内田恵美子(追悼文)

内田恵美子

うちだえみこ 1942年 19910305没 広島大学原医研事務官。

 

 亡き内田恵美子さんへ-宇吹暁追悼文

あなたが亡くなって、最初にやったことは、私が資料センターへ来てからの15年間を振り返ることでした。手帳や作業日誌をめくると、復元調査のまとめ作業、手帳・レセプトの整理、故湯崎先生が関与された広島市と広島大学の原爆白書作成やNGOシンポのための資料づくり、文献収集と新聞切抜きをすすめるための市内公共機関の調査、AFIP資料の整理、蔵書目録の出版、医学文献の整理・・・忙しかったけれども、私には30代の楽しい思い出です。センターの仕事以外に、「ひろしま」をよむ会・原爆体験記読書会・「藤居平一氏を囲む会」などでも一緒でした。

その次にやったことは、あなたが抱え込んでいた資料を整理することでした。何一つ捨てていませんでしたね。未整理の資料が随分ありました。次から次に仕事に追われている様子が思い出され、目頭が熱くなることがしばしばでした。3月末締切の年報の原稿のデータを整理し終るのは6月に入ってから。8・6に向けて来客の急増、応対に追われる毎日。7・8月を中心に出版された本の整理が、秋から冬にかけての仕事。毎年、この繰り返しでした。本の山の中で鼻の頭に汗を浮かべていたあなたを思い出します。

あなたの資料の整理に2か月かかりました。あなたの原医研での足跡をまとめて置きたいという気持ちもありましたが、他に仕事をする気が起こらなかったというのが本当のところです。

被爆50周年まで原爆手記を集め続けること、原爆文献のデ-タベースを作成すること、それをもとに原爆被害の実態を集大成することなど、一緒に多くの夢を語りましたね。6月2日の原爆後障害研究会で、あなたとの約束を一つ果たしました。まもなく8月、しばらくあなたのことは忘れます。

追伸:つい先日、ある会合で演劇家故T氏の奥さんと会いました。T氏の追悼公演に際しカンパをしていたそうですね。蔭でいろいろ気を配っていたあなたの話は、これから、まだまだ聞かされそうです。  1991.6.19

 

内田さんと古本-石踊一則追悼文
内田さんが一番嬉しそうな顔をするときは探し求めている本との”めぐり合わせ”のときでした。本も、本当に求めつづけていれば、いつかは必ず本の方から、近づいて来てくれます。

原爆被災学術資料センタ-には、約6500冊余りの原爆関係の蔵書があるといわれています。特に、原爆被災学術資料センタ-が力を入れて集めようとされていた本は、原爆の体験記でした。私家版などは新聞をみては著者と連絡を取り一冊一冊を、こまめに集められていました。体験記で、現在入手できないものもかなりあります。それを宇吹先生や内田さんは”古本”で集めてみようと考えられて、私に収書の依頼をされたのです。

私も最初は、原爆の体験記がどの位あるのか見当もつきませんでした。本のタイトルでも原爆という題がついていましたら、探しやすいのでしょうが、体験記が本の中の一ページしかないものも数多くあります。私は一冊一冊の本を手に取り、目次や索引で内容を調べてみまして、体験記の話が記載していますと、片っ端から入手して歩きました。

調べて気がつきましたのは、広島市内の戦前からある”学校誌”の中には「座談会」「思い出」のページがあり、その中にはかならず悲惨な思い出が数多く記載されていることです。

内田さんは、原爆被災学術資料センタ-を日本で一番の原爆体験記のセンタ-にしようと思われていました。”原水爆関係資料目録第三号”発行前には、一冊でも多くの体験記を発掘してくるようにといわれ、私も東京・四国・九州の古本屋さんをまわってみました。

行きますと、かならず一冊二冊の古い体験記を入手して、内田さんに大変喜ばれました。私は古本を集める事が仕事ですが、良い勉強をさせてもらいました。内田さん有難う!御冥福を心よりお祈りします。
あき書房代表 石踊一則