 19740330
ヒロシマの原風景を抱いて 未来社 19750731
ヒロシマというとき 三一書房 1976
核・天皇・被爆者 三一書房 19780715
未来はここから始まる-ヒロシマ詩集 詩集刊行の会 19790401
反核詩集 核時代の童話 詩集刊行の会 19820321
核時代に生きる-ヒロシマ・死の中の生 三一書房 19820815
黒い卵 占領下検閲と反戦・原爆詩歌集(完全版) 人文書院 19830720
栗原貞子詩集 土曜美術社 19840715
詩と画で語りつぐ 反核詩画集 ヒロシマ 詩集刊行の会 19850315
栗原貞子詩、吉野誠画
反核詩集-核なき明日への祈りをこめて 詩集刊行の会 19900731
問われるヒロシマ 三一書房 19920630
栗原貞子詩集 忘れじのヒロシマわが悼みうた 詩集刊行の会 19970630

資料

 資料
『栗原唯一追悼 平和憲法の光りをかかげて』(栗原貞子編、詩集刊行の会刊、19801115)
栗原貞子「文明の野蛮を憂う」(『朝日新聞 論壇』1995.8.4)
 事項
 谷本清平和賞(第3回 1990年)受賞
 栗原貞子生誕100年記念展示(広島市立中央図書館、2013)