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小倉豊文

小倉豊文

おぐら・とよふみ 18990820生 19960610没 享年96歳  日本史学者。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)

資料年表:小倉豊文<作業中

年月日 事項 備考
1899
0820 誕生
1948
1130 『絶後の記録 廣島原子爆彈の手記 亡き妻への手紙』(中央社)
1949
0310 『文化教室 廣島縣教育委員會社會教育課新聞 No.2』
P.6 小倉豊文著”絶後の記録”書評
0415 『広島教育 第17号 3, 4月合併号』(広島県教職員組合文化部)
足を靴に合わせろ! 小倉豊文 36
1001 『ヒロシマフォトアルバム』(佐々木雄一郎編、広島平和協会)
編輯者:佐々木雄一郎
寄稿者:浜井信三・小倉豊文・吉井哲爾
撮影者:佐々木雄一郎・山本義江・松重美人・ 山田精三
1965
0301 『放送RCC 第41号』(ラジオ中国)
ひろしま風土記■広島城とRCC 小倉豊文 18
1966
0801 『放送RCC 第59号』(ラジオ中国)
ひろしま風土記■消滅した広島の町々 小倉豊文 38
1968
0801 『放送RCC 第9号』(中国放送)
ひろしま風土記■原爆広島とポンペイの廃墟 小倉豊文 58
1969
0120 『燃える日本列島 父が語る太平洋戦争 3』(来栖良夫・古田足日・堀尾青史 編、童心社)
「ピカドン! 原爆第一号 」小倉豊文 110
1970
0805 『広島原爆の手記 亡き妻への手紙』(八雲井書院)
1971
0720 『絶後の記録 広島原爆爆弾の手記 シリーズ戦争の証言3』(太平出版社)
1975
0806 『生死の火 広島大学原爆被災誌』
1981
0831 『ヒロシマを語る十冊の本 続』(ヒロシマを知らせる委員会編、労働教育センター)
小倉豊文著「絶後の記録」(1948年)1
1982
0420 『広島県短歌史』(豊田清史著、溪水社 [渓水社])
15、小倉豊文の人間虚無歌、土井寿夫の「幾山河」 506
0630 『原爆を読む 広島・長崎を語りつぐ全ブックリスト』(水田九八二郎、講談社)
4-『絶後の記録-広島原爆の手記』小倉豊文著(昭和二十三年) 30
0710 『絶後の記録 広島原爆爆弾の手記(中公文庫)』
1985
0801 『国文学解釈と鑑賞 第50巻9号』(至文堂)
記録とエッセイ 『絶後の記録』小倉豊文/中村完 113
1994
0806 『ノー・モア・ヒロシマ 50年後の空洞と重さ』(風濤社)
1996
0610 死亡
2015
0112 「故小倉豊文さん、妻文代さんの遺品 家族が保存」(『中国新聞』掲載)

谷川和穂

谷川和穂

たにかわ・かずほ 19300721生20180608没 享年87歳 自民党衆議院議員。防衛庁長官、法務大臣など歴任。

資料年表:谷川和穂

年月日 事項 備考
1930
0721 広島県賀茂郡西志和村(現・東広島市)生まれ。
1978
**** 『闘争・暴力そして脅威 : 昭和ひとけたの見た戦後観』(原書房)
2007
0810 東広島市名誉市民
志和町出身 昭和33年に、当時、全国最年少で衆議院議員に初当選、以来、 防衛庁長官、法務大臣などの要職を歴任された。また、広島大 学の本市への統合移転の構想実現に尽力されるなど、学園都市 の構築と発展に貢献された。ttps://www.city.higashihiroshima.lg.jp/material/files/group/3/HonoraryCitizen2022.pdf
2018
0608 死亡。

 

 

原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理

『原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理』(松井康浩著、新日本出版社、1986/08/05)

内容

備考
はじめにー被爆40年にあたってー1
1 原爆裁判 13
1 原爆訴訟提起のいきさつー被爆者の援護と核兵器の廃絶のためにー  13
(A)広島・長崎などでの反応 18
(B)第5福竜丸の被曝ービキニ水爆実験の犠牲ー 22
2 原爆訴訟の提起 24
3 原爆訴訟の法理 36
(A)アメリカによる広島・長崎への原爆投下行為の国際法違反性 36
(B)アメリカ合衆国と大統領トルーマンらの故意責任と損害賠償義務 38
(C)日本政府の責任ー講和条約による権利放棄ー 40
4 日本政府の主張 41
(A)原爆投下行為の国際法違反性の否定 47
(B)損害賠償請求権の否定 48
(C)平和条約による権利放棄の否定 48
(D)日本政府の責任の否定 49
(E)他の戦争被害者との均衡と国の財政事情による被爆者援護の否定 49
5 訴訟の経過 49
(A)原爆投下直後の日本政府の抗議をめぐって 50
(B)敗戦国の宿命論をめぐって 53
(C)国側の主張の特徴 55
6 国際法学者の鑑定意見とその特徴 57
(A)広島・長崎への原爆投下は国際法に違反するか 58
(B)日本政府は講和条約で被爆者の損害賠償請求権を放棄したか 65
7 判決 69
(A)判決書 70
(B)原爆投下の国際法違反を宣告 70
(C)損害賠償請求権の否定 73
(D)被爆者援護法を制定しない政治的怠慢に言及 75
(E)判決の意義 77
2  被爆者援護の法理 83
はじめにー誰のための被爆者援護か 83
1 被爆の実態 84
(A)原爆の破壊力 86
(B)被爆者の証言 88
(C)ある被曝軍医の証言 91
2 アメリカ政府の責任 94
(A)原爆判決の指摘 94
(B)原爆投下目的の不法性 97
(C)原爆投下後の治療や調査の妨害 99
3 日本政府の責任 101
はじめに 101
(A)戦争終結時期の誤りーなぜ広島に、さらに長崎にもー 102
(B)被爆者の放置 107
(C)アメリカに対する責任追及のサボタージュ 110
(D)被爆者援護法不制定の政治責任 114
(E)「基本懇」報告の非情と非論理 118
(イ)「基本懇」見解の非情 119
(ロ)「基本懇」見解の非論理 120
(ハ)被爆者対策の基本理念 123
(F)被爆者援護法不制定の法的責任 124
(イ)法律の制定と政党の機能 124
(ロ)憲法と被爆者援護法の不制定 128
(1)講和条約における請求権放棄 128
(2)請求権放棄と財産権の補償 130
(3)戦争災害と被爆者援護法 131
4 被爆者の要求 135
(A)国家補償の精神に立つ援護法の制定 135
(B)ふたたび被爆者をつくらないために 136
(C)被爆者の援護と核兵器の廃絶ーなぜ政府・与党は被爆者援護法を制定しないのかー 137
3 核兵器廃絶の法理 143
はじめに 143
1 核兵器使用の違法性 145
(A)原爆判決の既判性 145
(B)兵器の選択と人道の法則 151
(C)核兵器使用と報復の権利 153
2  核兵器使用の犯罪性 155
(A)戦争犯罪と戦争犯罪人 155
(イ)侵略戦争は国際犯罪である 157
(ロ)戦争犯罪の処罰 161
(B)国際軍事裁判(ニュールンベルグ裁判)162
(C)極東国際軍事裁判(東京裁判)163
(D)朝鮮戦争とベトナム戦争における戦争犯罪 168
(イ)朝鮮戦争とアメリカ・日本 168
(ロ)ベトナム戦争とアメリカ・日本 170
(ハ)ベトナム法廷 172
(E)平和と人道の国際法の形成ーその克服すべき旧理論ー 176
(イ)戦争法における民主的原理 176
(ロ)核兵器時代の国際法と人道の法則 178
(ハ)国際連合の決議 180
4  核兵器廃絶運動の法理 183
はじめに 183
1 核戦争の明白かつ現実的危険 184
(A)核軍拡の論理とその実態 184
(B)核兵器の軍事的事故 187
2 核戦争の被害ー生地獄と“核の冬”ー
3  憲法と核兵器廃絶運動 1190
(A)平和主義と非核3原則 190
(B)平和と民主主義の一体性 190
4 安保条約と核兵器廃絶運動 198
(A)憲法と日米安保条約の矛盾 198
(B)核兵器の廃絶と安保条約 201
むすび 203
資料篇
あとがき

 

松井康浩

松井康浩

まつい・ひろやす 19220618生20080605没 享年85歳 弁護士。日本原水協代表理事。

資料年表:松井康浩<作業中>

年月日 事項 備考
1922
0618
1968
0820 『戦争と国際法 原爆裁判からラッセル法廷へ』(三省堂新書)
1986
0805 『原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理』(新日本出版社)
1992
0720 『時代のなかの社会主義』(星乃治彦・石川捷治・木村朗・松井康浩・平井一臣・木永勝也著、法律文化社)
1994
0809 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声1994 第8集』(長崎の証言の会)
松井康浩「法の支配と人間性の支配-核兵器廃絶を目ざして-」  16
1999
0618 『非核平和の追求-松井康治弁護士喜寿記念』(浦田賢治編、日本評論社)
2000
0710 『被爆者援護と核兵器廃絶の理論と運動』(めいけい出版)
2008
0605 没。享年85歳

広島長崎修学旅行案内 原爆の跡をたずねる 新版

『広島長崎修学旅行案内 原爆の跡をたずねる 新版』(松元寛著、岩波書店<岩波ジュニア新書>、1998/05/20)

内容

新版にあたって
出発の前に…1
ヒロシマを見る…15
 1 現在の広島…17
2 三つのひろしま…21
中国路の城下町(21)
重要な軍事都市(25)
原爆投下(30)
ヒロシマ(36)
復興の歴史(40)
3 平和公園…48
4 「過ちは繰返しませぬ」…58
5 原爆ドーム…62
6 原爆資料館…72
7 原爆モニュメント…81
平和公園内の碑(81)
平和公園周辺の碑(87)
8 被爆者の意識…97
無念の思い(97)
犠牲者意識(101)
被害者にして加害者(105)
被爆体験の風化(111)
9 原爆病院とABCC…116
原爆病院の役割(116)
原爆障害と補償(121)
ABCCとマンハッタン計画(126)
ナガサキへの旅…131
 1 長崎と広島…133
外からの目で見ると(134)
二番目の意味(137)
2 ナガサキを見る…140
中心地公園と原爆資料館(141)
浦上天主堂(148)
如己堂(155)
平和公園(165)
3 長崎の被爆者…174
殉難者(175)
ピカドン(181)
生き残りの後ろめたさ(184)
終わりに…193
 1 スミソニアンの実現しなかった「原爆展」…194
2 旅をふり返って…203
被爆体験の継承ということ(203)
考えることと行動すること(210)
あとがき…215
〈地図〉
広島市略図(16)
広島平和記念公園周辺(49)
長崎市略図(132)
長崎爆心地周辺(144)

ヒロシマという思想―「死なないために」ではなく「生きるために」

松元寛『ヒロシマという思想―「死なないために」ではなく「生きるために」』(東京創元社、1995/07/20)

内容

序に代えて 私はなぜ広島にいるのか 5
1960年から70年へ
原水爆禁止運動における思想と行動 19
1970年、ヒロシマ会議報告 33
8.6、広島の意味するもの 47
1980年前後
原点としてのヒロシマ 71
平和と文学、平和の文学 87
原点としてのヒロシマ、ナガサキ 109
1985年以後
原爆民主主義を超えるために 133
核抑止力戦略を支えるもの 155
文学的な、余りに文学的な 183
あとがき 209

 

松元寛

松元寛

 まつもと・ひろし 1924****生20030605没 享年78歳 英文学者。 広島大学名誉教授。原爆で母を喪う。

資料年表:松元寛

年月日
1924 朝鮮京城(現在のソウル)に生まれる。
 1955
 0830  『歯車 第1号』(歯車発行所)
松元寛「 犬」 19
 1960
 0515  『60+α 文学雑誌 第1号』(文化評論出版)
松元寛「 太宰治の文学-その可能と限界-」…18
1961
1001 『安芸文学(安藝文学) 第10集 記念特集号』(安芸文学同人会)
 松元寛「現代文学の条件 」35
1201 『ひろしまの河 No.4』(原水爆禁止広島母の会)
特集 被爆地の原水禁運動はどうあるべきか
1963
1215 『不死鳥 第5号』(広島大学職員レクレーションの会)
松元寛(文学部)「我が青春」 …4
1965
0901 『放送RCC 第47号』(ラジオ中国)
松元寛『ひろしま20年の足跡■文学の歩み 』 34
1966
0510 『安芸文学(安藝文学) 第20号記念特集号』(安芸文学同人会)
松元寛「同人雑誌の十年」 6
0801 『広島通信No.2』(広島県詩人協会)
松元寛(広島大学助教授)「被爆の証人〝原爆ドーム〟の保存を」
1968
0601 『広島通信No.10』(広島県詩人協会)
松元寛「原爆慰霊碑文再読」
0615  『歯車 第1号』(歯車の会)
松元寛「評論 現代における致し方ない正しさ」2
0801 『放送RCC 第91号』(中国放送)
松元寛「連載=道■幻想としての道」 20
1970
0610  『歯車 第19号』(歯車の会)
松元寛「パラダイス・ロード」 78
 0620  『<八月六日>を描く 作品集』(原民喜 [ほか] 著、文化評論出版)
 松元寛「解説」
1110 『安芸文学(安藝文学) 第29号』(安芸文学同人会)
松元寛「言語と映像の境目」…2
 1230  『歯車 第20号 1970年冬』(歯車の会)
   松元寛「崩壊」127
 1971
 0731  『ヒロシマ・25年-広島の記録 3』
松元寛「 被爆体験の風化」  160
1130  『歯車 第21号 1971年秋』(歯車の会)
評論 高橋和巳の覚え書 松元寛 70
 1973
0525   『歯車 第23号 1973年春』(歯車の会)
松元寛「シェイクスピアー一つの前書と喜劇についての覚書」 65
 0625  『ヒロシマの意味』(小黒薫編、日本評論社)
松元寛「 八・六、広島の意味するもの」  133
1101 『わがまち、ひろしま 都市めぐりシリーズ 1(広島文化叢書 , 6)』(広島文化出版)
 1975
0601  『歯車 第27号 1975年春』(歯車の会)
「ハムレット」覚書…松元寛 12~21
1976
0901 『平和科学研究通信 Vol.1 No.2-3』(広島大学平和科学研究センター)
<研究の記録>中野好夫氏を囲む座談会 松元寛 4
1977
0910 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会)
「文科学関係(横田輝俊、磯貝英夫、松元寛)」257
1978
0520 『平和研究 第3号 日本国憲法 国内体制と平和』(日本平和学会)
〔書評〕松元寛「『ヒロシマで教える』(NGO被爆問題国際会議広島専門委員会・広島平和教育研究所 共編 )」
1979
0301 『平和科学研究通信 Vol.2 No.3』(広島大学平和科学研究センター)
松元寛「平和と教育」 1
0518 松元寛「第17章 原点としてのヒロシマ」(『平和研究ノート』山田浩・森利一編、広島大学総合科学部国際関係論教室)
1980
0925 『平和学講義』(森利一・山田浩編、勁草書房)
1981
1001 『平和を研究する』(広島大学放送教育実験実施委員会)
第3回 人間の幸福と平和-シエクスピアの喜劇とユートピア文学- 松元寛 10月25日(日)21
第4回 危機的状況における文学(1)-悲劇と人間の希望- 松元寛 11月1日(日)29
1982
0621 『広島長崎修学旅行案内 原爆の跡をたずねる 岩波ジュニア新書48』(岩波書店)
1983
0731 『広島通信 No.68 終刊号 ヒロシマの継承 1983.07.31』
松元寛「この持続を大切に」
0801 『日本の原爆文学 15 評論/エッセイ』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編)
松元寛「不毛でない文学のために 」267、「原点としてのヒロシマ」  396
0830 『平和学講義 新訂版』(山田浩編、勁草書房)
松元寛「第15章 原点としてのヒロシマ、ナガサキ――その意味を考える視角――」 270
1984
1101 『平和研究 第9号 ヒロシマ・ナガサキの平和秩序の探求』(日本平和学会)
松元寛「ヒロシマとナガサキ-その意味を考える視角」44
1987
0101 『広島平和科学 9 1986年』(広島大学平和科学研究センター)
松元寛「核抑止戦略を支えるもの」1
 1990
0630 『ひろしま新時代 21世紀への可能性を探る』(香川不苦三著 中国新聞社編、中野出版企画)
人間のための都市へ(ひろしまへの提言) 広島修道大学教授 松元寛 86
1993
1201 『けんみん文化 1993.12 12月号第9巻第9号』(広島・県民センター文化情報課)
「広島人物誌 松元寛」 8
1995
0501 『平和文化 No. 113』(広島平和文化センター)
講師-広島修道大学人文学教授 松元寛
0720 『ヒロシマという思想 「死なないために」ではなく「生きるために」』(東京創元社)
 1996
0301 『思想の科学 No.39』(思想の科学社)
松元寛「原爆を落としたアメリカ ヒロシマの世界化とは」 10
1998
0520 広島長崎修学旅行案内 原爆の跡をたずねる 新版』(岩波ジュニア新書 , 300)
0720 『梶葉かじのは 梶山季之文学碑記念 通巻6』(「梶葉」刊行委員会(梶山季之文学碑管理委員会))
黒い雨-彷徨の周辺- 文沢隆一 3
1999
1215 『戦争の死 戦後の死』(廣岡尚利、 叢書見る)
松元寛 切明悟 小久保均 寺島洋一「思い出」
 2000
0501 『平和運動センター通信 第19号』(横原由紀夫、広島県平和運動センター)
・日朝国交回復の早期達成を! 1
・「主張・論壇」民主主義の「御作動」? 松元寛 2
・「主張・論壇」これこそ民主主義の誤作動(2)松元寛 3
2002
0507 『碧空』(海老根勲、大牟田さんをしのぶ会)
大牟田さん、どうして…松元寛 15
2003
0605 死亡。
0617 松坂義考「松元寛さんを悼む」(『中国新聞』20020617)
0714 『けさや昔の夢のおもかげ 稲賀敬二回想集』(稲賀敬二 [著]、稲賀久美子)
  松元寛「稲賀さんを悼む」457
0726 岡馬十充「ヒロシマの思考力に力 松元寛さん」(『中国新聞』20020726)
 0915  『考えるとは乗り越えることである 好村冨士彦遺稿・追悼集』
 松元寛「好村さんに」 472
 1210 『湾 文芸同人誌 第23号』(藤本仁)
 悼・松元寛先生 77
2004
 0430  『歯車 第42号 2004年春』([歯車の会])
 松元寛 肖影 拾遺
天皇とヒロシマ 3
50年後のヒロシマ、ナガサキの意味 5
-科学依存の現代生活「悲惨」は背中合わせー
漱石の英文学 7
はぐれ英語教師・戦中派 17
世紀末の八月六日に 42
-核廃絶を「日本の声」へー
今世紀最後の原爆忌に 44
-多様な反戦運動と連携深め次世代へー
追懐
ヒロシマの退廃 小久保均 49
わが師友 松元寛さん 吉田正勝 54
神様の次に偉い方 松原三和子 56
過ぎ去らない過去からの声 杉山毅 58
-冬城浩さんを悼むー
松元さんのこと 立川昭二郎 73
大野俊三「落葉樹」回想 佐野豊 74
松元寛略年譜 78
松元寛著作目録 80
[歯車]総目次 81
2010
1220 『広島県現代文学事典』。槇林滉二「松元寛」。

加藤陽三

加藤陽三

かとう・ようぞう 19100129生19890605没 享年歳 内務・防衛官僚、政治家。防衛事務次官、衆議院議員(2期)。海田町名誉町民。

資料年表:加藤陽三

年月日
1910
0129 広島県生まれ
1934 東京大学法学部卒。旧内務省に入る。
内務省土木局⇒栃木県庁⇒厚生省社会局⇒内務地方局
戦後:内務省警保局⇒静岡県庁
1950 国家地方警察本部総務部長
08 警察予備隊本部人事局長⇒保安庁⇒防衛庁人事局長⇒防衛局長⇒長官官房長⇒防衛事務次官
1969 ~1976。衆議院議員2期。
<以上の出典=「著者略歴」(『私録・自衛隊史』)>
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1989
0605