『福田須磨子詩碑』(福田須磨子詩碑建立委員会編、19750802)
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『福田須磨子詩碑』(福田須磨子詩碑建立委員会編、19750802)
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福田須磨子
ふくだ・すまこ | 19220323生 19740402没 |
享年52歳 | 長崎の詩人。 |
資料年表:福田須磨子
年月日 | 事項 | メモ |
1922 | ||
0323 | 生 | |
1958 | ||
0420 | 福田須磨子著『原子野 詩集 』 (現代社) | |
1963 | ||
0731 | 福田須磨子著『詩集 烙印』(長崎原爆被災者協議会) | |
小佐々八郎(財団法人長崎原爆被災者協議会会長)「あとがき」改訂版(19631110) | ||
1965 | ||
0705 | 広島県被爆者の手記編集委員会編 『 原爆ゆるすまじ』 (新日本出版社) | |
1967 | ||
原水爆禁止世界大会報告集 第13回 原水爆禁止長崎県協議会編 原水爆禁止長崎県協議会 1967/10/01 | ||
1968 | ||
0730 | われなお生きてあり 福田須磨子著 筑摩書房 | |
1970 | ||
0620 | 日本原爆詩集 大原三八雄、木下順二、堀田善衛編 太平出版社 | |
0701 | 長崎の号泣-長崎市婦人会員被爆体験記 高田光子編 長崎市婦人会 | |
0801 | 長崎の証言1970 「長崎の証言」刊行委員会編 あゆみ出版社 1970/08/01 | |
もういやだ 第1集 原爆の生きている証人たち. 復刻版 長崎原爆青年乙女の会編 あゆみ出版社 1970/08/09 | ||
1972 | ||
0610 | 日本原爆詩集 改装版 大原三八雄、木下順二、堀田善衛編 太平出版社 | |
0725 | 長崎の証言 第4集 [1972] 「長崎の証言」刊行委員会編 「長崎の証言」刊行委員会 | |
1973 | ||
0825 | 反原爆 長崎被爆者の生活史 石田忠 編著 未来社 | |
1974 | ||
0402 | 没 | |
0801 | 世界原爆詩集 大原三八雄編 角川書店 | |
1975 | ||
0715 | 「原爆」と三十年 秋月辰一郎著 朝日新聞社 | |
0728 | 原爆と科学・教育・文化を考える 第2集 日本科学者会議長崎支部 日本科学者会議長崎支部 | |
0802 | 『福田須磨子詩碑』(福田須磨子詩碑建立委員会編、19750802) | |
0806 | 広島・長崎30年の証言(上) 広島・長崎の証言の会編 未来社 | |
1976 | ||
0430 | 広島・長崎30年の証言(下) 広島・長崎の証言の会編 未来社 | |
1979 | ||
0512 | 季刊・長崎の証言 3号 鎌田定夫編 長崎の証言の会 | |
0801 | ナガサキの証言 鎌田定夫編 青木書店 | |
1980 | ||
0730 | 日本の空襲 8-九州 日本の空襲編集委員会編 三省堂 | |
1982 | ||
0101 | 長崎事典 風俗文化編 長崎文献社 | |
0630 | 原爆を読む 広島・長崎を語りつぐ全ブックリスト 水田九八二郎 講談社 1 | |
1983 | ||
0801 | 日本の原爆文学 13 詩歌 「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編 ほるぷ出版 1 | |
0801 | 日本の原爆文学 14 手記/記録 「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編 ほるぷ出版 | |
1984 | ||
0620 | ナガサキ 1945年8月9日 長崎総合科学大学平和文化研究所編 岩波書店 | |
1984/06/20 | ||
0820 | ヒロシマ・ナガサキの証言’84夏 秋月辰一郎、庄野直美編 広島・長崎の証言の会 | |
1985 | ||
0527 | ひろしまの河 旧原水爆禁止広島母の会編 旧原水爆禁止広島母の会 | |
1986 | ||
0331 | 碑は訴える 原爆モニュメント・遺構集 長崎国際文化会館編 長崎市 | |
0510 | ヒロシマ・ナガサキの証言’86春 秋月辰一郎、庄野直美編 広島・長崎の証言の会 | |
0720 | 原爆体験の思想化 石田忠著 未来社 | |
1989 | ||
0410 | 原子野に生きる 福田須磨子集 長崎の証言双書 1 長崎の証言の会編 汐文社 | |
1991 | ||
0525 | 日本の原爆記録4 花の命は短かくて 原爆乙女の手記、もういやだ 原爆の生きている証人たち 家永三郎、小田切秀雄、黒古一夫 日本図書センター | |
0525 | 日本の原爆記録8 原爆の実相、われなお生きてあり 家永三郎、小田切秀雄、黒古一夫 日本図書センター | |
0525 | 日本の原爆記録11 長崎の証言 1-10集 家永三郎、小田切秀雄、黒古一夫 日本図書センター | |
0525 | 日本の原爆記録20 原爆詩集 長崎編 家永三郎、小田切秀雄、黒古一夫 日本図書センター | |
1995 | ||
0720 | ナガサキ 1945年8月9日 新版 長崎総合科学大学平和文化研究所編 岩波書店 | |
1997 | ||
0718 | 原爆文献を読む 原爆関係書2176冊 水田九八二郎著 中央公論社 | |
0809 | ガイドブックながさき 原爆遺跡と戦跡をめぐる 長崎平和研究所著 新日本出版社 | |
2000 | ||
0725 | 第二楽章 長崎から 吉永小百合編、男鹿和雄画 講談社 | |
0801 | 長崎原爆資料館 ピース・ウイング長崎 長崎平和推進協会 | |
2001 | ||
0901 | 長崎原爆資料館 資料館見学・被爆地めぐり「平和学習」の手引書 ピース・ウイング長崎 ピース・ウイング長崎 | |
2002 | ||
0510 | 長崎修学旅行ハンドブック 学び・調べ・考えよう 平和・国際教育研究会編 平和文化 | |
2004 | ||
0520 | 日・仏語版 原爆詩選 = Hiroshima Nagasaki après la bombe atomique poèmes choisis 見目誠、パトリック・ブランシュ訳・編 見目誠 | |
2005 | ||
0325 | 原爆写真ノーモアヒロシマ・ナガサキ 黒古一夫 日本図書センター | |
0809 | グラウンド・ゼロからの再生 被爆60周年・証言集 「被爆60周年証言記録集」編集委員会編 長崎県平和運動センター単産被爆者協議会連絡会議 | |
2007 | ||
0806 | 原爆詩一八一人集 1945~2007年 長津功三良、鈴木比佐雄、山本十四尾編 コールサック社 | |
1222 | Against nuclear weapons : a collection of poems by 181 poets 1945-2007 = 原爆詩一八一人集 ed. by Kozaburo Nagatsu, Hisao Suzuki, Toshio, Yamamoto ; 長津功三良、鈴木比佐雄、山本十四尾 Coal Sack Publishing ; コールサック社 | |
2008 | ||
0806 | ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅱ ヒロシマ・ナガサキを考える会 | |
1001 | 証言-ヒロシマ・ナガサキの声2008 長崎の証言の会編 長崎の証言の会 | |
2009 | ||
0310 | 大空襲三一〇人詩集 1937~2009年 鈴木比佐雄、長津功三良、山本十四尾、郡山直編 コールサック社 | |
2010 | ||
1001 | 証言-ヒロシマ・ナガサキの声2010 長崎の証言の会編 長崎の証言の会 | |
2011 | ||
0715 | 焦土の記憶 沖縄・広島・長崎に映る戦後 福間良明著 新曜社 | |
2014 | ||
0625 | もういやだ 原爆の生きている証人たち 長崎原爆青年乙女の会編 日本ブックエース、日本図書センター(発売) | |
2015 | ||
0806 | 戦争と核と詩歌 ヒロシマ・ナガサキ・フクシマそしてヤスクニ 石川逸子著 スペース伽耶、星雲社(発売) | |
1115 | ナガサキの命 伝えたい、原爆のこと 吉永小百合編、男鹿和雄カバー絵/挿絵、YUME挿絵、筒井茅乃 文 KADOKAWA | |
2016 | ||
0101 | 原子爆弾の下で 広島・長崎への原爆投下による悲劇から生まれた日本語の詩(ヒンディー語) ハルジェンドラ・チョードリー、三木雄一郎 サーヒッティヤ・アカデミー | |
0705 | 〈被爆者〉になる 変容する〈わたし〉のライフストーリー・インタビュー 高山真著 せりか書房 | |
2017 | ||
1001 | 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2017 長崎の証言の会編 長崎の証言の会 | |
2018 | ||
1015 | 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2018 長崎の証言の会編 長崎の証言の会 | |
2019 | ||
1215 | 長崎の証言50年 半世紀のあゆみを振り返る 長崎の証言の会編 長崎の証言の会 | |
2020 | ||
0722 | 長崎の証言 写真集 増補改訂版 [日本リアリズム写真集団長崎支部] JRP日本リアリズム写真集団長崎支部 | |
2021 | ||
0521 | 長崎原爆資料館 資料館見学・被爆地めぐり「平和学習」の手引書(増補改訂版) 長崎平和推進協会編 長崎平和推進協会 | |
1130 | ブックガイド平和を考える 明治学院大学国際平和研究所設立35周年を記念して 明治学院大学国際平和研究所編 明治学院大学国際平和研究所(PRIME) | |
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被害者をめぐる今日までの動き<作業中>
今日までを三期に分け、(Ⅰ)戦後より講和条約締結(26年9月まで)(Ⅱ)第1回世界大会まで(Ⅲ)第1回世界大会より今日まで、とする。
(Ⅰ)戦後より講和条約締結(26年9月まで)
(1)まず考えねばならないのは、終戦当時一般市民の間に、感覚的と思われるにしても、ガスを吸ったからとか水をのんだからとか、の言葉が自分の症状に十分関係があるが如くに聞かれたものである。
(2)
(3)アメリカへの訴えての救済活動(浜井市長時代)
(4)谷本牧師の動き
(5)広島平和記念都市建設法
(6)ABCCの問題
(Ⅱ)第1回世界大会まで(1955・8)まで
(1)
(2)
(3)広島市原爆障害者治療対策協議会発足
(4)
(5)ビキニ水爆実験を契機として
(6)1954年8月6日の原水爆禁止広島平和大会
(7)
(8)
(9)
(10)
(11)
(Ⅲ)第1回世界大会より今日まで、
゜ビキニ事件→被害者救援を刺激(しかしまだ大衆運動とはならぬ)
゜第1回世界大会までは、禁止運動と救援運動は一応無関係(禁止運動は自分たちには無関係で白々しい、という被害者の言葉があったほど)
゜第1回世界大会を契機として事態が一変
◇第1回世界大会(1955・8 於ヒロシマ)の被害者問題における意義
゜大会の討議と結論から次の方向が生まれた。
(a)被害の実相調査
(b)傷害の治療と予防問題
(c)生活保障の問題
(d)自立活動
◇第2回世界大会(1955・8 於ナガサキ)の被害者問題における意義
◇以上の観点からして、第1回大会後今日までの被害者をめぐる動きをみる場合、その活動状態は、(a)(b)(c)(d)の4項目によって整理することができ、その際第2回大会の役割は、それらを飛躍さす契機としてとらえればよいのであろう。
(1)第1回大会以後今日までの動きで特筆すべき組織の結成をまずあげてみる。
(ⅰ)原水爆禁止日本協議会の中に被害者救援委員会が設立された。 1955年9月
(ⅱ)救援委員会の発足。1955年11月26日、原水爆禁止広島協議会の中につくられ、役員としては、委員長(渡辺忠雄氏)副委員長(正岡旭氏、服部円氏他3名)幹事長(藤居平一氏)などをきめた。ただし渡辺氏が委員長を受諾されなかったため、委員が決定できなかった。
この委員会の目的
(a)原爆被害者の不幸な実相をあらゆる人々に伝え、救援を呼びかける。
(b)救援のために努力しているあらゆる団体、個人及び施設と協力して精神面、医療保健面、及び経済面などによりする救援をおこなう。
(ⅲ)全国社会福祉協議会の中に、原爆被害者対策特別委員会が設置される。(1955.11、 原水協関係の委員-山高シゲリ(全地婦連委員長)藤居平一(広島)香田松一(長崎)
(ⅳ)広島市原爆障害対策協議会が、広島原爆障害対策協議会に発展した(1956.4)
(ⅴ)日本原水爆被害者団体協議会の発足
1956.8.10 第2回世界大会の中から生まれたこの会の目標と方針は次のように決議されている。
一、
ニ、
三、
四、
五、被害者組織を強化して団結をつよめよう。このためどんな地域でも、被害者のいまいる処には必ず組織をつくり、この協議会に参加させよう。
(ⅵ)
(2)具体的に進められてきた活動
(ⅰ)被害の実態調査
(ⅱ)被害者組織の結成
(ⅲ)原水爆禁止運動
(ⅳ)生活と生命を守る運動
(ⅴ)救援金及び救援物資
(3)今後の問題点
(ⅰ)援護法をめぐる問題点
(ⅱ)根治療法の問題
原爆被害を根本的に治療する方策は、現在のところ、いかなる国においても完成されていないようである。****
この意味で、過去の運動の中で常に唱えられてきた国際的放射線医学研究機関の設置が望まれるのである。ところで最近、広島の医師および原子力科学者(大学人会有志)の或るグループが、医学・物理学・化学の綜合的観点から、広島の原爆症の基礎的な調査、研究を始めているのは注目に値しよう。この成果が一日も早く出されることを期待しよう。
(註)本文章の起草は、藤居平一、庄野博允<庄野直美>の両名が担当しました。
1 |
3 |
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8 |
9 |
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『明日を創る―提言・新世紀の社会保障』(森井 忠良、NTT出版)
内容<作業中>
序章 | 新世紀の福祉社会建設のために | |
第1章 | 豊かで成熟した福祉社会の創造 | |
第2章 | 新時代の社会保障制度の構想 | |
第3章 | 安全で質の高い生活を確保するために | |
第4章 | 過去から未来へ・時間軸を見据えて | |
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資料年表:森井忠良<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
1829 | ||
0725 | 誕生(広島県呉市吉浦) | |
1953 | ||
早稲田大学法学部卒 | ||
日本電信電話公社入社 | ||
1972 | ||
衆議院議員初当選。以後当選7回 | ||
1996 | ||
0606 | 森井忠良『明日を創るー提言・新世紀の社会保障』(NTT出版) | |
2011 | ||
0423 | 没。享年81歳。 | |
0425 | 『中国新聞』(2011年4月24日) | |
「森井忠良氏死去 元厚相 被爆者援護法に尽力 81歳」 | ||
止
資料年表:深川宗俊
年月日 | 事項 | メモ |
1921 | ||
**** | 誕生。本名:前畠雅俊。 | |
1945 | ||
0806 | 被爆。 | |
1950 | ||
0422 | 新日本歌人協会広島支部を中心に「反戦詩歌人集団結成準備会」を広島市内で開く | C |
0501 | 『反戦詩歌集第1集』(深川宗俊編、反戦詩歌人集団準備会) | U |
0801 | 『戦争はいやだ』(山口健次郎編、暁明社) | |
0806 | 『反戦詩歌集第2集』(深川宗俊編、反戦詩歌人集団準備会)反戦詩歌集第2集 | U |
1951 | ||
0331 | 『私は戦争に生き残った。そして・・・ 15人の戦争記録』(暁明社) | U |
深川宗俊「恐怖の街」pp.128-134 | ||
0815 | 深川宗俊『歌集・群列-途絶えざる歌抄』(新日本歌人協会広島支部) | 3 |
1953 | ||
0307 | 深川宗俊(日本歌人クラブ会員)「悲しみに耐えてー『原爆文学』論を中心に」(『中国新聞(夕刊)』19530307) | |
1954 | ||
0215 | 『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会、われらの詩の会編、19540215) | |
深川宗俊 「芸術は人間のためにある」98 | ||
0806 | 『廣島 歌集』(歌集廣島編集委員会編、第二書房) | |
深川宗俊 132 | ||
1956 | ||
0520 | 『川-広島詩集』(深川宗俊・増岡敏和等編、われらのうたの会) | |
1959 | ||
0201 | 『紫紅の鳥 広島は歌ふ 青史第1合同歌集』(合同歌集編さん委員会編、短歌文学を研究する会「青史」刊 | |
紫紅の鳥によせて 深川宗俊 | ||
0806 | 『広島-原爆の街に生きて』(深川宗俊(著)「青史」編集部(編)、短歌文学を研究する会) | 5 |
1960 | ||
1103 | 『かえらぬ鶴』(瀬戸奈々子、白樺社) | |
祓…深川宗俊 | ||
1964 | ||
0801 | 『The Songs of Hiroshima 広島のうた』(大原三八雄訳、「広島のうた」編集委員会、) | |
第3部 原水爆禁止を ケロイドの貌 深川宗俊 |
||
1966 | ||
0401 | 『歌集新選十二人』(新選十二人著、短歌新聞社) | |
火 深川宗俊 181 | ||
0720 | 『広島はたたかう』(胎内被爆者・被爆二世を守る会) | |
ABCCとその周辺 深川宗俊 | ||
0806 | 『原爆と文化・芸術-その創造と歴史をとらえる』(日本民主主義文学同盟広島支部) | |
文学と原爆 深川宗俊 35 | ||
1016 | 『加害者への怒り-ABCCはなにをしたか 第1集』(原水爆禁止広島県協議会) | |
ひろしまの証言-ABCCを告発する- 深川宗俊 42 | ||
1967 | ||
0301 | 『広島県短詩型文芸合同作品総鑑』(村本節子編、文化企画社) | |
深川宗俊 47 | ||
1968 | ||
0712 | 『ぼく生きたかった-被爆二世史樹ちゃんの死』(竹内淑郎編、宇野書店) | |
史樹ちゃんに捧げるうた 211 うた 深川宗俊 |
||
1103 | 『キャンバスのうた-神崎敏記文集』(「キャンバスのうた」編集委員会) | |
未来をとらえる青年の譜 深川宗俊 23 | ||
1969 | ||
0515 | 『詩集・ヒロシマ1969-戦後25年アンソロジー[改訂新版]』(詩集「ヒロシマ」編集委員会[大原三八雄・栗原貞子・深川宗俊・米田栄作]編) | 5 |
0806 | 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会) | |
VII 座談会 その6 出席者 615 中村義男・相原和光・林寿彦・永田守男・村上安恵・高井正文・藤田一雄・大原三八雄・山本康夫・深川宗俊・田辺耕一郎・田淵実夫 |
||
1970 | ||
0806 | 深川宗俊『1950年8月6日-朝鮮戦争下の広島』(原水爆禁止広島市協議会) | U |
1971 | ||
0201 | 『河口のある風景 中下煕人歌集』(中下煕人著、青史) | |
中下煕人作品の原点をとらえる 深川宗俊 160 | ||
0515 | 『朱花 宮前初子歌集 新日本歌人叢書』(宮前初子著、新日本歌人協会三重県支部) | |
解説=深川宗俊 169 | ||
0804 | 『未来を語りつづけて 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑序幕にささげる 構成詩』(深川宗俊作・構成、原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会) | |
1215 | 『流灯 ひろしまの子と母と教師の記録 原爆犠牲国民学校教師と子ども追悼の記』(原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会事務局編、石田明) | U |
「流灯」によせて 深川宗俊 276 | ||
1972 | ||
0715 | 『被爆二世 その語られなかった日々と明日』(広島記者団被爆二世刊行委員会編、時事通信社) | |
Ⅳ 国、地方自治体と被爆二世 185 4 長崎にて<ルポルタージュ> 深川宗俊 206 |
||
0806 | 『夾竹桃(広島はたたかう 第三集)』(「夾竹桃」編集委員会編、胎内被爆者被爆二世問題対策会) | |
ABCC協定とは 深川宗俊・31 | ||
1973 | ||
0718 | 『閃光の丘から わがうたまつり 近藤幸子歌集 青史叢書, No.6』(近藤幸子著、短歌文学を研究する会・青史グループ、春陽社出版) | |
広島の戦後史に生きる-歌集「閃光の丘から」鑑賞の手がかりを求めて 深川宗俊 189 | ||
1974 | ||
0925 | 『鎮魂の海峡-消えた被爆朝鮮人徴用工246名』(深川宗俊、現代史出版会) | U |
1115 | 『未来にかけるたたかい ドキュメント昭和五十年史 6』(佐藤静夫編、汐文社) | |
原水禁運動と分裂 深川宗俊 111 | ||
1975 | ||
0628 | 『河 民藝の仲間166号』(民藝の仲間」編集部編、劇団民藝) | |
ヒロシマの青春…深川宗俊…(11) | ||
0806 | 『詩画集・ひろしまの子-愛のうた』(深川宗俊(詩)四国五郎(絵)、春陽社出版) | |
1976 | ||
0430 | 『広島・長崎30年の証言(下)』(広島・長崎の証言の会編、未来社) | |
朝鮮人被爆者復権のたたかい 深川宗俊 93 | ||
0501 | 『平和教育運動 No.3』(日本平和教育研究協議会編、広島平和教育会館出版部) | |
朝鮮人問題をどうとらえるか 155 深川宗俊 | ||
0915 | 『坦白抄 短歌とエッセイヒロシマに生きて』(根川由夫著、短歌文学を研究する会・青史グループ) | |
跋文 深川宗俊 248 | ||
1977 | ||
0701 | 『地域と科学者 第4号 被爆・核・広島特集』(日本科学者会議広島県支部、) | |
占領下における文芸 深川宗俊(30) | ||
0806 | 『炎の中の私 第1集』(広島医療生活協同組合原爆被害者の会) | |
「炎の中の私」に新鮮な感動をおぼえる 深川宗俊 34 | ||
1220 | 深川宗俊『さわだちやまぬ海峡の怨-深川宗俊訪韓レポート』 | U |
1978 | ||
0724 | 『『生キテ帰ルンダゾ』 親が子に語る戦争と原爆の話 第2集』(日本キリスト教団広島府中教会内平和教育文集編集委員会) | |
銃後の体験 火の葬いをうけた韓国人遺体 深川宗俊 13 |
||
<以下作業中> | ||
1982 | ||
0401 | 『劇映画・冬のリトルボーイ-対話のための資料集』(深川宗俊編、平和プロダクション) | 5 |
1985 | ||
1220 | 『紫紅の鳥-青史三十三人集・合同歌集Ⅱ』(深川宗俊(編)、短歌文学を研究する会・青史) | |
1990 | ||
0806 | 『歌集・連祷-深川宗俊歌集』(深川宗俊、短歌新聞社) | U |
1992 | ||
0731 | 『海に消えた被爆朝鮮人徴用工-鎮魂の海峡』(深川宗俊、明石書店) | U |
2008 | ||
0424 | 没。 | |
止
マッカーサー、ダグラス<作業中>
マッカーサー、ダグラス | 18800126生19640405没 | 享年84歳 | アメリカ陸軍軍人。連合国軍最高司令(1945~50年) |
資料年表:ダグラス・マッカーサー
年月日 | 事項 | メモ |
1880 | ||
0126 | 生 | |
1945 | ||
0919 | ”THE NEW YORK TIMES” | |
M’ARTHUR CLOSES ASAHI, TOKYO PAPER Orders 48-Hour Suspension for Mocking Comment on Our Atrocity Reports SHARED GUILT-CHARGED Foe’s Editional Says Atom Bomb’s Use Is Inhumane – Other Journals Coopetate [マッカーサー、朝日新聞に発行停止を命令] | ||
1964 | ||
0405 | 没 | |
2016 | ||
0929 | 『昭和天皇実録 第9』 | |
<1945年9月27日>午前九時五十五分御出門、聯合国最高司令官ダダラス・マッカーサーと非公式に御会見のため、東京都赤坂区内の米国大使館に行幸される。 | ||
止
『「原爆の子」をうけついで こども・青年・市民の平和へのねがい』(「原爆の子」をうけつぐ会、本の泉社、20120806)
内容
頁 | ||
002 | 宇野豪 | はじめに (「原爆の子」をうけつぐ会会長、修道大学名誉教授) |
009 | 第1部 | 応募作品より |
009 | えみ かりん(小1) | 『8がつ6にちのこと』をよんで |
011 | えきだ あすか(小1) | せかいのへいわ |
011 | 森本あやか(小3) | 『おりづるの旅』を読んで |
014 | ||
014 | 鳥井原聖(小4) | 平和新聞 |
015 | 中元達也(小4) | ヒロシマに生まれて |
018 | 山下穂乃佳(小5) | 命の大切さ |
020 | 大原杏歌(小6) | 戦争はなくなるか |
022 | 藤川とも(小6) | 平和と戦争 |
024 | 遠藤正隆(小6) | 八月六日 |
026 | 尾形萌音(小6) | みんな同じ地球で生まれた仲間 |
028 | 渡辺香依(小6) | 命の尊さ |
030 | 玖村成(小6) | 後悔の後にあるもの |
032 | 好永るり佳(中1) | 平和を世界へ |
034 | 蔡志遠(中1) | 身辺の平和 34 |
036 | 寺本光希(中1) | 六十六年目を迎えた広島 |
038 | 山本研矢(中1) | 身近な平和 |
040 | 高部祐香(中1) | 次に伝えていくために |
042 | 槙場百香(中2) | 平和の大切さ |
043 | 小川稚果(中2) | 知らないことを知ってもらうために |
045 | 城代花佳(中2) | 『原爆の子』を読んで私が思ったこと |
047 | 八木稜平(中2) | 祖父の被爆体験をうけついで |
048 | 佐伯菜那(中2) | ヒロシマを学び語りつぎたい |
050 | 田羅理美(中2) | 他校との交流で深めあったこと |
052 | 市川里奈(中3) | 原爆の子 |
053 | 山田美咲(中3) | 私たちが気がつかなければいけない事 |
055 | 柴田龍人(中3) | 画面上の疑似戦争 |
057 | 岡智慧(高1) | 『原爆の子』を読んで |
060 | 上野結花(高1) | 広島高校生平和ゼミナールの活動の感想 |
062 | 鷹屋桃子(高2) | 空がとっても青いから |
065 | 秋山唯(高2) | 『原爆の子』を読んで |
067 | 川本彩子(高2) | 「世界に平和を」なんて言わない世界 |
070 | 芝亮祐(高2) | 『わたしがちいさかったときに』を読んで |
072 | 原田葵(高2) | 世界はいま平和か。平和でないとするとそれはなぜか。平和を妨げているものは何。自分に出来ることは何か。 |
075 | 加地真理子(高2) | 戦争とは、平和に反するものである |
077 | 馬場智大(大1) | 祖父の「記憶」を受け継いで |
085 | 梶山栞理(大3) | 私の考える「原爆の子」 |
088 | 窪川佐紀(大2) | 私の思う「原爆とむきあう」ということ |
092 | 中山結(大学院2) | 『原爆の子』を読んで今思うこと |
094 | 龍永直記(33歳) | 『原爆の子』をうけつぐ |
098 | 諏訪義圓(39歳) | 『原爆の子』がもたらす気付き |
102 | 上田寿世(49歳) | 子どもたちが命輝かせて生きる世界を |
105 | 宇城昌里子(49歳) | 命 生かされた つながって |
110 | 岡昌子(59歳) | 『原爆の子』を読んで |
114 | 大内正子(60歳) | 「母の記憶」から「私の記憶」へ |
116 | 藤井幸恵(68歳) | 蒔かれた種たち |
119 | (70歳) | |
120 | 大越和郎(71歳) | 『原爆の子』と私 |
選考委員講評 | ||
124 | 大槻和夫 | <委員長>『原爆の子』を受けつぐ文章を読んで |
129 | 大井健地 | ヒロシマのなお語られるべきもの |
131 | 柴田幸子 | こども達の感想文から思うこと |
133 | 三浦精子 | 「原爆の子」をうけついで 選考を終えて |
第2部 | 寄稿 | |
136 | 海老沼香織 | 広島スタディーツアーを終えて |
138 | 渡部久仁子 | 『ヒロシマと私』 |
141 | 忍岡妙子 | ヒロシマを伝え続けて |
144 | 長田真紀 | 精神の橋をかける |
147 | 長田五郎 | 父長田新の願い |
第3部 | 集い「『原爆の子』をうけついで」 | |
150 | 舟橋喜恵 | 記念講演「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」から学ぶもの |
170 | 資料 | |
174 | あとがき | |
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黒木和雄
くろき・かずお | 19301110生20060412没 | 享年75歳 | 映画監督。『私の戦争 岩波ジュニア新書』(黒木和雄、岩波書店、20040721)。 |
『私の戦争 岩波ジュニア新書』(黒木和雄、岩波書店、20040721)
内容
Ⅰ | 私の戦争と映画…1 | |
1 満州へ 2 2 えびのでの中学生活 19 3 学徒動員 25 4 米軍機の爆撃で友人が死んだ 31 5 敗戦 37 6 『美しい夏キリシマ』の製作 44 |
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Ⅱ | 映画を撮る…67 | |
1 映画監督になるまで 68 2 原爆・戦争を撮る 83 |
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Ⅲ | 長崎原爆投下24時間前…97 | |
1 ノーモアヒロシマ・ナガサキ 98 2 『かよこ桜の咲く日』(一九八五年) 108 3 『TOMORROW/明日』の製作 135 |
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Ⅳ | ヒロシマに生きる…159 | |
1 『父と暮せば』(二〇〇四年) 160 2 ヒロシマを発信し続けた友 175 3 『父と暮せば』を製作する 181 |
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おわりに 207 |
止
資料年表:藤居平一<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1915 | 0807 広島市の銘木店の長男として誕生。 | |
1922 | 広島高等師範学校附属小(碧空会)に入学 | |
1928 | 同付属中学校入学 | |
1935 | 平壌飛行連隊整備隊に入る | |
1939 | 航空兵中尉に任じられる | |
1941 | 満州国の航空通信第一連隊の第一大隊本部付 | |
1943 | ||
02 | 満州国の航空教育隊に転属。日本へ復員。 | |
04 | 早稲田大学専門部商科に入学 | |
1127 | 篠崎美枝子と結婚 | |
1944 | 日本鋼管横浜鶴見造船所に勤労動員 | |
1945 | ||
0806 | 原爆投下で、父完一、妹、二人の甥などを失う | |
1946 | 早大卒。家業の銘木店を継ぎ、広島県銘木森林組合(現広島県銘木事業協同組合)を設立。組合長に就任 | |
1947 | 日本銘木林産組合(その後全国銘木連合会に改称)を設立。副会長に就任。早大校友会広島県支部幹事長。広島高師同窓会のアカシア会設立を提唱。 | |
1949 | 近隣に神崎保育園を設立し、後援会長に。 | |
1951 | 早大商議員に就任し、晩年まで務める。 | |
<以上1915~1951年の事績は『人間銘木―藤居平一追想集』> | ||
1954 | ||
1955 | ||
1956 | ||
1959 | ||
1965 | ||
1981 | ||
1201 | 『広島県原水協・日本被団協年表(稿)1954~1958』(宇吹暁、広島大学原爆放射能医学研究所) | |
1982 | ||
0126 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(1)」(『資料調査通信 5号』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室)【〈聞き手〉宇吹暁、〈聞書作成〉石田典子・寺井裕子】 | |
0226 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(2原水爆禁止世界大会)」(『資料調査通信6号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
0331 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(3原爆被害者の救援と組織化)、資料、藤居メモ(1)1955年11月~56年3月」(『資料調査通信7号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
0531 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(4広島県被団協の結成)、資料、藤居メモ(2)1956年3月~7月」(『資料調査通信8号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
0630 | 「まどうてくれー資料特集」(『資料調査通信9号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
『資料調査通信9号別冊1』 | ||
『資料調査通信9号別冊2』くずれぬ平和を 8・6広島大会、被害者大会議事録[抄] | ||
『資料調査通信9号別冊3』第2回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] | ||
1983 | ||
1031 | 「まどうてくれー藤居メモ(3)1956年8月~9月」 | |
『資料調査通信25号別冊1』(『広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
「まどうてくれー資料特集」1956年8月~9月」 | ||
『資料調査通信25号別冊2』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
1130 | 「まどうてくれー資料特集」1956年10月~12月 | |
資料1:藤居メモ 資料2~8:日本被団協の発行文書 資料9~15:藤居故人・日本被団協に寄せられた書簡 資料16~26:原爆被害者救援をめぐる動向) |
||
『資料調査通信26号別冊2』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
1223 | 「まどうてくれー藤居メモ」1957年1月~2月 | |
資料1~4:藤居あて書簡 資料5~11:日本被団協結成後初めて開かれた全国代表者会議の資料。 資料12~23:藤居故人あるいは日本被団協に寄せられた書簡 資料24・25:日本被団協に関する新聞記事 |
||
『資料調査通信27号別冊1』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
1984 | ||
0127 | 「まどうてくれー藤居メモ及び関連資料資料」1957年3月~5月 | |
資料1~6:藤居あて書簡、 資料7:藤居論文 資料8~23:日本被団協および広島の動向を示す資料。 資料24~32:広島原爆障害研究会、日本原水協などの諸団体資料。 |
||
『資料調査通信28号別冊1』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
0229 | 「まどうてくれー資料資料」1957年3月~5月 | |
1957年8月 12日 開会総会 13日 階層別協議会 14日 分科会 15日 閉会総会 |
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1996 | ||
0714 | 病のため死去。80歳。藤居銘木株式会社を閉店。 | |
1997 | ||
0417 | 『人間銘木 藤居平一追想集』(藤居美枝子) | |
**** | 『広島平和科学』(広島大学平和科学研究センター、1997) | |
船橋喜恵「原水爆禁止世界大会「第一回」 : 藤居平一氏に聞く」 | ||
2006 | ||
0703 | 『被爆者運動50年 生きていてよかった<1>~<5>』(『中国新聞』西本雅実編集委員~20060708) | |
2011 | ||
0708 | 『まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる』(大塚茂樹、旬報社) | |
0723 | 大塚『まどうてくれ』出版記念会。リーガロイヤルホテル。宇吹。出席者:大塚夫妻。木内洋育(旬報社社長)。河野一郎(中国新聞文化事業社専務取締役)。阿部静子、池田精子(広島県被団協副理事長)、村戸由子。舟橋。若林節美。石田。松井。安藤。澤野。森田裕美。・・・ | |
2次会:吉田治平(広島市南区皆実町1丁目平和住宅自治会)、籔井和夫(中国新聞経営企画局担当局長兼メディア企画室長)。・・・ | ||
0726 | <出版記念会報道>(RCC-N6 被爆者救援運動の原点)「まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる」 06:41~06:47 | |
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