「05月忌」カテゴリーアーカイブ

小松茂美

小松茂美

こまつ・しげみ 19250330生20100521没 享年75歳 古筆学者、美術史学者。広島で被爆。「死の淵にたって」(『平家納経の世界―国宝の謎を推理する』(六興出版、19861226)pp.133-136。

資料年表:小松茂美

年月日
1925
0330 山口県岩国市生まれ
1938 崇徳中学校(旧制、現崇徳高校)進学。
1942 柳井中学校(旧制、現山口県立柳井高校)卒業。広島鉄道局勤務。
1945
0806 広島駅近くの庁舎内(爆心地から1.7キロ)で原爆被爆。
作業中

島薫

島薫

しま・かおる 18970702生19770516没 享年79歳 外科島病院(広島原爆爆心地)院長。

資料年表:島薫<作業中

年月日
1897
0702 誕生(本籍地:広島県安芸郡瀬野川)
1917
03 広島県立第一中学校卒業
1924
0325 大阪医科大学卒業
1930 これより欧米留学、米国メイヨークリニックにても研究晩学。
1931
04 大阪帝国大学医学博士。
1933
08 広島市細工町にて外科島病院を開設、診療開始。
1945
0806 「県下世羅郡甲山町植田病院に出張手術中広島島病院上空に世界始めての原子爆弾降下の報により帰広し、市袋町戦災者仮設病院に於いて罹災者の処置に尽力し後中野村の本宅に於いて診療を開始す。」
1948
1030 「広島市大手町戦災被害地を整理し復興、病院を建設し診療を開始す」
1977
0516
1983
0515 島薫あれもこれも』発行

 

島薫あれもこれも

『島薫あれもこれも』(島薫[著・刊]、紺野耕一編、1983/05/15)

内容<作業中

ご挨拶 島忍
大学医局時代の思い出…3
入局…6
恩師 岩永先生の御魂に…8
古武先生の想い出…11
日本臨床外科医会創立のこと…12
医学上より見たる広島の復興…13
広島外科会100回を迎えて…17
広島外科会40年のお祝の言葉…23
予後…24
朝風に乗って…26
原爆直後のこと…31
運命というもの…35
「ゲランを流す」…37
ピカドンと婦人たち…38
呉の空襲…41
警防団ところどころ…43
「教育随想」鍛えられた土性骨…45
広島信用金庫理事長あいさつ…49
戦争と金…50
最高の福祉…51
ひかり園理事長のあいさつ…54
ユース・ホステル15年を迎えて…56
年頭の所感
正月を迎えて
1969年の日の出
瀬戸内海周遊ホステリング
海底より
無言の囁き
第四国高校生ユースラリー
迎春
かおり高き品格…67
見て喜ぶ…71
「私の愛蔵品」精進湖 南薫造作…76
二人展出品作品…78
白青会・杏林画会合同展覧会
第21回合同展を迎えて
国際美術展に出品
「雲雀物語」…85
秋に思う…87
よみがえるあの日爆心地島病院・ただ余熱と死臭…93
紅バラのヤグラ…爆心地の庭に…96
ヒロシマの戦後見続けた27年―生れ変る爆心の島病院…97
瓢鮎図…99
微笑み…100
幽霊…102
洋モクで一札取られの巻…104
西村徳一氏に呈す…106
還暦に思う…108
還暦のうた…109
一丁のピストル…110
人権擁護…112
広島市民交響楽団生みの親高橋理事長の追想…113
わが十代―雲井浪子に片思いこがす…115
秋の夜ばたし―花つくり・碁・ゴルフ…121
外科医追放が文化…124
わたしの散歩道…127
ヒロシマに生きる…130
協力は健康者の義務―「かたすみの人生」…134
晴れの叙勲―スポーツで人心復興…136
国鉄マン「ゲスト・トリオ」島車掌…138
忘れ得ぬ人びと…141
谷川昇君
立石吾一氏
高橋定氏
三戸俊美氏
上田太郎氏
越智しげる氏
河野先生
島薫博士「原爆後の広島についての彼の回想録」 ウォーナー・ウエルズ…157
筆談 喉頭癌手術後の大学病院生活と退院後…187
恵声会発会の思い出…565
恵声会誌創刊によせて…569
遺徳を偲んで…571
大内五良
長崎孝
国信玉二
斉藤環
中本カツコ
偲び草(年譜)…586
あとがき(紺野耕一)…593

草野信男

草野信男

くさの・のぶお 19100111生20020514没 享年92歳 病理学者。元日本原水協理事長。

資料年表:草野信男

年月日 事項 備考
1910
0111 誕生
1952
 1201  『原子爆弾の話』(志田信著、東京大学出版会)
 草野「序」
 1953
 0505  『原子爆弾災害調査報告集 第二分冊』(日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編、日本学術振興会刊)
 119 広島における原子爆弾症の病理解剖(西条療養所の剖検例)(草野信男、東大・伝研・病理)1346
1957
 0710  『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料』(原水爆禁止日本協議会)
草野「 放射能被害と人体」135
 1967
 1101  『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局)
 草野「経過報告」 6
1969
1120
 『平和運動20年記念論文集』(日本平和委員会編、大月書店)
 草野「原水禁運動の始まった頃」 387
1976
 0331  『ビキニ水爆被災資料集』(第五福龍丸平和協会編、東京大学出版会)
 草野「久保山さんの解剖に立会って)」 324
 0730  『20年の大義を世界へ』(原水爆禁止長野県協議会、)
 発刊を祝す…草野信男…6
 1977
 1101  『原水爆禁止世界大会の記録 1977年』(原水爆禁止統一実行委員会)
 草野「開会あいさつ…草野信男 29」「議長団代表あいさつ…草野信男 60」
1980
 0815  『わが戦後行動 いま原水爆禁止は』(吉田嘉清著、新興出版社)
「座談会 原水爆禁止運動と吉田君 238」
(中野好夫 古在由重 草野信男 吉田嘉清)
 1983
 0806  『道 安井郁 生の軌跡』(「道」刊行委員会編、法政大学出版局)
草野「 安井さんを偲び業績をたたえる」 297
2002
0514 死去
0516  「元原水協理事長 草野信男氏死去」(『中国新聞』)
 0517  「天風録」(『中国新聞』)
0604 金井淳一郎「悼記 草野信男さん 医学研究からヒロシマと向き合う」

 

別冊 新評 梶山季之の世界 <追悼特集号>

『別冊 新評 梶山季之の世界 <追悼特集号>』(新評社、19750720)

内容(抄)<作業中

16 告別式レポート
藤本義一、澤村三木男、吉行淳之介、今東光、柴田錬三郎
幻のライフワークといわれた遺稿集
40 遺稿その1 積乱雲
79 原爆記者とのつき合い(大牟田稔)
82 梶山季之の壮絶な死! 柴田錬三郎
86 梶山季之の経緯 山口瞳
132 座談会 トップ屋時代の梶山季之(岩川隆・中田建夫・加藤憲作・有馬將祠)
162 梶山季之人脈図 有馬將祠
211 丈夫、志あるも 竹中労
250 梶山季之完全年譜(季節社・編)
256 梶山季之単行本リスト(季節社・編)

編年資料:梶山季之

編年資料:梶山季之<作業中

年月日
1930
0102 京城(現・韓国ソウル)に生まれる。京城中学校4年の時終戦。1945年末、広島県地御前村に引揚げ。広島二中に編入。
1948  広島高等師範学校入学。
1966
0225 『松田重次郎』
「はしがき」の巻頭
 自叙伝というものがある。よんでみると、なかなかに面白いものである。だが、私は、自叙伝というものを、あまり信用していない。(中略)また伝記というものがある。政財界の大立者が物故すると、必ずといってもよいぐらいに、伝記が刊行される。なかには良心的なものもあるが、故人を追慕するのあまり、美しい面ばかりを取り上げて、欠点や短所はとり上げない傾向の方が強い。人間だから長所もあれば短所もあるはずなのだが、どういうものか、人間の醜い面が取り上げられないのは不思議である(日本に不足しているのは、真の伝記文学とユーモア小説ではあるまいか?)というのは私の持論だが、伝記を書く以上は正確に、その人間像を浮き彫りに、私生活も描かねばならないと、私は考えていた。
 1973
 1020  『広島の文芸 小説・評論 知的風土と軌跡』(岩崎清一郎 著、広島文化出版)
「第五章 死の影―原 民嘉・大田洋子 阿川弘之…88」
1975
 0511  没。享年46歳。
0720 『別冊新評 梶山季之の世界 追悼号』
 0731  『ヒロシマの原風景を抱いて』(栗原貞子著、未来社)
 「梶山季之作「ケロイド心中」をめぐって 87」
1977
0415 『旅とその世界』(山と溪谷社)
1979
0313 『定本原民喜全集 別巻』(山本健吉他編、青土社)
「梶山季之 「天邪鬼」のころ 362」
1991
0615 『梶山季之のメジャー・コンタクト(17回忌・文学碑建立 記念号)』(季節社・代表梶山美那江)
2007
1110 時代を先取りした作家梶山季之をいま見直す 没後33年記念事業』(梶山季之記念事業実行委員会、中国新聞社)
 2010
 1220  『広島県現代文学事典』(天野裕康・記)

今川卓治

今川卓治

いまがわ・たくじ 18961109生19810510没 享年84歳 『被爆医師 今川卓治』(今川静子、19870510)

資料年表:今川卓治<作業中

 年月日  事項 備考
 1896
 1109  群馬県で誕生
 1922  旧九州帝国大学医学部卒業
 1927  東京帝大より医学博士号を受ける
 1928
 03  広島市猫屋町に医院を開業
 1945
 0806  往診中に広島市観音町で被爆。多くの被爆者の救護活動にあたる
 1947  社団法人広島市医師会初代会長に就任。~1949年2月。
 1955  広島市医師会会長。~1957年2月。
 1981
0510  旧制心不全で死去。享年84歳。
1987
0510 『被爆医師 今川卓治』(発行:今川静子)

資料年表:菊池武彦

資料年表:菊池武彦<作業中

年月日 事項 備考
出典:C=『中国新聞』
 **** 誕生
1947
0401 戦後初の日本医学会総会。於:大阪。菊池武彦京大教授らがについて特別講演。 C
1010 菊池武彦京都大学教授ら、広島市で被爆者健康調査のため無料巡回診療。~19日。 C
 1949
1202 菊池武彦京都大学教授、ABCCで被爆生存者の病状記録について協議。 C
 1953
 0505  『原子爆弾災害調査報告集 第二分冊』(日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編、日本学術振興会)
 1954
0919 原子爆弾災害調査研究班第5回研究会議。会場:広島大医学部付属病院(呉市)。都築正男・塩田広重・中泉正徳・菊池ら出席。 C
 1961
 0331  『原子爆弾後障害研究会講演集 第2回 [昭和35年]』(長崎県・長崎市・長崎原爆障害対策協議会編)
1985
0504 死亡。
 1991
 0615  『医師たちのヒロシマ 原爆災害調査の記録』(核戦争防止・核兵器廃絶を訴える京都医師の会「医師たちのヒロシマ」刊行委員会編、機関紙共同出版)
 1993
 0901  『京都大学原子爆弾災害綜合研究調査班遭難 「記念碑建立・慰霊の集い」のあゆみ』(芝蘭会広島支部、京都大学)

消えた十字架

『消えた十字架』(碓井静照著、ガリバープロダクツ刊、19950806)

内容

見出し 備考
はじめに 2
1 消えた十字架 9
・心のふるさと-アメリカ 11
/ボストン大学へ… 12
/ボストン近郊にて~ヨットや釣りのこと~ 27
/消えた十字架~ボストンのクリスマスに思いを馳せながら~ 37
/変わりゆくマンハッタン・ハーレム 45
・アフリカ、メヘバ難民キャンプを訪ねて… 51
/アフリカ、難民キャンプを訪ねて… 52
/南部アフリカ回想 56
・世界を語る 73
米ソの穀物事情と世界の緊張 74
/ドルと鯨と核利用 77
/二十世紀最大の疫病-エイズ 80
/真の国際化とは 84
/トイレットペーパーと文明度 86
・友ありユーゴより来る 89
ユーゴの友 90
/友あり、ユーゴより来る 92
/ホームスティのお話 95
2 ノーモアヒロシマの決意新たに 99
・私と原爆 101
時は流れる 102/私と原爆 103/語り継ぐ夏~四十七年目のヒロシマ~ 109/転機を迎えた核時代~処方せんは一つ「核廃絶」~ 110
・ノーモアヒロシマの決意新たに…~IPPNWの活動から~ 113
IPPNW平和学術講演会の印象記 114
/〈座談会〉IPPNWによせて~IPPNW国際会議出席者に聞く~ 121
/IPPNW広島大会、一九八九年に開催決定の瞬間 136
/ノーモアヒロシマ、この決意永遠に…139
/第二回IPPNWアジア太平洋地域会議(マニラ)開かれる 140
/ヒロシマの教訓~第二回IPPNWアジア太平洋地域会議(マニラ)での講演より~ 144
/はじめてチェルノブイリ原発事故被害の真相にせまる・IPPNW日本支部代表団、モスクワなどソ連四都市を公式訪問 154
/「安全保障の共有と健康のための地球規模のコミュニケーション」をテーマに~IPPNW第十回世界大会開催~ 162
/IPPNWストックホルム大会とヒロシマ 167
/ソ連クーデター直後、核管理の揺らぐモスクワに入る・IPPNW「ソ連共和国非核化教育キャンペーン」準備会議へ出席して 170
/IPPNW日本支部・碓井氏が帰国報告 173
/日ソ非核化キャンペーン・ロシアウインターキャンペーン(医療援助募金)について 175
/中国、北朝鮮(DPRK)、韓国、日本によるIPPNWアジア太平洋地域会議のための準備会議開催 183
/エリツィン大統領らに核廃絶を申し入れる・旧ソ連非核化教育キャンペーンの代表団の一員として 187
/国連軍縮会議が広島で行われたことの意義 199
/IPPNWボルゴグラード支部活動について 200
/ 朝鮮半島の非核化と日本のプルトニウム保有について 203
3  CUREとCARE 211
・医師として生きる 213
医学部を志す人達へ、一医師の日常 214/医者の不養生 221/週休二日制を考える 225/四面楚歌の中で 228/心に残った患者さん 232/医師をめざす後輩に物申す 234/〈座談会〉医の原点を求めて~海外医療活動経験者は語る~237
・地域医療の充実を求めて 257
春爛漫 258/広島市医師会創立一〇〇周年記念行事から 259/橋田寿賀子「ドラマの中の女たち」評・広島市医師会創立一〇〇周年記念~文化講演より~ 260
・医療経営を考える 265
規則緩和を求めて-病院協会の在り方 266/生き残れるか民間医療〈座談会〉医療経営について 268
・高齢化を見つめる 289
老人福祉制度への雑感 290/甘露の雨とこしえに 293/ボケ防止について 294
・老人保健施設について 297
都市医師会での老人保健に関する分科会から 298/老人保健施設短評 300
・深刻な看護婦不足 303
書評「ナースコール」を読んで 304/深刻化する看護婦不足 305/診療報酬体系と看護婦不足 309
4 GALLERY 313
・ゴルフ顛末記 315
大学の会報で同級生に紹介されたら 316/B組優勝者の弁 317/B組ブービー残念記 319/広島カントリー倶楽部「成人の日杯」に優勝して 321/またまたB組ブービー賞残念記 323
・写真に魅せられて 327
写真に魅せられて 328/街を撮る〈座談会〉写真放題~〝わがブロック〟担当カメラマン~ 332
・GALLERY 351
天神嶽の石佛 352/モスクワの子供たち 353/カレメグタンの丘にて 354/N・Y・ハーレムにて 355/エニセイ川(ロシア)上流の山脈 356/芽花、白い穂 357
・徒然なるままに 359
なくて七癖 360/徒然なるままに 361/一冊の本「徒然草」 369/英訳「宇津保物語」評・「The Tale of Cavern(Utsuho Monogatari)」について 371/高瀬堰随想~太田川に想う~ 375
あとがき 392

碓井静照

碓井静照

うすい・しずてる 201209没 享年74歳 広島県医師会会長、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)日本支部長などを歴任。第67回(2010年)中国文化賞(中国新聞社主催)。8歳の時被爆。

 

資料年表:碓井静照<作業中

年月日 事項 備考
1937
** 広島市牛田本町生まれ
1945
0806 8歳のとき、原爆被爆。
1989
0720 『ヒロシマ医師のカルテ』(広島市医師会)
座談会:あの日  (小山綾夫・横山滋・福原照明)67
碓井静照 「私と原爆」 147、「核戦争の危機-第3回大会」282、「’89年広島大会開催決定の瞬間」314、
川堀耕平・福原照明・茶幡隆之・碓井静照「IPPNWによせ」 338
1992
0130 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成4年1月30日(その1)』(IPPNW日本支部)
日本支部1990年度報告 碓井静照 4
0130 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成4年1月30日(その2)』(IPPNW日本支部)
「安全保障の共有と健康のための地球規模のコミュニケーション」をテーマに日本支部から30名参加 碓井静照 10
IPPNW「ソ連共和国非核化教育キャンペーン」準備会議に出席して 碓井静照 67
0130 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成5年1月30日』
(1)ロシアウィンターキャンペーン(医療援助募金)について
ボストンIPPNW執行委員会報告 碓井静照 7
(4)IPPNW代表団による旧ソ連邦非核化教育キャンペーンに参加して 碓井静照 14
中国、北朝鮮(DPRK)韓国、日本によるIPPNW
アジア太平洋地域会議のための準備会議開催 碓井静照 22
IPPNWボルゴグラード支部活動について 碓井静照 36
ヒロシマからの教訓-第3回IPPNWアジア太平洋地域会議に於ける講演- 福原照明 48
朝鮮半島の非核化と日本のプルトニウム保有について
-第3回IPPNWアジア太平洋地域会議の位置づけ- 碓井静照 64
1995
0806 『消えた十字架』(ガリバープロダクツ刊)
1996
0701 『エドナ・ライル夫人の死』(ガリバープロダクツ刊)
第1章 ミンスク(ベラルーシ)への旅 13
1998
0806 『語り継ぐ夏 Abolition 2000をめざして』(ガリバープロダクツ刊)
2002
0329 『ニューヨーク午後の日射し 続ヒロシマ2001』(ガリバープロダクツ刊)
2004
1212 『哀しみの虹 ある美しき韓国女性の死』(ガリバープロダクツ刊)
2007
1008 『シアトルからの手紙』(ガリバープロダクツ刊)
2009
0331 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成20年度(2008年度)』
2.IPPNW日本支部理事会・総会・広島県支部総会 柳田実郎 2
・日本支部長挨拶 碓井静照 5
0911 『ピョンヤンの春 望春-北朝鮮の核廃絶と被爆者医療』(ガリバープロダクツ刊)
2012
0127 『放射能と子ども達 ヒロシマ、チェルノブイリ、セミパラチンスク、そしてフクシマ』(ガリバープロダクツ、20120127)
0509 没。享年74歳。