原爆体験記読書会
呼び掛け人:田原幻吉・宇吹暁
全11回(198604~198703)
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回 |
月 |
日 |
出席者 |
1 |
04 |
08 |
「絶後の記録」
参加者:大野・中川・豊永・宮道・舟橋・冨沢・春日・羽原・内田・宇吹・田原 |
2 |
05 |
13 |
参加者:中川・若林・江崎・豊永・宮道・冨沢・羽原・内田・渡辺・宇吹・田原 |
3 |
06 |
10 |
「原爆の子」。
参加者:大野・若林・江崎・豊永・宮道・舟橋・宇吹・田原 |
4 |
07 |
08 |
参加者:大野・中川・豊永・羽原・内田・宇吹・田原 |
5 |
09 |
09 |
「星は見ている」。
参加者:大野・若林・江崎・豊永・舟橋・宇吹 |
6 |
10 |
14 |
参加者:大野・若林・舟橋・内田・宇吹・田原 |
7 |
11 |
11 |
「天よりの声」。
参加者:中川・豊永・舟橋・内田・宇吹・田原 |
8 |
12 |
09 |
「もうひとつのヒロシマ」。
参加者:中川・若林・江崎・豊永・舟橋・羽原・内田・宇吹・田原 |
9 |
01 |
13 |
参加者:若林・江崎・舟橋・内田・渡辺・宇吹・田原 |
10 |
02 |
10 |
参加者:江崎・豊永・宮道・内田・宇吹・田原 |
11 |
03 |
10 |
参加者:大野・若林・豊永・宮道・舟橋・羽原・内田・島津・宇吹・田原 |
原爆資料の収集と保存を考える(今堀・山崎・田原)
中国新聞連載
年月日 |
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19680307(上) |
今堀誠二 |
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特質無視のウ報告 資料の不足で迫力欠く 原爆被災資料広島研究会への期待 |
19680308(中) |
山崎与三郎(原爆資料保存会幹事) |
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原爆資料の重要性 体験と実証で平和を 年とともに困難さ増す |
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19680308(下) |
田原伯(原爆文献研究家) |
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個人の体験からの発言 分類・整理が急務 独力で一万点を集める |
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気違い扱いの十年 |
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10年余り前、それまでの務めをやめて、ただ原爆資料の収集に全生活を当てたので私は「原キチ」と呼ばれ、変り者扱いにされてきた。 |
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現在約一万点の原爆資料を集めることができた。 |
資料不備な図書館 |
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全国の古本屋捜し |
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整理・研究が日課 |
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収集三原則と分類 |
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これは田原氏の談話をまとめたものである。 |
ピカ資料研究所表札
ピカ研の指摘により作成した正誤表(20200704現在)
作成:宇吹 暁
年月日 |
書名 |
頁 |
誤 |
正 |
19710806 |
広島原爆戦災誌 第1巻 |
19710906 |
広島原爆戦災誌 第2巻 |
19711006 |
広島原爆戦災誌 第3巻 |
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216 |
広島中央電話局(1.0km) |
広島中央電話局(500m) |
19711106 |
広島原爆戦災誌 第4巻 |
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888上 |
田原伯 |
幻吉 |
19711206 |
広島原爆戦災誌 第5巻 |
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19720331 |
広島県史 原爆資料編 |
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19840329 |
広島県史 年表 |
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19880325 |
広島県戦災史 |
116 |
天主閣 |
天守閣 |
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19800715 |
原爆被災学術資料センター蔵 原水爆関係資料目録(Ⅰ)1974年4月~1978年12月 |
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「お国がつくる見本の本 学者用 税立図書館」 |
19850301 |
原爆被災学術資料センター 原爆関係蔵書目録(Ⅱ)1979年1月~1983年12月 |
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多数の指摘 |
19900731 |
原爆被災学術資料センター 原爆関係蔵書目録(Ⅲ)1984年1月~1988年12月 |
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多数の指摘 |
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1985 |
IMAGES FOR SURVIVAL <Exhibition of American and Japanese Peace Posters> |
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19890401 |
図説広島市史 |
172 |
「広島平和記念都市建設法」は、広島市民の平和への決意の結実であるとともに国内外のノーモア・ヒロシマズの声の象徴である。
この法に基づく広島の復興と市民のたゆみない平和への努力を基盤として、今日の広島市は国際平和文化都市を目指して進んでいる。 |
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なぜか |
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172 |
ピカドン(昭和25年8月刊) |
(昭和25年8月6日刊) |
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172 |
原爆詩集(昭和26年9月刊) |
原爆詩集(昭和26年9月20日刊) |
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173 |
『アサヒグラフ』 原爆特集号 |
『アサヒグラフ』 原爆被害の初公開 |
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174 |
(写真15)原爆被災全体像調査のための市民集会
(所蔵者・提供者等)中国新聞社 |
(所蔵者・提供者等)金井・幻吉 |
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174 |
(写真17)平和公園 |
(写真17)平和大通り |
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226 |
グアム島<「原爆投下機はグアム島発進!? 図説広島市史に誤記」『中国新聞19920331』 |
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255 |
峠三吉「一九六五年のヒロシマ」(昭和二十一年八月二日) |
峠一夫 21.12.1 |
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1992 |
原爆文献にみる戦後史 平成4年度広島市公文書館常設展示 |
1992 |
都築・弓野資料にみる占領下の原爆災害調査 平成4年度広島市公文書館常設展示Ⅱ |
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多数の指摘 |
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19960331 |
ヒロシマの被爆建造物は語る |
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098 |
『ニューヨーカー』 |
使用了解を |
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308 |
李将軍 |
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365 |
原爆被災資料総目録1.2.3 |
原爆被災資料総目録1.2.3.4 |
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383 |
ピカ研究所提供 |
ピカ資料研究所 |
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386 |
年表広島 |
年表ヒロシマ |
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19960331 |
被爆50周年 図説戦後広島市史 街と暮らしの50年<本なし、ピカ研メモのみ> |
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19990726 |
原爆手記掲載図書・雑誌総目録 1945-1995 |
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Ⅶ |
田原伯(ピカ研主宰) |
田原幻吉(ピカ研所長) |
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Ⅹ |
1収録基準(5)改版? |
(内容変更)=改訂 |
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Ⅹ |
2収録期間(1)1945年8月~1995年末 |
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Ⅹ |
2収録期間(2)確認できる最も古い手記=1946年2月 |
逆あがり、1945.8.31大田洋子 |
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Ⅹ |
3記載事項(2)多重者 |
多重者=記入法 |
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Ⅹ |
3記載事項(5)所蔵 原医研・国会図 |
所蔵 原医研・国会図・以外 |
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003 |
[0011] |
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013 |
[0106]<[]内は一連番号>原爆詩集 所蔵:国会図 |
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014 |
お父さんを生かしたい―平和を叫ぶ子らの訴え |
残念もう少し?四集5冊、三集5冊、10冊 |
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031 |
[0284]<発行年月日日=19580401> |
<発行年月日日=195606> |
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201 |
[2015]原爆を吊ってあった落下傘 |
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289 |
<19880331上原敏子> |
? |
「ピカより〇〇〇〇〇日」の会
設立日:
資料:配布ビラ
年月日 |
ピカより何日 |
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19680606 |
8341 |
8時15分=8341日=201万1040分=7億2066万2400秒 |
19680706 |
8371 |
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19680806 |
8402 |
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19680906 |
8433 |
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19681006 |
8463 |
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19681106 |
8493 |
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19681206 |
8524 |
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19690106 |
8555 |
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19690206 |
8586 |
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19690306 |
8614 |
1240万4160分=7億4424万9600秒 |
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「読売新聞(広島市内版)」(19740101)掲載広告 |
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田原幻吉(長崎市万才町3-33) |
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田原 伯 |
たはら
つかさ |
原爆文献研究家。終戦時に朝鮮半島から引き揚げる際、傷ついた被爆者や広島の廃虚を目撃したのが活動の原点に。1968年、今堀誠二広島大教授(当時)らと原爆被災資料広島研究会を結成し、原爆文学や被爆体験記、占領期文献などを網羅した「原爆被災資料総目録」第1~4集を発行。(『中国新聞』) |
生
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20170510没
84歳 |
資料
年 |
月 |
日 |
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1985 |
04 |
01 |
宇吹暁「蔵書あれこれ」『河図洛書―渓水社10周年記念』(渓水社、1985年4月1日)pp.140-143 |
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原爆問題についての私の師の一人であるT(田原)氏との出会いは、広島市内のあるガレージであった。そこには、T氏の管理する原爆関係の本が持ち込まれていた。私は学生時代から平和、原爆問題に関心を持っていた。広島県の歴史の中でも重要なテーマと思い、その関連の本について、卒業後も気をつけていた。しかし、T氏の本の大半は、初めて目にするものであった。その後、T氏は、しばしば「蔵書を前の議論」の機会をつくってくれた。それは、私が、学生時代以来、久しく忘れていたものであった。私の原爆文献漁りが、T氏との出会いを契機に始まった。 |
2017 |
05 |
12 |
「田原伯氏死去 原爆文献を調査」『中国新聞』2017.5.12 |
2017 |
05 |
18 |
「悼記 綿密調査 非条理を告発 原爆文献研究家 田原伯さん 10日、84歳で死去」
「9年前に脳出血で倒れ、リハビリを続けたが、第5集の発行という執念は果たせなかった。「お疲れさま」と声を掛けたくなる。ただ、あの圧倒的な仕事ぶりに一度でも触れると、「後は任せて」とたやすく口にできない自分がもどかしい。原爆犠牲者の無念をしっかり継承できているのかどうか。核兵器が廃絶できない人類全体に対し、幻さんが残した宿題は重い。」(編集局長・江種則貴)『中国新聞』2017.5.18 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。